民主主義(デモクラシー)の良き「成果物」としての 美しい都市・国士づくり

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民主主義(デモクラシー)の良き「成果物」としての
美しい都市・国士づくりは可能か
竹野克己
日本人の多くが短期、長期を問わず、海外旅行をすることが当たり前の時代となり、その感想として老若男女を問
わず、海外の食事や特に途上国におけるインフラ事情、交通事情の貧しさを語り、その一方で「なんと綺麗な街並み、
自然であることか」と感嘆して帰ってくる。このような状況をもたらす他国と日本との差というものは、非常に単純
な事項ながら、|体どこから生じてくるものなのであろうか。
当然考えられる理由としては、風土、自然といったその土地に独自に根差す性質、例えば「石の文化」と「木の文
化」の違い、日本のように災害の多い国と、そうでない国との違いといったものが挙げられるであろう。ただそれは
あくまで副次的な問題であると思われる。なぜならば、ある街並みが破壊されたとしても、それを作り変えるという
行為、新しく街並みを形成させるという行為そのものは、人々の潜在意識に訴える「美意識」にもつながる問題であ
り、それらを担保するのは、その国の歴史であり、また政治をはじめとした各種の制度であると思われるからである。
日本はいわゆる先進的民主主義的国家であって、その意味では米国や欧州の国々と全く変わりはない。海外の中で
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も、特にこれらの国々を訪れた人々が賛辞を贈る、その街並みや景観について考えてみた場合、特にその国家の制度
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的側面のみを考えてみた場合、民主主義の下にある日本は当然同じ土俵の上に立っていると考えることができる。し
かしそれでも他国との差、具体的にはヨーロッパにおける美しい街並みと自然に比して、日本における貧困な街並み
との差というものは厳然として存在する。これは一体何故なのであろうか。同じ政治制度を持つ国家において可能な
ことが、なぜ日本では不可能なのであろうか。
日本において徹底的に認知されていないのは、自らが住まう都市、広範囲に考えれば国土のあり方は、自らが決定
権を有し、また自らがつくる権利を有するという、至極当然の原則でないかと思われる。「美しい都市・国士」に憧
れを抱くなら、なぜ現在存在する民主的制度を用いて、それを自ら住まう土地において達成するという発想に至り得
ないのか。あるいは徹底することが難しいのか。現在も土地、建物、公共事業に関する紛争等は絶えない中、これら
の問題をなぜ制度体系の工夫や改善の中で解決するという視点が広がりにくいのであろうか。
ヨーロッパにおいては古くからの都市や地域単位での自治制度が発達し、その影響が伝統として現在に残っている
のと比較すれば、日本は封建制社会からの近代化が急激に進み、その歴史的厚みというべきものが根こそぎ省かれて
いるという現実はあるかもしれない。しかし、あくまで現在における制度的側面の観点から言えば、自らが理想とす
る都市・国土を自らの手で作ることは当然十分可能なのである。
この大原則は、近年顕在化してきた人口減少・少子高齢化の問題、限界集落や耕作放棄地の発生、そして空きビル、
空き室、シャッター商店街の増加によって、政策的重要課題となってきたものの、何と言っても一一○一一年の東日本
大震災によって、実際に街が「消滅」した後に人々がその街を離れざるを得ず、しかもその後の「まちづくり」が軌
道に乗らないという現実によって一層喫緊の課題となっているといってよいだろう。
これらの諸問題の解決にあたっては、実は現在においてもその底流に、依然としていわゆる「お上」からの公共事
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業投下、あるいは「お上」による計画づくりに一方的に期待する潮流が厳然として存在している。これはもしかする
とかって丸山真男が日本社会における権力と民主主義に係る特異性の比噛として述べた「執勧低二日」の例えに似てい
るかもしれない。このような底流は、民主的制度を基本にした「まちづくり」という観点からは、明らかに「都市・
国土」づくりに関する一部国民、社会各層における「硬直的視点」、つまり「民主主義」や「合意形成」を前提とし
ないばかりか、単一的な方法論のみによって、全ての解決が図られるという短絡的思考に他ならず、その成果は結局
のところ、歴史、コミュニティにそれなりに立脚している欧米等の「都市・国士」づくりの足元にも及ばないものに
なるのではないかと思われるのである。
歴史的にみて日本の都市はどういう経過を辿ってきたのであろうか(「国土」という概念が正確に認知され、国家
の開発の対象となったのは主に明治以後と考えて良く、この場合国土は省く)。現在においてもその都市の骨格やそ
