己念 演 奏 会 倉J立 100周 年 言 翠嵐は100年 の歳月に亘って、さまざまな出来事 をくぐり抜 け、さまざまな顔を見せてきました。母校翠嵐 は時空を超 え、まさに “ 私 たちの心のよりどころ"と して、今 も1人 ひとりの心 の奥 に輝 きつづ けています。これからも新たなページを加えなが ら、よりいっそう 輝 きを増 していってほしい。今 日は、そんな思い を音楽にこめてお届けいたします。目を閉じれば、あのときの、ただ懐かしいでは語 り切れない、ほろ苦 く、甘く、悲 しく、しかもどこか誇 らかな青春の姿が、よみがえってくるでしょう。そして、いつまでも色あせること のない情景 となって、心に焼 き付 くことでしょう。 この演奏会 のために、斯界で活躍中の卒業 生が集まって「翠嵐センテニアルオーケストラ」を編成しました。貴重な “ 一 日限り"の ` オーケストラが、記念組 曲を演奏 いたしま九 卒業 生が 中心 の「100周 年記念合唱団」は、在校 生と心 を一つ にして100周 年記念歌 を歌 います)記 念組 曲「蒼弯翠嵐」、記念歌「もう一度逢 える」、在校生が歌 う若々しい記念歌「空路 (そ らじ)」 、どれも、この 日の ために作 られた、本邦初公開の作品で丸 脈々とつながる「翠嵐」の魂が こもる、そして未来へ 羽ばたく素晴 らしい曲の数々で丸 100年 だから、翠嵐 だからこそ実現できるこの演奏会を、ご堪能いただければ幸 いで現 創 立 100周 年記念組 曲『蒼聟翠嵐』作 曲 にあたって 音楽監督 0作 曲・指揮 手使海 ユ トロ (小 笠原 寛 /高 20) 「人の行 く 裏 に道あ り 花 の山 いずれを行 くも 散らぬ 間に行け」 僕 とは全 く無縁 の金 融相場界 の有名な格言 だそ うである。35年 間商業音楽を作 り続 けて来 た。天の邪鬼でマイノ リテイ志向で、決して表 の道を歩 もうとは思ってもみなかった。人の少ない裏道を楽しんで来 た。しかし、意に反して すっか り凡人であった。常軌を逸するには勇気が必要であった。脚本家古沢良太氏の本 に「貴方には『何かが足 りな い』が、足 りない」と言うセリフがあった。完璧 とい う意味ではない。陳腐 だという意味である。商業音楽 とい うのは 安堵感 と裏切 りのバ ランスで成立している。常にその同ぎ合 いなのだ。僕 の生 き様 もそうだったかも知れない。そして 今 にして思えば、これこそが大平凡主義だったのであろうか ? ・。 と考えていた。しかし 今 回の組 曲の委嘱を受けた時、当初、母校 の歩み、その時代的背景を脈々と奏 でられれば・ 多感な時期を色濃 く過 ごした場面とは申せ、そしてそれを誇 りにその後 の人生を過 ごして来 たとは申せ、所詮 は人そ れぞれの人生……。波瀾万丈、喜怒哀楽、紆余 曲折 ……色 々と体験 して来た、ない しはまだまだ歩みを進めている 真 っ最中であろうと思われる3万 にも及ぶ人生を詠 い上 げる等烏滸がましく思った。 そこで開き直って、大上段 に「人生」を詠ってみようと考えた。人夫々の様 々な場面、側面、状況、背景、心情・… で も、そこには紛 う事無 く我 々を貫 いている「翠嵐」魂。そして、翠嵐で構築 して獲得 した友 とい う、不変 の宝物。それ らが根拠 となって、過 ごして来 たそれぞれの人生。それは恰 も季節が移 ろい行 き、そしてまた巡って来て輪廻 転生で あるが如 く。人生そのものを巡る季節に置換 し詠 い上げる事 で、十分母校 の節 目の周年事業 を寿 ぎ、モニュメントた り得 ると考えた。 坂 の上にはいつ も青 い空が広がって緑の気が立ち込めていた……という想 いを込めて 『蒼弯翠嵐』。 第1章 …恐 い物等無 く無謀に謳歌した春 …「青春想」 第2章 …我武者 らに燃えて熱 く生 きて活 きて来た日々…「朱夏行」 第3章 …来し方をしみじみ回顧 し充足感に浸る…「白秋顧」 ‥ 「玄冬考」 第4章 …円熟 した思考の深淵に辿 りつ く。 夫々が夫々の想 いで夫々の海 へ 漕 ぎ出して行 った。そして夫 々の海路 を精 一杯辿 って、でも心は、浪飛沫 の始まっ た港 はココ。2010年 、 「第5回 青春かながわ校歌祭」の折に作 曲した「夢海路」を第5章 …結 びとした。 この節 目に生があって、立ち合 う事が出来て、活 きて来た証 しを残す事が出来て、此 の上ない栄誉 に深謝 しきりで ある。
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