草稿 - 立教大学

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2015.3.2 論究ジュリスト 8400 字
ラッピング及び複数の課税等の手法の組み合わせ
立教大学法学部 浅妻章如
1.
Gergen:ラッピング1
図1
価格
限界費用曲線
図2
価格
Pc
実際の限界費用曲線
予測限界費用曲線
Pt
限界便益曲線
Qc
削減量
Po
Pt
限界便益曲線
Qt Qo
Qc
削減量
温暖化ガス削減(ここでは簡略化して炭素削減)の市場活用手法として、排出権取引と炭素税が知られる2。図
1 の横軸は炭素削減量、縦軸は炭素削減の価格(限界便益と限界費用)を示す。右下がり曲線は炭素削減によ
る環境悪化防止等の限界便益を示す。右上がり曲線は炭素削減に要する限界費用を示す。限界費用と限界便
益が一致するとき、効率的である。政府が限界便益曲線と限界費用曲線を知っていれば、排出権取引も炭素税
も同様の結果をもたらす。排出権取引(cap & trade)では、炭素削減量が Qc になるように指定する。炭素税
(tax)では、炭素削減費用が Pt になるような税を課す。
現実において政府が正確に限界便益曲線と限界費用曲線を知ることは難しいため、どちらの手法が良いかが
問題となる。図 2 は政府の予測限界費用曲線(点線)が実際の限界費用曲線(実線)より下の場合を示す(限界
便益曲線の予測が外れる場合もあろうが、ここでは割愛)。限界便益曲線と実際の限界費用曲線の交点から真
下の Qo が最適(optimal)な炭素削減量である。政府が排出権取引を採用する場合、Qc という過大な炭素削減
量指定となり、炭素削減限界費用は Pc まで過大に上昇する。政府が炭素税を採用する場合、Po が最適である
が、政府は Pt を狙うため課税が過少となり、炭素削減量は Qt と過小な水準になる。
図 2 の実線と点線とを入れ替えると、予測が上に外れた場合の問題が明らかになる。政府が排出権取引を採
用する場合、Qc は Qo より過小となり、Pc は Po より過小となる。政府が炭素税を採用する場合、Qt は Qo より過大
となり、Pt は Po より過大となる。
予測が外れる限りエラーは不可避である。図 2 は、限界費用曲線の傾きが限界便益曲線の傾きよりも相対的
に急である場合、排出権取引を採用した場合のエラー(Qc と Qo の差、または Pc と Po の差)が、炭素税を採用し
た場合のエラー(Qt と Qo の差、または Pt と Po の差)より大きいことを示す。3
価格上限付き量規制>価格規制>量規制の順で優れているという議論4に Gergen の主張は依拠している。
排出権取引の下で企業が排出枠価格高騰リスクを嫌うならば、企業はヘッジをかければよい5が、ヘッジにもコス
トがかかるなら、炭素税は排出権取引より優れている6。しかし、価格規制(炭素税)だけであると carbon leakage
問題(源泉ベースで炭素税を課すと非課税地域に製造地等が移る)が起きる。Gergen は、Wrapping a Carbon
1
本章はカリフォルニア州の排出権取引に関する Mark P. Gergen, The Case in Economic Theory of Wrapping a
Carbon Tax Around Cap and Trade, http://www.law.berkeley.edu/files/Gergen_09092013.pdf の紹介である。
2
東京都の排出量取引制度(http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/climate/large_scale/cap_and_trade/)は市場活
用よりも規制色が濃い、ということを日豪比較として Justin Dabner(James Cook University)からご教示いただい
た。
3
縦軸と横軸を入れ替えれば、炭素税を採用した場合のエラーが、排出権取引を採用した場合のエラーより大
きい図が描かれる。傾きだけが鍵なのか、という指摘を研究会でいただいたが、現在の私の能力では対応でき
ないので将来の課題としたい。
4
元は William Pizer, Combining Price and Quantity Controls to Mitigate Global Climate Change, 85 J. Pub.
Econ. 409 (2002)。
5
本註は浅妻の感想にすぎないが、ヘッジが保険として機能したとしても、実際の限界費用曲線が予測より上で
ある場合、社会全体の費用が高くつくことは、変わらないのではなかろうか?
