空間構造と年齢構造を含む感染症モデルにおける非自明平衡解の存在

空間構造と年齢構造を含む感染症モデルにおける非自明平衡解の存在 1
Existence of nontrivial equilibria in epidemic models with spatial and age structures
國谷紀良 2
神戸大学大学院システム情報学研究科
〒 657-8501 兵庫県神戸市灘区六甲台町 1-1 Toshikazu KUNIYA
Graduate School of System Informatics, Kobe University,
1-1 Rokkodai-cho, Nada-ku, Kobe-shi, Hyogo 657-8501, JAPAN
In this paper, we focus on an SIS epidemic model with spatial and age structures. We investigate the relation
between the existence of an endemic equilibrium and the basic reproduction number R0 , which is defined as
the spectral radius of the next generation operator. In the analysis, we first obtain an explicit expression of the
solution by using the Feynman-Kac formula of probability theory and then, apply the classic method of integral
operators. As a result, it is shown that the endemic equilibrium exists if R0 > 1, while not if R0 ≤ 1.
1
イントロダクション
SIS 感染症モデルは、全人口を感受性(Susceptible)と感染性(Infective)の二種類に区分し、感染状態
から回復した個体は免疫を獲得することなく再び感受性を有するようになると仮定された、最も基本的な
感染症モデルの一つとして有名である(例えば [3] を参照)。特に、集団の人口学的ダイナミクスや各パラ
メータの年齢依存性を考慮する上で有用となる、年齢構造化 SIS 感染症モデルの研究は古くから行われてい
た(例えば [2] を参照)。その際、特に数学的な理論解析の立場からすると、次世代作用素のスペクトル半
径として定義される基本再生産数 R0 ([3])が、感染症の定着する状況に対応するエンデミックな非自明平
衡解の存在や安定性を左右する閾値となるか、という点に研究の興味が注がれる。[1] において Busenberg
et al. は、そのような R0 に相当する(と考えられる)ある閾値を導出し、その値が 1 より小さい場合には
感染症の無い状況に対応する自明平衡解が大域的に安定となる一方、1 より大きい場合にはエンデミックな
非自明平衡解がそのようになることを証明した。近年ではさらに、時間周期性を含む年齢構造化 SIS 感染
症モデル([7])、時間周期性と母子感染の影響を含む年齢構造化 SIS 感染症モデル([8])など、様々な構造
が追加された年齢構造化 SIS 感染症モデルに対し、次世代作用素のスペクトル半径としての基本再生産数
R0 の導出およびその閾値的性質の解析が行われている。
本研究では、新たに空間構造の導入された年齢構造化 SIS 感染症モデルに焦点を当てる。非線形拡散方程
式システムとして記述されるそのようなモデルに対し、本研究では確率論で用いられるファインマン・カッ
ツの公式([5] を参照)を用いることで、期待値を含む形式での次世代作用素の導出を行う。そのスペクトル
半径として定義される基本再生産数 R0 が、エンデミックな非自明平衡解の存在を左右する閾値となること、
すなわち R0 > 1 であればそのような平衡解は少なくとも一つ存在し、R0 ≤ 1 であれば自明平衡解のみが存
在することを示す。但しその議論の詳細については [9] に譲り、本稿ではその概要の紹介を行うに留める。
本稿の構成は次の様になる:第 2 節では、本研究で焦点を当てる空間構造と年齢構造を含む SIS 感染症モ
デルを導出する。第 3 節では、そのモデルに対して得られた主要な解析結果を紹介する。第 4 節では、数
値実験を行うことによってそのような解析結果の正当性を確かめる。
2
モデル
t ≥ 0 は時間、a ≥ 0 は年齢、x ∈ Rn は空間を表す変数とする。このとき、S(t, a, x) および I(t, a, x) はそれ
ぞれ、時間 t において位置 x にいる年齢 a の感受性人口および感染性人口を表すものとする。S(t, a, x) に対
1 本研究は大泉嶺氏(東京大学大学院数理科学研究科および明治大学研究・知財戦略機構)との共同研究である。
2 本研究は
JSPS 科研費 25887011 の助成を受けたものである。E-mail: [email protected]
1
する感染力 λ (t, a, x) は
λ (t, a, x) =
∫ ∞∫
0
Rn
k(a, σ , x, y)I(t, σ , y)dydσ
(2.1)
で与えられるものとする。但し k(a, σ , x, y) は感染の伝達係数である。また µ (a, x) は位置 x にいる年齢 a の
個体の死亡率、γ (a, x) は同様の回復率とする。このとき、本研究で扱う空間構造と年齢構造を含む SIS 感染
症モデルは、次の非線形拡散方程式システムで記述される:
)
 (
∂
∂
1


