常滑市民俗資料館

常滑 市 民 俗 資 料 館
研 究 紀 要 Ⅲ
一九 八八
常 滑 市 教 育 委 員会
︱︱ ︲
︲
︱
常滑 市 民 俗 資 料 館
研 究
要
紀
Ⅲ
一九 八八
常滑市教育委員会
は じめ に
常 滑 市 の伝統 的 基 幹 産 業 であ る窯業 は、幾 多 の先 人達 の手 によ っ
て支 えら れ今 日そ の雄姿 を 私 たち の眼前 に見 せ てく れ て います。 平
安時 代 の末 期 に、 こ の地 にも た ら さ れ た焼 き 物 生産 の技 術 が、 そ の
窯 の焔 を 絶 やす ことな く 一千 年 近 く の時 を 経 て、な おそ の隆盛 な生
命 力 を保 ち続 け て いる こと に私 た ち市 民 は誇 り を持 つこと が でき ま
す。 そし て同時 に悠 久 の時 の流 れ の中 で常 滑 に生 き た先 人達 が ど の
よう な 舵 を と ってき た のか と いう こと にも無 関 心 では いら れま せん。
今 日 みる近 代産 業 へと脱 皮 し た常 滑 窯業 の雄姿 は、 け し て自 然 のな
り ゆ き とし て到来 し たも のではな く 、時 代 の移 り変 り の中 で必 死 に
そ の伝統 の継 承 と発展 を希 求 し た 人 々の労 苦 の結 晶 であ った と信 じ
て疑 わな いと ころ であ り ます。
単 に製 品 、技 術 の移 り変 り を 辿 る のみ でな く 、 そ れ ぞ れ の時 代 に
お いて、 そ れ ぞ れ の社会 の要 求 に応 え て いく た め に、 いかな る状況
下 で人 々が動 いてき た のか と いう 過 去 の姿 を 知 る こと は、 とり も な
お さず 現代 に生 き る私 たち の未 来 の 一端 を 自 ら 照 ら し 出 し てく れ る
のではな いか と考 えます 。
当 館 の研究 紀要 も こ こに第 二号 の刊行 を みる に いたり ま し た が、
これも 常 日頃 よ り 当 民俗 資料 館 の諸活 動 に対 し ま し て借 し みな い御
指 導 、御協 力 を いた だ いており ます 各 位 のお蔭 と存 じ こ こに心 より
御 礼 申 し 上 げ る次 第 でござ います 。
常 滑市 教 育 委 員会
教 育 長 職務 代 理者
森 定 之
日 次
常滑 におけ る軸軸技 術 の展 開 に ついて
山 田陶 山 ︶⋮⋮ 1
︵
瓶仲 買衆 ﹂に つ いて
一、近世末 期 の常 滑 におけ る﹁
中 野晴 久 ︶⋮⋮ 4
︵
瓶仲買関連資料
、
滑
一一
代
の
集
窯
業
に
つ
い
て
近
常
中 野晴久 ︶⋮⋮ 4
︵
1
0
⋮・
・
常 滑市 民俗 資 料館 古 文書 部会 解読 資料集 ・
2
﹁
常滑 における軸輯技術 の展開 に ついて﹂
常滑市 民俗資料館友 の会顧問 山 田 陶 山
製 陶技術 は極 め て多 岐広汎 にわ たります が其 の造 形技 術 の根幹 とも 云 査 によ って確認されております が中古 に廃絶し てから主 とし て ヨリ コづく
ロク ロと云う も のは陶業 地 の生 ま れな り の手法 によ って大形 の器物を製造 し てき た土地 で漸く 江戸中期 に至 って
う べき は ロク ロ技法 であ ります。
ら 子供 でも 一応 知 っております が又専 門 の陶 工 でも 十分 よく わ か ってお 又 ロク ロを使 用す るよう にな った のです から ロク ロ技法 によ る製 陶 の歴
りま せん。 工芸 は工程 が複雑 です から細 かく 分業化 さ れ て いて例 えば 口 史 は ごく新 し いこと であ ります。 私 は元来 ロク ロエの家筋 に生れた二人で
ク ロエ、絵 付け 工、焼成 工、彫刻師 と云う よう に分担作業 によ って仕事 す が若 い頃 に大 阪 に居住 し て いて昭和 十五年 の春 に大 阪市 の朝 日会館 で
を進 め ております。 比 れ は ほとん ど常 識的 とも 云う べく漆 芸な ぞ でも 同 催 され た出 土品、 およ び伝 世 品 によ る文化財展 で近 江 の大津 の旧都 の遺
じ こと であ ります。 も っとも卓抜 し た技 巧家 で各 種 の工程 に通 じ た名 人 跡 から出 土し た数 点 の厨 房 用 品を みて其 の ロク ロ技術 の美 事 さ に驚き ま
とも 云う べき 人物 も古来 稀 れ には有 ります が此 れは例 外 であ ります。 し た。 これ等 は いわゆ る須恵器 でおそらく大 陸 から来 た帰化 人 の手 にな
わ が国 の陶業 の展開 の跡を ふり かえ って見 る と縄 文 、弥 生 の上器 の時 るも のと思 われます が其 の技術 のし っかりし て いる事 と、 そ の時 代 の古
支 那陶 磁 源
代 を経 て五世紀 の半 ば頃 に百済 から種 々の工人ら と共 に陶 工が来 て、 い さな ど思 い呆 れ るば かり でし た。 其 の後 、中 尾万 三博士 の ﹁
わゆ る須恵器 の製造 技 術を 伝 え たと云わ れ ております。 この事 は 日本書 流 図考 ﹂を精読 し た と ころ が同博 士 は文献 を 引 いて ロク ロの発 明は極 め
紀 にも記 載 さ れ ております が近年 の考古 学的 研究 によ る編年 とも大 体合 て古 く 明確 でな いが周 の頃 には、す でに使 用 され て いた ことは確 実 であ
致す る由 であ り ます。 須恵器 は在来 の土師器 とは全 く製 法 を 異 にし ロク る、 とし ておら れまし た。 然 る に新 中国 にな ってから古 代 文化 の調査 、
口を使 って造 形し窯 に いれ て焼成 し ており其 の材質 も か たく焼 けし ま っ 研究 は長 足 の進歩 を とげ 、近年 の発掘 によ って出 土し た新 石器時 代 の黒
て吸 水 性もなく堅牢 で耐久力 があ る ので盛 ん に製 造 し て需要 地 へ供 給す 陶 にす でに明ら か に ロク ロを使 用し て製作 し た大作 品 があ って私自身 も
/驚 き
るよう にな り、此 処 に中 世 におけ る産 業 とし て の陶 業 が成 り立 ってく る 確 認す る機会 を え て中国 の文 明 の偉大 な ことや古 代 人 の英知 に唯 /
のであ ります。 常 滑 の古 窯も これ等 の技術 系統 を伝 え るも ので有 る こと 嘆息す る ばかり でし た。 殷 から周 にわ た って陶業技術 はます ます 進歩 し
は疑 いを いれざる処で直接的には百済 の陶業 技術 を伝 え たも のと私 は考 え たよう で灰釉 を施 こし た美 事 な大器も出 土し ております が是 れ等 は大 体
ョリ コづくり工法 で造形し てから ロク ロによ って形を整えてあ るよう です。
ております。
常 滑陶器 誌﹂ の著者 は古 い時 代 に常 滑 で使 用さ れ て いた ロク ロは蹴
常 滑 は古 代 には ロク ロを使 って仕事 をし て いた こと が出 土 品や発掘 調 ﹁
-1-
ロク ロであ ったよう に考 證し ておら れる が現在使われて いるも のは手廻し
一般 に蹴 ロク ロは多 く は朝 鮮 系 の技術 を伝 え た窯場 で行 な
ロク ロです。
も 明記 し てあ ります。
号 玉斎 ︶
常 滑 では 一つ抑 き によ る大器 の造 形 に ついて、水 川茂 右衛 門 ︵
を採掘しポ騨精操して供給する専業 の上屋 があ り脱 側 により搬 送し て常 滑
