タイ輸出企業の競争力強化には

東南アジア経済
2015 年 1 月 8 日
全9頁
タイ輸出企業の競争力強化には
技術力の強化と、合法的な海外労働者受け入れ拡大で賃金抑制が必要
エコノミスト
経済調査部
増川 智咲
[要約]

ここ数年、タイの輸出額は頭打ちにある。米国経済の回復が見られ始めた後も、力強い
回復は見られない。世界的なバリューチェーン(GVC)の中において、タイの輸出活性化
に何が求められているのか。

タイは従来、GVC の中で加工貿易拠点として発展し、輸出・輸入を先進国に依存してき
た。しかし 2000 年以降、タイは中間財や最終財を介し、先進国よりも中国や ASEAN と
の統合を深化させている。特に、対中国では「技術力」の相対的な優位を背景とした機
械類輸出が伸びている。GVC におけるタイの役割は、中間財を輸入し、安い賃金を背景
に組み立て、最終財を輸出するものから、技術力を以て中国を補完するものに変化しつ
つあるようだ。

しかし、近年タイの中国に対する生産性の優位は低下しつつある。その一方で、賃金上
昇が単位労働コストを押し上げている。タイが GVC の中で競争力を保つためには、技術
力による生産性向上に注力すべきである。特に、民間部門による R&D を促進することで、
技術力を高める必要がある。また、より多くの労働力を生産性の低い低技術産業から、
より生産性が高く高技術な産業に移行させる必要がある。その場合、非熟練労働につい
ては、ASEAN 後進国の労働者受け入れを合法的に拡大することも一つの手だろう。
輸出が経済回復の足かせに
2013 年 11 月、恩赦法の下院通過を機にタイでは政治不安が高まり、消費・投資等の実体経済
は大きく落ち込んだ。ようやく回復の兆候を見せ始めたのは、2014 年後半になってからである。
そのドライバーとなっているのは、当局が当初想定していたような輸出の回復ではなく、むし
ろ民間消費や投資といった内需であった(図表 1)。輸出については米国経済の回復が見られ始
めた後も不振が続いている。
タイによる輸出の鈍化は 2014 年に限ったことではない。貿易統計をみると、2000 年以降、タ
イはリーマン・ショック時を除いて堅調に輸出を増加させてきたが、その額は 2011 年に頭打ち
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となっている(図表 1)。他方、輸入は拡大しており貿易収支は 2011 年から赤字である。タイの
輸出活性化には何が求められているのか。世界的なバリューチェーン(Global Value Chain, GVC)
の中におけるタイ企業の位置づけを用いて考察したい。
図表1
実質 GDP 成長率需要項目別寄与度(左)
、貿易収支(右)
(Bln USD)
300
(%pt)
35
30
貿易収支
250
25
20
輸出
輸入
200
15
150
10
5
100
0
-5
50
-10
-15
11
12
13
14
民間消費
政府支出
総固定資本形成
在庫変動
輸出
輸入
誤差脱漏
実質GDP成長率
0
‐50
91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13
(出所)タイ国家経済社会開発委員会事務局、税務局より大和総研作成
世界的なバリューチェーンにおけるタイ
GVC の中におけるタイの重要性が注目されたのは、2011 年の洪水被害の時であった。日系を
含むタイ国内の主要な生産拠点が浸水し、自動車や電子機器の供給が滞ったことで、サプライ
チェーンに多大な影響を与えた。
タイは従来、日本から高度な部品を調達し、加工を行って米国や欧州へ輸出するという加工
貿易を担ってきており、特に HDD を中心とする電子機器の世界マーケットシェアを拡大させて
きた。1990 年の輸入構造を見ると、主に日本から中間財を輸入し、日本、米国、欧州に最終財
を輸出している(図表 2)。
その構造に変化が見られたのは 2000 年代である。2001 年の中国 WTO 加盟を契機に、中国はタ
