上原記念生命科学財団研究報告集, 27 (2013) 38. 硫化水素標的蛋白質の同定と病態形成機構 上原 孝 Key words:酸化ストレス,生体内ガス,システイン, 細胞死,神経細胞 岡山大学 大学院医歯薬学総合研究科 薬効解析学分野 緒 言 私たちはこれまでに低濃度の一酸化窒素(NO)は PTEN を特異的に S-ニトロシル化(SNO 化)して不活化し, それに伴って Akt 活性が上昇することを明らかにした 1-3).一方,高濃度 NO は PTEN のみならず Akt も SNO 化し不 活化することで Akt シグナル経路を負に調節することを示してきた.近年,硫化水素(H2S)は NO や一酸化炭素に続 く新規のガス状調節因子として注目されており,血管拡張作用や細胞増殖への関与が示唆されている 4).また,H2S は 生体内で HS- として存在し,NO と同様に蛋白質のシステイン残基を S-スルフヒドリル化(SHY 化)してその機能 (GAPDH の活性増加や Actin の重合促進)を制御することが見いだされている 5, 6).そこで,本研究では生体内におけ る NO 及び H2S の相互関係を明らかにするために,Akt シグナル経路に着目してその影響を検討し,以下の知見を得 たのでここに報告する. 方 法 1.H2S 産生酵素 cystathionine β-synthase(CBS)のノックダウン CBS siRNA 及び random siRNA を終濃度 33 nM となるように OPTI-MEM 500µl で希釈し,緩やかに攪拌した.ま た,Lipofectamine 2000 20µl を OPTI-MEM 500µl で希釈し,緩やかに攪拌した後,室温で 5 min インキュベーション した.希釈した Lipofectamine 2000 と siRNA を混合し,15 min インキュベーションした後,前日に 10 cm dish に播 いた SH-SY5Y(30-50% confluent となるように)に全量 1 ml を加えた後,CO2 インキュベーターにて 48 hr インキュ ベーションした. 2.H2S 量の測定 7) 培地 75µl をエッペンチューブにとり,1% zinc acetate を 250µl および H2O 425µl を加えた.そして,20 mM Ndimethyl p-phenylenediamine sulfate (in 7.2 mM HCl) を 133µl,および 30 mM FeCl3 (in 1.2 mM HCl) を 133µl 加え, 室温で 10 min インキュベーションした.次に,10% trichloroacetic acid を 250µl 加え,4℃,15,000 rpm,5 min 遠心 した後,上清を回収し,最終反応物である methylene blue の吸光度 670 nm を測定した. 3.SHY-PTEN の検出 5) 細胞を氷冷 PBS(-)で2回 wash した後,可溶化 buffer を 1 ml 加え細胞を剥離し,dish 上でサスペンドした.これを エッペンチューブに回収して 4℃,15,000 rpm,10 min 遠心し,その上清を細胞質画分として用いた.次に,遮光した 15 ml ファルコンチューブに移し,各サンプルに Blocking buffer を 4 ml 加え,3 min 置きに転倒混和をしつつ 50℃, 20 min インキュベーションし,アセトン(-20℃保管)を 10 ml 加えて転倒混和した後,-80℃で 5 min インキュベーシ ョンした.これを 4℃,3,000 rpm, 5 min 遠心した後,上清を除き,HENS buffer 200µl でペレットをサスペンドし, エッペンチューブに移した.これに 4 mM Biotin-HPDP solution を 66µl 加え, 3 hr インキュベーションした.さらに アセトン沈殿を行い,ペレットを HENS buffer 450µl でサスペンドし,このうち 30µl を input 用に別のエッペンチュ ーブに移した.Input 用サンプルには4×ラムリを 10µl 加え,5 min 煮沸した.ここで,別に用意したエッペンチュー 1 ブに streptavidin-agarose を1サンプルあたり 50µl とり,4℃,5,000 rpm, 1 min 遠心後上清を除き,Neutralization buffer を各 80µl ずつ加えてサスペンドした.残りの 420µl に Neutralization buffer 900µl を加え,これを先に用意して おいた streptavidin-agarose の懸濁液に加え,ローター(4℃)で回転させて一晩放置した.サンプルを 4℃,1,000 rpm, 20 sec 遠心し,上清をピペットで静かに除き,Neutralization buffer + NaCl 1 ml 加えて streptavidin-agarose を wash し,これを再び 4℃,1,000 rpm, 20 sec 遠心した.