EY Institute 企業と日本経済への円安の影響 EY総合研究所(株) 経済研究部 エコノミスト 鈴木将之 • Masayuki Suzuki シンクタンクを経て、2014年3月、EY総合研究所 (株)に入社。専門はマクロ経済分析、計量経済学、産業連関分析。これまで、中期日 本経済予測をはじめとして、日本経済の構造分析、計量分析に従事。現在、円安の影響などを中心に、日本経済の研究・調査を行う。 Ⅰ はじめに ▶図1 Jカーブ効果 貿易黒字 2012年末からの半年間で、為替レートは対米ドル で約20円も円安になりました。それまでの円高とい 為替レートが 円安に転じた時点 う重しが取れたことで、やがて輸出が増えると期待さ れました。 しかし、その期待とは裏腹に、これまで輸出の回復 時間 は緩やかなもので、むしろ伸び悩んでいるという印象 が強まりました。その一方、輸入の伸びは堅調で、貿 易赤字の状態が2年以上も続いています。 こうした中、企業と日本経済の成長の対比が見られ るようになりました。輸出の伸び悩みから日本経済の 貿易赤字 成長が鈍化する中でも、輸出企業を中心に、企業業績 は着実に回復しているからです。 本稿では、こうした状況を踏まえながら、今後の企 業や日本経済の成長について考えます。 過去を振り返ると、円安になってから貿易収支が改 善に向かうまで、半年から1年程度の時間がかかって きました。そのため、12年末からの円安では、貿易 収支が改善に向かう時期は、13年半ばから14年にか けてとみられていました。 Ⅱ 伸び悩む輸出とその原因 実際、13年半ばから、輸出は前年の水準を上回る ようになりました。しかし、その回復は弱く、貿易赤 為替レートが円安に転じると、いわゆる「Jカーブ 効果」によって、貿易収支が改善に向かうとされてい ます。それは、円安によって貿易収支(=輸出−輸入) 字が続いた上、14年の輸出が伸び悩んだので、今回 のJカーブ効果は不発という見方が増えました。 それでは、なぜ輸出は伸び悩んでいるのでしょうか。 がいったん悪化してから改善に向かう軌跡が、アル 以下では海外需要と、為替レートを含む輸出価格とい ファベットの「J」を描くことに由来します(<図1>参 う二つの輸出の決定要因から、その原因を考えます。 照)。貿易収支がいったん悪化する理由は、外貨建て まず、海外需要をみると、13年半ばごろに欧州や 比率の相違などから、円安によって輸入額が輸出額に 中国の景気の不透明感が強まるなど、世界の景気が減 先行して増えるためです。その後、輸出が増える影響 速したことが分かります。輸出先の需要が弱ければ、 の方が大きくなり、全体では貿易収支が改善します。 輸出が増えないのは当然のことといえます。 6 情報センサー Vol.101 February 2015 また、輸出が伸び悩む一因として、リーマンショッ をみると、13年の証券投資の配当(5.3兆円)は10 ク前に拡大していた経常収支不均衡(グローバルイン 年前に比べて約4倍に、直接投資の配当(4.8兆円) バランス)の縮小も挙げられます。米国では、製造業 は約5倍に、さらにロイヤルティーなど特許等使用料 の回帰によって輸出が増える一方で、シェール革命に 収入(3.1兆円)は約2倍に増えており、これらの海 よって資源エネルギーを中心に輸入が減り、貿易赤字 外からの収益還流が収益源としての重みを増している が縮小しています。欧州では、ドイツの輸出が堅調な ことが分かります(財務省・日本銀行「国際収支統 一方で、南欧諸国の貿易赤字が減っており、全体と 計」)。 して赤字幅が縮小しました。それらに伴い、世界の 工場の役割を担ってきた中国や東南アジア諸国連合 (ASEAN)の貿易黒字も縮小しています。こうした変 化は、日本の輸出を増えにくくしています。 次に、価格要因をみると、円安になったからといっ て、輸出企業は、海外向けの輸出数量を増やすための 輸出価格の引き下げに必ずしも踏み切っていないよう ▶図2 輸出と海外現地法人売上高の推移 (兆円) 海外現地法人売上高 輸出額 60 50 40 です。例えば、企業は現地の販売価格を安定させる戦 略を取っていたり、移転価格税制による事前の取り決 めがあったりするので、販売価格をすぐに変えない傾 向があります。 