の一部がまとまった規模で面的に現存しているのは、江戸時代以降のもの、例えば城郭、あるいは城下町の類である
だろう。これらは日本における武士を中心とした封建制社会が最も目に見える形で表出されたものであったと言って
よい。この日本の近世における都市の形成はその領主の目指す、都市に対する防御思想や、その地で領民が営む商工
業の在り方等、都市に対しての統治や経営に関しての理念が封建制社会のもとで明確に表出されており、そのことが
そこに立ち並ぶ城郭、町並みの趣と美しさとして現れ、現代の人々を魅了していることはいうまでもない。だがここ
でいう「美しさ」の維持・保全においては、先進的民主主義国家の中でも日本は欧米とは異なる独特の立ち位置にあ
でいう「美し)
ると思われる。
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まず言えることは、明治以降、第二次大戦終戦までの日本社会は、いわばこの江戸期以来の封建制度が完全には崩
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壊しない状態のままに、資本主義が一気に導入された社会であったと見倣されること、そしてこれは欧米における封
建制度の崩壊が市民の手による資本主義の拡大と、その結果もたらされた自治制度の帰結であることと比較すれば、
少し趣を異にしているということである。
そして踏まえておくべきことは、江戸期における封建制社会に形成された街並みの美しさは、当時の領主等の権力
者の意向が左右する封建制度故の産物であり、それは封建制度が明治以降なおも一定程度残存する過程で、廃城令の
存在等もありながらもいわば「奇跡」、「偶然の結果」として残されてはいたものの、|方特に欧州において多数存在
していた封建制度の帰結としての美しい都市、街並みは、封建制度の崩壊過程の中で一方的に消えたのではなく、そ
の後獲得された自治制度、民主制度の下で維持・管理されてきた側面が強いということである。伝統的な都市・街並
みにも留まらず、例えば米国における摩天楼群についても、そこに一定の美しさが見受けられるとすれば、そこには
明確に都市の理想像を追求した、自治制度、民主制度の熟成課程が存在したためと考えられるのである。
すなわち最終的に問題となるのは、封建制度の解体と民主制度の進展の中で、いかに美しい都市、街並みを守る、
あるいはつくるシステムが可能となるかということではないか。
欧米では一般的に見て、その長い自治制度の成熟過程において、「美しい都市」を維持し、つくるための権利と制
限のあり方、つまりそのルールづくりの過程が熟成されてきたと思われる。(封建制度の結果生まれた産物の都市・
街並みであったとしても民主制度の熟成課程の中で、これらを是とし、各種の工夫をしながら、自ら住まう環境の中
に不可欠な要素として位置づけてきた。)これに対し日本では、大正・昭和戦前期においては、都市部における議会
制の進展と、市民社会の発達により「都市美運動」の存在や、先進的都市計画案の策定も試みられていたものの、そ
れらはいわば局所的といってもよいものに近く、戦後における封建制度的社会からの急激な民主主義の導入過程の中
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で、「美しい都市」を維持し、またつくるための権利と制限等の合意形成システムづくりは、熟成する余裕を持たぬ
まま、現在に至っているのではないかと思われるのである。
封建制度における産物であった「美しい都市」が一気に崩壊過程に入るのは、広範囲にわたる民主制度の導入後の
第二次大戦後からと考えられるが、その戦後日本はこの民主制度のもとで、あくまで経済の拡大をいわばその国是と
し、個人、国家の豊かさをその最大の目標としてきた。そしてその国是について最も明確、かつ「都市・国土」に関
するメッセージを発してきた象徴的な人物としては政治家・田中角栄が真っ先に挙げられるであろう。
田中は民主的な手続きを経て、戦後日本社会においては、圧倒的な支持を獲得した上で政権を担った。周知の通り、
田中は自らの著書名であり、また政権スローガンでもあった「日本列島改造論」を掲げ、都市と地方の経済的格差の
解消を目指そうとした。その彼の個人的な体験にも根差した問題意識は、現代からはもっと評価されてよいだろう。
しかし問題があったのはその手法であった。彼の手法は国による地方への直接的な資本の投下であり、つまり国土・
都市を「改造する」こと、つまり都市・国土をあらゆる手法により開発することこそが豊かさ、富の象徴となり、事
実それは地方経済をある一定の期間において潤すことに成功し、国民から大きな支持を集めたのである。
しかし現代から見て、これらの結末はどうなったであろうか。地方の現在をみればよく分かるはずである。「美し
い都市・国士」ならずとも、今や各所で問題とされるコミュニティ像の問題を含んだあるべき「国士・都市像」は、
