,.6ターカト・=凛 JFリ

,.6ターカト・=凛
JFリ
第5回海外交歓研修旅行
訪 問 国
国際ロータリー第346区中華民国・台湾
1982年1月4日∼11日
国立故宮博物館・台北市
国際ロータリー第254地区
インターアクト委員会
題字 鈴木節夫ガバナ
1結団式で鈴木ガバナーより
壮行の挨拶を受ける
秋田ニューダランドホテル
▲台南南RC歓迎交歓例会・台南ホテル例会場
▲民泊家庭の人達と其に指南ホテル前で
▲蘇市長と共に(菊池団長石隣)台南市政府前で
▲菊地団長と94才翁、真中は台南南RC王会長
白昼の家養老院で
参 加 団 員
団 長 第254地区バスト・ガバナー 菊 池 武 正 (弘前RC) 青森県弘前市
KIKUCHI TAKEMASA
副団長 第254地区インターアクト委員長 .工 藤 順 巳 (弘前東RC) 〃
KUDO YOSHIMI
顧 問 〃 // 委員 掛 札 光 郎 (横手RC) 秋田県横手市
KAKEFUDA
MITHURO
〃 ニツ#RC 〆z 77 茂 内 良 夫 (ニツ#RC) 〃ニツ井町
SHIGENAI YOSHIO
顧 問 教 師
青森県弘前市
柳 町 誠 也
弘前南高等学校
YANAGIMACHI SEIYA
青森県ハ戸市
中 村 敬 子
白菊学園 //
NAKAMURA
KEIKO
各校インターアクト代表
ニツ井高校 柴田 妙子(17才・女)秋田県峰浜村 光星学院高校 三上 美幸(17才・女)青森県八戸市
MIKAMI MIYUKI
SHIBATA
TAEKO
阿部千年世(17才・女)
ABE CHITOSE
〃
柳町 朝子(17才・女)
〃
〃
〃
YANAGIMACHI ASAKO
角館南高校 千葉 春美(17才・女)秋田県西木村 白菊学園高校 守田 悦子(17才・女)
〃
〃
MORITAETSUKO
CHIBAHARUMI
堀 千鶴子(16才・な)
HORI CHIZUKO
〃
阿部 三季(16才・女)
ABE MIKI
横手東高校 佐々本まゆみ(17才・女)秋田県横手市 百石高校 沼喘 春彦(18才・男)青森県百石町
NUMAHATA
SASAKI MAYUMI
〃
高橋 成美(16才・女)
が
ZZ
TAKAHASHI NARUMI
一
一
一
〃
EBINA
貝守ひろみ(17才・女)
KAEMORI HIROMI
zy
−1−
、
日ケ久保満(18才・男)
HIGAKUBO MITSURU
〃
高校 岩間 明江(17才・女)青森県三戸町 青森東高校 蝦名 聖子(17才・女)青森県青森市
戸
IWAMA AKIE
i
HARUHIKO
SEIKO
■㎜㎜㎜㎜■■■
第5回海外交歓研修旅行日程表
(インターアクトの翼)
DATE
(日)
月
青 森
弘 前
二 ヽジ 井
秋 田
成 田
新東京国際空港
1/5
火 台 北
LVAR
(発着)
LOCAL
TIME
(現地時間)
発
発
発
着
発
11:30
着
07:00
発
着
10:15
発
着
09:00
GARRIER&
SCHEDULE&HOTEL
FLIGHTN0.
(スケジュール・ホテル)
(航空会社・番号)
貸切バス
13:00
15:30
18:00
20:00
12:35
|
兵乱
台 北
1/6
水
1/7
木
1/8
金
台 南
12:51
空港周辺のホテルにて朝食、休憩
その後空港ヘ
キャセイ航空551使にて一路台北へ
到着後、バスにて台北市内見学
(故宮博物館、陽明山、忠烈嗣、等)
市内レストランにて夕食
(台北泊)
ホテルにて朝食後、駅へ
特急「自強号」にて台南へ
到着後、歓迎式及びオリエンテーショ
ンの後に滞在家庭へ
歓迎例会出席 (台南民泊)
台 南
終 日
台南滞在=市政府訪問
養老院、盲唖学校慰問
結婚披露宴出席、高雄、輸出加工区、
中国鋼鉄見学 (台南民泊)
台 南
終 日
台南滞在=台南市内見学
午後自由行動日 (台南民泊)
台 南
高 雄
1/9
1003レ
バスにて弘前経由、秋田市へ
「アキタニューグランドホテル」にて
結団式
秋田、田沢湖、盛岡より東北自動車道
経由、成田へ (車中泊)
発
着
09:00
貸切バス
10:30
バスにて高雄へ
文藻女子外国語文専科学校交歓訪問
高雄市内見学
土
(春秋御閣、澄清朗等)
市内レストランにて夕食
(高雄泊)
高 雄
1/10
日
台 北
発
着
09:00
1004レ
13:15
ホテルにて朝食後駅へ
特急「自強号」にて台北へ
到着後、市内ショッピングヘ御案内
夕食はフーバーレストランにてショーを
夕 刻
見ながらさよならパーティ(台北泊)
台 北
1/11
月
成 田
上 野
発
着
発
着
12:10
CX450
16:10
18:00
19:00
2
ホテルにて朝食後、中正空港ヘ
キャセイ航空450便にて帰国の途へ
通関手続後、VIPルームで解団式の
後、スカイライナーにて京成上野へ
到着後上野駅にて解散
−− r
1/4
DAY CITY
(曜)
(都 市)
序 文
インターアクトの翼によせて
国際ロータリー第254地区
ゼバナ一鈴 木 節 夫
ロータリーは次代を担う青少年育成に最も力を尽しており、特に近隣国との青少年交流は国際理
解と親善平和に最も大きな役割を果すものと確信しております。わがRI第254地区がこの最もふ
さわしい事業としでインターアクトの翼。を結成し現在迄4回実施し、輝かしい成果をあげてお
ります。
このたび第5回の“インターアクトの翼。がRI第3地区中華民国の古都合南市を中心に民泊を
通して、青少年交流、養老院、盲唖学院を慰問、インターアクトのもう一つの柱である社会奉仕を
実践し、尚かつわが国と国情の異なる国の習俗、言語、経済状勢等の見聞も僅かの滞在期間でした
が、多感な吸収力の強い年代だけに生涯忘れ得ぬ体験として今後将来活動と人格形成に大きく役立
つ事と確信いたします。
われわれは、このような青少年活動に最もふさわしい計画が相互交流によってはじめて100%効
果を発揮し得るものだと考えており、今迄訪問した国からの受け入れを歓迎するものであります。
その意味において1982年1月の韓国RI第365地区のインターアクト訪日計画が手続きの期限切
れのため中止の止むなきに至ったのは大変残念でしたが、今後も両国からの訪日を積極的に働き掛
け、当地区の青少年との交流の成果を大いに期待するものです。
ちん
最後に、この計画を推進ご協力をいただきましたRI第3地区総裁、台南南区RCE会長、陳幹
事、民泊をお引き受け下さったご家庭の方々、及び菊池社会奉仕委員長、工藤IA委員長、委員の
諸氏、更に提唱RCの関係者、学校長、顧問教師の各位様に対し深く感謝とお礼を申し上げます。
−3−
「旅行を終了にあたっての講話」
一成田空港VIPルームにてー
第5回インターアクトの翼団長
第254地区
パストガバナー
菊 池 武 正
つつがなく帰国できて責任者の一人として嬉しく思います。海外へはじめて行って来た方が多いの
ですが、外国へ行って自分の国を振り返って見ると云うことは非常に貴重な経験です。国内に居ると
自分の国のことは良く判りません。外国へ行くとその国と自分の国と較べて見て良い所、悪い所が良
く判ります。そういう意味から今回の中華民国台湾への“インターアクトの翼。がどんな印象を与え
たか非常に興味を持ちます。そして皆さんが賢明な批判精神と判断力を持って、日本の国を日氷人
として世界の他の国に較べてはづかしくないような国造り、日本人となる事を考え目指して行動して
いただくならば、今回の“インターアクトの翼。は非常に有意義な研修旅行であったと思います。
私も世界各国へ参りましたが、例えば忠烈桐へお参りした。その国の国旗が上り、国歌が演奏され
たときに外国人はどんな態度をとれば良いのか、これを知りませんと世界の常識から外されてしまい
ます。これは低俗なレベルの低い民族だと口では云いませんが、心の中で思われ軽べつされているの
です。われわれがそのレベル迄早く到達されませんと世界の孤児になりかねません。これも外国へ出
掛けてはじめて知ることであります。
この一週間皆さんと共に行動を共にして、良い友達ができたことは非常にしあわせだと思います。
赤ん坊は自分のことしか考えません。おしめがぬれた、お腹が空いたと云ってわあわあ泣きさけびま
す。だんだん大きくなって他人の事も考えがつく、いわゆるあの人は今回を考えているか、回を欲っ
しているかという他人の心の斟酌ができて、その欲っしているところに自分が何か助けてあげる、奉
仕してあげると云うことができれば、これが社会性ができて大人になったなあと云うことができます。
皆さんは今丁度その中間にあります。その行動、言動に高校生として許されても卒業して社会人とな
ったときには責任をとらされます。非常に厳しいものがあると云うことを心に銘じて下さい。
この一週間、同じ屋根の下で同じ釜のめしを食べて行動した仲間ですからお互い仲良く、困った時
は助け合う精神で、これからの人生を有意義に過して下さい。
最後に、この旅行を実施して下さいました鈴木ガバナーはじ・め国内の関係者、そして台南南区王
会長はじめ民泊を引き受けて下さった許さん、林さん、陳さん、游さん、翁さん、盧さん、高雄の福
士さん、襲昭子さん達非常にたくさんの方にお世話になりました。皆さんと共に心から感謝を申し上
げ私のお話しを終ります。
4
交歓歓迎例会における菊池団長挨拶
御
挨 拶
国際ロータリー第254地区
