卒業論文講評と要旨(PDF版);pdf

樋口博美ゼミ卒業論文講評
現代生活論を中心とするゼミナール
担当
今年度、本ゼミナールからの卒業論文提出は
樋口
博美
れた結論が得られ、良い発見がなされている。
合計 13 本、テーマは実にさまざまであったが、
寺島
本ゼミナールがゼミにおいても議論の根幹とし
―その変遷、紙媒体の本が人々に支持される理
て大事にしてきたこと、人は自らが所属する集
由―」は、近年の電子書籍の登場で紙媒体の本
団や組織の中でいかに主体的に自律的に自分た
はどうなるのか、という関心から出発した論文
ちの生き方を模索できるのか、という根底的な
である。論文の始めの方に出てくる「読書活動
問いを反映させたテーマと内容になっていたと
の 7 つの意味」は、著者オリジナルの分類であ
思う。それぞれが自ら切り口を決め、設定した
る。課題とよく向き合い、追求した結果として
現象や現実を試行錯誤しながら捉え、結論を導
出てきたものであり、大変興味深いものであっ
き出そうとしている姿が印象的であった。以下
た。これを手がかりに、現代人のライフスタイ
にそれぞれの簡単な内容と担当教員からのコメ
ル等分析視点を拡げながらそこでの読書活動の
ントを付す。
現状について粘り強く考えた独創性の高い論文
大野
である。
純輝「人々の農地に対する愛着の根源を
浩美「現代社会の中の読書の意味を探る
探る―京都縦貫自動車道建設に伴う水田買収を
藤井
例にあげて―」は、農地に対する愛着がどこか
トの役割」は、インターネットが地域活性化に
ら来るのかを、3 世代にわたる一つの家族への
どのように役立っているのかを、事例を用いな
インタビューを行い、その時々の社会構造・背
がら明らかにしようとしたものである。前半の
景と照らし合わせ、さらに聞き取り内容を解釈
地域の現状については過疎性を中心にうまくま
することによって丁寧に分析された論文である。
とめているが、後半の事例検討に関してはどう
自らの小さな関心を社会学的に育てたこと、ま
しても考察が甘かったと言わざるを得ない。ま
た研究手法のユニークさ、着眼点も高く評価し
た、事例考察の所では、ともすると地域活性化
たい。対象への愛着もよく伝わってきた。あえ
のみに関する議論との印象も受けかねなかった。
て一つ挙げるならば、後半部分の事例考察の際
失敗例も交えながらインターネット利用の意義
の理論研究にもう少し粘りがあるとさらに良い
を検討する、という形で分析が深められると良
論文になったと思う。
かったのではないだろうか。
高橋
宮島
愛「歴史的町並みの保存における地域の
栄希「地域活性化におけるインターネッ
賢哉「悪魔の音楽ヘヴィ・メタル―「反
取り組み」は、社会調査実習で訪れた倉敷と卒
社会的」といわれる理由と本質―」は、なぜヘ
業論文制作のために訪れた川越の町並み保存の
ヴィ・メタルが敬遠されるのかという問いから
取り組みに関する比較研究である。当初著者は、
始まっている。執筆当初はヘヴィ・メタルに関
その共通点のみの抽出に余念がなかったが、そ
する歴史と特徴を羅列するのみの原稿であった
の違いというところに気づき始めたとき、論文
が、ヘヴィ・メタル音楽に関わる側からの要因
の内容が生き生きしてきた。しかし、時間の制
とそれを取り巻く社会の側からの要因の両視点
約から分析がやや甘くなってしまった感はある
からそれぞれの関連理論と照らし合わせて分析
ものの、二つの町並み保存の違いが何によるも
するという粘り強さを見せた。もともと著者が
のなのかという点では、取り組みに関わる人々
ファンとして深く関わってきた対象である。論
やその目的の違いなどからポイントの押さえら
述の楽しさを知ってからは論文の成長ぶりが感
1
樋口博美ゼミ
じられる、研究の楽しさが伝わってくる好論文
ての関心を根底に置き、これらを学生たちの学
となった。
業に対する意識のあり方から探ろうとしたもの
三浦
愛莉「日本におけるコンセプトカフェの
である。問題意識の高さと著者の主張は評価で
流行―欲望と癒しの消費の場―」は、最近さま
きるものであったが、海外の奨学金の分析に終
ざまな形と中身で紹介されているコンセプトカ
始してしまった感がある。もう一段階、日本の
フェについて、消費者のニーズとそれを提供す
学生の意識に関わる社会のしくみについての考
る企業の目的、といった観点から明らかにしよ
察を掘り下げられるとよかった。
うとしたものである。論文執筆の際の対象の決
川合
定は比較的早く、また対象に対する知識と関心
子店を事例として―」は、地域と小規模事業所、
