学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943

学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
2
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
マリア・パステルナーク
登場人物
■
エレナ・ヴィレンスカヤ
本作の主人公。
ヴォルクグラード人民学園所属のヴァルキリー。
ヴォルクグラード学園軍大佐及びヴォルクグラード人民学園生徒会長。
恐怖政治を行っていた人民生徒会を『アルカの春』で打倒した英雄だが、その正体は麻
薬密売や人身売買で懐を肥やす人間の屑である。
■
ヴォルクグラード人民学園所属のヴァルキリー。
ヴォルクグラード学園軍中尉。
狂信的なマリア支持者で彼女が指揮するタスクフォース501の最強戦力。
捕虜に対してしばしば『長袖』や『半袖』と呼ばれる苛烈な拷問を行い、それをマリア
のためと自己正当化する人間の屑である。
1
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
■
ユーリ・パステルナーク
ヴィールカ・シュレメンコ
ヴォルクグラード人民学園の一般生徒。
マリアの弟であり、自分だけは姉に守られているから安全だと信じる人間の屑である。
■
ノエル・フォルテンマイヤー
ヴォルクグラード人民学園所属のヴァルキリー。
ヴォルクグラード学園軍に所属しかつてマリアと共に戦った過去を持つ。
現在は生徒会役員として政務をこなす一方、非公式のクライムファイターとして自分が
悪と勝手に認定した相手を叩きのめす人間の屑である。
■
シュネーヴァルト学園所属のヴァルキリー。
シュネーヴァルト学園軍少佐で表沙汰にできない任務を行う第三十二大隊の指揮官。
人間の手足を生きたまま切断することに至上の喜びを感じる人間の屑である。
2
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
■
エーリヒ・シュヴァンクマイエル
ソノカ・リントベルク
シュネーヴァルト学園軍大尉。
第三十二大隊でノエルの副官を務めている。
ノエルの破天荒ぶりに辟易しているが内に秘めた残虐性は彼女以上であり、特に捕虜と
なった女性兵士への拷問に造詣が深い恐るべき人間の屑である。
■
キャロライン・ダークホーム
シュネーヴァルト学園第三十二大隊に所属するヴァルキリー。
空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の教えに従い平気で人を殺す人間の屑である。
■
パブリック・スクール・オブ・ブリタニカ所属のヴァルキリー。
PSOB䢢SASの隊員として秘密作戦に従事する人間の屑である。
3
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
アポカリプス・ナウ
用語
■
アルカ
一八〇〇年代の末期、地球に落着した隕石によってもたらされた大災害と、それがきっ
かけになって始まり、その後十五年間続いた世界規模の戦争。
■
BF
アポカリプス・ナウ後の世界を事実上支配している巨大多国籍企業グレン&グレンダ社
が考案した、学園同士が世界各国の代理戦争を行う場所。
日本の山形県を丸ごと接収、転用しており、かつての市や町の一つ一つに各国の代理勢
力となる学園都市及び軍事施設が配置されている。
■
アルカで代理戦争が行われる場所、通称バトルフィールドの略称。
毎回異なった勝利条件と敗北条件が設定される。
4
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
■
プロトタイプ
ヴァルキリー
アルカ学園大戦で『学園』というコミュニティの根幹を成す戦闘用の人造人間。
■
タスクフォース
大量生産されるプロトタイプの中で地球に落下した隕石内に含まれていたマナ・クリス
タルという鉱石と、それに含有されるマナ・エネルギーとの親和性を有した少女達。
液状化したマナ・エネルギーが固着して形成されるマナ・ローブを纏うことで戦車の装
甲と火力、戦闘機の速度と機動性を人間サイズで実現している。
背部ユニットを使っての飛行やマナ・フィールドと呼ばれる堅固な防御障壁の展開が可
能なだけではなく、個体によってはグレン&グレンダ社によってブラックボックス化され
た強力なマナ・エネルギー兵器を使用することができる。
■
BFで代理戦争を行うため学園軍から一時的に編成される部隊の総称。
その規模は十名に満たないものから師団規模の大部隊まで多種多様である。
5
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
■
ヴォルクグラード人民学園
シュネーヴァルト学園
アルカにおけるソビエト社会主義共和国連邦の代理勢力。
学園都市はアルカ北西部の港町サカタグラード。
■
パブリック・スクール・オブ・ブリタニカ
アルカにおけるドイツ連邦共和国の代理勢力。
学園都市はアルカ南東部のタカハタベルク。
■
人民生徒会
アルカにおけるグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)の代理勢力。
学園都市はアルカ北西部、日本海上に浮かぶトビシマ・アイランドにある。
■
かつてヴォルクグラード人民学園を支配していた組織。
6
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
■
ロイヤリスト
第三十二大隊
人民生徒会以前の政治体制を支持するヴォルクグラード人民学園の生徒達。
アルカ各校に亡命した彼らの多くは母校の奪還を目論んでいる。
■
PSOB䢢SAS
汚れ仕事や表沙汰にできない任務を専門に遂行するシュネーヴァルト学園の非公式部隊。
シュネーヴァルト学園はこの部隊は存在しないとの公式声明を発表している。
■
アルカの春
パブリック・スクール・オブ・ブリタニカの特殊部隊。
■
一九四三年初頭、マリア・パステルナークの一派が圧制を敷く人民生徒会に対してクー
デターを起こし、ヴォルクグラード人民学園の政権を奪取した事件。
7
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
■
グリャーズヌイ特別区
ショー&ナイ・エアベース
『アルカの春』で母校を追われたヴォルクグラード人民学園旧人民生徒会派の生徒達が
潜伏しているサカタグラードの区画。
完全なスラムと化しており、グリャーズヌイとはロシア語で『汚い』を意味している。
■
旧名庄内空港。アルカ各校が共同管理している空港。
8
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
プロローグ
「それでは今年度の各部活動の予算配分見直し案についてですが䢣䢣」
ヴォルクグラード人民学園の生徒会室でプリントを手にした女子の生徒会役員が立ち上
がった瞬間、彼女の右側頭部から入り込んだ銃弾が左側頭部から飛び出した。髪の毛混じ
りの砕け散った肉片が小奇麗な机やその上に置かれている重なった白い紙を汚す。
唖然とする他の生徒会役員の前で絶命した少女が床に倒れ込み、湿った肉の叩きつけら
れる音が生徒会室に響き渡った直後、割れた窓から手榴弾が何個も放り込まれた。すぐに
立て続けの大きな炸裂が起き同じ部屋にいた数名の生徒会役員を四散させる。
「目に入った敵は全て殺れ」
地獄絵図と化した室内にロープで降り立ったのは白いセーラー服の上にチェストリグと
呼ばれる前掛け式の予備マガジン入れを羽織り、肘と膝に黒いパッドを付けたロシア語を
話す女子生徒達だった。彼女達が纏うセーラー服は全身に手榴弾の破片を浴び、傷口に入
り込んだ火薬ガスによる激痛で室内をのた打ち回る生徒会役員らと全く同じものである。
女子生徒達は手にしたPPSh䢢41短機関銃で次々に生徒会役員を射殺していく。右
手で銃を構え、左手でフォアグリップ䢣䢣銃身カバーに取り付けられた柄を握り保持する
彼女達の動きと躊躇なく人を殺す冷酷さは明らかに訓練を受けた者のそれだった。
「マリア・パステルナークだな?」
9
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
女子生徒の一人が壁や床が赤黒い血で汚れ、硝煙の臭気が充満した地獄絵図の中にあり
ながらも一人関係なさげにスナック菓子の袋に手を突っ込んでいる人物に問うた。
「そうだが何か?」
口の周囲を安っぽい食用油で汚し、ぼりぼりと耳障りな音を立てて体に悪い揚げた芋を
貪る大人びた少女䢣䢣マリア・パステルナークはそう答える。
「最後に何か言いたいことはあるか?」
「水が飲みたい」
幾つもの銃口を向けられてなお平然と話し続けるヴォルクグラード人民学園生徒会長の
紺髪は若干の埃を被ってしまってはいたが、それでもなおも妖しい艶を放ち続けていた。
「できればサンペレグリノのミネラルウォーターがいいな」
ヘアバンドで留めた前髪の下から琥珀色の瞳を覗かせるマリアは目下自分に向けられた
銃口がいつ火を噴くかではなく、果たして目の前にいる女子生徒達は階段を降り、購買部
までミネラルウォーターを買いに行ってくれるのかどうかを気にしている様子だった。
「ふざけたことを䢧䢧」
完全武装した女子生徒達から露骨な嫌悪と怨嗟の視線を浴びたマリアは諦観めいた様子
で肩を竦め、ならばあの中に入っている水でいいと机上に置かれた魔法瓶を指差す。
「一口ぐらい飲んでもいいだろう?」
媚を売るような視線を女子生徒達に向けるマリアの透き通る声が生徒会室に響いた。
10
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「わかった」
数秒の沈黙の後、心底辟易した様子で隊長格の女子生徒が首を縦に振る。
「飲ませてやれ」
別の女子生徒が水の入ったグラスをマリアの前に置いた瞬間䢣䢣。
「馬鹿が!」
マリアは待っていましたと言わんばかりに立ち上がって長い後ろ髪を大きく部屋に広げ、
掴んだグラスを思い切り机に叩き付けた。水とガラス片が勢い良く飛び散る。
「死ね!」
そして慌てて銃を構えようとする女子生徒の喉に割れたグラスを突き刺した。ガラスの
鋭い先端が白い皮膚を裂いて中の動脈を切断し、激しい血飛沫を噴出させる。
大量に吐血する女子生徒の後ろに回ったマリアは華奢な肉の盾で自分に襲い掛かる銃弾
の雨を防ぐ。裂けた女子生徒の腹から鈍い光を放つ薄桃色の内臓が勢い良く床に広がった。
マリアは殺到する七・六二ミリ弾を吸収してくれる今や死体となった少女のホルスター
から乱暴にTT䢢33拳銃を引き抜き肉壁の向こう側にいる相手に向けて発砲した。
瞬く間に二名の『敵』がそれぞれ頭部と心臓を撃ち抜かれて命を落とす。
「クソ! クソッ!」
最後に残った女子生徒がPPSh䢢41短機関銃を腰だめで乱射する。瞬く間に生徒会
室の中は飛び散った壁材の粉塵で覆い尽くされてしまう。
11
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「殺すって決めたんだ。絶対にマリアを殺すって䢧䢧!」
女子生徒は肩で呼吸をしつつチェストリグから新しい三十五連マガジンを取り出してP
PSh䢢41短機関銃に差し込む。空のマガジンを抜き、新しいマガジンを入れ、コッキ
ングレバーを引いてから再び射撃可能になるまでの時間が永遠にも感じられた。
「やあ」
青い粒子の光が女子生徒の視界の隅を横切った瞬間、突然背後からマリアの声を聞いた
彼女は弾かれたように振り向く。刹那、女子生徒の右腕は非常に頑丈なことで知られるソ
連製短機関銃ごと付け根から胴体と切り離された。そして黒いグローブで包まれた手が何
が起きているのかを全く理解できないでいる右腕を失った少女の喉を掴む。
「今どんな気持ちだ?」
赤い縁取りを持つロングコートじみた白の戦闘衣に身を包み、青い粒子を放出し左右に
後退翼を伸ばす小型の戦闘機にも似た装備を背負うマリアは首を鳴らしながら問う。
「今どんな気持ちかと聞いているんだ」