6
炭素税の方が排出権取引より執行が容易であるという議論として Reuven S. Avi-Yonah & David M. Uhlmann,
Combating Global Climate Change: Why a Carbon Tax is a Better Response to Global Warming than Cap and
Trade, 28 Stan. Envtl. L.J. 3 (2009)参照。
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Tax Around Cap and Trade(排出権取引を炭素税で包む)が優れていると論じる。排出権取引+価格上限(price
cap:高めの炭素税)は排出枠価格高騰を防ぎ次善の結果をもたらすという。排出権取引を一定額で買い取らせ
る最低価格(price floor:低めの炭素税)も、炭素削減費用が予測より低い場合に有効であるという。
2.
Gamage:単一手法から複数手法へ7
伝統的に、賃金のみ8に課税し、労働・余暇の選択が歪むというコストだけにとどめ、その他の歪みを生じさせ
ない(利子に課税して消費・貯蓄の選択が歪むという追加的なコストを生じさせるべきでない9)ことが望ましい10、
という議論がある。また、私法と税制の両方で所得再分配を図るよりも、税制だけで所得再分配を図る方が望ま
しいとも議論される11。
単一手法を支持する伝統的な議論に対し Gamage が興味深い異論を提起する。Ramsay モデルにおいて物
品税の税率を弾力性の逆数に比例させる(どの財も最適税率は零にはならない)ことが最適であるのと同様に、
賃金のみへの課税よりも、追加的税収をあげるための限界的コスト(marginal cost of public funds)が等しくなるよ
うに複数の課税手法(賃金税、付加価値税、資本所得税、資産税)を組み合わせることが最適である(利子の最
適税率は零ではない)12、と論じる。
2 章前半で見たように、伝統的に租税法学界では、理想論のレベルでは単一手法が望ましいという筋の議論
がある。他方、1 章(枠をはめる)及び 2 章後半(複数手法を組み合わせる)は、論理構造が同じではないもの
の、現実世界で複数手法13が組み合わせられる14ことについての興味深い正当化根拠の可能性を示す。次章
7
本章は David Gamage, A Framework for Analyzing the Optimal Choice of Tax Instruments,
http://ssrn.com/abstract=2411272 及び Analyzing the Optimal Choice of Tax Instruments: The Case for Levying
(all of) Labor-Income Taxes, Value-Added Taxes, Capital-Income Taxes, and Wealth Taxes
http://ssrn.com/abstract=2465522 の紹介である。前編が理論的に興味深い。詳しい紹介のために別稿を期して
いる(信託奨励金論集寄稿予定)。
8
前提として、再分配の指標としては才能(endowment, talent)が望ましいが、才能は測れないので(身長は測れ
る。N. Gregory Mankiw & Matthew Weinzierl, The Optimal Taxation of Height: A Case Study of Utilitarian
Income Redistribution, NBER Working Paper 14976 (May 2009)参照)賃金を代理変数とすると考えられている。
この前提に対し、金になる職業を促進し金にならない職業を抑圧する(Linda Sugin, A Philosophical Objection
to the Optimal Tax Model, 64 Tax L. Rev. 229 (2011)等)とリベラル派から指摘されることもある。
9
現実的処方箋としては利子に課税すべきとの議論もあるが(Peter Diamond & Emmanuel Saez, The Case for a
Progressive Tax: From Basic Research to Policy Recommendations, 25 Journal of Economic Perspectives 165
(Fall 2011))、包括的所得概念支持とまでは述べてないように読める。
10
藤谷武史「所得税の理論的根拠の再検討」金子宏『租税法の基本問題』272 頁(有斐閣、2007)、Joseph
Bankman & David A. Weisbach, The Superiority of an Ideal Consumption Tax Over an Ideal Income Tax, 58
Stan. L. Rev. 1413 (2006)参照。Chris William Sanchirico, A Critical Look at the Economic Argument for Taxing
Only Labor Income, 63 Tax L. Rev. 867 (2010)との論争も参照。なお、再分配軽視を直ちには導かない。高税率
