「自然史」の時間 「自然史 natural history」(訳語としては「博物学」)という

◆「自然史」の時間
「自然史 natural history」
(訳語としては「博物学」
)というのがある。宇宙の起源から
太陽系・地球の誕生、生命の誕生を描く壮大な「歴史」である。地球だけでも 46 億年だ。
「歴史を体感するためのレッスン」と題されるこの連載で、さすがにそれは関係ないも
のだろう。――いや、ある、といいたいのが今回の話である。
高校生のころに読んだ本に『世界史概観(上・下)』
(岩波新書)があった。当時、学校の
外の世界が知りたくて、予備校の小論文演習だかの講習に通ってみたのだが(「学校の外」
を求めて予備校に行くというのが哀しい)、そこでできた友人と二人で書店に行き、「武蔵
(高校)の生徒はこれ読んでるってよ」と教えられ、そこでそのまま買ったものだ。井上
清『日本の歴史』や遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』も勧められたように思う。
ただそこで書かれる歴史が、壮大な自然史から書かれていてびっくりしたのである。
例えば「軟体動物は化石が残らず、その時代は歴史にとって暗黒時代になりやすい」
(大
意)という部分など、今見ても興味深い。
その書き手が『タイムマシン』で有名な SF 作家 H.G.ウェルズだということを考慮して
も、
「世界史概観」と題する書物に堂々と「自然史」を含めていることには意味があるのだ
ろう。
また、恐竜(爬虫類)の時代についても書かれていた。子どものころ、恐竜が好きだっ
た人は多いはずだ。子どもにとって恐竜の魅力とは何よりもその「大きさ」によるもので
あり、軟体動物のそれとは違い、確かに残存する「骨(の化石)
」で再現させることが可能
なものである。
恐竜が活躍する中生代は、ジュラ紀、白亜紀、三畳紀の三つの時期で構成されている。
このうち一番古い三畳紀は、小型の恐竜が登場し始める時代である。逆にいえば、それら
を「恐竜」というのには少し迫力不足な時代だ。次のジュラ紀は恐竜たちの「類」として
の可能性が爆発的に広がってゆく時代。個性的な恐竜が数多く現れ、恐竜好きには半端な
く魅力的な時代である。そして中生代最後の白亜紀には、「最強」や「最大」などと称され
る完成度の高い(?)恐竜たちが活躍する。
けれども、かれらは憧れの存在でありつつ、子どもながらにどこか弱々しくも見えた。
もちろんそれは白亜紀末に起こった恐竜の絶滅に関する知識とセットである。寒冷化する
地球の様子とそこで餌を求めて倒れてゆく最強・最大恐竜たちのイラストの印象は強烈だ
った。かれらは完成されてはいるが、さらに巨大な自然の力の前にはなすすべがない。(当
たり前だが)それを克服しようという意志も恐竜たちにはないように思われた。今から考
えれば、そうした「歴史」は子供たちに対して「滅亡」をめぐる想像力を育んでいたのか
もしれない。そして感動的なのは、その足下でちょろちょろと動き回る、小さくか弱いが
確かに力強い鳥類やほ乳類たちの存在だった。「大きさ」や「強さ」が問題なのではない、
と。これは幼心にもぐっとくるものがある。
ここには単なる「自然の歴史」という以上に、もの語る動物である人間の想像力が書き
込まれている。そうした叙述はこのウェルズの『世界史概観』でも確認できる。
「たいていの爬虫類は、明らかに、自分の卵について全く不注意であって、その卵は、
好季節に日光の温かさで孵化されるのである。ところが、生命の木のこの新しい枝に咲い
た変種中のいくつかは、自分の卵を守護し、また自分の体温でそれを保温する習慣を得よ
うとしていた。寒冷に対するこうした適応とともに、これらの動物、原始鳥類を、血が温
かくて日向ぼっこの必要のないものにしたところの、他の内部的諸変化も進行していた」
それにしても、
「滅亡」や「再生」を強調する自然史の歴史意識はどのような文脈のもと
で育まれたのだろう。啓蒙思想あるいは 19 世紀?
