Title ある「典型的」苦境 : ポー風の作品の書き方 Author(s - HERMES-IR

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ある「典型的」苦境 : ポー風の作品の書き方
高沢, 治
一橋論叢, 105(3): 341-353
1991-03-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/12540
Right
Hitotsubashi University Repository
(29) ある「典型的」苦境
ある﹁典型的﹂苦境
ーポー風の作品の書き方
引き違えのポー︵勺o①旨名昌戌品︶
^1︺ ︶
高 沢
ことがあるとしたら、必ず自分の感覚を書き留めなさ
いL洲と忠告を受けた語り手兼主人公のサイキ・ぜノビ
︵
ア嬢が、早速に体験した異常な事件を、ブラヅクウヅド
境﹂という格好になっている。
一八三八年に、エドガー・アラン・ポーは移り住んだ
ム﹄︵\§ミ“o昌ミき竃ミ§県吻&“ミo雨亀ミ軋§雨\ミ㎞︶に
サイキ・ゼノビア嬢はダイアナという名のプードルと
氏の忠告に大仰なまでに従って記述したのが﹁ある苦
﹁ラィジーア﹂︵、巨oqo旨、.︶、﹁ブラックゥヅド誌風の作品
ポンペイという名の黒人をお伴にエヂンバ■ラの衛を散策
先のフィラデルフィアの雑誌﹃アメリカン・ミュージア
﹁ある苦境﹂︵、>弔冨皇S目竃“..︶の三作品を発表してい
の書き方﹂︵、︸O尋↓O峯ユ“O芭ω−葭O斤オOOρ>ユざ−Φ二︶
れぞれ正続の連作の体裁をとっており、﹁ブラヅクウヅ
て、床から七フィート程のところに小穴があり、そこか
めた先は鐘楼︵と同時に時計塔の機械部屋︶になってい
を見渡したいという望みに駆られる。螺旋階段を昇りつ
中、視界に現われたゴシック風教会の尖塔の高みから街
ド﹂で、同名の編集長から、﹁要するに、感覚が犬事な
ら街を見渡そうとして彼女は、ポンペイの肩に乗って小
る。このうち、﹁ブラヅクウヅド﹂と﹁ある苦境﹂はそ
のです。もしあなたが、溺れたり、首を縫られたりする
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治
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る。﹁我が愛しき者よ。彼女もまた、私のために自己を
アナはネズミに食われ骨となってしまっているのがわか
ンペイは、一目散に階段を降りて逃げ、一方の愛犬ダイ
れた彼女は、部屋の中に降り立つが、その婆に驚いたポ
離されてしまう。首がなくなったために小穴から解放さ
う。そして、運命の五時二十五分に、首も胴体から切り
ち、雨樋の中に止まり、やがて他方の眼球もその後を追
ら飛び出し、すぐに片方の眼球は尖塔の斜面を転がり落
ず、針は徐々に首に食い込み、圧迫のため眼球は眼窩か
がわかる。何とか身を引こうとするが既に見動きはとれ
ろに冷たい感触を覚え、それが時計の長針だということ
穴から首を出す。景色に見とれていると、やがて首の後
等々−からの引用を彼女に教え込む。そして﹁ある苦
ラテン語、ドイツ語、7ランス語、スペイン語、中国語
の際に、氏は古今東西のあらゆる言語−ギリシァ語、
ラヅクゥヅド氏から様々な小説作法を教わるのだが、そ
はない。﹁ブヲックウッド﹂でサイキ・ゼノビアは、ブ
しかし、この作品の面白味はそれだけに留まるもので
を惹き起す。
笑劇としての粋組みを超えた、深淵を見下すような戦操
クウヅド氏が教えた︶シラーからの引用1は、単なる
微笑、死んだ犬の亡霊が語る、間違いだらけの︵ブラヅ
