目 次 序 論 第 第 第 第 章 章 章 3 章 目 次 教育は何をなすべきか ⒡⒢公教育の役割を再考する ⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 社会変動と﹁教育における自由ⅶ ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ⒡⒢メリトクラシーは到来していない⒡⒢ 能力にもとづく選抜のあいまいさと恣意性 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ⒡⒢教育の早期分化論の問題点⒡⒢ 生まれつきの能力差に応じた教育? ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 職業教育主義を超えて ⒡⒢学校の役割を再考する ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 子どもたちに市民になってもらうための教育 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ⒡⒢政治的教養の冷凍解除について⒡⒢ ⅵボランティアを通して学ぶ﹂ことの両義性と微妙さ ⋮⋮ v 第Ⅰ部 能力・職業・市民 第 章 4 2 1 1 53 79 111 131 155 179 章 第 5 6 第 章 終 章 ⒡⒢本書のまとめに代えて⒡⒢ ポスト震災の教育をどう考えるか ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 戦後の青少年政策とこれからの子ども・若者 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ⒡⒢戦前期中等工業教育をめぐる教育政策について⒡⒢ 教育における絶えざる失敗と意図せざる成功 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ⒡⒢澤柳政太郎と成城学園の位置⒡⒢ 大正時代の新教育と社会 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 第Ⅱ部 歴史と現在との往還 第 章 章 第 7 あとがき ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 207 241 279 317 355 8 9 vi 序論 教育は何をなすべきか 序 論 教育は何をなすべきか ⒡⒢公教育の役割を再考する 改革主題の転換⒡⒢平等化から差異化へ 現代の日本において、雇用の空洞化や民主主義の機能不全が目立つようになっている中で、公教育 は未来の社会に向けて何をしていけばよいのか。本書は、ポスト高度成長・ポスト冷戦期の日本社会 において、公教育を改革する方向をどう考えるべきなのかについて、いくつかの論点を明確にする形 で考察したものである。 本書が中心的な課題に据えるのは、サブタイトルにあるように、①教育の中の能力観の問題、②職 業を手に入れるための教育という考え方、そして、③市民を形成するという公教育の役割について、 である。なぜこういうトピックを考察の課題にしてきたか。そのあたりから説明をしたい。 歴史を振り返ってみると、公教育政策の改革をめぐる主要な価値軸は、一九八棚年代半ばの臨時教 育審議会 八( 四∼八七年 を) 境に、大きく転換をしたといえるだろう。それ以前の日本の教育政策の基 調は、機会の拡充や地域間格差の是正などを通した平等化におかれていた。しかし、臨教審以降はむ しろ差異化が基調になっていったからである。 1 臨教審において、改革の基本方針をまとめた第一次答申 八(五年六月 で)出されたのは、﹁個性重視の 原則﹂である。それまでの教育のあり方全体を見直す方向として、﹁今次教育改革において最も重要 なことは、これまでの我が国の教育の根深い病弊である画一性、硬直性、閉鎖性、非国際性を打破し て、個人の尊厳、個性の尊重、自由・自律、自己責任の原則、すなわち個性重視の原則を確立するこ とである﹂とされた。そこでは、﹁ⅷ個性重視の原則ⅸは、今次教育改革で最も重視されなければなら ないものとして、他のすべてを通ずる基本的な原則とした﹂とされた。 ここで示されている﹁個性重視﹂をどういうものととらえるのかは、多様な考え方が可能である。 たとえば黒崎勲 一(九九五 は)、﹁それはもともと教育制度に市場原理を導入し、学校選択制度によって 学校を活性化させるというⅷ教育の自由化ⅸの衝撃的な問題提起をめぐる複雑な駆け引きの結果、教 育の自由化の隠れ蓑としてⅷ個性主義ⅸが唱われるようになり、さらに字義の明確さが問われてⅷ個 性重視の原則ⅸに落ち着いたものとされる﹂、と審議過程の舞台裏を説明しつつも、この原則に教育 学としてのポジティブな意味を与えた。