ヴォルクグラード人民学園生徒会長の常人ならざる凄まじい握力を受けた女子生徒の首
がみしみしと音を立て、夥しい量の白泡が口端から零れ落ちていく。
「私の言葉がわからんのか。やはりお前達旧人民生徒会派は人間ではないらしい」
僅かに傾けられたマリアの細く白い首が彼女の滑らかな髪を揺らす。
「私は今最高の気分だ。哀れにも私に立ち向かったヒトモドキの生殺与奪を欲しいままに
12
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
できてな。実に良い気分だ。その命を手中に収め、人を征服するのはとても楽しい」
「お前は䢧䢧お前は䢧䢧いつか䢧䢧いつか報いを䢧䢧受ける䢧䢧!」
女子生徒の血走った目がマリアを睨み付ける。
「お前達が私をどう思おうが所詮同じだ。マリア・パステルナークという存在はいつだっ
てこの世にある。何故なら、アルカは私が現れる前からこの私を待っていたからだ」
マリアは手首を捻って女子生徒の首を圧し折った。ぼきりと鈍い圧壊音を立てて細い首
が歪に曲がり、コルダイト火薬臭い手足がその動きに追従した。
「つまり最高の生業が」
絶命した女子生徒の死体を真鍮製の空薬莢や人体の一部が散乱する床に叩き付けて頭を
粉砕し、マリアはリノリウムに塗り込めるようにして脳漿と頭蓋骨の破片を踏み躙った。
「最高の担い手を待っていたわけだ」
下衆な微笑みを浮かべて死体を足で弄り玩んでいたマリアはやがてドアの向こう側から
連なった足音が聞こえたことに気付く。
「どれ、アカデミー主演女優賞を頂くとするか」
顔を左右に振って頬を伝う汗の滴を飛び散らせたマリアは右手首に取り付けられている
マナ・クリスタルを指で操作し、身を包むものを純白の戦闘服から学生服へと変えた。
次にマリアは膝を折って床に転がる名も知れぬ死体に手を伸ばす。
「大佐! ご無事ですか!?」
13
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
学生服の上に黒い防弾チョッキを羽織り、手にルーマニア製折り畳み式ストックが装着
されたPPSh䢢41短機関銃を携えた生徒達が生徒会室に駆け込んでくる。
学園の治安維持を目的に活動する公安委員会の面々が見つけたのは両目から大粒の涙を
流して叫びながら、たった今無残にも殺されたであろう生徒会役員の床に散らばった脳漿
と頭蓋骨の破片を必死でかき集めるアルカ最後の英雄の姿だった。
「ああ䢧䢧だが䢧䢧」
公安委員達に顔を向け、震える声をようやく発したマリアはすぐに口ごもってしまう。
「私だけが生き残ってしまった䢧䢧私だけが䢧䢧」
潤んだマリアの視界の中では公安委員会の生徒達が武装して襲撃してきた女子生徒共の
死体を検めている。すぐに一人が「こいつらは旧人民生徒会派だ!」と声を上げた。
いいぞ䢣䢣とマリアは内心で微笑む。
「さあ、行きましょう䢧䢧」
「許してくれ䢧䢧みんな許してくれ䢧䢧おめおめと生き残った私を䢧䢧」
両肩を弱々しく公安委員に抱き抱えられたマリアの口元が醜く歪む。
「英雄とは実に良いものだな。その肩書きだけで人を騙せる。疑う者さえいない」
そして彼女は愉悦を込めた呟きを誰にも聞こえないように吐き捨てた。
14
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
第一章
一九四三年八月十一日の午前十二時。
生徒達が午前中の退屈な授業を終えて席を立っている頃、エーリヒ・シュヴァンクマイ
エルはシュネーヴァルト学園地下の薄暗く湿った空間を進んでいた。
口を噤んで歩く少年の意識はいつしか今いる場所から過去の記憶へと旅立つ。
あの日䢧䢧地平線の果てまで広がる青空には雲一つなかった。
横一列に並んだ、風力発電の白いプロペラがゆっくりと回転しているその下には緑が生
い茂っている。
緑の上で白が踊る。
白い帽子。そして同じように白いワンピース姿の少女がエーリヒに振り向き、微笑んだ。
「もしもここ以外に私が生きても良い場所があるのなら、それはとても嬉しいことなんだ
って䢧䢧そう思うんだ」
ただ、紺色の髪を風に靡かせる彼女が見せたその笑みはとても悲しげだった。
「生徒手帳を」
幼さを残すボーイッシュな少女然とした顔立ちと青みがかった黒髪の持ち主はゲートの
15
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
前で立ち止まるなり看守から声をかけられたことで現実世界に戻ってきた。
「どうぞ」
エーリヒは言われた通り胸ポケットから取り出した生徒手帳を看守に渡す。
「先月末より始まったソビエト連邦政府によるヴォルガ・ドイツ人の国外追放について、
カール・ゲルデラー首相は問題の解決をアルカにて行うことを先程発表致しました」
どこからともなく聞こえてきた事務的な声がエーリヒの鼓膜を打つ。
「一方、二日前にヴォルクグラード人民学園の最高指導者であるマリア・パステルナーク
大佐が旧人民生徒会派に襲撃された事件ですが、アルカ各校の生徒会は犠牲となったヴォ
ルクグラードの生徒会役員に哀悼の意を表すると共に、パステルナーク大佐が掲げる旧人
民生徒会派の根絶を全面的に支持するとの声明を䢧䢧」
小奇麗な看守室に置かれたテレビのブラウン管の中ではシュネーヴァルト学園放送委員
会の年若いアナウンサーが原稿を見ながら話していた。
「ありがとうございました。お返しします」
看守がエーリヒに検め終えた生徒手帳を渡すのと同時にゲートが開く。
「僕だ」
書類を片手に無表情で歩いたエーリヒは『4602』と書かれた牢の前で足を止めた。
「昔々のお話」
彼の声に返答する形で鉄格子奥の暗闇から無邪気さを孕んだ少女の声が聞こえてきた。
16
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「とある村に奴隷の兄弟がいた。ある日、二人はもうこんな場所にいたくないと思い脱走
することにした。二人はすぐに村と外界を分かつ川に辿り着いた」
エーリヒは黙って少女の話に耳を傾ける。
「川の向こうには草原が広がっていた」
次に「そう! 自由の世界さ!」と少女の声が突然大きくなる。
「兄の方は難なく川を跳び越えて向こう岸に渡った。だけど気の弱い弟は川に落ちてしま
うのが怖くて跳べなかった䢧䢧」
淡々とした説明の口調は、すぐ「兄がひらめいたのはその時だ!」という大袈裟な舞台
のナレーションめいたものに変わる。
「兄は大声で弟にこう言った。『よく聞けよ! 俺がホースで水の橋を作るから、お前は
その上を歩いて渡って来い! 』」
少女の声に嬉しそうな響きが混じった。楽しくて仕方がない様子だ。
「弟は怒鳴り散らした。『兄さん! 途中でホースが詰まったらどうするの!?』とね」
そして牢の暗闇の中に猫じみた少女の縦スリットの瞳が浮かび上がった。
「この世界についてわかりやすく解説してみたよ」
少女は僅かな明かりの中で小さな音を立てつつ眼鏡を直し楽しそうに微笑んだ。
「それは違う」
少女の言葉を否定し首を横に振ったエーリヒは溜め息混じりに話し始める。
17
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「前世紀の終わり䢧䢧巨大隕石の落下と、それをきっかけにして始まった十五年間にも及
ぶ世界規模の戦争が人類に歴史上類を見ない未曾有の被害をもたらした。これがアポカリ
プス・ナウと記録されている出来事だ。やがて世界の混乱はグレン&グレンダ社によって
収められ、同社は今後一切人々が争わずに済む世界を作ろうと考えた。それがプロトタイ
プを教育し、世界各国の代理勢力である学園に所属させ、ここアルカという永久戦争地帯
でそれぞれの母国の代わりに戦わせるシステムだ」
「なるほど、続けて」
「アルカはかつて日本の山形県と言われていた。各勢力の学園都市は旧山形県にあった市
や町に配置されている。そしてここ、ドイツ連邦共和国の代理勢力であるシュネーヴァル
ト学園はアルカ南東部の学園都市タカハタベルクに校舎を構えているんだ」
少女の言葉を待たずにエーリヒは説明を続けた。
「今や民族対立、資源の利権争いといった国家間の問題は全てアルカにおける代理戦争で
処理されている。アルカにいるプロトタイプなら皆知っていることだよ」
「へぇ。プロトタイプね」
エーリヒが最後に口にした言葉を受けた少女の目が緩む。
「まあいいんじゃないのかな。楽しくなさそうな説明をしてくれてありがとう」
感心したように言い、
「それで、今君が話した要素で構成される世界にはどういう『意味』があるのかな?」
18
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
少女䢣䢣ノエル・フォルテンマイヤーは牢獄の奥で意地悪く笑った。
「私はそれを聞きたいね、エーリヒ・シュヴァンクマイエル䢧䢧いや、エリー!」
■
アルカ北西部の港町サカタグラードにソビエト社会主義共和国連邦の代理勢力であるヴ
ォルクグラード人民学園は学園都市を構えていた。
ソ連本国で大量生産されたプロトタイプが行き交う学園の中にある生徒会長室のドアが
ノックされ、室内で机上の書類を整理していた女子生徒が「どうぞ」と入室を促す。
「失礼します」
きびきびとした足取りで生徒会役員のヴィールカ・シュレメンコが入ってきた。
「同志大佐、先の襲撃事件の件でお忙しいところ申し訳ございません」
「構わん」
女子生徒は一瞥もくれずに書類を整理し続ける。
「春に人民生徒会を打倒してこの学園の実権を握ったのは私だ。尻も自分で拭わねばな」
ヴォルクグラード人民学園生徒会長であり、同学園軍の大佐でもあるマリア・パステル
ナークは横目でヴィールカに視線を送りつつ書類の整理を続けた。
「まあ待て」
19
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
マリアは清楚な顔立ちをしたヴィールカが栗色の髪を肩口で揺らしながら意を決してと
ある書類を脇から抜こうするのを制する。
「私とお前の仲だ。そんなに焦ることはない」
マリアは引き出しからウォッカを一瓶、グラスを二つ取り出して机上に置く。そして最
後に刃渡り二十センチもあるナイフを渾身の力でその横に突き刺した。
大きな音が部屋に響き渡り驚いたヴィールカの両肩が跳ね上がった。わかっているのに、
何度も何度も経験しているのに、彼女はいつも同じ反応をしてしまう。
「まずは酒でも飲もうじゃないか」
前髪をヘアクリップで留めたヴァルキリーはヴィールカの目を見ながら話し、溢れんば
かりのウォッカをグラスに注いでいく。
「同志大佐、我々は未成年です。流石に飲酒は䢧䢧」
なみなみと注がれたグラスが無言でヴィールカの前へと差し出される。マリアはロシア
式の乾杯䢣䢣底まで一気に飲み干すことを彼女に強要しているのだ。
「私の酒が飲めないと言いたいのなら口に出してそう言えばいい」
躊躇するヴィールカに対し、マリアは圧迫感に溢れた言葉を投げ掛ける。
「飲め」
「䢧䢧頂きます」
音を立てて生唾を飲み込み、ヴィールカはグラスを手にとった。口を開き、恐ろしいま
20
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
でのアルコール度数を持った透明な液体を喉の奥に流し込む。途端に焼け爛れるような感
覚が食道に走り耐え切れなくなった彼女は滴を撒き散らして咳き込んでしまった。
「大丈夫か?」
マリアは涙と鼻水を流して激しく咳き込み喉を掻き毟って身悶えするヴィールカに満足
げな笑みを浮かべながら申し訳程度の気遣いの言葉を送る。その目は全く笑っていない。
「それで用とはなんだ?」
「はい䢧䢧」
顔を様々な液体で汚したヴィールカは咳き込んだ際に落とした書類を拾い上げ、震える
手で埃を払ってからマリアに差し出した。
「これは先月、リトル・ハイフォンから出港したソ連本国向け輸送船の積荷リストです」
ベトナム北部の港湾都市に肖ってその名前を付けられたリトル・ハイフォンはヴォルク
グラード人民学園が保有するアルカにおいては希少価値の高い港湾施設だった。毎日のよ
うにソ連本国からアルカに物資を運ぶ船が出入りしている。
