「腐女子」の社会史 ―女性による女性のための男性同性愛小説の社会史― 大坂理恵 1 目次 序章 「腐女子」と自称する女性たち 第1章 「エス」と男装の麗人―少女が憧れた同性愛とトランスジェンダー 第1節 文化の中心としての少女雑誌と「エス」 第2節 「男装の麗人」への憧れ 第2章 1980 年代の少女文化―「やおい」 「JUNE」 第1節 作者であり読者でもある少女―コミックマーケット分析 第2節 同人サークル増加の理由 第3節 女性のための恋愛エンターテインメント―ハーレクイン 第3章 雑誌がジャンルを生む―『JUNE』 第1節 性的少数者と『JUNE』読者 第2節 作品へ寄せられる感想 第4章 「少年愛」から「やおい」 「ボーイズ・ラブ」―1980 年代後半 第1節 新聞における同性愛表象の変化 第2節 雑誌報道の変化 第3節 エイズ・パニックと女性読者の関係 第5章 「ボーイズ・ラブ」とゲイ・ブーム―1990 年代初頭 第1節 「ボーイズ・ラブ」小説ブームの背景 第2節 ゲイ・ブームと女性のライフスタイル 結論 謝辞・文責 参考文献・調査資料 2 序章 「腐女子」と自称する女性たち 「ジャパニメーション」や「ポップカルチャー」として、アニメや漫画などの日本発の サブカルチャーが世界的に注目されているなかで、これまで馴染みのなかった「腐女子」 という言葉は、日本だけでなく世界中に広がりつつある。1990 年代に広まったとされる同 語が指す者は、男性同性愛をテーマとした作品を愛好する女性である。アニメや漫画、小 説作品などのいわゆる「二次元」を題材としたものだけではなく、芸能人やアーティスト などの実在の人物いわゆる「三次元」に関しての男性同性愛を好む者も多くみられる。彼 女たちのなかには読者でいるだけではなく、同人作家として作者の側に転じる者も多い。 日本のポップカルチャー・シーンにおいて特徴的なこれらの男性同性愛作品は、多くの国 で若者を中心に注目されつつある。 その作品は主に、オリジナル作品である「ボーイズ・ラブ」 、そして漫画・アニメの登場 人物や芸能人などの男性同性愛関係にない者同士を恋愛関係にしたストーリーを新たに創 り出す「やおい」の2つに大別できる。これらの物語は現実の男性同性愛者同士の関係と も違った特徴をもつ。性行為の上での攻め手と受け手がはっきりと区別されており、性行 為の際に肛門性交を行う確率が非常に高い。また、これらの作品の殆どの作者は女性であ ることが大きな特徴として挙げられる。そのため、一般に「ゲイ文学」「ゲイ作品」と呼ば れるものとは一線を画しており、それらとは融合することなく独自の発展を続けている。 これらの、女性による女性のための男性同性愛作品を創作あるいは愛好する女性たちは、 1990 年代において、自らを自嘲的に「腐った」人間という意味を込めて「腐女子」と呼ぶ ようになった。現在では年齢が高くなるにつれて「貴腐人」などと言い表すことも増えて いる。 二次創作である「やおい」、またオリジナルの「ボーイズ・ラブ」とその源流である「JUNE」ジャンル は、1980 年代以降に、同人誌市場のなかで急激な拡大をみせていった。しかし 1980 年代の「やお い」「ボーイズ・ラブ」は、あくまでサブカルチャーの中でも傍流として位置づけられており、1970 年 代の「少年愛」が大きな転換点であると論じられてきた。一般的にこの論拠としては、ウーマン・リブ 運動を中心とする第二波フェミニズムの興隆と、竹宮恵子や萩尾望都などの「24 年組」と呼ばれる 少年愛をテーマとした少女マンガ作家の流行、またメディアにおける過激な性表現の浸透が挙げ られている。そして山田田鶴子は 80 年代後半からの「やおい」は、「少数の例外を除いて、ブームと して記されるに留まるであろうと思われる」1と述べている。山田だけでなく、多くの論者は「やおい」 を論ずる際に「少年愛」と同列に扱い、明確に区別することなく同じ文脈で論じていることが多い。 また、ジェンダー論や女性学などの社会学、あるいは文学論的な視点から研究されることが殆どで あり、文化史あるいは社会史的に研究されることはなかった。 本論文では、1980 年代に成立した「やおい」「JUNE」というサブカルチャーに焦点を絞り、こうし 1 山田田鶴子『少女マンガにおけるホモセクシュアリティ』ワイズ出版、2007 年、151 頁。 3 た文化ジャンルの生成から発展、とりわけその理由を、社会史的な見地に立って研究していく。そ の際、戦前の少女向け雑誌を中心に花開いた少女文化に着目する。小説から生まれた「エス」とい う女性同士の強い愛情関係、そして少女歌劇と「男装の麗人」が戦前において人気を博した。これ らの文化の持つ、少女同士のネットワーク構築と家族制度への対抗文化という機能と比較しながら、 戦前と 1980 年代の女性文化と社会構造の関連性を究明する。 4 第1章 「エス」と男装の麗人―少女が憧れた同性愛とトランスジェンダー 歴史的にみると、女性作家による女性向け作品として「やおい」「JUNE」というサブカルチャーの 比較対象になるものがすでに戦前期に存在していた。主に少女向け雑誌などに掲載されていた、 「少女小説」と呼ばれる文学ジャンルの作品たちである。耽美的な文体で「エス」という独特の少女 同士の同性愛的関係が描かれた作品は、当時の少女たちに熱狂的に支持された。また、少女小 説の流行と時を同じくして宝塚歌劇や松竹歌劇などが注目を集め、「男装の麗人」が少女たちの仲 で人気を博した。ここでも 1980 年代と似た形で、同性愛やトランスジェンダーなど、異性愛規範から 外れたものが少女に支持されていった。 第1節 文化の中心としての少女雑誌と「エス」 当論文では第 2 章以降において、1980 年代の少女を論じる際に雑誌「小説 JUNE」読者ページ を研究資料としている為、雑誌投稿という点から、雑誌「少女の友」読者ページ分析を行うことで少 女小説について研究した今田絵里香『「少女」の社会史』に依拠して両者の比較検討をおこなう。 昭和 10 年代まで、少女たちの文化の中心は出版物、とりわけ雑誌であった。その中でも長期間 に渡って人気を博したのが「少女の友」である。本誌は、明治 41 年から昭和 30 年まで発刊されて いた(昭和 17 年休止ののち、終戦後に復刊)。小説連載陣には川端康成2や吉屋信子などが名を 連ね、とりわけ 1930 年代において、少女同士の強力な結びつきを描写した小説が多く連載されて いた。この親密な関係は「エス」と呼ばれていた。「エス」とは sister の頭文字からとられた言葉であ るといわれているが、血の繋がらない少女同士をあらわすものであり、単なる友情とも擬似姉妹関 係とも言いがたく、しばしば情熱的な関係であったとされる。このことは、「エス」のほかに「アルファ、 オメガ」という上級生と下級生の愛情を表す言葉など、少女同士の関係を表す隠語が多かったこと からもいえる。3 「エス」の世界は文字の世界にこそはっきりとした輪郭を示すものである、と今田は論じている。現 実世界をドラマチックに作り替えることが不可欠であり、また自分の感情を文字によって表現し伝達 しなければならないので、手紙が必要不可欠となってくる。手紙の中では装飾語の数々をちりばめ ることで、現実世界を装飾し、よりドラマチックな形に現実世界を再構成することができる。また文通 によって、相手に対する思いを常に情熱的な形で吐露し合うことが可能となるためである。4 2 「乙女の港」 「花日記」などを連載。しかしこれらの作品は、ゴーストライターである芥 川賞作家の中里恒子が執筆していた。 3 今田絵里香『 「少女」の社会史』勁草書房、2007 年、189-191 頁。 4 今田絵里香『 「少女」の社会史』勁草書房、2007 年、192-193 頁。 5 少女たちはこれらの雑誌連載作品を読み、作品の感想を雑誌に投書していった。雑誌「少女の 友」では読者投稿コーナーが重要視されており、総頁数の 7 分の 1 を占めていた5。ここには小説作 品の感想や日常生活、詩や小説などのほかに、手紙コーナーにはエスのパートナーに向けた恋 文が多く掲載されていた。なかでも、投書欄における個人宛のやりとりは少女たちの結びつきにお いて重要な役割を担っていた。ある投書に対する他の少女からの共感を示す手紙や回答、返事な どが掲載されていくことで、ペンネームと文字のみでの少女同士の関係が生まれた。読者が発起 人となって「友ちゃん会」などと呼ばれる「愛読者大会」が全国各地で開催されていくことにより、こ れまで読者投稿ページでのみ交流のあった少女同士が現実世界で友人となり、それに加えて新 たな友人を作ることができた。ここで出会った少女たちは、少女小説において最も重要な愛情表現 の手段である文通をすることで友情を深めていき、ときに現実世界で「エス」の関係を構築していっ た。6また、少女自身が小説を執筆し、友人同士で交換し批評しあうことも多かった。そのうえで、同 人誌を発行していた少女たちも少なくない。 これらの関係に関する当時の見解に関しては諸説あるが、変態性欲としての同性愛などの「病 理」的なものとは切り離されて容認されていたと考えられている。当時の少女同士の親密な関係に ついての現在の解釈は大きく2つに分かれている。少女同士の親密な関係を、近代家族の愛情あ ふれる母ないし妻としてふさわしい存在とになるための装置として位置づける解釈と、親あるいは男 性との権力関係を排除した空間を生成する試みであるという解釈である。