すなわち、一九六棚年代の経済審議会や中央教育審議会 中( 教審 が ) 掲げていた﹁個人の能力や適性に応ずる教育﹂の単なる言い換えとみる見方もできるけれど も、﹁様々な教育理念、教育哲学をもって学習意欲を鼓舞し、人生の進路を自らの力と意欲とに即し て決定していくことを励ますⅶ 同( 、一三八頁 と) いう、﹁教育理念による多様化﹂の可能性もはらんで いるとみていたのである。 もしも、経済が順調で、上下の格差が小さく、誰もが似たような条件の下で人生の選択をし、その 選択における失敗が生存を危機にさらすようなことのない社会であったら、理念としての﹁個性重視 2 序論 教育は何をなすべきか の原則﹂は、黒崎が期待した意味のものとして、悪くないのかもしれない。 しかし、現実はむしろ別の方向に向かって進んできた。まさに臨教審が議論を進めていた八棚年代 半ば以降の円高政策で、日本の企業は国内から海外へと拠点を移転し始めた。金融緩和によるバブル 景気は九棚年代初頭に破綻し、それ以降は長い経済停滞が続いてきた。それらを受けて、九五年には 日経連が﹁新時代のⅷ日本的経営ⅸ﹂を発表、正規雇用を抑えて非正規雇用ばかりが増大する労働市 場になっていった。相次ぐ税制の改革や規制改革は、貧富の差をむき出しにするような社会を作り出 すことになった。 にもかかわらずというか、それに歩調を合わせて、というか、臨教審の答申を基点にして、公教育 の中に差異を作り出していく方向の教育制度改革は、その後次々と制度化されてきた。初中等教育の 分野でいうと、学校選択制の導入 九(七年 あ)たりで明確になった流れは、小中一貫校の制度化の提言 中(教審二棚一四年一二月 を )経て、公設民営学校の是非が議論されるところまで来ている。 つまり、社会が大きく変化し、格差・不平等や貧困の問題が浮上しつつある中で、その格差や不平 等をそのまま反映しかねない、あるいはその世代的再生産を正当化してしまいかねない教育制度改革 が進められているのである。 教育学研究者の少なくない人たちは、黒崎が言う﹁教育理念による多様化﹂の可能性のような部分 に期待をかけて、教育改革の方向に積極的にコミットしてきている。別の人たちは、財界やエコノミ ストが主張するような、より極端な改革論で改革が進められてしまうのを押しとどめるべく、半分賛 成・半分反対のような立場で改革にコミットしたりしている。もっと多くの教育学研究者は、改革の 3 流れの中で新たに生まれてきた技術的課題に対して適切な答えを示す作業に追われている。 そうした中、不平等や階層再生産と教育との関係を考察するという視点から、学力、学校から職業 への移行、フリーターなどについての実証的な考察を進め、一連の教育改革の動きを批判してきたの が、教育社会学者たちであった。 苅谷剛彦の﹃大衆教育社会のゆくえⅴ 一(九九五 は)、教育機会や学力が社会階層間で不平等な構造に なっていること そ(れ自体は研究者の間では周知のことだったが を)、広く一般の人たちに認識させる意味 で重要な著作となった。苅谷はさらに、学力だけでなく、努力や意欲の面でも階層間の差異があり、 しかも近年それが広がっていることを明らかにし、当時進められていた﹁ゆとり教育﹂政策を批判し た 苅( 谷 二棚棚一 。) 耳塚寛明は、さまざまな調査を実施し、﹁学力と階層﹂についての綿密な考察を 進めてきた 耳(塚他 二棚棚二、耳塚 二棚棚七、など 。)志水宏吉は、生活困難層や問題を抱えた子を多く 抱える学校の実態を調査しつつ、彼ら/彼女らの学力を伸ばしている学校にどういう特徴が見られる のかといった研究視点から、﹁効果ある学校﹂についての実証的な知見を蓄積してきている 志(水 二棚 棚五、 二棚棚八 、志水編 二棚 棚九、な ど 。 ) こう した諸研 究を足場に しながら 、教育社会 学の若手 研究者 が、﹁階層と教育機会﹂﹁階層と学力﹂に関わる問題群に実証的な知見を積み上げてきている 最(近の研 究動向については、平沢・古田・藤原 二棚一三を参照されたい 。 ) しかしながら、調査データを用いた実証研究には、大きな限界がある。たとえば、現状を調査する ことによって、どういう制度的措置が必要なのかは提言できても、これから導入されようとする改革 がどういう帰結をもたらすのかを正確に予測するのは困難である。また、教育という分野の場合、ど 4 序論 教育は何をなすべきか んな制度であれ、制度が導入されてある程度の時間がたってみないと、その結果を適切に検証するこ とはできない。導入当初の混乱や熱気が去って、ルーティーン化された教育を子どもたちが何年も受 けて初めて、制度の功罪を検証できるはずだからである。それゆえ、教育社会学の実証研究の主張は、 しばしば教育改革の後追いに終始することになってしまう。 