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巨匠
いいだとういん
飯田欓隠老師全集随感録
無無無
序に代えて
井
上
希
道
吾 人 、 非 才 の 愚 勇 を 振 る い 、 飯田欓 隠 老 師 の 全 集 を 刊 行 す べ く 発 願 し て 既 に 三 十 年 近 く か 。 そ の 志 の
遂 行遅 々 と して 今 日 に 至り ま し た。 生 来 鈍 重に し て 怠惰 た る 吾 人は 忸 怩 たる 日 々 で す。
然り と 雖 も、 い よ い よ結 実 の 時節 を 迎 え まし た 。 全て の 原 稿 が既 に 出 版社 に 渡 り 、具 体 的 に制 作 段 階に
入 った か ら です 。
し か し 懸 念 も 拭 い き れ ま せ ん 。 大 応 ・ 大 燈 ・ 関 山 の 三 国 師 已 後 、 五 百 年 不 出 世 の 巨 匠 で あ る欓 隠 老 大 師
ざい か
み
てん
の 名す ら 知 らな い 禅 者 が多 く なりま し た 。 正法 衰 退 の兆 甚 だ し きが 故 の 現象 か と 恐 懼し て い る次 代 で す。
正に菩提心の希薄に尽きると言うべきか。知らさぬ者の罪か。ともに 罪 過 弥 天 (宇宙一杯の罪)故に、
こ れを 知 ら さね ば 仏 祖 の誹 り を 免れ ぬ。 仏 法滅 尽 を 恐れ る 者 と して は恥 さら し を 顧 みず 、 愚 勇を 奮 っ て身
を 忘れ 、 我 れを 憚 る は 他の 慢 に 任せ て 走 る のみ と 決 意し て 多 年 。
(菅公)
思え ば 凡 そ世 の 痛 快 な大 事 は 堅固 な 信 念 、つ ま り 己を 捨 て て 事に 望 ん で初 め て 為 し得 た も のと 言 え よ う。
知 らぬ 行 末
きびす
返へ ら ぬ むか し
さ れば そ の 任甚 だ 重 く 、さ れ ど吾人 断 固 退 かず 。
さ し あた る そ の 事の み を 思へ た だ
ところ が欓隠 老師 終始全体 、真金 純金 故に、自 戒し汗 踵 に至って大い に悶絶 して 軽快を得 た事が 無け
すべから
え
こう へん しょう
たい ほ
れ ば、 例 え 百読 す れ ど も到 底無 辺の 有 り 難 さが 分 か る代 物 で は ない 。
ちゃく がん
道元禅師(元古仏とも言う)曰く、「 須 く 回 光 返 照 の 退 歩 を学すべし」が分からぬ限り無理であ
え
とく
る 。 即 わ ち 仏道 修 行 の 要 で あ る 「 着 眼 」 、 分 か り や す く 言え ば 「 前 後 の 無 い 念・ 心 の 無 い 心 ・ 無 我の 事
実」に気付くこと。ここを 会 得 した者で無ければ皆目手が付かない孤高の法財である。肝心なことは、
満 身菩 提 心 (努 力 心 ) に染 ま り 、即 今 を 練 るし か な い。 つ ま り 今し て い るこ と か ら 心を 離 さ ない 努 力 であ
る。
さは さ り ながら 折 角 菩提 心 を 駆り 立 て て も修 行 の 光と 成 ら ざ るは 遺 憾 であ る 。 甚 だ遺 憾 故 に、 不 遜 なが
ら 拙文 を 加 えて 資 助 と なし 、 多少理 解 し 易 く前 段 を 添え た も の であ る 。
だんひにく
ちてきてき
言う な れ ばこ の 一 梓 は「欓 隠 老師 語 録 へ の誘 い 」 であ り 、 大 安心 へ の 地図 で あ り 、世 界 大 平和 達 成 を願
う 諸仏 へ の 誘導 灯 と 言 えよ う 。
りょう
大 き く 出 た が 、 決 し て 慢 心 か ら で は 無 い 。 諸 人 の 菩 提 心 に 訴 え 、 老 大 師 の 暖皮 肉 、 諸 仏 の 血滴 々 を 伝
え たい 一 心 から で あ る 。故 に こ れを 諒 と せ ら れよ 。 菩 提心 、 菩 提 心。
がんげつざん
どう かん
いの うえ ぎ こ う
勝 運 寺 に 逗 留 養 生 さ れ る こ と 凡 そ 二 年 。 我 が 師 で あ る 井 上 義光 ( 吾 人 の 叔 父 ) ・
しょう うん じ
老大 師 去 る 昭
( 和 十 二 年 こ) と 三年 後 、 昭 和 十五 年 に 生ま れ た 吾 人故 に 、 直接 そ の 偉 人に 会 う こと 叶 わ ず。
だい ち
されどここ 翫 月 山
みな い
きん じ
妻 大 智 (大智老尼、吾人の母方叔母)、父、母、 道 環 (義光老師の長男)とその兄弟姉妹等、大家族に
さんしもんぽう
加え、 南 井 金 治 居士など久参の士が、欓隠老師と共に生活して得た生々しい体験談は極上の法財であり、
参師 問 法 の そ の 生 の 様 子 は 山 僧 に と っ て 百 冊 の 祖 録 に 勝 る 貴 重 な 法 財 で あ る 。 そ れ を 公 に し て 包 道 の 士
の 披見 に 遭 えば 法 の 幸 いと な す。
初め よ り 無用 の 用 た るは 免 れ ぬ。 さ れ ど 参禅 学道 の士 は 決 し て祖 師 か ら離 れ る こ とは 無 い し、 離 れ ては
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きょう がい
な らな い 。 巨匠 老 大 師 を欽 慕 す る士 に 、 更 に親 近 感 を深 く し て 頂き 、 絶 大な る 法 縁 に成 る こ とを 信 じ て蛇
ひととなり
足 を敢 え て なさ し む は 是れ 大 法 を思 う 菩 提 心の 一 端 とお ぼ し め され た し 。
だん ひ
にく
かん しゅ
巨匠欓隠老大師 ( 以後略して欓老・ 若 しくは老大師と記 す )その 為 人 と孤高の 境 涯 を知って頂きた
こう ご
しゅっさん
くこの一梓をもって報恩の一端と為し、仏々祖々の 暖 皮 肉 (最も親密にして貴い道)を 看 取 (手に入れ
る )す る 多 少の 資 助 と なれ ば 此れに 勝 る 法 悦は 無 い 。
じょうどうき
がんげつさんじょうほうじょうしつ
「ケフ(今日) 成 道 忌 ヲヤッタ。病僧ナガラ経ヲ簡ニシテ 香 語 ヲトナエタ。 出 山 ノ畫(釈尊が悟られ
こうご
こしょうとちゅう
て 山か ら 出 てこ ら れ た 画) ガ 面 前ニ ア ル 」 と説 明 付 きの 香語 で あ る 。
成道忌香語
常見星人不
用語堪笑古
聖在途中
翫月山上
方丈室咭嘹
舌頭仰臥翁
別々
遮莫往来八千遍
粉骨砕身不足酬
昭和七年
一月十五日
飯田欓隠九拜
べつ べつ
しゃばおうらいはっせんべん
ふん こつ さい しん
むくゆる
成道忌香語。常に星を見る人、語を用いず。笑うに堪えたり。 古 聖 途 中 にあり。 翫 月 山 上 方 丈 室 。
じりょうぜっとうぎょうが
咭 嘹 舌 頭 仰 臥 の翁 。 別 々 。 遮 莫 往 来 八 千 遍 。 粉 骨 砕 身 も 酬 に 足 ら ず 。
昭和 七 年 一月 十 五 日 。飯 田欓 隠九 拜
成道 忌( 釈尊 が 悟 ら れた 日 ) は十 二 月 八 日で あ る 。に も か か わら ず 一 月十 五 日 に 書か れ て いる 。 体 調不
あ
あ
ざん き
ざん き
良 にて そ れ どこ ろ で は なか っ たこと が 窺 え る。 義 光 老師 ・ 大 智 老尼 の 元 でよ う や く 体調 を 戻 され た か 、菩
提 心 に 鞭 打 っ て よ う や く 報 い た 模 様 が す る 。 こ の 境 地 、 誰 か 知 る 。 嗚呼 。 老 大 師 な る か な 。 慚 愧 、 慚 愧 。
「 常 に星 を見 る人 、語 を 用い ず」 常 に 星 を 見 て い る 人 は 星 を 知 り き っ て い る 。 分 か り き っ た こ と は 思 う 必
要 も語 る 用 も無 い 。 身 近に 言 え ば、 食 卓 に 付け ば 食 べる 。 何 の 道理 も 知 的計 ら い は 無用 で あ る。 「 只 」坐
そっこんてい
禅 をす る 。 眼は 初 め か らち ゃ ん と眼 を し て いる 。 眼 は眼 と も 思 って い な いし 、 見 て いる こ と も知 ら な い。
わし
美 醜も 好 き 嫌い も 無 い 。何 の 心 も意 も 無 い 。こ れ を 「自 己 無 し 」と 言 い 即 今 底 と言 う 。
この 儂 にはとんとご無用じゃ。釈尊と時々相見しておるぞ。釈尊の境地を見て取れとなり。しかし
そ れは 容 易 なこ と で は 無い ぞ 。 先ず 、 菩 提 心を 起 こ し、 そ の 物 に成 り 切 って 自 己 を 忘じ て こ い。 さ す れば
「 語を 用 い ず」 が 手 に 入る わ い 。そ れ か ら じゃ ぞ と 。「 常 に 」 は親 し き の極 。 「 切 実」 「 真 実」 「 同 化」
見 る ばか り な り秋 の 月
に 同じ 。 前 後の 無 い 「 今」 の こ とだ 。
仰 う の いで
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こしょう
うた
「笑うに 堪えたり。 古 聖 途中にあ り」 ど の 祖 師 方 も 見 地 は 確 か だ し 心 眼 に は 違 い な い が 、 多 く は 臭 み が
さんじょうなおやま
あり残りものがある。味噌の味噌臭きは上味噌にあらず。まだ途中辺連中が多い。 転 た悟れば転た捨て
よ。 山 上 尚 山 あることを忘れるな。好事も無きに如かずじゃ。菩提心が今少し足らぬぞ。自我の識神
れいみょうむげじざい
(意根・煩悩の本)を打破しても、もう一つ殺し切らねば成らぬ難関がある。これを成し遂げ
霊妙 無 礙 自在 ま で 尽 く し 切 っ た 者 が 少 な い 。 臨 済 、 徳 山 の 棒 喝 も 何 の 効 用 か あ る 。 み な 小 さ い 、 小 さ い 。
さんりんせっぽう
腕を 切 り 、母 を 捨 て て不 惜 身 命の 大 菩 提 心を し て 初め て 現 前 じゃ 。 容 易の 看 を 為 す莫 れ 。 釈尊 も 今 なお
きょう こう
修行中じゃ。何となれば、一切衆生を救い尽くして居らぬからだ。身・口・意の 三 輪 説 法 を駆使して衆
じょう しゅう
生 済度 の 修 行中 じ ゃ 。 ここ が 分 かる よ う に なれ よ と 。 恐 惶 。 嗚 呼 。 涙、 涙 。
けいしゅ
たびたび聞き及 ん だことは、欓老が 心 底 稽 首 していた祖師は 趙 州 禅師ただ一人。元古 仏 も、「稽首
す 趙州 真 古 仏。 趙 州 已 前に 趙 州 無く 、 趙 州 已後 に 趙 州無 し 」 と 言わ れ た 大宗 師 で あ る。 日 本 にお い て は応
しょう そん じゃ
迦 葉 尊 者 が西の横 綱 なら、 欓隠老 師は 東 の横綱 。両々 互角 で ある。 行持は 知れ た こと。 三世
か
・ 燈・ 関 の みと 。 故 に 五百 年 間 出の 大 宗 師 と称 さ れ てい る 。 老 大師 は 全 祖師 の 中 の 十指 に 当 たる 老 古 仏で
ある。
の 諸仏 祖 師 方で あ る 。 否、 我 等 の菩 提 心 で ある 。 昔 の迦 葉 尊 者 が今 の欓 隠老 師 と 知 る者 誰 か 有る 。 知 らね
ば 法は 断 絶 する 。 命 が けで 本 当 にや れ と の 意で あ る 。
がんげつさんじょうほうじょうしつ
「 翫 月 山 上 方 丈 室 」説くに及ばず。 されど語らずには居 れない大事がある。 写真の如く欓老の香 語
に、
ちょう らく
ぞくえん
「 臨済 曹 洞 百花 天 。 大 半凋 落 失 其伝 。 勝 運 幸有 義 光 在。 続㷔 三 百五 十 年 。云 々 。 ( 臨済 曹 洞 百花 の 天 。大
半 凋 落 して 其 の伝 を 失 す 。 勝運 幸 い 義光 在 る 有 り。 続 㷔 三 百五 十 年 。 云 々) 」 と ある 。
むべ
かな
勝運 寺 創 建三 百 五 十 年忌 に 因 んだ 香 語 で ある 。 証 明に 似 た と ころ が あ るの は 、 義 光老 師 に 如何 に 信 頼と
期 待を 置 い てい た か を 語る も の であ る 。 も って 少 林 窟道 場 三 世 を委 嘱 さ るる も 宜 な る 哉 。
老大 師 は 今、 こ の 「 翫月 山 上 方丈 室 」 と 言う た が 、そ れ は 何 処の こ と じゃ 。 此 処 とは 何 処 のこ と か 。し
もと
か と参 究 せ よ、 と 響 か せて 居 る。人 々 の 即 今即 処 の 他は あ る ま い。 今 、 此処 に 違 い ない 。 何 時も こ こ しか
無 いで は な いか 。 参 。
じりょうぜっとうぎょうが
ものぐさ
「 咭 嘹 舌 頭 仰 臥 の 翁」 口 が 悖 る こ と も あ り 、 聞 こ え た り 聞 こ え な か っ た り 、 寝 た り 起 き た り の 身 体 と な
にょぜ
し
だい ご
うん
り 懶 い年になった。これはこれ。何も言う事は無い。これも自然の妙で面白いものじゃ、と言いつつ
し ん こ ぎ ょ が ざ が
も 体 調 の 不 自 由 を 訴 え て い る 。 然 し て 如是 の 法 な り 。 釈 尊 も 四 大 五 蘊 、 時 到 れ ば 死 し て 自 然 に 還 る 。 全
何の 不 足 か 高座 敷
て 百 も 承 知 の 上 だ 。 ご 心 配 に は 及 ば ぬ ぞ 。 真箇 仰 臥 坐臥 、 真 実 人 体 、 即 今 如 法 ( 全 て 有 り の 侭 ・ 真 理 )
を 看取 せ よ と。
こ の風 で
べつ べつ
「 別 々 」 だ が し か し 、 こ の 大 法 を 伝 統 し 護 持 さ れ た 祖 師 方 を 思 え ば 涙 が 出 る 。 大 恩 を 忘 れ た 事 は 無 い ぞ。
忘 れる で な いぞ 。 次 の 語句 を 肝 に銘 じ て 修 行を 怠 る なと 。
しゃばおうらいはっせんべん
「 遮 莫 往来八千遍 」釈尊は娑婆を往来すること八千辺。生まれ変わり死に替わりして修行してこられた。
遂 には 最 高 位で あ る 国 王の も と に生 ま れ ら れた 。 さ れど 心 の 訣 著が 付 か ざる 間 は た だの 素 凡 夫で あ り 、こ
の 時は 我 等 と寸 分 も 異 なる こ と はな か っ た 。
ぼだいしん
ぐどうしん
しか し 天 地の 差 が 有 った 。 そ れは 人 間 が 最も 執 着 して 離 さ ぬ 諸々 の 一 切を 捨 て 、 最後 の 修 行に 入 ら れた
せき じょう
たんざ
いっ けん みょう じょう
せつな
げだつ
こ と だ 。 国 、 名 誉 、 地 位 、 家 族 、 財 産 等 を 捨 て て 真 実 の 道 を 求 め る こ と を 菩提 心 と 言 い 求道 心 と い う 。
じゅ か
こ の菩 提 心 の差 が 聖 と 凡の 差 を 生む こ と に なる 。
樹 下 石 上 、 端坐 六 年 。 十 二 月 八 日 の 朝 ま だ き 、 一 見 明 星 の 刹那 、 遂 に 自 己 を 全 忘 し て 解脱 さ れ
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ふん こつ さい しん
た 。こ の 瞬 間よ り 誰 も が根 柢 よ り救 わ れ る 真実 の 道 。解 脱 の 法 門が 開 か れた 。 そ れ から 四 十 九年 間 、 ただ
たいせいしゃかむにぶつ
衆 生済 度 に 粉 骨 砕 身 され た も う た。 そ の 光、 今 な お 宇宙 を 照 らし 抜 い て いる で は ない か 。
ななひゃくかっし
ろうしゅうし
ひっ きょう
だ か ら 大聖 釈 迦 牟尼 仏 と 尊 称 し 宇 宙 第 一 の 聖 人 し て と 尊 崇 さ れ て い る の で あ る 。 因 み に 六 祖 は 娑 婆 往
ふしゃくしんみょう
きょう こう
きょう こう
さんげ
さんげ
来 五 百生 、 趙 州 禅 師 を 七 百 甲 子 の 老 宗 師 と 仰 がれ て い る 。 祖 師の 苦 労 は 畢 竟 何 の た め ぞと 、欓 老 は 我
むくゆる
いと
しんこうえか
等 に 不 惜 身 命 の 菩 提心 を 促 さ れ てい る こ とを 見 て 取 らね ば な らぬ と 。 恐 惶 、 恐 惶 。 惨悔 、 惨悔 。
ふん こつ さい しん
とうざん
おう ばく
「 粉 骨 砕 身 も 酬 に足らず」 こ の 大 恩 を 思 え ば 如 何 な る 事 も 厭 う て な ど 居 れ ぬ 。 神 光 慧 可 大 師 は 自 ら
じょうぐぼだい
げ
け
しゅ じょう
しょうほうごじ
腕を切 り落 とし ての 求道者 であ り、 六祖 も 洞 山 大師も 黄 檗 禅師も母 を 捨てた では ない か。 発菩提 心は
ちょうぶつおっそ
きょうがい
上求 菩 提 、 下 化 衆 生 の 心 で あ る 。 正法 護 持 は 菩 提 心 無 く し て 有 り 得 な い ぞ 。 仏 祖 の 大 恩 を 本 当 に 感 じ
だいずだいひ
ら れ る な ら ぐ ず ぐ ず す る な と 、 欓 老 の 血 を 吐 き 骨 を 砕 く の 熱 誠 を 誰 か 看 取ぜ ざ る 。
ぜんこ
こ れ が 老 大 師 の 神 髄 で あ り 祖 師 の 本 領 で あ る 。 誰 か こ の 大慈 大 悲 、 超 仏 越 祖 の 境 界 を 疑 わ ん や 。
ほんげんじしょうてんしんぶつ
あ
ざんき
ざんき
嗚呼 。 慚愧 、 慚愧 。
あ
本 源 自 性 天 真 仏 を 全挙 して 諸 仏祖 師 方 の 熱 誠を 伝 え んと す る の 慈恩 、粉 骨砕 身 も 酬 に足 ら ず 。
か
山僧の書斎に掲げられているこの香語を毎日拝し、無上の菩提心を 駆 り立てている。菩提心、菩提心。
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巨匠
飯 田 欓 隠 老 師 とは
一、釈尊、祖師方は何故尊いのか?
う
じょう
どう じ
じょう どう
さん せん そう もく しっ かい じょう ぶつ
たん ざ
井
上
希 道
道統凡そ二千六百年。大聖釈迦牟尼仏の出現により、六年 端 坐 の暁、遂に真実の道が現前しました。
き
「 大地 と 有 情 と 同 事 成 道 。 山 川 草 木 悉 皆 成 仏 」 と一 声 され 、 人 類 が初 め て 根底 よ り 救 われ る 道 を
明 らか に さ れた の で す 。こ れ が 明星 一 見 、 解脱 の 法 門で す 。
わ
全人類の心は一つ。故に人皆信じ助け合い、互いの智恵や技術を結集して便宜を図り、みんなが 和 気
あい あい
藹 々 と し て そ の 場 そ の 場 に 安 住 す る 道 。 明 朗 闊 逹 な 人 生 へ の 大 道 が 確立 し た と い う こ と で す 。 こ の 道 を
しん じん だつ らく
[ 仏道 ] 又 [仏 法 ] と 言い 、 仏の教 え で す から [ 仏 教] と 言 う ので す 。
いちだいじいんねん
体得した時、決定的な自覚症状が有ります。この様子を「 身 心 脱 落 」と言い「悟り」と言い、また「
けんしょう
見 性 」とも言います。こ れが禅の命です。 で すからこれを「 一大事因縁 」と言うのです。迷い や 苦し
み の根 元 が スコ ン と 抜 け落 ち て 重荷 が す っ かり 無 く なっ た 自 由 な心 を 得 た。 無 限 の 宝を 得 た ので [ 一 大事
因 縁] と 表 現し た の は まこ と に 至当 の 上 に も至 当 で す。 だ か ら 釈尊 ・ 諸 仏祖 師 方 は 聖人 で あ り偉 人 な ので
けん しょう
す 。最 高 に 尊い の で す 。
だい ず
だい ひ
む
じょう ぼ
だい
「 見 性 ( 悟 る ) 」 し た 無 我 の 力 は 即 大 愛 心 と な り 衝 突 や 争 い の 根 元 が 無 く な るの で す 。 こ の 道 が 世 界 を
けんしょう
救う力 とな るの です 。この 偉大 な精 神を 「 大 慈 大 悲 ・ 無 上 菩 提 」と言 いま す。 救い尽 くす 絶大 な心 で
み
か
しょう
しょう は
がん み
しょう
いち だい じ
りょうじゅせん
す 。諸 仏 祖 師方 は 「 大 慈大 悲 ・ 無上 菩 提 」 の偉 人 で あり 「 見 性 」 し 悟っ た か ら尊 い の で す。
ね んげ
二、拈 華 微 笑
せそんねんげ
いん ねん
さらに幸いしたのはインドの 霊 鷲 山 においてこの絶大な道を伝統することが出来たことです。これ
うなず
ほほえ
が 有 名 な 釈尊 拈 華 、 迦 葉 破 顔 微 笑 の 一 大 事 因 縁 で す 。 つ ま り 、 釈 尊 が そ こ に あ っ た 華 を 「 只 」 取 り
しゃくねん
上 げ た 。 此 処 に 出 来 物 が 一 人 居 た 。 そ れ が 迦 葉 尊 者 で す 。 釈 尊 の 拈 華 を 「 只 」 見 て す っ か り 頷 き 微笑 ん
ねん げ
み
しょう
だのです。釈迦牟尼仏の内容をすっかり体得された様子です。禅ではこれを 灼 然 (よく分かった)と云
い ます 。
これが世に名高い「 拈 華 微 笑 」です。身心脱落であり「見性」です。これが重大な出来事なのです。
われ
しょう ぼう げん ぞう
ね
はん みょう しん
じっ そう む
そう
み
みょう
ふ
りゅう もん
何 が重 大 か 。迦 葉 尊 者 が身 心 脱 落( 本 当 の 「心 」 が はっ き り ) して釈 迦 牟尼 仏 と 同 じ境 界 に なっ た か らで
きょうげべつでん
まかかしょう
ふぞく
いん か
しょう めい
それを見届けた釈迦牟尼仏は「 吾 に 正 法 眼 蔵 ・ 涅 槃 妙 心 ・ 実 相 無 相 ・ 微 妙 の法門・ 不 立 文
す 。欓 隠 老 師も そ の 人 です 。
じ
字 ・ 教 外 別 伝 あ り。 摩訶 迦 葉 に 付囑 す 」 と 大 衆 の前 で 宣 言 され ま し た。 こ れ を 印 可 証 明 と い い ま す。
釈 尊 ご 自 身 が 見 届 け て 間 違 い な い ぞ と 証 明 さ れ た の で す 。私 亡 き 後 は 、 こ の 迦 葉 尊 者 に 随 っ て 修 行 せ よ 。
さすれ ば迦 葉尊 者の ように 解 脱 す る ぞ 、 と 証明 さ れ たの で す か ら間 違 い 有り ま せ ん 。
正し く 努 力す れ ば 人 類み ん な が救 わ れ る と言 う 事 です 。 だ か らこ の 上 ない 重 大 な 出来 事 で す。 奇 な る 哉、
有 り難 き 哉 。
だ か ら こ そ 迦 葉 尊 者 は 伝 統 者 の 第 一 祖 と 仰 が れ て 居 る の で す 。 飯 田欓 隠 老 師 は こ こ ま で 体 達 さ れ た 大変
な 方な の で す。 過 去 の 迦葉 尊 者が今 の欓 隠 老師 と な って 現 れ た ので す 。欓隠 老 師 は 祖師 の 中 の祖 師 で ある
こ とを 知 っ て頂 き た い ので す 。まさ に 大 正 ・昭 和 の 迦葉 尊 者 な ので す 。
三 、 印 可 証 明 の 大事
こう し て 釈尊 の 内 容 を実 践 体 得し て 、 代 々印 可 証 明に よ り 第 二十 七 代 般若 多 羅 尊 者に 伝 統 しま し た 。般
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ぶっ ぽう とう ぜん
若 多羅 尊 者 は第 二 十 八 祖達 磨 大 師を 仕 上 げ て印 可 証 明し ま し た 。そ し て 中国 に 渡 っ てこ の 大 法を 伝 え 残す
よう委嘱されたのです。達磨大師は師の命に従い三年掛かって漸く渡来しました。これを 仏 法 東 漸 と言
う ので す 。 その 時 既 に 御年 百 二 十才 だ っ と 言わ れ て いま す 。 こ の年 齢 を して 釈 尊 の 命脈 を 命 がけ で 伝 えた
の です 。 尊 くて 涙 が 出 ます 。
それ 故 に イン ド は 二 十七 代 で 正伝 の 仏 法 が断 絶 し まし た 。 人 物が 居 な かっ た と 言 うこ と で す。 逆 に 中 国、
そ して 日 本 は幸 い し ま した 。 釈迦牟 尼 仏 の 生き 肝 が 伝来 し た か らで す 。
しんたんしょそえんがくだいしぼだいだるまだいおしょう
いぎょうしゅう
りん ざい しゅう
しょう ぼう
ごけひちしゅう
そう とう しゅう
うん もん
釈迦 嫡 嫡 相承 第 二 十 八代 の 達 磨大 師 が 中 国の 第 一 祖で す 。 尊中の 尊 で す。 幾 ら 尊 んで も 余 りあ る お 方で
せきとう
す 。で す か ら[ 震旦 初 祖 円覚 大 師 菩 提 達磨 大 和 尚 ] と 尊 称さ れ て いる の で す 。
ほう げん しゅう
ば だ い し
大 変 な 法 難 も 有 り ま し た が 、 達 磨 大 師 が 伝 え た 釈 尊 の 正 法 は 五家 七 宗 五
( 家とは、 曹 洞 宗 ・ 雲 門
しゅう
おうりゅうは
よ う ぎ は
宗 ・ 法 眼 宗 ( 石 頭 系 ) と 潙 仰 宗 ・ 臨 済 宗 ( 馬大 師 系 ) を 五 家 と 言 い 、 更 に 臨 済 系 は 宋 代 に 入 る
や 、 黄 龍 派 と 楊岐 派 が 生ま れ 、 合 わ せて 七 宗 とな っ て 広 がり ま し た。
やが て 我 が国 の 道 元 禅師 が 中 国に 渡 り 、 第五 十 世 の如 淨 禅 師 より [ 解 脱の 法 門 ] を正 伝 し まし た 。 釈尊
よ り第 五 十 一祖 道 元 禅 師が 日 本の初 祖 で す 。
その 後 多 くの 渡 来 僧 も正 法 を 伝え て く れ まし た が 、日 本 か ら も命 が け で中 国 に 渡 り正 法 を 伝統 し た ので
す。それにより我が国には曹洞 永
( 平寺・總持寺の二大本山がピラミッドの形で布衍 ・
) 臨済 十
( 五派の大
てきてきそうじょう
本 山よ り 布 衍 ・
) 黄 檗 宇( 治 の 萬 福寺 よ り の
) 三派 が 栄 える こ と に なり ま し た。
こうして釈尊の[解脱の法門]を体得によって 嫡 嫡 相 承 しているので、[禅は仏法の総府]と言わ
れ てい る の です 。
道元 禅 師 は[ 所 謂 ゆ る諸 仏 と は釈 迦 牟 尼 仏な り 、 釈迦 牟 尼 仏 是れ 即 心 是仏 な り 、 過去 現 在 未来 の 諸 仏共
に 仏と な る 時は 必 ず 釈 迦牟 尼 仏とな る な り ]又 [ 是 れ即 心 是 仏 なり 、 即 心是 仏 と い ふは 誰 と いう ぞ と 審細
しん かん
まつ ご
べっ ぽう
とく うん び
く
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に 参究 す べ し] と 厳 命 して い ます。
菩提 心 を 発し て 正 し く努 力 す れば [ 解 脱 の法 門 ] が開 か れ る 。仏 と は 自分 の 本 来 の心 で あ る。 自 分 の心
を 自分 で 見 届け れ ば そ の事 が確 かで あ る こ とが 分 か るぞ と 。 何 と言 う 素 晴ら し い 道 なの だ 。 改め て 釈 迦牟
尼 仏の 尊 さ が伝 わ っ て くる で しょう 。
四、日本の精神、その文化の源
こう し て 花咲 き 、 蘭 菊色 を 競 って 政 治 を 始め 我 国 民性 と 文 化 に大 き な 影響 を 与 え てき ま し た。 歴 史 の裏
に 高い 禅 の 精神 文 化 が 少な か らず影 響 を 与 えて い た ので す 。
ご
とく に 有 名処 を 二 三 上げ て み ます 。 先 ず は後 奈 良 天皇 の 大 悟 です 。 大 休国 師 に 就 いて 参 禅 し、 遂 に 大事
りょうひつ
焼クナ埋メナ野ニ捨テテ
痩セタル犬ノ腹ヲ肥ヤセヨ」と。生死を
を受けず。この恩何を以て報いんと、拝しまつる」。天皇にあってこの
はじ
を 了 畢 (体得)されました。国師に宛てた 御 宸 翰 に、「 末 後 別 峰 において 徳 雲 比 丘 本
( 来の心 と
)相
見してより受用自在。仏祖の
皇 后に お い てこ の 心 力 や尊 し 。
「 身の 為 に 君を 思 は ば ふた ご こ ろ
の トッ プ が かよ う な 誠 実さ が あれば 国 は 清 くな る の です 。
君 の た めに は 身 をも お も は じ」 と 言 い放 っ た の は北 条 の 将軍 で す 。国
呑 却 (飲み尽くす・超越)して一点の執着無き堂々たる心境やお見事。檀林庵の跡が今の天竜寺です。
どんきゃく
檀 林 皇 后 は、「ワレ死ナバ
だん りん こう ごう
境 界。 何 と 有り 難 い こ とで は な いか 。
𥈞
ご
だい ご
だいおう
だい とう
かん ざん
む
そう
後 醍 醐 天皇に 大 應 国師、 大 燈 国師 、 関 山 国師あ り。 夢 窓 国師は 南北の 両朝廷 に重 ん じられ た巨匠で
たく あん
す。徳川三代将軍家光には 澤 庵 禅師が就いていました。このように朝廷、公家、将軍、武将、学者、剣
我 れ は 天 地の 外 に こそ 住 め 」 宮本 武 蔵 は大 き い ぞ 。大 き い ぞ。 熊 本 の春
客 、俳 人 、 茶人 、 商 人 、一 般 へ と、 禅 の 精 神が 浸 透 し重 ん じ ら れた た め 、治 政 に も 一般 の 意 識に も 反 映し
て いっ た の です 。
「 乾坤 を そ の侭 庭 に 見 ると き は
山 禅師 に 就 いた 俊 才 で す。
方 と 円 と を物 に ま かせ ん 」 衝 突の 余 地 が無 い 。 世 界平 和 の 源で す 。 自然
「 俳諧 は そ の中 に 在 り 梅柳 」 俳 人に し て こ の心 眼 あ り。 こ う な れば 不平 不満 は 無 い 。
「 心を ば 水 の如 く に も ちな し て
心 を 得 れ ば世 の 中 の
両 手 を 打 って 商 い をし よ う 」 と。 世 法 仏法 不 二 な るを 言 う たは 参 禅 弁道
売 り 買 う声 も 法 とな り ゆ く 」家 業 に 専念 し て 事 を為 せ ば 誠実 に な る。
に 国家 も 社 会も 治 ま っ てく る の です 。 或 る 商人 は 又 、
「 この 経 の
又、
「 白隱 の 隻 手の 声 を 聞 くよ り も
両 手 を 打つ は い か いご 苦 労 」と 一 層 の 勉励 を 図 った 。 売 り手
の 境界 か ら です 。 祖 師 方の お 陰 によ り こ こ まで 清 い 心が 一 般 化 し坐 禅 は 浸透 し て い たの で す 。こ れ は 捨て
お けぬ と ば かり 白 隱 禅 師は 返 し て、
「 商 い が す ぐ に 隻 手 ( 真 実 ) の 音じ ゃ も の
と 買い 手 と 一つ に 成 っ てお 互 い が満 足 を 与 え合 う 。 これ が 仏 法 です 。 隻 手の 声 で す 。本 当 の 商人 道 を 教え
て いた の で す。
これ ら の 歌に 見 る 如 く、 世 塵 を超 越 し た 禅定 力 は 限り 無 く 美 しい 姿 で す。 こ れ が 世界 に 無 い日 本 の 深く
て 尊い 精 神 土壌 な の で す。 偉 人の威 力 や 是 の如 し 。
うち
「 半宵 剣 を たず さ え て 寒月 を 望 めば 、 古 今 の英 雄 眼 中に 在 り 」 との 大 抱 負を 吐 い た のは 明 治 維新 を 成 し遂
さい ごう なん しゅう
げ た 西 郷 南 洲 で す 。彼 も 無 三 禅 師に 就 い て大 悟 し た 豪傑 で す 。
やま おか てっ しゅう
うそふき
山 岡 鐵 舟 も滴水禅師下の英傑でした。胃癌のためいよいよ死ぬ時が来た。「腹はれて苦しき 中 に明
からす
け 烏 」と 嘯 き、苦しいに成り切って泰然と五十一年の露の世に幕を閉じたのです。波瀾万丈の英傑
の 辞世 、 ま こと に 天 晴 れ大 和 魂 と言 う し か あり ま せ ん。
恨み や 憎 しみ の 戦 い では な く 、西 欧 列 国 の餌 食 に なる こ と を 憂慮 し 、 植民 地 化 を 防ぐ た め の策 だ っ たの
で す。 国 有 って 私 怨 無 し。 江 戸城の 無 血 開 城は 、 双 方小 を 捨 て 大を 取 り 、日 本 国 の 将来 を 思 って 成 し 遂げ
た 快挙 で す 。こ れ こ そ 日本 に し か出 来 な い 美しい 革 命で し た 。 双方 の 指 揮官 は み な 禅定 力 に よっ て 私 念が
無 かっ た か らで す 。 虎 視眈 々 と狙う 西 欧 列 強国 の 動 きを 見 据 え てい た の です 。 ア ジ アで 植 民 地に な ら なか
っ たの は 日 本だ け で す 。あ の 手この 手 で 侵 略し よ う とす る 列 国 を、 腹 が 据っ た 偉 大 な指 導 者 が巧 く か わし
た から 救 わ れた の で す 。こ う した偉 人 の 功 績と 歴 史 は正 し く し っか り 伝 える べ き で す。
世の た め 思ふ こ と多 くし て
(明 治 大 帝 )
大雑 把 に 言え ば 、 ア ジア 全 体 、乱 暴 列 強 の植 民 地 支配 か ら 独 立す る こ とが 出 来 た のは 日 本 があ っ た から
で す。 こ の 底力 を 欧 米 が恐 れ たので す 。
夏 の 夜 も寝 覚 め が ちに ぞ 明 かし け る
きょうじ
記憶に生々しいあの大災害の大混乱においても、一人々々の 矜 持 精神が高いが為に、助け合いこそす
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国を治めん
謀
なり
はかりごと
など 波 風 の 立ち 騒 ぐ らむ
( 明 治大 帝 )
れ 略奪 な ど 卑劣 な 事 を しな か っ たの で す 。 そも そ も から し て 素 晴ら し い 精神 土 壌 の 国に 育 っ たか ら で す。
世 界中 が 本 当に 驚 嘆 し た美 徳 で す。
仏の 説 き し 法 はた だ
のり
君 よ聞 け
も
み な腹 か ら と 思 う世 に
よ
四方 の海
五、偉大な祖師現わる
かがわかんりょう え
か
ここ か ら は生 ぬ る い 言い 方 は 止め に す る 。事 が 重 大だ か ら で ある 。欓 老は 医 業 專 一の 時 、 コレ ラ の 大流
もう こ
いわ
だ
ざ
いっ せき げん
行により日々死者七百名を見る。忽ち大無常観に襲われ、広島県三原市にある仏通寺管長 香 川 寛 量 会 下
に 身 を 投 じ 、 昼 は も ち ろ ん 、 夜 は 猛 虎 岩 に て 命 が け の 打坐 。 わ ず か 六 ヶ 月 で 一 隻 眼 ( 心 眼 ) を 体 得 さ
だま げん た
ろう
の
ぎ
こう あん
れ たこ と は 有名 で あ る 。直 ち に 証明 印 可 さ れた 。
こ
じ
しょう
ぐうじん
さらに、これで足れりとせず、 公 案 を持っては天下第一と知られた南天棒 中
( 原鄧州 の
) 門へ身を投じ
ら れた 。 児 玉 源 太 郎 大将 も 乃 木 大 将 も 、 自 照 居 士 も大 智 老 尼 も 参じ た 時 の巨 匠 で あ る。
ぼ
だい しん こ
じ
南天棒の往くところに随って居を移し、行くところで医業を営みつつ菩提の行願を 究尽 すべく
さんしもんぽう
し
かん た
ざ
参師 聞 法 さ れ た 途 方 も な い 努 力 家 で あ っ た 。 人 み な 菩 提 心 居 士 と 称 し 近 寄 り が た か っ た と い う 。 こ の 過
こけいざん
程 にお い て 公案 を す べ て看 破 し 、こ れ が 後 に或 物 に なる 。
ないっせつ
一 方 で は 暇 を 見 て は 虎溪 山 に 赴 き 独 坐 。 即 わ ち 只 管 打 坐 に 精 魂 を 傾 け ら れ て い た 。 遂 に 天 地 と 融 合 し
世 尊 明 星 の 那一 刹 を 体 得 し 、 真 箇 の 解 脱 を 得 た の で あ る 。 虎 溪 山 中 に て 余 塵 を 尽 く し 切 っ た 道 力 は 、 将
に 迦葉 尊 者 の復 活 で あ った 。 一 隻眼 を 具 し 、悟 後 の 修行 十 六 年 の後 で あ る。 転 た 悟 れば 転 た 捨て た 大 悟底
は 一千 七 百 人の 諸 仏 祖 師方 を 凌 駕し 、 真 箇 の古 仏 と なっ た の で ある 。
あれ ほ ど 私淑し て い た師 を 、
し
ち
えん まん
「 南天 棒 、 仏法 未 だ 夢 にだ も 知 らず ! 」 と 吐露 さ れ た。 仏 祖 の 堂奥 を も って こ の 言 在り 。 決 して 軽 蔑 した
のではない。さすがの南天棒もここの 四 智 円 満 、無用の用までは至っていなかったと言うたまで。南天
棒 も公 案 禅 の殻 か ら 免 れ得 て い なか っ た か らで あ る 。な ん と 師 を超 え る こと 百 歩 。 応・ 燈 ・ 関以 来 の 境地
に 達し 得 た 近現 代 の 途 方も 無 い 巨匠 で あ る 。
つい で だ が、 何 故 虎 溪山 に 赴 かれ た か の 真意 は 本 人の み ぞ 知 る。 吾 人 一人 思 う 。 関山 国 師 八年 の 思 慕に
あ るか と 。 関山 国 師 は 大悟 し て虎溪 山 の 村 に入 り 、 小さ な お 堂 で生 活 し なが ら お 百 姓さ ん に 毎日 こ き 使わ
れ て道 力 を 錬っ た 偉 人 であ る 。大法 の 人 は 常に こ う した 祖 師 と 共に 在 る こと を 熱 望 して 止 ま ない か ら だ。
ちゅう こく し
熱 烈な る 菩 提心 の 故 に であ る 。大燈 国 師 亡 き後 、 直 ちに 朝 廷 に 引き 出 さ れて 後 醍 醐 天皇 の 師 とな っ た 巨匠
で ある 。
きょう げん
香 嚴 は 忠 国 師 を 慕 い 、 霊 墓 の そ ば に 庵 を立 て て 祖 心 を 敬 う 純心 な 毎 日 で あ っ た 。果 た せ る か な 純の
純 に至 り 、 撃竹 の 音 で 自己 を 忘 じ大 悟 し た 。こ れ が あの 有 名 な 「香 嚴 撃 竹」 で あ る 。菩 提 心 と祖 師 は 一枚
も ので あ る 。只 管 打 坐 がそ の 証 明で あ る 。
菩提 心 居 士の 名 で 知 られ た 欓 老に し て こ の勝 跡 無 きに し も 非 ず。 今 ま さに 我 ら 、 愛す べ し 学ぶ べ き欓老
の この 勝 跡 。道 統 を 願 うも の は みな 然 り と なさ ん 。 元古 仏 い わ く、 「 須 く慕 古 を 具 すべ し 」 と。 真 な るか
な この 言 。 斯く て 正 法 は伝 統 されて い る の であ る 。 嗚呼 。
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六、博覧強記
はく らん きょう き
東大 医学部 を次 席 で卒業 された 頭脳 は 正に 博 覧 強 記 。一度 読んだ も の、聞 いたこ と、 見 た物、 考え
かいあんこくご
ぶっそしょうでんぜんかいしょう
へき がん ろく
む
もん かん
た こと な ど 、そ の 殆 ど を記 憶 し てい る 頭 脳 のこと で ある 。 全 祖 録に 参 じ 、古 人 の 足 らざ る を 補い つ つ の提
えんご
わんし
ばんしょう
む
もん
せっちょう
唱 録 は 凄 い 。 「 槐安 国 語 」 「 仏 祖 正 伝 禅 戒 抄 」 「 碧 巌 録 」 「 無 門 関 」 を 初 め と し て 孤 高 も の ば か り
で ある 。
ひち かん りん
七 翰 林 (超アカデミックな文才 圜
) 悟 ・ 宏智 ・ 萬 松 ・ 無 門 ・ 雪 竇 禅 師 を も 凌 い だ 力 量 故 に 格 調 が
す こぶ る 高 い。 仏 法 護 持の た め 専門 家 育 成 を目 下 の 急務 と さ れ てい た 。 その た め 専 門語 を 駆 使し 、 諸 仏の
だいえ
語 話を 自 在 に引 用 さ れ てい る 。 どま で も 高 尚な の は その た め で ある 。 そ れゆ え に 容 易に 手 が 届か ず み な投
げ て し ま う 。 易 き に 堕 す と 無 道 心 の 輩 は 語 句 に 捕 ら わ れ る か ら だ 。 大慧 禅 師 が 碧 巖 を 焼 い た の は そ の 害
を 救う た め の大 き な 慈 悲で あ る 。そ れ ほ ど 高度 で あ り深 淵 無 比 なる 法 財 であ る 。
それ 程 の 法財 故 に 、欓老 の 全 集に 精 通 す れば 全 祖 録を 周 知 し たこ と に なる 。 正 に 正に 、 祖 録の 中 の 祖録
まなこ
な ので あ る 。第 一 級 品 であ り 南針中 の 南 針 であ る 。 それ だ け レ ベル が 高 くて 難 解 で ある 。
む
り
え
世は安易を望む。否否。菩提心を起こせばたちどころに無辺の功徳を得る。菩提心の 眼 とは何ぞと参
究 すべ し 。
大燈国師曰く、「 無 理 会 の処に向かって究め来たり究め去るべし」と。「今」「只」せよということ
じ
しょう こ
じ
だ 。分 か っ ても 分 か ら なく て も 「只 」 読 め 。何 度 で も読 め と 言 うこ と で ある 。
とうろう
七、欓老と自 照 居 士
大智 老 尼 の父 ・ 島 田 自照 居 士 は五 家 七 宗 に精 通 し てい て 、 各 地で 仏 教 演説 を し 、 遠く は 招 かれ て ハ ワイ
ま で行 き 、 その 講 録 が 現地 の 有 志に よ り 編 纂さ れ て いる そ う で ある 。 後 には欓 老 の 弟子 と な り兄 弟 杯 を交
もんしゅ
わ した 道 友 であ る 。 出 会う 度 に お世 話 を し てい た 娘 の大 智 老 尼 は、欓 老 より 直 接 或 いは 自 照 居士 よ り 堂奥
あ
ち
の秘中の事を多年にわたってごく自然に 聞 取 されていた。是れが大いに吾人の底力に成っていると言え
よ う。
あく らつ
けんつい
吾 人 の 母 ・ 天地 は 自 照 居 士 の 娘 で あ り 大 智 老 尼 の 妹 で あ る 。 平 成 二 十 三 年 百 歳 で 逝 去 し た が 、 老 大 師
よ り 悪 辣 の 鉗 鎚 を 受け た 最 後 の 人で あ っ た。 最 早欓 老の 指 導 を直 接 受 け た弟 子 は 誰も 居 な い 。
欓老 ・ 自 照の 両 傑 は それ ま で 無縁 で あ っ た。 時 節 当来 か 、 将 に因 縁 か 。或 る 人 士 の計 ら い によ っ て 対決
す るこ と と なっ た 。 そ のご 褒 美が凄 い 。 吾 人も聞 い てビ ッ ク リ 。「 負 け たら 弟 子 に 成る 」 と 言う 生 涯 を掛
け たと っ と きの 賞 品 で ある 。 自信横 溢 た る 二人 は こ うし た 約 束 で法 戦 が 行わ れ た 。 これ が 出 会い の 発 端で
あ った と い うか ら 、 並 の出 会 いでは な い 。 剣客 な ら 決闘 で あ り 命が け だ 。勝 っ て 何 かあ る 。 優劣 を 決 する
の み。 こ う した 法 戦 は 双方 の みなら ず 法 の 為、 世 の 燈明 と な る もの が 格 別大 き い の だ。
仏典 に 精 通し て い る とい え ど も自 照 居 士 は未 徹 の 人。 さ れ ど 法を 解 す 力は 卓 越 し てい た の で、 忽 ち 老大
師 の力 量 を 深く 見 抜 き 心底 感 服した 。 極 め て潔 く 即 座に 弟 子 の 礼を 取 っ て教 え を 請 うこ と と 成っ た 由 。痛
快 思う べ し 。見 習 う べ き美 風 で はな い か 。 皆斯 く あ りた し 。
大智 老 尼 曰く 、
「 それ は そ うだ ろ う 。欓隠 老 師 は釈 尊 の 落 とし 子 ぞ 。祖 師 の 中 の祖 師 ぞ 。さ す が の 自照 居 士 も勝 て る 筈が
無 いで は 無 いか ! 」 と 呵呵 大 笑 。大 法 の 親 子は 是 の 如し 。 そ の 破顔 微 笑 なお 目 に 鮮 やか に し て懐 か し きか
ぎ りで あ る 。こ の 粋 な 計ら い を した 人 物 が 誰で あ っ たの か は 遥 とし て 不 明の 侭 で あ る。
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まさ み
吾人の推測に過ぎないが、中館長風居士(軍医総監)か岡田自適居士か。或いは大石 正 巳 居士か。は
かいあんこくごていしうろく
た また 両 参 人か 。 共 に欓老 下 の 大居 士 連 で あり 名 医 であ り 政 治 家で あ る 。
欓老を出家せしめ、あの「 槐 安 国 語 提 唱 録 」の法王を世に出さしめ、欓老六十五歳の時、時の内閣総
理 大 臣 若 槻 礼 次 郎 を 始 め 、 閣 僚 一 同 、 政 財 界 の 有 志 を欓 老 に 参 禅 せ し め た 歴 々 た る 大 家 で あ る 。 二 両 傑 の
出 会い を 内 心ニ ヤ リ と しな が ら 見守 っ て い たに 違 い ない 。 勝 敗 は初 め か ら決 ま っ て いる か ら だ。 自 照 居士
の 負 け 振 り を 楽 し み に し て い た で あ ろ う 臭 い が す る 。思 っ た 通 り の 成 り 行 き に 一 同 満 足 し た は ず で あ る 。
仲 間に 一 人 の豪 傑 が 加 わる こ と にな っ た か らだ 。
こうぜんごこくかい
「 興禪護國会 」は誰も知る大禅会である。渋沢栄一・後藤新平・高橋是清・岩崎久弥・鳩山一郎等、政
まさ み
財 界の 御 歴 々が 名 を 連 ね参 禅 してい た 、 当 時日 本 最 高の 権 威 有 る大 禅 会 であ る 。 老 大師 の 時 、未 曾 有 の大
盛 会を 極 め 、そ の 数 四 百数 十 名だっ た と い う。 そ の 会長 が 大 石 正 巳 (大 典 )居 士 で あ っ た。
こつ
推測 の 根 拠が た だ 一 つあ る 。 大石 正 巳 居 士は 漢 文 詩偈 に も 精 通し て い た学 識 豊 か な傑 物 で ある 。 自 照居
士も然りだ。その彼が愛用していた龍の彫り物入りの豪快な黒檀の「 笏 」(威厳具の一つ)。これがこ
こ 少林 窟 道 場に 有 る こ とだ 。 自照居 士 が 直 々に 頂 い たも の で あ る。 重 大 な縁 が 無 け れば 有 り 得ぬ 筈 の 物だ
か らだ 。 自 照居 士 よ り 大智 老 尼に渡 り 、 そ して 吾 人 に授 与 さ れ たそ の 謎 の一 品 が 小 さな 床 の 間で 燦 然 と輝
い てい る 。
大法 を 筋 書き に し た 往時 の 華 々し いド ラ マを 彷 彿 とさ せ て い る大 切 な 代物 で あ る 。毎 日 こ れを 拝 す るに
た だ涙 あ る のみ 。
ちょ っ と 筋違 い の 話 だが 、 紙 の全 面 統 制 時代 に 突 入し た と き 、「 大 乗 禅」 と 「 大 法輪 」 の 冊子 の み 紙が
供 給さ れ 出 版が 続 い た 。二 冊 子とも 禅 を 中 心と し た 宗教 誌 で あ る。 「 興 禪護 國 会 」 のメ ン バ ーに よ る 政治
的 配慮 で あ り、 国 を 挙 げて 精 神性を 如 何 に 大切 に さ れて い た か 、日 本 の 徳性 を 知 る 好材 料 と 言え よ う 。
八、欓隠文敬の由来
すいおう
いっしけんけいほう
大法 成 就 され た欓 老 は、 後 世 の為 に 法 系 をキ チ ン とし て お き たい 念 が あっ た 。 祖 師に お け る祖 録 に 準ず
とういんぶんけい
れば当然である。そこで応・燈・関の流れである白隠禅師。その神足中、 遂 翁 系の 一枝軒敬峰 を訪らい
その法系を継いだ。「敬」の一字をもらい、ほんの一時期「 欓 隠 文 敬 」を名乗っていた時がある。これ
で 稽首 し て いた 応 ・ 燈 ・関 の 孫 であ る こ と を証 明 し たこ と に な る。
九、「敬」と無字
「 右題 趙 州 無字 」 と 書 かれ た 掛 け軸 が こ こ 少林 窟 道 場に あ る 。 有り 難い こと に 、 弟 子の 幽 雪 和尚 が 探 し求
め 寄贈 し て くれ た 貴 重 な物 。 是 れか ら 言 う こと は 、 熱燗 に 焼 き たて の ウ ナギ だ 。 美 味い ぞ 、 美味 い ぞ 。
一枝 軒 に 嗣法 し て 間 もな く 、 まだ 出 家 以 前に 拈 提 した も の で ある 。 「 敬」 或 い は 「文 敬 」 と書 し た 揮毫
は 珍し い 。 この 手 は 此 の一 幅 のみで あ ろ う 。内 容 が 面白 い の で ここ に 記 して 諸 人 の 眼睛 を 楽 しま せ た いと
思 う。
□ □
・一字贅順缼
無々々々無々無生死逆只是無了々・々了
時無可了無々々無々無々無
無聖 敬
別々六月買松風人間恐無價
右題趙州無字
と
これ が 全 文で あ る 。 人々 の 力 で見 れ ば 良い。 ち ょ っと こ じ つ けて み る 。大 方 の 批 判も 楽 し から ず や 。
ぜい
か
「無は無なり。無は無も無し。無は生死無し。 逆 けば只是れ無なり。了々。・々。了の時、無を了ずべ
き なし 。 無 は無 な り 。 無は 無 に して 無 は 無 も無 き な り。 ・ 々 の 一字 は 贅 にて 順 に 缼 く 。
- 10 -
無聖
敬
□
」
□
別 々 。 六月 に 松 風 を買 う 人 間恐 ら く 価 い無 し 。
右 趙 州無 字 に 題 す
吾 人 は こ の よ う に 読 ん で み た 。色 々 読 み 方 が あ っ て 良 い 。 他 人 の 口 で は 食 え ぬ が 、 語 句 は 死 物 ゆ え に 勝
手 に如 何 様 にも 解 す る こと が できる 、 こ れ が危 な い 。高 く 眼 を 着け よ と はこ の こ と であ る 。 さて 、
「 無 は 無 な り 。 無は無 も 無 し 。 無 は 生死無 し 」 。 こ の よ う に 読 め ば 分 か る は ず だ 。 次 の 「 逆 」 の 字 は 面 白
い の で 人 々 調 べ て 見 て は と 思 う 。欓 老 は 、 「 別 の 言 い 方 で 説 け ば 」 の 「 説 」 の 意 に 使 っ て い る 。 蛇 足 だ が
祖 録の 語 句 は中 国 の 方 言が 多 く ある 。 我 が 国の 漢 字 辞典 で は 意 味の 違 っ た訳 に な っ てし ま う こと も あ る。
『 中日 大 辞 典』 ( 愛 知 大学 編 ) など も 併 用 する と 良 い。
「 逆けば 只是 れ無」。 分 か り や す く 言 え ば 「 只 」 こ れ 「 無 」 よ 。 こ の 「 只 」 が 恐 ろ し い 急 所 で あ る 。 要 す
る に「 只 」 は禅 の 結 論 であ る 。 脱落 身 心 の 内容 で あ る。 安 易 に 見る な よ と。 「 只 」 即「 無 」 よ。
「了々」。そん な こ と は 初 め か ら 分 か り き っ て お る。 口 は 鼻 の 下 に あ り 、 眼 は 横 に 並 ん で い る 。 今 更 な に
を 言う の じ ゃ。 眼 が 眼 と言 う か 。「 無 」 は 「無 」 で あり 何 の 理 屈も 無 い こと ぐ ら い とっ く に 分か っ て おる
わ いと 。 次 が又 愉 快 な とこ ろ だ 。
「・々」。 こ れ に 就 い て は 後 に 説 く 。 面 白 い か ら 取 っ て お き た い 。
「 了 の時 、無 を了 ずべ き なし 」。 喉 が 渇 い た ら 一 杯 の 水 を 飲 め ば よ い 。 た っ た そ の 一 事 実 で 喉 の 渇 き と い
う 問題 は 忽 然と し て 消 える 。 更 に渇 き を 詮 索す る 必 要は な い 。 古人 曰 く 、「 更 に 頭 上に 頭 を 案じ て 何 かせ
ん 」と 。 問 題が 無 け れ ば即 わ ち 「了 」 で あ る。
烏は カ ア カア 、 犬 は ワン ワ ン 。し か し カ アカ ア 、 ワン ワ ン は 烏で も 犬 でも な い 。 ここ が 大 切な 処 だ 。真
実 と虚 像 の 境が 分 か る や否 や である 。 カ ア カア 、 ワ ンワ ン は 「 只」 カ ア カア 、 ワ ン ワン で あ る。 当 然 では
無 いか 。 こ れが 法 で あ り真 理 である 。 こ こ が本 当 に 体得 で き れ ば見 聞 覚 知が 一 瞬 の 作用 で 終 わっ て い て何
事 も無 い こ とが は っ き りす る 。まさ に 「 了 々」 で あ る。
道元禅師曰く、「 薪が燃えて灰になる にあらず。薪は薪の 法位に住し、灰は灰 の法位に住す」「今」
「 今」 既 に 完結 し 終 わ って い る ぞと 。 こ れ を冷 煖 自 知と 言 い欓 老は 「 無 を了 ず べ き なし 」 と 言う た 。 有無
う と ま れ るな よ ホ トト ギ ス
を 超え て 初 めて [ 了 ] であ る 。 本当 の [ 無 ]で あ る 。
も う 聞 き飽 き た よ そで 啼 け
( 至道 無 難 禅 師)
がいだたくび
「 無 は 無 な り 。 無 は無 に し て 無 は 無 も 無き な り 」 。 こ れ も 一 読 了 々 。 人 々 の 力 で 「 無 」 の 真 意 を 識 得 す れ
思 わ じと だ に 思わ じ な 君
無 とも 思 わ ぬ時 ぞ 無 と なる
ば 良い 。 無 を「 空 」 に 置き 換 え ても 面 白 し 。
無 と い うも あ た ら 言葉 の 障 りか な
思 わじ と思 う も も のを 思 う なり
歌 に す れ ば 右 の 事 だ が 、 実 地 は 「 行 か ん と 要 せ ば 便 ち 行 き 、 坐 せ ん と 要 せ ば 便 ち 坐 す 。 咳唾 掉 臂 ( 咳
か
込 んだ り 肘 を上 げ 下 げ する ) 豈 に別 人 の 力 を借 ら ん や」 。 こ れ を本 当 に 知る こ と を 「見 性 」 とい う 。
ぜい
「・々の一字は 贅 に て順を 缼 く 」。 面 白 い と 言 っ た の は 是 れ だ 。 「 ・ 一 字 」 と は 前 の 「 ・ 々 」 を 指 す 。 つ
ま り「 ・」 でし め し た 「々 」 の 一字 、 即 わ ち「 了 」 が一 箇 余 分 であ り 無 駄で あ り く どい と 、 白状 し て 訂正
し てい る の だ。 丁 寧 は 君徳 を 損 ず。 好 事 も 無き に 如 かず を 示 さ れた 。
「 分か っ た 、分 か っ た 」の 返 答 なら ば 、 「 ああ そ う か、 分 か っ たら そ れ で良 い 。 許 す] と な る。 だ が その
- 11 -
上 一言 余 分 に「 分 か っ たよ 」 と なれ ば ム ッ とす る 。 俺に 喧 嘩 を 売る の か !