さらに、生産拠点の海外移転という構造変化の影響 30 20 10 が大きいようです。これまで日本企業は、円高対策や きました。また、国内よりも、成長が期待できる海外 に経営資源を投入した方が収益性が高いことも、海外 移転の動機になっています。この結果、生産能力自体 0 (年) 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 コスト削減を理由に、国内の生産拠点を海外に移して 出典:経済産業省「海外現地法人四半期調査』 、財務省「貿易統計」からEY 総合研究所 (株) 作成 が低下しており、円安になっても輸出が増えにくい状 況になっています。 Ⅳ 企業と日本経済の成長という対比 Ⅲ 輸出を上回る海外子会社の売上高 このような変化の中で、かつては一致していた企業 と日本経済の成長の足並みがそろわなくなりました。 こうした中で、日本企業の収益の源泉は、輸出から 海外事業にシフトしています。 円安によって、海外展開する企業を中心に、業績が 改善する一方で、日本経済では輸出の伸び悩みから、 これまで、輸出が伸び悩む中でも、海外子会社の売 成長のけん引役を欠いた状態が続いています。輸出が 上高は堅調に伸びてきました。14年上半期には、海 精彩を欠くため、国内生産もあまり増えず、雇用機会 外子会社(製造業)の売上高は55兆円と、輸出額(35 や所得の向上を通じた内需の底上げという好循環にも 兆円)を20兆円以上も上回りました(<図2>参照)。 至っていません。 海外子会社の売上高には、日本から輸出した製品を加 見方を変えると、ここにビジネスの機会があると考 工・販売したものが含まれているものの、伸び率を比 えられます。海外展開している企業にとっても、日本 べれば、海外子会社の売上高が輸出よりも堅調に増え は依然として大きな市場であり、その活性化の恩恵は ていることが分かります。 大きいといえます。そのため、企業の経営戦略におい 日本企業のビジネスモデルは、輸出をテコに国内生 て、海外での事業展開と輸出の双方を生かしていくこ 産によって収益を上げることから、海外事業からの収 とが課題になります。それを考える手掛かりとして、 益還流へとウエートが変化しています。 以下では輸出と非製造業の関係に注目します。 実際、日本全体で、海外から国内に還流した所得額 情報センサー Vol.101 February 2015 7 EY Institute Ⅴ 輸出における非製造業の役割 体の約3分の1が、非製造業(12.0兆円)の付加価値 になる計算です。これらから、非製造業の輸出への関 輸出というと、想像されるのは主に製造業ですが、 実は非製造業も、その生産プロセスに深く関わってい わりが深いことを確認できます。 この状況を裏返してみると、輸出財・サービスの付 加価値を高めるためには、非製造業の役割が大きいと ます。 例えば、自動車の生産プロセスでは、ボディーの鉄 いえます。つまり、競争力の強化を狙った差別化や高 鋼、タイヤのゴム、内装のプラスチックなどの原材料 付加価値化においては、非製造業がカギを握っている が使われています。それらに加えて、原材料の輸入業 のです。 者のマージンや輸送コストに始まり、パソコンのリー 非製造業の付加価値を高めるための一つの方向性 スや広告などまで、幅広い非製造業が生産や販売に関 は、企画や研究開発など生産の前段階、製品販売時の わっています。ここから、輸出が非製造業に支えらえ 配送方法、製品販売後の管理・運用やアフターサービ ている構図が浮かび上がります。 スへの関わりを増やし、それらを強化することです。 それでは、非製造業は輸出財・サービスの生産にど これらは、生産プロセスにおいて一般的に付加価値が のくらい関わっているのでしょうか。それを確かめる 高い工程とされており、まさに非製造業の本業、得意 ために、輸出財・サービスの生産プロセスから国内に 分野です。 生み出される付加価値(労働者の所得や企業の利益な 一方、国内市場で、非製造業の企業は高齢化や人口 ど)を計算しました。これは、輸出が増えたときに、 減少など多くの課題に直面しています。いずれは、高 その生産活動を通じて、非製造業の労働者の所得や企 齢化の波は他国にも押し寄せるため、このような課題 業の収益がどのくらい増えるのかを捉えたものといえ を他国に先駆けて解決し、そのノウハウを生かすこと ます。 