平成26年度愛媛大会入賞作文一覧(PDF:268KB)

平成26年度「全日本中学生水の作文
平成26年度「全日本中学生水の作文
コンクール愛媛大会」知事賞作文集
平成 26 年度は、21 校・408 名の中学生の皆さんから応募があり、審査の結
果、以下の5作品を優秀作文として決定し、知事賞を贈りました。
また、優秀作文5作品については、国土交通省が実施する「第 36 回全日本
中学生水の作文コンクール」の中央審査の対象として、国土交通省へ推薦し
たところ、国土交通大臣賞をはじめ3作品が入賞しました。
受賞作文一覧
知事賞
中央審査
作文の題名
優秀賞
水は命
(国土交通大臣賞) -松山大渇水に学ぶー
中学校名
学
年
松山市立
椿中学校
3 今村 千春
松山市立
内宮中学校
2 齋藤 太一
氏名
最優秀賞
優秀賞
入選
過去を生かした
水の使い方
入選
水と生きる
-
水と生きるために
松山市立
余土中学校
2 芝田 想
-
命を育む水
新居浜市立
川東中学校
3 近藤 礼依
愛媛大学教育学部
3 山中 真由
付属中学校
奨励賞
※学年は受賞当時の学年です。
平成二十六
平成二十六年度「
年度「全日本中学生水の
全日本中学生水の作文コンクール
作文コンクール愛媛大会
コンクール愛媛大会」
愛媛大会」
(知 事 賞)最 優 秀 賞
(中央審査)
央審査)優 秀 賞 国土交通大臣賞
(題名)
題名)水は命 ―松山大渇水に
松山大渇水に学ぶ―
松山市立
松山市立椿
市立椿中学校 三年 今村 千春
「こらっ、
こらっ、水出しっぱなしにしたらダメやろ
水出しっぱなしにしたらダメやろ!
しっぱなしにしたらダメやろ!無駄にして
無駄にして、
にして、もっ
たいない!」
たいない!」私
!」私は小さい頃
さい頃、よく水
よく水を出しっ放
しっ放しにしてしまい、
しにしてしまい、母
に見つかっては怒
つかっては怒られた。
られた。私も、もちろんいけないことだと知
もちろんいけないことだと知って
はいたが、
はいたが、ついうっかりしてしまう。
ついうっかりしてしまう。そもそも、
そもそも、なぜそんなに水
なぜそんなに水を
大切にしないといけないのか
大切にしないといけないのか、
にしないといけないのか、あまり分
あまり分かっていなかったのだ。
かっていなかったのだ。
私が幼い頃住んでいた
頃住んでいた西条市
んでいた西条市は
西条市は「水の都」と呼ばれ、
ばれ、おいしくて
透き通った水
った水が、あちこちに
あちこちに湧
こちに湧き出ていた。
ていた。水道代も
水道代も無料で
無料で、水を
いくら使
いくら使ってもいいような気分
ってもいいような気分になっていたのだと
気分になっていたのだと思
になっていたのだと思う。
私が怒られて不満
られて不満げにしていたからであろう
不満げにしていたからであろう。
げにしていたからであろう。母がゆっくりと諭
がゆっくりと諭
すように語
「水なんて蛇口
すように語り始めた。
めた。
なんて蛇口をひねればいつでも
蛇口をひねればいつでも出
をひねればいつでも出てくると
思っているんでしょう?
っているんでしょう?あなたが生
あなたが生まれるずいぶん前
まれるずいぶん前のことになる
けど、
けど、松山市では
松山市では大渇水
では大渇水が
大渇水が起きて、
きて、水が使えなくなったことがある
の。お母さんはそれを体験
さんはそれを体験したから
体験したから、
したから、水の大変さや
大変さや大切
さや大切さがよく
大切さがよく分
さがよく分
かるの。
かるの。」大渇水?