7ここから、「エス」の関係 を描いた少女小説は、当時「変態性欲」として扱われた女性同性愛とは違った捉えられ方であった と考えられる。 今日によれば、「エス」の重要な機能のひとつに、少女たちにとっての対抗文化としての機能が 挙げられる。 第一に、家族への反抗である。男尊女卑的な考え方をする父親や、将来を嘱望されて可愛がら れる弟への妬みが少女小説の中には多く描かれている。同じ悩みを抱えた女学生同士は、家族 への反抗ゆえに強く結びついていた。自由と立身出世を制限されて苦しむがゆえに家族に反抗す る主人公を、友人が自己犠牲的に援助し、主人公を受容していく。その結果、最後には自由と立 身出世を獲得する。このようなストーリーがお決まりのパターンであった。8 第二に、家族制度からくる男性嫌悪である。「男らしさ」を嫌悪する描写は、男尊女卑的な考え方 に対する反抗に由来している。それゆえに「明るく」「清く」「しめやか」で「懐かしい」関係を男性不 在の少女同士で築くことを希望している。9 第三に、結婚の拒否である。家族制度と男性を嫌悪する少女たちは、当然の流れとして結婚を 拒否するようになる。エスの関係にある少女同士の片方が結婚し、苦悩しつつ別れるという作品が 多くみられた。読者投稿欄においても「結婚の拒否」は重要なテーマであった。しかし、現実には 5 6 7 8 9 今田『 「少女」の社会史』 、142 頁。 今田『 「少女」の社会史』 、221 頁。 今田『 「少女」の社会史』 、196 頁。 今田『 「少女」の社会史』 、212-213 頁。 今田『 「少女」の社会史』 、215 頁。 6 結婚を完全に拒否することは困難であった。10 1930 年代において、「エス」は戦前の家父長制のなかで生きる少女たちにとっての、家族・男性・ 強制的異性愛への対抗文化となっていた。 第2節 「男装の麗人」への憧れ 宝塚歌劇団は、1914 年 1 月に兵庫県宝塚市ではじまった。温泉街の余興場におけるアトラクショ ンとして上演された「おとぎ歌劇」を前身として、1919 年に宝塚少女歌劇団が発足した。発足以前 から宝塚少女歌劇養成会というものが組織されていたのだが、これは宝塚音楽歌劇学校の前身で ある。劇団員の養成にも力を入れていた。ここで演じられていたものは「歌劇」から想像するオペラ 的な演劇とは違っていた。一種のレビューとみなすべき歌と踊りの芝居、オペレッタであり、これが 女性団員だけの固有の形式によって演じられていたという特色があった。その後、オペラ・レビュ ー・ショウ・ボードビルなどが取り入れられて豪華絢爛な舞台づくりがすすんでいき、1927 年上演の 「モン・パリ」大ヒットにつながっていく。11 宝塚の「モン・パリ」大成功の影響を受けて、松竹株式会社も翌年に東京松竹楽劇部の女生徒 募集を行うようになる。こうして両者が演技を競うようになった。宝塚は「清く正しく美しく」の精神の 下にいわゆる生娘を厳選して採用したのに対して、松竹は実力本位での採用が行われた。12 この実力主義の松竹楽劇部に 1928 年に入団したのが 13 歳の三浦ウメ子であり、後の「男装の 麗人」である水の江滝子である。日本のレビュー史上初めての「男装の麗人」は、東京松竹楽劇部 の 1930 年 9 月公演「松竹オンパレード」に登場した。ショートカットにシルクハットを被りタキシード を着て司会役を演じた。1931 年に本格的な男役を演じ、ターキー水の江という愛称で親しまれるよ うになる。当時は日本人を外国名で呼ぶことは非常に斬新なことであり、型破りなものであった。水 の江滝子が少女たちの爆発的人気を一身に集めたことで、松竹楽劇部は拠点を東京に移した後 に松竹歌劇団と改称、その後 SKD と改称されるに至った。13 なぜ「男装の麗人」が少女たちから熱狂的な支持を得たのだろうか。それは「男装の麗人」が持 ちうる、「夢の王子様」と「やさしく美しいお姉さま」という二つの要素からである。1920 年代までの平 均的日本人家庭では、10 代の少女が自ら選んだ男友達と自由な交際をする機会は非常に少なか った。男女共学は、小学校低学年と一部の私立共学校でのみ実施されていた。そのため多くの少 女は女学校に通うことになっており、男子学生と出会う機会も少なかった。また、異性との交際が抑 圧され、とかく不純なものとみなされがちであり、異性に対して強い警戒心を抱いていた。そのなか で「男装の麗人」は、少女たちに最も近い“異性の身代わり”として機能したと考えられている。14 10 11 12 13 14 今田『 「少女」の社会史』 、215-216 頁。 秋山正美『少女たちの昭和史』 三秀舎、1992 年、180-182 頁。 秋山『少女たちの昭和史』 、182 頁。 秋山『少女たちの昭和史』 、182-185 頁。 秋山『少女たちの昭和史』186-188 頁。 7 また、美青年的な容姿でありながらも美しい女性であったため、「やさしく美しいお姉さま」への憧 れも叶えることができる、両性具有的な存在であったと考えられている。正体が女であるということで 異性に対する警戒心の強い少女たちを安心させることができた。少女歌劇の売り物である、女だけ が造りだす清潔感や男たちの介入しない処女性が、少女たちを惹き付けたのである。そして男尊 女卑的考え方が根強い当時、「男装の麗人」は少女の変身願望の具現でもあった。女に生まれた ことで叶えられない夢があった、生まれ変わるなら男になりたいという少女たちの潜在的不満を解 消してくれたのが「男装の麗人」であったと考えられている。15 15 秋山『少女たちの昭和史』188 頁。 8 第2章 1980 年代の少女文化―「やおい」「JUNE」 本章では、「少年愛」と「やおい」「ボーイズ・ラブ」の違いを明らかにすることで、第一に、「やお い」「JUNE」と呼ばれるジャンルで描かれる男性同性愛の方向性が大きく変化したこと、第二に、作 者と読者の関係が変化したことに関して、少女たちが受容する情報としてのメディア表象分析、そ して少女たちが文化の発信者となっていくコミックマーケット分析を行うことで、1980 年代後半にお ける少女と男性同性愛の関係を考察する。 第 1 節 作者であり読者でもある少女―コミックマーケット分析 コミックマーケットとは、まんが・アニメ・ゲーム・その他周辺ジャンルの自費出版(同人誌)の展示 即売会である。民間団体の主催する屋内イベントとしては日本最大の規模を誇り、コミケット・コミケ と呼ばれる。161975 年に第一回コミックマーケットが開催された。これまでの「まんが大会」への不満 から、批評集団「迷宮’75」によって立案され、中心スタッフ 4 名によって運営された。当時の参加サ ークル数は 32 サークル、参加者は 720 人であった。また参加者の 90%が、少女マンガファンの女 子中・高生であり、以降しばらくはこの状態が続いた。17この少女マンガファンの女子中・高生とは、 主に「少年愛」マンガの愛好者であった。その後も規模の拡大が続き、1981 年において参加サーク ル数は 500 サークル、一般参加者は 10000 人を数えるなど、非常に大きな展示即売会へと発展し た。 1981 年から会場を東京・晴海の東京国際見本市会場に移した。ここから 1986 年までは「第一期 晴海」期と呼ばれ、即売会の規模の拡大と共に同人誌の形態の変化、運営組織の法人化などが 起こった18ことなどから、「第一期晴海」期はコミックマーケットの過渡期ともいえる。そして 1987 年か らは会場を東京流通センターに移し、再び晴海の東京国際見本市会場に戻るも、1990 年には幕 張メッセに移動する。ここでは 1980 年から 1990 年前後の 10 年間をコミックマーケットの過渡期とし て捉え、主に「やおい」「JUNE」ジャンルを対象に分析していくこととする。表1は、参加者数と「やお い」「JUNE」小説サークル数の推移を集計したものある。 コミックマーケットでは、参加サークルの概要や前回参加者へのアンケート、イベント概要などを 掲載したパンフレットとして、開催の度に「コミックマーケットカタログ」が発行される。参加サークル 16 コミックマーケット準備会編「コミックマーケットとは何か?」2008 年。 「東京大学大 学院情報学環 コンテンツ創造科学産学連携教育プログラム」(2007 年 6 月)発表資料に 加筆した pdf ファイル。 17 コミックマーケット準備会編『コミケット・グラフィティ―マンガ・アニメ同人誌の 10 年―』朝日出版社、1985 年、258 頁。 18 前掲「コミックマーケットとは何か?」 9 の概要を紹介するために、各サークルには「サークルカット」とよばれるフリースペースが与えられ、 ここで文字や絵などでそれぞれのサークルをアピーすることができる。当節では、この「サークルカ ット」を集計することで、「やおい」「JUNE」小説を発表するサークル数を調査した。ここでの判断材 料としては、サークルカットにおける男性同性愛を示す言葉の有無である。「JUNE」「やおい」「ホ モ」「(キャラクター名)×(キャラクター名)」「BL」「18 禁」などが代表的な言葉として挙げられる。ま たコミックマーケットは夏季と冬季の年二回開催されているが、より参加サークルの多い冬季を調査 対象とした。 