団長PG菊 池 武 正
本日は台南南区王会長及び多数の会員諸先生方がご出席のうえ、私達国際ロータリー第254地区
第5回青少年海外交歓研修旅行訪華団インターアクトの翼の歓迎会を開催していただき、有難く厚く
お礼申し上げます。
私達一行は1月5日日本を出発し、中正国際空港に第一歩を印し、発展目覚しい貴国の首都台北市
内を見学しました。
政治、経済、文化、教育の中心として限りない発展を続け、正に第一級の国際都市として、行き交
う市民の表情は活気にあふれ貴国の奨来への益々の繁栄を象徴しております。
世界4大博物館の一つである、国立故宮博物館を見学し、中国歴代王朝から伝わる稀世の芸術品、
重要文献等文化の素晴しさに圧倒されました。
国民革命忠烈詞も参拝し、80数年来革命のために殉職した軍人、志士や戦死者の英霊に対し心から
の感謝と冥福を祈って参りました。
この機会に、国際ロータリー第254地区の私が住んでいる弘前と忠烈桐について申し述べてみたい
と思います。
弘前出身の南京同文書院の山田良政教授は孫文先生の友人として1899年の志州起義に参加し10月
清軍につかまり戦死されました。このとき33才で中国革命における日本人初めての犠性者でありまし
た。従ってこの忠烈桐に祭られているのです。辛亥革命後の1913年に孫文先生は「山田良政君碑」
を建てて下さり「中国人民の自由平等の為にささげた君の奮闘精神を、なお日本において継ぐものの
あらんことを」と追悼の言葉を寄せて下さいました。又、生地の菩提寺には弟の純三郎先生の墓碑が
蒋介石総統、同座欽将軍の手によって建立されております。
又、私達は第2次世界大戦敗戦のとき、その戦後処理にあたって故蒋介石総統が徳を以って恨みに
酬いる、のお心により大陸より多数の日本人が無事帰ることが出来、その後の日本の復興の基礎にな
った事を永遠に忘れることは出来ませんし、これからの青少年達にも語り継いで行くことにしており
ます。
ご承知のようにインターアクトは国際ロータリーが、青少年活動計画に国際性を持たせるために、
1962年に創設した最も重要な計画であり、次代を担う青少年に対し最も最適な活動計画であります。
それは地域社会奉仕と、国際理解の二つの大きな計画を遂行しなければならないとされております。
私達第254地区では15クラブ420名のクラブ艮がそれぞれの活動計画に従って活動しており大きな
成果をあげております。
5
特にこれからの青少年にとって国際性を身につけることが世界平和の維持に不可欠であるとの考え
と、国際理解の増進のために最もふさわしい計画として台湾2回、韓国2回の4回に亘ってこの計画
を実施して参りました。
このたびもこの計画に最もふさわしい国として、貴国を選び特に台湾発祥の地として輝やかしい歴
史資産に恵まれている台南市に3泊の民泊をしたいと思いましたが、姉妹クラブ等の連絡がないため、
友人である高雄市居留の福士清治氏より突然のお話しをしていただき林総監先生のご指導により貴ク
ラブにお引受けをしていただき心から感謝申し上げる次第であります。
この間、王社長はじめ陳秘書及びクラブ会員の心からのご準備、ご協力に対し敬意を表すると共に
厚くお礼申し上げます。
今日このように突然の来訪にも拘らず、このような盛大な歓迎の会を催していただき、団員一同心
から楽しく感激しており重ねてお礼申し上げます。
明日よりは育幼院、養老院、盲唖学校慰問の社会奉仕や、ご家庭のご好意に甘えて、家庭生活や史
跡見学、発展する工業施設見学等の行事のなかから友好を深め、団らんの中からお互いを理解し、中
華民国の家庭生活、特に今日の日本に欠けている礼節を重んじ、家長を尊び、長幼の序列のあり方を
体験する良い機会でもあります。
又、学校訪問や青少年の交流による効果の一つとして、国際情勢下の厳しい情況に置かれている貴
国青少年遠の心構えの万分の一でも理解出来るならば幸いであります。
最後に、この計画を実現下さいました、林総監先生、王社長、陳秘書、ならびに会員諸先生、福士
清治氏及び関係者一同のご尽力に感謝申し上げると共に貴国のご繁栄と蒋総統及び貴国民ならびに関
係ご家族のご健勝と両国ロータリークラブの発展をお祈り申し上げお礼のご挨拶といたします。
インターアクトの翼によせて
RC第254地区インターアクト
委員長工 藤 順 已
“インターアクトの翼。も今回で5回目を迎える。現在迄中華民国台湾2回、大韓民国2回実施し
て来た。このたびは亦台湾を訪問国として、今迄行かなかった台湾の古都台南市を中心として3泊の
民泊、政治、経済の中心首都台北ヘリ白、一大工業都市高雄市へ1泊の計画で実施することになり、
今回も第3回の翼で現地接渉からご案内まで大変お世話になった、高雄市英特科学有限公司の福士清
治社長、襲照子女史にいろいろとお骨折りをいただき、民泊及び滞在中のお引き受けを台南南ロータ
リークラブにお願いすることができた。
台南南RCは創立後まだ日が浅く5年しかロータリー歴はないが王会長以下良く纏まり、大変活発
な奉仕活動を行っている。この度はRI第346地区林千種総裁をはじめ王会長、陳幹事をはじめ、民
泊をお引き受けいただいた方々及びロータリーアンの方々に大変お世話になりわれわれ一同生涯忘れ
−6−
得ぬ感動と友情を体得してこの研修旅行を終了することができて関係者一同様に厚く感謝とお礼を申
し上げます。
1月4日アキタニューグランドホテルにおいて鈴木ガバナーをお迎えしで第5回インターアクト
の翼。結団式を行う。鈴木ガバナー、竹谷地区幹事、片野秋田RC会長他多数の方のご出席を賜り、
激励と見送りを受けて秋田を出発、東北自動車道を通り成田着、通関も無事終り機上の人となる。台
北の中正国際空港迄3時間後に到着。台北市内迄はバスで40分程。通過する高遠道は1部10車線もあ
る巾広で立派なもの。台北市内見学の一番の見どころは台湾が世界に誇る国立故宮博物院、よくこれ
丈の文化財を内戦の中国大陸から運んだものと感心させられるが、これを実行した故蒋総統の決断に
改めて感謝の念を禁じ得ないし、文化は中華民国からとの思想に思いあたるものがあります。
1月6日この旅行の主題である台南南RCとの交歓、民泊のため台南市に向う。交通機関は短時間で
行動できる飛行機がよいのですが、昨年国内航空機事故で日本の女流作家向田邦子さん等が亡くなっ
た事もあったのであきらめ、又バスも高遠道での事故が心配なため、時間はかかるが一番疲れない安
全第一の台湾国鉄自慢の観光特急電車「自強号」に乗車、この「自強号」はイギリス製だが故障が多
く、アフターサービスもあまり良くなくて、日本製が良かったのではと云われていると云う。それで
も高速走行にも拘らず、日本の特急程ゆれないし、女性服務員のサービスも良く清潔な車内で快適な
車中だった。台南駅には、台南南RC王会長、陳幹事、それに福士清治氏、照子女史等が出迎えに来
ておられ、それぞれ固い握手をする。ホテルで今後3日間の日程打ち合せをし、生徒達はそれぞれ民
泊をするロータリーアンのご家庭に引取られて行った。そして6時より台南南RCの交歓歓迎例会に
招かれ、大いに交流を深める。王会長から歓迎の挨拶があり、菊池団長より別紙の通りお礼と挨拶が
あった後、お互いお土産交換。台南側より高校生の少林寺拳法の実技披露や中国舞踊が紹介されたの
でわれわれも角館南高校の千葉春美さんの角館踊りや日本の歌合唱。そして日、台両者の歌の披露等
和気あいあいとして進み、同じロータリーを通じているためか、お互いロータリーアンも、生徒同志
も何の違和感もなく、きのうからの知り合いのように打ちとけて交歓会は成功裡終了した。
1月7日台南市政府に表敬訪問に上る。蘇南成市長は独身で気さくで精力的な方で市民の絶大な信
頼を得ていると云う。市長はわれわれ外国人優遇の火炎樹のバッヂを自からの手で襟につけて呉れ、
市の観光施設見学科無料のお墨付き迄手配してくれた。
このあと、市立養老院の台南市立仁愛の家、盲唖学校の台南啓智学校を慰問し、団員から集めた浄
財を寄付した。両施設共設備が良く整って、きれいに整理整頓されていたが人間的な暖かみが欠けて
いる気がしたが、この様な施設はどの国も同じようなものではないだろうか。
午後福士氏の知人の結婚披露宴に招かれる。高雄市郊外の田舎で、美しい花嫁を傍に新郎は三国−
しあわせな顔をして居た。庭にテントを張り、円卓を囲んで、数年振りに日本語を話すと云うご老人
も居て華やかになごやかに、腹一杯ご馳走を喰べて新郎新婦を祝福した。
あわただしいスケジュールの中、高雄市の輸出加工区、中国鋼鉄の工場見学をする。すべての合言
葉が「日本に追いつけ、迫い越せ」である。工業近代化のため一生県会働いている姿を見ると本当に
そんな時が来るのではないかと思われる気がした。
1月8日台南市内見学、台南市は16世紀初頭からひらき、1624年オランダの植民地政策が始められ、
7−
1661年鄭成功がこの地からオランダ人を追いはらい、その後1885年に台北へ首都が移されるまで
の間、台湾の首都だったところです。従って名所、旧蹟が多い。オランダ人が建てた赤レンガ造りの
城、赤炭楼。これもオランダ人が建てた台湾海峡に而している安平古堡、鄭成功(国姓爺として日本
でもよく知られている明の民族英雄、母親は日本人)の霊を祀っている延年郡王桐、台湾で一番旧い
孔子廟を見学。
民泊最后の夜をインターアクターはそれぞれどのようにして過したか……?
