技術報告 エコ・コンパクトスタジアムを実現する 性能的火災避難安全設計 -市立吹田サッカースタジアム- Performance Based Fire Safety Design for Ecology & Compact Stadium —Suita City Football Stadium— 峯岸 良和*1、竹市 尚広*2、大谷 博三*3、浜谷 朋之*4 1.はじめに このように大規模で、かつ複雑な機能要求を満たすた 近年のサッカー男子・女子日本代表チームや、海外ク めには、建築・構造・設備の設計、施工の高度な技術が ラブに所属するする選手の活躍を通じ、Jリーグの各ク 必要であることに加え、40,000人という大群集を対象 ラブチーム・サポーターにおいても、サッカー先進国で とした火災等の危害への対策や避難安全性の確保も重要 ある欧州のような本格的なサッカー専用スタジアムを望 である。しかし様々な設計・施工の条件を満たしながら む声が日本各地で高まっている。このような中、本スタ 火災避難安全性を確保するには、画一的に法規で定めら ジアムはJリーグの中でも名門のクラブチームであるガン れた防火仕様規定にのみ従っていては限界がある。そこ バ大阪のホームスタジアムとして、個人・法人サポーター で、本計画においては、性能的火災避難安全設計を行う の寄付により「みんなの寄付金でつくるスタジアム」と ことで、仕様規定に捉われない、より合理的で自由度の して建設された。本スタジアムはクラブの積年の課題で 高い設計を行った。また複雑な避難や火災煙拡散性状が あったACL(アジアサッカー連盟チャンピオンズリーグ) 予想されたため、従来から用いられている計算方法や検 決勝トーナメント等の国際試合を開催できる基準クラス 証ツールに加え、性能評価審査の場での活用事例がまだ Sを満たすべく、40,000席の観客席を有し、全観客席に 限られていた、高度なシミュレーション技術を用いた性 屋根が架かるよう計画された(表-1、写真-1、写真-2) 。 能設計を行っている。 また、 本スタジアムはJリーグの新スタンダードとなる「エ 火災安全には、出火防止、延焼拡大防止、避難安全、 コ・コンパクトスタジアム」をコンセプトとし、高い環 構造耐火、消防活動等の側面があるが、本報においては、 境性能をコンパクトな設計によって実現している。 特に高度な性能設計によるアプローチを行った避難安全 表-1 プロジェクト概要 建 築 主:スタジアム建設募金団体 (竣工後、吹田市に寄附) 所 用 在 2.建築計画概要 地:吹田市千里万博公園 3 番 3 号 2. 1 設計コンセプト 途:観覧場 ①外観 敷 地 面 積:90,065.33m2 延 床 面 積:63,908.71m2 建物外観は、「夢」の実現へと願いを込めて、選手が 階 数:地上 6 階 肩を組む円陣の姿をイメージしている。サッカーのス 高 さ:40.33m 構 造:鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造 ピード感をイメージさせ、人々の興味を惹きつけるわく 設 計:竹中工務店 わく感のある形である。また4つの屋根は、お客様を迎 施 工:竹中工務店 *1 MINEGISHI Yoshikazu:株式会社竹中工務店 設計本部 *2 TAKEICHI Naohiro:株式会社竹中工務店 設計本部 *3 OHTANI Hiromitsu:株式会社竹中工務店 大阪本店 設計部 *4 HAMAYA Tomoyuki:株式会社竹中工務店 大阪本店 設計部 2 設計を中心に紹介したい。 えるべく、四方に開かれたかたちとしている(写真-1)。 GBRC Vol.41 No.1 2016.1 写真-1 鳥瞰 写真-2 内観 図-2.1 エコ・コンパクトスタジアム コンセプト図 ②地球にやさしいエコスタジアム 様々な自然エネルギーの活用と環境負荷の低減を図 り、スタジアムでは初のCASBEE Sランクを取得して め、国内の4万人収容の屋根付きスタジアムと比較し、 延床面積を20 ~ 40%程度縮小している。 