図1 第 39 回コミックマーケットカタログ 表1 冬季コミックマーケットにおける「やおい」「JUNE」小説サークル数の推移 開催年 参加者数(人) 参加サークル数 「やおい」小説サークル数 創作 JUNE 小説サークル数 1983 25,000 1,550 0 1 1984 25,000 2,300 0 0 1985 30,000 4,000 11 2 1986 40,000 4,400 16 6 1987 55,000 4,400 8 9 1988 100,000 8,900 203 18 1989 120,000 11,000 315 17 1990 250,000 13,000 230 14 1991 200,000 14,000 319 42 1992 180,000 15,000 269 56 10 参加者数、そして参加サークル数をみていくと、この 10 年間のなかで 1987 年を境に 2 つの大き な区分ができると考えられる。1987 年には男性同性愛小説を主に扱うサークル数が 17 サークルで あったのに対し、1988 年では 231 サークルと、増加率は 1300%以上のものであった。総参加者・ 総参加サークル数は 200%の増加率であったことを勘案すると、「やおい」「JUNE」などの男性同性 愛を扱うサークル数の増加は著しい。また、コミックマーケットに出展しているサークル代表者の年 齢についてみてみると、20 代から 30 代前半までの人が非常に多い。また、女性は全体の 72.2%を 占めており、一般的な「オタク=男性」のイメージからはかけ離れている。19 またサークルカットにおいては、調査開始時の 1982 年にはアニメや漫画の男性同性愛的な二 次創作作品を「アニパロ」と表現していた(図 2)。1984 年までは「やおい」「JUNE」ともに男性同性 愛をテーマにした小説サークルは殆ど参加していないが、1985 年になると、小説以外においても 「やおい」サークルが増加する傾向がみられる。また、このころからサークルカットに変化がみられる。 以前は文章主体だったのに対して、キャラクターなどを積極的にアピールするポップなものが増え 始めた。 この「やおい」ブームの理由として「キャプテン翼」が挙げられる。「週刊少年ジャンプ」で 1981 年 に連載を開始した同作品は、1983 年から 1986 年にかけてアニメ化され、視聴率は 20%を超える大 ヒット作品である。サッカー部に所属する少年を主人公とする同作品は、本来のターゲットである少 年のみならず、女性からの人気も非常に高かった。主要登場人物には女性は殆どおらず、またサ ッカー少年同士の友情が鮮明に描かれていることから、「やおい」二次創作を行ううえで非常に扱 いやすい題材であったのではないだろうか。 また、1986 年には文芸サークルの台頭がみられる。サークルカットにおいては、カップリングを表 す言葉としての「攻」「受」表現が多く用いられており、「健全」であることを表記するサークルも現れ るようになってきた。これらのサークルの中には、直接「やおい」「JUNE」と書き表さずとも「(名前)× (名前)」や「(名前)(名前)」などとキャラクター名でカップルを表現することで、「やおい」作品を 扱ったサークルであることをアピールするものも多かった。(図 3) 図 2 コミケット 22 カタログより 図 3 コミケット 35 カタログより 19 杉山あかし「コミケット 30 周年記念調査結果報告」 ファイル:1975-2005』 コミケット、2007 年、290 頁。 11 コミケット準備会編『コミックマーケット 30’s これらの表現は現在においてはごく一般的なものである。このことから、現在に至る「やおい」文 化の基礎がこの時期に作られていったことが窺える。このことから、同人誌と少女の関係において 1987 年はひとつの転換点とみなすことができると考えられる。 第 2 節 同人サークル増加の理由 「やおい」「JUNE」などを扱うサークルの主宰者は主に 10 代から 20 代の女性である。これまでマ ンガやアニメの愛好者であった彼女たちを同人誌制作に向かわせたものは何であったか。本節で は、同人誌制作のコストや原稿執筆手順、また当時のメディア表象を分析することで、87 年に同人 誌制作が増加した理由について論じていく。 一番大きな要因として、「文字」の変化が挙げられる。小説作品においては、文字は最も重要な 表現手段である。文字の大きさやフォントの違いによって作品の印象が大きく左右される。 出版社から発行される小説作品は写植や組版を経て印刷されるが、個人や数名のサークルが 発行する同人誌においては外注することが困難であった。手書きでの原稿作成から家庭用ワード プロセッサの普及、家庭用パーソナル・コンピュータとパソコン通信サービスの開始、同人誌作家 向けの印刷所の増加、これら3つがアマチュア作家の小説同人誌の制作を促進したと考えられる。 第一にワードプロセッサの普及であるが、1989 年におけるワードプロセッサの普及率は 1000 世 帯中 267 台20であることからも、ワードプロセッサによる原稿作成が増加していったと考えられる。こ の傾向は、コミックマーケットカタログのサークルカットからも読み取れる。サークルカット掲載ページ において、1980 年代中頃からワードプロセッサを使用したとみられる文字が増加している。特に小 説作品を扱うサークルにおいて顕著であった。 第二に、家庭用パーソナル・コンピュータ(以下パソコン)の登場とパソコン通信サービスの開始で あ る が 、 1984 年 に 郵 政 省 ( 当 時 ) が 「 パ ー ソ ナ ル ・ コ ン ピ ュ ー タ 通 信 装 置 推 奨 通 信 方 式 」 (JUST-PC)を告示することで、異なるメーカーのパソコン間での通信サービスがはじまり、1986 年 には一般企業が商用パソコンネットワークに参入した。開始当初はマニア向けのものであったが、 技術発展と機能向上、また通信機器の急激な価格低下によって、パソコン・ワープロそしてパソコ ン通信は一般ユーザーの間に広がっていった。1988 年のパソコン・ワープロの普及台数は 1000 万 台を越えたと言われており、また主な商用ネットワークと草の根 BBS を合わせたパソコン通信人口 は 10 万人を超えるものと考えられている21。 最後に、同人誌印刷形態の変化である。1970 年代から 1980 年代初頭にかけては同人誌印刷を 行う印刷業者も殆どなく、オフセット印刷は非常に高価なものであった。したがって、当時の同人誌 は青焼きコピー紙のものが大半であった。1980 年代中頃になると、同人誌印刷を行う印刷業者が 主要耐久消費財の所有数量 (1,000 世帯当たり) (全世帯)-全国(昭和 34 年~平成 11 年) 『日本長期統計総覧』総務省統計局 21 テレコムサービス協会編『ニューメディア白書’88』日刊工業新聞社、1989 年、80‐82 頁。 20 12 増加する。また同人誌制作ハウツー本も出され、1980 年代後半になるとオフセット印刷も一般的な ものとして普及していった。22 同人誌制作の現実を知るために、1982 年に愛知県の高校の漫画研究部で同人誌制作を始めた 女性にインタビューを行った。当時の学生の多くはコピー専門店で両面コピーを行い(片面 13~18 円)、ホチキス止めで製本していたという。理由として、オフセット印刷の最低部数は 500 部と多く、 加えて費用が高額であったことが挙げられた。ワードプロセッサが普及した 1986 年前後からはオフ セット印刷の最低部数は 100 部に減り、80 年代末には数十部からの発注も可能になった。また価 格も下がることで、オフセット印刷による同人誌制作が容易になった。同時期に同人誌即売会など のイベントにおける宅配便業者の出店が増加し、サークル出展時の搬入出作業が容易になった。 また、1985 年には東京に時間貸ワードプロセッサやコピー機、製本に必要な器具を備えた、現在 の時間貸オフィスのような形態をとる店舗も登場した。 以上の考察から、ワードプロセッサとパーソナル・コンピュータの普及、そして印刷業界の変化に よって、主に資金面と体力の劣る少女たちがより容易に同人誌製作を行えるようになり、同人サー クルの増加の大きな要因となった。 第 3 節 女性のための恋愛エンターテインメント―ハーレクイン 「やおい」「JUNE」同人誌増加の背景には、女性向けの「性」を題材としたメディアの台頭が考えら れる。そのなかでも小説分野において特筆すべきものは、ハーレクインである。1980 年代初頭、異 性愛男性のためのアダルトポルノ文庫は既に書籍市場において地位を獲得していたが、女性読者 を対象にしたものは非常に少なかった。この時代に初めて登場したものが、女性作家による女性向 け大衆恋愛小説を専門に出版しているハーレクインである。1949 年にカナダで創業されたロマン ス・フィクションを主に扱うハーレクイン社が 1979 年に日本で出版を開始した。1988 年にハーレクイ ン日本法人が設立されるなど、1980 年代において広く女性たちの間に浸透していった。 コミックマーケットで同人誌が増加した 1987 年前後のハーレクイン社の新刊出版数は、1985 年 では 209 点、1986 年 368 点(前年比 76%増)、1987 年 433 点(前年比 17%増、1985 年比 107% 増)である23。また、雑誌におけるハーレクイン社の広告量は、1986 年 20.9 段、1987 年 52.0 段で ある。1 年で 35 段増加し、増加率は 249.4%であった。1987 年当時の雑誌における広告主のなか では 12 位であった。24 このことから、1980 年代後半にハーレクイン社による女性向け大衆恋愛小説が急速に市場に出 回ったことが読み取れる。