1月9日いよいよ台南南RC会員や、民泊家庭の方々との別れの朝がやって来た。台南ホテルに集
合し、記念写真を撮る頃から、別れの感情が切実に追って来る。お互いに涙を見せまいとするが自然
とあふれて来てバスの人となる。何時迄も手を振り続けて感情をしずめるのに精一杯である。僅か3
日間だったが別れがたい感情を持つ程にお互いが心底から真心をこめておつき合いをした事が異国で
の貴重な体験であるし国際親善に通じ、今度の目的が充分達せられた証しでもあります。この後文通
や、交際が始まる事を期待し、そのように積極的に行動してくれればわれわれの努力も酬われ、国際
理解と親善に通じるのです。
文藻外国語文専科学校はハ戸白菊学園の姉妹校となっている中国風建築様式の立派な校舎、広い校
庭等教育環境が素晴しく良い、校長先生始め教授、日本語専攻の学生から歓迎され、授業を参観させ
ていただく。校内では自分の専攻の言語以外は使用できないと云う徹底した方式をとり入れている。
変った授業としては、トム・ソーヤの物語を散人で演劇のようにして理解して行く方法をとって創造
と理解を増進させている。昼食は学生食堂でご馳走になり、学生達との対話をしたかったが土曜日の
ため残念ながらお別れして高雄市内の見学に入り、人造ダム朗の澄清朗で冬の青森、秋田を思い浮か
べながら南国の陽光を浴びて汗をかき外国に居る実感を掴んだ。
1月10日朝高雄発「自強号」で福士氏に見送られて出発、途中昔南駅で照子女史(彼女は台南市在
住)がホームでみんなの顔が見たいと待っていた。手を振りながら別れを惜んで無事台北着。早速弘
前市出身、中国革命外国人戦死者第1号の山田良政先生の祀られている忠烈詞参拝。 1時間毎の衛兵
の交替式と微動だにしないその姿勢に感心した。世界の10犬ホテルに数えられる円山犬飯店の豪華絢
爛さに皆一様に驚きの声をあげる。やっと自由な時間を待つことになりお土産などのショッピングに
時間を費やし、夕食はフーバーレストランでショーを見ながらサョナラパーティーを開いた。話題は
いろいろと尽きない。何もかも新鮮で、驚きの連続でこの感受性の強い年代の体験は、この後どのよ
うにして変化して行くのだろうか。台湾最後の夜は容赦なく深けて行く。
1月11日うるわしの島台湾とお世話になった台南の人達に別れを告げて無事成田着、VIPルーム
で解団式を行う。母国日本に帰ってホットしたのか、台南のお世話になった人達を思い出したのか、
涙ぐみ感傷に浸たる人が多かった。
われわれはこの研修旅行が国際理解と親善を果して無事帰国でき得た事に対し、ご協力、ご指導い
ただいた両国ガバナーはじめ、台南南RC王会長、福士清治氏及び関係者の方々に心から厚くお礼と
感謝を申し上げます。
jl'ISsl
l
8
インターアクトの翼に参加して
RI第254地区インターアクト
委員掛 札 光 郎
昭和40年以来の知入王紹宗、鄭府武の両氏に手紙を出した処、都后武氏よりは転送先不明で戻っ
て来た。王紹宗氏よりは飛行場に迎えに出る旨返事が来た。両氏にセーターの土産を買う。五年前に
訪台して両氏に色々と世話になったからとて知人の伊沢健氏より鱈子を土産に頼まれ、台北新空港に
定刻到着。王紹宗氏が出迎えて下された。観光に行く前換金の為土産店に立寄る。其処で一行に別れ、
都府武氏の処へ行く。車中王さんへ鄭さんの手紙が戻って来たことを話したら、住所でなく製材所へ
出したからだろうと云うことだった。今製材所は不振で、製材所を止めてアパート経営に切換え、そ
れは旨く行って居る。彼が病気で寝たり起きたりだと云う。病気見舞も出来て本当に良かった。夕食
を共にして友交を暖める。
彼の話によると最初は洋医に診察して貰って居た処、手術ということで、手術は嫌なので漢法医に
診察して貰った処、手術の必要ないということで漢法医に従うことにしたと云って居た。顔色も良く
艶もあるので回復不可能とは見えなかったので、病気とは気の病いと書く。従って気に負けては駄目だ
iおたいしゆ
と激励する。共に会食し副食のせいか茅台酒をご馳走になったが余り酔わなかった。暫く振りと云う
ことで都さんの息子さんと奥さんと弟さんと王さんの行きつけのクラブを二軒程懇ってすっかり参っ
てしまった。何処を飲んで歩いたか判らなかったが、二軒目のクラブは朝になったらホテルの真前の
ビルの五階のクラブであった。
10日台南より台北に帰って来た時王さんに電話して、ホテルで王さんと会う。茂内さんを同行する。
鄭さんの処へ立寄ると私の贈ったセーターを着ていた。丁度大きさが良かった。伊沢健君へと二人分の
土産を頂戴して、王さんの案内で貴金属を買いに行く。家内へ首飾、娘へ腕輪、出来るだけ華麗なの
を買う。茂内さんも奥さんと娘さん達に土産を買う。それから王さんの勤務先と同系列のデパートに
行き支那服の防寒具とチャンチャン帽を五人の孫達にそれぞれ土産に買う。店員並の二割引きで買う
ことが出来た。
王さんから結婚式に招待されているから一諸に行かないかと盛んに誘われたが最後の会食位は皆と
一諸しないと悪いと云って辞退し、ホテルに帰ってショーを観覧しながら皆と共に夕食をして居たら、
終り近くなった処へ王さんが結婚式が終ってキャバレーでライオンズの友達が私達の来るのを待って居る
と云うことで茂内さんと共に行く。王さんの所属するライオンズの前会長、現会長外五名ばかり居り共
に我々を歓待してくれた。台北ライオンズは九州大分のライオンズと姉妹提携して居って、来月訪問
することになって居ると云う。大分と横手とはどの位離れているのかと云うので我々は日本列島の北
の喘で大分は南の端であると説明してやっと了解して貰った。時間があったら横手に来て下さいと横
手にもライオンズクラブがある旨を申し、出来れば電話を呉れるように頼ひ。
台南南ロータリークラブの歓迎パーティーに於て会長の歓迎の挨拶、当方の菊池団長の答礼中に食
9
事が配られたが同行の生徒が司会者の食事のすすめの言葉もないのに早速食べ始め↑こ。↑こまりかねて
席を立って行って注意をしたら配られたものを食べて何が悪いんだと怪冴な態度であった。我々の代
表が答礼をやって居る最中、亦司会者のお上り下さいと云う挨拶もないのに配られたから食べるんだ
という感覚は家庭でどんな躾をしているのか恥ずかしく感じた。側に先生が居たが自分の学校の生徒
でない為か注意しようとしない。他人の行動に無関心で居るのが今の教育だろうか。
もう一つバスに乗りこんだ時。一人の生徒が高声で「車掌さんの靴下に穴があいている」と皆に聞
こえる様に発言した。他の生徒達はこの発言に関心を持たず誰も相槌を打たなかったのでその生徒へ
私も何も注意しなかった。
車掌は参加生徒より二・三年、年長ではないかと見た。女の子は穴のあいた靴下をはいてどんな気
持だろうか、朝出勤前は穴はなかったと思う、途中で何かぶつかって穴があいたものと思う、それを
心ない日本の生徒に指摘されたものと思う、もし自分の靴下に穴があいて居ったらどうだろうか。民
泊して楽しかったと生徒達が云って居たが彼女達の発言によって、お世話して下さった家庭の人々に
悪感情をもたせなかったか空恐しい気がする。バスに乗せて貰ってガイドの靴下に穴があいて居たの
とどんな関係が発生するのか私の常識では考えられない発言をするものだと思う。
インターアクトの翼は民間大使である。日本の家庭での躾のなさをそのまゝ異国人の前で振る舞う
ことはどうかと思う。翼に参加の生徒に充分マナーを勉強させる必要があるのではないだろうか。唯
遊び半分に見聞を広めれば良いというものではないことを充分に考慮せねばならないと思う。
雑
感
白菊学園高等学校
教諭中 村 敬 子
慶春の
南雄びとのあたたかきおもいに触れて
天仁を知る
この度の旅行は、私にとって改めて人の心のすばらしさを再確認する機会となりました。又、人間
としての飾り気なしの本性にも触れた思いがしています。台南で出会った一人一人のロータリアンの
方々の目は非常に好意的でした。言葉の障害を越えた所で私たちに対する歓迎の念が伝わってくるの
は不思議な位です。目は口ほどに物を言う、まさしくそれを体験した思いでした。ふり返って私たち
日本人の外国人に対する態度はどうでしょうか。言葉の不足は心の狭さにも及び、君子危きに近寄ら
ずと、出来るだけ目をあわせないように、言葉をかけられないように、かかわらないようにと自分の
殼に閉じこもる方策をとるのである。如伺せん自分もそうなのである。このような態度では国際交流
10
−
は非常にひずかしいのはあたりまえなのだとつくづく感じるのである。台南交歓会の場の少年たちの
積極的な態度、良雄市の文藻外国語専門学校の生徒たちの自由な明るさも私たち日本人には大いに学
ぶべき物があった。世界でも有数の経済力をほこる日本がその豊かさの中で不足しているものがはっ
きり見えてきた旅行でもあった。それは「かかわり」の不足である。日本は文明に於ても進歩の度合
は大きく、文化の面に於ても単一国としての歴史が長いだけにその深さはある。しかし異質な物との
かかわりの面においては今日尚、未熟なものを感じるのである。島国という条件の基からくるものな
のか、民族性からくるものなのか。それならば台湾の人たちの中で感じられたあの人なつっこい積極
的な態度はどこから来るものなのか、考えさせられるものがある。日本の社会制度、教育制度の中に
単一的で画一的な構成による制度なり教育が侵い間おこなわれてきたためではないでしょうか。効果
的な方法、効率的な方法として確かにそれは良かった。しかし、画一化の中で隣りの者(物)とのち
ふらが感じとれない者になってしまったのではないかと思われる。もふらに出会うとどうしてよいの
か対処できないのである。文藻の学校で民族の違う子供が、又身障の子供が一諸に勉強していた。本
人も回りもりっぱである。なぜならお互いの厳然たるちがいの前に動じることなく自由で明るいので
ある。今回の旅行は私にとって国外に出ることは初めてだっただけに学ぶ事も多かったがその中で確
認できたことはおむ:いのちがいをわかって始めて「かかわり」が存在すること、「国際交流」が出来
るということである。私たちを案内して下さった福士さんや照さんの生き方を見てもそうである。そ
して、まず自分の国を出て、他の国を知ることは自分の国を知ることでもあり、ちがいを越えた新し
い出会いの出来る場でもあることである。まだ外国へ行ったことのないインターアクトの皆さんにこ
の次はぜひ行っていただきたいと思いました。日本の将来のためにも。
それにしても台南で出会った照さんという人の笑顔は私の中で美しく輝いています。まさに「天仁」
を知る思いです。
一
11
−
台 湾 旅 行 記
白菊学園高校 守 田 悦 子
飛行機がゆっくり高度を下げはじめると、雲のあい閣からゆっくりと流れる田、そして緑ののどか
な田園風景がみえてきた。飛行機は台北の街を遠くに毘おろしながら、台北市郊外の中正国際空港に
到着した。その日は一月五日一私たちの先行きの期待と不安と同様に初冬の台湾の空は晴れたり
曇ったりしていた。
さて、台北についた私たちを待っていたものは………。その後の私たちの台湾旅行体験については、
当時の日記からその模様を察していただくことにしよう。
一月五日(火)
キャセイ航空551使10時15分成田発で台湾、台北に向かった。途中、機内で光星のみゆきちゃ
んとおしゃべりしながら時間を費やした。それからキャセイ航空のスチュワーデスと一緒に記念写真
をとった。彼女は日本人で香港に住んでいるそうだ。
現地時間、午後12時35分台北に到着。空港には私たちをガイドする近畿ツーリスト台湾支部の
コウさんが迎えに来ていた。さっそく貸切りバスで台北市内を腿学。台北市内からバスで約15分ほ
ど行ったところに国立放言博物館があった。この博物館には殷、商時代から清朝までの銅器、書画、
経典、彫刻、織物など数えきれないほど展示されていた。あとで知ったことだが、この博物館が世界
的に有名なのは、なんと60万点にものぼる蔵品があるからだそうだ。従って私は中国5千年の歴史
の史跡をそこで姥ることができ、そして少しでも眼洋文化の精神に触れることができた。
台北市内のゲイラホテルで2人部屋にそれぞれ分宿して、台湾の第一夜を迎える。台北の冬は予想
通りのすごしやすい気候である。
一月六日(水)
朝9時、台北から台南へ列車で移動。昼食の車内弁当は目にあわなかった。食欲がどうもすすまな
い。
午後1時、台湾に到着。この街にきて目につくのは赤レンガ造りの家が建ち並んで、ョーロッパの