+
S(t, a, x) = ∆x S(t, a, x) − λ (t, a, x)S(t, a, x) − µ (a, x)S(t, a, x) + γ (a, x)I(t, a, x),


∂
t
∂
a
2


 (
)
∂
∂
1
+
I(t, a, x) = ∆x I(t, a, x) + λ (t, a, x)S(t, a, x) − {µ (a, x) + γ (a, x)} I(t, a, x),


∂
t
∂
a
2




 S(t, 0, x) = P(t, 0, x), I(t, 0, x) = 0, t ≥ 0, a ≥ 0, x ∈ Rn .
(2.2)
ここで P = S+I は総人口を表し、出生率に対する適切な仮定の下で集団は人口学的定常状態 P(t, a, x) ≡ P∗ (a, x)
に到達しているものとする(詳細は [9] の Section 2.1 を参照)。∆x は x についてのラプラス作用素で、その
拡散係数は 1/2 に固定されている。これはファインマン・カッツの公式を利用するためであるが、一般の
拡散係数 d であってもパラメータ変換を行うことで (2.2) と同様のシステムを導くことが出来る。
各係数には次の仮定を置く:
仮定 1. (i) γ と k は非負、可測、連続かつ一様有界で、その上界はそれぞれ γ + と k+ とする;
(ii) 感染性の最大年齢 a† ∈ (0, +∞) が存在し、k(a, σ , x, y) = 0 が a, σ > a† に対して成り立つ;
(iii) 有界集合 Ω ⊂ Rn が存在し、k(a, σ , x, y) = 0 が x, y ∈ Rn \ Ω に対して成り立つ。
仮定 (ii) と (iii) の下で、感染力 (2.1) は次の様に書き換えられる:
λ (t, a, x) =
∫ a† ∫
0
Ω
k(a, σ , x, y)I(t, σ , y)dydσ .
また S = P∗ − I に注意すれば、(2.2) は次の様な I 単独の式に書き換えることが出来る:
)
 (
∂
∂
1


+
I(t, a, x) = ∆x I(t, a, x) + λ (t, a, x)P∗ (a, x) − {µ (a, x) + γ (a, x) + λ (t, a, x)} I(t, a, x),
∂t ∂a
2


I(t, 0, x) = 0, t ≥ 0, a ≥ 0, x ∈ Rn .
3
(2.3)
(2.4)
主結果
本研究の主結果は、(2.3)-(2.4) の時間不変な平衡解 I ∗ (a, x) の存在に関するものである。そのような I ∗ は
次の方程式を満たす:

1
d ∗


I (a, x) = ∆x I ∗ (a, x) + λ ∗ (a, x)P∗ (a, x) − {µ (a, x) + γ (a, x) + λ ∗ (a, x)} I ∗ (a, x),


