プレス発表資料

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平成26年 9月16日
琉
球
大
学
ゲノム多様性データから明らかになった先史琉球列島人の移動
における取材について
琉球大学大学院医学研究科人体解剖学講座の佐藤丈寛博士研究員(学振P
D)、木村亮介准教授と北里大学医学部解剖学研究室の太田博樹准教授を中心と
して統計数理研究所などで構成される共同研究グループは、現在の琉球列島に
住む人々の遺伝的多様性とその成り立ちを、ヒトゲノム多様性データから初め
て明らかにしました。本研究成果は分子進化学の国際専門雑誌「Molecular
Biology and Evolution」にオンラインで掲載されております。
沖縄諸島出身者、宮古諸島出身者、八重山諸島出身者から DNA を採取し、ヒ
トゲノム全域に分布する単一塩基多型(SNP)と呼ばれる変異を分析しました。
その結果、沖縄諸島の人々と宮古諸島の人々の間に明確な遺伝的分化が認めら
れました。これは宮古諸島の人々の祖先が少人数の集団であったことを示して
います。また、沖縄、宮古、八重山のいずれの人々も大陸の集団のみならず、
台湾の先住民と遺伝的な繋がりが無いことも明らかになりました。
宮古・八重山諸島の人々は古くても 1 万年前よりも後の時代に沖縄諸島から
移住したと推定されました。このことは、ピンザアブ洞穴人や白保竿根田原洞
穴人などの2∼3万年前に宮古・八重山諸島に住んでいた人々が現代の宮古・
八重山諸島の人々の主な祖先ではないことを示しており、琉球人の由来を考え
る上で重要な発見になるものと思われます。
記
日
時:
問い合わせ先まで随時ご連絡ください
【問い合わせ先】
琉球大学大学院医学研究科人体解剖学講座 准教授
木村亮介
電話:098−895−1211, FAX:098−895−1400
E-mail:[email protected]
北里大学医学部解剖学講座
准教授
太田博樹
電話:042−778−9022, FAX:042−778−9022
E-mail:[email protected]
2014 年9月16日
国立大学法人 琉球大学
ゲノム多様性データから明らかになった先史琉球列島人の移動
研究の内容
琉球列島は、東西およそ 840km、南北およそ 610km の広範囲に分布する島々からなります。沖縄諸
島と宮古諸島を隔てるケラマギャップと呼ばれる海峡は幅およそ 260km に達し、先史時代の琉球はこ
の海峡を境に異なる文化圏を形成してきました。このような地理的・文化的要素は琉球列島内でのヒト
の移動を制限し、地域ごとに独自の遺伝的特徴を育んできたと推測されます。しかし、琉球列島の
人々における遺伝的分化については、これまで全ゲノムレベルの大規模な研究はありませんでした。
本研究グループは、沖縄諸島出身者、宮古諸島出身者、八重山諸島出身者から DNA を採取し、およ
そ 60 万個の単一塩基多型(SNP)(注1)を解析しました。得られたデータを近隣集団のゲノムデータと比
較した結果、沖縄・宮古・八重山集団は互いに祖先を共有する近縁なグループであることが分かりまし
た(図 1)。また、琉球列島の人々と台湾先住民は別系統の集団であり、地理的に隣接する八重山諸島
の人々ですら台湾先住民との間に直接の遺伝的な繋がりは無いことが明らかになりました(図 1)。琉
球列島内の集団の構成を詳しく調べるために、多変量解析の代表的な手法の一つである主成分分析
を行った結果、沖縄諸島の人々と宮古諸島の人々がそれぞれ異なる遺伝的集団を形成し、八重山諸
島の人々が両者の中間に位置するというパターンが観察されました(図 2)。これは東から沖縄諸島、
宮古諸島、八重山諸島と並ぶ地理的な分布とは矛盾します。宮古集団のヘテロ接合度(注 2)は沖縄集
団や八重山集団よりも低かったことから、宮古集団は集団サイズが比較的小さく、それによって大きな
遺伝的浮動(注 3)を経験してきたことが、他集団からのより顕著な分化の原因になったと推測されます。
さらに、宮古・八重山諸島の人々の祖先がいつ頃沖縄諸島から移住してきたのかを複数のモデルを