り出し、落ちた頭の方へ投げてやった時に頭が浮かべる
のないサイキ・ゼノビアがポケットから嗅煙草入れを取
を合わせて瞬きするまだ落ちていないもう一方の目、首
、 、 、 、 、 、 、 、
犠牲にしたのだ。犬なく、黒人なく、頭なく、今や不幸
境﹂で彼女は、それらを、悉く間違って引用するのであ
、 、 、 、
フアース
、 、 、 、 、 、 、
なシニ目ール・サイキ・ゼノビアに何が残っているだろ
きの文句で物語は終わる。梗概だけでこの小説の面白味
峯〇一g9彗旨昌9>o&oが挙げられているが、﹁ある苦
えば、﹁ブラヅクウヅド﹂では三人のミューズとして
る。しかも間違って引用されるのは、個々の引用句︵例
は伝えられないが、人間的条件を遥かに逸脱した荒唐無
境﹂では、それらが峯色貝書昌員国9専というよう
︶
うか。ああ−何もない。私はおしまいだ﹂湖という嘆
︵
稽な状況の描写1﹁軽蔑と、もう縁が切れた圭言った
な蓮っ葉な女子の愛称めいた名前に変えられて引用され
︶
ている︶だけではない。ブラヅクウヅド氏の勧める文体
ような横柄な様子﹂洲で本体を見上げる落下した片目、
︵
その片目との間に絶えず存在するある交感のために調子
342
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その日本語訳を掲げるが、﹁荘重体﹂を気取ったものの
用されているのである。次に﹁ある苦境﹂の冒頭部分と
れ、滑稽に歪められて使われている。つまり間違って引
があるが、﹁ある苦境﹂では、その調子が極端に誇張さ
の調子に﹁散漫で感嘆詞的な荘重体﹂や﹁哲学的調子﹂
はピーピーうなっていた。荷車はガタガタ音を立てて
い苗吐
いた。牡牛は蹄いて。いた。牝牛も蹄いていた。馬は噺
金切り声を立てていた。子供たちはあえいでいた。豚
すさまじかった。男たちは話し合っていた。女たちは
ひっそりした静かな午後のことだった。往来の薙踏は
私が素晴しいエディナの街を散策に出たのは、ある
次第に破綻していく様子が良くわかると恩う。
曽目ρσ目津−⑦︷目汁ブogH①Φ什蜆峯①H① “oH饒σ−①.峯Φ目 幸①H①
︷冒艘巨亭⑦o目oo巳︸aξo︷向昌目苧H巨Φ8巨冨6自
と想像豊かな瞑想を持った者の心には︹中略︺何と数
まった、と私は考えた。もう永遠にそうなのだ。天才
踊っていた! ああ、私の踊る日々はもう終わってし
ていた。踊っていた! そんなことがありえようか。
いていた。猫はギャーギャーわめいていた。犬は踊っ
一凹−斤︷冒σ目1∼くO−自o目峯oH0蜆0H①印目巳目甲O−−O﹃①目事oHΦoブO−︷−
多くの陰護な回想が絶えず呼び起こされるのだろう。
岸ミ鶉寧o巨g簑目og自里︷註目oo自ξ︸Φ目Hω弍o=①ρ
まo・.艮σ・㎝ミo鳥皇ま婁旨o目.o彗誌ま︷冨匡&1田目豪
〇〇自−O箒叶︸①■σ①勺oωaσぼ∼ U凹目oo〇一 >−顯9 芹ヴo目O目ブ↓
○箒㎝まo︸墨宥H毫嘗巳&1]∪ooq眈艘Φく︷里旨&.U曽目8〇一
となった文芸作品の作風の﹁間違った引用﹂ーバロデ
その特徴を分析し、あげつらうことによって椰楡の対象
つまりは﹁ある苦境﹂全体が、﹁ブラヅクウヅド﹂で、
まOくげO=O≦&100峯眈ま⑦︸−O≦&.宙O屋鶉艘Oく冨掃プΦP
一昌︸o里■o巨o肩φ里く眈胃①oくoユH︸毒−=moく睾−峯ブ箒
ィもしくはパスティーシューとなっているのである。
当然ながら、﹁ある苦境﹂は﹁ブラヅクウッド﹂を読ん
9ヴo津go有−8冒<冨8−8戌o目ω色二〇く宰嘗■φ凹■oコ
σo里峯昆彗①3目書o邑目oo訂彗一〇畠彗三昌晶一冨“∼o
だ読者でなけれぱ面白味はわからないし、﹁ブラヅクウ
