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表面酸化反応への酸素分子スピンの影響を初めて観測
―分子磁性と表面反応の相関の理解に貢献―
平成27年1月9日
独立行政法人物質・材料研究機構
概要
1.独立行政法人物質・材料研究機構(理事長:潮田 資勝)極限計測ユニット(ユニット長:藤田
大介)の倉橋光紀主席研究員と山内泰グループリーダーは、電子スピンの向きを制御した独自開発
の酸素分子ビームを用い、物質表面への酸素吸着確率が酸素分子のスピンの向きに依存することを
初めて明らかにした。
2.物質表面への酸素吸着1)は、触媒反応、腐食、酸化膜作製の初期過程として応用上重要である。
一方、酸素分子は2個の不対電子2)に由来する電子スピン3)を持ち、磁石としての性質を持つ。
スピンが酸素吸着確率に影響を与える可能性は理論研究により指摘されていたが、スピンを制御し
た酸化反応実験はこれまで不可能であったため、その影響はよく理解されていなかった。
3.倉橋らは、分子軸4)とスピンの向きを制御した酸素分子ビームを磁化したニッケル表面に照射し、
酸素吸着確率が表面と酸素分子のスピン相対配置に依存することを明らかにした。スピン依存性は
酸素分子の運動エネルギーが低い条件下で特に大きく、室温の酸素ガス分子に相当するエネルギー
では40%以上にも達した。本結果は、鉄、ニッケルなどの強磁性体表面の酸化反応速度がスピン
の向きに強く依存することを示唆する。上述のように酸素分子は磁石としての性質をもち、分子と
磁性体表面との間に磁気的な相互作用が働くことが観測されたスピン依存性の主な起源であると
結論した。固体あるいは液体酸素が磁性を示すことはよく知られているが、酸素分子の磁性は化学
反応性にも強く影響することが本研究により初めて証明された。
4.本研究は、表面酸化反応をスピンにまで分解して分析する新しい計測手法を確立するものである。
また、観測された明瞭なスピン効果は、酸素吸着を扱う理論手法の高精度化に有益な指針も提供す
ると考えられる。
5. 本研究成果は文部科学省の科研費・基盤研究(B)
「酸素分子スピン・立体制御による表面酸化反応
制御」の一環として得られた。本研究成果は、米国物理学会雑誌 Physical Review Letters 誌に現地時
間1月9日にオンライン掲載予定である。
1
研究の背景
酸素分子は空気の 20%を構成する基本分子であり、基礎科学および産業応用において重要な多く
の化学反応に関わる。酸素分子の反応性は2個の不対電子に由来するが、不対電子のスピンが平行
配置を取るため、酸素分子は全体としてスピンを持ち、一個の磁石として振る舞う。実際、酸素が
低温で液体や固体になると特有の磁性を示すことは良く知られている。しかし、酸素分子のスピン
が酸化反応に与える影響については、これまでスピンを制御した酸化反応実験が不可能であったた
め、よく理解されていなかった。
酸素分子の物質表面への吸着は触媒反応や腐食の初期過程として大変重要である。近年では酸素
分子を高効率で吸着でき、現行の白金を使わない貴金属代替触媒の開発が燃料電池5)の普及に欠か
せない研究課題となっている。表面に対する反応性の指標である酸素吸着確率を理論計算により予
測することは材料研究において重要であり、その試みは長年行われてきた。しかし、吸着確率の実
験結果と理論予測の対応はあまり良くない。その一因として、酸素分子のスピンの影響が指摘され
ていたが、関連する実験的証拠はこれまでに無かった。
今回の研究成果
倉橋らは、分子軸とスピンの向きを制御した独自開発の酸素分子ビームを磁化したニッケル薄膜
表面に照射した。本実験で用いた酸素分子ビームにおいては、分子のスピンと回転角運動量6)は磁
場に平行方向を向く。従って、試料位置での磁場方向を制御することにより、スピンと回転角運動
量の向きを制御できる[図1(a)]。このようにして酸
素分子のスピンの向きをニッケル薄膜の多数スピ
ン7)の向きに対して反平行、平行と変化させると
酸素吸着確率は明瞭な変化を示し、反平行配置の
場合に反応確率が高いことが示された[図1(b)]。こ
のとき回転角運動量の向きも同時に変化するが、
表面の結晶対称性のため、表面に対する分子軸の