は高かったが、最後までどの様な観点から明ら
具体的には商店の関係を資本の大きな店と比較
かにするのか、といった論点を明確にすること
することによってその存在意義や役割について
ができなかった。そして、そのことが分析枠組
述べようとしたものである。小さな店がどの様
みの曖昧さに反映されている。著者オリジナル
に地域の信頼を獲得していくのか、といったこ
のカフェの分類を大いに使用すべきだったと思
とを手堅くまとめている。規模の異なる二つの
う。
企業への聞き取り、問い合わせがよく活かされ
東
瑚乃美「多勢のところに同質化していく日
なるみ「地域の中の小規模事業者―和菓
ているが、前半部分の小規模事業者の特徴を文
本人―ゆとり教育後の若者の人間関係を中心に
献からまとめているところでは、きちんと調べ、
―」は日本人の同質性、同質化というむずかし
丁寧に整理することの大切さがよく出ていて好
い問題を取り上げ、挑戦しようとした。挑戦に
感の持てる論文であった。
ついてはよいことであったが、文献研究の時間
工藤
が不足しており、テーマに対する著者の関わり
訪れるのか―日本女性の結婚の在り方の変化か
方がよそよそしい印象を受けた。この論文が対
ら考える―」は、近年話題となっているパワー
象とする若者が、著者と等身大の若者なのであ
スポットを対象に、それをとりまくさまざまな
れば、身近なところでのインタビューなどを入
現象を挙げ、そのなかから自分の関心を見つけ
れるなどして、もっとリアリティを持たせた展
出し、課題を絞り込んでいったものである。対
開にできると説得的になったのではないだろう
象をパワースポットと決めてから具体的な課題
か。
や論文構成をなかなか決められずにいたためか、
高橋
咲樹「なぜ若い女性はパワースポットを
聡太「都市社会における迷惑行為と人々
肝心の女性の結婚に関する理論的整理が結果的
の意識―なぜ迷惑行為はなくならないのか―」
には十分深められなかった。しかし、前半の「祈
は、車内のマナーについての疑問から展開され、
りの変化」については、さまざまな資料を適切
社会においてルールやマナーが守られないのは
に利用した興味深い論述となっている。
なぜなのかを明らかにしようとしたものである。
奥村
はじめから明確な仮説があったわけではないが、
家事労働負担の不均等の観点から考える―」は、
都市社会についての認識を深めていく過程で、
なぜ待機児童問題が起きるのかを、子育て世代
よく思考された仮説となって興味深い結論にた
の男女の働き方の現状、企業の実態、行政の施
どり着いた。こつこつと積み上げられた内容は
策等からの多面的な検討を行っているものであ
説得性があるが、もう少し都市社会についての
る。当初は制度と社会状況の説明に頼った内容
追求があるとさらによかったであろう。
であったが、問題の背後にある性別役割分業意
佐藤
良宣「学歴社会が生み出す格差と学生の
識や規範に関するロジックに向き合ってから一
低い意識―奨学金を通して見る社会―」は、日
貫した論理と主張が保たれた、全体を通してよ
本の奨学金が本当に有意義に利用されているの
く締まった論文となった。最後に保育士労働の
か、本当に必要なところへ奨学金が届いている
現実についても言及しており、最後まで追求を
のか、といった現実的な格差や貧困問題につい
緩めずに完成させた点も評価したい。
2
仁美「待機児童問題が解消しない理由―
2014 年度
高瀬
卒業論文講評
由季「地域に根付く祭りの伝承―埼玉県
か ぞ し か
ぞ
加須市加須夏祭りを事例として―」は、自らの
地元で子どもの頃から関わってきた祭りを題材
に、その強みを活かした聞き取り調査によって
祭りの伝承とそれに関わる地域コミュニティに
ついて明らかにしようとしたものである。具体
的に対象に迫っているので論文からは現場の臨
場感が良く伝わり、記録としても価値あるもの
になっている。また、祭りによって生み出され
る新たな地縁コミュニティについても明らかに
しているが、その変容過程のなかでの祭りの意
義が時には冷静に、そして時には愛情深く描か
れた論文である。
3
2014 年度 卒業論文要旨
歴史的町並みの保存における
地域の取り組み
HS23-0017J
高橋
現代社会の中の読書の意味を探る
―その変遷、紙媒体の本が人々に支持される理由―
愛
HS23-0035E
倉 敷 と川 越を 事例 とし て、歴 史 的町 並み の保 存を す
寺島
浩美
現 代 社会 にお いて 読書 活動は 、 紙媒 体の 本と 電子 書
