常滑 市 民 俗 資 料 館 研 究 紀 要 Ⅲ 一九 八八 常 滑 市 教 育 委 員会 ︱︱ ︲ ︲ ︱ 常滑 市 民 俗 資 料 館 研 究 要 紀 Ⅲ 一九 八八 常滑市教育委員会 は じめ に 常 滑 市 の伝統 的 基 幹 産 業 であ る窯業 は、幾 多 の先 人達 の手 によ っ て支 えら れ今 日そ の雄姿 を 私 たち の眼前 に見 せ てく れ て います。 平 安時 代 の末 期 に、 こ の地 にも た ら さ れ た焼 き 物 生産 の技 術 が、 そ の 窯 の焔 を 絶 やす ことな く 一千 年 近 く の時 を 経 て、な おそ の隆盛 な生 命 力 を保 ち続 け て いる こと に私 た ち市 民 は誇 り を持 つこと が でき ま す。 そし て同時 に悠 久 の時 の流 れ の中 で常 滑 に生 き た先 人達 が ど の よう な 舵 を と ってき た のか と いう こと にも無 関 心 では いら れま せん。 今 日 みる近 代産 業 へと脱 皮 し た常 滑 窯業 の雄姿 は、 け し て自 然 のな り ゆ き とし て到来 し たも のではな く 、時 代 の移 り変 り の中 で必 死 に そ の伝統 の継 承 と発展 を希 求 し た 人 々の労 苦 の結 晶 であ った と信 じ て疑 わな いと ころ であ り ます。 単 に製 品 、技 術 の移 り変 り を 辿 る のみ でな く 、 そ れ ぞ れ の時 代 に お いて、 そ れ ぞ れ の社会 の要 求 に応 え て いく た め に、 いかな る状況 下 で人 々が動 いてき た のか と いう 過 去 の姿 を 知 る こと は、 とり も な お さず 現代 に生 き る私 たち の未 来 の 一端 を 自 ら 照 ら し 出 し てく れ る のではな いか と考 えます 。 当 館 の研究 紀要 も こ こに第 二号 の刊行 を みる に いたり ま し た が、 これも 常 日頃 よ り 当 民俗 資料 館 の諸活 動 に対 し ま し て借 し みな い御 指 導 、御協 力 を いた だ いており ます 各 位 のお蔭 と存 じ こ こに心 より 御 礼 申 し 上 げ る次 第 でござ います 。 常 滑市 教 育 委 員会 教 育 長 職務 代 理者 森 定 之 日 次 常滑 におけ る軸軸技 術 の展 開 に ついて 山 田陶 山 ︶⋮⋮ 1 ︵ 瓶仲 買衆 ﹂に つ いて 一、近世末 期 の常 滑 におけ る﹁ 中 野晴 久 ︶⋮⋮ 4 ︵ 瓶仲買関連資料 、 滑 一一 代 の 集 窯 業 に つ い て 近 常 中 野晴久 ︶⋮⋮ 4 ︵ 1 0 ⋮・ ・ 常 滑市 民俗 資 料館 古 文書 部会 解読 資料集 ・ 2 ﹁ 常滑 における軸輯技術 の展開 に ついて﹂ 常滑市 民俗資料館友 の会顧問 山 田 陶 山 製 陶技術 は極 め て多 岐広汎 にわ たります が其 の造 形技 術 の根幹 とも 云 査 によ って確認されております が中古 に廃絶し てから主 とし て ヨリ コづく ロク ロと云う も のは陶業 地 の生 ま れな り の手法 によ って大形 の器物を製造 し てき た土地 で漸く 江戸中期 に至 って う べき は ロク ロ技法 であ ります。 ら 子供 でも 一応 知 っております が又専 門 の陶 工 でも 十分 よく わ か ってお 又 ロク ロを使 用す るよう にな った のです から ロク ロ技法 によ る製 陶 の歴 りま せん。 工芸 は工程 が複雑 です から細 かく 分業化 さ れ て いて例 えば 口 史 は ごく新 し いこと であ ります。 私 は元来 ロク ロエの家筋 に生れた二人で ク ロエ、絵 付け 工、焼成 工、彫刻師 と云う よう に分担作業 によ って仕事 す が若 い頃 に大 阪 に居住 し て いて昭和 十五年 の春 に大 阪市 の朝 日会館 で を進 め ております。 比 れ は ほとん ど常 識的 とも 云う べく漆 芸な ぞ でも 同 催 され た出 土品、 およ び伝 世 品 によ る文化財展 で近 江 の大津 の旧都 の遺 じ こと であ ります。 も っとも卓抜 し た技 巧家 で各 種 の工程 に通 じ た名 人 跡 から出 土し た数 点 の厨 房 用 品を みて其 の ロク ロ技術 の美 事 さ に驚き ま とも 云う べき 人物 も古来 稀 れ には有 ります が此 れは例 外 であ ります。 し た。 これ等 は いわゆ る須恵器 でおそらく大 陸 から来 た帰化 人 の手 にな わ が国 の陶業 の展開 の跡を ふり かえ って見 る と縄 文 、弥 生 の上器 の時 るも のと思 われます が其 の技術 のし っかりし て いる事 と、 そ の時 代 の古 支 那陶 磁 源 代 を経 て五世紀 の半 ば頃 に百済 から種 々の工人ら と共 に陶 工が来 て、 い さな ど思 い呆 れ るば かり でし た。 其 の後 、中 尾万 三博士 の ﹁ わゆ る須恵器 の製造 技 術を 伝 え たと云わ れ ております。 この事 は 日本書 流 図考 ﹂を精読 し た と ころ が同博 士 は文献 を 引 いて ロク ロの発 明は極 め 紀 にも記 載 さ れ ております が近年 の考古 学的 研究 によ る編年 とも大 体合 て古 く 明確 でな いが周 の頃 には、す でに使 用 され て いた ことは確 実 であ 致す る由 であ り ます。 須恵器 は在来 の土師器 とは全 く製 法 を 異 にし ロク る、 とし ておら れまし た。 然 る に新 中国 にな ってから古 代 文化 の調査 、 口を使 って造 形し窯 に いれ て焼成 し ており其 の材質 も か たく焼 けし ま っ 研究 は長 足 の進歩 を とげ 、近年 の発掘 によ って出 土し た新 石器時 代 の黒 て吸 水 性もなく堅牢 で耐久力 があ る ので盛 ん に製 造 し て需要 地 へ供 給す 陶 にす でに明ら か に ロク ロを使 用し て製作 し た大作 品 があ って私自身 も /驚 き るよう にな り、此 処 に中 世 におけ る産 業 とし て の陶 業 が成 り立 ってく る 確 認す る機会 を え て中国 の文 明 の偉大 な ことや古 代 人 の英知 に唯 / のであ ります。 常 滑 の古 窯も これ等 の技術 系統 を伝 え るも ので有 る こと 嘆息す る ばかり でし た。 殷 から周 にわ た って陶業技術 はます ます 進歩 し は疑 いを いれざる処で直接的には百済 の陶業 技術 を伝 え たも のと私 は考 え たよう で灰釉 を施 こし た美 事 な大器も出 土し ております が是 れ等 は大 体 ョリ コづくり工法 で造形し てから ロク ロによ って形を整えてあ るよう です。 ております。 常 滑陶器 誌﹂ の著者 は古 い時 代 に常 滑 で使 用さ れ て いた ロク ロは蹴 常 滑 は古 代 には ロク ロを使 って仕事 をし て いた こと が出 土 品や発掘 調 ﹁ -1- ロク ロであ ったよう に考 證し ておら れる が現在使われて いるも のは手廻し 一般 に蹴 ロク ロは多 く は朝 鮮 系 の技術 を伝 え た窯場 で行 な ロク ロです。 