16券 4号 昭和 59年 11月 東京大学理 学部 ● ● 次 の 表紙 説明…………………………………………………=… … 1 化学旧館南側の改装……・………………………大木 道規 … 2 植物園 と300年 の歴史………………………"・ 岩槻 邦男… 3 アイスランドにおける遭難事故…… ………… 久城 育夫… 4 タイプ作業│の 専門職の使う入力方法……・……山田 尚勇… 8 い ・神部 “こえ "と おと"・ …・・.│… ……………・ ・ 勉…11 パ ソコンによる会計処理プログラムの作成・‐樫村 圭造…12 │.・ =・ <学 部消息>… …………………………………………………14 の 説 表 紙 FANCYス 明 ペ ク トロ メ ー タ ー 中 井 浩 二 (物 理) 高エネルギー物理学研策所における原子核物理の研究をす ヽめている東大・ 理―東ェ大 理 連合グループでは,大 型大立体角の粒子スペクトロメーター 0‐ (FANCY"を 建設 した。 この名前は Forw"d ANα CYlindFiCalス ペ ク ト ロメーター・ システムの頭か ら― とったニ ックネームであるが,高 エネルギ ー原 ● 子核反応 において前方 に放出され る粒子を検出するダブルアームスペタ トロメ ータと,標 的核領域に放出される多重粒子を検出する大立体角円筒型スペクト . ロメータこから成っている。 円筒型スペクトロメーターの心臓部llは ,高 エネルギー電子・ 陽電子衝1祟 験の技術を採り入れた円筒型 ドリフトチニンバーを製作 した6既 に実験に1使 用 され実験データの解析が進行中である。 表紙の写真は上記 │ド リフチェンバこの端板を撮ったものである。編集者から スペクトロメーターの写真を表紙に使 うと言っていただいたが,残 念ながら狭 い実験エ リヤの中で全体の写真を撮ることは不可能な.の で,部 分写真の中でニ 番 “造形美 "の あるものを選んだ。 -1- 1 ● 化学 旧館南側 の改 装 大 木 道 則 (化 学 ) 化学 旧館 は大正 4・ 5年 に建築 され た もの であ きるだ ろ うとい うことで ,見 込 み発車 とな った。 るか ら,建 築以来70年近 い歳月 が 経過 して い るこ 結論的 には,化 学教室か らの持 出 しは比較的少額 とになる。 その老朽 化 もはげ しく,そ のため,化 です んだので あ るが,こ れ を決 定 した ときには 学館 の新 築 が 強 く望 まれて いた。 そ して ,そ れが か な りの決意が必 要 で あ った。 化学新館 の新築 (昭 和 58年 2月 竣工 )と な って実 , 引越 に関 して ,も う一 つ触 れて おかねばな らな 現 した ことは,皆 さんのよ く御存知 の通 りで あ る。 い ことが あ る。 それ は,薬 品 と廃棄備品 の始末 で 昭和58年 度初頭 には化学新館 へ の 移転 も完 了 し あ る。何 しろ60年以上 の歴史 を もつ建物で ある。 同年度 には化学 旧館の内部改装が行 われ ることと その中 には, レ ッテル もな くて わ けの わか らな い な った。 この建物 の改装 は, もと もと,化 学館 の 薬品 もた くさん あ った。昔 な らば,す べ て流 しに 外観 が美 しく,ま た鉄筋 コ ンク リー トの草創期 の 棄 て たか も知 れ ないが ,今 で はそ うはいかない。 もので あ るか ら保存 した い とい う理 由で行 われ る 一 つ一 つの瓶 の 中を検討 して ,処 理 を してか ら廃 ことにな った もので あ るか ら,外 観 につ いて はな 棄 したので ,そ の手 間 は大変 な もの で あ った。備 るべ く原形 を保存す ること, しか し内部 につ いて 品 に して も,引 越 に際 して化学新館や化 学本館 に は思 い切 って現代化す ること,を 方 針 と して ,内 移 らなか った ものが 山積 み にな って いた。 この廃 部改装計 画 がね られた もので あ る。 棄 の手続 きを,一 人 の事務官 が全部 す るので あ る , この建物 につ いて は,理 学部建物 委員会 の 議を か ら, これ は大 変 な ことで あ る。 いずれ にせ よ , へ て ,中 央事 務部 が 約 550グ ,化 学教 室 ,分 光化 長 い間住 ん だ場所 の 引越 をす るの は大 変 な ことで 学 セ ンタ ー,地 殻化学実験施設 が 約 1350プ の 面 あ るが ,化 学教 室 の 引越 は,一 般 に ま して大変 な 積 を 占め る こととな った。 中央事 務部 関係 と して ことで あ ることを思 い知 らされ た次第 で ある。 は,現 在 の と ころ図書係関係 の 入居 と会議室の設 南側 の 引越 は,昭 和 58年 9月 には完 了 して ,工 事 は10月 か ら始 ま ったわ けであ るが ,工 事 が始 ま 置 が 決 ま って い る。 この 建物 の 改装 につ いて は,化 学教室 と して は , る前 に も,い ろい ろな問題が あ った。 その 中で , い ろ い ろの 問題点 が あ った。 まず第一 は,南 側 を 世話 人 と して一 番悩 んだの は,外 観 ,こ とに運 動 改装す るため に,南 側 に居住 して い る人達 を,ひ 場 か ら見 たそれを損 いた くな い とい う施設部 の希 とまず東側 または北側 に移動 させ る こ とで あ る。 望 と,そ れで は夏 の暑 さを ど うせ よ とい うのか と ところが ,東 側 および北側 は,大 部 分 は実験室 と い う声 とを,ど の よ うに調和 させ るか とい う問題 して使 われて いた もので あ る。 その上 ,長 い間 の で あ る。施 設部 と して は,エ ア コ ンの外部設備 を 使用 によ って ,い たみはひどか った。 そ こで ,一 ドライ エ リア に設置 した い とい う ことで ,結 局 そ 応の手 入れ を しな い と,仮 移 転 の 期間 中は全 く仕 の案 を の む ことにな ったが ,こ れでは, ドライ エ 事 にな らな い とい う ことにな って しま う。 と ころ リアの な い部分 の冷房 は ど うす る こと もで きず が,そ の 改装 の 費用 は,ど こ もで る ところが ない。 この 問題 は,今 後 も尾 を引 くことにな ろ う。 この点 につ いて は,中 央事務部 をず いぶ ん と悩 ま せ たが ,結 局 は,多 分移転費用 の予算 で カバ ーで -2- , 工 事 は昭和59年 3月 末 に完成 した。 そ して , 5 月 11日 には ささやかな披露 パ ーテ ィを行 った。 内 装 は実 に立派 に仕上 が って j、 歴史の あ る建物 だ け か な り多 く,備 品 と して約 1400万 円の 支出が可能 に,荘 重 さも加 わ って ,最 近 の建物 で は実現で き にな った。 これ はひ とえ に事務部 の努力 によ る も ないよ うな,す ば らしい建物 に生 まれ変 わ った。 ので ,こ の場 をか りて ,事 務部 にお礼 を申 し上 げ で きれ ば,今 後 も この美 しさを保 って ,長 い間使 る。 って い きた い もので ある。 化学 旧館 の改修 は,ま だ半 分終 った ばか りで あ この南側 の化学 旧館 に化学系 の学科・ 施設が入 る。理学部 と して は,さ しあた りの建物 計画 と し 居す るにあた って は,ま た一 つの難問が あ った。 て ,理 学部 D棟 (仮 称 , 4号 館 の延長 )新 築 と化 それ は,年 度 当初 とい うこと もあ って ,移 転 の た 学 旧館東側 の 改装 が あ る。 