Page 1 Page 2 m 。 N 日 月 7 年 フ 。 。 つ~ 昭和56年 (ー98ー年) ーー

持 し
参
た
人
も
いま し
た。 全 員 が ﹁
東大和
9条 の会 ﹂ の腕 章 を
ま き、交 代 で パ ネ ル
を 掲 げ、風 船 や チ ラ
シ を 配 って ア ピ ー ル
し ま し た。 話 し か け
て く る 人 も 多 く、 通
り 過 ぎ る 観 光 バ スか
ら も 手 が振 ら れ ま し
た。
買 い 物 客 た ち は、
﹁
安 倍 首 相 のや り 方
は 不 安﹂ ﹁
戦争は い
や ﹂ な ど と、 シ ー ル
投 票や 署 名 に応 じ て
いま し た 。
寄 せら れ た賛 同者
署 名 は 3 5筆。 カ ン
。チ
パ 3、
8
9
4
円
ラ シ 2 0 0 枚。 ﹁
ま
も ろ う 9条 ﹂ の 短 冊
を つけ て 配 つた 風 船
は 1 0 0個 で し た。
θ ♂ φ ヾ ひ ど φ ′ ψ 夕´
︵ソ うZ一 う4
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西ホ西ホ百ホ
:(1人 で 4票 投 じた 人 の 3
こ の 日 の行 動 は、
﹁
国 民投 票法 が 成 立
し た 以 上、 ﹃9条 を
ま も る﹄輪 を 急 ぎ 広
げ て い こう。 街 頭 に
も 出 て 見 え る 形 で訴
え よ う ﹂と 運 営 会 議
で申 し 合 わ せ、各 地
域 の 9条 の会 に よ び
か け て準 備 を す す め
てきたも のです。
―
:
シール 投票結果
「ま もるJ
「変 える」
「分 か らな いJ
幅 ひ φ ′ ψ∂ び ψψ Pひ P ′ ′ψ♂ ひ 惨 ひ ゛ ′ ′ ψ 参 惨 ♪ ∫θ ψ 参 θ
東大和9条 の会
初の街頭宣 伝
ヽ
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――
J載
ヽ■ ヽ 力ヽ r魏こ ●
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=,3●
ミ:■ ι
・
螂 ↑
爾畿
﹁
ま も ろ う 9条 ﹂
﹁
生 か そう 憲 法 ﹂ の
1 2枚 の大 文 字 、 万
国 旗 を ﹁9﹂ の字 に
デ ザ イ ンし た 大 パ ネ
ルが イ ト ー ヨー カ
ド ー 前 に並 び、 交 差
点 を はさ ん だ ダ イ
エー 前 で は、 ﹁
憲法
シー ル投 票 ﹂ と 9条
の会 賛 同者 署 名︱ 。
東 大 和 9条 の会 は 6
月 9 日、 初 め て の街
頭宣 伝 に た
ち ま した。
雨 の予 報
一転 、 晴 れ
間 が のぞ い
た午 後 の 2
時 間。 か け
つけ た 参 加
者 は 4 3人
に。 手 製 プ
ラ スタ ー を
イ トー ヨー カ ドー 、 ダイ エ ー 前交差点でパ ネ ル をもち賛同署名や シール 投票 を呼びか けた
(9日 、井 口正 雄氏撮影 )
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22蛭
…
ヽ
増う
魯
鱗11
:票 は無 効 に した)
ヽЪЪ
び ヽヽも ヽ
ヽ
ヽ
も
ち
ヽ
も
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
も
ヽ
も
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
傷
ヽ
も
"を
“
9条
春もろ
憲法
う 多数派に
千 わ はわた し の宝
富 山稔 子 ︵
向 原在 住 ︶
昭 和 5 6年 ︵
1 9 8 1年︶ 1 1月、
で は ま だ家 族
8 人 揃 って い
て、 平 和 だ っ
た。 戦 争 は 父
や 兄た ち を奪
い、 家 族 を 離
日、 青 空 が ど
散 さ せ 、家 々
の痕 が 無 数 に 残 る 外 壁。わ た し は 一
瞬、忘 れ か け て いた 戦 時 中 に引 き 戻さ
