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地方創生
緊急提言
Vol. 7
発行元 未来創発センター
観光産業の振興による地方創生の可能性と
課題、課題解決に向けた方向性
観光産業の振興による地方活性化は、地方創生の方策の一つとして期待
が寄せられている。近年の訪日外国人の急激な増加は明るい話題ではあ
るが、日本人旅行者も含めた観光産業全体の市場規模の推移は好調とは
言い難い。本稿では、観光産業の振興による地方創生の可能性と、その
実現に向けた検討事項を紹介する。
社会システムコンサルティング部
グループマネージャー
岡村 篤
地方創生の柱の一つとして期待が
寄せられる“観光産業”の現状
地方創生の取り組みが本格化する中、観光産業へ
円や金属製品製造業約 14.0 兆円を上回っている。ま
た日本の基幹産業である輸送用機械製造業約 65.6
兆円の約 1/3 の水準となっている。なお観光庁にお
いて、国内観光消費額約 22.5 兆円を基点とした生産
の期待はかつてないほど大きくなっている。相対的
波及効果(いわゆる経済波及効果)は約 46.7 兆円、
に産業インフラに乏しい地方部にとって、地域の自
その雇用誘発効果は約 399 万人分と推計されている。
然や文化、観光資源等を活用することで域外からの
次にその成長性を検証する。訪日外国人数は 2013
消費を獲得することが可能な観光産業に期待が集ま
年に 1,000 万人台に達し、2014 年には約 1,341
るのは自然な流れと言える。
万人に達する等、好況を伝える報道を目にする機会
では、産業分野として見た観光産業はその期待に
も多く、右肩上がりの印象を持つ方も多いのではな
応えることが可能なのであろうか。そもそも日本標
いだろうか。しかし、国内旅行消費額全体の統計数値
準産業分類に「観光産業」という部門は存在しない。
を見ると必ずしも右肩上がりとは言い難い。
「観光産業」は特定の商品・サービスを供給している
統計数値の公表時期に差異があるため 2013 年以
わけではなく、宿泊事業者や交通事業者、飲食店や小
降については一部“未定”数値があるが、概ね過去
売店等、幅広い産業分野に薄く広く拡がっている特
10 年の日本国内における旅行消費額の推移を整理し
性を有することがその原因である。よって、他産業と
たのが図表 2 である。国内旅行消費額は 2006 年の
の正確な横比較は難しいものの、仮に観光庁が公表
約 30.1 兆 円 を ピ ー ク に 減 少 を 続 け、2011 年 の
している 2012 年の国内旅行消費額と同年の他産業
22.4 兆円まで 5 年間で約 25%減少している。2011
総供給額を比較したのが図表 1 である。
年は東日本大震災の影響が大きいとは言え、2010
2012 年時点の国内旅行消費額は約 22.5 兆円と
なっており、同年の農林水産業の総供給額約 19.2 兆
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年までの推移からも減少傾向は顕著といえる。
前述した訪日外国人の消費は 2011 年以降急拡大
2015. APR. Vol.7
図表 1 日本の観光産業(消費額)と他産業(総供給額)の規模比較【2012 年】
出所)内閣府「国民経済計算、フロー編(付表)
、財貨・サービスの供給と需要」
観光庁「旅行・観光産業の経済効果に関する調査研究」 より NRI 作成
図表 2 日本国内における旅行消費額の推移
出所)観光庁「旅行・観光消費動向調査」等 より NRI 作成
を遂げ、2014 年には 2011 年比約 2 倍に相当する
なお、仮に訪日外国人旅行者数が2020年に2,000
過去最大の約 2 兆円に達している。円安の影響も大き
万人、2030 年に 3,000 万人を達成し、かつ 1 人あ
いものの、極めて好調な推移と言える。しかし、訪日
たり消費額を 1.25 倍・1.5 倍に増加したという仮定
外国人の旅行消費額が旅行消費額全体に占める比率
で各年の訪日外国人消費額を推計した結果が図表 3