そ の中 で は,D棟 の方 めの予算 が い くらつ くのか,全 く予想が つ か なか が優 先 して 考 え られて いるので ,化 学 旧館 の改装 った とい う ことで あ る。最低 の場合 に は, 1イ あ が終 った とい うに は,ま だ 1年 以上か か るで あろ た り3000円 といわれてお り,し か も これ は新築 の う。化学館東側 には,地 球物理学教室 ,化 学教 室 場合で あ るか ら,改 装 の場合 には どうな るのか 予 物理学教室 ,分 光 化学 セ ンターが 入 る ことにな っ 想がで きなか ったので ある。 そ こで ,最 悪 の場合 て い る。一 日 も早 く改装が竣工 して , この立派 な には ど うな るか までの計算 を した上で ,備 品を購 建物 の機 能 が フル に発揮で きるよ うにな る ことを 入す ることに した。 幸 いに して最 悪 の予想 よ りは 期待 した い。 , 植 物 園 と 300年 の歴 史 岩 植物 園 が 現在 地で発足 してか ら今年 で丁度 300 槻 邦 男 (植 物 園 ) の御 薬園や小石川養生所 と して機能 して きた り , 年 にな ります。先 に全面改修 の成 った本館 の御披 救荒植物 と しての甘 薯 の試作地 とな った り,ま た 露 を兼 ねた式典 を,平 野総長 ほか 多数 の方 々の御 明治以後 は イチ ョウの精子 の発見 をは じめ近代植 列席 を いただ いて ,10月 15日 に行 い ま した。 いろ 物学 の舞 台 その もので あ った とい ぅょ ぅな歴史 的 い ろの都合 で理学部 の方 々を広 くお招 きす ること なで き ごとを反郷 す るとい う こ とだ けで な くて がで きませ んで したが ,ま た機会 を見て お立 ち寄 300年 をか けて培 がわれて きた安定 した植生 の維 りいただ きた い と思 って お ります。 持 されて い る園 内 にどの よ うに多様 な植物 を保 有 , , し,そ れを 活用 して どのよ うに現代 的な生物学 へ 東京大学理学部附属 の施設で あ る植物 園 が 300 年 の歴史 を祝 うとい う ことは,官 制 の上 で は計算 の貢献 を行 い得 るかを問 い直す ことで あ ります。 の合 わない こ とですが ,植 物園 の よ うな施設で は 社会的 に も話題 とな って お ります遺伝子 資源 と その場所が どの よ うに維持管理 されて きたかが重 の関 わ りで ,植 物 園 の在 り方 は現 在 改 めて 問 い直 要 な意 味 を もつ部 分 が あ り,東 京大学 が 開設 され されて お ります。 マ スコ ミで その問題 が取 り上 げ るよ り前 か ら植物 園 と して機 能 して い た とい うこ られ ます前 か ら,附 属植物園で は,学 内外 の 多 く とが ,都 心 とは思 えない程安 定 した植生 を維持 し の先生方 の御 協力 を得て ,現 在 的 な植物 園 の あ る 研 究教育 に必要 な多様 な植物 を保有す るため に大 べ き姿 につ いての検討 を重 ねて参 りま したが ,図 切 な条件 とな って い ます。 その意味で ,植 物 園 が 書・ 標本・ 植生 の管理維持 の あ り方 につ いて それ 300年 の歴史 の重 さを感 じるとい う ことは,幕 末 ぞれ ま とま った提案 をま とめて いただ くことがで , , -3- ● │ きま した。 300年 の歴史が あ って は じめて可能 な は昭和 12年 ,そ れ まで40年 近 く園 内で研究教育 活 将来 へ の発展 に向けて ,そ れ らの提 案 を実現す る 動 を して お りま した植物学教 室 が 本郷 キ ャ ンバ ス よ うに努 めた い と考 えて お ります。 (図 書 。標本 に移転 しま した直後 に着工 され ま したが ,当 時 の ・ 植生 につ いて ,そ れぞれの検討委員会 の報告 に 資材不 足 な どの悪環境下で , 2年 半余 の歳月を経 関心 をお持 ちの方 には報告書 を読 んで いただ けた て完成 された もの と聞 いて お ります。元総長 内田 らと思 い ます ので御連絡下 さ い。 ) 良平先生御 設計 の塔 の あ る建物 です が ,流 石 に現 植物 園 は1873年 以来一般 に公開 されて お り,毎 在 の生物学 の研 究教育 活動 には不 向 きな部分が あ 年20余 万人 の一 般 入園者 に親 しまれて お ります。 りま した もの を,今 回 の 改修 によ って機能的 に再 これ は欧米 の研究植物園 で も行 わ れて いる ことで , 編す る こ とが可能 とな りま した。図書・ 標本 につ 多様 な植物 に接す る ことによ って ,生 物 が生 きて きま して は,こ の本館 に収容す るのが良好 な状態 い るとは ど うい う ことか を学 び とって もらうこと とは 申せ ませんが ,こ れ まで よ りはは るか に良 い が本来 の意義 で はないか と思 われ ます。 その意味 条件 で 利用 が 可能 にな りま した。 300年 の歴史 を で は,い こいの場 を提供す る ことを主 目的 とす る もつ植物 園 の特性 を生 か し,新 ら しくな った本館 植物公園 や庭 園 とは異 って い るので す が ,残 念 な で ,よ りよ い研究教育活動 に取 り組 みたい と考 え が ら一般 入園者 には その ことが 充分理解 して もら て お ります。 えて い る とは思 え ません。 そ こで ,研 究教育用 に 植物 園 の今 日的な在 り方 と して ,多 様 な植物 の 栽培 されて い る多様 な植物 につ いての見方 を一般 保 有 を,国 際的 な協力態 勢 を維 持 しなが ら進 めて の 入園者 に も学 び取 って もらうため に,い ろ い ろ い くべ き ことは改 めて 述 べ るまで もあ りません。 のパ ンフ レ ッ トを作 った り,植 物 の ラベル を増や それ は本植物 園 が好 む と好 ま ざるとに関わ らず 内 した りす る必要 が あ ります。現在 の植物 園 の人員 外 の植 物 園等 か らも求 め られ る ことで はあ ります や経費で はそれ には充分 の対応 がで きませ んが が ,本 植物 園 と して も積 極 的 に協 力態勢 の推進 に , 1979年 に小石川植物 園後援会 が発足 し,学 内外 の も努 めて い きた い と考 えて お ります。 多 くの方 々の御協 力を得 て ,社 会教育 に対応す る 300年 の歴史 の節 目に立 って ,植 物 園 で は,大 ことが可 能 とな り,大 学附置 の植物 園 と しての社 学 附置 の植物 園 と して よ り健 全で建設的な発展 に 会 に対す る役 割 を果す ことがで きて お ります。 向 けて ます ます真剣 に取 り組 み たい と考 えて お り 本植物 園 が 300年 の節 目に当 ります本年 ,植 物 園 にお け る研 究教育活動 の 中枢 で あ ります本館の ます。御 協力・ 御指導 を賜 ります よ うあ らためて よろ しくお願 いいた します。 全面改修工事 を行 って いただ きま した。本館建物 ア イ ス ラ ン ドに おけ る遭難事故 久 城 育 夫 (地 質 ) 去 る 8月 10日 ,理 学部講 師 (地 質学教 室所属) した。両 君 と も火 山学 ,岩 石学 の分野 で優れ た業 の福 山博之 および柵 山雅則 の両君 は,教 養学部理 績 をあげて お り,今 後 日本 の み な らず世界 の学界 科 I類 一年 の堀越新人君 と共 にアイス ラ ン ドにお へ の貢献 が期待 されて いただ け に その死 は惜 しみ いて火 山の 調査 中 に不慮 の事故 の 為 に逝去 され ま て も余 りあ る ものが あ ります。