2015年の年頭にあたって 2015 年 2 月号

市民政治レポート
2015年2月1日
編集発行:菅直人を応援する会 http://www.n-kan.jp
〒180-0006 東京都武蔵野市中町1-2-9 サンローゼ武蔵野302
TEL:0422-55-7010
2015年の年頭にあたって
2015 年
2 月号
……1~2
30km圏内の自治体同意がなければ再稼働できず-衆院特別委で東電常務が答弁- ……3
震災でスケープゴートにされた菅首相-フランス人政治学者による検証-
……4~7
トマ・ピケティ教授の講演を聞く/『21世紀の資本』に関する勉強会のご案内……8
2015年の年頭にあたって
非道な日本人人質殺害
「イスラム国」に人質になっていた二人の日本人が殺害されました。イスラム国のこうした残虐行
為は決して許されるものではなく、強い憤りを感じています。イラクのフセイン政権が倒れた後、イ
ラクには安定した政権が定着せず、シリアも含めて混乱が広がり、そうした地域に「イスラム国」を
名乗る勢力が生まれてきました。しかも、フランスやイギリスなど欧米諸国生まれの若者がインター
ネットの宣伝により感化され、イスラム国の兵士となり、帰国してテロを実行するという極めて難し
い状況が生まれています。軍事的な対応だけでは解決できない事態であり、社会の融和を実現する方
策が必要です。
危機における民主党の対応
日本人が人質となっていることが明らかになってから、民主党は政府に人質救出のために全力を挙
げることを求め、問題が解決するまでそれ以上の議論は慎重に控えてきました。政府に比べ十分な情
報を入手できない民主党として、慎重な立場で臨むことは当然の姿勢であったと思います。残念なが
ら今回の人質事件は二人の日本人が殺害されるという最悪の結末となりました。昨年、二人の日本人
が人質になっていることを認識して以降の安倍政権の対応が適切であったかどうかについては今後し
っかりと検証されるべきです。
原発事故時の自民党の姿勢
ここで一言、
2011年3月11日に発生した福島原発事故当時の自民党の姿勢について申し上げておきた
いと思います。当時、原発事故を巡る情報が交錯する中で政府としては事故の拡大を防ぐために全力
を挙げていました。そうした中で事故発生から間もない時点で、当時の安倍晋三議員は事故発生の翌
日の3月12日に1号機への海水注入を中断させたのは当時の菅総理だったと、全く事実に反するデマ情
報をメールマガジンに発表し、私に対し総理の即刻辞任を求めました。そのデマ情報に基づいて、自
民党議員が国会で私を激しく攻撃をし、内閣不信任案提出につながりました。結局、東電自体が海水
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注入は中断されていなかったと発表し、情報が誤っていたことが明確になりました。当時、政府とし
ては安倍現総理と当時の自民党執行部の攻撃への対応に多くの時間を削がれ、原発事故対応にとって
大きな妨害となったことを申し上げておきます(※関連の論文がP4~7に掲載)
。
突然の総選挙
昨年暮れ、突然の解散から年末選挙となりました。アベノ
ミクスの綻びを隠そうとする突然の解散で、安倍政権への逆
風が起きるのかと思いました。しかし残念ながら、民主党を
はじめ野党の選挙準備の遅れなどもあり、安倍総理の狙い通
り、自公与党の圧勝という結果になりました。
私は「原発ゼロにYES!」
「危険な安倍政権にNO!」を
訴えましたが、私が海水注入を止めたとする虚偽情報など、
原発事故発生直後の一部マスコミによる激しい菅バッシング
の影響が根強く残り、苦戦しました。しかし、原発ゼロを望
む全国からの支援に支えられて、かろうじて議席を維持する
ことができました。ご支援いただいた皆様に心から感謝申し
上げます。
総選挙の結果、民主党が 73 議席と議席を多少伸ばし、共産
党以外の野党は議席を減らしました。厳しい結果ではありま
したが、民主党が二大政党の一方の柱として再生するチャン
