第2号(1月配布) - WordPress.com

文・編集 古川優哉
つれて、葉の先からしだい
冬の寒さも本格的になり、 に赤い色を帯びてきます。
これは、﹁アントシアニン﹂
畑の野菜たちには厳しい季節 という物質を出すことで、
になっています。こんな寒さ 葉が凍ってしまうのを防ぐ
さを乗り切るために、野菜た ためなのだそうです。この
ちも色々な工夫をしています。
例えば小松菜。暖かい時期 アントシアニンは植物にとっ
てとても大切な物質で、冬
には葉がピンと立ち上がり、 だけでなく、夏場の強力な
いかにも﹁葉物野菜﹂という 紫外線を防ぐためにも大事
感じの姿ですが、寒さが厳し な役割を果たしています。
くなってくると、立ち上がっ こうした植物のたくまし
ていた葉が一斉に地面に張り さを感じるのは、何も畑だ
付いたようになります。専門 けではありません。外に出
用語で﹁ロゼッタ﹂というそ たら、ちょっとだけ足元に
うですが、なるべく冷たい風 目線を移してください。冬
を受けないように、姿を変え 路地の片隅には様々な野草
ているのですね。
同じ葉物野菜の高菜は、ま たちが生えているはずです。
観察してみると、地面に張
た違った変化で寒さに対応し り付いたようになったり、
ています。普段は緑色の中に、葉っぱを赤くして、寒さを
葉脈に沿って走る紫色がきれ 耐え忍ぶ命の姿を目にでき
いな野菜ですが、寒くなるに るはずです。
明けま し ておめでとうございま す!毎度ま るふ農園
の野菜を お買い上げいただき、ありがとうございま す。
今年は昨年以上に美味し くて、健やかな 野菜たちを
お
届けできるようにがんばりま す。夏前には「ま る
ふ食堂」、「農家民宿ま るふのお宿」のオ ープ ンも予定
し ているので、農業に改装作業に大忙し です。
本年も、ま るふ農園を よろし くお願い致し ま す。
第2号
2015 年 1 月 3 日
冬場の島暮らしの中で一番の喜
び
は、なんといっても磯で獲物
を獲ることだと思う。海と言え
ば
夏だと思っていた僕にとって、
これほど意外なことはなかった
のだけど、一度その素晴らしさを
体験してからというもの、すっか
り冬の海の虜になってしまった。
冬の海は、夜明け前から始まる。
干潮は一日に二度あるのだが、冬
場は早朝に潮が大きくひくからだ。
潮のひきが大きいほど、磯場が表
に出てくるので、獲物を見つけや
すくなる。陽が昇る前の海は真っ
暗だが、不思議と怖くはない。懐
中電灯と獲物を引っ掻きだすため
の棒、バケツを持って、足場の悪
い磯を探し回る。磯の獲物は、岩
と砂浜に出来た細い隙間の中にい
る。だから、獲物を捕まえるため
には、時には海水に濡れながら、
這いつくばって探す必要がある。
サザエ、ウニ、カキ、ナマコ、
アワビ、ヒジキ。夢中になって獲
物を探すので、冷たい水も少しも
気にならない。
たくさんの獲物でバケツが一杯
になる頃、漆黒の海に光が滲み始
める。辺り一帯は深い群青色に包
まれ、岬や島々が影絵のように浮
かび上がる。これほどまでに自然
の美しさと自分の生が重なり合う
瞬間は、他にはないのではないか
と思う。
生きるために動く。海は、人が
忘れかけた生き物としての宿命を
思い出させてくれる。幸福な海の
幸の味、他者の命をいただき自分
の生を繋ぐことへの感謝、そして
壮大な自然の美しさ。そこには生
きることのすべての幸福が満ち溢
れているような気がしてならない。
畑の「虫」を神さまの意思のあらわれとして捉えるか、
あるいは、ただの「害虫」として殺虫剤で除去できるもの
先日、『害虫の誕生』という本を読みました。「害虫」と として考えるか、ここには世界の捉えかたに関する深い溝
聞くと昔から百姓を困らせてきただろう虫たちのことを想 が横たわっているように思います。農民たちが役人たちを
うのですが、この本で書かれていることは、実は「害虫」 拒んだのは、殺虫剤を使いたくなかったということではな
という概念そのものが明治以降のいわゆる「近代」の時代 く、むしろ、自然や神と深くつながった自分たちの世界感
に誕生したものなのだ、という目からウロコの話でした。 を否定されたように感じたからなのではないかと思います。
その本によれば、明治以前の時代では、「虫」というのは この本を読んで考えたことは、「それでは、今まるふ農園
がやっている農法は、歴史的にはどこに位置づけられるの
「卵から生まれる生き物」という認識ではなく、むしろ神
さまによる「タタリ」に近い何かとしてとらえられていた だろう?」ということでした。私たちの時代では、もう虫
そうです。顕微鏡もなく小さな虫の卵をきちんと観察する たちを「タタリ」と思う人はいないのではと思います。か
と言って、有機農業や自然農を志す人たちは、虫を「害虫」
ことのできなかった時代には、「虫」とはほとんど気候と
と決めつけて農薬で一掃するようなこともしません。科学
同じように自然発生するものとして捉えられていたそう
の力を軽視せず、自然の仕組みを科学的にも理解しつつ、
なのです。「自然」ということは神ですから、それで、虫
しかし科学の力だけでは理解できないものにも目を向け、
たちの被害は神さまの「タタリ」と考えられたのです。
そのため、例えば虫による被害で田んぼが全滅しかけた その力に逆らわずに野菜を育てる。「害虫」の歴史を顧みて
ときなどは、田んぼの真ん中にお札を立てたり、祈祷をす みると、これは実は歴史的に新しい流れであるように思い
ることで「虫よけ」の効果があると信じられていたそうな ます。よく言われるように、化学肥料や農薬を使わないこ
のです。明治時代に入り、農政のお役人たちが「これはタ とは昔に帰ることではありません。時々は歴史を振り返り、
タリではなく、虫による被害だから、殺虫剤をまきなさい」 自分の歴史的な立ち位置をきちんと把握することで、もっ
という指導をしても、農民たちは、頑なに聞きいれなかっ と新しい試みを行っていけるような気がしてい
ます。それではまた次回!
たそうです。
島暮らしのコト