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8Kスーパーハイビジョン
符号化への期待
松田一朗
東京理科大学理工学部 教授
2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催まで5年を切り,世紀のイベントの開催に向けたさまざ
まな話題が世間をにぎわせるようになってきた。中でも,
映像技術に携わる筆者の興味を最も駆り立てるのは,
オリンピックを機に普及が見込まれる8Kスーパーハイビジョン(以下,8K)技術の進展である。振り返って
みると,1964年の東京オリンピックは,衛星中継技術やスローモーションVTR等の最新のテレビ放送技術を
世に知らしめ,カラーテレビ受信機が普及する契機となったことから,
「テレビ・オリンピック」として後世
に語り継がれる存在となった。そして半世紀以上の時を経て再び東京で開催されるオリンピックでは,一流ア
スリートたちが繰り広げる数々の名勝負が,8Kの臨場感あふれる映像に乗って,瞬時に世界中を駆け巡るこ
とが期待されている。
本誌の読者には改めて説明するまでもないと思われるが,8Kは現行のフルスペックハイビジョン方式に対
して16倍の空間解像度(7,680×4,320画素)と2倍以上のフレームレート(60Hzまたは120Hzプログレッ
シブ走査方式)
,大幅に拡大された色域,22.2チャンネルの3次元音響等を採用した次世代の映像規格であ
り,人間の視覚と聴覚を通して伝え得る最高の品質を目指した究極の高臨場感メディアと言っても過言では
ない。その仕様策定にあたってはNHKにおいて蓄積された視覚と映像の心理物理効果に関する研究の知見が
生かされ,超高精細度テレビジョン(UHDTV:Ultra High Definition Television)の国際規格(ITU-R勧告
BT.2020)および国内規格(ARIB STD-B56)として標準化がなされている。また,
日本政府のICT(Information
and Communication Technology)による成長戦略の一環として,総務省が主導する官民の協議会は次世代
テレビジョン放送の早期普及に向けたロードマップを公表しており,8K放送に関しては当初の計画が前倒し
され,リオデジャネイロ夏季オリンピック・パラリンピックが開催される2016年に試験放送,東京オリン
ピック・パラリンピックの本番を2年後に控える2018年には実用放送を目指すことが提言されている。しか
し,8Kが目標とする高品位の映像サービスを提供するためには,撮像,記録,符号化,伝送,表示といった
要素技術のどれをとっても極めて高い水準が要求され,ロードマップに示されたとおりのスケジュールで実用
化にこぎ着けることは決して容易な道のりではない。特に映像符号化技術に関しては,非圧縮の状態で72 ~
144Gbpsに達する映像信号の伝送レートを衛星中継器1チャンネル分に相当する100Mbps以下に圧縮するこ
とが必須要件とされており,現時点でこれを可能にする唯一の映像符号化技術として,本特集号でも取り上げ
るH.265/HEVC方式への関心が高まっている。
H.265/HEVCは,ITU-T(International Telecommunication Union Telecommunication Standardization
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NHK技研 R&D/No.155/2016.1
1991年 東京理科大学理工学部電気工学科卒業
1996年 同大学院理工学研究科電気工学専攻
博士後期課程修了
同年 東京理科大学理工学部電気工学科助手
2003年 同理工学部電気電子情報工学科講師
2008年 同准教授
2014年 同教授
現在,画像処理および符号化の研究に従事。電子情報通
信学会情報・システムソサイエティ活動功労賞,映像情
報メディア学会藤尾フロンティア賞等を受賞。電子情報
通信学会画像工学研究専門委員会副委員長,映像情報メ
ディア学会企画担当理事等を歴任。電子情報通信学会シ
ニア会員,IEEE,情報処理学会,映像情報メディア学
会各会員。博士(工学)
。
Sector:国際電気通信連合 電気通信標準化部門)とISO/IEC(International Organization for Standardization / International Electrotechnical Commission:国際標準化機構/国際電気標準会議)が合同で策
定した次世代映像符号化の標準規格であり,ISO/IEC側の名称であるHEVCには,High Efficiency Video
Coding(高効率符号化)の意味が込められている。その名のとおり,現在広く使用されているH.264/AVC
(Advanced Video Coding)方式の約2倍の符号化効率を目標として2010年に本格的な検討が開始され,
2013年初頭に基本部分の規格化が終了した最新の符号化方式である。符号化アルゴリズムの枠組み部分は,
最初期の映像符号化方式として四半世紀ほど前に標準化されたH.261やMPEG-1と同様に,動き補償と直交変
換の組み合わせによる,
いわば枯れた技術を踏襲している。このため,
筆者を含めた当時の研究者の中には,
「符
号化効率2倍」という目標の実現に懐疑的な見方があったのは事実であるが,効率改善のための無数の工夫を
うわさ
符号化ツールとして整備し,それらを適切に組み合わせることで現実に目標を達成しつつあるとの噂を耳にし
た際は,まさに脱帽の感であった。聞くところによると,個々の符号化ツールによる符号化効率への寄与の程
度が僅かであっても,その積み重ねによって大きな改善量を達成できるとの信念の下に,符号化効率と複雑度
の観点から膨大な改善提案を評価・審議しつつ,慎重に符号化ツールの仕様を策定してきたとのことである。
短期間にこれだけの規模の作業を成し遂げ,大きな成果を上げた関係者の努力には頭が下がる思いである。
このように,大筋の標準化作業は収束に向かいつつあるH.265/HEVCであるが,これを演算規模と経済性
の制約の下で8Kの普及に結び付けるためには,最適な符号化ツールの組み合わせやパラメーターの選定など,
まだまだクリアすべき課題は多い。しかし,NHKをはじめとする国内の技術者集団が総力を挙げて取り組め
ば解決できない問題ではない,と今度は確信をもって言うことができる。8Kは,放送の分野のみならず,医療,
教育,セキュリティーなどさまざまな分野への応用が期待されており,その早期実用化は産業界に計り知れな
い波及効果をもたらすことが予想される。筆者は超高精細・広色域画像の評価を目的としたテストチャートの
選定作業に携わり,NHK技研に設置された大型モニターを通して8K映像を長時間鑑賞する機会に恵まれたが,
その迫力と没入感を伴う美しさは,実際に体験しないと伝わらないものである。来るオリンピック開催を原動
力として8Kの映像を視聴する環境が整備され,空調の効いた部屋に設置された8Kモニターの前こそが競技観
戦の特等席であると広く認知されるようになれば,日本の持つ技術力を世界中にアピールするまたとない機会
になるに違いない。そのような思いを胸に,2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催を心待ちにし
たい。
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