スを国民の皆様が与えてくださったと受け止めています。
民主党代表選
総選挙後、海江田代表の辞任を受けて、民主党代表選が行
われました。岡田克也、長妻昭、細野豪志の 3 人が立候補し、
党員・サポーター、地方議員も参加した代表選で、岡田代表
が選ばれました。私は、民主党再生には多少の時間がかかる
ことから、ここは安定感と信頼感のある岡田さんが代表に適任と考え、全面的に応援しました。岡田
代表の下、長妻代表代行、細野政調会長も含め挙党体制が確立できました。留任した枝野幹事長を含
め、いずれも政策通でかつ論客です。格差是正のための経済政策、安全保障政策、エネルギー政策な
ど、民主党が本格的に政権奪還を目指すための政策議論が期待されます。
これからの私の抱負
私は学生運動、市民運動を経て国会議員となり、総理大臣を経験し、総理退任後原発ゼロなど市民
運動の原点に戻って活動を続けています。これからの私自身の活動として、福島原発事故に総理とし
て直面した私の使命としての原発ゼロの実現を目指すことは変わりません。もう一つ、私の政治の原
点は「市民参加の政治」です。二大政党による政権交代可能な政治の再現には政党のバックグラウン
ドとなる地域の社会運動が必要です。三多摩をはじめ全国各地に根を張った社会運動があって、そう
した社会運動に支えられた政党があってこそ参加民主主義の政党政治と言えます。エネルギー環境問
題、格差問題などの解決を目指す社会運動と連携した政党モデルの構築を目指して努力してみるつも
りです。そのためには「市民政治研究会(仮)
」といった研究運動団体を組織できないか考えています。
多くの皆様のご協力を期待しています。
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30km圏内の自治体同意がなければ再稼働できず
-衆院特別委で東電常務が答弁-
昨年11月6日の衆院原子力問題調査特別委員会
で、私の質問に対して、電力会社を代表して参考
人として出席した東電常務が極めて重要な答弁を
しました。
「30km 圏の自治体がこれでいいと言わ
ないと(再稼働の)スイッチは押せない、そうい
う理解でいいんですね」という質問に対して、東
電の姉川常務は
「地域防災計画が定まっていない、
すなわちご理解いただいていないということであ
れば、我々事業者としては再稼働の条件が十分で
ないというふうに認識しております」と答えました。
つまり、原子力規制委員会が「合格」と言って
も、30km 圏で同意していない自治体があれば、電
力会社は再稼働できないという認識を示したわけ
です。川内原発の再稼働について、鹿児島県の議
会と知事が同意しても、30km 圏には再稼働に反対
している自治体があるので、この考えからすれば
九電は再稼働できないことになります。
菅官房長官は記者会見で参考人の答弁を否定す
るような発言をしています。しかし、30km 圏の自
朝日新聞2014年11月7日
治体が反対している場合に誰がその反対を押し切
って再稼働を命ずることができるのか菅長官も安倍総理もはっきりしたことは何も言っていません。
最終的に再稼働のスイッチを押すのは電力事業者であり、
電気事業者が 30km 圏の自治体の同意が必要
と考えていることを官房長官が否定することはできません。
映像は
「衆議院インターネット審議中継」
、
議事録は「国会会議録検索システム」で見ることができるので関心のある方はぜひご覧ください。
衆議院原子力問題調査特別委員会(2014 年 11 月 6 日)議事録(抜粋)
菅 原子力災害対策指針を出されているのは原子力規制委員会ですよ。そこでおおむね三十キロとい
うUPZを指示して、そういう自治体にも地域防災計画をつくるようにという指示が出ているんです
よ。
姉川常務 失礼いたしました。地域防災業務計画は三十キロ圏のものでございます。
菅 ということは、先ほどのことと重ねて言うと、三十キロ圏の自治体がこれでいいと言わないとス
イッチは押せない、そういう理解でいいんですね。はっきり言ってください。