この操作を5回繰り返した後,上清を完全に除いたサンプルに2× ラムリを 20µl 加え,5 min 煮沸した.得られたサンプルをウェスタン解析することで,SHY-PTEN 形成を検出した. 結 果 1.SHY-PTEN の検出 ヒト神経芽細胞腫 SH-SY5Y 細胞は,H2S 産生酵素のうち CBS のみを発現していたことから,CBS をノックダウン することにより細胞内 H2S 量を特異的に減少させることができる.そこで,CBS を siRNA 処理によってノックダウン し,その影響を種々検討した.CBS siRNA 処理を行った SH-SY5Y 細胞に対して,modified biotin-switch assay から SHY 化蛋白質を検出した.その結果,basal level で PTEN は SHY 化されており,CBS siRNA 処理によって顕著に減 少することがわかった(図 1). 図 1. CBS ノックダウンによる SHY 化 PTEN の減少. (A) SH-SY5Y 細胞に CBS siRNA を処理した後に,細胞抽出液を調製した.改良型 modified biotin-switch 法を 行うことで,SHY 化した PTEN 形成を検出した.細胞中の PTEN および CBS 量に関してはウェスタン解析で 測定した.(B) 培地中の H2S 量に関しては,メチレンブルー吸光光度法から解析した.n=3, each bar indicates mean±SEM, *:P<0.01, Student's t-test. 2.PTEN における SHY 化の部位同定 PTEN の Cys 残基を Ser 残基に置換した各種変異体を強制発現させ,1.と同様の検討を行い H2S の標的 Cys 残基 の同定を試みた.その結果,C71S および C124S 変異体では SHY-PTEN のバンドが減少していたことから,PTEN の Cys71 および Cys124 が H2S の標的となっていることが示唆された(図 2). 2 図 2. PTEN のスルフヒドリル(SHY)化部位の特定. FLAG-PTEN WT および Cys 残基を Ser 残基に置換した各種変異体を発現させた SH-SY5Y 細胞の total cell lysate に対して,NaHS を室温で加え,遮光・室温条件下で 30 min インキュベーションした.その後,modified biotin-switch assay に供し,SHY 化形成を観察した. 3.CBS ノックダウンに伴う SNO-PTEN 形成の促進 次に,CBS ノックダウンによって SHY-PTEN が減少したときの,NO に対する感受性の変化を調べた.興味深いこ とに,CBS のノックダウンによって PTEN は basal level で既に SNO 化され,この SNO 化は NO 合成酵素(NOS) の阻害薬である L-NAME 処理によって完全に抑制されることがわかった(図 3).さらに SNO 化に必要な NO 濃度要 求性を検討したところ,CBS siRNA 処理した細胞では NO に対する感受性が高くなっていることが明らかとなった. 3 図 3. CBS ノックダウンに伴う SNO-PTEN 形成に対する NOS 阻害薬の影響. SNO-PTEN 形成を検討するために,CBS siRNA 処理を行った SH-SY5Y 細胞の total cell lysate を biotin-switch assay に供した.NOS 阻害薬処理は回収 3 hr 前に L-NAME を終濃度 1 mM となるように dish に加えることで 行った.その結果,CBS ノックダウンによって形成された PTEN の SNO 化は,L-NAME 処理によって完全に 抑制されることが示された. 4.CBS ノックダウンに伴う Akt リン酸化の亢進 PTEN は SNO 化されることで負に調節され,それに伴って下流に存在する Akt のリン酸化が亢進する.したがっ て,H2S 産生を抑制した際には PTEN の SNO 化に起因した Akt の活性化が起こることが予想された.そこで,CBS ノックダウンに伴う Akt リン酸化亢進の有無を,CBS siRNA 処理後,培地に含まれる血清を 0.1%(通常は 10%)に 交換し,血清による Akt リン酸化の増加を抑制した条件下で検討した.その結果,CBS ノックダウンによって Akt リ ン酸化が亢進し,これは L-NAME 処理によって有意に抑制されることが明らかとなった(図 4). 4 図 4. CBS ノックダウンによるリン酸化 Akt 形成に対する NOS 阻害薬の影響. CBS のノックダウンに伴う Akt のリン酸化亢進が,PTEN の SNO 化に起因したものであることを確認するた め,NOS inhibitor である L-NAME を用いて検討した.その結果,L-NAME 処理により Akt のリン酸化は抑制 した. 