ヅド﹂を所与の前提としている、とも言えるだろう。
︶
8目富目旦箒δ貝︹⋮:・−︺舳
︵
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もっと有名で、ポーを語る時に常に引き合いに出される
に殆ど批評家から忘れ去られているような作品よりも、
じこませようとした枠から外して、﹁ある苦境﹂のよう
の作品のバロディ﹂という、ポー自身が巧妙に読者に信
るために、まず、﹁ある苦境﹂を、﹁ブラツクウヅド誌風
それ程簡単なものではないのである。それを明らかにす
しかし、実は、この二つのテクスト間の言及の問題は
物語﹄︵§募♀§雨○§∼名§sミ、﹄§ぎ志§︶を出版
︵■窒俸里顯旨げ彗︷︶から﹃グロテスクとアラベスクの
フィラデルフィァのリー・アンド・ブランチャード社
向晶自争ヨ嘗コ考墨畠串庁︸印目ら巨里ω−目oq二︶︶を加えて、
なぜ手に吊繍帯をしているのか?﹂︵、名耳字o=匡o
表した全短編に未発表の一編︵﹁チビのフランス人は、
年︵一八三九年︶の十二月に、ポーは、それまでに発
もたないのではないか、というのは当然の疑間だろう。
作品であるならぱ、それは、それだけの劣等の価値しか
あり、﹁ある苦境﹂がそれだけの評価しかされていない
ある。そもそも作品評価は同一の基準でなされるはずで
とが肝要なのである。こう書くとやや奇異に響くはずで
o︷まo夷&∪雷ま、.︶と同じ水準の作品として眺めるこ
︵、峯自討昌オ豪昌、、︶、﹁赤死病の仮面︵、Hま竃竃毛Φ
o−けブ①由o自器o︷dωブ彗、、︶や﹁ウィリァム・ウィルソン﹂
ず、殆どのポー研究者は、グロテスクとアヲベスクを如
左が書かれた文として存在するはずであるにもかかわら
の二語を意識して使い分けていたならぱ必ず何らかの証
ように過剰なまでに意識的に作品を書く作家が本当にそ
の二つの言葉を意識して使い分けていたと考えられるよ
^3︺
うな証拠が無いに等しいにもかかわらず、そしてポーの
殊な事情﹂に深く関わっている。そもそもポー自身がこ
後に美学の用語へと発展していった二つの語がその﹁特
ベスク﹂という二つの語、共に装飾模様に起源を持ち、
している。このタイトルにある﹁グロテスク﹂と﹁アラ
^2︶
しかし、ポーの場合には、なされて然るべき個々の作品
ような作品群、即ち﹁アヅシャー家の崩壊﹂︵、H冨冒=
の公正な評価がされていないとも言えるような特殊な事
分類法に従ってポーの作品群を二分している。その分類
実に異なるものと考え、A・H・クインに範を見出せる
法とは、簡単に言って、ポーのアラベスクとはカ強い想
情がある。
﹁ブラックウッド﹂や﹁ある苦境﹂の発表があった翌
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像力を意味し、グ回テスクとは、茶番化され風刺された
ものを指す、というものである。ポーによって死後の出
^4︺
版その他の権利を委ねられたルーファス・グリズウォル
ドによって作られた悪意に満ちた悪魔的ポー神話を切り
捨てたA.H.クィンだからこそ持ち得た影響カである
が、この分類法の厄介な点は、それが必然的に作品評価
をも伴うことである。諸謹、滑稽、風刺を身上とする作
品群︵当然その中には﹁ブヲヅクウヅド﹂や﹁ある苦
境﹂も含まれる︶は、遣化や茶番と決めつけられた時点
で、多くの研究者の視野から消えてしまっている観があ
る。
もちろんこれには異議申し立てもあり、コンスタン
ス.ルアークの﹃アメリカのユーモア﹄︵\§ミ“§ミ§1
§。、、﹂吻ミ膏“、§耐きぎ§、9ミ§“ミ︶の系譜に連な
り、アメリカ南西部のパーバリズムの中に、生の不安を
喚起する力を認めるジrムズ.ジャスなや・†を