女性の性的関心を満たす手段としての小説の存在が広く認知され始め るのがこの頃であり、ハーレクイン小説の普及が、「やおい」「JUNE」小説の作者/読者増加の一つ 22 23 24 前掲「コミックマーケットとは何か?」 出版年鑑編集部編『出版年鑑』出版ニュース社、1985 年-1987 年 出版年鑑編集部編『出版年鑑』出版ニュース社、1986 年-1987 年 13 の要因であると考えられる。 14 第3章 雑誌がジャンルを生む―『JUNE』 男性同性愛作品ジャンルを示す言葉として「JUNE」という語が用いられている。1990 年代に「ボ ーイズ・ラブ」という言葉が浸透する以前においては、オリジナルの男性同性愛作品は主に「JUNE」 と呼ばれていたのである。雑誌『JUNE』とは株式会社サン出版(当時)が 1981 年に創刊した、男性 同性愛をテーマとした漫画小説混合雑誌である。編集部にはコミックマーケット創立に携わった人 物もいたといわれている。また、1983 年には小説に特化した隔月刊雑誌『小説 JUNE』が創刊され た。(図 4) 本論文では、『小説 JUNE』を分析対象とした。同テーマで創刊された雑誌には『ALLAN』などが あったが、そのなかで『小説 JUNE』を選択した理由としては、国立国会図書館でバックナンバーの 閲覧が容易であったこと、長期間に渡って定期的に発行されていたこと、1980 年代当時から全国 の書店で取扱いがあったことの3点が挙げられる。『小説 JUNE』の主な読者投書コーナーには、小 説の感想や文芸・芸能トピック、日常、投稿イラストなどが掲載された「JUNETOPIA」、そして男性 同性愛が描かれている文学作品を読者が紹介する「JUNE 的文学ガイド」の 2 つがあった。これらに 掲載された読者投稿を分析することで、女性読者はどのような作品を求めていたのか、そしてどの ような事柄に共感していたのかを探り、雑誌『小説 JUNE』が読者に対して果たしていた役割を解明 していく。 図 4 『小説 JUNE』1987 年 12 月号表紙 15 第 1 節 性的少数者と『JUNE』読者 「やおい」「ボーイズ・ラブ」などに関する先行研究においては、男性同性愛を題材としながらも 読者は女性であるという特異性にのみ注目されてきた。男性同性愛者にとってはあまりに耽美的だ った の で 受 け入 れ られ る こと はなか った と 考 え られ てき てい る 。 女 性 同 性 愛 者 に つ い ては Constance Penley が、1990 年のアメリカにおける映画「スタートレック」などを題材にした男性同性 愛二次創作である「スラッシュ」作品読者の殆どが異性愛者であり、レズビアンの数はとりたてて多く はなかったと論じている25。しかし現実に女性同性愛者向けのコミュニティサイトなどを見てみると、 漫画やアニメのファンが非常に多い。彼女たちの多くは「やおい」「ボーイズ・ラブ」読者であり、とき に作者でもある。また、女性の身体に違和感を持つ FtM (Female-to-Male:女性から男性への性別 移行を希望する) /FtX(Female-to-X where X is something not man or woman:中性あるいは無性 を選択する) トランスジェンダーのコミュニティにおいても同様の傾向がみられる。1980 年代の『JU NE』読者のなかの性的少数者、特に女性同性愛者やトランスジェンダーは一体どのようなものだ ったのだろうか。 まずは男性読者の投稿を分析しよう。創刊当初から同性愛についての悩み相談は頻繁に掲載 されていた。15 歳の高校 1 年生は、同性愛者であることに悩んでいたときに書店で『小説 JUNE』を 見つけたときの感激を、「(前略)家で何度も読みかえして、ほんとに感激です。僕にも仲間がいる んだ・・・そう思ったら希望がわいてきて・・・(以下略)」(1983 年 10 月号)と書いている。このように読 者の中には男性同性愛者もおり、『JUNE』を読むことで不安と孤独から抜け出すことができたので ある。それと同時に『JUNE』は、男性同性愛者にとって「純粋な両想い」を楽しむためのものであっ た。1980 年代当時、男性同性愛者向けの雑誌として『薔薇族』『さぶ』などが発行されていた。しか し、これらの雑誌では、男性ヌードグラビアや、「ハッテン場」とよばれる不特定の性交相手を求めて 集まり性行為を行う場所のレポートが多く掲載され、交際相手募集欄には金銭を目的としたものも 少なからずみられるなど、恋愛よりも性行為に重点がおかれていたともいえる。よって「純粋な両想 い」を求める大学生は、『さぶ』や『薔薇族』は「体が目的みたいでイヤ」だと書いている。(1984 年 4 月号) 彼のように、特に恋愛感情のない肉体関係を嫌う同性愛者は『JUNE』を好んで読んでいた のではないかと考えられる。その他にも、異性愛者への恋などが多く掲載された。 男性からの相談に回答していたのが女性読者である。同性愛者に理解を示す異性愛者の回答 もあったが、掲載数も多かったのが女性同性愛者からの回答である。彼女たちの多くは自らの恋愛 体験を基にアドバイスをしている。自らが同性愛者ではないクラスメイトに告白して成功した事例な どが多く挙げられ、男性同性愛者たちを励ましていた。 しかしながら、やはり女性からの相談が最も多かった。同性愛者の恋愛相談が多数を占めてい たのであるが、中には同性に告白された異性愛者の女性からの相談も見受けられた。「『性別なん か関係ない』と言っていた」のであるが、実際に告白されたら「はっきり行って(原文ママ)ショック」と 25 Constance Penley, ”Feminism, Psychoanalysis, and the Study of Popular Culture” Cultural Studies, Lawrence Grossberg(ed), Loutledge, 1991, P.484-485 16 書いている(1986 年 12 月号)。このように、全ての読者が同性愛を受け入れられるわけでもなかっ た。その他にも、性別違和感を持ち男性として生きたいと願う女性からの相談も掲載された。この相 談への回答として、小説の世界に憧れているだけという厳しい意見もみられたが、中には「JUNE を 読んで、私はかなわない夢を見てるんです。わたしが男だったとしたら、男になってこうしよう・・・。 (中略)いつもそんな思いで見てるんです」と、相談者に共感する声もみられた(1989 年 4 月)。後に 性的少数者の人生相談を掲載するコーナーとして「むふふ告白」という独自のコーナーも誕生した 点に、投稿の多さが窺える。 また 1988 年 12 月の「JUNE 的文学ガイド」には、小説から専門書まで、女性同性愛者向け書籍 の特集が組まれた。 前述の通り、男性同性愛者を対象とした雑誌は複数刊行されていたが、女性同性愛者を対象 とした雑誌は 1980 年代当時刊行されていなかった。一般家庭向けパソコン通信の普及は 1986 年 以降になるので、その他の性的少数者も含めた当事者が自らのことを語ることは非常に難しかった のである。そのなかで『JUNE』や『小説 JUNE』は、自分が同性愛者ではないかと悩む思春期の生 徒や、同性との恋愛に悩む女性たちの受け皿として機能したといえる。性的少数者である読者の 実数は不明であるが、投書欄などで可視化された性的少数者である読者の数は、一般の雑誌と比 較した際に遥かに多かった。 第 2 節 作品へ寄せられる感想 「JUNETOPIA」には多くの小説作品への感想が掲載されていた。登場人物に共感するものもあ れば、ストーリーに感動するものもあれば、苦言を呈するものもある。これを分析することで、女性読 者にとって「JUNE」小説がどのような魅力を持っていたのかを明らかにする。題材として、1986 年 12 月から 1987 年 10 月まで連載されていた吉原理恵子著「間の楔」を用いた。理由としては、連載当 時から人気が高かったこと、ドラマカセットや OVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)化されているなど小 説以外の感想も比較できること、サド/マゾなどの過激な性描写が含まれていることの3点が挙げ られる。 『間の楔』のストーリーは以下のようなものである。コンピューターによって管理された未来都市・タ ナグラで人工的に作られた超エリート人間であるイアソン・ミンクが、スラム街でリキという青年と出会 う。荒々しい気性と決断力、誰にも媚びない強い心と、そして人を惹きつけてやまない容姿を持っ ていた。イアソンは彼の意志に従わない初めての相手リキに興味を持ち、謀略を尽くして、決して 人間と同等に扱われる事なく飼い主の性奴隷として扱われるペットにしてしまう。しかし、それでもイ アソンには従おうとしない。そんなリキを苛み、性技を尽くして弄び、全てを手に入れようとするイア ソンは、徐々に彼に対してこれまでとは異質な感情を抱くようになる。しかし2人の間には、昔の仲 間によって次々と襲い掛かる難題が待ち受けていた。最終的にはイアソンとリキの2人はビル爆発 に巻き込まれ、イアソンはリキを庇うが2人とも死んでしまう。 17 図5 「間の楔」登場人物紹介(『小説 JUNE』1987 年 10 月) 第一に、登場人物(図5参照)について分析していく。連載初期から終了時まで一貫して、「攻」 であるイアソンに人気が集中していた。