はばか
と な る 。口 は 災 いの 元 と 通じ
ている。つまり、過ぎたるは及ばざるが如し、と言う訳だ。だから過ちを改むるに 憚 ること莫れ、を看
取 せよ と 。 先に 謝 り 改 めた 方が 後々 良 い ぞ とい う わ けだ 。 間 違 える と い う真 理 も あ るが 、 潔 く訂 正 す ると
こ ろが 欓 老 らし い で は ない か 。 この 潔 さ、 自己 の 無 いと こ ろ が 万能 薬 で 、こ こ を 見 習わ ね ば なら ぬ 。
因み に 「 贅」 は 贅 沢 と連 な り 無駄 で 余 分 なぶ ら 下 がり 物 の こ と。 く ど くて 見 苦 し いと い う こと 。 「 順」
は 水が 同 じ 方向 へ 流 れ て乱 れ ぬ様。 「缼 」 はか け る で、 上 の 字 にか か り 「順 」 を 乱 すの で 見 苦し い の 意と
見 れば 良 い 。と に か く 余分 で 無駄だ と い う こと 。
「別々 」。 こ の 語 句 は 祖 録 に し ば し ば 出 る 。 そ れ は そ れ で 良 い が 、 別 に と っ と き が 有 る ぞ 。 見 誤 る な よ 、
と の意 で あ る。 前 後 に かか る 語 だか ら 、 使 った 人 に 成っ て 読 ま ない と 真 意を 取 り 違 える や つ だ。
うちわ
「 六 月 に 松風 を 買 う人 間 恐 ら く価 い 無 し」 。 日 本 の 六 月 は 最 も 好 時 節 で あ る 。 暑 か ら ず 寒 か ら ず だ 。 な の
に わ ざ わ ざ 扇 子 や 団扇 や 扇 風 機 な ど を 探 し 求 め た 人 間 は 不 必 要 だ か ら 恐 ら く 使 わ ぬ は ず だ 。 役 立 た ぬ 物 、
無 用な 物 を 探し 回 り 求 める 愚 を 止め よ 。 「 無」 を 探 し回 っ て も 徒労 に 帰 すだ け 、 と 解す る も 間違 い で はな
い 。し か し なが ら 最 上 では 無 い 。前 に 「 別 々」 と あ る。 気 を つ けね ば な らぬ と こ ろ だ。
「無用の用」こそが大切な法の極致である。六月ならやがて直ぐに夏が来て暑さに責め立てられる。
かい
こ
し
も
「 無」 が 無 用に な る ま で徹 底 無 を離 す な と いう 事 で ある 。 こ れ を、 「 無 を参 究 す 」 とい う 。 ここ を 皆 間違
もん え
え てい る か ら埒 が 明 か ぬ。 こ の まま で 良 い と教 え た り受 け 取 る から 修 行 にな ら な い のだ 。
む
こ
無 門 慧 開 禅 師 曰 く 、 「 平 生 の 気 力 を 尽 く し て こ の 無 字 を 挙 せ よ 」 と 。 大 慧 禅 師 も 同 じ く 、 「 無 を 祇麼
(只・ひたすら)に 挙 せよ」と諭している。満身無字に成り切れ。必ず徹して自己を忘じて悟るぞと。
こ の言 を 信 じな い か ら 間違 っ て しま う 。 と にか く 四 六時 中 「 無 」を 離 す なと 厳 重 注 意し て い るの だ 。 一心
を 錬る と は この こ と で ある 。 皆 見誤 っ て い るか ら 徹 する こ と が 出来 な い 。こ こ が 初 発心 の 真 偽に 関 わ る大
切 なと こ ろ だ。 と に か く祖 師 方 が大手 形 を 切っ て 助 けて く れ て いる 。 誰 かこ れ を 信 ぜざ る 。
夏が 過 ぎ れば 用 い る 必要 が な くな る が 、 夏の 間 は 離し た ら 暑 さか ら 免 れぬ 。 自 我 の葛 藤 迷 道か ら 救 われ
ぬ と言 う 事 。自 我 を 殺 す為 の 「無」 で あ る こと を 忘 れる な と 。
全て 無 だ から 要 ら ぬ と投 げ 出 した ら お 終 いぞ 。 多 くの 禅 界 が 「そ の ま ま悟 り 」 の 魔道 を 振 りま い て 迷わ
せ てい る の は、 み な こ の手 で ある。 白 隱 禅 師は こ れ らを 「 立 ち 枯れ 禅 」 と言 い 、 大 慧は 「 土 地神 禅 ( お地
じょうとうご
蔵 さん ) 」 と言 っ て 役 立た ず の禅を 戒 め て いる 。
煩悩即菩提とは仏法の 常 套 語 である。煩悩と菩提がいっしょな訳が無い。仏法は実地で練り取る道で
あ る。 何 の 為の 坐 禅 ぞ 。自 己 と 物と 隔 て て いる 癖 を 取っ て 初 め て煩 悩 が 菩提 で あ っ たと 体 達 する の だ 。取
り 尽く し 捨 て尽 く せ よ とい う 諸 仏祖 師 方 の 金口 を 間 違え て は な らぬ 。
た
ねん ぎぢゃく
わた
ぎん ざん てっ ぺき おのれ
使 い 尽 く し た 後 が 「 無 用 の 用 」 で あ る 。 こ こ が 「 無 」 で あ る 。欓 老 の 真 意 や 有 り 難 し 。 「 了 々 」 。
しょうくう
つう しん と
ろ
性 空 禅師曰く、「 多 年 擬 著 す趙州の無。疑い去り疑い来たって有無に 渉 る。 銀 山 鉄 壁 己 を忘ず
る時、 通 身 吐 露 す一声の無」。ここで初めて煩悩即菩提となり「無用の用」の一大事が本当に現成した。
本 当の 「 無 」を 得 て 自 由無 礙 、 闊達 自 在 の 快活 無 限 の人 と な っ た。
「 六 月 に 松 風 を 買 う 人 間 恐 ら く 価 い 無 し 」 を 受 け 取 り そ こ ね る な よ 。 大 切 な 処 だ 。欓 老 の お 取 り 次 ぎ を し
た 迄。 別 々 。参 。
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無 門 禅 師 に 面 白 い 句 が あ る 。「無無無無無、無無無無無、無無無無無、無無無無無」 と 五 言 絶 句 に し た
む
り
え
も のだ 。 風 流な ら ず や 。欓 老 は これ に 和 韻 され た も のか 。 欓 老 独自 の 風 光や 鋭 し 。
大燈国師の、「 無 理 会 の処に向かって究め来たり究め去るべし」がやはり良い。何処までも向上底だ
か らで あ る 。菩 提 心 と は捨 て 尽くす こ と で ある 。 無 理会 の 処 と は、 心 念 無性 と 体 達 した 境 界 にて 、 [ 心意
識 の運 転 を やめ 、 念 想 観の 測 量をや め た ] 者で な け れば 分 か ら ぬ処 だ 。
「 無」 は 尊く「 敬 」 は 珍し と い う話 。欓 老 の救 い の 「無 」 音 や 限り 無 し。無 無 、 了 了。 参 。
十、欓老の出家
老 大 師 は 後 に は 系 統 な ど 全 く 問 題 に し な か っ た 。 何 故 か 。 宗 祖 の 心 が ど こ に も な か っ た か ら だ 。欓 老 を
今 でも 臨 済 系一 枝 軒 敬 峰の 流 れと思 っ て い る者 も 少 なく な い し 、又 曹 洞 系原 田 祖 岳 老師 の 弟 子だ と 言 う者
も 居る 。
文字 上 の 流れ は そ の 通り だ 。 臨済 よ り 曹 洞に 鞍 替 えし た こ と にな る 。 その 真 意 を みな 計 り かね て 色 々に
言 って い る が、 吾 人 は 老大 師 の真意 を 聞 い てい る の で、 ど ち ら も違 う と 伝え て お き たい 。 満 身た だ 大 法護
ちょうぶつおっそ
ぶつ がん そ
がん
持 の一 念 か ら自 然 に そ うな っ たまで だ 。 琵 琶湖 を 見 て大 海 と 思 う莫 れ 。欓老 は そ ん じょ そ こ らに は 居 な い。
何故なら、 超 仏 越 祖 の大修行底は老大師のみ。 仏 眼 祖 眼 の欓老には三派(曹洞・臨済・黄檗)は有っ
て 無き が 故 にで あ る 。
しょうがはいしゅ
焦 芽 敗 種 ( 役 た た ず ) の 輩 か ら 仏 祖 の 種 芽 を 守 ら ね ば な ら ぬ 、 と は欓 老 の 口 癖 で あ っ た 。 だ が 出 家者
りょういんじゅ
は 在俗 に 頭 を下 げ て 参 師聞 法 に 来な い の が 現実 で あ る。 だ か ら プロ が 育 たぬ 。 こ の 世間 の 事 実を 憂 慮 した
道友の大居士連が、欓老をして世の 凉 蔭 樹 (真実の指導者)を輩出せしめんと、三宝(仏・法・僧)
を 備 え る べ く 出 家 を つ よ く 勧 め た の だ 。 大 居 士 連 と は欓 老 と 自 照 居 士 と 対 決 さ せ た 人 物 で あ る 。
欓老 に は 九人 の 子 供 が居 た 。 大勢 の 子 供 の養 育 に は相当 の 経 済が 伴 う 。そ れ ら を 密か に 大 居士 連 の 有志
が 賄う こ と を条 件 に 出 家を 懇 情 した 。 道 を 思う 道 友 の熱 誠 は欓 老直 伝 で ある 。 そ れ に応 え て 遂に 出 家 を決
意 され た の であ る 。 こ のこ と は一般 に は 全 く知 ら れ てい な い 。 知る 人 は 恐ら く は 自 照居 士 の みで あ ろ う。
じょう しゅう
大法の為に決意された欓老は、私淑してやまなかった 趙 州 古仏の六十歳再行脚に因み、自身も六十
こざか
歳 に し て 、 大 正 十 一 年 、 発 心 寺 の 原 田 祖 岳 老 師 の 下 で 出 家 さ れ た 。 弟 子 に な っ た ので は 無 い 。 ま あ 、 行 持
綿 密で 真 面 目だ っ た か らそ こ で 出家 し た と 。
十一、何故曹洞宗か
何故 曹 洞 を選 ん だ か を大 智 老 尼に 問 う て みた 。 大 智老 尼 は 何 でも 聞 い てお ら れ た から だ 。
「 あ あ 。 そ ん な こ と か 。 自 照 居 士 が 言 う に は 、 二 つ 理 由 が 有 っ た そ う だ 。 一 つ は 、 今 日 の 公 案 禅 は 小賢
ひゃく しょう ぜん
し い理 屈 を 増長 さ せ る ばか り で一利 無 し 。 只管 打 坐 でこ の 弊 を 打破 す べ し。 そ れ に は曹 洞 が 良い と 。
もう一つは、寺や僧が多かったのと、放縦に走る僧が臨済に多かったらしい。 百 姓 禅 と言われるだ
け あっ て 小 粒な が ら こ つこ つ ま じめ に す る 坊主 が 曹 洞宗 に 多 か った か ら だと ( 老 大 師が ) 言 って た 」 そう
で ある 。 又 、「 法 は 居 士に 移 り つつ あ る 。 坊主 の 子 供に 菩 提 心 の有 る 奴 を看 た こ と が無 い 」 と。
そう 言 え ば吾 人 も 思 う。 寺 の 息子 が 熱 烈 に求 道 し てい る 姿 を 見た こ と がな い 。 祖 録の こ と さえ 知 ら ない
も のが 多 い 。志 し て 出 家し た 人はみ な欓 隠 老師 を 知 って い る 。欓老 の 言 や正 し 。
臨済 寺 院 は五 千 余 。 曹洞 は 一 万五 千 余 り 。僧 侶 の 多さ と 只 管 打坐 を 宗 旨と し た 曹 洞を 選 ん だま で 。 ただ
そ れだ け の よう で あ る 。
古仏 の 真 血悲 心 を 曲 解し 悪 毒 を蒔 い て 魔 道に 落 と して い る 源 泉は 菩 提 心無 き 仏 教 学者 に よ る。 形 の みの
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坐 禅を し て 何の 益 ぞ と 示唆 し た 諸仏 祖 師 方 の慈 悲 を 無視 し た 罪 は恐 ろ し い。 惨 悔 、 惨悔 。
十 二 、 「 少 林 窟 道 場 」 の 開闢
それ ほ ど 簡単 な 話 だ った よ う だ。 そ の 本 心は 嘆 き でも あ る が 、何 処 に も大 解 脱 の 法門 を 説 く人 物 が 居な
か った の で 、系 統 も 宗 派も 全 く 問題 で は な かっ た の であ る 。欓 老に は も はや 各 印 可 状は 全 て ただ の ち り紙
で あっ た 。
大 法 滅 尽 の 危 機 を 救 わ ん と さ れ た 老 大 師 は 、 遂 に 高 槻 に「少林窟道場」を開 単 さ れ た 。 昭 和 六 年 の こ と
で あ る 。 そ の 瞬 間 、 そ れは「欓 隠 宗」が誕 生し た 事 を意 味 し て いる 。 目 出度 き 哉 、 有り 難 き 哉。
そ こ で 真 の 宗 師 で あ る欓 隠 老 大 師 を 宗 祖 とし て 、 義 光 老 師 と 大 智 老 尼 は 殊 更 に「欓隠宗」 を掲 げ 正 法
の 旗 印 に さ れ た 。 そ れ が「少林窟道場」で あ る 。 勿 論 欓 老 は た だ 大 法 護 持 の 一 念 の み 。 こ と さ ら に 「欓 隠
宗 」と 言 う は禅 要 を 尽 くし 切 っ た孤 高 の 禅 機・ 禅 風 を慕 う 門 下 の標 榜 に 過ぎ な い 。 新た に 宗 派云 々 と いう
娑 婆臭 い 話 では な い 。
老大 師 の 真訣を 敬 慕 し、 以 後 菩提 心 で 宗 祖の 心 血 を道 統 す る に違 い な い。 乾 竹 に 汁を 搾 る こと の 容 易で
な いこ と を 菩血 提 涙 に 託さ れ たのだ 。 諸 仏 祖師 の 復 活を 願 う の みで あ る 。こ の 混 迷 する 世 界 を救 う は 菩提
しょう う ん じ
勝 運寺
勝 運 寺」 を ざ っと 紹 介 し てお く 時 が来 た 。
心 を喚 起 し 、只 管 打 坐 、即 脱 落しか な い か らで あ る 。少 林 窟 幸 い菩 提 心 有る あ り 。 看よ 。 咄 。
がんげつざん
十三 、 翫月山
ここ で欓 老の 舞 台 と なる 「 翫 月山
たいらの ただ もり
きよ もり
風光 明 媚 な瀬 戸 内 海 は今 や 世 界的 に そ の 美し さ が 知ら れ つ つ ある 。 波 穏や か に し て大 小 様 々な 島 々 が語
り かけ る 大 自然 の 絶 景 は見 る 人を魅 了 す る 。ま し て や船 旅 を し た者 に は 忘れ ら れ な い。 平 忠 盛 や 清 盛
が往来した一千年前のドラマを知ればいよいよその美しさは歴史に裏付けされて格別重厚なものになる。
海と 島 は 変わ ら な い が、 歴 史 や人 々 は 変 わる 。 人 は変 わ る 物 も変 わ ら ぬ物 も 見 る 。海 も 空 も、 流 れ も時
々 変化 す る 。そ の 変 化 する こ とは変 わ ら な い。 そ こ にそ の ま ま 昔を も 見 てい る の だ 。
瀬戸 内 海 は干 満 の 差 が激 し く 、潮 流 の 変 化も 著 し い。 海 上 の 戦と な れ ばそ れ を 熟 知し た も のが 海 上 を制
うら
のう み
むね かつ
す るこ と に なる 。 平 家 が敗 れ たのは こ の 熟 知の 有 無 にあ っ た と いう 。 知 る者 と 知 ら ざる 者 は 、初 め か ら結
果 が決 ま っ てい る と 言 えよう 。
つわもの
戦 国 時 代 、 天 下 の 秀 吉 が 恐 れ た 「 浦 ( 能 美 ) 宗 勝 」 と い う 武 将 が い た 。 智 勇 共 に 突 出 し て い た よ うで
あ る 。 熟 知 し た 海 の 強 者 を 束 ね 、 瀬 戸 内 海 全 域 を 制 し て い た 武 将 と 言 わ れ て い る 。 彼 が 菩 提 寺 とし て 建
ぶっ そ
しょう でん ぜん かい
て た城 構 え の感 が す る 寺が こ の「勝 運 寺 」 であ る 。 この 寺 に は 珍し い 宝 とす べ き も のが 五 つ ある 。
ばんじんどうたん
第 一 に 、 万 仞 道 坦 禅 師 ( 1698-1775 ) が こ こ に 客 僧 と し て 逗 留 し 、 道 元 禅 師 の 「 仏 祖 正 伝 禅 戒
しょう
抄 」を編纂した寺であること。この祖録は仏祖の堂奥を説き尽くした元古仏の血涙だけに、容易に紐解
しょう じ
べん
さん もつ ひ
べん
け る物 で は 無い 。 今 流 布し て いるも の は 元 古仏 の 真 意を 伝 え や すく 、 且 つ活 用 し や すく 道 坦 禅師 が 組 織立
飯 田欓 隠 老 師 が、 奇 し くも こ の 寺 の同 室 に て提 唱 さ れ たこ と で ある 。 そ れが
て られ た も ので あ る 。 他に 広 く 読ま れ て い る「 生 死 辨 」 「 三 物 秘 辨 」も 道 坦 禅 師の 力 作 であ る 。
それ を 五 百年 間 出 の 巨匠
「 仏 祖 正 伝 禅 戒 抄 提 唱 」 で あ る 。欓 老 に し て 初 め て 可 能 と な っ た 名 著 で あ り 、 誇 る べ き 二 つ 目 が 是 れ で あ
はんにゃしんぎょういんもらい
る 。こ れ を 一梓 と し て 吾人 が 初 めて 世 に 出 した が 既 に在 庫無 き を怨 と な す。 つ ぎ の ドラ マ に 続く 。
ふかんざぜんぎいっきょうそう
そ れ が 三 つ 目 で あ る 。 欓 老 は こ こ で 他 に 「 普勧 坐 禅 儀一 茎 草 」 を は じ め と し て 「 般 若 心 経 恁 麼 来 」
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しょうどうかていしょう
じょうしゅうろくかいえんふせつ
「 証 道 歌 提 唱 」「 趙 州 録 開 演 普 説 」を執筆され た。趙州禅師は欓老 が私淑された最高の 祖師である。
うんもん
「 趙州 録 開 莚普 説 」 を 書き 終 わ られ た 時 の 描写 に 次 のよ う な 一 説が あ る 。( 一 〇 四 頁)
「この床の間にかけてある 雲 門 の肉筆が風に吹かれてコトコト。あな尊と、あな心地よし。千年以前と
説 到忘言処。
復 び 将 に別 れ に 臨 んで の 意 。
説 い て 言を 忘 ず る 処に 到 る 。
相 見了 じ ゃ 。こ の 頌 が 有り 難 い 」と あ る 。 それ を 記 して み る 。
無 詩可飽君。
復 将臨別意。
一 点黄 雲 に 落つ 。
無 詩 に して 君 を 飽 かし む 。
一点落黄雲。
一千 年 以 前の 祖 師 中 の祖 師 の 書で あ る 。 写真 の 如 く実 に 筆 を 自在 に さ れた 書 き 振 りに 感 嘆 おく 能 わ ず。
裏 書に 「 雲 門大 師 の 敷 き写 し 」と有 る か ら 真筆 で は 無い 。 さ れ ど非 常 に 近い 物 で あ ろう 。 そ こに は 「 飽」
で はな く 、 「贈 」 と な って い る 。欓 老 は 「 飽」 と 読 んだ 。 吾 人 もそ う 読 んだ 。 裏 書 きに 拠 っ てよ う や く読
め る物 で 、 実に 判 読 が 難し く 、筆勢 も 書 体 も見 事 な もの だ 。
頌や 詩 、 或い は 文 化 や芸 術 な どは そ れ ぞ れが 味 わ うべ き も の であ ろ う 。「 贈 」 と して こ じ つけ て 読 め ば、
無 詩こ そ 君 に贈 ら ん と す( 妄 想 ・妄 念 ・ 妄 覚を 離 れ た心 境を 君 に贈 る ) にな る し 、 「飽 」 と すれ ば 、 無詩
が 分か れ ば 君も う 充 分 だろ う の意に も 成 る 。
吾 人は 後 者 をと る 。
「 黄雲 」 は 「黄 」 に 意 味が 有 る 。中 国 で は 黄色 を 最 も高 貴 ・ 幸 運の 色 と する 。 去 っ て行 く 空 に目 出 度 い黄
色 の雲 が あ る。 あ れ を 君に 贈 る 。そ れ が お 別れ の 私 の気 持 ち だ とも 何 と も思 わ ず 、 「只 」 一 点黄 雲 に 落つ
と。
こらいこん
ちんけんしょう
去来 今 を 絶 し た 雲 門 大 師 。 じ つ に さ っ ぱ り と し た 心 境 が 染 み 渡 る 大 切 な 軸 で あ り 、 今 少 林 窟 道 場 に 寄
贈 され 輝 い てい る 。
。
もう一つ、之の詩 に因んだエピソードがある。雲門大師四 五百年後、有名な詩 人「 陳 献 章 」が次の
よ うに 謳 っ た。
説到忘言処。無詩可贈君。許 将臨別意。一点落黄雲。
よほ ど 惚 れ込 ん だ と 見え る 。 わず か 一 字 か二 字 異 なる だ け だ 。パ ク リ だと も 言 え そう で あ るが 、 時 とし
たか はし げん よう
て 現れ る 諸 説は 後 の 編 集者 の ちょっ と し た こと で 生 まれ る こ と もあ る 。
ひら やま いく お
いけ だ
はや と
四つめは、日本画壇を代表する 平 山 郁 夫 画伯と劇作家の 高 橋 玄 洋 氏が下宿していたことだ。ここか
弄 ば れ た?
若 か りし 時 の 画伯 は あ れ でな か な かの い た ずら
ら直ぐ近くの「エデンの海」で知られる現在の忠海高校へ通っていた。 池 田 勇 人 首相も出た学校である。
小 学時 代 、 吾人 も 両 人 に遊 ん で もら っ た ?
彼は 秀 才 であ り 狩 野 派の 系 に つら な る 人 だと 聞 い たが 、 や は りそ の 筋 の才 は 光 っ てい た 。 筆で も ペ ンで
好 きで あ っ た。
も 鉛 筆 で も さ さ っ と 描 い た 何 気 な い 絵 が 、 子 供 の 吾 人 も 凄 い と 目 を 見 は ら せ る も の だ っ た 。 す ん な り 芸大
に 入り 、 学 長に ま で 成 られ た 画聖で あ る 。 学生 時 代 帰郷 の 途 に は必 ず 立 ち寄 り み ん なを 笑 わ せる 人 で あっ
た。
最も 印 象 的だ っ た の は、 「 こ の度 は 新 し い香 道 を 披露 し ま す 」と 言 っ たか と 思 う と、 棚 の 小さ な 花 瓶を
持 ち出 し 、 にん ま り し なが ら その中 に 「 え い! 」 と いう か け 一 声「 屁 」 を忍 ば せ た 。香 道 よ ろし く 恭 しく
嗅 いで 、 「 これ 、 如 何 です か ?」と 手 で ふ さい だ 花 瓶を 父 に 渡 した 。
れっ
父も義光老師・義衍老師の弟であり 歴 きとした禅僧である。ふさいで受け取った花瓶をそれらしく嗅
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い で、 「 うん、 ま だ ま だじ ゃ の う」 と い ったか と お もう と 、 「 どう じ ゃ !」 と い っ て自 分 の 屁を 入 れ て同
じ よう に 渡 し、 み ん な それ ぞ れ 自慢 の 特 別 な香 を 回 して 蘊 蓄 ? を楽 し み 、彼 が 来 る とい つ も 大爆 笑 づ くし
だ った 。
子供 は こ の奇 妙 な 戯 れに 大 人 の余 裕 と 想 像も 付 か ない 変 な こ とを し て 楽し む 光 景 が不 思 議 だっ た 。 だっ
ぎこう
ぎ
えん
た ら子 供 の いた ず ら ぐ らい 怒 るなよ 、 と 思 った も の だ。 そ う い う面 白 い 人で あ っ て 思い 出 す と懐 か し い。
みね きち
つ い で に 言 え ば 、 平 山 郁 夫 画 伯 の 父 で あ る 平 山 峰 吉 氏 は 義光 老 師 に も 義 衍 老 師 に も 参 じて い た 禅 者 で
あ る。 シ ル クロ ー ド 編 もそ う で ある よ う に 仏画 が 多 いの は そ う した 父 に 大き く 影 響 を受 け て いた か ら であ
る。
後に 出 て くる が 義 衍 老師 と 平 山峰 吉 氏 が とっ た 或 る行 為 が 、 間接 的 な がら 命 に 関 わる 事 に なっ て し まっ
た のだ 。 決 して 両 人 の 責任 で は無い 。
五つ め は 、欓 隠 禅 の 宗風 を 掲 げた 少 林 窟 道場 が あるこ と だ 。 以上 こ れ が大 ま か な 勝運 寺 の 紹介 で あ る。
十 四 、 療 養 の中で
因 み に 義 光 老 師 と 十 八 歳 も 違 う 病 弱 な 大 智 老 尼 を 結 び つ け た の は 他 で も な い欓 老 そ の 人 で あ る 。 担 架 で
嫁 入り し た 話は 聞 い た こと が 無い。 そ ん な 重病 人 だ った の だ 。 看語 に 付 き添 っ て 来 たの が ま だ十 六 歳 の妹
で あり 、 後 に我 が 母 と なっ た 人であ る 。 大 法の 存 続 を念 願 と す る老 大 師 と、 既 に 亡 き自 照 居 士の 切 な る道
念 の約 束 か らで あ っ た 。将 に 道あっ て 身 を 忘る 底 の 両人 で あ る 。誰 か 泣 かざ ら ん や 。あ ゝ 。
いむだとう ぶん
欓老 は 高 槻に 少 林 窟 道場 を 開 単さ れ て 間 もな く 不 幸に し て 病 に倒 れ ら れた。 だ が 既に 立 派 な跡 継 ぎ が出
来 上 が っ て い た 。 伊牟 田欓 文 老 師 で あ る 。 彼 を 二 世 に 定 め て 各 地 の 禅 界 と 少 林 窟 道 場 を 任 せ た 。 そ し て
さ ても や う きと 世 を 試 みん
勝 運寺 へ 客 僧と し て 来 られ た の は二 つ の 目 的が 有 っ た。 療 養 が てら 義 光 老師 と 大 智 老尼 を 最 後ま で 仕 上げ
て 道統 を 愛 でる こ と だ った 。
我 が 如く 我 れ を 思は ん 人 もが な
大智 老 尼 は元 看 護 士 であ っ た ため 薬 も 器 具も 一 通 り持 っ て い て、 幼 小 の吾 人 は 薬 品臭 い 大 智老 尼 の あの
部 屋は 苦 手 であ っ た 。 昔の あ の病院 の 臭 い である 。 とも あ れ 思 い出 と は 懐か し い も のだ 。
環境 の よ ろし き を 得 られ た欓 老は 執 筆 に 駆ら れ 、 資料 豊 か な 義光 老 師 のも と で い よい よ そ の活 動 を 専ら
に され た よ うだ 。 義 光 老師 は 一時期 、 広 島 大学 で 講 義さ れ て い たた め 資 料に は 事 欠 かな か っ たよ う で あ る。
正に 席 の 温ま る 時 が なか っ た 事は 明 ら か であ る 。 病躯 は 完 治 した か に 見え て 帰 ら れた 。 し かし 法 筵 の 途、
はくがん
再 び発 病 さ れた こ と を 思う と 、やは り 完 治 して い な かっ た の だ 。大 智 老 尼の 愁 嘆 は 更に 菩 提 心を 駆 り 立て
る こと と な った 。
みない
十五、南 井 白 巌居士
既に 故 人 では あ る が 、又欓 老 を知 る 上 で 吾人 に と って 更 に 幸 いし た の は、 二 十 年 以上 南 井 白巌 居 士 と深
く 関わ っ た こと で あ る 。縁 あ って吾 人 は 彼 の次 男 さ んの 仲 人 も した 。 晩 年我 が 海 蔵 寺に お い て出 家 し 、親
子 ほど も 年 下の 吾 人 の 弟子 と 成った 好 人 物 であ っ た 。老 大 師 も 当時 の こ の若 き 求 道 者を い た く愛 し て い た。
菩提 心 切 なる 人 で 、 彼は 常 に 老大 師 を 語 って 止 ま なか っ た。 こう し た 老居 士 よ り 問取 し た 数々 の 話 も又
禅 機極 ま る もの で あ る 。欓 老 に 終始 隨 身 す るこ と 六 年。
「 女 で お 前 よ り 先 に ぶ ち 抜 い た 者 が 居 る ぞ 」 と 大 い に 叱 咤 激 励 を 受 け た 猛 烈 な 参 学 者 だ 。欓 老 遷 化 を 見 届
け た、 た だ 一人 の 他 人 であ る 。 吐露 し て 曰 く、
「 遷化 の 時 をあ れ こ れ 言う 弟 子 達が 居 る が 、親 族 と 私以 外 、 誰 も居 な か った の で 皆 嘘だ 」 と 。
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う
に
じょう
老大師遷化の後、南井居士は更に義光老師・大智老尼に就いて多年研参した老居士である。 二 條
健 基公 (明 治 大 帝の 御 孫 様 で あり 昭 和 天皇 の 御 従 弟様 ) と すこ ぶ る 親 交の 篤 い 方で あ っ た 。
たてもと こ
勿体 な い こと に 、 吾 人も こ の 殿下 ご 夫 妻 には 大 変 ご親 交 を 頂 いた の も 南井 白 巌 居 士の ご 縁 であ る 。
南井 居 士 の菩 提 心 は 欓老 譲 り であ っ た 為 、欓 老 亡 きあ と 義 光 老師 に 師 事す る た め ここ 勝 運 寺へ 初 上 山し
た 折り 、 大 智老 尼 の 振 る舞 い を一見 し て 、
「 あん た さ んが ぶ ち 抜 いた と い う大 智 さ ん でっ か ? 」と 聞 い た ら、
「 どう し て それ が 分 か る? 」 と 言わ れ て 、
「 今、 今 の 動き が欓 隠 老師 と 同 じ雰 囲 気 で すわ 」 と 言う た ら 、
「 私を 見 抜 いた の は 貴 方が 初 め てだ 」 と 言 われ た 。
しょざん
「 ワテ は な 、通 算 六 年 間ず っ と 老大 師 に ホ ッペ タ を 、或 る 時 は 警策 で 散 々叩 か れ て 来ま し た んや で 。 一見
し て分 か り ます 。 と 言 うた ら 、 とて も 喜 ん でく れ ま した で っ せ 」と 初 参 の 感想 を 聞 か せ てく れ た 。
あんた
死期 迫 る 大智 老 尼 の 最後 の 見 舞い に 来 ら れ、 全 く 平素 の 侭 、 二人 は 意 気軒 昂 で 法 談さ れ て いた 。
「 貴女 さ ん が 居 な く な る と 、 欓 隠 老 師 の 話 が 出 来 な く な り ま す な 。 そ れ が ワ シ に は 寂 し い で す わ 。 一 日
も 長生 き し てお く れ や す」 と 、 終始 に こ に こし て い る老 尼 に 品 の良 い 会 釈を し つ つ 歓談 が 続 いた 。 そ れが
二 人の 最 後 であ っ た 。 肉親 の よ うな 情 で な く、 透 明 で深 く 、 気 高く て 暖 かい 、 温 情 に満 ち あ ふれ た 情 は、
正しく老大師の菩提 心を源としたもので ある。そこには生死 を語りながら生死は なかった。元古仏の、
「 須く 慕 古 を具 す べ し 」そ の も ので あ っ た 。
南 井 居 士 は 御 国 の 為 と 、 終 戦 直 前 に は 木 製 飛 行 機 を 完 成 さ せ 、 試 験 飛 行 ま で こ ぎ 着 け た り 、 松 下 幸之 助
氏 や元 宇 野 総理 な ど 政 財界 の 人と深 い つ な がり を 持 ち、 希 有 に して 恐 れ を知 ら な い 面白 い 快 人物 だ っ た。
にじょうたてもと
南井宅は宮家も泊まられた旧家である。 二 條 健 基 公(明治大帝の御孫様。昭和天皇の御従弟様)と御
吾 人 が知 る 当 時 は配 達 用 トラ ッ ク 四 十台 を 有 する ほ ど の 滋賀 県 一 の家 具 屋 を 清栄 し て いた 。 縁 去っ
昵 懇で あ り 、不 遜 な が ら吾 人 も 殿下 ご 夫 妻 には 大 変 お世 話 に な った 。 こ れも み な 南 井白 巌 居 士の ご 縁 であ
る。
て 既 に 久 し 。 現 在 は 如 何 な り や 。 琵 琶 湖 大 橋 を ま っ す ぐ 守 山 市 に向 か う と 、 左 側 に 「 至 道 会 本 部 」 と 大 き
な 看板 が 立 って い た 。欓老 が 信 心銘 の 「 至 道無 難 」 に由 来 し て 彼に 与 え た坐 禅 会 の 名前 で あ る。 小 ぶ りだ
が 宗教 法 人 格を 有 し 禅 堂・ 衆 寮 等を 具 え た 本格 的 な 修行 道 場 で ある 。
二條 健 基 公も し ば し ば訪 れ て おら れ た 。 一時 は 三 万人 の 会 員 を擁 し 、 宇野 元 総 理 もそ の 一 人で あ っ た。
吾 人は 彼 一 人の 為 に 毎 月提 唱 に行っ て い た 。
京都 五 山 はも と よ り 清水 寺 な ど、 大 抵 の お寺 は 彼 の戦 い 慣 れ た法 戦 で 全戦 全 勝 。 陰で 「 道 場破 り 」 とし
て 各お 寺 は みな 彼 の 訪 れを 恐 れ嫌わ れ な が ら尊 敬 さ れた 特 異 な 人で あ る 。
本格 的 に 至道 会が 稼 働す る に 当た り 、 少 林窟 道 場 その ま ま を 実践 し た こと は 素 晴 らし い こ とだ 。 そ れに
先 立ち 賛 同 者を 記 し た 立派 な 芳名録 を 持 参 した 時 の 話で あ る 。 京都 の 名 刹の 有 名 な 老師 方 の 名前 も ず らり
と 並ん で い た。 例 に よ って み な撃破 さ れ た 記録 と も 言え よ う 。 そこ へ 大 智老 尼 の 名 前列 記 を 依頼 し た 。一
見 した 大 智 老尼 は 、
「 あん た に は名 誉 心 が あっ て 真 実の 法 の 人 では 無 い 」と 言 っ て 拒絶 さ れ た。 あ の 南 井居 士 を 百雜 碎 し 、一
句 で天 下 太 平に し た は さす が 大 智老 尼 で あ る。
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禅 堂 前 の 段 に し ゃ が み 込 み 、 何 と も 恥 ず か し そ う と 言 う か 悔 し そ う と 言 う か 、 あ ん な に 小 さ くな っ た 南
井 居士 を 初 めて 見 た 。 法に 対 してど こ ま で も純 で あ りた い と い う意 志 が 漲っ て お り 、と て も 真面 目 な 人だ
け にち ょ っ と切 な く 同 情し た 吾人で あ る 。
奇し く も 大腸 癌 と な り尻 か ら 血を 流 し な がら も 悠 然と し 、 法 を語 り 呵 々大 笑 し て 微塵 も 臆 する こ と 無き
は なか な か 大し た 力 量 であ っ た。縁 に 任 せ て堂 々 と 目出 度 く 死 んだ 希 有 な人 物 で あ った 。 吾 人が 引 導 を渡
し たが 、 何 と言 っ た か 忘れ て しまっ た 。 合 掌。
十六、道環老
赤ち ゃ ん は親 も 兄 弟 も一 切 の 選択 肢 は 無 いま ま 知 らな い で 生 まれ て 来 る。 生 ま れ 出た ら そ の時 そ の 場の
環 境が 自 分 の人 生 の 始 まる 所 で ある 。 勿 論 両親 を 始 め色 々 な 人 間関 係 も すで に そ こ に存 在 し てい る 。 何故
か は三 世 の 諸仏 祖 師 方 も分 か らない 出 た 時 勝負 で あ る。 こ れ が 真理 で あ り仏 法 で は 因縁 所 生 の法 と 言 う。
人 智の 及 ぶ 世界 で は 無 い、 将 に計り 知 れ な い縁 と し か言 い よ う が無 い 世 界が 今 の 現 実相 で あ る。 全 て そう
で あり 誰 も 皆そ う で あ る。 だ から面 白 い と 言う べ き であ ろ う 。
吾人 に と って 既 に そ の時 、 大 切な 一 人 が そこ に 存 在し て い た 。吾 人 の 兄弟 子 の 道 環老 で あ る。 そ れ が又
義 光老 師 の 長男 で あ り 従弟 で あ るか ら 愉 快 な話 だ 。 吾人 が欓 老 を語 れ る のも こ の 道 環老 の お 陰が 大 で あ る。
今は 道 環 老と 親 し く 呼ぶ が 、欓老 と 過 ご した そ の 時分 は 人 生 で最 も 多 情多 感 な 年 代で あ り 、真 剣 な 求道
者 の青 年 僧 であ っ た か ら、欓 老 のい ち ゝ ゝ が斬 新 で あり 刺 激 的 で、欓 老 との 生 活 が とて も 楽 しか っ た よう
で ある 。 と ても 幸 運 で あっ た 。 彼の 詳 細 な 記憶 か ら欓老 の 所 作 全体 が ド ラマ の よ う に伝 わ っ てく る 。
彼は 実 に 個性 的 で 、 分か り や すく 言 え ば 仙人 で あ り無 頼 で も あり 、 変 人に も 見 え るし 聖 人 にも 見 え るよ
う な、 風 采 など 貪 着 の 無い と ころが 魅 力 だ った 。 ち ょっ と 変 わ って い た が、 抜 群 の 記憶 力 と 独特 な 洞 察力
が 鮮烈 で 当 時子 供 の 吾 人は 彼 に魅了 さ れ た 。
彼に つ い てこ こ に 一 つ、 と っ てお き の 逸 話を 記 し てみ る 。 も しこ の 話 で呆 気 に と られ な か った ら 余 ほど
腹 が据 わ っ てい る 大 物 か変 人 か、若 し く は 感性 が 壊 れて い る 人 であ る 。 有り 得 な い そん な 話 だ。
昔は ど こ も土 葬 で あ った 。 占 領軍 の 命 に より 放 置 され た 小 山 の墓 所 は 道路 や 学 校 の埋 め 立 てに 使 う ため
崩 され て い た。 乱 暴 な 話で あ る。そ こ か ら いろ い ろ な人 骨 が 現 れ子 供 心 に無 惨 に 思 える 光 景 であ っ た 。彼
は そこ か ら 完全 な 頭 蓋 骨を 持 ち帰り 、 供 養 にと 平 然 とし て 磨 き 上げ 大 切 に部 屋 に 飾 って い た 。そ ん な 彼を
不 気味 な が ら尊 敬 し た 。と こ ろ がで あ る 。 それ を 拓鉢に 必 ず 持 ち歩 い て いた こ と か ら奇 妙 な ドラ マ と なっ
冥 途 の 旅 の一 里 塚
目 出 度 く もあ り 目 出度 く も な し
た のだ 。 当 時の 本 物 の 禅僧 は みんな 托 鉢 遍 参し て い たか ら 結 構 な豪 傑 が うろ う ろ し てい た 時 代で あ る 。
元日や
と元 日 か ら一 騒 動 起 こし た の は一 休 禅 師 であ る 。 それ を 気 取 って か 杖 の先 に そ の 頭蓋 骨 を 取り 付 け 、京
都 市中 を 托 鉢し バ ス に 乗り 込 んだか ら 話 が 話で は 無 くな っ て し まっ た 。
当然 の 如 く事 件 と な り警 察 沙 汰に な っ た 。そ の 時 に南 井 白 巌 居士 の 名 前が 出 た た め呼 び 出 され た 。 近く
で あっ た し 親し い 間 柄 であ っ たから 身 請 け 人と し て であ る 。
南井 居 士 は彼 の 逸 脱 した 破 天 荒振 り に 対 し、 人 生 の無 常 を 骨 子と し て 堂々 と 一 休 禅師 の 宗 教的 鋭 い 示唆
の 大切 さ を 説き 、 無 理 矢理 に 説得し て 道 環 老を 立 派 な禅 僧 と 位 置づ け て 無事 解 放 し た。 南 井 白巌 居 士 の凄
い 一面 で あ る。
現在 で あ った ら 大 変 なニ ュ ー スに な っ た ろう け れ ども 、 当 時 はま だ 余 裕と い う か 遊び 心 と いう か 、 何で
も かん で も 大袈 裟 に 報 道し て 罪にす る こ と はな か っ た時 代 で あ った 。 結 末は 警 察 官 の粋 な 計 らい で 、 風呂
敷 で包 ん で 人目 に 付 か ぬよ う にすれ ば 宜 し いで 済 ん だの だ 。 何 とも 愉 快 な時 代 だ っ たこ と よ 。
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警官 相 手 に真 剣 勝 負 した 当 人の二 人 か ら 事の 子 細 を聞 か さ れ 、三 人 は 腹が 捩 れ て 痛い ほ ど 爆笑 し た 。奇
っ 怪か 大 胆 か菩 提 心 か らか と 、往時 の 一 休 騒ぎ を 現 実に 実 感 し た。 道 環 老は そ う い う特 異 で 不思 議 な とこ
ろ が有 り 、 愛さ れ 、 疎 まれ 、 尊敬さ れ つ つ 飄々 と 我 が道 を 楽 し んだ 自 然 体の 人 で あ った 。
晩年 は 不 幸に し て 片 足を 切 断 する こ と と なり 、 い ささ か 不 自 由な 彼 を 吾人 は 常 に 同情 し て 止ま な か っ た。
謂 われ 有 る その 逸 品 は その 後 も変わ り な く 自分 の 部 屋に 長 く 飾 って 供 養 して い た 。 入っ て 直 ぐの 、 し かも
調 度 目 線 の 高 さ に 有 る か ら 知 ら ぬ 者 が 入 室 し た 途 端 、 腰 を 抜 か さ ん ば か り の 悲 鳴 を 上 げて い た 。 そ れ を 聞
く 度に 吾 人 は爽 快 な る 爆笑 を した。 別 に そ れを 楽 し みに し て い たわ け で はな い 。 自 然発 生 的 な無 邪 気 な爆
笑 であ る 。 やっ ぱ り な と。
どこ ま で も無 風 流 な 仙人 で あ った が 、欓 老の 生 々 しい 人 間 的 な別 の 様 子は 有 り 難 くも 彼 か ら多 く 得 るこ
と が出 来 た 。深 く 感 謝 して い る。近 頃 の 変 人奇 人 に は大 義 も 徳 力も 無 く 、危 険 な 人 物ば か り の気 が す る。
踏 み迷 う な よ おぼ ろ 月
こ うし た 時 代で あ れ ば こそ 後 味の良 い 貴 重 な変 人 奇 人が 欲 し い もの だ 。 今な お 道 環 老を 愛 し て止 ま ず 。合
掌。
常 の道
十七、自負する由縁
こう し て 吾人 は 幼 少 期よ り と にか く 老 大 師の 話 を 聞か な い 日 がな か っ たと 言 っ て も良 い 。 山僧 は 図 らず
も 斯様 な 環 境に 逢 う 。 これ 偶 然か、 こ れ 菩 提心 か 。 事大 法 な れ ば今 生 の この 至 宝 、 私を 公 に すべ し と 思う
も 自然 で あ ろう 。
間 接 的 で あ り 大 い に 不 遜 で は あ る が 、 巨 匠欓 隠 老 大 師 を 語 る 任 は 我 れ に 在 る と 自 負 す る 由 縁 は 正 に 此 処
に ある 。
そ
かん
ひゃく ざっ すい
仏 法 残 燈 明 滅 の 危 機 に あ る 今 、 多 年 懐 中 に 温 め て 『欓 隠 語 録 全 集 』 を 大 成 せ ん と す る 偶 然 で は 無 い こ と
を 知っ て い ただ き た い 。
少林窟幸い菩提心あるあり。乞う。菩提心をもって、次の 祖 関 (欓老語録抄)を 百 雑 砕 (祖師方の
難 しい 難 問 を粉 々 に す る) す る 底の 葛 藤 ( 語句 で あ り救 い 。 囚 われ た ら 迷い ) を 看 取し て 頂 けた ら 老 大師
の 復活 で あ り法 の 幸 い であ る 。 百雑 砕 の 砕 はス イ と もサ イ と も 読ま れ て いる 。
老大 師 の これ ら の 法 語は 全 体 真金 に し て 孤高 の 法 財で あ る 。 肝心 な ことは 、 満 身 菩提 心 に 染ま る こ とで
あ る。 菩 提 心、 菩 提 心 。
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聞
集
老大師の聞集に当たり
またきき
いよい よこれか ら である。 ここから欓 隠古仏の 聞集とな る 。体験者 からの聞 き 集めであ る。 二 聞 では
がんぜい
かっ せっ ぽう
無 い。 そ こ に求 道 者 と して の 真 剣さ が あ り 、真 実 と 熱意 と 気 迫 が直 接 伝 わっ て く る 。吾 人 も 求道 者 だ から
だ 。読 む 諸 氏の 眼 睛 も ま た 然り と 思 う。
否、欓老の熱誠溢れる生々しい様を通して、老大師の豪快無比なる 活 説 法 を再活現前し、老大師の大
慈 大悲 と 大 機に 浸 っ て 頂き た い 。
とに か く 凡そ 世 の 痛 快な 大 事 は堅 固 な 意 志と 信 念 で貫 き 通 し た命 の 結 晶で あ る 。 吾を 忘 れ て事 に 処 して
初 めて 為 し 得た も の ば かり だ 。見る べ き と ころ は 正 にそ こ で あ る。 成 り 切っ て 自 己 の無 い 闊 逹自 在 さ 。余
念 余物 、 仏 見法 見 無 き 境涯 は 応・燈 ・ 関 以 後の 巨 匠 であ る こ と を看 取 さ れた し 。
ただ し 、 記憶 に 基 づ いて の 列 記で あ る ため前 後 の つけ よ う が ない 。 そ のこ と は お 許し い た だき た い 。
賽錢泥棒と老大師
誰で も 若 い時 は 色 々 なこ と を する し 考 え る。 道 環 老も 漏 れ な く若 さ を 発揮 し た よ うで あ る 。聞 い て 驚く
とり もち
か もし れ な いが 、 寺 の 息子 に すれば そ の 寺 の賽 錢 泥 棒は 格 好 の 智恵 試 し 物で あ る 。 そこ で い ろい ろ の やり
方を考案する。腕の見せ所というやつだ。彼は竹の先に 鳥 黐 を付けて狙ったそうだ。そこへいつの間に
か 欓老 が 現 れて い て 驚 いた と い う。 誰 だ っ て驚 く 。
「 ほほ う 。 巧い こ と を 考え て や るん だ な 。 坊は 偉 い な」 と 褒 め られ た そ うな 。
とこ ろ が 老大 師 は そ の事 実 を 持っ て 直 ち に大 智 老 尼を 揺 さ ぶ る点 検 材 料に さ れ た 。世 間 で はこ れ を 告げ
口 と言 う 。 しか し 老 大 師は 違 う。ど こ ま で も法 の 人 を育 て る た めの 格 好 の法 縁 と し て闊 達 自 在に 使 う 。是
非 善悪 の 世 界に 居 る よ うな欓 老 では な い 。 常に 仏 法 護持 の 人 物 を打 ち 出 すた め の み であ る 。 別目 的 が あっ
て 法の た め に敢 え て 犯 した の だ。と に か く 大智 老 尼 を仕 上 げ た いば か り に。 大 慈 大 悲で あ る 。
持ち 物 、 引っ さ げ た 者が 内 に 有っ た ら す ぐ外 に 現 れる。 何 故 か。 真 空 太虚 の 眼 を 持っ て 見 れば 相 手 がそ
の まま 写 る 。黒 白 が は っき り する。 一 口 に 言う 点 検 がこ れ で あ る。
それ を 聞 いた 大 智 老 尼か ら は 、
「 教育 上 よ ろし く な い 。老 大 師 とも あ ろ う お方 が 、 何故 注 意 を され な か った の か 」 らし き 反 撃が あ っ たそ
う だ。 忽 ち 影が 現 れ た とい う こ とだ 。
善悪 を 無 視す る と 無 秩序 と な り世 を 乱 す 。当 然 で ある 。 大 智 老尼 は 既 に一 隻 眼 ( 心眼 ) を 具し 、 確 かな
法 を得 て い るか ら 自 信 を持 っ て老大 師 に 言 えた の だ 。だ が あ ま り子 供 の 自由 を 奪 い 、発 想 を 妨げ る と 大切
な 発達 要 素 を阻 害 し て しま う 。 善悪 だ け の 道理 一 辺 倒を 悪 差別 と言 い 悪 平等 と 言 う 。縛 っ て 融通 が 効 かぬ
か ら成 長 を 欠く し 、 一 辺倒 の 個人尊 重 は 放 縦に な る 。普 通 一 般 の道 徳 論 上の 教 育 は そう で あ ろう 。
ここ が 大 切な と こ ろ で、 誰 に も個 性 と い う尊 厳 が あり 、 道 義 に叶 っ て いく よ う に 個性 を 伸 ばす の が 教育
で ある 。 こ こが な か な か一 般 ではで き な い とこ ろ だ 。成 長 と 自 由に は 発 展( 平 等 ) と反 省 ( 差別 ) が 伴わ
ね ば健 全 で はな い 。
元古仏曰く、「今 はしばらく賓主なり と雖も皆これ当来の 仏祖ならずや。大衆 は乳水の如く交わるべ
し 」と あ る 。
善悪 を 超 えた 根 本 を 自覚 し て 大悟 さ せ る ため で あ る。 病 が 分 かれ ば 薬 が要る 。 欓 老曰 く 、
「 それ が 子 供で あ り 、 親元 だ か らイ タ ズ ラ した ま で 。子 供 の 智 恵と は そ うし て 発 達 して い く もの だ よ 。子
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又引 っ か かっ た な !