大渇水?その言葉
その言葉を
言葉を耳にした私
にした私は、その言葉
その言葉の
言葉の意味を
意味を理解
することはできなかったが、
することはできなかったが、水は無限にあるわけではなく
無限にあるわけではなく、
にあるわけではなく、使い過
ぎてはいけないのだ、
ぎてはいけないのだ、ということは分
ということは分かった。
かった。そう言
そう言いながら私
いながら私を
見る母の真剣なまなざしに
真剣なまなざしに、
なまなざしに、私は、ただうなずくしかなかった。
ただうなずくしかなかった。
あれから何年経
あれから何年経ったころだっただろうか
何年経ったころだっただろうか。
ったころだっただろうか。私は、母の実家のある
実家のある
松山に
松山に引っ越して来
して来た。松山に
松山に来て、すぐに感
すぐに感じたのが、
じたのが、松山市の
松山市の
節水意識の
節水意識の高さだった。
さだった。手洗い
手洗い場やトイレなどいたる所
やトイレなどいたる所に「水を大
切に」などをよびかけるポスターが貼
などをよびかけるポスターが貼られている。
られている。また、
また、各家庭に
各家庭に
は「節水」
節水」と書かれたチラシが配
かれたチラシが配られる。
られる。友達の
友達の家には、
には、渇水が
渇水が起
きた時
きた時のためのバケツも用意
のためのバケツも用意されているという
用意されているという。
されているという。なぜ、
なぜ、松山市はこ
松山市はこ
んなに節水意識
んなに節水意識が
節水意識が高いのだろうと
いのだろうと考
うと考えたとき、
えたとき、ふと、
ふと、以前母に
以前母に言わ
れたことを思
れたことを思い出した。
した。大渇水とはいったいどんなものだったのだ
大渇水とはいったいどんなものだったのだ
ろうか。
ろうか。真剣な
真剣な眼差しの
眼差しの母
しの母の姿を思い出し、聞いてみなければとの
思いに駆
「この量
いに駆られ、
られ、母に尋ねてみることにした。
ねてみることにした。すると、
すると、
この量の水で、
食器洗いをしてみて
食器洗いをしてみて。
いをしてみて。」答える代
える代わりに母
わりに母が差し出したものは、
したものは、洗面
器にたった一杯
「食器
にたった一杯の
一杯の水。
「食器はたくさんあるから
食器はたくさんあるから、
はたくさんあるから、そんな量
そんな量の水だけ
では絶対
「お
では絶対に
絶対に足りない、
りない、無理だ
無理だ。」と
」と思っていると、
っていると、
「お母さんはでき
るよ。
るよ。」と
」と私の心を見透かしたように
見透かしたように母
かしたように母が言う。
そこで私
そこで私は、できるだけ効率
できるだけ効率のいい
効率のいい方法
のいい方法を
方法を考えてから実践
えてから実践してみ
実践してみ
た。洗う前に油汚れをあらかじめ
油汚れをあらかじめ取
れをあらかじめ取っておき、
っておき、洗剤を
洗剤を使い過ぎず、
ぎず、
すすぐ水
この方法
すすぐ水は少しずつ大切
しずつ大切に
大切に使う。
この方法を
方法を守って実践
って実践してみると
実践してみると、
してみると、
洗面器一杯の
洗面器一杯の水では少
では少し足りなかったが、
りなかったが、普段の
普段の食器洗いの
食器洗いの水
いの水の使
用量を
用量を大幅に
大幅に減らすことに成功
らすことに成功した
成功した。
した。
母は私の奮闘ぶりを
奮闘ぶりを見
ぶりを見て、にっこり笑
にっこり笑い、大渇水のときの
大渇水のときの思
のときの思い出
を話し始めてくれた。
めてくれた。ひどいときには、
ひどいときには、水道の
水道の蛇口から
蛇口から水
から水が出る時
間は四時間だけ
四時間だけ。
だけ。ポリバケツに水
ポリバケツに水を溜め、その水
その水を一日大切に
一日大切に使う
のだ。
のだ。当然、
当然、洗濯や
洗濯や入浴は
入浴は毎日できない
毎日できない。
できない。我慢して
我慢して我慢
して我慢して
我慢して、
して、水を
大切に
大切に大切に
大切に使ったそうだ。
ったそうだ。だから、
だから、松山の
松山の人は、水のありがたさ
のありがたさ
を知っているのだ。
っているのだ。
「水がないと人
がないと人は生きていけないでしょう?
きていけないでしょう?それなのに、
それなのに、人は水を
無駄にしても
無駄にしても平気
にしても平気でいるなんておかしいと
平気でいるなんておかしいと思
でいるなんておかしいと思わない?」
わない?」私
?」私は母の話
にとても驚
にとても驚いた。
いた。水が使えるのは、
えるのは、当たり前
たり前のことではなく、
のことではなく、とて
もありがたいことなのだ。
もありがたいことなのだ。だから、
だから、私は、母に言われて食器洗
われて食器洗いの
食器洗いの
方法を
方法を見直したように
見直したように、
したように、身の回りの些細
りの些細なことから
些細なことから水資源
なことから水資源を
水資源を守る取
り組みをしていきたいと思
みをしていきたいと思うようになった。
うようになった。入浴中のシャワーの
入浴中のシャワーの時
のシャワーの時
間の短縮、
短縮、どんなときでも水
どんなときでも水を出しっ放
しっ放しにしない、
しにしない、私にもできる
ことはたくさんある。
ことはたくさんある。