も 明記 し てあ ります。 号 玉斎 ︶ 常 滑 では 一つ抑 き によ る大器 の造 形 に ついて、水 川茂 右衛 門 ︵ を採掘しポ騨精操して供給する専業 の上屋 があ り脱 側 により搬 送し て常 滑 原料 の粘 土 は明治時 代 以来 、小 鈴 谷村 坂井 、上野間 地区 で良 質 の田土 が先 鞭 を つけ て研究 に努 めたよう です が次 いで山 田陶 山、富 沢勝次郎 が 地 の ロク ロエ の先 駆者 とさ れ て います が短 期 間 に相当 に技術 も普 及し た の瀬木 の河 回の岸壁 に接岸 し て陸揚 げし ており、此 処 から各 業者 が手車 わ れ、手廻し ロク ロは中 国系 の製 陶 地 で使 用 され て いるよう に云 われ て 尾張名 所 図会﹄第 六巻 に掲載 され て いる挿 絵 の﹁ よう で﹃ 常 滑陶 造 の図文名 で自家 工場 へ引き取 って いまし た。 別 に成岩 町板 山地区 にも製 土業者 が 登場 し て明治中 期 に いたり大作 語 の造 形技法 を完 成 し まし た。 此 の間 、 古屋 の画家 、野村 玉澳筆 ︶を みると海辺 の仕事 場 で老 人 と若 い者 の二人 あ り、 これ は板 山 土 と称し て いまし た が牛車 、ま たは馬車 を使 って直 接 おります。 現在使 用 され て いる ロク ロは何時 ごろ何 人 によ って使 い初 め の陶 工 が ロク ロに対 し て急 須 らしき 品を作 って いる処 が描 いてあ ります。 各製 陶業者 の許 へ搬 入し て いた ので有 ります。 山 田、富 沢等 は滋賀 県信楽 や其 の他 の窯業 地 へ視察旅 行 をし て各 地 の技 す でに天保 の初 年頃 には ロク ロによ る茶器製 造 も 、 かな り盛 ん に行な わ ここで旧時 の大器製 作 に際 し て行 な わ れ て いた装 置を簡 単 に説 明し て ら れ たか、 又如 何な る径路 を へて伝 え られ た のか更 に明ら か でな いので ロク ロ仕事 も 当初 のころは専 ら小 品ば れ て いた事 は明ら か であ ります。 し かり でし たが時 代 の要求 もあ って離次 大形 の品も作製 せら れ て来 まし た。 ロク ロを適当 な位 置 に据 え つけ、台座 は地中 に埋 め て おき ます。 先ず 、 法 を も参 考 に資し たよう であ ります。 この三名 の業 績 に ついては、昭和 大作品 には自ず から小品とは異な った技術上 の制約 があ り因難 が伴 います。 堅 国 に固定 し 、上 カガ ミ ︵ロク ロ上部 の円板 ︶ の周囲を 三 セ ンチ 程ず つ す が、何 れ にし ろ常 滑 でも 江戸中 期 以後 ロク ロを使 用し で茶 器 や花器 な 大形 の古陶器を みると何処 の産 地 の製 品 でも殆 んど ヨリ コづくり です。 又 の間隔 にあ け て厚 い板を 張り つめ て作業 台を つく り陶 工は其 の上 に座 っ 十 五年 の秋 、皇 紀 二千 六百年 の祝典 に際 し常 滑陶器 工業 組合 から表 彰 を は更 に ロク ロにかけ て形を修 整し てあ る のが常套手法 であります。 これ で ロク ロの脚部 には、 ハバキ と称す る添木 て ロク ロに対 し て作業 し ます。 ど趣味的 な 品 々を つく り始 めまし た。 元来 原 料 の粘 上 が粘 初性 、可塑 性 は手 間 がかかりす ぎ る ので ロク ロで 一度 に挽 きあ げ て造 形す る ことを考 を 八枚打ち そえ て、此 処 に綱 を かけ て、滑車 二個を適宜 に配 置し 、︵ 滑車 う け て招待 さ れ、 旦 つ記 念 品を贈与 さ れまし た。 当時 玉斎 は九 十歳 の板 え てく る のは当然 です が、大物 には 一個あ たり にも相 当量 の粘 上 が必要 は水平 に据 え付 け て其 の溝 に綱を とおす ︶補 助 工は ロク ロの前 方 に座 っ に富 ん で いると云う 利 点もあ って技術も飛 躍的 に進歩 し て名 工と称 えら ロク ロを 回転 さ せる にも手廻 し や蹴 ロク ロでは到底 でき る こ です から、 て綱 を左前 方 へ引 いて ロク ロを 回転 さ せる、綱 は ベ ルト と同 じ性能 の働 令 であ ったが目 に涙 をう か べて喜 んだ由 であ ります。 と でな い。 これ は中 国 でも ロク ロエ に付 随し た補 助 工 が いて ロク ロを 回 きをし て、緩急 は補 助 工 の心意 にし た が って自由 自在 であ ります。 此 の れ るよう な 人物 も続 々輩 出 し てき まし た。 稲葉高道 や伊奈 長 三な どが当 転 さ せ て二人 コンビで仕事 をし て いるよう で先 達有 識者 の視察報 告書 に -2- 、 方法 は信楽 そ の他 の陶業 地 でも行 な わ れ て いた様 です が 常 滑 では此 の も に粗製 の植 木 鉢 の製造 に使 用さ れ て来 ま し たが高 級品 はす べて手挽 き 、 極 め て能率 的な ので明治 の頃 から常 滑 でも 一部業者 の間 に導 入され お 、 電 動力 の導 入、電 動力 によ って ロク ロを 回転 さ せ 其 の ロク ロの上 で 、 石一 膏型を使 用し て造 形す る工法 を機 械 ロク ロ成 形法 と称し て います が ク ロエと補 助 工 の二人 コンビでなく ては出来 な か った のですc 便宜 の方法 で納 め て来 る のです が其 の全体量 は かな り の体積 とな ります。 面 から、 ま た 一方成 岩 板 山地区 からも専業 の上屋 の手 によ って其 れぞ れ 、 から相当量 の粘 上を必要 とし ます。 これは前述 のよう に坂井 上 野間方 品物 です し、主 とし て職 人 や弟 子 たち数名 が毎 日従事 し て いる こと です 精製 し ておりまし た。 商 品 の方 は火鉢 、柾 木 外 、花 瓶な ど殆 どが大 形 の も 必要量 は ごく住 かず つです が土 の調製法 も 面倒 です ので総 べて白家 で 丈泥 のほかにも鳥 泥 、梨皮 泥 、綜 泥な ど多 様夕 彩 にわ たりまし た。 何 れ 殊 な分野 に属 し主 とし て中国 宜 興窯 の研究を基 盤 とし て煎茶器 な どを製 、 、 、 作 し て いた のです から素 材 とし て のネ土も特殊 なも ので 朱 泥 白泥 粘土 ︶ の工法 によ って作 られ ておりまし た。 大 形 の品を つく る には邦 土 ︵ 絶対 に必要 な原材 料 です が何 分 にも嵩張 る のと堅くな る と使 えなくな る 云 って大 手な 労働力 でし た。 つま り大器製作 は ロ 補助 工を ﹁ 制繰 り﹂ ル・ 土踏 み板 ﹂ と云 って凡 そ六尺角 ほど の頑丈 も 沢山必要 です が、 これ は ﹁ ります。 地上部 分も 出 入り 口を 一方 だけあ け て三方 面を城壁 のよう に頑 、 ダ ン マで構築 し て補 強し、底 面 は煉 瓦を敷 き つめ て セメ ント 塗装し てあ 長 さ 六尺 ほど の面積 を 地下 へ約 五 尺く ら い掘 り下げ 、 土室 ﹂ へ収納 し ておりまし た。 