と 言 う欓老 の 声 が 聞こ え て くる 。
供 を信 じ 切 って や れ 」 と道 徳 論 を超 え た と ころ を 諭 され た よ う だ。
吾人 に は 、コ ラ !
同じ 楽 し み方 で も 吾 人は ひ と 味違 っ た や り方 だ っ た。 弟 と 二 人で あ っ たか ら ま ん まと 成 功 した 。 本 堂の
ガ ラス 戸 は 大き な 音 が する の を幸い に 、 弟 に思 い 切 りガ ラ ガ ラ 開け 閉 め させ 、 私 が すか さ ず 賽銭 箱 を ひっ
く り 返 す 作 戦 だ っ た 。 あ ま り に も う ま く 行 き 過 ぎ 、 根 こ そ ぎ だ っ た か ら ほ ん の 幾 ら かを 返 し て お い た 。 空
腹 の為 と は いえ 痛 快 で あっ た 。欓老 が 見 た ら何 と 言 うで あ ろ う か。
その 時 も 決し て 良 い こと を し たと は 思 っ てい な い 。し か し と んで も な い悪 い こ と をし た と も思 っ て いな
い 。た だ 滅 多に 出 来 な い悪 戯 にはそ れ な り に胸 の と きめ く ス リ ルと サ ス ペン ス が あ る。 成 功 した 時 の 満足
感 から は 納 得す る も の があ る 。何か が 成 長 し何 か が 発展 し て い て、 興 味 は別 へ と 進 展し て い くも の だ 。だ
か らそ れ で 泥棒 や 悪 人 にな っ た者は 誰 も い ない 。
子供 は 興 味を 持 ち 、 確か め て みた い こ と 、危 険 で 痛い 目 を し てで も ど うし て も し てみ た い こと が 沢 山あ
る 。し て見 なけ れ ば 成 長し な い こと が 沢 山 ある 。 そ れを さ せ な い親 も 沢 山い る し 、 ほっ た ら かし て 放 縦に
す る親 も 沢 山い る 。 い ずれ も 適正と は 言 え ない 。
こう し た こと を 善 悪 で決 め る 事は 単 純 で 楽な こ と だ。 し か し 健全 な 成 長と 自 立 を 願う な ら ば、 信 義 や道
義 と智 恵 の 発達 。 そ し て意 志 や五官 の 関 係 を単 純 に 善悪 だ け で 決め て は なら な い 。 ここ に 教 育の 妙 味 と大
切 さが あ り 、教 育 者 や 親の 内 容が問 わ れ る とこ ろ で ある 。
欓老 は 大 教育 者 で あ るか ら 大 智老 尼 が そ のこ と を 知っ て い る かど う か 。悪 差 別 や 悪平 等 に 陥っ て い ない
先 が楽 し み で すね ! 」 と超 越 し て けろ っ と して い る どう
か どう か 、 大自 然 の 摂 理を 知 ってい る か ど うか、 畢 竟、 仏 法 を 知っ て い るか ど う か を点 検 し てい る の であ
る。
「 ほほ う 。 そん な 面 白 い智 恵 が 有り ま し た か!
か を試 さ れ たの だ 。欓 老な ら で はで あ る 。 この 老 大 師の 真 意 を 見て 取 る もの が あ れ ば大 法 は 滅ば ぬ 。
急ぐ時は急ぐのが法
当時 飛 行 機は 魔 法 の よう な 存 在で あ っ た はず だ 。 学識 豊 か な 老大 師 に して み れ ば 、飛 行 機 の到 来 は 時代
の 先 駆 け と し て 喜 ば し く 思 わ れ て い た 節 が あ る 。 そ れ は 「 安 全 に 飛 ぶ 飛 行 機 が 出 来 た 」 と欓 老 の 記 述 を 読
ん だこ と が ある か ら だ 。
飛 行機 だ ! 」 と、 ま る でみ ん な を 誘い だ す よう に 叫 ん でい た と か。
或朝 、 老 大師 は 飛 行 機の 音 を 聞くや 、 急 ぎ飛 び 出 して 、
「 あっ 、 あ っ。 飛 行 機 だ!
道環 老 曰 く、
「 その 時 は 単な る 小 包 紐で 着 物 を縛 り 、 裸 足だ っ た 」と 。 も し そう な ら 急ぐ と き に は急 ぐ 。 帯が 見 つ から
な けれ ば 間 に合 わ せ の 物で 急 ぐ 。そ れ が 差 別地 ( 智 )の 働 き で あり 実 地 の自 在 さ で ある 。 「 今」 を 自 在に
す る と は こ の こ と で あ る 。 何 の 道 理 も 理 屈 も な い 。 ま た 裸 足 は 履 き 物 が な か っ た か ら か 、 急 い で い た為 か 。
( 白 隱)
みずはじ
つ
あ る い は 別 口 か 。 こ れ が 急 ぐ 時 の 法 で あ る 。欓 老 の 境 界 天 地 一 枚 、 自 由 無 礙 で あ る 。 心 に 事 無 く 、 事 に 心
声 も たて ず 鶯 の啼 く
お のず か ら なる 軒 の 玉 水
し か も 花 咲く 梅 が 枝に
目 に 聞 くな ら ば 疑は じ
な き境 界 の 人を 大 善 知 識と 言 う 。こ の 限 り 無き 働 き が度 衆 生 で あり 慈 悲 であ る 。
耳に見て
枯 れ果 て て
自 我 と い う 迷 い の 袋 が 破 れ た ら こ の 歌 の 有 り 難 さ が 分 か る 。 風 吹 け ど も 入 ら ず 。 水 溌 け ど も 著 か ず。
ち
いん まれ
四 方八 面来 是れ 何 者 ぞ 。行 為 に 上下 も 真 偽 もな い が 、人 格 に は 雲泥 の 差 が有 る 。 尋 常の 人 が 寄り つ き 得ぬ
は欓老の自在底であり、 知 音 稀 なりとはこのことである。利口な者がここまでバカになることは難中の
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難 。容 易 な こと で は な い。
欓老 越 格 の作 用 、 如 今に 跡 無 し。 見 え た か!
見 たら 見 て い ない 。 見 えな け れ ば 野狐 の漢 。参 。
「 潜行 密 用 は愚 の 如 く 魯の 如 し 。只 能 く 相 続す る を 主中 の 主と 名づ く 」 は洞 山 大 師 の名 句 で あり 、 聖 人の
偉 大さ は 自 己を 忘 れ た 大馬 鹿 の こと で あ る ぞと 、 即 今底 の 大 切 さを 肝 に 命じ て や れ との 大 師 の厳 命 で あ る。
藥山 大 師 の語 を 借 り れば 「 経 に経 師 あ り 、論 に 論 師あ り 、 山 僧が 事 に かか わ ら ず 」と 。 「 山僧 が 事 」と
は 何ぞ や と 参究 功 夫 す べし 。 仏祖も 寄 り つ けぬ 。 さ もあ り な ん 。他 は 是 れ我 れ に 非 ず。 即 今 に足 り て 他を
えんろう
要 せぬ 境 界 と知 る べ し 。参 。
誰か知る遠き 烟 浪 、別に好思量あることを。凜々たる高風、自ら誇らず。ただ道あるのみ。仏法の極
致 は自 己 を 忘じ て 事 に 当た る 。 即わ ち 、 満 身そ の 物 に成 っ て 自 己無 き を 自得 す る こ とに あ る 。徹 底 身 を忘
れ て見 せ つ けて い る こ の欓 老 の 大悲 を 有 り 難く 思 わ ぬ者 は 更 な る勉 励 を 要す 。 菩 提 心を 喚 起 せよ だ 。
欓老 の 自 在な 働 き 、 電光 よ り 速や か な り 。「 心 に 事無 く 、 事 に心 無 き 境界 」 を 見 て取 り 迷 雲を 打 破 すべ
く 修行 を 疎 かに し て は なら ぬ 。慚愧 、 々 々 。忽 念 々 起、 恐 る べ し、 々 ゝ ゝゝ 。
この 時 は さす が に 大 智老 尼 は 引っ か か ら なか っ た よう で あ る 。
法要中の出来事
お 寺 全 般 、 色 々 な 行 事 が あ る 。 父 方 の 祖 父 は 頑 固 な が ら 器 用 で 細 工 物 を 作 ら せ る と 相 当 な 腕前 だ っ た が 、
桁 違い に 厳 格だ っ た ら しい 。 子供も 孫 達 も 皆行 持 に きち っ と 準 じさ せ て いた と い う 。
その 法 要 最中 に 飛 行 機の 音 が した 。 そ の 瞬間欓 老 は、
な
ん
「 坊、 飛 行 機だ 。 行 こ う、 行 こ う。 能 く 見 てお き な さい 」 と 子 供達 を 外 へ連 れ 出 さ れた そ う だ。 み ん な驚
と 一 般 の思 う と ころ は そ ん なと こ ろ だ。 爺 様 は 内心 激 怒 した 。 当 然で
い たと 言 う が驚 か な い 方が 可 笑 しい だ ろ う 。是 れ 恁麼 の消 息 ぞ 。 一 体こ れ は どう い う こ とだ ?
大事 な 法 要最 中 だ と いう の に ?
おれ
あ る。 故 に欓老 を 評 し て曰 く 、
「 儂 の目からすると、欓隠如きはまだまだじゃ」と大いに憚った。無理もない。世間の道理からすれば
爺 様が 常 識 に違 い な い から で あ る。 そ の よ うな こ と は承 知 の 上 の事 。欓 老そ れ を 聞 いて に ん まり 。
うた
「 本ま じ ゃ 。本 ま じ ゃ 。あ の 老 漢( 気 骨 の ある 禅 者 )か ら し た らそ う だ 、そ う だ 」 と言 わ れ たそ う で あ る。
純 金は 火 に 入れ ど も 変 せず 、 転 た鮮 や か と は これ で あ る。 度 量 、 正に 極 ま りな し 。 自 己な け れ ばな り 。
勿論道元禅師の「行持即仏法。作法是れ宗旨」の真意を知りきっての欓老である。真実の仏法は実
( 今) に 成 り切 っ て 自 己を 忘 ず るこ と に あ る。 そ の 時本 当 に 「 行持 即 仏 法。 作 法 是 れ宗 旨 」 と現 成 す る。
こ の消 息 を 体得 し て 初 めて 仏 法 とな る 。 そ のた め の 坐禅 修 行 で はな い か 。大 事 を 為 す者 は 大 事を 事 と す る。
諸 仏祖 師 方 は仏 法 を 事 とし 仏 法 を伝 え て 真 箇の 大 安 楽を 得 さ せ よう と す る。 大 慈 大 悲と は こ の大 事 大 愛を
言 うの だ 。 言葉 を 換 え れば 菩 提 心の 限 り 無 い働 き と 思え ば 良 い 。も ち ろ ん形 も 大 切 であ る が 、大 法 の 重さ
は 比べ 物 に はな ら な い 。
じん ずう みょう よう
うんすいはんし
じ
ゆう む
げ
じん ずう みょう ゆう
子 供 即 将 来 。 将 来 即 仏 法 。 徹 底 即 今 底 の 自 由 底 は 全世 界 を 救 っ て い る 。 欓 老 の 独 壇 場 た だ 是 の 如 し 。 正
に 神 通 妙 用 、 運水 搬 柴 、 自 由 無 礙 。 乾坤 独 歩 の 境 界こ れ な り。 神 通 妙 用 と も 読 む。
一点 の 曇 り無 き を 見 誤っ た ら 地獄 に 落 ち るこ と 矢 の如 し 。 今 の神 聖 を 無視 し て 勝 手気 ま ま とと っ た ら仏
祖 の 罪 人 と な る 。 目 に 立 つ も の が 何 も 無 い 。 大 活 現 前 、 軌 則 を 存 せ ず 。 大 機 大 用 と は 是 の 事 で あ る 。 その
人 の大 自 由 底が 即 度 衆 生で あ る 。大 更 に 大 を呑 む欓 老で あ る 。 天真 爛 漫 、子 供 の 如 し。
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かん かん がく がく
菩提 心 が 深く な れ ば それ が は っき り す る 。無 い 者 はそ れ が 分 から ん か らど う し て も二 見 に 落ち て 捕 らわ
れ自失するのだ。大抵は道徳論や因果論で理屈をこね回すに過ぎない。是非の論議で 侃 々 諤 々 請け合い
で ある 。 こ れで 世 が 乱れる の だ 。
本当 に 大 切な の は 、 今真 実 に ある こ と 。 それ が 本 当の 供 養 だ から で あ る。 そ の こ とを 身 を もっ て 示 され
ご
ず
ほう ゆう
た とっ と き の好 事 例 で ある 。 活動即 「 空 」 を体 得 せ しめ 、 世 尊 祖師 方 の 大安 心 を 味 あわ せ た くて 全 て を投
げ出しての済度である。四祖が 牛 頭 法 融 を、南嶽禅師が馬祖を度すべく身を忘れて行くに似たり。実に
勿 体な い こ とで は な い か。
これ ら は 何人 か ら も 何度 も 聞 かさ れ た 。 真似 て は 成ら ぬ 。 学 ぶべ き は 別口 で あ り 根本 で あ る。 菩 提 心な
け れば 多 く は看 あ や ま る話 だ 。要は 大 を 取 って 小 を 捨て 、 真 を 取っ て 偽 を捨 て る こ とだ と 心 すべ し 。
「 清淨 の 行 者涅 槃 に 入 らず 。 破 戒の 比 丘 地 獄に 落 ち ず」 と 経 に ある 。 即 今底 作 麼 生 。地 獄 、 涅槃 作 麼 生と
参 究し て 初 めて 正 路 に 入る 。 仏 道修 行 の 神 聖と 権 威 は「 見 性 」 にあ る こ とを 決 し て 忘れ て は なら ぬ 。
とも か く 我が 爺 様 は 文化 財 並 みの お っ と ろし い 頑 固者 だ っ た こと は 確 かで あ る 。
狂 と 呼 び 暴 と 呼 ぶ 。 他 の 評 す る に 任 す 。 桃紅 李 白 自 然 の 色 。 眼 中 に 諸 仏 を 見 ざ る 底 、 大 敵 恐 る る に 足 ら
ず 。こ こ い らで 丹 霞 木 仏、 南 泉斬猫 、 倶 胝 が法 盗 し た童 子 の 指 を切 っ た のも 慈 悲 徹 困、 時 時 宇宙 百 雑 砕な
佐 渡に 横 た う 天の 川
問 は で 答ふ る 松 風の 音
る を解 す べ しで あ る 。 され ば欓 老健 在 な り 。仏 法 健 在な り 。
荒 海や
何 事も い ふ べき こ と は 無か り け り
天晴れ、恥を知る禅僧
日本 民 族 と言 え ば 当 然歴 史 を 共有 し て 日 本文 化 を 携え る こ と に成 る 。 我が 国 の 文 化は 根 底 にワ ビ さ びを
秘 めて い て 、畢 竟 そ れ は農 耕 中心で 育 ま れ た自 然 へ の感 謝 と 願 いと 恐 れ と諦 め が 本 とな り 、 恥や 謙 虚 さや
忍 従や 協 調 性に 通 じ 、 信義 ・ 道 義の 本 と 成 った 。 日 本民 族 の し なや か な 感性 は 此 処 に由 来 し てい る と 言え
よ う。
欓老 の 話 なの に 何 故 こん な 事 をと 思 う か も知 れ な いが 、 前 述 した 命 に 関わ る 大 事 に通 じ て いる か ら であ
る 。箸 休 め の話 で は 無 い。 法 とは命 で あ る 。命 が け の話 で あ る 。
欓老 は 仏 通寺 で 一 隻 眼を 具 し た。 自 照 居 士も 大 智 老尼 も 修 行 した 仏 通 寺派 の 大 本 山で あ る 。少 林 窟 の門
ちゅう
夢 窓国 師 のもと で 出 家 し、 十 九 歳で 中 国 に 渉り 仏 通 禅師 の 法 を体
下 は御 開 山 最初 の 修 行 場で あ るこの 聖 地 を 訪れ て い る。 雪 舟 も 二年 居 た よう だ 。 実 に閑 静 で 良い と こ ろで
あ る。 訪 れ た者 は み な 喜ぶ 。
ぐ
七朝 帝 の 師と し て 有 名な 天 龍 寺開 山
得 して 帰 朝 した の が 愚 中 禅 師で あ る 。
たっちゅう
三原 城 主 の小 早 川 春 平公 が 、 その 愚 中 禅 師を 迎 え 開山 と し て 一三 九 七 年に 創 建 し たの が 仏 通寺 で あ る。
当時は九州・中国地方一帯に三千とも言われるほど大小の末寺があり、寺領内には八十八ヶ寺の 塔 頭 が
あ った と い う。
時の 足 利 四代 将 軍 義 持は 、 そ の高 僧 を 三 度呼 び 出 した が 応 じなか っ た 。為 に 遂 に 国主 の 三 原城 主 に 、も
し 上洛 せ ず んば 国 を 滅 ぼす と 通達。
三祖 大 師 も同 じ 法 難 が有 っ た 。「 こ れ で もし 応 じ なか っ た ら 首を 切 り 持ち 帰 れ 」 と暴 君 。 その お 達 しを
聞 いた 三 祖 は、 「 こ ん な首 が 欲しけ り ゃ 、 切り 取 り 去れ 」 と 首 を突 き 出 した 。 法 を 自在 に す ると は 、 法有
っ て身 を 忘 れ、 事 に 処 すこ と を言う 。 恐 れ 帰っ て 告 げた 。 暴 君 その 境 地 に驚 き 帰 依 した と い うこ と だ 。暴
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君 を名 君 に 導く は た だ 命が け の 徳力 以 外 に 無い 。
自 分 は と も か く 大 勢 の 命 に 関 わ る と な れ ば し か た な く 三 度 出 向 い て 説 法 し た 。 下 っ て欓 老 の 最 初 の 師 で
あ る香 川 寛 量老 師 の時 代も 終 わ った 。 こ こ から が 本 題で あ る 。
その 後 席 の管 長 の 力 量を 試 す べく 、 義 衍 老師 と 平 山峰 吉 居 士 が参 上 し て相 見 問 答 に及 ん だ 。命 が け で修
がん す
業 した 禅 僧 同士 の 法 戦 であ る 。これ な く し て禅 無 し 。ど し ど し 聞法 法 戦 し切 磋 琢 磨 して 仏 法 護持 す べ きで
あ る。
む
管長は坐禅の要旨を全く得ておらず 無 眼 子 だった。本当の修行をしていなかったことが直ぐにばれた
の だ。 テ ー ブル を 一 打 して 、
「 山僧 は た だ是 の 如 し 。和 尚 作 麼生 ! 」 ぐ らい の こ とが 何 故 言 えな か っ たの か 。 正 面よ り 義 衍老 師 が 、後
ろ から 居 士 が、
「 良い 子 だ 、良 い 子 だ 。子 供 は 黙っ て 静 か にし て お るも の だ 」 と言 い な がら 、 二 人 は管 長 の 頭を 前 後 から
撫 で回 し た そう な 。
この 一 部 始終 は 吾 人 が義 衍 老 師よ り 聞 い た話 で あ る。 実 際 尼 と天 龍 の 如く だ 。 徹 と不 徹 の 力量 の 違 い是
の 如し 。 大 本山 の 管 長 とし 禅 僧とし て 全 く 手も 足 も 出な か っ た 断腸 の 思 いが 、 次 で 決定 的 に 成っ た 。
後 日 、 広 島 市 に お い て そ の 管 長 が 坐 禅 会 指 導 に 来 て い る の を 知 り 、 た ま た ま 市 内 に 居 た欓 老 は 、 嘗 て 世
話 にな っ た 大本 山 の 山 主に 御 挨 拶に 往 か れ た。欓 老 は管 長 と い う格 ( 立 場) に 対 し 、下 座 に て丁 重 に 三拝
こ う べ を垂 れ る 稲穂 か な
さ れ礼 を 尽 くさ れ た と いう 。
実るほど
天下 の 大 宗師 に 御 拝 され た 管 長は 、 身 は 管長 に し て心 は 凡 愚 であ る こ とを 恥 じ て 割腹 自 殺 され た の だ。
そ れを 知 っ た欓 老 は 、
恣
に し て い た時
ほしいまま
「 死ぬ 覚 悟 があ っ た の なら 、 何 故一 介 の 修 行者 に 成 って 求 道 し なか っ た のだ 」 と 、 涙し て 彼 の死 を 哀 れん
で 居ら れ た とい う 。 ず っと 後 、 円熟 さ れ た 義衍 老 師 は、
「まさか死ぬとは思わなかった。自分も若かったな」と。一隻眼を具し昇天の志気を
の こと で あ る。 恐 ろ し や、 恐 ろ しや 。 危 な い、 危 な い。
堂々 た る 見事 な 法 戦 であ り 、 禅界 の 護 持 には 参 師 聞法 は 欠 か せな い 生 命線 で あ る 。微 塵 も 責任 は 無 い。
だ が寂 寥 た る何 か が 残 る事 件 であっ た 。 管 長は 俗 職 なら ず や 。 禅僧 が 成 るべ き 職 で はな さ そ うだ 。
法華 経 に 精通 し た 法 達と い う 大学 者 が 居 た。 遼 天 の鼻 孔 、 自 信横 溢 、 議論 全 勝 の 実力 者 だ 。六 祖 は 無学
で あり 、 た かが 木 樵 、 たか が 米搗が 何 だ と ばか り 無 謀に も 六 祖 に法 戦 を 挑ん だ 。 照 魔鏡 に は 皆見 え る 。傲
慢 振り が 影 とな っ て 現 れた。 太 虚の 眼 は 誤 魔化 せ な い。 六 祖 曰 く、
「 先ず は 礼 拝し 来 た れ 」と 。 大 法の 重 き を 知ら し め 、優 劣 を 争 う人 我 の 見を 落 と し めた 。 さ すが 六 祖 であ
る 。た ま げ た法 達 は 偉 人の 実 力 を見 抜 い て 即弟 子 に なっ た 。 彼 にも 素 晴 らし い 法 縁 、即 わ ち 菩提 心 が 潜在
し てい た か ら救 わ れ た のだ 。欓 老の 力 点 は 常に こ こ に在 る 。
げんろぎえん
縁 つ い で に 語 ら ん 。 井 上 玄魯 義 衍 老 師 は た び た び 欓 老 の 鉗 鎚 を 受 け た 大 宗 師 で あ る 。 正 法 を 担 っ た 一
生 は た だ 法 在 る の み 。 原 田 雪 渓 老 師 、 青 野 敬 宗 老 師 の 二 神 足 を 打 出 し 、 板橋 興 宗 老 師 は 大 本 山 總 持 寺 禅 師
と なっ た 。 多く の 宗 門 人を 始 め 世界 に 勇 猛 な居 士 大 姉を 輩 出 し た傑 僧 で ある 。 夥 し い提 唱 録 は絶 大 な 信を
得 、確 か な 境地 と 相 ま って 、 筆 を持 っ て は 宗門 に お いて 右 に 出 る者 は 居 ない と 言 わ れた 老 宿 だが 、 縁 に任
せ て「 は い 、さ よ う な ら」 し て しま わ れ た 。
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惜しくも青野老師も遷化されたが、雪渓老師 妻
( は吾人の姉)は親勝りの真訣であり、小浜の発心寺に
お いて 生 涯 を大 法 護 持 に尽 瘁 し てお ら れ る 。大 本 山 總持 寺 の 西 堂を つ と め、 ヨ ー ロ ッパ 布 教 総監 と な り世
界 に正 法 を 知ら し め た 老宗 師 で あり 、 師 資 相伝 の 仏 法は 多 数 の 語録 に 充満し て い る 。大 い に 目を 通 し 世を
正 すの 妙 薬 、即 わ ち 菩 提心 を 堅 固に 引 導 せ んこ と を 願う の み 。 つい で は ここ ま で 。 菩提 心 、 菩提 心 。
坐禅と禅問答
禅問 答 に つい て 、欓 隠老 師 に 成り 替 わ っ てち と 横 槍な ら ぬ 著 語し て み る。 参 考 に して 貰 い たい 。 或 る者
は 頓知 だ と 言う し 理 解 不能 だ からか 奇 弁 だ と言 う 者 も居 る 。 坐 禅を 又 冥 想の 如 く 思 う者 も 居 る。 残 念 なが
ら 全く 違 う 。
「 見る 」 と 言え ば 目 で 見る こ と で尤 も な こ とだ 。 そ こで 本 当 に 「目 」 が 分か っ て い るか ど う か? 「 見 る」
「 見る 」 と は なん だ ろ う?
「 今 」で あ り 「瞬 間 」 の 様子 で あ り、 そ の 事自
こ と が 分 か っ て い る か ど う か を 確 か め た り 教 え た り す る の が 禅 問 答 で あ る 。 当 然 体 得 して い る か ど う か が
問 題と な る 。
「 見る 」 の は何 時 だ ろ う?
体 が自 分 の 全体 で あ り 「心 」 の 内容 で あ る 。だ か ら 怖い の だ 。 体得 者 に は丸 見 え だ から で あ る。
一秒 前 も 後も 絶 対 に 見る こ と も聞 く こ と も出 来 な い。 こ れ こ そ決 定 的 な真 理 で あ る。 不 滅 の原 理 原 則で
あ りこ れ を 「法 」 と 言 う。 し かも決 し て 留 まっ て も いな い し 跡 形も な い 。戻 る こ と も進 む こ とも 出 来 ない
「 今」 「 瞬 間」 こ そ 疑 う余 地 の無い 完 成 し た現 実 で ある 。 こ の 真相 を 体 得す る の が 坐禅 の 目 的で あ る 。
さて そ こ でだ、 「 見 る」 時 、 目が 「 見 る 」と 言 う だろ う か 。 目が 「 美 しい 」 と 思 うだ ろ う か。 目 に 思考
系 や分 別 力 が有 る だ ろ うか 。 事実そ の よ う なこ と は 決し て 無 い 。我 々 の 目を 初 め と して 見 聞 覚知 全 て が前
後 も跡 形 も 無く す っ き りし た 純粋な 無 我 ・ 無心 ・ 無 為の 機 能 で あり 、 微 塵も 執 着 も 無く 理 屈 も無 い 。 この
真 実( 仏 法 )を 体 得 す るの が 仏道修 行 で あ り坐 禅 修 行で あ る 。 もう 少 し 砕い て み る 。
「見た」と認識した 時はすでに事実(真 実)は過ぎており過 去になっている。そ れを意識で捉えて「見
る 」 と か 「 見 た 」 と 言 う が そ れ は 真 実 で は 無 く 思 考 に よ る 観 念 世 界 に 過 ぎ な い 。つ ま り 夢 事 で あ る 。 絵 に
「 ま 」 の 時く れ ば 「い 」 の 時 は去 る
描 いた 餅 で ある 。 こ こ が肝 腎 な 処で あ る 。 次の 歌 は 能く 言 い 得 てい る 。
今 とい う 今 なる 時 は な かり け り
前後 が 取 れて 本 当 の 「今 」 に 覚め た ら 夢 は自 ず か ら消 え る 。 この 瞬 間 に真 実 を 自 覚す る 。 「眼 中 の 様子
そ のも の が 自己 自 身 」 であ る ことが 分 か る のだ 。 こ の内 容 の 遣 り取 り が 禅問 答 と な るの で あ る。
別の 例 を あげ れ ば 、 「一 + 一 は何 か 」 と 分か り き った こ と を 聞い て み る。 た い て いは 「 二 」と 答 え る。
耳 に は 二 と 聞 こ え た で あ ろ う か 。 そ ん な バ カ な こ と が 有 ろ う は ず が な い 。 耳 に 確 か に あ る のは 「 一 + 一 は
何 か」 た だ それ だ け で ある 。 これが 事 実 で あり 真 理 であ る 。 誰 が何 と 言 って も こ れ しか な い 。
この 純 粋 な事 実 に 気 がつ く ま では ど う し ても 見 聞 覚知 の 刺 激 に心 を 盗 られ 自 失 し てし ま う 。[ 二 ] と思
い 込ん だ 概 念は 他 の 自 在な 働 きを制 す る 。 この こ と が囚 わ れ で ある こ と に気 が 付 く 者が 少 な い。 こ れ が見
た 物、 聞 い たこ と に 心 を奪 わ れ、損 得 、 好 き嫌 い 、 執着 や 色 々 な要 求 理 屈が 発 生 し て惑 亂 す る根 元 で あ る。
禅 では こ の 様子 を 悪 知 悪覚 と 言う。 つ ま り 間髪 を 入 れず 過 去 が 絡み 付 き 知的 分 別 が 介入 し て 自我 と な るの
だ。
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事実 真
( 実 と) 自 我 の 違い を ま ず知 ら な け れば な ら ない 。 た と え道 理 で この 事 が 分 かっ た と して も 役 に立
た ない 。 実 際と 囚 わ れ との 決 定的な 境 界 線 が無 い か らで あ る 。 どう し て も事 実 の 作 用、 即 わ ち真 実 を 実体
験 する 必 要 があ る 。 実 体験 の 自覚が 生 き た 働き と な る。 そ こ で 一+ 一 は 理屈 無 く 二 であ る 。 誰が 何 処 で計
算 して も 二 であ る 。 こ の実 際 の働き を 決 定 的に 体 得 して い る か どう か で あり 、 学 び と点 検 と 証明 に 至 る遣
り 取り が 禅 問答 で あ る 。こ れ はすべ て 心 の 問題 で あ って 知 性 や 知識 の 世 界で は な い 。
心 を 解 決 す る に は 過 去 を 含 め て 心 の 一 切 か ら 離 れ る し か な い 。 こ こ を 道 元 禅 師 は 、 [心 意 識 の 運 転 を や
め 、念 想 観 の測 量 を や め] と 丁寧に 説 か れ た。 要 す るに 心 を 使 うな 、 動 かす な 、 一 点に 置 い てブ レ さ せる
な、目や耳に捕らわ れるな、心から離れ よ、と云う事である 。禅門ではこれを「 成り切って自己を忘ず
る 」と 言 う 。自 己 を 忘 れる と 、囚わ れ の 元 が落 ち て 無く な る の で現 実 の 真相 、 本 来 の心 が は っき り す る。
成り 切 っ て徹 す る た めに は 真 剣に 愚 直 に 一つ こ と に没 頭 す る しか な い 。徹 し 切 る と執 着 し てい た 心 身が
落 ちて 「 今 」の 真 相 が 明白 に なるの だ 。 確 かに 「 一 +一 は 一 + 一」 で あ ると 決 定 し 、「 二 」 と訣 著 す る。
命 がけ で 坐 禅す る の は まず過 去 を決 定 的 に 過去 に す るこ と で あ る。 過 去 が無 け れ ば 「一 + 一 は一 + 一 」。
本 当の 「 今 」は 働 き で ある か ら「二 」 と 現 成し [ 法 ]と な る 。
至り 得 た 自覚 を 「 見 性」 と 言 い「 悟 り 」 と言 う 。 これ が 大 安 心、 大 平 和の 境 地 で あり 涅 槃 寂定 と も い う。
命 がけ の 修 行上 に お い て導 い たり導 か れ た りす る の が禅 問 答 で ある 。 祖 師祖 録 の 復 活で あ る 。
道元 禅 師 曰く 、 「 人 々分 上 豊 に具 わ れ り と雖 も 修 せざ る に は 現れ ず 、 証せ ざ る に は得 る こ とな し 」 又云
く 、「 行 の 招く と こ ろ は証 な り」と 。 正 し い修 行 を すれ ば 必 ず 「今 」 に 目覚 め 「 悟 る」 ぞ と 。今 生 に 於い
て こ の 身 を 本当 に 度 す こ と が 出 来 る 仏 法 が 今 日 存 在 し て い る 事 は 何 と 有 り 難 い こ と で は な い か 。欓 老 は こ
菩提 心 、 菩 提心 。 合 掌。
の 大法 護 持 の一 生 だ っ たの で ある。 グ ズ グ ズ言 わ ず に真 剣 に 正 身端 坐 す れば よ い の だ。
下手な提唱をするな
「 碧巖 録 」 は祖 録 の 代 表で あ る 。そ れ に 就 いて は 人 に語 れ ぬ 秘 話が あ る 。口 外 し て はな ら ぬ もの で は ある
が 、師 去 っ て五 十 年 近 し。 故 に 無断 で 時 効 に処 し て みた 。 我 が 師も 許 し てく だ さ る こと を 信 じて 門 外 に披
瀝 する 。 師 、許 さ れ よ 。合 掌 。
わし
し
たんかんえいぞう
義光 老 師 が国 泰 寺の 後堂 た り し時 「 碧 巌 録」 の 提 唱を し て い た。 そ れ を聞 か れ た 老大 師 が 、
「 あ ん な 下 手 な 提 唱 す る な 。 儂 が 為 て み せ る か ら 止 め と け 」 と 言 わ れ た そ う だ 。欓 老 の 探 竿 影 像 ( 実 力
を 探る ) に さす が の 義 光老 師 も ぐう の 音 が 出な か っ たよ う だ 。 こん な 時 も有 っ た の だ。 そ れ きり 止 め たそ
う であ る 。
痛烈 な 鉄 拳で は な い か。 親 が 子を 哀 れ む 。哀 れ み て更 に 厳 し い慈 愛 で 慈しむ 。 こ れ尊 い 慈 悲の 涙 で あ る。
てっ つい
冷 や汗 三 斗 だっ た で あ ろう 義 光老師 に 合 掌 する 。 み な覚 え が あ るか ら だ 。
こうした 鉄 槌 を経てこなければ有無の二見を超えることは容易に出来ぬ。ここでお悟りをへし折られ
た よう で あ る。 本 当 に 活か す に は邪 魔 者 ( 自我 ・ 隔 て・ 癖 ) を 本当 に 殺 すし か な い 。即 今 底 を錬 る の はそ
の ため で あ る。 従 前 の 悪知 悪 覚 を只 管 打 坐 で坐 り 殺 す。 禅 者 の 本懐 は こ れを 体 得 す るの み 。
辱め を 受 くる は 福 を 受く る が 如し 。 大 きな慈 愛 の 本に は 必 ず 厳が 有 り 、悲 痛 な る 叫び も 起 こる 。 こ こで
逃 げた ら そ れま で の 者 。ゼ ロ からの 出 直 し を決 意 さ れた こ と で あろ う 。 老大 師 の 大 菩提 心 が 乗り 移 っ たに
違 いな い 。 その 後 の と っと き のご褒 美 が 無 量無 辺 で ある 。 断 じ て退 く 莫 れだ 。
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「 欓老 の 提 唱録 を 見 た 時、 さ す がだ な と 改 めて 恥 じ たよ 」 と 。 あれ ほ ど の義 光 老 師 が厳 師 の 有り が た さを
噛 みし め る よう に 懐 か しそ う に その 時 の 様 子を 語 っ てく れ た 。 吾人 、 聞 きつ つ 冷 や 汗三 斗 で あっ た 。 滅多
に 説法 し て はな ら ぬ 。 しか し 求 めら れ れ ば 説か ね ば 更に よ ろ し くな い 。 何の 為 の 修 行ぞ と な る。
因み に 義光老 師 は 、 毎晩 吾 人 の為 に 提 唱 して 下 さ った 。 無 門 関・ 従 容 録に 始 ま り 、普 勧 坐 禅儀 ・ 坐 禅用
心 記・ 学 道 用心 集 ・ 参 同契 ・ 宝鏡三 昧 ・ 証 道歌 ・ 般 若心 経 ・ 毒 語心 経 そ して 鉄 笛 倒 吹の 下 巻 半ば に 至 って
遷 化さ れ た 。何 と 勿 体 ない こ とよ。 こ の 高 恩や 報 い がた し 。 南 無義 光 老 古仏 。 慚 愧 、慚 愧 。
欓老 の 「 碧巖 集 提 唱 録」 は 絶 古今 で あ る 。逸 品 中 の逸 品 で あ る。 求 法 の士 は 読 ま ざる べ か らず 。
食事説法
大智 老 尼 は既 に 一 隻 眼( 空 を 体得 ) を 具 して い た 。だ か ら 老 大師 の 期 待は 絶 大 だ った 。 老 大師 の 食 事に
は 必ず 近 侍 して し つ こ く問 法 し てい た と 、 道環 老 よ り聞 いた 。 当時 青 年 僧の 彼 も 又 求道 者 で あっ た か ら真
剣 に見 聞 し てい た よ う だ。 大 切な事 は 老 大 師の 説 法 であ る 。 誰 もが 聞 き たい と こ ろ であ り 、 知り た い とこ
ろ であ る 。
説法 は 身 ・口 ・ 意 の 三法 輪 を もっ て す る 。大 智 老 尼の 質 問 を 一切 無 視 し、欓 老 は ひた す ら 食べ る だ けで
一 言も 発 し なか っ た と 。食 事 の時は た だ 食 べる ば か り。 全 身 そ の物 に 成 って 自 己 無 き様 子 を 丸出 し で 見せ
た 身輪 説 法 であ る 。 即 わち 全 身で説 き 尽 く して い た のだ 。 こ れ が活 き た 提唱 で あ り 答え で あ る。
「 維 摩 の 黙 、 雷 の 如 し 」 の 句 を 知 ら ぬ 禅 者 は 居 な い 。 聞 く 時 は 全 身 で 聞 く ば か り 。 「 黙 」 が 答 えで あ る 。
どんきそう
偉 大な 答 え なの で こ れ を「 雷 の 如し 」 と 褒 めた 。 達 磨面 壁 九 年 。こ れ が 坐禅 で あ り 答え で あ る。 一 言 も発
せ ず 坐 禅 丸 出 し と 、 「 只 」 食 べ る と 一 枚 で あ る 。 曇希 叟 曰 く 、 「 西 天 東 土 、 衲 僧 の 様 を 示 す 」 と 。 達 磨
大 師が 九 年 間た だ 坐 禅 して い た だけ 。 食 べ る時 は た だ食 べ る だ け。 歩 く とき 、 作 務 の時 、 た だそ れ を 本当
に する 。 本 当に す る 時 、事 実 ば かり で 自 己 が無 い 。 これ が 本 当 の禅 僧 で あり 良 き 手 本で あ る ぞと 賛 嘆 し た。
と も 何と も 言 わ ずに 「 只 」食 べ て い ただ け と 。見 事 。 々 々。 誰 か 知る 、 こ の 消息 を 。
何 か 尊 い 者 が 有 っ た ら 真 の 仏 法 で は な い 。 即 今 底 に 何 物 が あ る と言 う の か 。 徹 し 切 っ て い な い 証拠 だ
ぞ!
自己 無 き を「 行 ぜ ず 」と 言 う 。こ れ が 分 かれ ば 良 い。欓 老 は 何も し て 居ら ぬ 。 食 べて 居 ら ぬ。 聞 い て居
ら ぬ。 「 只 」涙 あ る の み。 こ れを、 法 に お いて 大 自 在と い う 。
老大 師 多 年、 打 成 一 片の 真 髄 を見 せ つ け 、真 の 打 発を 促 さ れ たの だ 。 打成 一 片 と は、 純 一 無雑 に し て真
えぐ
実 丸出 し の 意。 こ こ を 見て 取 れと。欓 老 は 、見 ず し て見 る 底 の 大智 老 尼 に仕 上 げ た いば か り 。身 代 を 尽く
し て、 「 こ れだ 、 こ れ だ」 と 大提唱 を さ れ たの だ 。
道環 老 が 語る欓 老 の 活説 法 は 常に 身 震 い する ほ ど 心底 を 剔 っ て くれ た 。 有難 た や 。 合掌 。
本当 の 事 を本 当 に 知 るか ら 本 当に 安 心 す るの だ 。 本当 に 知 る には 本 真 剣に な ら ね ば得 ら れ ぬ。 本 真 剣は
ま だ精 神 的 エネ ル ギ ー 段階 で あり決 意 で あ る。 気 持 ちに 過 ぎ な い。 だ が これ が 無 け れば 本 当 の修 行 が 出来
な いの で 絶 対必 要 で あ る。 だ がこれ だ け で は何 に も なら な い 。 本当 と は 真実 で あ り 事実 で あ る。 一 切 理屈
も 道理 も な い絶 対 世 界 を本 当 と言う 。 既 に 事実 の 世 界で あ る か ら、 日 常 「今 」 「 今 」を 本 真 剣に 実 地 に行
す れば よ い 。本 真 剣 の 時、 自 我 は無 い 。 「 今」 ば か りに 徹 し 切 った 瞬 間 、本 当 が 顕 現す る の だ。
フンドシ説法
どう し た こと か 老 大 師が 下 痢 され て フ ン ドシ を 汚 され た 。欓 老の 慈 悲 の凄 い と こ ろは 、 そ のフ ン ド シを
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ああ臭!」と。何と言う慈悲徹困だろう!
満腔の熱血を注いで仏法を伝えんとす。ああ、
わ ざわ ざ 大 智老 尼 の と ころ へ 持 って き て 、 それ を 嗅 いで 見 せ 、
くさ
「ああ 臭 !
真 の古 仏 な るか な 。
糞 は 臭 い に 決 ま っ て お る 。 法 は 万 物 で あ る 。 万 物 と は 万 事 で あ る 。 物 の 外 に 見 る べ き 法 も 聞 くべ き 法 も
知 るべ き 大 事も 無 い 。 今の 事 だ。是 の 事 を 、事 ( 法 )丸 出 し で 見せ つ け てい た の で ある 。
老大 師 は 「あ あ 臭 ! 」の 無 自 性空 の 一 声 に身 を 隠 した 。 何 処 にも欓 老 は居 な い 。 ここ が 大 事な 所 で あ る。
趙 州の 「 無 」と 同 か 異 かと 参 究しな け れ ば 解決 す る 時節 は な い 。
或る 祖 師 は礼 拝 す る であ ろ う 。又 或 る 祖 師は 一 見 して 「 あ あ 臭! 」 と 言っ て 立 ち 去る で あ ろう 。 又 、呵
呵 大笑 す る 祖師 も い る であ ろ う。当 然 で あ り言 う ま でも な い か らで あ る
各祖師が対するで あろうそれぞれは皆 、自己無き様子を自 在にして見せて救わ んとした働きである。
「 見性 」 せしめ ん が 為 の涙 で あ り慈 悲 で あ る。 真 意 が本 当 に 分 かれ ば 良 いの だ 。
無相 即 脱 落身 心 に 二 つは 無 い のじ ゃ と 、欓老 は こ れを 知 ら し めた い ば かり に 涙 を 全挙 し て 示さ れ た の だ。
吾人 な ら さし 当 た り 、「 春 風 啼鳥 自 然 の 妙。 烟 霞 影裏 内 海 の 島」 と で も言 っ て お こう 。 老 大師 の 涙 が分
か るや 否 や 。こ れ が 根 本問 題 である 。
トゲ説法
あ あ 痛 い! 」
人になせ人
人 に 成れ 人
これ で も 分 から ん の か!
と 言 わん ば か りで あ る 。
又或 時 、 指に ト ゲ が 刺さ っ た欓老 は 、 指 を抱 え て やっ て 来 ら れ、
「 ああ 痛 い !
人 多 き 人の 中 に も 人ぞ な し
涙が 出 る 示唆 で は な いか !
誰 か 知 る 、 こ の 血 涙 を 。 馬 祖 を 度 す た め に 瓦 を 磨 い た 南 嶽 禅 師 の 再 来 で あ る 。 南 嶽 ・欓 老 の 護 法 の 涙 が
分 かる や 否 や。
なか
趙 州 禅 師 な ら ば 手 を 叩 い て 「 勘 破 了 」 と 。 黄 檗 な ら欓 老 に 、 「 老 婆 親 切 が 過 ぎ る ぞ ! 」 と 言 下 に 一 掌 し
たかもしれぬし、大燈国師ならば、「前三三、後三三と言う 莫 れ」と一括処理したやも知れぬ。誰でも
たて
さ
りゃく
何 時で も ト ゲが 刺 さ れ ば痛 い に 決ま っ て 居 る。 分 か りき っ た こ とを 今 更 言う は 無 用 じや と 。 倶胝 禅 師 なら
さっけ
ば 勿論 「 只 」一 指 を 竪 る のみ 。
ことわ
こ れ ら の 作家 ( 生 々 し い 説 法 ) は み な 祖 師 の 涙 で あ る 。 解 脱 せ し め ん と し て の 作 略 ( 働 き ) で あ る。
これを看取しなければ大法護持は出来ぬ 理 りなのだ。祖師方の真意や如何にと参究功夫しなければ迷雲
を 破る 時 節 到来 は 無 い ぞと 。
「 こ ん な に 懇 切 丁 寧 に 示 さ れ て い た に も 拘 わら ず 、 ワ シ は ま だ 抜 け 切 っ て い な か っ た 時 分 な の で 分 か ら な
にしきぞくぞく
か った 。 「 老師 、 汚 い から 直 ぐ 洗濯 し ま す から 」 と 言う て 汚 れ たフ ン ド シを 取 っ た り、 「 老 師、 バ イ 菌が
はなぞくぞく
入 った ら い けま せ ん か ら直 ぐ 抜 いて 消 毒 し まし ょ う 」と 相 手 立 てて い た と、 大 智 老 尼。
向上の一路、千聖不伝。欓老は凡情聖解、何もかも捨て尽くして大活現前せしめ、 花 蔟 々 、 錦 蔟 々
引 か ぬに と ま る心 ば か り ぞ
( 道 元禅 師 )
( 見事 見 事 、よ く や っ た) と 言 うて 、 泣 い て抱 き し め、 大 法 久 住を喜 び たか っ た で あろ う 。
世 の 中 は窓 よ り い ずる 牛 の 尾の
お 前 は 菩提 心 が 鈍い か ら な !」 と 大 智老 尼 に 一 喝さ れ る こと た び たび
徹 し き ら ん時 は こ んな も ん だ 。徹 し 切 るこ と の 容 易で な い こと を 自 覚 して 、 即 今底 を 練 り、
さす が の 大智 老 尼 も この 時 は まだ 捨 て る べき 垢 ( 悟り の 跡 形 )が 残 っ てい た の だ 。
「 いい か !
し っか り 単 を練 ら ん と だめ だ ぞ!
だ った 。欓 老の 再 来 で ある 。
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花蔟々、錦蔟々
りょうかい
ま
さん ぎん
てん そ゛
ついでだが、ある僧が洞山に、「如何なるか是れ仏」と問うた。「山曰く、 麻 三 斤 」と。当時 典 座
ま
さん ぎん
はく じゅ し
かんしけつ
(食事係)をしていた洞山( 良 价 大師ではない)は、そこに胡麻か麻布が三斤有ったのか、測っていた
の か 、 さ り げ な く 何 の 意 も 無 く 「 麻 三 斤 」 と 応 え た 。 趙 州 の 「 庭 前 の 柏 樹 子 」 も 、 雲 門 の 「 乾屎 橛 」
( 糞か き 棒 )も 然 り だ 。
ぜっ とう
あり っ た けで 天 地 を 投げ 出 し たこ の 一 句 は諸 仏 祖 師方 も 手 が 付か ぬ 。 まさ に 千 聖 不伝 で あ る。 こ の 跡形
の無い絶大な口を「 舌 頭 に骨なし」と禅門で は言う。言語に口無 く、口に言語のない ことである。元古
仏 が言 う た 「有 語 中 の 無語 、 無語中 の 有 語 」と は こ のこ と で あ る。
はなぞくぞく
自己 無 け れば 口 も 心 も何 も 無 い。 何 も 無 いと は 無 限大 と 言 う こと だ 。 つか み 所 が 無い で は ない か 。 これ
にしきぞくぞく
こう りん
はっ す
が「本来本法性、天然自性身」である。その見事さに雪竇禅師はヒザを打って喜び、「 花蔟々 、
錦 蔟 々 」と賞賛したのだ。因みにこの語はあの 香 林 の 法 嗣 (弟子)の智門禅師が言い出した名句であ
る 。香 林 の 師は あ の 雲 門で あ り 、雲 門 四 世 が雪 竇 禅 師で あ る 。
この 智 門 の法 嗣 が 雪 竇だ か ら 、師 匠 の 「花 蔟 々 、 錦 蔟 々 」 を、 ひ と しお 愛 し て いた の だ ろう 。
老大 師 の 涙、 身 代 尽 くし て の 身・ 口 ・ 意 を使 っ て 仏子 打 出 の 護法 護 念 。君 子 は 千 里同 風 で ある 。 誰 か泣
か ざら ん 。 慚愧 、 々 々 。
大智 老 尼 も他 日 大 悟 し、 思 わ ず汗 顔 恐 慌 。そ の 広 大の 慈 恩 に たび た び 涙さ れ て い た。
慈悲の一掌
とや っ て 、
二十 歳 で あっ た 我 が 母も 又 、 本堂 の 片 隅 で執 筆 さ れて い る欓 老の も と へた び た び 独参 に 行 った ら し い。
部 屋へ 入 る や否 や 、 母 の真 剣 さ に呼 応 さ れ てか 、欓 老は い き な り横 面 を ビシ ャ !
