quand 節に現れる半過去--談話的時制解釈モデルによる分析

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Issue Date
quand節に現れる半過去 --談話的時制解釈モデルによる分
析( Abstract_要旨 )
髙橋, 克欣
Kyoto University (京都大学)
2014-09-24
URL
http://hdl.handle.net/2433/192202
Right
学位規則第九第2項により要約公開
Type
Thesis or Dissertation
Textversion
none
Kyoto University
( 続紙 1 )
京都大学
論文題目
博士( 人間・環境学
)
氏名
髙𣘺𣘺
克欣
quand節に現れる半過去 — 談話的時制解釈モデルによる分析
(論文内容の要旨)
本論文は、フランス語の時制の中でも最も取り上げられることの多い半過去形がquand
節 (英語のwhen節)に現れたときに観察される制約を扱ったものである。「私がTVを見て
いたときに父が帰宅した」のように、「…ときに」節に動作の継続を表す述語があると
き、これを半過去を用いて *Quand je regardais la télé, mon père est rentré.とすること
ができない。その一方で、「私が5歳だったとき」quand j’avais 5 ans、「彼がパリに住
んでいた頃」quand il habitait à Parisなどは問題なく許容される。本論文は、quand節と
いう限定された統語的環境における半過去形の振舞いを、談話的時制解釈モデルを用い
て分析したものである。
第一章では、Olsson (1971)、青井 (1983)、岩田 (1997)、西村 (2011)などの先行研究を
批判的に分析し、問題の所在を確定すると同時に本論文が提案する仮説を示している。
quand節での半過去の使用に強い制約があるのは、quand節が時間軸上で特定の時点を指
定する時の従属節として働く一方で、半過去は未完了時制であるために時の定位を行う
ことができないからだとされてきた。また半過去が「子供の頃」や「独身の頃」のよう
な人生の一時期を表すときは例外的に許容されると言われてきたが、なぜ制約が解除さ
れるかが説明されていない。本論文では、作例によるインフォーマント調査および文学
作品からの用例調査によって、〈Quand+半過去、主節〉という単一の文だけの考察では
不充分であり、より広い談話というレベルにおいて時制解釈を分析することが不可欠だ
として、いくつかの仮説を提示している。まず時制形式による事態の定位を「投錨」と
「係留」に分ける。投錨は単純過去や複合過去などの絶対時制が行う定位操作であり、
係留は半過去のような非自立的な相対時制が行う定位操作である。また半過去が行う係
留には、係留先の「母時空間」が必要であり、半過去が表す事態と母時空間の間には部
分・全体の関係が必要とされる。それに加えて、半過去と母時空間の間に係留が成立す
るためには、世界についての共有知識に基づく「スキーマ」あるいは「シナリオ」がな
くてはならない。これが本論文が提案する半過去の時制解釈についての仮説である。
第二章では、談話的時制解釈モデルの必要性とその条件をより詳しく論じている。一
般に時制の働きは、時間軸上での事態の分布関係を表示するものとされている。また絶
対時制は独自に事態を定位し、相対時制はすでに定位済みの事態との関係において新た
な事態を定位すると考えられている。本論文では、相対時制である半過去が表す事態が
係留されるのは、絶対時制が表す事態ではなく、半過去が表す事態を部分として含む母
時空間であるとし、母時空間に対する係留操作を半過去の本質とする。そのうえで、因
果関係を表す半過去、語用論的状況を参照する半過去、話し手と聞き手の共有体験を参
照する半過去などの具体例の分析を通じて、係留に必要な母時空間がどのように構成さ
れるかを詳細に論じている。
第三章では本論文が提案する仮説を立証するために、quand節が前置された場合と後置
された場合に半過去の容認度にどのような違いが生じるかを論じ、一般に後置された場
合に容認度が向上する理由を明らかにしている。また、「子供の頃」のような年齢表現
や「学生時代」のような人生の一時期を表す場合にquand節での半過去の容認度が上がる
理由が共有知識に基づくスキーマにあると論じている。また文学作品から用例を拾うと、
少なからずquand節での半過去の使用例が見つかるが、これらもまた、一日の中での時間
帯(朝、昼、夕方、晩)や、ある地点から他の地点への移動、レストランで注文から支
払いに到る行為連鎖のような、共有知識に基づくシナリオもしくはスクリプトという認
知的基盤に支えられて成立している半過去であることを明らかにしている。
第四章ではいわゆる逆従属構文に現れる半過去の問題を論じている。逆従属構文とは、
容認度の低い*Quand je regardais la télé, mon père est rentré.「私がTVを見ていたときに
父が帰宅した」に代わって、Je regardais la télé quand mon père est rentré.のように、主
節に半過去を用い従属節に絶対時制を用いる構文で、英語では narrative whenと呼ばれて
いる語りに特有の用法である。本論文では前章までで論じた「投錨」「係留」「母時空
間」からなる談話的時制解釈モデルが逆従属構文の分析にもまた有効であるとし、語り
の特性として、最初から語りの物語空間が設定されていて、主節で用いられた半過去は
この物語空間を母時空間とすることで係留操作を実現するとしている。従来から逆従属
