日本小売商業の現況

論
文
日本小売商業の現況
杉
本
修
はじめに
1. 商店減と地域商店街の苦悩
2. 大型店時代の実態
3. 大型店政策の展開
おわりに
はじめに
小売商業は, 電気, 水道, ガス, 道路等と同じく現代の社会生活に必要不可欠な施設, 機能
であり, その意味でライフラインということが出来る。 しかしながら, 小売商業以外のライフ
ラインが法的な規制の下におかれ, その機能の提供が消費者に保障されている1) のに対して,
小売商業は私的経営によって担われ, 完全な自由競争が支配する世界である。 それ故に, 都市
部においてさえ, 近くに食料品をはじめとする日常用品を販売する小売商店がないという, い
わゆる買い物難民が生まれだして来ている。 経済産業省の推定によれば, その数は
万人に
達する, という。 スーパーの地域からの安易な撤退 (閉店) は, 消費者を無視した経営戦略展
開の典型である。 いま, 日本の小売商業を支配しているのは自社の勝ち残りのみを目的とした
弱肉強食の論理であり, どうしようもない無秩序の立地である。
かつて, 日本の小売商業組織の構造的特質が 「ほんのひと握りの巨大な百貨店と膨大な数に
のぼる零細な独立自営商の極端な二重構造」2) といわれた時代には, 買い物難民などというも
のは存在しなかった。 それは家族によって経営される小売商店が消費者の歩いて買い物に行け
る範囲に多数存在したからである。 たとえば, 小売商店の商店密度 (人口1万人に対する小売
商店数) を欧米諸国と比較すると3), 商店減が進行していた
年代においてさえ, 日本が
1) 例えば 「電気事業法」 はその第1条 (目的) の中に 「電気の使用者の利益を保護し」 が明言されて
おり, さらに第
条 (供給義務等) には 「一般電気事業者は, 正当な理由がなければ, その供給区域
における一般の需要に応ずる電気の供給を拒んではならない」, と 「義務」 が明記されている。
2) 佐藤肇
日本の流通機構
3) 通商産業省編
有斐閣,
年,
世紀に向けた流通ビジョン
頁。
(財)通商産業調査会,
年, 図表編より。
立教経済学研究
店 (
(
年) であるのに対して, アメリカ
年), 西ドイツ
店 (
第
巻
店 (
第3号
年
年), イギリス
店 (
年), フランス
店
年), と大きな差異がある。 問題はこの差異を 「格差」 と見るか,
あるいは意味ある違いと見るかである。 後の章で見るように, 高度成長期以来の日本の小売商
業政策は, この差異, すなわち商店密度の高さを, 日本小売商業の 「近代化の遅れ」 の典型的
な表象とみなした。 だがこのような見方は誤りであると思う。 伝統的に食料品の生鮮食料 (魚,
野菜等) 嗜好が強い日本にあっては, 身近なところにそれらを供給する小売商店 (魚屋, 八百
屋, 豆腐店等) が多数存在することが, 小売商業の合理的なあり方であった。 そうした 「近所
のお店」4) を経営するのは自らも当該地域の住民である自営業者である。 高度成長期の初期に
小売商業にチェーン方式が導入されるまでは, この分野に大資本が進入することはなかった。
自家用車が広く普及するまでの日本の小売商業は, 無数の小規模商圏によって構成されていた。
だから, そうした小規模な購買力に対応する小売商店もまた小規模・零細の経営でしかあり得
なかった。
たしかに, そうした小売商店は自動ドアもエスカレーターも持たない 「前近代的」 な商店で
はあったが, そこは地域の人々の交流の場となり, ある商品の専門家である商店主は消費者の
消費アドバイザーでもあった。 なによりも商店主とその家族は, 顧客と同じ地域社会の一員と
して地域の様々な活動を担った。 「近所のお店」 は, 流通機構の末端に位置する単なる販売店
ではなく, 様々な機能を担ってきた地域の核施設であった。 そうした多様な機能を, 画一的な
店舗を展開する全国チェーンの中・大型店に求むべくもない。
農林水産省の調査によれば5) , 全国の産地直売所の年間販売額は, 8千億円を超えている
(
億円)。 産地直売所では, 地域で生産された農・水産物を生産者自ら販売する。 野菜・
果実では, 新鮮さだけではなく, 無農薬・低農薬の商品が取りそろえられ, 安全・安心も産地
直売所の興隆の要因である。 いま消費者は比喩的にいえば, 「生産者の顔の見える」 商品を希
求している。 産地直売所は, 全国はもとより全世界から仕入れた農・水産物を販売するスーパ
ー商法の対極に位置する小売商店である。
年代より以前の, 消費者の身近なところに八百
屋や魚屋があった時代には, そこで販売される商品は, まさしく 「地産地消」 を体現するもの
であった。 冷凍技術, 長距離輸送手段の発達は, 生鮮食料品市場を地域から, 全国, 全世界へ
と拡大させた。 その担い手は,
年代末に 「低価格」 を標榜して登場し, 急成長した日本の
スーパーであった。 食料品の供給先を全世界に拡大することは, 食の安全性に常に危険をもた
らす可能性を持つ。 欧米諸国に比すべくもない我が国の食料自給率の低さは, 全世界から食料
を 「買い漁ってきた」 スーパーの行動の帰結でもある。 食の安全性を考えるならば, 食料品に
関するスーパーの行動は明らかに岐路にさしかかっている。
4) 「近所のお店」:住宅街の中, もしくはそれに隣接した場所に立地し, その近隣に居住する消費者を
顧客とし, 食料品を中心とする日用品を販売する, 家族労働力に依拠し経営される小規模小売商店。
5) 農林水産省 「農産物地産地消等実態調査 (平成
年度結果)」,
年。
日本小売商業の現況
本稿においては, 日本小売商業の現況を, 現在も進行中の地域商店街の崩壊 (商店減) の実
態解明 ( ), 表面的には隆盛の極みにある大型店の状況分析 ( ), という二つの側面から解
明する。 さらに, この両者がいずれも小売商業の 「産業化」 を企図した戦後流通政策の必然的
な帰結であり, 極めて恣意的な運用に終始し, ついには廃止された大規模小売店法によるもの
であることを, 大型店政策の展開の中に見る ( )。 筆者は, 現在の日本の小売商業のあり方
が, 必ずしも消費者にとって望ましいあり方ではない, と考える。 それは決してかつての商店
街の賑わいに対する郷愁からいうのではない。 冒頭に述べたように, 弱肉強食の論理, 無秩序
の立地に象徴される今日の小売商業のあり方は, 決して 「消費者利益」 にかなうものではない,
と考えるからである。
1. 商店減と地域商店街の苦悩
(1) 商店減
日本の小売商店数は戦後ほぼ一貫して増加を続けてきたが,
(昭和
) 年をピークとし
て, その後一転して減少を続けている。 この商店数減少の主要因は, ( ) 従業者数1∼2人,
( ) 個人経営, ( ) 単独店, という条件を持つ商店の減少によるものである。 こうした条件を
持つ商店は, まさしく 「近所のお店」 である。 それは住宅街, 小さな商店街・小売市場に立地
し, 徒歩で買い物に来られる範囲の消費者を対象に食料品を中心とした基礎的な生活物資を販
売する商店である。 一般的には 「地域密着型小売業」 ともいわれるが, 地域需要に対応する地
域産業である小売業において, 地域に密着しない小売業などあり得ないのだから, この呼称は
適切では無いように思われるので, ここでは 「近所のお店」 とする。
商業統計6) によって, この商店減を確認する (表1参照)。 表1は極めて粗い時系列表であ
表1
従業者規模別小売業商店数 (実数)
計
従業者規模
法
年
昭和
年
昭和
年
平成
人
年
昭和
個
年
昭和
年
平成
人
年
昭和
年
昭和
年
平成
計
1∼2人
3∼4人
5∼9人
∼
人
∼
人
∼
人
∼
人
人以上
(資料)
「商業統計」
6) 商業統計は
(昭和
) 年に調査が開始された統計であるが,
(平成9) 年までは3年ごとに実施された。 その後
(平成
(昭和
) 年までは2年ごと,
) 年までは, 5年ごとに本調査
立教経済学研究
第
巻
第3号
るが, 商業統計による日本の小売商店数の変動は,
年
(昭和 ) 年から増加,
(昭和 )
