中学生人権作文コンテスト 「希望が生まれた友達の一言」 土岐市立泉中学校三年 渡辺 佳穂 優秀賞 てきました。なぜ私だけこんな体なのかと自分を嫌いに もなりました。 こんな事を言われた私は運動会に出るのをあきらめよ うと思いました。でも、次の日教室に行ってみると友達 私は生まれつきの障害者です。今私は普通の子と同じ ように地元の中学校に通っています。でも、ここに来る までにいろいろな事がありました。そこに、いつも支え から、 「この踊り、一緒に練習しよう。ここ上手にできないか ら教えて。」 てくれ、そばにいてくれたのは今周りにいる友達でした。 と、私が一緒に運動会に出るという前提で話してくれた 保育園に入園する前、私は入院したり退院したりの繰 のです。この一言が私の気持ちを前に向かせ、私の心を り返しでした。それでも保育園に行きたかった私は近く 強くしてくれました。そして運動会に出ようという決意 の保育園に入園するための手続きをしに行きました。最 ができました。私の担任は障害者の私として見たけれど、 初は笑顔で、迎えてくれた先生は、だんだん私について 友達は私をクラスの一員として、友達の一人として見て 母の話を聞くうちに笑顔が消えていきました。最後には、 くれたのです。 「すみませんが、お子さんを引き受けることはできませ ん。」 と、断られてしまいました。帰る時、母が車をもってく 私はこの時、お互いの一人一人の個性を認めいかせる 言葉がけや行動することがよりよい社会をつくる第一歩 となりとても大切なことだと思いました。 るから待っていてと言われたので待っていると子どもの 将来、日本の社会が障害者、外国人を問わず、対等な 遊び声と共に聞こえてきたのは先生たちの恐ろしい言葉 関係で生活ができるのが私の夢です。今の日本も一緒に でした。 生活はできていますが、対等な関係であるかと問われた 「障害者の子どもって、どう扱えばいいのか分からない ら、そうではないと思います。設備が整っているのに外 し、面倒なのよね。」 国人や障害者というだけで入れない所が多いです。でも、 この時の私は小さかったのでどう思ったのかは覚えてい そういうものにしばられず普通に接してくれる人もいま ませんが、深い悲しみと疑問が残ったことは覚えていま す。スポーツもできないものがあれば、どうにかしてで す。この疑問が小学校二年生で問われることになるとは、 きるようにしてくれる人もいます。そういう人が一人で この時は想像もしませんでした。 もいれば、もっと関わり合えると思います。 小学校二年生の運動会が近づいてきた頃、私はこの年 どんな障害を持っていたって、どんなに文化が違った の春、調子を悪くして車いすでずっと生活をしていまし って、みんな人なのです。人を否定することは自分を否 た。運動会は出れるかどうか不安だったけど母が競技に 定することと同じです。みんな同じ人間だと思えば、も 出れなくても応援合戦だけでも出ればいいと言ってくれ っと関われるはずです。もっと広い心で周りを見ていっ ました。私は小学校一年生の時は入院していて運動会に てほしいです。それに、人を認め、分かり合えれば、誰 出れていませんでした。なので、とても楽しみにしてい もが安心して生活のできる社会となります。こういう心 たのです。でも、担任にそれを言ったら、 を、この日本で大切にしてほしいと思います。 「佳穂さんは運動会には出ないで下さい。佳穂さんが出 私は小学二年生の時、友達が私を認めてくれたことを るとあなたの団が負けますから出ないで下さい。」 きっかけに様々なことを考えさせられました。そして、 この言葉を言われた時、一瞬、何を言われたか分かりま そのきっかけをつくってくれたのは私の周りにいる友達 せんでした。そして、保育園の頃より大きな疑問が浮か でした。私は今回のことをきっかけに何か変われそうな びました。 気がします。あなたも周りを見てみれば様々な人がいる 「なぜこんな事言われなければならないの。私はそんな と思います。でもそれはその人自身の個性です。個性を にいてはだめな存在なの。」 認め尊重し合い初めて絆が生まれ、よりよい社会を作る その先生を、私はとても信頼していました。だから、私 ことが大切なことだと思います。恐れずに勇気を出して の心の中は、とてもつらく、深い悲しみと、うらぎられ 声をかけてみて下さい。あなたの中の何かが変わるかも たという思い、それに対する激しい怒りが強く込みあげ しれませんよ。
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