この装 置 は凡 そ巾 四尺 ので私方 では ﹁ 、四周を築 窯材 料 の な特 大 の機板 の上 で入力 で足 で踏 みかえし て良 く練 って いまし た。 踏練 さ れた粘 土 は土 切り鎌を使 って約 四貰 目程ず つのサイ コロ状 に切りわけ 土室 に積 み込ん でおき ます。 是 れは古く から中国 の景徳 鎮 でも行な わ れ 、 て いて大変 よ い方法 な のです が、や が て私方 でも効率 的 でな い とし て 真 空 土練機 を採 用しま し た。 で大 田氏 も非常 な熱意 をも って努 力 をし て下 さ ったよう です。 身 大な 困 依頼 し て緩急変 速 ロク ロを 工夫し まし た。 当 地 では初 め て の試 みです の 造 の場合 の ロク ロを回転 さ せよう と考 え て当時 の常 滑 町 の大 田鉄 工所 に る業者 以外 は不 必要 です からあ まり他家 では見掛けな か った様 に思 われ は大事な 設備 の 一つです が小 細 工業者 の中 でも特 に原料を分 量 に使 用す 土室 ﹂ だ蒲 の 一種 ︶を被 せてお いて必要 に応 じ て取 り出し て使 用します。﹁ 上部 へは ﹁ア ンペラス南方 地域特産 の多 年生草本 、 ア ンペラ の茎 で編 ん 丈 に集 き上 げ てあ ります。 原料 の粘 土は此 処 に高く積 み込 ん で貯 蔵し 難 と分 少 の ロスもあ った様 でし た が兎 に角成功 し て好調 でし たから忽 ち 以 上 ます。 山 田陶 山 は大 正 の初 め頃 に いたり 入力 にかえ て機 械 力 によ って大器製 3年 2月 稿 ︶ S6 一般 業者 に普 及し た のであ ります。 ︵ 原料 郭上 の調製 と貯蔵 ﹂ 補遺 ﹁ 山 田陶 山方 では明治中 期 いら い個 人作家 とし て の作 陶 と 一般商 品 の製 造 とを並行 し て行な って来 た のです が、美 術 とし て の仕事 はき わ め て特 -3- かめ なか が い し つ 、近世末期 の常滑 における﹁ 瓶仲買衆,﹂に ついて 一 久 常滑市民俗資料館学芸員 中, 野 晴中 、 く が主要産 品 であ った ことは動 かし難 い事 実 であ る。 そし て、 常 滑焼 の流通史 にお いて いゎゅ る問屋 尚 な流通業 が成 立し 商 品流通 ´は褒 ゃ壺 、 ﹁ 椙﹂ と いう 語 をあ てたと考 え た い。 従 って ﹁ 瓶﹂ 、 を担う よう にな る のは近代 以降 の こと であ り そ れ以前 にあ っては そ そ の主 要産 品を 称し て 、 を 、と によ って シ ンボ ル化し た総 れぞ れ の窯屋 が自 ら船 を持 ち生産 品を流 通 さ せ て いたと従来考 えら れ て とは 常 滑 の江戸期 におけ る焼 き物 姿 。 ﹁ き た。 し かし 、昭和 六十 二年 に刊行 さ れ た陶 栄株式会 社 の社史 陶栄 百 称 と みられ る のであ る れ 瓶 買関係 の古 文書 は、六通あ り 弘 た 仲 年 の回想 ﹂編纂 事業 の中 でそ の資 料 収柴 にあ たら れ た関 一雄氏 の手 によ 瓶屋幸 助 の事 務所 から検出 さ 、 、 、 四 ︵ 八 五 一︶、安 政六年 ︵一八五九 ︶ り 一群 の古 文書 が検出 さ れ る に及 び これま で の定 見 は大 きく修 正さ れ 化 三年 ︵一人四 六 ︶ 嘉 永 年 一 一 死治 元年 ︵一八 六四 ︶、 明治 二年 ︵一八 六九 ︶と いず れも 十九 世紀後半 ざ るを得 な い運 びとな った のであ った , 祇仲 も のであ る。 ﹁祇仲買 連中 ﹂ と か ﹁ 明治 十九年 と いう き わ め て早 い時 期 に株 式会 社制 を とり入 れた陶栄社 の幕 末 から 明清初 期 にかけ て の 貝御衆中 ﹂あ る いは ﹁瓶仲 買 年行 司﹂ と いう 名 称 が記 さ れ て いる のみで は、 それ以前 に組織 さ れ て いた陶栄 組を 母胎 とし て陶器商 と船船 連漕 業 中 ﹁ 、 行 司とし てそ の名 を み せる龍 助 を も って創業 し た のであ る が 先 の古 文書 は陶栄社 の筆 頭休 主 で本 社 営 当事 の人名 とし ては ヶ条書 之事 ﹂ の年 ゃ希 晰 、 。 額 田県物産 分会 社 へ鑑札 を願 い 脳屋 業 所 とし て自 ら の店 舗を提 供し た ﹁ ﹂ こと関幸 助 の事 務所 よ り と弥 七 のみ であ る し かし 明治 五年 に 私 共儀是 迄当所産焼 物 諸 品売 買職業 仕来 候﹂ と主 張し てお 出 た十名 は ﹁ 検出 さ れ たも のであ った。 、 ﹁ いも のと考 え られ る。 これ 瓶屋辛 助 の事 務所 から発見 さ れ た近 世古 文書 の中 には 陶栄 組 の前身 り 江戸末 期 の 瓶伸買衆 ﹂ の構成 員 と大差 な 、 、 を 出 し組 織体 を 維持 であ ったと想定 しう る ﹁祇仲 買衆中 ﹂ や ﹁祇仲 買御連中 ﹂ に宛 てて出 さ ら の瓶仲 買 は そ の同業者 で仲 間を作 り 年行 司 選 の他 の接 衝 にあ た ったも のと考 え れ たも のがあ り、 この ﹁瓶仲 買 ﹂ が近世 の常 滑地方 の卸流通業者 であ っ す る ととも に生産者 と の価格協 定 や そ 鑑 札御願 事 ﹂ でみる かぎ り十 人中 九 人ま でが ら れる のであ る が、先 の ﹁ た可能 性 は極 め て高 いと考 えられ る のであ る。 紀 の仲買商 人を意 味す る。 中 北条村 の住 人 であ る こと に注 目 さ せられ る のであ る。 ﹁ 買 と いう 名 称 は、字句通 り ﹁ 瓶 伸 ﹂ ﹂ 、 明治 六年 に北条港 船御 改 っ 、 世後半 の生 町時 代 以降 、常滑 は碗 皿と いった小型食器類 の生産を放棄 唯 一瀬木 村 から加 わ て いる鯉 江佐平 治 は 、 で いた ことが知 られ る人 し 、熱 、こ 、鉢 と いう中 大型製 品 の産 地 と化し て い った のであ るが と 所 へ冨吉丸 の鑑札 を願 い出 ており流 通業 を 首 ん ﹁ 竃 間 改名前 集 ﹂ の中 に登場 し て い 、 り わけ大 型 の姿 を特 徴 とす る に至 って いる。 そし て 近 世 の常滑 にお い 物 であ る が慶 応 二年 の世木 村 の 惣 仲 -4- し て の窯 屋 と 近 い人物 であ った こと を 窺 いし め るも の であ る。 鯉 江 佐 平 、 佐 平 次 一と の関 係 があ る いは 同 一人 であ る 可 能 性 も 高 く 生 産 者 と る ﹁ いた こと に注 目す る必要 があ ろう。 