の風情が漂っていることだ。 16世紀初期、台南はオランダ人による中継貿易の基地として栄えた街
だそうだ。
夕方、台南駅の近くのホテルで台南南ロータリークラブと交歓会をしたが、気分が悪く出席できな
かった。とても残念であった。
きょうから3日間お附話になる民宿の主人、許西華さんはとても親切な人である。奥さんもまた陽
気な人である。2人とも日本語が言えるのでとても安心だ。青森眼のえびちゃんあべちゃん、そして
百石の2人と5人でこの大きな家に泊まることになった。ちなみにこの家の広さは130坪。1坪、
なんと50万円だそうだ。ホッ/
一月七日(木)
12
午前中、台南市役所、老人ホーム、盲学校などを訪問。どの人々も私たち一行を歓迎してくれた。
午後、高雄へ行った。目的は結婚式に出席するためであった。
小さな集落に近い街を通過した。人があふれ出ていた。バスはその人の群れをぬうようにして通っ
ていった。バスからおりて私たちは結略式会場へとひかった。が、そこへ行って驚いたのは、ハエ、
ニワトリ、そして犬がワーッと私たちを迎えていたからである。しかし、新郎新婦の両家の人々はみ
な善人で私たち日本人にとても親切をつくしてくれた。私は彼らの人情にほだされて、台湾の田舎の
結婚式を無事に祝福できたのは貴重な体験だった。
夕食後、許おじちゃんとおばちゃん、そして私たち5人で台南市内にあるデパートで色々買い物を
した。私はピンクの中旧版を買った。
一月八日(金)
台南市内観光。パインアップル畑にも行った。帰ってきてから、えびちゃん、あべちゃん、そして
私と3人で日本料理をつくった。きょうは台南滞在最後の日なので夕食は、私たちが腕によりをかけ
てつくった。献立は、おにぎり、みそ汁、卵焼き、シーチキンサラダ。私はおにぎりと卵焼きを担当
してつくった。なかなか好評だった。
夕食後、許家族と一緒に記念撮影。一つのテーブルを囲んで、おじちゃん、おばちゃん、お姉さん
夫婦、そして私たち5人はテレビを見たり色々な話をしてくつろいだ。おじちゃんが日本の歌を歌い
始めた。私たちも歌った。みんなが歌った。このまま時間がLLまってくれたらいいなあと思った。時
計を見て見ると12時をまわっていた。もう一度来るぞ。絶対に。
一月九日(土)
民泊も終わり家族のみんなと別れ、淋しく台南をあとにした。おじちゃんが最後に見せた別れの涙
が印象的だった。
国道は一直線にのびていた。台南から南へ向かってバスは約2時間走り続けた。台南から高雄への
びるこの平野郎には、水田が果てしなく続き、国道沿いに植えられたヤシの木やバナナの木などがい
かにも台湾の田舎らしい風情を見せていた。
太陽がちょうど真上に登ったころ、周囲の風景が変わってきた。台湾南部の商工業の中心地、高雄
であった。ここには有名な良雄加工輸出区があり電気製品を多く造っていた。又、日本の会社も多く
進出していた。高雄市内の道路はオートバイと自転車で埋まれていた。
姉妹校を訪問。日本語科の顔さんと友達になる。澄清湘、七重の塔、大仏の山を見学。
一月十日(口)
午後一時、台北に到着。阿部である台北の人口は221万人。活気あふれる近代都市である。しか
し、所々に中国古来の文化を伝える建物が残っていて、古い部の面影を残している。
夜、豪華大酒店でショーを腿ながら台湾最後の夕食をとった。今晩食べたのは湘南料理だった。油
をたくさん使っていた。それから唐辛子もたくさん使われていたのが特徴であった。
今回の旅で本場の中国料理を賞味することができて、とても幸せだった。中でも北京料理がおいし
かった。北京ダックのローストは北京料理を代表するもので、丸焼きにしたものを切って、もち皮に
包んで特製のミソをつけて食べる。あのかわった味が忘れられない。
−13−
ショーが終わったのがちょうど9時。ホテルにもどり隣の隣の部屋に遊びに行って、自分の部屋に
もどって来たのは、なんと午前1時。あべちゃんは、すでに大の字になって眠っていた。
一月十一日(月)
きょうは朝食を食べた。ハムエッグとコーヒー。本当はパンも付くのだが、ウエイトレスが忘れて
持ってこなかった。
荷物をとりに部屋へもどった。ショルダーバッグと大きい荷物2つを両手に待ってエレベーターの
前に立っていた。ボーイがきて「大丈夫ですか? 荷物もってあげます。」と言って大きい荷物2つ
持ってくれた。感じのよい人だったので、あとでチップを20元やった。
8時30分。ホテルのロビーで待ち合わせ。バスに乗って空港へ向った。なぜか台湾民謡『雨夜花』
のメロディーだけが頭の中で流れていた。
明るい日ざしとさわやかな風。南国の情緒豊かな街並。日本では失われつつある素朴な農村風景。
中国の文化的伝統を受け継ぐ生活様式。そして、そこで生活している人たちの人情の細かさ。半世紀
に渡る日本の統治下にあったにもかかわらず、対日感情はとても良かった。人々の温かいもてなしは
今回の台湾の旅を忘れ難いものにしてくれた。
台湾の旅を通じて台湾の政治、経済、歴史、文化を少しでも理解できたことは、私自身にとって大
きな意議を持ったと思います。インターアクトの翼が両国の友好関係に大いに役立ったと思います。
今回の台湾旅行を可能にしてくれたのは、多くの人たちの援助や励ましがあったからで中でも鈴木
節夫ガバナーをはじめ菊池武正団長、工藤順巳インターアクト委員長、そして私のわがままを受けと
めてくれた両親に、感謝を申し上げたいと思います。
第五回インターアクトの翼に参加して
青森東高校 蝦 名 聖 子
私達の学校では、初め一人の参加希望者もありませんでした。しかし、第一回から連続して参加し
ている我が校の伝統を絶やしたくはなかったので、思い切って一人申し込みました。説明会に出席し
て、参加者の顔ぶれだけは一応拝ほしたものの、やはり友遠のいない旅行に出かけるのは、かなり不
安でした。
一月四日。重たい旅行カバンを引きずっていよいよ出発です。途中、秋田での結団式を行い、成田
空港までずっとバスで行ったわけですが、足の暑さとお尻の痛さにいささか閉口したものの、初めて
の車中泊はなかなか楽しいものでした。
五日。「ホリデーイン成田」で朝食後、バスで成田空港に到着した私たちは、いろいろな手続きを
した後、キャセイ510便で台北に飛びました。初めての飛行機なので、ちょっと緊張しましたが、
飛び立つ瞬間の、あのフワッとした感じは何とも言えぬ感激でした。
−14−
|
三時間後、台北に到着。バスで旅寝博物館に行きました。青森ロータリークラブの方から、「故宮
博物館はすばらしい所だから、よくほて来た力がいいですよ。」とうかがっていたので、とても楽し
みにしていた場所です。まず建物の大きいことに驚き、次に中に入ってみて、その陳列品の多さ、す
ばらしさに驚き、見終わって出てからは、そこからの景色の雄大さに感激しました。この日は、その
後、市内のホテルに泊まりました。
六日。ホテルで朝食後、特急に乗って台南巾に向かいました。楽しみというより不安な民泊を予想
していましたが、私達を駅で迎えて下さった台南のロータリーの方たちはとてもよい人達ばかりでホ
ッとしました。それに青森からただ一人の参加なので、民泊も一人かと思ったら、特に仲よくなった
白菊学園の守田さん、阿部さんをはじめとして計五人もお肌話になることになりました。私達がお世
話になった許さんのお宅には娘さん一家も住んでいて、昨年新築したばかりの家は大変大きくて立派
でした。私達女の子三人の部屋には、ダブルベット、化粧台、洋服ダンスの他バス、トイレまでつい
ていて、まるでホテルのようでした。もちろん、あと二人の人(百石高校の男の方)の部屋もそうだ
ったそうです。
この日は、夜に台南南ロータリークラブの例会に出席しました。台湾の踊りや、台南二中の空手部
の人達が空手を披露してくれました。帰る時、そのうちの一人の人から文通を申し込まれたのは、幸
運だったなあと思います。
七日。台南巾政府を訪ねた。巾長さんから市のバッチを受け、光栄でした。その後、老人ホームや
精蕩児施設を訪問しました。老人ホームでは、おじいさんやおばあさん、それにそこで働く人達とい
っしょに写真を撮ったりお話をしたりしました。午後、思いがけなく高雄市で行なわれた結婚式に出
席しました。外国の風俗・習慣を知る上で、民泊の他では最も勉強になったような気がします。
八日。台南市、最後の日です。午前中は台南市内を見学し、午後は許さんのお宅で持っているパイ
ナップル畑に全員で出かけて行きました。本物のパイナップル畑を見て、またまた感激/制服を汚し
ながらも、みんなで大きなパイナップルを二つ三つずつ運んだのが楽しかったです。民泊最後の夜、
私達女の子三人で、日本の昧を昧わってもらおうと、おにぎり、卵焼き、ツナサラダ、お吸い物を作
ってごちそうしてあげたら、とても喜んでくれました。その後、みんなで歌をうたったり許さん達に
記念のサインをしてもらったりして、忘れられない夜となりました。
九日。台南ホテルで許さんをはじめ、お世話して下さった人達との別れ。角館南高校の千葉さんが
泣いているのをQて、私ももらい泣きしていたら、バスの中から手を振る時、許さんもハンカチで涙
をふいているのが見えますます悲しくなってしまった。
その日、高雄市の文藻外国語文専科学校に行き、私達は顔さんという五年生(短大二年生)のとて
も優しいお姉さんに案内していただいた。私達からのささやかなおみやげを、たいへん喜んで下さり、
さっそく手紙を書きますと旨ってくれた。(家に着いて二日めに手紙、三日めにはおみやげが届き、
とてもうれしく思い、さっそく礼状を出しました。)皮は、高雄市内のホテルに泊まった。
十日。再び特急で台北に戻り、買い物をしたあと、フーバーレストランでショーを見ながら、本当
に最後の夕食となった。
ト一日。とうとう台湾ともお別れ。空港から飛び立つ時、いろんな思い出が頭の中をかけめぐって、
ひどくなっかしく思われてなりませんでした。
−15−
初めての海外旅行が、これほどまでにすばらしいものであったことを心から感謝したいと思います。
ロータリーの方々、本当にありがとうございました。そして約十日聞、行動を共にし、楽しかった数
多くの思い出を残してくれた各校のみなさん、ありがとうございました。この体験を無駄にせぬよう、
これからのインターアクト活動、そして毎日の生活に、何かしら役立てたいと思います。
できれば、この企画は、一生続けていってほしいと思います。本当にありがとうございました。
インターアクトの翼に参加して
ニツ井高校 柴 田 妙 子
一月四日に秋田を発ち、一月五日、とうとう台湾へ着きました。秋田とは、ちがい暖かいのと初め
ての外国ということもあって胸がはずみました。台北空港の入国係の人に「ニィハオ」と言いますと
発音を直されて「どうもありがとう」と日本語が返ってきました。台北空港からは、バスで市内見学
でした。とてものどかな風景とバナナの木、さとうきび畑がいかにも南の国らしい印象を受けました。
私が思っていたより近代的な建物も多く少しびっくりしました。故宮博物館は、甲骨文学や漢文の教
科書で見たことのある絵や出土品もあり勉強になりました。また象牙の彫刻や剌しゅうは繊細ですば
らしく、中国人の手先の器用なのが一目でわかります。
六日から三日間は台南市で民泊でした。私は自他号で台北から台南へ向かいました。ロータリーの
家庭へお世話になるということで、汽車の中では不安と期待でドキドキしていました。いよいよ台南
市に着きました。すぐにホテルヘ向かい、お世話になるロータリーの力を紹介していただきました。
私のお世話になるロータリーの方は若いこともあり日本語が話せないとのことで、会話はすべて英語
でした。車でロータリーの力のお宅へ行くわけですが、人も車も右側通行なので、なにかしらあぶな
い感じでした。台南市は、日本でいう京都のような所だそうです。車から街を見ていると、赤、黄の
華やかな看板と漢字で、台湾なのだと実感がわきました。
さて家庭へ入ると、みなさんが親切にして下さるので不安は消えたのですが、思うように会話がで
きないのです。どうしても通じない時は、恥かしいなどとは言ってられません。筆談がだめなら身ぶ
り手ぶりで………通じた時のうれしい事。「英会話は大切」と身をもって体験させられました。言葉
は通じませんでしたが、二人の子供だちとも仲よしになれました。