原料 の粘 土 は明治時 代 以来 、小 鈴 谷村 坂井 、上野間 地区 で良 質 の田土
が先 鞭 を つけ て研究 に努 めたよう です が次 いで山 田陶 山、富 沢勝次郎 が
地 の ロク ロエ の先 駆者 とさ れ て います が短 期 間 に相当 に技術 も普 及し た
の瀬木 の河 回の岸壁 に接岸 し て陸揚 げし ており、此 処 から各 業者 が手車
わ れ、手廻し ロク ロは中 国系 の製 陶 地 で使 用 され て いるよう に云 われ て
尾張名 所 図会﹄第 六巻 に掲載 され て いる挿 絵 の﹁
よう で﹃
常 滑陶 造 の図文名
で自家 工場 へ引き取 って いまし た。 別 に成岩 町板 山地区 にも製 土業者 が
登場 し て明治中 期 に いたり大作 語 の造 形技法 を完 成 し まし た。 此 の間 、
古屋 の画家 、野村 玉澳筆 ︶を みると海辺 の仕事 場 で老 人 と若 い者 の二人
あ り、 これ は板 山 土 と称し て いまし た が牛車 、ま たは馬車 を使 って直 接
おります。 現在使 用 され て いる ロク ロは何時 ごろ何 人 によ って使 い初 め
の陶 工 が ロク ロに対 し て急 須 らしき 品を作 って いる処 が描 いてあ ります。
各製 陶業者 の許 へ搬 入し て いた ので有 ります。
山 田、富 沢等 は滋賀 県信楽 や其 の他 の窯業 地 へ視察旅 行 をし て各 地 の技
す でに天保 の初 年頃 には ロク ロによ る茶器製 造 も 、 かな り盛 ん に行な わ
ここで旧時 の大器製 作 に際 し て行 な わ れ て いた装 置を簡 単 に説 明し て
ら れ たか、 又如 何な る径路 を へて伝 え られ た のか更 に明ら か でな いので
ロク ロ仕事 も 当初 のころは専 ら小 品ば
れ て いた事 は明ら か であ ります。
し
かり でし たが時 代 の要求 もあ って離次 大形 の品も作製 せら れ て来 まし た。
ロク ロを適当 な位 置 に据 え つけ、台座 は地中 に埋 め て
おき ます。 先ず 、
法 を も参 考 に資し たよう であ ります。 この三名 の業 績 に ついては、昭和
大作品 には自ず から小品とは異な った技術上 の制約 があ り因難 が伴 います。
堅 国 に固定 し 、上 カガ ミ ︵ロク ロ上部 の円板 ︶ の周囲を 三 セ ンチ 程ず つ
す が、何 れ にし ろ常 滑 でも 江戸中 期 以後 ロク ロを使 用し で茶 器 や花器 な
大形 の古陶器を みると何処 の産 地 の製 品 でも殆 んど ヨリ コづくり です。 又
の間隔 にあ け て厚 い板を 張り つめ て作業 台を つく り陶 工は其 の上 に座 っ
十 五年 の秋 、皇 紀 二千 六百年 の祝典 に際 し常 滑陶器 工業 組合 から表 彰 を
は更 に ロク ロにかけ て形を修 整し てあ る のが常套手法 であります。 これ で
ロク ロの脚部 には、
ハバキ と称す る添木
て ロク ロに対 し て作業 し ます。
ど趣味的 な 品 々を つく り始 めまし た。 元来 原 料 の粘 上 が粘 初性 、可塑 性
は手 間 がかかりす ぎ る ので ロク ロで 一度 に挽 きあ げ て造 形す る ことを考
を 八枚打ち そえ て、此 処 に綱 を かけ て、滑車 二個を適宜 に配 置し 、︵
滑車
う け て招待 さ れ、 旦 つ記 念 品を贈与 さ れまし た。 当時 玉斎 は九 十歳 の板
え てく る のは当然 です が、大物 には 一個あ たり にも相 当量 の粘 上 が必要
は水平 に据 え付 け て其 の溝 に綱を とおす ︶補 助 工は ロク ロの前 方 に座 っ
に富 ん で いると云う 利 点もあ って技術も飛 躍的 に進歩 し て名 工と称 えら
ロク ロを 回転 さ せる にも手廻 し や蹴 ロク ロでは到底 でき る こ
です から、
て綱 を左前 方 へ引 いて ロク ロを 回転 さ せる、綱 は ベ ルト と同 じ性能 の働
令 であ ったが目 に涙 をう か べて喜 んだ由 であ ります。
と でな い。 これ は中 国 でも ロク ロエ に付 随し た補 助 工 が いて ロク ロを 回
きをし て、緩急 は補 助 工 の心意 にし た が って自由 自在 であ ります。 此 の
れ るよう な 人物 も続 々輩 出 し てき まし た。 稲葉高道 や伊奈 長 三な どが当
転 さ せ て二人 コンビで仕事 をし て いるよう で先 達有 識者 の視察報 告書 に
-2-
、
方法 は信楽 そ の他 の陶業 地 でも行 な わ れ て いた様 です が 常 滑 では此 の
も に粗製 の植 木 鉢 の製造 に使 用さ れ て来 ま し たが高 級品 はす べて手挽 き
、
極 め て能率 的な ので明治 の頃 から常 滑 でも 一部業者 の間 に導 入され お
、
電 動力 の導 入、電 動力 によ って ロク ロを 回転 さ せ 其 の ロク ロの上 で
、
石一
膏型を使 用し て造 形す る工法 を機 械 ロク ロ成 形法 と称し て います が
ク ロエと補 助 工 の二人 コンビでなく ては出来 な か った のですc
便宜 の方法 で納 め て来 る のです が其 の全体量 は かな り の体積 とな ります。
面 から、 ま た 一方成 岩 板 山地区 からも専業 の上屋 の手 によ って其 れぞ れ
、
から相当量 の粘 上を必要 とし ます。 これは前述 のよう に坂井 上 野間方
品物 です し、主 とし て職 人 や弟 子 たち数名 が毎 日従事 し て いる こと です
精製 し ておりまし た。 商 品 の方 は火鉢 、柾 木 外 、花 瓶な ど殆 どが大 形 の
も 必要量 は ごく住 かず つです が土 の調製法 も 面倒 です ので総 べて白家 で
丈泥 のほかにも鳥 泥 、梨皮 泥 、綜 泥な ど多 様夕 彩 にわ たりまし た。 何 れ
殊 な分野 に属 し主 とし て中国 宜 興窯 の研究を基 盤 とし て煎茶器 な どを製
、
、
、
作 し て いた のです から素 材 とし て のネ土も特殊 なも ので 朱 泥 白泥
粘土 ︶
の工法 によ って作 られ ておりまし た。 大 形 の品を つく る には邦 土 ︵
絶対 に必要 な原材 料 です が何 分 にも嵩張 る のと堅くな る と使 えなくな る
云 って大 手な 労働力 でし た。 つま り大器製作 は ロ
補助 工を ﹁
制繰 り﹂ ル・
土踏 み板 ﹂ と云 って凡 そ六尺角 ほど の頑丈
も 沢山必要 です が、 これ は ﹁
ります。 地上部 分も 出 入り 口を 一方 だけあ け て三方 面を城壁 のよう に頑
、
ダ ン マで構築 し て補 強し、底 面 は煉 瓦を敷 き つめ て セメ ント 塗装し てあ
長 さ 六尺 ほど の面積 を 地下 へ約 五 尺く ら い掘 り下げ
、
土室 ﹂ へ収納 し ておりまし た。 この装 置 は凡 そ巾 四尺
ので私方 では ﹁
、四周を築 窯材 料 の
な特 大 の機板 の上 で入力 で足 で踏 みかえし て良 く練 って いまし た。 踏練
さ れた粘 土 は土 切り鎌を使 って約 四貰 目程ず つのサイ コロ状 に切りわけ
土室 に積 み込ん でおき ます。 是 れは古く から中国 の景徳 鎮 でも行な わ れ
、
て いて大変 よ い方法 な のです が、や が て私方 でも効率 的 でな い とし て
真 空 土練機 を採 用しま し た。