水は命。水を守ることは、
ることは、命を守ること。
ること。松山の
松山の大渇水から
大渇水から得
から得た
教訓を
教訓を忘れず、
れず、水が使えることに感謝
えることに感謝して
感謝して生活
して生活したい
生活したい。
したい。そして、
そして、豊
かな水資源
かな水資源を
水資源を守り続けていきたいと思
けていきたいと思う。
平成二十六
平成二十六年度「
年度「全日本中学生水の
全日本中学生水の作文コンクール
作文コンクール愛媛大会
コンクール愛媛大会」
愛媛大会」
(知 事 賞)最 優 秀 賞
(中央審査)
中央審査)入 選
(題名)
題名)過去を
過去を生かした水
かした水の使い方
松山市立
松山市立内宮
市立内宮中学校
内宮中学校 二年 齋藤 太一
僕たちが住
たちが住む日本は
日本は、豊かな水資源
かな水資源に
まれている。その根拠
その根拠と
水資源に恵まれている。
根拠と
してあげられるのは、
してあげられるのは、どの家庭
どの家庭にも
家庭にも供給
にも供給されている
供給されている水道水
されている水道水である
水道水である。
である。
生活用水として
生活用水として使用
くの人々がその
として使用されるだけでなく
使用されるだけでなく、
されるだけでなく、多くの人々
人々がその水道水
がその水道水を
水道水を
飲み水として利用
として利用している
このことは、日本の
日本の水が清潔でかつ
清潔でかつ安
利用している。
している。このことは、
でかつ安
全だということの象徴
だということの象徴だ
はいつも水道水を
んでいるが、味は
象徴だ。僕はいつも水道水
水道水を飲んでいるが、
悪くない。
くない。蛇口をひねれば
蛇口をひねれば、
いつでも好きなだけ、
きなだけ、当たり前
たり前に新鮮
をひねれば、いつでも好
な水を手に入れることができる。
れることができる。
僕の家庭では
家庭では、
物心ついた頃
からとにかく水の使い方に口う
では、僕が物心ついた
ついた頃からとにかく水
るさい。
るさい。朝の洗面からトイレ
洗面からトイレ、
風呂、犬の世話にいたるまで
世話にいたるまで、
「節水
「節水、
からトイレ、風呂、
にいたるまで、
節水、
節水」
節水」と目を光らせているので、
らせているので、僕も知らず知
らず知らずのうちに水
らずのうちに水の使
い方に対してはうるさくなったと思
してはうるさくなったと思う。その理由
その理由としてあげられる
理由としてあげられる
のが、
のが、
「平成
「平成の
大渇水」だ。両親が
両親が結婚した
結婚した年
平成六年は、記録的
記録的
平成の大渇水」
した年、平成六年は
猛暑に
猛暑に加えて、
えて、春先からの
春先からの少雨
石手川ダムの水位
低下の
からの少雨が
少雨が続き、石手川ダムの
ダムの水位は
水位は低下の
一途をたどった
一途をたどった。
七月二十六日から夜間断水
まり、翌八月一日
をたどった。七月二十六日から
から夜間断水が
夜間断水が始まり、
からは午後一時
からは午後一時から
そして八月末には
午後一時から午後九時
から午後九時までの
午後九時までの八時間給水
までの八時間給水、
八時間給水、そして八月末
八月末には
五時間給水となってしまった
五時間給水となってしまった。
当時、姉を妊娠中だった
妊娠中だった母
となってしまった。当時、
だった母は、ひど
いつわりと猛暑
いつわりと猛暑に
しみ、給水時間に
給水時間に家事を
家事を終えるのに苦労
えるのに苦労したと
猛暑に苦しみ、
苦労したと
いう。
いう。その経験
その経験から
ではさまざまな節水への
みを続けてい
経験から今
から今ではさまざまな節水
節水への取
への取り組みを続
る。一例として
一例として、
風呂水の再利用や
再利用や節水こまの
節水こまの取
として、風呂水の
こまの取り付け、シャワー
ヘッドの付
ヘッドの付けかえなどがあるが、
けかえなどがあるが、やはり蛇口
やはり蛇口を
必要以上に開かず、
かず、
蛇口を必要以上に
水を細く出すことが一番効果的
すことが一番効果的だ
この「平成の
平成の大渇水」
大渇水」の
一番効果的だと思う。この「
原因として
原因として考
えられるのは、地球温暖化による
地球温暖化による異常気象
として考えられるのは、
による異常気象、
異常気象、干ばつの
影響を
影響を受けたものだが、
けたものだが、僕はもう一
はもう一つ原因があると
原因があると考
えた。それは
があると考えた。
人々の
人々の「無関心」
無関心」だ。四国地方は
四国地方は少雨傾向にある
少雨傾向にある年
にある年が多く、水がめ
であるダムの水位
であるダムの水位は
毎日の新聞に
新聞に載せられている。
せられている。住民一人一人が
住民一人一人が
水位は毎日の
日頃から
日頃から節水
意識し工夫して
工夫して水
えていたら、と悔やまれる。
やまれる。
から節水を
節水を意識し
して水を使えていたら、
水はいつまでも永久
はいつまでも永久に
えることのないものではないのだ。考えな
永久に絶えることのないものではないのだ。
しに浪費
しに浪費していると
きてしまう。しかし、
しかし、生まれた時
まれた時から
浪費していると、
していると、必ず尽きてしまう。
水を豊富に
豊富に使うことがあたり前