て いた にも か かわ らず 北条 村 が先 述 の如 く 一歩進 んだ産 業体制 を築 いて 百十 二人、常 滑村 二千 百 二十人 と常 滑村 の社会 資本 の大き さ は他 を 圧し 瓶仲 買衆 は窯屋 よ り仕 入 れた焼 き物 を消費 地 へ供給す る傍 ら帰路 にお 方 斉 ︶や常 滑 村 の松 本 久 右 衛 門 は白 治 でな く ても瀬 木 村 の鯉 江 伊 二 郎 一 分 の手 船 を も った り 、 常 滑 焼 の官一 伝 文書 を 印 刷 し た り と そ の流 通 面 も 内 いて焼 き物 の焼成 に必要 な松材 や松葉等 の燃料を 三河、伊勢 、熊 野あ た 渥美 郡赤 羽町あ たり の村 では海岸 に植 え た松 は防 風林 と いう よりも 、む に含 ん で いた た め常 滑 の却 業 の成 立 は 近 代 以 後 の こと と いう 見 解 が出 さ 常 滑 村 や瀬 木 村 と異 な り 瓶仲 買 が集 中 す る北 条 村 は 、 生 産 者 側 の惣 窯 し ろ常 滑焼 の燃料 とし て商 品的 に栽 培 し て いた と いう 伝承もあ ったそう り で買 入 れ常滑港 へ帰 ると いう 燃料商 の役割 も 担 って いたよう であ る。 連 中 と流 通 業 者 側 の瓶 仲 買 連 中 に分 業 す る 体 制 が 遅 く と も 江 戸 末 期 に は であ る。 れ たも のと推 測 さ れ る のであ る。 成 立 し て いる の であ る。 流 通 部 門 が生 産 部 門 か ら独 立す る と いう こ の現 常 滑 陶 器 誌 ﹂ の拳 尾 張 狗 行 記 ﹂ の記 述 と 照 合 し て み ても ﹁ べ て いる。 ﹁ ︵ 十 一基 ︶と推 移 し 、瀬 木 、奥 条 は 元 禄 七 年 の当 事 と大 差 な か ろう と述 入 基 ︶天 保 年 間 五 立 半 十 基 ︶天 明 年 間 四 立 ︵ 後 北 条 村 は享 保 年 間 五 立 ︵ 八 基 ︶瀬 木 村 一立 ︵二基 ︶奥 条 村 一立 ︵二基 ︶ であ る とし 、 そ の 四立 ︵ 誌 ﹂ で は、 庄 屋 か ら 代 官 所 への窯 改 め の旧 出 を も と に元 禄 七 年 に北 条 村 常 滑陶器 北 条 村 の圧 倒 的 な 優 位 性 が認 め ら れ る。 明治 四 十 五 年 刊 行 の ﹁ 、 細 二 人 五 人 、 常 滑 村 が半 立 ︵一基 ︶入 人 持 とあ り そ の窯 の数 だけ でも 九 基 ︶生 産 者 九 〇 戸 瀬 木 村 が 一立 ︵二基 、先 年 は 四 基 あ った と さ れ る ︶ 窯 尾 張 狗 行 記 ﹂ によ れ ば 北 条 村 は竃 が 四 立 半 ︵ 文 政 年 間 に記 さ れ た ﹁ 出 さ れたも のと推 測 さ れる北条村 庄屋 、清 水庄 蔵よ り御船 手 役所 に宛 て 艘 と四十 石入 の不 知波船 一般 の二般 が記 さ れ ており 、 おそ らく 同じ頃 に 年の ﹁ 知多 郡瀬木 村御 役銀 附船数覚 ﹂ では 二百 石入 と三百 石入 の廻船 二 、 にみる常 滑村 の船 数 は、 四百 石から 二百九 十 石ま で の不 知波船 八般 瀬 取船 一般 、渡 海船 二般 の十 六艘 があげ られ て いる。 これ に対し 、慶応 三 子冬大 小船 御 役銀御 役料 共御上納帳﹂ ら れる。 これ に対し 、元治 元年 の ﹁ も含 ま れ ており海連業 とし て の比較材 料 とす る には 一考 を要す ると考 え 同じよう に船 数も 圧倒的 であ る。 し かし 、 この中 には漁師 の用 いた漁船 滑村 九 〇 とあ る。 常 滑村 は人 口、 石高 とも他 の二村 より大 き か った のと 江戸廻船 以外 の役銀 を 課 せられ た船 数 は北条村 二十 四、瀬 木村 十 二、常 ﹁ 常 滑 市誌 ﹂ ︵二六 二頁 ︶によ れば 、寛 政 二年 ︵一七九 〇 ︶ の資料 で げ て いる窯 数 は ほ ぼ間 違 いな いも のと考 え ら れ る。 そ し て、 二 つし た生 た役銀 の免 除願 には、三 百九 十 石入 と 二百八十 石入 の廻船 二般 、六十九 象 の背 景 を さぐ る た め に は生 産 のあ り方 を 見 る必 要 があ ろう 。 産 面 に おけ る北 条 村 の優 位 性 が 瓶 仲 買 の背 景 にあ った こと は見 逃 し え な 誌 に ひく中 村家 文書 の数 や絢行記 に いう 不 知波船 五 十艘 ほどと いう 数 か 石入 の不 知波 一般 の三艘 が記 され て いる。 北条 村 の船数 に つ いては、市 ま た 近 世 後 期 の二 村 の石高 は 北 条 村 が 四 百 七 十 二 石、 瀬 木 村 が 五 百 三 ら みて上記 の数 より数倍す るも のであ った と考 えら れる が常 滑村 以上 の いと ころ であ る。 十 四 石 、 常 滑 村 が九 百 六 十 六 石 、 人 口は北 条 村 九 百 三 十 六 人 、瀬 木 村 五 -5- 海 運 力 があ った と は考 え ら れな い。 以 上 のよう な 資 料 か ら 考 え る と北 条 村 は 、 当 時 の常 滑 地 域 三 ケ村 中 で 最 も 焼 き 物 と 深 く 結 び つき 生 産 か ら 流 通 に いた る ま でけ し て豊 か な 資 力 を 持 つ ことも な く 専 業 化 に近 づ いて い った 経 緯 を 窺 い知 る こと が でき よ う 。 そ し て ﹁祇 仲 買 衆 ﹂ の存 在 も そう し た 地 理 的 、 歴 史 的 背 景 の中 で把 握 さ れ る べき も の であ る。 ま た ﹁祇 仲 買 衆 ﹂ の実 態 に つ いて は 、 ま だ ま だ多 く の疑 間 が残 さ れ て いる。 そ のう ち の 一つが船 の所 有 と船 頭 と の関 係 であ る。 明治 期 の陶 栄 社 で第 二伊 勢 丸 の船 顕 を 勤 め た 文 二郎 は 単 に航 海 だけ でな く 、 仲 買 の仕 事 も 行 って お り古 い時 代 の船 頚 を 偲 ば せ る 人 物 であ る が 、 そう し た船 顕 と 瓶 仲 買 と の関 係 に は いま だ 判 然 とし な い点 が多 く 残 さ れ て いる。 更 に 清 水 庄 蔵 の願 出 に お け る 二艘 の廻 船 は清 水 庄 蔵 の持 船 であ り 不 知 波 船 は 弥 七 の持 船 であ る。 弥 七 は 、 瓶 仲 買 衆 の中 にそ の名 の見 え る亀 岡弥 七 で あ る が浦 水 庄 蔵 は 瓶仲 買 で はな く 森 窯 、 森 新 窯 を 所 有 す る庄 屋 であ り 生 産 者 側 の人 物 であ るc 従 って こ の廻 船 と 運 消 業 の在 り方 さ ら に 瓶仲 買 衆 と の関 係 な ど は ま だ残 さ れ た 課 題 であ る と いえ よ う c 注1 ﹁ 九七五 窯業民俗資料調査報告2 ︵ 常滑市 ︶﹂愛知県教育委員会 一 注2 ﹁ 陶栄百年の回恕﹂陶栄株式会社 一 九人七 注3 鯉江俊三氏の御教示に従えば、佑平治は鯉江方救 の弟である. 