で大 田氏 も非常 な熱意 をも って努 力 をし て下 さ ったよう です。 身 大な 困
依頼 し て緩急変 速 ロク ロを 工夫し まし た。 当 地 では初 め て の試 みです の
造 の場合 の ロク ロを回転 さ せよう と考 え て当時 の常 滑 町 の大 田鉄 工所 に
る業者 以外 は不 必要 です からあ まり他家 では見掛けな か った様 に思 われ
は大事な 設備 の 一つです が小 細 工業者 の中 でも特 に原料を分 量 に使 用す
土室 ﹂
だ蒲 の 一種 ︶を被 せてお いて必要 に応 じ て取 り出し て使 用します。﹁
上部 へは ﹁ア ンペラス南方 地域特産 の多 年生草本 、 ア ンペラ の茎 で編 ん
丈 に集 き上 げ てあ ります。 原料 の粘 土は此 処 に高く積 み込 ん で貯 蔵し
難 と分 少 の ロスもあ った様 でし た が兎 に角成功 し て好調 でし たから忽 ち
以 上
ます。
山 田陶 山 は大 正 の初 め頃 に いたり 入力 にかえ て機 械 力 によ って大器製
3年 2月 稿 ︶
S6
一般 業者 に普 及し た のであ ります。 ︵
原料 郭上 の調製 と貯蔵 ﹂
補遺 ﹁
山 田陶 山方 では明治中 期 いら い個 人作家 とし て の作 陶 と 一般商 品 の製
造 とを並行 し て行な って来 た のです が、美 術 とし て の仕事 はき わ め て特
-3-
かめ なか が い し つ
、近世末期 の常滑 における﹁
瓶仲買衆,﹂に ついて
一
久
常滑市民俗資料館学芸員 中, 野 晴中
、
く
が主要産 品 であ った ことは動 かし難 い事 実 であ る。 そし て、
常 滑焼 の流通史 にお いて いゎゅ る問屋 尚 な流通業 が成 立し 商 品流通 ´は褒 ゃ壺
、
﹁
椙﹂ と いう 語 をあ てたと考 え た い。 従 って ﹁
瓶﹂
、
を担う よう にな る のは近代 以降 の こと であ り そ れ以前 にあ っては そ そ の主 要産 品を 称し て
、
を 、と によ って シ ンボ ル化し た総
れぞ れ の窯屋 が自 ら船 を持 ち生産 品を流 通 さ せ て いたと従来考 えら れ て とは 常 滑 の江戸期 におけ る焼 き物 姿
。
﹁
き た。 し かし 、昭和 六十 二年 に刊行 さ れ た陶 栄株式会 社 の社史 陶栄 百 称 と みられ る のであ る
れ 瓶 買関係 の古 文書 は、六通あ り 弘
た
仲
年 の回想 ﹂編纂 事業 の中 でそ の資 料 収柴 にあ たら れ た関 一雄氏 の手 によ 瓶屋幸 助 の事 務所 から検出 さ
、
、
、
四
︵ 八 五 一︶、安 政六年 ︵一八五九 ︶
り 一群 の古 文書 が検出 さ れ る に及 び これま で の定 見 は大 きく修 正さ れ 化 三年 ︵一人四 六 ︶ 嘉 永 年 一
一
死治 元年 ︵一八 六四 ︶、 明治 二年 ︵一八 六九 ︶と いず れも 十九 世紀後半
ざ るを得 な い運 びとな った のであ った
,
祇仲
も のであ る。 ﹁祇仲買 連中 ﹂ と か ﹁
明治 十九年 と いう き わ め て早 い時 期 に株 式会 社制 を とり入 れた陶栄社 の幕 末 から 明清初 期 にかけ て の
貝御衆中 ﹂あ る いは ﹁瓶仲 買 年行 司﹂ と いう 名 称 が記 さ れ て いる のみで
は、 それ以前 に組織 さ れ て いた陶栄 組を 母胎 とし て陶器商 と船船 連漕 業 中
﹁
、
行 司とし てそ の名 を み せる龍 助
を も って創業 し た のであ る が 先 の古 文書 は陶栄社 の筆 頭休 主 で本 社 営 当事 の人名 とし ては ヶ条書 之事 ﹂ の年
ゃ希 晰
、
。
額 田県物産 分会 社 へ鑑札 を願 い
脳屋
業 所 とし て自 ら の店 舗を提 供し た ﹁
﹂ こと関幸 助 の事 務所 よ り と弥 七 のみ であ る し かし 明治 五年 に
私 共儀是 迄当所産焼 物 諸 品売 買職業 仕来 候﹂ と主 張し てお
出 た十名 は ﹁
検出 さ れ たも のであ った。
、
﹁
いも のと考 え られ る。 これ
瓶屋辛 助 の事 務所 から発見 さ れ た近 世古 文書 の中 には 陶栄 組 の前身 り 江戸末 期 の 瓶伸買衆 ﹂ の構成 員 と大差 な
、
、
を 出 し組 織体 を 維持
であ ったと想定 しう る ﹁祇仲 買衆中 ﹂ や ﹁祇仲 買御連中 ﹂ に宛 てて出 さ ら の瓶仲 買 は そ の同業者 で仲 間を作 り 年行 司 選
の他 の接 衝 にあ た ったも のと考 え
れ たも のがあ り、 この ﹁瓶仲 買 ﹂ が近世 の常 滑地方 の卸流通業者 であ っ す る ととも に生産者 と の価格協 定 や そ
鑑 札御願 事 ﹂ でみる かぎ り十 人中 九 人ま でが
ら れる のであ る が、先 の ﹁
た可能 性 は極 め て高 いと考 えられ る のであ る。
紀 の仲買商 人を意 味す る。 中 北条村 の住 人 であ る こと に注 目 さ せられ る のであ る。
﹁
買 と いう 名 称 は、字句通 り ﹁
瓶
伸
﹂
﹂
、 明治 六年 に北条港 船御 改
っ
、
世後半 の生 町時 代 以降 、常滑 は碗 皿と いった小型食器類 の生産を放棄 唯 一瀬木 村 から加 わ て いる鯉 江佐平 治 は
、
で いた ことが知 られ る人
し 、熱 、こ 、鉢 と いう中 大型製 品 の産 地 と化し て い った のであ るが と 所 へ冨吉丸 の鑑札 を願 い出 ており流 通業 を 首 ん
﹁ 竃 間 改名前 集 ﹂ の中 に登場 し て い
、
り わけ大 型 の姿 を特 徴 とす る に至 って いる。 そし て 近 世 の常滑 にお い 物 であ る が慶 応 二年 の世木 村 の 惣 仲
-4-
し て の窯 屋 と 近 い人物 であ った こと を 窺 いし め るも の であ る。 鯉 江 佐 平
、
佐 平 次 一と の関 係 があ る いは 同 一人 であ る 可 能 性 も 高 く 生 産 者 と
る ﹁
いた こと に注 目す る必要 があ ろう。
て いた にも か かわ らず 北条 村 が先 述 の如 く 一歩進 んだ産 業体制 を築 いて
百十 二人、常 滑村 二千 百 二十人 と常 滑村 の社会 資本 の大き さ は他 を 圧し
瓶仲 買衆 は窯屋 よ り仕 入 れた焼 き物 を消費 地 へ供給す る傍 ら帰路 にお
方 斉 ︶や常 滑 村 の松 本 久 右 衛 門 は白
治 でな く ても瀬 木 村 の鯉 江 伊 二 郎 一
分 の手 船 を も った り 、 常 滑 焼 の官一
伝 文書 を 印 刷 し た り と そ の流 通 面 も 内
いて焼 き物 の焼成 に必要 な松材 や松葉等 の燃料を 三河、伊勢 、熊 野あ た
渥美 郡赤 羽町あ たり の村 では海岸 に植 え た松 は防 風林 と いう よりも 、む
に含 ん で いた た め常 滑 の却 業 の成 立 は 近 代 以 後 の こと と いう 見 解 が出 さ
常 滑 村 や瀬 木 村 と異 な り 瓶仲 買 が集 中 す る北 条 村 は 、 生 産 者 側 の惣 窯
し ろ常 滑焼 の燃料 とし て商 品的 に栽 培 し て いた と いう 伝承もあ ったそう
り で買 入 れ常滑港 へ帰 ると いう 燃料商 の役割 も 担 って いたよう であ る。
連 中 と流 通 業 者 側 の瓶 仲 買 連 中 に分 業 す る 体 制 が 遅 く と も 江 戸 末 期 に は
であ る。