「項目の二十九番をご覧下さい」
「ゴールデン・トライアングル(注1)製のアヘンがどうかしたのか?」
「この書類には同志大佐、貴方のサインがある。この事実を公表して下さい」
「別に公表するのは構わない。だが果たして信用されるかな?」
マリアは失笑と共に机上の書類を丸めてゴミ箱に放り込んだ。
21
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「人民生徒会を打倒した英雄が裏で麻薬取引を行い巨万の富を得ているなどと䢧䢧」
マリアは不機嫌そうな様子で足を組み、頬杖をついてヴィールカを見た。二日前に旧人
民生徒会派の生徒達に襲撃され本来仲間であるはずの生徒会役員を目の前で多数殺害され
たにも関わらず、彼女は何らショックを受けた印象はない。
「どうだ?」
「質問に質問を返して申し訳ありませんが、それはどういう意味ですか?」
挑発的な言葉を受けたヴィールカの眉に皺が寄った。
「なに?」
「この世界における物事には全て何らかの意味があります。意味がないことなど存在しな
いのです。同志大佐、一体何を意味しているのですか? その『どうだ?』は」
「何も意味なんてないぞ」
「いえ、あります。少なくともヴィールカ・シュレメンコには『お前を口封じに始末する
ことなど容易い。わかるか?』と言っているように聞こえました」
ヴィールカは先程までとは打って変わってマリアの目を見ながら強い口調で話していた。
「お前は優秀な生徒会役員だ。私はお前に消えてほしくない。ただそう言いたかった」
苦笑いするマリアの言葉を受けて、音を立てて息を吸い肩を上下に揺らし始めていたヴ
ィールカは安堵し落ち着きを取り戻す。
「申し訳ありません。失言でした」
22
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
東南アジアにある世界最大の麻薬密造地。
そして彼女は頭を掻いて謝罪する。
「そうか」
途端にマリアの顔から笑顔が消え失せた。
「ならとっとと消えろ。そしてわかるように言うぞ。お前は校則に反する飲酒を行った。
ルールを破ることは許されていない。面白いことにアルカの未成年に人殺しは許されても
飲酒は許されていないからな。私はそれを公表するもしないも自由だ。公表されたらどう
なるかぐらいお前にだってわかるだろう?」
マリアが配下の風紀委員会に飲酒の事実を伝えれば、ヴィールカはすぐに拘束されてし
まうだろう。それに元から学園に存在していなかったことにされる可能性さえある。
くそ䢣䢣。
現状への不満と理不尽への怒り、そして自分の情けなさが、頬杖をついて侮蔑の視線を
向けるマリアを目の前にしたヴィールカの中で混ざり合った。
注1
■
「ヴィールカさんがそんなこと言ったの?」
23
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
ヴォルクグラード人民学園の校舎屋上に置かれた椅子に腰掛け、マリアの弟であるユー
リ・パステルナークは水筒に入れたロシアン・ティーをカップに注いで姉に差し出した。
昼休みになると姉弟は必ずここで昼食をとっていた。ここが二人の専用カフェテリアで
あることはヴォルクグラード人民学園の全生徒にとって暗黙の了解となっている。
「ああ。いきなり何を言い出すのかと思ったらな。それにしても、またこの何だかよくわ
からない怪しい食い物か䢧䢧」
マリアは上手く話を逸らしてゴムのような黄色い円盤と脂ぎったパティーがパンズで挟
まれているエッグマフィン風の何かを齧りリス宜しく頬を膨らませた。
「あっそうだ、寮に届いてたよ」
食事が一段落すると、先日姉が旧人民生徒会派に襲われたことすら知らないユーリは鞄
から封筒を抜き取ってマリアに渡す。送り主はグレン&グレンダ社のソ連支社だった。
「ふむ」
封筒の封を切って中から取り出した書類に目を通し、マリアはヴォルガ・ドイツ人の追
放に端を発したソ連本国とドイツ連邦共和国間の問題を解決するため指定の日時までに学
園に所属するタスクフォースを即応体勢にしておくようにとの指示を確認する。
タスクフォースとはその名の通り特定の任務のため学園軍から一時的に編成される部隊
の総称であり、ヴォルクグラード人民学園だけでも一千人が在籍し一個大隊の規模を誇る
タスクフォース501からタスクフォース563に代表されるスぺツナズのように全員合
24
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
わせても十名に満たないものまで大小様々な部隊が存在する。
「次のBFは䢧䢧ん? 未定か」
「姉さん、BFって何?」
「BFはバトルフィールドの略称だ。アルカの代理戦争が行われる場所で毎回異なった勝
利条件が設定される。例えばどちらかが全滅するまでとか、高地を三日間守った方が勝ち
とかな。しかしユーリ、お前はそんなことも知らないのか」
「だって戦争なんて僕には関係ないもの。姉さんが色々してくれてるじゃない」
「そうか䢧䢧ああ、そうだったな」
マリアは軍内部のコネを利用して一般生徒のユーリが徴兵と揶揄されるタスクフォース
への配属を徹底的に回避させ続けてきた。ユーリもそれを半ば当然だと考えている。
「それとシュテファニア先生から電話があったよ。ちゃんと授業に出なさいって」
ハンガリー系のトランシルヴァニア学園からヴォルクグラード人民学園に出向している
女性教員、シュテファニア・グローフの名前を聞いたマリアの顔が渋くなる。
「あの人はあんまり好きじゃないんだ。アレコレ干渉してくるからな。会うたびに『体に
良いものを食べてる?』とか䢧䢧試験管ベビーの私にはよくわからないが母親のいる本国
の子供は大変だと思う。早くルスラン先生に戻ってきてほしいよ」
今までマリアの担任だった男性教諭のルスラン・アミルスキーは子供が生まれたという
理由で長期休暇の中にあった。最も結婚したという話を聞いたことはなかったが。
25
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「どれ、ごちそうさまだ」
爽やかな夏のそよ風によって紺色の髪がわずかに揺れるだけで甘い香りが漂ってきそう
なマリアは胃袋にエッグマフィン風の何かを二つ入れた時点で満腹を訴えた。
「姉さん、もう食べないの?」
エッグマフィン風の何かは弟が膝上に置いたバスケットの中をまだ半分も埋めていた。
「腹が一杯になった。それに最近デスクワークばかりで増えてしまってな」
「増えたって何が?」
マリアは舌を出す。
「女の子の魅力だ」
「うわぁ䢧䢧」
冷めた視線を向けてくるユーリの前でマリアは制服を捲り、弛んだ腹の肉を抓む。
「冗談はさておき最近は階段を上るだけで息が上がるようになったぞ」
「姉さんそれ病気だよ」
「うるさい!」
「大体、この間の健康診断で姉さん何個引っ掛かったの?」
「え、えーっと䢧䢧内臓脂肪に血糖値、あとなんだっけ」
マリアは額に脂汗を浮かべながら自分の体の問題個所を指で数えていく。
「どうでもいいけど姉さんって変わった数え方するよね」
26
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「そうか?」
ユーリが指摘したようにマリアは小指側から指を折っていた。だから二つを数えた今は
小指と薬指が折れて中指と人差し指、親指が立っている。
「普通、指で何かを数えるときって親指から折らない?」
「そうなのか? 私はこう数えろって教えられたぞ」
「僕はそんなこと教えてもらった記憶ないよ䢧䢧いや、別にいいけどさ」
そんなやりとりをしているうちに、胴体にヴォルクグラード学園軍の所属を表わす赤い
狼のマークを描いたドイツ製のヘリ䢣䢣Fa223ドラッヘが屋上に着陸した。爆音が響
き渡り、二つもあるメインローターの風圧でバケットやシートが吹き飛びそうになる。
「ちょっと仕事をしてくる。今日は先に夕飯を食べて寝ていろ」
「あの䢧䢧姉さん!」
歩き出したマリアの背中にユーリは声をかける。
「必ず帰ってきてね。僕、姉さんを待ってるから」
「信用しろ」
不安の表情を浮かべる弟に肩越しのウィンクを送ったマリアはすぐに機上の人となった。
「何が信用しろだ。馬鹿馬鹿しい」
マリアは侮蔑めいた笑みを口元に浮かべながらヘリの座席に腰を埋め五点式のシートベ
ルトを締める。そして鋭い棘を持ち猛毒に満ちた口調で呟く彼女は親指を舐めるや否や学
27
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
生服のポケットから取り出した札束を数え始める。
「人は裏切り機械は壊れる。この世で裏切らず、壊れないのは金䢣䢣こいつだけだ」
■
サカタグラードのグリャーズヌイ特別区はアルカが持つ深い闇を具現化したかのような
場所だった。マリア・パステルナークによる軍事クーデターで母校を追放された人民生徒
会支持派の生徒達はここに押し込められ、現在厳しい生活を強いられている。
グリャーズヌイ特別区を覆うコンクリート壁の前にはクーデター時の不発弾や地雷が多
数埋設されたまま残っているため立ち入ってはならないという警告が書かれた立て看板が
幾つも設けられ、その内側は薄汚い布を何重にもかけた小屋や、行き場所のない生徒達が
有り合わせの材料で作った急ごしらえの集落でびっしりと埋め尽くされていた。
「あー䢧䢧」
グリャーズヌイ特別区の片隅から空を見上げるノエル・フォルテンマイヤー少佐の視線
の遙か先でB䢢17爆撃機の編隊が白い飛行機雲を残して進んでいる。
「ガーランド・ハイスクールのアークライト作戦だよ。戦線が崩壊しかけたときに絨毯爆
撃で何もかも消し飛ばす。きっとどこかの代理戦争で収拾がつかなくなったんだろう」
エンジンオイルで湿らせ、たっぷりと泥をつけた二メートル程の麻布を地面に広げる副
28
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
官のエーリヒがそう教える。彼は今、狙撃兵用の偽装ネットを手作りしていた。
「へぇー!」
蒼空に向けられたノエルの瞳が輝く。
「見てみたいなぁ。きっと凄いんだよ。戦場が丸ごと爆発しちゃうんだよ」
「空を見てないで手伝ってよ、ノエル」
シュネーヴァルト学園軍第三十二大隊の事実上の指揮官は本来のリーダーであるノエル
ではなく副官のエーリヒ・シュヴァンクマイエルだった。
「エリーが私に手伝ってと話すということは一通り作戦の準備は終わったみたいだね」
百八十センチを超える長身の少女は満足げに人差し指を立てた。
「準備は終わってる。でもノエル、第三十二大隊の指揮官である君が副官の僕に指揮権を
全部委譲するだなんて普通だったらあり得ない話だよ」
「子供同士の殺し合いの方が余程『普通だったらあり得ない話』じゃないのかな?」
ノエルの視線は空から困った顔をするベレー帽を被った少年へと移る。
「良く言えば君を信用しているから任せるんだよ。安心するといい。責任は私持ちだから、
君は失敗しても処罰されない。もっと肩の力抜いていこーよー」
「そういう問題では䢧䢧」
「かといって私が指揮を執ったら完璧主義者のエリーは不満を抱くだろう?」
エーリヒは溜め息を吐く。
29
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「君がほったらかしにしてたSOP(注1)は僕の方で昨日作っておいたから、後でノエ
ルもちゃんと目を通しておいてね」
「やっぱりエリーは真面目だね。みんなに激しく楽しく面白く人殺しをしようって言えば
済むだけの話じゃないか。わざわざ面倒臭いことやってると頭がおかしくなっちゃうよ」
無視してエーリヒは続けた。
「エア・ヤマガタからの物資が到着次第ドレイク・ルージュ作戦を開始する」
「らじゃ」
エーリヒ達はアルカにおけるドイツ連邦共和国の代理勢力、シュネーヴァルト学園第三
十二大隊のLRRP(注2)チームであり、二人の周囲では武装した同校の兵士䢣䢣生徒
達が銃火器や装備品のチェックを行っていた。現在、本隊は別の場所に展開している。
エーリヒや他の兵士達がタバスコやカレー粉で味付けした不味いことに定評のあるアメ