2. 2 階の構成 いる。太陽光発電等のアクティブ手法に加え、低い屋根 階構成は、1階に試合選手関連エリアと駐車場、2階 で天然芝への採光を確保したり、「風の道」をピッチ全 は観客用WCとクラブハウス、3階は観客のエントラン 周に設け天然芝への通風を確保するなど、パッシブな手 ス、観客席(下段席)とコンコース、4階はVIPエリア、 法も取り入れている(図-2.1)。 レストラン、運営本部、5階は観客席(上段席)とコンコー ③コンパクト設計 ス、6階は観客席と放送室となっている(図-2.2)。観客 既存練習場の跡地を活かした極小の開発工事とするた 席は40,000席であるが、その内訳は、上段席に18,000席、 3 GBRC Vol.41 No.1 2016.1 下段席に20,000席、その間にバルコニー席(4 階)2,000席である。ホームスタンドは、バル コニー席を設けず、下段席と上段席を連続さ せることで、サポーターの一体感を高めている。 3.本建物の特徴と火災避難安全の課題 前述のような設計コンセプトを始め、本建 物の特徴から火災避難安全上、慎重な検討が 必要であり、また仕様規定に従ったのみでは、 その要求を合理的に満たせないことから、性 能設計によるアプローチを試みた。性能設計 の主なポイントを次にまとめる。 ①避難階段の位置・形状・幅の設計 従来のスタジアムでは出入口毎に外部階段 図-2.2 断面図 を塔状に配置させる例が多いが、本建物では、 片流れの外部階段を積層させることで床面積 をコンパクトにした。4 ~ 6階からの階段を3 階コーナーに集約し、3階コーナーより大階 段にて地上まで避難するシンプルな避難経路 とした(図-3.1)。このような最短経路とする ことで、地上まで約8分で避難できるように している(5.1節にて詳述)。また、階段を積 層させ、コーナーに集約したことで、芝生へ の通風を可能にしている(図-2.2、図-3.1)。 仕様規定に従うと、地上への避難階段が多 く必要となるため、避難計算に基づき合理的 に配置や容量を決めることで、階段幅を削減 した。 ②低い水平屋根・側面まで一体となった屋根 観客席全体を覆う屋根は、フィールドへの日 射を確保し、また、観客席への雨がかりを小さ くするため、低い位置に設置するのが有利である(図 図-3.1 平面図(3階) -3.2) 。この形状は、火災、煙の観点から見ると、観客席 内で火災が発生した場合、煙が観客席側に留まりやすく なるため、その影響の詳細な検討が必要となる。また屋 根は、歓声騒音の遮蔽のため、観客席上方から建物側面 まで一体となった形状で外部コンコースを覆う形になっ ている。このため、外部コンコースで火災が生じた際に、 屋根の下に煙が蓄積し、避難に支障をきたさないことの 確認も必要となった。 ③観客席の臨場感と一体感 臨場感のためには、観客席からピッチへの近さが不可 欠であるが、このようなコンパクトな設計は、陸上トラッ クを併設するような従来のスタジアムに比べると、観客 4 図-3.2 屋根の高さによる日照と雨がかり範囲の違い GBRC Vol.41 No.1 2016.1 図-3.3 3階コンコース(売店等を見る) 席数に対してコンコース等がコンパクトとなり、避難時 の出口の確保や滞留の考慮がより重要となる(写真-2、 図-3.1)。 次に観客の一体感を高めるためには、観客席を「密」 にする必要がある。通常、観客席に対しては、建築・消 防関連法規において、縦・横通路の設置やその通路幅、 出入口幅、客席の横並び数など様々な規定が存在する。 この規定にそのまま従った設計とすると、例えば観客席 が通路により碁盤の目のように仕切られ、また、その中 に出入口の大きな穴が開いたかたちとなってしまう。