イを含む ASEAN との貿易量を増加させた。タイの貿易統計を確認すると、中間財に関しては、
2012 年においても依然日本から多くを輸入しているが、その一方で中国や ASEAN への依存も高
めている。輸出先については中国、ASEAN が日本を抜き、財別では最終財だけでなく中間財が大
きく増加している(図表 2)。つまり、2000 年代以降、タイは中間財や最終財を介し、先進国よ
りも中国や ASEAN との統合を深化させてきたことが分かる。その結果、タイの新興国・途上国
向け輸出の割合は、2013 年に全体の 49.4%にまで上昇した(図表 3)。
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図表2
(BLn USD)
タイの財・国別輸出入
タイ輸出品(1990年)
(Bln USD)
タイ輸入品(1990年)
6
12
5
10
4
8
3
6
2
4
1
2
0
0
日本
米国
中国
最終財
(BLn USD)
ASEAN
中間財
日本
EU
米国
中国
最終財
原材料
タイ輸入品(2012年)
(Bln USD)
60
ASEAN
中間財
EU
原材料
タイ輸出品(2012年)
50
45
50
40
35
40
30
30
25
20
20
15
10
10
5
0
日本
米国
中国
最終財
ASEAN
中間財
0
EU
日本
原材料
米国
最終財
中国
中間財
(出所)RIETI-TID2012 より大和総研作成
図表3
タイの輸出先割合(地域別)
(%)
90
80
70
60
50
40
30
20
10
0
1980
1983
1986
1989
1992
先進国
1995
1998
2001
2004
2007
新興国・途上国
(出所)IMF, Direction of Trade より大和総研作成
2010
2013
ASEAN
原材料
EU
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中国を中心に、さらに詳しくタイとの貿易取引を確認したい。産業別の輸出入を見ると、タ
イは中国に対し一般機械や電子機器等の資本財・中間財のほか、紙パルプ等の原材料も供給し
ている。逆に中国からは、電子機器や一般機械を輸入している。この二か国間では、同じ業種
内で部品や製品を取引する、いわゆる水平分業が行われていることが推測できる。一般機械や
電子機器においては、タイの対中貿易収支が黒字を計上することが多く、中国にとってタイは
機械類の重要な供給拠点となっている。
世界における機械類輸出のシェアを見ると、ここ 10 年で中国が急速に拡大させている(図表
4)。しかし、中国の輸出額に占める海外での付加価値額の割合を財の技術水準別に見ると、主
に高・中技術輸出製品、ICT 輸出製品について海外付加価値の占める割合が高まっている(図表
5)。つまり、中国が輸出する機械類のうち、高付加価値部分は主に海外から供給されているこ
とが分かる。さらに、中国のタイからの輸入額を産業の技術水準別にみると、1995 年当時はロ
ーテク中心であったのが、2012 年にはハイテク、またはミディアムハイテク産業のシェアが拡
大している(図表 6)。2 国間の貿易取引において、タイは中国に対し付加価値の高い製品を供
給しているようである。これは、集積されたタイの産業基盤が、付加価値を生みやすい環境に
あることを示している。
以上の通り、GVC におけるタイの役割は、中間財を輸入し、安い賃金を背景に組み立て、最終
財を先進国に輸出するものから、技術力を以て中国を補完するものに変化しつつあるようだ。
図表4
タイ・中国の機械類輸出世界シェア(%)
タイ
中国
(%)
一般機械 電子機器 家庭用家電 輸送機器 一般機械 電子機器 家庭用家電 輸送機器
1990
1.0
0.9
2.1
0.1
1.1
4.6
12.9
0.5
2000
2.9
3.1
4.3
0.7
9.4
14.1
40.0
1.9
2012
4.2
2.8
6.2
2.9
38.5
54.1
78.5
9.5
(出所)RIETI-TID2012 より大和総研作成