素直に愛情表現をすることができない点に関しては「あのヒ ネクレタ愛情表現、一種の哀れみさえさそってしまう・・・」「最後くらい、イアソンへ気持ちを告げさせ てあげたい」(1987 年 10 月号)という感想が見受けられるように、共感し同情する意見が多かった。 登場人物の「男らしさ」について読者はどのように感じたのか。「間の楔」の登場人物はみな男言 葉で会話しており、筋肉質で男性的な容姿を持ち合わせていた。1970 年代からの「少年愛」作品と は一線を画しているともいえる。男言葉に関しては、「受身の子の感じてる時のセリフがとても自然」 「とてっも(原文)本モノっぽくて、好き。」「男の子の正直な、素直な気持ちが表現されているよーに 思うのよっ。」(1987 年 4 月号)などと、男性的あるという点が評価されていた。容姿に関しても、「な んでイアソンて、あんなに男らしくてきれいな雰囲気なんだろう。私の理想。」(1987 年 10 月号)とい う投書がある。1988 年にカセットブック化を希望する投書のなかには、「アニメにありがちな、少年を 女性声優がやるということがありませんもんね(略)JUNE 作品ですから、やはり男性の声で聞きたい です」(1988 年 12 月号)という意見もみられた。読者は「JUNE」作品のなかに女性的な要素を介在 させることを拒否しており、登場人物には「理想の男性」像が要求されていた。 第二に、ストーリーにはどのような感想が寄せられたのだろうか。「間の楔」のストーリーは 2009 年 現在でも高く評価されており、根強いファンも多い。物語はイアソンとリキが死んでしまうことで終わ るのだが、連載中からもファンの多くは死を予感していた。「このままではどちらかが死なない限り結 着(原文)がつかないようで…恐いです」(1987 年 8 月)。また最終話の感想に関しては、「(略)切な 18 くて、悲しくて。『いきつくのはやっぱりそうかぁ。』とむせびないてしまいました。」「リキとイアソンは 死ななきゃ愛しあえなかったんですね」「2人の内どちらかは死ぬんだろーなァ(原文ママ)と思って いたら、2人共遺体ものこさずにふっとんでしまったんですもの。(略)あまりにもひどすぎやしませ う?(原文ママ)」と、2人の死を以ってのみ成就する「愛」に悲しみながらもそこに感動を覚えてい た。(1987 年 12 月) また、同作はサド/マゾなどの過激な性描写でも有名である。しかし性描写に関する感想は少な く、「ノーコーなスケベシーンも好きですが(わお、言ってしまったもんの勝ち)、それよりそっち(引 用者注:登場人物がかもし出す心のあや)の期待度の方が高い」「読んでてときめかせてくれる小 説が好きです」(1987 年 2 月号)、「かっこよくて哀しくて、ハードな STORY」(1989 年 6 月号)などと、 読者が過激な性描写から感じたものは、素直になれない登場人物の揺れ動く心であった。 19 第4章 「少年愛」から「やおい」「ボーイズ・ラブ」―1980 年代後半 第1章では、1970 年代の「少年愛」ブームから生まれたコミックマーケットのなかで、1980 年代後 半を境に「やおい」「ボーイズ・ラブ」の作品が急増していったことを述べた。「少年愛」と「やおい」 「ボーイズ・ラブ」は、専門家の間でも往々にして一括りにされて論じられるが、全く異なるものであ る。 「少年愛」作品は、萩尾望都や竹宮惠子、大島弓子、山岸涼子など、昭和 24 年前後に生まれた 「24 年組」と呼ばれる少女漫画家たちによって描かれた。「少年愛」作品の登場人物は主に思春期 の少年であり、中性的な身体特徴を有している。また、作品の舞台は西洋の全寮制男子校などが 多く、1970 年代の少女たちの生活からはかけ離れたものであった。前述の山田田鶴子や、後述の 上野千鶴子などの論者がいうように、一種のファンタジーとして男性同性愛が扱われていたと考え られる。 しかし、二次創作である「やおい」作品の土台となる漫画やアニメーションは決して非現実的なス トーリーでないことが多く、中性的な登場人物も少ない。1980 年代後半に「やおい」ブームの立役 者であった「キャプテン翼」は小学校・中学校のサッカー部、そして全日本ジュニアユースのサッカ ーチームを舞台にしており、ここでの登場人物の殆どはサッカー部の少年たちであるので、肉体的 な女性性を持ち合わせるものは皆無といえる(図6参照)。「聖闘士星矢」はギリシャ神話をモチーフ とした、闘うファンタジー(図 7 参照)であるが、登場人物は筋肉質で女性的な身体特徴を持ち得な い。また、オリジナル作品である「ボーイズ・ラブ」では、職場での上司と部下、学生と教師などが人 気のジャンルとなっていった。登場人物名も日本語の名前が多くなっている。 図6 「キャプテン翼」人物イメージ 26 図7 「聖闘士星矢」人物イメージ26 「キャプテン翼」 「聖闘士星矢」ともに、amazon.co.jp 掲載の DVD 紹介画像を転載 20 このように、1980 年代後半を境としてこれまでファンタジー世界の中のものであった同性愛が少 女たちの暮らす現実世界のものとなっていった。 また、同時期に、1980 年代後半に日本人初のエイズ患者が発生したことに端を発した「エイズ・ パニック」が日本中を席巻した。本章は、新聞や雑誌における同性愛や HIV/エイズについての報 道についての分析や、それに対する「少年愛」「やおい」愛好者の反応を、「小説 JUNE」読者投稿 や、その他雑誌での「おかま」「ゲイ」「ゲイ・ボーイ」「ニューハーフ」などの男性同性愛者・トランスジ ェンダーの扱われ方を中心に分析する。 そのうえで、1980 年代後半になぜこのような変化が起こったのか、本章では 1980 年代における 同性愛表象の変化という側面から考察していく。 第1節 新聞における同性愛表象の変化 本節では、朝日新聞を用いて同性愛表象の変化を分析した。新聞における日本人同性愛者に ついての記述は、1987 年に入ってからはじまる。それ以前は、ほぼ全てがヨーロッパやアメリカなど の海外記事であった。87 年以前の日本における同性愛の記事は、演劇などの文化面が殆どであ った。 1987年に日本人のエイズ感染が公表されたことに端を発した日本でのエイズ・パニックによって、 男性同性愛者と HIV/エイズの関連を示唆する記事が増加していく。ゲイ・セックスは「性の乱れ」 などと表現され、HIV/エイズなどの感染源となる不道徳な行為であるという論調であった。これら の記事が増加することで、異性愛者のなかでもゲイ・セックスへの関心が高まっていった。この動き について触れられている記事のなかでは、少女の「『性』への即物的な興味」からくる「ホモって、何 するの」という中学生女子の会話が挙げられている。 (1987/7/2) また、1988 年には、イギリスの 男性同性愛を題材とした映画「モーリス」についての記事がある。制作国のイギリスではみられない、 日本での観客の殆どが女性であるという特異な現象が起こった理由について、「愛の純粋を問う哲 学的命題とはたぶん無縁であろう、少女たちのアイドル探し」とある。(1988/4/23) このように、マ ンガやアニメファンだけでなく一般の異性愛者の女性の中でも、男性同性愛への興味関心が高ま っていったことが新聞から読み取れる。 その後、1990 年には同性愛者の権利を考える会である「動くゲイとレズビアンの会(通称アカ ー)」が公共施設の利用を拒絶されたことにはじまる「府中青年の家裁判」が始まるなど、日本にお ける同性愛者の社会運動が始まっていくが、このことに触れている記事は少なく(1990 年内では 2 件)、大半は HIV/エイズや性の乱れについての記事であった。 21 表2 男性同性愛(「同性愛」or「ホモ」)に関する記事数 年 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 3 6 7 1 6 14 43 98 84 69 56 記事数 出典:朝日新聞 聞蔵Ⅱビジュアル 第2節 雑誌報道の変化 文化に最も影響を与えるとされる雑誌では、同性愛者はどのように扱われていたのであろうか。こ こでは雑誌全般を概観するとともに女性誌に着目することで、女性を対象に発信される男性同性 愛者についての情報を分析する。 1980 年初頭に「おかま」ブームが到来すると、主に女性誌で男性同性愛特集が多く組まれた。こ こではゲイバー潜入レポートなどの、水商売系の記事が多数見受けられる。これによって、「おこ げ」と呼ばれる男性同性愛者好きの女性が生まれることとなった。しかし、これらの雑誌記事で扱わ れた男性同性愛者の多くはショーや接客向けに女装した男性であり、男性的な容姿や特徴を備え ているゲイはほぼ見受けられない。現在でいえば職業的「おかま」「ニューハーフ」あるいは「性同 一性障害」と呼ばれる人々であった。また、当時「ゲイボーイ」とは上記の人々を指して使われた言 葉であり、現在の男性同性愛者一般を指す「ゲイ」の意味とは異なった使われ方であった。 表3 男性同性愛に関する雑誌記事数 「ホモ」 「ゲイ・おかま・女装」 記事数 うち女性誌 記事数 うち女性誌 1981 19 6 15 7 1982 6 1 8 2 1983 11 1 10 4 1984 7 0 8 1 1985 0 0? 5 3 1986 0 0? 