れ て いた。
んな に輝 い
た。 終 戦 の
自 民 党 は、 結 党 5 0年 に あ た る 0 5年
1 1 月 の党 大 会 で ﹁
党 新 憲 法 草 案 ﹂を 発
表。 9条 に つい て は、戦 争 放 棄 の 1項 は
維 持 す る 一方 、戦 力 不 保 持 と 交 戦 権 の否
定 を 規 定 し た 2 項 を 削 除 し、 ﹁
自 衛 軍﹂
の保 有 を 明 記 し て ﹁
国 際 平 和 の確 保 のた
め の国 際 協 調 活 動 を 認 め て い る。 公 明
﹂
党 な ど の主 張 に も 配 慮 し ﹁
国 の環 境 保 全
の責 務 ﹂な ど 環 境 権 も 盛 り 込 ん で い る。
自 民 党 内 に は、集 団 的 自 衛 権 行 使 を 明 記
す る な ど、草 案 の見 直 し を 求 め る 声 が あ
り。
Z
︵
朝 日新 聞 5月 12日付朝刊
キー ワードから︶
自 民 党 は、 国 民 投 票 法 を 成 立 さ せ た
後 、 2 0 1 1年 夏 に 国 会 で改 憲 を 発 議
し、 秋 に は 国 民 投 票 を 実 施 す る ま で の
改 憲 ス ケ ジ ュー ル 表 を 作 成 し て い ま
す。
20 7年秋に
,
国民投票を実施
スケジ ュー ル表 によると、参院選後
の8月ご ろ召集 され る臨時 国会 で ﹁
衆
参 に憲法審査会 設置﹂。 同審査会 で
﹁
具体的改憲 の骨 子案 の作成な ど﹂ に
入 る、と し ています。
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私 は初 め て小松 ゼ ノ アい 内 の稼 働 中 の
変 電 所 を 見学 し て衝 撃 を 受 け た。 爆撃
な ぜ、 昭 和 2 0年 の爆 撃 当 時 そ のま
て見え た こ
と か。 敗 戦
白民党新憲法革索
自民 党 が 改憲スケジュール 表
を焼 き払 つ
ま に修 理 も しな い で使 用 し て いた のか
と ・・・と いう 疑 間 と 共 に、 よ く 残 し
で これ か ら
ぐ っす り 眠
てく れ たな と 思 った。 そ し て、 こ の変
電 所 は、今 後 も絶 対 に残 さ な く て はな
らな い、戦 争 を 知 ら な い子ど も た ち の
ため に、強く思 った。
れ る こと が
どうな るか
よ り、 今 晩
戦 争 世 代 の私、 小学 校 に 入学 す るま
ど んな に嬉
し か つ た
か 。 ・ ・。
憲 法 9条 の
学 習 で、 戦 争 は し な い こ と を 知 り 、
当 に嬉 し か つた 。
写真上 =給水塔、 下=変電 所。 いず れも 199
4年 に金 子政生氏が撮 影
本
国民投票法 こ
(日 本国憲法 の改正手続きに関す る法律 )
子 ど も た ち のホ 来
]'│
・
・ ■,■
1i l'・
杉野公彦弁護 士招 いて
東大和 9条 の会
第 7回 公開講座
国 民投 票法 が 5
月 1 4 日 に成 立 し
ま し た。 そ の前 々
日 の 1 2 日、 東 大
和 9 条 の会 は 杉 野
公彦 弁護 士 を 招 い
て第 7 回 公 開 講 座
を 商 工会 館 で ひら
き ま し た。 参 加 者
は 5 0人 を超 え ま
した。
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〕
改憲 手
冒 頭 、 杉 野さ ん は、 ﹁
続 き 法 = 国 民 投 票 法 成 立 で次 期
国会 か ら、① 憲 法審 査 会 、 ② 広
報 協 議 会 が 発 足。 5年 後 を めざ
す 改 憲 の 下 準 備 が で き る。 時 間
は 残 さ れ て は いな い﹂ と の べま
し た。
□ □
改 憲 の ね ら い に つ い て は、
﹁9条 の第 1項 は残 す が 、 2項
は削 除 。 自 衛 軍 を 保 持 、 海 外 に
派 兵 でき る よう にす る ﹂ こと に
あ り 、 これ は ア メ リ カ の要 望 に