「 これ 何 ぞ !」 母 は 咄 嗟に 、
こ れ 何ぞ! 」 とま た ビ シ ャ!
と ひ っ ぱた か れ たそ う だ 。 儒学 者 で 温和 し い 堅物
と やら れ た と か。
「 無の 働 き です ! 」 と 答え た 。 さす が に 自 照居 士 の 娘だ け あ る 。す る と 間髪 を 入 れ ず、
「 能く 言 う た!
母よ り 五 歳年 上 だ っ た岩 崎 達 雄居 士 も 、
「 お前 、 ま だ悟 ら ん の か! 」 と 一喝 さ れ 、 ビシ ャ ッ !
が 、逢 う 度 に叩 か れ た 頬を 、 懐 かし そ う に 撫で な が ら語 っ て く れた 。 菩 提心 を 駆 り 立て る 涙 の一 掌 で あ る。
く 「老 師 は いつ も 真 剣 だっ た か ら、 自 然 に 菩提 心 が 高ま っ た ね 」と 嬉 し そう に 微 笑 みな が ら 語っ た 母 も今
いいうる
いいえざる
や 亡し 。 そ の母 が 言 う には 、 「 優し く て 暖 かい 人 だ った が 、 法 にお い て は厳 し く 怖 かっ た 」 そう だ 。
当然 で あ る。 道 得 も 三 十 棒、 不道 得 も 三十 棒 は 徳 山 底で は な いか 。 徳 山 の上 の 上 ぞ。
ツクツクボウシと野生
母と 大 智 老尼 は 姉 妹 であ る 。 母は 大 智 老 尼を 評 し て、
「 夏に つ く つく 法 師 が 鳴く と ね 、老 尼 は 一 時、 「 ト ウイ ン ロ ウ シ、 ト ウ イン ロ ウ シ と聞 こ え る」 と 言 って
た そう で あ る。 全 山欓 隠老 師 だ らけ と い う こと だ 。
欓老 は そ んな 大 智 老 尼を 、
「 大 智 は 野 生 だ 、 野 生 だ 」 と 能 く 言 っ て い た そ う で あ る 。 不 遜 な が ら 吾 人 も 野 生 と 言 っ た欓 老 を 微 笑 ま し
く 思う 。 そ の通 り だ っ たか ら 。
とに か く 大智 老 尼 は 法し か 無 く、 慈 悲 の 塊り で あ った 。 事 に 当た っ て の直 線 的 な 働き は 子 供の 如 く 無邪
気 で、 常 に 効率 な ど お 構い な し。何 を 言 う にも 躊 躇 は全 く 無 く 善悪 を 超 えて い た 。 常識 を 旨 とし て 見 る限
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り 不条 理 だ らけ で あ る 。と て も 着い て い け るも の で はな い 。 確 かに 野 性 であ っ た 。
しか も 法 にお い て 余 りに も 峻 烈だ っ た た めに 、 義 光老 師 遷 化 され る や 、隨 身 者 は 僅か に な った 。 特 に学
者 系は 寄 り つけ な か っ たよ う だ。
一切 の 小 理屈 は 其 場 で叩 き つ ぶし 、 何 か 説明 じ み たこ と を 言 おう も の なら 即 、 「 それ が い らん の じ ゃ。
又 我を 出 し た! 」 と 即一喝 。
「 本当 の 菩 提心 が 無 い 者は 来 な い方 が 良 い !」 と 大 声。欓 老 ゆ ずり の 菩 提心 と 野 生 は火 の 如 し。 吾 人 は六
を愛 し て 止ま な か っ たの で あ る。
回 破門 さ れ た。 そ の 度 に意 を 決 し、 懺 悔 を して は 入 門を 請 い 逃 げな か っ た。 吾 人 も 結構 な 野 生で あ る ため
か 、兄 弟 親 族か ら 敬 遠 され て 久 しい 。 老 大 師は こ の 野生 女 ?
少林窟道場の産み の親と言ってもよい 立川淨州居士(今は 出家して吾人の弟子 )はどんなことも「は
い 」と し か 言は ず 素 直 に随 っ て いた 。 出 会 った こ と の無 い 純 一 な修 行 者 であ る 。 だ から 絶 対 の信 頼 と 法愛
を 得 て い た 。 そ ん な 彼 が 参 禅 初 期 に 、 「 老 尼は 本 当 に 女 で す か ? 」 と そ っ と 義 光 老 師 に 問 う た と い う 。 大
学 生で あ り なが ら 能 く そん な こ とを ぬ け ぬ けと 聞 い た者 だ と 感 心。 浄 州 居士 は 吾 人 が最 も 信 頼を 置 い てい
る 一人 で あ る。
たい か
じゅ
「 ちゃ ん と 儂が 確 か め て居 る 。 確か に 女 だ った 」 と きっ ぱ り 言 った と 話 てく れ た か ら間 違 い ない 。 だ いた
い 想像 が 付 くだ ろ う 。 まさ に 大 火 聚 (何 も か も 焼 き尽 く す )の 如 し 。 うっ か り 寄り つ か れ ぬ。
温情 や 気 遣い 等 に お いて 母 親 以上 の 母 親 だと 思 う こと は し ば しば あ っ たが 、 女 性 だと 思 っ たこ と は 殆ど
りゅうてつま
し
こ
無い。正に法に男女の相無しである。闊逹自在、本物の野生の、第一級の老古仏である。潙山下の
劉 鉄 磨 を出 ず る こと 七 歩 。 天 下無 敵 の 劉鉄 磨 も 紫胡 に 張り 倒 を され た で は ない か 。
そうしんしつみょう
紫胡 の 有 名な 句 が あ る。 曰 く [一 狗 有 り 。上 人 の 頭を 取 り 、 中人 の 腰 を取 り 、 下 人の 脚 を 取る 。 擬 議せ
ば則 喪 身 失 命 す。 と
( んでもない犬が居る。仏であろうと何であろうとアッと言う間に一切合切食い殺
す。この期に及んでこの凄まじさが分からねば皆即死じゃぞ ]
) 自己無き解脱の凄まじさは全く手が付か
ちょうしゃけいしん
しんだいちゅう
ぬ 意な り 。 彼は 南 泉 下 の禅 傑 で ある 。 犬 も 上中 下 も 意味 は 無 い 。語 句 に 引っ か か る と大 事 に なる 。
そう言えば同じ南泉下の 長 沙 景 岑 もあの仰山を張り倒した。それからみんな 岑 大 蟲 と呼び恐れた。
大 蟲と は 虎 のこ と で あ る。
大智 老 尼 は真 箇 無 敵 であ っ た 。み ん な 能 く泣 か さ れた も の だ 。知 る 人 ぞ知 る で 、 天下 の 大 宗師 も 嫌 がっ
ぶ
ざま
て いた 草 原 の荒 っ ぽ い 大蟲 で あった 。 遂 に 生涯 こ の 山か ら 出 る こと は 無 かっ た 。 慧 中国 師 は 四十 年 山 から
出なかったが、帝に切に望まれてつい出向いた。すると法友から、 無 様 なことをしたと叱られた。上に
は 上が い る もの だ 。
大古 参 連 中曰 く 、 晩 年は欓 老 を超 え て い たの で は と。 八 年ほ ど長 生 き され た だ け 、練 り が 深か っ た こと
は 確か だ 。 分か る が 、欓老 は 完 全に 沒 蹤 跡 故に 比 較 のし よ う が ない 大 境 界で あ る 。 大智 老 尼 の「 信 心 銘提
唱 」等 を 見 れば 分 か る よう に 、やは り 無 礙 自在 に お いて 勝 る と も劣 ら ぬ こと は 確 か であ る 。
大智 老 尼 曰く 、 「 六 祖壇 経 に 、六 祖 に 非 ざる 余 分 な句 が あ る 。誰 か 付 け加 え て 六 祖を 汚 し て居 る ぞ 。こ
しかん
こ がオ ン マ ラカ ( 自 分 の手 の ひら) を 看 る が如 く は っき り 見 え なけ れ ば 本当 の 法 で は無 い ぞ 。今 お 前 に言
う と怪 我 を する 。 自 分 で能 く 看える よ う に 只管 (純粋 ・一 心 ・ 前 後 の無 い 今 )を 練 ろ 」 と吾 人 に 厳命 。
又曰 く 、 「ワ シ は 六 祖が 好 き じゃ の う 。 六祖 も ワ シみ た い に 無学 じ ゃ った ろ う が 。法 は 学 問な ど と は関
係 無い こ と が分 か る だ ろう 。 あの境 界 を 見 てみ ろ 」 と。 慚 愧 、 慚愧 。 合 掌。
いっ き
或日突然、「永嘉大師の証道歌をワシに見せてくれ」と言われ、半日後、「永嘉は 一 期 に差別智
( 地) ま で ぶち 抜 い て おる 。 大 した も ん だ な! 」 と 。そ の 関 心 振り は 数 日続 い た 。 それ か ら 来る 古 参 連中
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を 捕ま えて は、
「 永嘉 は 大 した も ん じ ゃ。 い い か。 先 ず 悟 らね ば い かん 。 そ れ から 悟 後 の修 行 を し て大 成 す るの が 普 通じ
ゃ が、 本 当 に即 今 底 を 大切 に し て徹 し 切 れ ばい っ ぺ んに こ こ ま でぶ ち 抜 ける と 言 う 素晴 ら し い手 本 じ ゃと
い うこ っ ち ゃ。 本 当 に 即今 底 を 練り き る ん じゃ 」 と 眼光 鋭 く 鉄 槌。 続 い ての 言 葉 は 何時 も 、
「 みん な 菩 提心 が 鈍 い 鈍い 。欓 隠老 師 が 泣 いと る わ い。 真 剣 さ が足 ら ん のじ ゃ 」 と 。あ な 恐 ろし や 。
慚 愧 、慚 愧 。 合掌 。
これ し か 無い で は な いか 。 大 智老 尼 の 「 病床 生 活 三十余 年 と 禅の 力 」 をみ れ ば そ の凄 ま じ さが 分 か る。
確 かに 法 有 って 女 で は なか っ た。光 り 輝 く 野生 で あ った 。
火鉢説法
「 どう し て 欓隠 老 師 と 二人 だ け にな っ た か 忘れ た が 、火 鉢 で 暖 を取 っ て いた ら 、欓 隠老 師 が 、
「 手を こ う して お る と 何故 暖 か いの か の う 」と 言 わ れた と 、 道 環老 が 深 く回 顧 し た 面持 ち で 話し 始 め た。
道 環老 は 多 年こ の 事 が 気に 掛 か って い た よ うで あ る 。い や 、 そ の事 が は っき り し た ので 吾 人 に語 り た かっ
た よう で あ る。
「 そ れ は 反 射 熱 と 輻 射 熱 と 言 い 始 め た ら な 、欓 隠 老 師 は 手 を 振 っ て 、
「 そ ん な こ と は 学 者 や 一 般 の 言 う 事 じ ゃ 。 相 手 を 認 めて 説 明 し て は い か ん 。 そ れ ら は 皆 意 識 で 作 り 出 し た
観 念に す ぎ ん」 と 直 ぐ にワ シ の 理屈 を 取 り 上げ て し まっ た 。 そ の時 は よ う分 か ら ん かっ た 」 と、 歯 抜 けの
笑 顔で 話 し 始め た が 次 の瞬 間 、 真顔 に な っ てい た 。
今は 違 う 、と 言 う 確 かな 自 信 が彼 を 輝 か せて い た 。や は り 胸 中に欓 老 の言 葉 は 謎 めい て 潜 み、 芽 吹 くの
を 待っ て い たの だ 。 「 今」 の 無為自 然 で 何 の道 理 も 要ら な い 様 子が 分 か って 、 漸 く 心の 焦 げ 付き が 判 明し
て 暗い 影 が 消え た の だ 。そ の 刹那、 霧 が 晴 れて 清 々 しい 朝 日 に 照ら さ れ たの が 余 ほ ど嬉 し か った よ う であ
る。
すか さ ず 吾人 は 、 何 がき っ か けで その 事 が分 か っ たの か を 聞 いて み た 。す る と や はり欓 老 のち ょ っ とし
た 次の 法 話 が響 き 続 け てい た という 。
「 相手 を 認 める と 自 己 が立 つ 。 そこ か ら 色 々考 え が 発生 し て 今 の事 実 か ら離 れ て し まう ん だ 。自 分 で 問題
を 作っ て 心 が騒 ぐ ん じ ゃよ 。 単 調に な っ て おれ ば 余 分な 雑 物 が 落ち て 無 くな る 」
実に 耳 慣 れ、 聞 き 慣 れた 法 話 であ る 。 だ が理 論 的 だの 科 学 的 など と 知 性優 位 精 神 が勝 っ て いる 限 り この
鳴か ぬ カ ラ スの 声 聞 かば
生 ま れぬ 先 の 父ぞ 恋 し き
言 葉は 理 解 でき な い 。 当時 の 道環老 も そ の 一人 だ っ たよ う だ 。 白隱 禅 師 の歌 に 、
闇 の夜 に
こう な る と如 何 に 知性豊 か で あっ て も ど うす る こ とも 出 来 な い。 心 を 解決 す る に は屁 の 役 にも た た んと
言 うこ と だ 。此 処 で 言 うな ら 知的な 計 ら い を徹 底 打 破す る こ と だ。 打 破 した 瞬 間 、 この 歌 は 明白 と な り笑
っ てし ま う 。お 察 の 再 来で あ る。
「 そし て こ うも 言 わ れ たん だ 」 と。
「 分か ろ う と思 わ ん で いい 。 素 直に な り 、 思い を 捨 てて 、 今 、 今、 淡 々 とし て お れ ばい い ん だ。 こ う して
手 をか ざ し てお れ ば 理 屈無 く 暖 かか ろ う 。 水に 手 を 入れ た ら 冷 たか ろ う 。そ れ が 総 てな ん だ 。単 に 成 れば
い いん だ 」 と。 恥 ず か しな が ら その 時 も ま だピ ン と こな ん だ よ 。そ れ が ずっ と 胸 に あっ た 」 と。
人に 語 れ ば理 解 さ れ ない 多 く の個 人 的 問 題が 誰 に も有 る も の だ。 却 っ て馬 鹿 に さ れる 。 こ の「 道 」 の問
題 は自 分 の 問題 で あ る から 人 に語る 話 で は 無い 。 そ の代 わ り 解 けた 時 は 救わ れ 感 動 した 時 で ある 。 自 分の
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宝 であ り 天 下で あ る 。
「 或る 時 に な。 そ う だ 、ア ン タ の娘 の 薫 ち ゃん を 乳 母車 に 乗 せ て、 い つ もの よ う に 散歩 し て いた 時 よ 。薫
ち ゃ ん が 無 造 作 に 無 心 に 戯 れ て い る 姿 を 見 て ハ ッ と し た 。 そ の 瞬 間 ス カ ッ と し た ん だ 。欓 隠 老 師 の 言 わ れ
た 事が 一 遍 に分 か っ た 。嬉 し か った な ・ ・ 」
嘗て 見 た こと の 無 い 歓喜 に 溢 れた 笑 顔 は 美し か っ た。
「 それ 見 性 ?」 こ こが 大事 な 急 所故 に 真 剣 に切 り 込 んだ 。
「 こん な も んが 見 性 で ある も ん か。 た だ 今 まで 引 っ かか っ と っ た拘 り が 取れ て 、 目 の前 が 明 るく な り とて
も 楽に な っ ただ け の こ とだ 。 ま だ決 着 が つ いと ら ん から ・ ・ 」 と。 良 か った 。 「 見 性」 の 大 事は 容 易 でな
い こと を 能 く知 っ て お られ た 。 これ も 明 眼 の宗 師 に ずっ と 寄 り 添っ て い た功 徳 で あ る。
これ を 「 見性 」 と 言 った ら 例 え義 光 老 師 の長 兄 で あれ 兄 弟 子 であ れ 大 事だ け に た だで は 済 まな か っ たと
こ ろだ 。 そ うし て 一 言 こう 付 け加え て く れ た。
「 欓隠 老 師 が有 り 難 か った な 。 あの 時 が 鮮 明に 蘇 っ て懐 か し か った ・ ・ 。あ の一 言 が有 っ た お陰 だ 。 心か
ら 感謝 し た わい 」 と 。 彼の 涙 は 後に も 先 に も見 た の はそ の 時 だ けで あ っ た。
吾人 も 嬉 しか っ た か ら心 か ら 感謝 し た 。 巨匠 に 手 取足 取 り し て頂 け た こと は 、 充 分で は な いに し て も万
劫 の餓 え が 少し で あ ろ うと 癒 やされ た こ と は法 悦 至 極で あ っ た ろう 。 何 時で も 全 身 で説 法 さ れる 慈 愛 は、
たま
こ ち ら が 明 ら か に 成 る ほ ど に も ろ に 伝 わ っ て く る の だ 。 道 環 老 と 共 に 南 無欓 隠 老 古 仏 に 合 掌 し た 。
焼き芋と太鼓焼き
道環老はとても欓老に可愛いがられたようで、 偶 に来る映画、当時の活動写真とかは皆の憧れであっ
た 。特 に 思 春期 の 子 供 達に 対 し ては そ こ は かと な く 気を 掛 け て いた よ う だ。 た め に 連れ 出 し ては 不 満 を満
足 に導 い て いた の だ ろ う。欓 老 独特 の 教 育 観で あ り 慈悲 で あ る 。
父親 と し て偶 に は 子 供ら に 気 を遣 っ て や れと 言 わ んば か り に欓老 は 義 光老 師 に 、
「 井上 老 師 。今 日 水 戸 黄門 の 活 動写 真 が 来 るそ う だ 。み ん な で 行き ま し ょう や 」 と 声を 掛 け られ た そ う だ。
す ると 義 光 老師 は 、
「 いや ・ ・ 私は ・ ・ 」 とか 言 っ て断 っ た そ うだ 。 吾 人が 知 る 限 り義 光 老 師は 決 し て その よ う な所 へ 行 く方
で はな か っ た。 曹 洞 宗 宗務 庁 よ り師 家 養 成 のた めの 師家 に と の 要請 に も 応じ な か っ た。 自 ら 菩提 心 の もと
に 道を 尋 ね る者 で し か 体得 出 来 ない 根 本 理 由が あ る から だ 。 大 量生 産 可 能な ら 世 は 乱れ る こ とは な い 筈で
あ る。 義 光 老師 は 宗 教 家の 手 本 のよ う な 方 であ り 確 かに 堅 か っ た。 爺 様 譲り で あ ろ うか 。
道環 老 は その 時 の 様 子を 何 時 もの よ う に 目を 輝 か せて 語 っ て くれ た 。 唯一 そ う し た催 し 物 をす る 劇 場が
有 った 。 連 れだ っ て そ こへ 行 く道中 、欓 老 は、
おおくのしま
「 どう も 井 上老 師 は 堅 くて 面 白 みが 無 い な ・・ 」 と かを ボ ソ ッ と言 い な がら ス テ ッ キを こ う して 両 手 で回
し なが ら 行 かれ た と 、 その 時 の 仕草 を し て 見せ て く れた 。欓 老 の天 真 爛 漫が 目 に 浮 かぶ 。
ただのうみ
そ の 頃の 忠 海 は 想像 が 付 か な いほ ど 随 分 と 栄 え て いた ら し い 。 目 の 前 に地 図 か ら 消 さ れ た 「 大久 野 島
」という毒ガス製造所があったからだ。乃木将軍も来られたほどだから、軍事要塞の一つとして重要な
と ころ で あ った ら し い 。
現在 は サ イト に よ っ て「 ウ サ ギの 島 」 と して 世 界 的に 知 ら れ てい る よ うだ 。 そ の ウサ ギ の 数や 桁 違 いに
多 い 。 そ の け な げ な さ は 文 明 病 に あ る 人 に と っ て は 堪ら な い 癒 や し の 島 と の 評 判 で あ る 。 だ が 現 在 こ の 町
自 体は 見 る 影も な く す っか り 衰退し て 、 人 に会 う の もま ば ら だ 。勿 論 少 林窟 道 場 を 知る 者 は 殆ど 居 な い。
お 陰で 世 塵 来た ら ず 、 山自 ず から幽 な り だ 。純 粋 性 を堅 持 す る こと は 容 易で は な い が妙 な こ とで 救 わ れて
い る。
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往時 は 違 って 商 店 街 も多 く 、 風雅 で 作 り のし っ か りし た 入 り 江も あ り 、何 軒 も 居 酒屋 や 屋 台や 焼 き 芋屋
が あっ た 。 勿論 高 級 料 亭も 、 男が遊 ぶ 茶 屋 など も 軒 を連 ね て い たと 聞 く 。吾 人 の 子 供の 頃 は その 面 影 が充
分 有っ た 。 広島 銀 行 の 発祥 は この町 か ら で ある 。
不衛 生 か 栄養 不 足 の せい か 、 昔はな ぜ か 鼻垂 れ 小 僧が 多 か っ た。 道 中 そん な 子 供 がお い し そう に 焼 き芋
を 食 べ て い た 。 立 ち 止 ま っ て 物 珍 し そ う に 眺 め て い た欓 老 は 突 然 、
「 坊、 こ の 爺さ ん に ひ と口 喰 わ せて く れ ん かの う 」 と頼 み 、 反 対側 を ガ ブリ と 一 口 食べ た そ うだ 。 そ し て、
「 坊、 あ り がと う 。 い や本 当 に 美味 い も ん じゃ な 」 と一 言 。 吾 人に 語 っ てく れ る 道 環老 は ス ット ン キ ョウ
の 顔を し て 、
「 いや ー 、 あれ に は 驚 いた な あ 」と 言 い つ つ白 髪 頭 をか き な が ら歯 抜 け した 口 を 大 きく 開 け て大 笑 い し た。
よ ほど 驚 い たに 違 い な い。 分 か る、 分 か る 。ど ち ら の心 境 も 。
南井 居 士 が欓 老 に 離 れる こ と なく 綿 密 に 隨身 し て いた 時 の こ とを こ う 語っ て く れ た。
「 京都 の 街 を歩 い て い たら 太 鼓 焼き を 見 つ け、 そ れ を一 つ 購 入 する や 半 分ち ぎ っ て 「お 前 も 喰え 」 と 言っ
て くれ た の で、 洛 中 の 人中 、 二 人は そ れ を 悠然 と 食 べな が ら 歩 いた こ と があ っ た 。 かた や 堂 々た る 禅 僧で
あ り、 青 年 の自 分 は 少 々恥 ず か しく 思 っ た 」そ う で ある 。
だが 歩 き なが ら 食 べ なが ら 色 々大 切 な 法 話を 聞 い てい る う ち に、 そ ん な気 持 ち は 消え て い たと 。 人 が眼
中 から 消 え てい た の だ 。別 な 言い方 を す る なら 、 自 己が 落 ち て いた の で ある 。 な ん と有 り 難 いこ と か 。
正師 に 参 ずる 功 徳 の 大な る 事は、 日 常 の 上で 自 然 に導 か れ 、 菩提 心 さ えあ れ ば 後 々ま で そ の示 唆 で 救わ
れ るこ と だ 。
碧巖 二 十 三則 の 「 福 慶遊 山 」 をみ る と そ の有 難 味 がわ か る 。 散歩 す る 時で さ え 道 力を 磨 く 。常 に 道 であ
り 、度 衆 生 であ る 。 見 習う べ し。今 の 事 実 を抜 き に した ら 法 も 救い も 人 生も 無 い 。 「今 ・ 只 」あ る の み。
さっけ
良價 は 深 く蔵 し て 虚 なる が 如 く、 君 子 は 盛徳 あ っ て容 貌 愚 な るが 如 し 。こ う し た 偉人 の 活 動を 受 用 と言
い 自 在 と 言 い 作家 と い う 。 こ れ で こ そ 禅 は 活 き て く る 。 し か し 三 輪 説 法 を 自 在 に す る こ と は た や す い こ
菩 提心 、 菩 提心 。
と では 無 い 。欓 老 を 見 習う な ら 、先 ず は 「 今・ 只 ・ 即今 底 」 を 手に 入 れ るこ と で あ る。 と に かく 自 他 や是
非 の念 を 打 ち砕 い て こ そ初 め て 徹す る こ と が出 来 る のだ 。
肝に銘じ魂に銘ず
老大 師 は 徹底 正 法 護 持の 人 で あり 、 徹 底 即今 底 の 人で あ る 。 即処 そ の 時、 そ れ が 法で あ り 真実 丸 出 しで
かっ さく りゃく
かん のう どう こう
あ るか ら 、 縁に 随 い 時 に応 じ て闊達 自 在 、 自由 無 礙 であ る 。 こ とさ ら に 奇異 な 事 を して い る ので は な い。
しゅしょう
なか
なか
ただ自己なく、無礙自在の 活 作 略 をして見せつけ、 感 応 道 交 あらしめたいばかり。これが真の祖師で
あ り欓 老 で ある 。
にちにち
らい はい
くぎょう
げんのう
元古仏曰く、「 種 姓 を観ずること 莫 れ、非を嫌うこと 莫 れ、行いを考うること莫れ、但般若を
そんじゅう
尊 重 する が 故 に 日 々 三時 に 礼 拝 し 恭 敬 し て更 に 患 惱 の心 を 生 ぜ し むるこ と 莫れ 」 と 。
きっさきっぱん
この言誠に重し。菩提心に鞭打ち、打坐して自己を忘じてその真意を体得するしか道はない。
ぎょうじゅうざが
行 住 坐 臥 、 喫茶 喫 飯 、 如 是 の 法 を 見 せ つ け て 、 即 今 底 に あ ら し め 前 後 際 断 さ せ る こ と の 困 難 さ 。 他 を 見
な い力 を 如 何に 培 う か 。容 易 なこと で は 無 い。 老 大 師の 全 体 が 道で あ り 、常 に 身 を 捨て て 満 身そ の も のに
な って 導 い てい る の だ 。
さら に 南 井さ ん は 語 る。
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かみ ざ
「本当に 驚き、 肝に 銘じたこ とがあ った 」と背筋 を伸ば して 真顔で語 り出し た。 自分を 上 座 に座らせ、
老 大師 が 下 座に 下 り 、 私に 両 手 をつ き 、 真 剣に 、
「 仏法 が 無 くな っ た ら 世は 暗 黒 じゃ 。 本 当 に救 わ れ る道 が な く なる か ら じゃ 。 頼 む 。そ の た めに は ま ず自
分 を済 度 し なけ れ ば だ めじ ゃ 。 菩提 心 に 鞭 打っ て 本 真剣 に 坐 禅 して く れ 。・ ・ 大 法 の人 と な り、 戦 争 をな
く し世 界 を 平和 に し て くれ 。 ・ ・頼 む ! 」 と言 わ れ たと 拳 を 握 って 熱 烈 に語 ら れ る 南井 さ ん の目 に は 大粒
の 涙が あ ふ れて いた 。
綿々 密 々 、水 も 漏 ら さぬ 心 々 の風 光 を 得 た南 井 白 巌居 士 は 幸 せ者 で あ った 。 聞 い てい た 吾 人も 自 ず から
涙 が 流 れ 、 二 人 は 拳 を 握 り 肩 を ゆ す っ て 暫 く 泣 い た 。欓 老 に 感 謝 し て 。
希道
百拜
眼前 に 老 大師 の 真 骨 頂、 諸 仏 祖師 方 の 暖 皮肉 を 見 せ付 け ら れ た衝 撃 的 な鉄 槌 が 有 り難 か っ た。 老 大 師が
本 当に 尊 く 、内 心 で は 渾身 の 礼拝を し て い た。
慈悲徹困
大智 老 尼 も又 、 慈 師 の高 恩 を 語ら れ る 時 、能 く 涙 され て い た 。大 法 重 きが 所 以 の 、師 弟 熱 誠極 ま る 慈 愛、
おう ばく
正 に菩 血 提 涙で あ った 。正 装 を して 密 か に 礼拝 し て いる 姿 に 幾 たび か 遭 遇し た 。
道元禅師曰く「礼拝絶えざる間、仏法絶えず」と。 黄 檗 の礼拝コブが如何に尊く有り難いかを知るべ
し。
あせ きびす
定 上座 は 臨 済に 一 喝 を 被り 礼 拝 する 因 み に 大悟 し た 。礼 拝 に 自 己無 き こ とを 自 覚 し たの だ 。 仏法 と は 真実
の こ と 。 こ の大 智 老 尼 の 下 で 弁 道精 進 出 来 る こ と を 誇り に 思 い つ つ 、 感 謝と そ の 任 の 重 さ 、 汗 踵 に 至 っ
て いた 。 今 もで あ る 。
わし
南井 白 巌 (金 治 ) 居 士は 又 、
「金治に頼みがある。 儂 が死んだらのう、骨は差別されて苦しんでいるエタ(差別用語。死語)の墓へ
葬 って く れ 」と 老 大 師 に真 剣 に 頼ま れ た と 。
語る 南 井 さん も 苦 し そう で あ った 。 差 別 され て 苦 しむ 人 た ち に対 し 忸 怩た る 思 い があ っ た から で あ る。
ど こま で も 大慈 大 悲 、 広大 無 量の老 大 師 で ある 。 仏 祖正 伝 の 心 印と 見 れ ば良 い 。
し か し 今 日 に お い て も 、 格 差 社 会 は 限 り な く 進 み 、 子 供 の 苦 痛が 読 み 取 れ な い 教 師 や 親 が 増 え て い る 事
実 は見 過 ご せな い 。 み な教 え ざる罪 で あ る 。道 を 教 える 人 を 作 り出 さ な い罪 で あ る 。人 事 で は無 い 。 我々
修 行者 の 罪 であ る 。 宗 教家 は 本気に な っ て 道を 究 め なけ れ ば 存 在意 義 は 無い 。 老 大 師も 地 下 で泣 い て おら
れ るこ と ぞ 悲し き 。 苦 しい か な、苦 し い か な。
隔て無き道友
「 南天 棒 禅 話」 が 老 大 師の 著 書 であ る 事 は 早く か ら 周知 さ れ て いた 。欓 老と 自 照 居 士は 師 弟 であ り 兄 弟で
あ り、 大 の 酒好 き で あ る。 能 く 出会 い 、 よ く飲 ん で いた し 、 常 にそ の 世 話を し て い た大 智 老 尼は 、 直 接間
接 に大 切 な 話を 耳 に し てい た 。 間接 に と は自照 居 士 より 聞 い た とい う 事 であ る 。
吾人 も 他 言で き な い 大切 な 事 を多 々 聞 か され て い る。 門 外 不 出故 に 今 はこ れ 以 上 語れ ぬ 。
ほど よ く 飲み 、 蚊 帳 の中 で 横 にな り 楽 し そう に 語 り合 っ て い たあ る 時 、老 大 師 が 、今 「 南 天棒 禅 話 」な
る もの を 内 緒で 書 い て いる と 話てい る の を 聞い て い たの だ 。 自 照居 士 に はな ん で も 話て い た よう で あ る。
後 にそ れ を 読ん だ 自 照 居士 が 、
「 やは り あ れは欓 老 で なけ れ ば 書け る も の では 無 い 。南 天 棒 で はと て も 無理 だ 」 と 言っ て い たと 。 因 みに
先 の 軍 医 総 監 で あ り 文 豪 の 森 鴎 外 が 、 「 引 き つ け ら れ て 一 夜 で 読 ん だ 」 と の 逸 話 が あ る本 だ 。 素 晴 ら し い
名 著で あ る 。
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早く か ら 著者 が 誰 で ある か 知 られ て い た のは 、 自 照居 士 の 一 言が あ っ たた め で あ ろう 。 自 照居 士 は 南天
下 では 知 ら れて い た か ら。 も ち ろん 後 語 に欓老 自 身 が詳 し く 書 いて い る が、 あ く ま で南 天 棒 を立 て て 、師
弟 の格 を わ きま え た 美 しい 姿 で あっ て 、 本 心は た だ 仏法 護 持 し か無 い欓 老で あ る 。
真意 は 、 いた ず ら に 禅の 盛 ん なる を 嘆 き 、実 地 に 遠く な る こ とを 恐 れ て「 南 天 棒 禅話 」 を 書か れ た ので
ぜ ん ぴょう ろ ん
ひ
あ る。 実 に 痛恨 の 至 り であ り 、同時 に 我 ら に一 層 の 努力 を 求 め ての 策 励 であ る 。 大 智老 尼 は みな 聞 い てい
た のだ 。
そうじ
「相 似 禅 評 論」なるもの
しっ つう
欓老も自照居士も禅界の乱れを嘆き、とくに 漆 桶 (実力無し)の師家による安売り公案禅に対して 悲
ふん こう がい
憤 慷 慨 すること頻りであったようだ。欓老の著書に「近頃、公案や案件をすっぱ抜いて公表し、猿芝居
禅 を一 掃 し よう と 企 て て居 る 者 があ る ら し い・ ・ 」 とい っ た 主 旨を 拝 読 した こ と が ある 。 そ の語 句 か ら は、
大 いに や れ やれ と 言 う 大賛 成 の 意志 が 横 溢 して い た 。と に か く 大法 護 持 しか な い 老 大師 は と ても 見 過 ごせ
な かっ た は ずで あ る 。
この い き さつ につ い ては 吾 人 は全 く 知 ら なか っ た 。義 光 老 師 が、
「 その よ う なこ と を 企 てて い る 者が 居 る と 、人 事 の よう に欓 老 が言 っ て いた が 、 実 は自 分 の 門人 を 、 点検
が てら あ ち こち の 師 家 に行 か せ て、 大 抵 の 案件 を 集 めて や ら せ てい た 」 と教 え て く れた の で その 存 在 を初
め て知 っ た 。
義光 老 師 によ る と 、 これ ら の 案件 は 白 隱 禅師 を 中 心と し て 東 嶺・ 遂 翁 等門 下 が 集 り、 組 織 化し 問 題 集に
し たて た も のだ と の こ と。 そ の眼目 は 意 根 を打 破 せ しむ る 大 法 護持 へ の 血涙 で あ り 法財 と し たの だ が 、祖
師 の心 血 に 序列 を 付 け 、段 階 を付け た 為 に 大き な 問 題が 発 生 し たの だ そ うで あ る 。
それ が 時 代の 降 下 と 共に 禅 者 の堕 落 が 法 財を ガ ラ クタ に し た のだ と 。 序文 を 見 る と、 そ の 痛烈 さ は 身の
毛 がよ だ つ もの だ 。
欓 老 は と ぼ け て 「 近頃、相 似 禅 評 論 な る けしからんも の を 出 し た 者 が 居 る 」 と。この「けしから ん 」 は
注 意 を 引 き つ け る 論 法 で 、 「 けしかん者を退治する良き法財だから、諸君よく読め」と言うこと
である。
大慧 が 碧 巖集 を 焼 き 捨て た の と真 逆 で は ない か 。 それ は 問 題 が起 き る だろ う 。 案 の定 そ れ がそ の 後 の臨
済 禅の 枢 軸 とな り 、 真 面目 な 修行者 を 狂 わ せる こ と にな っ て し まっ た 。 意根 の 打 破 どこ ろ か 却っ て 意 根の
増 長に 繋 が り猿 芝 居 の道具 と な った わ け だ 。つ ま り 無眼 子 の 師 家の 道 具 とな り 、 学 人を 路 頭 に迷 わ せ る決
定 的な 毒 薬 とな っ た と いう 。 地下に 泣 い て いる の は 大慧 禅 師 ば かり で は ある ま い 。
「 無字 」 一 つ見 て も 分 かる 如 く 、本 当 に 「 ム」 に 成 り切 れ ば 済 むも の を 、あ れ こ れ 知解 情 量 を引 き 延 ばす
よ うに 仕 立 てた 罪 は 大 きい 。 罪 は源 に あ る と言 わ れ ても 仕 方 が 無い 。 だ が猿 芝 居 を やっ て い るこ と の 空し
さ は本 人 が 一番 能 く 分 かっ て い るは ず な の に。 や は り初 発 心 の 真偽 に よ るの だ 。
この悪弊を打破す べく、公案を纏め、 いちいちに解答文と 芝居の仕方を暴露し た。それが「公案回答
集 」で あ り 「相 似 禅 評 論」 で 、 この 手 合 い の者 は 誰 もが 飛 び つ く代 物 で ある 。
「 相似 禅 評 論」 の 序 文 は「 公 案 回答 集 」 の 序文 を 遥 かに 超 え た 極め て 激 しい 仏 道 護 持の 叫 び で貫 か れ てい
る 。大 智 老 尼は そ れ を 見て 、
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「 は は 、 や っ ぱ り そ う か 。 こ の 序 文 は 老 大 師 で な け り ゃ 書 け ん 」 と 。 ま さ し く こ れ は欓 老 を 中 心 に し て 包
道 の士 が 結 集し て 出 さ れた 物 で ある 。 序 文 の内 容 を 確認 し 境 界 の上 か ら 大智 老 尼 が 断定 さ れ たの も よ く分
か る。 菩 提 心と 大 法 護 持の 熱 血 と涙 と 悲 憤 が高 邁 な 文章 で 躍 動 して お り 、尋 常 の 人 が書 け る 内容 で は 無 い。
加え て 言 えば 、 序 文 だけ は 必 読玩 味 、 反省す る 好 資料 で あ り 価値 が あ る。 中 身 は 如何 。 火 中に 栗 を 拾う
の 是非 は 暫 く置 く 。
師家 の 問 いに 答 え た いば か り にう っ か り 読ん で し まう 。 そ れ が怪 我 を する 始 ま り であ る 。 知解 情 量 が心
全 域を 掻 き 回す こ と に なる か らだ。 そ れ を 殺す こ と の困 難 は 本 当の 菩 提 心な く し て はあ り 得 ない 。 書 を悉
く 信ず る は 書無 き に 如 かず と ある。 但 し 、 この 序 文 は必 読 も の であ る 。 見事 な 標 識 であ る 。
本当 の 求 道者 は 一 ペ ージ 見 た だけ で 吐 き 気が す る はず で あ る 。何 故 な ら、 如 何 に 修行 す べ きか 。 如 何に
す れば 迷 雲 を打 破 出 来 るか の 燈 明が 全 く 無 いか ら だ 。大 慧 の 慈 悲を 無 駄にし て は な らぬ 。
めい
投子曰く、「夜行を許さず。 明 に投じて行け」。無闇に暗闇を走り回ると谷底に落ちるか、岩にぶち
当 たっ て 怪 我を す る か ら夜 が 明 けて 行 け と 。明 眼 の 宗師 や 尊 し 。我 等 は ひた す ら 打 坐し て お れば よ い 。ひ
た すら 即 今 底を 護 持 し てお れ ば よい の だ 。
てん けい
天 桂 禅師は学人の内容を点検するために「幽霊を済度してみよ」とぶっかけた。果たせるかな学人は
立 って 「 ウ ラメ シ ヤ ー 」と 猿 芝 居し た 。 こ れで こ の 公案 は 透 る 。師 家 が これ で 室 内 を通 す か ら頭 悟 り の理
屈 屋が ト コ ロテ ン 式 に 出来 る の だ。 俺 は 某 師の も と で「 見 性 」 した と 得 々と 肩 を 張 って 言 う 。な ん と した
こ とぞ 。 理 屈が 紛 々 と し心 の 定 まり が な い から 俗 眼 丸出 し 。 微 塵も 安 心 があ ろ う 筈 が無 い 。 これ が 世 間の
「 見性 」 で ある 。 天 桂 はき つ く 戒め た 。
曰く 、 「 いつ ま で も そう し て おれ 」 と は きつ い 仕 置き で あ る が生 ぬ る い。 吾 人 は すか さ ず 痛棒 を 食 らわ
す こと に し てい る 。 カ ス妄 想 を殺し て 真 実 に生 か す 為で あ る 。 それ で 気 付け ば 儲 け もん で は ない か 。 先般
も 無字 を 体 得し たと 、 得々 と し て相 見 に 及 んだ 。 と んで も な い 傲慢 な 毒 気は 生 活 に 及び 、 周 りが 些 か その
変 人に 困 っ て居 る だ ろ う。 張 り倒す ネ グ チ も無 か っ た。 そ の よ うに し た のも 師 家 で ある 。
何故 こ ん な猿 芝 居 が 禅な の か 。不 思 議 に 思う は ず であ る 。 こ んな 芝 居 は禅 で は 無 い。 こ れ らの 弊 を 打破
す るた め に 言う て お く 。法 は 悟道に よ り 法 と成 る 。 悟る た め に は菩 提 心 のも と に 世 念を 坐 断 し、 意 識 の根
元 を空 ず る しか な い 。 成り 切 って自 己 を 忘 する こ と だ。 そ の 実 際で あ り 体得 で あ る 。吾 人 も この 手 の 者を
何 人も 殺 し てき た 。 殺 すと は 救 うこ と で あ り生 か す こと で あ る 。迷 を 生 み育て る 者 が居 る 限 り、 殺 す 者が
居 なけ れ ば 法の 人 を 腐 らす ば かりだ 。
自己 を 忘 ずと は 、 そ の物 と 一 つに 成 る 。 同化 で あ る。 一 体 で ある 。 よ く、 成 り 切 れと 言 う では な い か。
こ の瞬 間 、 本来 自 己 の 無い こ とが自 覚 さ れ る。 こ の 自覚 症 状 を 「見 性 」 とい う 。
つま り 一 体に な っ た 時が 成 仏 であ り 「 見 性」 で あ る。 済 度 し たと い う こと だ 。 成 り切 っ て 見せ た 猿 芝居
こ こ が参 究 も ので あ る 。 頭で 悟 れ るな ら 学 者 はみ な 悟 る。 そ う は いか ぬ が 故に 意 根 坐断
が 「ウ ラ メ シヤ ー 」 で ある 。 この猿 芝 居 を 打破 し て 済度 す る の が本 当 の 師家 で あ る 。
どう や っ て?