年をピークとして減少, という極めて単純なものであるから, 大まかな傾向は把握可能である。
さて表1によれば,
年から
年の間においては, 小売商店総数も, 全ての従業者規模の商店
数も, 法人・個人別商店数も増加が見られた。 しかしながら
年以降の商店減においては明確
な小売商業階層間の差異がみられる。 まず法人, 個人別にみれば, 減少しているのは個人商店
総数のみで, 法人商店総数は減少していない。 さらに従業者規模別にみれば, 従業者数5人以
上の階層は総体として減少していなく, 減少しているのは従業者数1∼2人, 3∼4人の, 二
つの階層のみである。 ただし3∼4人の法人商店数は微増している。
従業者数1∼2人, 3∼4人の, この二つの階層をここでは便宜的に零細小売商業, とよ
ぶ7)。 零細小売商業は日本小売商業の基底部を構成してきた。 しかし, 零細小売商業が日本小
売商業に占める比重の変化をみると (表2参照), その比重は商店数においても, 従業者数,
年間販売額においても,
年から一直線の減少傾向を示している。
商店は, 商店数の9割 (
(
%), 従業者数の3分の2近く (
年に従業者数5人未満
%), 年間販売額の半数近く
%) を占める日本小売商業の 「一大勢力」 であった。 しかし
店数こそおよそ3分の2 (
においては僅か
(平成
%) を占めてはいるものの, 従業者数では
) 年には, 商
%, 年間販売額
%のシェアを持つに過ぎない。
従業者数5人未満商店は,
年から
年の間において, およそ
万店近く (
店) も
店舗数を増加させた。 それにも関わらず, シェアを低下させたということは, この間における
大・中小規模の資本制小売商業の成長速度が, 零細小売商業をはるかに凌駕していたというこ
とである。 おそらく, 高度経済成長初期から, 資本制小売商業の成長によって, 零細小売商業
の存立基盤は次第に浸食を受け始めていた。 しかし極めて高い率の経済成長, すなわち流通商
品量の増大, 消費購買力の増大が続く中で, 層としての零細小売商業は転・廃業を上回る新規
参入・再参入によってその数を増大させた。 つまり経済成長が, 零細小売商業経営の存続を下
支えした, ということがいえよう。
を実施し, 本調査の2年後に簡易調査を実施した。 しかし, 「経済センサス」 調査が新たに設けられ
たことにより,
(平成
) 年の簡易調査は行われなかった。 さらに調査時期を経済センサス調査
実施の2年後に変更したことにより,
た紆余曲折を経て,
(平成
(平成
) 年調査も行われなかった。 結局のところこうし
) 年に経済センサスと同時に調査が行われた。 つまり現時点 (
年) において利用可能な商業統計の 「最新」 データは
年のものである。 商業統計も, 5年に1度
行われる国勢調査のように安定した調査周期が得られることが求められる。
7) 糸園辰雄は, 従業者数1∼4人の小売商店を零細小売業とした ( 日本中小商業の構造
ァ書房,
ミネルヴ
年)。 筆者は従業者数4人以下の小売商店の中にも明確な資本主義的経営があり, 従業
者5人以上の商店の中にも純然たる家族経営店がある, ということを
年代初頭から北海道各地の
小売商店訪問調査によって確認していたので, 従業者数5人未満商店を零細商業とする規定には未だ
違和感を感ずるが, 全国的な小売商業に関する統計が実質的に商業統計しかないという現状において,
この商業統計の従業者規模区分に従わざるを得ない。
日本小売商業の現況
表2
小売業における従業者数5人未満商店の割合
表3
従業者規模別生産性格差
(%)
従業者
規 模
商店数
従業者数
年 間
販売額
年
年
昭和
昭和
(%)
年
従業者規模
平成
1∼2人
計
3∼4人
1∼2人
計
3∼4人
1∼2人
5∼9人
3∼4人
∼
人
計
∼
人
1∼2人
∼
人
3∼4人
∼
人
計
(資料)
年
昭和
年
平成
人以上
「商業統計」
(資料)
「商業統計」
ちなみに, 小売商店の法人化率 (=商店数に占める法人商店の割合) は
(
年
昭和
%) に過ぎなかったが,
年には四分の一 (
%),
年には約1割
年には約半数 (
ている。 日本小売商業における自営業から資本主義的経営への転換は,
%) に達し
年以降, 着実に進
行していた。 この資本主義化の流れが着実に進んだことは, 表2に示される零細小売商業のシ
ェア低下からも明らかである。
年以降顕著となった商店減, すなわち零細小売商業の規模
縮小は, 日本小売商業がもはや零細な資本, というよりは僅かな元手によって参入出来る産業
ではなくなった, ことの反映である。 日本小売商業における膨大な数の中小・零細小売商業の
存在については, 先学によって戦前から多数の研究が積み重ねられてきた8)。 零細小売商業の
高率利益性, 小規模資本 (=元手) での参入可能性が膨大な数の中小・零細小売商業の存在を
もたらした, という点については多くの論者が肯定している。 しかし今日の日本小売商業にも
はや, そうした条件が存在しないことは明らかである。
次に日本小売商業の階層構造の変化を概観する。 このことを見るために, 従業者規模別に生
産性 (=ここでは従業者1人当たり年間販売額とする) 格差の変化を示した (表3参照)。 生
産性という基準によるならば,
年には平均に満たない2つの階層 (=従業者5人未満),
平均を ∼ %上回る5つの階層 (=従業者5人∼ 人), 平均を大きく上回る1つの階層 (=
8) 糸園辰雄は, その
日本中小商業の構造
郎 ( 日本中小商業の構造
有斐閣,
御園生等 (「日本中小企業問題と商業資本」
小商業論
関書院,
(
年) において, 戦前以来の主要な研究者竹林庄太
年), 松井辰之助 (編) ( 中小商業問題
講座中小企業
年), 各氏の中小商業論を検討し,
第2巻, 有斐閣,
有斐閣,
年),
年), 堀新一 ( 中
年代における日本中小商業論の一つの
到達点を極めた。 しかし, 商店減が続く今, 「商店主の多くが一般的に学歴でサラリーマンに劣り,
筋肉的には工・農労働者より劣悪である」 (竹林庄太郎), という零細商業の古典的規定がどの時期に
破綻したのかを明らかにする必要がある。 筆者はその時期を
によりたい。
年代初頭と考えるが, このことは別稿
立教経済学研究
従業者
第
巻
第3号
年
人以上) と3つのグループがある。 これはそれぞれ, 伝統的な階層区分名称の零細
小売商業, 中小小売商業, 大規模小売商業に対応する, とみることが可能である。 その後,
年,
年の変化をみると, どの従業者規模階層も数値を低下させており, 総体としてい
えば格差の平準化が進行した。 しかし, 従業者数1∼2人階層では,
%) あった生産性が
(
3人階層では,
年にはほぼ5割 (
年に平均の6割程度
%) まで低下している。 また従業者数2∼
年にはほぼ平均に近かった (
%) 生産性が,
年には平均の四分の三ま
%) 低下している。 経営構造が資本制小売商業とは異なる零細商業において, 生産性
で (
年以降一
は利益率に直接的に連動はしないが, それにしても, 零細小売商業の経営環境が
貫して悪化していることは歴然としている。 それはまた表2に示した零細小売業のシェア低下
と完全に軌を一にする。
年に見られた三つの階層間の生産性格差は,
年においても明確に見られ, 伝統的な階
層区分は今日においてもなおそれなりの有効性を持っている。 なお中小小売業に属する, 従業
∼
者数
人が平均の生産性を下回って (
%) いるのは,
年代から顕著になってきた地
方中小食品スーパーの再編の動きが, この層の商店を中心に進んでいることの反映であると考
えたい。
年代以降多様な業態が開発されてきた。 伝統的な従業者規模による階層区分も,
業態という視点を導入して, さらなる精緻化を図る必要に迫られている。 さらに派遣, パート,
アルバイトのような雇用形態の多様化が進む中で, 階層区分に当たっては従業者 「数」 の質的
内容の吟味が求められる。
(2) 自営業者層の急縮小
前節でみた従業者数5人未満小売商店数の
(昭和
) 年以降の減少は, 別の言い方をす
