3 学問の新傾向と元禄文化 1岡山藩に仕えた熊沢蕃山は, 幕府を批判したため処罰され ばくはん 幕藩体制が安定すると,歴史に対する関心が高ま 学問の新傾向 た。 み と はやし が ほう へんねんたい ほんちょう つ がん 『本朝通鑑』 を完成 った。林鵞峰は,編年体の国史 1618〜80 とくがわみつくに だい に ほん し 『大日本史』 の編集に着 させ,水戸藩主徳川光圀は,多くの学者を集め 1628〜1700 あら い はくせき いえのぶ とく し よ ろん 『読史余論』 を書いた。5 手した。新井白石は,家宣に歴史を講義するため bp.125 と だ も すい か がく 日本の古典を研究する国学もはじまり,戸田茂睡が中世の歌学を批 1629〜1706 bp.147 けいちゅう 儒学 1640〜1701 だいしょう き 聖教要録 (山鹿素行) だいがくわくもん 大学或門 (熊沢蕃山) せいだん 政談 (荻生徂徠) 歴史学 本朝通鑑 (林羅山・鵞峰) 大日本史 (水戸徳川家) ちゅうちょう じ じつ 中朝事実 (山鹿素行) 読史余論 (新井白石) 国学・古学 こ げつしょう 源氏物語湖月抄 (北村季吟) その他 大和本草 (貝原益軒) しば き 折たく柴の記 (新井白石) 庶物類纂 (稲生若水) qおもな著作物 まくらのそう し 1624〜1705 かた の研究を行い,幕府の歌学方に任じられた。 じゅがく たい ぎ めいぶんろん しゅ し がく 儒学では,大義名分論を重視する朱子学が重んじられる一方,新し やまざきあんさい 10 しんとう い学問を学ぶ学者もいた。京都と江戸で活躍した山崎闇斎は,神道を すい か おう み し じゅく 1618〜82 なか え とう じゅ 儒教流に解釈した垂加神道を説き,近江に私塾を開いた中江藤樹や くまざわばんざん1 みん 1608〜48 ようめいがく 門人の熊沢蕃山は,明代におこった陽明学を学んだ。 ろん ご もう し こ がく や 『孟子』 など古典の原文を研究しようという古学 また,直接 『論語』 やま が そ こう せいきょうようろく もおこった。古学の祖とされる山鹿素行は, 『聖教要録』 をあらわして 1622〜85 農業全書 (宮崎安貞) げん じ きた むら き ぎん をあらわした。北村季吟は, 『源氏物語』 や 『 枕 草子』 し 『万葉代匠記』 1619〜91 万葉代匠記 (契沖) おり まんようしゅう 『万葉集』 を研究 判して用語の自由を主張し,契沖は文献学的な方法で い とうじんさい 15 とうがい 朱子学を批判した。京都の町人出身の学者伊藤仁斎・東涯父子は,京 ほりかわ 1627〜1705 こ ぎ どう 1670〜1736 『論語』 などを原文にそくしてわかりやす 都堀川に私塾古義堂を開き, お ぎゅう そ らい く解釈した。江戸では,荻生徂徠が,中国古代の言語を研究して古典 1666〜1728 とくがわよしむね やなぎさわよしやす こ もん の解釈を試みた。徂徠は,柳沢吉保や徳川吉宗の政治顧問としても用 bp.124 せいだん ど ちゃく bp.136 をあらわし,武士の土着論を主張した。このような政 いられ, 『政談』 20 けいせい 治・経済への発言を経世論という。 産業の発達にともない,自然科学の分野でも大き 自然科学の発達 みや ざき やす さだ のう ぎょう な発達がみられた。農学では,宮崎安貞が『農業 1623〜97 ぜんしょ 全 書』 をあらわし,農作物の新しい栽培技術を紹介した。薬草の研究 ほん ぞう がく かい ばら えき けん や ま と ほん ぞう いの う じゃくすい からはじまった本草学では,貝原益軒が『大和本草』を,稲生若水が 1630〜1714 しょぶつるいさん 1655〜1715 25 をあらわした。 『庶物類纂』 わ さん せきたかかず 和算では,関孝和が出て,筆算代数式とその計算法や円球に関す 1640〜1708 てんもん しぶかわ る計算などですぐれた業績をあげた。天文学では,渋川 しゅんかい qw『 農 業 全 書 』の 表紙とさし絵 また,世界地理に対する関心も深まり,長崎の通詞(通 にしかわじょけん か い つうしょうこう 『華夷通商考』 をあらわして海外事情を紹介し, 訳) 西川如見が 栽培技術の向上と 1648〜1724 や く せん にゅう せん きょう 新井白石は屋久島に潜 入して捕らえられたイタリア人宣 教 し じんもん せいよう き ぶん さいらん い げん 師シドッチを尋問し, 『西洋紀聞』 や 『采覧異言』 をあらわした。 1668〜1714 132 第 3 章 30 つう じ 書『 農 業 全 書 』は , をはたした。 じょう 享暦をつくった。 た総合的農業技術 ふ きゅう 1639〜1715 こよみ きょうれき 宮崎安貞があらわし 普及に大きな役割 やす い さんてつ 春海(安井算哲) が,従来の暦を観測によって修正し,貞 (はるみ) 近世社会の形成と庶民文化の展開
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