ゴシツク.ロマンスの伝統の延長線上に置いて、ゴシヅ
を解明しようとするG・R・トンプソンのように、定式
ク.ロマンスに内在する喜劇的特質に注目してポー作品
^6︶
化した嫌いのあるアラベスクHグ回テスクニ分法に見直
しを要求する動きもある。
しかし、それでも一度ついてしまった枠はなかなか外
し難く、日本の大学一、二年生向きに編集された英語の
教科書でも、選ぱれているのは、決まって、﹁異常心理
を扱った﹂という﹁まじめな﹂物語の﹁黒猫﹂︵、H冨
里串。斤O里“二︶や﹁告げ口心臓﹂︵..Hぎ弓Φ自−H巴o目①彗汁..︶、
﹁アヅシヤー家の崩壊﹂ぱかりである。﹁ある苦境﹂のよ
うな言葉遊ぴは、学生に過重な語学カを強いるので無
理だとしても、比較的読み易い﹁不条理の天使﹂︵、↓ぎ
>目Oq。一。片亭。O畠.、︶や﹁鐘楼の悪魔﹂︵、。自−①U①三二目
亭。吋。岸、<、︶といった作品までも、必ず選から漏れてい
て、軽快に風刺を飛ぱし、譜謹に満ちたポーの看過でき
ない一面は伝えるべくもない。
ニ ポー的ポー︵勺。o呉畠ω旨o黒勺o窮︷⑦︶
話を再び﹁ある苦境﹂に戻そう。この作品を﹁ブラヅ
クウヅド誌風の作品のバロディ﹂という枠から外し、更
に、アラベスクHグロテスクニ分法という価値体系から
も切り離して、他のどんなポー作品とも同等の出自を持
つ作品として眺めた場合、﹁ある苦境﹂は、十九世紀の
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産業文明勃興と共に日珊じていく人間疎外に対する危機意
識に支配された典型的な﹁ポー的物語﹂である一一とがわ
かる。
このような危機意識に支えられた作品として諜もがす
ぐに思い浮かぺるのは、﹁群衆の中の孤独﹂を扱ってい
る﹁群集の人﹂︵、Hぎ峯竃O︷亭①9。老ρ..︶であるし、
産業文明の進展によってもたらされる自然破壊に対する
卒直な表明の見られる﹁モノスとウナの対話﹂︵:■げ。
oo5ρξo︷旨o昌餉彗od墨二︶だろう。共に﹁煙を吐
き出す都市﹂州が機械文明の象徴として、ポーの危機認
︵
識の対象の中核にあり、この点でポーは、あれ程嫌つて
いた︵そして﹁ブラヅクウヅド﹂でも椰楡の矛先を向け
ている︶エマソンら超絶主義者と遠からぬ関係にある。
但しポーには、超絶主義者をも含むロマン派に見られる
ような﹁自然への回帰﹂という志向は全くなく、ブルヅ
ク・ファー。ム建設に象徴されるユートピァ建設の夢もな
い。ポーにとっての近代的進歩は不可逆的な堕落でしか
なく、その徹底した終末思想は、かえって無邪気に思え
る程である。 .
ところが、このような危機意識を明瞭に見てとること
ができるのは、クインの二分法で﹁グロテスクな﹂、﹁ふ
まじめな﹂作品に多いのである︵これは、風刺という特
質からはむしろ当然のことではあるが︶。﹁実業家﹂
︵=Hま団邑罵轟曽彗、︶は、﹁天才﹂を馬鹿にし、﹁規律﹂
や﹁秩序﹂を重んじる自称実業家がさまざまな悪徳商売
︵主に強請たかりの類や偽郵便配達等の詐歎︶を渡り歩
いた後に、ハドソン河のほとりに大邸宅を構える話であ
り、当時の新興商人への明らさまな敵意が窮えるし、ま
たどうしても義父アランとの確執という伝記的事実を思
い出してしまう。﹁使いきった男﹂︵、Hブ。旨里目ま曹“オ相蜆
dω&d勺、︶は、インディアン戦の英雄ジヨン.A.B.
C・スミス将軍が、実は﹁使いきった男﹂であり、イン
ディアンとの戦いで身体の各部位を悉く失い、当代の技
術の粋を集めた、義手・義足・義眼・入れ歯等の寄せ集
めであることがわかる、という人を食った話である。
この話に見られる﹁肉体の損傷・変形﹂︵昌︸、︷。車−o。.