れば, 自営小売商店数の減少でもある。 そこで国勢調査により, 小売商業の従業上の地位別就
業者数の変動をみる (表4参照)。 小売業の就業者総数は
(
万人) であったが, その後順調に増加し,
に達した。 しかし
(平成
もまた総数と同様に
万人) である。
) 年には
(昭和
) 年にはおよそ
(平成 ) 年には,
万人を越える (
万人 (
万人
万人)
万人) 減少を示した。 雇用者
年をピークとして, 減少に転じているが, その減少数は
万人 (
年代に入ってからの雇用者数の減少は, 消費需要の伸び悩みが続くと同時
に, 大・中規模小売商業の業態間, 業態内の競争がさらに激化し, 各企業において従業者の削
減政策が行われていることの反映である。 ただし, 就業者総数の減少に対する雇用者減少の寄
与率は
%に過ぎない。 この意味については後段で考察する。
中小小売商業の経営者層である役員もまた
9) 小売業の売上上位
社が各
年をピークとして減少に転じている9)。 これ
人の役員を有していたとしてもその総数は3万人であって, その
増減が, 表4に見られる役員数の 万人減少に寄与する割合は微少である。
日本小売商業の現況
表4
従業上の地位別就業者数 (小売業)
単位 (千人)
年
次
総
数
雇 用 者
役
員
有雇業主
無雇業主
家族従業者
年
年
総
数
年
年
年
年
年
男
年
年
年
年
年
女
年
年
年
(出典) 「国勢調査」
(注) 有雇業主は雇人のある業主、 無雇業主は雇人のない業主。
はおそらく景気の停滞による一時的な減少などではなく, 大規模小売店の過剰出店の影響を中
小小売商業が受け始めたこと, というよりは影響をもはや受け流し難くなったことを示すもの
であろう。 つまり, 前節でみた零細小売商業の衰退傾向が, より上位の階層である中小小売商
業にも及び始めた, とみるべきであろう。
自営小売商店の経営主である, 雇人のある業主, 雇人のない業主は,
(昭和
) 年をピ
ークとしてその後一貫してその数を減少させている。 特にほぼ純粋な家族経営店の経営主であ
る雇人のない業主は,
年の
万人強 (
万人) から,
年には 万人以下 (
万人)
へと激減している。 この階層よりは経営規模が大きいと見られる雇人のある業主でさえ,
年から
年の間に
万人から
万人, とその数を半減させている。 業主人数の減少は, 直接
的に商店数の減少である。
また家族従業者数も
年から
年の間に
に減少している。 ここで注目すべきことは,
万人から
年から
万人 (
万人) と殆ど4分の1
年の間においては, 雇人のある業主,
雇人のない業主, 家族従業者は僅かながらもその数を増加させていることである。 この増加傾
向は 年代にもみられ,
,
年代には自営小売商店は転・廃業数を上回る新規参入・再参入
を持っていたことになる。 しかし, この三者 (雇人のある業主, 雇人のない業主, 家族従業者)
は,
年をピークとして減少傾向に転じた。 そのことは, 従業者規模別小売商店数の変動を
示した表1において従業者数1∼2人, 3∼4人階層の商店が
年をピークに減少に転じた
立教経済学研究
第
巻
第3号
年
ことと全く軌を一にしている。 つまり経営基盤の脆弱な零細小売商業では, 年々多数の転・廃
業を生じるが, それを上回る新規参入・再参入があることによって, 層として一定の規模を維
持し, さらに成長してきていたが,
年代初頭をピークとして, 階層としては急激な衰退過
程に突入した, と思われる。
商業統計の集計項目 「開設年次」 によって, 小売商業における新規開店数を厳密に測定する
ことは困難である )。 いま商業統計によって開設1年未満商店数 (=近似的に商業統計調査時
点より前の一年間の新規開店数を示す) を
年調査と
従業者数1∼2人商店では,
店となり, 3∼4人商店では
店:
年調査について対比するならば,
店:
店, となる。 1∼2人商店では新規開店数が半減しているのに対して, 3∼4人商店では同水
準の新規開店を維持している。
この自営業者層の急激な衰退は, 小売商業のみに特異な減少ではなく, 飲食店, 個人サービ
ス業, 建設業など従来自営業者経営が一定の比重を占めていた産業に共通に見られる現象であ
る。 ちなみに全産業における従業上の地位別の就業者数を
年について対比するならば, 雇用者は約3千
(昭和
万人 (
) 年と
人) から約4千
人) へとおよそ1千万人増加している。 これに対して役員は, 約
(
人) から約
万人 (
万人 (
主は約
人) と
人) から約
雇人のない業主の減少はさらに大きく,
人) へと
から
人) へと
業主, 家族従業者の減少数は
万人
万人 (
万人近く減少している。 同じように, 雇人のある業
万人強 (
万人強 (
人), と
万人近く減少している。
人) から,
万人も減少している。 さらに家族従業者についてみると,
万人 (
)
(平成
万人 (
万人 (
人)
万人減少している。 役員, 雇人のある業主, 雇人のない
万人に達する。 この変動を景気変動, 経済構造の変化といっ
た経済の側面のみで説明することは不可能である。 日本全体の保守化傾向, 家族構造の変化,
若年層の就業意識の変化, 等の多彩な観点からの解明が必要であろう。 さらにまた個別産業に
おける構造変化も視点に加えなければならない。 しかし, 多くの産業で 「資本主義化」 が進展
している, ということはいえる。
小売商業にもどると, さらに注目すべきは,
家族従業者数が
年,
年までは, 雇人のない業主数を上回っていた
年とそれを下回ったことである。 このことは, 夫婦を基幹労働力と
する経営, という典型的な自営商店のあり方に決定的な変化が生まれていることを示す。 家族
の無償労働力の提供は, 小売商業だけではなく, 飲食店, サービス業などの自営業経営全般の
経営を支えてきた条件であった。 その条件がどのように変化してきているのかを明らかにする
ための資料はあまりにも少ない。 というよりは, 全くない, というのが正確であろう。 事業所
) 商業統計表の開設年次別商店数は, 時系列表を作って吟味すれば, さほど信頼性が高くないことが
分かる。 また最近の統計では 「不詳」 数も多い。
日本小売商業の現況
統計の系列に属する商業統計は, 個別の商店を対象とする統計であって, 農業統計のように,
家族の副業収入などの家計の総体を把握することは出来ない。 「商家」 統計を渇望している。
(3) 商店街の苦悩
年代の初
地方中小都市の市街地空洞化が社会的な問題として広く認識され始めたのは,
頭のことである。 そこには市街地人口の郊外移転の影響もあるが, なによりも中心商店街の衰
退を主たる起因とする新たな社会現象である。 いわゆる街づくり3法
処しようとするものであった。 そしてまた
(平成
)
は, こうした事態に対
) 年には 「地域商店街活性化法」 が制
定された。 こうした法制下での全国の商店街の試みには先駆的な成功事例
)
がいくつかみられ
るものの, 事態の抜本的解決にはほど遠いのが現状である。
商店街の衰退の根本原因は, いわゆるロードサイドショップに代表されるような, 旧来の商
業集積とは離れた場所に中・大型店が無秩序に立地し続けたことにある。 中・大型店の立地を
強力に規制しない限り, 商店街の復活はあり得ない。 さらにまた商店街対策の諸施策が商店街
振興組合などを通じて行われていることにも問題がある。 こうした施策の対象となるのは, 空
き店舗は存在するものの, 未だ商店街としての外観を有し, 集団で何らかの事業を行う力を持
っている商店街である。 筆者の北海道内におけるいくつかの見聞によれば, 全く消滅した, あ
るいは立ち並ぶ居酒屋の間に小売商店が2∼3店散在しているという商店街がたくさんある。
最近の商店街実態調査 ) によれば, 1商店街当たりの平均店舗数は
年の
店と,
(昭和 )
店に比して大きく減少している。 さらに最近3年間に空き店舗数が増加した, と答え
た商店街は
%に達している。 この調査における商店街とは, 「①小売業, サービス業等を
営む者の店舗等が主体となって街区を形成し, ②これらが何らかの組織を形成しているもの」