を示唆する議論も有力である。國枝繁樹「最適所得税理論と日本の所得税制」租税研究 690 号 69 頁等参照。
経済格差が大きい方が経済成長率が高いとはいえず、経済格差が小さい方が健康状態は良好である等の点か
ら、再分配は社会厚生を増大させるといってよかろう。James R. Repetti, Democracy and Opportunity: A New
Paradigm in Tax Equity, 61 Vand. L. Rev. 1129 (2008); Miranda Perry Fleischer, Equality of Opportunity and the
Charitable Tax Subsidies, 91 B.U. L. Rev. 601 (2011); 小塩隆士『再分配の厚生分析 公平と効率を問う』(日本
評論社、2010)等参照。
11
Louis Kaplow & Steven Shavell, Why the Legal System Is Less Efficient than the Income Tax in
Redistributing Income, 23 J. Legal Stud. 667 (1994)。Kaplow & Shavell の前段階として、市場における rent を是
正するためには税制よりも法制度による対処が有効であると論ずるものとして Gerrit De Geest, Removing Rents:
Why the Legal System is Superior to the Income Tax at Reducing Income Inequality,
http://ssrn.com/abstract=2337720 参照。
12
類似の議論として私法による所得再分配肯定の Zachary Liscow, Reducing Inequality on the Cheap: When
Legal Rule Design Should Incorporate Equity as Well as Efficiency, 123 Yale L. J. 2478 (2014)参照。
13
法令遵守に関する金銭的罰と非金銭的罰との組み合わせについて Joshua D. Blank, Collateral Compliance,
162 U. Pa. L. Rev. 719 (2014)参照。
14
字数の制約から詳論できないが、炭素とは逆に、正の外部性について考えることもできるかもしれない。例え
ば研究開発等に関し、特許法等の私権設定という手法(排出権取引のように研究開発投資量の枠を指定する
3
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で企業流出について思考実験を試みる。
3.
複数手法の応用可能性:企業課税と国外流出
図 3:企業流出
図 4:税率と企業流出
図 5:企業流出予測の誤り
価格
価格
価格
無税
国内資本
D
E ↓
課税後
国内資本
無税
国外資本
C
B
Qt
A
F
Qo
今の企業流出
限界損失
税収の
限界便益
↑
昔の企業流出 E2
限界損失
↓
課税後
国内資本
資本量
E1
Rn
Rp
企業税率
R2
企業税率
R1
図 3 は、国内投下資本収益が課税され国外投下資本収益が課税されない場合の、企業流出を示す(簡略化
のため本稿では資本保有者居住地を度外視し、金融取引を度外視し、実物資本の移動のみを念頭に置く)。右
下がり実線は無税の場合の国内投資限界収益、右上がり実線は無税の場合の国外投資限界収益を示す。無
税の場合の交点 A の真下の Qo が最適(optimal)な国内投資量を示す。国内投資収益のみが課税されると、右
下がり曲線は実線から点線へと下方にシフトし、交点 B の真下の Qt という過小な国内投資量が実現される。Qo
と Qt の差が企業の国外流出(実物資本のうちの人的資本に着目すれば才能流出ともいえる)である。図の
BCDE が国内税収(再分配等15に充てられる)となり、AQoQtC が国内から失われる収益(うち ABC は死荷重)と
なる16。他国も日本と同様に課税し国外投資収益が実線から点線へと下方にシフトしたら、交点 F の真下の qo
に戻り、国内税収は FADE となる。税率の国際協調が可能ならば死荷重 ABC が生じないという意味で効率的
であり、望ましいと考えられる。しかし、他国としては日本より税率を下げることで AQoQtB を日本から自国に誘致
する誘因がある。
図 4 は、企業流出と税収とのバランスを示す。横軸は企業税率(rate。図 3 の BC)を示す。税率が低い時、税
収は優先的に限界便益の高い使途に用いられ、税率が高くなるほど限界税収は減り、財政支出の限界便益も
下がっていくと推測されるので、税収の社会便益曲線は右下がりであると推測される。税率が高くなるほど企業
流出(図 3 の AQoQtC)が増え、企業流出による限界損失は右上がり曲線であると推測される17。企業流出による
限界損失が、税収の限界便益を越えないところまで、企業税率を高くすることが最適であろう。
昔(past)と比べて今(now)は企業が海外に流出しやすくなったとすると、同じ企業税率における企業流出は上