うことがあたり前のようになっている僕
のようになっている僕たちの中
たちの中では、
では、
この危機感
この危機感が
りない。節水をよびかけるポスターを
節水をよびかけるポスターを書
いたり標語
危機感が足りない。
をよびかけるポスターを書いたり標語
を作っても、
っても、いまひとつ現実味
いまひとつ現実味に
ける。どこか他人事
どこか他人事のような
現実味に欠ける。
他人事のような思
のような思
いがぬぐえない。
いがぬぐえない。こうしているうちに、
こうしているうちに、また「
また「無関心」
無関心」な人間が
人間が増
えていく。
えていく。
僕の姉はアメリカとインドネシアを訪
はアメリカとインドネシアを訪れたことがあるが、
れたことがあるが、帰国後
にこんな話
にこんな話をしてくれた。
をしてくれた。現地では
現地では、
して水道水を
では、決して水道水
水道水を飲んではいけ
ない。
ない。水洗いした
水洗いした野菜
果物を加熱することなしに
加熱することなしに口
いした野菜や
野菜や果物を
することなしに口に入れてはい
けない。
けない。そして僕
そして僕が一番驚いたのは
一番驚いたのは、
ペットボトルの水で歯をみが
いたのは、ペットボトルの水
くということだ。
くということだ。滞在したホテルの
滞在したホテルの洗面所
したホテルの洗面所にはミネラルウォーター
洗面所にはミネラルウォーター
のペットボトルが置
のペットボトルが置いてあるが、
てあるが、それは飲
それは飲むためではなく、
むためではなく、口をゆ
すぐためのものなのだそうだ。
すぐためのものなのだそうだ。日本に
日本に暮らす僕
らす僕たちからするととて
も信じられない事
じられない事だが、
だが、それが真実
それが真実らしい
真実らしい。
らしい。
我が国は世界一の
世界一の安全な
安全な水が自由に
自由に使えるすばらしい国
えるすばらしい国だ。それ
は決してあたり前
してあたり前ではなく、
ではなく、水を管理する
管理する一流
する一流のテクノロジーのお
一流のテクノロジーのお
かげであることは言
かげであることは言うまでもないが、
うまでもないが、それ以前
それ以前に
られた水を大切
以前に限られた水
に使うという心構
うという心構えの
っていると思う。幸せに育
せに育った僕
った僕
心構えの上
えの上に成り立っていると思
らはもっと広
らはもっと広い世界に
世界に目を向け、地球という
地球という星
きる全ての人々
ての人々
という星に生きる全
の現状を
現状を知らなければならない。
らなければならない。水道のない
水道のない国
浄水技術の低い国
のない国、浄水技術の
などにもっと
などにもっと興味をもち
興味をもち、
関心を持ち続けることが今後
けることが今後の
らに求
をもち、関心を
今後の僕らに求
められる。
められる。その第一歩
その第一歩が
大切に使う節水だ
節水だ。今僕が
今僕が触れてい
第一歩が、水を大切に
る蛇口が
蛇口が、世界中の
世界中の水問題解消へとつながっているのだ
水問題解消へとつながっているのだ。
そう思う
へとつながっているのだ。そう思
と、蛇口を
蛇口を閉める指先
める指先に
指先に力が入る。
平成二十六
平成二十六年度「
年度「全日本中学生水の
全日本中学生水の作文コンクール
作文コンクール愛媛大会
コンクール愛媛大会」
愛媛大会」
(知 事 賞)優 秀 賞
(中央審査)
中央審査)入 選
(題名)
題名)水と生きる
愛媛大学教育学部付属中学校 三年 山中 真由
“節水……
節水……水
……水を節約すること
節約すること、
すること、無駄に
無駄に使わないこと”
わないこと”
この言葉
この言葉と
言葉と出会ったのは
出会ったのは、
ったのは、小学三年生の
小学三年生の時だった。
だった。父の転勤に
転勤に伴
って四
って四歳まで徳島
まで徳島で
徳島で過ごし、
ごし、小学二年生まで
小学二年生まで東京
まで東京で
東京で生活した
生活した。
した。徳島
県では、
では、家の近所に
近所に吉野川が
吉野川が流れていた。
れていた。毎日、
毎日、土手を
土手を散歩したり
散歩したり、
したり、
父の休みの日
みの日には釣
には釣りをしたり、
りをしたり、夏には泳
には泳いだり……
いだり……と
……と、私は豊か
な水の恵みを感
みを感じながら楽
じながら楽しく過
しく過ごすことができた。
ごすことができた。しかし、
しかし、母は
大雨や
大雨や台風の
台風の時など自然災害
など自然災害に
自然災害に対する不安
する不安を
不安を感じることもあったと
話してくれた。
してくれた。父が報道の
報道の仕事をしているため
仕事をしているため不在
危険な時は
をしているため不在で
不在で、危険な
幼かった私
かった私を連れていつ、
れていつ、どこへ、
どこへ、どのルートを通
どのルートを通って避難
って避難すべき
避難すべき
か、または生活必需品
または生活必需品を
生活必需品を供えて自宅
えて自宅に
自宅に待機すべきかなど
待機すべきかなど、
すべきかなど、台風が
台風が近
づくたびに考
づくたびに考えながら生活
えながら生活していたそう
生活していたそうだ
していたそうだ。
東京では
東京では自然
わる機会は
なかったけれど、大都市と
大都市と水の関
では自然と