れ たも のと推 測 さ れ る のであ る。
成 立 し て いる の であ る。 流 通 部 門 が生 産 部 門 か ら独 立す る と いう こ の現
常 滑 陶 器 誌 ﹂ の拳
尾 張 狗 行 記 ﹂ の記 述 と 照 合 し て み ても ﹁
べ て いる。 ﹁
︵
十 一基 ︶と推 移 し 、瀬 木 、奥 条 は 元 禄 七 年 の当 事 と大 差 な か ろう と述
入 基 ︶天 保 年 間 五 立 半
十 基 ︶天 明 年 間 四 立 ︵
後 北 条 村 は享 保 年 間 五 立 ︵
八 基 ︶瀬 木 村 一立 ︵二基 ︶奥 条 村 一立 ︵二基 ︶ であ る とし 、 そ の
四立 ︵
誌 ﹂ で は、 庄 屋 か ら 代 官 所 への窯 改 め の旧 出 を も と に元 禄 七 年 に北 条 村
常 滑陶器
北 条 村 の圧 倒 的 な 優 位 性 が認 め ら れ る。 明治 四 十 五 年 刊 行 の ﹁
、
細 二 人 五 人 、 常 滑 村 が半 立 ︵一基 ︶入 人 持 とあ り そ の窯 の数 だけ でも
九 基 ︶生 産 者 九 〇 戸 瀬 木 村 が 一立 ︵二基 、先 年 は 四 基 あ った と さ れ る ︶
窯
尾 張 狗 行 記 ﹂ によ れ ば 北 条 村 は竃 が 四 立 半 ︵
文 政 年 間 に記 さ れ た ﹁
出 さ れたも のと推 測 さ れる北条村 庄屋 、清 水庄 蔵よ り御船 手 役所 に宛 て
艘 と四十 石入 の不 知波船 一般 の二般 が記 さ れ ており 、 おそ らく 同じ頃 に
年の ﹁
知多 郡瀬木 村御 役銀 附船数覚 ﹂ では 二百 石入 と三百 石入 の廻船 二
、
にみる常 滑村 の船 数 は、 四百 石から 二百九 十 石ま で の不 知波船 八般 瀬
取船 一般 、渡 海船 二般 の十 六艘 があげ られ て いる。 これ に対し 、慶応 三
子冬大 小船 御 役銀御 役料 共御上納帳﹂
ら れる。 これ に対し 、元治 元年 の ﹁
も含 ま れ ており海連業 とし て の比較材 料 とす る には 一考 を要す ると考 え
同じよう に船 数も 圧倒的 であ る。 し かし 、 この中 には漁師 の用 いた漁船
滑村 九 〇 とあ る。 常 滑村 は人 口、 石高 とも他 の二村 より大 き か った のと
江戸廻船 以外 の役銀 を 課 せられ た船 数 は北条村 二十 四、瀬 木村 十 二、常
﹁
常 滑 市誌 ﹂ ︵二六 二頁 ︶によ れば 、寛 政 二年 ︵一七九 〇 ︶ の資料 で
げ て いる窯 数 は ほ ぼ間 違 いな いも のと考 え ら れ る。 そ し て、 二 つし た生
た役銀 の免 除願 には、三 百九 十 石入 と 二百八十 石入 の廻船 二般 、六十九
象 の背 景 を さぐ る た め に は生 産 のあ り方 を 見 る必 要 があ ろう 。
産 面 に おけ る北 条 村 の優 位 性 が 瓶 仲 買 の背 景 にあ った こと は見 逃 し え な
誌 に ひく中 村家 文書 の数 や絢行記 に いう 不 知波船 五 十艘 ほどと いう 数 か
石入 の不 知波 一般 の三艘 が記 され て いる。 北条 村 の船数 に つ いては、市
ま た 近 世 後 期 の二 村 の石高 は 北 条 村 が 四 百 七 十 二 石、 瀬 木 村 が 五 百 三
ら みて上記 の数 より数倍す るも のであ った と考 えら れる が常 滑村 以上 の
いと ころ であ る。
十 四 石 、 常 滑 村 が九 百 六 十 六 石 、 人 口は北 条 村 九 百 三 十 六 人 、瀬 木 村 五
-5-
海 運 力 があ った と は考 え ら れな い。
以 上 のよう な 資 料 か ら 考 え る と北 条 村 は 、 当 時 の常 滑 地 域 三 ケ村 中 で
最 も 焼 き 物 と 深 く 結 び つき 生 産 か ら 流 通 に いた る ま でけ し て豊 か な 資 力
を 持 つ ことも な く 専 業 化 に近 づ いて い った 経 緯 を 窺 い知 る こと が でき よ
う 。 そ し て ﹁祇 仲 買 衆 ﹂ の存 在 も そう し た 地 理 的 、 歴 史 的 背 景 の中 で把
握 さ れ る べき も の であ る。
ま た ﹁祇 仲 買 衆 ﹂ の実 態 に つ いて は 、 ま だ ま だ多 く の疑 間 が残 さ れ て
いる。 そ のう ち の 一つが船 の所 有 と船 頭 と の関 係 であ る。 明治 期 の陶 栄
社 で第 二伊 勢 丸 の船 顕 を 勤 め た 文 二郎 は 単 に航 海 だけ でな く 、 仲 買 の仕
事 も 行 って お り古 い時 代 の船 頚 を 偲 ば せ る 人 物 であ る が 、 そう し た船 顕
と 瓶 仲 買 と の関 係 に は いま だ 判 然 とし な い点 が多 く 残 さ れ て いる。 更 に
清 水 庄 蔵 の願 出 に お け る 二艘 の廻 船 は清 水 庄 蔵 の持 船 であ り 不 知 波 船 は
弥 七 の持 船 であ る。 弥 七 は 、 瓶 仲 買 衆 の中 にそ の名 の見 え る亀 岡弥 七 で
あ る が浦 水 庄 蔵 は 瓶仲 買 で はな く 森 窯 、 森 新 窯 を 所 有 す る庄 屋 であ り 生
産 者 側 の人 物 であ るc 従 って こ の廻 船 と 運 消 業 の在 り方 さ ら に 瓶仲 買 衆
と の関 係 な ど は ま だ残 さ れ た 課 題 であ る と いえ よ う c
注1 ﹁
九七五
窯業民俗資料調査報告2 ︵
常滑市 ︶﹂愛知県教育委員会 一
注2 ﹁
陶栄百年の回恕﹂陶栄株式会社 一
九人七
注3 鯉江俊三氏の御教示に従えば、佑平治は鯉江方救 の弟である.
注4 林英夫先生より御教示を受けた‘
-6-
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、近代常 滑 の築窯 業 に ついて
一一
こと であ る。 そ し て、 そ れ 以 後 も 山本 組 と いう 築 窯 業 者 が昭 和 四 十 六 年
常 滑 窯 業 史 の中 で築 窯 業 が専 業 化 さ れ た のは 、 大 正 期 に入 って か ら の
窯 に関す る知識 をも った窯 築 に窯仲 間 が協 力 し て行な わ れ た も のと推 測
本 組創 業 以前 の築 窯 に ついて詳細 は伝 わ って いな いが これら の少数 の築
わら窯屋 の要請 に従 って仕事 をす ると いう 非 専業的 な職業 であ った。 山
︱︱ 山本国 夫 氏 の談話を中 心 にし て ︱︱
﹀山本 組 の
の解 散 に至 る ま で常 滑 の窯 の大 半 を 手 がけ てき た の であ った︵
しう る。
共 働 の繁 が り を 切 って独 立 し た窯 屋 が生 成 さ れ た と いう こと は 、 そ れ に
も 可能 であ る こと 、 構 造 的 にも 複 雑 な 要 素 を 分 く 含 ん で いる。 共 同 体 的
平 地 式 石炭 窯 は 、 連 房 式 登 窯 に比 べ て小 規 模 でそ の経 営 が 一戸 単 位 で
る。 そ し て平 地 式 石炭 窯 の登 場 こそ 、 そ の最 大 の要 因 だ った と いえ よう 。
窯 屋 の共 同 体 的 労 働 を 超 越 す る 要 因 が 必 要 であ った と考 え ら れ る の であ
従 って常 滑 で築 窯 業 が専 業 集 団 の手 に担 わ れ る よう にな る背 景 に は 、