る為に地域で行っている取り組みを明らかにした。
籍 が 共存 して いる 状況 にある 。 戦後 から 現代 に至 るま
第 1 章で は、 重要 伝統 的建造 物 群保 存地 区の 概要 に
で の 「読 書活 動に おけ る本の 価 値」 につ いて 、人 々の
つ い て述 べた 。景 観が 失われ る こと に対 して 危機 感を
余 暇 活動 と、 労働 環境 を中心 と した ライ フス タイ ルの
持 っ た人 々の 動き を国 が後押 し する 形で 制度 が登 場し
変 化 をも とに みて いき 、紙媒 体 の本 での 読書 活動 がな
た事を明らかにした。
くならない理由を、
「読書活動が持つ 7 つの意味」に基
第 2 章で は、 町並 みの 特徴と 保 存地 区の 計画 を述 べ
づき考察した。第 1 章では、現代社会において、紙の
た 。 この 事か ら、 倉敷 では地 域 に住 む住 民の 自主 的な
本 と 電子 書籍 が共 存し ている 理 由を 、生 活者 の多 様化
活 動 があ り、 生活 の知 恵を受 け 継が れて きた 事と 、川
し た ライ フス タイ ルに 基づき 、 両者 の特 性と 役割 の違
越 で は地 域に 関 わ る商 人が商 店 街の 活気 を守 るた めに
いから明らかにした。
「スピーディーな情報発信や情報
主体的に活性化を図ってきた事 を明らかにした。
収集に関して」は電子書籍が、
「心の充実や満足感をも
第 3 章で は、 倉敷 の町 づくり に 対す る取 り組 みを 行
た ら す、 記憶 しや すい 」とい う 点に おい ては 、紙 の本
政 と 住民 の立 場か ら述 べた 。 聞 き取 り調 査か ら、 倉敷
が役割を担っていることを明らかにした。第 2 章では、
で は 、行 政は 積極 的に 町づく り に対 して 方向 性を 示し
「 読 書が 持つ 意味 合い の多様 化 」が ライ フス タイ ルの
て い る。 それ に対 して 、住人 は 日頃 から 良い 町の 状態
変 化 と関 係し てい るこ とを戦 後 から 現代 にさ かの ぼっ
を 受 け継 ぐた めに 活動 を行っ て いた こと が明 らか にな
て明らかにした。1990 年代に登場したインターネット
った。
や ス マー トフ ォン は、 知識の 習 得や 情報 収集 に適 した
第 4 章で は、 川越 の町 づくり に 対す る取 り組 みを 行
媒体であり、読書がこの 2 つの役割を果たさなくても
政 と 市民 の立 場か ら 述 べた。 聞 き取 り調 査か ら川 越で
済むようになった。第 3 章では、日本の労働環境にお
は 、 倉敷 ほど 行政 が町 づくり に 対し て方 向性 を示 して
け る 残業 時間 の多 さと 、有給 休 暇取 得率 の低 さが 原因
い る 分け では なか った 。それ に 対し て、 商店 街に 関わ
で 変 化し たと 考え られ る、人 々 の余 暇活 動の 過ご し方
る 人 々が 主体 とな って 活気を 守 り続 けて いた こと が明
に 着 目し た。 余暇 活動 は「心 の 欲求 を満 たす ため のレ
らかになった。
ジ ャ ー・ レク リエ ーシ ョン活 動 」と 期待 され てお り、
第 5 章で は、 倉敷 と川 越の比 較 を行 った 。倉 敷は 行
その中で読書活動は、
「心の充実、満足 感」を満たす役
政 が 町づ くり に対 して 方向性 を 示し 、リ ード して いて
割 を 担っ てい るこ とを 明らか に した 。企 業中 心社 会が
住 民 の自 主的 な活 動が あると い う事 と、 川越 は行 政が
発 展 する にし たが って 、読書 活 動が 持つ 意味 は多 様化
町 づ くり に対 して サポ ートを 行 い、 市民 の主 体的 な活
し 、 イン ター ネッ トや スマー ト フォ ンが 、か つて 紙の
動があるというという点が異なった。
本 が 担っ てい た役 割を 果たす よ うに なり 、紙 の本 の読
歴 史的 町並 みを 保存 するに あ たっ て、 大切 にな るの
書は、
「心の充実や満足感が得られるもの」という普遍
は 、 行政 の取 り組 みだ けでな く 人々 の誇 り、 自覚 から
的 な 側面 を強 くす るよ うにな っ た。 紙媒 体の 読書 活動
な る 活動 であ ると いう ことが 明 らか にな った 。歴 史的