当初の理想と必然性はあったにせよ、このような手法を採用した時点で、既に崩壊過程へと進みつつあったとさえ、
現代に生きる我々には思われるのである。田中の主導のもと、あるいはその思想の系譜に基づく一ニータウンや工業
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団地群の現状、また先に述べた空き室・空き家・シャッター商店街等の例はそのことを明確に象徴している。そして、
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このことは何よりも日本における民主主義のもたらした一つの結末に違いないのである。
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付け加えて言うならば、このような田中的手法の誤謬は「田中モデル」と称してよい程に、日本において経済成長
の一モデルとしてのスタイルを確立させてしまったことにもある。国の資本の集中投下による経済発展という手法は
現在でも途上国ではみられるスタイルである。しかしながら人口減少と少子高齢化が進み、国の税収額見込みも先行
きが不透明な中で、社会福祉等に多大な犠牲を払う必要がある今後の日本において、決して採用されるべき手法では
ないのは自明である。にもかかわらず、「豊かな都市・国土づくりの為の」土木・建築行為が、それ自身目的化して
いくという逆説に今もなお一定の人々が経済成長の手法として期待を抱き、しかも新たなモデルづくりという手法の
確立にまで至らない現状にある。
田中の時代にも、現代においても共通するのは、あくまで「民主主義」の存在である。しかし、日本を覆っている
状況は大きく変化してきている。先に述べた人口減少社会と少子高齢化の問題だけでなく、地域や国の持続可能性の
問題に始まり、何をもって一個人の幸せとするか、「文化」というものをどう捉えるかという問題意識を契機として、
人々がどうしたいと考えるか、すなわちここで「民主主義」の大きな質的転換、構造的転換が求められてくるのであ
る。そしてこれらの問題意識が「都市・国士」に及ぶ過程において、民主主義国である日本に「美しい都市・国土」
が生まれ得るかどうかの鍵が存在しているのである。よってここで求められる「民主主義」は田中時代のような
「富」だけでなく、「文化」や「世界観」を反映することのできる新しい種類のものになるであろう。
五十嵐の弁護士としての活動を振り返ると、その活動初期は決して「建築・都市」を専門に扱う弁護士という訳で
はなかった。|人の主権者(つまり原告)の存在とその問題意識を起点として、いわゆる「日照権」の問題に関わり、
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その後アメリカの建築家であるクリストファー・アレグザンダーとの出会いを通じ、「美しい建築・都市」を法律的
ロジックによって解釈しようと試み、そして「美しい都市」づくりのための条例づくりを通じて、建築・都市そして
国土へとフィールドを拡大していった。そしてついには現代の建築界にも少なくない影響を与える、貴重な社会科学
分野の碩学としての位置を占めるに至っている。この道程を見てみると、そこには常に「民主主義」というものが根
本に据えられ、その「民主主義」というシステムの中でいかに「美しい都市・国土」が形成できるのかという、その
思考と行動の歴史であったと自分には思われる。
言うまでもなく、この「民主主義」というシステムと「都市・国土」を関係づける問題は、非常に重要、かつ重大
な問題である。なぜならば、「都市・国土」に付きまとう問題は、まず人間の目に触れるものであること、しかも毎
日の生活や働く場という「環境」そのものであり、よって単なる美術品以上の重要度を持ち、当然、人間が生きてい
く上での哲学にも影響を与えるものだからである。またこれらは常に個人や法人のあらゆる権利や権限が交錯し、行
政や企業、市民など数多くのプレーヤー同士の徹底的な対話が求められる性質のものだからである。つまるところ、
「都市・国士」の有り様を思考すること、そして何らかの理想を持って実現させようとすることはそのまま民主主義
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(デモクラシー)のあり方を考えることそのものであり、よって実際に形成された「都市・国土」は民主主義の一番
分かりやすい「成果物」と思われるのである。
近年、五十嵐は一般的な民主主義をも乗り越えた形で「現代的総有」を唱壹え、例えば土地や建物における所有権
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と利用権の分離の考え方に基づく、その共同化を唱えている。また「美しい都市・国土」はそこに生きる人々の潜在
意識に係る問題、あるいは一示教的価値観にも結び付く問題であるとの表明もなされている。世界各地に広がる「世界