の ため に 皆 命が けで 参 禅弁 道 す るの だ 。
参考 の 為 にも う 一 つ 。こ の 音 を消 し て み よ、 と 言 うの が あ る 。師 家 が 「ゴ ー ン 」 と言 う 。 「ゴ ー ン 」そ
の もの に な れば 「 ゴ ー ン」 は 無い。 「 ゴ ー ン」 と 自 己が 一 つ だ から だ 。 その 理 屈 が 分か れ ば 「ゴ ー ン 」と
言 えば 良 い こと が 分 か る。 そ うする と 「 見 性」 し た と言 わ れ る のだ 。 こ うし て 次 々 にこ ん な 屁理 屈 で 引っ
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張 られ 遊 ば れて 、 猿 芝 居が 師 家 の権 威 の 道 具に 使 わ れる 。 絵 に 描い た 「 見性 」 を 喜 ぶ哀 れ さ 。決 し て これ
を 「見 性 」 と思 っ て は なら ぬ 。
と に か く 「 分 か り た い 」 と 言 う 知 的 要 求 と 「 分 か っ た 」 と 自 分 を 納 得 さ せ る 心 が 捕 ら われ だ と 気 が 付 い
て いる 者 は 少な い 。 こ れが 諸 悪、迷 雲 の 根 元で あ る 。「 分 か ら ない 、 分 かり た い 、 分か っ た 」と い う 意根
を 坐断 し て 初め て 真 相 が露 堂 々とな る 。 こ こを 透 過 せね ば 埒 が あか ぬ 。 無門 関 十 九 則に し か と参 ず る こと
で ある 。 こ こら で 公 案 の弊 害 を知っ て も ら いた い 。 「不 知 」 を 会得 す る のが 禅 の 本 領で あ る 。
岡山 に 吾 人が 尊 敬 し てい た 浅 羽武 一 と い う大 居 士 が居 ら れ た 。浅 羽 医 学研 究 所 の 創設 者 で あり 名 医 であ
り 、ご 子 息 も又 親 勝 り の名 医 である 。 始 め 公案 禅 に て二 十 年 を 失し 、 や がて 法 縁 あ って 少 林 窟に 来 ら れ義
光 老師 の 鉗 鎚を 受 け る よう に なった が、 厚 い公 案 の 垢取 り の 為 に苦 し ん だ。 義 光 老 師亡 き 後 、あ の 烈 しい
大 智老 尼 に 付い て 毎 月 上山 、 霜辛雪 苦 さ れ た。 泣 き の涙 の 参 師 問法 で あ った 。 甲 斐 あっ て 死 の数 年 前 にこ
の 「不 知 」 を得 て 歓 喜 され た 。通年 凡 そ 三 十年 以 上 であ る 。 身 につ い た 弊害 は 斯 く も怖 い も のか と 、 悲し
い 同情 を し なが ら 自 分 の幸 せ に感謝 し た 。 「総 に 知 らず 」 ま で こぎ 着 け るこ と は 容 易な こ と では 無 い の だ。
「 総に 知 ら ず」 と は 前 後が 無 く なっ た 。 「 今」 は 確 かに 「 今 」 なが ら 即 「今 」 は 無 い。 現 実 の有 相 即 無相
を 体 得 し た そ の 喜 び は 大 き か っ た 。 そ の 笑 顔 は 忘 れ ら れ な い 。 大 智 老 尼 の 喜 び も大 き か っ た 。
ちょ っ と 補足 し て お きた い 大 事が あ る 。 現実 は 実 相で あ り 有 相で あ る 。こ れ を 有 りの 侭 信 じ受 け 入 れて
従 い切 る 。 その 物 と 一 つに 成 ること を 言 う 。同 化 で ある 。 自 己 の無 い 実 証で あ る 。 現実 と 言 い実 相 と 言っ
て も縁 の 様 子に 過 ぎ な い。 寄 せ集め の 仮 の 姿だ か ら 塊っ た も の は何 も 無 い。 こ れ を 無相 と い う。 実 相 即無
相 。無 相 即 無我 。 こ の こと を 自覚し た 時 が 「見 性 」 であ る 。
公案 の 弊 を超 え る こ とが 出 来 たの は 浅 羽 大居 士 の 菩提 心 が 強 かっ た か らで あ る 。 思え ば 先 生が 懐 か し い。
曹源 寺 ( 池田 公 の 菩提
誠 実で 本 当 に熱 心 な 方 であ り 惜 しい 方 で あ った 。 と にか く 間 に 合って 良 かっ た 。 安 心し て 死 に任 せ る 力を
具 えた か ら 決し て 迷 わ ぬ。 閻 魔と談 笑 し て 楽し ん だ こと で あ ろ う。 岡 山 市の 名 刹
寺 )に 於 い ての 喪 儀 に 、吾 人 が 次の よ う な 香語 を 唱 えて 引 導 を 渡し た の は何 年 前 の こと だ ろ うか 。 藩 侯の
菩 提寺 故 に 一般 の 葬 儀 をし た 例 はな い 。 浅 羽大 居 士 が初 め て で あっ た 。 ここ 曹 源 寺 にも 参 禅 に来 て い た法
幻化色身依旧朗。
多年研鑽昇龍門。
即 今空 じ た り医 王 翁 な る哉 。 ( さす が 即 今 底を 体 得 した 大 名 医 であ る )
幻 化の 色 身 、旧 に 依 っ て朗 な り 。( 生 死 無 常、 当 た り前 の 真 理 を明 白 に した )
多 年研 鑽 す 昇龍 の 門 。 (こ の 道 のた め に さ んざ ん 苦 労さ れ た )
縁 によ る 。
即今空医王翁哉。
恁 麼の 消 息 総に 知 ら ず 。( 総 て 分か り 切 っ た貴 方 に は、 ご 無 用 、ご 無 用 )
大 海 は 月 を 弄 び 、 我 が 世 界 と し て 遊 ん で居 る 、 そ れ が 貴 方 だ 。
ま るで 毎 日 飄 々と し て 東山 に 出 る 月の よ う に爽 や か で ある 。
そ れで こ そ 。
恁麼消息総不知。
喝
かたりつくしていずとうざんのつき
語 尽 出 東 山 月 哉 。
なみはくうげつをのんでかいちゅうにあそぶ
波 呑 空 月 遊 海 中 。
理屈 か ら 離れ ね ば な らぬ 根 源 的理 由 が 分 かれ ば 、 決し て 理 智 に遊 ん で はな ら ぬ 。 遊ば れ て はな ら ぬ 。そ
の 弊を 打 破 する に は 「 今・ 只 」する の 上 は 無い 。 凡 眼は 哀 れ に も「 不 知 」或 い は 「 総に 知 ら ず」 と 言 われ
れ ば無 力 に して 馬 鹿 に され た と思う 者 も い る。 看 る 眼無 し と は こう い う こと で あ る 。智 藏 禅 師に 「 不 知最
も 親 し 」 と 言 わ れ た 法 眼 禅 師 は 、 こ の 一 句 で 大 悟 さ れ た 。 法 眼 禅 師 は 法 眼 宗 の 開 祖 で あ る 。欓 老 は 、 五 家
七 宗で 法 眼 宗が 最 も 良 い、 と 言われ た 。 禅 の要 訣 は 唯[ 不 知 ] の体 得 に あっ て 他 無 し。
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た だ し 、 や た ら 訳 の 分 か ら ぬ 語句 を 投 げ か け て 学 人 を 翻 弄 す る 師 家 を ぶ っ 飛 ば し た け れ ば 、 台 本 通 り 芝
居 を打 っ て 、ぐ ず ぐ す 抜か し たら間 髪 を 入 れず ぶ ん 殴る 手 段 に はな る 。 その た め な らな お さ ら腹 で 打 坐し
た 力の 方 が 強力 で 効 き 目が あ るぞと 。 古 仏 はみ な 身 命を 掛 け て この こ と を示 唆 し て いる の だ 。
時を 無 駄 にす る は 大 きな 殺 生 戒と 知 る 者 は読 め 。 読む な 。 読 むな 。 読 め。 参 。
棒頭に眼有りや
そこ の 道 場へ は 行 く なと 古 参 が忠 告 し た にも 拘 わ らず 、 菩 提 心熱 烈 な 女性 が 押 し 切っ て 行 った 。 そ れな
り の 自 信 が あ っ た か ら だ 。 そ し て 声 を 枯 ら し て や っ て き た 。 肩 か ら 肩 甲 骨 全 体 、 上 半 身 全体 が 内 出 血 し て
い た。 ど す 黒い 鬱 血 は 胸ま で 廻り、 見 る も 無惨 な 様 子で あ っ た 。訴 え ら れた ら 間 違 いな く 傷 害事 件 で あ る。
警策 で 打 って 良 い 安 全な 箇 所 は僅 か な と ころ し か 無い 。 幾 ら 自発 で 来 たと 言 っ て も、 内 容 を大 事 に し て、
打 つに あ た って は よ ほ ど注 意 しなけ れ ば な らな い 仏 行で あ る 。 一日 に 百 発以 上 滅 多 矢鱈 に 難 癖着 け て 叩か
れ たそ う だ 。骨 膜 炎 に でも 成 ったら 大 変 な こと に な る。 そ れ を 厳し い 禅 修行 だ と 売 りに し て いる ら し い が、
そ の内 健 康 を害 し て 警 察沙 汰 に成り そ う な 乱暴 な 公 案道 場 だ っ たら し い 。だ が 希 望 者は 結 構 居る と の こ と。
むべ
人間 の不 可思 議 さと 言う より 外な い 。ど ちら もど うか し てい ると 言わ れて も 仕方 がな い。 宜 なる 哉。 初
発 心が 正 し くな い と 見 渡し が 利 かな い 為 、 外見 の 厳 しさ に 惑 わ され る こ とに な る か ら気 を つ けた 方 が よ い。
ぶんす
或る 寺 の 上堂 で 、 ひ と見 識 の ある 僧 が 問 答に 及 び 勢い よ く 飛 び出 し て 、
「 蚊子 鉄 牛 を 咬 む 時 如 何 」 と 鉄 牛 禅 師 に ぶ っ か け た 。 こ 奴 一 筋 縄 で は い か ぬ と 見 て 一 手 引 き 、 身 を 縮 め
て 恐れ の ス タイ ル を し た。 こ こ が恐 ろ し い 落と し 穴 であ る 。 そ の僧 、 してや っ た り と調 子 に 乗っ て 、
しゃこ
あま
「 呑却 し 了 る」 と 突 っ 込ん だ 。 意気 は 大 い に良 い 。 鉄牛 は 言 下 に、
「 這箇 の 一 棒 を 余 し 得 た る 。 ( こ の 一 棒 を 受 け 取 り 損 ね る な よ ) 」 と 言 う や 否 や 、 覚 え の あ る 腕 力 で 一
晩秋 の 山 は 如 何 に も 静 か だ 。
( 持ち 物 を 捨て ら 明 白 にな っ た ろう 。 )
(案に悟りを振り回したのを戒めた。)
棒 を喰 ら わ せた 。 と こ ろが 当 た り所 が 悪 く 、即 死 し てし ま っ た のだ 。 即 そこ で 、
紅 葉 落 る 時 山寂々 。
ど んな 所 に も 月は あ る 。
か
芦 花 深 き処月団々。
更 に上 の 上 が有 る を 忘れ る な 。 (ど こ ま でも 油 断 す るで な い ぞ。 )
ろ
提起す向上の那一刀。
真箇 成 り 切 れば 虚 空 も無 し 。
(生 死 も 真如 じ ゃ 。 死に つ く せよ 。 )
虚空砕けて七八片となす。
の一 句 を 以て 引 導 と した 。 見 事な 一 句 で ある 。
鉄 牛 と は 死 な ぬ 、 動 か ぬ 、 何 者 も ど う す る こ と も 出 来 な い 牛 で 、 計 り 知 れ な い 大 力 量 の 英 霊漢 の 代 表 語
こ
わっぱ
と 思え ば 良 い。 こ の 牛 に因 ん で「鉄牛 」 と 言う 同 名 者が 多 い の で注 意 が 要る 名 前 で ある 。
蚊子 は 血 を吸 う 蚊 で 、 小 童 を 言 う。
「 子ネ ズ ミ が虎 に 咬 み 付い た ら どう し ま す か? 」 そ こで 鉄 牛 が 「あ な 恐 ろし や 」 と 恐れ の ス タイ ル を し た。
自 己無 き 自 在さ を 身 を 以て 知 ら しめ た 。 と 同時 に 、 相手 の 力 量 を試 す 恐 ろし い 試 験 薬で あ る 。す る と つい
乗 せら れ て 、
「 虎を 一 噛 みで 殺 し た でご ざ る 」と 大 き く 出た 。
鉄牛 は 間 髪を 入 れ ず 、虎 を か み殺 す ほ ど の大 ネ ズ ミよ り 、 更 に大 き な ネズミ が 居 るこ と を 知れ と 、 一棒
を 与え て 済 度し よ う と した 。 これ大 な る 慈 悲で あ る 。悟 り に ぶ ら下 が っ てい る 見 苦 しさ を 救 わん と し たの
だ 。向 上 の 那一 刀 を 授 けん と しての 涙 で あ って も 、 打ち 所 が 悪 けれ ば 斯 様な 事 故 に なる 。 ま して や 活 句無
き 者が 仏 祖 眼を 生 み 出 し得 る 筈がな い 。 具 眼の 師 が 現れ た ら 正 に命 取 り に成 る こ と は必 定 。
- 38 -
祖岳 門 下 にも 同 名 の 者が い た 。一 度 だ け 遭っ た こ とが あ る 。 南井 白 巌 居士 は 、
あいつ
「 そ ん な に 無 闇 に 叩 く で な い ! と 欓 隠 老 師 に 幾 ら 叱 ら れ て も 叩 く 奴 じ ゃ っ た 。 彼奴 が 熱 烈 に 坐 禅 し て い
る のを 一 度 も見 た こ と が無 い 。 とに か く 叩 きた が る 変な 奴 じ ゃ った 」 と 嘆い て い た 。棒 頭 に 眼の 無 い 者に
警 策を 持 た せて は な ら ぬ。 そ こ もど う や ら その 門 流 らし い 。 危 ない と こ ろに は 近 づ かぬ 方 が よい 。
そこ で そ んな 痛 い 目 に遭 っ て のご 褒 美 な のか 「 見 性」 し た と 言わ れ 、 うっ か り 此 処で 口 に して し ま っ た。
いささ
それから大安売りの「見性」談義が数ヶ月続き、仏法を侮ってはならぬと古参に 些 か虐められることに
成 っ た 。 本 人 は 苦 笑 し な が ら 「 馬 鹿 馬 鹿 し い こ と を し ま し た 。 も う 勘 弁 し てく だ さ い 」 と 本 音 を 吐 い て 終
わ った 。
こん な 妙 な新 興 宗 教 的道 場 が 現実 に あ る 。気 を つ けて 禅 界 を 見守 ら ね ば、 そ れ が 坐禅 か と 言わ れ た ら仏
祖 が気 の 毒 であ り 、 仏 法が 滅 亡する 。 事 は 重大 で あ る。 警 策 の 神聖 と 威 儀さ え 分 か らぬ 者 が 参禅 指 導 など
す べき で は ない 。 先 ず はそ ん な師家 と 無 茶 叩き す る 乱暴 者 を 撲 滅す る 必 要が あ る 。
公案 は こ のよ う に ひ どい こ と にも 使 わ れ るの だ 。 天下 の 真 摯 なる 参 禅 者は 、 決 し て仏 祖 を 悲し ま せ ては
な らぬ 事 を 肝に 銘 じ て 欲し い 。諸仏 祖 師 方 はみ な 灰 頭土 面 、 童 子の 膝 下 を拝 し 、 命 がけ で 修 して 命 脈 を単
伝 され た 偉 人で あ る。 その 人 に して 本 当 の 神聖 さ が 分か り 、 慈 愛を 以 て 指導 が で き るの だ 。 決し て 身 体に
傷 つけ て は 成ら ぬ 。 道 元禅 師 宣わく 、
「 この 行 持 あら ん 身 心 自ら も 愛 すべ し 自 ら も敬 う べ し」 と あ る では な い か。 況 ん や 他人 を や 。況 ん や 仏祖
の 種芽 を や 。
更に み ん なが 仰 天 し たの は 、 「こ の 五 日 間で 悟 り たい か 。 言 うと お り にす れ ば 悟 れる 」 と 。こ う な ると
「 見性 」 を 何と 心 得 て おる か 厳しく 詰 問 せ ねば な ら ない 。 こ こ にど う し ても 正 邪 を はっ き り させ る た めに
法 戦が 必 要 なの だ 。 金 儲け を 企む輩 も 多 く 居る か ら 「見 性 」 大 安売 り の 口説 き に は 余ほ ど 注 意が 要 る 。こ
の よう な 無謀な 事 を 言 うた り し たり す る の は、 祖 師 方の 苦 労 を 知ら な い が故 で あ る 。参 。
菩提心と警策
趣の 変 わ った 警 策 話 があ る 。 是非 聞 い て 貰い た い 。今 言 っ た よう な 馬 鹿話 で は な い。 巖 頭 ・雪 峰 ・ 欽山
の 三人 は 法 友で 常 に 行 動を 共 にして い た 。 巖頭 と 雪 峰は 既 に ぶ ち抜 い た 作家 で あ り 長兄 で あ る。 雪 峰 は菩
提 心勇 猛 、 綿密 な る 苦 心の 人 。巖頭 の お 陰 で千 五 百 人の 衆 を 度 す大 宗 師 とな っ た 人 じゃ 。 欽 山は や や 身体
も 虚弱 な 感 がす る 。 し かも 機 根が鈍 重 で 未 だも た も たし て 二 人 を悩 ま せ てい た よ う だ。
そこ で 二 人は 図 っ て 師匠 で あ る荒 っ ぽ い 棒使 い の 達人 、 徳 山 の処 へ連 れて 行 っ て 開眼 さ せ んと し た 。参
師 聞法 に 当 たっ て 徳 山 の問 い に擬議 し た 瞬 間、 す か さず 徳 山 は 痛棒 を 食 らわ せ た 。 それ 見 た こと か 。 千聖
ひど
も 避け る 、 涙に 任 せ 相 手か ま わずの 徳 山 ぞ 。只 で 済 むは ず が 無 い。 そ こ でも 抜 け な かっ た 。 部屋 へ 下 がっ
た 欽山 が 、
「打たれてもそれは仕方が無いが、余りにも叩き方が 酷 すぎるではないか」と愚痴ったのだ。癖が厚い
と とか く 涙 は分 か ら ぬ 故に 、 つ いヘ タ リ つ いで に 愚 癡が 出 た 。 吾人 も 多 々怨 ん だ 覚 えが あ る 。三 度 や 五度
は 誰 も あ る 筈 だ 。 そ こ で 兄 貴 分 の 巖 頭 が 更 に鉄 槌 を 加 え た 。
「 お前 は 本 当に 情 け な い奴 じ ゃ 。そ れ で も って 後 日 誰か に 、 俺 はあ の 徳 山に 会 っ た など と 言 うな よ 」 と。
師 匠の 尊 い 涙が 分 か ら ぬば か り に、 と か く 偉人 の 顔 に泥 を ぬ る 。そ ん な 事は 許 さ ん とな り 。 さす が 巖 頭な
ら では で あ り大 き な 厳 愛で あ る 。
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私怨 で う っか り 評 す ると 人 格 が露 呈 し て 恥を 千 歳 に残 す こ と にな る 。 慚愧 、 慚 愧 。
きんざんいちぞく
のち 欽 山 は洞 山 良 价 禅師 に 参 じて 大 悟 。 本懐 を 遂 げて 徳 山 の 有難 味 が 本当 に 分 か った の だ 。目 出 度 し、
目 出 度 し 。 碧 巖 五 十 六 則 の [ 欽 山 一 鏃 ] は 小 気 味 の 良 い 法 戦 で あ り 、 確 か な 実 力 が 光 っ て い る 。 だ が次
が あっ た 。
六十 歳 再 行脚 の 趙 州 老古 仏 が この 若 手 に 、更 な る 奧義 が あ る なら 学 ば んと 参 じ て 礼拝 し た 。大 法 の 為に
身 を捨 て て の菩 提 心 で ある 。 聖人中 の 聖 人 であ る 。 これ を 聞 い た巖 頭 が 又々 欽 山 を 叱っ て 曰 く、
「 あの 老 古 仏に 礼 拝 さ せる と は 何事 だ 。 学 ぶべ き は お前 で あ ろ うが 」 と 。持 つ べ き は真 摯 な る法 友 で あ る。
しか し 時 代が 悪 か っ た。 法 難 の時 代 は 暴 君が 好 き 放題 す る 。 あの 英 傑 巖頭 は 河 原 で首 を 刎 ねら れ た 。権
力 者が 自 我 ・欲 望 を む き出 し に する と 、 大 切な 偉 人 をも 気 に 入 らなけ れ ば抹 殺 す る 。世 も 末 であ る 。 嗚 呼。
切ら れ た 時、 「 あ あ 痛た ! 」 と叫 ん だ 。 下手 だ っ たか 殊 更 に 鈍刀 で 切 った か 。 大 悟し た 者 が土 壇 場 でそ
の よう な 羞 恥な こ と を 口に す るとは 可 笑 し いと 巖 頭 を擬 議 し た のが 日 本 の白 隱 で あ った 。
霜辛 雪 苦 の後 、 巖 頭 の真 意 が 分か っ た 時 、ち ょ う ど橋 の 側 で あっ た 。 歓喜 し た 白 隱は 欄 干 に飛 び 上 がっ
て 「巖 頭 ま めだ ま め だ !」 と 高声し た と 自 白し て い る。 白 隠 禅 師に し て こん な 時 も 有っ た の だ。
悟っ た 者 はス ー パ ー マン の 如 きだ と 妄 念 する こ と 白隱 禅 師 に して 是 の 如し 。 痛 い 時は 痛 い に決 ま っ てい
る 。全 身 丸 ごと に な るか、 相 手 立て て 苦 し むか が 、 徹と 不 徹 、 疑と 不 疑 の差 で あ る 。麻 三 斤 と同 か 別 か。
じきげ
形 しか 見 え ぬ者 に は 人 格の 内 容は分 か ら ぬ 。誤 っ て 祖師 を 擬 議 する こ と 莫れ だ 。
誰 か 清 風 明 月 を 疑 わ ん や 。 何 を か 清 風 明 月 と せ ん 。 直下 に 清 風 明 月 を 払 う 。 求 心 止 む 時 、 即 無 事 。 無
事 是れ 貴 人 とあ る で は ない か 。 清風 是 れ 聖 人の 声 。 巖頭 ま め だ まめ だ !
大叢林とは
大智 老 尼 がい き な り 、
「 お前 は 大 叢林 と は 如 何な る を 以て 言 う か ?」 と 。
法し か 無 い大 智 老 尼 には 修 行 者の 日 常 、 今今 が 法 でな け れ ば なら ない 大前 提 が あ る。 い つ も出 し 抜 けだ
か ら油 断 も 隙も 有 っ た もの で はない 。 即 今 底以 外 に 法は 無 い の で当 然 で ある 。 当 然 、煩 悩 菩 提、 生 死 涅槃
を 百雜 碎 し て本 当 の 仏 法を 体 得せし め ん と する 意 気 込み は た だ 護法 の 涙 でし か な い 。常 に 真 剣で あ る から
涙 は厳 の 厳 とな る 。
「 お前 、 こ の少 林 窟 を 小さ く て 貧弱 な 道 場 だと 思 っ て居 る だ ろ う! 」 と 心臓 を 衝 か れた 。 返 答次 第 で はえ
ら いこ と に なる 。
「 さあ 、 ど うじ ゃ 。 言 って み ろ !」
「 例え 百 人 、千 人 居 た とし て も 、真 箇 の 菩 提心 が 無 けれ ば 仏 法 護持 は 出 来な い 。 人 の数 で は なく 、 菩 提心
の 有無 、 強 弱に 有 る の で、 大 菩 提心の 者 が 居れ ば 大 叢林 だ と 私 は思 う 」 。こ れ が 吾 人の ぎ り ぎり 一 杯 の返
答 であ っ た 。
「 お前 、 本 当に そ う 思 って 居 る か! 」 こ の 気迫 は 何 時も 吾 人 の 菩提 心 の 程を 確 か め る、 い や 高め る 熱 勢で
あ る。 真 箇 の菩 血 提 涙 であ る 。 その 眼 光 は 容赦 無 し の、 眉 間 一 寸に 刃 を 突け 着 け て 迫る も の だ。
「 欓隠 老 師 はな 、 一 人 でも 本 物 の菩 提 心 有 る者 が 居 れば 大 叢 林 だと 言 っ たぞ ! 」 大 智老 尼 の 眼に 涙 が 有っ
た。
どう や ら 「そ れ が 分 かっ て や って お る な らま あ 良 かろ う 。 抜 かる な よ !」 の 言 わ ず語 り で 終わ っ た 。立
ち 去る 後 ろ 姿を 合 掌 し て拝 し た 。当 然 、 熱 烈に な っ てい る 。 涙 、涙。 合 掌。
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伝統 あ る 大叢 林 は 沢 山あ る 。 そこ に 祖 心 が有 る か とな る と 、 老大 師 が 少林 窟 道 場 を開 闢 さ れた 故 か らし
ようぎ
て 限り 無 く 怪し い が 、 そん な ことは 吾 人 に も少 林 窟 道場 に も 関 係無 い 。 「只 」 即 今 底の み 。
ばん しょ ことごと
し
しゅっきゃく
汾 陽 は 大 衆 わ ず か に 六 人 。 趙 州 は 二 十 人 。 藥 山 十 人 。 楊岐 派 の 祖 、 楊 岐 会 禅 師 は ぼ ろ ぼ ろ の 荒 れ 寺 に
住 した 。 曰 く、
おく へき そ
おも
りゅう げ
「楊岐たちまち住して 屋 壁 疎 なり。 満 床 尽 く 布 く雪の真珠。うなじを 縮 却 して暗になげく。
ひるがえ
良 久 して 曰 く 、 翻 って 憶 う 古 人 樹下 の 居 」と 。 元 古 仏も こ の 句を い た く 愛し て い る。 龍 牙 曰 く 、
りょうきゅう
「学 道 は 先ず 須 く し ばら く 貧 を学 す べ し 。貧 を 学 して 貧 の 後 ち道 ま さ に親 し 」 と 。
大智 老 尼 は欓 老 の 大 菩提 心 を 全身 に 担 っ て天 地 虚 空を 分 外 と なさ ず 。 惨悔 、 惨 悔 。菩 提 心 、菩 提 心 。
愛すべきにして学ぶべからず
子 供 の 成 長 期 に は そ の 時 ど き の 発 達 摂 理 が あ っ て 、 今 言 う べ き 事 と 、 聞 か せ て は な ら な い事 が あ る 。 教
育 も全 て の 技術 も 教 え その 事 が、今 必 要 か 、妨 げ に なる か 、 大 切な 時 節 があ る 。 算 数な ら 、 先ず 計 算 の仕
方 をき っ ち り教 え て 自 在に 計 算でき る よ う 指導 す る こと で あ る 。先 に 解 答を 教 え て しま う と 計算 す る 気が
し なく な り 、そ の 子 を 駄目 に するか ら で あ る。 特 に 方便 に 就 い ては 早 く から 聞 か せ ては な ら ぬ。 し か し濡
れ 衣を 着 せ られ る 危 険 を避 け る為に 時 期 が 来た ら 必 ず能 く 教 え てお か ね ばな ら ぬ 。
例え が っ しり と 成 長 した 大 人 であ っ て も 、経 験 の 無い 危 険 な 道具 な ど を使 う 場 合 は特 に 注 意が 必 要 であ
る 。無 智 に よっ て 生 ず る予 期 しない 事 故 等 が付き も のだ か ら だ 。怪 我 は する し 、 材 料と 時 間 が無 駄 に な り、
お まけ に 機 械を 壊 し て しま う ではな い か 。 起こ っ て から で は 遅 いの だ 。 効率 よ く 最 速安 全 方 法を 学 ん でか
ら 実地 に 応 ずべ き こ と は言 う までも 無 い こ とで あ る 。
しか し と かく 自 信 過 剰な 者 ほ ど指 導 を 受 けよ う と しな い 者 が 多い 。 人 に向 か っ て 言う こ と は好 き で 巧み
で も、 人 か ら言 わ れ る こと も 、人の 言 を 聞 くこ と も 嫌い な 者 が 居る 。 こ れら は 常 に 批判 的 な 聞き 方 し か出
来 ない 輩 だ と思 っ て 間 違い な い。彼 ら は 明 らか に 精 神の 歪 で あ り徳 性 の 低さ と 不 安 定性 が 原 因で あ る 。菩
提 心が 無 け れば 大 方 こ のよ う になって し ま う。 要 す るに 年 と 共 に自 我 が 強く な る と 言う こ と だ。
自己 を 究 める に は 何 と言 っ て も菩 提 心 が 無く て は なら な い 。 そし て 正 しい 方 法 が 無く て は なら な い 。そ
れ には 熟 達 した 指 導 者 が必 要 である 。 何 で も教 え れ ば良 い と い うも の で はな い 。 弘 法大 師 も 、言 う べ きは
わきま
言 え、 言 わ ざる べ き は 言う な 。つま り 是 か 非か を 弁 えよ と 。
ここ に 記 す吾 人 も 容 易で は な い。 事 が と ても 危 険 で有 る こ と を先 に 伝 えて お か な けれ ば な らな い か ら、
前 段 が 斯 く 成 っ た 。 そ れ は 次 の 評 唱 で あ る 。 こ こ に 極 め て 峻 厳 で大 切 な 老 大 師 の 示 唆 を 記 し て お き た い か
ら だ。 謹 ん で読 ん で も らい た い。
曰く 、 「 一休 ・ 良 寛 の禅 は 愛 すべ き に し て学 ぶ べ から ず 」
諸人 、 如 何と 看 る や 。老 大 師 の言 葉 で あ る。 偉 人 の涙 で あ る 。我 等 に 仏祖 の 誹 り を受 け さ せぬ よ う 切実
な 菩血 提 涙 の吐 露 で あ る。 早 くから 吾 人 は この 言 葉 を耳 に し て いた 。 聞 く人 の 内 容 によ っ て は怪 我 を する
危 険を は ら んだ 劇 薬 で ある 。
欓老 は 両 師を 否 定 し てい る の では な い 。 立派 に 一 隻眼 を 具 し た宗 師 で ある こ と を 充分 う け がっ た 上 で、
自 己 の胸 襟 よ り 持ち 来 た って 、 仏 道 護持 の 大 切な 本 分 よ り照 ら し て看 る こ とで
大 切 な 言 外 の 消 息 を 我 等 に 知 ら し め て い る 。 こ れ を 上 乗 の 作 家 と 言 う 。 作 家 と は 優 れ者 の こ と で あ る 。
畢竟 な ん であ ろ う か ?
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あ る。 解 決 策は た だ 一 つ。 身 命 を賭 し た 菩 提心 の 照 魔鏡 に し か 寄る 辺 は 無い 。
もし 見 過 ごし て は 成 らぬ こ の 一訣 を 見 い だせ ば 、 はや 道 を 誤 るこ と は 無い 。 何 を 愛す べ き か。 何 を 学ん
で はな ら な いか 。
両禅 師 の 心眼 は 明 晰 であ る こ とを 重 ね て 言っ て お く。 決 し て 軽く 看 て はな ら ぬ と 言う 事 で ある 。 老 大師
の この 一 句 が心 底 よ り 有り 難 く なる 時 節 を 欓老 は 待 って い る の だ。 両 師 が欓 老 に 出 会っ て 居 れば 全 く 変わ
っ たで あ ろ う事 を 確 信 する 。
要点 は ど こま で も 初 発心 を 忘 れて は な ら ぬと 言 う 事だ 。 大 燈 国師 の 「 吹毛 常 に 摩 す」 を 時 時と せ よ の底
意 、容 易 で はな い ぞ と 。吹 毛 とは吹 毛 剣 の こと 。 一 吹き で 刃 上 の鳥 の 毛 がス カ ッ と 切れ る 法 剣で あ っ ても
磨 き続 け よ と。 臨 濟 大 師も 死 に望ん で 曰 く 、「 吹 毛 用い お わ っ て須 く 磨 すべ し 」 こ れが 有 り 難い 。
法有 る を 知っ て 、 身 有る を 知 らず だ 。 忠 (誠 実 ) を以 て 禅 と 為し 、 孝 (実 行 ) を 以て 戒 と 為す 。 厳 を以
て 愛と 為 す が法 で あ る 。慈 愛 が即治 生 産 業 とな り 世 の光 明 と 成 らね ば 禅 の価 値 は 無 いぞ と な り。
ドンブリ酒
諸人 、欓 老の 厳 愛 が 見え た か 。参 。
かいちん
開 枕 後(叢林は九時眠りにつく)の或る寒い夜坐。欓老と自照居士、互いに身を忘れての打坐。そこ
へ 南天 棒 は 二つ の ド ン ブリ へ な みな み と つ いだ 酒 を 持っ て 現 れ 、
「 是れ を 飲 んで や れ や れ! 」 と 。
禅に 道 徳 論な ど を 持 ち出 す 輩 は法 を 滅 ぼ す者 と 知 るや 知 ら ず や。 道 徳 論は 常 識 論 であ り 単 なる 因 果 論の
範 疇に 過 ぎ ない 。 無 縄 自縛 で ある。 こ れ を 超越 す る 道は 因 果 の 無自 性 を 体得 す る こ と。 即 わ ちそ の 物 に成
り 切っ て 「 見性 」 す る こと で ある。 事 の 大 事さ は 天 地の 差 で あ る。
こう い う 話を さ れる 時の 大 智 老尼 の 眼 は 、「 只 」 聞い て い る か否 か 。 自己 な き 様 子を 伺 っ てい る 殺 気人
の 眼光 で あ る。 恐 ろ し や、 恐 ろしや 。
みょうもんりよう
事の 善 し 悪し は 縁 次 第、 人 次 第で あ る 。 それ を し て力 と 為 し 菩提 心 と 為せ ば 何 ぞ 嫌う 底 や あら ん 。 もし
縁 に流 さ れ る鈍 根 の 者 なら ば 、見聞 覚 知 の 奴隷 と な り 名 聞 利 養 の 世 俗 の 念か ら は 救わ れ ぬ 。
もと
立場 ・ 酒 ・女 ・ 金 ・ 名誉 も 縁 に過 ぎ な い 。囚 わ れ たら 一 生 を 棒に 振 る やつ で あ る 。薬 毒 同 時で あ る 。し
かし世を荘厳している必要な要素である。用い方一つでどちらにもなる。菩提心の 本 には用は無い。こ
れ を活 か し て実 地 に 救 いと な す のは 打 坐 で 鍛え 抜 い た力 の み で ある 。
ドン ブ リ 酒の 味 は 如 何に と 。 知る も の は 語ら ず 。 「常 に 星 を 見る 人 、 語を 用 い ず 」と 古 人 も言 っ て いる
で はな い か 。自 ら 足 っ て他 を 見ず。 「 今 」 「只 」 あ れと 言 う こ とだ 。 「 即念 を 練 る 」と も 言 う。 君 も やれ
と 言う こ と だ。
そうりん
叢 林の食事とタコ刺し一杯
欓老 は 大法護 持 の た めの み の 方で あ る 。 つま り 上 求菩 提 、 下 化衆 生 そ の人 で あ る 。こ の 心 身有 っ て の衆
生 無 辺 誓 願 度 、 煩 悩 無 尽 誓 願 断 、 法 門 無 量 誓 願 学 、 仏 道 無 上 誓 願 成 が 達 成 で き る 。欓 老 の 菩 提 心 と は こ の
実 行で あ る 。
或る 時 、 大智 老 尼 は 発心 寺 の 老大 師 を 尋 ねた 。欓 老は 顔 を 見 るや 、
「 よう 来 た 。さ あ 上 が れ。 と 言 って 私 の 手 を引 っ 張 り上 げ る よ うに し て 、い き な り 生卵 を 二 つ、 コ チ ッと
割 り、 お 椀 につ い で 醤 油を ち ょ ろっ と 落 と して 、
「 さあ 、 こ れを 飲 め 」 と言 う て 勧め て く れ た。
その 時 の 嬉し か っ た こと 、 有 り難 か っ た こと 。 今 でも よ う 忘 れん 」 と 。
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しょう
それはそうであろう。老大師の慈悲と菩提心を頂けば万劫の餓えを 消 ずだ。それにひもじいぐらい辛
い こと は 無 い。 貧 す れ ば貪 す る の格 言 は 正 し。
そう りん
叢 林 の食事に対しては少なからず心配していたようである。医者としては栄養面において見過ごすわ
け には い か ない の は 当 然で あ ろ う。
吾 人 の 叢 林 時 代 は 東 京 オ リ ン ピ ッ ク 直 前 の 時 。 バ ブ ル の 始 ま る 前 で あ っ た 。 朝 は 天 上 粥 、昼 一 汁 一 菜 、
晩 は素 麺 だ け( う ど ん のみ ) 。百日 禁 足 の 間は 厳 し い。 新 参 者 は栄 養 失 調に な っ て 当然 の 状 態で あ っ た。
古 参は 立 場 上融 通 が 効 くか ら 危惧す る に は 及ば な か った が 、 却 って 放 縦 にな り 、 界 隈は 不 埒 な雲 水 で 成り
立 つ悪 弊 は 恥ず べ き 姿 であ っ た。
平成 の 今 日は 如 何 様 な叢 林 食 かは 分 か ら ぬ。 が 、 我が 道 場 に ても 明 ら かに 昔 と は 違う 。
当時 の 勝 運寺 も 粗 食 は自 慢 に 値す る ほ ど 際立 っ て 貧し か っ た 。病 体 の欓老 は 補 い の為 ち ょ くち ょ く 出か
け 、タ コ 刺 で一 杯 や っ てい た そうで あ る 。 この 地 の タコ が 特 に 気に 入 っ てい た よ う だ。 老 尼 曰く 、
「 欓隠 老 師 は御 医 者 さ んじ ゃ ろ う。 口 が 肥 えて い た から の う 。 それ に 病 上が り の 体 じゃ ろ う 。書 き 物 など
で 無理 さ れ てい た か ら 必要 じ ゃ った 」 と 。 吾人 が 中 学よ り 小 僧 に出 さ れ たの も 極 貧 故に 口 減 らし の た めで
あ った 。
この 身 を 養っ て 行 く 上で 、 人 々の 体 調 や 様子 が あ るし 、 食 の あり 方 に して も 決 め て縛 る は 融通 と 働 きを
阻 害す る の で、 時 に は 体の 要 求に従 っ て 食 する 方 が 良い こ と も ある 。 病 とも な れ ば この こ と はと て も 大事
で ある 。欓 老に は タ コ 刺し と 一 杯は 確 か に 必要 だ っ たの で あ る 。今 今 の 事実 が 法 で あり 命 で ある 。 こ れを
自 在に す る のが 救 い で ある 。 解 脱の 働 き を 言う 。こ の身 を 忘 れ て自 在 に する こ と と 思え ば 良 い。
思い は は る ゝ身 は す つる
浮 世 の空 に か ゝる 雲 な し
呵々大笑
笑い 話 つ いで に 一 言 。瀬 戸 内 海の 幸 は タ コだ け で はな く ど れ も美 味 い 。だ が 高 い ぞ。 さ れ ど美 味 い 。
あ ら楽 し
欓老と酒
欓 老 は 南 天 棒 同 様 、 酒 を う ま く 活 か し て 大 活 躍 を さ れ た こ と は 有 名 で あ る 。 「欓 隠 禅 話 集 」 は 「 南 天 棒
禅 話」 や 「 参禅 秘 話 」 「参 禅 漫録」 以 上 に 面白 い 。 「酒 禅 」 の 章が あ る 。「 釈 尊 の 飮酒 観 」 や「 古 英 雄の
酒 」と か 、 「酒 と 禅 僧 」な ど と色々 博 覧 強 記に ま か せて 意 義 あ る酒 法 談 が満 載 。 そ こで 自 分 の事 を 次 のよ
う に言 っ て いる 。
「 六十 五 年 の習 慣 だ か ら絶 対 禁 酒も 悪 か ろ うと の 説 もあ る か ら 、一 杯 だ けを 許 し て もら う つ もり だ 」 と自
己 申告 を 宣 言し て お ら れる 。 毎 日一 杯 は 飲 むぞ と 。 本題 は 次 で ある 。 面 白か っ た ら 笑っ て 欲 しい 。
欓老 の 行 くと こ ろ は 大禅 会 で ある 。 東 京 駅に 迎 え に来 て く れ た法 友 と の再 会 の 喜 びに 加 え 、遠 路 を 労う
た めに 即 一 献と 相 成 っ た。 こ れは分 か る 分 かる 。 現 在と 違 い 大 阪か ら 十 二時 間 以 上 もか か っ てい た 時 代で
あ るか ら 、 その 意 気 や 察す る に充分 で は な いか 。 誰 でも そ う す るは ず だ 。
しか し だ 。こ れ は 僕 がお ご る 。で は 今 度 は私 が お ごるよ 。 こ れが 続 き 次代 に ボ ル テー ジ も 上が っ た よう
だ 。愛 飲 家 の常 で あ る 。実 に 愉快だ し 結 構 なこ と だ 。問 題 は 次 だ。
会場 に つ いて い ざ 提 唱を 始 め よう と し た ら酩 酊 し て出 来 な か った 。 よ ほど 興 に 乗 り一 献 が 過ぎ た よ うで
あ る。 さ す が欓 老 だ と 感心 敬 服 した の は 、 吾人 が 聞 いて い た 通 りを 、 正 直に 書 い て 「大 乘 禪 」誌 だ っ たか
に あけ す け に公 表 さ れ てい た ことだ 。
自分 の 失 態を 素 直 に 詫び な が ら、 そ れ を 法財 と し て闊 達 自 在 に巧 み に 説か れ て い たの に は 如何 に も 余裕
し ゃく し ゃ くた る 威 厳 と威 光 を 感じ た 。 自 己無 き 大 自在 底 の 働 きや 是 の 如し 。欓 老 なら で は と感 服 し た。
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ま あ読 ん で みる こ と だ 。
これ ら は 聞い た 話 で はな く欓 老の 一 文 で ある 。 つ いで だ か ら 載せ て み る。
[ 馬琴 曰 く 、「 一 杯 は 人酒 を 飲 む」 ( 許 す )。 「 二 杯は 酒 酒 を 飲む 」 ( 無駄 じ ゃ 、 許せ ぬ ) 。「 三 杯 は酒
人 を呑 む 」 (罪 の 上 の 罪) ] と ある 。 こ こ らは欓 老 の酒 観 で あ り全 面 同 感の ご 様 子 であ る 。
弘法 大 師 も厳 寒 の 際 は酒 一 杯 を許 す と あ る。 ま た 、李 白 一 斗 詩百 編 と か、 ゲ ー テ も半 生 に 葡萄 酒 一 万本
ひと しお
飲 んだ と か 、芭 蕉 も 黄 門様 も 、 山岡 鉄 舟 も キリ ス ト も、 孔 子 も嗜み つ つ 大活 躍 の 力 にし た こ とな ど 、 その
博 学多 才 な 知識 に は 驚 くば か りであ り 面 白 さは 一 入 で ある 。
しか も 今 上げ た 全 て の書 籍 は 記憶 だ け で 書か れ た 物だ 。 所 々 に記 憶 違 いも あ る が 極上 の 内 容か ら す れば
一 切 問 題 で は 無 い 。 但 し 、 引 用 す る 段 に は 一 考 し た 方 が 良 い 処 も あ る 。 そ れ に し て も欓 老 の 記 憶 力 と 博 学
や 驚く ば か りで あ る 。 我れ も あやか り た し 。
すま
欓 老 の 結 論 と し て 、 酒 は 人 々 が 自 由 に す べ き も の だ が 、 決 し て 過 ご し て は な ら ぬ と 、 医者 と し て 立 派 に
臨床的に詳しく説かれている。面白いだけでは 許 されない。酒に礼節ある者は酒に飲まれることは無い。
欓老 が 生 身を も っ て 活説 法 さ れ示 さ れ た 慈悲 や 涙 なし で は 許 され ぬ 。 され ど あ な 面白 や 。
自照 居 士 曰く 、 「 儂 は八 歳 の 時分 よ り 呑 んで 居 る 。そ れ を 今 更止 め よ とは チ ト 無 理だ 」 と 。直 ぐ 隣 り当
た りの 親 戚 に造 り 酒 屋 があ っ た。ハ シ ゴ を 登り 、 麦 わら の ス ト ロー を 突 っ込 み 、 出 来た て の ほや ほ や を幼
小 よ り 嗜 ん で い た と 聞 い て い る 。 何 と 、 時 代 の 違 い と は 言 え こ ん な に 子 供 達 は 自 由だ っ た の か と 感 心 し た 。
しょうやぜんきげん
しやぜんきげん
実 に能 く 道 を愛 し 酒 を 愛し 、 常に法 談 し て 楽し く 飲 まれ た 人 で あっ た 。
「南船北 馬五十九年。 生 也 全 機 現 、 死 也全機現 」 と 、 自 分 の 棺 桶 の 蓋 に 自 ら し た た め 、 五 十 九 歳 に し て 人
世 の幕 を 閉 じた 。 癌 だ と聞 い て いる 。 こ の 見事 な 絶 筆の 上 品 な 棺桶 蓋 は 今も 勝 運 寺 のど こ か にあ る 筈 であ
る 。本 堂 の 片隅 に ず っ と掲 げ ら れて い た の で能 く 覚 えて い る 。
欓老 の 弔 電に 曰 く 、 「君 、 笑 って 瞑 せ よ 」と 。 自 照居 士 は 母 方の 爺 様 であ る 。
頑固 爺 様 は、 正 月 三 日間 は 一 日に 一 升 は 呑ん で い たと 義 光 老 師よ り 聞 いて い る 。 吾人 の 酒 好き は 父 方の
あ の頑 固 爺 様と 母 方 の 爺様 譲 りにて 、 遺 伝 性で あ る こと は 間 違 いな さ そ うで あ る 。 今の と こ ろ酒 で 体 を壊
し たり 入 院 など は し た こと が ない。 そ れ ほ ど飲 ん で は居 な い と 言う こ と だ。
だが 一 度 も遭 っ た こ とも 無 い のに 、 飲 み 過ぎ て 三 度も 入 院 し た、 な ど と書 い て 誹 謗す る 者 が居 る の には
慨 嘆す る 。 暗闇 か ら 石 を投 げ る卑劣 の漢 に 成る 莫 れ だ。 法 縁 の 無い 者 は 可愛 そ う に 思う 。 本 当の 意 味 で自
分 を大 切 に して 貰 い たい。 自 己 を捨 て る 勇 気が 無 け れば 本 当 の 自分 を 大 切に は 出 来 ぬ。 と に かく 菩 提 心を
増 長す る よ う飲 め ば 最 高で あ る。
吾人 常 に いう 。 或 る 時は 食 欲 増進 剤 、 或 る時 の 一 杯は 疲 労 回 復剤 、 或 る時 は 睡 眠 剤と 自 己 弁護 。
酒話 で 義 光老 師 の 暴 露談 を 思 い出 し た 。 自照 居 士 は実 に 筆 達 家だ っ た 。南 天 棒 に 厚遇 さ れ てい て 、 参禅
に 行く と 一 杯勧 め ら れ ては 代 筆をさ せ ら れ てい た そ うで あ る 。 その 数 も 三百 や 五 百 どこ ろ で はな か っ たと
の こと 。 貰 った 者 は 偽 物を つ かまさ れ た 事 に成 る 。 忙し い 南 天 棒を 擁 護 した 故 の こ と。 悪 気 は無 い の で少
呵々 大 笑 。
し ばか り 同 情す る 。 と ころ で 贋物との 見 分 け方 だ が 、妙 に 達 筆 だっ た ら 自照 居 士 の もの だ と 思っ た ら 良 い。
枯 れ 枝 さ がす 花 の 中
下 手く そ 物 が本 物 と 言 うこ と だ。
キ ツツ キ や
父の苦笑
欓隠 老 師 は東 大 医 学 部次 席 卒 業者 で あ る 。神 童 と して 誉 れ 高 く幼 小 よ り大 部 の 書 籍を 読 み 漁っ て 居 られ
た と言 う 。 博覧 強 記 と は将 に欓 老の こ と で あろ う 。 家系 が 医 者 系だ っ た らし い か ら 知識 は 想 像を 遥 か に超
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え てい た に 違い な い 。 漢字 に 就 いて も そ の 造詣 は 相 当の 実 力 者 であ る 。
槐 安 国 語 提 唱 録 で 、 大 燈 国 師 の 或 る 文 字 に 対 し て も の 申 し 不 適 正 を 論 じ て お ら れ る 。境 地 互 角 な の で 臆
す るも の は ない 。 勿 論 槐安 国 語は関 山 国 師 が中 心 に なっ て 編 纂 され て い るの で 、 両 国師 が 間 違っ た と も思
え ぬ。 が 見 逃さ ず 指 摘 され る 鋭さは さ す が であ る 。
ね
だ
それ 程 の 方で あ れ ば こそ の 知 識と 境 界 で 提唱 さ れ てい る の だ から 素 晴 らし い 。 吾 人の 父 も 尊崇 置 く あた
わ ずだ あ っ た。
ちゅうかい
或 る 時 、 そ れ で は 自 分 も と 、 欓 老 の 博 学 に 期 待 し て 「 号 」 を お 強請 り し た そ う だ 。 す る と 欓 老 は 何 の
ただのうみ
躊躇も推敲もなく、「そうだ。 忠 海 だから 忠 海 にしよう」と、あっさり「忠海」と付けたそうである。
こ のこ と を 道環 老 よ り 聞か さ れ た時 、 そ ん な面 白 い こと が 有 っ たの か と欓老 の 別 の 顔を 知 っ た。 こ れ は愉
快 だぞ と ば かり 早 速 父 に真 偽 を 確か め に 行 った 。 無 風流 な 記 憶 の出 現 に 些か 困 惑 し てい た 父 の顔 が 可 愛く
て おか し か った 。
ちゅうかい
「 ほ ん ま に欓 隠 老 師 は さ っ ぱ り し て い た な 。 な ん ち ゅ う て も ひ と っ つ も 考 え る こ と 無 し に 忠 海 と 来 たわ
い 。 断 る わ け に も い か ず ・ ・ 」 初め て の 最 後 の 顔 で あ っ た が 、 吾 人 の 表 現 を 以 て す る と 、 蘊 蓄 の 腐 り か け 。
欓 老の 電 光 石火 と 途 轍 もな い 無 邪気 さ を 理 解し か ね 、多 少 の 不 満も 漂 っ た顔 だ っ た 。
ただのうみ
ちゅうかい
「 それ で 忠 海の 号 を ど うし た ん です か ? 使 いま し た か? 」 と 意 地悪 く 吾 人が 聞 く と 、
ちゅうかい
「ただのうみだから 忠 海 には違いないが、 忠 海 だから 忠 海 という号ではな・・」と訳の分からぬ困
り 方の 返 事 であ っ た 。 笑っ て し まい そ う な その 「 号 」と そ の 付 け方 こ そ欓老 の 専 売 特許 で は なか ろ う か。
名 は体 を 現 す、 と 言 う が欓 老 に はそ ん な ケ チな 名 も 体も 無 い 。欓老 の 一 言一 句 は 全 て純 金 で ある 。
父 の 切 な る 願 い は 「 忠 海 」 で 終 わ っ た が 、 大 智 老 尼 の 「 大 智 」 も 兄 の 「 龍 山 」 も欓 老 が 名 付 け 親 で あ る 。
普 通名 前 は その 人 柄 を 重ね て みるも の だ か ら、 希 望 や願 い が 大 きい ほ ど 含蓄 が あ っ て喜 ば れ る。 吾 人 もあ
ば
わ
わ
る 程度 漢 字 をい じ る の でそ の 点は多 少 考 慮 して [ 号 ]を 付 け て いる 。
ば
と こ ろ が 欓 老 に と っ て 名 前 は 他 と 区 別 す る た め の 婆々 和 々 、 つ ま り 音 の 符 牒 に 過 ぎ な い 。 言 っ て み れ
ば 何で も 良 いわ け だ 。 名相 に 囚 われ な い と は元 来 こ の事 を 言 う のだ か ら 、笑 う わ け には い か ぬ。
何の 意 も 無い 程 美 し く尊 い も のは な い 。 将に欓 老 即「 法 」 で ある 。 父 には 本 当 の欓老 が 大 き過 ぎ て 見え
な かっ た の だ。 信 頼 尊 敬も そ の程度 で あ っ たこ と は 残念 で あ っ た。 徹 底 には 自 己 は 無い 。 こ こに 修 行 の内
容 が現 れ る とい う も の だ。
「 申し 訳 な かっ た が 一 度も 使 っ たこ と が 無 いな ・ ・ 」と 、 後 悔 にも 似 た欓老 と の ほ のぼ の と した 思 い 出の
ひ と品 で あ った 。 父 の 「号 」 は 元古 仏 二 世 の孤 雲 禅 師を 慕 っ て いた の で 「孤 雲 」 と 自分 で 付 けた も の であ
る。
「 大智 」 は欓隠 老 師 の 弟子 と な り出 家 す る 時に 与 え られ た も の だ。 と こ ろが 爺 様 は 「大 智 」 など と は 不届
千 万、 も っ ての 外 だ と 却下 さ れ たら し い 。 有名 な 「 大智 禅 師 」 を汚 す と 受け 取 っ た よう で あ る。
とこ ろ が 「老 大 師 が 折角 付 け てく だ さ っ た名 前 だ から 」 と 毅 然と し て あの 頑 固 爺 様の 言 を 退け た 。 さす
が に欓 老 が 見込 ん だ 野 生の 道 人 であ る 。 「 忠海 」 「 大智 」 「 龍 山」 と 並 べて み る と 結構 な 号 とも 思 え る が、
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ちゅうかい
老 大 師 の 人 格 よ り イ メ ー ジ に 落 ち た 父 の 気 持 ちも 分 か ら ぬ で も 無 い 。 躊 躇 無 し の 「 忠 海 」 、 何 と な く音
調 が似 て い て欓 老 の 豪 放磊 落 、 闊達 自 在 そ のま ま の 生き 様 が 、 忠海 の タ コ刺 し と 一 杯に 重 な り、 面 白 い偉
人 と 共 に 父 を 偲 ん だ 。 こ の こ と を 知 っ て い る の は 道 環 老 と 吾 人 だ け の は ず で あ る 。欓 隠 老 師 は 本 当 に 底 抜
そ う じょう
しょう しん ろん そう
け の 人 で あ っ た こ と は 疑 い よ う も 無 い 。 時 の 総 理 を 初 め 政 財 界 の 諸 仁 が 稽 首 さ れ た の も 能 く 解 る 。 南 無欓
隠 老古 仏
む
無相 定
今では全く兎 の毛 ほども問題にす る宗 教家がいないが 、老 大師滞在時は「 正 信 論 争 」で 禅界が二派
忽滑 谷 快 天 を 中 心 と し た 学 問 派 と 、 只 管 工 夫 、 体 得 を 旨 と し た 実 践 派 の 義 光 老
ぬかりやかいてん
に 分 か れ て 大 議 論 の 真 っ 最 中 で あ っ た 。 昭 和 三 年 ( 1928 ) か ら 始 ま り 、 昭 和 十 年 ( 1935 ) の 永 き に
続いた。駒沢大学学長
師 や義 衍 老 師や 祖 岳 老 師方 か ら 始ま っ た 論 争で あ る 。
学問 派 に よっ て 公 案 否定 、 見 性否 定 、 悟 り否 定 も ここ か ら で ある 。 故 に「 そ の ま ま仏 法 」 や「 形 真 似坐
禅 」を 形 成 して 諸 仏 祖 師方 を 酷く汚 し て し まっ た 。 その 害 毒 は 今日 に 及 んで 公 案 弊 害と 並 び 大き く 仏 法を
歪 曲さ せ て いる 。 今 日 どれ ほ ど多く の 参 禅 者が 迷 わ され て い る こと か 。
言 う ま で も な く 仏 法 は 実 地 の 修 行 な く し て あ り 得 な い 。 絵 に 描 い た 餅 と 本 物 と 論 ず る 論 理も 言 葉 も な い 。
初 めか ら 正 邪は 決 ま っ てお り 、争う べ き 課 題で は な かっ た の で ある 。 し かし 非 な る 仏法 は 見 過ご せ な く て、
真 摯な る 御 師家 様 方 は あえ て 議論せ ざ を 得 なか っ た ので あ る 。
義光 老 師 曰く 、
「 祖岳 ( 原 田) さ ん か ら、 お 前 さん も や る かと 言 う て来 た の で 、儂 は も うと っ く に 刀は 鞘 を 離れ た と 言う
た ら 、 儂 も じ ゃ と 言 う て な 。 そ れ か ら 始 ま っ た ん じ ゃ 。 そ れ で 七 か 八 稿 目 の 原 稿 を 書 い て い る 時 に欓 老 が
部 屋へ 来 て な、
「 そ れ は 大 事 な こ と じ ゃ 。 大 い に や れ や れ 」 言 う て な 、 儂 を け し か け と っ た 。 儂 は欓 老 に な 、
「 この よ う な大 事 を 、 老師 は な ぜほ っ とく ので す か 」と 言 う た ら欓 老 は な、
ひ ろ きを お の が心 と も が な
( 明 治大 帝
)
「 無相 定 の 者は 争 わ ん のじ ゃ 」 と言 わ れ た 。儂 は ハ ッと し て そ の瞬 間 、 筆を 折 っ た 」と 。
す み わ た りた る 大 空の
世界 を 呑 吐し た 老 大 師の 偉 大 さに 心 底 稽 首さ れ た 義光 老 師 の 顛末 で あ る。
あさ緑
平成 十 六 年、 膨 大 な 私費 と 時 間を か け て 当時 の 全 資料 を 纏 め [曹 洞 宗 正信 論 争 ] とし て 世 に出 し た 奇特
人がいる。山口県の龍昌寺住職・竹林博史老師その人である。無相定に導き、争いの無い世界にするた
め に 今 本 当の 正 信 ・ 信 仰 ・ 宗 教・ 平 和 を 論 ず べ き 時で は な い か 。 その 好資 料 で あ る 。 が 全 く、 何 処 か ら
も 何の 響 き も無 い そ う であ る 。 これ で は テ ロは 無 く なら ぬ 。 嗚 呼。
欓老とバイオリン
道環 老 曰 く、
「 欓隠 老 師 は一 杯 飲 む と実 に 楽 しそ う に 、 子供 の よ うに 無 邪 気 にバ イ オ リン を 弾 い てお ら れ た」 と 。 意外
ひまご
な こと を 聞 いて し ま っ た。 そ う 言え ば 老 大 師の 家 系 には 医 師 を 始め 学 者 が多 く 居 る が、 音 楽 的素 養 も 豊か
に ある よ う だ。欓 老 の 曾孫 さん た ちは 音 楽 家 も 多い 。
そ の こ と に つ い て は 義 光 老 師 か ら も 大 智 老 尼 か ら も 一 切 聞 い て い な い 。 老 大 師 の 個 々 の 様 子を 全 く 問 題
に して い な かっ た か ら だ。 相 手を見 て い な かっ た と いう 証 明 で あり 具 眼 の証 拠 で あ る。
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欓老 が 修 行の 要 点 と して 口 を 酸っ ぱ く し て説 か れ てい る の は 、「 相 手 を見 る な 」 と言 う 事 であ る 。 相手
を 立て て 見 た瞬 間 、 自 己が 発 生する 。 相 手 立て る 癖 が悪 知 悪 覚 、妄 想 ・ 妄念 ・ 妄 覚 の根 本 で ある か ら だ。
ま さに 禅 の 要諦 で あ り 急所 で ある。 自 己 を 立て ず に 「今 」 「 只 」す る 。 これ が 仏 道 修行 で あ るぞ と 。
楽し み と かの 問 題 で はな い 。 全て 一 瞬 の 事実 の 問 題で あ る 。 この 世 も 、人 生 も 、 真実 も 一 瞬の 様 子 であ
ぼだいぐうじん
る 。言 い 換 えれ ば 、 目 前の 事 実を除 い て は 人生も 社 会も 平 和 も 成り 立 た ない と い う こと を欓 老は 身 で 教え
て いる の だ 。即 今 底 に 成れ 、 [心] を 綺 麗 にせ よ 。 それ が 菩提 究 尽 で あ り大 平 和 であ る ぞ と 。
覚者 の 諸 行は 悉 く 覚 上の 「 事 」で 迷 悟 に 関わ ら な い。 老 大 師 は常 に 縁 に応 じ て 跡 形が な い 。こ れ を 「自
直 な る 盤に 玉 が コロ コ ロ
己 が無 い 」 と言 う 。 自 己無 き 時、自 己 な ら ざる な し 。思 い 出 し た歌 が あ る。
烏 黒 く 鷺は 白 し と みる ま ま に
りょうがきょう
いち じ
ふ
せつ
釈 尊 は 真 相 ( 真 理 ) は 文 字 や 語 句 に は 説 け な い と 言 わ れ た 。 否 、 人 々 分 上 、 露 堂 々 故 に 、 更に 説 く べ き
法は 無 い 。こ れ が 楞 伽 經 に説か れ た 「四 十 九年 一 字 不 説 」の 真 相 であ る 。欓 老は 一 字 不説 を 実で 説い
て いる の だ 。
欓老 と バ イオ リ ン な んて 、 美 女と 野 獣 の よう な 。 否否 、 梅 に 鶯、 如 何 にも 瀬 戸 内 海の 島 々 と静 か な 潮風
を 感じ さ せ られ る で は ない か 。 欓老 が バ イ オリ ン か 、バ イ オ リ ンが 欓 老 か。 実 に 絶 妙な 音 色 、誰 か 聞 く。
書の涙
じょうげしいとうひな
おもむろ
ゆい
とうだん
ほしいまま
ひきん
欓老 は 大 法を 得 さ せ たい ば か りの 涙 づ く しで あ る 。雪 竇 禅 師 の頌 を 書 して 訴 え て 居る 涙 は 重い 。 能 く注
ねんとく
意 して も ら いた く 、 故 に記 し てみる 。 実 に 個性 的 で 素晴 ら し い 揮毫 で あ るが 、 涙 は 中身 で あ る。
こきゃく
くさじょうじょう
けむりべきべき
くうしょうがんぱんはなろうぜき
たんじ
しゅんにゃた
どう ちゃく
「一を 去 却 し七を 拈 得 す。 上下四維等匹無し。 徐 に 行 て 踏 断 す流水の声。 縦 に観て写し出す飛禽
あと
かん りん
の 跡 。 草 茸 々 。 烟 冪 々 。 空 生 巌 畔 花 狼 藉 。 彈指 し て 悲 しみ に堪え たり 舜 若 多 。 動 著 す る こと
莫れ。動著すれば三十棒」
碧巖六則の頌である。雪竇禅師の境界と七 翰 林 の冴えはいかにも見事だ。褒めざるを得ぬ。言いよう
も 比 べ よ う も 無 い そ ん な 途 轍 も な い 偉 大 な 働 き を す る も の は 滅 多 に 居 な い ぞ 。 祖 師 の 涙 を 見 て 取 れ と 、欓
老 は内 心 べ た褒 め し て 居る 。 真 意を ち ょ っ と説 い て みる 。
取り 上 げ たり 捨 て た り、 上 じ ゃ下 じ ゃ な どの ご た ごた し た も のは 何 一 つ無 い 。 流 水の 音 さ え踏 み と ど め、
道 無き 空 を 自由 に 飛 ぶ 鳥の 足 跡さえ も 捕 ま える ほ ど だ。 ど こ ま でも 雲 門 禅師 を 称 え ての 賞 賛 であ る 。
なに 、 人 事で は 無 い 。そ ん な こと は 何 でも無 い こ とよ 。 よ く 脚下 照 顧 して み よ 。 ほれ 、 眼 前に 草 が ぼう
ぼ うに 生 え て居 る で は 無い か 。火を た け ば 何処 に も 煙が 立 つ 。 何に 拠 っ てか だ と ?