は 2012 年時点で約 5.7%となっている。急成長を
である。
遂げているとは言え、マーケット全体に及ぼす影響
は限定的と言わざるを得ない。
国際観光収入の対 GDP 比* 1 はフランス及びイタ
リアで約 2%、イギリスで約 1.5%となっていること
2015. APR. Vol.7 02
図表 3 2020 年・2030 年旅行消費額シミュレーション* 2
2020 年(2,000 万人)
2030 年(3,000 万人)
1 人あたり消費額 1.25 倍
3.8 兆円
4.5 兆円
1 人あたり消費額 1.50 倍
5.6 兆円
6.8 兆円
を鑑みれば、図表 3 のシミュレーション結果を達成す
策を見ると、多くの場合、域内の自然や歴史的建造
る可能性もあると考えられる。人口減少局面にある
物・文化財あるいは祭りやイベント等が羅列されて
日本にとって、訪日外国人の消費額は現状だけでな
おり、それらの資源を対外的に PR することで誘客を
く将来性も含めて捉えることが適切と言える。
図る、といった内容に留まっている。
もちろんその方向性自体が誤っているわけではな
地域の観光振興施策の課題
∼地域間競争に勝ち残るための打ち手∼
いが、観光施策・観光振興に戦略性が欠如している
ことが問題である。域内の観光資源は、どのような顧
客層に対して訴求するものなのか、また類似の観光
急成長しつつもその影響は限定的な訪日外国人
資源・観光地と比較し何を訴求するべきなのか、さ
マーケットと、中長期的に縮小傾向にある日本人マー
らにターゲットとして設定した顧客層にどのような
ケットから成る観光産業は、地方創生の柱の一つに
チャネルを通じてアプローチするのか。これらの根
は成り得ないのだろうか。少なくとも日本国内のあ
本的な戦略が欠如している自治体が多く見られる。
らゆる地方部が観光産業の振興によって、経済成長
つまり、マーケット・顧客が求めるものではなく、自
と雇用創出を実現する将来像は望めない。
地域として“見せたいもの・提供したいもの”を PR
しかし、国内の観光振興施策を見ると、様々な課題
しているだけ、という自治体が多い。日本人旅行者向
を抱えている地域が多く存在する。その課題を解決
けの観光情報 Web サイトを英訳しただけの外国人
し、明確な戦略に則った振興策を展開することがで
向け観光 Web サイトはその端的な例と言える。日本
きれば、パイ全体の大きな伸びは期待できない観光
人マーケットと外国人マーケットではニーズ・ウォ
マーケットにおいても、そのシェアを大きく伸ばす
ンツは異なるはずであり、PR すべき資源やその手法
ことは可能と考えられる。言いかえれば、競争に勝ち
も自ずと異なるはずである。
残った地域のみが観光産業を地方創生の柱に据える
ことができる。
個別企業の取り組みで成り立つ産業においては企
業が戦略を立案し、その出来・不出来が企業の業績
では、地域が抱える観光振興施策の課題にはどの
に直結する。しかし、冒頭に記載したように、観光産
ようなものがあるのか。ここでは代表的な 3 点につい
業は様々な産業部門に属する事業者が広く・薄く関
て考察を行う。
わる特殊な産業構造であることから「観光産業」とい
■ 戦略性ある観光振興策構築の必要性
う産業分類は存在しない。。したがって、観光産業に
おける戦略立案主体は自治体やコンベンション
これまで多くの地方部において、
「観光産業」とい
ビューロー、観光局等の公的主体となる。そのため、
う言葉は使われているものの、本当の意味で“産業”
地方部における観光産業の成長・衰退は自治体をは
として観光を捉え、その振興を戦略的に推進してき
じめとする公的主体の戦略立案能力にかかっている
たのだろうか。例えば、自治体の観光戦略や観光振興
といっても過言ではない。
* 1 観光収入は外国人客の消費額のため、国・地域の付加価値の合計額である GDP とは概念が異なる。あくまで規模の比較として用いている。
数値は“UNWTO Tourism Highlights, 2013 Edition”より NRI 推計。
* 2 NRI として 2020 年・2030 年に訪日外国人数 2,000 万人・3,000 万人を達成、1 人当たり消費額が 1.25 倍・1.50 倍に増加すると予測
