Title Author(s) Citation Issue Date Type 古文書からわかる被害の状況と復興の努力 渡辺, 尚志 サイスモ, 11(3): 10-11 2007-03 Journal Article Text Version publisher URL http://hdl.handle.net/10086/18160 Right 図1 「信濃国浅間山大焼之図」 浅間縄文ミュージアム提供 ; 写真1 日本大学文理学部地球システム科学教室 安井真 也講師撮影; 図2「浅間焼吾妻川利根川泥押絵図」 群馬 県立歴史博物館所蔵 Hitotsubashi University Repository > L ∫・ ∴■ その十八の弐 天明浅間山噴火 ( 1 7 83年) , / 1 ' )〓 . . I . . . I.・- 古文書からわかる 被害の状況と復興の努力 渡辺 尚志 浅 間山 は 日本 の代 表 的 な活火 山で あ り、古来 あ またの噴火 を繰 り返 して きま 激 しく降 りました。山腹 では火砕流や したが、その中で ももっ とも大規模 な噴火 の一つ が天明3年 ( 1 783)の もので し 溶岩が流下 し、現在観光地 として知 ら た。ここで は、古文書 か らわか る被害 の状況 と、人 々の復興 に向けた努力 につ い れる 「 鬼押 出 し」はこの時 に形成 され て紹介 します。 ました。 一 偵「 旧 2 \・ ; 噴火でどのような 々Vr =/ rp h ! r : . .] ] 「 .: 二 : ・ ・: ; IiE L T£ / ) JT 二 二> ノ I 被害が生じたか この噴火 は、周辺地域 に大 きな被害 をもた らしました。 かんは ら 第 1に、鎌原火砕流/岩屑 なだれ ( 浅 間山北菜の鎌原村 を襲 った、火砕流 と 軒 七 三 岩屑 なだれ 〔 山体が岩 なだれ となって i ・ . J ・ ㌔ 7 . . .- 牽 遠 て帽 等話, ・ ・ t ∴ ■ きL ! . . 一 考 . ■ `二 日= ■ 丁- 二 流下す る もの〕の両方の特徴 を併せ持 「 弓 ≡‡慧 った流下物)と、それが吾妻川 ・利根 川 に大量 に流入 して起 こった洪水 ・泥 流 による、人命 と家屋 ・耕 地 にかかわ る被害があ ります。火砕流/岩屑 なだ れ と泥流 は、人畜 ・家屋 を一瞬 に押 し 流 し、流域の田畑 を埋 め尽 くして泥の 荒野 に変 えま した。 坤 こ 頑pf 第2に、より広域 にわたる被害 として、 J L L ' ・ : 1 . , - 火 山灰 や軽石 の 降下 に よる農作 物 や 人家への被害があ りました。降灰 によ って作 物が枯 れ、また積 もった灰 ・砂 図1 「 信沸国浅間山大焼之図」 1 7 8 3 味火の最盛期の状況を描いた絵図( 中央防災会吉 羨災害教訓の継承に関する専門調査会 r 天明浅間山峡火報告書J口絵8、 丸山憲一氏所蔵、 浅間縄文ミュージアムフイルム提供) を除去 しなけれ ば以後 の収穫 は期待 で きませ んで した。灰 ・砂 の重 みで傾 いた り、焼 けた軽石 が当たって破損 ・ 天明浅間山噴火とは 渡辺 満志 ( わたなべ ・ たかし)氏 東京大学大学院人文科学研究科博士課程 単位取得退学。博士 ( 文学 ・東京大学)0 国文学研究資料館助手などを経て、現在 一橋大学大学院社会学研究科教授。日本 近世村落史を専攻。著書に r 浅間山大喰火J ( 吉川弘文館)、「 江戸時代の村人たちJ( 山 川出版社)などがある。 E I S M O2007年3月号 1 t. t l 炎上 した家 も多数あ りま した。 第 3に、震動 ・山鳴 り ・雷 鳴 な どが 天明3 年の噴火 は旧暦 4 月 9日 ( 新暦 あ ります。これは、震動 に よる物 の落 5月 9日)に始 ま り、6月下旬 か ら噴火 下 とい った物 質 的被 害 もさる こ とな の額度が増 して きま した。7月 5日 ( 8 が ら、山鳴 り・ 雷鳴などの大音響が人々 月2日)か らは激 しい噴火 と火砕流 ( 高 に与 えた精神 的不安 ・恐怖が大 きかっ 温の火砕物 と火 山ガス、お よび取 り込 たのです。 まれた空気 が一団 とな り、高速で斜面 第 4に、噴火後 の気候不順 が当時始 を流下す る現象)が繰 り返 し発生す る まっていた天明大飢健 に拍車 をかけ、 8月 4日)夜 か ら ようにな り、7月7日 ( 百姓-挟 を引 き起 こ し、幕府老 中田沼 翌朝 にか けて噴火 の最盛期 を迎 え ま 意次 の失脚 とい う政変 につ なが った した。