こ 図-3.4 3階コンコース(フィールド側を見る) 表-2 建築・消防関連法規の主な抵触項目 ・建築基準法施行令 令第 120 条 直通階段までの歩行距離(観客席他) 令第 126 条の 3 排煙設備の構造(3 階コンコース他) ・大阪府建築基準法施行条例 第 16 条 劇場等の階段の幅(劇場等の主階から避難階ま での階段の幅) 第 17 条第 2 項 避難階段及び特別避難階段の幅の合計 第 20 条第 1 項 客席の出口幅 第 22 条 客用の階段の合計 ・吹田市火災予防条例 第 36 条第四号ア いす席両側の通路幅 れらの規定は一定の安全性を確保する目的のものではあ 前述の①から④の観点から見ると、①は主には全館避 るものの、仕様が画一的に定められているため不合理な 難に関わるものであるため、階段幅の合計に関する規定 側面もある。そこで避難時間を効果的に短くできる観客 を適用除外することが必要となる。②の屋根下に蓄積す 席、通路、出口等の配置・容量とすることで、観客席の る煙に対する観客席部分の安全性と、④の観客席の臨場 一体感を可能な限り高めている(写真-2)。 感・一体感を実現するには、椅子席両側の通路幅の規定、 ④外部に対して閉じ、フィールドに開かれたコンコース 客用の出口幅の規定などを適用除外することが必要とな 従来のスタジアムではコンコースは外部的な空間とし る。④のようなコンコースの実現おいては、排煙設備の て計画することが多いが、本計画では、外周側に対して 構造を適用除外した。 は閉じ、フィールド側にのみ開いた形としている(図 -3.3、図-3.4)。このような空間形態は、火災時の避難安 5.避難安全・群集制御の性能設計的アプローチ 全からみると、多くの観客の避難経路ではあるが、従来 一般的な建築空間における性能的火災避難安全設計で のスタジアムに比べ、コンコースに拡がった煙が外部に は、火災により生じる煙が天井面より蓄積し、それが避 排出されにくくなることから、煙流動と避難時の群集流 難者の高さにまで降下してくる前、または、階段室や吹 動を効果的に制御できる設計が必要となった。 抜け等の竪穴区間に進入する前に、安全な場所に避難完 了することを性能基準として設計を行う。しかし、本計 4.建築・消防関連法規の適用除外項目 画のように大人数を収容する施設においては、このよう 火災避難安全に関する建築・消防関連法規の主な適用 な単純な避難時間と煙降下時間の比較のみでなく、群集 除外内容を表-2に示す。建築基準法施行令および大阪府 の不安心理を助長させないためにスムーズに避難できる 建築基準法施行条例に抵触する項目は、全館避難安全検 こと、避難中に危険となるような滞留が生じないこと、 証による大臣認定を取得することで適用除外とし、吹田 また煙制御も煙の拡散範囲やその性状を安定的にコント 市火災予防条例に抵触する項目は、全館避難安全検証に ロールすることが重要となる。 よる安全性の確認を元にして、所轄消防長の特認を得る 5. 1 避難のクライテリア ことで適用除外としている。 まず、群集の不安心理を助長させないことを目的とし 5 GBRC Vol.41 No.1 2016.1 て、避難時に迅速に安全な場所に到達できるようにする ここで、観客席と地上・人工地盤等の避難スペースの 考慮が必要である。このような観点のクライテリアとし 関係のパターンを既往の事例と比較する。図-5.1に示す て、日本においては、東京ドームを始めとした既往の大 ように、大規模なスタジアムの場合、上段席・下段席の 規模スタジアムや、英国のスタジアム基準 を参照して、 ように2層以上の構成となることが多いが、このとき、 一次的な安全な場所として、コンコースまで8分以内に 下段席を、外部地盤面より掘り下げた形とし、下段席か 避難完了できることとすることが多い。これに加え、建 らコンコースに上ると、そのまま地上レベルに連続する 物外までの避難完了時間を15分(8分+その後7分)な パターンのものや、このレベルが十分な滞留面積を持っ どのように設定することが多い 。 た人工地盤であるパターンのものがある。これらの場合、 1) 2) しかし、本計画においては、3階コンコースが外周側 避難時間が長くなるのは、地上または人工地盤レベルに には閉じていて、煙等の危害から完全には逃れられない 階段を使って降りる必要のある上段席の観客のみである こと、また、多くの避難者が一時待機できるような大き ことが多い。