であり, 平均店舗数からも明らかなように, それなりの規模を持つ商店街である。 しかしなが
ら, 高度成長期以前には 「街区を形成」 する程の規模ではないが, 住宅街等の片隅に小規模の
商店の集積が日本中にあった。 商店数が
店にも満たない規模の小売市場もあった。 こうした
商店街ともいえない程の商店の集積を構成していたのが近所のお店である。 そうした小規模商
店街の多くは, 商店街振興組合を組織するだけの力量を持たず, 市町村などの公的な支援もほ
とんど受けず, いつの間にか衰退・消滅したものも全国的には多数あった, と思われる。
そうした衰退・消滅した小規模商店街の動向についての公的な資料はない。 そこで, 飲食料
) 街づくり3法。 都市計画法 (改正), 大規模小売店舗立地法 (大店立地法), 中心市街地の活性化に
関する法律 (中心市街地活性化法) の3法。 大店立地法は
が,
年施行。 他の2法は
年施行された
年に改訂された。
) 例えば, 中小企業庁の 「がんばる商店街
選」 (
年), 「新・がんばる商店街
ど。
) 中小企業庁
(平成
年度) 商店街実態調査報告書
年。
選」 (
年) な
立教経済学研究
表5
従業者
規 模
第
巻
第3号
年
従業者数5人未満飲食料品小売業産業小分類別商店数
年
昭和
年
年
平成3
平成9
年
平成
年
平成
年
年
(%)
1∼2人
計
3∼4人
計
1∼2人
各種食料品
3∼4人
計
1∼2人
酒・調味料
3∼4人
計
1∼2人
食
肉
3∼4人
計
1∼2人
鮮
魚
3∼4人
計
乾
物
1∼2人
―
―
―
3∼4人
―
―
―
計
―
―
―
1∼2人
野菜・果実
3∼4人
計
1∼2人
菓子・パン
3∼4人
計
1∼2人
米穀類
3∼4人
計
1∼2人
その他
3∼4人
計
(資料)
「商業統計」
品小売店の店舗数の変動を分析することによって, 近似的にこの動向を探りたい。 それはこう
した小規模な商店の集積のほとんどは, 業種的には飲食料品小売店によって構成されていたと
考えるからである。
約
万店 (
) から
(昭和
) 年と
万店弱 (
同期間の飲食料品小売業の年間販売額は約
(平成
) 年の飲食料品小売商店数を対比すると,
), とほぼ6割 (
兆円 (
兆
%) の水準まで減少している。
億円) から約
兆円 (
兆
億円) と大幅に増加しているから, この商店数の減少は飲食料品市場規模の縮小によるもので
日本小売商業の現況
表6
菓子・パン小売業商店数 (従業者数5人未満)
従業者
規 模
産業細分類
年
年
昭和
年
平成
年
(%)
1∼2人
菓子小売業
製
造
小
売
3∼4人
計
1∼2人
パン小売業
3∼4人
計
1∼2人
非
製
造
小
売
菓子小売業
3∼4人
計
1∼2人
パン小売業
3∼4人
計
(資料) 「商業統計」
(注) 産業小分類番号は,
年商業統計による。
はない。 この章の最初にみた, 小売商業全体の商店減の一環, それも核心的な一環をなすもの
である。
そこで典型的な近所のお店である従業者数5人未満の飲食料品小売商店数の変化をみること
とする (表5参照)。
年と
年を対比すると, 商店数は
(
店) へと, 4割強 (
(
店) であり, 飲食料品小売店全体の減少数
万店 (
店) から,
%) の水準まで減少している。 その減少数は, およそ
万店 (
万店
万店
店) を上回る。
当然のことながら, この従業者数5人未満飲食料品小売店数の劇的な減少は, 商店街におけ
る空き店舗の発生などという事態に止まらず, 小規模商店街ではその崩壊に至る影響をもたら
したに違いない。 業種別にみると, 各種食料品の減少率が最も高い。 従業者数5人未満規模に
おけるこの業種の主体は食料品全般を扱う食品スーパーではなく, 複数の食品を扱う万屋 (よ
ろずや) 的な食料品店である, と思われる。 それは, 八百屋, 魚屋, 肉屋といった飲食料品の
専門店の立地し得るほどの消費者密度のない地域に存在する 「業態」 である。
次に注目すべきは, 免許制度によって守られている, と考えられてきた, 酒店, 米穀店すら
もこの商店減の例外ではない, ということである。 酒類, 米穀の小売免許の規制緩和が本格的
に行われたのは
年代に入ってからであるが ), それ以前にすでに商店数の減少が始まって
いる。 これは前項, 前々項でみたような自営業者層の崩壊が, 業種を問わずに進展したことを
) 例えば酒類小売免許に関していえば, 距離基準が廃止されたのは
止されたのは
(平成
) 年である。
(平成
) 年, 人口基準が廃
立教経済学研究
第
巻
第3号
年
示す。 またこの酒・調味料, 米穀類の二つの業種では減少率が, 従業者数1∼2人階層よりも
3∼4人階層の方が圧倒的に高い。 この要因としては3∼4人階層がコンビニエンスストアに
業態転換したことが考えられる。 特に酒店がコンビニエンスストアに転換した例が全国的に見
られる。 米消費量の長期的傾向的低下に見舞われている米穀店の中でも地域商店街の有力商店
であった3∼4人階層の中で業態転換をしたものが少なからずあったと思われる。
同じ産業分類であっても業種の内容が変化した例として菓子・パン小売業を取り上げる。 こ
の産業小分類は, 菓子小売業, パン小売業について, それぞれが製造小売か製造小売でないか
によって区分され, 結局産業細分類では4産業になる (表6参照)。 ここで顕著なのは, 製造
小売とそうでないものの減少率の決定的な格差である, 製造小売でないものは, 菓子において
もパンにおいても減少率は8割を超えている。 菓子小売業 (細分類番号
, 以下同じ) の従
業者数1∼2人は, いわゆる駄菓子屋が大部分を占めると考えられるが, 6万店以上も店舗数
を減少させている。 日本小売商業における絶滅危惧種ともいえる。 駄菓子屋は決して商店街の
中核的な業種ではないが, 住宅街の中, あるいはそれに隣接して立地する, 子どもの交流の場
でもある商店であった。 この減少は, 商店街ともいえない小規模の商業集積の衰退・消滅を象
徴するものといえる。 パン小売業 (
) の従業者数1∼2人もまた同じような動向を示して
いる。 菓子パンと牛乳を店内, あるいは店先で食べる, というこの種類の商店はまさしく駄菓
子屋と同じ業態である。
これに対して, 製造小売の菓子, パン小売業は総体としては商店数を維持している。 しかし
それはこの層の商店が衰退に見舞われなかった, ということではない。 いわゆる 「デパ地下」
の必須アイテムであるパン, スイーツの商店街版ともいえる新しい型の商店が新規参入したた
め, 伝統的な菓子, パン製造小売店の衰退のあとを埋めたものと考えるべきであろう。
表5において, その他の飲食料品小売業の商店数の減少率は, 他の業種に比して低い。 しか
しここでも伝統的な業態と新しい業態の入れ替わりがみられる。
れた乾物小売業は,
店で
年には
年にはその他飲食店に包含された。 ちなみに
年には小分類に格付けさ
年に乾物店の総数は
店に減少している。 従業者数5人未満に限れば乾物店は
店から
店へと5割を超える減少を示した。 かつお節, かんぴょう, 海苔などを扱う乾物店はい
まやよほど規模の大きな商店街でなければみることが出来ない。 街の商店街で手作りの豆腐な
どを売る豆腐屋もまた最近ではみることの出来ない商店の類型である。 料理品小売業も, 商店
街の総菜店のような伝統的業態から, 持ち帰り弁当店, サンドイッチ, ピザなどの新しい商品
を販売する店舗への移行が進んでいる。
飲食料品小売業の従業者数5人未満商店は,
年以降の零細商業の層としての縮小傾向に
加えて業種内容の変化という嵐にも見舞われている。 それはまさしく小規模商店街, さらに商
店街ともいえない小規模な商業集積の衰退の一つの証左であろう。
日本小売商業の現況
2. 大型店時代の実態
(1) 大型店時代
ここでは, 小売商業において中・大型店の売場面積, 年間販売額が大きな比重を占めるよう
になった時代を大型店時代とする。 まず最初に, 大型店時代を端的に表す数値を示す。 週刊東
洋経済の
年版
全国大型小売店総覧