δH昌−身︶というテーマこそ、ポーの﹁グロテスクな﹂
﹁ふまじめな﹂作品群に共通するものであり、疎外され
た人間の一般像なのである。むしろ、正当な因果関係を
辿った言い方をすれぱ、人間の自然な経験の範囲外まで
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て、庶子扱いを受けてきた、となるだろう。
ずに、﹁無意味で﹂﹁馬鹿げた﹂﹁ふまじめな﹂ものとし
は、読者や研究者の人間的興味を引き寄せることができ
推し進めてこのテーマを扱ったために、これらの作品群
てている。
ポー作晶の多くの主人公に共通する境遇を適確に言い当
という結末だけである。冒頭で息無氏が述べる嘆きは、
会い、二人は共に一人分だけの息を取り戻して生遠する、
9墨夢︶は、結婚したぱかりの妻に悪口笹言を俗びせよ
る作品である。主人公兼語り予の息無氏︵雪■■oo庁o−
のの悪い結果の恐ろしい見本−生きていながら、死
私室に無事おさまった私の姿を見た。短気につきも
﹁息の紛失﹂︵、■o轟o−団・雷ま,、︶はその代表とも言え
うとした途端に、息を失くしてしまプ。失くした息を求
っている−異形の身でこの地表に存在するー静か
者の特質を備え1死んでいながら、生者の特徴を持
に落ち着いていながら、息が切れている︵げ冨津巨霧ω︶。
めて妻の部屋を捜したところ、見つかったのは﹁上下一
組の入れ歯が一つ、ヒヅプが二組に目玉が一つと息宮氏
ある︵息無夫人とA・B・C・スミス氏との相似は明ら
︶
︵峯■峯ぎq昌昌答︶から妻にあてた恋文の束﹂獅だけで
︵
か︶。町から逃げ出そうとした息無氏は、次々と災難に
ピア嬢と同様、息無氏も、後述のポー作品の主人公の条
両の眼球を失ってなおも視覚は持ち続けるサイキ・ゼノ
このような状態でいてなおも感覚は鋭敏なままでいる。
を摘出され、次には死刑囚と間違えられ縛り首になる。
件を立派に満たしている。
出会う。まず死人と間違えられ、医者に開腹されて内臓
この経験は、まさにブラックウッド氏が、﹁書き留めよ﹂
この他にも、﹁四獣一体−人間キリン﹂︵、句昌﹃︸Φ塞誌
,O畠一Hぎ曽o昌o−Oo昌9o喀邑、︶や﹁不条理の天使﹂、
とゼノビァ嬢に教えた経験に他ならないが、﹁ある苦境﹂
と異なるのは、息無氏は、墓場で、やはり死んだものと
﹁悪魔に首を賭けるな﹂︵、オ窒胃望二︶睾−く昌H籟①邑、︶
等の作品も挙げられるだろうし、境界的な作品ではある
誤って判断されたために埋められた隣人の息富氏︵息無
氏が失くした息は、彼が飲み込んでしまっていた︶と出
347
”の
(
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の肉体の腐敗を辿る、という離れ技を行なっている﹁ヴ
事物の存在の相において行なわれるのであり、それは逆
の接触は一切断たれているからである。変化は、内部の
ポーの世界は例外なく閉じられた世界であって、外部と
ァルドマアル氏の病症の真相﹂︵、Hぎ句碧誌巨ま①9器
に言えば、仮定された原初的調和の内に、疎外の種子が
が、催眠術を用いて死につつある男に意識を持たせ、そ
o︷彗く巴忌目胃、︶も入れてよいと思う。
︵、目8昌冨、︶でそれが示唆されることはあっても、殆
は持っていない。﹁ ヲ イ ジ ー ア ﹂ や ﹁ エ レ オ ノ ー ラ ﹂
く瞬間である。但し、原初にある調和を語る言葉をポー
状態が崩れ、主人公が自分を取り巻く世界の悪意に気付
ポーの物語が動き出すのは、原初的な調和という理想
ていくのか。それをこの作品に即して検証してみたい。
して、﹁典型的なポー作品﹂ではどのように筋が進展し
では、﹁ある苦境﹂が﹁典型的な﹂ポー作晶であると
うに、ポー作品では、上昇して行く乗り物は、全て落下
落下が、正弦波の頂点で始まる、と必ずし童言えないよ
はポー小説では、誼弁にならない。巨浪に運ばれる船の
女は階段を昇るーただ墜落の高みを得るために。これ
行くための条件の一つが満たされ始めるからである。彼
階段を昇り始めた瞬間に、彼女の首が切り離され落ちて
できる。一応、というのは、彼女が尖塔に気付き、螺旋
ゼノビァ嬢の首の後ろに触れた瞬間と一応考えることが
﹁ある苦境﹂では、その瞬間は、時計の針が、サイキ.
