昭和30年代の、肺結核の「三者併用の薬」と言えば、「ストマイ」と「イナ」 と、もうひとつが何だったかを調べたい。 『サナトリウム残影 結核の百年と日本人』p95 と『結核の歴史』p37 にある記述を総合 すると、質問者の言う「ストマイ」は「ストレプトマイシン(SM) 」、 「イナ」は「イソニコ チン酸ヒドラジッド(INH) 」となり、もうひとつの薬品名は、 「パス(PAS) 」だとわかった。 結核は、日本において昭和 10 年に死亡原因で首位となり、戦後昭和 25 年まで続いた。 翌年新しい結核予防法が施行された後、治療に薬が用いられるようになったようである。 医学(内科学、公衆衛生)の書架にある結核の資料を探したが、「ストマイ」「イナ」を含 む三種の薬品表記が見つからない。そこで、インターネットで検索すると、 「ストマイ アイ ナ パス」という表記があるのを見つけた。 この薬品名をヒントに、改めて結核の資料を見てみると、 『サナトリウム残影 結核の百年 と日本人』p95 に「昭和二十年代後半にストレプトマイシン、パス、イソニコチン酸ヒドラ ジッド、そして昭和四十年代にリファンピシンが登場するに及んで、死病結核は、急速に治 る病気になっていった。 」という記述があった。 また、 『結核の歴史』p37 には「ストレプトマイシン(SM)は、ウクライナからアメリカ に移ったワックスマンによって一九四四年(昭和一九年)に発見された。結核に本当に有効 なはじめての薬である。同じ頃(一九四六年)、ずっと以前に合成されていた化合物であるパ ス(PAS)が結核の治療に有効であることがスウェーデンのレーマンにより明らかにされ発 表された。…(中略)…一九五二年(昭和二七年)から使えるようになったヒドラジッド(INH) は SM、PAS に較べれば一段と強力な薬で、一九五五年頃には画期的な結核化学療法といえ る SM、INH、PAS の「三剤併用療法」が完成した。」との記述があった。 参考資料 『サナトリウム残影 結核の百年と日本人』 高山啓輔/著 日本評論社 2004 年 『結核の歴史』 青木正和/著 講談社 2003 年 -6-
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