自然と関わる機会
機会は少なかったけれど、
わりを学
わりを学ぶことができた。
ぶことができた。例えば、
えば、ゲリラ豪雨
ゲリラ豪雨の
豪雨の時などは地下鉄
などは地下鉄が
地下鉄が
最寄り
最寄り駅だったため、
だったため、雨水が
雨水が急に増えて浸水
えて浸水すると
浸水すると危険
すると危険なので
危険なので、
なので、状
況を見極めて
見極めて瞬時
めて瞬時に
瞬時に判断する
判断する必要
する必要があることを
必要があることを知
があることを知った。
った。
松山での
松山での生活
での生活が
生活が始まってから、
まってから、水が私達の
私達の生活とより
生活とより密接
とより密接な
密接な関係
があることを実感
があることを実感した
実感した。
した。四月に
四月に田植えの
田植えの準備
えの準備が
準備が始まると、
まると、農家の
農家の人
達は田おこしをし、
おこしをし、溝を清掃し
清掃し、田に水をはっていく。
をはっていく。稲を生育す
生育す
るため、
るため、水の量を調節し
調節し秋の収穫まで
収穫まで“
まで“節水”
節水”しながら水
しながら水を大切に
大切に
使い守っていく姿
っていく姿を折にふれて見
にふれて見てきた。
てきた。私が転校した
転校した年
した年の夏は、
梅雨時期に
梅雨時期に雨が少なかったためプールの授業
なかったためプールの授業も
授業も中止になった
中止になった。
になった。この
ような機会
ような機会は
機会は初めてだったので驚
めてだったので驚いたけれども、
いたけれども、節水の
節水の大切さ
大切さ、水
のありがたさについて考
のありがたさについて考えるきっかけになった。
えるきっかけになった。この頃
この頃から、
から、節水
を呼びかける市
びかける市の広報車の
広報車の活動や
活動や日々のニュースにも
日々のニュースにも興味
のニュースにも興味を
興味を持つよ
うになった。
うになった。家庭でも
家庭でも学校
でも学校でもこまめに
学校でもこまめに水
でもこまめに水をとめる様
をとめる様に心掛けるよ
心掛けるよ
うになり、
うになり、私も自分に
自分に出来る
出来る節水に
節水に取り組んでいる。
んでいる。祖父母や
祖父母や両親
に尋ねると、
ねると、我が家でもエコのためだけではなく、
でもエコのためだけではなく、節水対策として
節水対策として
もお風呂
もお風呂の
風呂の水を洗濯に
洗濯に利用したり
利用したり、
したり、庭の水まきに使
まきに使ったりしていた。
たりしていた。
松山市では
松山市では平成六年
異常少雨に伴って渇水
って渇水となり
では平成六年に
平成六年に、夏の異常少雨に
渇水となり、
となり、水圧
が下げられるだけでなく、
げられるだけでなく、時間断水が
時間断水が行われ、
われ、生活に
生活に多大な
多大な影響が
影響が
出たそうだ。
たそうだ。祖父は
祖父は当時フェリーに
当時フェリーに乗船
フェリーに乗船していたため
乗船していたため、
していたため、他県の
他県の同僚
が松山の
松山の渇水を
渇水を知り、不便だろうと
不便だろうと湧
だろうと湧き水を持ってきてくれたりし
たそうだ。
たそうだ。祖母と
祖母と母は、水が利用できる
利用できる時間
家事を済ませ、
ませ、必要
できる時間に
時間に家事を
な水を溜めて断水時
めて断水時に
断水時に家族みんなが
家族みんなが使
みんなが使える様
える様にすることが毎日大変
にすることが毎日大変
でけんしょう炎
でけんしょう炎になったこともあると話
になったこともあると話してくれた。
してくれた。父は一人暮ら
一人暮ら
しをしていて、
しをしていて、断水時間が
断水時間が決められているため仕事
められているため仕事をしながらお
仕事をしながらお風
をしながらお風
呂の時間を
時間を調整す
調整するのに苦労
るのに苦労したらしく
苦労したらしく、
したらしく、生活に
生活に密接な
密接な関係のある
関係のある
渇水取材はとてもよく
渇水取材はとてもよく覚
はとてもよく覚えていると言
えていると言っていた。
っていた。私が利用している
利用している
美容院の
美容院の店長さんも
店長さんも、
さんも、水を使う仕事なのでお
仕事なのでお客様
なのでお客様に
客様に迷惑をかけない
迷惑をかけない
ようにしたいけれども、
ようにしたいけれども、使える水
える水が限られているため満足
られているため満足のいく
満足のいく仕
のいく仕
事ができずとても辛
ができずとても辛かったと教
かったと教えてくれた。
えてくれた。
水は、私達の
私達の生活に
生活に欠かすことのできない大切
かすことのできない大切な
資源であり、
大切な資源であり
であり、電
気、ガスと共
ガスと共に重要なライフラインの
重要なライフラインの一
つだ。私達は
私達は水がなければ
なライフラインの一つだ。
生きていくことはできない。
きていくことはできない。松山での
松山での生活
して、私は水の大切
での生活を
生活を通して、
さ、自由に
自由に水を利用することが
利用することが出来
することが出来ることへのありがたさを
出来ることへのありがたさを痛感
ることへのありがたさを痛感し
痛感し
た。近年、異常気象により
異常気象により自然環境
日々大きく変化
により自然環境は
