プレスリリース - 東京国立博物館

C leopatr a
and
the Q ueens
of
Egypt
Pr e s s Re l e a s e
クレオパトラがやってくる!
古 代エジプトの 美 女 たちが
世 界 中からトーハクへ
スフィンクスとピラミッド
(ギザ)
Highlights
展 覧 会 の 見 どころ
1
世界中 からエジプトの名品 約 2 0 0 件 が 集 結
ルーヴル美術館、大英博物館、
ボストン美術館、ベルリン・エジプト博物館、
ウィーン
美術史美術館など世界の名だたる美術館・博物館の所蔵品を中心に、約12ヵ国、
40を超える所蔵先から貴重な名品の数々が一堂に会す、古代エジプトの粋を集
めた展覧会です。
ベルギー
大英博物館
マンチェスター博物館
イギリス
■
オランダ
■
スイス
■
ドイツ
■
オーストリア
■
ヴァチカン市国
■
■
ライデン国立古代博物館
ガンダーコレクション
ベルリン・エジプト博物館
アメリカ合衆国
■ブリュッセル
・
ベルギー王立
ボストン美術館
美術歴史博物館
■ブルックリン美術館
■メ
トロポリタン美術館
■ ペンシルヴァニア大学博物館
■
ウィーン美術史美術館
ヴァチカン美術館
ブレシア市立美術館
トリノ・エジプト博物館
フィレンツェ・エジプト博物館
■ルーヴル美術館
■マルセイユ美術館
■
イタリア
フランス
2
■
■
最後の女王・クレオパトラの実 像に迫る
本展では古代エジプトの王妃や女王たちをメインテーマに、王であるファラオを支え、
時に政治的・宗教的に大きな役割を果たした女性たちに焦点をあてます。
なかでも
「絶世の美女」
として語り継がれ、古代エジプト史上、最も著名な女王であるクレオ
パトラ
(クレオパトラ7世 )
にまつわる名品の数々が来日します。
3
主役は王妃と女王。
ファラオを支え、国を支えた女 性たち
クレオパトラのほかにも、
女王として君臨したハトシェプスト、王の寵愛をもとに王朝の
絶頂期を支えたティイ、
アマルナ時代を代表するアメンヘテプ4世の王妃ネフェルト
イティ
(ネフェルティティ)
など、現代においても魅力にあふれる女性たちをご紹介します。
監 修 者 プロフィー ル
クリスティアーヌ・ジェグレール 氏
近藤二郎 氏
C h r i st i a n e Z i e g le r
J i r o Kond o
キュレーター。歴史学者。ルーヴル美術館古代エジプト美術
部門名誉部長。ルーヴル美術館サッカラ考古学派遣団団長。
メンフィス考古学研究所所長。主にピラミッド時代の遺跡や
サッカラ遺跡で碑文、彫像、壁画を研究。
また、
ファラオ時代
の金属細工術についても研究を行っている。
早稲田大学文学学術院教授、同大学エジプト学研究所所長。
専門はエジプト学、考古学、文化財学。主にアメンヘテプ3世時
代の高官や王墓の研究を行う。2013年末、ルクソール西岸で
約3200年前に生存したビール醸造長の墓を新発見し、世界的
に注目を集めている。
2
History
古 代 エ ジ プト史 概 略
前3000年頃に、ナイル川下流域のエジプトでは、ひとりの
王のもとに南北が統一され、第1王朝が樹立されます。初期
王朝時代の始まりです。
その後、エジプトでは、前30年に
プトレマイオス朝最後の支配者であるクレオパトラ女王が
自殺するまで、約3000年もの間、
さまざまな王朝が興亡を
繰り返しながら、エジプト王国は存続していきました。
その
長い歴史の中には、古王国時代・中王国時代・新王国時代
の三つの興 隆 期である「 王 国 時 代 」
と第 1中間 期・第 2
中間期・第3中間期という混乱した三つの「中間期」が存在
しています。
時代
前7000年頃
先史時代・先王朝時代
主なできごと
●前7000年頃:農耕・牧畜の開始
前3000年頃
初期王朝時代
●前3000年頃:南北エジプトが統一され、
第1王朝が成立
第1・2王朝
前2682年頃
古王国時代
●前2550年頃:
クフ王、
ギザに大ピラミッド建造、次いでカフ
ラー王、
メンカウラー王のピラミッドも建造
(三大ピラミッド)
第3∼8王朝
前2145年頃
第1中間期
第9∼11王朝
前2025年頃
● 前2025年頃:第11王朝5代目のメンチュヘテプ2世に
中王国時代
よりエジプトは再統一され、中王国時代が始まる
●前1947年頃:アメンエムハト1世が暗殺され、
センウセレト
1世が単独の王位に就く
第11・12王朝
前1794年頃
第2中間期
■ 古 代 エ ジプトの 主 要 都 市
第13∼17王朝
前1550年頃
●前1550年頃:
イアフメス王がヒクソスの異民族支配から独
新王国時代
立して第18王朝を開く
第18∼20王朝
● 前1480年頃:
トトメス2世の王妃ハトシェプスト、幼年のト
地中海
ラシード
(ロゼッタ)
トメス3世の後見として実権を握る
第18王朝
サイス
アレクサンドリア
タニス
王に。軍事遠征を繰り返し、