リカ製野戦用携帯食料を胃袋に収めた頃、二つのメインローターを持つ数機のヘリが爆音
を響かせながら荒れ果てたグリャーズヌイ特別区に着陸した。機体塗装は白一色でその胴
体には『愛は空から舞い降りる』とピンク色の英語で描かれている。
「ようドイツ人!」
中から出てきたアメリカ人パイロット達が陽気に挨拶してヘリから物資を降ろしていく。
このエア・ヤマガタはアルカへ出資している大人のアメリカ人達が作った航空会社で、
中立という建前で各校の表沙汰にはできない特殊作戦を支援していた。今回の場合も例に
30
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
漏れずヴォルクグラード人民学園への民生物資輸送が彼らの表向きの業務だった。
「ご苦労様です。ところで䢧䢧」
エーリヒはパイロットに書類を渡しながら本国の報道関係者の動向を問う。
「心配いらない。出世しか頭にないニューヨークタイムズの記者達は䢣䢣」
アメリカ人のペンが心地良い音を立てて紙の上を走った。
「今頃清潔な居住区でコーヒー片手に公式情報をそのまま本国に流してるよ」
「わかりました。ありがとうございます」
感謝の言葉を述べたエーリヒは胸ポケットから数センチはあるドル紙幣の札束を抜き取
り何気ない動作でパイロットに差し出した。
「いつも悪いな」
「いえいえ」
それを受け取り何の躊躇いもなく笑顔で去っていくパイロットも最初は良心からエア・
ヤマガタに入り物資輸送を行っていた。彼は就業一週間目で自分が運ぶ物資が民生品では
ないことに気付き激怒したが、すぐに一ヶ月間で本国で働く一年分の給料を稼げることに
も気付き怒りは感謝へと変わった。給料以外にも今のような臨時収入だって期待できる。
エーリヒにしてみてもエア・ヤマガタの方が学園正規軍の補給部隊よりも付き合いやす
かった。一度シュネーヴァルト学園の正規軍から補給を受けたとき、補給を受ける直前に
なって補給予定地点からの移動を命じられた。司令部に理由を問い質してみると「お前ら
31
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
の顔は正規軍の兵士に見せるには余りにも品がなさ過ぎる。だからヘリの足が地上に触れ
る前までに、お前らの吐いた汚い息が世界平和のために戦う立派な兵士達にかからないよ
うにさっさと移動しろ」という返事を浴びせられ心底嫌な気分にさせられたものだ。
「ノエル、どうしたの?」
ヘリが去っていった後、エーリヒは立てかけられた地図を見るノエルに歩み寄る。
「グリャーズヌイ特別区って地図に載ってないんだね」
ノエルが言うように、サカタグラードの地図に今第三十二大隊のLRRPチームが秘密
裏に展開している汚い街は一切描かれていなかった。
「ヴォルクグラード人民学園は表向き政情安定ということになってるからね。この特別区
はそもそも存在しないし、僕達もここには存在しない」
エーリヒはこれから我が軍には不正規戦を行う兵士など一人も在籍していないという見
え見えの公式声明を発表しているシュネーヴァルト学園の特殊部隊がサカタグラード奥深
くで行う秘密作戦の概要についてノエルに説明した。
「大体わかったけど䢧䢧一体ここには何があるんだろうね? それらしい言葉で体裁を繕
った世界が案の定生み出した歪みかな?」
説明が終わった瞬間、ノエルの爬虫類に似た縦スリットの瞳に寒々とした光が宿ったの
をエーリヒは見逃さなかった。全く体温を感じさせない瞳䢣䢣可愛らしい顔をした少年は
まるで蛇に睨まれた蛙のように思わずその場に立ち尽くして黙りこくってしまう。
32
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「きゃーっち!」
突然ノエルはエーリヒの手を取り自分の左胸へと押し当てた。
「ちょっと!」
「突然で悪いんだけど感じて欲しいんだ」
顔を真っ赤にするエーリヒに構わず、ノエルは彼の手を軍服越しにでもわかる豊満な胸
へと強く強く押し込んでいく。ボリューム感溢れる胸がエーリヒの指で撓んだ。
「私の左胸と、その心臓の鼓動を」
「な䢧䢧な䢧䢧何を言っているのかわからないよ䢧䢧!」
耳まで赤くなったエーリヒは急いで手を振り払った。
「ううう䢧䢧」
激しく泳ぐ少女の視線はある一箇所を捉えた。
「の、ノエル!」
「なに?」
「そ、そ、その自動小銃!」
第一関節から先だけが露出する薄手の黒いオープンフィンガーグローブに包まれたエー
リヒの指が、ノエルが肩にスリングで掛けたMKb42自動小銃を指差す。
「これがどうかした?」
「じ、じ、銃のセレクターレバーに音が出ないようにテープを巻かなきゃダメだって教え
33
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
たじゃないか䢧䢧そのままにしてると動かしたとき敵に気付かれるから䢧䢧」
「はいさーい」
にししとノエルは笑う。
「だけどさ、そんなに気合入れてもしょうがないよ、エリー。大体チャビン・デ・ワンタ
ルだってまだ全然出来上がっていないんだから」
「えっ䢧䢧知ってたの?」
頬を赤らめつつもエーリヒは意外そうな声を発した。
「そりゃ私は第三十二大隊の最高指揮官だからねい」
「じゃあ聞きたいんだけど」
「なにかな? なにかな?」
エーリヒは一呼吸置いて話す。
「今回のドレイク・ルージュ作戦の目的は一体何なの?」
「知らなかったのかい?」
今度はノエルが意外そうな声を発した。
「エーリヒ・シュヴァンクマイエルにとってのドレイク・ルージュ作戦は君が過去を払拭
するために行われるものさ。そう、マリア・パステルナークとの過去をね」
口を噤んだままエーリヒは何も答えなかった。ただ眉間には深い皺が寄っていた。
「そしてこの私、ラブリーエンジェルなノエル・フォルテンマイヤーちゃんにとってのド
34
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
標準業務準則。
長距離偵察部隊。
レイク・ルージュ作戦が持つ意味は䢣䢣」
言葉を遮り、にゃーんと甘い声を発したノエルは人差し指でエーリヒの顎を持ち上げる。
「それはね䢧䢧」
性懲りもなくまたも赤くなるエーリヒに対してノエルは大きく息を吸い込み、
「ひみつ!」
ぺろりと舌を出して左目のウィンクを送った。
注1
注2
■
授業や任務のため殆どの住人が部屋を空けている昼下がりのヴォルクグラード人民学園
学生寮においてたった一つだけ例外が存在していた。
薄暗いエレナ・ヴィレンスカヤの部屋全体を照らしているのは木製の台の上に置かれた
小さなテレビで、そこには生徒達で埋め尽くされたヴォルクグラード人民学園の定例記者
会見室が映っている。室内に溢れる熱気はブラウン管越しにでも伝わってきそうだった。
「ヴォルクグラード人民学園の皆さん、生徒会長のマリア・パステルナークです」
35
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
演壇に立つマリアが口を開いた。
「二日前、人民生徒会の残党が私を襲撃しました」
手元の原稿を全く読もうとしないマリアは数百の視線を一身に浴びながら悲しみに満ち
た表情で話す。だが彼女はすぐ言葉に詰まり、失礼と嗚咽しながら涙を拭った。
「私は多くの勇気ある生徒会役員に守られました。彼らは有望な未来を捨てて私を守った
のです䢧䢧復讐は次の復讐を生みます。復讐の連鎖は止めなければなりません」
力強く顔を上げてマリアは続けた。
「ですが、我々はテロリストに屈するべきでしょうか? 彼らが命を賭して守ろうとした
のは私ではありません。ヴォルクグラード人民学園という、全ての生徒にとって䢣䢣いえ、
全てのロシアの民にとって神聖不可侵な場所を守ろうとしたのです!」
垂れ幕が下り、犠牲となった生徒達の顔写真が大きく映し出された。
「皆さん、私はもう一度問います。我々はテロリストに屈するべきでしょうか?」
熱い意思に溢れた様子でマリアは演壇から身を乗り出す。
「それとも、彼らの犠牲を無駄にしないために生き残った我々が戦うべきでしょうか?」
定例記者会見室のあちこちから事前に打ち合わせられた「戦うべきだ! 」
、 「我々は戦
わずして敗北はしない!」という力強い男子生徒の声が上がった。
「私はタスクフォース501に治安出動命令を下しました。そして私自身も多くの危険が
待ち受けるグリャーズヌイ特別区に赴きます。それは戦うためです」
36
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
水を得た魚のようにヴォルクグラード人民学園の生徒会長は続けた。
「今、我々は暗く寒い夜の中にいます。ですが、それは同時に希望に満ちた朝が近付いて
いることを意味します。テロリストとの戦いで我々は更なる犠牲を強いられることになる
でしょう。しかし本当の正義とは、テロリストの要求に屈することではないはずだ!」
満場の拍手喝采に包まれたテレビの前でエレナはひたすら鉈を研ぐ。彼女は作戦を知ら
されてからずっと空腹状態を続け、暗闇の中で暮らして凶暴性を高め続けてきた。
机の上に置いておいた電話がけたたましく鳴ると、エレナは反射的に先端で結われたプ
ラチナブロンドの髪を揺らして受話器を取る。
「もしもし」
「同志中尉、シュトルム444作戦が発動されました」
「了解」
エレナは受話器を置く。
七分十二秒後、彼女はヴォルクグラード学園軍のタスクフォース501に所属する米国
製M3ハーフトラックの車上で揺られていた。ハーフトラックとは前輪がタイヤで後輪が
キャタピラになっている軽装甲の半装軌車を指す。
車上で弾薬箱や床に敷いたケヴラー抗弾パネルに腰掛けている他の兵士達の体からは石
鹸と歯磨き、アフターシェーブ・ローションの匂いが漂っていた。全員が空軍のパイロッ
ト用革製ジャケットに防弾チョッキを羽織り、ハーネスに予備マガジンを差し込んで頭部
37
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
をバイザー付きのチタン製フルフェイスヘルメットで覆っていた。そのせいで皆ロボット
じみた恐ろしい姿に見えたが、彼らは学生服姿であればにきび跡の残る若者達に過ぎない。
「ワクワクするよ。人を殺すのが楽しみでしょうがない」
プロトタイプこと本国の少年少女の数倍の成長速度と寿命、そして身体能力を有する戦
闘用の人造人間達は揃って戦いへの強い憧れを抱いていた。退屈な授業中にはしばしば教
室の窓外を眺めて戦場を夢見ているし、戦争を題材にした映画や小説に触れるたびにその
作中で描かれる兵士達の絆に強い感動を覚え、生き残り勝利した男達の姿に自分を重ね合
わせることもしばしばだった。
「ねぇねぇエレナ、これ見てよ」
自分を呼ぶ声を受けてエレナが前に視線を向けると向かい側に座る同僚のヴァルキリー、
オルガ・グラズノフがアメリカ製のアイスクリーム容器を見せてきた。
「これは手作りの指向性対人地雷(注1)で䢧䢧」
オルガが膝の上に乗せた、夜こっそり食堂から盗み出したであろう全部食べたら確実に
糖尿病になりそうなアメリカン・サイズのアイスクリーム容器は粘着テープでぐるぐる巻
きにされていた。オルガが言うには、この容器の中にはプラスチック爆弾がみっちりと詰
め込まれ起爆時に凶悪な殺傷力を発揮するナットやボルトも加えられているという。
やがて車列はサカタグラードのグリャーズヌイ特別区へと侵入した。グリャーズヌイと
はロシア語で『汚い』を意味し、その名の通りこの地区は荒廃の極みにある。
38
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
ゲートが開くなり、いきなり炭化して黒くなった木が並んでいる風景と棒の先に刺され
た蝿の集る生首が目に入った。この世のものとは思えない地獄絵図䢣䢣鼻腔の奥を塩辛く
灼く腐臭によって兵士達の胸中が一気に重いものに支配される。
「全員降車!」
エレナが先頭を切り、続いて兵士達がハーフトラックから降りる。兵士達はTKB䢢4
08自動小銃を装備していた。この銃はグリップと引き金の後方に弾倉や機関部を配置し