以下 ,今 回 の事故 -4- の概 況および その前 後 の経過 を報告致 します。 独 自の方法 によ って研究す る ことを意図 して いた。 ア イス ラ ン ドは大西洋中央海嶺上 に生 じた火 山 福 山,柵 山両君 は本年春頃 よ り今度 の調査旅行 島で ,多 数 の興 味 あ る火 山が存在す る。福 山,柵 の 計画 をたて始 めた。 福 山 君 は 昨 年 9月 よ り米 山両君 は これ まで主 と して 日本列 島 の火 山 の研究 国 ワ シ ン トン市 の カーネギ ー研 究所 にお いて ,ま を行 って来 たが ,両 君 は更 に 日本 列 島の よ うな島 た,柵 山君 は一 昨年 の 9月 よ り英 国 サ ウサ ンプ ト 弧 と対照的 な海嶺 上 の火 山 との比 較 ,特 に火 山 の ン大学 に おい て 岩石学 の研 究 を行 う為 にそれぞれ 形態 ,噴 火様 式 ,噴 出物 の性 質等 の比較研究 を行 出張中 で あ ったので ,両 君 は主 と して書簡 によ っ う こと,お よび以 下 のよ うな岩石学 的研 究 のため て連絡 を取 り合 って 計画 をね った。 そ して福 山君 の岩石試料を採取す ることを 目的 として今度 の調 はカ ーネギ ー研究所 の研究 の一 環 と して ,ま た柵 査旅行を計画 した。すなわち,福 山君 は北 米セ ン 山君 は,サ ウサ ンプ トン大学 での研 究 が 終了 した トヘ レンズ火山の1980年 の噴出物 について高温・ ので本学部 地 質学教 室 の岩石研究室 の研究 の一 環 高圧下で実験を行 い, もとのマ グマの含水量を推 と して本調査 を行 う ことにな った。堀越 君 は,福 定 したが,同 様 の実験をアイスラン ドの ヘ クラ火 山君 の甥 に あた り,地 質学 に強 い興 味 を持 って お 山とアスキア火山の噴出物 についても行 い,海 嶺上 り本調査 に参加す ることにな った。調査 の予定期 に噴出す るマ グマ中の水の量を推定す ることを意 間 は 8月 3日 ∼ 11日 で あ った。 柵 山君 は, 8月 2日 ロ ン ドンを発 って 3日 0時 グマの混合 によって生 じた火山岩 の存在を初 めて 過 ぎ に レイキ ャヴ ィクに到着 し一泊 した。福 山君 明確 に示 したが,そ れと同様な火山岩がアスキア は,堀 越君 とともに 8月 2日 ニ ュー ョー クを発 っ 火山に知 られて い るので,そ の岩石を採取 し同君 て 3日 朝 6時 半 頃 レイキ ャヴ ィ クに到着 し柵 山君 N十 図 していた。また,柵 山君は日本列島の火 山で マ 図 -5- 1 と合流 した。 3人 は午前 10時 頃 レイキ ャヴ ィクに が 明瞭 に見 えて いた。 しか し, この川 は,当 日お おいて ジー プを借 りた。 そ の後 ただ ち に調査 に出 よび前 日の異常高温 (約 15℃ )に よ リヴ ァ トナ氷 発す る予 定で あ ったが ,ニ ュ ー ヨー クか らの荷物 河 が 多量 に とけて 異常 に増水 して いた。深 さは約 の到着 が遅 れ たため に出発 は同 日の 夜 にな った。 1.8π で あ った (通 常 は lπ 以 下 )。 また,こ の なお, 3人 は夜 9時 頃 ,福 山君 の友 人で あ るアイ 川 は氷河 に発す る川特 有 の褐 色不透 明 の 水 の ため ス ラ ン ド大学 の ヤ コ ブソ ン博士 宅 を訪 問 して いる。 川底 は全 く見 えなか った。水温 は 0℃ に近か った。 しか し,同 氏 は不在で あ ったため面会 は 出来 なか ジー プは川 に進入 した直後 に流 され ,そ の後す ぐ つた。 それ以 後 の 3人 の行 動 とル ー トは 目撃者 の 浸水 して沈み ,川 底 を転が りなが らさ らに流 され 証言 および遺 品 の 中か ら発見 され た フ ィル ム に基 た と考 え られ る。堀越 君 は,そ の途 中 で ジープ よ づ いた もので あ る。 (図 1) り脱 出 し,渡 渉地点 か ら約 1502下 流で東岸 に上 3人 は 3日 夜 , レイキ ャブ ィクの 東約 30師 のテ 陸 し,足 の骨折 のため腕 の 力で這 って 約 300π 離 ィ ングバ ラバ トンとい う湖 の近 くで キ ャ ンプ した。 れた道 路際 まで達 した。福 山,柵 山両君 は ジープ 4日 は,同 湖 附近 の枕状溶岩 の観察 を し,ゲ イ ジ か ら脱 出 した後死亡 したか ,あ るいは車 中で死 亡 ルの 間欠泉 を見て ,ヘ ク ラ火 山附近 まで行 った。 した後流 し出 されたか不 明で あ る。 ジープ は渡渉 5日 は,ヘ ク ラ火 山 とその噴 出物 の観察 および岩 地点 か ら約 300π 下流 で 岩 にひ っかか って上下 転 石試料 の採取 を行 った。 6日 は ミル ダル ス氷河 の 倒 した状態 で停止 した。 末端 を通過 し,火 山活動 の盛 んな 中央帯南部 の ラ 午後 5時 頃 , 2人 の アイス ラ ン ド人 が 現場 附近 カ ギガル を調査 した。 そ こで 3人 を 目撃 した人が を車 で通 りかか り,堀 越君 を発 見 ,さ らに下流 で い る。 その後 ヴ ァ トナ氷河 の南側 の ど こかでキ ャ ジープ も発見 した。 2人 は直ちにゲ イサ ヴ ァ トン ンプ した。 7日 は,ア イス ラ ン ドの東端 をまわ っ の山小屋 に急 報 し,救 援 を要請す るため無線通 信 て ,フ サ ヴ ィクの南約 40bに あ る ミヴ ァ トンとい が可能 な ヘ ル ドブ レイ ドの 山小屋 に向 った。ゲ イ う湖 附近 まで 行 った。 8日 は, ミヴ ァ トン附近で サ ヴ ァ トンの 山小屋 のバ ル ドゥール 0シ グル ー ド 種 々の火 山噴 出物 を観察 した。 ソ ン氏一 家 4人 は現場 に毛布 と湯 を持 って急行 し 正午 頃福 山君 は,ア イス ラ ン ド大学 のヤ コ ブソ たが ,残 念 なが ら堀越君 はすで に死亡 して いた。 ン博士 の研 究室 に電話で , “調査 は順 調 にい って 死因 は疲労・ 凍死 で あ った。不運 な こ とに当 日午 い る。 多 くの 興味 あ る岩石試料 を採取す る こ とが 後寒冷前線 が通過 して気 温が急 激に低 下 し,雹 が 出来 た。 と報 告 して い る。 その後 3人 はヘル デ ブ 降 った。 シグル ー ドソ ン氏は ジープ を ロープで固 レイ ド火 山 の東側 を通過 して アスキ ア火 山 に向 い 定 し,車 中を調 べ たが人 も物 も残 って いなか った。 , 同火 山附近 で キ ャ ンプ した。 9日 朝 ,同 火 山の ド 11日 午前 3時 頃,ヘ ル ドブ レイ ドの 山小屋か ら レキの 山小 屋で管理人が 3人 を見 て い る。 その 日 無線 で 事故 の第一報が ア イス ラ ン ド各地 に伝 え ら はアスキア火 山で調査 および岩石試料 を採取 し アス キア火 山南東 で キ ャ ンプ した。 ここで も 3人 れ た。 無線通信 によ り,事 故 現場か ら約 100肺 西 の ニ イダル ーア附近 を通 行 中で あ った 自動 車 と連 を 目撃 した人が い る。 10日 朝 , 3人 はア スキ ア火 絡 が とれ ,同 地 の 山小屋 の宿 泊者 を起 した。彼等 山を出発 し西 へ 向 った。途 中 , 3人 が ジープで走 は現 場 に 向 い,H日 午前 6時 半 L」 i現 場 に到着 した。 って い るの を 同方 向 に旅行す る人 に,ま た,事 故 一 方 ,現 場 附近 を管轄す るフサ ヴ ィク警察 は無線 現場か ら約 3肺 東 の ゲ イサバ トンの 山小屋 の前 を 連絡 を受 け,直 ち に同地 の ガル ダ ール救助隊 を召 正午過 ぎ に通過す るの を管理人 に 日撃 されて いる。 