姉川常務 地域防災計画が定まっていない、すなわち御理解いただいていないということであれば、
我々事業者としては、
条件が十分でない、
再稼働の条件が十分でないというふうに認識しております。
菅 大変重要な返答を事業者からいただきました。少なくとも今の東電常務の認識、原子力事業者の
認識は、そういった三十キロ圏の自治体がきちんと了解したということがない限りはやらないという
ことを言われたので、これは大変大きな一つの、この問題での大きな発言として受けとめておきたい
と思います。
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震災でスケープゴートにされた菅首相
-フランス人政治学者による検証-
日仏会館・フランス国立日本研究センター編『震災とヒューマニズム-3・11
後の破局をめぐって』
(明石書店)の「政治と原発」に、三重大学人文学部教授
のティエリー・グットマンさんによる論文「危機管理と現代日本の政治文化-
菅直人首相は本当に責務を怠ったのか?」が掲載されました。出版(編集)元
と著者からの許可を得て以下に転載します(※英語論文は『Ebisu』に掲載)
。
危機管理と現代日本の政治文化
-菅直人首相は本当に責務を怠ったのか?
ティエリー・グットマン
日本に未曾有の大危機をもたらした 3 月 11 日の大地震。その直後から当時の首相菅直人は、トップ
の地位に相応しくないという批難の大合唱を浴びていた。圧倒的多数の人々から、菅に残された道は
早期の辞任以外にないと見られていたのである(1)。しかし筆者はここで、当時の世論とは正反対の
立場をとり、菅の辞任を望んだ人々が展開した批判というものが、実はほとんど論拠のないものであ
ったということを示したいと思う。さらに首相の辞任劇の根底には、現代日本の政治文化の特徴の一
つである、大きな危機を前にしたときにそこから脱するための第一段階として、しばしば見られるス
ケープゴート作りが横たわっていたことを論証したい。だがその前に、菅前首相に向けられた様々な
批判がどういうものであったのか、客観的な検証を試みる。
6 月 1 日、自民党を頭に野党 3 党の合意による菅直人内閣不信任案が衆議院に提出された。これに
先立つこと数日、与党民主党の一部から、首相が自ら辞任の意志を表明しない場合、不信任案に賛成
票を投ずる可能性が大であるとの意見が出された(2)。首相とその内閣に対して出された不信任案が、
主要野党を中心に与党の少なからぬ部分を巻き込み、衆議院の大多数によって支持されたのならば、
民主主義の理屈から言っても、その案は当時批難された首相の失敗や無能さについて示唆に富む内容
になっているはずである。
さて、全体でも比較的短い問題の不信任案の最初の節にはこう書かれている。
「菅内閣は、国難のと
きにあって明確な指針を示せないまま迷走を続け、わが国の復興と再生に対して大きな障害となって
いる」
(3)
。しかしながら、この断定の論拠はどこにも記されていない。同様に、次の節では、やはり
論拠は示されないまま、地震直後からの判断ミスや場当たり的な施策が、
「取り返しがつかない」重大
な事態を引き起こした、と強く糾弾されている。
そして次に、菅内閣の危機管理に対して最もよく耳にする批難が来る。地震直後に余りに多数の委
員会や組織を立ち上げ、それが決定プロセスを不透明にし、決定を遅らせ、実施効率を妨げた、とい
うものである。この批判が度々メディアに登場し、国会審議でも取り上げられていることを見ると、
確かにそこには一理あるのであろう。しかしその上であえて言うならば、今回のような大規模な自然
災害と人災を前にしたとき、一体いくつの委員会、組織が理想的だというのであろうか。その数を決
めるのは簡単なことではない。数が少なければあまりに権限が集中し過ぎ、決定プロセスが行き詰ま
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るという批判を受けるのではないだろうか?