活 動 は 、 常 滑 地 区 に限 らず 大 正 期 か ら 昭 和 前 期 に かけ て九 州 、 四 国 、 関
西 、 関 東 、 北 海 道 と国 内 各 地 に拡 が り 、 さ ら に は朝 鮮 半 島 ま で主 とし て
土管 焼 成 用 の石炭 窯 を 築 窯 し て いる の であ る。
山本 組 は 、 毬 時 に お いて十 五 人 程 の窯 築 職 人 によ って構 成 さ れ て いた
が 、 こう し た専 業 集 団 の成 立 の背 景 に は 、平 地 式 の石炭 焼 成 によ る単 窯
の普 及 と いう 産 業 史 上 の画 期 があ ったc
常 滑 焼 の窯 の変 遷 は 、 平 安 末 期 に始 ま る律 禦 か ら室 町 期 に大 窯 へと移
衷 式 ︵石炭 ・薪 の併 用 ︶ の連 房 式 登 窯 と な って常 滑 の窯 の中 心 的 存 在 と
的 に違 一
房式 登 窯 が導 入 さ れ 、 これ が 明 治 後 半 期 に焼 成 室 が改 良 さ れ て折
そ の命 脈 を 保 って いる。
一方 、 江 戸 末 期 の天保 年 間 よ り 真 焼 物 生 産 を 目
常 滑 では 既 に 明 治 十 六 年 工部 省 大 技 長 の宇 都 宮 二 郎 の指 導 で実 施 さ れ て
内 に炎 の流 れ を も た らす も の であ る。 こ の種 の倒 炎 式 石炭 窯 の試 み は 、
と し て の石炭 窯 は 倒 炎 式 構 造 で煙 道 を 介 し て煙 突 によ り 火 贈 を 引 いて窯
大 窯 、 登 り 窯 の いず れ も が傾 斜 地 に築 造 さ れ て いた のに対 し 、 平 地 窯
伴 な い窯 の築 窯 件 数 も 必 然 的 に増 化 し た の であ る。
な った の であ る。 折 衷 式 の連 一
房式 登 窯 は 、 昭 和 四 十 九 年 の陶 栄 窯 の棟 業
いる。 宇 都 宮 は 、 セ メ ント 業 や 酒 造 業 、 化 学 工業 等 々広 範 な 分 野 で西洋
行 し 、 こ の型 式 の窯 は鉄 砲 窯 と いう 名 で大 正 期 頃 ま で残 り素 焼 窯 とし て
停 止 ま で続 いた の であ る が 、 そ の排 業 は 、 地 縁 的 紐 帯 で結 ば れ た窯 仲 間
技 術 の 日本 への導 入 の路 を 開 拓 し 、 近 代 産 業 を 育 成 し た 人 物 であ る。 常
考 え ら れ る。 し か し 、宇 都 宮 の指 導 を 受 け て行 った鯉 江方 寿 、 満 水 守 衛
と いう 共 同 体 によ って運 営 さ れ て お り 、 そ の形 態 は大 窯 に お いても 同 様
山 本 組 の創 業 者 、 山本 三 一は 、農 家 の長 男 に生 ま れ長 じ て窯 築 技 術 を
の試 み は良 好 な 結 果 を 得 る こと が でき ず 失 敗 に終 わ った。 そ し て次 に こ
滑 で の石炭 焼 成 によ る倒 炎 式 の平 地 単 窯 も 西 洋 にそ の原 型 を も つも のと
習 得 し 山本 組 を 結 成 し た の であ る が 、 彼 が大 正初 年 に山 本 組 を 起 こす 以
の計 画 を 着 手 す る のは 、 明治 二 十 二 年 に至 って か ら であ る。 陶 器 同 業 組
であ ったt
前 の常 滑 に は数 人 の窯 築 職 人 が いた だ け で、 そ の窯 築 職 人 も 農 業 のか た
-14-
、
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炭 窯 を築 き 試 験 を 実 式
⋮
iし た の でん た こ の計 画 は 良 好 な 成 績 を 得 る
の指 導 を 受 け つ つ常 滑 陶 器 学 校 長 の横 井 惣 太 郎 の設 計 によ り 倒 炎 式 の石
大 型 製 品 生 産 計 画 を そ の事 業 に組 み 入 れ 、 森 村 組 の技 師 、 飛 鳥 井 孝 太 郎
合 の前 身 の半 則 組 合 は 、 こ の年 、 平 地 式 の石炭 焼 成 単 窯 によ る 上 管 等 の
業 を 確 立 し て い った の であ る。 尚 、 付 言 す れ ば 昭 和 四 年 の段 階 に お いて
た こと は 明際 であ り 山本 組 は 、 二 つし た時 流 に来 じ て常 滑 の専 業 的 集 窯
和 に か け て の常 滑 陶 業 界 は 、 か つてな いほ ど の集 窯 ラ ッシ ュの中 にあ っ
そ のま ま 卜 ︶チ 窯 であ る か どう か は尚 検 討 の余 地 があ る が 、大 正 か ら 昭
常 滑 は 、 平 安 末 期 以 来 大 型 製 品 の産 地 と し てと 。褒 等 の量 産 を 特 色 と
も 登 り 窯 は 十 五 基 あ り 他 に素 焼 窯 四 十 五 基 、 マ ッフ ル窯 四 基 が存 在 し た
大 正 三 年 の北 村 輌 一郎 博 士 に よ る 調 査 報 告 で は 、 組 合 調 とし て角 形 両
す る窯 業 地 であ った。 そ し て 明治 以 降 は 、 と り わ け 肉 厚 のし かも 規 格 化
こと が でき 、 明治 四 十 四 年 の調 査 で は 、 常 滑 に十 六基 の石炭 窯 が存 在 し
焚 の石炭 窯 十 四基 と 片 焚 の石炭 窯 六 十 四 基 、計 七 十 八 基 の石炭 窯 数 が報
さ れ た 土 管 を 量 産 す る こと が需 め ら れ た の であ る。 必 然 的 に窯 の構 造 も
の であ る。
じ ら れ て いる。 こ のう ち 六 十 四 基 あ った と さ れ る片 焚 の石炭 窯 に つ いて
大 型 製 品 に適 し た も のと な ら ざ る を 得 ず 、 焼 成 法 も 種 々考 案 さ れ て い っ
て いる の であ る。
は 、 いわ ゆ る ハイ カ ラ 窯 とし て の片 焚 石炭 窯 であ る のか どう か疑 問 が残
両 焚 倒 炎 式 角 型 石炭 窯 に つ いて みれ ば 煙 道 のあ り 方 にそ の配慮 を 窺 う
た の であ る。
炭 焼 成 によ る 平 地 窯 の中 で前 焚 窯 とし て類 別 さ れ る通 称 ト ッチ 窯 と いう
こ と が でき る。 こ の 種 の窯 で は 、 煙 道 は 主 煙 道 に 沿 って常 滑 で 、 ﹁め
る。 常 滑 に そ れ ほ ど の ハイ カラ 窯 があ った と いう 例 証 はな い。
一方 、 石
窯 があ る。 大 正 二年 沢 田四 郎 兵 衛 によ って考 案 さ れ た大 窯 と片 焚 石炭 窯
く ら 煙 道 ﹂ と 通 称 さ れ る 副 煙 道 が 設 置 さ れ て いる。 こ の倒 炎 式 の両 焚
パー の調 節 によ り 主 煙 道 への引 き を 弱 め 副煙 道 を 開 いて煙 突 と 反 対 側 へ
を 折 衷 し た よう な 構 造 を も つ窯 であ る。 大 正 三 年 の調 査 報 告 に は 、 こ の
昭和 六年 愛 知県 内 務 部 が刊 行 し た ﹁
常 滑 地 方 陶 製 品製 造 工業 調 査 ﹂ の
も 火 炎 を 引 き 窯 内 全 体 が均 一の雰 囲気 とな る よう にす る こと が ﹁めく ら
角 型 石 炭 窯 に不 可 欠 であ った ﹁め く ら 煙 道 ﹂ は 、 窯 内 の煙 突 と 反 対 側
