筑波大学 体育専門学群 3年 Y.K 私は、小学生の頃、筑波大生がコーチを務めるクラブでハンドボールをしていました。 コーチが出場する試合を何度も観に行くうちに筑波大学に憧れるようになりました。その 当時から、私の中では「筑波大学に入学して一流の指導者になる」という決心が固まって いました。中学生の頃は講習会などで藤代紫水の選手達のハンドボールに対する熱意に触 れ、この場所でハンドボールをしたいと思い、入学を決めました。しかし、藤代紫水には 筑波大学に進学した実績が無いため多くの人の反対にあいました。そこで私はこう考えま した。 「ハンドボールは 1 人が強いだけでは勝てない、しかし勉強は自分さえしっかりして いれば大学に合格できる」 そして、私の高校生活が始まりました。入学当初はハンドボールとの両立が難しく、コ ンディションを維持するのも大変でした。平日は帰宅してもほとんど勉強できず、通学中 の電車やバスの中でしか勉強することができませんでした。休日は国語・英語・数学を中 心に、およそ6時間勉強をしていました。1 年生の間は、少しずつではありましたがこうし て学力を伸ばしていきました。2 年生になってからは、ハンドボールと勉強を両立する余裕 ができ、時間の管理をうまくできるようになりました。国語・英語・数学を中心に、平日 も 1 時間 30 分程度、休日も 8 時間近く勉強することができるようになりました。3 学期か らはリスニングのトレーニングとして英語音声・英語字幕で海外ドラマや映画を見るよう にしました。3 年生になってからも夏休み前までは 2 年生の時と同じ方法で勉強をしていま した。 ハンドボール部は通常、10 月の国体で引退を迎えますが、私は 8 月のインターハイが終 わってからは、月末に行われる国体の関東ブロック予選で引退することを決め、練習に出 る回数を減らし、ほとんどの日を勉強に当てました。しかし、体調を崩してしまい 4 日間 熱が下がらず、勉強時間も確保できず、ほぼぶっつけ本番で試合に臨むことになってしま いました。受験勉強をする上で、 「体調管理が重要」とよく言われますが、ここで痛感しま した。その後は風邪もひかずに受験を終えることができました。甘い気持ちのまま、夏休 みに体調を崩さずに過ごしていたら、もしかしたら本番で熱を出していたかもしれません。 夏休みが明けてからは、10 月までは英単語や英文法など本番で使うための知識を蓄えら れるように勉強しました。10 月からはセンターの過去問を中心に、まずは時間を意識せず、 正確に解けるようにしました。11 月からはセンターの過去問を本番の時間通り解けるよう に演習を繰り返しました。12 月の模試では筑波大・早稲田大が B 判定、と順調に学力が伸 びていきました。12 月はセンター試験の問題を解くときに、制限時間を 10 分早めて正確に 解けるようにしました。冬休みも、同じ条件でセンター試験の予想問題集を解き、復讐ま で丁寧に行いました。この時、私の 1 日の勉強時間は 15 時間に達していました。先述のリ スニングのトレーニングの効果はここで発揮されました。スピードを出して長文を読んで も英文を理解できるようになっていました。このまま、英語を武器にしてセンター試験を 戦いました。リスニングでは 50 点中 44 点を取ることができました。 しかし、国語、生物 I の難化に太刀打ちできずにセンター試験は 6 割 5 分、と筑波大を 筑波大学 体育専門学群 3年 Y.K 受ける層では下の方、つまり、2 次試験で逆転しなくてはなりませんでした。 2 次試験は実技と保健体育に関する論述試験でした。センター利用で早稲田大学に合格し ていたこともあり落ち着いて受験することができました。強い気持ちで臨み、自分がやっ てきたことを出し切ることができました。 前例の無い挑戦を成功させたことで私は、今後の人生において、前例の無い、前人未踏 といわれるようなこともハンドボール界でも挑戦していこうという勇気を得ることができ ました。明確な将来の夢があれば、どんな時でも頑張れます。それがあるからこそ、たく さんの人から応援され、支えてもらうことができました。大学に入って何をして、将来ど うしたいのか明確に決めることが目標の達成につながります。
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