1 第 16 章の補足資料 経済成長の重要性 私たち(や政治家)は目先の

第 16 章の補足資料
経済成長の重要性
私たち(や政治家)は目先の景気動向に目を奪われがちだが、10 年ないしそれ以上
の長期間になるとそうした短期的な景気変動が平準化され、景気が良くも悪くもない
時の成長率(潜在成長率)が重要となる。
いま、日本の実質 GDP が Y0 だとしよう。その後、それが毎年 g の比率で成長する
と(たとえば毎年の成長率が 1%なら g  0.01 )、t 年後の値は
Yt  (1  g )t  Y0
(1)
になる。
図表 1
800
毎年の経済成長率の違いと長期的な所得水準
g = 0.01
700
g = 0.02
683.0
g = 0.03
600
500
378.2
400
362.3
300
243.8
200
190.9
156.7
100
0
22
27
32
37
42
47
52
57
62
67
72
77
82
87
図表 1 は、毎年の成長率が 1%、2%、3%のときに実質 GDP がどのように成長して
ゆくかを示したものである。ある人が 22 歳で大学を卒業して 67 歳まで働き、87 歳ま
で生きるとするとしよう。この人が働き始める年の実質 GDP が 100 だとすると、毎
年の成長率が 1%の場合、退職時の GDP は 156.7、死亡時の GDP は 190.9 である。一
方、毎年の成長率が 3%の場合、退職時と死亡時の GDP はそれぞれ 378.23 と 683.0 に
なる。満期が訪れた定期預金を引き下ろさずに預金し直すと、利息が利息を生み、長
1
い間には非常に大きな金額になる(これを複利と呼ぶ)。上記の結果はそれと同じこ
とである。
一国の GDP と国民一人ひとりの所得が一対一で対応しているわけではないが、GDP
が長い間伸び悩んでいる一方で多くの国民の賃金が増加するということは考えにく
い。したがって国民の生活水準が目に見えて上昇するためには、ある程度の経済成長
が不可欠である。しかし後述するように、GDP が増加しても国民の所得がそれと同じ
比率で上昇するとは限らないことに注意が必要である。
動学的現象としての経済成長
それではどのようにしたら経済成長率を高めることができるだろうか。この問題を
考えるために、第 10 章において GDP の説明に用いた生産活動の例に戻ってみよう。
以下の図表 2 は第 10 章の図表 2 を再掲したものである。
図表 2
労
働
・
資
本
・
土
地
・
技
術
農家
生産活動と投入・産出関係
小麦
製粉会社
小麦粉
パン屋
パン
上記の各段階の投入と産出の関係を関数の形で表すと、
小麦  F 労働, 資本, 土地, 技術 
(2)
小麦粉  G 労働, 資本, 土地,技術,小麦
(3)
パン  H 労働, 資本, 土地,技術,小麦粉
(4)
となる。第 10 章において説明したように、右辺の独立変数のうち、労働や資本など
2
は生産要素、小麦や小麦粉は中間投入財(中間財)、最終的な生産物であるパンは最
終財と呼ばれている。
(2)~(4)の三式は全体として三元連立方程式になっている。ここで(2)式を(3)式に代
入し、さらにそれを(4)式に代入して一本の式にまとめると
パン  I 労働, 資本, 土地,技術 
(5)
となる。この例から分かるように、一国の GDP を決めるのは生産要素であり、原材
料や中間財の量は重要でない。
(5)式の独立変数のうち、土地の量は時間が経っても不変だから、定数とみなして消
去することができる。また、労働や資本の量を測ることは容易だが、技術の量(水準)
をどのように定義したらよいかは自明でない。そこで「同じ量の労働や資本を利用し
ても、生み出される付加価値(GDP)が同じだとは限らない。その値を左右するのが
技術だ」と考え、(5)式を以下のように書き直そう。
Y  A F  K , L
(6)
ここで Y は GDP、A は技術、K と L はそれぞれ資本と労働を表している。これがテキ
スト 471 頁の生産関数である。このように A を定義した場合、それは科学技術や物理
的な生産技術だけでなく、各企業の経営能力や企業・産業間の資本や労働の配分の適
切性なども含む値となる。このような A は(全要素)生産性と呼ばれている。
(6)式によると、一国の経済(GDP)が成長するためには、①資本量(K)が増加す
る、②労働量(L、労働者数ないし労働時間)が増加する、③技術ないし生産性(A)
が上昇する、のいずれかが必要である。一定の条件が満たされる場合1、テキスト 459
頁に示されているように、
経済成長率  技術進歩率(生産性上昇率)
+資本分配率  資本の増加率+労働分配率  労働の増加率
(7)
という関係が成立する。第 10 章で学んだように、一国の GDP は最終的にはそれを生
み出すために使用された生産要素の保有者(提供者)に分配される。ここでいう資本
分配率と労働分配率とは、GDP のうちどれだけが資本と労働の提供者に還元されたか
を表している。国や時期によってこれらの値は異なるが、資本分配率は 1/3 前後、労
働分配率は 2/3 前後であることが多い。