たブルパップスタイルの新型自動小銃で、試験を兼ねてマリア派に使用されている。
兵士達は炭化した死体が数え切れないほど放置された地面を踏み締めて進んでいく。
水溜りに上半身を突っ込んだ焼死体には所々白が蠢いている。丸々と太った蛆虫だった。
「どうした?」
エレナは足を止めて呆然と一点を見つめる兵士に話しかけた。
何も答えない兵士の視線の先では骨と皮だけになった旧人民生徒会派の生徒達が動物の
ように四つん這いになり飢え死にしたかつての級友を貪っている。
「ロシアでは冬、遠くへ行くとき子供を一人連れて行く」
「なぜです?」
エレナは涼しい表情で焼け焦げた木の下に転がる歯形が残った骨や腐敗した臓物、糞尿
に視線を向けながらさも当然であるかのように答えた。
「食料にするためだ」
39
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
絶句して立ち尽くす兵士の横でエレナはポケットから錠剤を取り出し、口に放り込んで
ボリボリと噛み潰した。これは十分な睡眠を取れない航空機のパイロットが眠気を抑える
ために服用する覚醒効果を持ったモダフィニルという薬物で、戦場に到着すると彼女は必
ずこの薬を服用するようにしている。実感として存在するのは服用後に尿が発するドクダ
ミじみた独特の臭いぐらいだが、不思議なことに飲むと気持ちが落ち着くのだ。
「準備が終わりました。同志中尉、お願いします」
怜悧な表情を崩さないエレナに兵士が声をかけた。
「うむ」
エレナは眼前を埋め尽くす汚れ切った集落に兵士から手渡された拡声器を向けた。
「聞こえるか! 堕落した人民生徒会の亡霊共よ! 我ら鋼鉄の軍勢が貴様らに残された
歴史上最後の巣を包囲した! 武器を捨てよ! 家を捨てよ! 希望を捨てよ! 我々は
同志マリアの意志に抗おうとする者全てを叩き潰す!」
横に立っていた気の弱そうなマリア派の将校が小声で「そこまでで結構です。今から話
し合いによる交渉を䢧䢧」とエレナに耳打ちする。
「勇敢なる同志諸君!」
だが彼女は無視して背後に居並ぶ完全武装した兵士達に叫んだ。
「今日! アルカの底を這い回るゴキブリ共は我らの鉄拳によって粉砕されるであろ
う!」
40
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
タスクフォース501の兵士達が一斉にヘルメットのバイザーを降ろし、
「全ての障害を薙ぎ払え!」
カーキグリーン一色に塗られたT䢢34/85中戦車やJSU䢢152重自走砲のよく
整備されたディーゼルエンジンが始動、黒い煙がマフラーから立ち昇り、
「我らは狼の血を継ぐ者達である!」
自動小銃や短機関銃の安全装置が外れる金属音が連続して鳴り響き、
「グリャーズヌイに潜む下劣の者共を奴ら自身の血の中に沈めてやるのだ!」
「Урааааааааааааааааааааааааааааааааааа!」
「Урааааааааааааааааааааааааааааааааааа!」
「Урааааааааааааааааааааааааааааааааааа!」
最後にマリア・パステルナークを妄信する全ての者達が万歳の叫びを上げた。
「同志諸君! 私に続け!」
固着の掛け声と共にヴァルキリーへと変身し濃緑色のマナ・ローブを纏ったエレナを先
頭にしてヴォルクグラード学園軍のタスクフォース501䢣䢣事実上のマリア・パステル
ナーク親衛隊䢣䢣は一斉に汚らしい居住地へ突撃した。
今ここにシュトルム444作戦が開始された。
この作戦はサカタグラードの一角に潜伏中の旧人民生徒会派のテロリスト達を殲滅する
ことが目的だ。公式記録にはそう残されるし、もし存在していないはずのグリャーズヌイ
41
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
特別区の存在が明るみになっても、旧人民生徒会派が凶悪なテロを起こして罪なきヴォル
クグラードの生徒会役員達を殺したという事実は揺るがない。形はどうあれマリア・パス
テルナークはこれまで存在していないという政治的理由から手出しができなかったグリャ
ーズヌイ特別区を合法的に叩き潰そうとしていた。そして、既にその大義名分は意図的に
情報を流し人民生徒会派に生徒会室を襲撃させた彼女によって作り出されていた。
こうして惨劇の幕が上がった。
エレナは一つの小屋の前で足を止めると、目を閉じ、音を立てて息を吸い込んだ。
「鼠が隠れているぞ。臭いでわかる。手榴弾をよこせ」
たっぷりと炸薬の詰まったパイナップル型手榴弾がにやつくマリア派の兵士からエレナ
に手渡される。彼女はすぐにピンを抜いてそれを小屋の中に放り込んだ。
爆発が起きて一秒としないうちに悲鳴を上げながら哀れな程に薄汚い格好をした二人の
男子生徒が黒煙の中から相次いで飛び出してくる。
エレナは一人に足をかけて転ばせ、全力で逃走するもう一人の背中にマチェット䢣䢣鉈
を投擲する。血飛沫が弾け、背中に刃が突き刺さった少年が泥水の中に倒れた。
「やめてくれ!」
続いてたった今転ばされて泥に顔を埋めたもう一人の男子生徒の両肩が兵士達によって
押さえ付けられ、その後頭部と両側頭部に銃口の硬い先端が向けられる。
「半袖がいいか? 長袖がいいか?」
42
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
つい数秒前までは生きていた死体の背中からマチェットを抜き、刃を振って付着した血
液を振り落としたエレナは恐怖で股間を濡らす男子生徒に問う。当然意味がわからない彼
は言葉に詰まるが、回答を急かすかのように他の兵士達から銃口で頭を何度も小突かれた。
「同志中尉が半袖か長袖かと聞いているんだ! 答えろ!」
「は、半袖を䢧䢧」
「よし、やれ」
怒鳴り声で回答を促した兵士達は男子生徒の腕を捲り始める。
「な、何を䢣䢣」
「お前は『半袖』を選択した。自分の意志でな。ならば責任を持て」
兵士達は男子生徒の手首と肩を掴んで腕をロープのようにピンと突っ張らせる。そこへ
エレナのマチェットの刃が振り落とされ、鋭い音と共に腕が切断された。
「次だ」
同じようなやり方でエレナは次から次へと捕えられた生徒の四肢を切断していき、瞬く
間にグリャーズヌイ特別区の一角には切り落とされた手足の山が作り出された。
「刃物で殺すぐらいなら、いっそ銃で即死させて下さい!」
そう懇願する女子生徒に「ほう」と一瞥を送りながら、エレナは死体で溢れ返った用水
路に足を踏み入れ、一つの死体の腹を裂いて中から心臓を取り出す。
「こいつを食え。食ったら銃で殺してやる」
43
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「えっ䢧䢧」
タスクフォース501の最強戦力が握った血まみれの心臓を見せられてただでさえ青白
くなっていた女子生徒の顔から更に血の気が引いていく。
「やめて下さい䢧䢧それ以外のことだったら、なんでもしますから䢧䢧」
「ん?」
媚びた視線、機嫌を取るかのような女子生徒の口調にエレナの眉が動く。
「それ以外のことなら何でもすると言ったな?」
エレナは胸を撃たれ、虫の息で痙攣する近場に転がっていた男子生徒を指差す。
「あれを殺せ」
「で、できません」
女子生徒が尻で後退りしながら、
「そ、そんなことできません。やめて下さい䢧䢧」
涙声で懇願した。
「しょうがない奴だな。なら耳を切り取れ」
「切れません䢧䢧切れません䢧䢧」
「あまり我侭を抜かすな。自分の立場をよく考えろ」
泣きながら哀願していた女子生徒だったが、エレナから喉元にまだ生暖かい血液で濡れ
ているマチェットの刃を突き付けられてようやく自分の立場を認識した。
44
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「死にたくないのなら選択しろ」
女子生徒は観念した様子で強く目蓋を閉じ、唇を大きく震わせながら意を決して「わか
りました䢧䢧あの人の耳を切り取ります䢧䢧」と口にする。
「ごめんなさい䢧䢧ごめんなさい䢧䢧」
自分を指差し、唾を吐くマリア派兵士達の前で女子生徒は泣きながら落ちていたガラス
片を動けない男子生徒の耳に突き立てた。途端、眼前の地獄絵図を面白おかしく笑ってい
た兵士達でさえ一気に凍りつくような男子生徒の絶叫が響き渡った。
「ごめんなさい䢧䢧どうか生きて䢧䢧助かって䢧䢧!」
たった今かつてのクラスメイトの耳を切断した女子生徒は涙を流し、膝下に広がる鮮や
かな血の池で咽び泣く。だが彼女の願いも空しく男子生徒は激痛でショック死した。
「よくやったな。ほれ、褒美だ」
軍用ブーツで包まれたエレナの爪先が女子生徒の鳩尾に突き刺さった。鈍い音と共に勢
い良く細い首が後方に倒れ、赤く汚れた両手が揃って天を仰いだ。彼女が血の糸を引いて
爪先を引き抜くなり奇妙に膝が折れたまま絶命した女子生徒の上半身が地面に倒れ込む。
「狂人め!」
両手を後ろで縛られ、マリア派の兵士達からこめかみに拳銃を押し付けられて地獄絵図
を強引に見せられていた別の旧人民生徒会派生徒からの罵声にエレナは「違うな」と返す。
「私はただお前達に対しては道徳と善悪をわきまえないだけだ」
45
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
彼女が怒りに肩を震わせる生徒に侮蔑の視線を向けたとき、青い光が視界の端を走った。
「伏せ䢣䢣」
エレナが言い終える前に彼女の真横を白煙を引いて通過した六十ミリロケット弾がM3
ハーフトラックに吸い込まれた。爆発が空を緋色に染め、岩と泥の塊、金属片や兵士達の
肉片が周囲に四散する。炎はすぐ黒煙に変わり悪臭を放つ根源となった。
「戦場で屠殺をやるゴキブリ共め!」
たった今タスクフォース501に奇襲を仕掛け、PPSh䢢41短機関銃片手に黒煙の
中で滞空しながら怨嗟の声で叫ぶ旧人民生徒会派の少女も、
「ほざくな!」
急上昇しながら憎悪の声を返すエレナも、共にヴァルキリーと呼ばれる存在だった。
ヴァルキリー䢧䢧それは地球に落下した隕石内に含まれていたマナ・クリスタルという
鉱石と、それに含有されるマナ・エネルギーとの親和性を有したアルカにおける学園大戦
の生態系の頂点に立つごく少数のプロトタイプを指す。
「応戦しろ!」
空を乱舞する旧人民生徒会派ヴァルキリーに対してマリア派兵士達が発砲した自動小銃
から猛烈な勢いで空薬莢が排出されて血が染み込んだ赤茶色の地面に転がる。グリャーズ
ヌイ特別区に立ち込める脂っぽい血液の臭気にコルダイト火薬の悪臭が混ざった。
「チェキストの蛆虫共が!」
46
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
今や空を舞う存在となったエレナが手にしたTKB䢢408自動小銃を急降下しつつ発
砲するのと同時に旧人民生徒会派ヴァルキリーは激しい発射音と自分の周囲を高速で通過
する七・六二ミリ弾の音を聞いた。迫り来る怨敵との距離が近付くのに比例して音は弾丸
が頭を掠めるピシッというものに変わっていった。
空中でエレナと旧人民生徒会派ヴァルキリーは鋭く交錯しエレナは青い粒子を振り撒い
て右旋回しながらTKB䢢408自動小銃のトリガーを引く。
「クソッ!」
マナ・フィールドを展開するよりも早く旧人民生徒会派ヴァルキリーの左前腕に何かが
突き刺さった。痛みはない。ただ腕全体に痺れが走っただけだ。
「腕ぐらいくれてやる!」
旧人民生徒会派ヴァルキリーは腱が切れ、骨も折れて砕かれたことで今や血みどろの塊
に成り果てた左手のことなど意にも介さない様子で今度は降下していくエレナを追った。
「代わりに命をもらう!」
背部飛行ユニットの推進器から青い粒子が一際強く噴き出し、爆発的なエネルギーで人
工的に工場で製造された少女の肢体を前へ前へと突き進める。
「わざわざ殺されに来たか! ならば殺してやる!」
エレナは横一回転の勢いを利用してワイヤーを付けたマチェットをブーメランのように
して迫り来る旧人民生徒会派ヴァルキリーへと投擲した。旧人民生徒会派ヴァルキリーは
47
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