方にシフトしているかもしれない。昔(Rp)より今(Rn)の方が最適企業税率が低い可能性がある。尤も、20 世紀終
盤以降の OECD 統計18等を見ると、法人税収19の対 GDP 比が目立って下がっているわけではなく、政府の規
わけではないが、私権の範囲は立法・司法が決めている)と、補助金(大学・研究機関等への国費投入のほか、
研究開発減税等も含められる)という手法(炭素税と同じというわけではないが価格経由手法とはいえよう)が併
用されている。
15
税収のうち公共財提供に充てられる部分は、企業から見れば弱い意味の対価性があり、実質的な意味で負
担ではなく、図 3 の実線の右下がり曲線は公共財提供のための課税がされた後を示し、図 3 の税収(BCDE)は
(企業にとって損となる)再分配に充てられる部分である、と解釈する余地もあるかもしれない。他方、公共財提
供のための課税も企業から見て回避したいことに変わりないとすれば、BCDE は公共財提供と再分配両方のた
めに充てられる、と解釈する余地もあろう。どちらの解釈が説得的か、将来の課題としたい。
16
図 3 の右側が国外という想定であるが、考え方によっては、右側は国外及び余暇(非課税所得への資本投
入)を含むとの解釈も可能かもしれない。
17
死荷重(図 3 の ABC)は税率(BC)の 2 乗に比例して増える一方、企業流出(図 3 の AQoQtC)の増え方は
税率の 2 乗に比例するより小さいと思われるが、長方形ではないので右上がり曲線になると思われる。
18
OECD Tax Statistics: Revenue Statistics(http://www.oecd-ilibrary.org/taxation/data/revenuestatistics/comparative-tables_data-00262-en)等参照。
19
本稿が着目するのは企業流出であり、企業は法人・個人を含むため、法人税率低下後の個人事業主の法人
成りを考えると、法人税収だけに着目するのは不充分である、という問題はある。
4
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模も目立って小さくなっているわけでもない。企業税率 は昔と比べてあまり変わっていないのかもしれない。
図 5 は、税収の社会便益曲線(右下がり)は比較的予測しやすいが、企業税率に対する企業流出は比較的予
測しにくいという仮定で、企業流出による限界損失曲線(右上がり)の予測が外れた場合を示す。点線が予測の
企業流出による限界損失曲線を、実線が実際の企業流出による限界損失曲線を示す。
企業立地は税以外も考慮して決まるので、税率への企業の感応度は小さいとすると、傾きは緩やかかもしれな
い。また、図 3 の税率(BC)を少しずつ高くしていった場合の【税収(BCDE)の変化】(更に図 4・図 5 では最初
の税収を便益の高い支出に充てると想定)と【国外流出(AQoQtC)の変化】とを見比べると、右上がり曲線の傾き
は相対的に緩やかであろうと推測される。が、念のため右上がり曲線の傾きが相対的に急である場合も左側に
描いた。
右上がり曲線の傾きが相対的に緩やかならば、企業税率の狙い(R1)が外れた場合、企業流出の最適水準か
らのズレが小さい。
右上がり曲線の傾きが相対的に急ならば、企業税率の狙い(R2)が外れた場合、企業流出の最適水準からの
ズレが大きい。とりわけ、最適税率より高い税率となり企業流出が予測より進行してしまうと、取り返しがつかない
かもしれない。右上がり曲線の傾きが相対的に急であるか定かでないが、恐らく多くの政府は企業流出を恐れ
最適税率よりも低めを狙って課税せざるをえないと思われる。そうすると、財政支出による社会便益が不足しが
ちになり、その不足を補うために、別の財源21で調整するのが現実のあり方ということになると思われる。
財政支出(expenditure)の社会便益を見積もってから(E1 または E2)、要する税収を企業から徴収し、企業税率
は事後的に調整するというタイプは、現行法下では想像しにくい。しかし、国内の地方自治体財政に関し、社会
保険の領域において必要な保険支出を見積もってから賦課徴収する場合、個人が社会保険負担に敏感に反
応して足での投票をすると想定するならば(右上がり曲線の傾きが急であると想定するならば)、効果的な手法と
いうことになるかもしれない。
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法定税率が下がっても課税ベースを広げることで法人税収があまり減ってないとも言われる。図 3 の BC は、
限界税率ではなく実効税率であると解釈できよう。なお、研究会では、実効税率と限界税率が心理に与える影
響の違いについてご指摘いただいたが、限界税率・平均税率・実効税率等の違いを踏まえた考察は将来の課
題としたい。
21
図 3 は比例税率の図のように見える(実効税率とすれば仕方ない)。図 3 では累進課税による再分配が考慮
されてない。賃金への累進課税も含めて図 3 の実効税率が表現されると解釈する余地もあるかもしれないが、
累進課税や資産税や利子課税の組み合わせは図 3 とは別筋で考えるべきなのか、まだ整理がつかない。ま
た、現実世界では国債による時際的調整もあるが、図 5 で時間までをも考慮する余裕はない。