1月17日の門徒総会についてご報告いたします。 1,門徒総代交代について 2014年10月1日付を以て、小池善一氏が退任し、石垣義男氏が 就任しました。 2,納骨堂整備について ①本堂西側壁面を改修し、ロッカー式納骨堂を整備します。 大型区画(35×35×84cm)5区画 永代使用料 60万円・年次冥加金9万円(3000円×30年) 中型区画(35×35×41cm)48区画 永代使用料 30万円・年次冥加金9万円(3000円×30年) ②神明町内墓地を改修し、永代供養墓(合葬スペース)を整備し ます。 永代使用料 1体につき3万円・年次冥加金 無料 これらの納骨堂永代使用料および年次冥加金は、本堂改築基金 として管理し、10年後を目処に、本堂改築の基金とします。 3,神通寺 親鸞聖人750回大遠忌法要について 2016(平成28)年中に納骨堂を整備し、12月の報恩講法要を、 神通寺親鸞聖人750回大遠忌法要と併修します。 なお、ロッカー式納骨堂および永代供養墓の利用希望については、 神通寺までご連絡いただきますようお願い致します。 2015年 神通寺 念仏奉仕団旅行について 11月 11(水)〜12日(木) 納骨&清掃奉仕と京都伏見の旅 詳細は、来月号にてお知らせします。ぜひご参加下さい!! 第257号 (2015年 1月号) 〒506-0021 高山市名田町5-30 明林山 神通寺 あさと たかつな お昼1時と、夕方7時の2座あります。 終了後は、八軒町の大野光夫さんより、 中華そばを振る舞っていただきます。 お腹をすかせてお参り下さい! 住 職 朝戸 臣統 0577-32-3614(TEL/FAX) [email protected] http://www.jinzuji.com 神通寺報 配布スタッフの皆様(敬称略) 不破 朝子・三枝 勝・黒田 はな・中垣 久美子・中澤 一弘・塚本 清洋・中田 泰子・永富 登代子・ 石垣 美代子・洞口 義武・松尾 衿子・片岡 節子・畠山 正一・山田 敏郎・松本 文男・阿多野 正昭・ 中村眞一・柴田和子・安藤礼子・成畑 瑛子・松川 浩幸・大萱 勝・谷口 忠雄・ ※千島町・緑ヶ丘町の配布スタッフ募集しています!! 若田 義隆(新規) 1 第257号(2015年 1月号) ひ ょ う し ゅ つ ち ょ う し ょ う や ゆ ほ う け ん し ゅ ぎ の文化と、イスラムの教義への深い思いが込 められています。 ☆★☆★☆★☆★ もともとフランスは、革命によって封建主義 的社会を打倒し、成立した国家ですから、同 じく革命によって宗教的権威から解き放たれ たという歴史があります。ですから、宗教的 な権威を揶揄したり、からかったりするのは、 自分たちの独立と自由の象徴だという文化が あります。 一方、イスラム教の教義においては偶像崇拝 を厳しく禁じており、預言者ムハンマドの姿を描 くことさえもタブーとする文化があります。まし て、ムハンマドを侮辱されることは、自分自身が 侮辱されたのと同じような悲しい思いを持つ方も 多いのです。「敵対するもののいのちは奪っても 構わない」という過激派組織の行為は絶対に許さ れるものではありませんが、信仰を侮辱されて悲 しい思いをしているイスラム教徒の人はたくさん おられるのです。 それぞれの文化が違い、考え方が違い、価値観 が違う中で、今回の事件が起きました。ローマ法 王がコメントされたように、神仏の名において人 の命を奪うことは、あってはならないことです。 し ゅ う き ょ う て き け ん い ぶ じ ょ く て き た い ぐ う ぞ う す う は い う ば 第257号(2015年 1月号) 2 ロ ーマ 法 王 、ベ ネ デ ィク ト 十 六 世 。 連日、ニュースで緊迫した中東情勢の 様子が流れています。日本人が人質となっ たこともあり、対岸の火事とは言えない 状況の中で、私たちはこの問題に向き合 わざるを得なくなっています。 イスラム国と名告る過激派組織により、 フランスの新聞社が襲撃を受け、多くの 犠牲者が出ました。フランス国内はもと より、ヨーロッパ、そして世界中がイスラム過激 派に対して怒りを表明し、あらためてテロとの戦 いを誓うこととなりました。 このことに、宗教界から真っ先にコメントを出 されたのは、ローマ法王です。法王は、「神の名 において人を殺すのは愚かしい」としながらも、 「あらゆる宗教に尊厳」があり、何事にも「限度 というものがある」と指摘して、「他人の信仰に ついて挑発したり、侮辱したり、嘲笑したりする ことはできない」という考えを示されました。ま た、「言論の自由は権利であり、また義務でもあ るが、他人を傷つけることなく表出されなければ ならない」と諭されました。そこには、フランス ぶ じ ょ く て き し ゃ か い い ち ど う さ と げ げ ん ろ ん ち ょ う は つ む 同時に、他人の信仰を見下げたり、嘲笑したりする ことがないようにしなければなりません。 ☆★☆★☆★☆★ ひるがえって、私たち浄土真宗はどうなのでしょ うか。「仏教は争いを好まない教えなのだ。お念仏 は、いのちの尊さを大切に説く宗教なのだ。」と仰 る方もあります。その考え方も良く理解できるので すが、本当にそう言い切れるでしょうか。 親鸞聖人は、阿弥陀如来の救済によるお念仏のみ 教えをお示しくださいました。様々な苦悩を抱え、 自ら抜け出すことができずに沈み続ける私であれば こそ、 「必ず救うぞ。われにまかせよ。」 との願いを成就し、南無阿弥陀仏のお念仏となって 私に届いてくださるのです。 