— 1 — 7.文字の誕生 繰り返すことになるが、私は言語学を学んだことはなく言語について 仕事をしたこともない。言語については文字通りの全くの素人である。 その素人が C.S.パースがいう「記号とそれが参照する対象との間にアイ コン、インデクス、そしてシンボルの 3 レベルがある」を受けて思考の 羽根を伸ばすことにより、人の社会がもつ性質について私自身としては 納得できる理解を得てきた。 とすれば、それをもう一歩進めることも許されよう。それは文字の誕 生である。パースがいう記号の 3 レベルを念頭に置き、ガザニガがいう 左脳にあるインタプリターに制約なく自由に仕事をさせ、素人がもちあ わせる知識に基づいて文字の起源について辻褄を合う理解を創ること にも意味があろう。専門家の専門知識を超えた新たな見解を作り出せる かもしれない。 アイコン文字:原文字 文字は記号である。よって C. S. パースが定義した「記号とそれが参 照する対象との関係」の 3 レベルを考えることができる。記号には参照 対象と何らかの類似性をもつアイコン、相関をもつインデクス、そして 約束により定まるシンボルの 3 レベルがある。 文字には、それに加えて「姿・形がある記号」という特徴がある。文 字が姿・形をもつことから、最初に考えられるのはアイコンの意味をも つ姿・形である。文字は参照対象のアイコンとして誕生した。 アイコンとしての文字は、シンボル言語に対応する文字ではない可能 性が高い。表現すべきシンボル言語が生まれないうちにアイコン言語と してアイコン文字が始まった可能性がある。文字学の専門家はこれを言 語に対応しない「原文字」と呼んでいるが、この呼び名は、言語はシン ボル言語だけという人の社会の現状に囚われた観方と言えよう。 一万 5 千年前にラスコーの洞窟にクロマニオン人が描いた絵は、その 緻密さと色彩から今日いう絵画として書かれたのかも知れない。しかし、 — 2 — 今日処々方々の崖などに散見される太古の人が描いた略画のような動物 や人の絵を稚拙な絵画というよりも、アイコンと観る方が正鵠を得てい よう。彼らは崖を今日の連絡版として使っていたと言える。 絵画を描こうとしたのであれば、対象をじっくり眺めて実物に近い絵 を描く能力をすでにもっていたことはラスコーの絵画に明らかであるか らである。 アイコン言語そのものであるアイコンとしての文字は、生まれながら にアイコンとして姿・形をもつだけに、それから脱却してインデクスに 移行することが難しい。姿・形における相関を考えることは現代人にと っても難しい仕事である。例えば、空を飛ぶ鳥と相関がある姿・形をも つインデクスを考えようとすれば明らかであろう。アイコンであれば簡 単である。 アイコンとしての文字の代表例は漢字である。 「山」や「川」の文字は それぞれ実在する「ヤマ」と「カワ」と形態が類似する記号である。漢 字では、文字記号を要素として文字を構成することにより一字一文の「語」 を構成できる。白川 静は漢字の成り立ちを分析して漢字が 1 字で参照 している語あるいは文を解読している(白川、1978)。 相関文字 相関をもつ文字は参照対象から直接創られるよりも音声言語を介して 創られている。日本語における「カタカナ」は、アイコンとしての漢字 を読むときに発する音声を、漢字の一部を取る記号として表している。 この意味で参照対象と相関をもつ。日本独自の巧妙な表音文字の創出で ある。 「ひらがな」は漢字の崩し字をもって漢字の音声と相関をもつ表音文 字としている。崩し字は元の漢字がもつ意味を連想させる。ひらがなの 「の」は漢字の「的」の崩し字として生まれている。このためか最近で は先祖返りをして、ひらがなに代えて漢字を使う用法が見られる。 「将来 の」と言えば済むものを「将来的には」という人がいるのはこの例であ ワタクシ る。中には「私の」に代えて「 私 的には」という表現を使う。漢字を — 3 — 使えば大人に見えるという幼児心理の残影であろう。 音声言語におけると同様に、インデクスはシンボルの意味をもつこと がある。表音文字とその参照対象である音素の対応が今日では約束によ り関係づけられているのはこれがおきたと考えられる。 文字は記号であるからシンボル化された記号は、約束の階層により記 号が参照する対象を階層的につくることができる。艦船に掲げられる信 号旗はその例である。 日露戦争での日本海海戦において旗艦三笠のマストに掲げられた Z 旗 は、 「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」という文を参 照していた * 。これは参照対象に約束として対応する記号であることか ら、シンボル言語の 3 階層になぞらえれば Z 旗はシンボルであり、参照 されたものはシンボル言語による文であった。 この約束は三笠連合艦隊のすべての艦船に いた信号兵の間の約束であったろう。信号兵 は旗艦三笠のマストに Z 旗が挙がるのを今か 今かと待ち、見届けるやそれが参照する文を 兵員のすべてに伝えたに相違ない 現在使われているモールス符号や計算機の 文字記号は 2 進数にシンボル化されて今日の 文明を支えている。 音声言語と文字言語とはどちらが先か 文字は記号であり同時にアイコン言語として誕生したから、同じ記号 である音声言語と起源の前後を判断することは難しい。 太古の狩猟採集の時代のヒトとも、記号と実在との対応は常時眼にし ていた。捕らえようとする獣の足跡とその向き、排泄物、獣の餌となっ た動植物の遺物、通った後に残る草や木の小枝の損傷などの記号は、目 * Z 旗を海軍における戦闘員に奮起を促す信号に用いたのは、英国海軍のネル ソン提督がスペイン海軍との決戦に用いた前例がある。