一方、本建物のパターンの場合、上段席お な面積の人工地盤を設けることができないことから、観 よび下段席の観客とも3階コンコースレベルから階段を 客席からコンコースへ避難したのちも、その先にスムー 下りなければならない。このように考えると、本建物で ズに避難できることが必要となる。本建物では、このよ は、3階コンコースから地上への階段が、人工地盤や、 うな旧来のスタジアムとの違いを考慮し、「地上まで観 地盤面の掘り下げ・嵩上げを性能的に代替していること 客全員が8分で避難完了できること」を目標とした。 に相当し、その容量や位置等の設計が極めて重要となる。 次に、観客席の中で特に詳細な避難安全の検討が必要 となったのは、観客席で火災が発生した場合などで煙が 到達する可能性の高い、上段席の上方の観客席である。 これについては、後の5.2.4節にて詳述する。 5. 2 避難性状予測と避難施設の配置・容量の設計 迅速な避難、および避難中に過度な滞留が生じないよ うに避難施設を設計するには、避難時間や滞留者人数を 算出しながら、観客席内の通路や出口、コンコース、階 段等の避難施設の配置・容量を詳細に調整していく必要 がある。本計画ではこの検討において、従来から用いら れている新・建築防災計画指針3)のグラフ解法よる計算 方法に加え、筆者らが開発・検証を続けてきたマルチ エージェント避難シミュレーションSimTread4)を用い て避難性状を予測した。図-5.2は、最終プランにおける 避難開始2分後の様子である。このシミュレーションに より地上まで全員が約8分で避難できるように各避難施 設の容量、配置等を設計しているが、主な考慮点は次の 通りである。 5. 2. 1 避難経路の設計 避難計画上、避難経路を設定するに当たり、各避難者 は自分から見て最寄りの出口、階段、通路を目指すもの とした。このような想定にて経路を設計すれば、避難者 は自主的に出口等に到達でき、また係員による誘導も容 易となる。図-5.3に想定した避難経路を示す。同図にお いて6階上段席の色分けは、各出口ゲートが負担する観 客の範囲を示しているが、どの出口ゲートも概ね同程度 図-5.1 断面構成と建物外滞留スペースの考え方の 既往のスタジアムとの比較 6 の人数を負担している。5,6階上段観客席からの避難者 は出口ゲートから5階コンコースに出たのちは、階段に GBRC Vol.41 No.1 2016.1 より下階に避難することになるが、最寄りの階段入口を 目指すと、各階段の負担人数が概ね同程度となるように 5. 2. 3 滞留スペースの設計 観客席から迅速に避難することを考えた場合、その直 階段を配置している。 近の避難先であるコンコースに避難者が密集して滞留し 5. 2. 2 合流の制御 てしまっては、後続の避難者が迅速に避難することがで 3階下段席からの避難者と、5階上段席コンコースから きなくなる。そのため、観客席からの迅速な避難のため の避難者の一部は、3階から地上に至る階段を共用する には、コンコースに十分な面積を確保し、多くの人を滞 ことになる。もし、この両者の流れが無秩序に合流し、 留できるようにするか、もしくは、コンコースに滞留が 滞留が生じると、上階から降りてくる避難者が階段上に 生じないように、そこから更に下階や地上に向けての出 て高密度で滞留する形となり、転倒や将棋倒しになる恐 口や階段を十分に設ける対策が必要となる。5階コン れがある。 そのため、 この両者の流れが合流しないように、 コースでは図-5.2(B)のように、階段前に生じる滞留 階段内に手すりを設けることで上階からの避難者と3階 を十分に収容できる面積を確保している。また、このよ コンコースからの避難者を分離することとした。また、 うな滞留を収容させるため、階段近傍のコンコースを広 階段は、上階からの避難者流と3階からの避難者流の両 げる一方、滞留スペースとして有効に機能しない部分は 者を滞留させずに流せ、かつ、必要以上に大きすぎない 売店やトイレを広くとって、効果的にコンコースを利用 最適な幅および広さとしている(図-5.2(C) 、図-5.3) 。 