中 に は 、 大 正 十 二 年 か ら 昭 和 四 年 ま で の常 滑 の窯 の種 類 別 窯 数 が拳 げ ら
煙 道 ﹂ の役 割 であ った。 焼 成 時 に お け る主 ・副 煙 道 のダ ンパー 操 作 は窯
ト ッチ 窯 の分 類 が 設 定 さ れ て お らず 明治 四 十 四 年 に 二十 二基 あ った鉄 砲
れ て いる。 そ こ で大 正 十 四 年 の 石炭 窯 を み る と 両焚 窯 六 十 二基 、 片 焚 窯
焚 職 人 の経 験 によ って支 え ら れ て お り 、 窯 焚 き 職 人 は 、 窯 体 の数 個 所 に
にあ る 空 間 に火 炎 が充 分 行 き 渡 ら な いと いう 欠 点 を 補 う た め のも の であ
百 三 十 基 の計 百 九 十 二基 が報 じ ら れ て お り 、 昭 和 四 年 に は 両 焚 窯 八 十 六
設 け ら れ た ﹁のぞ さ ﹂ 穴 よ り 窯 内 の火炎 の色 具 合 を 窺 い、 焚 き 口 への石
窯 が大 正 三 年 に は 七 基 に減 じ て いる こと か ら も 片 焚 石炭 窯 にト ッチ 窯 と
基 、 片 焚 窯 百五 十 九 基 の実 に 二 百 四 十 五 基 の 石炭 窯 が当 時 の常 滑 に存 在
炭 の投 入量 を 調 節 す る と とも に 、 先 の主 ・副煙 道 のダ ンパー 調 節 を 行 い
る。 主 煙 道 で は 火 炎 が どう し ても 煙 突 側 に片 寄 って引 か れ る た め 、 グ ン
し て いた の であ る。 ち な み に、 こ の報 告 に は前 焚 窯 の項 が設 定 さ れ て お
焼 成 作 業 を 進 め た の であ る。
ハイ カ ラ 窯 が含 ま れ て いた 可能 性 も 考 え ら れ る であ ろう 。
り 大 正 十 四 年 九 十 二 基 昭 和 四 年 九 十 八 基 が 示 さ れ て いる。 こ の前 焚 窯 が
-15-
し た の であ る が 、 こ つし た築 窯 材 の専 業 も 常 滑 に は か つてな か ったも の
も 手 を つけ て いる。 耐 火 煉 瓦 や ダ ン マと呼 ば れ る大 型 煉 瓦 の生 産 を 実 施
山本 三 一は 、 昭 和 八 年 頃 に ﹁日本 耐 熱 ﹂ を 興 こし 、築 窯 材 量 の生 産 に
職 人 の独 立 によ って補 修 作 業 や 改 造 を 行 った の であ る。
貌 し て い った の であ る。 延 命 し た 石炭 窯 は 、 か つて山 本 組 に属 し て いた
キ ル ンと いう 窯 詰 め 、 窯 出 し 作 業 の簡 便 な 窯 にな り 、 大 型 製 品 自 体 も 変
専 業 化 さ れ た業 者 で はな く 常 滑 の窯 屋 で量 の多 少 の差 はあ る が 自 給 さ れ
戸 期 に 入 って か ら の こと と 考 え ら れ る が 、 こ のグ シ マは昭 和 に至 る ま で
で築 か れ てき た と考 え ら れ る が 、 そ の初 現 は 明 ら か でな い。 お そ ら く 江
常 滑 の窯 は 、 五 寸角 一尺 長 の角 柱 状 を 呈 す る ダ ン マと呼 ば れ る築 窯 材
やロー ラ ー ハウ スキ ル ン ヘの道 は必 然 とな り 大 型 企 業 を 頂 点 とす る 現 代 産
と が でき る。 そ し て こ の スタ ー ト を 切 った こと によ り 今 日 のト ンネ ル窯
的 産 業 と し て の スタ ー ト を 切 った 個 別 化 現 象 の現 れ とし て位 置 付 け る こ
を 転 換 し 、 石炭 窯 によ る 個 別 経 営 の開 始 と歩 調 を 同 じ く す る こと で西 洋
綿 と続 いた ア ジ ア的 共 同 体 の組 体 で結 ば れ た集 団 によ る 窯 業 生 産 の構 造
常 滑 窯 業 史 に おけ る 山本 組 と いう 専 業 築 窯 業 者 の生 成 は 、 中 世 以 降 連
て いた の であ る。 昭 和 六 年 の愛 知 県 内 務 部 の調 査 では 、 昭 和 四 年 二 月 現
業 構 造 は 透 祝 さ れ て いた と 見 る こと が でき よ う 。
であ る。
在 で二 件 のダ ン マ製 造 業 者 が拳 げ ら れ て いる が 、 そ れ は素 地 の状 態 で売
採 取 さ れ る 駐 砂 を 粘 土 に混 入 し 耐 火度 を つけ て そ の材 料 と し て いた と い
グ ン マを 作 って いた と いわ れ る が 、 そ の上 が枯 渇 し て後 は 、常 滑 地 域 で
2番 ほ ど も あ る 上 があ り 、 そ れ を 用 いて良 質 の
は 、市 内 大 谷 地 区 にS K 3
体 に耐 火度 が低 く 耐 火 性 のあ る物 を 造 る の に向 いて いな い。 古 い時 期 に
し て頂 いた。 こ こに各 氏 の御 協 力 に対 し 感 謝 の意 を 表 す る次 第 であ る。
竹 内 正 一、水 野 平 吉 、 山 田勝 治 、 山 田陶 山 、 各 氏 よ り 貴 重 な 情 報 を 提 供
った も の であ る。 本 稿 を ま と め る にあ た って は 、 猪 針 真 吾 、 片 山 忠 義 、
滑 市 民 俗 資 料 館 学 芸 員 、中 野 晴 久 がま と め 、 そ の窯 業 史 的 位 置 付 け を 行
本 稿 は 、 山本 組 二代 目 と し て築 窯 業 に携 わ った 山本 国 夫 氏 の談 話 を 常
却 さ れ る も のと さ れ て お り 、未 製 品 の状 態 であ る。 知多 半 島 の土 は 、 全
う 。 これ ら の築 窯 材 で は 耐 久 性 に乏 し く 、 倒 炎 式 石炭 窯 のよう に火 房 風
周 辺 や煙 道 部 に集 中 し て高 温 部 の生 じ る 窯 の構 造 に は適 さ な いの であ る。
注1 明治四十五年鉄砲窯 の数は二十二基あり、昭和四年にこの窯なしとい
う記述が愛知県内務部 の報告にあるが、昭和十四年∼十六年頃北条 の
石炭 窯 の普 及 と 耐 火煉 瓦 の生 産 と は密 接 不 離 の状 態 にあ った と いえ よう 。
昭 和 二 十 年 代 末 か ら 常 滑 で は ト ンネ ル窯 が導 入 さ れ 、 さ ら に四 十 年 代
杉江庄右 工門の窯場に少数実在していたことが山田陶山氏 の記憶から
注3 ﹁
常滑陶器誌﹂瀧田典 一著 明治四十五年刊.
■4 注3に同じ。
卜
注2 昭和二十七年陶栄窯の大がかりな改修は山本組の手で行われたも ので
猪飼真吾氏談。
あるが、
その時でも窯仲間は人工としての役割を果たした。
確認できる。
以 後 の石炭 媒 煙 によ る 公 害 問 題 、 そ し て陶 器 に か わ る 代 替 製 品 の出 現 等
の要 素 が複 合 し 昭 和 五 十 年 代 に は 石炭 窯 は そ の命 脈 を 断 った と 見 倣 す こ
と が でき る。 山本 組 は 、 モ つし た産 業 構 造 の転 換 の中 で昭 和 四 十 六 年 に
開 散 と な った。 石炭 窯 は 、 そ の焚 き 口に重 油 バー ナ ー を 取 り つけ る こと
で延 命 し て い った が 、新 た に築 か れ る 窯 は 、 シ ャ ッタ ー ︵シ ャ ット ル ︶
-16-
1
を
6
一工学 時 十 北 村 如 一郎 窯 業 企 業 ﹂ 第 二 巻
昭和 四 年 刊 ャ
水 野平古氏 談 .
