論文内容の要旨

う
ふくけん
子福堅
学位の種類博士(法学)
学位記番号法博第 9 8 号
学位授与年月日
平成 2 3 年 9 月 1 4 日
学位授与の要件
学位規則第 4 条第 1 項該当
研究科・専攻東北大学大学院法学研究科(博士課程後期 3 年の課程)
法政理論研究専攻
学位論文題目
ResearchonEthnicNationalismo
ftheDevelopingCountries
(途上国のエスニックナショナリズムに関する研究)
論文審査委員
(主査)
教授大西仁
准教授阿南友亮
韓冬雪(清華大学)
朱安東(清華大学)
論文内容の要旨
本論文の主要な目的は、近年多くの発展途上地域で台頭している新たな理論枠組みを創
ることにある。
以下、論文の構成に沿ってその概要を述べたい。
序論に当たる第 l 章で、筆者は、まず 1990 年代以降、アフリカ、ラテンアメリカ、ソ
連・旧東欧諸国をはじめとする途上地域で、 ethnic identity 意識の高まりを背景に、多
くの ethnic 集団が独立や自治を求める運動を展開するようになり、時には大規模な社会
紛争が発生している事実を指摘し、本論文では、そのようなイデオロギーや社会運動を
ethnic nationalism と呼ぶこととし、これを主な考察対象にすると述べている。
そして、従来の nationalism 理論や各国史研究の文脈では今日なぜ激しい ethnic
nationalism が特定の途上地域で現れているかを解明することが困難であることを指摘し
た上で、近年の途上地域の ethnic nationalism を分析する新たな理論枠組みとして、以
下に詳述する structured
analytical framework が求められているのではなし、かという仮
説を提示している。
第 2 章では、 ethnic nationalism を構成する key concepts である nation と ethnic 集
団に関する従来の様々な概念規定を概観した後に、これまで展開されてきた主要な
nationalism 理論についてやや詳しく論じている。
すなわち、
18'"'-'19 世紀に反啓蒙主義のイデオロギーとして政治の表舞台に登場した
nationalism を、カント、マルクス、ヴェーバー、デュルケームなどの古典的大家達がど
う捉えたかを述べ、スミス
(Anthony
S
m
ith) 、ギデンス
(Anthony Giddens) 、ホブスバウ
ム (Eric Hobsbaum) 、アンダースン (Benedict Anderson) 等の現代を代表する nationalism
理論のあらましを紹介している。そして、社会的諸条件と政治主体の意識というこつの軸
を用いて、これらの諸理論の mapping を行っている。
このような議論を踏まえて、筆者は、 1990 年代以降に多くの途上地域で台頭している
e
t
h
n
i
cnationalism
を理解するためには、社会的諸条件と政治主体の懐く意識の相互作用
が生み出す社会構造 (social structure) の変化に着目することが必要であると主張し、
これを structured
a
n
a
l
y
t
i
c
a
lframework
と名付けている。より具体的には、 1990 年代以
降に世界的規模で、グローバリゼーションが深化すると共に、いくつかの nation-state 内
では「国内植民地主義 J
C
internal colonialism)
の傾向が強まり、その一方において、
1970 年代、 1980 年代以降、途上地域において多くの民衆が民主化を求める運動に参加す
るようになり、これらの諸要因が複雑に絡み合う中で、 1990 年代以降、ある途上地域では
e
t
h
n
i
c nationalism
がさほど高まることはなく、別の途上地域では ethnic
n
a
t
i
o
n
a
l
i
s
m
が台頭し、その台頭の態様は様々で、あったという仮説を提示している D
第 3 章、第 4 章、第 5 章で、は事例研究を行って、そのような理論枠組みの有効性を検証
している。
第 3 章では、 1994 年に大量虐殺が発生したルワンダの ethnic nationalism を取り上げ、
次のように分析している。すなわち、ルワンダは、 1962 年にベルギーから独立した直後か
ら、公職における人種に基づくクオータ制の採用を含む「民主的」制度を採用した。しか
しながら、これによって、多数民族フツによる少数民族ツチの抑圧が起こって国内の政治
的対立が激化し、長期にわたり政治的・社会的不安定が継続した。 1990 年代に入ると、グ
ローバリゼーションの進行に伴ってルワンダの対外債務は急激に膨らみ、政府機能が低下
した。そこで政権を握るフツ族のリーダーは、民衆の不満をそらすために、ツチ族に対す
るフツ族の憎悪と危機意識を煽り、その結果、 1994 年の大量虐殺が発生した。
第 4 章では、メキシコ、ペルー、チリ、ボリビアをはじめとするラテンアメリカ諸国で
2000 年代に入ってめざましく台頭した先住民の運動について次のように論じている。すな
わち、 1980 年代以降、多くのラテンアメリカ諸国で、グローパリゼーションの主流ともい
うべき「新自由主義政策 J が実施され、先住民の貧困化が急速に進んだ。ところがラテン
