「中間の王国」の住人として わたくしは,学生時代に,2 度,フランス政府の給費留学生になるという幸運にめぐまれました.一度目 は,1973 年から 1975 年にモンペリエに留学したときです.2 度目は,1979 年から 1983 年にパリに留学し たときですが,このときには,ユルム街 45 番地にある高等師範学校の寄宿生として,いわゆるノルマリア ンと生活をともにするという僥倖にめぐまれました.パリ第七大学で博士論文を執筆したのもこのときでし た.この 2 回のフランス滞在は,わたくしにとって決定的でした.というのも,現在の,フランス語教師・ フランス文学研究者としての生活は,フランスが提供してくれたこの 2 回の留学のうえに築かれているから です. とはいえ,この 2 回のフランス滞在からわたくしが得たものは,単に職業的なものにとどまらず,それ をはるかに超える豊かさと重みを持っているように思うのです.わたくしの念頭にあるのは,フランスで出 会ったあまたの男女,その人たちとの出会いがなければ,わたくしの人生は何とも味気なく,またいっそう 耐えがたいものであるに違いないと思われる男女のことです.この男女たちの筆頭に,一人の女性,人生の 時間と空間を,毎日のあたりまえの振る舞いを,そして楽しみと苦しみ,勝利と敗北,歓喜と悲しみ,希望 と失望をともにする一人の女性がいます.いうまでもなく,わたくしの妻です. 次に脳裏に去来するのは,フランス語のなかに知と情の住処をもうけるようになったこの 45 年間に出 会った友人たちのことでしょうか.わたくしは今「フランス語のなかに住処をもうける」と申しました.そ れは,わたくしがフランスには住んでいないからです.わたくしはむしろ,あのシオランにならって言えば , フランス語に住んでいる.わたくしは,東京で生き,東京で働きながら,フランス語に住んでいる.わたく しはフランスには居住してはいないのですが,しかし,わたくしは,わたくしのとぼとぼとした歩みを見守 り,わたくしを勇気づけてくれる友人たちに囲まれているのです.このことは,とくに,わたくしがフラン ス語で作品を書くようになり,いわばフランス語表現の著作家として認められるようになってからいっそう 顕著になりました.わたくしがフランス語表現の著作家になったのは,ひとえにわたくしの本をガリマール から出したいと言ってくれたポンタリス老師と彼の無二の親友でわたしを老師の前に連れ出してくれた小説 家ダニエル・ペナックのおかげです.このふたりを結ぶ友情がなければ,わたくしのフランス語の書物は存 在していないことでしょう.わたくしはいわばこの二人の友情の子供なのです.そして,このことを通じて , 今度は,わたくし自身,このふたりに友人として迎えられることになりました.ポンタリス老師はもはやこ の世の人ではありませんが,彼はまるでわたくしのとなりにすわっているかのようです.彼と彼の作品との 対話が途絶えることがないからです. このふたりに思いを馳せるたびに素晴らしいと思うことがあります.それは,彼らの友情がさらに別の 多くの友情の地平を切り開いたことです.ペナック,ポンタリスをつなぐ友情をとおして,そしてまたポン タリス老師のたぐいまれな産婆術によっていまやどっぷりと浸ることになったエクリチュールという営みの 不思議な力によって得た友人たちは,十指に余ります. 以上のようなことにふれる気持ちになったのは,フランス語とフランス語がわたくしにもたらしてくれ たものが,わたくしにとってはかけがえのないものであり,生きてゆくうえで本質的な意味を持っていると いうことを申し上げたいからです.突き詰めればフランスでの 2 回の勉学経験に遡るものが,今日のわたく しを形成・構成しているのです.いや,むしろ,わたくしの実存全体が,いまや,あるひとつの巨大な,し かし目には見えない空間,フランスという国の六角形とは必ずしも重ならない巨大な空間に根をおろしてい ると言うべきかもしれません.この内的空間,この自由の空間を,わたくしは,ポンタリス老師にならって , 「中間の王国」,「王のいない王国」,「神も支配者もいない無限の領土」としての「中間の王国」と呼び たいと思うのですが,それがわたくしにとって何にもまして貴重なのは,そこに生きることで,この日本を しばし離れ,遠くから曇りのない目で,また周囲の雑音に邪魔されることなく眺めることができるからです . そして,この点をわたくしは強調したいのですが,この「中間の王国」の扉を開けることができる鍵は,わ たくしの場合,唯一フランス語だけなのです. それゆえ,わたくしは,今後もずっと,命のある限りフランス語に住み続けることでしょう.それゆえ また,わたくしは,フランスに心からの感謝の気持ちと深い共感を送りたいと思うのです.コレージュ・ ド・フランスとユマニテのフランスに,絶え間なく更新し,再活性化させるべきユマニスト的文化の守り手 としてのフランスに,この苦悩に満ちた世界において,今日ますますその必要性が再認識される,フランス 語という言語と切り離すことのできない批判的判断力の文化の守り手としてのフランスに,です. 水林 章
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