立てて検証しました。想定したモデルに依存して年代は変化したものの、古くても完新世(1 万年前以
降)に移住が起こったと推定されました。宮古・八重山諸島ではピンザアブ洞穴人(2 万 6 千年前)や白
保竿根田原洞穴人(2 万年前)といった更新世人骨が発見されており、彼らが現在の宮古・八重山諸島
の人々の祖先なのか度々議論されてきましたが、本研究の結果は、これらの更新世人が現在の宮古・
八重山諸島の人々の主要な祖先ではないことを示しています(図 3)。一方、港川人(1 万 8 千年前)と
現在の琉球列島の人々との遺伝的関係については本研究で明確に否定することはできませんでした
が、琉球列島の人々と漢族が分岐した年代が縄文時代以降であると推定されたことから、港川人もま
た沖縄諸島の人々の主要な祖先ではない可能性が高いものと思われます。この点については、今後
さらなる精査が必要となります。
本研究で得られたゲノム多様性データは、琉球列島の人々の成り立ちを明らかにする上で貴重なも
のであり、琉球列島の人々と本土日本の人々の間に存在する形質の違いなどの遺伝的基盤を明らか
にする上でも有益な情報となることが期待されます。
(注 1)
(注 2)
ゲノム塩基配列中にみられる変異のうち単一の塩基が変異したもの
集団の遺伝的多様性を示す尺度。ある集団から任意の 2 つの対立遺伝子を取り出したとき、
その 2 つが異なる確率。
(注 3) 生物集団において、対立遺伝子頻度が偶然性によって変化する現象。集団中の各個体が繁
殖可能な年齢まで生き残り、繁殖に成功するかどうかは偶然によって左右されるため、ある
世代の対立遺伝子は親世代の対立遺伝子からのランダムサンプリングとみなすことができる。
遺伝的浮動の効果は集団を構成する個体数が少ないときに大きくなり、集団を構成する個体
数が多いときに少なくなる。
論文原題
Genome-wide SNP analysis reveals population structure and demographic history of the Ryukyu
Islanders in the southern part of the Japanese Archipelago
発表雑誌名
Molecular Biology and Evolution, Oxford University Press (doi:10.1093/molbev/msu230)
図 1. 琉球列島の人々と近隣集団との系統関係。集団名の略称は以下の通り。沖縄・宮古・八重山の 3 集団は祖
先を共有する近縁な集団であり、台湾先住民とは地理的に隣接するにも関わらず別系統の集団であることが分か
る。CEU:ユタ州のヨーロッパ系アメリカ人、AM:台湾のアミ族、AT:台湾のアタヤル族、CHB:北京の漢族、KR:韓国人、
MJ+JPT:本土日本人、YE:八重山諸島の人々、MY:宮古諸島の人々、OK:沖縄諸島の人々。
図 2. ゲノム多様性データを用いて主成分分析を行った結果。横軸は第 1 主成分得点、縦軸に第 3 主成分得点を
示す。第 3 主成分に沿って沖縄諸島の人々と宮古諸島の人々が異なるグループを形成し、両者の間に八重山諸
島の人々が位置している。集団の略号については図 1 の説明を参照。
図 3.本研究結果と考古学的知見等をもとに推測した琉球列島の人々の成り立ち。更新世の琉球列島には港川
人(沖縄本島、1 万 8 千年前)、ピンザアブ洞穴人(宮古島、2 万 6 千年前)、白保竿根田原洞穴人(石垣島、2 万年
前)などが居住していたが、本研究では現在の沖縄諸島の人々と宮古・八重山諸島の人々の祖先は古くても完新
世(1 万年前以降)に分岐したと推定された。このことから、現在の宮古・八重山諸島の人々と更新世の人々との間
に遺伝的な繋がりは無いか、あったとしても極めて薄いと考えられる。また、琉球人と漢族の分岐が縄文時代以降
(およそ 1 万 5 千年前以降)であると推定されたことから、現在の琉球列島の人々と港川人との間にも遺伝的な繋
がりは薄い可能性が高い。しかしながら、この点については今後も精査が必要である。