は 、 その 欲求 に応 えら れるも の とし て、 これ から もな
町 並 みを 残し 続け られ ている 誇 りを 持ち 、そ の地 域を
くなることはないという結論に達した。
守 り 育て るの は自 分達 である と いう 自覚 を持 って いる
か ら 、自 主的 に活 動す る住民 、 主体 的に 活動 する 市民
がいるのである。
4
樋口博美ゼミ
悪魔の音楽ヘヴィ・メタル
地域活性化における
インターネットの役割
HS23-0040A 藤井
――「反社会的」といわれる理由と本質――
栄希
HS23-0057D
イ ンタ ーネ ット を利 用する こ とで 地域 に一 体感 が生
宮島
賢哉
本論文では、ヘヴィ・メタルが、なぜ「反社会的」
ま れ 、コ ミュ ニテ ィが 構築さ れ 、地 域の 人も 馴染 みや
といわれてしまうのかを明らかにした。
す く 観光 客も 来訪 しや すいよ う なシ ステ ム作 りや イン
第1章では、ヘヴィ・メタルが誕生したルーツや社
フ ラ 整備 が行 われ 、結 果的に 地 域が 活性 化し てい って
会背景とヘヴィ・メタルの特徴を論じた。イギリスで
い る ので はな いか とい った仮 説 を基 に論 文 制 作を 行っ
誕生したヘヴィ・メタルは、そのルーツであるアメリ
た。第 1 章では、地方の過疎化が進み、特に若者に多
カ 発生 のブ ルー ズの 時代 から 今日 に至 るま で一 貫し て、
く 見 られ るが 、地 方の 人口が 都 市圏 に流 出し てい る現
労働者階級の音楽である。ゆえに「反抗」が重要な要
状 や 少子 高齢 化が 進み 、地方 の 労働 力不 足や 地方 の高
素となっており、マイナス・イメージを持たれてしま
齢者比率が高いことがわかった。第 2 章ではマスメデ
うのである。
ィ ア の影 響力 の大 きさ や年齢 層 によ って 利用 する 情報
第2章では、ヘヴィ・メタルの「反抗心」を労働者
接 触 の媒 体が 異な るこ とがわ か った 。そ の中 でも 特に
階級の若者の意識と結びつけて明らかにした。ヘヴ
イ ン ター ネッ トは 受動 的に情 報 収集 する こと が可 能で
ィ・メタルの前身であるロックは既存社会への反抗の
あり、またその情報を自ら気軽に発信することができ、
スタイルとして若者に支持された。ヘヴィ・メタルは、
双 方 向的 に情 報が 流れ ること も 魅力 の一 つと して イン
自らと他を区別す る傾向があり、これはイギリスの労
タ ー ネッ トの 利用 率が 近年は 非 常に 高く なっ てい るこ
働者階級特有の意識、“ them and us”が強く反映され
とを明らかにした 。第 3 章では、過疎地域 などがどう
ている。苦しい生活を強いられた労働者階級の若者た
い っ た地 域活 性化 を行 ってい る のか につ いて 事例 研究
ちは、ヘヴィ・メタルという音楽に自らの怒りや不安
を し 、分 析を 行っ た。 そのこ と から 地域 活性 化に おい
をぶつけたのである。彼らはヘヴィ・メタルを通じて
て イ ンタ ーネ ット の果 たした 役 割が 地方 の人 との 新し
意識や価値観を共有し、強い帰属意識を有する共同体
い 関 係の 構築 や地 方の コミュ ニ ティ の構 築に よっ て地
を形成した。
域 に より 一体 感が 生ま れ活気 が 生ま れる こと やリ アル
第3章では、ラベリング理論を使って、社会による
タ イ ムで 情報 を発 信で きるの で 観光 客や 市民 にア クシ
ヘヴィ・メタルに対する「悪」のレッテル貼りを明ら
ョ ン が取 りや すく 、ま たレス ポ ンス の早 さに よっ て地
かにした。ヘヴィ・メタルは、一般的には「異常」と
域 全 体で 盛り 上が るこ とがで き 、地 域愛 が生 まれ 、結
される特徴から「逸脱者」の烙印が押されているため、
果 的 に地 域か ら人 が流 出せず 人 が集 まる こと がわ かっ
しばしば凶悪犯罪や自 殺といった社会の邪悪と関連付
た 。 つま り、 イン ター ネット を 用い るこ とで 不特 定多
けられ、
「社会の敵」や「悪魔崇拝」と非難される。し
数 の 人が 興味 を持 ち、 現 地に 実 際に やっ てき ては 自然
かし「逸脱者」や「悪魔」は社会が作り出した産物で
体 験 など 地域 に触 れ合 うこと で 地方 との 新し い関 係の
あり、社会が権威や規範的秩序を成立させるためには、