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台南市では、いろいろな所へ行きました。「仁愛の家」という老人ホームの慰問では、設備の整っ
ているのにおどろきました。ホームには仏教・カトリック等三つの礼拝堂もあり、自由に参拝できる
ようになっていました。設備はすばらしいのですが、家族はいっしょに暮らすのが本当の幸福である
ように感じました。また結婚式に出腐させてもらいました。爆竹をならすのにはおどろきました。台
湾ではお祝いがある時など爆竹を景気よく鳴らすのです。はこぼれてくる料理も、台湾ならではのも
ので肉などがふんだんに使われており、すいかなど果物も豊富でした。
二日目の夜は、ロータリーの力が親戚のお宅へつれていってくれました。そのお宅のおばあさんは、
病気のために口があまりきけないのですが、昔長野に住んでいたそうで私たちが日本から来たのだと
16
言うと涙をうかべて、一生けんめいに目を動かして話そうとしました。それから同じ年になる麗蓮さ
んが、街を案内してくれました。祭のように通りには灯がつき、果物、洋服、ビーフンなどいろいろ
な店がたくさんありましたが、ヘビの皮をはいで売っているのにはおどろきでした。置、蓮さんと会話
するのもやはり英語で言葉が通じないので嘔語とゼスチャーで街を歩くと人にジロジロ見られたりで
………。でも麗蓮さんと友だちになれてよかったと思います。
最後の日は、ロータリーの方のすすめもあり麗蓮さんのお宅へ泊めていただきました。
台南を去る9日の朝、みなさんが見送りに来てくれました。楽しかった三日間の思い出が頭の中を
めぐり、別れるのがちょっと悲しくなりましたが感激を胸に秘め一路、高雄へ向かいました。
高雄では、外国語専門学校へ行きました。日本語を勉強している学生さんに案内してもらいました。
英語の授業風景を見学したのですが、トムーソーヤの冒険を劇のようにして行っているのです。とて
も楽しそうでした。また台湾の学生さんはとても学習熱心です。校内には補習のための教室が設けら
れているくらいです。また台湾の男子は二十才になると軍事学校へ入らねばならないそうです。私た
ち日本の高校生は、今の幸せに甘えすぎていると思いました。
高雄から台北へ、台北での最後の夜をすごし、飛行機で成田へ着いた時は、ホッとし、みんなと別
れるのが、さみしくも感じました。
秋田へ向かう夜行列車の中では、寝ようと思ってみたものの数々の思い出が浮かんできて、ねむれ
ませんでした。
今度の研修旅行では、民泊などを通じて、人と人とのふれあいを深めたように思いますし今までの
自分をふり返ってみて、自分は何とちっぽけな物だったのだろうと考えさせられました。これからの
自分に、希望が持て誇らしい気持ちでいっぱいです。ほんの少しながら台湾という国を理解できたよ
うに思いますし、日本の良さも見直すことが出来たようです。この研修で他では学べないことを学び
ました。百聞は一見にしかずと言いますがこの目で見、感激したことは一生忘れないと思うのです。
これからは文通などをして、交流を深め、部の仲間たち、友だちに伝えたいと思います。
本当にありがとうございました。
『インターアクトの翼』に参加して
横手頃高校 高 橋 成 美
「台湾」 いったいどんな国なのだろうかと、とても不安でした。
前に中国に行った人の話しを聞いた事がありましたが、外に穴を堀っただけのトイレに一番苦労し
たという事が強く心に残っていました。全部ではないにしても、周りの人からはまる見えだろうし、
私には考えられない嘔でした。ですから、台湾もそんな感じの所なのだろうかと思っていたのです。
ところが、行って見たら全部洋式トイレなので、まずはホッとしました。
しかし、私の不安はこればかりではありませんでした。ホームスティの人達と、うまく溶け合う
17
事が出来るだろうか、言葉は通じるだろうかなどと、すべての事に対して、不安と期待とが入り混り、
複雑な気持ちで一杯でした。帰って来た今にして見れば、何も心配する事なんてなかったように思い
ます。
一月四日(月)
この日の我が町横手は、すばらしく良いお天気だから心もウキウキ・ヮクヮク・ドキドキのくり返し、
銭別もいただいてふところホカホカでした。
「三時五十五分発の『おが一号』で秋田へ。秋田のホテルに付いてみんなの顔を見た時`早ぐ友達
っ子になりでな、っと思いました。ここで決団式/そして夕食。フォークとナイフの食事には苦労し
−jII
ました。はしばかりの日常生活なので、使いなれないせいもあって、なかなか思うように手が動きま
せんでした。その後、何回か小休止をしながらバスで成田へと向ったのですが「腹が誠っては、いく
さが出来ぬ」と思い、途中でカップラーメンを買って食べました。おいしかった。
一月五日(火)
成田で朝食、それなりにおいしかったです。
さて、空港に入ってから機内まで、あまりにもいろんな検査があるのでびっくりしました。初めて
の経験なので、その場その場でとまどいましたが、無事機内ヘー。飛行機に乗ったのは初めてでし
たから機内の広さに感激乙/機内食もなかなかの昧でしたし、トイレも汽車や船よりはきれいでした。
中正国際空港に付いた時、ここが台湾なのだろうかと、自分の目を疑いましたが、道路を見て「ああ
やはりここは、日本ではないんだな」と思いました。道路が日本と反対側通行になっているのには驚
きました。お金を変えた時、「これが台湾のお金なのか。日本の方がきれいだな」と思いました。そ
れから、故宮博物院を見学し、次の陶器店を見学した後、ホテルヘー。なれない飛行機旅行で疲れ
ていたせいか、ぐっすり眠れました。
一月六日(水)
ホテルから駅へ、そして台南へ行きました。いよいよ、目的のホームスティが始まったのです。ど
んな人の家庭に、お世話になるのだろうかと、不安で一杯でした。私達が、お世話になったのは林さ
んと言う力の家で、三階建てのすばらしい家でした。ここには私達と同じ高校二年生の息子さんがい
て、顔はこれと言ってステキな人ではありませんでしたが、とても心の優しい人でした。息子さんは、
中国語と英語しか出来ないし、私達は日本語と英語を、ほんのちょっぴりしか知らないものですから、
会話には本当に苦労しました。この時[もっと真面目に英語を勉強していれば良かった]と、つくづ
く思いました。中学生の頃、「私は絶対外国になんて行かないのだから英語なんて覚えなくてもいい。
ずっと日本にいるのだから、日本語だけを知っていればそれで十分だ]なんて思っていたのです。そ
んな私が海外旅行をしたのですから、世の中とは、いつ自分がどうなるかわからないものだなと痛感
しました。この日は、あちらのロータリークラブの方々が私達のために歓迎会を開いて下さいました。
催し物として台湾の踊りや空手を見せてくれました。第一日目のホームスティであったせいか緊張感
で一杯でした。
一月七日(木)
民泊から市長さんの所まで集合。市長さんは、まだ独身でしたので、早くいいお嫁さんを見つけて
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幸せになってほしいと思いました。この後、老人ホームと能々学校を訪問した。おじいちゃんやおば
ちゃんが私達を見て、うれしそうに笑った時、私は何か知らぬものが体の底から、じ∼んと込み上げ
てきました。この老人達は、私達を見て忘れかけていた過去が日本を思い出したのではないかと思い
ました。知恵遅れの子供達を見だ時、自分に出来る何かをこの子供達のためにしてあげたいと思いま
した。この子供達も自分なりに努力して精一一杯生きて来たんだな、これからも生きようとしているん
だなって思った時、今日まで何不自由なく生きて来た自分が恥しく思えました。これからは自分なり
に充実した一日一日を生きて行きたいと強く思いました。今度は高雄に行って、結婚式に出席させて
いただきました。どうぞ令せになってください。その後、鉄工所を見学して、また台南へもどって来
ました。
一月ハ目(金)
民泊の家からホテルヘ集合、そして市内に学。いろんな場所を見学してみて私の心に残った所は、
延平郡王桐と言う所です。ここの風景はとてもきれいでした。昼食後、ロータリーの人達が私達にパ
イナップル畑を見せてくれました。パイナップルって畑から取れるんですね。私は木から取れる物だ
とぽっかり思っていたんです。すごくほこりっぽい所なので制服が白っぼくなっちゃってホント困り
ました。一緒に行った子供がこれまだめんこい、子供で、もう日本につれて帰りたいくらい可愛い
子供でした。今日でホームスティも終わり、たった三日間のホームスティだったけれど別れは、やっ
ぱり切ないものです。 ゛出逢いがあるから別れがやって来る』頭の中で、わかっているけれど悲しい
ものでした。でも、国際的に友達が出来た事に、とても感謝しております。
一月九日(土)
林さんの家を後にホテルヘ集合。高雄の輸出加工品工場を見学、その後、外国語学校を訪問しまし
た。私達が校内を見学していると愛敬のある笑顔で「こんにちは」となれない日本語で声をかけてく
れた事が私には何よりもうれしく思いました。それからまた市内見学をして、ホテルヘ帰りました。
一月十日(日)
汽車で台北にもどって来ました。ここで兵隊さんの行進を見学しましたが、規則正しい歩き方には、
感心しました。その後、少林寺拳法を見学、『鉄の喉笛』。あれにはびっくりしました。よく喉に穴
があかない物だなーと思いました。歌や踊りそれにサーカスを楽しみながらの夕食、楽しかったで
す。
一月十一日
飛行機で成田へ来たんですけれども、まだ台湾にいるみたいでした。耳の中へ入って来る言葉を聞
いた時、始めて「ここは日本なんだ」って思いました。この日はちょっと、お腹の調子が悪くて気分
は最悪だったんですけれど、上野で日本料理を食べたら、良くなりました。青森と秋田では帰りの汽
車が違うのでここでお別れ、さびしいですね。せっかく友達になれたのにーこれからもずっと友達
でいようね。
一月十二目(火)
一週間の旅行も無事終わり、なつかしの故郷、横手に帰って来ました。一気に力がぬけたような気
分でした。
−19−
今、この旅行に参加できた事を、とてもうれしく思っています。行く前の「不安」と言う言葉は今
はもうどこにもありませんでした。短い開の旅行ではありましたが、私の心の中には、忘れる事ので
きない、すばらしい思い出があります。旅行を通じて得た、すばらしい友情を大切にすると共に、今
回の経験を生かしながら歩いて行きたいと思っております。ほんとうに、どうもありがとうございま
再見
した。
「インターアクトの翼」について
光星学院高校 柳 町 朝 子
私たちは、一月四日に台湾へと向かいました。私は今だかつて、飛行機には一度も乗ったことがな
|
く、ましてや外国旅行に行ったのも初めてでした。
「台湾という国はどういう国なのか」というくらいで、なんの知識もなく、よく一週間もいてこれ
たものだと思っています。そして、これほどに日本を恋しく思ったことはありませんでした。とって
も不安でした。でも、こうして終えてみて、いろんなことを学んできたとおもいます。
台湾に着いてからの、第一の印象は、日本と違ってとても暖かいということでした。それにハ戸を
1iil
離れたのが真冬のせいだったのかもしれません。
それはさておいて、私は一週間を楽しく過ごさせていただきました。故宮博物院の中のものも、口
には出せないほどすばらしくて、その上、建物も金色や赤色をたくさん使っていて、こっちの目のほ
うが疲れるほどでした。それから結婚式も、花嫁さんが素敵で、花むこさんがうらやましかったりな
んかして、今は二人の幸せを願うことだけが、私のできることです。
高雄の外国語学校では、ただひたすら「大きくて広い」ということに感心して、ひとりで満足して
いました。そして、そこで学んでいるみんなが、少しうらやましくなったりしました。
民泊では、游さんという成功大学の教授の家にお世話になりました。夫婦そろって日本語が上手で、
私だちよりも日本のことをよくしっていて、まるで私たちのほうが外国人みたいでした。息子さんの
新さんは私たちよりも一つ上で、はなしかけてくれるのはうれしかったのですが、あいにく、日本語
もろくに阿えない日本人なので、中国語も英語もわからないで、質問されることに全て『NO』で答
えていました。たまに、意味がわかっても、全て「YESJまたは「NO」だけを使っていました。
このときほど、ここは外国なんだと考えたことはありませんでした。今にしておもえば、なぜもっと