教育社会学の実証的な研究がはらむ、もう一つの大きな問題は、実証的な知見自体は、今後の公教 育がどこに向かうべきなのかといった価値や目的の問題に対して、何も答えを与えてくれないことで ある。改革論が掲げていた当初の目的が、改革の結果にどこまで実現されているのかとか、意図せざ る結果として何が生まれているか、といったことを明らかにするのは得意だし、それとは別に、実現 をめざす価値として平等を希求するという研究の伝統もある。しかし、教育改革の方向の是非を、さ まざまな価値の間での優先順位の問題として議論する手がかりにするには、いささか不十分なのであ る 広(田 二棚一三a 。) 今の教育改革の流れを批判的にとらえている教育哲学者も少なくない。原理レベルで問題を考えよ うとすると、教育哲学や教育思想の知が、どうしても必要になる。しかしながら、彼らの多くは﹁臆 こっそりと忍 病﹂である。性格が臆病なのではなく、﹁やや難解な考察の中に ⒆自分の主張を⒡⒢広田⒇ び込ませたり、誰かの思想を研究素材にしてこねくり回している中に、おずおずと自分なりの考え方 をほのめかしたりするⅶ 広(田 二棚棚九a、一一一頁 こ)とが多いのである。目の前で現実に進行してい る教育改革と具体的なレベルで切り結んで議論をしている人は、私が見る限りごくわずかである 小( 玉重夫 二棚棚九、二棚一三、宮寺晃夫 二棚一四、など 。 ) 5 実証的な知見を積み上げて言える範囲で考察をとどめる教育社会学と、特定のテキストや人物の考 察から言える範囲で考察をとどめる教育哲学⒡⒢その両方からはみ出した地点で、もっと別の視点か ら原理レベルの問題を考察できないか。本書は、次々と進む教育改革に対して、﹁ここを﹂というポ イントを自分なりに見つけて、自分なりのスタイルで掘り下げた試みの本である。 実は、厳密な実証という伝統的なスタイルからはみ出して、大きな枠組みで、現在の教育改革を批 判したり、代案を出したりする教育社会学者もいないわけではない。藤田英典は、改革動向を丹念に 追いつつ、改革案が生み出す帰結を論理的にシミュレートするという手法で、一連の教育改革をきび しく批判してきた 藤(田 一九九七、二棚棚棚、二棚棚五、二棚一四、など 。)藤田は、これまでの日本の学 校がそれなりに成果を上げてきていることを重視しつつ、共生の原理を取り入れるなど、地道で原理 的な改革こそが必要だと主張している。本田由紀は、むしろ旧来の学校や教育制度が社会の変容によ って機能不全になっているとみていて、職業的レリバンスに向けた教育への転換などを含めた抜本的 な教育と社会のあり方の組み替えを提案している 本(田 二棚棚五a、二棚棚九、二棚一四、など 。) 藤田の議論と本田の議論は、これまでの日本の学校教育の評価をめぐって対照的である。どちらか というと、私は藤田の議論に近いが、職業教育を強調する本田の議論は無視できない重要性を持って いるので、この点は序論の後の方であらためて論じることにする。 ただし、グランド・デザインを描こうとする藤田や本田の議論とちがって、本書は、いくつかのポ イントに絞り込んだ議論をしている。教育改革論の是非を議論するときにこれまで十分掘り下げられ てこなかったように思われる点や、見落とされてきている、急所と思われる点に焦点を合わせて、そ 6 序論 教育は何をなすべきか こを掘り下げたつもりである。本当に急所なのかどうかは、書いた し(ゃべった 当) 人にはよくわから ない。それは読者の判断に委ねたい。 教育の中の自由 第Ⅰ部は、教育の中の自由、教育機会の平等、教育と民主主義の問題について、折にふれて考察し てきたものを収録した。 第一章は、教育の中の自由をどう考えるかについて、自分なりの見方をまとめてみたものである。 岩波書店の﹁シリーズ 自由への問い﹂の中の一つの巻として教育を主題にした本 ﹃(自由への問い5 教育﹄を ﹁子育てにおける選択の自由﹂や﹁教 ) 編んだ際に執筆した。同書では複数の研究者の方に、 師の教育する自由﹂など、さまざまな観点から論じていただいた。同書のサブタイトルは﹁せめぎあ うⅷ教えるⅸⅷ学ぶⅸⅷ育てるⅸ﹂というものにしてもらったように、現代では教育をめぐる議論の中 で、﹁自由﹂を主張するたくさんの立場が相争っている。﹁おまえも何か一つの章を書け﹂と編集者か ら言われて、何を書こうかいろいろ考えた。 特定の自由の優越を主張する議論が何種類もある中で、自分はどういう視点で考察すべきか、少し 考え込んだ。たくさんの﹁自由﹂の中のどれか一つにもしもコミットすれば、教育の問題は、 特( 定 の 自 ) 由とそれを脅かす敵対者たちとの闘いとして描けてしまう。しかし、そういう立ち位置はとり たくなかった。究極の正義を主張できるような自由なんか、教育の分野にはないはずだ。そう考える 7 と、むしろ、たくさんの種類の自由がせめぎ合っているわけだから、その状況を俯瞰してみようと思 うようになった。それで書いたのが、この論文である。 