エジプトの版図は最大になる
ハトシェプスト
ブバスティス
サッカラ
交易を主導
● 前1455年頃:ハトシェプストの死後トトメス3世が単独の
ナウクラテス
ギザ
● 前1473年頃:ハトシェプスト、
女王として内政改革や対外
トトメス2世
トトメス3世
ヘリオポリス
カイロ
メンフィス
ティイ
アメンヘテプ3世
ネフェルトイティ
アメンヘテプ4世
(ネフェルティティ)
● 前1388年頃:アメンヘテプ3世が即位し最盛期を迎える
● 前1347年頃:アメンヘテプ4世、
アマルナに遷都。アテン
神を唯一神とする宗教改革を断行。アマルナ様式と呼ば
れる独特の美術が開花
● 前1333年頃:
ツタンカーメン王、
アマルナからメンフィスに
遷都し、
アテン信仰を破棄
前1292年頃
● 前1292年頃:軍の司令官だったラメセス1世が即位し、
第19王朝
第19王朝を開く
●前1213年頃:
ラメセス2世が死去し、13番目の王子メル
エンプタハが即位
前1186年頃
第20王朝
●前1186年頃:第20王朝成立
● 前1152年頃以降:
ラメセス3世の没後、王権は次第に
弱体化し、
テーベのアメン神官団が力を得る
前1069年頃
紅
海
第3中間期
第21王朝
(タニス)
第21∼25王朝
● 前1069年頃:スメンデス王、
東デルタのタニスに第21
王朝を開く
前945年頃
●前945年頃:
リビア人傭兵の末裔であるシェションク1世、
アマルナ
第22王朝を樹立
第22
王朝
前841年頃
(ブバスティス)
第23
王朝
●前841年頃:
テーベなどを拠点に第23王朝が成立
第24王朝
(サイス)
第25王朝
アビュドス
デンデラ
前740年頃
●前740年頃:
テフナクトがサイスに第24王朝を開く
●前715年頃:
ピイ王がエジプトに侵入し第25王朝が成立
●前690年頃:
タハルカ王即位
前664年
テーベ
末期王朝時代
第26∼31王朝
ルクソール
第26王朝
(サイス)
第27王朝
(第1次ペルシャ支配期)
エスナ
●前664年:
プサメティコス1世がサイスに第26王朝を開く
前525年
●前450年頃:
ギリシャの歴史家ヘロドトスがエジプトを訪れる
前332年
エドフ
アレクサンドロス大王
●前332年:アレクサンドロス大王、
ペルシャを破る
●前331年:アレクサンドリアを建設
前323年
プトレマイオス朝時代
前323∼前30年
アスワン
● 前323∼前306年:後のプトレマイオス1世がエジプトの
サトラップ
(州候)
として統治
●前304年:
プトレマイオス1世即位
古代の都市
クレオパトラ
(クレオパトラ7世)
現在の都市
N
●前48年10月∼前47年4月
:ユリウス・カエサル、
アレクサン
ドリアに滞在
●前41年冬∼前40年、
前36∼前30年:マルクス・アントニ
ウス、
アレクサンドリアに滞在
●前31年:アクティウムの海戦でオクタウィアヌスが勝利
0
3
100
200km
アブ・シンベル
● 前30年:アントニウスとクレオパトラ7世が自害。
プトレマ
イオス15世(カエサリオン)
が殺害され、
エジプトがローマの
属州となる
Status of Women
古 代 エ ジ プトに お ける 女 性 の 役 割
古代エジプトでは女性は妻や母として役割を担うだけではな
ともに、王位を継承するうえでも重要な役割を担っていました。
く、総じて社会的な地位が高く、財産の取得や所有そして相
そのなかで、時として女 王として君 臨する王 妃も登 場したの
続などの権利をもっていました。王であるファラオを支えた王
です。後に王妃は女神との区別さえあいまいとなり、神格化され
妃やその娘は、政治や宗教の側面から大きな責任を果たすと
ていきます。
クレオパトラ
[ C l e o p a tr a ]
世界中を魅了する
ヒロイン、古代エジプト
最後の女王
クレオパトラは、父王の死後、18歳で弟プトレマイオス13世と
結婚し、共同統治者となりました。
その後、
ローマの指導
者たちとの関係を築くことで、傾きかけたエジプト王国
の命運を握ります。7ヵ国語を操る才能豊か
な女性であり、聡明さと高貴な育ちにより、
カエサルなどローマの将軍たちは、
その魅力のとりこになりました。
4 人 の
ティイ
王妃
[Tiye]
王に愛され、国を支え、
権勢を誇った
“ザ・王母”
The 4 Queens
of Egypt
中部エジプトの有力者イウヤとその妻チュウヤの
娘で王族出身ではありませんが、第18王朝
絶頂期のファラオであるアメンヘテプ3世
の寵愛を受けた王妃です。
アメンヘテ
プ3世の死後は、息子のアメンヘテ
プ4世(後のアクエンアテン王)
とともにアマルナを公式訪問
しています。
アマルナ時代
への橋渡しをした王妃
で、王母として大きな
力を発揮しました。
ハトシェプスト
[Hatshepsut]
敏腕にして辣腕、
エジプト史に君臨する女王
ネフェルトイティ
[Nefertiti]