勉強していかなかったのかと思っています。
この他にも、まだまだたくさんのいろんな思い出がたくさんあります。パイナップル畑や、一日目
の台北のホテルで、もうホームシックにかかったこと、游さんたちと別れるのがつらかったこと、エ
トセトラ…。
けれども、一番の思い出は、たくさんの人々とあえたことだと思っています。ほんとに、この旅行
に行かなかったら知りあえない人たちばかりです。
20
私は、このFインターアクトの翼」に感謝をしなければなりません。広い視野と、たくさんの友人
をつくってくださったことに。
最後に、この旅行に連れていってくださったロータリーの方々、ツーリストの小笠原さん。
本当にありがとうございました。
’ツンターアクトの翼”を経た私の人生観
三戸高校 貝 守 ひろみ
私にとってこのヽインターアクトの翼、は、海外旅行としては二度目ではありましたが、決して忘
れられる事のない、かけがえのないものとなりました。良い社会勉強となったばかりでなく、人と人
との触れ合い、心の通じ合いが、私にすばらしいものを残してくれました。何といっても、旅行後の
あちらでお世話になった方からの便りが来ることなどは、これこそ、旅行の意義、甲斐があったとい
うものであります。何事にもかえがたい感激であります。その熱のさめないうちに返事を書いて出す
ことも、これまた非常にうれしいことなのです。知らずに顔がほころんでしまいます。
私の環境は、とても恵まれておりまして、今回の旅行に参加できたこともそのひとつなのです。齢
のはなれた姉はすでに結婚しまして、家にいないせいか、私はひとりっ子同然にいくらか甘えん坊に
育ってしまったようです。そしてこのたび、何らかの点で皆様に御迷惑をかけたことと思っておりま
す。それがいくら表に大きくひびかなくとも、私にしては、同行した他の学校の友だちらに対して、
いつも快い態度で接することができなかったことや、集合時間などにわずかに遅れたことなど、とて
も悔やまれてなりません。しかし、これをいい機会に自分自身を見つめなおし、そして改めて自分の
した行為を反省してこれからの生活をもっとよりよくしたいものだと考えております。
ホームスティは、初体験でありましたが、とても親切にもてなして下さって感激しました。何の違
和感もなく自然にその家庭にとけこめ、まるで童心に返ったように素直に物事を感じ得たことは貴重
な体験でありました。人の親切、やさしさ、思いやりを肌身で感ずることができるということは、と
てもすばらしいことではないでしょうか。
それもこれも、一服にロータリアンの皆さん、ガバナー、インターアクトの仲間たちのおかけだと、
とても感謝しています。この゛インターアクトの翼がいつまでも続くことを祈って、このレポートを
終わらせていただきます。
J氏阿ダ
−21−
ふ り か え っ て
角館南高校 堀
千鶴子
この旅行は私にとって初めてのことばかりの旅行でした。見るもの聞くもの全てが初めてでとまど
うこともありましたが、修学旅行の延長の様でとても楽しい旅行でした。
台湾にいって一番驚いた事はオートバイが多いということでした。それも二人乗りなんかはざらで、
中には四人も乗っていたり、生まれて闘もない赤ちゃんを抱えて乗っていたり、とても驚きました。
台南市では市長さんにお逢いし、外国のお客様しか頂くことができないというバッチを頂き、老人
ホームなどに行きました。しかし、日本に優るとも劣らない設備大変なものだと思います。そして、
何よりも三泊のHOMESTAYはとても貴重な体験になりました。宿泊した家の奥さん、特に子供
さん達には勉強の邪魔をしてしまい迷惑をかけてしまったと思いますが、とても楽しくすごすことが
できました。
私はこの「インターアクトの翼」に参加させて頂き、本当に良かったと思います。解団式の時流し
た涙を忘れず、もう一度しっかり日本を見つめ直したいと思います。
インターアクトの翼を終えて
百石高校 沼 端 春 彦
私が中華民国台湾の地を踏んだのは、一九八二年一月五日のことでした。飛行機内から見た台湾は、
水田が多いという印象を受けました。着いた後に、世界でも伺本かの指に入るという台北の故宮博物
院へ行きました。そこで見た物は、中国の歴史その物でした。陣列されてある物品に目を見張る物ば
かりでした。その中でも特に私の注意を引いた物は、虫めがねで見る細工でした。
そして、その次の日は、台南へ向いました。台南は、昔の首都が置かれてあったという所でした。
その地で私達は、その台南のロータリーの各家庭へ世話になる予定になっていました。つまりHOM
E、STAYなわけです。私は見ず知らずの地で、見ず知らずの人の家へ泊るわけです。私は、許さ
んという人の所へ行きました。許さんの所へ泊まる人は、私の他に4人いました。つまり私を入れれ
ば5人、許さんの家へ泊まりました。
許さんは、薬の卸しの仕事をしていて、家の地下がその事務所になっていました。そして、事務の
女の人が2人いました。家族は、許さんとその奥さんに、息子さん夫婦とその子供が2人、娘さん夫
婦とその子供が1人ということでしたが、娘さん夫婦は薬局を営んでいて、家が店の方にありました。
私たち4人は、その薬局へ案内されて、その薬局を見ました。並んである品々の中には、日本の薬が
けっこうありました。私たちは、あれは伺だという凱に、その薬の名を当てたりしていました。そし
て許さんの家でいろいろなことなどについて話し合ったりしていました。
−22−
許さんは、毎日朝の5時に起きて、家の近くにある野球場の周囲を走るということでした。そして
その後に、乾布摩擦をしていると言っていました。他には、水風呂に入るといっていました。私たち
は、その話を聞いて「一年中ですか?」と聞いたところ許さんは、「そう一年中」と答えた。許さん
は、若い頃からすべて、水風呂ということでした。
台南でのロータリーの例会に、出席した時に台南のロータリーが、私たちのために、出し物を出し
てくれました。その一つは、女の人が、(その人は、高校の体育の教師だとか言っていました)剣を
持った踊りを披露してくれました。それともう一つは、付近の高校の生徒が来て少林寺拳法を披露し
てくれました。私たちにも必然何か出してくれというので、歌と踊りを出しました。一通り終わった
後で、その少林寺をやっていた高校生達と友達になりました。
高雄では、文藻女子外国語専門学校という所へいきました。この学校は、白菊高校と姉妹校だとい
うことでした。そこで私たち学生は、3人ぐらいずつのグループに別れて、学校の生徒に案内されま
した。私たち3人をガイドしてくれた人は、陣さんという人でした。陳さんは、この学校を卒業した
後に大学へ行き、外国へいって働きたいと言っていました。高雄では、輸出加工区とか造船所などへ
行き、これからということがわかりました。それにここでは、結婚式へいって、台湾の結婚式という
物をほてきました。そして、料理を食べました。私たちの口には、あわないものばかりのようでした
が、台湾の人はおいしそうに食べていました。それに、これは台湾を通していえることですが、オー
トバイがとても多かったです。オートバイと車の比率は6:4ぐらいで、オートバイが勝っているふ
うにみえました。
台南でのHOME、STAYの終わり、泊まった人と別れる時に、女の子では泣く人が多かったみ
たいでした。みなそれぞれに色々な想い出を作り帰ってきました。私も同様に。
台湾旅行を終えて
白菊学園高校 阿 部
一
一
一
季
私は、この旅行で最も印象にのこったことは、なんといっても民泊でした。
私たちが、泊まった所は、台南ロータリアンの許さんのお宅で、とても大きな家で、まだ新しい(2
年ぐらい前に建てられたそうです)所です。屋上からは、日本の選手も試合に来たことのある野球場
が見え、近くには国民軍の飛行機場もあるということで、少しはうるさい音もありました。
ここの家族は、許さん夫蓼と娘さん犬蓼とその子供さん2人の6人家族です。その他に許さんは、
薬局を経営しているようで、お店の力には息fさん夫妻と2人の子供さんたちが住んでいるようでし
た。許さんは、とても日本語がうまく、私たちが話すことをみなさんに、通訳してくれます。だから、
私たちは、なに一つ不自由しませんでした。
最後の日のお昼に、パイナップル畑を案内していただきました。私は、パイナップルは、やしの実
のように木になっているとばかり思っていましたが、そうではなく畑になっていました。
23
その日の夕食後、なんとなくみんなが、集まってきて、歌の交換会になったのです。そのとき、み
んなで、いろいろな歌を歌いました。「雨夜花」「そうらん節丿最後には、軍歌まで出てきました。
軍歌が出だのは、許さんたちも、日本の歌になつかしさを、感じたからだと思いました。
いろいろなことをやっているうちに時開のたつのも忘れて、お話や歌などで楽しみました。これが
私にとって一番心にのこりました。こんなことをやってる三日間はとても短かく感じました。それだ
け、充実していたと思います。私にとって国際交流が、実際の家庭の中で生活できたことは、大変大
きな意味をもっものでした。このような機会をぜひ、大いに持つようにしていただきたいと思いまし
た。
最後に、おせわいただいたみなさんどうもありがとうございました。そしてこの旅行に参加できた
ことを感謝します。
゛゛インターアクトの翼”を終えて
三戸高校 岩 間 明 江
生まれて初めての海外旅行を目の前にした十二月三十日、私は四十度の高熱にうなされ、台湾行き
を半分あきらめていました。具合が悪く熱も一向に下がろうとはせず、病院のお世話になる羽目にな
りました。それでも、熱は二日後になっても下がらず、それに加えて腹痛と激しい下痢が私を襲って
きました。もうだめだと完全に諦め、自分の体の弱さに、その夜ひと晩中泣き明しました。ところが、
出発二日前、神が私に微笑んでくれたのです。 ドクターは、私の台湾行きを条件つきで許して下さっ
たのでした。その時の私の喜びは、何にもたとえようがありませんでした。
このような状態であったからこそ、今回の旅行はとてもうれしく、意義深いものでした。沢山の薬
と大きなトランクを手に、秋田での結団式に出腐している自分が本当に信じられませんでした。青森
・秋田両県の全く知らないインターアクトクラブの仲間と共に、台湾へ行けることがとてもうれしく、
しかし不安も入り混じっていました。日本語だけで通じるのだろうか、迷子になったらどうしようか
などといろいろな不安なことが頭の中で渦まいていましたが、台湾に到着し心地よい風を身に受け、
すばらしい緑を見た時には不安の半分はどこかへ吹きとんでいました。もっと安心したのは、あちら
のバスガイドさんが、日本の演歌を歌って下さった時でした。いっしょうけんめい日本語で歌ってい
る姿を吃て思わず私も口ずさんでいました。入と人とが出会い、共に語り、歌い、微笑合う。なんて
すばらしいことなのでしょうか。この時から言葉の違いなど全く気にならなくなったのです。
インターアクトの翼での最大の目的ともいえるホームスティでは、台湾での実際の家庭生活をこの
目で腿、膚で感じ取ることができ、とてもよい社会勉強になりました。あちらでの習慣・社会情勢な
ど、細かな面もほることができたのも、このホームスティがあったからこそだったと思っています。
たった三泊だけのホームスティが、私の人生の中でどれだけ実になったことか、どれだけ私を大人に
させてくれたのかを思うと、自分が世界中の誰よりも幸せ名に思えてなりません。暖い家族の方々に
24
とても親切にもてなしていただいたことは、本当にうれしいことでした。
旅行中は、何かとみなさんにご迷惑をかけたことをとても後悔しております。この後悔を反省とし、
インターアクトクラブの生徒として恥ずかしくない行動をとることによって返さなければと思ってい
ます。
とにもかくにも、私が’インターアクトの翼、という一行に加われたことは、三戸ロータリークラ
ブの皆様、菊池ガバナー団長さんをはじめ、工藤副団長、台南南ロータリークラブの皆様、学校の先
生、いっしょに旅行をした仲間達、そして両親のおかげだと心から感謝いたしております。
この゛インターアクトの翼、を末長く続けて下さるよう心からお願いいたします。
私は、あの成田空港での解団式での感激は、一生忘れません。そして今回のこの旅行で得たものを
自分の出合う人々や自分の子供に力いっぱい自慢したいと思います。
湾
ふ
口
1
!