そ った も のと 指 摘 。
﹁
環境
プ ラ イ バ シ ー 権﹂ ﹁
権 ﹂ な ど を 盛 り 込 む と いう 、 新
しい
フラ ー ジ ュに は 憲 法 前
モ
カ
文 や 1 3条 ︵
幸福追求権 ︶を紹
介 し な が ら 、 改 憲 の理 由 にな ら
な いと 解 明 し ま し た。 そ し て、
広 が る格 差 と 貧 困 =憲 法 2 5条
違 反 の実 態 を 告 発 し ま し た 。
□ □
国 民 投 票 法 の問 題 点 を 、 杉 野
さ ん は、 次 のよ う に整 理 し ま し
た。
① 所 属 議 員 数 の配 分 で構 成 す
る広 報 協 議 会 の 9割 を 改 憲 派 が
握 る。
国 費 ﹂ に よ る無
② ﹁
公報 ﹂ ﹁
料 の マス コぐこ是伝。
③ カ ネ のあ る改 憲 派 が 握 る有
料 宣 伝 。 新 聞 全 面広 告 = 3 0 0
0 万 円 、 テ レビ C M = 3 0秒 4
0 0 万∼ 5 0 0 万 円 。 全 国 ネ ッ
ト で 5億 円。
④ 国 民 の運 動 を 規 制 。
▽ 公 務 員 ︵4 0 0 万︶ 、 教 育
者 ︵1 3 0 万︶ の 地 位 利 用 禁
止。 罰 則 は 設 け な いと し た が 萎
縮 効果大
▽歌 も だ め ?集 会 で の ア ー チ
スト の無 料 出 演 も 該 当 ?組 織 的
多 数 買 収 及 び 利 益 誘 導 罪。
⑤ 投 票 ま で期 間 が 短 い。 6 0
∼ 1 8 0 日。
⑥ 最 低 投 票 率 の定 め な し。
□ □
﹁
憲 法 を 変 え る ﹂ のは、 国家
百年 の計 。 国 民 に賛 成 ・反 対 の
豊 富 な 情 報 を 提 供 し、 時 間 を か
け た 自 由 な 議 論 が 必 要 です 。
杉 野 さ ん は、 憲 法 9 6条 を 示
し な が ら、 ﹁
国 会 が 国 民 の意 見
を 離 れ て、 憲 法 を 変 え ら れ な い
よ う に判 断 を あ お ぐ のが ﹃国 民
投 票 法 ﹄ ﹂ と 強 調 し ま し た。
杉 野 さ ん は、 憲 法 の前 文 を読
み 上 げ ま し た 。 そ し て、 9条 の
会 ︱ 湖 畔 ・狭 山 9 L O V Eが こ
おば あ ち ゃん か
の 日配 った 、 ﹁
未 来 に生
ら のお 願 い﹂ を 手 に ﹁
き る 子 ど も た ち を 戦 場 に送 る 訳
に は いか な い。 憲 法 を 変 え る の
で はな く 政 治 を変 え よ う ﹂ と 結
び ま した 。
第 二十 式 争 の表 幸
第 9拳 日本国民 は、 工 員 と秋 な ど基調 とす る国際キ争 を式 央 に希 ボ t、 日
社 の奏勤 たる式 争 と、 式力 に よる嵐嚇 ス は式力 の行代 は、 日静笏 争 を辞 決
す る手段 と tて ll、 本人 に こイtき 表 幸 す る。
2 前項 の 日49を 生 す るため、 離洛 空軍 その花 の式 力 、 こオtを 保持 tな
`よ
い。 日 の臭単 は、 こオtを 纂 め な い。
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「南街・立野・中央9条 の会」
中央公民館春つι
lに 展示参加
∼七 夕飾 りが大 人気 、来場者約 200人 ∼
1摯
:
ぶ ¨
供
鉄
制
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拗
制
晦
は
子
榊
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、
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☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆ ☆☆
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