美女来たり。
華やかなアマルナの王妃
太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を断行
したアメンヘテプ4世の王妃です。王都が
テーベからアマルナに遷されると、
アマ
ルナ王宮で王や王女とともに暮らし、
また王と一緒に宗教改革を遂行
していきました。王宮址から発
見されたネフェルトイティ王
妃の胸像から、古代エジ
プトを代表する美女と
いわれています。
トトメス1世の王女で、
トトメス2世の王妃です。
夫の死後、幼少のトトメス3世の摂政になり、後に共
同統治者となります。優れた行政手腕をもつ強力な
女 性リーダーで、オペトの大 祭を年中行 事にし、王 都
テーベの都市のレイアウトを完成させ、王墓を王家の谷に
造営するなど、
その後の第18王朝の繁栄の基礎を築きました。
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スフィンクスとピラミッド
(ギザ)
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C h a p t e r
O n e
C leopatr a
and
the Q ueens
of
Egypt
ラメセス2世の
王妃イシスネフェルト
王をとりまく女性たち
第 章
ラメセス2世の
王妃ネフェルトイリと王子
新王国・第19王朝時代
ラメセス2世治世(前1279∼前1213年頃)
緑色片状砂岩
ベルギー ブリュッセル・ベルギー王立美術歴史博物館蔵
新王国・第19王朝時代 ラメセス2世治世(前1279∼前1213年頃)
石灰岩
ベルギー ブリュッセル・ベルギー王立美術歴史博物館蔵
大王とも称えられる、
ラメセス2世の治世前半の
ラメセス2世の王妃ネフェルトイリとその息子メリ
王妃イシスネフェルトの像です。 彼女は、
ネフェル
アトゥムの彫像です。頭部などを欠いていますが、
トイリとともに「偉大なる王の妻」の称号をもつ正妃
残された銘文からネフェルトイリの像であることが
でした。口元に微笑みを浮かべている優しい表情
わかります。彫像の背後には、
まるで母に隠れてい
をしており、額には2匹のウラエウス
(聖蛇)がつけ
るかのようにメリアトゥム王子が浮き彫りされていま
られています。
メンフィスにゆかりのあるイシスネフェ
す。
メリアトゥムは王の長男でしたが、父王ラメセス
ルトの未発見の墓は、サッカラのネクロポリス
(墓
2世の治世が約67年という長きにわたったため、王
を集めた一帯)
に存在すると推定されています。
位に就くことはありませんでした。
© Royal
Museums of Art
and History,
Brussels
5
ファラオ
© Royal Museums of Art
and History, Brussels
古代エジプトの王=ファラオは、絶大な権力をもつ専制的支配者です。
ファラオには
男性がなるのが原則でした。一方、古代エジプトの社会では女性の地位が比較的
高く、王妃たちは王の妻として王の政治を支えていたのです。
王宮の施設の一つ、後宮に暮らす女性たちにとって、後に王となる王子を産むことが
極めて重要で、
その母となることで大きな力を得ることができました。古代エジプトの王朝
では、
ときに女性を中心とする王位の継承も行われました。特に第17王朝末期から第
18王朝初期(前1580∼前1490年頃)
には、王と正妃の間に生まれた王女を王族
内の王子が娶ることで、正統な王位継承者として認められました。
この章では王を支えた妻や母、
そして娘たちをご紹介します。
ピラミッド
(ギザ)
王妃ヘテプへレスの
肘掛椅子(複製)
アメリカ ボストン美術館蔵
[原品]古王国・第4王朝時代 スネフェル王∼クフ王治世(前2614∼前2556年頃)
カイロ・エジプト博物館蔵
第3王朝・フニ王の娘で第4王朝の創始者スネ
フェル王の妻、
そしてクフ王の母でもあるヘテプヘ
レスの肘掛椅子(複製)
です。原品はカイロにある
エジプト博物館に展示されています。
この肘掛椅
子は、1925年ギザのクフ王の大ピラミッドの東側
で、ハーバード大学とボストン美術館の合同調査
隊が、偶然発見した彼女の墓に納められていた
家具調度品の一つです。
この椅子がしつらえられた
優雅な寝室は、女性として大きな影響力をもった
ヘテプヘレスの暮らしぶりをうかがわせるものです。
Harvard University Boston Museum of
Fine Arts Expedition,
30.1456,
Museum of Fine Arts,
Boston. Photograph
© 2015 MFA, Boston
王妃ヘテプへレス2世と
その娘メレスアンク3世
古王国・第4王朝時代 メンカウラー王治世(前2514∼前2486年頃)
石灰岩彩色 アメリカ ボストン美術館蔵
仲むつまじい母と娘の彫像です。母の左手は、少し