考 察 神経芽細胞腫 SH-SY5Y 細胞は,定常状態において CBS 由来の H2S によって PTEN の Cys71 および Cys124 の2カ 所が SHY 化されていることが示された.また,CBS ノックダウンによって細胞内 H2S 量を減少させると,SHY-PTEN 形成量は減少し,逆に SNO-PTEN 形成が認められた.この修飾に伴い,Akt リン酸化の亢進が起こることが明らかと なった.すなわち,生理的条件下において,PTEN は H2S によって SHY 化されることで,内在性 NO 合成酵素由来の NO による修飾を防御していることが示唆された.このことから,H2S は蛋白質 SHY 化を介して各種酵素の活性を調 節しているガス状分子である可能性が推定された. 共同研究者 本研究は岡山大学大学院医歯薬学総合研究科薬効解析学分野にて行われました.研究に協力して下さった学生・大学院 生に感謝申し上げます.最後になりましたが,本研究にご支援賜りました上原記念生命科学財団に深く感謝致します. 文 献 1) Uehara, T., Nakamura, T., Yao, D., Shi, Z. Q., Gu, Z., Ma, Y., Masliah, E., Nomura, Y. & Lipton, S. A. : SNitrosylated protein-disulphide isomerase links protein misfolding to neurodegeneration. Nature, 441 : 513-517, 2006. 2) Numajiri, N., Takasawa, K., Nishiya, T., Tanaka, H., Ohno, K., Hayakawa, W., Asada, M., Matsuda, H., Azumi, K., Kamata, H., Nakamura, T., Hara, H., Minami, M., Lipton, S. A. & Uehara, T. : On-off system for PI3-kinase-Akt signaling through S-nitrosylation of phosphatase with seguence homologg to tensin. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., 108 : 10349-10354, 2011. 3) Uehara, T. & Nishiya, T. : Screening systems for identification of S-nitrosylated proteins. Nitric Oxide, 25 : 108-111, 2011. 4) Hughes, M. N., Centelles, M. N. & Moore, K. P. : Making and working with hydrogen sulfide: The chemistry and generation of hydrogen sulfide in vitro and its measurement in vivo : A review. Free Radic. Biol. Med., 47 : 1346-1353, 2009. 5) Mustafa, A. K., Gadalla, M. M., Sen, N., Kim, S., Mu, W., Gazi, S. K., Barrow, R. K., Yang, G., Wang, R. & Snyder, S. H. : H2S signals through protein S-sulfhydration. Sci. Signal., 10 : ra72, 2009. 6) Sen, N., Paul, B. D., Gadalla, M. M., Mustafa, A. K., Sen, T., Xu, R., Kim, S. & Snyder, S. H. : Hydrogen sulfide-linked sulfhydration of NF-κB mediates its antiapoptotic actions. Mol. Cell, 45 : 13-24, 2012. 5 7) Mok, Y. Y., Atan, M. S., Yoke, P. C., Zhong, J. W., Bhatia, M., Moochhala, S. & Moore, P. K. : Role of hydrogen sulphide in haemorrhagic shock in the rat: protective effect of inhibitors of hydrogen sulphide biosynthesis. Br. J. Pharmacol., 143 : 881-889, 2004. 6
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