因縁 所 生 の法 に 決 ま って お る 。法 は 万 物 であ る 。 万物 は 万 事 。物 の 外 に見 る べ き 法も 聞 く 法も 真 理 も無
い ぞ。 み な この 即 今 底 の真 相 がはっ き り し ない か ら 徒に 心 を 労 して 迷 う てい る 。 こ こに 達 す るま で の 雲門
あわれなことよ
の 命が け の 菩提 心 が 尊 いの だ 。努力 な く し てあ る べ きや 。 努 力 を間 違 え て、 他 に 向 かっ て 求 める と 悲 しい
こ とに 成 る ぞ。
しゅん にゃ た
舜 若 多 を見て見よ。永年月岩の畔で他に向かって坐禅した。 可 惜 許 。帝釋天がこれを悲しみ哀れ
ん で天 か ら 花を 降 ら せ て覚 醒 を 促し た で は ない か 。 是れ 仏 祖 の 慈悲 で あ る。 こ ん な 無駄 な 坐 禅は す る な よ。
も しし た ら 「三 十 棒 」 をく ら わ すぞ と 。
雪竇 禅 師 のこ の 大 慈 大悲 の 痛 棒が 分 か ら ぬ者 は 仏 祖の 児 孫 で は無 い ぞ と、欓 老 は 雲門 、 雪 竇の 熱 血 を伝
え ん と の 涙 で あ る 。 吾 人 は 碧 巖 中 こ の 頌 が 一 番 好 き で、 毎 朝 詠 じ て 菩 提 心 の 糧 に し て い る 。
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余談 だ が この 雲 門 を はじ め 、 保福 ・ 長 慶 ・翠 巖 は 雪峰 下 の 豪 傑で あ る 。碧 巖 「 翠 巖眉 毛 」 の則 は こ の三
傑 が道 の た めに 真 訣 を 競っ て いて面 白 い 。 そこ へ 雪 竇と 圜 悟 の 二大 老 が 大法 久 住 の ため に 見 事な ア ド バイ
倶胝をぐゅうぎゅう 虐 めた実際尼も雪峰下。その倶胝を大悟させた天龍、雪峰の兄貴分の巖頭、
いじ
ス をし て 錦 上に 花 を 添 えて い る。因 み に 玄 沙・ 鏡 清 ・太 原 孚 上 座も 雪 峰 下で あ る 。
あの
欽 山、 老 古 仏の 趙 州 、 臨濟 を 追 い込 ん だ 睦 州、 そ し て臨 濟 を 大 悟さ せた 大愚 、 仰 山 、蜀 の 十 七僧 を 悟 らせ
た 妙信 尼 、 龍牙 、潙 山 下の 劉 鉄 磨、 紫 湖 、 長沙 等 ま だま だ 英 雄 豪傑 が 沢 山居 た 時 代 であ る 。
弘法 ・ 傳 教両 大 師 が 渡っ た の は残 念 な が らこ の ち ょっ と 前 で ある 。 正 師に 会 わ ざ りし を 無 念に 思 う 。会
っ てい た ら この 国 は も っと 良 くなっ て い た に違 い な い。
今日 真 実 の道 を 尋 ね る者 極 め て稀 で あ る 。自 分 の 子供 さ え も ほっ た ら かす 時 代 に 、ど う し て世 界 平 和が
有 り得 よ う か。 善 悪 全 て心 よ り生ず 。 徳 力 を養 い 、 精進 努 力 の 功徳 は 時 空を 超 え た 枯れ な い 花で あ る 。日
本 のみ が 発 信で き る 大 平和 を 成す道 が 確 か にあ る 。
何事も豪快
欓老 は 揮 毫を 頼 ま れ ると 、 「 よし 、 分 か った 」 と 躊躇 な く 引 き受 け 、 みん な で 準 備に 入 り 、大 変 勢 いよ
く 気合 い を 入れ て 書 か れて い たと言 う 。
墨汁 を 大 きな 灰 皿 の よう な も のに 注 ぎ 、 ガチ ガ チ にな っ た 大 きな 筆 を 口に 入 れ て 噛み 砕 き 、お も む ろに
墨 汁に つ け てた っ ぷ り と滴 る ような 筆 を 、 まこ と に 大胆 に 、 勢 いよ く 書 かれ て い た さう だ 。 御実 家 で 書く
と きは 奥 さ んを 相 手 に 墨に つ いて色 々 蘊 蓄 を語 り 、 使い 分 け て いた ら し いが 。
そば
義光 老 師 の揮 毫 準 備 は、 あ る 時か ら 全 て 吾人 が し た。 義 光 老 師が 書 か れる 時 、 側 で 大智 老 尼 は欓 老 と
もっ と 力 を 入れ て た 。グ ッ と 勢 いを つ け て! 」 と 、 大智 老 尼 は身 振 り しな
の 書き ぶ り を比 べ て は いろ い ろ もの 申 し て いた 。
「 欓隠 老 師 はそ こ の 所 で・ ・
が ら書 い て いる 側 か ら ぶっ き ら ぼう に そ の よう な 批 評と も 比 較 とも 指 導 とも と れ る 発言 を し てい た 。 老大
師 の豪 快 な 書き 振 り が よほ ど 好 みに 合 っ て いた よ う であ る 。
欓老 の 書 きぶ り を 見 てい な い 吾人 は 、 大 智老 尼 の 口か ら 態 度 から 現 れ る老 大 師 の 書き ぶ り が目 に 浮 かん
黙 って お れ ・・ 」 と 大 智老 尼 を 制し つつ 淡 々と 書 か れて い た の が目 に 浮 かぶ 。
だ 。書 い て いる 側 か ら 言わ れ る義光 老 師 は 、
「 書か ん 者 が・ ・
義衍 老 師 (吾 人 の 叔 父) は 長 穂を 自 在 に して 独 自 の書 風 を 完 成さ れ た 巨匠 で あ る 。華 麗 に して 独 特 な線
質 は絶 古 今 であ り 吾 人 も惚 れ 込んで 居 る 。 禅者 は 書 を頼 ま れ る 立場 な の で多 少 の 使 い手 で あ りた い も の だ。
まさ か バ イオ リ ン を 習っ た と は思 え な い 。書 も ま たそ う で 決 して 習 っ たも の で は なく 、 聞 いて 学 び 、見
きょう がい へん
ひっ せい
て 習得 す る とい う ま さ に才 あ るが故 の 自 然 な様 で あ ろう 。 大 智 老尼 は 、
「欓隠老師の字は 境 涯 辺 だからな。独自の 筆 勢 であり書き振りだからなあ。ああいう書体はマネがで
き んの よ 。 義光 老 師 の 字は 上 品で綺 麗 す ぎ るん だ ・ ・」 と か 。
掛け 軸 を 取り 替 え る 度に 懐 か しそ う に ま まそ の よ うな こ と を 言っ て お られ た 。 遂 にバ イ オ リン の こ とを
聞 くこ と が なか っ た の は、 覚 者のす る こ と 為す こ と 全て こ れ 仏 作仏 行 と 体達 し て い たの で 、 個人 の 立 ち振
る 舞い な ど 眼中 に な かった の だ 。そ こ ま で 漕ぎ つ け てい た か ら 、老 大 師 は大 智 老 尼 に厳 し か った の で あ る。
大智 老 尼 が大 成 し た のは 、 老 大師 滅 後 間 もな く で あっ た 。
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袈裟衣は仏祖意に非ず
い
こう
暫く は 侍 者が 付 い て いた 。 と ても 綿 密 な 人だ っ た と言 う 。 法 要が 終 わ り袈 裟 ・ 衣 をた た み 仕舞 お う とす
る と、
「よい、よい」と言うて簡単に 衣 桁 に掛けて済ませていたそうである。衣桁とは部屋の角隅に置いて袈
裟 や衣 を 簡 単に 掛 け て 置く 優 れ 物で あ る 。
神社 仏 閣も袈 裟 や 衣 も大 切 な もの に は 違 いな い 。 大切 に す る のと 、 そ れら に 使 わ れる の と の違 い は 天と
虚 空は 体
風は い き
海山 か け て我 が 身 な りけ り
地 の差 が あ る。 使 わ れ ると は 自己の 本 分 を 喪失 し て 、心 を 奪 わ れ囚 わ れ るこ と と 思 えば 良 い 。
日 は まな こ
これ が 老 大師 で あ る 。そ れ を それ と 知 れ ばよ い 。 それ を 自 由 自在 に 実 今
( を
) 受 用 する 底 こ そ真 の 報 恩底
で ある 。 実 とは 即 今 底 であ り 実 相の こ と で ある 。 今 の事 実 に 成 り切 る と 、実 相 と し ての 塊 物 が無 い こ とに
行 き 着 く 。 働 き そ の 物 に 成 り 差 別 に 成 り 切 る と 相 手 が 無 く な る 。 こ れ を 無 相 と 言 い 、 平 等 と 言 う 。こ こ で
初 め て 認 め る 物 が 無 こ と を 体 得 す る 。 こ の こ と を 悟 ら せ て 大 安 楽 の 境 地 を 得 さ せ る の が欓 老 の 菩 血 提 涙 で
あ り諸 仏 祖 師方 の 悲 願 であ る 。
でな け れ ば坐 禅 は 時 の無 駄 遣 いと な り 死 物と 成 る 。形 ば か り の行 持 や 袈裟 衣 や 豪 華な 建 物 を有 り 難 がる
よ うに な る のだ 。 仏 祖 意の 神 聖が無 け れ ば 真実 は 無 い。 世 俗 の 思想 や 論 理に 翻 弄 さ れて 却 っ て世 人 の 笑い
を 被り 、 俗 人に 憐 愍 せ られ る ぞ悲し 。
馬祖 下 に 鹽官 国 師 な る禅 傑 あ り。 華 嚴 教 に精 通 し た座 主 と 同 席し た 折 り、 座 主 が 早速 自 慢 の華 嚴 教 を説
き 始め た 。 ここ で 正 邪 を画 す る 力が 無 け れ ば法 の 人 では な い 。 国師 は既 に座 主 の 無 眼子 を 見 抜い て い た。
為 に救 わ ね ばな ら ぬ 。
「 何が 説 い てあ る の か 」と 。 座 主曰 く 、
「 ひと 口 で 言え る も の では 無 い 。重 重 無 尽 の法 が 説 かれ て い る 」と 。 悪 智悪 臭 紛 々 。忽 ち 国 師は 払 子 を立
て 、こ れ で 真正 の 法 を 伝え よ う とし た 。
「 これ は 何 と言 う 法 に 当た る の か」 と 。欓 老が 汚 れ たフ ン ド シ を示 し た と同 じ で あ る。 座 主 は詰 ま っ た。
た った こ れ だけ で 息 の 根を 止 め られ た の だ 。見 た ま まで は な い か。 憐 れ に思 っ た 国 師は 更 な る涙 を 注 いで
曰 く、
「 思而 知 、 慮而 解 、 是 鬼窟 活 計 、日 下 孤 燈 、果 然 失 照、 下去 」 字の 通 り だ。 思 い を 巡ら せ て 知っ た り 、考
え で理 屈 を 作り 上 げ た もの が 何 にな る 。 こ れら は 全 て糟 妄 想 に 過ぎ ん 。 太陽 の 下 で 蝋燭 を 照 らし て 何 を見
よ うと す る のだ 。 阿 呆 らし い こ とを す る な 。さ っ さ と立 ち 去 れ と涙 の 一 喝。
熱血 な る 求道 心 を 促 すた め の 鉄槌 で あ る 。理 屈 を 捨て て 身 を 翻し 、 [ その 真 意 は 何か ] と 迫り 来 た るを
願 って の 親 心で あ っ た 。
鹽官 禅 師 の真 意 は 、 実地 に 当 たっ て 理 屈 は如 何 に 役立 た ぬ か を知 ら し め、 見 聞 覚 知、 即 今 事実 の ま ま光
明 であ り 重 重無 尽 の 法 であ る ことを 直 説 し たの だ 。 これ で こ そ 禅は 本 当 に活 き て く る。 だ が その 慈 悲 は通
じ なか っ た 。可 惜 許 。 縁無 き 衆生は 度 し が たし 。
を書いて
□
至道 無 難 禅師 の 母 親 は相 当 の 実力 者 で あ った 。 当 時も 軟 弱 者 の修 行 者 が多 か っ た よう だ 。 語る 価 値 が有
るか無いかを分別するに、「三八九とは何ぞ?」とぶっかけて仕分けした。仙涯和尚は○△
「 これ 何 ぞ ?」 と 。 雪 峰は 三 個 の玉 を 転 が して [ こ れ何 ぞ ] と 。悪 戯 も 眠り を 覚 ま すた め に は仕 方 が な い。
全 てこ れ 真 実を 知 ら せ たい ば か りの 涙 で あ る。 本 当 に素 直 な 人 は滅 多 に 居な い も の だ。
欓老 が ト ゲの さ さ っ た指 を わ ざわ ざ 目 の 前で 指 し 示さ れ た の は何 の た めぞ 。 禅 聖 のい ち ゝ ゝは 全 て その
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た めの 適 切 な示 唆 で あ る。 例 え 一瞬 た り と も袈 裟 衣 を粗 末 に し た、 な ど と思 っ た ら 禅を 語 る 資格 は 無 い。
実を 自 由 に受 用 す る とは 「 今 」を 自 在 に する こ と であ る 。 容 易の こ と では な い 。 正念 相 続 の結 果 で あ る。
袈 裟衣 や 寺 の大 小 が 眼 にち ら つくよ う で は 到底 無 理 な話 で あ る 。仏 法 僧 の神 聖 は 何 処へ や ら 。人 の 努 力を
沈 み は て たる 我 が 心か な
姿 に 恥 じよ 墨 染 めの 袖
無 視し て 恥 も外 聞 も 無 く寺 を 乗っ取 る 和 尚 も居 る 。 将に 末 法 で ある 。
何 故 に かく な り し 身と 折 々 は
月 影 に 命を か く る 猿よ り も
通 幻 寂 霊 、 黄 檗 、 臨 済 、 睦 州 、 徳 山 等 が 居 た ら 打 ち 殺 さ れ る であ ろ う 。 ど の て に し て も 自 我 の 元 を 徹 底
あん り
しゃく しゃく
坐 り 殺 す し か 無 い 。 そ の 人 は 誰 ぞ 。 殺 す べ き 者 は 何 処 に 有 る 。 さ あ 、 速 や か に 言 え ゝ ゝ 、 と欓 老 の 声 が す
る。
古人曰く、禅者の 行 履 は日常底を凌駕し、とにかく 綽 々 として余裕と自在がなけねばならぬと。物、
金 に捕 ら わ れて い た ら 出来 な い 相談 だ 。 衆 生に 憐 愍 され る 宗 教 家で あ っては な ら な い。 身 を 削っ て 金 子を
かくとうろたんり
貯 めた が 飢 饉に あ え ぐ 人を 救 た めに 二 度 全 財産 を 擲 った 。 三 度 目に よ う やく あ の 一 切経 を 世 に出 し た のが
鉄 眼禅 師 で ある 。 曰 く 、
「 頓 に 清 風 明 月 の 外 を 超 え 、 鑊湯 爐 炭 裏 ( 地 獄 の 如 き 処 ) に 安 住 す 」 と 言 う た 。 事 を 自 在 に す る と は こ
の こと で あ る。 鉄 眼 の 喪儀 に 三 万人 の 衆 が その 徳 を 偲ん で 集 ま った 。 貧 乏を 物 と も しな い 本 当に 腹 が 据わ
ら ぬと 「 今 ・只 」 に 導 き、 世 界 平和 、 大 安 心の 境 地 を得 さ せ る こと は 出 来ぬ 。 禅 僧 の価 値 は 無い と 言 うこ
と だ。
欓老 曰 く 、「 よ い 、 よい 」 と 。欓 老 の こ の言 、 う っか り 軽 く 見て は な らぬ 活 句 で ある 。 要 注意 、 々 々 々。
口に血を含んで語ること莫れ
本当 の 求 道者 な ら 天 下の 大 宗 師を 尋 ね る のは 当 然 であ る 。 正 師に あ ら ずん ば 学 ば ざる に 如 かず で あ る。
一 隻眼 を 具 すこ と す ら 容易 で はない 。 況 ん や大 成 ( 大悟 ) す る こと は 並 の努 力 で 得 られ る も ので は な い。
。
こ の一 大 事 因縁 、 正 法 護持 を 責 務と し て欓 老は 義 光 老師 ・ 大 智 老尼 を 仕 上げ る べ く 療養 を 兼 ねて 勝 運 寺に
長 期逗 留 し て鍛 え て お られ た
そこ へ 或 る熱 烈 な 修 行者 が 現 れた 。 立 派 に一 隻 眼 を具 え 、 宗 要を 自 在 に説け る 大 器で あ っ た。 惜 し むべ
く は悟 り が ぶら 下 が っ てい て 、「自 分 は ぶ ち抜 い た 」と 言 う 自 負が 紛 々 とし て い た 。確 か に 一度 自 己 を忘
ず れば 天 下 太平 と な る 。法 を 得た。 も う 修 行は 要 ら ぬと 言 う 大 自負 が 生 ずる も の だ 。安 心 に 腰を 掛 け る奴
じ ゃ。 平 和 ぼけ す る と 乱の 起 こる危 険 が 有 るこ と を 忘れ て し ま う。 裏 を 返せ ば 、 全 て法 で あ り空 で は ない
か と自 分 流 に法 を 作 っ て得 々 して法 を 説 く よう に な る。 こ こ が 危な い の だ。
論は 義 に あに ず 、 義 は論 に 非 ず。 事 実 と 理屈 は 世 界が 違 う 。 この こ と がは っ き り しな け れ ば理 に 落 ち自
分 の法 理 に 酔う て し ま う。 こ の手合 い は 皆鼻孔 遼 天 、自 信 満 々 、大 我 慢 とな り 実 が 伴わ ぬ 。 達磨 九 年 面 壁、
一 字不 説 、 祖師 西 来 意 の本 当 の消息 が 解 ら ぬか ら だ 。こ れ を 「 悟り の 暗 窟」 と 言 い い、 大 捨 すべ き 大 きな
持 ち物 が 有 るこ と を 言 うの で 、古人 が 悟 後 の修 行 を 重ん じ ら れ たの だ 。
臨済 四 世 の風 穴 大 宗 師と 牧 主 の問 話 で 、 「牧 主 曰 く、 断 ず べ きに 当 た って 断 ぜ ざ れば 返 っ てそ の 乱 を招
く 」と 。 こ こで 師 の 風 穴は 大 いに喜 ん だ 。 今ま さ に それ に 当 た る。 断 ず べき を 断 じ 、殺 す べ きを 殺 さ ねば
本 当に 救 え ぬ。 真 空 妙 有の 闊 逹 無礙 、 度 衆 生は 出 来 ない 。欓 老 はそ の 大 器を 惜 し み 、大 成 に 導く べ く 次の
よ うに 説 かれた そ う で ある 。
「 口 に 血 を 含 ん で 人 に 向 か っ て 吐 け ば 、 ま ず 自 ら 汚 れ て い る こ と を 自 覚 せ よ 」 と 。欓 老 に し て 初 め て 言 え
る 金口 で あ る。 「 断 ず べき に 当 たっ て 断 ぜ ざれ ば 返 って そ の 乱 を招 く 」欓老 満 身 の 菩血 提 涙 の血 滴 々 を眼
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前 に見 る 。 ああ 、 涙 々 。
ご
ず
うた
うた
部屋 よ り 出た 時 、 そ の人 は 気 配が 無 く な り別 人 の よう に な っ て下 山 し たと い う 。 のち 、 名 実と も に 天下
の大宗師となり有名になった方である。されど今や亡し。 牛 頭 を彷彿とさせられる。「 転 た悟れば、 転
すいもうつね
ま
た 捨て よ 」 が欓 老 の 真 骨頂 で あ り菩 提 心 の 実践 以 外 に無 い 。 大 燈国 師 の 「無 理 会 の とこ ろ に 向か っ て 究め
来 たり 究 め 去る べ し 」 遺偈 の 「 仏祖 際 断 し て 吹 毛 常 に 摩 す 」で あ る 。
すいもうつね
ま
「 ここ が 大 事な ん だ 」 と大 智 老 尼よ り 耳 に タコ が 出 来る ほ ど 叩 き込 ま れ た。 い や 、 タコ だ ら けだ 。 正 法体
得 の正 路 だ から で あ る 。
因みに「仏祖際断して 吹 毛 常 に 摩 す」とは、大悟して更にどこまでも即今底を練り続ける。菩提心の
日 常底 を 言 う。 趙 州 禅 師一 生 の 行履 を 禅 者 は決 し て 忘れ て は 成 らな い 南 針で あ る 。 これ が 本 当の 度 衆 生で
あ る。 道 元 禅師 も い た く趙 州 老 古仏 を 稽 首 され て い るの は 大 悟 の後 の 練 りに あ り 努 力に あ る 。努 力 、 努 力。
欓老の仁王立ち
お
こう し て 老大 師 を 慕 って い ろ いろ な 人 が 訪ね て 来 た。 或 日 、欓老 は 玄 関で 仁 王 立 ちに な り 、ご 自 身の胸
を 叩き 、
「お前の胸の中には蛇が居る!」と大声で怒鳴り、其場で 逐 い返したそうだ。見たことも無い老大師の
お 姿に 驚 い たと い う 。 其場 に 立 ち会 っ た 人 は皆 そ ろ って 、 「 あ れは 凄 か った 」 と 。
聞く と こ ろに よ る と 、大 勢 の 門下 の 間 で 様々 な 確 執が あ っ た よう で あ る。 老 大 師 に参 じ な がら 、 老 大師
れき れき
を困らせる人たちも居たということだ。争うことを最も嫌っていた方だけにとても胸を痛められた。お
歴 々 揃いであれば、中には組して気の合う者同士の集となる。集は執となり衝突する。甚だ見苦しいが
参 禅の 士 に して こ の 弊 あり 。 こ れが 世 の 姿 であ る 。 ただ 本 当 の 菩提 心 無 きが 故 の み 。
ひら
かい
「 東京 に も 魔党 が 居 る 」と 義 光 老師 へ の 手 紙に 書 か れて い た か ら、 目 に 余る も の が 有っ た の だ。 真 摯 なる
けんじゃく
門下生は甚だ迷惑し たであろう。 平 何とか 海 なんちゃらいう居士 が居た。漢文を能く し、欓老も原稿の
便 宜 を 彼 に 担 っ て い た 処 が あ る。 知 力 を 誇 り 会 を 牛 耳 ら ん と し た 策 士 の 才 も あ っ た た め 揀 擇 の 念 、 いさ
さ か人 心 を 惑わ し た 。 発菩 提 心 は灰 頭 土 面 であ り 上 求菩 提 、 下 化衆 生 で あろ う に 。 嗚呼 。
義光 老 師 を排 斥 す る 怪文 書 も かの 者 が 書 いた と 噂 され て い る 。そ れ に より 義 光 老 師は 嫌 気 がさ し 、 高槻
の 少林 窟 道 場か ら 身 を 引か れ たと聞 い た 。 その 一 物 有る 怪 文 書 を一 度 見 たこ と が あ る。
欓隠 老 師 を、 否 諸 仏 祖師 方 を 地下 に 泣 か しめ て は なら ぬ 。 と にか く 老 大師 か ら は 、誰 が 何 をし た 、 誰に
何 をさ れ た とい っ た 話 は一 言 も聞いて な い と義 光 老 師も 大 智 老 尼も 言 っ てい た 。 却 って 哀 れ んで お ら れた
と いう 。欓 老の 無 量 の 慈悲 や 尊 し。
釈尊 に お ける 提 婆 の ごと く 、 伝統 二 千 六 百年 の 今 日ま で 、 祖 師方 が 受 けた 法 難 は 数知 れ な い事 実 で あ る。
ひしん
欓隠 老 大 師は 本 当 に 衆生 本 来 わが 子 な り で、 す べ てを 愛 し て 止ま ざ る の境 界 で あ った 。 ど うし て も 老大
師 広 大 無 辺 の 慈 悲 心 を 伝 統 し な け れ ば 世 界 は 滅 ぶ し か 無 い 。 諸 仏 の 悲心 を 看 取 さ れ た し 。 道 友 の 菩 提 心
を 切に 祈 る のみ 。 南 無欓隠 老 古 仏。 稽 首 百 拝
老大師の家風
又々 門 外 不出 を 破 っ て吐 露 す 。
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「 欓隠 老 師 はな 、 碧 巖 の提 唱 に 当た っ て 、 圜悟 の 評 唱も 著 語 も 立派 だ が こと ご と く 盲従 し て は成 ら ん ぞと
ワ シに 注 意 され た ぞ 。 往々 に 抹 殺せ ね ば な らぬ 所 が 有る と も 言 うて い た 。な か な か 素晴 ら し い著 語 は 少な
い とも 言 う とっ た 。
かす
老大師の境界から見ると圜悟の 糟 が皆見えるんじゃ。しかし圜悟は大した境界ぞ。それ以上の欓隠老
師 だと 見 抜 く者 が 本 当 の法 の 人 なん じ ゃ 」 と。 老 大 師の 偉 大 さ を篤 と 力 説。 既 に 了 々。 灼 然 。
確か に 小 気味 よ く 大 宗師 の 圜 悟を も 取 っ て投 げ て いる。 こ れ で仏 法 久 住と 圜 悟 禅 師を は じ め三 世 の 諸仏
祖 師方 は 大 歓喜 し て い るこ と 間違い な し 。 何故 な ら 、真 の 作 家 は「 法 有 って 、 身 有 るを 知 ら ず」 だ か ら だ。
大智 老 尼 はこ う し て 鍛え ら れ 育て ら れ た のだ と 、欓隠 老 大 師 を更 に 身 近に 感 じ た 。諸 仏 の 如く欓 老 は菩
提 心を 専 ら にし て 、 時 々即 今 底の神 聖 を 汚 さぬ よ う 努力 せ し め るこ と で あっ た 。 こ こに 仏 道 修行 の 根 幹を
定 めた 家 風 にこ そ 、 老 大師 の 大力量 を 確 信 する こ と が出 来 る 。
深く 読 み 解い て 言 え ば、 即 今 底の 神 聖 を 汚さ ぬ よ う即 今 を 堅 持す る に は菩 提 心 無 くし て は 有り 得 な い。
即 今底 と は 六根 ( 眼 耳 鼻舌 身 意)の 作 用 自 体を 言 う 。今 、 今 、 自在 に 変 遷活 動 そ の もの を 言 う。 六 根 の作
じょうじゅうえくう
用そのままそれが宇宙の大活動の証明と思えば良い。これを 成 住 壊 空 と言う。変化に自性が無いので
宇 宙は 変 化 自在 で あ る 。こ こ を 道元 禅 師 は 「無 常 は 仏の 御 命 な り」 と 仰 せら れ た 。 死ん で 死 なぬ 大 き な命
と 言う こ と だ。
作用 自 体 に自 己 の 無 いこ と を 徹見 す る を 「見 性 」 とい う 。 「 見性 」 す るに は 即 今 を離 し て はな ら な い大
前 提 が あ る 。 菩 提 心 と 即 今 底 と 六 根 が 真 箇 一 つ に 成 っ た ら ば 、 悟 り の 方 か ら や っ て くる 。 こ れ が 本 当 の 法
で ある 。 身 心脱 落 の 実 体で あ り真相 で あ る 。徹 す る とは こ の 実 証で あ り 自覚 で あ る 。
菩 提 心 が 堅 固 で あ れ ば 必 ず 仏 法 は 護 持 さ れ る 。 先 ず 是 の 事 を 徹 底 信 じ て か か れ と 言 う 宗 旨 が欓 老 の 家 風
で あり 、 少 林窟 道 場 の 禅風 で あ る。 こ の 大 事を 解 っ てく れ よ と 言う の が欓老 の 真 骨 頂で あ る 。誰 か 泣 かざ
ら ん。
老大 師 の 提唱 は 尽 く 慈愛 の 血 滴々 に ほ か なら ぬ 。 槐安 國 語 ・ 碧巖 の 提 唱録 に も 所 々に 慈 愛 故の 長 嘆 息が
露 呈し て い る。 そ れ は また 菩 提心無 き を 慨 嘆し て の 獅子 吼 で あ る。 慨 嘆 は大 き な 愛 であ る 。 みん な を 救い
なん せん しゅ か
たいからである。第四十則「 南 泉 株 花 」の序文などもその一例である。特に勧めておくべきは、「槐安
国 語提 唱 録 」の 「欓 隠 後語 」 で ある 。
五百 年 間 不出 世 の 巨 匠に し て 初め て 説 き 得た 解 脱 への 確 か な 南針 で あ り絶 古 今 の 傑作 で あ る。 「 末 後天
下 に告 げ た き一 大 事 が ある 」 から始 ま る 絶 倫の 風 光 は諸 仏 の 復 活底 に 他 なら ぬ 。 但 し、 多 く の漢 文 体 は一
般 を甚 だ 悩 ませ る も の なら ん 。 しか し 「 只 」読 め 。 腹で 読 め 。 読ま ず に 読め 。 何 百 回も 読 む べし 。
しか も 、 一頭 地 を 抜 きん 出 た 境界 で も っ て、 あ の 博覧 強 記 の 頭脳 で 祖 師方 の 心 底 を披 瀝 し て見 せ 、 余す
と ころ な く 喰わ せ て く れて い る。ま こ と に 有り 難 い こと で あ る 。
例え ば 、 臨濟 の 家 風 全体 、 三 要に 纏 め ら れて い る 。三 要 は 三 玄の 働 き であ り 機 要 であ る 。 三玄 と は 、
一 、体 中 玄 (法 身 仏 ) 。こ れ を 平等 と 言 う 。
二 、句 中 玄 (報 身 仏 ) 。こ れ を 差別 と 言 う 。
三 、玄 中 玄 (応 身 仏 ) 。こ れ を 没縦 跡 と 言 う。
「 今」 は 何 時も 「 今 」 であ る 。 時、 所 、 位 、身 ( 自 己) 同 時 一体の 作 用 であ り 働 の こと で あ る。 臨 済 大師
が 、一 つ も の「 今 」 の 無自 性 空 を自 在 に 見 せて 度 衆 生す る 様 子 を、欓 老 はこ の よ う に解 析 し て見 せ て い る。
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そ の纏 め が 次で あ る 。
「 挙す れ ば 則ち 公 案 事 々成 弁 す 。外 に 向 か って 馳 求 す、 癡 漢 々 々」 と 五 祖法 演 の 一 句で 悪 知 悪覚 を 蕩 尽せ
ひと くく
しめている。要するに菩提心を挙して即今底たれ、と祖師の心印を 一 括 りにして仏道修行の安寧を図っ
て おら れ る のだ 。 こ れ が欓 老 の 力量 で あ る 。
大智 老 尼 曰く 「欓 隠 老師 に は 何処 に も 糟 が無 い ぞ !」 と 。 と にか く欓 隠老 師 は そ れ程 の 越 格の 大 宗 師で
あ る。 博 覧 強記 故 に 、 加薬 が 多すぎ て 見 慣 れぬ う ち はま こ と に 読み づ ら いが 、 噛 む ほど に 仏 法の 深 淵 にし
て 一切 の 問 題を 解 決 し てく れ る光で あ る こ とが 分 か る。 絶 妙 の 指南 書 で ある 。
特に 要 注 意は 、 「 盲 従は 法 身 の敵 じ ゃ 」 との欓 老 のこ の 一 句 であ る 。 真意 は 、 「 書を 尽 く 信ず る は 書無
き に如 か ず 。師 を 尽 く 信ず る は師無 き に 如 かず 」 「 宗教 を 尽 く 信ず る は 宗教 無 き に 如か ず 」 「禅 を 尽 く信
ず る は 禅 無 き に 如 か ず 」 「 生 に 任 着 す れ ば 生 無 き に 如 か ず 」 で あ る 。 今 の 事 実 こ そ 疑 いよ う も 無 い 因 果 丸
出 しの 神 聖 その も の 。 これ が 真実で あ り 最 も価 値 あ る尊 厳 故 に 、他 に 何 をか 求 め れ ばみ な 地 獄と な る ぞ と。
何が 故 ぞ 。対 立 し て 人あ い 争 い、 苦 が 苦 を生 む か らだ 。 「 今 」「 只 」 有る べ し と の意 な り 。参 又 参 。
神に 盲 従 ・盲 信 し て 殺戮 に 走 るは 、 人 た る由 縁 を 破戒 し て 狂 気と な す から で あ る 。確 か に 「信 は 道 源功
徳 の母 」 で ある 。 だ が 盲従 ・ 盲信は 人 類 崩 壊の 鬼 母 であ る こ と を知 れ よ と。 発 心 正 しか ら ざ れば 万 劫 空し
く 施す 、 と は古 仏 の 真 血で あ る。初 発 心 が 如何 に 大 切か を 自 覚 せよ と 言 うこ と 。 他 に求 め た 信仰 は 自 我の
陶 冶に は 成 らぬ 故 に 決して 安 心 和平 を 得 る こと は 出 来ぬ 。
菩提 心 、 菩 提心 。 合 掌。
とに か く 「己 に 足 り て他 を 待 たぬ 境 界 」 を得 る 為 には 、 暫 く 正師 に 従 って 不 惜 身 命の 努 力 をせ よ で あ る。
深 く信 じ て 、篤 行 ず る 外無 い 。
ゆいげかん
欓老の遺偈観
せんげ
禅 僧 が 亡 く な る こ と を 「 遷化 」 と 言 う 。 生 を 変 え 身 を 換 え て 大 平 和 を 願 い 度 衆 生 さ れ る 故 に 死 と 言 わ
け
ず「 化 を遷す」(別の処で説法する)と言う。禅僧の喪儀には今生締めくくりの「遺偈」なる一句を呈
す る慣 わ し であ る 。 大 智老 尼 が 余命 尽 き る 数日 前 、 浅羽 大 居 士 が来 ら れ 、両 傑 は 常 の如 く 談 笑す る つ い で、
「 老尼 さ ん 、そ ろ そ ろ 遺偈 を 頼 みま す わ 」 と。 如 何 にも そ れ を 楽し み に して い る 模 様で あ っ た。
さい だん
すいもうつね
ま
き
りん てん
こ
くう きば
か
老尼 笑 っ て曰 く 、 「 遺偈 か 。 そう 言 え ば 有名 な の が有 っ た な 。大 燈 国 師の あ れ だ ・・ 」 咄 嗟に 出 て こな
ぶっ そ
かったので吾人が「 仏 祖 裁 断 して 吹 毛 常 に 摩 し、 機 輪 転 ずるところ 虚 空 牙 を 咬 むでしょう」と言う
と、
「 そう 、 そ れよ 。 そ う でな く ち ゃな ら ん が 、遺 偈 と 言う た の が 気に 入 ら ん。 常 が そ れで な く ちゃ 。 あ の大
燈 が 本 当 に 遺 偈 に し た と は 思 え ん が な 。 ど こ ま で も 自 然 が い い 。 ワ シ の 生 き 様 が 遺 偈 じ ゃ な い か 。欓 隠 老
師 も 欓 文 老 師 も そ ん な こ と 言 わ な か っ た 気 が す る が ・ ・ 」 些 か 妙 な こ と に な っ て し ま っ た 。 確 か に欓 隠 老
師 も欓 文 老 師も 遺 偈 ら しき も の は無 い 。 が欓老 に は こん な 一 文 があ っ た 。文 面 は 別 とし て 、
「 本当 に尽 くし 切 っ た 者は 少 な い。 遺 偈 な ど書 い て 先を て ら う はみ っ と もな い ・ ・ 生や 全 機 現、 死 や 全機
現 に対 し て 何と 言 い 訳 すじ ゃ ・ ・言 い 残 し たい も の が有 る は 宜 しく な い 。有 る の は 慈悲 の み じゃ ・ ・ 」の
よ うな 欓 老 らし い 遺 偈 観で あ っ た。
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遺 偈 など と 変 だな ? 」 と 大智 老 尼 。ど う し て も誰 か が 仕立 て た なと
因み に 義 光老 師 ・ 大 智老 尼 の 遺偈 は 、 喪 儀に 則 す るた め 吾 人 が遺 稿 を 引用 し て 間 に合 わ せ たも の だ 。今
暴 露す る も 面白 し 。 「 あの 大 燈が?
言 わん ば か りで あ っ た 。そ の 可 能性 大 で あ る。 し ば らく 三 人 は 遺偈 論 に 興じ て 遂 に 書く こ と は無 か っ た。
しゃくてい
菩提心の糧に道元禅師の遺偈を記してみる。 杓 底 の残水を河に返されて万世の為に決して無駄遣いを
跳 を打して大千を触破す。
ぼっちょう
さ れな か っ た真 箇 大 慈 悲の 巨 匠 であ る 。
五十四年、第一天を照らす。箇の
いい
咦
渾身にもとむる無し。生きながら黄泉に落つ。
跳を打してと は 、 自 己 を 忘 じ 切 っ た
(五十四年は 余 り 意 味 は 無 い の で 軽 く 見 る 。第一天を照らすと は 嫡 々 相 承 、 悟 り の 端 的 を 言 う 。 そ の 為
に 労 し た 多 年 の 苦 辛 を 見 て 取 ら ね ば 元 古 仏 は 地 下 に 泣 く 。箇の
焼 くな う ず めな 野 に 捨 てて
痩 せた る 犬 の 腹を 肥 や せよ ( 檀 林 皇后 ) が 好き だ な 。
これ か ら 遣 ると 言 っ て遣 っ た も のは 居 ら ん!
「 はい !
本真 剣 で 遣 りな さ い !
今か ら 遣 り ます ! 」
すぐ来い!
や 。菩 提 心 、菩 提 心 。
時 を 惜し ん で 来た 者 が 、 これ か ら とは 何 だ !
お 前 も 直ぐ 禅 堂 へ行 け ! 」 我々 が 部 屋を 出 る 時 は、 老 尼 は既 に 横 にな
れ てき た の だ。 祖 師 方 はま さ に偉人 な の で ある 。 我 等も 又 そ の 人な ら ん や。 否 、 何 人も 既 に その 人 な らん
て 菩提 心 で ある は ず が ない 。 大智老 尼 は欓 隠老 師 の 生き 写 し で ある 。 諸 仏祖 師 方 の 心印 は こ うし て 伝 統さ
欓老 は 菩 提心 の 塊 で ある 。 菩 提心 は 今 こ の一 瞬 に 自己 を 忘 れ て取 り 組 むこ と で あ る。 真 剣 な努 力 な くし
っ てお ら れ た。
「 よし !
欓 隠老 師 の 菩提 心 が ま だ分 か ら んの か ! 」 間髪 を 入 れず 立 ち 上 がっ た 彼 は全 身 の 合 掌を し て 、
「 こら !