社 同 法 人 大 日本 窯 業 協 会 発 行
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式itll焚 角窯
「工 学博士北村爾一郎窯業全集 第二巻」よ り
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トッチ察 (Scale 1/20 unit mm)
ト ツ ナ 窯 図 (原 日・ガ
咀健氏)
「常 滑窯業
fiよ
」より
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石炭焼成倒坪1式 片焚角窯 (ハ ィヵラ窯
「工 学 陣士北村輛一 郎窯業全 集第二巻 Jよ り
)
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記
録
王上崩 御 ⋮⋮其 の他
米穀高 価 に つき ヽ
免 状 と御物成 ⋮⋮其 の他
五
免 状 と御物成 ⋮ ⋮其 の他
平 野 家 文書
六
江崎権 現関係 及御 払居 米 ⋮ ⋮等
台徳 院様 御手 紙 ⋮⋮其 の他
雑 記 ︵いろ いろ ︶
借 用 證文 及鰯網取 立 ⋮ ⋮等
入肌 及 一札 ⋮⋮等
七
冨本 家 文書
橋 掛替 に関す る諸文書
九
十
十 一
十二
昭 和 六 十 二 年 一月
二
三
中 村 家 文書
八
昭 和 六 十 二年 四 月
動
常滑 市 民 俗資 料 館 え の会古 文書 部会 解 読資料 集
三
ハ士 二年一
一
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此 高壱 石 六升 五合
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徳 米壱 石弐斗 四升 八 合
上 田四畝弐拾 七分 字替 口
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掟米壱 石弐斗
徳米 六斗壱 升 弐合
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此高壱 石壱十 三升 入合
提 米弐 石
徳 米壱 石九升
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此 高 三 石四十 弐升 九 合
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徳 米 五 石八 十 四 升 七 合
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徳 米 四 石弐 十 五升 え合
此高 四十 五升 八合
一、中 日三畝拾 六分
掟米 八十 四升
徳 米 四半 七升 四合
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此高壱 石九升 四合
掟米 三石壱 斗 五升
徳 米弐 石弐斗 七升 五合
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中 田壱 反壱 畝弐拾 分 字古 道
此高壱 石五斗 壱 升 六合
徳 米 七斗 入升 八合
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此 高 壱 石 六 升 六合
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掟 米 七斗 入 升
此 高 弐斗 入 升 三合
徳 米 五斗 五升 四合
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徳 米 三 石弐 十 五 升
掟 米 四 石弐 斗 五 升
一、 敷 地 四 斗 三 升 弐 合
此 徳 米 弐斗 五 升 九合
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掟 米 二 石八斗 七升
徳 米 弐 石壱 斗 八 升 弐 合
比 高 弐 石四斗 四升 五合
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一、 上 田壱 反 六 畝 九 分 一
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徳 米 三 石四升 四合
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一、 下 田壱 反五畝拾 尋 併 を
此高壱 石六十九升 七合
掟米 三 石
徳米壱 石六斗 四升 三合
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徳 米 三拾 石 六斗 七 升 入 合
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高 須賀 町
権 現町
十王町
上砂 子 町
下砂 子町
鍛冶 町
市場町
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新規 之作事 ハ不吋
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仕間敷 事
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海 、山 、川、
諸職 人職筋等 汁 □留 候儀
右 蔀 おろし商 売 、
今 日あ 五 日間急度 可相 慎事
右 之通 可相 心僻 候物 静 日限之儀 ハ重 市河相 鮒 候
l火之元 入念 昼夜猟 袖断
此節 之儀 候問別 ∫
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詮儀仕 、母速注 進 可神 候 、
恨 通 たぜ犯 いふ共
,
一夜 之宿者 勿 論 少時 も休 ま せ申 間舗 候
タト ヘ
村次 二而送り出 可神 事
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鉄砲打候者有之 候 ハヾ何方 ニテも 見合 次第 相 改
,
百性 共出合留 置庄屋 へ相 知 ら せ急度 詮儀 仕
早速注 進可 候腰欽 砲打不 候共鉄詭
神
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持 申も のに候 ハヾ右 之通相改 、
通 之も のた里 と いふ共
在 辺 に輛 ハ 一
夜セ 宿 ハ勿論 少時 も休 ま せ 不神
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村 次 に而送 り出 戸 申候事
吹矢 一切 ふか せ申 間敷 候 、
若吹 候者侑乾 候者
お 及考始 ´相 改早速 注進 河仕 事
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殺 生御免 之御札無 之者鳥 殺生 一切仕間舗候
若相背 も の市乾 候 ハヾ相 改注進 可仕 事
,
何鳥 二而も落鳥 ひろ い申 候者 不隠 置早速
殺生 仕 候共投な る様 仕間敷 事
-32-
緋れ
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立穆光評 注 ・
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一、き志 やく見合 候 ハヾ於 どし申 間敷 候、御運上御 札取
鳥殺 生仕節 若き志 やく 掛候 ハヾ不隠 置早速
成 程念 入大事 に仕 いけ鳥 にて早速指 上 可仲 事
︲
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白鳥其外不後 何鳥 ふ可王り之鳥夜 二市
一、鶴、
取申間敷候若於 のれと殺生道具掛候 ハヾ
不係置早速指上り可,
坤候御褒美戸誹下事
一、御鳥 見 たり と いふ共合 御札不特 も のに 一夜 の宿 も
︲
借申間敷 事
此書 付 之通従先 年 御法度
生 候 □□
仰
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株堅御法度 之旨急度 相 守 可峰 候、
若 相背者
有 之候 ハヾ同村 之も の ハ勿論他 村 之も のたり と いふ共
不隠 置早速 可申 出 候同類 たり と いふ共御褒 美
河避 卜候不 詮儀 仕 置御鳥 見井 御餌指 見出 候 ハヾ
仕儀 ハ勿論怪敷 外相 見 候 ハヾ庄屋 組 頭□早速
本人ハ不振仲其村之庄屋組頭不念之上小百性迫
可縮越度i付其村之内井其村之□□□殺生
相知 ら せ申 称 二小 百姓 共兼 而急度 珂弾 渡候
遺 聡驚早速 注進 可社 候右之 品 々見 のがし
︲
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仕隠置候者可続油事候
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右 之 趣 書 窮 所 持 仕 常 々堅 珂 湘 ● 者 也
元 隷 十 四年
己 四月
-33-
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御免成□□随分取申 ころし不神 様 二仕高配
十二郎所ドけ鳥 にて持参相屈候可申御褒美
租旨鳶鷹
戸避 卜候鳶鷹取申 二付猥成御礼不,
有乾 候 ハヾ早速 可神 粗 候
之外 何鳥 に ても取申 も の ︲
,
急 度 御褒美 戸 避 卜候此旨 小百性 共 二堅 河神 □候
見 のがし 二仕外 より相 知候 ハヾ其村 之 誤若庄屋
可烏 越度 事
不 自 分村 領 之内 二而取 可神
鳶鷹 取申儀 他村 へ 惨
,
,
可神 候 ハヾ存者
若他 村参 鳶鷹 数夕 取指 上 ゲ ,
有 之候 ハバ高 麗 十 二郎道 申達 可吊 端 図事
︲
鳶鷹 取申儀 御留 御 用池井 御 維持殺生 □□
指 上 ゲ可申 候事
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泣中 嘘 鼻 一
小鳥 御免 之御札無乾 も の ハ
雀、
雉 子、
勿論 御運上 御札取 候 共 一切取申問鋪 候事
-34-
不私 刑 鳥 巣 於 ろ し 申 儀 ハ勿 論 鳥 之 子 一切
と ら へ申 問 鋪 候 若 巣 於 ろ し 鳥 之 子 と ら へ候 者
措笑 療 ﹁そ 曇 建 理 事
とび、
からす之巣 ハ腱分於ろし衿可神候巣かけ
,
可仕事
不神様 二
させ 下
,
御連上 御札取殺 生 仕候共御札書 付 之□急 度
相守殺 生 可仕候他領 之も の組合 申 聞鋪 候
井 酉之諸 場之外 へ参 猥 二殺 生仕 間鋪 候事
御 餌指殺 生 仕候所 へ見物 二 一切出申 間敷 候殺 生 之
紛失 候共其 田面 ひか へ申村 とし て詮儀 仕本 人
道 具張 妃候者盗 候者急 度 可絋 判付候若
者 同類 たり と いふ共御褒 美
可沖出 候= 弾出 ・
可避 卜候若隠 置後 日 二相知其 田面 ひか へ申村 之
,
庄屋 組 頭小 百性 共可綿 地度 事
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-35-
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上歩 てド
御 用之御池 川 ハ勿論御 運上 二而相 渡 候池 川
にても常 々 ハ僣心之儀御 運上御 札取鳥
鳶 鷹取懸 り候共其 群 を仕舞 御 餌指殺 生
障 リ ニ成 不仲 所 二而取 可神 候事
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鷹 取申道 具 之儀 ハあ け者 ニ ハ糸 仕間敷 其外
何 道 具 に ても取 可神 事
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鷹 取申節 荏□ 鷹 ハ入交居 申候 ハヾ在 □鷹 追 立
からす 斗 取 可神 候若 お のれ と苺□ 轄 取申道 具
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か ゝり 候 ハヾあ やま ち不仕 候様 い多 し大事 ニ
相背 き候 ハバ急度 □□可被 候
以上
