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● シンポジウム 2 神経保護と神経再生
iN 細胞を用いた新規脳梗塞治療法開発への展望
山下 徹,阿部 康二
要 旨
近年,様々な組み合わせの転写因子を強制発現させることによって皮膚線維芽細胞などの体細胞から異なる
細胞種を直接誘導するダイレクトリプログラミングの報告が多数されてきている.このダイレクトリプログラ
ミングによって作成される iN 細胞は,比較的短期間で誘導でき,かつ腫瘍形成のリスクが少ないなど,多く
の利点があり注目を集めている.さらに,神経幹細胞を直接的に誘導する技術も発表され,今後,脳梗塞への
治療応用が期待されている.
(脳循環代謝 25:73∼76,2014)
キーワード : iN 細胞,ダイレクトリプログラミング,細胞移植治療,脳梗塞
Ascl1, Brn2, Myt1l という成熟した神経細胞に強く発現
1.背 景
している 3 つの転写因子をマウス皮膚線維芽細胞に強
制発現すると,グルタミン酸作動性ニューロン様の細
2006 年 8 月に京都大学山中伸弥教授らによってマウ
胞を高率に直接誘導できることを発表した2).この誘
ス皮膚線維芽細胞に 4 つの転写因子(Oct3/4, Klf4, Sox2,
導された神経細胞は神経細胞特有の活動電位や,シナ
c-Myc)を強制発現させることで Induced pluripotent stem
プス形成能を持つことが示され,induced neuronal cells
cells
(iPS 細胞)を誘導できることが発表された .iPS
(以下 iN 細胞)と名づけられた.この発見の後も複数
1)
細胞はほぼすべての組織に分化する“分化万能性”と無
の研究室でさらに iN 細胞の研究は進められ,様々な
限に増殖できる“自己複製能”を併せ持つ多能性幹細胞
種類の神経細胞が異なる転写因子の組み合わせによっ
であり,この技術を使うことで患者自身の細胞から神
経細胞を含む多様な細胞種を誘導しうることから,現
て誘導できることが現在までに明らかになっている
(図 1,2)3~6).
在移植治療への応用が検討されている.しかしなが
3.ヒト iN 細胞の開発
ら,iPS 細胞は未分化な状態では高い腫瘍形成能があ
ることが知られており,臨床応用への大きなハードル
となっている.そこで世界中の研究チームが,皮膚線
筆者の一人である山下は留学先であるコロンビア大
維芽細胞から iPS 細胞を経ずに直接的に神経細胞を誘
学の Asa Abeliovich 博士の研究室で,Ascl1,Brn2,
導しようと様々な手法で挑戦を行ってきた.
Myt1l,Olig2,Zic1 の 5 つの転写因子を成人皮膚線維
芽細胞に強制発現させると,わずか 2∼3 週間で iN 細
2.iN 細胞とは
胞を誘導することができることを見出した.この誘導
された iN 細胞は形態もニューロン様で,約 60%はグ
2010 年 1 月 ス タ ン フ ォ ー ド 大 学 の 研 究 チ ー ム は
ルタミン作動性ニューロンマーカーの vGLUT1 陽性細
胞であり,他の Tuj1,Neurofilament,NCAM,MAP2
岡山大学大学院医歯薬学総合研究科脳神経内科学
〒 700-8558 岡山県岡山市鹿田町 2-5-1
TEL: 086-235-7365 FAX: 086-235-7368
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などのニューロナルマーカーも発現していることを免
疫染色で確認した.また iPS 細胞のような未分化な細
胞を介していないかを確かめるため,iN 細胞誘導を開
始 し て 3,7,21 日 後 の 細 胞 を 免 疫 染 色 で Sox2,
─ 73 ─
脳循環代謝 第 25 巻 第 2 号
図 1.iPS 細胞を介した神経細胞誘導と,iN 細胞誘導の概略(文献 10 より改変転載)
a:iPS 細胞を介する場合,まず山中 4 因子を皮膚線維芽細胞に強制発現させた上で iPS 細胞を作成し,
その iPS 細胞から目的の神経細胞を培養下に分化させることで誘導する.