1 1 1987 1 1 3 0 1988 6 1 10 1 1989 4 0 28 5 1990 11 2 40 9 計 65 12 128 33 「同性愛」 14 出典:大宅壮一文庫総目録 日本でのエイズ・パニックが起こった 1980 年代後半、新聞報道は増加しているにもかかわらず雑 22 誌報道が以前に比べて急激に増加することはなかった。特に「ホモ」を題材とした記事は減少して いる。この現象は、異性愛者にとっての男性同性愛が、エンターテイメントから「忌むべき未知の病 の感染源」に変化したことからくるのではないかと考えられる。 以上のメディア表象の変化から、1980 年代前半と後半で男性同性愛者の取り扱いが大きく変わ っていることが見て取れる。1980 年代前半までの「ゲイ」「おかま」「ホモ」などの同性愛男性は、ヘ テロセクシュアルとは同居しないものであった。可視化されていた同性愛者はエンターテイメントの 世界にのみ存在し、ゲイバーでの店員/客や、テレビタレント/視聴者という関係であった。そして 往々にして「男性的」な容姿を持ち合わせていない。これらの特徴には、現実離れした場面設定と 中性的な容姿で描かれていた「少年愛」作品と繋がる点がみられる。 しかし、1980 年代後半のエイズ・ショックを境として、普通に暮らしている同性愛者の存在が可視 化されていく。決して女性的な容姿でもなく特異なキャラクターを持つものでもない、エンターテイメ ント要素の乏しい同性愛者たちが、エイズという未知の病への恐怖と好奇心から浮き彫りにされて いった。エイズに関する報道からゲイ・セックスに興味を持つ少女が増えたことにより、1987 年以降 に同性愛小説の読者/作者が増加したのではないかと考えられる。そして、1987 年の雑誌「小説 JUNE」でのアンケート「87 年にはやる JUNE 的なもの」には、学生×教師、オフィスラブ、レーサー ×メカニックなどの、現実世界でありがちな組み合わせがみられる。前述の通り、「少年愛」ものに 代表されるこれまでの作品の多くは現実離れした世界が舞台である。この違いは、可視化した同性 愛者像の変化からくるものである。 第3節 エイズ・パニックと女性読者の関係 前節までで、HIV/エイズ報道によって、男性同性愛に興味を持つ少女が増加したことを述べた。 しかし、エイズ・パニックの最中に男性同性愛者が HIV/エイズの感染源だと報道されることで、嫌 悪感を示すことはなかったのだろうか。次節では、雑誌「JUNE」「小説 JUNE」の読者ページを分析 し、また JUNE 小説評論家/作者の作品を読むことで、読者と作者の2つの視点から HIV/エイズ と「やおい」「JUNE」読者少女との関係を明らかにしていく。 第一に、「小説 JUNE」読者ページを分析することで読者の視点を捉える。1980 年代後半から、 HIV を社会問題的に扱った作品は主に欧米を中心に多く発表されてきた。それらの多くはゲイの 視点から描かれたものである。日本でも幾つかの作品が発表されているが、「やおい」「JUNE」の分 野では殆どみられない。ちなみに「小説 JUNE」では、HIV/エイズを題材とした作品が掲載されるこ とはなかったが、読者投稿ページに掲載された他の作品の感想の中に、読者のエイズに対する考 え方が表れている。「すごいショックだったのは、エイズという病気が発生したこと。昔、本当に神様 がいたのなら、その神様は男同士で愛しちゃいけないと、そんな風に人間をつくったのかと悲しくな った。神様でさえが愛にワクをつくっているなんて、ものすごい悲しいことだと思った。現実に同性 23 愛の厳しさを感じました。」(1990 年2月号) その他にも、ゲイであることをカミングアウトして音楽活動を行うアーティストのライブに行った際 に啓発活動に心を打たれたとの感想などがみられた。HIV/エイズに批判的な投稿はなかった。ま た、HIV を題材としたドラマの感想も掲載されているが、HIV よりもゲイ役の俳優の容姿について主 に言及されている。(1989 年8月号)これらの読者投稿から、多くの読者の女性たちは HIV キャリア /エイズ患者に批判的な感情を持っていないことが読み取れる。 第二に、「やおい」小説作者の視点から分析する。栗本薫名義で JUNE 小説を執筆し、雑誌「小 説 JUNE」において投稿小説を審査する「小説道場」などを連載していた評論家の中島梓は、著書 のなかで HIV とやおい作品の関係について言及している。栗本は HIV/エイズをゲイと娼婦によっ てもたらされる「20 世紀の運命的疾病」と位置づけたうえで、HIV キャリアとの恋愛は、繁殖なき愛・ 死をかけた性交、この 2 つの是非を問うものとしている。繁殖なき愛は、身分制度社会における役 割から逸脱した純粋な「ただ愛」である。また、感染の危険を伴うセックスに至るまでにはパートナー への揺ぎ無き愛情が不可欠である。そして HIV 感染はゲイ・娼婦と関係を持ったというスティグマと して機能している。そのうえで HIV を、ヤオイ世界では観念においてのみ実践されていた「繁殖な き愛」が、現実で起こったものであるとしている。27 中島の論によれば、HIV/エイズという障害を乗り越えることで登場人物同士の愛は更に強まる のであり、それらを読む女性は家父長制への反抗心を抱いているということになる。 第三に、エイズ・パニックの収束と正しい知識の普及が与えた影響を考察する。エイズ報道の始 まった 1985 年には、一部の医師が「肛門性交がエイズの原因」という発言をしているなど、同性愛 者の性行動の危険のみが訴えられていた。28また、マスメディアも肛門性交という特異さからセンセ ーショナルに報道していった。しかし数年のうちに専門家たちの認識も改められるとともに、異性愛 者の感染者数も増加したことから、1990 年代初頭では異性間性交渉での感染リスクが広く認識さ れるようになった。 以上のことから、エイズ・パニックに起因する同性愛者の可視化が「やおい」読者を減少させる可 能性は低かったといえる。 27 中島梓『タナトスの子供たち―過剰適応の生理学』筑摩書房、1998 年、272-339 頁。 樽井正義「ゲイ・コミュニティとエイズ」 エイズ&ソサエティ研究会議『エイズを知 る』角川書店、2001 年、62 頁。 28 24 第5章 「ボーイズ・ラブ」とゲイ・ブーム―1990 年代初頭 第2章では 1980 年代の「やおい」「JUNE」について主に論じてきた。その後、女性の男性同性愛 嗜好はどのような変化を遂げたのだろうか。1980 年代と 1990 年代の大きな違いは、一般女性が男 性同性愛者を好むようになったという点である。1991 年に女性誌『CLEA』が特集「ゲイ・ルネッサン ス’91」を組んだところ、発売後一週間で完売するという大反響を受けた。また、1993 年には同性愛 者が登場するドラマがヒットするなど、男性同性愛者が広く女性たちの関心を集めるようになった。 また、「やおい」「JUNE」の分野における変化も起こる。1990 年代に入ると、二次創作である「や おい」作品のアンソロジー集が多く出版されるようになった。そしてこれまでの「JUNE」ジャンルから 派生した「ボーイズ・ラブ」(以下 BL)作品が台頭していく。小説は複数の出版社から単行本化され、 書籍市場に広く流通するようになっていった。1980 年代においては『JUNE』連載作品は単行本化 されることが非常に少なく、また出版されたとしても通信販売などによる流通が主であり、一般の書 店で購入することはほぼ不可能であったと考えられる。 第1節 「ボーイズ・ラブ」小説ブームの背景 これまで、女性向けの男性同性愛を扱う雑誌は、主に漫画を掲載する『JUNE』、小説に特化した 『小説 JUNE』、より耽美的要素の強い『ALLAN』だけであった。また、前述のように連載作品の単行 本化も少なかった。それに加えて、これらの雑誌に連載されていない作品はより単行本化が難しか った。現在、殆どの書店では「ボーイズ・ラブ」専門コーナーが作られており、様々な出版社の文庫 本を手軽に買うことができる。「ボーイズ・ラブ」に特化した文庫が創刊されたのが 1990 年代初頭で あった。 これらの要因の一つとして、まずティーンズ向け文庫の活況が挙げられる。「ボーイズ・ラブ」文庫 が多く創刊された理由のひとつとして、1980 年代末期からはじまったティーンズ向け文庫の活況が 挙げられる。角川書店、徳間書店、双葉社、学習研究社など大手出版社が、1989 年に続々とミド ルティーンズ向け文庫に新規参入していった。また、既存の集英社・コバルト文庫、講談社・X文庫 は売上が増加した。当時中学生や高校生であった団塊ジュニアの読書ニーズにマッチした本作り が行われていったためである。この動きは「新世代に迎えられたファンタジー・ワールドの誕生」と評 されている。29 これらの文庫がターゲットとした読者層は、主に漫画やアニメ作品に普段から親しんでいる少女 である。ティーンズ文庫作品の文体は様々だが、全体を通して堅苦しさを感じるものではなく、作品 もファンタジックなものが多かったため、中学生や高校生との親和性が高かった。また、小説である ということから漫画・アニメ愛好者以外にも受け入れられやすく、学校で公然と読むことが可能であ った。このことから、ティーンズ向け文庫が多くの読者を獲得していったと考えられる。 29 出版年鑑編集部編『出版年鑑 1990』1990 巻 1 号、出版ニュース社、1990 年 25 次に、同人作家のセミプロ化が挙げられる。出版社の参入だけでなく、同人誌文化が根付いた ことによって作品の水準が上がってきたことも大きな理由である。