「 はい 、 こ れか ら 一 生 懸命 や り ます 」 と 言 った 瞬 間 、老 尼 の 顔 が一 変 し た。
顔 も無 く 真 剣に 合 掌 し て、
「 能く 来 た ね。 菩 提 心 に恥 じ ぬ よう 一 心 不 乱に や る んで す よ 」 と至 極 暖 かい 説 意 で あっ た 。 彼は 微 塵 の笑
道 の士 一 丸 とな っ て 聞 法に 力 が入る 。
然 玄 関 に 人 の 声 が し た の で 行 っ て み る と 、 古 参 の 一 人 が 真 剣 な 面持 ち で 立 っ て い た 。 す ぐ 相 見 と 成 り 、 包
一 汗か い て 老尼 の 座 卓 でお 茶 となり 、欓 隠 老師 の 話 題か ら 実 地 の修 行 内 容に 入 っ て いく の が 常で あ る 。突
少林 窟 は 三方 が 山 。 新緑 又 紅 葉の 季 節 は 格別 の 感 がす る 環 境 であ る 。 落葉 時 期 は 掃除 三 昧 とな る は 道 理。
涙 の一喝
我 れ 死ね ば
面 白 い こと に 師 匠 の如 淨 禅 師の 遺 偈 に よく 似 て いる 。 興 味 ある 方 は どう ぞ 。 山 僧は 、
死 とか そ ん なこ と は ワ シは 知 ら ん。 ご 無 用 々々 々 。 ちょ っ と ご 無沙 汰 す るよ ) と 。
と は粋 な 挨 拶 であ る 。 黄泉 と は 地 下の 泉 。 冥土 を 言 う が、 道 元 禅師 に そ ん なケ チ な 意は 無 い 。 生と か
く は 詰 る こ と に 使 う 。渾身にもとむる無し。 当然 で あ る 。 有 っ た ら 可 笑 し い 。生きながら黄泉に落つ、
なじ
握 り つ ぶ し て 目 に 立 つ 者 は 何 も無 い 。 無 い と 言 う 者も 無 い 。「咦」とは フ フ ン と せ せ ら 笑 うこ と 。 多
脱 落 身 心 の 軽 快 さ の こ と で 、 何 も か も 飛 び 越 し て 何 も 無 い 。 そ し て大千を触破すと 続 く 。 宇 宙 丸 ご と
𨁝
何時 間 た った ろ う か 。「 直 ぐ 来な さ い 」 と呼 び 出 され た 。 気 合い の 入 った 我 々 に は時 間 観 は無 か っ た が、
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𨁝
日 が陰 っ て いた の で 可 成り 長 く空し く 過 ぎ た様 子 が 窺え る 。 大 智老 尼 は 穏や か に 法 話を 始 め られ た 。
「 欓 隠 老 師 は な 、 ワ シ が 少 し 音 信 不 通 し て い た ら 、 「 菩 提 心 が 鈍 っ て は 居 ら ぬ か 」 と 能 く 手 紙 が 来 た 。欓
隠 老師 の 菩 提心 が い つ もワ シ 等 に注 が れ て いた ん だ 。鈍 っ て い るの が 直 ぐ分 か る ん じゃ な 。
お前達は口では一生懸命やりますというが真剣身が足りんのだ。とにかく自己を空じ切るには徹底
「 今」 「 只 」や ら ん と 駄目 じ ゃ 。気 か 緩 む と癖 の 自 己が す ぐ に 煩悩 ・ 雑 念に 連 れ 込 む。 正 念 相続 が 容 易で
な いの じ ゃ 。油 断 す る でな い ぞ 」と 続 い た 。そ し て 、
「 欓隠 老 師 はな 、 百 千 万の 疑 団 も煩 悩も た った 一 つ の意 根 か ら 発す る 。 だか ら た っ た一 つ の 意根 を 解 決す
れ ば良 い 。 つま り 成 り 切れ ば 意 根が 切 れ て 疑団 が 破 れる 。 一 切 の疑 団 が 本当 に 解 決 する ん じ ゃと 言 う てワ
シ の菩 提 心 を駆 り 立 て てく れ た 。そ の 通 り じゃ っ た 」と 。 全 財 産を は た いて の 大 説 法で あ る 。そ し て 、
「 徹底 そ の もの に 成 り 切る と 元 来一 つ も の であ っ た こと が 判 明 する ん だ 。あ れ こ れ 考え ず に 「只 」 や れば
良 い 。 真 剣 に 打 坐 し な さ い 。 真 箇 打 坐 に 成 っ た ら そ の も の が そ の 物 の 真 相 を 教 え て く れ る 。欓 隠 老 師 と 相
見 底じ ゃ 」 と何 時 も の 熱説 法 を ぶっ か け ら れた 。
多少 の 菩 提心 は 起 き やす い が、そ の 程 度 の菩 提 心 は直 ぐ 世 念 に負 け る 。ど う し て も決 死 の 菩提 心 が 起き
て こな い 時 、こ の 劇 薬 は実 に 有り難 た か っ た。 確 か に事 ( 今 ) と一 つ に 成る と 自 己 が無 く な る。 自 我 との
戦 いは 菩 提 心と い う と っと き の武器 が 無 く ては な ら ぬ。 菩 提 心 無く し て は勝 ち 得 る こと は で きな い の だ。
だいえ
しんけつ
大慧 禅 師 は 「 大 悟 十 八 返 、 小 悟 そ の 数 を 知 ら ず 」 と 言 う た が 、 そ ん な 悟 り は 皆 ウ ソ だ っ た と 自 白 し て
わとうじょう
曰 く 、 「 千 疑 万 疑 た だ 是 れ 一 疑 、 話 頭 上 の 疑 、 即 わ ち 破 れ ば 千 疑 万 疑 一 時 に 破 る 」 と 自 身 が 真 訣 を 吐い
えんご
た 。 か く し て 初 め て 三 界 の 大 導 師 と な っ た 。 師 匠 は あ の 巨 匠 圜悟 で あ る 。 長 い 間 祖 師 の 言 句 に 囚 わ れ て
大 いに 苦 し んだ の だ 。 故に 師 匠 の真 血 で あ る碧 巖 を 焼き 捨 て た 。後 人 を 慮っ て の 涙 が分 か る か。 参 。
「 話頭 上 の 疑」 と は 心 意識 の ご たご た の こ と。 大 慧 を苦 し め た 元じ ゃ 。 徹し た 瞬 間 、一 切 が 作夢 の 如 く消
滅 し た 。 そ れ を 実 証 し た 金 口 で あ る 。 一 念 ( 一 瞬 ) か ら 万 念 が 生じ 戦 争 も 起 こ る 。 最 も 恐 ろ し き 事 で あ る 。
だ が、 た っ た一 念 の 正 体を 徹 見 すれ ば 万 事 が光 明 と なる の だ か ら、 い ち いち に 成 り 切る 努 力 を怠 ら ね ば良
い 。「 今 」 「只 」 す る こと だ 。 その 事 に 一 心不 乱 で あれ 。
永嘉 大 師 も「 実 相 を 証す れ ば 人法 無 し 。 刹那 に 滅 却す 阿 鼻 の 業」 と 保 証さ れ た 。 「実 相 を 証す る 」 には
菩 提 心、 菩 提 心。
「 今」 の 事 実に 成 り 切 るよ う 努力す る し か ない 。 菩 提心 の 犯 す べか ら ざ る神 聖 さ を 知る べ き であ る 。 菩提
心 とは 不 惜 身命 で あ る 。
さもありなん
まだ ま だ 書き お き た いこと 多 々あ る が こ こい ら で 止め に す る 。こ れ よ りい よ い よ 「少 林 窟 法語 」 よ り抜
粋 した 老 大 師の 真 骨 頂 に突 入 するこ と と な る。 宝 の 園に 入 る に 似た り 。 され ど 義 光 老師 ・ 大 智老 尼 厳 選の
句 々に て 総 て孤 高 で あ る。 絶 古今、 涙 と 菩 提心 の 結 晶で あ る 。 高き こ と 須弥 山 の 如 く、 堅 き こと ダ イ ヤよ
り 堅い ぞ 。 「少 林 窟 法 語」 故 にさも あ り な ん。 発 心 正し か ら ざ れば 万 劫 空し く 施 す 故に 、 正 の上 に も 正で
な くて は な らぬ か ら だ 。一 度 や二度 読 ん だ ぐら い で 解せ る も の では な い 。
法 の 為 に は 何 物 を も 砕 き 、 総 て を 切 り 尽 く す 金 剛 王 法 剣 で な く て は な ら ぬ ゆ え に 、 こ れ に 勝 る も の 無し
と とこ と ん 熟読 玩 味 さ れん こ とを。 と に か く是 れ を 噛み 砕 け ば 千山 万 関 も百 雜 碎 、 豈に 難 き こと あ ら ん や。
古人 曰 く 、「 鉄 饅 頭 を咬 破 し て百 味 具 足 す」 と 。
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しか し こ れか ら 完 成 させ る 「 全集 」 は欓 老な ら で はの 博 識 と あの 七 翰 林を 凌 ぐ 文 才と 境 界 故に 、 大 変面
白 い故 事 も 沢山 あ っ て これ ま た格別 な 法 味 が充 満 し てい る 。
読む は 易 けれ ど 内 容 は重 い 。 吾人 常 に い う。 語 句 の意 味 を 探 るこ と な く、 菩 提 心 を高 め る こと と 着 眼を
深 める た め のみ 。 「 只 」読 む こと。 読 ん で 実地 に 行 ずる の み 。
しゃくねん
勉 旃 、々々。(努力、々
べんせん
乞う 、 百 読し て 灼 然 ( 確 かに 、 確 かに ) 、 満 身の 打 坐 あれ ば 必 ず 万劫 の 飢 えを 消 ず る を疑 わ ず 。
々)
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飯田欓隠老師語録
入道見性
抄
り
まのあた
衲は明治十九年東京駒込避病院に医たり、コレラ病の死甚だ多く甚だ速し。一日七百に上るを 面
目 撃 し 、 無 上 迅 速 を 恐 怖 し 、 我 身 も か く な り は て な ば い か ゞ な り ゆ く ら ん 、 人 生 果 し て何 物 ぞ 、 死 後 如 何
あきのくにおこやまぶつつうじかんぱくしつかんりようぜんじ
と 、 万 感 万 悶 一 時 身 に 迫 り 、 暫 時 も 安 所 し 難 く 、 断 然 職 を 辞 し て 安芸 国 御 許山 佛 通 寺 観 白室 寛 量 禅師 に
投 ず。
時こ れ 臘 八に 際 し 、 苦修 精 励 古人 に 譲 ら ず、 或 時 は猛 虎 岩 上 に打 坐 し て夜 の 徹 す るを 忘 れ 、或 時 は 身を
まくじきしんぜん
いちやじょうちゅう
活龍の池に投じて打眠を覚破す。勇猛の衆生成佛一念に在りと信じ、 驀 直 進 前 して一歩も退かず。時に
しょげ
白糸の瀧を見て殆んど所知を忘ぜしむことありしが、未だ安眠を得ず。 一 夜 定 中 満身の無、無無を知
ら ず、 自 己 を求 め る に 不可 得 な り。
ちい ち げ
や っ た や っ た と 大 い に 叫 ん で 、 直 に 観 白 の 室 に 入 り て 所解 を 呈 す 。 師 一 見 し て 「 汝 徹 せ り 」 と 印 可 さ
か
る 。 手 の 舞 い 足 の 踏 む を 知 ら ず 。 我 㘞地 一下 は 我 に 非 ず ん ば 知 ら ず 。 知 ら ざ る 者 は 知 ら ず に し て 止 む べ
け んや 。 行 くに 必 ず 道 あり 。 道 を行 け ば 必 ず到 る 。 疑う 莫 れ 謗 する 事 急 なり 。
時人 を 待 たず 。 人 を 見る な 。 行い を 見 る な。 癡 人 は知 ら ず 。 知ら ざ る を咎 む る も 益な し 。 只彼 を し て我
いっせいくう
りょう
を 知ら し め 、我 と 同 化 せし む るの急 あ る の み。 我 は 只菩 薩 の 血 涙あ る の み。 来 接 せ ば自 ら 了 然た ら ん 。
とうき
この 時 投機 の偈 あ り 曰 く 、
こつねんだつらく
つき しろく かぜ きよし
かんきゆうやく
こしょう
「無々々々、語盡き理窮まる、 忽 然 脱 落 、 一 聲 空 に 遼 ず 」 翌 日 ま た 曰 く 、
ちへんしょうようとして
「 地 邊 逍 遙 、 月 白 風 清 、 歡喜湧躍、 古 聖 を疑わず。」
禅は涙である
近頃 禅 の 著書 が 続 々 でる 。 皆 よく で き て おる 。 蘭 菊色 を 争 う の観 が あ る。 只 惜 む らく は 涙 がな い 。 涙が
な いと 人 が 感ぜ ぬ 。 感 ぜね ば 徹せぬ 。 自 ら 泣か ね ば 人を 泣 か ら しむ こ と はで き ぬ 。 孔明 出 師 の表 を よ んで
泣 かぬ も の はな い 。
所詮 涙 を 以っ て 書 く より 外 は ない 。 禅 は 涙で あ る 。涙 な き は 禅で は な い。 二 祖 が 達磨 の 前 に腕 を き り、
六 祖 が 母 を 捨 て ゝ 黄 梅 に 赴 く 。 涙 の 中 の 涙 で あ る 。 禅 が 末 法 の 今 日 ま で 、 懸 絲 の 命 脈 を 守 っ て いる の は 、
皆 涙の 結 果 なら ぬ は な い。 よ く思っ て み よ 。名 利 に 走り て 己 を 欺く よ う なこ と が 、 夢に だ も でき よ う か。
容易の観をなすなかれ
禅な く ん ば法 な し 。 法な く ん ば人 な し 。 人な く ん ば国 な し 。 この 禅 今 まさ に 亡 び んと す 。 これ を 忍 ぶべ
く んば ま た 何を か 忍 び ざら ん や。老 生 い と わず 涙 ず くめ の 文 を 草す る 決 して 偶 然 で はな い 。 只涙 あ る の士
が 知る の み じゃ 。
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病が あ れ ば薬 が い る 。皆 是 れ 祖師 の 涙 で ある 。 只 涙あ る の 士 あり て 、 能く 此 涙 を 潟瓶 的 ( 一器 の 水 を一
器 に 移 す ) に う つ す こ と が で き る の じ ゃ 。 涙 と は 何 ぞ や 。 抛 身 捨 命 で あ る 。 無 上 菩 提 心 で あ る。 勇 猛 の 一
機 であ る 。 但容 易 の 観 をな す なくん ば よ し 。
釈尊見明星成仏の事
ぶっ だ
か
や
ぼ
だい じゅ か
こんごうざじょう
げき
ああ 二 千 五百 年 前 、 時は 是 れ 十二 月 八 日 なり 。 夜 は将 に 明 け なん と す 。此 の 時 釈 迦は ヒ マ ラヤ の 中 腹、
にれんぜんが
尼連 禅 河 の 西 南 一 里 の 地 、 仏 陀 伽 耶 に あ り 。 菩 提 樹 下 金 剛 坐 上 に 端 坐 せ り 、 寒 天 冴 え 渡 り 、 闃 ( ひっ
そ り) と し て静 な り 。
恰も 東 よ り明 星 出 ず 、忽 ち 釈 迦は 見 た り 。自 己 無 き時 自 己 な らざ る 無 し。 宇 宙 は 全自 己 と なり に け り。
大 悟せ り 、 身心 脱 落 せ り。
十九 歳以 来の 希 望 は 総て 満 さ れた り 。 大 解脱 門 は 開け た り 。 この 嬉 し さを 何 に た とえ ん 。 大に 叫 ん で曰
おん だい むくいがたし
く 、大 地 有 情我 と 同 時 成道 と 。世は 皆 仏 な るぞ 、 や れば 誰 で も やれ る ぞ 、我 は 既 に 得た る ぞ と。
だい ち
う
じょう
し
し
く
勉旃々々
この 実 験 的證 明 あ る に非 ず ん ば誰 か よ く 喚起 せ ん 。あ あ 恩 大 難 酬 。 我 等は 只 大 菩提 心 に む ちう ち て
不 借身 命 と 誓わ ん の み 。
今じゃ、今じゃ
けんみょうじょう
見 明 星 即 ち 涙 の 眼 な り 。 大 地 有 情 と 同 事 成 道 の 獅 子 吼 、 こ れ 涙 の 口 な り 。 た れ か こ の 涙 と な らざ
ら んや 。 今 この 行 持 の 涙に 参 ぜ ざら ん や 。 これ 即 ち 、二 千 五 百 年釈 迦 老 師の 涙 な り 。即 ち 、 二千 五 百 年 後、
我 等が 現 成 の涙 な り と 勘破 せ よ 。涙 は 超 越 底の も の なれ ば な り 。奮 起 せ よ。 奮 起 せ よ。 更 に 猛く 奮 起 せざ
る べか ら ず 。
うん げい
ただ
これ 決 し て容 易 の 涙 に非 ざ る なり 。 こ れ によ り て 己墜 の 真 風 はた ち ど ころ に 復 活 さる も の なり と 知 れ。
世 界は こ の 涙に よ り て 統一 さ る るも の な り と知 れ 。 涙な く ん ば 禅な し 。
たい かん
少林 を し て世 界 統 一 の中 心 点 とな せ 。 万 国万 民 は この 涙 を ま つこ と 大 旱 の 雲 霓 (雲 や 虹 ) も 啻 ( そ れ
ば かり ) な らざ る に 非 ずや 。 今 じゃ 、 今 じ ゃ。
ろうはつ
恰 も 好 し 。 今 や 臘 八 ( 十 二 月 一 日 よ り 八 日 ま で の 大 坐 禅 ) 来 な り 。 臘 八 は 来 れ り 。 此の 日 釋 迦 は 明 星
を 見て 大 悟 せり 。 見 る 時、 誰 か 見ざ ら ん 。
アンコンコン
その間何物かある。看時不見暗昏々。(看る時見ざる、 暗 昏 々 。本当に看る時、見るという者が無い。
そ の物 と 一 つに 成 っ て いる と 言 うこ と ) 誰 か慚 愧 の 涙な か ら ん や、 臘 八 は叢 林 の 骨 髓な り 。 この 身 、 この
しってことさらにおかす
時に向って度せずんば又何れの時にか、 知 而 故 犯 の罪を殞せん。臘八の時、満身臘八になればよい。
そ の自 覚 が 直に 是 れ 再 来人 じ ゃ 。
我れ 少 林 窟を 設 け た る所 以 は 、唯 こ の 一 箇半 箇 を 接得 し て 、 正法 眼 藏 を断 絶 せ し めざ ら ん 事を 期 す るに
至祷 々 々
あ り。 是 れ 即ち 仏 々 祖 々の 遺 嘱なり 。 骨 に 銘じ て 忘 れべ か ら ざ るの 一 大 事な り 。 高 く眼 を つ けて 其 の 人と
な れ、 其 の人 と な れ 。
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大医王の診断
そもそ
抑 も我等の禅堂は畢竟病の起原を撲滅して真の健全無病の身心を作り出す、最高の病院というてもよ
い。
全 体世 間 で 健康 と い う 詞を 用 い てお る が 、 大医 王 ( 釈尊 ) の 診 断に よる と、 真 の 健 康者 は 一 人も い な い。
つ まり 時 が くれ ば 死 な ねば な ら ぬと い う 條 件付 の 健 康で は あ る まい か 。 さて そ の 死 がい つ も 思ひ が け ない
時 に来 て 人 を驚 か す 。
こ の故 に 仏 は、 生 命 は 呼吸 の 間 に在 り と い ひ、 如 露 亦如 電 と い ふて 、 我 等に 覚 醒 を 促し て お る。
空 し く過 ぎ し 日月 な り け り
あ あ肉 慾 の 奴隷 よ 、 少 しく 夢 よ りさ め よ か し。
山 の は に影 傾 む き てく や し きは
人心自在
釋迦 は 正 ・像 ・ 末 の 三時 と い ふこ と を い ふた 。 こ れ仏 の 涙 で ある 。 正 とは 證 な り 。仏 を 去 ると 雖 も 、教
あ り、 行 あ り。 正 し く 證果 を 得るも の あ る を、 正 法 時と な す 。
像法 と は 像は 似 な り 、法 儀 行 儀行 わ れ ず 唯教 あ り 行あ り て 證 果な く 、 像似 の 仏 法 行は る る 時を 像 法 とい
ふ ので あ る 。證 果 な き の教 行 はほん も の で ない 、 似 て非 な る こ とを し ら ねば な ら ぬ 。
末法 、 末 とは 微 な り 、転 た 微 末に し て 、 ただ 教 あ りて 行 な く 、證 な き を末 法 と い ふに あ る 。今 正 に その
時 に当 っ て いる 。
時に 正 像 末あ り と 雖 も、 人 心 は自 在 な り 、無 自 性 なり 。 釈 迦 が正 像 末 を説 い た は 時代 を 利 用し て 、 我等
驚 か さ ばや さ め ぬ眠 り を
の 怠慢 心 を 戒し め 、 裏 面に は 我等の 惰 眠 を 覚さ し め んと の 興 奮 薬と 見 て もよ い 。
玉 あ ら れ学 び の 窓 に音 立 て て
真風地に落つ
禅
禅海 の 濁 乱は 、 今 日 最早 や 、 其の 極 じ ゃ 。未 得 謂 得の 増 上 慢 、白 昼 に 横行 し 、 公 案の 大 安 売を や っ てお
る 。狗 肉 を うっ て 、 衆 盲を 引 く。真 風 地 に 落ち 、 正 見か げ だ に もな し 。 古人 は 地 下 に泣 い て おる 。 夫
今 将に 亡 び な んと す 。 これ を 忍 ぶ べく ん ば 、又 何 を か 忍び ざ ら んや 。
は 仏法 の 総 府な り 。 的 々相 承 又 何処 く に か ある 。 禅 なく ん ば 法 なし 。 法 なく ん ば 人 なし 。 人 なく ん ば 国な
し。
此 の禅
人を 思 ひ 道を 思 ふ の 真情 を く んで く れ よ 。
正門より入れ
看 よ 古 来 の 仏 祖 未 だ 坐 禅 に よ ら ず し て 、 成 仏 作 祖 せ し も の あ る を 見 ず 。 深 く 信 じ て 正 修 行す べ き で あ る 。
即 ち坐 禅 は 入仏 の 正 門 なり 。 正門に 入 ら ず んば 、 あ に正 殿 を 拝 する を 得 んや 。 正 門 ゝゝ 。 傍 門を け っ てこ
の 門に 入 れ 。
雲 さ け て月 を は き 出す 時 鳥
決して修せよ
坐時 に 無 上の 力 あ る こと は よ く解 っ た が 、い か に して こ の 境 地に 体 達 し、 自 覚 し 得べ き や 。修 行 者 の心
得 方最 後 の 一決 で あ る 。こ れ を一大 事 因 縁 とい う て ある 。 こ れ を好 む は これ を 知 る にあ り 。 これ を 知 るは
い つ か菩 提 に 入る ぞ 嬉 し き
こ れを 楽 し むに 在 り と 、孔 子 はいう た 。 楽 自得 底 で ある 。
耳 に聞 き 心 に 思い 修 す 時は
これ よ り 聞か さ ん 。 聞け よ 聞 けよ 。 こ れ を思え ば 茲に 在 り 。 思う て 決 せよ 、 決 し て修 せ よ 。聞 思 修 より
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三 摩地 に 入 ると は こ ゝ じゃ 。 三 摩地 と は 畢 竟じ ゃ 。 極地 に 達 し て求 心 の 止ん だ 処 じ ゃ。
正邪は即菩提心の有無
要は 菩 提 心じ ゃ 。 菩 提心 が な けれ ば い か に名 論 で も龍 を 画 て 瞳を 点 ぜ ぬじ ゃ 。 正 人邪 法 を 説か ば 邪 法か
え って 正 法 と成 る 。 邪 人正 法 を説か ば 正 法 かえ っ て が邪 法 と な る。
深く 反 省 せね ば な ら ぬ。 大 い に戒 慎 せ ね ばな ら ぬ ぞ。
おこ
菩提心を発せよ
古 来 の 仏 祖 、 菩 提 心 を 発 せ ず し て 成 仏 作 祖 せ し も の あ る を き か ず 。 さ れ ば 菩 提 心 は仏 祖 を 生 む の 母 で あ
る。
今 仏祖 の 母 にな れ る の であ る 。 すぐ 菩 提 心 を起 こ せ ばよ い 。 こ の心 は 仏 性具 足 の こ の身 の 起 せば い つ でも
起 さる る こ とに な っ て いる 。 左 に向 い た 首 を右 に 向 ける よ り 易 いの で あ る。 世 念 が 強い か ら 、之 が 起 ら ぬ。
起 った と い ふて も 、 い つも 世 念 がぶ ち こ わ して い る 。世 念 と 菩 提心 と は 正反 対 じ ゃ 。い つ も 衝突 し て 世を
み だし 人 を 苦し む じ ゃ 。こ れ が 禅を 永 く や って を る 者の 中 に 沢 山あ る 。
あ し き 人み る 度 ご とに 泣 く 菩薩 、 よ き 人に な れ よき 人 に な れ、 じ ゃ 。
釈迦 の 時 にも 九 十 六 種の 外 道 があ っ た 。 人心 の 荒 み切 っ た を 転ぜ し む るは容 易 で ない 。
だ
こ こ に 仏 道 の 価 値 が あ る 。 万 難 を 排 し て 一 箇 半 箇 で も 真 乎 菩 提 心 の あ る も の 作 り打 さ ね ば な ら ぬ 。 人 の
化 度し 難 き こと よ 。
蹉過する勿れ
「 光陰 む な しく 渡 る こ とな か れ 。」 石 頭 大 師の 血 滴 々じ ゃ 。 蹉 過す る 勿 れじ ゃ 。 い くら 働 い ても 牛 馬 もは
た らく 。 菩 提心 な け れ ば、 皆 む なし く わ た るじ ゃ 。 菩提 心 を 高 く見 よ 。
世界 中 の 智恵 を 総 合 して き て も、 一 瞬 の 菩提 心 に は及 ば ぬ 、 およ ば ぬ 。世 界 は つ きる こ と あり 、 有 量有
辺 なり 。 と ても 比 較 の かぎ り あ らざ る な り 。各 自 其 價を し れ り 。世界 の 人類 は 、 石 ころ も 同 様じ ゃ 。 いつ
そうずいらい
も宇宙と離れておる。生ながら死でおる。われらの菩提心は、 相 隨 来 やおともがある。宇宙僕たりじゃ。
死 んで も 生 きて お る 。 死も ま た 宇宙 な り 。 菩提 心 は 死せ ざ る な り。 こ の あわ れ む べ き人 類 を 救は ざ ら ん や。
天性の価値
禅を や る のな ら 、 先 ず菩 提 心 を起 す が よ い。 菩 提 心が な け れ ば禅 を や って も 駄 目 だ。 今 の 禅者 に 菩 提心
の 名だ に 知 らぬ 者 が あ る。 十 年労し て 一 日 の効 な し じゃ 。 そ れ は正 師 が なく て 、 聞 かす 者 が ない か ら じ ゃ。
菩提 心 無 き奴が 、 菩 提心 を 聞 かす 事 出 来 るも の で はな い 。 菩 提心 の こ とを 言 う と 、恐 れ て 逃げ る 。 あま
り 事が 大 き いか ら だ 。 大き い 事が小 さ い 処 にあ る 事 を知 ら ぬ 。 ダイ ヤ モ ンド は 小 さ くて も 価 値が あ る 。此
吾 人の か ら だに 菩 提 心 が充 ち てをる 。 元 来 菩提 心 は 生ま れ つ き のも の で 、無 く し ょ うと 思 っ ても 、 無 くす
る こと の 出 来ぬ も の じ ゃ。 是 がなけ れ ば 、 人を 止 め なけ れ ば な らぬ 。 天 性も っ て 生 まれ た も のじ ゃ 。
それ ま で いう て を か ねば 、 驚 くか ら 前 置 きし て を くの だ 。 菩 提心 と は 、無 上 道 を 得て 、 宇 宙を 救 い 盡す
と いう 事 じ ゃ。
さぁ 驚 い たろ う 。 い や宇 宙 と いえ ば 、 十 五億万 人 どこ ろ で は ない 。 天 の天 蓋 ま で も救 う 心 じゃ 。 救 われ
る のじ ゃ 。
禅ノ命
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見性 は 見 性し た も の でな け れ ば知 れ ぬ こ とじ ゃ が 、ま ず 定 義 を知 っ て おく こ と が 肝要 で あ る。 そ う でな
イタズラ
啼き つ る 方 は 山な ら ん
梶 と り な ほせ 夜 の 舟人
い と 胡 乱 に 修 行す る こ と に なる 。 磁 石な く し て 大洋 を 航 する よ う な 者じ ゃ 。 どこ を さ し て行 く べ きや 。
ほととぎす
時鳥
心 に 真 妄 は な い 。 元 来 心 は 真 妄 を 離 れ た も の だ 。 見 性 し て み る と 窮 屈 な も の では な い 。 宛 転 自 在 を 意 味
し たも の じ ゃ。 狭 い も ので も 、固ま っ た も ので も な い。 即 自 己 の広 大 な るを 知 る が よい 。 心 と仏 及 び 衆生
と 、是 の 三 に差 別 無 し とい う に至り て は こ まか に 自 己を 説 た の であ る 。 大な る か な 見性 じ ゃ 。
見性の方法
菩提 心 を 起し て 自 己 を知 ら ね ばな ら ぬ と いう 事 が 分っ て 来 た が、 自 己 を知 る に は どう し た らよ い か 。ど
う いう 修 行 をし た ら よ かろ う か。た だ 三 つ ある 。 是 より 他 に は ない 。 此 方法 は 実 は すぐ に 目 的と な る のじ
ゃ 。併 し そ こま で 行 く には 多 少の時 間 が 必 要じ ゃ 。
ぼっちょう
みだ り に 修証 不 二 と いう こ と は許 さ れ ぬ じゃ 。 法 はそ れ で あ っても 人 がそ れ に 相 応せ ね ば 今時 の 役 には
こうべ
たゝぬ。「英雄 首 を回せば即ち神仙、又、退歩一番、仏地を 勃 跳 す」ともあるが、法ばかり見て、人
を 見ぬ か ら 実地 に 当 っ て大 き な くい 違 い が 出来 る 。 胡椒 丸吞 に はで き ぬ 。や は り 着 々修 行 し てゆ か ね ばだ
め じゃ 。
三と は 何 ぞ。 只 管 打 坐・ 公 案 工夫 ・ 戒 法 護持 。 是 れが 仏 祖 の 命脈 じ ゃ 。皆 知 っ て おる 事 じ ゃが 、 是 丈け
に まと め る 人が な い 。 又た と え 此三 つ を 知 って い て も、 三 つ に 就て の 真 意義 が分 っ て居 ら ぬ 。
そこ で な んぼ や っ て も無 駄 骨 ばか り じ ゃ 。し ば ら く三 と 分 る るも 三 即 一じ ゃ 。 離 れる こ と は出 来 ぬ じ ゃ。
一 つわ か れ ば皆 わ か る 。一 つ わから す に は 必ず 三 つ によ ら ね ば なら ぬ 。 ここ が 大 切 なと こ ろ じゃ 。
只管打坐
坐禅 を す る事 じ ゃ 、 只管 と は ヒタ ス ラ と 読む 、 余 物な き こ と じゃ 、 只 坐る 事 じ ゃ 。何 も そ え物 が な い事
じ ゃ。 自 己 とい う か た まり も のの認 め よ う がな い 。 只坐 禅 す る ばか り じ ゃ。 思 う に もあ ら ず 、坐 す る とい
う 事も な い 。只 坐 す る ばか り じゃと は 坐 相 がな い と いう 事 じ ゃ 。
身 心 脱 落せ よ
相と は 、 見る も の と 見ら る る ものが あ る のじ ゃ 。 坐禅 が 坐 禅 を見 る こ とは 出 来 ぬ 。そ こ で 八面 玲 瓏 じ ゃ。
邪 魔者 が 一 つも な い 。 坐禅 か ら行住 坐 臥 に 打っ て 出 る余 地 が い くら で も ある の じ ゃ 。す べ て が坐 禅 を して
を る時 の よ うに 自 己 の かた ま りなし に 活 動 する こ と が出 来 る 。
にく い 時 はに く い 坐 禅じ ゃ 。 にく い 相 手 がな い 。 かた ま り が ない か ら 如何 様 に も 転ず る 事 が出 来 る 。是
を 身心 脱 落 とい う 。 坐 禅が 直 に身心 脱 落 の 姿じ ゃ 。 社会 が 皆 坐 禅を し て をる 事 が わ かる 。
俳句禅
何 の そ の百 万 石 も 笹の 露 。 一茶 の 句 。
加 州 公 の 前 で よ く い ふ た 。 財 も 位 も 死 の 前 に は 笹 の 露 ほ ど も な い と 菩 提 心 を 促し た の ぢ ゃ 。 公 は さ す が に
こ の句 を 悦 ばれ た 。
是 道 や 行く 人 な し に秋 の 暮 。
惟然 坊 ぢ や、 知 音 稀 に有 り ぢ ゃ。
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電 に 悟 らぬ 人 の 尊 さ よ。
いなずま
と は芭 蕉 が 小成 に 安 ず るな と 、 瞥地 の 智 通 、星 光 り 悟り を 諌 め てく れ た ので あ る 。
か や を 出て ま た 障 子あ り 夏 の月 。 は 千 代の 反 省 。
で き ふ でき ど ち ら でも よ き ふく べ か な 。蕪 村
で き あ いの 山 で す ます や け ふの 月 。
不昧 因 果 の安 住 を 菩 提心 で こ なし て を る 。
月 一 つ 影色 々 の お どり か な 。
おど る 時 活
(動 は
) わ れは な い 。わ れ な き 時宇 宙 我 なら ぬ は な い。 直 に これ 菩 提 心 の實 證 ぢ や。 あ ゝ 大な
いかはんたい
る 哉 あ ゝ 尊 い か な 菩 提 心 。 こ れ あ れ ば た れ り で あ る 。 こ れ な け れ ば 皆 ゼ ロ よ 、 衣架 飯 袋 よ 、
ふいちようじゆうもくとう
不 異 鳥 獣 木 頭 ぢゃ 。
誰でもやれる
古人 が 、 「行 ず れ ば 則ち 証 其 の中 に 在 り 、自 家 の 珍宝 外 よ り 来ら ず 。 」と 云 い し も、 た し かに 分 か っ た。
手 の舞 い 足 の踏 む を し らん や 。
「 所謂 坐 禅 は習 禅 に 非 ず唯 是 れ 安楽 之 法 門 也。 菩 提 を究 尽す る の修 証 也 。」 と あ る 。
坐禅 は 結 果で あ る 。 手段 で は ない 。 元 古 仏も 、 「 悟来 底 の 法 なり 」 と もい う て を る。 天 桂 は、 「 坐 禅の
坐 禅な り 」 とも い う て をる 。 坐禅以 前 よ り の坐 禅 で あっ た 。 豈 坐臥 に 拘 わら ん や じ ゃ。 知 ら ぬも の が 知ら
ぬ まで じ ゃ 。こ れ に よ りて 知 らさね ば な ら ぬ。 悟 ら せね ば な ら ぬ。 や れ ば誰 で も や れる に 決 まっ て を る。
如浄 古 仏 曰く 「 只 管 打坐 し て 身心 脱 落 な るべ し 」 また 曰 く 、 坐禅 は 身 心脱 落 也 、 只管 打 坐 して 始 て 得べ
しょうこうらいはいねんぶつしゅさんかんきん
し 、 燒 香 礼 拝 念 仏 修 懺 看 経 を 要 いず と 。
しょうとうざじ
「 正当 坐 時 」 は 坐 禅 す る ば か り じ ゃ 。 只 管 と は タ ダ な り 。 タ ダ と は 餘 物 を 交 え ざ る の 義 で あ る 。 只 管 の
二 字最 も 着 目す べ し 。
「 正当 坐 時 」は 全 分 の 坐時 に し て、 微 塵 計 りも 余 物 を交 ゆ る を 許さ ざ る 、こ れ そ の 物の 本 性 なり と 知 るべ
し。
禅の極致
禅の 極 致 は只 見 性 に ある じ ゃ 。見 性 を 除 けば 禅 は ない 。 禅 の 巍然 と し て頭 角 を あ らわ す じ ゃ、 只 こ の見
がびょう
性の一つ にあるじ ゃ 。禅は仏 法の総府 と いふもそ こじゃ。 他 流の仏法 は名相ば か りじゃ。 畫 餅 飢をいや
す に足 ら ず じゃ 。
釋迦 の 十 二年 難 行 苦 行、 只 見 性の た め の みじ ぞ 。 十二 月 八 日 見明 星 は 直に 是 見 性 であ る 。 大地 有 情 と同
時 成道 と 叫 んだ も 面 白 きこ と じゃ。 是 よ り 四十 九 年 横説 竪 説 の 大自 在 を 得ら れ た 。 しか も 見 性せ よ と 説い
た 迄だ 。 見 性は と け ぬ 。そ こ で四十 九 年 一 字不 説 と いふ た 。 達 磨九 年 面 壁こ れ 何 ぞ 、面 壁 と 見性 と 同 か異
か 、直 指 と いふ も 遅 八 刻じ ゃ 。
直と 云 へ ば遅 速 の 念 があ る 。 只我 等 は 坐 禅す れ ば よい 。 そ を して 大 悟 すれ ば よ い 。
「 仏曰 、 人 若し 三 世 一 切の 仏 を 了知せ ん と 欲せ ば 、 當に 法 界 の 性を 観 ず べし 。 一 切 唯だ 心 造 なり 」 と 。坐
ごつごつち
禅 の こ と と 知 る べ し 。 只 兀兀 地 ( は げ 山 の 如 く 枯 れ 木 の 如 く ) 打 坐 す る と き 、 見 性 成 仏 露 堂 々 。
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奮起せよ
ろう
畢竟 ど を した ら よ い か。 只 其 物々 々 に 成 切っ て 自 己を 忘 ず る まで じ ゃ 。こ れ を 大 死一 番 し 来れ と い ふこ
へい し
とである。 平 四 郎 といふ草履取り。主人に草履で頭をうたれ、口惜くおもい、吾にも仏性あり、磨かば
な どか 光 ら ざら ん と 、 支那 に 渡 り無 準 禅 師 によ る 。 彼文 字 を 知 らず 。 禅 師は 圓 相 の 中に 丁 の 字を か い て與
へ 「こ れ に 成り 切 リ 喪 身失 命 し 来れ 」 と 命 ぜり 。
平四 郎 九 年端 坐 し て 工夫 純 熟 し、 天 地 一 枚の 丁 の 字と な り に けり き 。 何物 に 當 っ ても 、 無 碍自 在 の 境界
を 得て 、 嬉 しさ 、 い は ん方 な り。帰 朝 し て 松島 の 穴 の中 に て 坐 禅せ り 。 今も 法 身 窟 とて 現 存 せり 。 時 賴行
脚 の途 次 穴 の中 に 発 見 し、 師 事して 瑞 巖 寺 の開 山 と なす 。 法 身 国師 即 是 れな り 。 上 知と 下 愚 を論 ぜ ず 、只
志 の一 つに あり じ ゃ 。 今こ の 四 字の 標 語 も 只直 下 に 成切 り な ば 、直 下 に 承當 せ ん 。 平四 郎 九 年の 消 息 にも
ま さる を 得 ん。
盤山の大悟
昔、 盤 山 市中 に い で で、 人 の 猪肉 を 買 う をみ る 。 曰く 精 肉 一 片を 与 へ よ。 屠 者 刀 を擲 て 曰 く、 何 れ の処
力 精底 な ら ざる と 。 盤 山き き 得て省 あ り 。 これ 常 に 思ふ て や ま ざり し 故 なり き 。 殆 んど 所 知 を忘 ぜ ん とし
て 未だ 安 眼 をと げ え ざ りき 。 山上山 あ る を しる 。
りかい
後ちに、一日人の葬式に鈴を振って、紅輪決定枕西去 紅
( 輪決定して西に沈み去る 。
) 未委魂霊往那方
いずこ
未
( だ 魂 霊 那方 に か 往 く を 委 せ ず 。
) 誰も皆一度はこのうきめにあふものうっかりしておる。いまはのと
き にう ろ た える 、 と 唱 れば 幕 下 の孝 子 哭 し て、 哀 々 、と 云 を 見 る。
盤山 只 聞 くば か り に して 、 耳 あり や 、 自 己あ り や 。忽 焉 と し て大 悟 し て馬 祖 の 印 可を 得 た り。 嬉 し かっ
た ろう 。 亦 且つ 此 事 の 容易 な らぬを し る が よい 。
海 印信 、 頌 して 曰 く
あいあい
)
哀 々相 應 便 承當 。 ( 哀 々 と して 相 い 應じ 便 ち 承 當す 。 )
いずく
畢 竟魂 霊 往 那方 。 ( 畢 竟魂 霊 那方 へか 往 く 。 )
。
ねん
踊 躍自 然 全 體露 。 踊
( 躍 自 然 と し て全 體 露 る
)
ゆうやく じ
始 知遍 界 不 曽藏 。 始
( て 知る 遍 界 曽て 藏 さ ず 。
わ が 泣く こ え は秋 の 風
と 若し 徹 せ ずん ば 何 か なら ん 。 刻苦 光 明 必 盛大 な り 。
芭 蕉は い ふ た、
塚 も く だけ
こ の間 何 も のあ り や と 参じ み よ 。哀 々 の 声 ある の み 。
露 に泣 く 千 點の 涙 。 風 に吟 ず 一 様の 松。
)
か くて 盤 山 は法 柄 を に ぎり 、 天 下に こ 號 し 度生 三 昧 に入 る 。 衆 に示 し て 曰く 、
心 月孤 円 、 光呑 万 象 。 心
( 月 孤 り円 に し て 、 光万 像 を 呑む 。 )
光 非照 境 、 境亦 非 存 。 光
( は 境 を照 ら す に 非 ず、 境 も 亦た 存 す る に非 ず 。
光 境倶 亡 、 復是 何 物 。 光
( 境 倶 に亡 ず 、 復 た 是れ 何 物 ぞ。 )
心 月と は 心 月な り 、 心 月の 一 法 を證 す る と き、 宇 宙 心月 な ら ざ るは な し 。
本当の嶮峻
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棒と は ぶ んな ぐ る こ とで あ る 。何 故 ぶ ん なぐ る 。 それ は 棒 を 喫し た る もの が 自 知 する の み じゃ 。 ぶ んな
いいえざるもさんじゅうぼう
ぐ れ ば 痛 い 。 痛 い 刹 那 に 何 物 か あ る 。 妄 想 が あ る か 、 悟 り が あ る か 。 実 参 実 究 し て 知る が よ い 。 徳 山 は 棒
いいうるもさんじゅうぼう
つかいの名人である。「 道 得 三 十 棒 、 道 不 得 三 十 棒 」と叫んでぶん殴った。人はこれを嶮峻の手
段 とい う が 、そ う で は ない 。 説 きす ぎ て お る。 児 を 憐ん で 醜 を 忘ず る 模 樣が あ る 。 実は ダ ル マの よ う にな
ん にも 言 わ ず、 ぶ た ぬ 方が 、 本 当の 嶮 峻 な ので あ る 。只 今 時 の 学人 根 機 弱き が た め に棒 の 入 用が い る ので
あ る。
南院の棒折るるや
しんしん
「 僧、 馬 祖 に問 う 。 如 何是れ 仏 法の 大 意 。 」祖 便 ち 打っ て 云 く 、「 我 若 し汝 を 打 た ずん ば 天 下の 人 、 我を
うけが
かんしゅつ
笑い去ること在らん。」あゝ馬祖なるかな。誠に是れ老婆知識の 針 箴 (至れり尽くせりの手当)である。
り
「 僧 因み に 、 南 院 に啐 啄 同時 の 用 を 問 う 。 」 院便 ち 打 つ 。 僧 不肯 は ず 。院 便 ち 趕 出 ( 追 放 ) す 。僧 後 に
え
雲門の 会 裡 に到って前話を挙す。一僧有り云く。「南院の棒折るるや。」打ちかたが手ぬるいというこ
かつ ねん
と じゃ 。 其 の僧 谿 然 と し て 省悟 す 。
ふけつ
ま た 風穴 は 南 院 に 、 「 棒 下 の 無 生 忍 ( 一 度 死 ん だ 奴 ) 、 機 に 臨 ん で 師 に 譲 ら ず 。 」 と い わ れ て 大 悟 し
た。
み る も の は こ れ だ け で も み る で あ ろ う 。 縁 は ど こ に あ る か し れ ぬ 。 只 源 泉 混 々 不 捨 昼 夜 に や っ て いけ ば 、
い つか ぶ ち ぬく 時 が 来 るに 違 い ない 。
単になれ
い つ か 菩提 に 入 るぞ 嬉 し き
理想 は 実 現の 前 段 階 じゃ か ら 、や は り 理 想が 先 決 問題 じ ゃ 。 一番 大 事 じゃ 。 し ば しば い う 如く 、 聞 思修
よ り三 摩 地 に入 る と は 此処 じ ゃ。
耳 に 聞 き心 に 思 い 修す と き は
たっ た 「 今」 !
聞く
只坐 禅 す る暇 な き も のは 、 そ の場 そ の 物 を修 養 の 材料 と し て その 場 そ の場 の 「 単 」に な れ ばよ ろ し い。
白 隠は 地 限 り場 限 り と いい ま した。 前 後 際 断で あ り ます 。 て っ とり 早 く 「今 」 !
空 一 杯の ほ と とぎ す
と き 聞 の 「 単 」 に な り き れ ば よ い の で あ り ま す 。 法 縁 深 き も の は 一 言 で 大 悟 し た 例 が 幾 ら も あ りま す 。
鳴 か ぬ 間や
花を 見 る 時花 に な る 。花 が 我 か、 我 が 花 か、 斯 間 自己 を 求 む るに 不 可 得じ ゃ 。
愚にあらざれば狂
たゞ 因 果 無人 の 安 全 弁を お す こと を し ら ぬ。 真 空 妙有 の す き 透っ た 眼 鏡を か け る こと を 皆 忘れ て を る。
因 果は 差 別 じゃ 。 妙 有 じゃ 。 無人は 平 等 じ ゃ。 真 空 じゃ 。 一 方 に偏 堕 す るの が 夢 じ ゃ。 こ の 夢が さ め ぬの
で 人が 苦 し み世 が 乱 れ るの じ ゃ。無 い も の をは っ き りと 見 え て 居る と い うも の は 愚 にあ ら ざ れば 狂 で はな
い か。
仏の命
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元古 仏 曰 く、 「 人 若 し三 業 に 仏印 を 標 し 、三 昧 に 端坐 す る 時 」 身
( 心 脱落 し て 、
) 「辺 法 界 仏印 と な り、
尽 虚空 悟 り とな る 」 と ある 。 ま た曰 く 、 「 仏法 の 中 には 生 即 不 生と い ふ 。 生
( に 自 己 なけ れ ば なり 。
) 「滅
も 一時 の 位 にて ま た 先 あり 、 後 あり 、 こ れ によ り て 滅不 滅 と い ふ」 滅
( に自 己 な け れ ばな り 。
) 「 生 と いふ
時は生より外にものなく、滅といふ時は滅より外にものなし、 宇
( 宙には全く小自己なくして、全大自己
の 生滅 な れ ばな り 。 ま
) た曰 く 「 生死 は 仏 の 御命 な り 。」
これ を 厭 ふて 捨 て ん とす る は 、即 わ ち 仏 の御 命 を 失わ ん と す るな り 。 これ に 止 ま りて 生 死 に着 す れ ば、
こ れも 仏 の 御命 を 失 う なり 。 仏
( は つ ね に 活 動変 遷 し て止 まざ る もの な れ ばな り 仏
) の あり さ ま を止 む るな
り 。厭 ふ こ とな く 、 慕 ふこ と な き省 力 の 処 、即 得 力 の処 、 こ の 時始 め て 仏の 心 に 入 る。 但 し 心を も て はか
る こと 勿 れ 、言 葉 を も て言 う こ と勿 れ 、 身
( 心脱 落 し 了わ れ ば 何 の思 う こ とも 言 う こ とも な い 。) 坐 禅 は安
楽 の法 門 な り。 人 生 観 即宇 宙 観 の極 致 な り 。こ れ ぞ 即わ ち 禅 の 要領 で あ る。
仏見法見を打破せよ
ため
鉄牛 は 支 那の こ と ゝ ばか り 思 うま い ぞ 。 思い が け ない と こ ろ に満 ち 々 ゝて を り は せぬ か 。 この 故 に 雪竇
しゃり
曰 く 、 「 這 裏 に 環 っ て 祖 師 有 り や 。 自 ら 云 く 、 有 り 。 喚 び 来 っ て老 僧 が 与 に 洗 脚 せ し め ん 」 と 。 い や し
人 の 心ぞ 塵 と なり ぬ る
払 わん た め の箒 な り け り
呵 々 大 笑。
く も仏 見 法 見あ れ ば 、 入地 獄 如 矢じ ゃ 。 達 磨さ ら に 達磨 を 求 む る理 あ ら んや 。 本 来 無一 物 、 何處 惹 塵 埃と
い うも 既 に 塵埃 じ ゃ 。
払 ふべ き 埃 も なき に 箒 持つ
天桂 笑 っ て曰 く 、
払 うべ き 埃 も なし と い う人 を
正師に着け
「 古人 云 く 、発 心 正 し から ざ れ ば、 万 行 空 しく 施 す と。 誠 な る 哉こ の 言 。行 道 は 導 師の 正 と 邪と に 依 るべ
きか。機は良材の如く、師は工匠に似たり。縦い良材たりと雖も、良工を得ざれば奇麗未だ彰われず。
たと
縦 い曲木と雖も、若し好手に遇わば妙功忽ち現わる。師の正邪に随って悟の偽と真とあること、これを
あきら
以 て 暁 か な るべ し 。 」
機と は 学 人の こ と 、 学人 は 良 材の よ う な もの 、 師 は大 工 じ ゃ 。大 工 が 悪け り ゃ 、 あた ら よ き材 木 を めち
ゃ めち ゃ に する 。 菩 提 心あ る 種草を 邪 師 め が枯 ら せ てし ま う 。
眼
力
たくほうがん
反 之 、良い大工は曲った木でもそれぞれに役にたゝする、りっぱにしあげる、強将下には弱卒なし
これにはんし
しかしながら
じ ゃ。 乍 併 、 爪牙 未 だ 備 はら ざ る師 の 正 邪 を勘 破 せ よと い う の は無 理 じ ゃ。 唯 択 法 眼 を 具 し た勝 友 の
おぼ
指図を受けるのが肝要である。借問す、今禅界に果たして正師ありやなしや、いと 覚 つかなき問題であ
る。
尋ね廻るな
たと へ ば 十字 街 頭 に 親子 相 逢 うが 如 し 。 別人 に 向 かっ て 是 と 不是 と を 問う を 要 せ んや 。 た ゞ嬉 し 涙 ある
の みじ ゃ 。 千古 の 重 一 時に 脱 却した ま で じ ゃ。 こ の 味い は 見 性 した も の でな け れ ば 分ら ぬ 。 只知 る も のが
知 る。 知 ら ぬも の が 知 らぬ 。
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君 な ら で誰 に か 見 せん 梅 の 花色 を も 香 をも 知 る 人が 知 る 。
実に 知 音 稀な り じ ゃ 。打 坐 ば かり で は と かく 残 り 物が あ り や すい 。 公 案の 力 を か るに あ ら ざれ ば 今 時の
劣 根器 で は 残り な く 洗 い流 し するこ と が 出 来ぬ 。 自 然の 要 求 や むを 得 ず じゃ 。 大 慧 も大 悟 十 八小 悟 不 知数
と いう て お るが 、 や は り残 り 物 があ っ た の じゃ 。 身 に覚 え の あ るこ と じ ゃ。
正念相続
な ど 川 蝉 の取 ら で 置く べ き
由良 之 助 が祇 園 の か へる さ 、 山科 の 茶 店 の親 父 か ら、 川 蝉 の 画賛 を た のま れ た 。 直ち に 筆 とり て
濁 江 の 濁り に 魚 は 潜む と も
とや っ た が、 書 き 了 りて 、 あ ゝし ま っ た と叫 ん だ 。も し 敵 方 に見 つ け られ た ら 敵 は打 て な んだ の だ 。
この 歌 に は意 気 が あ る、 敵 打 ちの 微 意 を 示し て を る。 果 然 と して 一 武 士に 見 付 け られ た 。 これ が 幸 に赤
穂 後室 の 探 偵で 、 味 方 であ っ たから よ か っ た。 天 祐 とや い ひ つ べし 。
しやびよう
彼は盤珪に参じて印可されたものの、また山鹿流の兵法を 瀉 瓶 し来たれり。その極意は平常心是道の
五 字で あ る 。彼 は 不 倶 戴天 の 復 讐禅 を や っ た。 途 中 の苦 心 惨 憺 はた れ も 知ら ぬ も の はな い 。
か
この人にしてすでにこの油断がある。正念の相続しがたきを知るがよい。千仭の功を一簣に 缺 くこと
が ある ぞ 。 猛省 せ ね ば なら ぬ 。
「只」やれ
どうかつ
さて只管打坐が直に只管公案じゃ。両々相対して真個不疑の地に至るじゃ。太虚の廓然として 洞 豁
( 広々 と し てか ら っ ほ )な る が 如く 、 豈 強 て是 非 を 加う べ き も のあ ら ん や。
もし 真 個 に満 身 無 と 化し さ ら ば、 何 の 処 にか 自 己 を求 め ん 。 無、 無 を 知る の み じ ゃ。 自 己 なき と き 何者
に とわ ん 。 問う べ き 相 手が ど こにあ る 。
公案には気をつけよ
室内 は 悪 辣が 上 に 悪 辣な ら ん こと を 要 す 。人 情 を 交え た ら 法 は滅 尽 す る。 今 の は 半ば 教 え るの じ ゃ 。な
んぼやっても同じこと、否、漸く入れば漸く遠ざかるまでじゃ。いわゆる蟲歯の呪いにもなりはせぬ。
うたたすてよ
転 悟 転 参 とは 転 捨 よとみてとれ。室内は思想の捨てどころと思え。今のは何か覚えてくる。こ
うたたさとりうたたさんず
れ がす ぐ に 重荷 に な る 。公 案 を くい 過 ぎ て 食傷 す る もの 麻 の 如 しぢ ゃ 。
即今でぶち切れ
古人は皆直截じゃ。燭は切るによりて光を増すにあらずや。この故に白雲は何といっても「未在々
々 。」 白 隠 は片 手 の 声 で切 断 し た。 倶 胝 は 只一 指 を 立て 一 生 受 用不 盡 じ ゃ。 無 業 は 一生 「 莫 妄想 」 と 叫ん
だ 。臨 濟 の 喝、 徳 山 の 棒、 直 ち にみ て と れ よと な り 。古 人 は 只 一則 じ ゃ 。
今の よ う なご た ご た した 多 く の公 案 は な かっ た 。
万古の窟是
大燈 国 師 遺訓 に 曰 く 、「 真 風 地に 墜 つ こ れ邪 魔 の 種族 な り 。 」と 誰 か 寒毛 卓 立 せ ざら ん や 。少 林 窟 幸に
せん きん
恩を知り恩に報ゆる底の山上有山の一句子ありて 千 鈞 (計り知れない重さ)を一縷に繋ぐ。是即ち万古
の 窟是 な り 。乞 ふ 、 天 下是 を 諒 せよ 。
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高き に 登 る者 、 若 し 山上 有 山 を蹉 過 せ ば 何に よ り て宇 宙 の 全 体を 看 破 する を 得 ん や。 正 法 眼蔵 は 只 滅亡
に 帰せ ん の み。 是 を 忍 ぶべ く んば何 を か 忍 ばざ ら ん 。
誰も 打 つ 。誰 も 喝 す 。狂 人 も 走り 不 狂 人 も走 る 。 走る 形 は 同 うし て 走 る所 以 の も のは 大 い に異 な る 。百
丈 再参 、 馬 祖の 一 喝 。 宗門 の 興亡此 の 一 刹 那に あ り 。三 日 耳 聾 す。 誰 ぞ や誰 ぞ 。 豈 尋常 の 観 を為 す べ けん
や。
「唯 」 の 一 字 大 難 大 難
公案 禅 も あな が ち 否 定す る の では な い 。 只一 則 を 痛快 に ぶ ち ぬき 、 千 処万 処 一 時 に透 る 底 の自 在 力 をみ
ね ば、 実 智 に向 っ て 何 の用 を なさぬ ぞ 。 一 則通 り ま た一 則 、 三 四五 六 は てし は な い 。印 可 を うけ て も これ
こ れら の 人 じゃ 。 毒 矢 は久 し く身に 立 て ず 。只 直 に 抜き 去 れ ば 可な り 。 矢は 直 短 を 論ず る い とま あ ら ん や。
無 と も思 わ ぬ 時ぞ 無 と な る
「 大 慧 曰 、 趙 州 の 無 字 「 唯 」 挙 せよ 」 と 。 こ の 「 唯 」 の 一 字 大 難 大 難 。
無難 禅 師 の歌 に 、
無 と い ふも あ た ら 詞の 障 り かな
すみやかにいえすみやかにいえ
即今 何 物 かあ る 、 速 道 、 速 道 。
恥羞ありや
とんだんはせき
ぐうし
祖録 は 祖 師の 涙 で あ る。 こ れ を読 ま ね ば 涙が 無 い ので あ る 。 孝子 と は いえ ぬ 。 虚 空は 盡 き ると も 修 行は
けんわく
つ き ぬ 。 見 惑 は 頓断 破 石 の 如 く な る も 、 思 惑 の 断 じ 難 き は 藕絲 ( レ ン コ ン や 納 豆 の よ う に 捉 わ れ の 糸 を
げ
引くこと)の如しじゃ。古人も、「我が 解 は釈迦に譲らずと雖も、行は羅漢に及ばざる遠し」というて
はい む
を る。 う っ かり す る と 因果 を 廃 無 する ぞ 。 祖 録 をみ て 古 人と 同 化 す るが 修 行 の最 高 資 糧 であ る 。
まさ
「 五祖 曰 、 吾れ 参 ず る こと 二 十 年に し て 方 に 恥羞 の 二 字を 知 る 。 」猛 省 一 番せ よ 。
白隠禅師の消息
おおよろこび
きず
一 歩 を 誤 れ ば 、 児 孫 を 喪 せ ん 。 恐 る べ き こ と じ ゃ 、 白 隠 の 越 の 英 巖 の 於 け る 鼻孔 遼 天 に 見 よ 。 其 時 は
きんさたっと
確かに俺は是れでよいと決定したに違いない。 金 屑 貴 しと雖ども、眼に入れば 瞖 となる。見よ。正受の
室 に入 り 、 悪辣 無 比 の 鉗鎚 を 蒙 りし 事 を 。 何と 出 て 来て も 「穴 倉坊 主 」 と罵 る ば か りじ ゃ 。 痛棒 を 喫 する