次の節では、菅前首相は自分の政治生命の維持を被災地の復興より優先させているとして批難され
ている。これはまことに衆愚的な告発で、野党が好んで口にすることである。批難をしたほうは、自
分達は自らのことは顧みず、復旧に全精力を傾けていたというわけである。しかしいうまでもなく野
党に対しては、この危機を自らの利益のために利用したという批難が返ってくるだろう。何よりも、
地震直後のことを思い出してほしい。菅前首相は、当時の自民党総裁谷垣禎一に副総理として入閣し
て欲しい、連立内閣を組んで共に大震災の危機に対応しよう、と呼びかけた。しかしながら、この申
し出があまりに突然であったとして、自民党総裁は断っている。どうやら谷垣総裁は民主党政権を不
安定にさせることのほうを選んだようだ。谷垣は 2010 年 7 月以来、参議院で与党が過半数を失ってい
ることに力を得て、民主党を攻撃する好機ととらえていたのだ。
自民党とそれに賛同した野党は、最後まで、自分達のことは棚に上げて批判を続ける。すなわち、
この国家的危機にあたり、震災の深刻さを前にして、当初こそ政府に協力し一致団結して危機からの
脱却と復旧のため力を尽くしたが、もはや菅内閣に協力し、その延命に力を貸すことはできない、し
たがって不信任案を提出するという理屈である。しかし、このように分析してみた結果わかるのは、
総理とその内閣へ否を突き付ける不信任案を正当化するほどの客観的根拠は、ほとんど述べられてい
ないということである。だが、不信任案とは別に、菅直人と政府にひんぱんに向けられた批難の再検
証を続けたい。
不信任案の議決は 6 月 2 日に行なわれた。議決に先立って、衆議院で不信任案を支持する議員と反
対する議員による発言(4)があり、自民党副総裁、大島理森がまず説明に立った。大島は、菅内閣の
震災対策批判の際もっとも頻繁に聞くフレーズ「復興作業が充分なペースで進んでいない」という攻
撃から始めた。ここでも批判は妥当ではない。なぜなら充分なペースか否かの判断は、どのような基
準に基づくかに大きく依拠するからである。東京のテンプル大学のジェフ・キングストン教授が述べ
ているように、民主党政権による復興事業のスピードは遅いどころか、震災から 3 か月もたたないう
ちに 3 万戸近くの仮設住宅を建てた。野党が、6 月までに 3 万戸の住宅を立てるという目標を達成で
きなかったと批難するのは簡単だが、実際には目標に近い数のプレハブ住宅はすでにできていた。物
資不足と、適当な建設地が見つかりにくく輸送路が分断されているという条件下では、政府は十分評
価に値する成果をあげていたと言えるだろう(Kingston, 2011)
。
官僚に対する警戒心、その結果として行政機能を十分に使えなかったということも菅前首相に対し
てしばしば言われてきた批判である。大島自民党副総裁が続けて糾弾したのもその点であった。確か
に大震災後、菅は民間有識者からアドバイザーを起用し、中央省庁の官僚からの提言に耳を傾けるこ
とは少なかった。むしろ単独で決断をすることが多かった。この姿勢を理解するには、菅が市民運動
から出た政治家であること、
彼を一躍有名にしたのが 1990 年代に厚生大臣であった時に官僚と戦って
解決した薬害エイズ事件であったことを知る必要があるだろう。したがって菅はもともと中央の官僚
組織に対して本能的に強い不信感を抱いている。日本の原子力政策および原発建設が、
「原子力村(5)」
と呼ばれ、中央行政府及び政界、産業界、大学、メディアによって作られた閉鎖的な組織によって維
持、推進されてきたことを思えば、総理大臣が中央官僚組織に対して強い警戒心を持っていたことは
評価されるべきことであり、この状況下においてむしろ救いになっていたのではないだろうか。
次にあげるエピソードは、独裁的で単独行動しているとしばしば批判されてきた菅内閣が、実際に
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は、その特性ゆえに福島第一原発の事故のさらなる深刻化を食い止めたのではないかと思わせるもの