構 築 や地 元の コミ ュニ ティ化 が 生ま れ、 そし て地 元民
「逸脱」が必要不可欠なのである。社会は自らの権威
な ら ず観 光客 も増 加し ていく こ とで イン フラ の整 備や
と秩序を守るためにヘヴィ・メタルを利用しているの
体 制 の見 直し がさ れ、 結果的 に 地域 が活 性化 され るこ
であり、ヘヴィ・メタルは犠牲者となったのである。
とがわかった。
5
2014 年度 卒業論文要旨
日本におけるコンセプトカフェの流行
多勢のところに同質化していく日本人
――欲望と癒しの消費の場――
―ゆとり教育後の若者の人間関係を中心に―
HS23-0071H
三浦
愛莉
HS23-0073D
本論文では、日本においてコンセプトカフェがどの
東
瑚乃美
本 論 文で は、 なぜ 人々 は多勢 の とこ ろへ 同質 化し て
ような社会的背景の中で誕生し、流行しているのか、
いくのかということを論じてきた。
消費者が普通のカフェではなく、わざわざコンセプト
第 1 章で は、 日本 社会 の日本 人 はこ うあ るべ きだ と
カフェに行くのはなぜか、そして企業はなぜコンセプ
い う 考え 方、 それ に基 づいて 社 会の 規則 に従 わせ 、日
トカフェを提供するのかを論じている。
本 社 会の 理想 の労 働力 となる 人 間を 作り 出す ため の画
第1章では、日本のカフェが減少している中で、新た
一 的 な日 本の 詰め 込み 教育の 仕 方を 考察 し た 。私 たち
に生まれたコンセプトカフェが、アイデア勝負の激し
は 幼 少期 から 規則 通り に考え る 力、 つま り、 大人 も子
い競合の中にあること を示した。また、コンセプトカ
ど も も同 じ考 えを 持つ 画一的 な 社会 であ った 事と 、小
フェが、趣味、癒し、世界観の 3つに特化しているとい
集 団 内で 互い に見 張り 合い、 誰 も集 団か ら逸 脱し ては
う視点を持ち、それぞれの代表的な店を紹介 した。
い け ない とい う考 えを 植え付 け られ てい ると いう こと
第 2章で は、「ニ ュー ・レ ジャ ー 」 の 登場 から 、現 代
を 、 日本 人の 有給 休暇 の取得 率 の低 さを 例に 挙げ て論
の 余 暇活 動の 実態 を示 し、そ の 背景 には 、労 働か ら開
じた。
放 さ れ余 暇の 価値 観が 変化し た こと 、時 間は あら ゆる
第 2 章で は、 多様 な個 性を生 み 出す ゆと り教 育が 行
商 品 と交 換す るこ との できる 「 消費 され るモ ノ」 であ
わ れ たが 、こ の教 育の 本当の 目 的は 、多 様な 労働 力を
るという考えがあること を明らかにした。
得 る ため の社 会の 企み であっ た とい うこ と、 そし て、
第3章では、消費者側の立場から、非現実的な価値や
ゆ とり 教育 によ って 本当 に生 み出 され てし まっ た問 題、
意味の付いた商品を消費することを「記号的な意味」
他 者 への 依存 問題 は、 社会か ら 押し 付け られ てい た物
の消費とし、また、コンセプトカフェの事 例から、若
差 し が消 えて しま っ た ことに よ って 人々 が身 近な 他者
者を中心にコンセプトカフェのお客が構成されている
か ら の評 価を 物差 しと するよ う にな った こと が原 因で
ことを示した。
あると論じた。
第4章では、企業側の立場から、消費者が求める差異
第 3 章で は、 他者 への 依存の 現 状を 考察 する ため 、
化への欲求を満たすため、多くの財やサービスを商品
い じ めを 例に 挙げ て、 どれだ け 周囲 の意 見に 同調 し、
化していること を明らかにした。人々は、他人とは違
周 囲 との 関係 に依 存し ている の かと いう こと と、 現代
うものを消費し、自分の生活感情と個性を高め、社会
の 若 者の ネッ ト依 存か ら自己 肯 定感 を得 るた めだ けと
の文化を豊かにしている 。癒しを求めるが、同時に人
い う希 薄な 人間 関係 が繰 り広 げら れて いる とい うこ と、
より良いもの、人が持っていないものを消費していき
そ し て、 人々 は互 いに 気を遣 い なが ら他 者と 同質 して
たいという欲望も持っている。人とは違うものを求め
い く こと で他 者と の対 立を避 け 、自 身の 羅針 盤を 失わ
る消費者であるお客と利益を追求している カフェ提供
