校長室から9

校長室から9
2015.3.5
卒業
長渕剛『乾杯』
かたい絆に 想いをよせて
時には傷つき 時には喜び
語り尽くせぬ 青春の日々
肩をたたきあった あの日
あれから どれくらいたったのだろう
沈む夕日を いくつ数えたろ
故郷の友は いまでも君の
心の中にいますか
乾杯! 今 君は人生の
遙か長い道のりを歩き始めた
大きな大きな 舞台に立ち
君に幸せあれ
いよいよ卒業式である。勿論三年間の積み重ねの賜物であって、決して一日にして為すものではない
とはいえ、卒業式は卒業生にとって集大成の場である。
長渕剛『乾杯』。1980年に発表されたこの曲は、長渕剛さんが友人の結婚に際して、人生の節目と
なる日に贈る応援歌としてつくられたという。「かたい絆に」にはじまり「肩をたたきあったあの日」
に向かう節には、クラスや部活動での日々を皆さんに彷彿とさせるものがあるに違いない。楽しいこと
がたくさんあっただろう。でも、辛いことは、その数倍あったに違いない。「沈む夕日」のあとにはた
しかに朝が巡りくるのだが、「沈む夕日をいくつ数えたろ」には寂しさ、辛さがよぎる。だからこその
「心の中にいますか」という問いかけなのかと思ったりもする。
高校の三年間を全うするというのは、実はとても大変なことだと思う。
真剣に向き合うからこそ目標を定めることができず、そのために勉強への熱意を失うということも
あるだろう。10代後半の、心も体も大きく成長する時期ゆえ、自分の中の何かがそのスピードについ
ていけなくなり体調を崩すということもあるに違いない。その期間が長くなると、その気持ちを誰にも
話すことができず、独りで苦しさを高め、深めていくことにもなっていく。
だから、高校の三年間を全うするというのは、実に大変なことだと思う。 よくがんばったね。
世界に目を転ずると、紛争が絶えず、テロ行為とされる事件がうち続き、グローバル社会と言われ
て久しくもあるのに、混沌、殺伐の様相を私たちは覆すことができずにいる。それは皆さんにとって
看過できることではなく、覆していくべき課題であろう。勿論、そのことを限りない活躍の場などと
いう美辞麗句に置き換える意図はなく、言う迄もなく皆さんを危険のさなかに送り込むことを意味す
るものではない。皆さんの力、叡智で、誰もが安心して、楽しく、互いを尊重しあって生きていくこ
とのできる、そんな社会を、そんな世界をつくりあげてほしいという期待と願いに他ならない。
だからこれからも、いや、これからこそ、真剣に勉強に励んでほしいと心の奥底から望む。
なぜ勉強するのかって?
それは、思慮不足による危険の創出、無知に起因する差別や他者の痛みに対する無頓着、必要以上
に自己の利を追求する身勝手さに決して陥ることなく、自分や家族を含むすべての人々と、この地球
に優しくなることができ、幸せを求め続けることのできる人になるため、というのも一つの理由では
ないかと朧気ながら考えている。少なくとも、他者を出し抜く手段では決してないことは確かだ。そ
うであるならば、光陵での楽しかったこと、苦しかったことはすべて皆さんのこれからに活かされる
に違いない。光陵に学び、そして卒業する皆さんには、これからも高い目標を持ち続け、心やさしき
社会のリーダーをめざし続けてほしいと思う。
明日は卒業式。嬉しいことを素直に喜び、辛いことから逃げることなく、これからの「遙か長いみ
ちのり」を確かな足取りで踏み出すために、堂々と、胸を張り、前を見据えて入場してほしい。
担任の先生の思いの詰まった呼名に、最高の返事で応えてくれることを期待する。