注4 林英夫先生より御教示を受けた‘ -6- 瓶仲 買 関 連 資 料 名 すた す ヵ千 H 雅 % 反/ ゎド Kみ な と T 1∂フ み六狛 ぃ ″ と みて俸巻サ竺ゲ 7顎 f ケ粂洋 之l 一、屯 方 先 かし の事 一、仲 問今 之 敷 巴 匿 致す 事 一、 同 は小 物 不 上 分 質 入之 事 一、 何 二よ らす 一統極 メ之 事 ノ物 ハ仲 問 合 之雑 用無 故 障 可 右 之条 相 心 得 致 し 出 一問背 元ム 伸元年 子 四月 相 極 弥七 純助 年行 司 致者 也 外 二小 売 相 場 一制 上 之 事 惣仲 間中 -7- o un ゛ _ _ 企立写浄奪︱ 舞 , ち ト が 塚 蛹々 想 作に おれみ 球2 r い 亀 一札 差 上 中 候 御 事 今 股 不 都 合 筋 を 仕 候 恐 入申 候 早 速 御願 申 d .候 魔 御 聞 済 可 済 可被 下 候 段 誠 以難 有 仕合 二奉 存 候 勿 論 己 来 ハ 畑件 北 条 村 淑 木 村 右 両村 へ 一切 立寄 中 間敬 候 為 後 日 一札 依 多屋村 状化 三 年 和 士口⑪ ︵左 御 門 ⑪ 雨人 一 午 六月 一 瓶 御仲 賀 衆 中 様 -8- 汚勢ヽ 霧 ,勇 蓼 ゼ ♂ ケ看箸ダ 解 歩 脅う″及杉塚﹁ 乾 >争 オ モД メ ゲ§ 施逸噸後海で盈 私 揚 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正月 明治 二年 瓶仲 買迪 中 古 術 術 電 七 郎 ‖〕 問 "″ ″ ″ ① 〃 ″ -11- 四審 湖i安 J求 善 九 夕口 仲 舛嘲 鑑札御願事 今 般 御 布 令 趣 承 知奉 畏 候 私 共儀 是 迄 当 所 産 焼 物 語 品売 買 職 奉御願 上 候以上 業 仕来 候附 御 鑑 札 政 較 仕度 同 滝 田金 左 衛 門 知多 郡北 条 村 水 野 龍 助 同 渡 辺錦 右 街 門 同 亀 岡 弥 七 同 松 下孫 右 衛 門 同 同 関 幸 助 同 関 宋 助 同 渡 辺 九郎 兵 衛 明治 五 同 渡 辺 新 丘︵衛 鯉 江佐半治 中 十月 瀬 木 村 物 産 分会 社 額 田県 -12- 一ゑ 介掛 な 好 分 が な 々 今チう判乾客珀修孝参盆 地場ダ寄ぢ 井々η竹4r彦わ・ と b 勿 吃 ちL ・ 吟り 入 † イ氏 頻 偽旅 加え今今た ″ 〃 ″ 〃 〃 〃 〃 〃⑪ 縁 N 好 保計 丼 上 中 候 一札 之 事 私 し 今 般 不 都 合 筋 を 以仕 候 段 恐 入中 候 早 速 御 願 申 上 候 処御 聞 済 可被 成 下 段 誠 二雛 有 仕 今 二本 存 候 勿 論 己 来 二共 御 村 瓶類 小 物 類 等 も無 沙 汰 二 一切 手 指 中 間敷 候 為 後 日依 耐如 件 同 伝 兵 衛 北 条 村 同 羽右 衛 門 同村 詰 人 曽 オ 衛 門 未 二月 磯 古 巳 安 政 六 一 剛山村 瓶仲 買 御 連中 御連中 窒︵ 焼 -13- 銹 一ル ︼ ︼ ︵ け 膵 ﹁お に 湛︾ 為イ ′ ギ 渉仔 れ 佐掟争 ? ワゆ ″≒ 状 育持 盗秩 十疱ね ル1 急︼ H ゴヤ ヽ ← ″ と多π 分わ ′ u崎 株 甘 ぃ . 立郎♂予1 乏評と輩 ⑪ ⑪ ① ⑪ 、近代常 滑 の築窯 業 に ついて 一一 こと であ る。 そ し て、 そ れ 以 後 も 山本 組 と いう 築 窯 業 者 が昭 和 四 十 六 年 常 滑 窯 業 史 の中 で築 窯 業 が専 業 化 さ れ た のは 、 大 正 期 に入 って か ら の 窯 に関す る知識 をも った窯 築 に窯仲 間 が協 力 し て行な わ れ た も のと推 測 本 組創 業 以前 の築 窯 に ついて詳細 は伝 わ って いな いが これら の少数 の築 わら窯屋 の要請 に従 って仕事 をす ると いう 非 専業的 な職業 であ った。 山 ︱︱ 山本国 夫 氏 の談話を中 心 にし て ︱︱ ﹀山本 組 の の解 散 に至 る ま で常 滑 の窯 の大 半 を 手 がけ てき た の であ った︵ しう る。 共 働 の繁 が り を 切 って独 立 し た窯 屋 が生 成 さ れ た と いう こと は 、 そ れ に も 可能 であ る こと 、 構 造 的 にも 複 雑 な 要 素 を 分 く 含 ん で いる。 共 同 体 的 平 地 式 石炭 窯 は 、 連 房 式 登 窯 に比 べ て小 規 模 でそ の経 営 が 一戸 単 位 で る。 そ し て平 地 式 石炭 窯 の登 場 こそ 、 そ の最 大 の要 因 だ った と いえ よう 。 窯 屋 の共 同 体 的 労 働 を 超 越 す る 要 因 が 必 要 であ った と考 え ら れ る の であ 従 って常 滑 で築 窯 業 が専 業 集 団 の手 に担 わ れ る よう にな る背 景 に は 、 活 動 は 、 常 滑 地 区 に限 らず 大 正 期 か ら 昭 和 前 期 に かけ て九 州 、 四 国 、 関 西 、 関 東 、 北 海 道 と国 内 各 地 に拡 が り 、 さ ら に は朝 鮮 半 島 ま で主 とし て 土管 焼 成 用 の石炭 窯 を 築 窯 し て いる の であ る。 山本 組 は 、 毬 時 に お いて十 五 人 程 の窯 築 職 人 によ って構 成 さ れ て いた が 、 こう し た専 業 集 団 の成 立 の背 景 に は 、平 地 式 の石炭 焼 成 によ る単 窯 の普 及 と いう 産 業 史 上 の画 期 があ ったc 常 滑 焼 の窯 の変 遷 は 、 平 安 末 期 に始 ま る律 禦 か ら室 町 期 に大 窯 へと移 衷 式 ︵石炭 ・薪 の併 用 ︶ の連 房 式 登 窯 と な って常 滑 の窯 の中 心 的 存 在 と 的 に違 一 房式 登 窯 が導 入 さ れ 、 これ が 明 治 後 半 期 に焼 成 室 が改 良 さ れ て折 そ の命 脈 を 保 って いる。 一方 、 江 戸 末 期 の天保 年 間 よ り 真 焼 物 生 産 を 目 常 滑 では 既 に 明 治 十 六 年 工部 省 大 技 長 の宇 都 宮 二 郎 の指 導 で実 施 さ れ て 内 に炎 の流 れ を も た らす も の であ る。 こ の種 の倒 炎 式 石炭 窯 の試 み は 、 と し て の石炭 窯 は 倒 炎 式 構 造 で煙 道 を 介 し て煙 突 によ り 火 贈 を 引 いて窯 大 窯 、 登 り 窯 の いず れ も が傾 斜 地 に築 造 さ れ て いた のに対 し 、 平 地 窯 伴 な い窯 の築 窯 件 数 も 必 然 的 に増 化 し た の であ る。 な った の であ る。 折 衷 式 の連 一 房式 登 窯 は 、 昭 和 四 十 九 年 の陶 栄 窯 の棟 業 いる。 宇 都 宮 は 、 セ メ ント 業 や 酒 造 業 、 化 学 工業 等 々広 範 な 分 野 で西洋 行 し 、 こ の型 式 の窯 は鉄 砲 窯 と いう 名 で大 正 期 頃 ま で残 り素 焼 窯 とし て 停 止 ま で続 いた の であ る が 、 そ の排 業 は 、 地 縁 的 紐 帯 で結 ば れ た窯 仲 間 技 術 の 日本 への導 入 の路 を 開 拓 し 、 近 代 産 業 を 育 成 し た 人 物 であ る。 常 考 え ら れ る。 し か し 、宇 都 宮 の指 導 を 受 け て行 った鯉 江方 寿 、 満 水 守 衛 と いう 共 同 体 によ って運 営 さ れ て お り 、 そ の形 態 は大 窯 に お いても 同 様 山 本 組 の創 業 者 、 山本 三 一は 、農 家 の長 男 に生 ま れ長 じ て窯 築 技 術 を の試 み は良 好 な 結 果 を 得 る こと が でき ず 失 敗 に終 わ った。 