以上)
店 (=面積千
)
によれば,
の総売場面積は, 約9千
(平成
万
(
) である。 同年の
(
「商業統計」 における全国の小売店の総売場面積は約1億5千万
したがって, 大型店の売場面積シェアはほとんど三分の二 (
しかしながら商業統計における売場面積1千
(
) 年における全国の大型
) である。
%) に達する。
以上の店舗の総売場面積は6千
) であり, 小売業総売場面積に占める割合も
万
%に過ぎない。 この差異は,
両調査の集計方法の違いにある。 商業統計は事業所 (商店) を調査単位とする統計であり, シ
ョッピングセンターのような商業集積施設にあっては, 核店舗とテナントはその経営主体が異
なるため, 別の店舗とされる。 例をあげれば, 売場面積6千
の面積を持ち, 売場面積
いて, 核店舗が3千
業統計は3千
の店舗1店,
の店舗
のショッピングセンターにお
平米のテナントが
店あったとすれば, 商
店と集計する。 これに対して週刊東洋経済の調査
は, 商業集積施設の総売場面積 (例では6千
) を計上する。 どちらが大型店時代を正確に
表象出来るかといえば, 週間東洋経済の調査, 集計の方が優れている。 なぜならば日本型総合
スーパーは, もはや単独店舗で 「生き残れる」 時代ではなくなってきて, 自身の店舗に多数の
テナント店舗を導入し, 駐車場を共有する同じ敷地内に系列の専門店チェーンの店舗を置く,
という複合型の商業施設が支配的な立地形態になってきたからである。 ともあれ, ほとんど1
億
に達する大型店の売場面積は, 週刊東洋経済のこの調査が始まった
以上を大型店とした, 大型店売場面積4千
万
(平成3) 年の,
の倍をはるかに超え, この間の大型
店売場面積の増加がいかにすさまじいかを示すものである。
年代初頭までの大型店は, ほぼ百貨店に限られていた。 しかも百貨店は大都市・地方中
核都市の都心部のみに立地していたし, その店舗数も決して多くはなかったから, その総売場
面積が全国の小売商店に占める割合も高くはなかった。 それ故に, 「膨大な数にのぼる零細な
独立自営商」
場面積は約
)
も存在し得た。 ちなみに,
万
(
(昭和
) 年商業統計における 「百貨店」
) で, 全国小売業に占めるシェアも5%強 (
)
の売
%) に過ぎ
) この千㎡以上を大型店とする定義は 「大規模小売店舗立地法」 による。 5百㎡以上を大型店とする
定義は, 「大規模小売店舗法」 による。
) 佐藤肇, 前出。
) 産業中分類の 「各種商品小売業」 のうち従業者数百人以上の小売店。
立教経済学研究
表7
順位
第
巻
第3号
年
「日本の小売業調査」 (日経 MJ) 年間販売額上位15社
年度
年度
年度
年度
年度
三越
百
ダイエー
ス
ダイエー
ス
イトーヨーカ堂
ス
7
ス
ダイエー
ス
イトーヨーカ堂
ス
イトーヨーカ堂
ス
ダイエー
ス
イオン
ス
大丸
百
西友ストア
ス
西友
ス
ジャスコ
ス
ヤマダ電機
専
高島屋
百
ジャスコ
ス
ジャスコ
ス
マイカル
ス
三越伊勢丹
百
西友ストア
ス
三越
百
西武百貨店
百
高島屋
百
ユニー
ス
松坂屋
百
ニチイ
ス
三越
百
ユニー
ス
西武百貨店
百
大丸
百
高島屋
百
西友
ス
ダイエー
ス
ジャスコ
ス
高島屋
百
ニチイ
ス
三越
百
エディオン
専
ニチイ
ス
西武百貨店
百
大丸
百
大丸
百
高島屋
百
ユニー
ス
ユニー
ス
丸井
百
伊勢丹
百
ファースト
専
伊勢丹
百
松坂屋
百
ユニー
ス
西武百貨店
百
ケーズ
専
長崎屋
ス
鉄道弘済会
ス
松坂屋
百
丸井
百
ヨドバシカメラ
専
阪急百貨店
百
長崎屋
ス
伊勢丹
百
コジマ
専
ビックカメラ
専
東急百貨店
百
東急百貨店
百
長崎屋
ス
東急百貨店
百
イズミ
ス
イトーヨーカ堂
ス
丸井
百
東急百貨店
百
ヤマダ電機
専
ドン・キホーテ
専
フロント
百
(出所)
流通経済の手引 (各年) 日本経済新聞社
(注) 百:百貨店, ス:スーパー, 専:専門店
ない。 日本の百貨店はチェーン方式による多店舗展開戦略を採用しなかったし, 戦後百貨店業
界への新規参入はほとんどなかったから ), この大型店売場面積の異常な増殖の担い手は百貨
店ではない。 その担い手は
年代に登場し,
本型総合スーパーである。 さらに
年代初頭には全国的な店舗網を作り上げた日
年代後半以降は, 大型専門店チェーンが, 大型店売場面積
の増加に拍車をかけた。
いま 「日本の小売業調査」 ( 日経流通新聞, 日経
売額上位
社を業態とともに示す (表7参照)。
) によって, 日本の小売業の年間販
年度には,
店と 「巨大企業化したスーパーとの双頭ないし二元的支配体制」
店とスーパーが並ぶ。 しかし,
年度,
という規定そのままに百貨
年度
年度とスーパーが百貨店より優勢となる。
には専門店チェーンが2社, ランクに加わり,
った。 このことは,
年代初頭に確立した, 百貨
)
年度にはランク入りした専門店は7店とな
年代に入ってから専門店チェーンが, 積極的な店舗展開によって, 急
激に売上を伸ばし, 小売業界において百貨店, 総合スーパーに続く第3勢力となったことを端
的に示している。 百貨店, 総合スーパー業界における再編成は
イオンとセブン
アイ
年代から
年代に行われ,
(ホールディングス) の2強体制が確立した )。 さらに
年代に
) ほぼ唯一の例外が, ダイエーによるプランタン百貨店の展開。
) 中野安 「現代日本資本主義と流通機構」 ( 現代日本の流通機構
) 最新の
日経
トレンド情報源
売上高は6兆円の一歩手前 (5兆
年版
年, 大月書店,
(日本経済新聞出版社,
億円), であり, 第2位のセブン
p)。
年) によればイオンの
アイ
もほとんど5兆円
日本小売商業の現況
入ってからは, この2強によるドラッグストア, ホームセンターの業態を持つ専門店チェーン
の 「組織化」 が進展している。
(2) 小売商業の業態別動向
最近の大型店は, 百貨店や
年代までの総合スーパーのように巨大な単独店舗, という形
態を取ることが少なくなった。 スーパーを核店舗とし, 小売店のみならず飲食店も含んだ多数
のテナント, 複数の業態を含む専門店チェーンなどを包含した複合型商業施設が, 新規開店の
支配的形態になってきた。 それは百貨店, 総合スーパー, というある意味では伝統的な大型店
の時代はもう終わった, ということでもある。 ここでは商業統計の業態別統計を資料に, 業態
の動向を概観する。 業態別の売場面積と年間販売額の変化を表8に示した。
まず第1に指摘できるのは, 売場面積の著しい増加である。
億
(
) であった小売業売場面積は
(
(平成
) 年にはおよそ
億
) に達している。 この売場面積増加の寄与率をみると, 専門スーパーが
% (衣料品:
は−
年後の
(平成3) 年におよそ
%, 食料品
%, 住関連
%) であり, 総合スーパーは
%である。 この増加寄与率から明らかなように,
加の主役は専門スーパーであった。
年代初頭からの小売業売場面積増
年に総合スーパーの売場面積の
った専門スーパーの売場面積は,
%, 百貨店
年には総合スーパーの
倍 (
% (
%) しかなか
%) となった。 中・大
型店を展開する中核的な業態である百貨店, 総合スーパー, 専門スーパーの3つの業態の売場
面積が小売業に占める割合は,
年には2割強 (
%) であったものが,
年には4割
%) を占めるに至った。 この4割という売場面積シェアは, 当然のことながら
(
以上の中・大型店の売場面積シェア
統計の売場面積
百貨店売場面積は
売額をみると,
%にほぼ等しい。
年代には増加したが, その後減少に転じている。 さらに百貨店の年間販
年
兆円,
年
兆円,
年
兆円, と急激な低下傾向を示している。
総合スーパーもまた, 売場面積こそ増加したものの, 年間販売額は
は
兆円と,
年商業
年の
兆円から
年に
兆円近くの減少を示した。 これは百貨店も総合スーパーも共に, もはや 「時
代を牽引する」 業態ではないことを如実に示している。 これに対して専門スーパーは,
年を対比すると, 売場面積では5倍 (