1975 年に始まったコミックマーケ ットは規模を拡大していき、1989 年においてはコミックマーケットの来場者が 10 万人を越えるなど 同人誌即売会の盛況が続いた。また、東京だけでなく全国各地で中小規模の同人誌即売会が行 われるようになり、全国的に同人誌作家が増加していった。人気同人誌作家は「大手さん」と呼ば れ、同人誌での収入も得られるようになったものも現れた。この流れに便乗するかたちで、1987 年 には「キャプテン翼」の二次創作アンソロジーがアニメ・漫画雑誌を発行する出版社から刊行され、 一般に流通しはじめた。 同人誌以外における作家としては、『JUNE』『小説 JUNE』に投稿するアマチュア作家の存在が 挙げられる。これらの雑誌に掲載された作家のキャリアは、アマチュア作家として同誌に投稿するこ とからはじまる。中島梓による「小説道場」で高評価を得た作品が掲載されることもあり、また同コー ナーに投稿していくなかで名を上げた作家も多い。このような連載作品のなかから評価の高いもの が現れるようになり、読者の嘱望によりカセットブックの発売や単行本化が実現したのも 1989 年前 後のことである。 第2節 ゲイ・ブームと女性のライフスタイル 1990 年代初頭に起こったゲイ・ブームでは、これまでの女性的な容姿でありショービジネス従事 者であった「おかま」「ゲイボーイ」とは違うタイプの男性同性愛者が注目されるようになった。このブ ームの立役者となったものが、前述の雑誌『CREA』で組まれた特集「ゲイ・ルネッサンス’91」である。 20 代から 30 代のキャリア女性をターゲットにした当紙が注目したものは、これまでの「JUNE」などの 少年愛作品を愛好する女性とは違った、現実のゲイに関心を持つ女性であった。 ここでの主役は、男性的な髪型や服装、そして職業はサラリーマンから学生などと、普段目にし ている男性と何ら変わりのない同性愛者たちであった。当事者同士の会談では、男性同性愛者を 「ゲイ」「ホモ」「おかま」「ゲイボーイ」の 4 つに区分している。しかしこの記事で主に扱われるのは、 同性愛者一般を指す言葉ではあるものの、一番流行に敏感でありクリエイティブ職に多い「ゲイ」と、 ルックスは普通であるものの新宿2丁目に多く出没する「ホモ」である 30。当事者自身が多くの女性 が抱く男性同性愛者像としての「おかま」との差別化を図る一方で、本特集「ゲイ・ルネッサン ス’91」のなかで「ゲイとおかまはちがうのよっ」というタイトルで座談会を行ったことから、1990 年初 頭においてメディアが報道していきたいと考えた、また女性に受容されるであろうと考えられた男性 同性愛者の条件として、男性的なルックスが挙げられていたと推測される。 ゲイ・ブームと「やおい」「ボーイズ・ラブ」の関係について考察する。ゲイと女性の関係について であるが、ゲイの友人を持つことがキャリア女性のなかで一種のエグゼクティブであるとされている。 30 「ゲイとおかまはちがうのよっ」ゲイ語解説付き座談会 『CREA』文芸春秋社、1991 年2月号 26 「性欲を抜きにしたところで、本当に魅力のある人間」だけがゲイの友人となれると述べられており、 「男の主人公に感情移入」し「美しい男となった自分が美しい男に愛される物語」を楽しむ少年愛 愛好者とは一線を画している31。また、「JUNE」などの少年愛は男女の恋愛関係を男の子に置き換 えただけのものである、と桜沢エリカは述べている32。 以上のゲイ・ブームの考察から分かるように、1980 年代後半におけるコミックマーケットでの「やお い」二次創作ブームや、「JUNE」作品の単行本化などの一連の流れとは別に、1990 年代初頭から はじまる、20 代 30 代キャリア女性のなかでのゲイ・ブームが起こった。また、現実のゲイを友人にし たがる女性と、「少年愛」「やおい」「ボーイズ・ラブ」作品を愛好する女性は区別されており、両方の 趣味を持つものは少なかったのではないかと考えられる。 次に、労働環境に起因する女性の恋愛・結婚観の変化を分析する。これまで注目されてこなか った、男性的な容姿を持ち合わせた男性同性愛者と女性の関係を特集した理由とはなんだったの だろうか。雑誌『CLEA』編集長は前述の特集「ゲイ・ルネッサンス’91」を組んだ理由について、同 雑誌がメインターゲットとしている大手企業の OL たちは男性優位の企業社会の中で評価されない ことに苦しんでいるとし、男女関係も従来のものと違うものになったと感じたからと雑誌『DIME』での インタビューで述べている33。そこで、ゲイ・ブームが起こった 1990 年前後の女性のライフスタイル、 特に就労と結婚について、統計資料を基にして分析していく。 産業構造と労働市場の変化は、女性の働き方を大きく変えていった。1960 年代からの高度経済 成長によって激増した、サービス業を中心とした第三次産業従事者の多くは未婚女性であった。こ の動きは 1980 年代において顕著である。高学歴化が進んだ女子学生の受け皿として機能し、大 量の未婚層を作り出した。341986 年に男女雇用機会均等法が施行されたことで、職場における男 女の機会均等が法律で定められた。しかしこの時点ではあくまでも努力目標であった。女性の劣悪 な労働環境が社会問題として大きく扱われており、法施行後も依然として続く不均等や、セクシュ アル・ハラスメントが顕在化した。それに伴い、女性の結婚観も大きく変化している。お見合い結婚 と恋愛結婚どちらを望むかという質問にたいして、恋愛結婚を望むと答えた未婚女性が増加した。 1960 年代ではお見合い結婚が多数であったのであるが、1970 年代初頭には人気が逆転した。そ の後も、恋愛結婚を望む女性が増え続け、1990 年前後では、80%を超える女性が恋愛結婚を望 んでいる。また 1992 年の調査では、「理想的な相手が見つかるまでは結婚しなくてもかまわない」と 考える女性が、「ある程度の年齢までには結婚するつもり」と考える女性を僅かに上回っている。35 31 下森真澄「ゲイとの快適生活をめざす女たち」 『CREA』1991 年2月号 「座談会 僕たちが認める GAY 感覚」 『CREA』1991 年2月号 33 『DIME』小学館、1991 年 5 月 16 日号、15 頁。 34 岩上真珠「現代日本の若者(1) 」 『新訂比較文化研究―若者とジェンダー―』放送大 学教育振興会、2005 年、154-155 頁。 35 岩上「現代日本の若者(1) 」 、155-156 頁。1987 年の調査では「ある程度の年齢までに は結婚するつもり」と考える女性の方が 10 ポイント程度多かった。 32 27 結論 戦前の「少女小説」「男装の麗人」と、1980 年代以降の「やおい」「JUNE」小説を比較してみたい。 まず第一は、物語の主体がどこにあったかである。両者ともに性的少数者を題材としているもの の、物語の主体が女性から男性へと移っている。戦前においては女性自身が物語のなかで主役と なり、ときに男性を批判しながらも理想を追い求めていくものであった。それに対して 1980 年代以 降は、日常生活のなかでの仲間意識から男性同士の恋愛関係に発展していった。 第二は、感情表現の手法である。戦前の「エス」の世界では、熱情的でドラマチックに愛情を伝 えるために手紙が非常に重要なものであったが、「やおい」「JUNE」では言葉で感情を伝えることが 不器用な者は、セックスなどの性行為で恋人への愛情を表現している。 この変化はどこからくるものなのだろうか。この問いに答えるには、なぜ少女たちは男性同性愛を 好むのかという点に言及しなければならない。これまで「やおい」について論じてきた多くの研究者 が扱ったテーマであり、「やおい」研究のうえで最も重要なテーマであろう。 永久保陽子は、受身の男性の身体に女性の意識を投影するという側面から、女性が男性同性愛 を愛好する理由を論じている。永久保は上野千鶴子の著書を以下のように引用することで、自身の スタンスを明らかにしている。上野は、性行為において受身となる(女性的役割を担う)男性には、 往々にしてジェンダー的女性性が求められる。女性が性的な興奮を覚えるのは、「性的客体」とし ての自分自身である。女性がこれらの小説を読む際には、男の視線を介することで受身の男性に 「性的客体」化された自己身体に興奮するのである。 36女性は意思の如何を問わず、男性の性的 欲望のメカニズムを深く内面化させられてしまっている。よって、ヘテロセクシュアル女性は、本来 性的対象とする男性の裸体ではなく、女性の裸体に刺激されるのである。女性性を協調された男 性をエロティックに描写することで、女性読者により強い刺激を与えようとしているのだ。37 また、上 野千鶴子は、性を封じられた身体を持つ女性が「理想化された自己」を表現するために、性にオー プンでありながらも女性的な見かけをもつ「少年」という装置の助けを借りたとしている。そして男性 同性愛作品は「性という危険物を自分の身体から切り離して操作するための安全装置、少女にとっ て飛ぶための翼であった」と論じている。38藤本由香里も同様に、現実世界の女性に向けられたジ ェンダー抑圧や、女性の性にたいするさまざまな忌避から逃れるための装置として「少年愛」が生ま れ、いったんその装置が生まれたら女性は「性を遊ぶ」ために能動的に作品を生み出すようになり、 二次創作が増えていったと論じている39。 しかし、1980 年代の少女たちの実態はどうであったのだろうか。