自然環境は日々大きく
きく変化している
変化している。
している。私
達はその状況
はその状況を
しく読み取る必要があると
必要があると思
状況を正しく読
があると思う。私は水の恵みに
感謝し
感謝し、水への備
への備えを忘
えを忘れることなく変化
れることなく変化を
ける環境にも
変化を続ける環境
環境にも柔軟
にも柔軟に
柔軟に
適応する
適応する力
をしっかりと身につけてこれからも水
につけてこれからも水と共に生きていき
する力をしっかりと身
たい。
たい。
平成二十六
平成二十六年度「
年度「全日本中学生水の
全日本中学生水の作文コンクール
作文コンクール愛媛大会
コンクール愛媛大会」
愛媛大会」
(知事賞)
知事賞)奨 励 賞
(題名)
題名)水と生きるために
松山市立
松山市立余土
市立余土中学校
余土中学校 二年 芝田 想
命の源である大切
である大切な
大切な資源、
資源、水。水は、私たちにとって、
たちにとって、とても身
とても身
近なものです。
なものです。一日の
一日の生活の
生活の中で、人は何リットルもの
リットルもの水
もの水を使いま
す。もしその水
もしその水が、突然なくなってしまったら
突然なくなってしまったら、
なくなってしまったら、どうなってしまう
のでしょうか。
のでしょうか。
まず、
まず、朝起きて
朝起きて顔
きて顔を洗うことができません。
うことができません。それから、
それから、歯みがき
をしようとしてもできません。
をしようとしてもできません。お風呂に
風呂に入ることも、
ることも、食事だって
食事だって、
だって、
限られます。
られます。そして第一
そして第一に
第一に水を飲むことができません。
むことができません。人は、水を
全く飲まないと三日程度
まないと三日程度で
ぬと聞いたことがあります。
いたことがあります。つまり、
つまり、
三日程度で死ぬと聞
水がないと、
がないと、私たちは生
たちは生きていけないのです。
きていけないのです。
私が生まれる数年前
まれる数年前、
数年前、ダムの水
ダムの水がなくなってしまうということが
起こったそうです。
こったそうです。実際に
実際に体験していないので
体験していないので、
していないので、よく分
よく分からないの
ですが、
ですが、そのときは
そのときは本当に
本当に大変だったと
大変だったと聞
きました。
だったと聞きました。
節水というワードはよく
節水というワードはよく聞
というワードはよく聞きます。
きます。しかし少
しかし少しくらい、
しくらい、私くらい
気にしなくても大丈夫
にしなくても大丈夫だろう
大丈夫だろう、
だろう、と思ってしまいがちです。
ってしまいがちです。限りのあ
る大切な
大切な資源を
資源を守るためには、
るためには、ありきたりな考
ありきたりな考えですが、
えですが、無駄遣い
無駄遣い
をなくすのが一番
をなくすのが一番だと
一番だと思
だと思います。
います。今は節水なんて
節水なんて面倒
なんて面倒くさい
面倒くさい、
くさい、別に
意味はないのではないか
意味はないのではないか、
はないのではないか、と思ってしまいます。
ってしまいます。しかし、
しかし、後々なく
後々なく
なってしまっては困
なってしまっては困るし、
るし、なくなってからではおそいです。
なくなってからではおそいです。なので
水を少ししか使
ししか使わないのではなく、
わないのではなく、小さな「
さな「無駄」
無駄」を省くことを心
くことを心
がけることが大切
がけることが大切だと
います。
大切だと思
だと思います。
水は、私たちの生活
たちの生活にとて
生活にとても
にとても深く関わっています。
わっています。生活していく
生活していく
うえで、
うえで、水を使うのはもちろんですが、
うのはもちろんですが、水を使った言葉
った言葉なども
言葉なども身
なども身の
周りでよく耳
「水
「水
「水
「水
りでよく耳にします。
にします。
「水と油」
「水の泡」
「水を差す」
「水に流す」
など、
など、その他
その他にもたくさんの水
にもたくさんの水を使った言葉
った言葉があります
言葉があります。
があります。このよう
なことからも、
なことからも、水は私たちと関係
たちと関係の
関係の深いものなんだなと感
いものなんだなと感じました。
じました。
普段、
普段、何気なく
何気なく見
なく見ている草
ている草や花、また犬
また犬や猫、川や海などその全
などその全
てが水
てが水があることによって生
があることによって生きることができているんだなと思
きることができているんだなと思うと
本当に
本当に水ってすごいなとつくづく感
ってすごいなとつくづく感じます。
じます。いつまでも、
いつまでも、水に恵ま
れた豊
れた豊かな地球
かな地球であってほしいです
地球であってほしいです。
であってほしいです。そのためには、
そのためには、蛇口の
蛇口の水を出
しっぱなしにしない、
しっぱなしにしない、シャワーの水
シャワーの水を使いすぎない、
いすぎない、洗剤をたくさ
洗剤をたくさ
ん使わないなど簡単
わないなど簡単なことを
れて行動したいです
簡単なことを常
なことを常に頭の中に入れて行動
行動したいです。
したいです。
水は、とても大切
とても大切でかけがえのない