ら, 年間販売額は3倍弱 (
%) という驚異的な増加を示した。 しかしなが
%) の増加に過ぎず, この業態における店舗過剰状況を端的
に示している。 各業態の年間販売額シェアを 年と 年で対比すると, 百貨店 (
総合スーパー (
%:
年と
%), 専門スーパー (
%:
%:
%),
%), と業態間の明暗がくっきりと
現れている。
業態統計ではその動向があまり明確にならない零細小売商業を, 「中心店」 の食料品店を例
(4兆
億円) である。
立教経済学研究
表8
売
第
巻
第3号
小売業業態別売場面積, 年間販売額
場
面
積
年 間 販 売 額
(
業
態
合
計
年
平成3
年
年
)
平成
年
平成
(百万円)
年
平成3
年
平成
年
平成
百貨店
総合スーパー
専門スーパー
衣料品
食料品
住関連
コンビニエンスストア
ドラッグストア
―
―
―
―
その他のスーパー
専 門 店
衣料品
食料品
住関連
中 心 店
衣料品
食料品
住関連
その他の小売店
(資料)
(注1)
(注2)
(注3)
「商業統計」 (業態別統計)
,
年のドラッグストアの多くは, 専門スーパーの住関連に分類されていたと思われる。
専門店は当該商品 (例:衣料品) が売上の %以上を占める商店, 中心店は %以上。
専門スーパー, 専門店, 中心店の住関連は衣料, 食料以外の全ての商品 (例:自動車, 自転車, 家具, 家電
品, 薬, 書籍, おもちゃ)
にみることとする。 この 「業態」 では,
積が,
年には5千
売額もまた約
万
兆円から
(
年におよそ1千万
) と半分近くまで (
(
) あった売場面
%) 減少している。 年間販
兆円へと半減している。 「中心店」 よりは専門性が高い 「専門店」
の食料品店でも売場面積は7割強 (
%), 年間販売額では7割 (
%) の水準まで減少
している。 前章でみた従業者数5人未満の飲食料品小売業の著しい衰退傾向を, ここにもみる
ことが出来る。
ここまでみてきたことから明らかなように, 日本小売商業は中・大型店売場面積過剰状態に
あると思わざるを得ない。 そこで, 売場面積1
当たりの年間販売額を 「売場面積効率」 と
して, その業態別の推移をみる (表9参照)。 売場面積効率は総体として悪化している。 わず
かにコンビニエンスストアだけが 年と
年の対比で販売額を増加させている。 その他の業態
は押し並べて売場面積効率を低下させている。 それは
年代初頭以降の日本小売商業が業態内
日本小売商業の現況
表9
小売業業態別, 売場面積効率, 同指数
売場面積効率
売場面積効率指数
(百万円/
業
態
合
計
年
平成3
年
平成
)
年
平成
(%)
年
平成3
年
平成
年
平成
百 貨 店
総合スーパー
専門スーパー
衣料品
食料品
住関連
コンビニエンスストア
ドラッグストア
―
―
―
―
その他のスーパー
専 門 店
衣料品
食料品
住関連
中 心 店
衣料品
食料品
住関連
その他の小売店
(資料) 「商業統計」 (業態別統計)
*注は表8に同じ。
のみならず, 業態間においても極めて厳しい競争環境の中にあることを示す。
売場面積効率の小売業合計を
とした指数でみると, 百貨店は店舗面積が増加した
年の間では格差を低下させたが, 店舗面積が減少した
と
から
年と
年
年の間では指数を,
へと大幅に向上させている。 これは百貨店の復権, というよりは, 不採算店の整理
の結果であり, 年間販売額の長期的な減少傾向は継続しており, 業態として衰退期にあること
は否定できない。 総合スーパー, 専門スーパーは共に指数を大きく低下させている。 特に総合
スーパーは平均をわずかに上回るに過ぎない (
) 水準まで指数を低下させている。
これらの中・大型店の苦境と対称的に, 中小・零細小売業である専門店, 中心店は共に指数
の傾向的上昇がみられる。 専門店では平均を3割以上回る (
く上回っている (
)。 中心店でも平均を2割近
)。 先にみたように専門店, 中心店の2つの業態は, 年間販売額を減少
させている。 それにも関わらず売場面積効率指標を向上させているのは, 商店減による隣接競
合店数の減少を反映させていると思われる。 大胆にいうならば, 商店街には新たな店舗の立地
立教経済学研究
第
巻
第3号
年
余地が生まれて来た, ということも出来るのではないだろうか。
ともあれ総合スーパー, 専門スーパーは積極的な新規開店によって売場面積を増大させては
いるものの, 年間販売額がそれに追いつかない, という状況にある。 日本のスーパーは
の大規模小売店舗法の規制緩和を受けて, 大規模な出店競争を繰り広げた。
年代
年に大手スーパ
ーの経営者である伊藤雅俊は, 週刊誌上で 「スーパーの店数はこの5年で完全に実需を追い越
してしまった。 …… (中略) ……業界の損益分岐点はもう
)
か」 と述べた。 その後,
(平成
%ぐらいまできているのではない
(平成 ) 年には大手百貨店のそごうが民事再生法を申請,
) 年にはマイカルが民事再生法を申請, 同年ダイエーの創業者である中内功は経営不
振の責任を取り, グループ内の役職を全て辞任した。 このように店舗過剰状況の下の競争はま
さしく弱肉強食の競争とならずにはいられない。
年代初頭の全国スーパー, 百貨店の業界
再編は, 不採算店の切り捨てにみられるように, 消費者視点によるものではなく, 資本の論理
そのものであった。
冒頭に述べたように筆者は小売商業もまたライフラインの一つであると考える。 そうした社
会的機能を有効に発揮させるためには, 何らかの社会的規制が必要である。 どのような商店街
の振興策を図ろうとも, 旧来の商業集積を全く無視し, 勝手気ままな出店競争を続ける中・大
型店の立地規制を推進しない限り, 商店街の復活はあり得ないし, 市街地空洞化を押しとどめ
ることは出来ないであろう。
3. 大型店政策の展開
現在の中・大型店の無秩序な乱立状況を作り出したのは,
格化した大店法 (大規模小売店舗法) の規制緩和と,
年代後半に始まり
(平成
年代に本
) 年の同法の廃止であった。
同法の規制緩和・廃止は, 直接的にはアメリカの外圧に起因するものであったが ), その根底
には行政当局による同法の恣意的な運用, 流通近代化の名目の下に家族経営店を 「淘汰」 しよ
うとする政策意図があった。 ここでは迂遠ながらも百貨店法の制定まで遡って大型店政策の展
開を跡づける。 それは新たな大型店規制法を検討するとき, 百貨店法, 大店法の成立・運用を
)
週刊東洋経済
年2月8日号。
) アメリカによる最初の大店法規制緩和要求は,
年6月の日米貿易委員会におけるアメリカ商務
省によるものであった。 その理由は, 大店法は外国製品進出の障害になる, というものであった。 だ
がそれも大店法の廃止を望む日本の大手スーパーの悪質な示唆によるものであったことは次の
経済新聞
日本
の記事から明らかである。 「ほぼ六年前, 米国を訪れた日本の有力スーパー幹部は米国製
品の輸入拡大を迫る米政府関係者にこう答えた。
舗法で売場面積を制限されており限界がある。
ヒントを与えた。」 (
年6月
米製品を売れといわれても, 我々は大規模小売店
この一言が日本の制度を攻めあぐねていた米政府に
日)。 さらにアメリカは日米構造協議の場においても大店法の規制
緩和を要求 ( 年4月) し, 政府はその対応に苦慮し, 対策に追われた。
日本小売商業の現況
振り返ることによって, いくつもの教訓が得られる, と考えるからである。
我が国における最初の大型店規制法は,
(昭和
) 年に制定された 「(第1次) 百貨店
法」 である。 これは百貨店業を営む企業を対象として (=企業主義), その店舗の新設・増床,
閉店時刻, 休業日 (数) を許可制とするものであり, 大型店 (百貨店) 規制法としては, それ
なりの有効性を持つものであった。 この百貨店法制定の背景には, 関東大震災 (
年) 以降
の百貨店の大衆化路線によって経営上の圧迫を受けた中小小売商の百貨店反対運動がある。 こ
の百貨店法の運用は, 法による規制と百貨店組合を通じての自主規制を両輪とする。 自主規制