次に、(6)式を労働人口 L で割ると、
1
この条件が成立する理由を正確に説明するには微分の知識が必要になるので、ここでは省
略する。
3
F  K , L
Y
 A
L
L
(8)
という労働者一人当たりの生産量を表す式になる。以下では労働者一人当たりの実質
GDP と資本の量を意味する Y / L と K / L をそれぞれ y と k と書き、(7)式を
y  A f k 
(9)
と書くことにしよう。具体的な例を挙げると、たとえば F ( K , L)  K L1 の場合、
f ( k )  F ( K , L) / L K L1 / L K L  ( K / L)  kである。(9)式によると、労働者一
人当たりの GDP(生産量)が増加するためには、①各人が使用できる資本の量(資本
装備率)が増加する、②生産性が上昇する、のいずれかないし両方が必要である。
ここで上記の L が総人口ではなく労働人口(ないし労働量)であることに注意して
おきたい。一国には未成年者や高齢者、子育て中の人など、就労の能力や意思のない
人もいる。日本の総人口の中でこうした人々は約半分を占めているので、日本の GDP
を国民全員で分ち合うとすると、その値は(8)式の値よりかなり小さくなる。
ここで総人口を P と書くことにすると、国民一人当たりの GDP は
Y L Y L
   y
P P L P
(10)
となる。高齢化が進む日本では 1990 年代末から上記の L / P が減少し始め、今後もそ
れが続くことが確実である。したがって y が十分に増加しない限り、国民一人当たり
の GDP は減少する。
資本蓄積と経済成長
それではどうしたら y を増やすことができるだろうか。k が高まると y が増える以
上、機械や建物などの物的資本への投資を増やせばよいと思われるかもしれない。し
かしこれは必ずしも正しくない。このことを理解するために、図表 3 を見てみよう。
この図では、横軸に k、縦軸に y をとっている。機械や建物はある程度まで人間の代
役を果たしうるが、ヒトがまったく増えない状態でこうした物的資本だけ増やしても、
いずれは生産効率が上がらなくなるだろう。そこで A f (k ) は傾きが逓減する曲線と
して描いている。
機械や建物はタダではなく、それを生産する際にも更新する際にも費用がかかる。
仮に既存の資本が毎年 a%の比率で毀損してゆくとすると、それを修繕したり更新し
たりして維持するために a  k の資源が必要となる。したがって k の値を一定に保ちな
4
がら毎年の生産活動を行った場合、生産物の中で消費に回すことができるのは図表 3
の A f (k ) の曲線と a  k の直線の距離の分だけである。(翌年までに k を増やそうと
する場合、消費量はさらに減少する。)この図を見ると気づくように、k が非常に低い
状態からそれを高めてゆくと、ある水準までは消費量が増加するが、その後は減少す
る。したがってそれ以上の投資は過剰投資である。
図表 3
資本装備率と一人当たり GDP、消費の関係
y
消費
(の最大値)
資本の更新費用
0
k*
k
一方、(9)式の A に理論的な上限値はない。図表 3 において A が上昇して A’になる
と、図表 3 の A f (k ) の曲線がすべての点で同じ比率だけ上方向にシフトする。A の
場合と A’の場合を比較すると、後者の消費量が常に大きいだけでなく、消費量が最大
になる k の値も高くなる。これらのことから、①設備投資だけを頼りに経済成長を目
指してもうまくゆかない、②持続的な成長には技術(生産性)の上昇が必要、③生産
性が上昇すると自然に設備投資への意欲も高まる、ことが分かる。
テキスト 462 頁に示されているように、ある年に設備や建物への投資が行われると、
総需要の増加によってその年の GDP が増えるだけでなく、資本量が増加することに
より、翌年以降の GDP も増加する可能性がある。このように投資が時間差を伴って
一国の需要と供給の両方に影響を与えることは投資の二面性と呼ばれている。
政府が企業の設備投資や家計の住宅投資を促進する場合、短期的な需要の増加を意
図していることが多い。しかしそれをやりすぎると過剰投資となり、長期的な国民の
生活水準はむしろ下がってしまう。労働人口が減少している国が既存の資本をそのま
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ま更新した場合、 k  K / L の K が同一で L が減少し、k は上昇する。したがって今後
の日本では投資不足より過剰投資の危険性に注意すべきである。
持続的な経済成長と政策
(9)式の A や f (k ) を直接計測することはできないが、これらの大きさを推量するこ
とは可能である。以下では i 国の y と A、 f (k ) をそれぞれ yi 、 Ai 、 f (ki ) のように添
え字をつけて表現することにする。そして i 国と j 国の各項の値の比率をとり、
yj
yi

(a)
Aj
Ai
(b )

f (k j )
(11)
f (ki )
(c)