百石高校 日ケ久保
満
「ハーックションノ」日本はやはり寒いなァ∼。上野の駅前で夜に吹きかけたため息の白さがやけ
に目に染みて、新鮮に思えて、やはり私には日本があっているのだろうか。すべて毘える物、聞こえ
る物が、身体の奥底深くまで馴染んで来るようであった。などと伺んともいえぬ良い気持ちになって
いられたのもほんの束の間のことで、家に帰ると三日間寝込んでしまったのです。今書きながら思う
のですが、台湾で興奮して疲れて帰って来たからあんなふうに思ったんだろうし、処でどうなって引
いた風邪かは知らないけど、疲れていたからあんなにまでなったんだろうと。そんなことはどうでも
良いのだが、寝込むだけの収穫はあったと思っています。観光の面においてはとても楽しく過ごせた
し、他のいろんな面においては勉強になったし、また考えさせられる而も多く目につきました。一般
的に書いたのではみんなと同じくなりそうなので、目立lとう精神で、コースから外れるかもしれませ
んが、独走的に進んで行きたいと思います。
台湾、そこは私の予想に反した所でした。台湾について知っていることと言えば、バナナが旨いこ
とと、ヤマハのギターが製造されていること、それに中国代表権問題について少し知っているだけで
した。それゆえに台湾に対するイy−ジが生まれてきて、日本と同じ資本主義なので、日本程でなく
ともそれに近い雅をしており、生活面にしてもあまり日本と大差のないような暮しをしているのでは
ないかと。いかにも島国的な考えを持っていました。少しだけのイメージならば驚きも小さくすんだ
ろうし、また台湾について考えさせられることもなかったろうと思います。しかし想像することの好
きな私は、いろんな方面について台湾のイメージを自己流に造ってしまい人一倍驚きを感じたと思っ
ています。けっして良い印象だけではなく悪い印象も多く感じました。
台湾は今ちょうど田植えの季節でした。あちらの南の地方では年に三回米が取れて、北の地方では
年に二回米が取れるそうで、私の家が農業で米を作っているものですからとてもうらやましく思いま
−25−
した。そして私の大好物の果物は年中取れるそうで、そして種類も多く値段も安いときたから、また
またうらやましいかぎりでした。田植えや稲刈り稲扱きなどは、あちらのガイドの話しでは日本と同
じように機械を使ってると言っていましたが、私の目に映るのは牛で田んぼを耕し、人が稲をさして
いる風景だけでした。これは、私のイメージと違っていましたが、台湾の閑さを見だようで何とも言
えぬ良い感じを受けました。また、工場見学で鋼板工場と輸出加工区を見てきましたが、どちらの工
場案内の人の話しを聞いても最後に一致して言うことは、日本に追いつこうと努力しているというこ
とでした。働いている人の姿を少ししか見ることができませんでしたが、朝の通勤状態を見ていると、
交通の大半がバイクだということもあったかもしれませんが、とても活気づいて見えたのは、やはり、
労働者にそれそうとうの目的があったからだと工場見学後のバスの中で思いました。
私は、そっちの方面ではとても台湾に良い印象を受けましたが、しかしそれに反して、前にも言い
ましたが悪い印象を受けました。そして私の描いていたイメージも、もろく崩れたのでした。まず第
一に交通状況が違いました。バイクが大変多く、交通状況を日本と比較して見て、かなりいいかげん
に見えました。何故こんなに車が多いのに交通整備がなされていないんだろうかと、自分なりに考え
て出た答えは、人口増大に比例して車が増えて、それに交通整備が追いつけなかったんだろうと。第
二には、夜店や屋台などが非常に多く夜遅くまでやっていて、ショッピングや食事などをして大変賑
やかでしたが、屋台の立ち並んでいる路上の脇には、いろんなくずなり生物が捨てられていて、かな
りひどい悪臭を放ち、衛生管理がとても悪かった。食事に関して付け加えて書くならば、ある人の話
しでは、一般家庭では食事を作らず、それぞれが外食するとかで、これは親の愛情問題、家族関係の
縫れに関係してくるのではないかと言っていた。第三には、貧富の差があまりにも大きすぎたという
ことで、これは予想外でした。お金のある人は、庭付きで、部屋が何十もあるような家に住んでいて、
お金のない人は、堀っ立て小屋のような所に住んでいたり、廃墟みたいなアパートに住んでいたり、
挙げ句の果てには橋の下に住んでいる人もいました。そんな暮しが日本のどこかにあるかもしれませ
んが、私はまだ見だことがありません。台湾は九州地方位の小さな国です。そしてその中のあちこち
に、貧富の差の風景が見えるのです。とてもショックを受けたと同時に、日本は、いろんな面におい
てすばらしい国だと思いました。さきほどの話しと関係しているように思うのですが、泥棒が多く毎
日のように新聞に出るそうです。取る物は、お金はもちろん、宝石、テレビ、ラジオ、冷蔵庫などだ
そうです。台湾の治安は良いと観光客が言いますが、真実は悪いのではないでしょうか。その証拠に、
アパートやマンションのベランダには、泥棒などが入らないように、金網などがはめ込まれていて、
一般の家庭には、窓ごとにシャッターなどが付いていた。
最初に台湾で疲れて帰って来たと言ったのは、こんな事があまりにも日本と違っていたからだと思
います。そしてあまりにも違いすぎたから、何故なんだろうと考えずにはいられませんでした。考え
た結果が次のとおりでした。これらすべてが、南国と北国の違いからきているのではないかというこ
とです。日本は、どちらかと言えば北国に属しています。日本人なり北国の人は、昔から生きるため
出来ました。そして台湾は南の国に属していて、昔から働く必要が何もなく、自然がすべてを賄い、
温暖な気候は身を守るための家や着る物を必要とせず、食物は大地が提供してくれました。それが近
−26−
ンー︲︲︲J︲i︲l
に、衣食住のために働いて来ました。そしてより良い生活のために、いろいろ工夫して今日の社会が
年になって、人目が増え世界のレベルを知ることによって文化の必要性を感じ、足元を固めぬうちに
背伸びをしてしまったために、あのような結果が生じたのだろうと。
変なことを書いて来ましたが、やはり台湾は良かったです。ロータリークラブの援助によって、行
って来れたことをとても感謝しております。ありがとうございました。最後に一緒に行ったみんなに
一言、「楽しかったですねが」
「インターアクトの翼」に参加して
横手東高校 佐々木 まゆみ
初めての海外旅行、私の心の中は不安でいっぱいでしたが、その中には台湾というところはどんな
国なのか、どんな人が住んでいるのかという期待も大きくふくらんでいました。
1月4日、私達は秋田ニューグランドホテルで結団式を行い、夕食を取ってから車内泊で成田にむ
かいました。朝には日本とお別れだと思うとなかなか寝つかれませんでした。
1月5日、成田のホテルで朝食を取ってその後成田空港へ行き、キャセイ航空の551使に乗った。
初めてだっただけに、下に見える島やどこまでも続く海、それにまっ白な雲がとても美しくほえた。
約3時間半の空の旅を終え、台北にある中正国際空港に着いた。日本ではコートを着ても寒いという
のに制服だけでも暖かいくらいでした。その後、国茫故宮博物院を見学し、夕食を取ってガーラホテ
ルに1泊した。
1月6日、この日は特急「自強り」で台南へ行った。約3時間で台南に着いた。ホテルヘ行くと、
ホームスティでお世話になる家庭の御主人が迎えに来て下さっていた。私と成美さんは運よくいっし
ょになれて、林さんという方のお宅にお世話になった。家族構成は御主人と奥さん、それに高校2年
生のむすこさんとお兄さんとお姉さんの5大家族ですが、お兄さんとお姉さんは学校が遠いため家に
はいませんでした。林さんの家庭で日本語を話せるのは、御主人と奥さんが少し話せるくらいでした。
私達がお賃りした部屋にむすこさんからの歓迎の手紙がありとてもうれしかった。この日は、夕方か
ら台南のロータリークラブの方々が私達の歓迎会をしてくださいました。空手や舞いを見せてもらい
私達も歌を歌ってとても楽しい一時でした。その帰り林さんが夜店を案内してくれました。
1月7日、民泊2日目、この日は、台南の市長さんとお会いした。市長さんと言ってもまだお若い
のでビックリしました。台南で2度続けて巾長さんに当選することは、非常にむずかしいそうですが
それをやりとげた人でした。訪問の記念としてバッチをいただいてまいりました。次に台南にある老
人ホームを訪問しました。とても広くて、きれいで設備も整っていました。みんな元気で私達を歓迎
してくれました。この老人ホームで一番長生きをしている大は94才で、私達が行った時は病気でお
会いすることができなくてとても残念でした。次は養護学校を訪問しました。授業を見に行ったらは
ずかしそうに笑っていてとても明るい子供たちばかりでした。次は高雄の結婚式に出席しました。披
露宴の会場は外で16種類ものごちそうが出ました。このような結婚式はもう二度と見ることができ
−27−
ないだろうと思います。いい思い出になりました。
1月8日、この日は、台南の市内観光で午前中で終わったので、午後から民泊でお世話になってい
る方々とパイナップル畑へ行きました。街からかなり離れた山の奥で、ほこりがすごくて制服がまっ
白になってこまってしまいましたが、とても楽しかった。きょうで楽しい民泊も終わりになってしま
い、林さんの家族と写真をとったりお話をしてから、食事につれていってもらいました。ほんとうに
優しくていい人ばかりで有意義な3日間でした。この3日間で自分が勉強不足であるということがあ
りありと思い知らされ、もっと英語が話せたらもっとたくさん話ができたのに、自分で自分に腹立た
しく思われました。
1月9日、林さんの家族とお別れしてホテルまで林さんに送っていただきました。みんな別れがつ
らくて泣いている人もいたようでした。この日は高雄の輸出加工工場を見学、その後外国諸学校を訪
問しました。私達が校内を見学していると「こんにちは」と声をかけてくれる人もいました。それか
ら市内観光をしてキンシップホテルに1泊した。
1月10日、ホテルで朝食の後に特急「自強号」で台北へもどって来て、ロボットのように規則正
しい、兵隊の行進を見学。日本では見る事ができないのでビックリしました。その後少林寺拳法を見
学しました。
1月11日、いよいよ台湾での旅も終わり、日本に帰ることになってしまい、とてもなごりおしく
てもう少し台湾にいれたらいいのにと思った。
私にとってこの7日間はとても長かったように思われる。それは1日1日が、とても充実した日々
を送ることができたからにちがいない。この旅行によい天気とたくさんのよい友達にめぐまれて有意
義な時を過ごすことができました。この貴重な体験をいかしてこれからのクラプ活動や人生に役立て
るように頑張りたいと思いました。ロータリークラブの皆さんや旅行中お世話になった方々、ほんと
うに有がとうございました。
翼に参加して(台湾訪問)
ニツ井高校 阿 部 千年世
1月4日、ニツ井から8泊7日間の台湾の旅へ出発。私にとって初めての海外旅行、不安と緊張で
いっぱいでした。
5日、いよいよ成田空港から出発。飛行機に乗るまでいろんな手続きがあって、たいへんだなあと
思いました。飛行機も初めてで、浮いた瞬間、大げさにいうともう家には帰れないんじゃないか、な
どと思ってしまった。いよいよ台北に到着。パスポートにスタンプを押してもらう。初めて中国人
に対しての中国語を使った。”シェシェ”(ありがとう)感激/外へ出ると回りは日本と変わらない