潜んでいたことを示唆するものである。
ど外縁をなぞる程度のもので、﹁描写﹂されることはな
の高みを得るために上昇するのである。﹁ハンス.プフ
であったり、漁師に日々の糧を与えてくれる海であった
のへと変貌する、それは、他の作品では、時計の振り子
い月世界人像は、実は、ロヅテルダムの人々の醜悪な自
の間にか地球への落下の話にすり変わり、報告される醜
o︷o畠︸彗ω宝竃ζ、、︶では、月世界への上昇は、いつ
ァールの無類の冒険﹂︵:H冨G唱彗き①−&>穿冒け昌Φ
い。この調和が崩れる時が物語の始まる時であり、その
り、鐘の音であったりする。この変化は、決して外部か
画像であることがわかる。﹁不条理の天使﹂でも、気球
時突然、日常的でなじみ深いものが、凶悪で不条理なも
らの刺激によってもたらされるものではない。なぜなら、
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手はくじいていて使えず、右手はロープを握っているの
左袖のポケヅトに入れよ、と要求される、しかし彼の左
いる時に、不条理の天使から、服従のしるしに、右手を
不条理の天使の乗る気球からロープ一本でぶら下がって
条理の天使﹂については言及したい。同作品の主人公は、
に述べているので、ここで繰り返す愚は避けるが、﹁不
れている。このことは以前に他の作品については具体的
こるか、を知ることである。ポーが、﹁落下の果ての死﹂
自分の破滅が避け難いこと、そしてそれがどの時点で起
この二つの特徴を持つ主人公が、最初に行なうことは、
るのである。
ても、ブラヅクウソド氏の忠告通りに、感覚を持ち続け
先程述べたように、サイキ・ゼノビァ嬢は、両眼を失っ
者は﹁まじめな﹂作品と考えている︶。﹁ある苦境﹂でも、
︵実際、﹁ヴァルドマアル氏の病症の真相﹂を殆どの研究
経験を超えた状況でも意識や感覚を確保するため、催眠
で離すことができないのである。この結果、ポー作品の
を頻繁に用いるのは、この知識を主人公に与える一方で、
は同様の目的で使われている。
主人公は、自己の運命を切り開く主体的な行動が取れず、
死それ自体を、暫くは先送りできるからである。ポーの
術までもち込んでいる。このため﹁ブァルドマアル氏の
受動的にならざるを得ない。
オブセヅシ冒ンの一つと言われる﹁早過ぎた埋葬﹂も、
このような状況に置かれた主人公には、常に二つの特
もう一つの特徴は、運動機能の不全と対照的であり、
この点では、﹁落下による死﹂と相似形を成す。直纏上
徴が認められる。一つは運動機能の不全であり、特に手、
むしろ、代償的に与えられていると言ってもいい、感覚
の落下という空間表現のかわりに、限られた酸素の減少
よって、茶番になるぎりぎりの隈界で踏み止まっている
の昂進である。やはりここで他の作品を例に出すのは避
という別の空間表現が用いられているに過ぎない。﹁あ
病症の真相﹂等の作品が、催眠術という科学的仕掛けに
けるが、これは、ポー作品の殆ど全てにあてはまる特徴
る苦境﹂では、この知識はより一層確実である。
腕は何らかの仕掛けによって完全に使えない状況に置か
であり、例証は必要ない程明瞭なものである。ポーは見
事なまでに徹底していて、﹁死﹂という、通常の意識的
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私の感覚は全くの幸福感であった。というのも、せい
暴力的で疎外された世界に変え、不条理を表面に出した
ロテスクな想像カの働きを、日常的でなじみ深い世界を
る。ヴォルフガング・カイザーは、グロテスクの美学を
^乙
分析した﹃芸術と文学におけるグロテスク﹄の中で、グ
嫡子の立場を与えても決して間違っていない、と思われ
ぜい数分間のうちに私はこの不快な状態から救われる
上で、理性によって理解し説明し、理性的認識のカテゴ
その棒は、いまや四インチ半も私の首に食い入って、
だろうと感じたからである。そしてこの期待には決し
リーに還元してしまうものとし、ポーについても、この
ほんの一片の皮厨が切れずに残っているだけだった。
、 、
て裏切られなかった。きっかり午後五時二十五分に、
見方を崩していない。しかし、明らかに、ポーの場合は、
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
に十分な、恐ろしい回転を進めたのだった。︵傍点は
その大きな長針は私の首の僅かな残りを切ってしまう