ないようにしているということを論じた。
者である企業の、相互の求めているものが合致したた
め、コンセプトカフェは流行したのだと考察した。 余
暇と消費の自由時間の中で互いの求めている価値を交
換しているのである。
6
樋口博美ゼミ
都市社会における迷惑行為と人々の意識
学歴社会が生み出す
格差と学生の低い意識
――なぜ迷惑行為はなくならないのか――
―奨学金を通して見る社会―
HS23-0074B
高橋
聡太
HS23-0089K
佐藤
良宣
本 論 文で は、 都市 社会 で頻繁 に 起こ る「 迷惑 行為 」
を テ ーマ とし 、な ぜ人 が多く 生 活す る都 市社 会に おい
まず、今日の学歴社会を見つめた時に、低学歴の人々
て 、 人々 は迷 惑行 為を 不快に 感 じ、 また 迷惑 行為 をし
は高学歴の人々に比べて、低い賃金で設定されること
て し まう のか 、な ぜな くなら な いの かに つい て論 じて
が多い。さらに大学などの高等教育機関の授業料が高
いる。
額なため、低学歴の家庭は子供を進学させたくてもさ
第 1 章では、
「迷惑行為」とはどのようなものか、ま
せられないことも多い。貧困が連鎖する社会になって
た 「 ルー ル」 とは どの ような も のか につ いて 論じ 、都
いるのである。ここでその連鎖を断ち切る役割を果た
市 社 会は 多様 な社 会で あるが ゆ えに 、社 会的 なル ール
すべきなのが、奨学金であると考えられるが、日本の
と 個 人的 なル ール が衝 突する た め、 迷惑 行為 が多 発す
奨学金はその役割を十分に果たしていないのではない
ることを明らかにした。
か、また貸与を受ける学生の意 識にも問題があるので
第 2 章では、社会のマジョリティーの考えや行動が
はないか、という立場で社会構造を分析してい った。
個 人 の考 えや 行動 にど のよう な 影響 を与 える のか を論
第 1 章では日本での奨学金 事業がいかに日本学生支
じ た 。都 市社 会の 人間 の行動 は 「記 述的 規範 」と いう
援機構に頼っているか、について明らかに した。第 2
外 的 な規 範に 大き な影 響を受 け 、マ ジョ リテ ィー の行
章ではアメリカ、第 3 章ではスウェーデンという海外
動 が 社会 の従 うべ き規 範とさ れ てし まう 傾向 があ るこ
の教育制度やその支援制度や学生の意識にまで言及し
とを明らかにした。
た。アメリカは教育制度、奨学金などの支援制度の種
第 3 章では、都市社会の特徴とその特徴が 人間の意
類も様々で個人が自由に選択できる社会であったのに
識 に どの よう な影 響を 与える の かを 論じ た。 匿名 的な
対し、スウェーデンは高い税収から、国民に還元され
都 市 社会 の人 間類 型が 、迷惑 行 為を 誘発 し、 また 人間
るきめ細やかな社会保障や教育支援制度に注目した。
が 都 市に よっ て他 者・ 地域へ 無 関心 な「 都市 的人 間」
この対極的な国家に焦点を当てることで、 奨学金に
に さ れて いる こと が、 迷惑行 為 の発 生の 大き な要 因で
関する視野を拡げ、第 4 章では学生の意識の低さを、
あることを明らかにした。
アンケートを用いた分析で明らかにすると同時に、大
第 4 章では、都市的人間が迷惑行為をしながらも、
卒のブランド化などを挙げ、学歴社会が生み出す貧困
他 者 の迷 惑行 為を 不快 に感じ る とい う矛 盾に つい て論
と わが 国の 生活 保障 に関 して の問 題点 を明 らか にし た。
じ た 。都 市的 人間 の特 徴であ る 、他 者へ の無 関心 が迷
惑 行 為を 起こ させ なが らも、 不 快に 感じ る要 因で ある
こ と を明 らか にし た。 本論文 で 迷惑 行為 は、 人々 の意
識 か ら生 まれ 、感 じる もので あ るた め、 社会 や人 の 変
化と共に迷惑行為も変化していくと結論づけた。
7
2014 年度 卒業論文要旨
地域の中の小規模事業者
なぜ若い女性はパワースポットを
訪れるのか
――和菓子店を事例として――
―日本女性の結婚の在り方の変化から考える―
HS23-0096B
川合
なるみ
HS23-0101H
工藤
咲樹
本論文では、日本に約 385 万社ある中小企業の中で
本論文では、
「パワースポットを訪れる人の目的は何
も 、 身近 で馴 染み のあ る、地 域 に根 差し た小 規模 事業