小柄な娘を支えるように肩へまわされています。ヘ
テプヘレス2世(左)
はクフ王の娘で、同じく王の長
男で異母兄であるカワブ王子の妃でもありました。
皇太子カワブ王子は即位しませんでしたが、ヘテ
プヘレス2世は王妃の称号をもっていました。娘の
メレスアンク3世(右)
は、
ギザにピラミッドを築いた
カフラー王の王妃と考えられています。
Gift of Mrs. Charles Gaston Smith and
Group of Friends, 38.957,
Museum of Fine Arts, Boston. Photograph
© 2015 MFA, Boston
6
カルナック神殿(ルクソール)
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C h a p t e r
T w o
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the Q ueens
of
Egypt
華やかな宮廷の日々
第 章
乳母木棺
第3中間期・第25王朝時代
タハルカ王治世(前690∼前664年頃)
イタリア フィレンツェ・エジプト博物館蔵
第25王朝・タハルカ王の娘アメンイルディスの乳母、
チェスラペレトの彩色木棺の上部です。
この木棺
は、
ヒエログリフの解読で知られるシャンポリオン
(1790∼1832年)
とロッセリーニ(1800∼1843年)
率いるフランス・
トスカーナ合同調査隊が、
1829年に
テーベ西岸のチェスラペレトの埋葬場所から発見
しました。古代エジプトでは乳母の役割は大きく、
時に王家の谷に葬られる名誉を得る女性もいました。
©Courtesy of Penn Museum, image #151118
王宮の窓
新王国・第19王朝時代
メルエンプタハ王治世(前1213∼前1203年頃)
石灰岩彩色
アメリカ ペンシルヴァニア大学博物館蔵
メンフィスにあったメルエンプタハ王の暮らした
王宮の窓です。古代エジプトでは石造りの神殿
などとは異なって、
日乾煉瓦造りの住宅や王宮など
はほとんど残されていません。
また残っていたとして
も、建物の基礎の部分が形を示すだけで、上部の
構造がわかるものは稀です。石灰岩を彫って彩色
されたこの明かり取りの窓は、
スフィンクスやタカの
装飾がなされるなど、当時の王宮の様子を知ること
ができる貴重なものです。
©Su concessione della Soprintendenza per i Beni Archeologici della Toscana ‒ Firenze
7
ルクソール神殿
王の暮らす王宮は、
まさに古代エジプトの力と富を象徴するものの一つです。後宮など
複数の施設からなる王宮の部屋は、天井から壁、
そして床にいたるまで鮮やかな彩色
が施された絵が描かれていました。
さらにその室内には、各地から集められた材料で
作られた家具や調度品などがしつらえてありました。
王にはさまざまな地位や身分をもつ人々が仕え、
その生活を支えていました。王宮では
王族が暮らすだけではなく、儀式や宴会などもとりおこなわれ、楽器の演奏や踊り子
たちによる艶やかな踊りも披露されるなど、華やかな日々が送られていました。
この章では、
きらびやかな王宮の生活を伝える品々や王に仕えた人々をご紹介します。
後宮の長チャイリ
新王国・第20王朝時代
ラメセス3世治世(前1182∼前1152年頃)
石灰岩 オランダ ライデン国立古代博物館蔵
後宮の監督官であったチャイリの彫像です。彼は
後宮の役人でしたが、
その仕事の内容はよくわかっ
ていません。
ひざまずき、前方にハトホル女神の柱
頭を象った祠堂(礼拝所)
を差し出した姿で表現
されています。ハトホル女神は愛と美の女神であり、
彼が働いていた後宮との関わりを表しているので
しょう。本例は、サッカラにあるチャイリの墓から発
見されました。
©Kunsthistorisches
Museum Vienna
ネックレス
新王国・第18王朝時代(前1550∼前1292年頃)
金、銀、
トルコ石、蛇紋岩、
マラカイト、紅玉髄、紫水
晶、
メノウ、色ガラス、碧玉
オーストリア ウィーン美術史美術館蔵
金製の護符やさまざまな材質のビーズを組み合わ
せて作られたネックレスです。
中央には幸福と繁栄
を象徴するウジャト眼をあしらっています。古代エジ
プトでは、黄金は豊富でした。一方、銀は希少で
シリアなど国外からもたらされ、
トルコ石やマラカイト
(孔雀石)はシナイ半島からもたらされました。
この
ことからも、当時の王国の繁栄ぶりがうかがわれま
す。本例にも用いられている色ガラスは、
貴石の代
用品として第18王朝時代から登場します。色ガラス
の製造は、
ガラスの歴史の中でも大きな画期として
注目に値します。
©Rijksmuseum van Oudheden, Leiden NL.