とはいえ, それは業界団体を通じての産業統制に他ならず, こうした法と自主規制の二本立て
政策は, その後の大店法の運用にも引き継がれた。
第1次百貨店法は,
(昭和
) 年
月に廃止された。 その理由は, 「1 許可制度は営
業自由を制限し, 既存百貨店の既得権を擁護することになるから, 公正な自由競争の確保を目
的とする独占禁止法の精神に反する, 2 百貨店と中小小売商の関係を調整し, 小売業全般の
円滑な発達を図るという同法の目的は, ……中略……独占禁止法の適切な運用によって達成で
きる。」 ), ということである。 この廃止は連合国による占領下においてなされたものであるが,
巨大な資本と店舗, 販売力を有する百貨店と中小・零細小売商業が, 独占禁止法の 「適切な運
用」 によって共存出来ると考えたところに決定的な誤りがあった。
実際に, 「伝統的に日本の百貨店の特徴の一つであったサービス過剰型営業スタイルが短期
間に復活」
)
することとなった。 独禁法は, その成立の歴史的な背景からいって, 大資本のカ
ルテル行為を 「取り締まる」 という側面においては有効であるが, 日本の小売商業のように巨
大資本と独立自営の零細経営が同じ顧客 (消費者) を巡って競争する産業における 「公正な自
由競争」 を確保するには任が重すぎる。 日本の小売商業においては, 大資本の活動に対する一
定の法的規制を行うことによってのみ, 「公正な自由競争」 が確保されると思う。 そしてまた
この規制は社会的に是認されるべきものだと考える。
年代に入って大店法の規制緩和の動
きが急加速する中, 保田芳昭は 「日本では, 流通規制緩和・撤廃論があたかも万能薬のごとく
誇大宣伝されているが, 頭を冷やして諸外国のすぐれた経験を謙虚に学ぶ姿勢と努力が求めら
れる」 ), と警鐘を鳴らした。 この警告は今日においてもなお傾聴に値する。
ともあれ, 百貨店法廃止後の三家英治がいうような百貨店の行動は, 当然のことながら中小
小売商の反発を招き, 百貨店規制を求める運動が起こった。 これに対する政府の対応は, 産業
合理化審議会に商業部会を設置 (
(昭和
) 年9月) し, 百貨店問題を審議することであ
) 山本景英 「日本の小売流通政策の変遷」 (久保村隆祐, 吉村壽編著
現代の流通政策
千倉書房,
年)。 独禁法 (私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律) は, 百貨店法の廃止に先立つ
年4月に施行された。
) 三家英治
現代日本小売経営戦略史
) 保田芳昭編著
晃洋書房,
現代流通論2日本と欧米の流通政策
年。
年, 大月書店, はしがき。
立教経済学研究
第
巻
第3号
った。 審議会の答申に基づき (第2次) 百貨店法が
年
(昭和
) 年6月施行された。 その内
容は戦前の百貨店法をほぼ踏襲するものとなった。 また同審議会の答申に基づいて, 小売商業
調整特別措置法 (商調法) が
(昭和
) 年9月公布された。 小谷正守はこの二つの法につ
いて, 「いずれも中小小売商の保護政策であり温存政策であるというこれまでの商業政策志向
を一歩も出るものではなかった」 ), という厳しい断定をくだしているが, 「保護・温存政策」
にすぎないという見方はあまりにも一面的すぎる。 百貨店法の制定は百貨店という, 小売業に
おける巨大資本を規制することが, 小売業における 「公正な自由競争」 を確保するために必要
である, という政策意図によるものである。 それは
年代末から展開され, 今日においても
なおその残映がのこる流通近代化政策とは方向が正反対の政策意図である。
年代末から
年代にかけては日本型スーパーの揺籃, 成長期であった。 この初期スーパ
ーは都心部にも進出し, 百貨店に匹敵する大型店舗を展開した。 しかし百貨店業を営む企業を
規制対象とする百貨店法は, 日本型総合スーパーを規制し得なかった。 この百貨店に類似した
スーパーは当時 「疑似百貨店」 と呼ばれた。 そうしてこの疑似百貨店に対する当初の政策対応
は通産省通達による 「調整」 であった。 すなわち,
(昭和
関する指導方針について」 によって, 一定の規制方向を示し,
) 年6月には 「疑似百貨店に
(昭和
) 年5月の 「大規
模小売店舗を巡る紛争の処理について」 では, 紛争は地域で解決すべきだ, とした。 さらに翌
年には, 「大規模小売業者の店舗の新設等に関する措置について」 を出し, 店舗の新設は3
ヶ月前に商工会議所に届出をすることとした。
このように, 何らかの問題が発生したとき, それを通達によって対処しようとする 「政策」
は, 後の大店法改正時, 規制緩和の圧力が強まった時にも見られた, 特徴的な政策である。 し
かしながらスーパー進出反対運動が全国各地で展開される中, 何らかの抜本的対策 (=法整備)
が求められた。 産業構造審議会流通部会は,
(昭和
) 年8月, 百貨店法改正についての
提言を行った。 その内容は, 次のようなものであった。 1 流通近代化, 消費者利益確保の視
点を盛る, 2. 許可制を届出制とする, 3 百貨店以外の新しい大規模小売店舗も対象とする。
この提言に基づく大店法 (大規模小売店舗における小売業の調整に関する法律) は
和
) 年
月に公布され,
(昭
年3月に施行され, 同時に百貨店法は廃止された。 ここで企業主
義から面積主義, 許可制から届出制への政策転換が行われた。 しかしながら同法の施行によっ
ても大型店の新設届けは減少しなかった。 大型店に対するより有効な規制, 大店法の面積の下
限を下回る中型店の規制を求める声が中小商業者の中から高まり, 大店法は改正を余儀なくさ
れることとなった。 ここでも改正を根拠づけるために審議会の答申が出された )。 しかしなが
らここで本間重紀の発言を引用しよう。 本間は 「……行政権による産業活動への介入の内容な
) 小谷正守
現代消費経済の基礎理論
ミネルヴァ書房,
) 小売問題懇談会 (会長:高木元産構審流通部会長) 報告
策審議会合同小売商業政策小委員会意見具申
年5月。
年。
年2月。 産構審流通部会・中小企業政
日本小売商業の現況
いし方向を決定するのは, 産業政策であって産業法ではない。 言いかえれば決定するのは審議
会, 否, 実質的には官僚機構としての通産省であって, けっして議会ではないのである。 ……
議会と法律は官僚機構と政策の侍女にすぎないのである」 ), という。 本文で 「改正を根拠づ
ける」 という表現を用いたのは, まさしくこの謂いによる。
ともあれ大店法, 商調法の改正が
(昭和
) 年5月から施行された。 大店法改正の中心
点は調整対象面積の引き下げであった (=第二種大規模小売店の新設) )。 しかしながら大店
法の改正によっても大型店の新設申請は減少しなかった。 この事態に対して政府 (通産省) が
とったのは次のような対応である。
年
月に 「大型店問題懇談会」 を設置した。 それは正
規の審議会ではなく, 通産省産業政策局長, 中小企業庁長官の 「私的諮問機関」 であった。 同
懇談会は 年1月に答申を出した。 この間届出自粛の行政指導を
答申のでた
年
月から
年2月に行い,
年1月には 「大規模小売店舗届出に関わる当面の措置」, 3月には 「大規模小売
店舗の届出に係わる今後の運用について」, と通達による事態の打開を図った。
年代前半の, 超法規的な大型店出店抑制策の最大の目的は 「大型店の共倒れをふせ
この
ぎ,
多様化・個性化する消費者ニーズ
それは大型店の
生き残り戦争
への対応期間を既存大型店に保証することにあった。
に対する停戦斡旋であり,
大型店の過度の出店が自らに不利をもたらすという認識
年代流通ビジョン
がいう,
を喚起させるためのものであっ
)
た」 。
年代後半からの大店法の運用は一転して規制緩和の方向に転じた。 それは 「大店法による
出店規制強化は必ずしも中小商店の支援につながらず, 逆に大型店の経営を安定させるための
環境を作った」
)
からである。 「経営を安定させる」 ことに成功した大型店は大店法の規制緩
和を求めて積極的な行動を取り, またアメリカからの外圧がそれを後押しした。
