「古英語におけるギリシア・ラテン借入語」(覚え書き)

古英語におけるギリシア・ラテン借入語
―― diábolus か díavolus か ――
酒
見
紀
成
古英語におけるラテン語からの借入語は約 600 あり、その音形式によって,3 つの層に分
けられてきた。最も古い層は大陸時代に借入されたもので、大体 450 年までのもの,第二
の層はアングル族やサクソン族のブリテン島移住からキリスト教の影響が現れる 650 年頃
までの約 200 年間に借入されたもの、第三の層は改宗から古英語期の終わりまでの借入語
である。しかし,K. ブルンナーも言うように、第一の層なのか第二の層なのか、区別し難
いことがある。例えばギリシア語由来の少数のキリスト教用語がそうで、church, devil,
angel, bishop をブルンナーは第一の層とし,
「恐らくゴート人によって伝えられた」ギリシ
ア語からの直接借入語であろうと言い(『英語発達史』,p. 30)、A. キャンベルも bishop を
除く 3 語を第一の層とし、ラテン語を経由した可能性もあるとしながらも、ギリシア語か
らの直接借入語として説明している(Old English Grammar, p. 199)。ポール・バケは
bishop も第一の借入語層に挙げている(『英語の語彙』,p. 37)。ところが、マンフレッド・
シェーラーはこれらの 4 語すべてを第二の層のラテン語経由の間接借入語と見徹している
(『英語の語彙と構造』,pp. 58-60)。
シェーラーの根拠は、5~6 世紀にはまだアリウス派のキリスト教は低地ドイツにまで拡
がっていなかったということと、これらの 4 語が第二の層のラテン借入語に特徴的な俗ラ
テン語の音変化を示すと考えることである。東ゲルマン世界で信仰されたアリウス派の教
義がその頃アングロ・サクソン族に知られていたかどうかよく分からないが、OED によれ
ば、アングル人とサクソン人はゴール地方やブリテン島でローマ人やブリトン人の教会を
略奪しており,改宗するずっと以前からキリスト教の際立った事象に名前を付けていたら
しい。本稿で問題にするのは,シェーラーが古英語形の前段階として想定するブリテン島
の俗ラテン語形にゲルマン語の語頭強勢を与えていることである。Gr. γγελος > L.
ángelus > VL. (俗ラテン語) *ángilus と Gr. πíσκοπος > L. epíscopus > VL. *bíscopus は,
俗ラテン語形の強勢の位置が古典ラテン語形と同じであるので問題は生じないが、Gr.
κυριακóν > L. *cyrīca > VL. *cýrica と Gr. διáβολος > L. diábolus > VL. *díavolus の場合
は、強勢が俗ラテン語形では語頭に移動している。しかし,一般に俗ラテン語では,古典
ラテン語の高さのアクセントが強さのアクセントヘ変わりはしたものの,
「その位置は決し
てかわらなかった」とされている(ジョゼフ・へルマン,『俗ラテン語』,pp.48-49)。
L. R. Palmer も同じことを述べている(The Latin Language, p. 155)。即ち,古典ラテン
1
語のアクセントのルールは、2 音節語では最初の音節にアクセントがあり、3 音節以上の語
では、語未から 2 番目の音節が長い時はその音節に、短い時はもう 1 つ進んで語未から 3
番目の音節にアクセントが来るというもので、これが俗ラテン語へ、そして各地域ロマン
ス語へと受け継がれたのである。従って,イタリア語、スペイン語、フランス語等では原
則として語未から 2 番目の音節に強勢が来る。ただし、フランス語は語尾母音を失ったの
で、同じ位置が現在は最終音節になっている。
なぜシェーラーは俗ラテン語で強勢の位置が変わったと考えるのであろうか。最初の 2
つの層の仲介者はブリトン人であったと想像するからであろうか。その前に、彼が挙げて
いる 2 つの借入語層の証拠を見てみよう。第一の層の証拠は 1)西ゲルマン共通語として
広まっていること、2)i- ウムラウトを示すこと、例えば mynet 'coin' < L. moneta 3)口
蓋音ウムラウトを示すこと、例 cycene 'kitchen' < L. coquīna
L. vinum
4)L. v > Gmc. w, 例 win <