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アブ・シンベル神殿
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Egypt
美しき王妃と女神
第 章
アメン神妻のスフィンクス
第3中間期・第25王朝時代∼末期王朝・第26王朝
時代 タハルカ王治世∼プサメティコス1世治世9
年(前690∼前656年頃)
花崗閃緑岩 ドイツ ベルリン・エジプト博物館蔵
シェプエンウペト2世のスフィンクスです。
その姿は
アメン神へ聖水を捧げており、容器の蓋はアメン
神の聖獣である牡羊の頭を象っています。
シェプ
エンウペト2世は第25王朝・初代ピイ王の娘で、
タハルカ王の時代から第26王朝・プサメティコス
1世の治世9年まで、30年以上にわたってアメン
神妻を務めました。
アメン神妻とは王族の女性が
継承した神官の称号で、第20王朝以降、神妻の
権威と政治的影響力は増し、
テーベにおける最高
実力者となっていきます。
Gift of Mrs. Joseph Lindon Smith
in memory of Joesph Lindon Smith,
52.347, Museum of Fine Arts, Boston.
Photograph © 2015 MFA, Boston
王妃ハトシェプスト
新王国・第18王朝時代 トトメス2世∼ハトシェプスト女王治世
(前1492∼前1458年頃)
珪質閃緑岩 アメリカ ボストン美術館蔵
若々しい姿で表現された王妃ハトシェプストの小
型の彫像です。額にウラエウス
(聖蛇)がついた長
かつら
い髪の鬘を被っています。
この像は可憐で美しい
女性らしさにあふれているため、ハトシェプストが
女王として権力をふるった時期より前、
つまりトトメス
2世の王妃であった頃のものと考えられています。
肩に添えられた手の痕があることから、本来は王と
ペアの彫像であった可能性があります。男装の女
王とも呼ばれる以前の彼女の姿を伝えるものです。
9
Staatliche Museen zu Berlin ‒ Ägyptisches Museum und
Papyrussammlung, inv.-no. ÄM 7972, photo: Jürgen Liepe
王妃の大切な役割の一つに、王を宗教的な側面から支えることがあります。王は現人
神であり、
それを補佐する王妃の影響力や神性もおのずと高まっていきます。王妃自身
もまた女神にあやかった冠などの装身具で美しく装いました。新王国時代以降になる
と、王妃そのものが女神としてみなされることもありました。
一方、
古代エジプトでは男神とともに多くの女神が信仰されています。女神の多くは、
母性
や美を対象とする神でした。
そのなかでも最も著名なのがイシス女神で、
オシリス神の
妹で妻でもあり、
ホルス神の母でもあります。良妻賢母として表現されるその姿は、
まさに
王妃の理想像に重なるものです。
この章では、女神にも例えられた美しき王妃やその理想とされた女神をご紹介します。
壁画に描かれたハトシェプスト
(テーベ)
神の楯とメナト形のおもり
末期王朝時代(前664∼前332年頃)
ブロンズ、象嵌 スイス ガンダーコレクション
ハトホル女神の柱頭
第3中間期・第22王朝時代
オソルコン1世∼オソルコン2世治世
(前925∼前837年頃)
赤色花崗岩(かつて彩色)
イギリス 大英博物館蔵
第22王朝・オソルコン1世がナイル川デルタのブ
バスティス
(テル・バスタ遺跡)
に建て、
オソルコン
2世によって再利用されたバステト神殿の、ハトホ
ル女神を象った柱頭です。
オソルコン2世のセド
「神の楯」
(写真下左。ギリシア語ではアイギス、
英語ではイージス)
という呼称は、ギリシア神話で
神が身を守る楯に似ていたことからつけられました。
古代エジプトの末期王朝時代の神官が、全ての
邪悪なものをはね返す大型の護符として身に付け
たもので、本例にはイシス女神の頭部があしらわ
れています。儀式用の首飾りである
「メナト」を模し
たおもり
(写真下右)
は、大型の「神の楯」を胸飾
りとして首にかけた際につり合いをとるおもりの役割
を果たしました。
祭(王位更新祭)もこの神殿で行われました。バス
テト女神とは、
この地方で崇拝されていたネコの女
神で「王の乳母」
という称号をもっています。本来こ
の柱は、バステト神殿の祝祭の間か入口の間に
あったものと推定されています。
© The Trustees of the British Museum. All rights reserved
© Fondation Gandur pour l'Art, Geneva, Switzerland.