突然左の脇腹に衝撃を覚え、刹那に痛みを感じる。脇腹に視線を向けると、どす黒い染み
が濃緑色のローブを猛烈な勢いで侵食していた。
「死ね!」
エレナの声を聞いた旧人民生徒会派ヴァルキリーが視線に前に戻すなり、もう一本のマ
チェットの刃が顔面に突き刺さった。絶命と同時に刃が引き抜かれ、傷口から血と脳漿が、
眼窩から神経に繋がれた白い眼球が飛び出した。最後に力の抜けた肢体が痙攣しながら地
面へと吸い込まれ、湿った音を立てて木っ端微塵に四散する。
今日最初のヴァルキリーを見事仕留めたエレナは地上で円陣を組み突然の待ち伏せに攻
撃に対し激しく応戦するマリア派兵士達に合流した。
「弾幕を切らすな!」
「敵ヴァルキリーに攻撃を集中! 絶対に一人で戦うな!」
フルオートでマガジン六本を一分以内に撃ち切れ䢣䢣待ち伏せをするとき、あるいは待
ち伏せをされたときの鉄則をマリア派兵士達は正確に実行していた。エレナと同じように
ブルパップ式のTKB䢢408自動小銃を装備した兵士達は迫り来る敵にありったけの弾
丸を叩き込む。集中砲火を浴びたヴァルキリーの服に赤黒い色が滲み、片腕が千切れ、真
っ赤な肉の破片を撒き散らして地面へと崩れ落ちる。実際のところ、ヴァルキリーが生態
系の頂点に立てるのは時と場合によることも多かった。
「同志中尉! 我々は囲まれています!」
48
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
一人の兵士がバラクラバ(注2)から覗く目に強い焦燥の光を湛えてエレナに伝える。
「このままでは全滅しま䢧䢧」
エレナの視界の隅に銃口炎の閃光が走った直後、頭を撃ち抜かれた兵士は濡れた床で足
を滑らせたかのように勢い良くひっくり返って背中から地面に落ちた。すぐに人間と全く
同じ色をした血の池が痙攣する両足の下に広がる。
次に地面を跳ねた弾丸が足の肉を抉り、エレナは「痛ッ」と抑揚のない声を出す。撃た
れた右の太腿を掴むと指の間から血がどくどくと流れ出てきた。
途端に言いようのない怒りが湧き上がってきて、エレナは死体の脇に転がっていた対戦
車ライフルを抱えて空中に飛び上がった。すぐに地上へ銃撃を浴びせていた旧人民徒会派
ヴァルキリーがエレナに気付いて突進してくる。
エレナは思い切りPTRD1941対戦車ライフルのボルトを引き弾薬を装填した。
「私を舐めるのもいい加減にしろ!」
狙いを定められた銃口から十四・五ミリ弾が撃ち出される。
「チェキストの豚共が!」
だが空間を切り裂いて直進した銃弾は旧人民生徒会派ヴァルキリーが展開したマナ・フ
ィールドに阻まれて木っ端微塵に砕け散り、瞬く間に細やかな金属片へと変わった。
お返しとばかりに旧人民生徒会派のヴァルキリーは武器を米国製のM1バズーカに持ち
替え、その砲口から六十ミリロケット弾を吐き出した。
49
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
白煙を残して迫り来るロケット弾の速度は比較的低速だったが、エレナがマナ・フィー
ルドでの防御ではなく回避機動を取ろうとした矢先にそれは炸裂した。
「しまった、散弾だったか䢧䢧」
エレナが舌打ちすると同時に数千発の子弾が彼女に襲い掛かった。息ができなくなり、
鼓膜が激しく打ち鳴らされた。口と鼻に刺すような金臭さが広がる。
「いける!」
旧人民生徒会派のヴァルキリーは編隊を組んで六十ミリロケット弾装填のタイムラグを
埋めるかのように間髪入れず攻撃してきた。
「死ね!」
散弾が襲い掛かるたびエレナの視界が黄色に染まる。
「殺せ!」
酸素を奪う爆風。
「このままマリアのホワイトナイトを始末しろ!」
熱波が頬を炙り、顔面を覆った黒いグローブの指の間から血が泡立ち弾けていく。
「もらったァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
一人の旧人民生徒会派ヴァルキリーがスコップを片手にエレナへと迫る。だがそのヴァ
ルキリーはエレナに向けて得物を振り下ろすなり右腕を掴まれて引き千切られた。腹部に
エレナの右の拳がめり込み、肉を抉って薄桃色にぬめる内臓を引きずり出す。
50
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「甘く見るな! ヴィレンスカヤだぞ!」
絶命した戦乙女を捨てて顔を返り血で汚したエレナは別の敵に狙いを定める。
「こういう手合いに向きになるな」
「同志大佐!?」
一筋の粒子ビームが旧人民生徒会派ヴァルキリーを飲み込み、瞬く間に細胞一つ残さず
消滅させたのはその時だった。
グリャーズヌイ特別区に展開していた全てのプロトタイプとエレナを含む全てヴァルキ
リーが通常の五倍近い速度で飛来する白い戦乙女を注視した。
「マリア䢧䢧」
旧人民生徒会派のヴァルキリーが額に大粒の脂汗を浮かべ、
「パステルナーク䢧䢧!」
マリア派兵士がバラクラバの中で破顔一笑した。
「撤退するわよ!」
「馬鹿なこと言わないで! 私達はあいつに何もかも奪われたのよ! 何もかも!」
純白のマナ・ローブを纏い、大空を我が物顔で飛行するヴァルキリーことマリア・パス
テルナークはヴォルクグラード人民学園の生徒達にとって二つの意味を持つ存在だった。
一つは自由の象徴、解放のために戦った英雄。
もう一つは自分達の居場所を地球上から消滅させた忌むべき存在。
51
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
グリャーズヌイ特別区の上空で戦う旧人民生徒会派ヴァルキリー達は後者だった。
「䢧䢧そうね。なら、今ここで私達が討つ!」
堂々と飛行するマリアに幾つもの粒子光源が急速に近付いていく。
「お笑い種だな」
スカルバラクラバと呼ばれる骸骨が描かれたマスクで顔の下半分を覆い隠したマリアは
空中で縦に一回転し頭を地面に向ける。ソ連独自の調整が施された、丸い翼端と浅い後退
角を持つ固定翼䢣䢣そこに描かれた赤い狼のマークも揃って逆さまになった。
「テロリスト風情が私に立ち向かう?」
マリアは背部飛行ユニットとローブを繋ぐRIS(注3)の基幹レールから右腕側に伸
びた支持アームで保持されているマナ・パルスランチャーを構え、照準機の中央に明確な
殺意を持って迫り来るヴァルキリー達を合わせた。
「笑わせるな!」
マリアがトリガーを引くや否や銃口から膨大な量のエネルギーが解放された。図太い粒
子ビームが射線上にいた旧人民生徒会派ヴァルキリーを一気に三名焼き払う。
「火力がどれだけ高かろうが!」
「懐に入ればこっちが有利!」
それでもそれぞれ鉈とスコップを手にした二人の戦乙女がマリアに肉薄する。カートリ
ッジが排出され、再発射までの間に懐へ飛び込もうとしているのだ。
52
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「逃げるな!」
旧人民生徒会派ヴァルキリーは全速力で背を向けたマリアに迫るが、彼女は水平飛行し
たまま進行方向と高度を一切変えずに体の仰角のみを九十度近くに変え、
「パステルナーク!」
そのまま後方に一回転、猛追してきた旧人民生徒会派ヴァルキリーの背後を取った。
「クルビット!」
マリアは口から吐血しながらオーバーシュートした敵に対して叫ぶ。
パステルナーク・クルビットとはマリアがヴァルキリー同士の空戦で勝つために編み出
した戦法である。相手に後ろを取られて不利な状態から逆に背後を奪い返して一気に優勢
なポジションを奪い取るというものだ。その際、彼女の肉体を襲うGには凄まじいものが
あり、無謀にもマリアの真似をして命を落としたヴァルキリーは少なくない。
「墜ちろ!」
真後ろという絶好の射撃ポジションを手に入れたマリアは口元を緩めてマナ・パルスラ
ンチャーを放つ。二人の少女は爪先から粒子ビームに包み込まれてあえなく消滅した。
「マリアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
真下から裂帛の気合を発して新たな旧人民生徒会派ヴァルキリーが急上昇してくる。
「ん?」
旧人民生徒会派ヴァルキリーは対戦車ライフルの銃口をマリアに向けようとするが、
53
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
易々と銃身を彼女が左手に装備したマナ・クローアームで捕獲されてしまう。
「まさかそれで終わりか?」
「なっ䢧䢧」
鈍い金属音を響かせてクローアームが対戦車ライフルの銃身を捻じ曲げる信じ難い光景
を目の当たりにした旧人民生徒会派ヴァルキリーの顔が急速に蒼ざめていく。
マリアは完全に使い物にならなくなった対戦車ライフルを投げ捨てると旧人民生徒会派
ヴァルキリーの頭部にマナ・パルスランチャーの太い銃口を叩き付け、構うことなくトリ
ガーを引いた。重い音と共に空になったカートリッジが煙を残して排出され、上半身が綺
麗になくなったヴァルキリーの下半身が俄作りの屋根に落ちて廃材を周囲に四散させた。
「よくも! よくも!」
「うるさいぞ」
マリアは心底嫌そうな顔をして振り向く。そして背後から振り下ろされたスコップの一
撃を舞うようにして避け、新たに現れたヴァルキリーの右足に前蹴りを放つ。骨が右膝の
裏から飛び出し、肉片混じりの血が空を汚した。
「戦場でワーワーと騒ぐな。イライラするんだ」
マリアがそう呟いた直後にマナ・クローアームのクロー部分が音を立てて左右に開く。
「まるで昔の自分を見ているみたいで䢧䢧」
マリアはクローアームで既に戦闘能力をほぼ喪失したグリャーズヌイ特別区に残る最後
54
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
の旧人民生徒会派ヴァルキリーの頭を掴む。絶望で表情を歪ませる戦乙女の頭蓋骨がみし
みしと音を立てて圧迫され左右のこめかみから血が噴き出した。
「悪いんだが死んでくれ」
酷く蔑んだ英雄の声と共にクローアームの中央部に装備されたブレードが火花を立てて
射出され、ヴァルキリーの口を左右に裂いて下顎と上顎を分離させた。
「ふむ。V䢢OICWはなかなかのものだな」
上顎を失って落下していくヴァルキリーを尻目に、マリアは血に染まったクローアーム
を開閉させながら満足げに呟く。V䢢OICWはマナ・クリスタルから生成されるヴァル
キリー用の個人主体戦闘武器で、彼女の場合は自らが使用するマナ・パルスランチャーと
マナ・クローアームを一つのセットとしてそう呼称するがそもそもV䢢OICWを運用可
能な個体は極めて少なく、大抵の場合ヴァルキリーは有り触れた通常兵器を使用していた。
「同志大佐!」
グリャーズヌイ特別区での戦闘がタスクフォース501の勝利で終わるなり空中にいた
エレナは同じく空の人となっているマリアに近付く。
「この程度の敵にお前が梃子摺るとは。観光気分か?」
スカルバラクラバを下げて顔の下半分を露出させたマリアが長い髪を掻き上げて加虐の
視線を向けると、土の味しかしないエレナの口内が一気に乾いた。
「も、申し訳ありません䢧䢧処罰は必ず䢧䢧」
55
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
一定の方向にのみ爆発力を発揮するように成型した爆薬を使う地雷。
「冗談だ。それよりも地上の状況は?」
「は、はい」
叱責の恐怖から解放されたエレナは上ずった声を発する。
「地上では掃討が始まっています。旧人民生徒会派はこれで一掃されることでしょう」
「ふむ」
マリアの声は満足げだったがその表情にはどこか空虚なものも見え隠れしていた。
「ところでエレナ、私は思うんだが」
「なんでしょう?」
ヴォルクグラード学園軍大佐は少し考えてから言う。
「もしも本当に神がいるとしたら、グリャーズヌイ特別区という地獄はこの地球上に存在
するはずがない。だが現実にグリャーズヌイ特別区は存在した。何故だろう?」
「私にはわかりません。考えたこともありません」
「私はこう思う。その内にある本質のどちらが勝つのか、きっと神は人で賭けをしている
んだ。善と悪のどちらが勝つのかを賭けている。だが私はこんな疑問を抱えている」