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図表5
中国からの輸出に占める海外付加価値割合(技術別)
(百万USD)
高・中技術製品輸出
(百万USD)
40% 350
450
350
25%
総輸出額
総輸出額
400
中・低技術製品輸出
35% 300
輸出に占める海外で
の付加価値割合(右)
30%
300
25%
250
輸出に占める海外で
の付加価値割合(右)
250
20%
15%
200
20%
200
150
150
10%
100
50
0
1995
(百万USD)
250
200
10%
15%
2000
100
5%
5%
50
0%
0
0%
1995
2005
2000
2005
ICT 輸出
60%
総輸出額
50%
輸出に占める海外で
の付加価値割合(右)
40%
150
30%
100
20%
50
10%
0
0%
1995
2000
2005
(出所)OECD より大和総研作成
図表6
中国のタイからの輸入割合(産業技術別)
ハイテク
4%
1995年
2012年
その他
17%
その他
18%
ミディアム/
ハイテク
18%
ハイテク
40%
ローテク
9%
ローテク
55%
ミディアム/
ローテク
6%
ミディアム/
ローテク
9%
ミディアム/
ハイテク
24%
(出所)OECD より大和総研作成
生産性の鈍化と労働コストの上昇
技術力の高さが維持できれば生産性は高まる上、他国製品との差別化で国際的な競争力を保
つことは可能になる。しかし近年、タイにおける生産性優位に陰りがみられる。図表 7 は中国
6/9
に対する生産性ギャップである。プラス幅が大きいほど、中国と比較して生産性が高いことを
示している。タイを見ると、1990 年、2000 年には中国に対して約 2 倍の生産性を有していたが、
2012 年には約 10%にまで縮小している。
図表7
生産性における中国とのギャップ
(%)
500
400
300
200
100
0
‐100
Cambodia Indonesia Myanmar Philippines Vietnam
1990年
2000年
Thailand
Malaysia
2012年
(注)1990 年 PPP ドルベースの労働者一人当たり GDP の中国とのギャップ
(出所)WDI より大和総研作成
また、賃金上昇が単位労働コストを押し上げている(図表 8)。この背景には、労働市場の需
給逼迫が挙げられる。まず、雇用者の割合を産業別でみると、タイでは、2000 年代以降、産業
別の雇用者割合に大きな変化がない(図表 9)
。特に、農業部門の雇用者割合は 2012 年において
も 40%と高い水準にある。タイにおける失業率は 1%未満と非常に低い水準にはあるが、これ
は労働力の大半が農業セクターで吸収されている点が理由として挙げられる。労働人口の産業
間移動が少なく、付加価値の高い産業へ人が流れないことから、製造業で賃金が上昇しやすく
なる。
また、タイの人口動態から見ても、労働コストの抑制は難しい点が窺える。2014 年には人口
ボーナス指数の頂点に達する計算で、その後は低下を辿る(図表 10)。約 10 年後の 2023 年には、
人口ボーナス指数が「2.0」に低下し、その後は人口構成が経済成長の重荷となる「人口オーナ
ス期」に入る。つまり、人口ボーナスによる恩恵は今後望めない。
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図表8
単位労働コストの要因分解(前年比%)
(%)
3
2.5
2
1.5
1
0.5
0
‐0.5
‐1
‐1.5
‐2
01
02
03
04
賃金
05
06
07
08
生産性
09
10
11
12
13
単位労働コスト
(注)単位労働コストを対数化したものを基に計算。
(出所)NESDB より大和総研作成
図表9
産業別雇用者割合
100%
90%
80%
70%
60%
サービス業
50%
製造業
40%
農業
30%
20%
10%
0%
1980
1990
2000
2005
2010
2012