できるようにしている。 図-5.2 マルチエージェント避難シミュレーションSimTreadによる避難性状予測(避難開始2分後)/各階中央に部分拡大図を示す 7 GBRC Vol.41 No.1 2016.1 5. 2. 4 観客席特有の避難性状:避難時は通路の後方に 避難者が溜まりやすい 上段席は、縦通路を目指したのち、そこを下って横通 路に至り、出口ゲートを通過しコンコースに至るような 避難経路となる。観客が一斉に避難開始するとして、こ れをマルチエージェント避難シミュレーションで再現す ると、図-5.2(A)に示す通り、観客席の上部に滞留が 生じる、すなわち、高い位置にいる人がしばらく動けな い状況になる。これは、例えば飛行機が着陸して、ベル ト着用サインが消え、人々が一斉に機外に退出しようと する際に、縦通路後方の人はしばらく動けないままにな るのと同様の原理である。すなわち、横通路から縦通路 に入るには、 縦通路の人と「譲り合い」をしないと入れず、 後方の人ほど、前方の人の譲り合いによる遅れを乗数的 に受けるためである5)。このような性状は、既往の新・ 建築防災計画指針の計算法や、避難安全検証法告示6)の 計算方法をそのまま用いたのでは再現・考慮することが できない。特に、観客席で火災が発生した場合を考える と、屋根下に煙の一部が蓄積し、上段席の上方の一部は 煙に曝露されるおそれがあることから(図-5.4) 、マルチ エージェント避難シミュレーションにより避難性状を確 認し、避難安全性の評価を行った。 5. 3 地上での群集制御 一般的な大規模スタジアムでは、建物から避難してき た避難者を一旦敷地内に待機できるように、地上や人工 地盤面に十分な滞留面積を確保する設計とすることが多 図-5.3 避難経路の構成(バック側) 上方の避難者は、下方の避難者が いなくなるまで、しばらく動けない い。本計画でも全観客40,000人に対して、当該敷地内 において、既往のスタジアムと同程度の滞留面積を確保 屋根下に煙が蓄積 している。しかし、実際の避難状況を考えると、たとえ トータルとして十分な面積があっても、建物出口や階段 から出た人が、その近傍に留まってしまっては、後続の 避難者の妨げになることが予想される。また、建物から 出た人が広い場所に移動する際に、他の出口や階段の前 を通過しなければならない状況があれば、そこに合流が 図-5.4 屋根下の煙蓄積と避難状況(断面図) 生じることで、その部分の避難時間が延びるのみならず、 取り囲むように、車通行のない、幅の広い公園内道路が 過度な滞留が発生する恐れもある。 あるため、建物から避難した人たちを、この公園内通路 このような避難群集の誘導・制御は、イベントごとに をしばらくの間、歩かせ続ける方針を考案した。このよ 適切に誘導員を配置することで対応する必要があるが、 うにすると、地上への階段付近に滞留が生じないように 典型例として、40,000席利用時の避難誘導計画を立案 することができることに加え、避難者を自然と低密度状 し、その効果をマルチエージェント避難シミュレーショ 態で分散することができる。なお、近隣の屋外施設は、 ンにて検討した。その結果を図-5.5に示す。 常時は施錠していること、また解錠したとしても、出入 本建物敷地は、吹田市万博記念公園運動場の中にあり、 口が避難群集の集結速度に比べると小さく、ネックと 本建物の近隣には、アメリカンフットボール、野球、サッ なってしまうことから、これらの中にすぐに誘導するよ カー場等、他の屋外スポーツ施設が存在する。これらを り、公園内道路を歩行させたほうが群集を制御しやすい。 8 GBRC Vol.41 No.1 2016.1 図-5.5 地上における避難性状 9 GBRC Vol.41 No.1 2016.1 6. 煙制御の性能設計的アプローチ 6. 2 煙流動性状の予測方法 6. 