で、国際的な競争環境における非製造業の企業収益の その計算によると、12年の輸出財・サービスの生産 プロセスで生み出された付加価値は、製造業で27.5兆 成長をもたらすと考えられます。 非製造業の活性化には、雇用機会の創出や所得の増 円、非製造業で27.4兆円になります(<図3>参照)。 加を通じた内需の底上げという好循環も期待されま 全体の付加価値の約半分が、非製造業により、もたら す。この波及効果が高まっていけば、企業と日本経済 されたことになります。また、財輸出に限っても、全 の成長の足並みがそろうようになるでしょう。 ▶図3 輸出財・サービスの生産プロセスから生み出 される付加価値額 製造業 (兆円) 30 27.5 27.4 非製造業 Ⅵ 環境変化を成長の好機に そのような取り組みを進める上で、欠かせないもの 26.6 として、例えば、研究開発や多様性がある企業経営が 25 挙げられます。 20 しい知識やノウハウの蓄積にあり、その源泉の一つが 非製造業の企業における高付加価値化のカギは、新 15.4 15 推し進め、国内外の知見を高め、組み合わせていくこ 12.0 とが重要です。 10 また、新しい知識やノウハウのもう一つの源泉は、 企業内の異なる見方や意見を認め、まとめ上げる多様 5 0.8 0 研究開発です。そのため、これまで以上に研究開発を 輸出計 財輸出 サービス輸出 * 産業連関分析の均衡数量モデルに基づく。付加価値誘発額への変換に は付加価値係数を用いた。 出典:内閣府「SNA産業連関表」(2012年)からEY総合研究所(株) 作成 8 情報センサー Vol.101 February 2015 性がある企業経営です。例えば、若者、女性や高齢者 の労働力が、それに貢献する余地が大きいといえます。 こうした取り組みの必要性は認識されながらも、短 期的な利益に結び付きにくいため、企業は消極的な姿 勢になりがちでした。しかし、幸いなことに、企業を 取り巻く環境は変化しつつあります。例えば、政府の 成長戦略においては、女性の活躍に向けた取り組みな どとともに、企業経営者と投資家の双方が長期的な収 益性の向上を目指すようなコーポレートガバナンス改 革も、重要な柱の一つに位置付けられており、今後も これらの改革が続く見込みです。 このように、企業や日本経済を取り巻く環境の変化 を好機と捉え、前記のような課題に積極的に取り組んで いくことが、将来の成長に欠かせないと考えられます。 お問い合わせ先 EY総合研究所(株) 経済研究部 E-mail:[email protected] Information •「EY総研インサイト Vol.3」発刊のご案内 Publication EY総合研究所(株)の研究成果を定期的にお届けする機関誌「EY総研インサイト」Vol.3を発刊。各研究部か らのレポートに加え、特集では、日本再興戦略においても成長戦略の柱に据えられたコーポレートガバナンス改 革について、その内容と目指すべき姿について概観した上で、企業としての対応について考察しています。 <特集1> 成長戦略としてのコーポレートガバナンス 1章 【総 論】企業と資本市場の良好な関係の構築に向けて 2章 【各論1】2014年株主総会の議決権行使結果 ∼TOPIX100採用企業の分析を中心に∼ 【各論2】機関投資家の動向①∼議決権行使の状況 【各論3】機関投資家の動向②∼スチュワードシップ・コードへの対応 【各論4】ISSが2015年版議決権行使助言方針(ポリシー)を発表 【各論5】資本市場の環境変化:高まる被買収リスク <レポート> • 決済手段の多様化を促進する仮想通貨の普及 • 人口減少時代における地方創造のヒント −若者の地域離れを食い止めるために •「スチュワードシップ・コード時代」の情報開示は分かりやすく効果的に <特集2> EY総研フォーラム 第1回「課題解決先進国『新生日本』への道」開催報告 URL:eyi.eyjapan.jp/knowledge/insight/ 情報センサー Vol.101 February 2015 9
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