大切でかけがえのない資源
でかけがえのない資源です
資源です。
です。しかし、
しかし、水の事故
によって亡
によって亡くなる人
くなる人が山ほどいるということも、
ほどいるということも、忘れてはいけませ
ん。プールや川
プールや川、海など、
など、たとえ深
たとえ深くないところでも起
くないところでも起こってしま
います。
います。たとえ気
たとえ気を抜いていなくても、
いていなくても、何かの拍子
かの拍子に
拍子に足がつってし
まったり、
まったり、突然水かさが
突然水かさが増
かさが増し、流れが速
れが速くなってしまったりするか
もしれません。
もしれません。どうしても、
どうしても、プールや海
プールや海などでは、
などでは、テンションが上
テンションが上
がってしまい、
がってしまい、浮かれてしまいます。
れてしまいます。そんな浮
そんな浮かれているときこそ、
かれているときこそ、
事故が
事故が起こりやすくなってしまいます。
こりやすくなってしまいます。なので、
なので、危険な
危険な場合もある
場合もある
ということを忘
ということを忘れないようにしたいです。
れないようにしたいです。そして、
そして、それをふまえた
うえで、
うえで、これからもどんどん水
これからもどんどん水とふれあっていきたいです。
とふれあっていきたいです。
最もありふれた、
もありふれた、生命を
生命を保つのにはかかせない液体
つのにはかかせない液体、
液体、水。身近だ
身近だ
けれど、
けれど、時には命
には命を落としてしまうこともある、
としてしまうこともある、水。今回この
今回この作文
この作文
を書いたことによって、
いたことによって、いつもは考
いつもは考えたことのないことまで考
えたことのないことまで考えさ
せられました。
せられました。久しぶりに、
しぶりに、水の大切さに
大切さに改
さに改めて気付
めて気付くことができ
気付くことができ
ました。
ました。もっといろいろ身近
もっといろいろ身近なものについて
身近なものについて改
なものについて改めて考
めて考えることも
えることも大
ことも大
切だなと思
だなと思いました。
いました。限りある、
りある、かけがえのない資源
かけがえのない資源について
資源について一人
について一人
一人が
一人が考え、少しでも努力
しでも努力することができたら
努力することができたら、
することができたら、豊かな地球
かな地球を
地球を守る
ことができると思
ことができると思います。
います。私たちがおじいちゃん、
たちがおじいちゃん、おばあちゃんに
なっても、
なっても、孫やひ孫
やひ孫の世代になっても
世代になっても、
になっても、豊かな地球
かな地球が
地球が保てるよう、
てるよう、
「今」できることを始
できることを始めたいです。
めたいです。
平成二十六
平成二十六年度「
年度「全日本中学生水の
全日本中学生水の作文コンクール
作文コンクール愛媛大会
コンクール愛媛大会」
愛媛大会」
(知事賞)
知事賞)奨 励 賞
(題名)
題名)命を育む水
新居浜市立川東中学校
新居浜市立川東中学校 三年 近藤 礼依
私は小学生の
小学生の頃、よく祖父
よく祖父の
祖父の家に遊びに行
びに行っていました。
っていました。近くに
は小さな水路
さな水路があり
水路があり、
があり、夏になると、
になると、友達とメダカやオタマジャクシ
友達とメダカやオタマジャクシ
を捕まえて、
まえて、一緒に
一緒に育てていました。
てていました。メダカはきれい好
メダカはきれい好きだという
ことで、
ことで、週に一回は
一回は水替えをしていました
水替えをしていました。
えをしていました。オタマジャクシは小
オタマジャクシは小さ
めのバケツに何匹
めのバケツに何匹か
何匹か入れて放
れて放っておくと、
っておくと、約二週間後には
約二週間後には手
には手や足が
出て大きくなっていたことを覚
きくなっていたことを覚えています。
えています。しかし、
しかし、最近は
最近は水路を
水路を
覗いてみても生
いてみても生き物をあまり見
をあまり見かけません。
かけません。これはきれいな水
これはきれいな水を好
むメダカからの警告
むメダカからの警告なのでしょうか
警告なのでしょうか。
なのでしょうか。
こんなふうに考
こんなふうに考えたのは、
えたのは、総合的な
総合的な学習の
学習の時間に
時間に「水資源」
水資源」を題
材に学習したことがきっかけでした
学習したことがきっかけでした。
したことがきっかけでした。講座テーマは
講座テーマは「
テーマは「新居浜の
新居浜の水を
きれいにするために
きれいにするために、
いにするために、私達にできることをしよう
私達にできることをしよう!」
にできることをしよう!」というもので
!」というもので
す。私達は
私達は普段何気なくたくさんの
普段何気なくたくさんの水
っています。当然のこと
当然のこと
なくたくさんの水を使っています。
ですが、
ですが、私たちの生活
たちの生活に
生活に水はなくてはならないものです。
はなくてはならないものです。しかし、
しかし、
私達の
私達の何気ない
何気ない行動
ない行動が
行動が、大切な
大切な水を汚してしまっているのです。
してしまっているのです。毎
日の食事や