1 煙制御の基本方針 表-3のうち、Cの4階ラウンジ出火時の煙性状と機械 火災時に危険となるのは、火災の炎以外にも、大規模 排煙による制御は、一般的な建築空間のそれとほぼ同じ かつ複雑な建物になるほど危険性が高いのは煙の拡散と であるが、残り3つの場合に対しては、より詳細な検討 なる。これは、煙は火源から遠く離れた場所へも早く拡 が必要であると考えた。 散してしまうこと、また、このとき、火源が直接見えない 現状、日本における火災避難安全性能設計における煙 部分へも煙が拡散してしまい、一見、自分には危害が迫っ 拡散性状の予測手法としては、計算時間コストや使用実 ていないと思われる人でも、気が付いたときには、避難が 績・認知度の観点から二層ゾーンモデルBRI20027)が用 不能になってしまうということも起こりうるためである。 いられることが多い。しかし本建物のように開放性が高 そこで本建物においては、多数の観客が避難通行する く面積が広く、複雑な形状の空間となると、必ずしもゾー 主要な経路については、煙層が定常的に高い位置に維持 ンモデルをそのまま適用することも妥当とは言い難い。そ することを主な設計目標とした上で、各所の煙制御を考 こで本件では数値流体解析による煙性状シミュレーショ えた。観客席周りの主な場所において煙が発生した場合 8) ンFDS (Fire Dynamics Simulator) を合わせて利用し、 の、その煙の制御と避難の考え方を表-3にまとめる。 二層ゾーンモデルの適用限界を補完しつつ検証を行った。 表-3 観客席まわりでの出火時における煙制御と避難の考え方 A 観客席出火 B 3 階コンコース出火 一次安全区画 避難階段 客席 ▽6F 定常 高い開放性 ▽6F 客席 コンコース コンコース ▽5F ▽4F ラウンジ ▽3F コンコース 客席 3 階コンコース出火時 に客席に煙がもれ出る 状況も該当する ▽5F ラウンジ ▽4F 自然排煙 ▽3F ▽2F ▽2F ▽1F ▽1F 居室避難 客席に煙が発生した場合、高い位置の観客が煙に曝 露するとしても、避難上支障のない程度とする。 階・全館避難 煙を高い位置に定常的に留め、主要な避難経路 の5階外部コンコースに煙を流出させない。 C 客席 5 階外部コンコース出火 機械排煙 高い開放性 客席 客席 ▽6F ▽6F コンコース ▽5F ▽4F ラウンジ ▽4F ラウンジ ▽3F コンコース ▽3F コンコース 客席 ▽1F 居室避難 当該部分を避難完了するまで、機械排煙により煙を 避難に支障のない高さに留める。 階・全館避難 機械排煙により内部避難階段に煙が進入しない ようにする。 10 定常 コンコース ▽5F ▽2F 定常 コンコース 居室・階・全館避難 当該部分の煙層高さを、居室避難から全 館避難完了までの全時間において、定常的に避難に支障のない 高さに留める。 D 4 階ラウンジ出火 高い開放性 ▽2F 客席 ▽1F 居室・階・全館避難 5 階外部コンコースは屋根が架かる空間で あるが、十分に開放性の高い空間であり、避難中に支障となるよ うな煙の蓄積の生じないことを確認する。また、観客席出入口を 通じて、観客席に煙が拡散しないことを確認する。 GBRC Vol.41 No.1 2016.1 6. 3 屋根下に蓄積する煙性状の予測 いることになる。 なお外部風の影響であるが、もとより通常使用時に外 観客席全体を覆う屋根は、建物外周側に対しては閉じ ているもの、フィールド側には開放している。そのため、 部風の影響を極力受けないようにするように屋根がデザ 屋根下に大量の煙が蓄積するというおそれは少ないが、 インされていていることから、火災時においても、煙拡 屋根下に沿って煙が拡散することによって、観客席の最 散に対する外部風の影響は極めて小さい。 上段付近の観客に煙が拡散する恐れが予想された。 6. 4 3階コンコースの煙流動性状とその制御 屋根下の煙拡散性状を考えると、屋根下に衝突した火 3階コンコースはホーム、メイン、アウェイ、バック 源からのプルームが屋根下に沿って慣性流れにて拡散 の4辺が連続し一周する空間となっている。