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遺産」クラスの集落的遺産、あるいは建築的遺産は確かにこれらのような要素を持って生まれ、しかも自治制度、民
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主制度のもとで維持・管理され、現代にまで生き残ってきたことは確かである。
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一方、これからの日本において、「世界遺産」は仮に目指さなくとも「美しい都市・国士」を生み、育てる手法を
考えた場合、やはり最初の段階で問題となるのは「民主主義」の有り様ではないか。日本各地では「民主主義」のル
ールに則り、地道かつ着実な住民合意を得ながら、「まちづくり」の成果を挙げつつある個所もごく一部であるが、
出始めている。「世界遺産」や「城下町」の維持と管理、「伝統的建造物地区」、「景観地区」は制度的整備のみでは、
その美しさは維持されるものではなく、そこに住まう市民の意思がその方向性を左右するということは今や広く知ら
れていることである。
ここで、田中時代においていわば国是であった「経済」の論理は、今もなお「民主主義」、「合意形成」との接点は
見出しにくく、むしろ相反するものとして捉えられてきた。(実際、「経済論理」と「民主主義」の兼ね合いの失敗に
係るよるトラブルは、各種の建築紛争等、未だに絶えない。)しかしながら、現代において「美しい都市・国土」の
規範の基礎となり得る「文化」は、「消費」に基づき発展を遂げる性質のものである。田中の時代とはこの点が大き
く異なっている。田中の(「列島改造論」としての)成果が「文化」をもたらさなかったのとは異なり、この「消費」
を導く「文化」は、それ自身、個人の理想とする「生活様式」や、「世界観」までをも対象としており、よって今後
「経済」はマクロであれミクロであれ、それらと一層真正面から向き合わざるをえない。そのために田中の時代には
顧みられることのなかった個人の「生活様式」、「世界観」を前にして、「経済」の論理は必ず変質を遂げざるを得な
くなるのである。
そして、「美しい都市・国土」を目指すといった観点から見れば、その成果を上げつつある数少ない成功例は、「民
主主義」というシステムの過程を踏みながら、その規模の大小を問わず「経済」論理を、「文化」の中に非常に良い
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形で取り込んでいる。すなわち今後、「美しい都市・国士」を考えるにあたっては、その過程で市民の側は当然とし
ても、企業や行政等、その「都市」、「地域」に関わる者全てがプレーヤーとしてどう「民主主義」と「経済」論理の
中で、ルールの下に参加し、その「都市」、「地域」のあり方・豊かさというものをどう考えていき、その制度化も含
めて、恒常化させていくことができるかが、当然問われていくに違いないであろう。この過程では当然専門家集団の
存在は不可欠であるし、そのあり方も磨かれていくであろう。また政治家等といったリーダーのあり方も問われてい
くに違いない。
日本において、圧倒的な民意のもとで誕生し、しかも現在もなお、「都市・国士」を語る際に覆っている悪しき
「原体験」ともいうべき、「田中モデル」を完全に脱するためにも、「都市・国土」を民主主義(デモクラシー)の最
大の「成果物」として捉えるというごく当然の原則を、あらゆる立場の人々が覚悟を持って受け止め、またその「経
済」の論理も踏まえた微細な過程を着実に磨き上げ、実績を積むことにこそ、「都市・国土」に係る現在の諸問題を
解決する着実な道があるのではないか。当然とされるこのことにこそ、問題解決の手法は隠れており、つまりは、多
、-/旦一ノ、_ノ
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五十嵐敬喜編著「現代総有論序説』(二○一四)ブックエンド
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丸山真男著「原型・古層・執勧低音」『丸山真男集』第一二巻(一九九七)岩波書店
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五十嵐敬喜著「美しい都市と祈り』(二○○六)学芸出版社
民主主義(デモクラシー)の良き「成果物」としての美しい都市・国土づくりは可能か(竹野)
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くの日本人が海外へ行って憧れて帰ってくる「美しい都市・国土」をつくる根源が存在すると思われるのである。
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