5) WGmc. a > WS., Kt., Angl. æ 或いは e,例 stræt / stret < L. strata であり、
第二の層の証拠は 1)西ゲルマン共通語として広まっていないこと、例えばドイツ語に欠
けていること、2)(5 世紀以降)俗ラテン語に起きた変化を示すこと、i)i > e, u > o など
の音低下、例 segn < L. signum、torr < L. turris ii)母音間の閉鎖音の「軟音化」、例 lǽden
< L. Latinus などである。しかしこれらの証拠は必ずしも決定的ではない。というのは、
WGmc. に借入されたものかどうか判定が難しいからである。例えば devil は古フリジア語、
古サクソン語、中期オランダ語、古高ドイツ語といった西ゲルマン諸語に存在するが、
WGmc. から受け継いだものかどうか分からない。OED によれば、一部のゲルマン諸語は
多少とも互いに独立してラテン語から借入したと思われるからである(E. Klein の語源辞
典は "a Goth. loan word" としている)。次に i- ウムラウトは 500~600 年頃に起きたとさ
れており、口蓋音ウムラウトは 5 世紀から 7 世紀に起きたとシェーラーは言っているので、
年代的に第二の借入語層とも重なる。事実,第二の層の mynster や mǽgester も i- ウム
ラウトを受けている。また、VL. における p, t, k > b, d, g > v, d~ð, ʒ は 5 世紀以降の変化
と言われるが、b と v の混同は「帝政初期から碑文の VL などで」見られるのである(国原
吉之助『中世ラテン語入門』,p. 2)。これは diabolus の b の摩擦音化に関係する。それで
も母音間の p, t, k が有声音化していなければ、それは第一の層とする根拠として有効であ
る。例えば mynet や stræt では無声音のままであるが、lǽden では有声音化しているので、
後者は第二の借入語層に属する。
冒頭で挙げたギリシア語由来の 4 つの借入語をシェーラーが第二の層に含めた際に目安
にしたのは lǽden と munuc、そして恐らく mynster と abbod であるが、abbod は VL.
*abbadem < Eccl. L. abbatem(対格)を経ているとし,俗ラテン語形に有声音化だけでな
く,語頭強勢を持つ形態を想定している。C. T. Onions も "ecclL. a-bbatem, for abbā-tem"
と語頭音節に強勢を移している(しかし t はそのまま)
(The Oxford Dictionary of English
2
Etymology, p. 2)。OED は abbad-em の借入とするが、アクセントは古典ラテン語と同じ
である。しかし lǽden については OED も "repr. a Celtic or early Romanic pronunciation
of L. Latinum" としているので、5 世紀以降ブリテン島のケルト人やローマ人は Latinum
を lǽden のように発音していたと考えるのであろうが、なぜ強勢が語頭に来るのかについ
ては説明がない。mægester についても OED は "a. L. magister, magistrum, a Vulgar
Latin pronunciation (majεstεr, -tro)" と書いているだけである。
(初期ロマンス語とは西ロ
ーマ帝国が滅んだ 5 世紀末から 800 年頃までの口語ラテン語を指すので、俗ラテン語とほ
ぼ同義であるが、後者はすでに古典期から始まっている。
)一方,キャンベルは OE への借
入時に語頭音節が強勢を獲得したと考えているようである。披によれば lǽden も mǽgester
も OE で起きた i- ウムラウトを受けているので、その時にはすでに語頭音節の a は強勢を
持っていたことになる。ウムラウトは強勢のある母音にのみ起こるからである。だから借
入される以前からローマ化したケルト人によって語頭に強勢が置かれていたとも考えられ
るが、むしろアングロ・サクソン族がゲルマン語の方法で強勢を語頭に置き換えたと考え
る方が自然である。シェーラーも cycene については VL. *cocīna < L. coquīna が WGmc.