そ し て次 に こ 滑 で の石炭 焼 成 によ る倒 炎 式 の平 地 単 窯 も 西 洋 にそ の原 型 を も つも のと 習 得 し 山本 組 を 結 成 し た の であ る が 、 彼 が大 正初 年 に山 本 組 を 起 こす 以 の計 画 を 着 手 す る のは 、 明治 二 十 二 年 に至 って か ら であ る。 陶 器 同 業 組 であ ったt 前 の常 滑 に は数 人 の窯 築 職 人 が いた だ け で、 そ の窯 築 職 人 も 農 業 のか た -14- 、 っ 。 炭 窯 を築 き 試 験 を 実 式 ⋮ iし た の でん た こ の計 画 は 良 好 な 成 績 を 得 る の指 導 を 受 け つ つ常 滑 陶 器 学 校 長 の横 井 惣 太 郎 の設 計 によ り 倒 炎 式 の石 大 型 製 品 生 産 計 画 を そ の事 業 に組 み 入 れ 、 森 村 組 の技 師 、 飛 鳥 井 孝 太 郎 合 の前 身 の半 則 組 合 は 、 こ の年 、 平 地 式 の石炭 焼 成 単 窯 によ る 上 管 等 の 業 を 確 立 し て い った の であ る。 尚 、 付 言 す れ ば 昭 和 四 年 の段 階 に お いて た こと は 明際 であ り 山本 組 は 、 二 つし た時 流 に来 じ て常 滑 の専 業 的 集 窯 和 に か け て の常 滑 陶 業 界 は 、 か つてな いほ ど の集 窯 ラ ッシ ュの中 にあ っ そ のま ま 卜 ︶チ 窯 であ る か どう か は尚 検 討 の余 地 があ る が 、大 正 か ら 昭 常 滑 は 、 平 安 末 期 以 来 大 型 製 品 の産 地 と し てと 。褒 等 の量 産 を 特 色 と も 登 り 窯 は 十 五 基 あ り 他 に素 焼 窯 四 十 五 基 、 マ ッフ ル窯 四 基 が存 在 し た 大 正 三 年 の北 村 輌 一郎 博 士 に よ る 調 査 報 告 で は 、 組 合 調 とし て角 形 両 す る窯 業 地 であ った。 そ し て 明治 以 降 は 、 と り わ け 肉 厚 のし かも 規 格 化 こと が でき 、 明治 四 十 四 年 の調 査 で は 、 常 滑 に十 六基 の石炭 窯 が存 在 し 焚 の石炭 窯 十 四基 と 片 焚 の石炭 窯 六 十 四 基 、計 七 十 八 基 の石炭 窯 数 が報 さ れ た 土 管 を 量 産 す る こと が需 め ら れ た の であ る。 必 然 的 に窯 の構 造 も の であ る。 じ ら れ て いる。 こ のう ち 六 十 四 基 あ った と さ れ る片 焚 の石炭 窯 に つ いて 大 型 製 品 に適 し た も のと な ら ざ る を 得 ず 、 焼 成 法 も 種 々考 案 さ れ て い っ て いる の であ る。 は 、 いわ ゆ る ハイ カ ラ 窯 とし て の片 焚 石炭 窯 であ る のか どう か疑 問 が残 両 焚 倒 炎 式 角 型 石炭 窯 に つ いて みれ ば 煙 道 のあ り 方 にそ の配慮 を 窺 う た の であ る。 炭 焼 成 によ る 平 地 窯 の中 で前 焚 窯 とし て類 別 さ れ る通 称 ト ッチ 窯 と いう こ と が でき る。 こ の 種 の窯 で は 、 煙 道 は 主 煙 道 に 沿 って常 滑 で 、 ﹁め る。 常 滑 に そ れ ほ ど の ハイ カラ 窯 があ った と いう 例 証 はな い。 一方 、 石 窯 があ る。 大 正 二年 沢 田四 郎 兵 衛 によ って考 案 さ れ た大 窯 と片 焚 石炭 窯 く ら 煙 道 ﹂ と 通 称 さ れ る 副 煙 道 が 設 置 さ れ て いる。 こ の倒 炎 式 の両 焚 パー の調 節 によ り 主 煙 道 への引 き を 弱 め 副煙 道 を 開 いて煙 突 と 反 対 側 へ を 折 衷 し た よう な 構 造 を も つ窯 であ る。 大 正 三 年 の調 査 報 告 に は 、 こ の 昭和 六年 愛 知県 内 務 部 が刊 行 し た ﹁ 常 滑 地 方 陶 製 品製 造 工業 調 査 ﹂ の も 火 炎 を 引 き 窯 内 全 体 が均 一の雰 囲気 とな る よう にす る こと が ﹁めく ら 角 型 石 炭 窯 に不 可 欠 であ った ﹁め く ら 煙 道 ﹂ は 、 窯 内 の煙 突 と 反 対 側 中 に は 、 大 正 十 二 年 か ら 昭 和 四 年 ま で の常 滑 の窯 の種 類 別 窯 数 が拳 げ ら 煙 道 ﹂ の役 割 であ った。 焼 成 時 に お け る主 ・副 煙 道 のダ ンパー 操 作 は窯 ト ッチ 窯 の分 類 が 設 定 さ れ て お らず 明治 四 十 四 年 に 二十 二基 あ った鉄 砲 れ て いる。 そ こ で大 正 十 四 年 の 石炭 窯 を み る と 両焚 窯 六 十 二基 、 片 焚 窯 焚 職 人 の経 験 によ って支 え ら れ て お り 、 窯 焚 き 職 人 は 、 窯 体 の数 個 所 に にあ る 空 間 に火 炎 が充 分 行 き 渡 ら な いと いう 欠 点 を 補 う た め のも の であ 百 三 十 基 の計 百 九 十 二基 が報 じ ら れ て お り 、 昭 和 四 年 に は 両 焚 窯 八 十 六 設 け ら れ た ﹁のぞ さ ﹂ 穴 よ り 窯 内 の火炎 の色 具 合 を 窺 い、 焚 き 口 への石 窯 が大 正 三 年 に は 七 基 に減 じ て いる こと か ら も 片 焚 石炭 窯 にト ッチ 窯 と 基 、 片 焚 窯 百五 十 九 基 の実 に 二 百 四 十 五 基 の 石炭 窯 が当 時 の常 滑 に存 在 炭 の投 入量 を 調 節 す る と とも に 、 先 の主 ・副煙 道 のダ ンパー 調 節 を 行 い る。 主 煙 道 で は 火 炎 が どう し ても 煙 突 側 に片 寄 って引 か れ る た め 、 グ ン し て いた の であ る。 ち な み に、 こ の報 告 に は前 焚 窯 の項 が設 定 さ れ て お 焼 成 作 業 を 進 め た の であ る。 ハイ カ ラ 窯 が含 ま れ て いた 可能 性 も 考 え ら れ る であ ろう 。 り 大 正 十 四 年 九 十 二 基 昭 和 四 年 九 十 八 基 が 示 さ れ て いる。 こ の前 焚 窯 が -15- し た の であ る が 、 こ つし た築 窯 材 の専 業 も 常 滑 に は か つてな か ったも の も 手 を つけ て いる。 耐 火 煉 瓦 や ダ ン マと呼 ば れ る大 型 煉 瓦 の生 産 を 実 施 山本 三 一は 、 昭 和 八 年 頃 に ﹁日本 耐 熱 ﹂ を 興 こし 、築 窯 材 量 の生 産 に 職 人 の独 立 によ って補 修 作 業 や 改 造 を 行 った の であ る。 貌 し て い った の であ る。 