集 した。 11日 朝 ,フ サ ヴ ィク警察 の所長 は救助隊 , 3人 の乗 った ジープは リュプナ ブ レ ッククヴ ィ スル川 を渡 渉 しよ うと した。 対岸 に は道 路 の延長 -6- 7人 と共 に現場 に向 けて 出発 した。 午前 9時 頃 ,福 山君 の遺体が現場か ら約 5肺 下 流の滝の直上の川の西岸で発鼻された。午後 1時 にフサブィク警察の所長らは現場に到着し,遺 体 を発見 した。 3人 の遺体は,い ったんフサヴ ィク および遺品の検査 ,各 所への連絡を行 つた。午後 運ばれた。 8時 頃 ジープ, 2人 の遺体および遺品等を回収 し 15日 , レイキャヴィクの教会 において,福 山 , 柵山,堀 越三家の御遺族その他出席者 の もとに葬 て フサ ヴィクヘ 向 った。 12日 の病院 に安置され検査 された後 レイキ ャヴィクに に ミヴ ァ トンおよびバ ル ダーダルーアの救 助隊が召集され,下 流一帯を広 く捜索 し,午 後 5 儀 が行われ,そ の後火葬 された。葬儀 にお いて ア イス ラン ド大統領 の弔辞が届けられた。 時過ぎに事故現場 か ら約 15肺 下流で柵山君 の遺体 図 2.事 故後引き上げ られたジープ。事故 現場より約 300れ 下流。後は リュプナブ レッククブィスル川 以上が,今 回 の事故およびその前後の経過の概 況です。今回の事故 は異常気温 によ り数十年間で 初 めてとい う川の増水 のために1起 った不運 な遭難 事故 であ り,現 地の川 の状態をよ く知 っていな け れ ば避け得 なか った ものと思われます 。今回 の事 故で 2人 の優秀 な火山学者および将来有望なひ と りの青年を失 い誠 に痛恨の極みです。また,遺 さ れた御家族 の お歎 きは如何ばか りか と心か らお察 し申 し上げます。 心配,御 迷惑をおかけいたしました。また,多 く の方 々の温 い御援助,御 協力をいただき関係者の ひとりとして深 く感謝いたしてお ります。 とくに 平野総長,江 上理学部長,有 馬評議員,石 渡事務 二 長,お よび神戸事務長 補佐 の方 々には 方 な ら ぬお世話 にな りました。さらに葬儀 および慰霊祭 , には学部長をはじめ理学部の各教室か ら丁重な弔 意および御援助をいただきました。 ここで改めて 厚く御礼申し上げます。なお,遺 体と遺品の捜索 回収に献身的な労をとられたアイスランドの救助 , 今回の事故 に関 し,多 くの方 々にい ろいろと御 -7- 隊 ,警 察 お よび 山小屋 の管理人 ,遺 体 の発見者 の し,私 達 は亡 くな られ た 3君 が 持 って いた 自然探 方 々に対 して ,平 野総長 よ り感謝状 が 送 られ ま し 究 の情 熱 を決 して失 な う ことな く,ま た,今 後探 た。 また,平 野総長 の アイス ラ ン ド大統領 へ の礼 究 を躊躇す る こ とな く, 3君 の意志 をつ いで更 に 状が 9月 10日 土 屋代議士 によ って 届 け られ ま した。 一 層励 む つ もりでお ります。 私達 は, この よ うな事 故 を再 び起 さないよ ぅに 今後調査 には万全 を期す つ もりで お ります 。 しか 最後 に,福 山,柵 山,堀 越 3君 の御冥福 をお祈 り申 し上 げます。 タイプ作業 の専 門職 の使 う入 力方法 山 現在 われ わ れ の研究室で取 り組 んで い るテ ーマ に,非 常 に多 くの量 の 日本文 を タイプす るひ とた 田 尚 勇 (情 報科学 ) うので ,次 第 に普及 が進 み ,現 在 で はそれが ヮー プ ロの 入力法 の 主流の地位 を 占め るに至 った。 ちが 用 い る入力 方式 をど う考 え るか とい うのが あ ワー プ ロの 出現 の まえすで に,よ く訓練 され た る。 その研 究 の発端 とな ったの は,わ た し自身が 熟練者 によ る 日本文 の入力 の効率化 を追求 して い 大学 院生 時代 か ら始 ま り,20年 近 くもアメ リカで たい く人か の研究者た ちが い た。研究 の末 ,1970 秘書 の世 話 に な って仕事 を して いた経験 で あ る。 年代初頭 にかれ らのた ど りつ いたの は,各 漢字 を 一般 に,腕 の いいアメ リカの秘書 は,大 きな決定 一意 的 に コー ド化 し,そ の コー ドを英文 タイプ式 権 こそ持 たない ものの,そ の他 の点 で は毎 日の事 の キ ー ボ ー ドで 入力す るとい う入力方 式で あ る。 務 的処理 を的確 に切 りまわ して くれ る。 しか も い ま,現 在 われわれが理 解 で きて いる視点か ら , わた しが 1時 間か けて書 いた原稿 は,論 文で あれ , これ らを振 り返 って み ると,そ う した コー ド入力 事務書類 で あれ ,手 紙 で あれ ,10分 か ,せ いぜ い の二 つの方 式 が ほとん ど同時 に考 案 されて いる。 15分 で タイプを して くれ る。 したが って ,真 赤 に その一 つ は,な にか 漢字 との連想 を持 つ 単語やそ な るまで それ に手 を入れて は,ま た打 ち直 して も の一部 を漢字 の コー ドと して使 う,川 上晃 らの考 らうことが 3回 に及んで も,時 間的 ,経 費的 ,心 案 した連想 式で あ り,た とえば山を ヤ マ,鏡 を (英 理的 に大 した負担 にはな らず ,そ れ は至 極 あた り 語か ら来 た)ミ ラと コー ドして 入力す る方法 を使 まえの手 続 き と考 え られて いた。 う。 それで ,わ た し自身 の文書生産 の便宜 の ために , もう一 つ は,そ う した言語的連想 を排 し,漢 字 日本 で も殴 米 なみの高速 タイプ ライ タがで きな い コー ドを機 械的 に直接指で覚 え る,谷 村新興 (株 ) ものか と考 え始 めてか ら,は や 10年 も経 って しま の小川注連 男 らの採用 した,わ れわれが無想式 と った。 そ の 間 に 日本文 ワー ドプ ロセ ッサ (ヮ ー プ 呼 んで い る方式であ る。 こち らで は コー ドの表現 ロ)が 商 品化 され ,そ の 入力方法 と して カナで 入 は「 位 置対 応 コー ド表 Jと い う, コー ドのキー配 力すれ ば コ ンピュー タが漢字 か な交 り文 に変換 し 列 の 空間的心像 に合 わせ た文字 の配列表 によ って て くれ るカナ漢字変換 は,50足 らず の キ ーか らカ コー ドの構成 を示す方法 によ って いる。 この後者 ナを拾 えば ,だ れで もす ぐになん とか 使 え るとい で は,ス ポーッー般 に おけ る体 の運用 と同 じく -8- , 訓練 によ って 運指 を大脳皮 質 の反射 にまで高 めて い わば身体物理 的 な人間工学 の側面 と,作 業 中 に しま うので ,反 射式 とも呼べ る もので あ る。 大脳 が行 な う情報処理 の過程 を究 め る,認 知 科学 一般 の ひ との直観 によ ると, これ らの コー ド入 的 ,大 脳神経 学 的側面 とが あ ると言 え よ う。 力方 式で は,ま ず ,(a)2,000前 後 の基本文字 の コ この後者 は英 文 タイプ動作 の研究 において も当 ー ドを記憶す る ことが ,ほ とん ど不 可能 と思われ 然かか わ りの あ ることであ るが ,英 文 タイプで は るほどむずか しい もの と考 え られ た。 