b:iN 細胞を誘導する場合,皮膚線維芽細胞に Ascl1,Brn2,Myt1l,Olig2,Zic1 などの複数の転写因子
を強制発現させ直接 iN 細胞を誘導する.
c: 筆 者 ら が 誘 導 し た iN 細 胞 の 免 疫 染 色 像. ヒ ト 皮 膚 線 維 芽 細 胞 に 5 つ の 転 写 因 子(Ascl1,Brn2,
Myt1l,Olig2,Zic1)を強制発現させて 3 週間後には,培養細胞のうち約 30%が成熟神経細胞マーカーで
ある MAP2 陽性細胞となった.Scale bar: 100 μm.
図 2.ダイレクトリプログラミングを用いて各種神経系細胞を誘導した報告例
─ 74 ─
iN 細胞を用いた新規脳梗塞治療法開発への展望
Pax6,sRT-PCR 法で FoxG1,Otx2 などの幹細胞や神
5.おわりに
経芽細胞のマーカーを検討したが,全くそれらの発現
は認めなかった.以上のことから我々は,直接的に神
経細胞の誘導を行うことができたと結論づけた.また
これまでの研究で,様々な転写因子の組み合わせに
誘導後 3∼5 週間後の iN 細胞に対してパッチクランプ
より,目的の神経細胞が直接誘導できることがわかっ
法で検討したところ,ニューロンに非常に類似した電
てきた.しかしながらどのようにして細胞の運命が変
気生理学的特徴を持つことが明らかになった.最後に
えられるのか,そのメカニズムはほとんど不明のまま
この誘導された iN 細胞が生体内で機能するかを調べ
である.また治療や病態解析に応用する場合に強制発
る た め に,GFP で 標 識 し た iN 細 胞 を 胎 児 期(E12∼
現された転写因子が移植細胞に影響しないのかは今後
E13)のマウス脳室内に移植した.移植された iN 細胞
注意深く検討する必要がある.また今後移植治療等に
は時間の経過とともに脳実質へと移動し,神経突起を
使用する際には,腫瘍形成能が本当にないのか,長期
伸展していることがわかった.また新鮮脳切片上の iN
にわたってその安全性を確認する必要がある.
細胞に対するパッチクランプ法の検討により,iN 細胞
様々な課題は残っているものの,このダイレクトリ
は自発的な発火をし,その自発的発火は GABAa 受容
プログラミング技術によって,目的の神経系細胞を短
体アンタゴニストであるピクロトキシンの処理により
期間でかつ未分化な状態を経ずに直接的に誘導するこ
増大が確認されたことから,抑制系ニューロンによる
とが可能となってきており,今後,脳梗塞に対する細
制御をうけていることが示唆された.以上のことから
胞治療療法への応用が期待される.
移植された iN 細胞は脳内に生着し既存の神経ネット
ワークに組み込まれうることが明らかになった.
以上の実験から成人皮膚線維芽細胞からも iN 細胞
が誘導できることが示された.
文 献
1) Takahashi K, Yamanaka S: Induction of pluripotent stem
cells from mouse embryonic and adult fibroblast cultures
by defined factors. Cell 126: 663–676, 2006
4.iN 細胞を用いた細胞移植療法の可能性
2) Vierbuchen T, Ostermeier A, Pang ZP, Kokubu Y, Südhof TC,
細胞移植治療の移植細胞として,大量の移植細胞を
Wernig M: Direct conversion of fibroblasts to functional
neurons by defined factors. Nature 463: 1035–1041, 2010
準備するのが比較的困難な点はあるものの,iN 細胞は
3) Caiazzo M, Dell’Anno MT, Dvoretskova E, Lazarevic D,
未分化な状態を経ずに誘導されることから腫瘍形成リ
Taverna S, Leo D, Sotnikova TD, Menegon A, Roncaglia P,
スクが低いと予想され,iN 細胞は魅力的な移植細胞源
Colciago G, Russo G, Carninci P, Pezzoli G, Gainetdinov RR,
であるといえる.すでにハーバード大学の研究グルー
Gustincich S, Dityatev A, Broccoli V: Direct generation of
プがマウス皮膚線維芽細胞からドパミン作動性ニュー
ロン様の細胞を誘導し,これらの細胞が実際にドパミ
ン放出能を持ち,かつ 6–OHDA パーキンソンモデル
マウスに移植した場合,移植された iN 細胞は脳内で
長期間生存し,運動機能改善効果を示したことを報告
している7).