成層 圏 まで上昇 した噴煙 は偏西 とい う、よ り広 い文脈での社会 的 ・政 風 で流 され、風下では軽石や火 山灰 が 治的影響 を考 える必要があ ります。 [ 1 ・ 1▲ か ん ばら 写実 l 鎌原火砕流/岩屑なだれに含まれていた巨大な岩 ( 中央防災会議報告書26頁写真 1 -7、安井其也 日本大学講師撮影 ) 3 ■ 降灰被害からの i 復興努力 次に、災害後における被災村落の復 興の進み方をみましょう。 まず、幕府は、幕府領村 々に対 して、 食糧 ( 代)・農具代 ・ 家屋建築費 ・ 耕地 た被災者 の多様 な、 時には相反する側面 も含むような要求に あ いかに応えてい くか が問われていたとい えます。救済措置は、 量的に十分であると 再開発費などを支給 し、堤防や用水路 と もに、質 的 に も の復旧工事 を実施 しました。また、幕 個々の被災者の要求 に応えた細やかな配 全国政権の責務 として大名 ・旗本領 を 慮が必要なのです。 も 恨 l , Le r .I, r ] ,▼ Ji グ 出 損 粁 絹 鰯 ▲ ヽ t +7 . _ ∼一 t Z へ J バナ人 ( 什. れ. < 一 山一 t T t一 l ・ L ' _ 、7 t t ・ t, E T ▲ ヽtt _ 叫 一- 様で したが、で きる ■ く I ▲ 7 J ■ 「 ■ ・く 一T r , ▲ ∫ ヽ l ▲ l l にとっては十分満足 で きるものでは 沼 ②の具体的なあ り 方は、村 によって多 暮 も含めた復興対策 を実施 しましたが、 それは村々 ( とりわけ大名 ・ 旗本領村々) ゝ 府領村 々の復旧を進めるだけでな く、 7 弼 がある元の場所での です。大名 ・旗本 もそれぞれ自らの領 復興が追求されまし 地の復興 を進めましたが、小 さい藩や た。その際、人的被 旗本の復興策 は幕府以上 に不十分で 害が甚大ならば、鎌 あ り、村 々の不満 もそれだけ強かt Dた 原村 ( 現群馬県吾妻 のです。江戸時代の政治体制に起因 し 郡嬬恋村鎌原)のよ て、被災地全域に目配 りした統一的復 うに、夫をなくした妻 と妻をな くした 興策 に欠 けるところがあった といえ 夫を再婚 させた りして、家族の再構成 した。村内で救済資金の分配方法など るで しょう。 が行 われることもあ りました。また、 をめ ぐって意見の対立が存在 したこ 一方、村 々の側では、( 》幕府 ・領主 広範囲に荒れ地が生 じたときには、旧 とは事実ですが、他方 こうした非常事 への救済要求 と、( 参自力での復興策の 来の土地所有関係 を白紙に戻 して、村 態に際 しては、村 という共同体が村人 追求、の両者 を並行 して進めました。 人 に均等 に土地 を配分す る場合 もみ の生産 と生活 を守 るために重要 な役 = ◎ ( 丑には、食糧 ・救済資金の下付要求 a ) 図 2 浅間焼吾妻川利根川泥押絵図 吾妻川 ・ 利根 川流域の泥流被 害の様子を描いた江戸時代の絵 図 ( 中央防災会甜報告書口絵1、 群馬県立歴史博物館所載・ フイルム提供) られました。 や復旧工事の実施要求、年貢減免 ・諸 負担免除要求などが含 まれます。村人 たちは要求実現のために粘 り強 く幕府 ・ 領主と交渉 し、また利害の一致する村々 が広域的に適合 して訴訟 を起 こす場 合 もあ りました。 しか し、同 じ被災者 といって も、村 t 限 り父祖伝来の土地 に、相対的に手厚い支援がなされたの ㍗ あ りませんで した。幕府領村 々のほう として復興 を進め ようとい う姿勢で 割 を果た していた ことが江戸時代 の 特徴で した。 4 また、各地の有力者が、村や地域の 贋 芸過程の特徴と ために私財 を提供 して復興 に尽力 し これ以外 にも、耕地 としての復興が ーダー と一般被災者 とが役割分担 し たことも重要です。行政当局 と地域 リ 困難な土地を森林に地 目変更するなど、 つつ、一致協力することによって、救 それぞれの村 で独 自の工夫がみ られ 援 と復興 を進めることの重要性 は、昔 ごとに、また村の中で も、それぞれ求 ました。これ らに共通 しているのは、 も今 も基本 的に変 わっていない とい めるものが異なっていました。こうし 復興 を個 々の家 まかせにせず、村全体 えるで しょう。 2 ∞ 7 年 3 月 等 1
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