で語頭に強勢を置き換えられて *kókina となり、それから口蓋音ウムラウトを受けたと述
べている。なぜならこの語は第一の層の借入語だからである。*monita については VL. か
WGmc. か明示していないが、これも第一の層であるから,WGmc. 形のつもりであろう。
しかし第二の層の借入語の場合には披は OED と共に俗ラテン語形に語頭強勢を想定する。
では mynster の場合はどうであろうか。これも第二の層の借入語であるから、VL. におい
て語頭強勢を持っていたことになるが、OED は "popular L. *monisterium = Eccl. L.
monasterium" が先史時代の OE.に借入されて *munistrjo となったとしか書いていない。
即ち、VL. における強勢のある音節のすぐ前の無強勢母音の弱音化 a > i を想定している
だけで、語頭音節に強勢を移すことはしていない。キャンベルはこの pre-tonic の母音は
VL. において消失したかもしれないと言うが、OE.において鼻音の前の o が u となり、こ
れが強勢を獲得し、i- ウムラウトを受けて y となっているので、消失ではなく弱音化と考
えなければならない。そうするとこの借入語は第二の層に特徴的な VL. の音韻変化を示し
ているにもかかわらず、強勢の置換は OE. で起きたことになる ―― WGmc. で語頭に置
き換えられた第一の層の VL. *cocina や L. moneta と同じように。(OE. munuc 'monk' の
場合は Gr. μοναχóς が教会ラテン語に借入された時点で、古典ラテン語のアクセント法に
従って語未から 3 番目の音節,即ち語頭にアクセントが置かれた。そして VL. で post-tonic
の無強勢母音の弱音化によって *monicus となり、OE. *municus となったが、これが i- ウ
ムラウトを受けなかったのは、i がウムラウトを起こす前に u に変化していたからであろ
う。)
このように考えると、シェーラーとアニアンズが想定した VL. *ábbadem には議論の余
地がある。同様に VL. *díavolus (< Eccl. L. diábolus < Gr. διáβολος)も違わしい。シェー
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ラーがこの借入語を第二の層と同定した根拠は b の摩擦音化であるが、これは少なくとも
綴りの上では帝政初期から見られる現象であるから(例えば bene ~ vene、Venus ~ Benus)、
第一の借入語層としてきた従来の説も捨て難い。ギリシア譜から直接共通ゲルマン語へ入
ったと考えるキャンベルは、OE. deofol、Nhb. diofol は PGmc. *diuvul- に由来すると言い、
ラテン語を経由したとする OED は ON. djofull に基づき *diabulz を再建し、これが OE.
に借入されて diabul, diavol となり、ia > io > eo によって OE.形が生じたと説明してい
る。angel についてもキャンベルは γγελος > Gmc. *angil- > OE. engel と考えるが、アニ
アンズはラテン語を経由して共通ゲルマン語に借入されたと言う。一方,シェーラーは中
間段階としてゲルマン語ではなく俗ラテン語を考えており,i- ウムラウトを引き起こす i
< e(post-tonic の母音の弱音化)を持つ VL. *angilus を想定する。そうすると他のゲルマ
ン諸語はそれぞれ個別にこの VL. 形を借入したことになる。church の場合は、面白いこと
に、ゲルマン諸語とスラヴ諸語には入っているが、ゴート語およびケルト諸語やロマンス
諸語は Gr. κκησíα を借入している。後者は「教会」の意味であるが、church は元来
κυριακóν「主人の」という形容詞で、300 年頃から東方で「主の家」を意味する実詞として
よく使われたらしい。アニアンズとクラインはそのコイネー・ギリシア語形 κυρικóν に由
来すると言い(新約聖書はコイネー・ギリシア語で書かれている)、OED もこの語を西ゲ
ルマン共通語まで遡らせ *kirika と再建している。ただし、WGmc. で -ka に終わる女性
名詞になったとは考えないで、もともと複数形の κυρικá が借入されたのだろうと言う。
ところがシェーラーはここでも κυριακóν > Eccl. L. *cyrīca > VL. *cýrica > OE. cyrice と
いう過程を提案する。もしラテン語を経由したのであれば、キャンベルの言うように、性
の転換と語中音消失が起きたのであろうが、教会ラテン語形も推定形であるので、説得力
に欠ける。
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