制御情報工学科の生い立ちの想い出 制御情報工学科の生い立ちの想い出

制御情報工学科の生い立ちの想い出
制御情報工学科
杉本 信行
宇部常盤会の皆様におかれましては、益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
この3月末をもちまして定年退職致します制御情報工学科の杉本です。企業や大学、県庁での 12 年間の
勤務を経て 34 才の昭和 61 年の4月、機械工学科に着任しました。それ以来あっという間の 29 年間で、
“光
陰矢の如し”ということわざを、あらためて痛感する今日この頃です。
当時は機械工学科2クラス、電気工学科、工業化学科の3学科4クラスでしたが、着任して間もない頃機
械工学科2クラスのうちの1クラスを制御情報工学科に改組することになり、その準備のため連日のように
会議が開催されました。特に学科名を決める最終段階では、文部省からの意向も踏まえ、急遽日曜日に会議
が開催されたこともありました。
さて、昭和 63 年の春、改組した制御情報工学科へ一期生が入学されましたが、学年進行とともに機械工
学科の教官の半数程度が順次新学科へ移行することになり、私もその移行組の一人となって今日に至ってお
ります。本校の制御情報工学科は、全国高専の先陣を切ってスタートした学科でありまして、あまり馴染み
がないことから、一期生の皆さんはもちろんその後しばらくの間、就職試験に行かれた学生さんは必ずと言
って良いほど“どんな学科ですか?”とか、
“何を学んでいますか?”などの質問を受けていたようです。我々
も“コンピュータで機械を動かすことのできる技術者の育成”を合い言葉に、カリキュラムも小刻みに改変
していきましたが、
“メカトロ技術”は機械、電気に加え、さらに情報を加えた各専門知識を融合した技術で
あり、1 分野の専門技術を修得するだけでも大変なのに、さらに2分野の専門技術が加わるとなれば、学ぶ
側から見れば多大な労力を要したものと推察されます。また、座学で3分野個々の知識が修得できたとして
も、それらを横断的に応用して検証する授業がなかったものですから、当時の学生さんからは何のための勉
強をしているのかわからないといった意見をよく耳にしたものです。
それゆえ、私は制御情報工学科をイメージする“もの”
、あるいは複合技術を応用した“取組”の必要性を強く
感じるようになりまして、平成8年度の卒業研究から“ギターを演奏するロボット”づくりという、それまで私
が取り組んできた歯車の振動や強度に関する研究とは全く異質なテーマに着手することにしました。これは、前
述の“コンピュータで機械を動かす…”の対象とする“機械”を単に自動化機械や工作機械ではなく、学生にと
って身近に感じられる機械を取り上げたかったことから、あれやこれや考えた末、音楽と機械をリンクさせれば
きっと好奇心と興味を持ってくれるであろうと思い、ギター演奏ロボットになったのです。
製作を開始した初年度は、コンピュータから電気信号を出すインタフェース、その信号を受けてギターの弦を
押したり弾いたりするアクチュエータの制御など、すべて手探り状態でしたが、弦を押さえるための 18 個の電
磁ソレノイドと弦を弾くための1個のサーボモータを、当時のN88BASICで操りながら何とかコードを演
奏する図1に示すようなロボットが完成しました。
図1 平成8年度に完成した初代のギター演奏ロボット
その後、アクチュエータを電磁ソレノイドからエアシリンダに変えて動作スピードをアップさせるとともに、
メロディと伴奏を作業分担して演奏する図2のようなツインギターロボットへと改良しまして、何とかまともな
演奏ができるようになり、これが完成したのは取り組みを開始してから丸4年後の平成 11 年度のことでした。
翌 12 年には図3に示すようなロボットに変身させ、神奈川県川崎市で開催された第4回ロボットグランプリ「大
道芸ロボットの部」に、当時の卒研生とともに参加してそのパフォーマンスを披露し、全国優勝させていただき
ました。その後も退職する最後の年まで、学生さんと色々なものづくりにチャレンジし、また多くのイベントに
参加してきたことが、つい先日のような気が致します。
お陰様で、今日まで充実した日々を過ごすことができましたのは、ひとえに皆様のお陰でありまして、心より
感謝申し上げます。宇部常盤会の皆様におかれましては、健康に十分ご留意いただくとともに、益々ご活躍され
ますことを心よりお祈りしております。本当に長い間、有り難うございました。
図3 第4回ロボットグランプリに出展したギター
ロボット
図2 平成 11 年度完成したツインギターロボット
(平成27年3月)