8 お知らせ 片 岡 家 文 書 に は「 二 割 半 無 地 増 高 」 子育て・保健 の実施時期を確定できる文書が残され て い ま す の で、 詳 し い 内 容 や 経 緯 は、 報告書でお確かめください。 ―片岡家文書調査指導委員会委員 (公財)郡山城史跡・柳沢文庫保存会 研究員 吉田栄治郎― 片岡家住宅(国重要文化財) 大宇陀田原938番地 ・ ☎ ・9365) ・2000) 問片岡家(自宅) (☎074 ・3976/ 問文化財課 (☎ 掲示板 88 83 うだチャン 大宇陀 栗野 ▲永禄元年(一五五八)三月二十日 「田原中屋孫二郎宛秋山教家借銭状」 ます。 江戸時代になると田原村は幕府の直 轄 領 に 組 み 入 れ ら れ ま す が、 元 和 元 年 ( 一 六 一 五 ) の 大 坂 夏 の 陣 の の ち、 元 和 五 年 に は 郡 山 藩 領 に な り ま す。 藩 主 は 徳 川 家 康 の 外 孫 松 平 忠 明、 大 和 国 で 万 石 の 領 地 を 与 え ら れ ま し た が、 忠 明 は 寛 永 十 六 年( 一 六 三 九 ) に 姫 路 に 移 り、 そ の あ と 本 多 政 勝( 徳 川 家 康 の 家臣で有名な本多平八郎忠勝の孫)が 万 石 で 郡 山 藩 主 に な り ま す。 こ の 万 石 は 寛 文 四 年( 一 六 六 四 ) に 作 成 された「寛文印知集」(宮内庁書陵部所 蔵 ) で は 万 石 に な っ て い ま す が、 そ の差 万石が「二割半無地増高」という、 実際に田畑が増えていないのに村高の 数字だけを %割り増すという郡山藩 本 多 氏 に よ る 悪 法 を も た ら し、 長 い 間 領内村々を苦しめます。 3 病院・ウェルネス 至 吉野 IP 至 大宇陀 上片岡 5 片岡家住宅 片岡家文書から見えてきたもの 20 まちのわだい 容 が 明 ら か に な る わ け で す が、 そ れ を 活 用 し た 研 究 が 行 わ れ、 そ の 成 果 が み な さ ん の 手 元 に 届 き、 宇 陀 市 域 の 歴 史 や文化の歩みを身近なものとしてお確 かめいただける日が近づいています。 今 回 は、 戦 国 時 代 か ら 江 戸 時 代 初 期 の片岡家文書によっていくつかのこと を ご 紹 介 い た し ま す。 今 の と こ ろ 戦 国 時代の片岡家の姿ははっきりしません。 ただ、同文書中の永禄元年(一五五八) 月 日の(仮題)「田原中屋孫二郎宛 秋山教家借銭状」や、同四年(一五六一) の(仮題)「田原之脇本宛秋山藤二郎教 家 売 券 状 」 か ら、 秋 山 教 家 と い う 人 物 の こ と は よ く わ か り ま せ ん が、 戦 国 時 代に宇陀市域を支配した秋山氏の一族 と 推 定 で き る た め、 片 岡 家 が 秋 山 氏 と 何らかのかかわりを持つ田原郷の武士 的な存在だったと見ることができると 思います。 長く続いた庄園制度を終わらせるこ とになった豊臣秀吉による土地調査事 業、 一 般 に 太 閤 検 地 と 呼 び ま す が、 田 原 村 で も 文 禄 四 年( 一 五 九 五 ) 月 に 太 閤 検 地 が 実 施 さ れ て い ま す。 片 岡 家 に は 写 本 で す が「 和 州 吉 野 郡 竜 門 之 内 田原村御検地帳」と題した検地帳が伝 わ り ま す( 田 原 村 は 当 時 吉 野 郡 に 属 し て い ま し た )。 当 時 の 片 岡 家 の 立 場 は は っ き り し ま せ ん が、 秋 山 氏 の 滅 亡 と ともに田原村に帰農していたと思われ 3 うだぢから 15 25 古文書が伝える地域の歴史 12 市政トピックス 2015 年 3 月号 5 82 370 12 12 12 昨年の広報うだ 月号で谷山正道調 査指導委員会委員長からお伝えしたよ う に、 高 橋 光 代・ 中 村 泰 彦 両 調 査 員 の 精 力 的 な 取 り 組 み に よ り、 片 岡 家 文 書 の調査が最終盤にさしかかってきまし た。 万 点 を ゆ う に 超 え る 文 書 の 調 書 (目録)採取がほぼ終わり、写真撮影も 約 割 が 終 了 し ま し た。 調 書 の 点 検・ 修正と写真撮影および撮影済み写真の 確 認 作 業 が 残 っ て い ま す が、 そ れ も 最 終年度である来年度の早期には目途が 付きそうです。 最 終 年 度 に は 目 録 お よ び 指 導 委 員・ 調査員による文書内容の紹介を兼ねた 研究成果を登載した報告書を作成する 予 定 で す。 こ れ に よ り 市 民 の み な さ ん や全国の研究者待望の片岡家文書の全 特 集 ▲永禄四年(一五六一)五月一日 「田原之脇本宛秋山藤二郎教家売券状」 1 8
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