数学史家 として の ア ン ドレ 。ヴ ェイ ユ 高瀬 ア ン ドレ・ ヴェイユ 正仁 (九 州大学 ) (1906- )は 代数幾何学の不定解析へ の応用に新生面を開 いた数学者 として名高いが、同時 に稀有の数学史家 で もあ り、近代数学史、わけて も 数論史を 中核に据 えて多 くの叙述 を行な っている。 数学史に寄せ るヴェイユの関心 の 始ま りは古 く、 自伝『 ある数学者 の修業時代』 (稲 葉延子訳、 シュ プ リンガ ー・ フェ アラーク東京)に よれば、ェ コール ・ ノルマルの一年 目 (1922年 )に すでに リーマ ン を読み始 め、二年 目にはフェルマ を読んだ とい うこ とである。数学史家 としての守備 範囲は異様に広 い (フ ェルマ を初 め として、近代数 学史上のほ とん どすべ ての大数学 者が網羅 されている)。 しか も精密な実証 の上に表明され る諸見解はみな明快 であ り、 自信に満ちていて、魅力的である。私 はガ ウスの『 整数論』を手がか りに して、およ そ13年 前か ら近代数学史の組織的な研究を始 めたが、 いたるところで有力な先行者ヴェ イユの巨大な足跡 を見 い出 して、 しば しば茫然 とさせ られた。近代 数学史の本質の考 察を進めてい くうえで、 ヴェィユ の数学史は容易に追随を許 さな い遠 い 目標 であ り、 一貫 して指針 であ り続 けた。 しか し、同時に、私は ヴェイユの発言 に心か ら共感 した こ とは一度 もな く、つねに違和感 のみを感 じていた 。そ の違和感 の 由来の究明 こそ、 私 のヴェイユ論 の もっ とも基本的な契機 である。 数学史叙述は もとよ り歴史上の 諸事実 と矛盾す る ことがあっては な らないが、一般 に歴史は純粋 の客観知ではあ りえな い。生きて動 い ている主体 の 目が、 同じく生きて 動いてい る対象に 向か うときに感 知 され る光景 の多 様性 こそ、か え つて歴史 とい うも のの本来 の姿であ る。ヴ ェイユ は ヴェイュの 目に映 じた情景を高い論理性 の伴 う言葉 で明晰判明に描写 したが、それ らは私 の 目には全 く見えない ものばか りであつた。そ こで私は、 ヴェイ ユ の表明す る諸見解をことご とくみ な取 り出 して、それ らの一つひ とつにつ いて批評 を試みたい と思 う。ね らい とす る ところはヴェイ ユの数学史を否定 す ることではな く、む しろヴェイ ユ に範を求めて数 学 と数学史 との 間の親密な内的関 18 連の様相を明らかにし、併せて私 の 目に映じたもう一つの数学史を提示することであ る。 上記の作業を通じて、解明がな されるべ き論点は次の二点である。 1.ヴ ェイユの数学史叙述の基幹線を指摘すること。 2 近代数学史の諸相の中で、ヴ ェイユの数学史に根本的に欠けている部分を指摘 し て、もう一つの数学史叙述の可能性を具体的に提示すること。 「論点 1」 について。 ヴェイユ の数学 の 中核をなす の は数論 であ り、 しか もヴ ェイユ のい うところの数論 の実体 は、フェル マ に端を発す る不定解析 である。 ヴ ェイユ は近代 の数論史を不定解 析 の展開史 と見て、ガ ウスの相互法則 もク ロネ ッカ ーの虚数乗法論 もみなその流れ の 中に位置付けて理 解 しよ うとして いる よ うに思われ る。 また、研究 の手法 としては代 数幾何学が取 り上 げられているが、その根幹をなす のは、 リーマ ンの一変数代数関数 論 である。そ こで ヴ ェイユの場合 には、フアニ ャノ、オイ ラーの楕 円積分論に始まる 代数関数論 の歴史を、代数幾何学史 と見て叙述す ることが基本的な課題になる。 「論点 2」 について。 「論点 1」 の考察を踏まえて、私はまず、ガウスの数論は不定解析か ら峻別するベ きであることと、ガ ウス とともに全 く新 しい数論の流れが流れ始めたことを主張 した い と思 う。次に、代数幾何学の形 成史の根幹に立ち返 り、 リーマンの理論形成を導い た 「ヤ コビの逆問題」の本来 の意味を考察する。私 の見るところによれば、この問題 の本質は 「ヤ コビ関数の認識」にあ り、ヤ コビはヤ コビ関数を対象 として、楕円関数 に対する虚数乗法論に相 当する理論をめざ したので ある。そのためには必然的に多変 数解析関数論 の形 成が要請されるが、はたしてヴェイュの 目にこの ような状況が映 じ ていたか否かが重 大な問題になる。私は、 「見えてはいたが、取 り上げることを断念 した」と主張する。 19
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