『小説 JUNE』の読者投稿を分析 した結果、トランスジェンダー的なものを除いては、女性性への拒否に結び付けられるキーワード は発見できなかった。そして、男性的な身体特徴を持ち合わせた人物が登場し、女性読者が生き 36 上野千鶴子『発情装置 エロスのシナリオ』 精興社、1998 年、62 頁。 永久保陽子『やおい小説論』 専修大学出版局、2005 年、第三章「欲望の構図」 38 上野『発情装置』 130-131 頁。 39 藤本由香里「少年愛/やおい・BL」 『ユリイカ臨時増刊 BLスタディーズ』青土社、 2007 年 12 月 37 28 ている現実世界と大差ない舞台設定で書かれた「JUNE」「やおい」作品を読む上で、読者の多くは 受身の男性に自己を投影することはなかったのではないかと考えられる。上野は、女性は「性を封 じられた身体」を持っていると論じているが、彼女たちは決してそうは感じていない。自己の性に対 しては非常に保守的で、結婚するまで性交渉はしないと明言している読者も見受けられた(1987 年 10 月号)。しかしこれは自らの意思で選択した結果である。後述の通り、婚前交渉が容認されてお り、愛と結婚とセックスの3者が結びつかなくなっていた 1980 年代の文化的・社会的背景からいえ ば、彼女たちを抑圧する大きな要因は見当たらない。そして性描写についての投書は目立つほど 多くはなく、読者は性行為を言葉にならない感情を表す「愛情表現」の一種として捉えていた。つま り彼女たちにとって男性同士の性行為は、抑圧からの解放ではなく、相手に対する想いを情熱的 に吐露すると同時に、登場人物そして自分自身が生きている現実世界をドラマティックに作り替え るための手段であった。 少女同士の親密な関係である「エス」にも同様のことがいえる。文通という手段でお互いへの想 いを情熱的に伝え合っていたのである。1980 年代において愛情表現が文通からセックスへ変化し たのは、恋愛と結婚と生殖(性行為)の関係が変化したことによる。 戦前は、結婚ののちに性行為を行い、愛情(家族愛)が生まれた。家と家との結婚が、親同士の 取り決めによってなされることが多かったからである。しかし、1960 年代に入ると愛情を感じた相手 と結婚し、性行為を行うようになった。男女関係においては恋愛的要素が優勢となり、愛情を感じな い相手との結婚は否定されていく。この恋愛重視の流れに伴って第二波フェミニズム運動によって 性解放が謳われ、1970 年代には愛情を感じた相手と結婚を前提としたセックスを行い、結婚へ向 かっていくようになる。愛さえあれば婚前交渉を容認されるようになっていった。そして 80 年代には 愛情を感じた相手と性行為を行うが、この関係は必ずしも結婚に結びつくものではなくなっていた。 女性の社会進出が目立つようになり、結婚だけが人生のゴールではないという考えが広く女性の 間に浸透していった。40 婚前交渉が一般的ではなく、親が決めた結婚相手との性行為を余儀なく された戦前の女性にとっては、性行為は最大の愛情表現とはなりえなかったのである。その一方で 1980 年代において、性行為は恋人の愛情を感じるための手段であり、また時として性行為を行っ たことにより恋愛関係が始まるケースも増えつつあった。性行為と「愛」は非常に密着したものであ ったからこそ、性描写が重要視されたのである。 第三は、女性同士のネットワークのあり方である。戦前においては、少女雑誌の読者が主催する 「愛読者大会」において、雑誌紙面で知り合い文通を続けていた人と対面し、また新たな友人と出 会い、文通で親交を深めるようになっていった。これと対になる形で「コミックマーケット」などの同人 誌即売会が位置づけられる。同人誌の作者/読者であった女性、あるいは雑誌で知り合った女性 たちが即売会のスペースにおいて、現実世界で対面する。また即売会の参加者はカタログを読ん だりすることで、自分と興味関心を同じくする人と出会うことができた。多くのサークルカットには住 所が書いてあるように(図2参照)、即売会終了後には手紙でやりとりをする例が多くみられる。同人 山田田鶴子『少女マンガにおけるホモセクシュアリティ』 ワイズ出版、2007 年、101-103 頁。 40 29 誌作者はペーパーという同人サークル広報誌を送り、読者は手紙によって同人誌の通信販売を依 頼する。そのなかでも友人となった人とはイラスト交換や文通を行うこともあり、アンソロジー(複数名 で発行された同人誌の総称)参加を呼びかけたり合同でサークルを組むこともあった。書籍以外で の同人サークルの発行物に便箋が非常に多いというのも、手紙によるやりとりが非常に重要なもの であったからだといえる。 このように、戦前の少女文化と 1980 年代における「やおい」「JUNE」文化には強い共通点が見出 せる。「少女小説」と「やおい」「JUNE」小説に共通しているものは、恋愛を成就させるためには当人 同士の性的指向や家族、社会制度など多くの障壁があること、そしてその当時最も有効である愛 情表現を時に過剰であるほどに取り入れたことである。その愛のハードルが高ければ高いほどロマ ンティックなものであると感じ、時に死をも厭わない愛をエンターテインメントの世界で楽しんでいた。 戦前においても近現代においても、少女たちは性行為よりも「確かな愛」、性別や社会階層などに 囚われない「人と人との繋がり」を希求していたのである。 30 謝辞・文責 当研究にあたり、熱心なご指導を頂いた、慶應義塾大学経済学部矢野久教授(当時)に深く感 謝いたします。女性を対象とした男性同性愛という内容に驚きながらも、時に優しく厳しい指導を賜 りました。 また、『コミックマーケットカタログ』在庫分を国会図書館に納本してくださっただけでなく、Web 上 で不足分の寄付を多くの方々に働きかけて下さいましたコミックマーケット準備会の皆様、そしてそ の働きかけに応えてカタログを寄付してくださったコミックマーケットを愛する方々、快くインタビュー に応じて下さった各務千草様、Twitter で論文を読みたいと言って下さった皆様、その他多くの皆 様に感謝いたします。 慶應義塾大学経済学部 矢野久研究会 2009 年度卒業論文 大坂理恵 Mail: [email protected] Twitter: @t5031 31 参考文献・調査資料 参考文献 秋山正美『少女たちの昭和史』 三秀舎、1992 年 今田絵里香『「少女」の社会史』 勁草書房、2007 年 岩上真珠「現代日本の若者(1)」 『新訂比較文化研究―若者とジェンダー―』放送大学教育振興 会、2005 年 上野千鶴子『発情装置 エロスのシナリオ』 精興社、1998 年 コミックマーケット準備会編『コミケット・グラフィティ―マンガ・アニメ同人誌の 10 年―』朝日出版社、 1985 年 コミックマーケット準備会編「コミックマーケットとは何か?」2008 年 「東京大学大学院情報学環 コ ンテンツ創造科学産学連携教育プログラム」(2007 年 6 月)発表資料に加筆した pdf ファイル。 出版年鑑編集部編『出版年鑑』 出版ニュース社、1985 年、1986 年、1987 年、1990 年 杉山あかし「コミケット 30 周年記念調査結果報告」 コミケット準備会編『コミックマーケット 30’s フ ァイル:1975-2005』、コミケット、2005 年 樽井正義「ゲイ・コミュニティとエイズ」 『エイズを知る』角川書店、2001 年 テレコムサービス協会編『ニューメディア白書’88』日刊工業新聞社、1989 年 永久保陽子『やおい小説論』 専修大学出版局、2005 年 中島梓『タナトスの子供たち―過剰適応の生理学』筑摩書房、1998 年 藤本由香里「少年愛/やおい・BL」『ユリイカ臨時増刊 BLスタディーズ』青土社、2007 年 12 月 山田田鶴子『少女マンガにおけるホモセクシュアリティ』ワイズ出版、2007 年 Constance Penley, ”Feminism, Psychoanalysis, and the Study of Popular Culture” Cultural Studies, Lawrence Grossberg(ed), Loutledge, 1991 資料・データベース 「主要耐久消費財の所有数量 (1,000 世帯当たり)(全世帯)- 全国(昭和 34 年~平成 11 年 」 『日本長期統計総覧』総務省統計局 web サイト 『CREA』文芸春秋社、1991 年2月号 『DIME』 小学館、1991 年 5 月 16 日号 大宅壮一文庫総目録 朝日新聞 聞蔵Ⅱビジュアル 32 分析雑誌・カタログ 『小説 JUNE』 (注1)数字は発刊された月の号を示す。「○」=○月号 (注2)1983 年 10 月までは「JUNE」の増刊、1984 年以降は隔月刊であった。 1983 年 6、12。 1984 年 2、4、6、8、10、12。 1985 年 2、4、6、8、10、12。 1986 年 2、4、6、8、10、12。 1987 年 2、4、6、8、10、12。 1988 年 2、4、6、8、10、12。 1989 年 2、4、6、8、10、12。 1990 年 2、4、6、8、10、12。 『コミックマーケットカタログ』 (注)数字は開催回数を示す。 「○」=第○回コミックマーケットカタログ 22(図 2 引用) 、24、26、28、30、32、34、35(図 3 引用)、36、37、39(図 1 引用) 、41、 43 33
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