入浴には
食事や洗濯、
洗濯、
入浴には大量
には大量の
大量の水を使います。
います。学習を
学習を進める中
める中で、
この生活排水
この生活排水こそが
している一番の
原因だということに改
生活排水こそが水
こそが水を汚している一番
一番の原因だということに
だということに改め
て気づいたのです。
づいたのです。考えてみれば、
えてみれば、今でも家
でも家の近くの水路
くの水路に
水路に洗剤の
洗剤の
泡や油が浮いているのを見
いているのを見かけます。
かけます。悪臭も
悪臭も漂っています。
っています。今まで
は私達の
私達の何気ない
何気ない行動
ない行動が
行動が、水の汚れに大
れに大きな影響
きな影響を
影響を与えているのだ
ということをあまり意識
ということをあまり意識していませんでした
意識していませんでした。
していませんでした。生活排水はふつうに
生活排水はふつうに
暮らしていると必
らしていると必ず出てしまうものです。
てしまうものです。下水道も
下水道も市内全域にはま
市内全域にはま
だ普及していません
普及していません。
していません。いかに汚
いかに汚れた水
れた水が流れ出るのを減
るのを減らしていけ
るか、
るか、ということが課題
ということが課題になってきます
課題になってきます。
になってきます。
そこで、
そこで、総合的な
総合的な学習に
学習に私たちのチームでは、
たちのチームでは、アクリルたわしを
作って、
って、地域の
地域の方に配ってはどうかと考
ってはどうかと考えました。
えました。アクリルたわし
とは、
とは、アクリルの毛糸
アクリルの毛糸を
毛糸を使って作
って作るたわしで、
るたわしで、洗剤を
洗剤を使わなくても
食器の
食器の汚れを落
れを落とすことができ、
とすことができ、環境にも
環境にも経済的
にも経済的にもとてもよいも
経済的にもとてもよいも
のです。
のです。市販もされています
市販もされていますが
もされていますが、自分たちで
自分たちで作
たちで作ることに価値
ることに価値がある
価値がある
と思い、それを地域
それを地域の
地域の方に使っていただき、
っていただき、地域全体で
地域全体で水を汚さな
いようにしたいと考
いようにしたいと考えました。
えました。
実際に
実際に学校近くのスーパーで
学校近くのスーパーで配
くのスーパーで配ってみると、
ってみると、多くの人
くの人が「ありが
とう」
「使
とう」
「使ってみます」
ってみます」と言って受
って受け取ってくださいましたが、
ってくださいましたが、さら
に、なぜ今
なぜ今「アクリルたわし」
アクリルたわし」なのかということをもっとアピール
できれば、
できれば、もっと多
もっと多くの方
くの方に配ることができたかもしれません。
ることができたかもしれません。し
かし、
かし、私達の
私達の声に耳を傾けてくださる人
けてくださる人も多く、実際に
実際に行動に
行動に移せ
たことによって、
たことによって、ほんの少
ほんの少しですが、
しですが、水をきれいにするために役
をきれいにするために役に
立ったという実感
ったという実感がありまし
実感がありました
がありました。
「小さな一歩
さな一歩でもみんなで
一歩でもみんなで踏
でもみんなで踏み出せば、
せば、大きな一歩
きな一歩につながる
一歩につながる」
につながる」
と言われます。
われます。自分の
自分の家庭から
家庭から出
から出ている排水
ている排水の
排水の汚れがゼロだとは誰
れがゼロだとは誰
も考えていないでしょうが、
えていないでしょうが、それが積
それが積もり積
もり積もって川
もって川や海の水を汚
しているということを毎日意識
しているということを毎日意識している
毎日意識している人
している人は少ないでしょう。
ないでしょう。水の
汚れ具合を
具合を毎日測定することはできませんが
毎日測定することはできませんが、
自分の行動が
行動が水質汚
することはできませんが、自分の
染の原因になっているということを
原因になっているということを自覚
になっているということを自覚しなければなりません
自覚しなければなりません。
しなければなりません。
今回の
今回の学習を
学習を通して、
して、水を汚しているのも自分
しているのも自分たち
自分たち、
たち、それで困
それで困る
のも自分
のも自分たちだということを
自分たちだということを再認識
たちだということを再認識することができました
再認識することができました。
することができました。だから
こそ、
こそ、水をきれいにするのも当然私達
をきれいにするのも当然私達の
役目なのです。
当然私達の役目なのです
なのです。
地球上に
地球上に存在するすべての
存在するすべての生
するすべての生き物の命を育んでいる水
んでいる水。水ぬるむ
季節になると
季節になると、
になると、メダカやオタマジャクシが嬉
メダカやオタマジャクシが嬉しそうに泳
しそうに泳いでいる小
いでいる小
川。そんな光景
そんな光景を
光景を当たり前
たり前に見るためにも、
るためにも、まずは自分
まずは自分ができるこ
自分ができるこ
とを実践
とを実践し
実践し、身近な
身近な人にも水
にも水の大切さを
大切さを伝
さを伝えていきます。
えていきます。