それとも第一次世界大戦だろうか?
「地球寒冷化」は冷戦期の「核の冬」との親和性を持つことになるだろう。ただ、それを
調べる余裕は今はない。ちなみに『世界史概観』が書かれたのは 1922 年であった。
(日本
で翻訳されて岩波新書から『世界文化史概観』
として刊行されるのが日中戦争下の 1939 年)
また、これも子どものころだが、恐竜に熱中したころよりはずっとあと、正確な時期は
忘れてしまったが、家族で箱根に旅行した時のことである。箱根の二子山を一望できる場
所で自然地理学者の父が家族に解説を始めたことがあった。
「このあたりは完全に新しい地
形で、1 万年から 5 千年くらい前に起こった火山活動によって……」
。
幼児のころに数千万年から数億年前の恐竜の歴史があれほど「体感」できた一方で、残
念なことに、この話が全く分からなかった。1 万年がなぜ「新しい」のか。手がかりのない
「自然の歴史」が全く分からず、地形学入門の最良教材「箱根山の形成史」を学ぶ絶好の
機会を失ってしまった。
地形史であっても、やり方によっては人間の歴史とすりあわせ、
「体感」することはでき
る。例えば貝塚爽平『東京の自然史』(現在手に入るかたちとしては講談社学術文庫。初版
刊行は 1964 年)だ。恐竜が活躍した中生代の次の時代である「新生代」の「第四紀」の
100 万年、
そして特にそのうちの最新 10 万年間における東京都の地形の変容を解説し、
我々
の生きる〈現在〉と繋げてくれるものだ。もちろんこの本、近年の町歩きブームの種本の
なかでも古典中の古典である。
そこで教えられるのは、山の手と下町の対比で出来上がっている東京という空間が、自
然史的なスケールで成り立っているということだ。小さな崖や坂、谷をめぐって細やかに
織りなされる地形が人の営みと混じり合ってゆく場所が、10 万年という時間のなかで説明
されてゆくのである。
しかし、この東京を含む関東地方の現在の地形は、400 年ほど前の土木工事によって大き
く変わった結果の姿である。その土木工事は、豊臣秀吉によって故地・三河から江戸に移さ
れた徳川家康が進めたものだ。家康入城当時の江戸城の周りは低湿地や入り江ばかりであ
ったが、今の神田川の流路を変えて溜池や濠を作るとともに、運河を作ったのである。
それら土木工事のうち最大のものは、利根川の流路の付け替えである。利根川は、それ
まで東京湾に注ぎ込んでいた。これを太平洋側の河口(銚子)に移す。それらの結果、江
戸城の防御施設としての濠の整備が進み、溜池が各所に作られて巨大な人口を支える飲料
水の確保がなされただけでなく、物流を支える水運の整備が進んだほか、旧利根川の河口
域の湿地帯は「下町」となってひとびとの生活の場にもなった。付け加えれば、その中流
地域では新田開発も進んだのだった。これだけのことが一挙に実現する。もちろんそれは
家康一代では終わる事業ではなかったが、そのようなビジョンを示してこれに着手したこ
とだけを見ても彼こそが英雄である。別にタモリや中沢新一(『アースダイバー』)に教え
られなくても、それらのことは貝塚『東京の自然史』にもちろん全て書いてある。
言いたいことは次のようなことだ。
恐竜の「滅亡」やほ乳類の「再生」の物語はともかくとして、100 万年~10 万年を語る
「自然史」もまた、やりようによっては「体感」できる歴史のはずである。見慣れた風景
が自然の巨大な力と人の意志によって作り上げられたものだと気づいたとき、その見え方
は全く変わり、
「時間」の奥行きが急に見えてくるだろう。そうしたいっしゅんの違和感や
「つながった」という感覚が「体感」のための手がかりになるはずである。
逆にいえば、いくらある特定の時代の歴史(例えば近現代史)に詳しくなったとしても、
そうした自然の力や人の意志の織りなす複合を見出せなければ、歴史を体感するための理
解力が生まれてこないのではないかということだ。多様なスケールの時間を想定すること
の重要性、である。