マリアは口端を歪めつつ、吐き捨てるように言った。
「勝ち負け以前に、そもそも人の本質そのものが悪だったとしたら?」
注1
56
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
注2
注3
■
目出し帽。
オプション装備が可能なモジュラーウェポンシステムの一種。
戦闘が終わった後のグリャーズヌイ特別区はさながら一九四三年に現れたソドムの市と
でも言うべき場所に変貌していた。あちこちに臓物混じりの赤黒い血が配色され、手足が
あらぬ方向に曲がった死体や胸に大穴を開けられ肋骨と内臓を剥き出しにした上半身が転
がっている。とある死体の爆ぜた頭部から飛び散った脳味噌はカラス達に突かれていた。
地獄の一角では不幸にもマリア派の捕虜となった旧人民生徒会派の男子生徒達が足首と
手首を縛られ、汚い水溜りの上に腹ばいに転がされていた。執拗に殴られたせいで頭はサ
ッカーボールばりの大きさに腫れ上がり、血と泥で汚れた制服はぼろぼろになっている。
「先輩、暇なんでこいつら殺しちゃってもいいですか?」
マリア派のヴァルキリー、カティアが上官であるセルフィナ・フェドセンコに問うた。
「いいでしょう? どうせこいつら、もういない扱いになってるんだし」
「好きにしろ。ただあまり周囲を汚すなよ」
フェドセンコは捕虜虐殺を容認した。止めてどうこうなるものでもない。カティアが言
うようにここにいる捕虜は存在しない扱いだし、どうせ最終的にはあまり考えたくない末
57
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
路䢣䢣射撃訓練用の標的とか、そういう類の䢣䢣を遂げることになっているからだ。
「ソーニャ、行こう!」
「うん!」
上官の承認を得たタスクフォース501の戦乙女は自分と同じように無邪気な残虐さを
持つクラスメイトのヴァルキリーを伴って身動きの取れない捕虜達へと近付いていく。
「そーれ!」
まず、カティアは手近な捕虜の足の傷にその辺に落ちていた木の棒を突っ込んだ。傷口
から見え隠れする鮮やかな肉を抉られた捕虜は苦悶の呻き声を漏らす。
「うわー、痛そう」
「カティアちゃん、それもっと突っ込んでみようよ!」
ソーニャに促されてカティアは更に深く棒を捕虜の傷口に押し入れた。苦痛に起因する
捕虜の呻きが叫びへと変わり、二人はそれが面白くて大笑いしてしまう。
「ファシストの䢧䢧サド野郎! 殺すなら䢧䢧さっさと殺せ䢧䢧!」
同じように手足を縛られ、腹ばいに地面に転がされた別の捕虜が吐き捨てるように言う。
「あ?」
「なにこいつ䢧䢧」
言葉の冷や水をかけられた二人は無垢な笑顔を露骨に不快な表情へと変えた。
「ヒトモドキの分際で言葉発しないでよ。カチンとくるからさ」
58
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
カティアは木の棒を捨てると腰の鞘からよく研がれた軍用ナイフを取り出し、たった今
生意気にも悪態をついた捕虜の上に乗って地面に押さえ付けた。
「ソーニャ、手を潰して」
「まっかせてー!」
ナイフで縄を切られて自由になった捕虜の手足をソーニャが踏み付ける。軍用ブーツで
覆われた踵が何度も何度も踏み降ろされ、肉と骨を滅茶苦茶に砕いた。
次に二人は捕虜を仰向けにして服を切り裂き、その柔らかい腹部を露出させた。
「ソーニャ、叫ばれると耳障りだから口押さえて」
ソーニャが口を無理矢理手で塞ぐなり「そーれ!」とカティアは捕虜の肌色の皮膚に鋭
いナイフの刃を突き立てた。くぐもった悲鳴が二人の鼓膜を震わせる。
「カティアちゃん、あんまり切り過ぎないでよ。死んじゃったら面白くないもん」
「わかってるわかってるぅ」
腹から飛び出した腸の凄まじい悪臭に捕虜は絶叫を上げたが、すぐにカティアのナイフ
で舌を切り取られた。彼女は次に心底面白そうに笑いながら捕虜の目へ刃を突っ込みそれ
を眼窩内で掻き回して眼球を穿り出す。視神経で繋がった白い目玉が地面に転がった。
そして、白い頬を赤黒い返り血で染めたカティアとソーニャが揃って笑い合い思わずキ
スしてしまいそうになった瞬間䢣䢣ソーニャの右頬から入った七・九二ミリ弾が左頬の肉
を吹き飛ばして貫通した。白い皮膚の破片と歯茎、血液が混じり合って地面に飛び散る。
59
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
ソーニャが絶命した捕虜の脇に倒れ込み、血相を変えたフェドセンコがカティアの後ろ
首を掴んでJSU䢢152重自走砲の残骸の陰に隠すのはほぼ同じタイミングだった。
「ちっく䢧䢧しょう!」
頬に開けられた大穴から白い歯と赤黒い歯茎を覗かせて地面を叩いたソーニャの手に銃
弾が食い込み、立て続けに親指と人差し指、中指を吹き飛ばす。
「クソォ! クソォ!」
苦悶の表情を浮かべたソーニャの涙声の叫びが戦場に木霊した。
「助けに行きます!」
「待てカティア!」
フェドセンコは残骸の陰から出ようとするカティアの腕を掴む。
「今出たら殺されるぞ!」
首を横に振ってフェドセンコは言う。今頃、敵の狙撃兵のスコープ内には血と土埃にま
みれた華奢な少女がのた打ち回る姿があるはずだ。そしてその狙撃兵は仲間を救うために
残骸の陰から飛び出す別のヴァルキリーの出現を心待ちにしているに違いない。
「ソーニャを見殺しにしろって言うんですか!?」
「奴の狙いはソーニャを囮にして私達を誘い出すことだ」
「だけど二人一緒に行けば䢧䢧」
「無理だ。相手は半自動狙撃銃を使っている。二人揃って殺られるぞ」
60
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「ではどうするんです?」
フェドセンコは捻りだすようにして答える。
「ソーニャを見捨てて後退するしかない」
「ふざけないで下さい!」
カティアは激昂する。
「私達は悪魔ではなく血の通った人間なんです! 先輩䢧䢧いえ、同志フェドセンコだっ
て同じでしょう!? 絶対に仲間を見捨てたりしません!」
フェドセンコの手を振り払い、カティアは残骸から身を乗り出し䢣䢣直後、銃声と共に
彼女の左足首が足と切り離された。
足首を失ったカティアの身体が砂煙を上げて勢い良く地面に倒れ込む。
「カティアちゃん!」
ソーニャの声で初めて、カティアは自分が撃たれたことを知る。
「ざまあないわね䢧䢧」
「カティアちゃん䢧䢧痛いよ䢧䢧痛いよ䢧䢧」
涙混じりの弱々しい声をソーニャは発する。
「大丈夫」
カティアの視界の隅で、狙撃銃のスコープの反射光に気付いたフェドセンコがマナ・フ
ィールドを展開しつつ空へと飛び上がっていく。
61
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「ソーニャ、大丈夫だからね。今に先輩が卑怯者をやっつけてくれるから」
カティアが励ました矢先に銃弾がソーニャの脇腹を抉る。鉛の塊は白磁の肌を易々とぶ
ち抜き、彼女の体内で筋肉や血管、内臓その他全てを巻き込んで徹底的に破壊し尽した。
裏返り、悪夢のようなソーニャの悲鳴が血まみれの肉片と共に撒き散らされ続ける。
「もう嫌䢧䢧殺して。痛いのは䢧䢧痛いのはもう䢧䢧嫌だよ䢧䢧」
「馬鹿!」
弱音を吐くソーニャに彼女の血で顔を汚したカティアが励ましの声をかける。
「諦めちゃダメ!」
だが諦めを誘うかのように意図的に狙いを外した七・九二ミリ弾が二人の周囲で何度も
何度も飛び跳ねる。そのたびに想像を絶する恐怖でソーニャの身体が震えた。
「くそ! くそ! 畜生! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!」
七分十二秒後、半ばヤケクソになったカティアは上体を起こして叫んだ。
「隠れてないで出てきなさいよ! 殺してやる! コソコソと戦うアンタなんかに䢣䢣」
返答は乾いた銃声だった。摘んで引っ張られたように軍服が持ち上がり、心臓を撃ち抜
かれたカティアは呆然と自分の胸に広がる赤を見る。
「えっ䢧䢧」
理解できないという様子で胸に視線を落としていたカティアの頭は、困惑の言葉を口に
した直後に再度の銃撃で顎から上を綺麗に消し飛ばされた。
62
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「カティアちゃん䢧䢧」
悪臭の湯気が立つ脳漿を見たソーニャにもう誰もグリャーズヌイ特別区の片隅で孤立し
た自分を助けてくれる者はいないという絶望的な現実が突きつけられた。
「死んじゃったの䢧䢧?」
ソーニャの股間から生暖かい液体が地面に広がっていく。
「カティアちゃん䢧䢧嘘䢧䢧だよね䢧䢧?」
腰のホルスターから拳銃を抜き、ソーニャは震える手で銃口を自らのこめかみに当てた。
「ヴァルキリー二名の死亡を確認」
帽子を被った頭と上半身を偽装ネットで覆った戦闘服姿のエーリヒ・シュヴァンクマイ
エルは虫の息だったヴァルキリーの自殺を見届けると使い慣れたGew43半自動小銃の
狙撃用スコープから目を離し、静かに立ち上がって近くの斜面を滑った。
「動くな」
下に着いて中腰の体勢から背筋を伸ばしたとき、彼の側頭部に銃口が押し当てられた。
「どうしてすぐにトリガーを引かない?」
フェドセンコは返事をせず、ただ大きく振り上げたTKB䢢408自動小銃のストック
でエーリヒの後頭部を殴り地面に倒した。
「あらゆる苦しみを味あわせてからゆっくりと殺してやる」
「苦痛を与えたいのなら最初に相手の頭を殴ってはいけない」
63
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
バラクラバから覗く眉間に鮮血を滴らせながらエーリヒは言う。
「痛覚が鈍ってしまうんだ」
淡々と話し続けるエーリヒの顔面に今度はフェドセンコの拳がめり込んだ。
「お前は私の大切な仲間を殺した! 嬲り殺しにした!」
「うん」
あっさりとエーリヒは認めた。
「確かに嬲り殺しにした」
「どうしてそんなにも落ち着いていられる!? どうして平然としていられるんだ!」
「僕は殺されるだろうね」
エーリヒは身を起こしながら大して興味もなさそうに言う。
「僕の所属する第三十二大隊の任務はいつも危険なものばかり。敵地への爆撃誘導、重要
拠点の確保、生身での対戦車攻撃䢧䢧偵察に行けば一日で五、六回は敵の姿を見る」
エーリヒはフェドセンコの目から一瞬たりとも視線を離さずに話し続ける。
「司令部はいつも『正規軍のタスクフォースがもしもの場合は支援を行う』とブリーフィ
ングで説明する。だけど、それを信じる兵士は一人もいない䢧䢧正規軍のタスクフォース
には最前線で戦闘中の第三十二大隊を連絡なしに見捨てて撤退の時間稼ぎにした前科が何
犯もあるんだ。存在すらしていない兵士。それが僕達第三十二大隊」
少年の言葉にはゾッとするような冷たさがあった。
64
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「君は満足するかもしれないけど、僕を殺したところで君には何の利益もない」
「利益䢧䢧? お前は一体何を言っているんだ!」
「ヴァルキリーを一人生産するのにグレン&グレンダ社は二十万ドルをかけるけど、プロ
トタイプはわずか百ドルで作られる。単純計算でこの二つの命には十九万九千九百ドルの
価格差がある。そうなるとヴァルキリーである君が利益を上げるには一人で二千人以上を
殺さなきゃいけない。だから僕一人を殺したところで君には何の得もないんだ」
エーリヒの話を聞く少女の顔は命をドルに換算する少年への嫌悪で引き攣っていた。
「そして、君は僕が『君の後輩を嬲り殺しにしたこと』について僕を残虐だとか、鬼畜だ
と非難する権利を持っていない」
「なんだと!?」
「君達が䢧䢧正確には君の後輩が無抵抗の捕虜を数名がかりで嬲り殺しにしたのは、自分
達が殺す相手は嬲り殺しにされるだけの理由があることと、捕虜を嬲り殺しにしても問題
がないことが君達の交戦規則で定められているという前提があるからだ。逆に言えば僕に
だって交戦規則という前提がある。マリア派のヴァルキリーを狙撃し、嬲り殺しにした上
