パリ通信 最新号

ト
ピ
ア
Bestopia
< 2015 年 4 月 >
古賀 順子
ローザンヌ
キリスト教徒にとって、復活祭は一番大切な儀式
です。人間の罪を償うため、十字架に掛かったキリ
ストが、三日目の日曜日に復活したことを祝うもの
で、
毎年移動する祭日となります。
カトリックでは、
3 月 21 日春分の日を過ぎて、最初の満月を迎えた直
後の日曜日と定められています。つまり、3 月 22
日から 4 月 25 日の間で、今年は、4 月 5 日(日)が復
活祭になりました。
復活祭前日からローザンヌへ行きました。ベジャ
ール・バレエ学校「Ecole-Atelier Rudra Béjart」の
オーディションを受ける日本人ダンサーの付添いで
す。16 歳から 19 歳までを対象に、毎年行われるオ
ーディションで、
世界中から受験に来ます。
今年は、
男子 32 名、女子 150 名がエントリー。4 日(土)第一
次予選を通過したのは男子 11 名、女子 13 名。183
名中 24 名、競争率 7.5 倍。更に、第二次、最終選
考と難関をくぐり抜けなければなりません。選別の
末に入学できるのは多くて 5-6 名。入学しても、プ
ロのダンサーになる道のりは極めて厳しい世界です。
3 名の若き日本人ダンサーは、残念ながら、第一次
オーディションで落とされてしまいました。オーデ
ィションの場に、付添いの父兄や関係者は入ること
ができません。審査が終わるまで、何時間も控え室
で待つことになります。父兄も結果が出るまでは、
気が気ではありません。知らない間に連帯感も生ま
れ、私もたまたま隣合わせた韓国人男子のお母さん
とお喋りをすることになりました。韓国でもバレエ
人口は著しく増加しており、そのお母さんも付きっ
切りで 17 歳の息子さんをサポートしているそうで
す。フランス人とイタリア人の合格者が多かった中
で、東洋人で一人だけ第一次オーディションを通過
したのが、この韓国人ユージェンヌ君でした。お母
さんも、とても嬉しそうでした。
私たちは、気を取り直して、折角ローザンヌまで
「 パリ通信 40 号 」
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平成二十七年四 月
ス
第四十号
ベ
来たのだから、せめてレマン湖だけでも見て帰るこ
とにしました。復活祭前日で、スイス名物のチョコ
レート屋さんには、玉子、ひよこ、ウサギの形をし
たチョコレートが沢山飾ってありました。
パリからローザンヌは、距離的には 600km あり
ませんが、地形のせいで、TGV Lyria で 3 時間 40
分かかります。パリ、ディジョン、ドルまでは、TGV
のスピードも速いのですが、国境を越えてスイス最
初の駅ヴァロルブ辺りからは、ローカル線並みの遅
い速度でしか進めません。
レマン湖に面したローザンヌは、傾斜がきつく、
レマン湖から山に向かって登山電車が登り、市内は
トロリーバスが走っています。ローザンヌ工科大学
には、妹島和世と西沢立衛(SANAA)設計の「ロレッ
クス学習センター」(Rolex Learning Center) があ
り、
現代建築の面でもスイスらしい場所と言えます。
SANAA は、フランスのランス(Lens) にルーブル美
術館別館を設計しています。
小雨の中、霧で見通しの悪いレマン湖を見て、
TGV でパリに戻ったのは 22 時を過ぎていました。
リヨン駅から、
金色に輝く美しい満月が見えました。
その頃には、オーディションのショックからも少し
は立ち直り、
「次のコンクールに向けて頑張りたい」
と前向きになってくれました。
日本のクラシック・バレエの裾野も、大きく拡が
っています。国際コンクールで入賞する若い日本人
ダンサーたちの頑張りを目の当たりにし、一緒に夢
や希望に向かう時間を共有できることを嬉しく思い
ます。
日本でも、国際バレエ・コンクールが開催される
ようになり、来る 7 月「第 2 回国際バレエ・コンク
ール・イン・名古屋」が予定されています。パリ・
オペラ座の元エトワールで、引退後スペインでバレ
エ団監督を務めているジョゼ・マルティネーズを審
査委員長に迎え、日本、及びアジアの若いダンサー
育成を目指しています。10 代で将来が決まる特殊な
世界ですが、300 年の歴史を持つクラシック・バレ
エ界で、
多くの日本人ダンサーが活躍している姿は、
とても嬉しいことです。
―― 平成 27 年 4 月 パリ通信 40 号 ――
ローザンヌ、ベジャール・バレエ学校
―― 平成 27 年 4 月 パリ通信 40 号 ――