疎外された世界は回復されず、不条理なものが、理性的
格、そしてその中で相剋的に展開される﹁変化﹂と﹁繰
しないが、ある消失点へ向って流れる時間の終末論的性
品群では、明白な空間上の運動としての﹁落下﹂は存在
﹁赤死病の仮面﹂といった、より内面劇の要素の強い作
﹁アヅシャー家の崩壊﹂﹁ウィリァム・ウィルソン﹂
ともできるはずである。ポーの最良の作品は、﹁分身﹂
,というモチーフを取り入れることによって、形式・内容
者なら、そこに深淵を覗き込むような恐怖を感じ取るこ
の場合それは、不条理を一層露わにしていて、現代の読
拒むまでに不可能な状況が推し進められているが、多く
行く。ポーの﹁ふまじめな﹂作品では、どんな解釈をも
極的形態である﹁死﹂へと向かって主人公を追いやって
認識へと遼元されることはない。むしろ疎外は、その究
︶
筆者︶洲
︵
り返し﹂のモチーフという観点から、比楡的な﹁落下﹂
る苦境は、ポー作品の主人公が置かれる、ある﹁典型的
以上の点からだけでも、サイキ・ゼノビア嬢の経験す
る評価が、あまりに低いのは残念である。
と思うが、それでも、﹁ある苦境﹂のような作品に対す
ともに深みを加えた﹁赤死病の仮面﹂や﹁黒猫﹂である
を認めることは可能であり、以前に指摘した通りである。
な﹂苦境であり、この作品に、ポーの生み出した正当な
350
(39) ある「典型的」苦境
しょう。︹中略︺それから﹃不本意の実験家﹄という
分よく焼かれていたのに、無事で生きて出て来た紳士
のがあります。バン焼き窯の中で焼かれて、しかも十
﹁ある苦境﹂の庶子扱いを外すためにここまで頁数を
のことを書いたものです。また﹃近頃の医者の日記﹄
一一一かつぎ星ポー︵勺oo冒竃−巨oq︶
費してしまったが、ここで再ぴ﹁ブラックウヅド﹂と
﹁ブラヅクウッド﹂で風刺され、郷楡されていたのは、
のバロディでなけれぱならない。そこから振り返れば
何のパロディでありうるか。1当然、それはポー自身
スティーシュを企図して書かれているとすれぱ、それは
だ作品であるとして、なお、それがバロディあるいはパ
﹁ある苦境﹂がポー作品に共通する典型的要素を含ん
ますんです。その響きのために、彼は気が変になり、
てしまい、その鐘が葬式の時に鳴り出したので眼をさ
これはある若い男の話で、彼は教会の鐘の台の下で寝
さん、私としてはあなたに十分お勧めできないんです。
の中の男﹄というのがありましたが、これはぜノビア
世間の人たちは興味があるんです。それからなお﹃鐘
いい加減なギリシャ語とにあります。1この二つは、
というものがありましたが、その価値は面白いほらと、
ポー自身の作風なのではないか。次に引用するのは、ブ
﹁ある苦境﹂の関係を考えてみたい。
ラヅクウヅド氏がサイキ・ゼノピア嬢に、手本にすべき
そこで手張を出して自分の感覚を書き留めるのです。
︶ ︶
要するに、感覚が大事なのです。㎝1洲
︵ ︵
ええと、﹃生ける死者﹄というのがありました。すて
に述べる。
また、文体の調子の一つを説明する時に、彼は次の.よう
実例を挙げている件である。
きな作品です。ある紳士が、息が絶えないうちに埋葬
情緒も、哲学も、学識も十分です。きっとあなたは、
す。我が国の一流の小説家の中には、この調子を好ん
それから散漫で感嘆詞的な荘重体というのがありま
された時の感覚の記録ですがね。1趣味も、恐怖も、
この作者は棺の中で生まれて育ってきたのだと言うで
35j
第3号 (40)
第105巻
一橋論叢
で使う者がいます。言葉はすべて捻り独楽みたいにぐ
るぐる回り、またそれに似た騒がしい音を立てなけれ
ぱなりません。それが言葉の意味の代わりになるので
す。これは作家が非常に急いでいて、考えることがで
︶
きない場合、あらゆる文体の中で最上のものです。㎝
︵
エマソンがポーを評して﹁ジングリング・マン﹂圭言
ウた事は有名であり、またポーの詩作に対して必ず言わ
れる批判の一つが、﹁言葉の意味を音の犠牲にしている﹂
というものである。ポーはここで自らを風刺の対象とし
相対化することで、アリパイをうち、自分に寄せられる
であろう批判を無効にしようとしているようにも思われ
︵1︶ ポー作品からの引用は金てHぎOoミ蚤§§、ぎ県
向膏ss﹄ミsミ、ミ︵zo考くo︸一司四目︷o昌葭o妄p 6N㎞︶
またポーの伝記的事実に関しては、>邑一胃=o冨go邑;一
による。以下、引用後に頁数のみ示す。なお訳は全て高沢。
向膏、き∼§、oミ﹄o、ミ§、︸札轟、ξミ︵zΦミくo妥二︺.