しているわけではない。あくまで上記条件下におけるシミュレーション
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2015. APR. Vol.7
■“金”の落ちる仕組み構築の必要性
従来から「素通り型観光」から「滞在型観光」への
転換の重要性は認識されてきた。しかし、
「滞在型観
「観光振興の効果が出て観光客が多数訪れるように
光」を長期滞在型観光・ロングステイと極端に捉え、
なったものの、地域産業・地域経済の活性化に繋がっ
国内観光マーケットの開拓を目指す自治体も散見さ
ていない」
、このような相談を受けることも多い。い
れる。数週間∼1 カ月程度の長期休暇を取るヨーロッ
わゆる「素通り型観光」の問題である。地域の自然や
パでは、長期滞在型観光も普及しているが、日本人の
歴史文化を多くの域外客に体験してもらうこと自体
国内観光マーケットの中心は 2 泊以下の短期滞在が
を否定するわけではないが、そこに“金”の落ちる仕
占めるシェアが圧倒的に大きい。逆に 5 泊以上のシェ
組みを作らなければ、観光産業の振興にはならず、地
アは極めて小さい。
方創生の推進には繋がらない。
国内観光消費額で圧倒的なシェアを有する日本人
図表 4 日本人国内旅行消費額の内訳(2013 年) 単位:億円
出所)観光庁「旅行・観光消費動向調査」 より NRI 作成
図表 5 日本人国内旅行(観光・レクリエーション目的)消費額の内訳(2013 年) 単位:億円
出所)観光庁「旅行・観光消費動向調査」 より NRI 作成
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マーケットで“金”が落ちる仕組みを作るには、極め
環境といった観光資源だけが立地する地区では、観
て小さな長期滞在ニーズの取り込みを狙うのではな
光客が増加することにより、その保全に係る費用が
く、
「泊まる」
「食べる」
「買う」のいずれかのニーズを
増加する一方で、観光消費を取込む手段が少ないこ
地域に取り込むことを目指すべきである。最初に狙
とから収入はあまり増加しない。土産物店等を増や
うべきは消費額の大きい「泊まる」だが、近郊に大き
すことも一案ではあるものの、歴史的建造物や自然
なホテル集積を有する大都市や一大観光地を抱える
環境豊かな地区への無計画な商業施設の集積促進は
地域も存在する。その場合は、
「食べる」
「買う」にター
観光地としての魅力喪失に繋がりかねない。結果と
ゲットを絞るのも手と言える。近郊の宿泊地からど
して保全費用の負担増を賄い切れず、観光資源の価
のように観光客の誘客を図るのか、またどれだけの
値や魅力が失われてしまえば、観光圏全体の集客力
時間滞在させるための観光コンテンツを備えれば「食
低下を招く可能性もある。
べる」を域内で誘発できるのか、といった方策を検討
このような事態を回避するためには、観光圏全体
すべきだろう。例えば、近郊の宿泊地から朝市等で観
としての受益者負担のあり方を検討する必要がある
光客を集めて「買う」を取り込み、さらに域内観光資
だろう。例えば、実現のハードルは極めて高いが、観
源を結ぶ 3 時間程度の観光ルートを組成・普及し昼
光客が落とす宿泊費や飲食物販費の一定比率を市町
食時間帯までの滞在を促すことで「食べる」も取り込
村・県の境を越えて、同一観光圏内の観光資源保全
む、といった方策が想定される。
費用の一部に充てる仕組みの考案・導入等が挙げら
■ 観光圏のさらなる深化の必要性
観光庁では、2008 年に制定された「観光圏の整備
による観光旅客の来訪及び滞在の促進に関する法律」
(観光圏整備法)に基づき、
「自然・歴史・文化等にお
れる。
課題解決の方向性
∼ICT・ビッグデータの活用∼
いて密接な関係のある観光地を一体とした区域」を
上述した、
「戦略性ある観光振興策構築」
、
「
“金”の
観光圏と定め、観光客が滞在・周遊できる観光地域
落ちる仕組み構築」
、
「観光圏のさらなる深化」という
づくりを推進している。2013 年及び 2014 年には