コンコース し、フィールド側に向かう流れはそのまま排出される。 は外周側に対しては閉じているが、フィールド側に対し 逆に観客席側に向かう流れは、観客席上部に衝突するこ ては開放しているため(図-3.2、図-3.3)、コンコース内 とで蓄積するような挙動になる(図-6.1)。一方で、二 で火災が生じても、フィールド側に煙が漏れ出るため、 層ゾーンモデルはブロック化した空間の開口間の差圧に 煙層はある程度の高さで維持される。そのため、一般的 基づき質量が流出入するという概念でモデル化されてい な火災避難安全の要件の、避難者の高さにまで煙が降下 ることから、フィールド側と屋根下を異なる空間として しないという条件は比較的容易に満たされる。しかし、 モデル化して計算を行っても、煙拡散の原理が大きく異 コンコースのすべての部分に煙が拡散すれば、下段席の なることが予想された(図-6.2)。そこでFDSによって 全員が煙の危害に晒される可能性が生じる。特に、出火 煙性状を予測した結果、フィールド側への煙の排出量も 位置近傍比べ、出火位置から離れた部分では避難開始が 多いが、観客席側にも煙が拡散する性状が確認された(図 遅れることが予想されることに加え、煙が拡散する際に -6.3)。ただし、今回の検討では多数のケースの検証を 温度が低下することで浮力が減少し、煙層が乱れること 行う都合上、性能評価審査においては二層ゾーンモデル で、避難者が煙に曝露する恐れが生じる。 を利用したが、FDSの結果を踏まえると、今回のケー 二層ゾーンモデルは、空間内に瞬時に水平に煙が一様 スでは煙層温度・煙曝露の観点では安全側の評価をして に拡散するという想定により構成されたモデルであるか 流出速度: 高温層のゾーン間 差圧に基づく 流出速度: プルームの天井面に 沿う慣性流れによる 0 + 区画間開口 としてモデル化 - 区画間差 図-6.1 屋根下の煙性状 実現象として予想される挙動模式図 図-6.2 屋根下の煙性状 2 層ゾーンによるモデル化概念図 フィールド側に 煙が排出される 観客席側に拡散した 煙が側壁に当たり、 一部が煙層下に潜り込 み、一部が水平方向に 拡散する。 20℃ 45℃ 70℃ 図-6.3 FDSによる煙温度の予測(発熱速度1MWによる準定常状態*) 11 GBRC Vol.41 No.1 2016.1 ら、本空間のように水平方向への煙拡散速度を評価する また、4つのコーナー部でコンコースを分割したこと ことはできない。煙流動性状を数値流体解析にて再現し は、群集避難上の利点も踏まえたものである。コーナー た結果、隣接するコンコースに1,2分、対面するコンコー 部は通常時の入退場口であり、容易に避難口として認 スに5,6分で煙が拡散することが確認された(図-6.4)。 識しやすい部分である。これ加え、これらが4つに分割 そこで、4つのコーナー部に防火シャッターを設置し、 されたコンコースの両端に配置された形になり、各コ 各辺を超えての煙拡散が生じないようにし、緊急の避難 ンコースから明快に2方向の避難経路が確保された形に が必要となる範囲を限定するようにした。また、防火 なっている。シャッターは煙感知器の作動した段階で シャッターの近傍に外周側に開放する自然排煙口を設け は、頭上高さ程度までの降下とすることで、煙の拡散 ることで、コンコースを流れるように拡散する慣性力を を抑えつつ、その下部を避難通行できるようにし、熱 期待して、コンコース外周側に煙が排出されやすいよう 感知器の作動により床面まで降下する2段降下式として にした(図-6.5)。 いる。 6. 5 5階外部コンコースの煙性状の予測 5階の外部コンコースは屋根から連なる壁に覆 われた形になっている(表-3)。特に、2枚の壁 面が折り重なるようになっているため、煙流動 性状の予測において二層ゾーンモデルを用いて この空間の特性をモデル化するのは困難と考え、 FDSを用いた検討を行った。