functional dopaminergic neurons from mouse and human
fibroblasts. Nature 476: 224–227, 2011
4) Matsui T, Takano M, Yoshida K, Ono S, Fujisaki C,
Matsuzaki Y, Toyama Y, Nakamura M, Okano H,
Akamatsu W: Neural stem cells directly differentiated
from partially reprogrammed fibroblasts rapidly acquire
gliogenic competency. Stem Cells 30: 1109–1119, 2012
さらに近年,慶應義塾大学の岡野栄之教授・赤松和
5) Qiang L, Fujita R, Yamashita T, Angulo S, Rhinn H,
土講師研究室を含む複数の研究グループから,神経幹
Rhee D, Doege C, Chau L, Aubry L, Vanti WB, Moreno H,
細胞をダイレクトリプログラミングで誘導する技術が
Abeliovich A: Directed conversion of Alzheimer s disease
報告された
patient skin fibroblasts into functional neurons. Cell 146:
.神経幹細胞は神経細胞やそれをサポー
8, 9)
トするグリア細胞に分化でき,かつ増殖能を持つ.移
植細胞を大量に準備することも比較的容易であろうと
予想される.これらダイレクトリプログラミング技術
で誘導された神経幹細胞が同様に治療効果を示すこと
ができるのかも今後注目される.
359–371, 2011
6) Son EY, Ichida JK, Wainger BJ, Toma JS, Rafuse VF,
Woolf CJ, Eggan K: Conversion of mouse and human
fibroblasts into functional spinal motor neurons. Cell Stem
Cell 9: 205–218, 2011
7) Kim J, Su SC, Wang H, Cheng AW, Cassady JP, Lodato MA,
Lengner CJ, Chung CY, Dawlaty MM, Tsai LH, Jaenisch R:
Functional integration of dopaminergic neurons directly
converted from mouse fibroblasts. Cell Stem Cell 9: 413–
─ 75 ─
脳循環代謝 第 25 巻 第 2 号
Matsuzaki Y, Toyama Y, Nakamura M, Okano H,
419, 2011
8) Lujan E, Chanda S, Ahlenius H, Sudhof TC, Wernig M:
Akamatsu W: Neural stem cells directly differentiated
Direct conversion of mouse fibroblasts to self-renewing,
from partially reprogrammed fibroblasts rapidly acquire
gliogenic competency. Stem Cells 30: 1109–1119, 2012
tripotent neural precursor cells. Proc Natl Acad Sci U S A
10) 山下 徹,阿部康二:iN 細胞を用いた脳再生医療の
109: 2527–2532, 2011
9) Matsui T, Takano M, Yoshida K, Ono S, Fujisaki C,
展望.分子脳血管病 12: 52–55, 2012
Abstract
Cell replacement therapy with induced neuronal cells for stroke
Toru Yamashita and Koji Abe
Department of Neurology, Okayama University Graduate School of Medicine, Dentistry and
Pharmaceutical Sciences, Okayama, Japan
Cell replacement therapy is attractive as a novel strategy for neurological diseases such as stroke. To
realize this therapy, safer and more therapeutic effective cell resources are now needed. Induced
pluripotent stem (iPS) cells can retain high replication competence and pluripotency when they
differentiate into various kinds of cells, then they are regarded as a promising cell resource for cell
transplantation therapy. However, high tumorigenesis of iPS has to be overcome for clinical applications.
Recently it was reported that novel combination of transcriptional factors can convert somatic cells to
various kinds of mature neuronal cells and neural stem cells without requiring iPS cell fate. Some
evidence indicated that these directly induced neuronal (iN) cells have little tumorigenic potential. We
discuss the advantage, issues, and possibility of clinical application of iN cells for cell replacement
therapy.
Key words:induced neuronal cells, direct reprogramming, cell transplantation therapy, stroke
─ 76 ─