︵2︶ ポーの出生から死までの、ポーに関するあらゆる文
>電葎昌−O昌9﹃き一章一︶にほぼ依拠する。
書、回想、新聞記事、手紙等を日単位でまとめたU至oq巨
sミト鳶県向膏ミ﹂ミsミ、§、oooo−、ooも︵︸ogo目一ρ穴−
ヨ岩昌豊淳U芭く巨宍.﹄竃訂op﹃ぎ、§卜o、﹄bo§§§、−
匡芭=津OO・筍o0N︶によって、﹃グロテスクとアラベスク
の物語﹄がほぽ好意的に迎えられたことがわかる︵但し、
﹃ボストン・ノーシ目ン﹄は﹁どの作品も新聞の三文読み
物の平均にも達していない﹂と手厳しい︶。注目Hに値する
ン﹂等を特に評個する書評が多い中で、一八三五年から一
のは、﹁アソシャー家の崩壌﹂や﹁ウィリァム・ウィルソ
信﹄の書評は﹁使いきった男﹂と﹁チピのフランス人は、
八三七年初めまでポー自身が編集に携わった﹃南部文芸通
るo
数々の作品の初めに、読者を戸惑わせるような前口上
﹃ポーーグロテスクとアラベスク﹄︵冬樹社、一九七八年︶、
二とを、テクストに即して例証しているのが、八木敏雄
︵3︶ 反対に、ポiがこの二語をほぼ同じ意味で用いていた
て好意を表明していることである。
の二分法では﹁グロテスクもの﹂に分類される二繍に対し
なぜ手に吊繍帯をしているのか?﹂という後述するクィン
を設け、自分の作品がどのように読まれるかに常に犬き
な関心を払っていたポーならぱそれは十分に考えられる
ことであるし、これらの作品が発表された翌年に、それ
までのポーの業績の集犬成と重言うぺき﹃グロテスクと
アラベスクの物語﹄が出版されたのにも、偶然以上のも
のが感じられる。
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(41) ある「典型的」苦境
界−1罪と夢﹄︵南雲堂、一九八二年︶521弱頁、の二著で
㎜1㎜員、及ぴ、水田宗子﹃エドガー・アラン ポオの世
︵7︶ミo冨冒o目穴募雪皇雨9o雪ミ軸︸ミ﹄ミ・ミζミs・
︸冨覇 旨ご︶.
き§雨oo§ざ§“s︵雪凹g8目一⊂邑く睾色︷o−ミ尉8篶す
︵6︶Ω宛−掌o昌i蜆昌一、§、㎞∼oぎミ記§§§ミoミ
︵一橋犬学専任講師︶
§ミ、墨冨lo巨gミ9岨蜆8す︵峯o考くRぎ63︶−
ある。
︵5︶ −凹買一〇㎝−冒蜆甘自μ ..∼Oo.血Oo目二〇<−色o目葭目O ωO目庁すミo蜆“−
︵4︶>.PO邑昌一 〇 . 墨 P
○冒=E昌O昌、.ぎ向膏、﹄ミSS,Oミ﹃ぎb婁耐S県◎、・
昏“&.>1肉OσO斗■8︵■O目ρ昌一≦90目∼晶蜆9SOON︶.
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