感じ。バスで市内観光。台北で有名な故官博物院、全体的こまかい作業のものが多く、日本とはちが
った昧が出ており、すばらしい芸術品ばかりだった。食事のためゴールデンチャイナホテルにて、台
28
湾での初めての中国料理、やはり油っこいものが多い。夕食後、私達の泊るホテルヘ到着。
6日、急いで朝食を済ますとすぐに、特急で4時間近くかかり、台南へ到着。近くのホテルで、自
分たちの滞在するrj−タリアンの人達と対面。滞在家庭へは妙子さんといっしょだった。私達の滞在
家庭だけが、日本語が話せなく、話が通じるように、一生懸命英語とジェスチュアを使った。タカホ
テルでは、歓迎式やオリエンテーションがあり、いくつかの芸を見せ合ったりした。あちらの学校は
きびしい所が多いらしく、女の子は、おかっぱでなければいけないらしい。私達が滞在した家庭は、
夫婦、子供の2人兄弟の4人家族で、芸術家一家という感じでした。
7日、台南市長さんの所へ。座ろうとしたイスが大理石だったことにおどろきました。ここでは、
記念すべき、バッチをいただきとってもうれしく思います。あいさつが終わり、バスで老人ホームヘ
行った。安老所・安善所・育幼所とあり、ほとんどが、寂しい毎日を送っているようにみえた。
建て物がとっても立派で、中庭のバラが美しくてとてもステキ………。高雄での結婚式に出腐/と
ても気楽で、なんといっても料理が最高。次々と出てくるもの一つ一つを、好奇心で食べてみた。め
ずらしい食べ物ばかりで感激してしまう。 ”まんぞぐ。台南での私達の家(滞在家庭)へ着く。 ゛オ
ン、さんの親せきの人達と会う。日中はとっても静かだった町並が、夜になると信じられないくらい、
歩行者天国の繁華街になる。2時間近くのショッピング。人ったお店は親せきの奥さんの顔見知りと
あって、とっても安くしてくれた。
8日、午後からは自由行動。台南南ロータリーの人達といっしょに出かけた。車に揺られ山道を登
り、少し歩くとそこには広い「パイナップル畑」。そこにいるだけで、舌がわれそうなほどの甘い香り
がしてきた。7時過ぎ、親せきの人の所へ遊びに行き、そこからまたショッピング。案内をしてくれ
た人とは、英語とジェスチュアで夢中になる。この日は親せきの人の所へ泊った。
9日、3泊4日間のHOMESTAYともお別れ。あの朝食のおかゆがとってもおいしかった。゛最
高、。 次はバスで高雄、文藻女子外国語文専科学校へ。大きくて、外国風の建物がとても`ステキ、。
擦れ違う誰もが、愛矯のいい人ばかりだった。 1人に3人ずつつき、校内を゛ョウ、さん(とっても
美人な人)に案内してもらう。思ったより英語が通じて会話がはずみ、゛感激、。
10日、特急で台北へ到着。市内ショッピング。BUT………体調をくずしてしまいホテルで7時ま
で寝ていた。「ショーを見ながらさよならパーティ」。一つ一つの芸に見とれてしまう。待ちに待っ
た、チャーハンがテーブルに置かれた。運が悪く体調をくずしてしまったおかげで小皿で2杯以上食
べることができず、悲しかった。ホテルに着くとすぐ眠りについた。
11日、いよいよ日本へ帰る日の朝が来るとまだ台湾に居たいという気持でいっぱいだった。この
日無事成田へ到着。
日本とはずいぶん差があったけど、なかなか居心地のよい台湾の旅であった。翼に参加して、たく
さんの人達と友達になれたこと、HOME・STAYが出来たことが、最大の収穫です。
翼に参加させていただき、本当にありがとうございました。そしてまた私達を迎えてくれた台南南
ロータリアンの家族に本当に感謝しています。
tt
−29−
シェシェ”
第五回インターアクトの翼に参加して
光星学院高校 三 上 美 幸
今回の研修旅行に参加できて大変良かったと思います。報告書というと少々難しく考えてしまうの
で、自分なりにまとめてみました。このインターアクトの翼の目的は、国際理解を深めるということ
ですが、参加してみてじかに膚で感じて、今までの自分の頭の中でだけの論理との違いや、新発見し
たことなど、正に、論より証拠、百聞は一見にしかずといったところでした。
第五回の訪開国は、中華民国でした。行く前に旅行社の方からプリントされた中華民国の概要を私
は読んでやや安心しました。それは、言葉のことでした。やはり外国で最も困るのは、言葉の通じな
いということです。しかしこの国の場合、だいたい四十歳以上の人は日本語を話す人が多いとのこと
で、いくらかは、緊張感がほぐれました。行ってみると日本との交流が盛んであるのがよくわかりま
した。片言の日本語ではあるけれど、懐かしそうに話しかけてくる人や、一生懸命、自分の知ってい
る限りの日本について話す人など日本人としては本当に嬉しい出来事でした。
市内見学などいろいろと見て感激したのは建物の美しいことでした。色や形などがそれぞれ個性豊
かというかとても華やかでした。初めに国立故宮博物院を見た時、古代の文化への深い感激と見るも
すばらしい古代の一部が私の目の前にあったのです。ここは、台湾が世界に誇る最大の文化財、観光
資源のある所。三ケ月毎に展示物が換えられるということで、全てを見尽くすには二十五年を要する
だけあって、中はものすごい数の宝が収蔵されていました。虫眼鏡で見なければならないほど小さな
精巧な彫物など、実際に古代人がこれほどまでの物を作れたのだろうかというくらいの芸術品、生き
ている古代文化があったのでした。
次に印象深いのは、円山犬飯店でした。台北市の北の丘にそびえる中国宮殿式の豪壮華麗なホテル
です。世界の十大ホテルに数えられるそうで、各国の元首などがよく泊まるホテルです。少しだけ中
に入ってみたけれどもロビーの広いこと、そしてフロントが幾つもあるのに驚きました。こうして台
湾という国を、国こそは小さいが、その内容は大きいなぁとしみじみと感じたのでした。
あと立派だなぁと思ったのは、忠烈桐という所での兵隊の交代の様子でした。門は半円形のような
造りで入口近くに、台の上に丁度兵隊が向かい合う形で二人立っているのでした。交代は一時間毎だ
そうですが、見るとまるで人形みたいに、ピクリともせずじっと立っているのです。中の山門の向こ
うにも同じように兵隊が立っていました。私たちが見学した時、運良く交代時間だったので、交代す
る様子を見ることが出来ました。実にみごとな交代でした。他の旅行名たちも群がって交代の儀式を
宛ていました。靴の下に付けた金具が歩くたびに鳴って、歩幅の狂わないその足どりを尚一一層強調し
ていました。
最後に、何といっても一番のメインイベントは民泊でした。私は同校の柳町さんと其に游啓享氏宅
にお世話になりました。この方は台南市の成功大学の教授で、東京大学工学博七でもあり、雪桜夫人
は、アートフラワーの先生をしています。どちらも非常に日本語が上手で、日本のことは私だちより
詳しいくらいでした。初めての海外、そして民泊で二人とも、ものすごく緊張していたのをやわらげ
−30−
てくれ、台湾のことを丁寧に教えてくれました。わざわざ日本のテレビ番組のビデオを見せてくれた
りもしました。あっという間にもう三日過ぎてしまったといった感じでした。私は二人を台湾のお父
さん、お母さんだと思っています。手紙を書いて近況を知らせました。研修旅行だけで終わったので
はなく、これから国際理解が深まるのだと思って私は台湾で知り合った、沢山の人々に、これから、
多分ずっと今のところは文通という形になるけれども、人の和(輪)を広げて行きます。
。・ ドに砿l
−31−
-・・ヽ・・成田空港解団式の
団員感想一言集-ヽ・・・・ヽ・
o 今回は非常に勉強になりました。初めての外国で言葉の通じない事にはホトホト参りました。そ
して、はじめて日本の良さが判りました。
o この旅行に参加させていただいて本当にありがとうございました。今ここで皆さんと別れるのが
つらいのですが(深声でよくききとれない)
〇 たんなる観光旅行でなく、今迄自分は井の中の蛙であったと思います。世界の広さを体で感じと
ったように思います。
○ 英語ができなくて、すごく不安だったのですが、どうにか通じたようなのですごく嬉しいです。
途中体の調子が悪かったのですが、どうにか全快して今の唯一の喜びは、サトウキビが見つからず
に持って帰れたと云うことです。
o 最初から最後迄感激のしっぱなしで、台北市の駅のトイレの紙迄感激してしまいました。ホーム
スティで得た感激と得たものはお金ではとても買えない本当に素晴らしいものだと思います。皆さ
んこれからこの感激を忘れないで立派な大人になりましょう。
o 高校を出て社会人になって、お金を貯めて自分のお金でもう一度台湾へ行ってジックリ見て来た
いと思います。
o いまこうして日本に帰って来たのですが、この一週間本当に楽しい思い出で一杯です。
o インターアクトの翼に参加できてとても光栄に思っております。一番印象に残っているのは、ホ
ームスティで李さんの奥さんと話した事です。とても良い旅行でした。
〇 ホームスティができて一番良かったと思っています。これからは英語や中国語をウンと勉強して
絶対行きたいと思っています。
o この旅行に参加できてとても嬉しかったです。私は一年生ですが、この旅行を機会にもっともっ
と勉強して行きたいと思います。
o はじめて海外旅行して、ただ単に旅行すると云うのではなくて民泊とかが一番の目的で、矢張り
人と人とのふれあいがこんなにも熱いものだなと云うこと感じた事はありませんでした。友達がた
くさんできてこれから文通できるのも嬉しいし、よその学校のインターアクトの人達と友達になれた
のも嬉しかった。
−32−
o 歴史的には日本とかなりつながりのある国ですが、行って毘て矢張り習慣とかが全然違っていた
ので、とても驚きました。そしてとても良い勉強になりました。
o 今回の旅行は行く前はすごく不安だったのですが、行って毘たら皆良い人達ばかりで、海外に友
達ができたとか、風俗・習慣が勉強できたばかりでなくて、国内のインターアクトのお友達がこん
なにもたくさんできたのが嬉しいです。ホームスティではそこの叔父さん、叔母さんにすごく良く
して貰って、こんなに貴重な体験は一生涯無いかも知れないので、本当に良い思い出と経験になり
ました。
o 言葉が通じなくて、苦労したのですが、心と心を通い合せることができて本当に嬉しいと思って
おります。この旅行に参加できて本当に良かったと思っております。
o 矢張り一番心に残った事はホームスティでした。ホーハスティでは、その土地の風俗とか習慣を
口先だけではなく、肌と肌とを接して感じたために、別れがつらくなった。人間関係は人と人との
つながりで成立っているので、これからも人と人のつながりを大切にして行くよう頑張りましょう。
33
i=,−クドーのんご寄贈
インターアクトの翼によせて
発 行 昭和57年7月10日
編 集
国際ロータリー第254地区
インターアクト委員会
印 刷
ヒロサキタイプ
〒036弘前市大町2丁目1の3
TEL 0172−32−9311
▲白雨雨RCより訪問団員に贈
られた記念楯
▲台湾最古の孔'子廟で
▲中国鋼鉄見学・高知市
▲赤嵌棲城庭に立つオランダ軍の降伏を受ける
鄭成功像・台南市
▲高雄市の結婚披露宴に招かれ新郎新婦と共に
▲お世話になった民泊家庭の方と涙の別れの朝
聞
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▲私立文藻女子外国請文専科学校
1台湾新聞
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された紹
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