延 命 し た 石炭 窯 は 、 か つて山 本 組 に属 し て いた キ ル ンと いう 窯 詰 め 、 窯 出 し 作 業 の簡 便 な 窯 にな り 、 大 型 製 品 自 体 も 変 専 業 化 さ れ た業 者 で はな く 常 滑 の窯 屋 で量 の多 少 の差 はあ る が 自 給 さ れ 戸 期 に 入 って か ら の こと と 考 え ら れ る が 、 こ のグ シ マは昭 和 に至 る ま で で築 か れ てき た と考 え ら れ る が 、 そ の初 現 は 明 ら か でな い。 お そ ら く 江 常 滑 の窯 は 、 五 寸角 一尺 長 の角 柱 状 を 呈 す る ダ ン マと呼 ば れ る築 窯 材 やロー ラ ー ハウ スキ ル ン ヘの道 は必 然 とな り 大 型 企 業 を 頂 点 とす る 現 代 産 と が でき る。 そ し て こ の スタ ー ト を 切 った こと によ り 今 日 のト ンネ ル窯 的 産 業 と し て の スタ ー ト を 切 った 個 別 化 現 象 の現 れ とし て位 置 付 け る こ を 転 換 し 、 石炭 窯 によ る 個 別 経 営 の開 始 と歩 調 を 同 じ く す る こと で西 洋 綿 と続 いた ア ジ ア的 共 同 体 の組 体 で結 ば れ た集 団 によ る 窯 業 生 産 の構 造 常 滑 窯 業 史 に おけ る 山本 組 と いう 専 業 築 窯 業 者 の生 成 は 、 中 世 以 降 連 て いた の であ る。 昭 和 六 年 の愛 知 県 内 務 部 の調 査 では 、 昭 和 四 年 二 月 現 業 構 造 は 透 祝 さ れ て いた と 見 る こと が でき よ う 。 であ る。 在 で二 件 のダ ン マ製 造 業 者 が拳 げ ら れ て いる が 、 そ れ は素 地 の状 態 で売 採 取 さ れ る 駐 砂 を 粘 土 に混 入 し 耐 火度 を つけ て そ の材 料 と し て いた と い グ ン マを 作 って いた と いわ れ る が 、 そ の上 が枯 渇 し て後 は 、常 滑 地 域 で 2番 ほ ど も あ る 上 があ り 、 そ れ を 用 いて良 質 の は 、市 内 大 谷 地 区 にS K 3 体 に耐 火度 が低 く 耐 火 性 のあ る物 を 造 る の に向 いて いな い。 古 い時 期 に し て頂 いた。 こ こに各 氏 の御 協 力 に対 し 感 謝 の意 を 表 す る次 第 であ る。 竹 内 正 一、水 野 平 吉 、 山 田勝 治 、 山 田陶 山 、 各 氏 よ り 貴 重 な 情 報 を 提 供 った も の であ る。 本 稿 を ま と め る にあ た って は 、 猪 針 真 吾 、 片 山 忠 義 、 滑 市 民 俗 資 料 館 学 芸 員 、中 野 晴 久 がま と め 、 そ の窯 業 史 的 位 置 付 け を 行 本 稿 は 、 山本 組 二代 目 と し て築 窯 業 に携 わ った 山本 国 夫 氏 の談 話 を 常 却 さ れ る も のと さ れ て お り 、未 製 品 の状 態 であ る。 知多 半 島 の土 は 、 全 う 。 これ ら の築 窯 材 で は 耐 久 性 に乏 し く 、 倒 炎 式 石炭 窯 のよう に火 房 風 周 辺 や煙 道 部 に集 中 し て高 温 部 の生 じ る 窯 の構 造 に は適 さ な いの であ る。 注1 明治四十五年鉄砲窯 の数は二十二基あり、昭和四年にこの窯なしとい う記述が愛知県内務部 の報告にあるが、昭和十四年∼十六年頃北条 の 石炭 窯 の普 及 と 耐 火煉 瓦 の生 産 と は密 接 不 離 の状 態 にあ った と いえ よう 。 昭 和 二 十 年 代 末 か ら 常 滑 で は ト ンネ ル窯 が導 入 さ れ 、 さ ら に四 十 年 代 杉江庄右 工門の窯場に少数実在していたことが山田陶山氏 の記憶から 注3 ﹁ 常滑陶器誌﹂瀧田典 一著 明治四十五年刊. ■4 注3に同じ。 卜 注2 昭和二十七年陶栄窯の大がかりな改修は山本組の手で行われたも ので 猪飼真吾氏談。 あるが、 その時でも窯仲間は人工としての役割を果たした。 確認できる。 以 後 の石炭 媒 煙 によ る 公 害 問 題 、 そ し て陶 器 に か わ る 代 替 製 品 の出 現 等 の要 素 が複 合 し 昭 和 五 十 年 代 に は 石炭 窯 は そ の命 脈 を 断 った と 見 倣 す こ と が でき る。 山本 組 は 、 モ つし た産 業 構 造 の転 換 の中 で昭 和 四 十 六 年 に 開 散 と な った。 石炭 窯 は 、 そ の焚 き 口に重 油 バー ナ ー を 取 り つけ る こと で延 命 し て い った が 、新 た に築 か れ る 窯 は 、 シ ャ ッタ ー ︵シ ャ ット ル ︶ -16- 1 を 6 一工学 時 十 北 村 如 一郎 窯 業 企 業 ﹂ 第 二 巻 昭和 四 年 刊 ャ 水 野平古氏 談 . 社 同 法 人 大 日本 窯 業 協 会 発 行 -17- □ ︱ E 8 8 B D 8 D ]日 DE DttB888088日 ロ ロ 日 8 8 B D 8 8 日 日 8 □ □ 8 □ □ 8 ロ 日 ロ 田甲申 田 8 8 8 B L 面 旧 I ロ D 8 日 巴 日 8 8 ︲ 8 B E 口 8 B □ 8 □ 日 ぼ ド 卍 4 8︰ Ы D 日 0 D 000□ ︱ 8 8 ︲ 8 ロ 8 8 E m m 面 而 ︸山 山 曲 雨 ロ D 8 □ 日 D □ 8 日 D ︲ μ B 研 ロ 日 □ 日 旧 拍 h 属 Pa 日 ロ ロ ロ ロ 8 B 0 d8888888巳 88BD808888 0 B 日 6 ロ D 8 0 剛 叩 側 岬 呻 B D B B 0 0 B D 日 D □ D B D 8 B8088□ 8880880 000000000日 E ED8808800日 B 808DE00BD□ D 881188880B□ 0 BD0080088DD 0088800DaB B8888D日 ] DB808880日 D 08巳 BIB80008888日 d B]8080BDB]D日 8 81D80088日 8888 HllllllIIIII 7「 け tち と 成側ヤイ 式itll焚 角窯 「工 学博士北村爾一郎窯業全集 第二巻」よ り -18- トッチ察 (Scale 1/20 unit mm) ト ツ ナ 窯 図 (原 日・ガ 咀健氏) 「常 滑窯業 fiよ 」より 800000 0□ 80880080 8008t19 8110800 80080808 000 080tlし 888888011 8811800 880000 O I1 0□ [ 00880 88 11Dll ll□ D811 00800 石炭焼成倒坪1式 片焚角窯 (ハ ィヵラ窯 「工 学 陣士北村輛一 郎窯業全 集第二巻 Jよ り ) -19- 活 汗,男 岩 間 楽 村 間 本 渡 渡 河 II岡 サ 田 田 瀬 山 田 瀬 田 辺 辺 合 副 勝 千 や 千 謙 夫 清 代 工 平 美 御 治 仁 す 鶴 吉 新 鈴 村 高 山 i睾 増 日 片 伊 八 