である。事故から 4 日目の夜、電源の喪失と原子炉 2 号機の圧力抑制室のバルブを開くことができな
いという事態に陥り、
東京電力の経営陣は、
現場の作業員の全面撤退を検討していると官邸に伝えた。
明らかに爆発が避けられないと見た経営陣が、作業員の犠牲を少しでも減らしたいとして判断したの
である。後に現場の作業員たちには職場放棄するつもりはなかったとわかるのであるが。ともかく、
東電経営陣の意向を聞いた菅は、直ちに東電に乗り込み、怒りを顕わに、撤退なんてありえないと経
営陣に迫った。この首相の行動がそれ以降の事故の展開にどれだけの影響を与えたか、測るのは難し
い。しかし、この状況下において菅は紛れもなく適役であった。
住民に充分な情報を与えず、隠していたというのは、菅内閣に対する批判のなかでおそらく最も正
当であるように見える。
なかでも糾弾を受けた最たるものは、
原発事故の直後から 1 か月以上もの間、
放射能の拡散地域を発電所から同心円を描いた地域だとしたことだろう。ところが、実は事故直後か
ら政府は、当初の同心円上には含まれていなかった北西部に拡散地域があるという情報をつかんでい
たといわれている。この姿勢についてはどういう説明が可能だろうか? 一つ考えられる可能性とし
ては、たとえ当初避難区域とされなかった一部の地域の放射線量が高かったとしても、2~3 週間であ
ればただちに(6)健康に影響はないと内閣が判断した、ということである。地震直後の数週間、避難
住民の数は膨大だったことを考えると、菅内閣が、一時的に一部の情報を公開せず、緊急度が比較的
低いとみなした住民の移動を避けることを選択した、と考えられるのである。重大な過ちと断罪され
た措置だが、
同じような状況であれば、
ほとんどの政府が同様のことをするのではないだろうか? フ
ランス政府が今なお、チェルノブイリ事故の時、放射能雲が通ったと不安を訴えた国民に対して、有
害な影響はないと否定し続けていることを思い起こしてみてほしい。
このように検証していくと、菅内閣に対する批難は必ずしも正当でなく、客観的に見て批判に値す
ることがそれほど多くはないことがわかる。しかしそれにもかかわらず、日本の世論は一度もこの内
閣に充分な支持を与えていない。この否定的な感情の理由は何なのか?
残念ながら、世論調査はこの質問には答えてくれない。というのも質問は大体次のような形式をと
っているからである。
「福島第一原発事故に対して菅内閣がとった行動を支持しますか?」これに対す
る大多数の国民の答えは否定的だ、しかし、それがなぜかという理由を明らかにするような質問はほ
とんどなされたことがない。
ジェフ・キングストンは、菅直人を辞任に追い込んだ要因を分析しているが、そのなかで以下のよ
うに当惑を述べている。世論調査によると日本国民の多くは原発の廃絶を願っており、その点で菅直
人首相の方針と完璧に一致しているにもかかわらず、決して菅の支持にまわらなかった(Kingston,
2011)
。その一方で朝日新聞が 6 月 3 日と 4 日に行なった世論調査によると、52%の人が菅直人が近日
中の辞任を表明したことをよかったとしている。しかしながら、新しい首相が任命されたとして、復
興が進むと思うかという問いに対して、肯定しているのはわずか 22%にすぎない(7)。この矛盾がど
こから来るのか、と考えると、菅直人を 3 月 11 日の自然災害および人災のスケープゴートにしたいと
いう意志が無意識の内に働いていると思えるのである。
確かに震災以前から菅内閣の支持率は非常に低かった。さらに「原子力村」も彼を辞任に追い込ん
だ一つの要因だろう。だが、国民が自らの内に高まっていた否定的な感情を誘導し、発散させる何か、
ジェフ・キングストンの言葉を借りれば「避雷針」
(2011)を探し求めていた、というのが、菅首相の