(出所)世界銀行より大和総研作成
図表10
人口ボーナス指数
3
2.5
2
1992年
2030年
1.5
1
0.5
0
1950 1962 1974 1986 1998 2010 2022 2034 2046 2058 2070 2082 2094
(注)人口ボーナス指数=生産年齢人口 / 従属年齢人口
(出所)国連より大和総研作成
8/9
競争力強化には技術力向上。その上で労働者の合法的な受け入れの拡大を。
従来、タイの魅力の一つはその賃金の安さにあった。しかし、GVC の中におけるタイの位置付
けの変化を見ると、技術力の重要性が明らかだ。これは、国際協力銀行が発表している海外直
接投資アンケートの結果にも如実に表れている(図表 11)
。タイを投資有望先とする理由として
2005 年度には圧倒的な上位にきていた「安価な労働力(50.3%)」が、2014 年度には 28.3%と
第 4 位までに落ちている。
その一方で、
2005 年度の結果にはなかった「産業集積がある(35.5%)」
が 3 位に浮上している。
図表11
1
2
3
4
直接投資先としてのタイの魅力
20 0 5 年度
安価な労働力
市場の成長性
政治・社会情勢が安定
第三国輸出拠点として
50.3%
46.2%
43.4%
33.8%
2 0 1 4年度
現地マーケットの今後の成長性
現地マーケットの現状規模
産業集積がある
安価な労働力
54.3%
42.2%
35.3%
28.3%
(出所)国際協力銀行「わが国製造業企業の海外事業展開に関する調査報
告」2005 年度、2014 年度より大和総研作成
産業の集積という相対的な優位を維持するための一つの方策として、R&D への投資促進が挙げ
られる。タイは、他の ASEAN 諸国や日本、韓国と比較して初等教育や中等教育への公的支出が
大きい(図表 12)。また、高等教育への支援も手厚く、その GDP 比は韓国をも上回っている。こ
れらから、タイの教育レベル向上に対する姿勢が見られる。しかし、R&D への公的・民間支出を
見ると、日本、韓国はもとより、他の ASEAN 諸国と比較してもその規模は非常に小さい(図表
12)。教育に対する公的支出は十分であることから、R&D 支出の低さは民間部門に起因すると考
えられる。
図表12
(GDP比、%)
教育・研究開発への支出
各教育レベルへの公的支出
(GDP比、%)
45
R&Dへの公的・民間支出
4
初等教育
40
中等教育
高等教育
35
3.5
3
30
2.5
25
2
20
1.5
1
15
0.5
10
0
5
0
インドネシア
タイ
日本
韓国
(注)左図は、一人当たりに対する公的支出を一人当たり GDP で割ったもの。
(出所)WDI より大和総研作成
9/9
単位労働コストの抑制には、より多くの労働力を生産性の低い低技術な産業から、より生産
性が高く高技術な産業に移行させる必要がある。その場合、非熟練労働については、周辺の ASEAN
後進国から移民を受け入れることが一つの手である。実際、タイと国境を接しているミャンマ
ーやカンボジアからの海外労働者は現段階でも多いと言われるが、その大半は不法労働者であ
る。タイでクーデターが生じた際、軍による不法滞在取締が強化されるとの懸念から、1 か月で
約 25 万人ものカンボジア人がカンボジアへ相次いで帰国したニュースは記憶に新しい。タイと
比較して賃金の安い労働者の合法的な受け入れを拡大することがタイの人口動態を考える上で
も妥当な選択と言えるのではないか。これは、タイの賃金上昇抑制にも効果があるだろう。
タイの賃金が上昇し、若い労働者の増加による賃金抑制の効果が見込みにくくなった現在、
「タイプラスワン」としてより賃金の安いミャンマー、バングラデシュに資本が流れている。生
産性が停滞する中で、賃金が高まれば、タイ輸出産業の競争力は低下の一途を辿ることとなる。
GVC の中でタイ輸出産業が競争力を保つためには、まずは技術力による生産性向上に注力すべき
である。そしてそれを側面支援する意味で、他国からの労働者の受け入れによる労働コストの
上昇率抑制が必要となるだろう。