構文の主節には状態・継続などを表す未完了時制が好んで用いられることが知られてい
たが、本論文ではその理由が母時空間への係留操作にあることを明らかにしている。
最後に結論として本論文の主張をまとめ、あわせて残された課題を示している。
(続紙 2 )
(論文審査の結果の要旨)
本論文は、フランス語の半過去形がquand節 (英語のwhen節)に現れたときに観察さ
れる使用上の制約を談話的時制解釈モデルを用いて説明しようと試みたものである。
完了アスペクトを持つ単純過去や複合過去はquand節で自由に用いることができる
が、未完了アスペクトを持つ半過去はquand節での使用に大きな制約があることが知
られている。quand節での半過去の使用に制約があるのは、quand節が時間軸上で特定
の時点を指定する時の従属節として働く一方で、半過去は未完了時制であるために、
時の定位を行うことができないからだとされてきた。また半過去が「子供の頃」や「独
身の頃」のような人生の一時期を表すときは例外的に許容されると言われてきたが、
なぜ制約が解除されるかが説明されていない。本論文はこの半過去の使用上の制約に
統一的な説明を与えるものである。
本論文の大きな特徴のひとつは、時制を優れて談話的なものと捉えている点にあ
る。従来の時制研究はややもすれば個々の時制を別々に取り上げて、どのような用法
があるかを記述し羅列することに終始していた。しかしこのようなアプローチではな
ぜその時制に特定の用法があるのかを説明することができない。本論文ではそれに代
えて、話し手と聞き手がどのような機序によって時制の価値を解釈するかを考える談
話的時制解釈モデルを提唱し、それを用いることでquand節における半過去の振る舞
いを、従来の研究よりも合理的に説明することに成功している。
本論文が提案する談話的時制解釈モデルの特徴は、時制を文レベルではなく談話レ
ベルで解釈するメカニズムを具体化している点にある。従来から、単純過去のような
絶対時制はそれ自身の力で事態を時間軸上に定位するが、半過去や大過去のような相
対時制は、同じ文中や近辺にある絶対時制が定位する出来事と相対的に事態を定位す
るとされてきた。たとえば Je lisais le journal quand Marie rentra.「私が新聞を読ん
でいたときにマリーが帰宅した」では、半過去 lisaisは従属節の単純過去rentraと同時
性を表す相対時制であるとされる。本論文では絶対時制が行う事態の時間軸上への定
位操作を「投錨」とし、相対時制が行う定位操作を「係留」と捉え直した上で、係留
操作は絶対時制が表す事態に対してではなく、談話的に構成される母時空間に対して
行われるとした点に独創性が見られる。母時空間は本論文の著者による造語であり、
談話のタイプによって様々な形態を取るが、話し手と聞き手(語りの場合は書き手と
読み手)の間で共有される認識空間を指す。また本論文では半過去の使用条件として、
母時空間と、半過去が表す事態の間に、「全体・部分」の関係が成立しなくてはなら
ないとする。半過去に部分照応の特性を認める分析はBerthonneau & Kleiber (1993)
にすでに見られるが、彼らの研究では半過去がその部分である「全体」の性格が明確
でないという問題があった。本論文の仮説はBerthonneau & Kleiber (1993)の部分照応
説と一見すると似ているが、彼らの研究に欠落していた談話的観点を導入することに
より、「全体」を母時空間と定義し、その特性を詳細に分析している。
本論文が明らかにした重要な点は、母時空間と半過去が表す事態の間に成立するこ
とが要求される「全体・部分」関係は、小説などの語りにおいては語られた出来事の
間に成り立つために、もっぱら言語表現を通じて把握されるが、それ以外の手段によ
って構築される場合もあるということである。「全体・部分」関係は我々が世界につ
いて持っている語用論的知識に基づく認知的フレームもしくはシナリオ・スクリプト
によって担保されることがある。それが「5歳の時」のような年齢表現や、「若かっ
た頃」のような人生の一時期を表す表現の場合である。このような場合に例外的にqu
and節で半過去が許容されるのは、「人の一生」という全体に対して「5歳の時」や「若
かった頃」が部分として理解され、「人の一生」が母時空間として働くからだ
とすることで、例外扱いされてきたquand節で許容される半過去について、整合的な
説明を与えることに成功していると言える。
また本論文では、従来容認度が低いとされてきたquand節での半過去が、文学作品
などでは、考えられていたよりも多く観察されること、また許容されない例でも、先
行文脈で母時空間を構成するような記述を与えることで容認度が向上することを、豊
富な実例とインフォーマント調査によって示している。
本論文では、従来は相対時制である半過去と絶対時制の関係と見なされてきた定位
操作を、半過去と母時空間の間に設定するという提案をした結果として、半過去と絶
対時制の間に認められる同時性をどのように捉え直すかという新たな問題が浮上す
る。本論文ではこの問題に対して十分に答えてはおらず、今後の課題であろう。
しかしながら、本論文で提案された談話的時制解釈モデルは、quand節の半過去だ
けでなく、他の時制にも応用可能なモデルとなっており、談話的観点に立つ時制研究
として非常に価値が高い。
よって、本論文は博士(人間・環境学)の学位論文として価値あるものと認める。
また、平成26年6月25日、論文内容とそれに関連した事項について試問を行った結果、
合格と認めた。
なお、本論文は、京都大学学位規程第14条第2項に該当するものと判断し、公表
に際しては、当該論文の全文に代えてその内容を要約したものとすることを認める。
要旨公表可能日:
年
月
日以降