仕早速 高 肥 十二郎 方 へ指上 ゲ 可神 候事
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右 之趣堅不相 背 鳶濃 科柳 可神 候其 外 諸鳥 之儀 ︵
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前 々□□ 申 つけ候通弥 堅相守様成殺 生仕 間敷 候
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今 般 朝 鮮 人 帰 国 御 用 二付 鹿 四 疋
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粕 演 二仕 差 上 申 候 様 に と被 判 ・ ・︲
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右 之 鹿 知 多 郎 山 に∫
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候 得 共 手 二入 不神 候 征 来 朝 之 節 も 二 州 山家 二而
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月竹 御 間 二合 申 健 価 此 度 も 二 州 山家 二罷 越
仕 者 井 山 家 猟 師 共 へ引 合 壱 疋壱 両壱 分 ニ
烏竹 申 候 筈 二仕 三 州 岡 崎 町 二而 鹿 商 売
相極 手 付 金 五両 相 渡 し 候 然所 右 之鹿 御 用
相 止 申 候 二付 右 手 付 等 も 捨 申 候 間気 之 毒 仕 候
乃之 捧 願 上 候 ハ右 之 手 付 井 諸 事 造 用等 取 集
十
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金 子 入 両 程 入 申 候 何 と そ右 之 金 子 御 上 な
被 下 置 候 様 二奉 願 上 候 去 来 朝 候 節 入 用金 井
勢 子 人 足 代 等 大 分 之 儀 二候 得 共 此 義 ハ
是 尾 張 御 用 相 勤 申 候義 候 得 者 今 度 帰 国
奉 鞭 上 候 恐多 ハ
入 用 金 之 分 破 下 置 候 様 二 ・ 一
奉 桁 候 得 共 幾 重 も 御 勘 弁 被 載 ダ右 之 金 子
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被 置 候 者 難猜 仕 合 二 可捧 祐 候 以 上
耳
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七 月 二 日 知 多 郡 西 浦 五 十 八 ヶ村
惣 代 大 野村 庄 屋
郡 御 奉 行 所 平 野彦 右 衛 門
-37-
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源敬 公様 御代 b円覚 院様道 私先 祖 ち
御 目見仕来 申 候私親 代迪
円 覚院様 江御年礼 御城 江罷出申 候御上納 ハ
千師 五拾 枚 入折 二仕差 上 ケ申 候知多 御 順見之
御節烏 御吉例 御代 々様 御 一宿 被烏
其節 も親 私 共 々御 目見仕 白銀 五枚頂戴 仕候
御上国 之御節 ハ御道 筋 江罷出被成 申候此□□
私儀不相替 御 目見 仕様 二奉願 上 候以上
御宿 彦 右 ヱ門
享 保弐 年 酉二月 知多 郡大 野村
郡御奉 行所
-38-
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添書 證文之事
去卯 十 一月汗 借 仕候
至 元利
御屋敷 御 軍用金 千両也 限月 二
返上 仕 候 処猶 又此度 前 顕金 高弄 借奉願 上
御聞 済被成 下置候就 η 右金 子汗 借中 ハ
語も御 用奉願
去冬差 上 候本 證文何 ヶ年 一
上 候左 加 判之者急 度 御 引請 申上 候間返上之
證文例 而如件
節^
正金 を以無 相違 上納 可仕候烏其 添
吉 田五郎右衛 門⑪
同 断
日 比 弥 丘︵衛⑪
引請 人
平 野彦 右衛 門⑩
明治 元年辰 十 一月 借 ヽ
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成瀬 竹 之助様
御 勝手 方
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正金 千 両 也
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付弄 借仕 候処
御屋 舗御 軍用金 私要 用 二
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一月 十 日限 元利 共急 度 返納 可仕候其 内差
地所 別帳 之通差 入申 候返上之儀 ^
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掛御 入用之節 本
御 沙汰次第 元利 共速 二
返
上 可仕 候右 ハ
付如 何様 之
御大 切之御金 筋 二
御触等有 之候 共不抱其 儀 二
急度 返上 可仕
バ加判 之者 江地所
候 万 一違 変等 出来 候 ^
引請金 子を以 限月 必上納 可取斗 候烏 後 日
證文差 上申 処如件
但本 文金 子限月 切元利 返上仕猶 又汗 借
パ此 證文何
奉願 上御聞 済被成 下置候 ハ
ヶ年 而茂 御 用奉願 上 候
知多 郡大 野村
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親 類 地主 引請
明治 元年辰 十 二月
吉 田 林 左 衛 門⑪
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平 野 助 〓一郎①
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幸 左 衛 門◎
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衛⑪
二 郎 兵 衛①
右村 庄屋 代 組頭
前書 之通 相違無 御座 候若違変有 之加 判之
地所 受 .引請
者 而不行 届次第 出来 候節 ︵
金 子を 以無 退滞上納 可取斗 候 旦私 共交代
仕候節ィ後 役之者 .申継珈 不都合 之儀無
之様 烏取 斗可申 候依奥 印 仕候以上
御勝手方
成瀬 竹之 助様
同 加 判
同郡大 野村
吉 田五郎 右 衛 門◎
同 加 判
同郡馬場村
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旧前 山村 より帳簿調査□□ □
明治 六年 四月 消 印 ③
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成 之年大 野村御物成 目録
米 百 三拾 四 石三斗 六升 三合 大 野本 田新 田共
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内 排方
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取 拾 七 石壱 斗 四升 六合 高 二
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一、 高 拾 三 石 六 斗 六升 三 合 同 所 新 田
付 弐 ツ三 分 取
取 三 石壱 斗 四升 三合 高 二
取 米 合 百 三 拾 四 石 三 斗 六升 三合
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右 之 分 相 極 候 間 庄 屋 百姓 立 合 以 来
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正 保 二 年 改霜 月 八 日
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子之年御物成勘定 目録
取 米 百 四拾 入 石 三 斗 三 升 武 合 本 米
米 凶 石 四 斗 五 升 口米
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米 四十 九 升 餅 米 二而 入
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米 三 升 三 合 小 豆 四升 四 合 但 七 合 五勺 替
米 壱 升 三 合 式 勺 □参 弐 升 武 合 但 六合 替
米 壱 升 六 合 武 勺 稗 五 升 四合 但 三 合 替
米 八合 五 尺 大委 壱 升 七合 但 五合 か へ
米 四 升 八 合 六勺 小 委 八 升 壱 合 但 六合 か へ
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米 四 拾 九 石 四斗 五 升 小 判 式 拾 壱 両 武 分 岳但 武 石 三 斗 替
米 六 拾 石 七 斗 五 升 小 判 式 拾 七 両 而但 武 石式 斗 五 升 誉
米 四 拾 石 六 斗 式 升 七合 六勺
小 判 拾 入 両 ︲鉄 三 匁 七 分 四 厘 稀
但 武 石武 斗 五 升 替 両 替 六拾 五匁 八 分
梯 〆百 五 拾 式 石 七 斗 八 升 式 合
米 壱 升 三 合 七勺 此 銀 四 分 而納 米 納 七 合 物
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寅之 年御物成勘 定 目録
取米 百 四拾 七 石 六斗 武 合 大 野村
米 四 石 四 斗 武 升 八合 口米
内 紳方
二 口米 百 五 拾 式 石 三 升
米 壱 石武 斗 五 升 小 委 式 石 五 斗 代 但 五 合 か へ
米 七 斗 入 合 餅 米 二て渡 ル
大奏 五升 四合 代 但 五合 か へ
米壱 升 九合 五勺 □ □ 参 三升 九合 代 但 五合 か へ
米 四升 壱 合 六勺 小 豆 六升 四合 代 但 六合 五 勺 か へ
米 式 升 七合
米 五合 栗 壱 升 之 代 但 五 合 か ヘ
米 三 升 六 合 六勺 稗 壱 斗 武 升 武 合 代 但 三 合 か へ
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米 七拾 石 五 斗 三 升 七 合 五 勺
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τ石 三 十 五 升
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此 金 五拾 七 爾 三 分銀 三 匁 七 分 八 厘
米 七拾 八 石 四 升 壱 合 四勺 未 進
両 誉 六拾 五 匁
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梯 〆百 五 拾 武 石 三 升
米 納 三 石四 斗 五升 壱 合 壱勺
此 似 壱 匁 壱 分 七 厘 但値 段 両 替 右 同噺
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右 是 者 寅 之 年 御 物 成 之 内 如 此 度 々に
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高 三 百 式 拾 六 石壱 斗 ■ 合 大 野 村
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高 拾 三 石 六 斗 六升 三 今 同 所 新 田
高 拾 九 石 七 斗 二升 八 合 同 所 午 新 団
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壬十月 十八日 本多典左衛門
大野村 庄屋百姓中
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常滑市 民俗資料館
研究 紀 要 皿
昭 和 六十 二年 二月 二 十 一日
編集 騨 紳 絲 梁 静 粂 ヂ 魏
ヨ
九
一
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発行 常 滑 市 教 育 委 員 会
起 社
印刷 有限各社 印 刷 の 皿︵