規制緩和を容認し, 促進させたものとして
(昭和
年代後半の
) 年6月の大店審 (大規模小売店舗審
議会) 会長の談話がある。 それは, 大店法の基本的枠組みは維持するとしたものの, 大型店の
閉店時刻は 「午後6時から8時までの範囲」 とすることによって, 戦前の百貨店法以来続いて
きた閉店午後6時という規制を緩和し, その後の
時間営業に続く道を 「開いた」。 さらに
「事前説明の適正化」, 「大店審の活用」 によって, 地域の商調協 (商業活動調整協議会) を舞
台とする大型店と地元中小商業者の 「調整」 を無力化させた。
年代に入って, 日米構造協議を舞台とするアメリカの要求はさらにエスカレートした。 政
) 本間重紀 「産業法と産業行政と∼通産行政の手段その1∼」 (全商工労働組合通産行政研究会編
問われる通産省
) 売場面積
年, 大月書店,
㎡以上
頁)。
㎡ (東京都の区部, 政令指定都市では
㎡) 未満の 「中規模小売店舗」
を第二種大規模小売店舗とした。
) 拙稿 「大型店と小売流通政策の展開」 (糸園辰雄他編
書店,
)
頁)。
日経流通新聞
(
年4月
日)。
転換期の流通経済1小売業
年, 大月
立教経済学研究
府は
第
巻
第3号
年
(平成2) 年4月に大店法を撤廃しない方針を決定したが, 同年6月の 「日米構造協議
最終報告」 では, 「
年の大店法の改正の2年後にさらに大店法の見直しを行う」, とアメリカ
によって大幅な譲歩を強いられた。
年の大店法改正では商調協が廃止された。 地元の調整機
関である商調協の廃止は, 大店法が 「調整」 法としての機能を喪失したことを意味する。 アメ
リカとの約束の期限が迫った
(平成5) 年
月, 産構審流通部会・中小企業政審流通小委員
会合同会議は, 中間答申 「これからの大型店政策∼大店法からの政策転換」 を発表し, 大型店
規制を廃止すること, 「大規模小売店舗立地法 (仮称)」 を提案した。 その後 「合同会議」 の審
議が続けられ, 結局のところ大規模小売店舗立地法は
(平成 ) 年に成立し,
(平成 )
年6月から施行された。
ここに百貨店法, 大店法と続いてきた大型店 「規制」 政策は幕を閉じた。 大店法の廃止の背
景には
年代初頭の, 行政改革委員会 (
年設置) を舞台とする 「規制緩和」 の大合唱があっ
たことは否めない。 行政改革委員会の最終報告は
(平成9) 年
月に発表された。 その
「3 流通」 という項目の最初が, 「( )大店法の見直し」 である。 少し長くなるが以下に抜粋
を引用する。
「……平成2年 (
年) 以降3回にわたり実施された大店法の規制緩和がこのような消費
者利便 (=提供されるサービスの多様化, 価格破壊と呼ばれる価格の低下等) の向上に果た
した役割は大きいものと評価される。 ……大店法による調整制度は, 制度の全国的な統一性
・透明性の確保に寄与し, 重要な役割を果たしてきているが, 大店法という枠組みが残る以
上, 潜在的抑止力を含め, 小売店の自由な企業行動を抑制していることは否めず, これは,
消費者の利便向上を抑制するのみならず, 非効率な中小小売店舗を温存させ, 同時に潜在的
能力を有する中小小売店舗の変化への対応を遅らせることとなる……流通環境・流通形態の
激しい変化……将来, 大店法による店舗面積, 営業時間等の調整項目をはじめとする大規模
店舗と中小店舗の調整を目的とする規制は, その有効性が低下すると同時に, 弊害が一層明
らかになることも考えられる。 以上の観点から, 大規模店舗と中小店舗の調整を目的とする
規制は, 将来的には無くしていくことが望まれる。」 (太字は引用者による)
ここに 「非効率な中小小売店舗を温存させ」 という文言があることに注目したい。 「非効率
な中小小売店舗」 を小売商業から撤退させることこそが流通近代化政策の眼目であった。 そし
てまた大型店の利点として 「消費者利便」 (多様なサービス, 低価格) をあげていることにも
注目したい。 百貨店法の改正を審議した産構審流通部会の提言がその最初にあげたのは, 「流
通近代化, 消費者利益確保の視点を盛る。」 であった。 その本音を端的にいえば, 近代的で低
価格業態であるスーパーを守り, 育てる, ということに他ならない。 そしてこの流通近代化政
策と大店法の廃止が, 前章にみた日本小売商業の混乱・困難の原因となったことはいうまでも
日本小売商業の現況
ない。
最後に付言するが, 大店法は行政法学者によって, 「本法 (大店法:引用者) の著しい特色
のひとつは, 法の体系と通達等による行政ないし運用の体系との間に著しい乖離が存在するこ
とである」 ), と断定された。 この行政当局による大店法の恣意的な運用こそが, アメリカの
外圧に抗し切れず, 自ら大店法を廃止した原因でもある。 小売商業における新たな大型店規制
法を構想する際には, こうした曖昧で恣意的な法の運用を許さない, 作用を厳密に規定した,
強固な構造を持つ法が望まれる。
おわりに
(昭和
) 年に出された通商産業省
年代の流通産業ヴィジョン
(
年代の流通産
業と政策の基本方向) で提起された 「地域密着型小売業」 は, これからの小売流通政策の主対
象が, どこにあるかを示す。 同ビジョンは, 地域密着型小売業の役割について次のようにいう。
「消費者に生活必需品を供給する小売業, とりわけ消費者の近隣周辺に立地する地域密着
型小売業は広域型商店街等における買回り性の強い小売業とはおのずから役割が異なってお
り, 地域住民の基礎的ニーズを効率的かつ的確に充たしていかなければならない。 地域住民
にとって生活環境の良否は, これらの機能を有し, 便利で親しみがもて, 社会的コミュニケ
ーションの場でもある地域密着型小売業が近くにあるかどうかに大きく左右される。」
ここでいわれることは, 全面的に首肯出来る。 この地域小売商業を提起した 「
年代の流通
ヴィジョン」 の背景には, 大型店出店を巡る紛争が社会問題化する中, 通産省が通達による出
店規制強化により問題を沈静化させようとしていた, ということがある。 つまり何らかの地域
商業振興策が迫られていたのである。 だがそうした背景に関わらず, 「地域住民の生活環境」
という流通近代化政策が全く欠いていた視点を提起したことは高く評価出来る。 この視点に基
づき通達による大型店出店規制を, 大店法の規制強化の改正へと前進させれば, 今日の小売商
業の混迷状況を回避出来たに違いない。 しかしそうならなかったのは前章でみたとおりである。
次に出された
年代の流通ヴィジョン
(
年) は大店法の規制緩和を打ちだし, 「商店
減」 を日本小売商業に 「ダイナミックな変化が起こっている」, と肯定的に評価した。 商店減
を 「倒産に至る前の自発的廃業」 とさえいった。 政官財一体となった規制緩和の大合唱は, 我
が国小売商業の消費者にとって望ましいあり方などには全く関心を寄せず, 大規模小売商業資
本の活動を無条件に承認し, 「非効率な中小小売店舗」 の消滅を是認した。 ここに 「
) 今村成和他編
注解経済法 (下巻)
青林書院,
年。
年代の
立教経済学研究
第
巻
第3号
年
流通産業ヴィジョン」 に僅かにみられた政策転換の可能性は完全に消えた。
日本小売商業のこれからのあり方を考えるとき, 地域社会あるいは地域住民という視点が不
可欠である。 経済産業省による全国一律の流通政策のみによって, 小売商業の 「健全な発達」
を期することは出来ない。 地方自治体による独創的で多彩な小売商業政策に大きな財政的支援
がなされるべきである。 大型店のみが 「消費者利便 (多様なサービス, 低価格)」 を提供出来
ると考える霞ヶ関の一握りの官僚の発想は, もはや時代錯誤である。 産直市場に行き, インタ
ーネットを通じて安心・安全な食料品を求める消費者は決して現在のスーパーのあり方に満足
はしていない。 今必要なことは, 多くの業態を傘下におさめる巨大小売商業資本に対しては
「独禁法の適切な運用」 を行い, その新規出店は, 新しい法による厳しい出店規制を行うこと
であろう。 我が国の小売商業に対して経済産業省がしなければならないことは, その一点だけ
である。