教育の中の自由の問題は、同章で触れているとおり、一九五棚∼七棚年代までは、もっぱら教育行 政対現場教員 と(親 と)いう、シンプルな対立構図で語られていた。教育の中の自由を脅かしかねない アクター、そして同時に社会の自由を脅かしかねないアクターとしてもっぱら警戒されていたのは、 国家すなわちときの政治や教育行政であった。﹁戦前のような教育の国家統制を招来させないため、 教育の自由を守れ﹂というわけだ。当時の対立軸は、﹁もっぱら、中央行政による教員統制と、教員 組合による教育現場の自由度の確保との間でのせめぎ合いであったⅶ 本(書六三頁 。) しかしながら、今や、教育の中の自由をめぐる位相はまったく異なるものになっている。学校によ る子どもの人権の抑圧を問題視する一九七棚年代の市民運動あたりが、新しい動きの嚆矢だったとい えるかもしれない。その後、保護者によるクレイムの増加、保護者の学校参加や学校と地域との関係 の編み直しなどが進んできた。私学ブームや学校選択制の広がりもまた、新しく考えるべき点を作り 出してきた。もう一方で、学校評価や教員評価、学力テストなど、新しい行政手法を取り入れた教育 行政が、教育現場に直接介入する度合いも強まってきている。それどころか、偏狭なイデオロギーを 携えた政治家や国際機関 O( ECDなど ま) で、ステイク・ホルダーとして、具体的な教育内容や方法 藤や紛争が展開するようになっているのである。 に関して発言力を強めるようになってきている。すなわち、多元的なステイク・ホルダーが、多次元 的に関与し、自由をめぐる 第一章の議論では、私としては、紛争の積極的な意義を指摘してみた点が重要かな、と思っている。 8 序論 教育は何をなすべきか ﹁紛争があってはならない﹂わけではなく、むしろ自由をめぐる紛争こそが﹁ⅷ自由ⅸをめぐって未決 定なままにおかれた境界線を暫定的に確定させる契機ⅶ 本(書七五頁 に)なるということである。この点 は、実はすでに別の文脈で論じたことがある。﹁制度としての学校は、究極的な根拠を持たないまま の多くの決定の上に成り立っている﹂がゆえに、個人と制度との軋轢が﹁普遍的な原理を持たない教 育の自己調整メカニズムとして原理的に必要である﹂、と 広(田 二棚棚四、六三頁 。) この観点から見ると、日本の教育行政や学校は臆病すぎていて、紛争の余地をなくそうとする官僚 制的な動きが、大きな問題点をはらんでいるように思われる。紛争を嫌うあまり、紛争を未然に防ぐ 細かなルールやマニュアルを作ったりするだけでなく、紛争の火種になりかねない活動はやめてしま うとか、斬新な工夫のアイデアが﹁リスクがある﹂とつぶされてしまったりすることが日常的に起き ている。﹁無難で、何も起きないこと﹂が目指されるような官僚制的な形式主義が増殖してしまって いるように思われるのである。官僚制の論理の徹底が、いかに日本の教育をつまらないものにしてき たのかを、誰かがきちんと検証してみる必要があるだろう。 もちろん、﹁教育の自由﹂をめぐる対立を、単に現実の政治過程にまるごと委ねてしまえばよいわ けではなく、特定の﹁教育の自由﹂を擁護したり批判したりする学術的な議論を深化させていく作業 は、別に必要であろう。 9 個々の子どもに合った教育? 第二章と第三章は共通の問題を扱っている。﹁能力﹂の問題である。自由について論じた第一章の 論文を書いていたときに、私の中でずっと引っかかっていた問題があった。﹁自由﹂を主張する議論 の中には、義務教育段階の教育改革に関して、多様な学校種別や速進的なカリキュラムの自由化を主 張するものがある。教育制度を思いきり自由化して、多種多様な学校を作る。そして、子ども・保護 者の選好や個々の子どもの能力に応じた教育を受けさせるのがよいのではないか、という議論である。 教育を受ける際の選択肢が増えるとか、子どもに合った教育を受けることができる、といったふうに 正当化されて主張されている。 そうした動きは、公教育の設計原理に関して、重大な問題を突きつけている。たとえば、宮寺晃夫 二 ( 棚棚六 は ) ﹁凸状の格差﹂に対して、われわれは何を言うことができるのか、という問題を問いか ける。公教育のなかで特定の部分に、これまで許されなかったことが認められ、特別な資源や人員が 割り当てられて、特別な教育をする自由が与えられたとすると、それは社会全体にとってよいことな のか、という問題である。 また宮寺は、親の﹁教育の自由﹂は公教育のあり方の決定に関してどこまで認められるのか、とい う問題も問いかけている 宮(寺 二棚一四 。)他の子どもよりも良好な教育環境をわが子に与えたいとい うのは、教育熱心な多くの親の素朴な感情であろう。しかしながら、義務教育段階から特別な学校が 10
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