Photographer : André Longchamp
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アブ・シンベル小神殿
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C h a p t e r
F o u r
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Egypt
権力をもった王妃たち
第 章
壺を捧げるハトシェプスト女王
新王国・第18王朝時代 ハトシェプスト女王治世(前1473∼前1458年頃)
赤色花崗岩 ドイツ ベルリン・エジプト博物館蔵
ハトシェプスト女王は、王としてカトと呼ばれる頭巾
をかぶり、付け髭をした男装の姿で表現されてい
ます。
ひざまずいて両手で儀礼用のネメセト壺を捧
げた姿勢をし、
その前には永続や安定を意味する
ジェド柱が置かれています。同じような像は、ルク
ソールのアル=ディール・アル= バハリにあるハト
シェプスト葬祭殿に12体ほど知られ、王の力を維
持するために行われたセド祭(王位更新祭)
と関
連するものと考えられています。
© The Manchester Museum,
The University of Manchester
王妃のマスク
新王国・第18王朝時代(前1550∼前1292年頃)
カルトナージュ イギリス マンチェスター博物館蔵
ミイラの頭部を覆っていたマスクで、布と漆喰とを
交互に重ねて固め、
それに彩色を施して作られました。
頭部などにリシ装飾がみられることから王妃のマスク
と推定されています。
リシとはアラビア語で羽根を
意味する言葉で、第17・18王朝時代には王家の
棺やマスクの装飾として使われました。頭部の模様
はハゲワシの胸の羽根を表現しており、黄金に塗
られた顔と対照的に青色に塗られています。古代
エジプトの最盛期といわれる第18王朝の華やかな
王妃の姿を象徴するものです。
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Staatliche Museen zu Berlin ‒ Ägyptisches Museum und
Papyrussammlung, inv.-no. ÄM 22883, photo: Sandra Steiß
古代エジプトの王妃たちのなかには、政治や宗教へ対する強い影響力をもつ者も
現れ、
なかでも新王国・第18王朝時代の王妃たちの活躍はめざましいものがありました。
トトメス2世の王妃ハトシェプストは、王の死後に幼少で即位したトトメス3世を摂政と
して支えるも、後に女王として君臨しました。他方、
アメンヘテプ3世の寵愛を受けた
王妃ティイは、外交においても力を発揮したといわれています。
またアメンヘテプ4世は
アクエンアテンと改名し、
アマルナにおいて太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を
断行しましたが、
この改革を王とともに牽引したのが王妃ネフェルトイティ
(ネフェルティ
ティ)
です。
そして権力をもった王妃たちの歴史は、
その最後を飾るクレオパトラ女王
(クレオパトラ7世)へと続いていくのです。
ハトシェプスト葬祭殿(ルクソール)
王妃の頭部
新王国・第18王朝時代(アマルナ時代・前14世紀)
珪岩 ドイツ ベルリン・エジプト博物館蔵
写実的な表現をもつ王妃の頭部です。
アメンヘ
テプ4世は、
アクエンアテン
(=アテン神に有益な
もの)
と名前を変え、
メンフィスとテーベの中央に
位置するアマルナに都を遷し、
太陽神アテンを唯一
神とする
「アマルナ時代」
という独自の時代を築き
ました。
この時代に、伝統的な表現とは異なる、
あり
のままの姿を表す写実的な美術表現が誕生しま
した。
この像には銘文がないものの、
アクエンアテン
王の改革を支えた妻、王妃ネフェルトイティのもの
と考えられています。
©Royal Museums of Art and History, Brussels
アメンヘテプ3世の王妃
ティイのレリーフ
新王国・第18王朝時代 アメンヘテプ3世治世(前1388∼前1350年頃)
ベルギー ブリュッセル・ベルギー王立美術歴史博物館蔵
王妃ティイは、
アメンヘテプ3世の寵愛を受けた正妃
で、
アメンヘテプ4世の母です。
この肖像は、
かつて
エジプト南部のテーベ西岸、
アル=コーカ地区にあ
る王妃の家令を務めたウセルハトの墓の前室奥壁
に施されていました。額には上下エジプト王冠を
被った2匹のウラエウス
(聖蛇)がついています。
頭上には日輪をもつコブラが取り巻いた台座に
二枚羽根飾りをもつ王冠を戴き、欠けた二枚羽根
の部分は現在も墓の壁に残されています。
Staatliche Museen zu Berlin ‒ Ägyptisches Museum und