事 雨の 如 し じゃ 。 一 日 托鉢 し て 門に 立 つ 。 立っ て 立 つ事 を 知 ら ず。 老 婆 にぶ ん な ぐ られ て 絶 後蘇 え り 。南
泉 遷化 の 話 に徹 し 、 大 歡喜 、 手 の舞 い 足 の 踏む 処 を 知ら ず じ ゃ 。
白隠 が 飛 騨の 大 会 で 七十 人 入 所さ し た と いう の で 、東 嶺 が あ やし み て 一々 点 検 し てみ た ら 、ほ ん も のは
しん ぎょう
けいそうどくずい
三 人の み な りし と 。 原 の松 蔭 寺の木 像 の つ らつ き は 実に よ り つ かれ ぬ が 、随 分 老 婆 をや っ た もの 。 年 のせ
どく ご
い でも あ っ たろ う が 、 九十 ま で長生 き し た から 。
かいあんこくご
し か し 彼 が 「 槐安 國 語 」 や 「 毒 語 心 経 」 、 「 荊 叢 毒 蘂 」 な ど を み る と 実 に 驚 く べ き 大 見 識 で 、 中 々
よ りつ か れ ぬ。 白 隠 の 吼本 を み ると 、 ど の 則で も 千 七百 則 を 打 破す る に たる と い う てを る 。 階級 的 に 公案
を 売っ た も ので は な い 。一 々 の 公案 に 大 賊 機を 蔵 し て居 った に 違ひ な い 。
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とうれい
すいおう
がさん
こう あん り
白 隠 下 の 四 十 七 人 に も 、 大 機 用 を 有 せ し も の は 、 東 嶺 、 遂 翁 、 峨山 の 三 老 の み じ ゃ 。 余 は 存 す る 如 く
たく しゅう
いうことをみずや
亡ずる如くじゃ。峨山下に隱山、 卓 州 が居た。それからそれ枝葉が生じ今日に至った。見地の 公 案 理
え
会 に馳せて真実を失ってきた。要は法子の濫造と公案の安売りに因するのである。 不 見 言 、
しょはさんしゃをへてうえんばとなる
)
書経三写烏焉為馬 。 知
( って居るだろう、言い伝えや書き写しなど、初めは烏だが焉となり馬となる。
と んで も な いこ と に 成 るの 意
ごみごういつ
なんじ
猶 且 つ こ ゝ に 寤寐 恒 一 ( 忘 れ て は な ら な い ) の 難 あ り 。 正 受 は い き な り 林 を 推 倒 し て 「 何 と い う ぞ 」
とつ
ちょうじゅう
と 威 音 王 以 前、 威 音 王 以 後 、 末 だ一 人 の 寤 寐 恒 一 な らざ る も の あ ら ず 。 「 咄 、 儞 、 何 と い う ぞ 」 と云 わ
いち げ
れ て、 こ ゝ で残 り 物 が すっ か り取れ た 。
かっ ち
是 が真 の 「 㘞 地 一 下 」じ ゃ 。 知 る者 が 知 る じ ゃ 。 一 日正 受 は 千 仭 懸 崖 の 処に 至 っ て 、 林 を 搊 住 (引
っ 捕ま え る )し て 云 く 「世 尊 云 く、 我 に 正 法眼 蔵 涅 槃妙 心 あ り 、摩 訶 迦 葉に 付 囑 す と、 是 れ 何辺 の 事 を明
む や。 」 最 後の 大 試 験 じ。
林 即 ち 一 掌 を 与 う 。 こ ゝ で 見 て 取 っ た 。 正 受 は 林 を 印 可 し た 。 林 に 囑 し て 曰 く 、 「儞 宜 し く 我 に 嗣 い で
おまえにたくす
こころしてこのひとことをわすれるな
もってこふうをばんかいせよ
。 汝 勉 旃 。 誓当 打 出 真正 種 草 一 両 箇 。 以 挽 回 古 風 焉 。
ま ち が い な く ほ ん も の を つ く れ
此 庵に 住 す べし 。 」 と 即ち こ れ印可 証 明 な り。 其 後 林は 故 あ っ て正 受 を 辞し て 松 蔭 に帰 ら ん とす 。
絶
ぶっ ぽう まさに ほろびんとす
正受 は 相 送っ て 二 里 ばか り 行 く。 親 ら 手 を取 っ て 云く 。
くるしいかなくるしいかな
「 苦哉、苦哉 。佛 法 将
おおくをもとむればほんものはできぬ
必 莫 多 求 。 多 求 大 器 難 成 。 切 莫 忘 却 此 一 言 哉 」 。 林伏 拜 。 聴 師 之懇 誨 。 感涙 浸 襟 。
けっしておおくをもとめるなよ
めんじゅめんぼん
面 授 面 禀 (以 心 伝心 ) に 非 ず して 何 ぞ や。 誰 か 之 を疑 は ん や。 正 受 白 隠の 喜 び 知る べ き な り。
拙老の宿願
のうそう
今日に 衲 僧 と居士とで、七十人印可とりがをる。拙老年来の宿願は遍参である。一一点検して龍蛇を
いとま
格 し た い 。 こ れ 甚 だ 嗚 呼 の 沙 汰 ( 夢 事 ) な れ ど も 、 大 法 の 存 亡 に 関 す る 故 、 な に を 顧み る 遑 は な い 。
遍参 は し たい が 事 情 が許 さ ぬ 。さ り と て やっ て く れる も の は ない 。 涙 を呑 ん で 時 を待 つ よ り他 は な い が、
こ ゝに 坐 な がら に し て 師家 の 正邪を 勘 破 す る便 法 が ある 。
何ぞ や 。 流れ を 酌 ん で源 を 討 ぬる の で あ る。 弟 子 を見 て 師 を 判ず る の であ る 。
たと
趙州六十、再行脚の時誓えらく、 譬 い百才なりとも、我より劣れるものには、我れ彼れを救うべし。
譬 い七 才 な りと も 、 我 れよ り も 勝れ ん に は 我れ 彼 れ に問 う べ し と。
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しょう た
が ま ん
さにゅうそうりん
こぞう
今 日 こ の 語 を 以 っ て 事 と す る 者 が 一 人 も な い 。 勝 他 我慢 の 輩 の み で あ る 。 正 師 の 得 が た き も 無 理 はな
もんみょう
い 。 文 溟 和 尚 は 紫 衣 の 僧 正 じ ゃ が 、 こ の 事 の た め に 東 嶺 和 尚 の と こ ろ に 来 り 、 乍 入 叢 林 の 一 沙弥 と な
っ た、 あ り がた い こ と じゃ 。
どう も 皆 店だ し が 早 すぎ は せ ぬか 。 地 位 が高 く な ると 下 問 を 愧じ る よ うに な る 。 大燈 は 二 十六 の 年 、雲
門 の「 関 字 」で 痛 快 に ぶち 抜 いた。 大 応 も 、「 我 れ 汝に 如 か ず 。」 と 證 明し た 。 し かも 二 十 年間 乞 食 して
聖 胎を 長 養 した 。 死 ん だの が 五十六 じ ゃ 。 十年 間 の 仕事 が 今 に 生き て ピ チピ チ し て をる 。 今 日こ れ に 似た
る 正師 あ り や。 な け れ ば法 が 亡びる 。 ど の 手か ら で もこ し ら え ねば な ら ぬ。
正師と天然外道
ようが
永嘉 大 師 は 涅 槃 経 を 読 む う ち に 大 悟 し た が 、 玄 策 に 「 無 師 自 悟 は 天 然 外 道 じ ゃ 」 と い は れ て 、 わ ざ わ
ざ 六祖 の 所 へ證 明 を う けに 行 か れた 。 い か に古 人 が 證明 に 重 き をお い た か知 れ る 。 これ が な けれ ば 法 は忽
げ
え
かく げ
ち 亡び る 、 龍蛇 混 雑 何 を以 て 正 邪を 分 た ん や。
そう おう
文 字 を 先 と せ ず 、 解会 を 先 と せ ず 、 格 外 の 力 量 あ り 、 過 節 の 志 気 あ り 、 我 見 に 拘 わ ら ず 、 情 識 に 滞 お
ぎょう げ
ら ず、 行 解 相 応 す る、 是 れ 乃 ち 正師 な り と。
聖胎長養の大事
か
さん たく
格外 の 力 量と て 、 只 むや み に ぶん な ぐ る こと で な い。 聖 胎 長 養か ら 練 りに ね り 上 げた 穏 密 の田 地 で あ る。
は
百丈、臨済もこれがために再参した。十八 破 家 散 宅 (全てを捨てる。大悟のこと)の趙州もこれがため
ろとうさいか
に 六十 再 行 脚し た 。 虚 堂は こ れ を 路頭 再 過 ( 道 を し っか り 確 かめ る ) と いう た 。
いわ ゆ る 徳雲 比 丘 は 別峰 に 相 見す の 境 涯 であ る 。 古人 も 「 仏 には 入 る べく 魔 に は 入る 能 わ ず」 と い うて
を る。 賢 く はな れ る が 、馬 鹿 にはな れ ぬ 、 格外 の 力 量は 、 常 人 の気 の つ かぬ と こ ろ じゃ 。
皆ウソじゃ
大 慧 曰 、 「 大 悟 十 八 、 小 悟 不 知 数 」 と 。 皆 ウ ソ じ ゃ っ た と い う 事 じ ゃ 。 俺 は 雷 電 を見 て 悟 っ た 。 け つ ま
づ いて 悟 っ た。 俺 は 経 を読 み 悟った 。 古 人 にも コ ウ いう の が あ った 。 多 くは 是 れ じ ゃ。 感 情 や理 会 で 、当
たくほうがん
つ 競べ し て 確め る の だ から 、 択 法 眼 のな き 、 わ か ろう 筈 が ない 。
わ
だ
さかりょうや
どう し て も正 師 の 證 明が な く ては 、 玉 石 混同 を ま ぬが れ ぬ じ ゃ。
か っ ち い ち げ
㘞地一下
こ
す
雲 門 は 誰 が 来 て も 「 話 堕 せ り 」 と い い 、 三 角 は 「 蹉過 了 也 」 と い う て 奪 っ た 。 殊 に 恐 る べ き は 百 丈 再
や
参 じ ゃ 。 初 め 野鴨 子 の 過 ぎ 行 く を 見 て 、 馬 祖 に 鼻 を つ ま ゝ れ て 、 忍 痛 の 声 を 発 し た 時 、 悟 っ た と 思 っ た
の が 、 後 に 自 由 の 分 を 失 う て 馬 祖 に 再 参 し た 。 此 時 馬 祖 の 一 喝 に 三 日 耳 聾 す と あ る 。 ほ ん と に㘞 地 一 下 の
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起 った 処 じ ゃ、 正 師 の 證明 が な けれ ば 危 険 であ る 、
自受用三昧
満 身 坐 禅 な れ ば 坐 禅 が 坐 禅 を す る の で 、 人 と い う も の が な く な る 、 宇 宙 は 全 自己 と な る こ と が 自 覚 さ れ
る のじ ゃ 。 自己 、 自 己 を殺 す べきや 。 自 己 、自 己 を 救は ざ る べ けん や 。 本当 の 坐 の 証明 じ ゃ 。夢 遊 病 は忽
ち 全治 す る を疑 は ぬ 。
雪竇 が 「 薬病 同 時 」 とい う は こゝ じ ゃ 。 時間 は 短 くて も 、 本 当に や れ ば何 事 に も 、何 物 に も通 ず る 。念
たとえ
普 観 無 量 劫 、 假令 、 暇 が な く て 結 跏 趺 坐 が 出 来 な く て も 、 本 当 に や れ ば 何 時 で も 同 じ 境 涯 で 働 く 事 が 出
ごもくどうじょうたいあんねん
来 る。 愉 快 なも の じ ゃ 。 語 黙 動 静 体 安 然 。 これが 仏 祖 の 自 受用 三 昧 とい う も の じゃ 。
汝の無字
にょう しゅう
昔天台僧某、栄西 に「草木成仏」を問 うた。栄西曰く、「 草木の成仏は且く措 く。即今汝の成仏は如
じ
何」といわれた。趙州の無字は且くおく。即今汝の無字はどうじゃ。あしもとから鳥がたつ。 自 尿 臭
を 知ら ず じ ゃ。 禅 寺 に 行く と 玄 関に 照 顧 脚 下と か い てあ る を み る。 猛 省 一番 せ ね ば なら ぬ 。
菩提 心 は 禅の 命 で あ る。 こ れ なけれ ば 餓 ゆ。 今 は 菩提 心 を 払 って 無 い 。禅 は 亡 び ざる を 得 ぬ。
仏祖の大忠臣たれ
古人 皆 身 命を 抛 っ て 真風 を 護 持し て を る 。元 古 仏 曰く 、 「 二 祖の 断 臂 は尚 易 か る べし 。 六 祖の 割 愛 は難
中 の難 」 と 。黄 檗 も 殺 した 。 洞山も 捨 て た 。日 本 の 懐奘 も 母 の 死を 顧 み なん だ 。 元 古仏 も 泣 いて ほ め たま
い き。 所 謂 大義 滅 親 者 にあ ら ずや。 菩 提 心 ある に 非 ずん ば 誰 か 能く 忍 び んや 。 正 に 是れ 抛 身 報恩 の 好 時節
に 非ず や 。
来れ 、 我 党の 士 。 来 って 我 等 と道 交 金 襴 の如 く 、 一致 団 結 し て仏 祖 の 大忠 臣 た れ よ。
勇猛精進
生死 事 大 無常 迅 速 な り。 た ゞ 勇猛 精 進 の 一機 あ る のみじ ゃ 。 慚愧 せ よ 、慚 愧 せ よ 。退 転 す る勿 れ 、 退転
す る勿 れ 。 前後 際 断 。 今じ ゃ 、今じ ゃ 。
捲 起 簾 来見 天 下 。
也 太 奇 、々 々 々 。
人 有 っ て我 に 何 の 宗を か 解 すと 問 わ ば 。
簾 を 捲 き起 し 来 て 天下 を 見 る。
何 と 素 晴ら し い 事 よ。
つくりごと
至禱
ひてい
至禱
汝等 諸 人 、身 命 を 惜 まず 、 更 に勇 憤 の 度 を加 え て 、所 謂 大 燈 の無 理 会 の三 字 を 決 して わ す るる こ と 勿 れ。
長慶の境界
有 人 問 我解 何 宗 。
払 子 を拈起 し て 劈 口に 打 た ん。
実に 愉 快 であ っ た ろ う。 投 機 の頌 を 見 て もわ か る 。
拈 取 拂 子劈 口 打 。
げん しゃ
くら
みとめ
み
てつ ざい
実に 自 信 力 に強 い こ とが 見 え て をる 。 玄 沙 が これ を 見 て 、こ れ は 意識 の 註 述 じ ゃ と 破 した 。 これ は
ひとをたしかめる
玄 沙 一 流で 截 人 見 血 の手 段 で あ る 。 靈雲 に も こ の 手 を 吃 は し た。 敢 て 従 ず 。 老 兄が 未 徹 在 な る こ と を 、
と いう た こ とが あ る 。 今の 宗 師にこ の 手 段 を弄 す る 人が 少 な い 。そ こ で ニセ 物 が た んと で き る。
さて 長 慶 は直 に 一 頌 を呈 し た 。
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しん
)
万象の 中 独 露 身 。 乾
( 坤 只 一人
うち どく ろ
万 象 之 中独 露 身 。
まさ
為 人 自ら 肯 っ て 方 に自 ら 親し 。
もと
為 人 自 肯方 自 親 。
いままで あやま
昔 年 謬 っ て途 中 に 向 か って 覓 む 。 今
( 迄 の を 皆 捨て よ
)
昔 年 謬 向途 中 覓 。
けつ
今 日 看来 れ ば 火 裡の 氷 。 求
( 心 止 時 元 無事
く
今 日 看 来火 裡 氷。
さ
)
なやみのたね
そ こ で 玄 沙 が 始 め て 許 し た 。 さ あ こ の 独 露 身 が 長 慶 門 下 の 鎖 口 訣 と い う て 叢 林 の 胸 腹 病 じ ゃ 。 万 象を
払 うか 、 万 叢を 払 は ざ るか 、 挨 拶じ ゃ 。 長 慶時 代 に も皆 こ れ で お悟 り を もぎ と ら れ たと の こ とじ ゃ 。
諸兄 試 に 道う て み よ 。既 に 是 れ独 露 身 。 何の 払 、 不払 と か 言はん 。 と 一掌 を 与 う るの 勇 気 があ る か 。然
し これ は 誰 でも や る 手 じゃ 。 簾を捲 き 上 げ る時 の 長 慶に な っ て 見ね ば 皆 画餅 じ ゃ 。 長慶 に な れる か な 。只
七 枚の 蒲 団 を坐 破 し 来 れ。 吾 等と共 に 語 ら ん。 咄
時節のくるまで坐れ
仏性 の 義 を知 ら ん と 欲さ ば 時 節因 縁 を 観 ずべ し 、 時節 若 し 到 れば 仏 性 現前 す 。 時 節と は 身 心脱 落 な り。
じぐふりょう
こうりん
意 有ば 自救 不 了 じ ゃぞ 。 時 節 の くる ま で 坐り き る こ とじ ゃ 。 其の 因 縁 は 人に よ り て遅 速 が あ る。
いはら
石 鞏 の 馬 祖 に 於 け る 頓 中 の 頓 じ ゃ 。 菴原 平 四 郎 は 三 日 で や っ た 。 長 慶 、 香 厳 二 十 年 。 香 林 十 八 年 か
しゃっきょう
ゝ った 。 柿 が熟 し て 自 然に 落 ちるよ う な も の。 時 が くれ ば き っ と落 ち る 。
只坐 禅 は 是れ 仏 行 な りと 深 く 思い 取 り 、 時節 の 長 短を 念 と せ ず、 坐 禅 する ば か り だ。 趙 州 は「 若 し 悟れ
しょう にん
な んだ ら 、 衲の 首 を 切 り去 り 大小便 を 汲 む 柄杓 と な せ」 と 誓 っ てを る 。 只其 の 久 き に堪 え る 根機 が 中 々得
に くい 。 先 ず大 願 心 が 本で あ る。無 常 迅 速 じゃ 。
た いこ う
大 綱国師
えしゅんに
大綱 国 師 は熱 心 な る 念仏 信 者 であ っ た 。 或日 、 聴 講者 の 中 に 慧舜 尼 あり 。 講 了っ て 忠 告 した 。 上 人 教
かしゃっこ
理 は 説 く 事 詳 し け れ ど も 、 画 餅 餓 を 療 す る に 足 ら ず 。 心 源 に 体 達 せ ず ん ば 、 徒 ら に 他 物 を 求 む 。 可惜 乎 。
和尚 大 に 服し て 、 尼 に導 か れ て了 庵 に 参 じた 。 一 日海 浜 に 出 てゝ 子 供 等が 、
あ れ も ない 、 こ れ もな い 、 磯打 つ 波 。 と謡 う を 聞て 忽 然 と して 大 悟 した 。 先 入 主た る 念 仏を 捨 て ゝ禅
に 入る と い うこ と は 、 一寸 出 来 にく い 。 ま して 尼 女 の勧 め に 於 てを や 。 法に よ っ て 人に よ ら ずと は 此 人の
事 か。
法然上人
元来 法 然 は智 慧 代 一 の法 然 坊 とも 謂 わ れ て、 偉 い 人じ ゃ が 、 まだ 禅 が 来な い 前 だ から 、 念 仏宗 を 唱 えた
せつ
のである。 窃 に禅を慕うて居たものが、翼短くして大空をかけるに由なく、縄短くして深泉を汲ぬに由
な しと い う た。 是 唯 禅 に逢 は ざ りし が 為 な り。 彼 を して 禅 に 遇 はし め ば 、一 虎 を 群 羊の 中 に 放つ が 如 く、
おしかった
各 宗み な 殺 しに さ れ た ろう 。 可惜 乎 。栄 西 に 先 つ 事三 十 五 年。
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不思量底
ごつごつ
坐禅 を し て何 を す る 、何 も せ ぬの じ ゃ 。 只坐 禅 を する の み じ ゃ。 「 只 」 兀 兀 打 坐 す る のじ ゃ 。
坐 禅と 我 と が親 し く な る、 ツ イ 一つ に な る 。坐 禅 が 独立 す る 。 此の 独 立 が直 ち に 大 自在 と な る。 こ ゝ を不
思 量底 を 思 量す る と い った の だ 。
りょう ね ん に
了 然尼
きじょうぼく
武田信玄の孫じゃ。宮仕えへして 奇 生 木 と呼ばれる。天性にして禅を好みしが、強いられて嫁す。三
めかけ
子 を産 ま ば 離縁 し く れ よと 約 す 。二 十 五 才 まで に 三 子を 産 み 、 夫の た め に 妾 を 与 え 、 自ら は 出 家し た 。
女の 最 も 断ち 難 き 恋 愛と 嫉 妬 とを 、 ウ マ ク自 在 に せり 。 道 心 強け れ ば なり 。 駒 込 の白 翁 を 訪う 。 美 なる
今 入 禅 林燎 面 皮 。
昔 遊 宮 裡焼 蘭 麝 。
四 序 の 流行 亦 た 此 くの 如 し 。( 今 生 の 出来 事 )
今 禅 林 に入 っ て 面 皮を 燎 く 。
昔 宮 裏 に遊 ん で 蘭 麝 を 焼く 。 ( 名香 )
そう けい きょう り
じん あい
を 見て 許 さ ず。 遂 に 焼 きご て を顔に あ て ゝ メチ ャ メ チャ に し て 許さ れ た 。鏡 の 裏 に 書し て 曰 く。
四 序 流 行亦 如 此 。
知 ら ず 誰れ か 是 れ 箇中 に 移 るこ と を 。 (本 来 空 )
らん じゃ
不 知 誰 是箇 中 移 。
う
捨 て てた く 身 や 憂 か ら ま じ
たきぎ
つ い の 薪 と思 は ざ り せば
たい うん じ
人と物と無自性なるに体達し、自己を忘ずるに非ずんば、誰か此語をよくせん。 曹 渓 境 裡 塵 埃 を絶す
じ ゃ。 歌 に 、
生 け る 世に
たくみ
薪 も 我 も 自 性 は な い 。 た く 身 と 伎倆 と 、 音 相 通 じ る も 亦 面 白 し 。 白 翁 の 印 可 を う け 、 泰 雲 寺 を 武 州 落 合
村 に立 つ 。 六十 六 に し て目 出 度 遷化 せ り 。 蓮月 は 此 尼よ り あ や かり し や 。
えじょう
そう かい
せん ね
りょう ねん に
「 了然 尼 」 禅家に は 同 じ名 が 沢 山あ る 。 気 を付 け る がよ い 。 こ れは 道 元 禅師 の 法 子 じゃ 。 元 来道 元 は 深山
はっす
たいたつしたひと
幽 谷、 一 箇 半箇 の 師 訓 によ り 、 法子 は余 計 に こ しら え ぬ 。 懐 奘 、 僧 海 、 詮 慧 、 了 然 尼 の みな り き 。
いえ
伝記または詳しきを知らずと 雖 ども、 其 那 一 人 たるを知らば、境界推して知るべし。元高麗の人。久し
ぎょく せん じ
く 師に 参 じ て得 法 の 後 、羽 州 の 玉 泉 寺 に住 せ し と か。 懐 奘 の兄 弟 、 道 元の 子 じ ゃ。
問 わず し て 知る べ き の み。 何 か 残っ て 居 る だろ う と 思っ て 詮 索 して い る 。
趙州底
今は 今 迄 に非 ず 。 今 は尤 も 新 しき な り 。 清き な り 。今 の 無 字 に直 覚 せ よ。 趙 州 と 相見 底 な るべ し 。 疑す
れ ば三 十 棒 。只 管 打 坐 は直 に 只管公 案 ム
( ー な) り 。 只管 活 動 な り 。
呼 狂 呼 暴任 他 評 。 桃红 李 白 色自 然 。 ( 狂と 呼 び 暴と 呼 ぶ は 他の 評 に 任す 。 桃红 李白 自 然 の色 )
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善悪の定義
此 に 於 て 善 悪 の 定 義 が 必 要 と な る 。 「 法 性 に 順 じ て 心 起 る を 善 と 謂 う 」 。 自 己 を 忘じ て 天 地 も 一 体 じ ゃ 。
衝 突の 仕 様 がな い 。 心 を起 す とは、 法 性 無 我、 平 等 中の 差 別 に 安住 す る こと な り 。 之に 反 す るを 悪 と い う。
とうせき
とかく賊仲間、悪人同志は仲良きものなり。 盗 跖 曰く、「富者は仁ならず、仁なる者は富まず」と。
孔 子は 之 を ほめ た り き 。か よ う な真 理 を 万 国に 通 じ てし ら せ た いも の じ ゃ。
禅の極地
再問 す 、 見性 と は 何 ぞや 。 他 なし 。 自 己 を了 す る の意 な り 。 元古 仏 は 、「 自 己 を 了ず る と は、 自 己 を忘
る る な り 」 と 言 っ て お る 。 白 隠 は 、 「 忘 れ 忘 れ て 忘 る る も 忘 る る 」 と い うて お る 。 元 来 自 己 無 し 。 何 も の
を 忘る る ぞ 。
えこうへんしょう
退 歩 一 番 し て 囘 向 返 照 せ ば 、 脚 根 下 す で に 忘 、 不 忘 を 離 れ た る を 知 っ て 、 思 わ ず 大 笑 す る の 時 節 あら
ん 。此 処 を 「万 法 来 た って 我 を証す る 」 と いう 。 自 己と 言 う か たま り が 、人 及 び 物 に元 来 な き処 へ 、 此の
大 活動 が 出 来る の で あ る。 こ れを「 自 己 の 身心 及 び 他己 の 身 心 を脱 落 せ しむ る 」 と は言 う な り。
ここ に 於 てか 天 地 と 同根 万 物 と一 体 と 言 う平 等 心 が起 こ っ て こね ば な らぬ 。 同 じ もの ほ ど 親し き は なし
うる
じ ゃ。 ど う して も 自 己 を殺 さ れ 得 ぞ。 刀 刀 を 切る こ と が出 来 ぬ ぞ 。身 心 脱 落は 即 三 界 唯一 心 じ ゃ。
外道となるな
人に よ り 長短 は あ る が、 い つ か至 れ る に 違い な い こと を 信 ず るの 大 信 根が な け れ ばな ら ぬ 。歩 み だ す一
歩 で江 戸 ま でと ど く 。 坐禅 は 坐禅な り じ ゃ 。心 を 外 に向 け た ら 万劫 た っ ても い た る 事は で き ぬぞ 。 外 に向
か って 求 め るを 外 道 と いう じ ゃ。坐 禅 は 坐 禅な り 。 経行 は 経 行 なり 。 生 也全 機 現 じ ゃ。 そ の 物そ の 物 に徹
す るの じ ゃ 。
余 念 を 交 え ず 「 只 管 打 坐 し て 身 心 脱 落 な る べ し 」 と 元 古 仏 は の た ま い き 。 坐 禅 の と き は 身 口意 の 三 業 が
坐 禅ば か り にな っ て 己 を忘 る るを身 心 脱 落 とい う た のじ ゃ 。 つ まり 本 当 に坐 禅 に な るこ と じ ゃ。
不見の見、不性の性
畢竟 見 性 とは 、 自 他 の隔 歴 が とれ 、 入 我 我入 の も とに 、 平 等 の大 悲 を 生じ 、 世 の 為に 邁 進 する の 意 であ
る。
勿論 無 量 無遍 で あ る 。絶 対 無 限で あ る 。 そこ で 見 るべ き も の がな い か ら、 不 見 の 見じ ゃ 。 見る べ き 性が
な いか ら 、 不性 の 性 じ ゃ。 久 遠劫よ り の 見 性じ ゃ 。 元来 相 手 が なか っ た のじ ゃ 。 皆 脱落 底 の おた が い 同志
じ ゃ。 ど う して も 相 犯 すこ と が出来 ぬ 筈 じ ゃ。 水 水 を湿 す こ と が出 来 ぬ 。切 っ て も 切れ な い 中じ ゃ 。
それ ら が 直に 三 宝 仏
( 法僧 の
) 本徳 と な っ て 現わ る る のじ ゃ 。 こ こま で こ ねば 見 性 は むだ ご と じゃ 。 否、
見 性し て は おら ぬ の じ ゃ。
因果無人
境を 使 う か、 境 に つ かわ る る か。 物 を 物 とす る か 、物 に 物 と せら る る か。 一 即 一 切じ ゃ 、 一切 即 一 切じ
ゃ。因果を信じる者は因果を使いうるじゃ。無人無我なるが故に信ぜざるものは因果につかわるる。
有 我 執 着 の故に。断常 二見に 住着する故 に、順 逆 皆因果の標 本と知 る 時、心爽然 として 彼 に使わ
ががあればしゅうちゃくする
れ ず、 動 か され ず 、 直 ちに 因 果を以 て 組 織する 万 天 下の 主 人 公 とな る こ とを 疑 わ ぬ 。
ここ に 愛 と敬 と は 流 出し て 宇 宙は 一 大 ホ ーム と な り、 和 気 あ いあ い と して 天 下 太 平な り 。 皆こ れ 因 果を
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信 ずる も の の賜 物 な り 。仏 と い い、 菩 薩 と いい 、 因 果を 信 ず る もの の 他 はな い 。 三 界は 我 が 家じ ゃ 。 その
中 の衆 生 は 皆我 が 子 じ ゃと 言 い 出し た 。 釈 迦も 因 果 無人 と 信 じ たに 外 な らぬ 。
無常に気付け
れいだいいってんかいま
雪竇大師は、「三分の光陰二早く過ぐ(人生は早い)。 霊 台 一 点 揩 磨 せず(大したことは何もしてい
な い) 。 貧 生の 遂 日 区 々ら 去 る (だ ら だ ら と日 々 は 過ぎ ゆ く ば かり ) 。 喚べ ど も 頭 を回 ら さ ず( 勿 体 ない
ぐ か い こもごも
人 生を し た もの だ ) 。 いか ん せん( 覆 水 盆 に返 ら ず )。 」 と な げか れ た 。元 古 仏 大 清規 に こ の詩 を 出 して
ご ざる 。
まさ
は る か に てら せ 山 の端 の 月
無 量 寿 経 に は 、 「 冥 よ り 出 で て 冥 に 入 り 、 苦 に 入 る 。 大 命 当 に 終 ら ん と す る 時 、 懼悔 交 々 至 る 。 」 と
あ る。 こ ゝ を和 泉 式 部 が、
くら
冥 き よ り冥 き 路 に ぞ 迷い 入 る
とい う た ので あ る 。 どう も 気 が付 か ぬ 奴 には 手 の つけ よ う が ない 。
法は人にある
ばばく
釈 迦 も 国 王 が 親 族 だ か ら 、 い つ で も 食 は 得 ら る る が 後 世 を 思 っ て 、 一 夏 馬麥 ( 極 粗 食 ) を 大 衆 と 食 さ
れ たこ と が ある 。 ど う して も 贅 沢は 出 来 ぬ 。そ こ で 法は ま す ゝ ゝ盛 ん に なっ た 。
しかも白隠は長命じゃ。寺を大きく作っても、入物がなければ飾りものじゃ。無用の長物じゃ。
錦 包 毒 石 とい う 祖 語が あ る 。 こ れら を い うた も の で あろ う か 。
にしきどくせきをつつむ
寺は 破 れ ても 道 さ え 行な は る れば 必 ず 出 来る 。 決 して 憂 う る には 足 ら ぬ。 な に 破 れた ら 破 れた ま ま でも
よ い。 楊 岐 の昔 を 思 え ばど こ の寺も 一 等 じ ゃ。 寺 が よく な れ ば 信が 起 こ らぬ と か 、 信は 荘 厳 より お こ るな
ど とい う は 坊主 の 我 田 引水 じ ゃ。寺 を 見 に 来る 奴 な ら来 ぬ ほ う がよ い 。 法は 人 に あ るの じ ゃ 。寺 に は な い。
道の極致
只あ る べ きよ う に な りき っ て 自己 を 忘 ず る。 是 れ 道の 極 致 じ ゃ。 さ れ ども 無 始 劫 来粘 着 縛 着の 自 己 を忘
ず るの 容 易 なら ざ る こ とを 忘 れ ては な らむ 。丸 呑 み は禅 家 の 禁 物た る を 知れ 。 古 人 多年 の 霜 辛雪 苦 じ ゃ。
じみょう
ようぎしんざん
そ め よ 心の 色 あ さく と も 。 二祖 の 断 臂を 思 は ざ る可 け ん や。 自 我 を殺
払 う 暇な き 人 もあ り し を 。 楊岐 晋 山 じ ゃ 。
三 到投 子 、 九上 洞 山 じ ゃ。 錐 股して 睡 魔 を 殺す 慈 明 あ り。
忘 れ て は寒 し と ぞ 思う 床 の 雪を
少 林 の 雪に し た ゝ たる 唐 紅 に
す に最 も 力 ある 妙 術 は 、仏 々 に伝え て 邪 な るこ と な きは 即 ち 坐 禅道 で あ る。
坐禅妙用
「 此の 法 は 人々 の 分 上にゆ た か にそ な わ れ りと い え ども 、 未 だ 修せ ざ る には あ ら わ れず 。 証 せざ る に は得
る こと な し 。放 て ば 手 にみ て り 一多 の き わ なら ん や 。」
坐禅 に よ って 自 己 を 放下 す 。 即ち 坐 禅 ば かり に な った 時 の 境 界じ ゃ 。 数量 を ボ ッ こえ て い る。 こ れ を身
心 脱落 と い うじ ゃ 。
「 語れ ば 口 にみ つ 、 縦 横極 ま り なし 。 」 口 を以 て 身 と意 を 代 表 した 。 身 口意 三 業 の 働き が 自 己の な い 証明
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とう ふ
くつ
と なっ て 現 成す 。 是 を 脱落 身 心 とい う 。 皆 坐禅 の 力 なら ざ る は ない 。 至 祷
大法王となれ
ふ
至祷
海は水を辞せざるが故に能くその大を成すじゃ。 不 撓 不 屈 でやってゆけば、忽然として也太奇也、太
奇 と踊 り 出 す時 節 が く るの は 請 合だ 。 そ の 時大 法 王 じゃ 。
青山社
道
謹
言
生死 事 大 、無 常 迅 速 じゃ 。 余 念を 交 ゆ る いと ま が ある か 。 只 古人 の 血 滴々 を 肝 に 銘じ 、 骨 に刻 し て 猛進
す るよ り 外 はな い 。 鹿 を逐 う 者は山 を 見 ず 。
「只 」 打 坐せ よ 。 こ れが 標 本 じゃ 。
これ は 老 大師 の ほ ん の一 部 で ある 。[全集 完
] 成をお 待ち あ れ 。
五冊
様
仮 称[飯田欓 隠語 録 全 集]
仕
大きさ
全
約一千頁
B5版
一冊
一冊価格 一万七千円(全巻発注の場合は一册一万五千円)
完成次代 逐次発刊
出版社
少林窟道場
全巻完成年数 七年
発行
以 上 全 く予 定 で す 。が 既 に 全て の 原 稿 は出 版 社 に渡 り 少 し でも 読み やす く す る
た め に 諸先 生 方 に 内容 の 列 記方 法 な ど を検 討 し て頂 い て い ると こ ろ です 。
問 題 が 実に 多 い た め遅 々 と して い ま す が着 実 に 進ん で い ま す。 ご 期 待下 さ い 。
希
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飯 田 欓 隠 老 師 略 年譜
文久三年 ( 一 八 六 三 ) 四 月 二 十 二 日 、 山 口 県 都 濃 郡 花 岡 に 父 片 野 與 兵 衛 ・ 母 み ち の 五 男 と し て 出 生 。
六年
三年
一五歳。飯田家の養子となる。(周防、下松、飯田柔平(浪花、適塾初代塾頭)の養子とな
一 一 歳。 伯 父 の死 を 悲 しみ 漢 詩を 賦す 。
八 歳 。和 歌 を 詠ず 。
明治二年 ( 一 八 六 九 ) 七 歳 。 地 蔵 院 石 田 慶 蔵 氏 に つ き 読 書 、 習 字 、 算 術 等 を 学 ぶ 。
十年
一九 歳 。上 京 、東 京 大 学医 学 部 入 学。
三 田 尻 福田 病 院 所属 の 医 学 校に 入 学 。
一四年
二三 歳 。優 等 第二 番 の 席次 で 卒 業 。
る 。)
一八年
二 四 歳 。駒 込 病 院医 員 と し て 奉 職 中 、コ レ ラ 流 行 。 一 日 死者 七 百 人 。 人 生 の 無常 切 実 。 偶 々 香 川
二 七 歳 。法 友 の 言に 従 い 、 東 京 ・ 道 林寺 に 南 天 棒 老 師 を 訪ね 師 資 の 礼 を 執 る 。こ れ よ り 十 数 年 全
帰 郷 し 養父 の 病 を看 護 す る 。
に 解 脱 の 本 懐 を 求 む 。 昼 夜 寝 食 を 忘 れ 、 猛 修 行 の 結 果 、 遂 に 蝋 八 曉 天 、 換 骨 脱 体 。 師の 印 可
量老 師 の 駒 込龍 光 寺 にて 、 一 日 の説 法 が 縁を 結 び 、 遂に 職 を 辞し て 安 芸 国仏 通 寺 に到 り 、 寛量
一九年
寛
老師
を 得。
二二年
諸方 歴 参 と 医術 の 研 究に 寧 日 な し。
三一 歳 。埼 玉 県羽 生 町 にて 医 院 を 開業 、 町 田氏 の 娘 佳 都子 と 結 婚。
国
二六年
三 五 歳 。静 岡 県 島田 市 伝 心 寺 の 江 湖 会に 西 有 穆 山 禅 師 大 導師 の た め 来 山 、 直 に随 喜 相 見 。 こ の 年、
大菩 提 心 、 只知 る 人 ぞ知 る 。 「 南天 棒 、 仏法 夢 に だ も知 ら ず 」と 正 法 の 一句 を 吐 却す 。 以 後も
独 りい よ い よ 苦修 錬 行 。自 己 を 全 忘し 忽 然 とし て 遂 に 大悟 大 徹 。古 人 も 至 り難 き に 至り 得 ら れた
四 〇 歳 。南 天 棒 老師 、 西 宮 海 清 寺 に 移住 。 自 ら も 西 宮 に 移転 開 業 。 美 濃 の 国 虎渓 山 に 在 っ て 独 坐。
楠 田病 院 長 楠 田謙 三 氏 に請 わ れ て 禅要 を 説 く。
三 八 歳 。穆 山 禅 師横 浜 に 移 ら れ た た め、 自 ら も 島 田 市 の 医院 を 閉 鎖 し て 上 京 、神 田 猿 楽 町 に 寓 居。
に只 管 打 坐 を事 と す 。
三 六 歳 。南 天 棒 老師 の 印 可 を 受 く 。 然る に 、 猶 お 自 ら 足 れり とせ ず 、 仏 書 祖 録に 参 ず 。 且 つ ひ そ
居 を島 田 に 移 して 禅 師 につ い て 洞 門の 宗 風 を探 り 秋 野 孝道 、 丘 宗潭 、 筒 井 方外 師 等 と道 交 す る。
三十年
三一年
か
三三年
三五年
る
提 心 、菩 提心 と 、 満身 の 法 勇 を鼓 吹 す 。為 に 時 の 人、 菩 提 心居 士 と 称 す。
四三 歳 。日 露 戦役 中 、 出征 遺 家 族 の無 料 診 療に 従 事 す る。
只菩
三八年
五 八 歳。 『 槐 安国 語 提 唱録 』 第 一 巻刊 行 。
隠)
四 四 歳 。九 月 上 京、 岡 田 自 適 ( 名 医 )邸 に 寓 し 、 昼 間 は 医術 研 究 、 夜 間 は 居 士大 姉 の 鉗 鎚 に 精 励。
九年
六〇 歳 。趙 州 老古 仏 に あや か り 、 小浜 市 発 心寺 に て 出 家。 導 師 は原 田 祖 岳 老師 な り 。
欓
三九年
五 四 歳。 中 館 長風 ( 軍 医総 監 ) 、 岡田 自 適 両居 士 よ り 出家 を す すめ ら れ る 。
五 三 歳 。 『南 天 棒 禅話 』 刊 行 。
五年
五六 歳 。 安 芸 の国 、 敬 峰 和 尚の 心 印を 伝 う 。 故 に白 隱 ー遂 翁 ー 春 叢 ー文 常 ー敬 峰 ー 文 敬 (
大 正四 年 ( 1 91 5 )
七年
十一年
六二 歳 。『 無 門関 鑚 燧 』刊 行 。
なる も 、 足 れり と せ ず後 に 暗 に 破棄 す 。
十三年
六三 歳 。埼 玉 県秩 父 郡 吉田 町 、 東 陽寺 に 住 職。
と
十四年
六四 歳 。大 阪 池田 の 大 広寺 に 師 家 とし て 聘 せら れ る 。
六 五 歳 。 二條 厚 基 公の 創 唱 に より 貴 族 院議 員 中 心 の慧 照 会 設立 。 議 長官
六 六 歳。 『 槐 安国 語 提 唱録 』 全 七 巻完 結 。
威 あ る 大禅 会 と なる 。
典 居 士 を 中心 に し た「 興 禅 護 国会 」 を 指導 。碧 巌 録開 講 、 来聴 者 数 百 人に 及 ぶ 。日 本 最 高最
にて 開 講 。 鍋島 直 暎 侯等 熱 心 に 参禅 。 二 條公 薨 去 よ り麻 布 一 本松 、 賢 宗 寺に て 開 講。 次 い で大
昭 和二 年 ( 1 92 7 )
十五年
舎
石大
大 の権
三年
- 76 -
五年
池
六八 歳 。 大 阪 天王 寺 真 法 院 に卜 居 す。 東 京 真 風 会、 老 松会 、 慧 照 会 、興 禅 護国 会 、 大 阪 達磨 会 、
田大 広 寺 、 広島 国 泰 寺、 呉 神 応 院、 長 野 県貞 祥 寺 、 盛岡 報 恩 寺、 秋 田 市 満願 寺 、 花巻 宗 青 寺等
じゅん しゃく
巡 錫 ( 指 導 ) 。席 暖 ま る時 無 し 。
六 九 歳。 高 槻 市に 少 林 窟道 場 落 成 。『参 禅 秘話 』 刊 行 。
を
六年
七〇 歳 。 興 禅 護国 会 に て 提 唱中 、 急に 舌 も つ れ 言説 通 ぜず 。 直 に 帰 宅、 静 養加 療 。 別 府 より 忠 海
運寺 に 転 地 療養 。 義 光・ 大 智 を 鉗鎚 が て らこ こ で 多 くの 著 作 に専 念 。 『 碧巌 集 提 唱録 』 刊 行。
七年
勝
七一 歳 。 伊 牟 田欓 文 剃 髪 し て少 林 窟第 二 世 と な り各 地 禅会 を 代 講 せ しむ 。 『普 勧 坐 禅 儀 一莖 草 』
九年
二 世欓文 老 師 遷化 。 「 時節 因 縁 な るか な 」 と独 語 さ れ る。
七 二 歳。 二 世 伊牟 田欓 文老 師 少 林 窟道 場 入 窟。 『 参 禅 漫録 』 刊 行。
八年
十年
七五 歳 。九 月 二十 日 午 後十 時 四 十 分、西 宮 の自 宅 に て 入寂 。
『趙 州 録 開 莚普 説 』 刊行 。
十二年
著 書及 び 遺 稿
『 欓隠 禅 話 集』
『 南天 棒 禅 話』
『 無門 関 鑚 燧』
『 槐安 国 語 提唱 録 』
『 碧巌 集 提 唱録 』
『 参禅 秘 話 』
『 参禅 漫 録 』
『 普勧 坐 禅 儀一 莖 草 』
『 趙州 録 開 莚普 説 』
『 禅友 に 与 ふる の 書 』 (昭 和 一 八年 )
『 証道 歌 提 唱』 ( 昭 和 三六 年 )
『 般若 心 経 止啼 銭 の こ ころ 』 ( 昭和 四 九 年 )
『 般若 心 経 恁麼 来 』 ( 昭和 六 〇 年)
『 仏祖 正 伝 禅戒 鈔 提 唱 』( 昭 和 六一 年 )
『 参同 契 ・ 宝鏡 三 昧 拾 唾』 ( 昭 和六 一 年 )
新 版『 趙 州 録開 莚 普 説 』( 平 成 七年 )
『 禅交 響 楽 』( 未 刊 )
・ ・・ ・ ・ ・・
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父、飯田欓隠
”お金を全部あげなさい“
こ
小
まつ
松
たえ
妙
こ
子
散歩 で 父 につ い て 、 いつ も の よう に 海 岸 近く に 来 ると 、 一 人 のお じ い さん が 屋 台 の傍 で 一 服し な が ら、
餅 菓 子 を 売 っ て い た 。 平 和 な 時 代 の 平 凡 な 幸 福 な 寂 し さ が た だ よ っ て い た 。 屋 台 に は 腰か け 台 が あ っ た 。
父 は「 こ ん にち わ 」 と 、お じ いさん に 声 を かけ な が ら坐 っ た 。 私も 一 緒 に腰 を か け た。 父 は おじ い さ んの
身 の上 話 を 聞い て い た 。孫 が 幾人と か い て 、ど う と か話 て い た が、 私 に とっ て 面 白 くも な い ので 、 ぼ んや
り あた り を 眺め て い た 。
、、、
する と 父 が「 貴 様 父
( は子 供 た ちは 誰 に で もき さ ま と申 し ま し た 銭) は もっ て い る か 」と 聞 く 。「 は いこ
こ に入 っ て いま す 」 と 言っ て 例 の鹿 皮 の 袋 の中 か ら 、い つ も の がま 口 を 出し た 。 「 そう か 、 じゃ そ の お金
をおじいさんにあげ なさい」と言う。「 いくら出すのですか 」と聞くと、のぞき もしないで「みんなじ
ゃ 」と 父 は 言っ た 。
私は 母 か ら「 う ち は 貧乏 だ か ら、 貧 乏 だ から 」 と 言わ れ て 倹 約を モ ッ トー と し て 毎日 を 過 ごし て い た が、
父 のい う こ とは 絶 対 命 令な の で仕方 な く 、 中に 入 っ てい た 札 も 銀貨 も 差 し出 し ま し た。 お じ いさ ん は びっ
く り仰 天 し て、 そ れ こ そ眼 を 白黒さ せ て い た。 父 は 「で は そ の お菓 子 を みん な 下 さ い。 お じ いさ ん こ れで
み んな 売 れ たの で す か ら早 じ まいに し て 帰 りな さ い 。う ち で 一 杯の ん で 下さ い 」 と いっ た 。
おじ い さ んは 私 に 餅 菓子 を 沢 山つ つ ん で くれ た が 、重 く て 重 くて も ち きれ な い 。 「お 父 ち ゃん 、 こ んな
に どう す る ので す か 」 「み ん なにあげ た ら いい だ ろ う。 貴 様 も 食え 」 。 ふと う し ろ を振 り 返 って み た ら。
お じい さ ん は手 を 合 わ せて 拝 んでく れ て い た。 父 は 何事 も な か った か の よう に 、 ま たス テ ッ キを つ い てか
え った 。 私 は両 手 で 重 い餅 を 抱えな が ら … …。 ち な みに そ の 頃 餅菓 子 一 つが 一 銭 だ った 。
”どうじゃ、うまいか“
私は 何 故 か字 を か く スピ ー ド が速 か っ た ので 、 父 は口 述 速 記 をさ せ る のに 重 宝 が って よ く 私を よ び よせ
て は口 述 さ せた 。 私 も 父の 役 にたつ こ と を よろ こ ん で、 原 稿 用 紙と ペ ン をも つ こ と は嫌 で は なか っ た 。そ
れ に、 た ま には 父 も 私 をね ぎ ら って く れ る つも り な のか 、 寒 い日に は 「 今日 は 貴 様 に何 か う まい も の を食
わ して や ろ う、 と り そ ばは ど うじゃ 」 と い って ご ほ うび を ぶ ら さげ て 私 をよ ろ こ ば せる こ と も忘 れ な かっ
た。
母は 家 で たの む 職 人 用以 外 は 店屋 物 を と るこ と は 御法 度 の よ うに 嫌 が った 。 母 に はす ま な いと は 思 いな
が ら、 私 は うれ し く て うれ し くて寒 風 を つ いて 、 う どん 屋 へ 走 った 。 関 西で は 、 そ ば屋 と は いわ な い でう
ど ん屋 と い う。 そ れ に 父の メ ニュウ は い つ も夜 食 の 代名 詞 の よ うに と り そば だ っ た 。私 が ふ うふ う お いし
そ うに 食 べ るの を 「 ど うじ ゃ 、うま い か 」 とい い な がら 、 に こ にこ し て 食べ 終 わ る のを 待 っ てい た 。
”試 験 な ん か ど う で も い い “
父の呼び出しは夜 といわず、夜半とい わず、しかも待てし ばしがなかった。大 てい母が伝令に来た。
「 妙子 さ ん 、お 父 さ ん がま た お 呼び だ よ ! 」と 気 の 毒そ う に 障 子の む こ うに 立 っ た 。夜 半 に 起こ さ れ ると
き もあ る が 、そ ん な 時 は父 が 自 分で 来 た 。 「お 父 ち ゃん 、 眠 い 」と い う と「 人 間 は 三時 間 寝 れば そ れ で足
り る。 そ れ 以上 寝 る こ とは 酔 生 夢死 で 無 駄 な人 生 だ 」と さ と さ れ、 な る ほど 私 た ち 兄弟 が い つも あ つ まっ
て 話す こ と は、 父 は い つ寝 る か わか ら な い 。自 分 た ちが 眼 を さ ます と 本 を読 む 声 が する 。 大 きい 声 で ふし
を つけ て 読むこ と が 好 きで 、 家 中ど こ か ら とも な く 父の 読 書 の 声が き こ えて く る の がな つ か しい と 話 あっ
た。
その 日 は 一た ん ハ イ と答 え た もの の 、 明 日の 試 験 のた め に 勉 強し て い たの で 、 「 今日 は 駄 目」 と い って
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し まっ た 。 する と 「 ど うし て そ んな こ と を 言う か ! 」と い っ て 珍し く 烈 火の 如 く 怒 って 声 を 荒げ た 。 「だ
っ て明 日 試 験な ん だ も の」 と 私 は珍 し く 口 答え し た 。「 貴 様 の 試験 な ん かど う で も いい ん じ ゃ。 父 さ んの
原 稿を 書 く こと の 方 が どん な に か大 事 な ん じゃ 。 そ れが 貴 様 に わか ら ん か! 」 と 言 って そ の 怒り 方 は かつ
て なか っ た 。
常日 頃 、 勉強 な ど し たこ と が ないの で 明 日の 試 験 をど う し よ うか と 、 とう と う 泣 きだ し た 。す る と 父は
「そんなことで泣くやつがあるか。人間一生のうちで泣いていいのは親が死んだときと…… 泣
( いていた
のであとの言葉をききかえすことができず、わからなかったが、もう一つ泣いていいときがあった だ
)け
じ ゃ。 貴 様 のそ の 醜 い 泣き 顔 を 鏡で み て 来 い。 夜 叉 の面 じ ゃ ! 」
母は お ろ おろ と と り なし て く れた が 、 一 たび 怒 り 出し た 父 は 、ど う し ても ペ ン を もた ざ る を得 な い 情況
ま で私 を お いつ め た 。 結局 朝 方二時 頃 や っ と解 放 さ れて 寝 る こ とが で き たが 、 勉 強 する 時 間 など あ ろ うは
ず はな い 。 女学校 三 年 くら い の とき だ っ た ろう か 。
”心の底が見えてくる“
私の 少 女 時代 の 心 に 残っ た 父 の言 葉 が あ る。 女 学 校一 、 二 年 生と い え ば反 抗 期 の 最中 だ っ たが 、 今 でい
う 部活 の 時 間が あ っ た 。放 課 後、日 本 間 で じっ と 坐 ると い う だ け一 時 間 だっ た 。 坐 禅と い う ので も な く、
た だ眼 を 閉 じて し ず か に息 を して、 ひ た す らに 坐 っ てい な さ い 、と い う のが そ の 会 の目 的 だ から 、 何 とな
く 自分 か ら 選ん だ 時 間 では あ ったけ れ ど も 、何 の や くに た つ の だろ う と 。
私は 家 に 帰っ て 何 故 そん な こ とを し な け れば な ら ない の か と 、父 に 矛 先を む け て 聞い て み た。
父曰 く 「池に 波 が た って い る と底 が み え なか ろ う ?波 が 静 か にな れ ば 池の 底 が 見 えて く る 。そ れ と 同じ
じ ゃ。 心 が 波だ っ て い ると 、 自分の 心 の 底 が見 え ぬ 。自 分 の 心 が静 か に なれ ば 心 の 底が 見 え てく る 」 。
)
な るほ ど と 納得 し た 。 さす が に 上手 に 話 て くれ る も のだ と 、 そ の時 も わ が父 な が ら 感心 し て 尊敬 し な おし
た こと が 頭 にい つ ま で も残 っ て いる 。
〈小 松 妙 子/ 大 正 元 年生 ま れ 。飯 田欓 隠 の三 女 〉
『
( 欓隠 顕 彰 会 会 報』 よ り 抄録
- 79 -
後
語
なんな
「時節因縁は三世の諸仏も計り難し」と。これ禅家の常套語である。山僧が[飯田欓隠語録全集]
編纂の大業を志して三十年に 垂 んとす。今日漸く時節因縁の当来である。時間の長短を見る暇は無
かった。三十年はアッと言うまであった。是の如くして古今無双の老大師とその境界を周知しても
らわん ため の一 梓が この拙 著で ある 。
こうぜんごこくかい
今 や 老 大 師 が 「 興禪護 國会 」 を 指 南 し 国 難 を 救 わ れ た こ と を 知 る 人 は 稀 で あ る 。 当 時 誰 も 知 る 日
本最高の権威ある大禅会であった。だが山僧は釈尊嫡々相承のその偉人に相見出来なかった憾みは
如何と も致 し難 し。
瑩 山 禅 師 遺 訓 に 曰 く 、「正法眼蔵涅槃妙心、仏の在世と異なることなし。故に仏生国に生まれざる
え
り
こ とを 恨むこ と勿 れ。 仏在 世に遭 うわ ざる こと を悲し むこ と勿 れ。 昔し厚 く善 根を 植え 、深く 般若の
良 縁 を 結 ぶ 。 之 に 依 っ て 大 乗 の 会裡 に 集 ま る 。 実 に 是 れ 迦 葉 と 肩 を 並 べ 、 阿 難 と 膝 を 交 ゆ る が 如
し。」 と 。 嗚 呼 、 歓 喜 、 歓 喜 。
欓老に会わずと雖も、偉人の真訣を縷々拝聴する好時節を篤と得た山僧である。恰も世尊に逢う
が如く 、霊 鷲山 上、 迦葉尊 者と 親見 する が如く であ る。 快哉 、々々 。
欓老は海辺にあっては漁人の如く、山中に在っては樵夫の如く無碍自在な祖師であった。その指
導力は、理を論ずるに於いては語極まるまで、事に当たっては我を忘れて徹底。説いても作用して
も跡形 無く 、屡 々醜 を忘れ て闊 達自 在。 これ全 て大 慈大悲で ある。
或る時は汚れフンドシを鼻頭に突きつけ、或る時は法要中に子等を率いて飛行機を見せしむ。或
はじゅうさつにんとう
る時の一掌(顔を張り倒す)は褒めて徹底活かし、或る時の一掌は、命がけの決意に追い込む。こ
れを 把 住 殺 人 刀 と言う。各の如くとんでもない手段は身を忘れての熱血からであり、やり口は仏祖
も予測 が付 かぬ 働き である 。誰 か汗 顔感 泣せざ らん や。 この 心眼無 くん ば大 法は 滅ぶの み。 嗚呼 。
雲はれて後の光と思ふなよ 本より空に有り明けの月
これ欓老はいつもながら良い歌じゃと褒め、しばしば用いて我等の注意を促されておる。涙、涙。
欓老は仏法の堂奥を護持せんと卓々たる境界を以ていちゝゝ古人を照破し邪路を訂正している。
即わち碧巖提唱に曰く、「圜悟の評唱、著語、古人の語句等、全て盲従するは危険なり。おうおう
に排斥 すべ き処 あり 。云々 」と 。故 に応 ・燈・ 関已 後、 五百 年間不 出世 の巨 匠と 評せら る。
沙石 集に 曰く 、
死にたればこそ生まれたれ 生きたらば死にまし
かしこくて死してんける けふに死ぬらふに
此処に至ってはどんな博学知識も何の救いにもならない。いよいよ窮していよいよ迷う。これは
皆自我の妄想・妄念・妄覚からである。本当に救われるとは、これらが明白になった境界を言う。
自我が溶け落ちて初めて本当の人間性が輝き出す。絶大な愛である。愛より強き者、美しき者は無
い。人と人、国と国信じて親しければ何ぞ争うべきや。世界花と化して泰平を謳歌す。これに勝る
麗しき は無 い。 みな 願うと ころ では ない か。
欓 老 曰 く 、「世界は統一されるべきもの。この大愛、この真、この誠をもってなり」 と 。 ま さ に ま
さに。誰か之を疑わんや。過去を超え、宗教思想を超え、老若男女民族を一度は凌駕せねばならぬ。
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へい じょう しん これ どう
にちにちこれこうじつ
自我に勝ち得て初めて自ずから虚空掌中に帰し、天上天下唯我独尊たる神聖に目覚めるは必定。な
に、人 々日 常、 即今 底の事 よ。 これ を「 平 常 心 是 道 」とい い「 日 々 是 好 日 」という 。
世界の混沌は皆菩提心無きことと教育の誤るに有り。世の諸問題みな心より生ずる。このことを
知らさねば、自らを律する大切さを忘れてしまう。心清ければ天下泰平である。これが欓老の全て
であり 仏祖 の内 容で ある。 本当 に自 律し て自己 責任 がと れれ ば全て の問 題み なケ リが付 く。
テロや如何。ただ自我の妄念により命の神聖さが解らぬが故、狂人と成り暴徒となる。彼らも人
である。彼らもやはり尊厳大である。知らせぬ罪、教えざるが故の罪、救わない怖さを自覚すべき
である。欓老否諸仏祖師方の涙を無駄にしてはならぬ。大菩提心のもとに本当に正身端坐せよ、が
欓老の 結語 であ る。
自律無き民族は滅ぶ。滅ぼされる。将来世代の苦難と悲惨さを深く思い、「今」を慎まねばなら
ぬ時で ある 。
「欓隠老師全集」を能く読み、能く行じて貰いたい。「千里の目を窮めんと欲せば、更に一層楼に
上るべ し」 と古 人も 言えり 。
「人々 分上 豊に 具わ れりと 雖も 修せ ざる には現 れず 、証 せざ るには 得る こと なし 」道元 禅師
知 る人 ぞ知 る。 我が国 に斯 くの 如き 豪僧に して 古今 無双 の傑僧 あり しを 誇り とす。
この 拙文 をし て偉 人の片 鱗を 看取 され 得ば望 外の 喜び とせ ん。南 無欓 隠老 古仏 。合掌
我れ 鈍重 にし て慚 汗踵に 到る 。さ れど 護法の 念、 一日 たり とも忘 ずる こと 無し 。
道
識
嗚呼 、慚愧 々々 、咄 。菩 提心、 菩提 心。 これ を以て 結語 とす 。
平 成二 十七年 十二 月二 十三 日
寒 月を 望ん で言 を忘ず る時 、孤 船粛 々未だ 泣か ずし て去 る
維時
奉祝 平成天皇八十二聖歳御生誕日
七十六衲
希
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