東郷元帥がネルソン提 督に比せられる理由の一部であったであろう。 — 4 — 的の獣の存在とその行動の一部でありアイコンであった。これら多くの アイコンと実在との対応を眼にしていながらアイコンを記号化したシン ボルを仲間との交信に使わなかった、と考える方が無理であろう。 ヒト(ホモ・サピエンス)がもつ当然の能力として、シンボル言語が それまでの言語の基準言語とする隠語であると同様に、アイコンを基準 文字とする何らかの記号を隠語として用いることが始まっていたと考え られる。これがシンボル文字の起源である。 ヒト以外の動物が文字をもたず、人においても音声言語が音は発生さ れるとそのまま消失し文字言語は遺跡として今日に残ることから、音声 言語が先に生まれたと考えているが、これは検証されてはいない。 音声言語をもちながら文字をもたない種族がいることをもって、音声 言語が先に生まれたとする見方があるが、これも疑わしい。文字がない とされていた南米の古代インカにおいて、王の訓令を支配下の各地方に 伝える役を担っていた伝令は、王の訓令を縄の結び目で表して携行した という。アルファベットなどの表音文字や漢字のような表意文字を使う 今日の文明社会から見れば、縄の結び目は文字でないかもしれないが、 縄の結び目は立派なシンボル文字である。 ここでの考察からの推論として、ヒトにおいては音声言語と文字言語 は殆ど同じ時期に始まったと考える。とすれば当然のこととして音声言 語と文字言語は共進化する。これが今日に観察される豊かな音声言語と 文字言語の発展へと繋がったのであろう。 アルファベットと数字の起源 表音文字としてのアルファベットの誕生は、ラテン文字→ギリシャ文 字→シュメル(楔形)文字へと先祖を辿ることができる。メソポタミヤ に生まれたとされる楔形文字は、事物の数を表すために丸棒を押しつけ て描いた●とエジプトの神官が使う神聖文字(ヒエログラフ)の要素が 先の尖った棒で書く楔形であることから、この 2 つが混在し次第に楔形 要素が卓越することで生まれた。そして、BC26 世紀頃にシュメル語の 音節を表すことになったとされている。これだけの情報があれば(しか — 5 — なければ)私の左脳のインタープリターは喜んで自由に活動を始める。 ●の数で事物の数を表すことがアイコンであるのか、インデクスであ るのかの判断は直ちにはなし難い。もし、メソポタミアの人々が数とい う抽象概念を獲得していればインデクスであるが、事物の集合の性質と して認識しておればアイコンである。「羊が 5 匹」と見るか「5 匹の羊」 と見るかの違いである。 ここでは●を羊のアイコンとして、5 つの●を5つ並べた表現を「羊 が 5 匹」を表すと考えることとする。●を先の尖った棒で書くとすれば ●でなく〇となり、さらに○に変えて楔形を用いれば| になる。楔形を 片手の指の数だけ並べる代わりに手のアイコンとして 2 本指に簡略化し たVを用い、両手を表すアイコンとしてXを用いればローマ数字が生ま れる。 この数字の進化の過程と同様の過程で、○と| が混在してアルファベ ットが生まれた。アルファベット文字を観察すれば、その要素は○と| の変形であると読める。このことはアラビア数字の形態にとくによく現 れている。アラビア数字は○と縦横の| からなっている。 ラマチャンドランは、アラビア数字はインドに生まれそれをアラビア 商人が貿易に用いたために誤ってアラビヤ数字と呼ばれるようになった、 とインドのプライオリティーを主張している(ラマチャンドラン、2011)。 文字学の専門家ならば文字誕生の場所が気になるのかも知れないが、私 にとっては同じ人類が達成したことと考えて、どこであってもよい。 表音と表意のどちらが優れているか アルファベットのような表音文字は、音声表現されたどんな語や文を も表現できる。英語のアルファベットは 26 個の音素に対応しているが、 26 音素の複数個の組み合わせにより英語で使われるすべての音を表現 できる。日本語の仮名は、かつては 51 個の音素に対応して 51 文字であ ったが現在ではワを除くワ行の音の変化に伴い 48 文字に縮退している。 音素で構成される音を表現する文字を文字列にすれば、日本語のよう に膠着語であっても、ラテン語のように屈折語であっても、中国語のよ — 6 — うな孤立語であっても、統語規則に関係なしに音声言語の音の並びの通 りに文字列に並べられる。この意味で表現に紛れがない。 このことは、この能力をもたない表意文字の欠点になるとは限らない。 日本語と中国語は音声言語としては音素も統語規則も全く異なるにも拘 わらず、漢字で表現をするとかなりの程度に交信が可能であるという利 点がある。 表音文字と表意文字のどちらが優れているとは一律に言いきれない。 アルファベットは言語のレベルで言えばシンボルに当たり漢字はアイコ ンに当たるとして、アルファベットをもって抽象化のレベルが高いとす る言説があるが、これはアルファベットを常用する研究者の牽強付会の 説に過ぎない。 日本社会は平安時代に表意文字から「カタカナ、ひらがな」という表 音文字を創り出した。このことが現在にもたらしている利点は計り知れ ない。表意文字と表音文字の両方の利点を享受していることは、表音文 字で書かれた語をカタカナ書きしている日常に見ることが出来る。中国 では化合物の表現に苦労しているのを見ると、平安時代の人々の知恵に 感謝すべきことである。
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