という式を考える。上記の(a)項は GDP と労働人口の統計から直接計算することがで
きる。(c)項の k i と k j も算出できるので、 f (.) の関数の形さえ決めてやれば、(c)項全体
の値も一応計算可能である。そうして(a)項と(c)項の値が求められれば、前者を後者で
割ることによって(b)項の値を計算することができる。
図表 4
国名
アメリカ
ノルウェー
イギリス
カナダ
日本
韓国
トルコ
メキシコ
ブラジル
インド
ケニヤ
マラウィ
生産性と一人当たり生産量の関係(2009 年)
(a )
(b )
1.00
1.12
0.82
0.80
0.73
0.62
0.37
0.35
0.20
0.10
0.03
0.02
(c )
1.00
1.04
1.03
0.88
0.70
0.64
0.68
0.56
0.42
0.31
0.14
0.09
1.00
1.08
0.80
0.91
1.04
0.97
0.54
0.63
0.48
0.32
0.23
0.21
(資料)David N. Weil, Economic Growth (3rd ed.)、206ページ。
図表 4 は、i 国をアメリカ、j 国を日本を含むさまざまな国々として(11)式の計算を
行った結果を示したものである。この表を見ると、(c)項の値が低い国は(b)項の値も低
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い傾向があること、すなわち、資本の蓄積が不十分な国は技術(生産性)の水準も低
いことが分かる。ただし日本では(c)項の値が高いにも関わらず(b)項の値が低く、それ
がアメリカやその他の先進諸国に比べて一人当たり実質 GDP が振るわない主因にな
っている。このことからも将来の日本が投資主導の経済成長を目指すべきでないこと、
A の水準を高めることが重要なことが分かる。
日本の A が他の先進国に比べて高くないのはなぜだろうか。A には純粋な科学技術
も含まれるが、今日の日本においてそれが不足しているとは考えにくい。他の可能性
として考えられるのは、k で表された物的な資本や労働者、その他の生産要素(土地)
などが有効に活用されていないことである。先に(2)式を(3)式、(3)式を(4)式に代入す
ることによって一国全体の生産関数を導出したが、こうした操作は個々の企業間で生
産要素が適切に配分されていることが前提になっている。たとえば図表 2 において製
粉会社が人手不足、パン屋が過剰雇用になっている場合、一連の生産活動の中で製粉
がボトルネックとなる。その場合、一国全体の労働人口が同一でも、GDP は減少して
しまうだろう。
もちろん、どの国でも労働や資本、土地などが十分に活用されているとは限らず、
日本において上記の問題がとりわけ深刻だと言えるかどうかは明らかでない。しかし
第 5 章の補足資料で解説したように、日本に特有な終身雇用制度や年功賃金制度は明
らかに労働者の組織間移動を抑える効果を持っている。また、各企業がいったん備え
付けた設備や建物を個別に処分するのは手間がかかるため、資本の適材適所を維持す
るためには、企業の買収を通じて生産性の低い企業から高い企業へと生産要素を移転
させるしくみが必要である。しかし日本では他社に買収されることを嫌う経営者が多
く、従業員もそれを望まないことが多い。これは日本において企業が生産活動を効率
化するための社会的制度というより「経営者と従業員の生活共同体」だと考えられる
傾向があるためである。
上記の点は、政府が日本経済の発展のために何をすべきかを考える上で重要である。
今日の日本の A の値が必ずしも高くないことが科学技術の不足だとすると、それを上
昇させるために高等教育や研究開発を促進すべきだということになるだろう。しかし
政府の法制や税制が既存の生産要素の有効活用を阻んでいるとすると、それらを撤廃
するか見直すことが先決となる。前者の政策を「足し算の政策」と呼ぶとすると、後
者の政策を「引き算の政策」と呼ぶことができる
安倍晋三首相率いる現政権は 2013 年に「日本再興戦略」という文書を発表し、そ
れにもとづいて一連の成長政策を実施している 2。しかしこの文書を見ると、先に望
2
「日本再興戦略」は 2014 年 6 月に改訂版が発表された。一連の文書は首相官邸ホームペー
ジで閲覧することができる(http://www.kantei.go.jp/jp/headline/seicho_senryaku2013.html)
。
7
ましくないと述べた k を増やすことを意図した政策が多く、それ他の多くは上記の「足
し算」の政策である。「足し算の政策」は何らかの形で財政支出を伴うことが多く、
その対象となる国民には歓迎される。一方、「引き算の政策」は必ずしも財政支出を
必要とせず、赤字財政が続く日本政府にとって優先すべき政策である。しかし規制緩
和や競争促進を意味するこの種の政策には多くの国民が反発し、政治家が自分の票田
に利益誘導を行う目的で利用することも難しいため、敬遠される傾向がある。
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