な の か」 とい うこ とを 、日本 人 のも とも と持 つ神 様に
者 に 焦点 を当 て、 小規 模事業 者 は地 域や 地域 住民 とど
祈 り を捧 げる 慣習 と、 結婚し た くて もで きな い現 代社
のように関わっているのかについて明らかにした。
会の 2 つの観点とその関係から明らかにしてきた。
第 1 章では、中規模企業・小規模事業者の定義を示
第 1 章では、共同体的な生活を送っていた頃の日本
し 、 デー タを 用い て小 規模事 業 者の 特徴 や強 み、 小規
人 と 戦後 の日 本人 の生 活では 、 家族 の繋 が り や経 済、
模 事 業者 と和 菓子 業界 の現状 に つい て述 べた 。規 模が
雇 用 面な どを 始め とし て様々 な 面で 大き く変 化し 、そ
小 さ けれ ば小 さい ほど 、不況 の 煽り や社 会構 造の 変化
れ に 伴い 、も とも と日 本人が 習 慣と して 持つ 、祈 りの
の 影 響を 受け やす く、 店舗経 営 が厳 しい 状況 にお かれ
内 容 が共 同体 的な もの から個 人 的な もの に 変 化し たこ
る こ とが 明ら かと なっ た。ま た 、和 菓子 業界 は、 小規
とを明らかにした。
第 2 章では個人化した祈りの象徴としてパワースポ
模 事 業者 全体 から する と安定 的 に推 移し てい るこ とを
ッ トを取 り上げ た。 2 つの神 社と寺 院の人 に聞い た話
明らかにした。
第 2 章では、和菓子店Kを事例として取り上げ、小
や 文 献を もと に、 本論 文にお け るパ ワー スポ ット の定
規 模 事業 者の 実態 、地 域住民 と の関 係、 地域 との 関わ
義を定め、第 2 節でパワースポットを訪れる人は若い
り に つい て明 らか にし た。地 域 の人 に愛 され 、信 頼関
女性が多いということを明らかにした。
第 3 章では婚活時代到来の背景を 1980 年代半ば以
係を築くには、努力と時間をかけることが必要である。
そ し て、 何よ りも その 地域に 強 い愛 着を 持っ てい なけ
前、1980 年代半ば以降、2010 年の 3 つの時期に分け、
れば、地域貢献に積極的に参加することもできないし、
結 婚 に至 るま での プロ セスや 結 婚観 、結 婚の 意味 の変
地 域 住民 に受 け入 れら れ、信 頼 され るこ とも ない であ
化を明らかにした。2010 年以降、未婚率が過去最高記
ろう。
録 を 更新 し「 婚活 」と いう言 葉 が世 間一 般に 馴染 むほ
第 3 章では、和菓子店Tを事例として取り上げ、小
ど に 、結 婚が 難し い社 会とな っ たが 、結 婚願 望は 急激
規 模 事業 者と の比 較、 文献研 究 から みえ る小 規模 事業
に強まった。そんな 2010 年以降の日本社会において、
者の姿について述べた。規模が大きくなればなるほど、
個 人 的な 祈り の場 とし てパワ ー スポ ット が注 目さ れる
1 つ の地 域に対 する愛 着は弱 くなる 傾向が あり、 直接
よ う にな る。 パワ ース ポット を 訪れ るの は、 若い 女性
的 で はな く、 間接 的な 関わり 方 をし 、経 営体 とし て効
が ほ とん どで 、結 婚に 対して 不 安感 を覚 えて いる 人々
率 や合 理性 など の利 益を 優先 して いる こと が分 かっ た。
である。彼女たちはできるだけ理想に近い結婚相手 (経
済力や金銭感覚・価値観が同じ )との出会いを求めてい
る 。 筆者 のア ンケ ート 調査の 結 果 で 「結 婚は ご縁 」と
考 え てい る人 がい たよ うに、 自 分の 力だ けで は結 婚で
きなくなりつつある社会において、
「困ったときの神頼
み 」 とし て神 様の 力を 借りよ う と若 い女 性パ ワー スポ
ットを訪れるのである。
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樋口博美ゼミ
待機児童問題が解消しない理由
地域に根付く祭りの伝承
―家事労働負担の不均等の観点から考える―
――埼玉県加須市 加須 夏祭りを事例として――
HS23-0105A
奥村
か
ぞ
し
か
ぞ
仁美
HS23-0116E
高瀬
由季
私は本論文のテーマに「待機児童問題」を設定した。
本 論文 では 神を 祀る という 習 慣が 薄れ てき てい る現
