子どもはみんな未来 い ま 憲 法 市 長

本田 久美子
Kumiko Honda
ほんだ くみこ
PROFILE 1950 年1月生まれ。京都市左京区浄土寺在住。家族は夫。一女・孫二人。
京都教育センター事務局長、子どもの権利のための国連 NGO・DC I 京都セクショ
(AALA)連帯委員会運営委員長、
ン代表、京都府アジア・アフリカ・ラテンアメリカ
左京母親連絡会会長、労働審判員、被爆 2 世・3 世の会会員。
【趣味】
登
山:白馬をかわきりに北岳、槍ヶ岳へも。卓球:毎週金曜日、汗を流す。
「卓友会」
副会長。和服:着付け教室に3年。生徒なかまで月1回のイベント開催。詩吟にも挑戦中。
NPO 法人福祉広場
理事長
池添 素
同志社大学大学院
教授・政治思想
岡野 八代
教科書検定意見の撤回を求めて
ILO・ユネスコ共同専門家委員会へ追加
情報を届けるために、ILO 事務所訪問
発行 2015 年 9 月 10.6 市民大集会実行委員会
〒604-0993 京都市中京区寺町夷川上ル ヒトミビル4 階
Tel.075-222-6050 Fax.075-222-6051
10.6 市民大集会実行委員会は次の見解を発表しましたので紹介します
京都教育センター代表
臨床心理学者
高垣 忠一郎
京都華頂大学教授
藤井 伸生
私たちは応援します
久美子
Kumiko Honda
ほんだ くみこ
子どもはみんな未来
本田
いま 憲法市長
京都市長
選挙
子ども・働くもの・母親の
願いに寄りそう行動派。
住民のくらしは平和であってこそ
ま し た。 被 爆 2 世 で あ る と い う 思
機関車の陰にいて直撃をまぬがれ
勤 労 動 員 さ れ 被 爆。 爆 発 の 瞬 間 は
母親が女学校時代に広島市内へ
憲法いかす市政をめざします。
ま す。 戦 争 法・ 原 発 再 稼 働 ノ ー・
て こ そ、 住 民 の く ら し は 成 り 立 ち
師をつとめてきました。平和であっ
を再び戦場に送らない」を胸に教
戦争法・原発再稼働ノー・憲法いかす市政をめざします
い が、 原 発 ゼ ロ の 取 り 組 み に も つ
な が っ て い ま す。 そ し て「 教 え 子
女性の自立・「へき地教育」が私の原点
教師は子どもの力を引き出す職業
に ほ め ら れ た 手 芸 は い ま も 趣 味。
良県立大学)に進学。家庭科で先生
たい」と奈良県立短期大学(現・奈
母子家庭で育ち、「もっと勉強し
利を保障する。これが原点です。
ても子どもたちに教育を受ける権
調査をしました。どこに生まれ育っ
げ、 左 京 区 北 部、 丹 後 な ど で 実 態
入。「へき地教育研究会」を立ち上
も、 教 師 に な る た め 佛 教 大 学 へ 編
子どもたちには平等に教育を受ける権利があります
だ と 実 感。 幼 い 頃 か ら 働 く 母 の 姿
を 目 に し、 女 性 の 自 立 の 道 と し て
市民の貧困と格差解消へ
国 連・ 子 ど も の 権 利 委 員 会 審 査 会
委員長に就任、東京へ。そこでは、
て、 全 日 本 教 職 員 組 合( 全 教 )の 副
京都市教職員組合の委員長をへ
都市政に転換させる決意です。
向 け、 く ら し と い の ち を 支 え る 京
子 ど も・ 市 民 の 貧 困 と 格 差 解 消 に
の審査に大きな影響を与えました。
ポ ー ト と し て ま と め、 政 府 報 告 書
くらし第一、京都の再生はかる市政に転換させましょう
に提出された政府報告書にたいす
る市民側からの子どもの状況をレ
「歴史都市・京都」
/住民自治でまちづくりを
職 員 組 合 で 活 動。 い ま、 京 都 市 は
321 票 差 ま で 迫 る )と と も に 教
平 さ ん(1989 年 京 都 市 長 選 で
最初に赴任した左京区で木村万
まちづくりの先頭にたちます。
を受け継ぎ、「歴史都市・京都」の
通じてたたかった万平さんの遺志
め て い ま す。 ま ち こ わ し と 生 涯 を
で緩和する新たなまちこわしを進
京都が京都でなくなる! 新たなまちこわしを許さない
統 廃 合 校 跡 地 の 切 り 売 り、 新 景 観
政策の高さ規制強化をわずか8年