① 伊賀市の文化財 国史跡旧崇広堂の保存整備事業 ︵上野丸之内︶ 旧崇広堂は文政4年︵1821︶、 津藩の藩校有造館の支校として建て ら れ ま し た。 嘉 永 7 年︵ 1 8 5 4︶ の地震で被災しますが、間もなく復 興され、廃藩置県まで藩校として存 続しました。明治期には学校施設と なり、明治 年︵1905︶から昭 和 年︵1984︶まで図書館とし て利用されました。この間、昭和5 年︵1930︶ 月、講堂を中心と する部分が藩校の様子をよく残して いるとして国の史跡に指定されま し た。 昭 和 年︵ 1 9 8 5︶ か ら 保 存 整 備 の 方 針 が 検 討 さ れ、 平 成 2 年 度︵ 1 9 9 0︶ か ら 平 成 5 年 度︵1993︶には講堂や玄関棟な ど 中 心 的 な 建 物 を 整 備 し、 平 成 6 年 度︵ 1 9 9 4︶ か ら 平 成 年 度 11 ︵ 2 0 0 0︶ に そ の 他 の 建 物 や 展 示 室、庭園、便益、外構、防災施設な どの整備を実施しました。 と こ ろ が 近 年、 土 塀 の ひ び 割 れ や剥落が目立つようになったため 平成 年度 ︵ 2 0 0 6︶ 実施した中土塀は、損傷が躯体の *日 から土塀の修 理を実施して います。 土塀の修理 は、 損 傷 箇 所 をまず除去 し、 土 塀 を 支 漆喰や損傷箇所を える躯体の様 子 を 確 認 し た 剥がした東土塀 後、荒壁を補修し、土の塗り重ねと その後の乾燥を繰り返し、最後に白 漆 喰 で 仕 上 げ ま す。 最 初 に 修 理 を 干 し 煉 瓦 積 み ま で 及 ん で い た た め、 いったん、躯体を解体し、再度、日 干し煉瓦を製作して積み上げ、漆喰 仕上げをしました。その後、西土塀、 南土塀内側、東土塀内側の漆喰を塗 り直し、本年度と来年度の2カ年を かけて東土塀外側の漆喰修理を行っ ています。 保存整備事業は、旧崇広堂を本来 の姿に修復することで文化財として の価値を保ちながら、貴重な藩校の 姿を後世に伝えていくために行って 2015年(平成27年)1月5日 発行/伊賀市 編集/企画振興部広聴情報課 〒518−8501 伊賀市上野丸之内116番地 ☎0595−22−9636 0595−22−9617 http://www.city.iga.lg.jp/ 次号の広報いが市は2月1日発行です。1月は5日号のみで、 日号はありませんので、ご注意ください。 平成 年の幕 開けで 本年も す。 どうぞ よろし く お願い します 。 59 お知らせ 広報 38 60 ▼ います。市民の皆さんのご理解とご 協力をお願いします。 *土に砂や藁などを混ぜて練り、方 形の型枠に入れて自然乾燥させ固 めたもの。 文化財課 ・1285 ・1290 ☎ 47 ③ ④ ⑤ ② ⑧ 18 47 20 87 12 日干し煉瓦積み上 げの様子 ( 中土塀 ) 5日号 ⑦ ⑥ ①上野丸之内地内から撮影②小田地内か ら撮影③御 斉峠から撮影④伊賀上野城か ら朝日が昇る直前に撮影⑤朝日に照らさ れる伊賀上野城⑥伊賀上野城の門の中か ら撮影(特別に開門していただきました)⑦脚 立に上って朝日を待つ撮影班⑧伊賀上野城 から朝日を眺めるにん太としのぶ(編みぐるみ) 日の出 No.2 )1月 成27年 年(平 2015 市内の各所から見える日の出です。表紙に 掲載した写真は伊賀上野城で撮影しました。 27 今日の伊賀を照らす 1 .5 いが市 15 ▼
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