Papyrussammlung, inv.-no. ÄM 21245, photo: Sandra Steiß
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デンデラ神殿
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C h a p t e r
F i v e
C leopatr a
and
the Q ueens
of
Egypt
最 後の女王クレオパトラ
第 章
© Archivio Soprintendenza per i Beni Archeologici
del Piemonte e del Museo Antichità Egizie
クレオパトラ
プトレマイオス朝時代(前1世紀前半)
大理石 イタリア トリノ・エジプト博物館蔵
アレクサンドリアにあるクレオパトラ女王の暮らし
た王宮などは、
後に相次ぐ地震や海面上昇によって
海の底に沈んでしまいました。
そのため彼女に関わ
る作品はそれほど多く残されていません。
この彫像
の巻き髪の表現やその制作技術はプトレマイオス
朝時代の特徴をよく示すものと考えられています。
クレオパトラ女王は「絶世の美女」
としてさまざまな
逸話が伝えられていますが、実際は美しい声が魅
力で、7ヵ国語を堪能に操る聡明な女性だったよう
です。
クレオパトラ
プトレマイオス朝時代(前200∼前30年頃)
石灰岩 アメリカ メトロポリタン美術館蔵
手にコルヌ・コピア
(豊穣の角)
をもつ王妃の姿を
表現した像で、衣服などの様式から前2世紀ある
いは前1世紀頃のものとされています。腕にはクレ
オパトラと読めるカルトゥーシュ
(王名を囲む楕円
形の枠)があるものの、文字の方向が本来と異な
るため、製作当時のものではなく、近代に付け加え
られたものといわれています。
しかし、最近の研究で
はヘアスタイルから、
やはりクレオパトラと考えられ
るようになりました。
Gift of Joseph W. Drexel, 1889. Acc n°89.2.660
© The Metropolitan Museum of Art,
Dist. RMN - Grand Palais / image of the MMA
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古代エジプト最後の王朝となったのが、
プトレマイオス朝(前323∼前30年)
です。
ア
レクサンドロス大王の死後、各地に生まれたギリシア系王国の1つでした。前51年、
ローマの有力者カエサルを後ろ盾に、エジプトをまとめたのがクレオパトラ女王です。
彼の死後、
その部下のアントニウスと協力して国の存続を図りますが、
アクティウム海戦
(前31年)
でローマのオクタウィアヌスに敗れ、彼女の死とともに古代エジプトの歴史は
幕を下ろします。
この波乱に満ちた彼女の生涯に、後の世の人々はさまざまな物語を見出していきます。
この章では古代エジプト最後の女王クレオパトラとともに、
「絶世の美女」
「悲劇の
女王」
として語りつがれたその姿もあわせてご紹介します。
アレクサンドリア
クレオパトラの死(写真下左)/
(写真下右)
クレオパトラ
カエサル
ローマ時代(前27∼前20年頃)
大理石 ヴァチカン美術館蔵
ローマの英雄カエサル(前100∼前44年)
は、
プト
レマイオス朝最後の支配者となったクレオパトラ
アッキーレ・グリセンティ筆 1878∼1879年
イタリア ブレシア市立美術館蔵
ダニエル・デュコマン・デュ・ロクレ作または
アンリ=ヨセフ・デュコマン・デュ・ロクレ作
1852∼1853年 ブロンズ
フランス マルセイユ美術館蔵
女王と関係を結び、
プトレマイオス15世(カエサリ
ルネッサンス以降、旧約聖書の逸話などをモチー
オン/前47∼前30年)
をもうけ、
その後ろ盾となって
フとするさまざまな作品が生まれますが、古代を主題
二人を支えました。
この彫像は「キアラモンティの
とする作品もまたよく作られるようになります。
そのなか
カエサル」
として知られ、
ブルータスによって彼が
でもクレオパトラは、西ヨーロッパの人々に強烈な
暗殺された後に制作されたものです。強い眼差し
印象を植えつけたヒロインで、小説や絵画、
そして
は老練な軍人で政治家でもあるカエサルの姿を
彫刻などの題材として選ばれました。
その一方で、
あらわしています。
クレオパトラの死を題材とした作品の多くは、歴史
上の重要なできごととしてではなく、妖艶な美女の
死の瞬 間をエキゾチックな形で切り取ったもの
です。クレオパトラは古代エジプト最後の女王と
してだけではなく、物語のなかに生まれた一人の
魅力的な女性として歩み始めるのです。
© Archivio fotografico dei
Civici Musei d'Arte e Storia di Brescia
© Vatican Museums. All rights reserved
© Musées de Marseille /