観光産業振興の課題を解決することは容易ではない。
観光圏整備実施計画認定地域としてそれぞれ6地域・
第一に、解決に向けた検討に必要なデータが存在し
4 地域の認定を行い、市町村・県域を超えた観光圏の
ないことが挙げられる。しかし、近年の ICT の進化に
整備を促進している。観光客にとって、市町村や県の
よって、必要なデータの一部については活用に向け
境目は行動パターンに影響を及ぼすものではなく、
た整備が進められている。
むしろ観光地域としての一体性を重視した観光圏の
例えば、観光庁では GPS を用いた位置情報データ*3
取り組みは必要不可欠であり、観光圏としての地域
を用いて、観光圏等における日本人観光客* 4 の時間
づくりを推進する重要性に議論の余地はない。
毎の滞在状況や観光地間の周遊パターン等の分析を
ただし、この観光圏の取り組みをより深化させる
実施している。これまで把握が難しかった、観光圏内
上で、圏内での観光客受入に係る受益・負担のあり
に複数存在する観光エリア間の周遊状況や、観光エ
方は今後の検討課題と言える。観光圏内で“金”が落
リア内での滞在時間、時間帯ごとの観光客滞在量等、
ちるのは、
「泊まる」を取込む宿泊地区や、
「食べる」
上述した課題解決に必要な基礎データの収集・分析
「買う」を取込む商業地区となるのが一般的である。
しかし、例えば、集客力を有する歴史的建造物や自然
が可能であることが明らかとなった。
また同じく観光庁では外国人の携帯ローミング基
* 3 調査に用いたデータは個人の特定が不可能な統計データのみ。個人情報に関わるデータには一切触れていない。
* 4 正確には、特定の国内携帯キャリアと契約を結び特定のアプリケーションを利用している国内在住者。
* 5 正確には、日本国内において特定の国内携帯キャリアのローミングサービスを利用している海外在住者。
05 2015. APR. Vol.7
2015. APR. Vol.7
地局データ* 3 を用いて、観光圏等における外国人旅
行者 * 5 の時間帯ごとの滞在量の把握を行っている。
これまで、宿泊統計等によって域内に宿泊している
外国人旅行者数は概ね把握することが可能であった
が、莫大な費用を投じて大規模かつ長期間にわたる
アンケート調査を行わない限りは日中の各時間帯に
域内にどれだけの外国人旅行者が滞在しているかを
把握することは不可能であった。当該調査では、過去
にさかのぼって、域内外国人旅行者滞在数を 1 時間毎
に推計することが可能で、かつ一定数の外国人旅行
者が訪れる地域であれば、出身国・地域別の分析も
可能となることが明らかとなった。
これらの手法以外にも、SNS 上の“つぶやき”等、
ICT が進化したことによって蓄積が進むビッグデー
タは数多く存在する。これまで情報が少ないことが原
因で、進んでこなかった観光産業におけるマーケティ
ングも、ビッグデータを上手く活用することで、その
高度化が大いに期待される。地方創生の柱に観光産業
を据えるのであれば、これらビッグデータを活用した
マーケティング高度化は必須と言えるだろう。
ただし、現時点では課題も存在する。上記 2 調査に
おいては、個人情報保護の観点から男女や年代といっ
た属性情報を扱うことができず、クロス分析等を実施
することは出来ていない。ビッグデータは高いポテン
シャルを有している一方で、その利活用に関するルー
ルは作成段階にある。今後そのルールの明確化が進む
ことで、さらなる利活用の広がりが期待される。
おわりに
観光による地方創生を検討する際、まずはその市
場規模やその動向を十分に見極める必要がある。必
ずしも右肩上がりとは言えない市場において、シェ
アを拡大するためには、何らかの差別化戦略が必要
とされる。本稿で紹介した ICT・ビッグデータの活
用は、あくまでも現状を正確に把握するためのツー
ル、あるいは施策実施前後の変化を把握するための
ツールである。現状や変化を正確に捉え、どのような
“次の一手”を打つかは、各地域の創意工夫に委ねら
れている。
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