でその仲間を誘導、射殺してもいいという䢣䢣ね。だから僕が君を非難する権利を持たな
いように、君にだって僕を非難する権利はないんだ。君の中で自分を棚に上げた子供の論
理を振り翳す行為が非難を意味しているとしたら話は別だけど」
TKB䢢408自動小銃を構えたフェドセンコの手の震えが増していく。彼女は言い返
65
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
せなかった。エーリヒが正論を言い、しかもそれが図星だったからだ。
「交戦規則が心のリミッターを外し残虐性を引き出すという点ではプロトタイプもヴァル
キリーも、そして僕のような純然たる人間も同じだ」
実際のところエーリヒはプロトタイプではない。戦災孤児としてとある軍人の家に引き
取られたが、彼は自分と同い年やそれ以下の子供達の殺し合いで平和が維持されているこ
とに疑問と憤りを感じてわざわざアルカにまでやってきた変り種中の変り種だ。
「最後に䢧䢧無理かもしれないけど、これは怒らないで聞いてほしい。僕がさっき殺した
のは君の後輩だ。これは僕のガールフレンドが言ってたことなんだけど䢣䢣」
尻餅をついた体勢のエーリヒは怒りに震えるヴォルクグラード人民学園マリア派のヴァ
ルキリーからは死角になって見えない腰のナイフに手を伸ばす。
「人は死ぬ間際に本当の姿を曝け出すらしい。そうすると君の後輩が死ぬ様子をスコープ
で覗いていた僕は君以上に彼女達のことを知っていることになる」
そして少年はフェドセンコの怒りの導火線に火を着ける決定的な言葉を発した。
「カティアとソーニャ、どっちが情けなかったか教えてほしいかい?」
「貴ッ䢧䢧様ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
激怒したフェドセンコがTKB䢢408自動小銃のストックを宙に掲げた瞬間、エーリ
ヒは立ち上がって振り下ろされた一撃を回避し、彼女の後ろ髪を掴んで顎の下からナイフ
を突き入れた。案の定、彼女は感情的になって冷静さを失ってくれた。
66
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
少女の唇の上で弾ける血の泡の音を聞くエーリヒに表情はなかった。ナイフの切っ先が
頭の中を抉るたびにフェドセンコの閉じた唇が震え、その間から粘度の高い血液が流れ出
る。目が大きく見開かれてエーリヒを見るが、見られた側はなおも無表情を崩さず、フェ
ドセンコの頭部に入り込んだナイフの刃を左右に捻って脳髄や神経をズタズタに破壊した。
「流石エリー。三人も仕留めちゃった」
絶命したヴァルキリーの胸を足蹴にしたエーリヒに背後から声がかかる。
「運が良かっただけだよ。君の方は?」
エーリヒは軽やかに舞うような足運びで歩いてきた金髪の少女に問いかける。
「二人ってところかな」
顔を赤黒い返り血で汚したポニーテールの少女はヴァルキリーの死体をエーリヒの脇に
投げてよこした。可憐な少女の死に顔は恐怖と絶望で歪み、四肢が乱暴にもぎ取られた胴
体の皮膚は所々焼け焦げて黒くなりコルダイト火薬の耐え難い悪臭を放っている。
「エリーが言ったようにコソコソやらなくてもいいんならもっと殺せるんだけどなぁ」
「ノエル、まだそういうわけにはいかないんだ。我慢してよ」
ノエルは少佐でエーリヒは大尉だが二人はお互いをファーストネームで呼び合う。二人
に限らず心底裏付けのない精神論を軽蔑し、実戦に即した地道かつ過酷な訓練以外は何一
つ信用しようとしない第三十二大隊のメンバーは階級無視が基本で、それは士官と下士官
の間でさえも例外ではない。
67
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「二人合わせて五人。まずは䢧䢧ってノエル、血が出てるよ」
眠たげに欠伸するノエルのローブの股間はエーリヒが指差した通り黒く滲んでいた。
「ああ、どうせすぐに治るからいいよ」
「そういうわけにはいかない」
エーリヒは深刻そうな口調で言いつつノエルの前で膝立ちになり、急いで腰の医療キッ
トを外して地面に置く。そして彼女のマナ・ローブをナイフで切り裂いた。
「圧迫包帯をするからね。十分おきに血を䢧䢧あれ?」
傷口が全く見当たらなかったのでエーリヒは目を丸くして手を止めた。ノエルの肌は鉄
臭く冷たい血液で濡れはしていたが、どこを触っても外傷はない。
「エリーったら可愛い顔して大胆なんだねー䢧䢧」
「えっ」
エーリヒが顔を上げると、ノエルが口を猫のようにして嬉しそうに笑っていた。
「あっ䢧䢧」
プロトタイプやヴァルキリーの尋常ではない治癒能力をすっかり失念してしまったエー
リヒの頬は今や熱せられたバターのように蕩けてしまいそうになっていた。
「女の子のズボンを切り裂いておまたをさわさわするなんてエリーもえっちだなぁ䢧䢧」
ノエルはわざと頬を染め、普段は絶対に見せない表情をわざと作り目尻を緩めて暴力的
な色香を放つ。柑橘類じみた甘い臭気がエーリヒの鼻腔に流れ込んだ。
68
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「ごっ、ごっ、誤解ですッ! 誤解ですよッ!」
バラクラバから覗く目元を真っ赤にしながら、何故か敬語でエーリヒは否定した。
■
サカタグラードの学園地区とグリャーズヌイ特別区を分かつのはスナイパー・ストリー
トと呼ばれるヴォルクグラード学園軍の狙撃兵が警備する通りだ。
学園地区側は安全圏ではあるが、通りは異臭に包まれている。何故なら食料を求めて学
園地区に入り込もうとする旧人民生徒会側の人間が後を絶たない上、マリア派の死体はす
ぐ片付けられても人民生徒会派の死体は放置されて腐るからだ。最もグリャーズヌイ特別
区は数時間前にマリア派によって灰と死体の山に変えられたのではあるが䢧䢧。
「あの高度は規則違反だわ」
学生寮への帰路につくヴィールカ・シュレメンコは、低空で駆け抜けたヴォルクグラー
ド人民学園空軍のYak䢢9戦闘機が響かせる爆音に目を細めた。
「一体何の意味があるの?」
苛立ちを抱えたまま学生寮の自室に戻ったヴィールカは鞄をベッドの上に放り投げ、栗
色の髪をスプレーで薄緑色に変える。そして顔の下半分をガスマスクで覆い、右手に使い
慣れたマナ・クリスタルを装着しヴァルキリーへと変身した。
69
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
七分十二秒後䢣䢣ヴィールカは不正規クライムファイターというもう一つの姿でサカタ
グラードの地下にあるマリア派の物資集積所を襲撃していた。
電気の落ちた部屋の中に自動小銃のマズルフラッシュだけが煌き、高速で壁を疾走する
ヴィールカの姿を浮かび上がらせる。直後、彼女の肘が兵士のチタン製ヘルメットを激し
く殴打した。砕け散ったバイザーの破片が床を叩き、兵士は鼻血を出しながら倒れ込む。
「お願い! ここから出して!」
ヴィールカがお互いの背中を合わせて撃ちまくっていた兵士の頭を掴み、二人のヘルメ
ット同士を叩き付けて失神させると檻の中から悲痛な叫び声が聞こえた。
排泄物で汚れた檻の中にはマリア派が外貨獲得に使う貴重な『観光資源』こと、本国で
売春を強要させられる人身売買用の女子生徒達がいた。勿論旧人民生徒会派の生徒であり、
公式記録では既に学園のどこにも存在しない者達だった。
マリア派が『アルカの春』で人民生徒会を打倒できたのは、非合法な手段を用いて正規
のルートでは手に入らない量の兵器や軍需物資を本国から手に入れたからだった。麻薬密
輸、人身売買䢧䢧他にも、口に出すのも憚られるような悪事をマリアはあの時働いた。
今、アルカでマリアを処罰できる誰も者はいない。何故なら彼女は英雄だからだ。誰も
がマリアを信じているし、彼女が白だと話せば黒も白になる。事実上グリャーズヌイ特別
区への侵攻宣言となった追悼演説でもそうだった。彼女は生徒達の死を悼みながらそれを
利用して更なる死を生み出すと宣言し、生徒達も満場の拍手喝采でそれを受け入れた。
70
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
生徒会役員であり、かつてマリアと共に戦ったヴィールカは彼女が行った数々の非合法
行為が『アルカの春』を完遂するために必要なものだとは考えていた。そうでもしなけれ
ばマリア派は到底人民生徒会に勝てはしなかったからだ。だが、人民生徒会の打倒後もマ
リアが非合法行為に味を占め私腹を肥やし始めたとき、心の中に疑念が生まれた。
これは違う。間違っている䢣䢣と。
ヴィールカがそう思ったときにはもう遅かった。マリアは生徒会役員の大半を自分のイ
エスマンに置き換え、自分に意見する者を排除した。ヴィールカが残されたのは、ただヴ
ァルキリーとしてマリアと苦楽を共にした過去があるという理由だけだった。
最近になってマリアは事あるたびに自分に突っかかるヴィールカを登用したことを軽く
後悔しあわよくば排除できないかと考え始めているらしい。しかし自分がいなくなれば誰
もマリアに異を唱える者はいなくなる。だからヴィールカは命の危険を賭してまで彼女に
意見を言い続けるし、こうして一人闇に紛れながら戦い続けるのだ。
「急いでここから逃げるんだ」
ヴィールカが鍵を破壊して檻の扉を開けると汚物まみれの女子生徒が一人、まだ生きて
いる兵士の前で足を止めた。
「こいつ䢧䢧」
女子生徒の顔がみるみるうちに憎悪で歪む。彼女は落ちていたTKB䢢408自動小銃
を拾い上げるとその硬い木製ストックを振り上げた。
71
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
「やめろ!」
ヴィールカは慌てて二人の間に割り込み背中にストックの強烈な一撃を受けた。苦痛の
声が本来の目的には使われていないガスマスクで隠れた唇の間から漏れる。
「何を䢧䢧」
理解できない事態に困惑する女子生徒にヴィールカは「復讐は何も生まない」と返す。
「だってこいつ、私達を動物みたいに!」
「今はそうかもしれない䢧䢧」
ヴィールカは諭すような口調で話した。
「だが人の本質は善だ。どんな悪人であろうと変わることができる」
ヴィールカが不正規のクライムファイターとして戦う理由がこれだった。人は正しい心
を持っているから悪に染まってもまた善を取り戻せる。マリア・パステルナークだって例
外なく同じだ。今は一見すると救い難い悪に見えるが、ヴィールカは手を差し伸べさえす
ればかつての『英雄』に戻ると頑なに䢣䢣言い方を変えれば病的に信じていた。
「言ってることが理解できないわよ䢧䢧」
「今はそうかもしれない。だがいずれわかる日が来る」
女子生徒は「わかりたくもないわ」と兵士に唾を吐いて立ち去っていく。
「実に面白いね。君みたいな人がいるからアルカはやめられない」
突然の声にヴィールカが振り向くと、いきなり手足のなくなったマリア派兵士の死体が
72
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
彼女の足元に投げ飛ばされてきた。
血に濡れたビニールの垂れ幕が両手で広げられ、マナ・ローブに身を包んだ金髪の少女
が女子生徒と入れ違いの形で物資集積所に足を踏み入れる。
「君を待っていたんだよ。私の愚妹、マリア・パステルナークと戦うダークナイト!」
ノエル・フォルテンマイヤーの口元が緩み白い歯が覗く。
「またの名をヴォルクグラード人民学園生徒会役員、ヴィールカ・シュレメンコ」
続いて眼鏡の奥で彼女の爬虫類じみた瞳が妖しい光を放った。
「テウルギストが何の用だ?」
「君はどこまで捧げられる? 心? 体? それとも尊厳?」
ノエルは質問に質問を返した。ヴィールカの話を聞くつもりは毛頭ないらしい。
それでもヴィールカが「全てだ」と真実を話したので、
「素晴らしいね!」
人の形をした悪魔は大きく両手を広げて満面の笑みを浮かべた。
「私が見込んだ通りだ!」
製本版に続く
73
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 FALLING OF LAST HERO 1943
74