photo Jean Bernard
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カルナック神殿のオベリスク
(ルクソール)
C leopatr a
and
the Q ueens
of
開催概要
Egypt
クレオパトラとエジプトの
Tokyo
期 : 2015年7月11日
(土) 9月23日
(水・祝) |
会
場 : 東京国立博物館 平成館 〒110-8712 東京都台東区上野公園13 - 9
JR上野駅公園口・鶯谷駅南口より徒歩10分、東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、
東京メトロ千代田線根津駅、京成電鉄京成上野駅より徒歩15分
開館時間: 午前9時30分
|
会
午後5時
*金曜日は午後8時まで、土曜、
日曜、祝・休日は午後6時まで開館 *入館は閉館の30分前まで
休 館 日:月曜日
(月・祝)
(月)
(月・祝)
(火)
*ただし、7月20日
、8月10日
、
9月21日
は開館、7月21日
休館 *一部変更の可能性があります
(1,400円/1,300円)
観 覧 料: 一 般 1,600円
、大学生 1,200円(1,000円/900円)
、
(700円/600円)
高校生 900円
*
()内は前売/20名以上の団体料金 *中学生以下無料 *障がい者とその介護者1名
は無料(入館の際に障がい者手帳などをご提示ください)*前売券は5月11日
(月)から7月
10日
(金)
まで東京国立博物館正門チケット売場(窓口、開館日のみ)、展覧会公式サイト、
主要プレイガイドほかで販売
主催:東京国立博物館、
NHK、
NHKプロモーション、朝日新聞社 協賛:大日本印刷
制作協力:The Grimaldi Forum Monaco 、
ファクト・コンセプトゥール社 お問い合わせ:03 - 5777- 8600(ハローダイヤル) 東京国立博物館ウェブサイト:http://www.tnm.jp/
会
期: 2015年10月10日
(土) 12月27日
(日) 会
|
Osaka
|
開館時間:午前10時
東京国立博物館
TOKYO NATIONAL MUSEUM (UENO PARK)
場: 国立国際美術館 〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島4-2-55
午後5時 *金曜日は午後7時まで *入場は閉館の30分前まで 休 館日:月曜日*ただし、10月12日(月・祝)、11月23日(月・祝)は開館、翌日休館
主催:国立国際美術館、
NHK大阪放送局、
NHKプラネット近畿、朝日新聞社 お問い合わせ: 06 - 6447-4680(国立国際美術館)
[ 展 覧 会 公 式 サイト]
h t t p: // w w w. e g y p t 2 0 15. j p
[ 報 道 関 係お問い合わせ] 東京会場「クレオパトラとエジプトの王妃展 」広報事務局
〒150 - 8551 東京都渋谷区渋谷1 - 3 - 9 東海堂渋谷ビル3F
(ユース・プラニングセンター内) Tel:03 - 3406 - 3418 Fax:03 - 3499 - 0958 E-mail:[email protected]
表紙写真:
「クレオパトラ」プトレマイオス朝時代
(前1世紀前半)
トリノ・エジプト博物館蔵 © Archivio Soprintendenza per i Beni Archeologici del Piemonte e del Museo Antichità Egizie /「王妃の頭部」新王国・第18王朝時代
(アマルナ時代・前14世紀)ベルリン・エジプト博物館蔵 Staatliche
Museen zu Berlin ‒ Ägyptisches Museum und Papyrussammlung, inv.-no. ÄM 21245, photo: Sandra Steiß /「ラメセス2世の王妃イシスネフェルト」新王国・第19王朝時代 ラメセス2世治世
(前1279∼前1213年頃)ブリュッセル・ベルギー王立美術歴史博物館蔵 © Royal Museums of Art
and History, Brussels /「王妃のマスク」
(部分)新王国・第18王朝時代
(前1550∼前1292年頃)マンチェスター博物館蔵 ©The Manchester Museum, The University of Manchester /「アメン神妻のスフィンクス」第3中間期・第25王朝時代∼末期王朝・第26王朝時代 タハルカ王治世∼
プサメティコス1世治世9年
(前690∼前656年頃)ベルリン・エジプト博物館蔵 Staatliche Museen zu Berlin ‒ Ägyptisches Museum und Papyrussammlung, inv.-no. ÄM 7972, photo: Jürgen Liepe