アメリカ諸国でも対外債務の膨張によって政府機能は低下し、政府が先住民の貧困化の問
題解決に取り組む姿勢は乏しかった。
その一方において、グローバリゼーションの別の側面が先住民の ethnic
n
a
t
i
o
n
a
l
i
s
m
を促すことになった。すなわち、 1980 年代頃から、国連の諸機関が先住民の権利を推進す
る立場を前面に打ち出すようになり、 2007 年には総会が「先住民の権利に関する宣言」を
採択するに至った。その結果、ラテンアメリカでは先住民の権利意識が急速な高まりを見
せるようになり、先住民の権利実現を要求する運動は正当化されているとの受け取り方が
ラテンアメリカ社会に急速に広がった。そして実際、多くのラテンアメリカ諸国で、先住
つ山
民の政治的地位の上昇とし、う成果が得られた。
第 5 章で、筆者は 2008 年 5 月の「ラサ事件 J 、 2009 年 6 月の「ウルムチ事件」で国際的
にも注目されるようになったティベット自治区及び新彊ウイグル自治区における ethnic
nationalism について以下のように考察している。すなわち、これらの中国の辺境地域は、
元々生活環境が厳しい地域で、あったが、中国が文革後に改革開放に進む中で社会・経済的
発展から取り残されたため、これらの地域に住む少数民族は不満や危機意識を高めていた。
中国は、建国以来、ティベットや新彊において高度の地方自治制度を採用しているが、改
革開放が進むにつれて漢族がこれらの地域に大量に流入した結果、既存の地方自治制度は
少数民族の権利やアイデンティティを保障するものとして十分に機能しなくなった。ここ
で近年のグローバリゼーションの一側面である IT 、特にインターネットの普及によって、
少数民族とりわけティベット族、ウイグル族の ethnic nationalism 運動は動員のための
強力な道具を獲得することができ、急速に活発化した。
中国には、民主化が ethnic 集団間の対立を激化させる大きな要因として働いたとの見
解がある。筆者も、それが事実である面があることは否めないとするものの、他方におい
て、中国辺境部における ethnic 集団間の紛争を解決する手段として更なる民主化が有効
であるとの意見を提示している。より具体的には、中国の地方自治制度に多文化主義
(multiculturalism) の原理を大幅に取り入れることを提案している。
第 6 章では、筆者は、結論として、グローバリゼーションがますます進んだとしても、
国際社会において国民国家が唯一の有力な権力主体であるという状態は長期にわたって
維持されるだろうと予測した上で、そうである以上は、今後も、少数の ethnic 集団が国
際社会において nations と同等の地位を求める ethnic nationalism の運動を絶えず起こ
すことになるだろうとの見通しを示している。
論文審査結果の要旨
本論文は、冒頭で述べたように、途上地域における ethnic nationalism の新しい理論
枠組みの確立を目指すものであったが、その成果については以下のように評価できる。
第一に、筆者は、本論文において、 ethnic nationalism の新たな理論の構築を試みる前
に、従来の nationalism に関する主要な理論を省察している。これまで nationalism に関
しては膨大な理論の蓄積があるが、筆者は、 19 世紀初めから現代に至る nationalism の理
論の中で重要なものをほぼ網羅して、一つ一つ丁寧な考察を加えており、それらを基礎と
して独自の議論を展開している。
第二に、筆者は、近年の途上地域における ethnic nationalism を理解する上で従来の
諸理論はどこに不備があるかについて、説得力のある議論を展開した上で、既述のような
独自の理論枠組みを提示している。このことは、理論に主要関心を置く本論文の最も大き
丹、
υ
な成果と評価できょう。
第三に、筆者は、上記の理論枠組みの有効性を検証するために、 1990 年代のルワンダ、
2000 年代のラテンアメリカ諸国、 2000 年代の中国辺境地域における ethnic n
ationalism
運動分析を行っており、高水準の事例研究となっている。もっともいずれの事例研究も二
次資料に依拠することが多く、ルワンダ、ラテンアメリカ諸国の研究においても主として
中国語や英語の文献を用いている点で、本格的な地域研究に比べてやや見劣りがするが、
上記の理論枠組の有効性を示すという目的は十分に達成していると見ることができょう。
第四に、筆者が、中国辺境地域における ethnic nationalism の事例研究において、民
主化が ethnic 集団間の紛争激化の一要因として働いたという現実を認める一方で、 ethnic
集団聞の紛争の解決のためには民主化を止めてはならないという信条を示し、さらに地方
自治制度への多文化主義の大幅な導入がその具体的政策たり得ると論じている点は、理想、
と現実の狭間で自らの学問的知見を社会に生かそうとする誠実な姿勢が窺え、共感を覚え
ずにはいられない。
以上により、本論文を、博士(法学)の学位を授与するに値するものと認める。
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