そ し て待 機児 童問 題が 解消さ れ ない 理由 を明 らか にす
代 に おい て、 神を 祀る ために 始 まっ たと され る地 域の
ることを課題とした。
祭 り は、 なぜ 現在 まで 受け継 が れ続 けて いる のか につ
第 1 章 で は本論 文の基 盤と なる待 機児童 問題と 保 育
い て 、自 身が 参加 して いた地 元 の祭 りで ある 埼玉 県加
所の現状を説明した。第 2 章では家事労働負担が女性
須市の加須夏祭りを事例として用 い考察した。
に 押 し寄 せる 要因 を論 じた。 そ の背 景に は「 男性 は外
第 1 章では、
「祭り」と は 聖性・周 期 性・非 日 常性 ・
で 働 き、 女性 は家 庭で 家事を 行 う」 とい う性 別役 割分
集団関与のこれら 4 つを含むものだと定義し、加須夏
業 の 肯定 がな され てい ること が 分か った 。ま た、 子ど
祭 り は神 輿と いう シン ボルや そ れに 付随 する お浄 めの
も の 世話 は母 親が 家庭 内で行 う べき とす る規 範意 識が
式から聖性、1 年に 1 度決まった日に行われる周期性、
女性の就業機会を狭めていることを論じた。第 3 章で
山 車 など 非日 常性 を持 ち、町 内 の一 員と して の集 団関
は 、 高度 経済 成長 期以 降、女 性 が使 い勝 手の 良い 低コ
与がうかがえるため、
「祭り」の定義に当てはまるもの
ス ト の労 働力 とし て活 用され る よう にな った 背景 を説
だということを明らかにした。
明 し た。 性別 役割 分業 意識に よ って 女性 は社 会に 進出
第 2 章では、加須夏祭りは高度経済成長期を経て地
し て から も家 事労 働の 一切を 担 う立 場と され た。 家事
域 住 民の 参加 者人 数増 加、性 別 ・年 代差 の解 消等 の変
労 働 と市 場労 働の 板挟 みにな っ た母 親た ちは 、家 庭内
化 が 起き たこ とを 明ら かにし た 。こ れら の変 化か ら加
で の 子育 てに 限界 があ るため 保 育所 を頼 るよ うに なっ
須 夏 祭り の運 営者 だけ でなく 、 地域 の 子 供や その 保護
た 。 これ によ り保 育所 需要が 増 加し 、保 育所 が不 足し
者 な ど様 々な 人が 関わ るよう に なり 、祭 り自 体が 近年
ていることを説明した。第 4 章では育児休業の取得率
の 地 縁の 希薄 化に 逆ら う地域 住 民同 士の 貴重 なコ ミュ
等 を もと に、 男女 の働 き方の 差 異を 説明 し、 家事 労働
ニ ケ ーシ ョン 媒体 とな ってい る こと がわ かっ た。 ここ
の 男 女負 担の 均等 化が 待機児 童 の解 消に 必要 であ ると
から現代の祭りの意義・価値はかつての厄除けや生
説明した。第 5 章ではこれまで行政によって行われた
活 ・ 生産 共同 体の 強化 から、 地 域内 の年 代を 超え た集
待 機 児童 対策 が失 敗に 終わっ た 社会 的要 因に 性別 役割
団 の 中で 地域 のよ り強 い地縁 ・ 新た な共 同体 を生 み出
分業の肯定があることを説明した。第 6 章では保育士
し 、 それ と同 時に 共同 体のつ な がり の強 化が 行え るこ
の 労 働実 態を 説明 した 。保育 の 仕事 が持 つ家 事労 働的
とだということを明らかにした。
側 面 が、 保育 士労 働の 軽視に つ なが り過 酷な 状況 を生
第 3 章では、第 1 章で定義した「祭り」の必須項目
み 出 して いる こと が分 かった 。 これ によ り人 員不 足が
で あ る周 期性 、非 日常 性、聖 性 、集 団関 与に よっ て、
深 刻化 し待 機児 童問 題が 長引 いて いる こと を説 明し た。
地 縁 を基 とし た共 同体 、地域 や 祭り に対 す る 愛着 、自
全体を通して、
「男は仕事、女は家庭」という社会的な
身 のア イデ ンテ ィテ ィが 生み 出さ れる こと がわ かっ た。
性 別 役割 意識 から 、家 事労働 の 男女 負担 均等 化へ のシ
こ れ らが 原動 力と なり 、祭り は 代々 受け 継が れて いく
フトが待機児童問題の解消に必要だと結論付けた。
ということを明らかにした。
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