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辞任につながるプロセスにおいて同じくらい重要な要因になっていたと考えられるのである。野党は
言うに及ばず、ほとんどのメディアも菅の辞任があって初めて、震災からの復興が本格的に始まるの
だという論調を繰り返した。ここで働いた心理的、感情的な展開こそが、典型的なスケープゴート現
象だと思えるのである。
テレビで流された次の映像が、菅が背負ったスケープゴートの役割を如実に物語っている。避難所
になっている福島県内の体育館を菅首相が視察し、足早にその場を去ろうとしたとき、一組の男女が
映り、男性が「もう帰るんですか?」と叫ぶ。それに続く不平不満を、感情を殺して耐えている菅の
姿を数分間にわたってカメラが捉える。批難は、菅内閣の対応策に具体的に向けられているわけでは
ない。そうではなくて、総理大臣が彼らの存在を気が付かなかったように無視して、通り過ぎようと
したことへの怒りだったのだ。この男女が何よりも必要としていたのは、彼らの味わっている深い悲
しみと苦しみを誰かに訴えることだったと思われる。テレビで放映されたのは被災者の強い怒りがに
じみ出た断片的な場面だったので、視聴者のほとんどが無意識に、すべての災いの責任が菅直人にあ
ると結論づけたのであろう。
2012 年 2 月 9 日
注
(1)菅は遂に 2011 年 9 月 2 日に辞任する。
(2)投票の直前、菅前首相は近日中の辞任を表明し、事態は収まった。
(3)
「朝日新聞」2011 年 6 月 2 日付。
(4)不信任案決議の前になされた発言は衆議院のホームページで閲覧できる。
(5)日本の田舎の生活から来た譬えで閉鎖的で不透明、村は内部の者の利益を守るために情報を漏らさない。
(6)枝野幸男官房長官が、当時の会見で度々使用した言い回し「ただちに健康に影響はない」はよく知られている。
(7)2011 年 6 月 5 日付。
※『Ebisu』:英語論文『危機管理と現代日本の政治文化-菅直人首相は本当に責務を怠ったのか?』
http://ebisu.revues.org/292
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2015年2月1日
トマ・ピケティ教授の講演を聞く
1 月 30 日、
『21 世紀の資本』の著者トマ・ピケティ教授の講
演とシンポジウムを聞いてきました。ピケティ氏はアベノミク
スに関連し、日本を含む先進国の多くで格差が拡大しており、
格差拡大は貧困層の子供の教育機会を失わせ、格差拡大自体が
経済成長を妨げる原因になることを指摘しました。予算委員会
での長妻議員の議論と基本的に同じ指摘です。安倍総理は成長
が必要であり、配分だけを考えるのではだめだとすぐ切り返し
ますが、配分が適切でなく、貧困層の子供が十分な教育を受け
られなくなると逆に成長を妨げることになるというピケティ氏
の主張にどう答えるのでしょうか。予算委員会での民主党議員と安倍総理の議論を聞いていると、安
倍総理の独りよがりな論理では誰も納得せず、馬脚が表れ始めています。
トマ・ピケティ教授『21 世紀の資本』
に関する勉強会のご案内
フランスの経済学者トマ・ピケティ教授の『21 世紀の資本』が
話題となっています。
そこで民主党政権で内閣府経済社会総合研究所長を務めていた
だいた小野善康大阪大学教授に、ピケティ氏の議論をどう考える
か話を聞く勉強会を下記のように企画しました。
関心をお持ちの方に奮ってご参加いただきたく、ご案内申し上
げます。
日時 2月 20 日(金)11:15~12:45
- 小野善康大阪大学教授 -
場所 衆議院第一議員会館地下1階第5会議室
※11:00~11:30 の間、議員会館1階玄関で手渡す通行証で入館してください。
先着順 50 名(要事前申込)
会費無料
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