さ らに,(b) 入力文字 とキ ー とが単純 に 1対 1の 対応 を して い た とえ そ れ を 憶 え て しま う ことがで きた と して るため, この後者 の過程 には と くに変 え ることの も,そ の コー ドを用 いて英文 タイプの場合 の よ う で きるパ ラメ ー タが な く,タ イプ作業 の最適化 に に文書 の素早 い入力 を持続す る ことは きわめて む は前者 の人 間工学 の面 だけを考 えて やれ ばよい。 ずか しく思 え た。 その上 ,(C辰 い訓練 の末 ,た と しか し, 日本文 入力 の場合 には途 中 に介在 させ な えそ うした困難 な こ とが達成で きた と して も,そ けれ ばな らな いい くつ かの選択 可能 な手続 きが の作業 はいか に も不 自然か つ非人 間的で , もろ も 大脳 にお いて それぞれ異 な る種類 の情 報処理 を必 ろの悪 い副作 用 をひき起 こ しか ねない種 類 の もの 要 とす る と考 え られ るので ,異 な る入力方法 の あ と心 配 され た。 いだの比較 の ためには,大 脳 の働 きの理解 が どう しか し,上 記 の川上 らや小川 らの実験 的か つ実 , して も必要 にな って 来 る。 践的 デ ー タは,専 任 タイ ピス トに とって これ らの この観点 か らタイプ作業 を調 べ てみて 分か った コー ド入力法 は習熟期 間 も,ま た飽和作 業速度 も ことはい ろ い ろあ る。 簡単 に列挙 してみ ると 英文 タイプの場 合 とほぼ 同 じ値 とな る ことを示 し (1)熟 練 した タイ ピス トは操作空 間 を司 る大脳 右 , , て いた。 半球 が主 導 で作 業 を して い る らしい。 しか も , それで ,内 には 自分 たちの文 書 の生産 性 の 向上 英語 を母国 語 とす る熟 練 した英 文 タイ ピス トが を,外 には,迫 り来 る情報 化社会 の ニ ーズに こた コ ピー タイプに専念 して い るとき,ま た 日本人 え るべ く,事 務能率 と文書生 成能 力 の急 増 を追求 が無想 式 に 日本文 を コピー タイプ して い るとき して いた われ われ は,と りあえず 自家 用 と して には,禅 僧 の座禅 時 に も似て ,タ イ ピス トの脳 , 習熟 の よ りや さ しそ うな 連 想 コ ー ド入 力方 式 の 波 の 中 の ベ ー タ波 (13-30Hz):が 弱 ま り,ア ル Superwriterを 試験 的 にイ ンプ リメ ン トし, そ の フ ァ波 評価 と実用 を試 み た。1976年 の ことで あ る。 によ って確 認で きた。 (8_13HZ)が 強 く出て い る ことが 浜1定 す で にその 試用 の初期 において われわれ は,あ (21 直感 に反 して ,熟 練者 が 長時間 にわた り始終 る逆説 的 な現象 に気付 いた。す なわ ち,連 想 の 強 使 うの にはカナ漢字 変換 よ りも無想式 の ほ うが い コー ドは,連 想 の ない いわゆ る中性 コー ドよ り ず っ と 自然 で ,人 間的で疲労 が 少 な く, しか も も,コ ー ド間 の混 同が 多 く,ま た忘 れやす い とい ず っと高速で あ る。 13)カ ナ漢字 変換 と連想 コー ド入力 に あ って は う こ とで あ る。 , これ はわれ われ に対 して入力方 法 のす べ ての面 よ り疲労 しやす い大脳 の言語左半球 の介在 を必 で の見 直 しを迫 ることにな った。文字 入力 はマ ン 要 と して い る。 ・ マ シ ン・ イ ンタフェース の一 例 で あ り,そ れ を (4)カ ナ漢字 変換 に あ って は,左 右両半球 の あ い 完全 に理解 す るため には まず人間 の本質の理解 か だで異種 の作業 がお互 いに干渉 し合 う度合 が コ ら始 め なけれ ばな らない とい う,悟 って みれば 当 ー ド入力方式 よ りもず っと大 きい と推定 され 然 の ことがや っと分か ったので あ る。 その 分 だ け疲労 が激 しい と考 え られ る。 0 入力作 業 を大 き く見 る と,そ れ は作業 時 の人間 の体 の動 きや それ に良 く整合す る機 材 を追 求す る , -9- , 小川 らによ って初 めて 用 い られ た,無 連想 コ ー ドの 表示 のため に用 い られ る位 置対応 コー ド 表 は,連 想語 の 使用 と異 な り,大 脳 の 中 で運 指 タイプ作業 には 目視式 とタ ッチ式 との二 種類 が を司 る操 作空間機能 に直接働 きか け る優 れた方 あ る ことと,こ の二つの あ いだ には本質的な違 い 法 と考 え られ る。 の あ る ことをわれ われ は早 くか ら指摘 し,日 視式 (6)専 任 タイ ピス トにな るには,漢 字 の コー ド入 の要素 を多 く含 む ものの濃密 な使用 が労働 障害 に 力方 式で も英文 タイプと同 じくらいの期 間 の練 つ なが るで あろ う ことを ,ひ か え 目なが ら,す で 習で習熟す る ことがで きる。 これ は高度 な タイ には っき りと予潰1し てお いた。 その後 カナ漢字変 プ技能 の 習得 に要す る時間が主 と して 目か らの 換 が 商 品化 され るに及 んで ,専 業 オ ペ レー タが そ 文字刺 激 に応答 して反射 的 に動 くよ うにな る運 れを濃 密 に使用す る場合 にはス トレスに よる脳 幹 指 機能 の形成 によ って定 ま り,そ れ には英文 と 視床下部 の疲労 に起因す る各 種 の労働障害一般 が 日本文 との間で ほとん ど差が 出 ないか らで あ る。 誘発 され る理 論的可能性 につ いて ,機 会 あ るごと 厳 密 な比 較 をす れば コー ド入力方 式 の ほ うが優 に説 いて 来 た。 れて い ると して も, も しカナ漢字変換方式 との差 はたせ るかな,1983年 末 よ リワープ ロの使用 に が50歩 100歩 であれ ば,初 心者 に もす ぐ使 え るカ 起因す る OA障 害 が多発 し,大 きな社会 問題 とな ナ漢字 変換 が もう これだけ普 及 して しま ったのだ り, しば しば新 聞紙上 を賑 わ して い る。 か ら,い ま さ ら毛色 の変 った コー ド入力方式 の研 新 し く出始 めた こ う した ワー プ ロ障害 の原因 は 究 な ど改 めて す る必要 はないので はないか と考 え 新 た に採用 された ブラウ ン管 デ ィス プ レイとカナ るひ とは多 い と思 う。 漢字変 換 入力方式 とに あ る ことは容易 に想像で き しか し英文 タイプの 日常作業 の 限界速度 は 1分 , る。 間 あた り 150語 で ,日 本語 の情 報量 にな おす と カナ漢字 変換 の技術 レベルの 現状 で は,同 音異 , 漢字 か な交 り文で 1分 間あた り 300字 か ら 375字 義語 の選択 な どにはど う して もデ ィスプ レイを見 にな る。 コー ド入力方式 だ とこれを うわ まわ る上 る必要 が あ るが ,そ れが 目を疲 れ させ る原因 にな 限 を示 唆す る研究者 もい るほどだが ,純 粋 の カナ る ことは,い まや よ く知 れ渡 った常識 とな った。 漢字変換 だ と この 5分 の 1が いい ところで あ る。 カナ漢字 変換 の もう一 つの 欠点 は,そ の使用 に また,タ イ プ誤 りにつ いて言 えば,毎 年 ヨー ロ ッ あた って ,タ イ ピス ト自身 がか な りの量 の言語的 パ で行 なわ れて来 た ,タ イプ技能国際 コ ンテ ス ト 《 で あ る Intersteno"の 正確度・ 速度競技 で は 決定作業 を打鍵 作業 と並 行 して行 なわなけれ ばな 誤 り 1文 字 につ き 500字 分減点 され ,こ の比 率 を す とい う事 実であ る。 , らな いので , これが大 きな精神 的 ス トレスを起 こ 日本文 に適 用す ると,誤 字 1字 あた り 200-250 ご く簡単 に述 べ れば, これ は言 語処理 を司 る大 字 の減点 と な る。 カナ漢字変換で は とて も これ に 脳左半球 が ,反 射打鍵 を司 る右半球 に比 べ て ,系 太刀打 ちで きな いが , コー ド入力方式 な らこれ に 統発生学 的 には多 くと も 100分 の 1の 進化期間 し 近ず くこと がで きるのが知 られて い る。 した が っ か経て お らず ,そ れ に応 じて その成熟度 も低 いで て ,大 量 の 入力 を常 時 こな して行かな けれ ばな ら あろ うとい う ことと, もう一 つ は, この言語処理 ない職場で は,コ ー ド入力法 の技能 を身 につ けた 作業 が 打鍵 作業 と干 渉 を起 こす性 質 の もので あ る 専任 タイ ピ ス トは貴重 な存在 とな る。 とい う ことの二つが原因 とな って い ると考 え られ しか も専任 タイ ピス トに とって ,コ ー ド入力方 式 の最大 の利 点 はその速度 に あ るので はな くて る。 したが って ,主 と して濃密 な コ ピー タイプを専 , それ によ る作業 の疲 れが少 な く,労 働 に対 して持 任 とす る タイ ビス トの使 う機材 と して は,カ ナ漢 久力 が あ り,労 働障害 が 出 に くい とい う,そ の安 字 変換 に比 べ て無想式 コー ド入力 の ほ うが は るか 全性 に あ る。 に 自然 で ,人 間的 で , したが って 疲 れを起 こさず 10-― , 持久力 を可能 にす る もの と考 え られ , しか も早 い む しろ歓 迎す べ き こと と言 え るで あ ろ う。 ので ある。現在 問題 に な って い る専 任 タイ ピス ト 文部省 の科研 費 のお陰で ,い ままで にわれわれ の ワー プ ロ障害 は,デ ィスプ レイを ほ とん ど見 な は数名 の コー ドタィ ビス トの訓 練実験 な どをイ ギな くて作業がで き, しか もス トレスの少 な く疲 れ な う ことが で きた。 その うち先発 の 2名 は, 2年 半 い無想式 コー ド入力方式 を採用す れ ば大 幅 に軽 減 の経験 を積 んだ現在 ,初 見 の手書 き原稿 か ら 1分 で きるも ので あ ると考 え られ る。 間 あた り 120文 字 前後 の速 さで , 1日 数 時間 の 実 コー ド入力方式 は タイプ技能 の習熟 に時間がか 務 を楽 しみ なが ら行 なえ る実 力 を身 につ けて い る。 か り過 ぎ る とい う批半Jが よ く聞かれ るが ,こ れ も い まわれわれ を悩 ま して い るの は,ま だ不備 な アメ リカの専任 タイ ピス トが技能 習熟 にか けて い 点 の 多 い ヮ ー プ ロ機材 が タイ ピス トの作業速度 の る時 間 と同 じ程度 で あ る。 しか もタイ ピス トの腱 伸長 をはばんで い るとい う こと と, もう一 つ には 症炎は基礎訓練の不十分な者 に出やす い という 科研費 が 切 れ たあ と,ど うや って この有能で有用 むか しか ら周知 の事実を考え合わせてみると,専 な タイピス トた ちを維持 して行 った らいいのか と 任 タイ ピス トの養成 に,あ る適当な量の時間がか い う心 配で あ る。 , , かるということは,労 働障害の予防の見地か らは `こ え 〃 と `お と 〃 神 部 勉 (物 理 ) 音 の実験 をす るの に無響室 とい う部屋 が使 われ が会話 して い るとき,相 手 か らの 直接 の音波 だけ る。 その中 に入 った経験 の あ る人 な ら,御 承知 で でな く,周 囲 の壁 や物 体か らの反射音 も同時 に聞 あろ うが ,初 め は気 が遠 くな るよ うな気 が して く いて お り,そ こに音 の深 みを感 じて い ると言 え る るもので あ る。 この部屋 の壁 は,音 の反 射 の少 な か も しれ な い。 この ことは音楽 の演奏会場 の構造 い材 質 の グ ラス ウ ール な どの楔 で おおわれて お り 設計 で は重 要 な意 味を もって い る こ とで あろ う。 さ らに外 か らの音 も遮 断で きるよ う,壁 も厚 く作 最近 ,中 国 の 音 響 学 者 と会 う機 会 が あ った。 られて い る。 子供 の頃 ,か くれ んぼで 押入 れ の 中 Acousticsを 日本語 に訳す と「音響学」 であ るが にか くれた時 に も,や は り同 じよ うな経験 を した 中国 で は「 声学」 なのだそ うで あ る。音波 はあち 憶 えがあ る。押 入れ も無響室 の特性 を幾分 か持 っ らで は声 波 とい うので あ ることは,工 学部 の あ る て い ると言 え るか も知 れな い。 先生 か ら教 えて いただい た。 我 々の 日本語 と して , また無響室 の 中で声 を出 してみ ると,そ の声 が の感覚で は “声 "は 日か ら出た音 の ことにな るが 何 とな く心 もとな く聞え る もので あ る。 この部屋 中国 で は別 の意 味 が あ るのか も しれ ない。 そ う思 の 中で は壁 か らの反 射音 は ご くわずか で ,事 実上 って語源 辞典 を調 べ てみた (漢 字 の語 源 ,山 田勝 聞え る音 は 日か ら直接耳 に達す る音波 か ,あ るい 美著 )。 は声 帯 か ら体 内を伝 わ って耳腔 に達 した音 だけで , , 御承知 の通 り,声 は古 くは難 で あ った。 これ は 石製 の打楽器 で あ る啓 (け い)の 音 を耳で 聞 くこ あろ う。 この よ うな経験 は,逆 に我 々の 日常生 活が いか とと関係 が あ り,楽 器 の音 ,さ らには一 般 に「耳 に音 の波 に囲 まれて い るかを教 えて くれ る。 我 々 に聞え て くる音」 の意 にな った との ことで あ る。 -11- ここで馨 の 中 にある耳 に御注 目いただ きたい。 こ の意味で あろ う。 また「 お と」 は訪れ るの意 味 も れは受信器官であり,日 本語で声 とい うときに含 あ り,外 か らや って くる ものの意で あ ろ う。他方 まれる発信器官 としての日か ら出る音の意ではな 「 こえ (こ ゑ)」 は ど うで あろ うか。「祇 園精舎 い。次 に「音 」はどうであろうか。 これ は「言」 の鐘 の こえ 」「木 を倒す斧 の こえ」 な どとあ って の下部 の回の中に一画を加えて「言」 と同 じ意味 これ らも「 ものお と」 といえ よ うが ,こ ち らは人 を表 した字で,日 の中の「一」は舌を表 している によ って コ ン トロール され た “お と "の 意味 に解 のだそうである。音 と言 の上部は画数は一つ違 う 釈 され る。 こえは,人 や動物 の発す るお と,あ る が確かに似ているうえ,現 代中国の発音 で も,音 いは それ らによ って制御 され たお との意で あろ う。 は yin,言 は yanで ,や はり似ている。音 の方は この よ うにみて くる と,啓 は「 お と」 と読んで 日か ら出る「おと」を表 している。古書 に「声 の もよか ったので はないか と思 えて くる。 また音 は 文 (あ や)を 成せ る, これを音 とい う」 とあり 「 こわね」 か も しれな い。音 に関 して は「 ね」 の , "こ わね"薔 うた ごえ"の 意味だとい う。我 々はど うや ら声や音 の語源 とは違えて使 っているらしい。 , , 読 みが古来 あ るわけだが ,お とは適切 で はなか っ たよ うに思 え る。 それでは,や まとことばとしての「おと」はど 英語 の acousticsに 対す る訳語 が , 日中で音響 うで あろうか。有名 な歌や俳句 に,「 あききぬと 学 ,声 学 と異 な って い るのを知 って , しろ うとな めにはさやかに みえねども かぜ のお とにぞ が らに調 べ てみて ,あ て ず っぱ うの よ うな見解 を おどろかれぬる」「 バゝるいけや 並 べ て み ま した。 かわず とびこむ みずのおと」などとあ るか ら,お とは「 ものおと」 パ ソ コンによる会計処理 プ ロ グラムの作成 樫 村 圭 造 (物 理 ) 会 計処 理 を行 な う場合 ,従 来で は汎 用 の コ ンピ なわれて い る現在 で も,パ ソ コ ン用 の汎用会 計 プ ュー タか会 計用 の専用機 が必要 で した。 マ イ コン ログ ラムで は大学等学校 の会 計処理 に は使 いに く が誕生 して約 10年 にな り,初 め は 4ビ ッ ト ・ マイ い点 が数 多 くあ ります 。 ク ロプ ロセ ッサで したが ,そ の後 8ビ ッ トにな り , パ ソ コ ン用 プ ログ ラム言語 で圧 倒 的 に使 われて BASICで 現在 で は16ビ ッ ト・ パ ソ コ ンに移行 して お ります。 い るのが 16ビ ッ ト機 は事 務処理 に必要 な,メ モ リーの大 き す く使 いやす い ことをね らって 設計 された入 門向 さが確保 で き,ま た補助 の メ モ リーで あ るデ ィス き言 語 の ため,簡 単な プ ロ グ ラム開発 に使 うな ら クの容量 ,ス ピー ドとも十 分 な もの に な り,又 価 ば十 分 で す が ,こ れで プ ログ ラムを作成 して も 格 も手 ごろにな って きま した。 フ ァイル処理 な どテ クニ ックが必要 で あ り,又 構 物理教 室で は過去 三機種会 計 の専用機 を使用 し ま したが ,ハ ー ドとの関係 で プ ロ グ ラム を ユ ーザ す。 これ は初心 者 が学 びや , 造化 されて いないため ,プ ロ グ ラム開発 が しず ら く,事 務処理用 には十分 とは言 え ませ ん。 ーが作成す る ことは難 しく,ま た仕様変更 につ い 最近 にな り汎用 コ ンピュー タに使 われて いる コ て もその度 にメ ーカ ーに相 談 しな けれ ばな らな い ボル言語 が パ ソ コ ンで も動 くよ うに な って きま し 状況 で した。 た。 この事 は と りもなお さず COBOLが 一 方 パ ソ コ ンに おいて は ソフ トの流通 が広 く行 -12- BASIC よ リ ビジネ ス には向 いて い ると言 う ことです。 COBOLは 大量 デ ー タを取 り扱 う事務処理 用 の言 移行 で きるよ うに しま した。漢字 な どの キ ー入力 語 と して開発 された プ ログ ラム言語 で 高度 な処理 をす くな くす ると共 に修正 も容易 に,キ ー操作 を 能力 を備 えて い ます。 ビジネ スに は不可 欠 の 日本 語処理機 能 を追加 した ことで,漢 字 を含 む 日本語 誤 った場合 の エ ラー処理 も簡単 に し, これで誰で もデ ー タ入 力がで きる様 にな り,会 計処理 に専任 デ ー タの取 り扱 いが 簡単 に行 なえ ます。 機種での の オ ペ レー タ ーを置か ないで も済 む よ うに しま し 変更部分 は僅 かで あ り,ユ ーザ ーが プ ロ グ ラム を た。 開発 す る上 で操 作 が しやす く,後 での変更 も容 易 で あ り,以 上 の ことか ら今 回 の会 計処 理 には パ ソ コ ンで は会計専用機 に は出来 ない ヮー プ ロ , CO デ ー タの グ ラフ化 ,デ ー タベ ース,表 計算 な どの 会 計処理 プ ログ ラムを作 成す る上 で注意 した こ 簡易言語があ り,広 く一般 に流通 しているので これを使えばパ ソコンを会計の専用機 として使 う BOLで 作成 しま した。 , とは,専 用機 を使 って いた人 (キ ー ボ ー ドが ブ ッ だけでな く (現 在 ワープ ロに も使 っています), クタイプなので初心者 には使 いやす い)が スムー 稼働率が高 くなるので望ま しい事です。 スにパ ソ コ ン (キ ー ボー ドが タィプ ライタ型 )に 理 学部長 と理 学部職員組合 の交渉 理学部長 と理職 の定例 交渉 は 9月 20日 お よび10 規採 用 によ って 全員補充 して欲 しい。」 と し , 勤務延長・ 再任 ,定 員化 を希 望す る職 員 の リス 月22日 にお こなわれ た。主 な 内容 は以下 の とお り であ る。 トが提 出 され た。学 部長 は共 鳴で きる点 も多い 1.人 事院勧 告 について が情況 は大変厳 しい。理学部 と して も人員確保 8月 10日 出 され た人 事院勧告 につ い て,昨 年 のために各方面 に働 きか け最大 限努 力 した い。 」 , と述 べ た。 一 昨年 にひき続 き今年 も完全実施 が危 ぶ まれて い る事態 に対 し,理 職か ら理学 部 お よび東大 当 3.教 務職員 の助手振 替 について 局 も独 自に人勧完全実施 の ため に努 力 して ほ し 理学 部で は該 当者 全員 につ いて概 算要求 を出 い と強 く要 望が な された。 これ に対 し学部 長 は 理職 の人勧完全 実施 の要求 は当然 で あ ると理解 した ことが確認 された。 4.技 術 系職員職務 内容調査 について を示 し総長 に も伝 え るが 東大 と して は国大協 を 文部省 の標記調査 につ いて 学部 長 は,本 人 の 通 じて 申 し入れ をす ることにな ろ うとのべ た。 記載 内容 に対す る要望 を参考 に して報告 した こ 2.昭 和60年 3月 の定年制実施 に伴 う対応 につい とを言 明 した。 5.健 康 問題 ア ンケー て 理職か ら「理学部 にお ける教育 と研 究 を守 る ため,標 記の欠員を行 (二 )を 中心とする勤務 延長 0再 任 用 ,定 員外職員 の定員化 ,そ れ に新 ―-13- トにつ いて 理職 との 間で合意 した健康 ア ンケ ー トを近 日 中 に実 施す ることが確認 された。 O ≪学部 消息 ≫ 教 授 △ 9月 12日 (水 )定 例 教 授 会 10月 17日 (水 )定 例 教 授 会 理 学部 4号 館 1320号 室 議 題 理学部 4号 館 1320号 館 (J 前 回議事 録承 認 曖)人 事異動等報告 Q 研究生 の入学 につ いて 議 13)研 究生 の 入学に つ いて 14)昭 和59年度 奨励研究員 の受 入れ につ (5)寄 附 の受入れ につ いて いて G)人 事委 員会報告 仔)教 務委員会報告 侶)ア イス ラ ン ドの遭難事 故 につ いて の (1)前 回議事 録承 認 12)人 事異動等 報告 14)研 究生 の期間延長 につ いて (91 そ 題 15)昭 和 59年 度 民間等 との共 同研究 につ いて 16)人 事委員会報告 17)会 計委員会報告 他 18)企 画委員会報告 0)東 京大学理学部発 明委員会規程 の一 部 改正 につ いて 10 そ の 他 〔 次回以 降開催 予定 日,11月 21日 因 12月 19日 印 ,昭 和 60年 2月 20日 レ 熾 ● -14- 3月 1月 16日 囚 20日 い0 , , 人 事 異 動 報 告 1嗜 離 富 職 懺 質:萎 師 地 茸 講 ‐ 師 麺 鱈 講 鯖 地 箕 議 願 名│ 蠅 壽 離 lll 柵 山 朧 lll 権 山 博 之 氏 響 山 鸞 之 地 物 働 教 齢肺 数 学 情 報 鸞 師 動 数 疲 Лl又 丼l・合 情 報 地 藝 機 教 授 働 毅 捜 Лl合 小 棄 【 動 手) 地 質 繁 砒 権:物 働 勘 助 化 学 物 理 轍 物 躙 助 峨 fti拳 化1学 鰤 (職 鼈 欲 助 動 勘 手 手 手 子 皐 手 ― T‐ 手 撃 即. 