2
 da
I ∗ (0, x) = 0,∫ ∫


a†


 λ ∗ (a, x) =
k(a, σ , x, y)I ∗ (σ , y)dy dσ , t ≥ 0, a ≥ 0, x ∈ Rn .
0
(3.1)
Ω
ファインマン・カッツの公式を利用すると、次の様な I ∗ の陽的な表現が得られる:
]
[∫ a
∫a
∗
λ ∗ (σ , Bσ ) P∗ (σ , Bσ ) e− σ {µ (ρ ,Bρ )+γ (ρ ,Bρ )+λ (ρ ,Bρ )}dρ dσ .
I ∗ (a, x) = Ex
(3.2)
0
ここで Ex は固定された初期値 x に対するウィーナー測度に関する期待値を表し、{Ba }a≥0 は n 次元ブラウ
ン運動を表す。(3.2) を (3.1) の第三式に代入することで、λ ∗ に関する次の積分方程式が得られる:
]
[∫ σ
∫ a† ∫
∫σ
∗
k(a, σ , x, y)Ey
λ ∗ (a, x) =
λ ∗ (ρ , Bρ )P∗ (ρ , Bρ )e− ρ {µ (η ,Bη )+γ (η ,Bη )+λ (η ,Bη )}dη dρ dy dσ .
0
Ω
0
2
(3.3)
この非自明な正の解 λ ∗ が存在すれば、(3.2) よりそれはすなわちエンデミックな非自明平衡解 I ∗ の存在を
{
}
意味する。今、空間 Y := L1 ([0, a† ] × Ω) : φ (·, x) = 0 ∀x ∈ Rn \ Ω を定め、Y+ をその正値錐とする。この
とき、Y 上の非線形作用素
Φ (φ ) (a, x)
:=
∫ a† ∫
0
Ω
k(a, σ , x, y)Ey
[∫
σ
∗
∫
− ρσ {µ (η ,Bη )+γ (η ,Bη )+φ (η ,Bη )}dη
φ (ρ , Bρ )P (ρ , Bρ )e
0
]
dρ dy dσ , φ ∈ Y (3.4)
を定めると、その非自明な不動点の存在を示せば、それが求める λ ∗ に他ならないことが分かる。これに対
応する線形作用素
F φ (a, x) :=
∫ a† ∫
0
Ω
k(a, σ , x, y)Ey
[∫
σ
0
]
∫σ
φ (ρ , Bρ )P∗ (ρ , Bρ )e− ρ {µ (η ,Bη )+γ (η ,Bη )}dη dρ dy dσ ,
φ ∈Y
(3.5)
を定め、次の仮定を置く:
仮定 2. (i) 負の a, σ に対しては k(a, σ , x, y) = 0 とする。また σ ∈ [0, a† ] と y ∈ Ω に対して一様に
∫ a† ∫
lim
∥(κ ,h)∥→0 0
Ω
|k(a + κ , σ , x + h, y) − k(a, σ , x, y)| dxda = 0
が成り立つものとする。ここで κ ∈ R、h ∈ Rn であり、∥·∥ は Rn 内の通常のユークリッドノルムで
ある;
(ii) ある α > 0 と ε > 0 が存在して
k(a, σ , x, y) ≥ ε for a ∈ [0, a† ], σ ∈ [a† − α , a† ], x, y ∈ Ω
が成り立つ。
本研究では、作用素 F のスペクトル半径 ρ (F) が、Φ の非自明な不動点の存在を左右する閾値となるこ
とを示した。実際、次の命題が得られた:
命題 3.1. (i) ρ (F) > 1 ならば、Φ は Y+ \ {0} 内に少なくとも一つ非自明な不動点を持つ;
(ii) ρ (F) ≤ 1 ならば、Y+ 内の Φ の不動点は自明なもの φ ≡ 0 のみである。
この証明には、Krasnoselskii の不動点定理([6, Theorem 4.11])に基づく Inaba の不動点定理([4, Proposition
4.6])が利用される。詳細は [9] を参照されたい。
一方、Diekmann et al. の定義に従うと、次の様な次世代作用素を導出できる:
[∫ a
]
∫ ∫ a†
∫
†
− σσ−τ {µ (η ,Bη )+γ (η ,Bη )}dη
∗
F φ (a, x) := P (a, x)
Ey
k(a, σ , x, y)φ (σ − τ , Bσ −τ )e
dσ dτ dy, φ ∈ Y.
Ω 0
τ
このスペクトル半径が基本再生産数 R0 = ρ (F ) となる。本研究では
R0 = ρ (F ) = ρ (F)
が成立することも示された。したがって命題 3.1 を解釈し直すことで、次の主結果が得られる:
命題 3.2. (i) R0 > 1 ならば、モデル (2.2) は少なくとも一つエンデミックな平衡解 (S∗ , I ∗ ) を持つ;
(ii) R0 ≤ 1 ならば、モデル (2.2) の平衡解は自明平衡解 (P∗ , 0) のみである。
3
4
数値例
命題 3.2 の正当性を示すために、数値実験を行う。簡略化のため、各係数は以下の形状で与えられるよう
な特別な場合を考える:
µ (a, x) = µ (a), β (a, x, y) = β1 (x)β2 (a, y), γ (a, x) = γ ,
{
k(σ ), a, σ ∈ [0, a† ] , x, y ∈ Ω ⊂ R;
k(a, σ , x, y) =
0,
otherwise.
˜ :=
特に人口学的定常状態が存在するための特性方程式が成立しているという仮定の下で、β の代わりに P(x)
P∗ (0, x) をパラメータとして利用することが出来る。このとき、基本再生産数 R0 は具体的に次の形状で与
えられる(詳細は [9, Section 5] を参照)
:
R0 =
∫ a†
0
k(σ )e−
∫σ
0
µ (η )dη
)
1(
1 − e−γσ dσ
γ
∫
R
˜
P(w)dw.
a† = 10, Ω = [0, 100] とし、次のパラメータを固定する:

(
)
(
)
 0.1 sin π x , x ∈ [0, 100];
a3
˜ =
100
µ (a) = 0.2 1 + 3 , γ = 0.2, P(x)
 0,
10
otherwise.
以下、k(σ ) の値を変化させたときの平衡解の存在について調べる。
はじめに k(σ ) = 0.015 (1 + cos(πσ /10)) とする。このとき R0 の値はおよそ 0.9039 < 1 となり、命題 3.2
よりエンデミックな非自明平衡解は存在しないことが予想される。実際、図 1 では、解が自明平衡解に収
束する様子が示されている。
つづいて k(σ ) = 0.018 (1 + cos(πσ /10)) とする。このとき R0 の値はおよそ 1.0847 > 1 となり、命題 3.2
よりエンデミックな非自明平衡解は存在することが予想される。実際、図 2 では、解が非自明平衡解に収
束する様子が示されている。
5
まとめと今後の課題
本研究では、空間構造と年齢構造を含む SIS 感染症モデルに対し、ファインマン・カッツの公式を利用
することで、次世代作用素のスペクトル半径として定義される基本再生産数 R0 がエンデミックな非自明平
衡解の存在を左右する閾値としての役割を担うことが示された(命題 3.2)。この手法が総人口が変動する
状況や、他の形状の感染症モデルに対しても適用可能であるか、という点は今後の課題として残される。
特に今回は平衡解の存在にのみ焦点を当て、その一意性や安定性に関しては議論を行っていなかった。4
節の数値例からは、その安定性も R0 によって保証されていると予想することも出来るが、その点に関する
厳密な証明についても今後の課題として残される。
参考文献
[1] S.N. Busenberg, M. Iannelli, H.R. Thieme, Global behavior of an age-structured epidemic model, SIAM J.
Math. Anal. 22 (1991) 1065-1080.
[2] ミンモ・イアネリ, 稲葉寿, 國谷紀良, 人口と感染症の数理, 東京大学出版会, 2014.
[3] 稲葉寿(編), 感染症の数理モデル, 培風館, 2008.
[4] H. Inaba, Threshold and stability results for an age-structured epidemic model, J. Math. Biol. 28 (1990)
411-434.
4
x 10
-3
x 10
2
感染性人口 I(t,a,x)
感染性人口 I(t,a,x)
2
-3
1.5
1
0.5
0
10
100
8
1.5
1
0.5
0
10
100
80
6
8
60
4
80
6
60
40
2
年齢 a
4
20
0
0
40
2
位置 x
20
0
年齢 a
(a) 感染性人口の分布(t = 0)
0
位置 x
(b) 感染性人口の分布(t = 200)
1
x 10
0.9
-3
0.8
0.7
1.5
総感染性人口
感染性人口 I(t,a,x)
2
1
0.5
0
10
80
6
0.3
40
2
年齢 a
0.4
0.1
60
4
0.5
0.2
100
8
0.6
0
20
0
0
位置 x
0
80
160
240
320
400
時間 t
(c) 感染性人口の分布(t = 400)
(d) 総感染性人口
∫ a† ∫
0
Ω I(t, a, x)dx
da の時間変化
図 1: 感染性人口の解の挙動(R0 ≃ 0.9039 < 1)
[5] I. Karatzas, S.E. Shreve, Brownian Motion and Stochastic Calculus, Springer, Berlin, 1998.
[6] M.A. Krasnoselskii, Positive Solutions of Operator Equations, Noordhoff, Groningen, 1964.
[7] T. Kuniya, H. Inaba, Endemic threshold results for an age-structured SIS epidemic model with periodic
parameters, J. Math. Anal. Appl. 402 (2013) 477-492.
[8] T. Kuniya, M. Iannelli, R0 and the global behavior of an age-structured SIS epidemic model with periodicity
and vertical transmission, Math. Biosci. Eng. 11 (2014) 929-945.
[9] T. Kuniya, R. Oizumi, Existence result for an age-structured SIS epidemic model with spatial diffusion,
Nonlinear Anal. RWA, doi:10.1016/j.nonrwa.2014.10.006
5
x 10
-3
x 10
5
感染性人口 I(t,a,x)
感染性人口 I(t,a,x)
2
-3
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10
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8
4
100
80
6
8
60
4
80
6
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年齢 a
4
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0
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位置 x
20
0
年齢 a
(a) 感染性人口の分布(t = 0)
0
位置 x
(b) 感染性人口の分布(t = 200)
2.5
x 10
-3
2
4
総感染性人口
感染性人口 I(t,a,x)
5
3
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0
10
1
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60
4
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年齢 a
0
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位置 x
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80
160
240
320
400
時間 t
(c) 感染性人口の分布(t = 400)
(d) 総感染性人口
∫ a† ∫
0
Ω I(t, a, x)dx
図 2: 感染性人口の解の挙動(R0 ≃ 1.0847 > 1)
6
da の時間変化