その教えをよりどころとし、お念仏申 してゆく生き方を示されていたにも関わ らず、私たち浄土真宗の教団は、阿弥陀 様のお救い(真諦)をこの世のいのちが 尽きてからという「死後のみ」に限定し、 生きているうちは世俗の社会体制(俗諦) に従いなさい、という教義理解に陥って いきました(真俗二諦)。つまり、自分 の都合の善し悪しで、二つの価値観を使 す く よ く の う ぞ く た い し ず い分けていく教義理解をしたわけです。その結果、 明治から昭和にかけ、国家が戦争に突き進んでいく 時代には、阿弥陀様の救いさえも世俗の価値観に引 き寄せて、戦争協力を賛美し、敵のいのちを奪うこ とが大切だという「戦時教学」を説きました。第二 次大戦を聖戦と位置づけ、 「善なるものを救済せんが為には殺生といふこと もその方法の一として採用して然るべきである」 (昭和十九年『宗教報国』より) と説いて、敵対するもののいのちを奪うことが善 であり、菩薩道であり、救いの道であると説いてき た過去があるのです。 だから、私たち真宗門徒は争いを好まないとか、 仏教やお念仏は平和的だとかいう立場に立って、他 の過激な宗教理解を見下げたりしてはならないと思 うのです。まず大切なことは、時代 や社会の流れに無自覚に流されてし まうと、自分たちも相手のいのちを 奪うことを正当化してしまう、危な い立場にあると自覚することです。 その上で、過去の過ちをきちんと見 つめて反省し、そこから現実の立ち 位置を確認しながら、めざすべき未 来を見据えていくことが必要なので み こ す う ば 第257号(2015年 1月号) 3 せ っ し ょ う と し か た め み ち む じ か く す く か さ い よ う き ゅ う さ い せ ん じ き ょ う が く き ょ う ぎ り か い ひ と つ て き た い ぜ ん ほ う ほ う ぼ さ つ ど う き ゅ う さ い お ち い じ ょ う じ ゅ し ん た い し ん ぞ く に た い あ あ や ま あ み だ に ょ ら い な も あ み だ ぶ つ し ん ら ん し ょ う に ん か な ら お っ し ゃ ぜ ん しょう。 相手のいのちを奪う行為を正当化していく「戦争」 は、私と遠く離れたところにあるわけではありませ んでした。今、世の中で起こっている現実から知ら されるのは、実は私や教団の中に、そのような行為 を正当化し、正義を振りかざして相手のいのちを奪 うかも知れないという危うさを持っているというこ とです。 ☆★☆★☆★☆★ 「私たちは他の宗教とも共存して、仲良くやって いるじゃないか。クリスマスを祝い、除夜の鐘をつ き、初詣に行くという寛容性こそが、私たちの宗教 観じゃないか。」そう仰る方もおられます。それも ひとつの宗教的価値観ですから、否定されるもので はないのかも知れません。 ただし、こういう受け止め方が宗教の「寛容性」 かというと、本来の意味とは違います。「私はお念 仏をよりどころとしています。でも、違うよりどこ ろを大切にしている貴方の生き方を尊重します。」 というのが、宗教における寛容性ということです。 「私はお念仏も大切だけど、その他のよりどころも 大切にします。」というのは、寛容なのではなく、 優柔不断であるということでしょう。むしろ、「◎ ◎のお付き合いをしないで、自分の宗教だけを大切 ゆ う じ ゅ う ふ だ ん にしている人たちとは一緒になれない」といって、 地域社会のお付き合いから排除し、仲間はずれにし ていないでしょうか。それこそ、寛容どころではな く、排他的な生き方だといわざるを得ません。 ☆★☆★☆★☆★ まずは、自分自身の生きるよりどころを聞かせて いただきましょう。お念仏のみ教えから聞かせてい ただくのは、阿弥陀様の願いをよりどころとしてい くことひとつです。 念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとな らば、信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界・ 外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずること あたはず、諸善もおよぶことなきゆゑなりと云云。 (『歎異抄』より) そのみ教えをよりどころとして生きるお互いは、 「御同朋」として共に歩んでいく仲間です。同時に、 私たちと違うよりどころを大切にしている人たちに は、その価値観の違いを認め合うことが大切です。 それでもなお、私たちの生き方を否定したり、攻撃 してくるような相手に対しては、 「かやうに悪をこのまんにはつつしんでとほざかれ、 ちかづくべからず」(『親鸞聖人御消息』より) という立場を示してくださいます。心しておきた いと思います。 あ く 第257号(2015年 1月号) 4 ま か い こ う げ き た ん に し ょ う こ こ ろ う ん ぬ ん き ょ う ぶ く か ん ぎ ご う ほ う ひ て い じ は い じ ょ ざ い あ く む し ん じ ん し ょ う げ げ し ょ ぜ ん い ち ど う ぎ ょ う じ ゃ は い た て き ち い き し ゃ か い ね ん ぶ つ し ゃ げ ど う お ん ど う ぼ う て ん じ ん し ん ら ん し ょ う に ん ご し ょ う そ く か ん よ う せ い あ な た そ ん ち ょ う
© Copyright 2024 ExpyDoc