その結果、図-6.6に 示すように、2枚の壁面の隙間に煙が拡散するも の、その両端の開放部および中央の隙間より煙 が排出されることにより、避難および耐火上支 障となるような煙の蓄積が生じないことが確認 された。 7. おわりに 以上のように本計画では、複雑な空間構成で 図-6.4 3階コンコース 出火後360秒の温度分布(床面+1.8m) あり、かつ高度な機能が求められる大規模スタ ジアムにおいて、合理的に火災避難安全性を確 保した設計とするために、マルチエージェント 避難シミュレーションSimTreadや煙数値流体 解析FDSを用いながら性能設計を行った。これ により仕様規定に従ったのみでは困難な、エコ・ コンパクトで、観客の一体感の高いスタジアム を、限られた予算・敷地内で実現した。 これらのシミュレーション技術のうち、性能 評価審査における検証方法として用いたものも あるが、内部的な検討にのみ使用したものもあ る。これには再現性の検証に余地があること、 性能評価審査時にシミュレーション技術の妥当 性自体が議論となる可能性があること、および 度重なる設計変更に伴う性能評価・認定の再申 請に追随するのが困難になるなど、様々な側面 の問題のためである。しかし、シミュレーショ 図-6.5 シャッター・自然排煙の設置位置と避難方向 12 ンにより視覚的にわかりやすい形で検証結果を GBRC Vol.41 No.1 2016.1 図-6.6 外部コンコース屋根下の煙層温度分布(定常局所火源3MWによる準定常状態*) 示すことで、設計者、審査者が生じうる性状を理解しや すいようにでき、効果的なコミュニケーションが図れた と考えている。 2020年に東京オリンピックを控え、国内では多数の 大規模スタジアムが計画されている真っ最中であり、ま た、本スタジアムに追随する新世代型のサッカースタジ アムも各地で計画されている。筆者らもこれらの計画に 関われることがあれば本計画の経験を生かした新しい設 計を目指したいが、そうでなくても、多くのスタジアム において、高度な性能設計が用いられ、安全性にも配慮 5)峯岸良和, 竹市尚広:スタジアム・劇場等における避難性状 のマルチエージェントシミュレーションによる予測, 日本建 築学会計画系論文集, 第80巻, 第712号, pp1233-1241, 2015.6 6)平成12年建設省告示第1441号(階避難安全検証法に関する 算出方法等を定める件) 7)社団法人建築研究振興協会刊:BRI2002二層ゾーン建物内 煙流動モデルと予測計算プログラム, 2003.2 8)National Institute of Standard and Technology (NIST), U.S. Department of Commerce: Fire Dynamics Simulator (Version 6), 2013 【執筆者】 された素晴らしいスタジアムが建設されることを願いた い。本紹介がその一助となれば幸いである。 【補足】 ※:発熱速度を一定とした状態を継続し、温度・気流分 布が、概ね安定的となった状態を示す。 *1 峯岸 良和 *2 竹市 尚広 *3 大谷 博三 (MINEGISHI Yoshikazu) (TAKEICHI Naohiro) (OHTANI Hiromitsu) 【参考文献】 1)Department for Culture, Media and Sport (英国):Guide to Safety at Sports Grounds, 5th edition, 2008 2)日本建築防災協会編:建築防災 特集「サッカー場」, 日本 建築防災協会, 2002.8 3)日本建築センター刊:新・建築防災計画指針, 1995 4)木村謙 他6名:マルチエージェントモデルによる群集歩行 性状の表現 歩行者シミュレーションシステムSimTread の 構築, 日本建築学会計画系論文集 第636号, pp371-377, 2009.2 *4 浜谷 朋之 (HAMAYA Tomoyuki) 13
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