特別展「道が支えた阿仁鉱山」PDF

平成二十六年度 特別展
平成27年
3月3日㈫∼
4月19日 ㈰
ギャラリートーク
どなたでも聴講いただけます。
(入館料のみ、事前予約不要)
日 付 平成27年3月3日㈫13:30∼
案内人 今 井 忠 男
(秋田大学国際資源学部教授)
米の道、
―
炭の道、
銅の道
場 所 鉱業博物館 2階特別展示室
―
真木沢鉱山絵図
(秋田大学附属図書館所蔵)
阿仁の水無村に近い鉱山で、ここに
平賀源内が江戸から精錬の指導に
訪れた。
鉱業博物館
〒010-8502 秋田県秋田市手形字大沢28-2 TEL 018-889-2461 FAX 018-889-2465
URL http://www.mus.akita-u.ac.jp/
開館時間:午前 9:00∼午後 4:00(期間中無休) 入館料:大人100円 高校生以下無料
至広面
会 場
秋 田 大 学
国際資源学部附属
鉱業博物館
P
至外旭川
秋田駅西口中央交通バス乗り場4番のりば
鉱業博物館入口下車 徒歩5分
秋田駅東口より 徒歩30分
至中央IC
秋田大学
至東通
至明田
秋田駅
千秋
公園
木山方役所
水無 ・ 銀山町の形成
銀山町 ( 新町 ) の割付け
銀山町は、 慶長 19 年に 「七十枚金山」 の生産に伴って、
水無村の一部を町割りし、 山師や坑夫の住宅として開発さ
れた町です。 当時、 この町への居住希望者は 1 万人を超え
たと云われ、 まさにゴールドラッシュ ( 金採掘による人々の
大移動 ) が起こったと思われます。
金 ・ 銀の吹分処
銅を製錬するためには、 生
七十枚金山やそれ以降の金山、 および向山銀山の金銀鉱石は、
産する銅の 4 倍程度の大量
銀山町で製錬されていました。 当時の製錬所 ( 吹分処 ) は、 現在の
の木炭を必要とします。 藩の
中学校のグランド辺りにあったと考えられています。
木山方は、 藩の山林資源を
この辺りから出土するカラミ ( 製錬後のカス ) には、 金が微量 ( 約
管理するとともに、 鉱山へ木
1/10 万 ) に含まれていたことから、 昭和 10 年頃には盛んにカラ
炭を供給しました。 木山方の
ミが採掘され、 多くの金が製錬されました。
役所は水無に置かれ、 ここで
木
真
鉱山門
と思われます。
料亭
牛(銅)
御倉稲荷
(国道 105 号線)
水無神明社
旧小学校
⑬
⑫
と殺場
山神社跡 御蔵小路の水
官舎
(井戸)
善勝寺
法華寺
銀山町
阿仁
湯口
内
沢
湯口内
新町愛宕神社
舟(米)
鉱山社宅
畑町
体育館
愛宕社
橋基礎
十分一番所
馬(米、仙北)
牛(粗銅)
(小沢、萱草、二ノ又)
道
旧街
沢
砥
三両沢
滝ノ沢
湯口内
石坂
渡し
⑮
阿仁中学校 トロッコ軌道(明治 17 年)
上新町
新町
関所
金鉱
米蔵跡
御蔵小路
大町
③
下新町
左:吉田
右:水無
メッゲルの
40°線碑
北緯 40°
線碑
長福院 診療所 (日蓮宗) (浄土真宗)
横町
⑩
観音寺 ⑨
⑧
十分一番所 (真言宗)
宮越商店
善導寺
カラミ採り跡 カラミ採り跡
横町稲荷
木山方
(浄土宗)
⑦
(こもせ)
金銀吹分処跡
役所
⑥ 牛(粗銅)
飛沢商店
⑪
カラミ採り跡
(炭蔵)
阿仁合小学校
銀山神明社 湊商店
製錬橋
大山師
銀鉱
瓦
②
家畜市場
(石田)
異人館 伝承館
倉庫街跡
ミ
カラミ
ラ
阿仁支所
カ 垣根
瓦
旧鉱山 ⑯
の
工場跡
福厳寺 ①
事務所
大黒屋
カラミ
(曹洞宗)
阿仁合駅
文化センター
旅館
⑭
庄屋(松橋家)
採り跡
(風張から)
銅蔵宿 (今はない)
④
旧 貯木場跡
専念寺
牛(銅)水無製錬所跡
(浄土宗)
専念寺河原の
庚申社
⑤
船場
舟(銅)
レンガ
水無下浜船場
工場跡
向山選鉱場跡
舟(銅)
銀鉱
舟(米)
泊、港
今木神社
(大巻)
水無
銀鉱
(七十枚山、九両山)
1637 年に阿仁銅山の発祥となる極
印沢坑を発見・開発、墓は善勝寺
沢
一番
十分
沢
真木沢山神社
真木沢
台所
金鉱
⑩ 高岡八右衛門の墓
大量の木炭が管理されていた
0
50m
200m
(銀山町の上水道)
十分の一番所 鉱山集落では、 人と物資の出入りが
厳しく管理されており、 集落の出入り
口には 「十分の一番所」 が置かれてい
専念寺河原の舟場 米蔵
ました。 ここでは、関税として物資の「十
水無の舟場が手狭になったため、
三両川の南側には、 米蔵が並んだ
分の一」 の金額が徴収されました。
阿仁合駅の裏手、 滝ノ沢河口の専
御蔵小路があります。 また、 御蔵小
銀山町も、 鉱山集落とみなされ、 下
念寺河原に、 新たな舟場が作られま
路の上手には、 藩の役人の居住地
新町の入口 ( 源内坂付近 ) と畑町の外
した。 明治以降はこちらが主流とな
がありました。 のちに、 ここの住居
れの 2 カ所に、 十分の一番所がありま
り、 今の阿仁合駅周辺が倉庫街に
は明治政府の官舎となり、 古河鉱業
した。
発展していきました。 しかし、 昭和
の社宅になった後も、 現在まで官舎
11 年には阿仁合線が開通し、 この
と呼ばれています。
倉庫街にまで線路が引かれたため、
阿仁川の舟運業は終焉しました。
⑯ 異人館
明治の初めにお雇い外国人技師と
して来山したメッケルの住宅
② 宮越商店
水無大町の呉服商、明治の頃の建物
から往時の繁栄が伺えます
平成 26 年度特別展「道が支えた阿仁鉱山 ―米の道、炭の道、銅の道―」
会場:秋田大学鉱業博物館 期間:平成 27 年 3 月 3 日 ( 火 ) ∼ 4 月 19 日
(日)