田 松 田 田 田 比 山 奈 正 久 雄 春 多 義 一 子 子 勇 子 く 川 買 不 同 美 :::iお ` 村 美 明 良 i夫 記 録 王上崩 御 ⋮⋮其 の他 米穀高 価 に つき ヽ 免 状 と御物成 ⋮⋮其 の他 五 免 状 と御物成 ⋮ ⋮其 の他 平 野 家 文書 六 江崎権 現関係 及御 払居 米 ⋮ ⋮等 台徳 院様 御手 紙 ⋮⋮其 の他 雑 記 ︵いろ いろ ︶ 借 用 證文 及鰯網取 立 ⋮ ⋮等 入肌 及 一札 ⋮⋮等 七 冨本 家 文書 橋 掛替 に関す る諸文書 九 十 十 一 十二 昭 和 六 十 二 年 一月 二 三 中 村 家 文書 八 昭 和 六 十 二年 四 月 動 常滑 市 民 俗資 料 館 え の会古 文書 部会 解 読資料 集 三 ハ士 二年一 一 百 迪 年四月∼エ ハ士 一 解 読 参 加 者 昭和一 郁 静 新 ■ 浜 滓 久 平 三 -20- 井 山 北 2 ” と pユ槃み領子︱ 掌 え発 一よ 口 と鋏寿r t 猛 働 一 室 か畑 嵐 p 曝絋ぶ笠I︲ 専絡″ 矮井 いム p ナ 後 無 , 4″ 殿定乾荘オ歩 ﹂ 笠τ雅4 汗 借 金 引 当 勉所 之覚 上 国三 畝 弐拾 四 分 字 大 曽 此高 五斗 七升 提 米 七十 五 升 徳 米 弐 斗 九 升 四合 上 田七 畝 三 分 字 栞 田 此 高壱 石 六升 五合 提 米 弐 石壱 半 徳 米壱 石弐斗 四升 八 合 上 田四畝弐拾 七分 字替 口 比高 七斗 三升 六合 掟米壱 石弐斗 徳米 六斗壱 升 弐合 上 田七畝拾 人 分 宇 釜 渕 此高壱 石壱十 三升 入合 提 米弐 石 徳 米壱 石九升 -21- ︼ かとみ 蜂 Δ 次弐 拾 四 分 一 山 之脇 流 之 内 一、 上 田 弐 度 弐 ︱ ︱ , 此 高 三 石四十 弐升 九 合 掟 米 入 石工十 九 升 徳 米 五 石八 十 四 升 七 合 -22- と p事 貧 衛 診 旱 ︱ 南 田 次 十九 分 一 十西 坊 田 一、 下 田 弐 反 弐 ︱ ︱ 此 高 弐 石i斗 弐 升 六合 ク│ 皮毎審孫純堵 捗れ ムカな也擁■妨 IL 掟 米 三 石三十 弐 升 11: 徳 米 壱 石三斗 1協 F¶ 此高 弐十九升 八合 TIヽ ‐ 」 j‐ 下 田 弐 畝 廿壱 分 札 米 七十 五 升 '(拾 三 徳 米 五十 七 升 弐合 │‐ 専 滲惰 け 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候池 川 にても常 々 ハ僣心之儀御 運上御 札取鳥 鳶 鷹取懸 り候共其 群 を仕舞 御 餌指殺 生 障 リ ニ成 不仲 所 二而取 可神 候事 ︲ , ′ 鷹 取申道 具 之儀 ハあ け者 ニ ハ糸 仕間敷 其外 何 道 具 に ても取 可神 事 , 鷹 取申節 荏□ 鷹 ハ入交居 申候 ハヾ在 □鷹 追 立 からす 斗 取 可神 候若 お のれ と苺□ 轄 取申道 具 ・ か ゝり 候 ハヾあ やま ち不仕 候様 い多 し大事 ニ 相背 き候 ハバ急度 □□可被 候 以上 仕早速 高 肥 十二郎 方 へ指上 ゲ 可神 候事 ︲ 右 之趣堅不相 背 鳶濃 科柳 可神 候其 外 諸鳥 之儀 ︵ ︲ ・ 前 々□□ 申 つけ候通弥 堅相守様成殺 生仕 間敷 候 寅 七月 -36- ζ ::1琴 4 ′ 峰 = 子 ti. ,・ 卜 til■ ゆ 奉駆上候御事 占那 ・ 今 般 朝 鮮 人 帰 国 御 用 二付 鹿 四 疋 付 奉後 候 尤 粕 演 二仕 差 上 申 候 様 に と被 判 ・ ・︲ l ハ是 迪 色 々と仕 候 而 烏竹 右 之 鹿 知 多 郎 山 に∫ f l 一 候 得 共 手 二入 不神 候 征 来 朝 之 節 も 二 州 山家 二而 ︲ 月竹 御 間 二合 申 健 価 此 度 も 二 州 山家 二罷 越 仕 者 井 山 家 猟 師 共 へ引 合 壱 疋壱 両壱 分 ニ 烏竹 申 候 筈 二仕 三 州 岡 崎 町 二而 鹿 商 売 相極 手 付 金 五両 相 渡 し 候 然所 右 之鹿 御 用 相 止 申 候 二付 右 手 付 等 も 捨 申 候 間気 之 毒 仕 候 乃之 捧 願 上 候 ハ右 之 手 付 井 諸 事 造 用等 取 集 十 ︲ 金 子 入 両 程 入 申 候 何 と そ右 之 金 子 御 上 な 被 下 置 候 様 二奉 願 上 候 去 来 朝 候 節 入 用金 井 勢 子 人 足 代 等 大 分 之 儀 二候 得 共 此 義 ハ 是 尾 張 御 用 相 勤 申 候義 候 得 者 今 度 帰 国 奉 鞭 上 候 恐多 ハ 入 用 金 之 分 破 下 置 候 様 二 ・ 一 奉 桁 候 得 共 幾 重 も 御 勘 弁 被 載 ダ右 之 金 子 ︲ ・ 被 置 候 者 難猜 仕 合 二 可捧 祐 候 以 上 耳 ・ 下 , ・ 一 七 月 二 日 知 多 郡 西 浦 五 十 八 ヶ村 惣 代 大 野村 庄 屋 郡 御 奉 行 所 平 野彦 右 衛 門 -37- 覚 源敬 公様 御代 b円覚 院様道 私先 祖 ち 御 目見仕来 申 候私親 代迪 円 覚院様 江御年礼 御城 江罷出申 候御上納 ハ 千師 五拾 枚 入折 二仕差 上 ケ申 候知多 御 順見之 御節烏 御吉例 御代 々様 御 一宿 被烏 其節 も親 私 共 々御 目見仕 白銀 五枚頂戴 仕候 御上国 之御節 ハ御道 筋 江罷出被成 申候此□□ 私儀不相替 御 目見 仕様 二奉願 上 候以上 御宿 彦 右 ヱ門 享 保弐 年 酉二月 知多 郡大 野村 郡御奉 行所 -38- 妙も 薙 Fぞ 去 な 飾 餅 糊 釉 霧僻ゑ 、 ︹ 加 T 搾 武 ﹃ 申 聡 口 理 歴 ] 湧 〆 脚 魂 “ 一 は 私 孵 状 % ] り 稜 霧 乙 Q 廃 孫 疹, 然 Й 奪 後 めぐA解瞼イ Й 々滋 均 粽 わ勢粧通塘 持暇夕空 み珠 寺 鯵次多をf銘解 亀チ狗物〃が斧愛畑灯砕甘とみ7盈生7左∬ハ たで 粋瑳 奪尋姦 尋 裟 修 る や 渚 β′ み 狩4 一 2お始映湧 牛 鯨 丞 蓬解ヒ鰯 舟秘蓄 市 添書 證文之事 去卯 十 一月汗 借 仕候 至 元利 御屋敷 御 軍用金 千両也 限月 二 返上 仕 候 処猶 又此度 前 顕金 高弄 借奉願 上 御聞 済被成 下置候就 η 右金 子汗 借中 ハ 語も御 用奉願 去冬差 上 候本 證文何 ヶ年 一 上 候左 加 判之者急 度 御 引請 申上 候間返上之 證文例 而如件 節^ 正金 を以無 相違 上納 可仕候烏其 添 吉 田五郎右衛 門⑪ 同 断 日 比 弥 丘︵衛⑪ 引請 人 平 野彦 右衛 門⑩ 明治 元年辰 十 一月 借 ヽ 王 成瀬 竹 之助様 御 勝手 方 -39- l lilⅢ 議貯農打くTうと兆→可 ・ 群 八年庫 響 黙< 毯 守 み 節 冷 写 材 々 力あ 見 だ 4 拶 T争 iヽ ︲ ぇ 伊 を 汐B 移 修 解 Й 狂 下 線癖締機糾孵抑齢 勢■ 一犠 珠 冷η 立 ‘ kみ晉 瞭Z 娠 ア > 〓 狗舟々譲 顎 帝、 か務ヤ皇写胆 そ ゎ諮ゑ け 悛 モ 導 ウ ” 正 監碁 々 角 残 瑳 財 ? み 径 士豹 τ 奪 豫 滋珍 駐 竹 一 浄金 ζ 解を ・ 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