事務量 産 事務 菫 曇 .岬 .目 8:』 鍬 皿 &lo.舞 .m ai‐ .臨 1屁 融 m.‐ 静 欝 蔵 曇勁澤褥 鼻 任 &‐ 昇 10弼 16 直 怪 周 1`昇 mi饉 澤 換 759;im l 齢1謄 爛・ ml‐ 渡 過 : : :壼 表 復 水,野 目 平 1■ 配 m16 .採 臓 ‐ lQ 16 爆 晦 担 ■ : │` ■ r ― 151‐ I 1聯警啓 鉤 蹴 蝙 構 ンター 1m鏑 用 庸 =黎 灘 置換 F ンフォ‐卜麺 勒 騨 晉ィ 帰 m ilQ J 礫.用 頭 `魅 駒 助動 ら 奉鋳 .職 柵 山 灘■Al1 59,=&‐ 1 鰻‐ 前 ЛI昌 平 59,磁 l撫 ‐ 用 農 国 褻 孝 露.射 1攘 .用 佐 朦 審 罐 識 婁 7撞 ,畿 獅 LL 諄 成 馴器 篠 叡 新 1齢 勅 置1 叫 ■脱‐1 転 動1倉1薄 蔦 角 1回 1撤 一 真:下 楢 廊 薄 t 働 凱 1臨 備 隠 れ , │ 枷 醜 燿 識 動 :か ら 理 学博士 の学位 授与者 〔 昭和 59年 9月 25日 付 専門課程 文 博 宮 論 名 氏 士 武 寄 同 杉 本 同 松 原 聰 同 有 光 直 子 秀 bCC金 `∠ 彦 海 生 化 官職 教 授 宮 沢 辰 属中水素 の存在状態 と拡散過程 の研究 渡 雄 (1名 )〕 ン 者 航 月) 渡 航先 国 イ 渡 航期間 ド 渡 航 目 的 9.15∼ 9126 第 11回 生 物系磁気 共鳴国際会議 出 席 の ため 理 教 授 和 田 昭 允 シ ン ガ ポ リレ 9.10∼ 9 13 物 理 教 授 宮 本 健 郎 連 物 る微小球運動 とそれによって ヘ キサ タ ングス トー 白金 (Ⅳ )酸 及 び ヘ キサ モ リブ ドー 白金 (Ⅳ )酸 ポ リアニ オ ンの 合成 と構 造 外 名 氏 題 多結晶 リシウムによるX線 非弾性散乱 の理論的研究 (9 所属 課 バ リウムおよび ス トロンチウム珪酸塩 の鉱物学的意義 旭 李 文 塔塚景帰侑 垢群笑 星 〔 昭和 59年 9月 29日 付 学 (4名 )〕 王 合 国 ア ジア・ ュ ダャ人会議 出席 のため 9 10∼ 9.20 国際原 子力機 関第 10回 プ ラズマ物 理 及 び制御核 融合 に関す る国際会 議 出席 の ため 地 物 助 手 数 学 助 手 中間子 助教授 中間子 助 手 西 松 島 藤 嶺 授 敬 アメ リカ合衆 国 9. 1∼ 9 22 「 部分溶融現 象 と地球型惑星 の進 秀 司 アメ リカ合衆 国 )1∼ .1 峰 夫 アメ リカ合衆国 9. 3∼ 9. 9 「 部分溶融現象 と地球 型 惑星 の進 和 彦 シ ンガ ポ ー ル 9,10∼ 9.14 第一 回 ア ジア人 ユ ダヤ人 コロキ ウ 信 一 ア メ リカ合衆国 9H∼ 謙 忠 ス イ ス 9. 2∼ 9.30 大強度 中間子・ 反 陽子 ビームに よ 禎 市郎 カ ナ ダ 9.20∼ 6:.14 大強度 中間子・ 反 陽子 ビームに よ 田 藤 沢 教 加 ヽ 水 理 斉 熊 教 手 授 助 学 物 数 地 物 栗 崎 化」 に関す るセ ミナ ー実施及 び地 球 内部構 造 に関す る打合せ のため 6♀ 高次元類 体論 の研究 の ため 化 」 に関す るセ ミナ ー実施 のため ム出席 のため 6:.鈍 代数群 の研究 の ため る原子核 。物性 に関す る調査 研 究 の ため る原子核・ 物性 に関す る調査 研 究 のため -16-‐ 所属 情 報 官職 教 授 氏 國 名 井 利 渡 航 先 国 泰 渡航期 間 ドイツ皇邦共和国 デ ン マ ー ク 9.6∼ 渡 9.16 報 助 手 山 口 和 紀 フィ ンラン ド デ ン マ ー ク 9.5∼ 916 人 類 教 授 埴 原 和 郎 ア メ リカ合衆 国 9.25-11 化 助教授 荒 田 洋 治 ン イ 物 教 授 松 野 太 郎 フ ラ こ 」 曇 びfう こ 昌 鳥 及 多 ツ ヮ 分 ↑ ックスに関す る討論 のため 3 自然人類学 に関す る協 同研究 のた め 9 15∼ 9 26 ド ン 9 15∼ 9 24 ス (10 理 助 手 物 佐 藤 朝 男 郎 治 一 手 康 徹 徹 助 明 田 原 素粒子 ス 的 リ す ラ璽 予 (2ワ fai鷺 濫 需 赫兄告 地 目 i薦 情 生 航 物系磁気共 鳴国際会議 出 TOGA(熱 帯 海洋 ,地 球大気 ) 研 究計画会議 出席 のため 月) ス 1011∼ 1030 10 ドイツ麟 砂尋口国 ス ス イ ぎ e 相 互衝 究「 LEP」 におけ る万能型測定装 置「 OPAL」 建設 のための調査研 究 のため 6-10 18 第 7回 高 エ ネ ル ギ ー重 イオ ン研究 会及 び研 究討論 出席 の ため 6:.譴 代数的サ イ クル に関す る研 究 のた め イ 10 17∼ 12.23 照葉樹 林帯 の植物 地理 学的解析 と フ ロ ラの 系統分類学 的調査研究 の ため 人 ア メ リカ合衆国 10. 9-10.18 原子核構造研究 の方 向 に関す る国 際会議 出席 のた め 第 7回 高 エ ネル ギ ー重 イオ ン研 究 会 出席 の ため フ ラ ン ス Ю .7∼ ドイ漕 砂場口国 手 矢 物 理 教 授 有 馬 物 理 助教 授 永 宮 治 ドイ)減 蓼『共和国 10 地 理 助教 授 小 堀 巌 フ 地 物 助 手 松 井 典 アメ リカ合衆国 10.13-10.19 月 の起源 に関す る会 議 出席 のため 物 理 助教 授 神 部 勉 ア メ リカ合衆国 10.13-10.24 第 9回 空力音響 学会 議 出席 のため 化 学 教 向 山 昭 ア メ リカ合衆 国 10.15-10.27 日米科学共 同研 究「 新 しい高選択 的有機合成反応 の 開択」実施 のた め 志 アメ リカ合衆 国 Ю ■ 6∼ 郎 中華人民共和 国 10 27∼ 11. 6 昭 アメ リカ合衆 国 10 20∼ 6: 30 田 6-10 15 10.1-10.lo ン ス スダ 国 衆 ︿口 イ ナ カ 飯 授 ラ メ 教 タ スカ ア 嶺 中心 一 永 謙 修 理 助教 授 孝 寛 健 博 物 手 授 手 物 理 理 鉱 物 物 中間子 授 朗 正 助 本 原 植物 園 森 宮 相 塩 学 助 教 助 助教 授 数 6:.掲 地理学 に関す る研究連絡 のため 隕石 中 の鉱物 に関す る研究連絡 の ため 中国核 融合開発研 究 の現状視察 の ため 星李署業基箱壇窯 電番 出実験」実施 の ため j黒 通享揉 10.26-11.30 大 強度 中間子・ 反 陽子 ビームに よ る原子核・ 物性 に関 す る原子核・ 調査研 究 のため 10.28∼ 11.11 -17- 第 4回 国際 フェ ライ ト会議 出席 お よび研究連絡 の ため 一 不 井 回 泰 名一 氏 ・ 職 撰 官 教・ 属 報 所 情 渡航 先 国 カ ダ地 .斑 ∼ ナ 1■ 渡 6撼 ルギー」 「 省 エネー の 日 で す。 18- 的 鶏編な 楚女 ダ 傲2咽 毎 月│:1 日 は ― 航1目 耐 … … │あ 1 … …・ =壺 ― ・・ ‐ =・ ==活 =一 ・ なたです/ 火事を出すの も ‖ 防 ぐの も : 松 野 佐佐木 田賀井 尾.本 矢 崎 太 行 篤 意 紘 編集 郎 鮨働 ") ヒ 学 表 くイ 平 (鉱輸 市 (人 類) ― (物 勘 1内 線 ´ 412199 350 4i544 482 4123 4‐ 4‐
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