向きという点では2つの配置は等価である。この
ことは、磁化を持たないタングステン表面に対し
て同様な実験を行い、吸着確率に違いが見られな
いことから確認できる。従ってニッケル表面で観
測された吸着確率の差はスピン由来の効果と結論
できる。
酸素分子の向きが吸着確率に与える影響は、回
転角運動量が表面に垂直と平行の場合で、表面に
対する分子軸の向きが異なることを利用して調べ
ることができる。アルミニウム酸化反応の場合と
同じく、酸素分子軸がニッケル表面に平行の場合
に吸着確率が高いことが確かめられた(参考:物
質 ・ 材 料 研 究 機 構 プ レ ス 発 表 、
http://www.nims.go.jp/news/press/2013/06/p2013
06170.html)
。
吸着確率のスピン依存性は酸素分子の運動エネ
2
図1:(a)磁場による酸素分子のスピン制御。
(b)測定した酸素吸着確率スピン依存性。
Ni(111)薄膜の多数スピン(SM)に対する酸
素分子のスピンの向きを制御信号に従い
反平行/平行と変化させると、酸素吸着確率
が変化する。
ルギーが低いほど大きく、0.04 eV では 40 %にも
達する[図2]。ここで 0.04 eV は 30℃程度の酸素ガ
ス分子の平均運動エネルギーに相当する。従って、
強磁性体表面が室温の酸素ガスによって酸化され
る場合、吸着確率や反応速度は表面と分子のスピ
ンの向きに強く依存することが本結果から予想さ
れる。
表面酸化反応は、酸素分子が表面に接近し、表
面原子と新たな化学結合を形成する過程である。
従って反応確率がスピンに依存する要因は二つ考
えられる。第一は、酸素分子と表面の磁気的な相
互作用である。酸素分子は磁石としての性質を持
つため、分子と表面の相互作用エネルギーはスピ
ンの向きに依存し、分子が表面に接近できる距離
図2:スピン反平行配置、平行配置で測定
した Ni(111)表面に対する酸素吸着確率の
比。酸素分子の運動エネルギーが低い条件
で強いスピン依存性を示す。
はスピンの向きにより異なる。第二は、電荷移動
過程である。表面と酸素が化学結合を形成する際、表面電子が酸素分子側に移る。表面が磁性を持
つ場合、この確率は分子と表面のスピンの向きに依存する。しかし、観測されたスピン依存性の符
号を検討することにより、第一の効果がより重要であることが示された。
本実験結果は、磁性を持たない表面への酸素吸着確率を議論する上でも重要である。酸素吸着確
率を理論計算により議論する際、表面に接近する酸素分子の電荷とスピンの振る舞いが鍵となるが、
これに関する実験的証拠はこれまでになかった。40%という顕著なスピン依存性は、反応直前まで
酸素分子が高いスピン偏極を保持することの証拠である。この事実は、酸素吸着を扱う数値シミュ
レーションの妥当性を議論する上で重要になる。
波及効果と今後の課題
本実験結果は、酸素分子の磁性が化学反応性に強く影響することを初めて証明するものである。
今後、観測されたスピン依存性の符号や運動エネルギー依存性を詳しく理論解析することによって、
酸化反応におけるスピンの役割はより明確になると予想される。また本結果は、酸素吸着確率の数
値シミュレーション手法を高度化する際の有益な指針にもなると考えられる。酸素分子と表面の相
互作用は応用上重要であるが、スピンの影響があるなど大変複雑であり、その理解にはさらなる実
験研究の蓄積が必要である。本研究で用いた分子軸とスピンの向きを制御した酸素分子ビームは、
このような研究に大変有力であると考えられる。
掲載論文:Spin Correlation in O2 Chemisorption on Ni(111)
著者:Mitsunori Kurahashi and Yasushi Yamauchi
掲載誌:米国物理学会雑誌 Physical Review Letters に掲載予定
<用語解説>
1) 酸素吸着
分子と表面が化学結合力などの引力を及ぼしあい、分子が表面に付着することを吸着という。酸
3
素吸着確率は、表面に入射した酸素分子のうちで表面に吸着する分子の割合を指す。
2) 不対電子
分子内の電子の状態は分子軌道によって表され、多くの場合、互いに反対の方向を向いたスピン
を持つ2個の電子によって占められている。分子軌道が一個の電子のみで占められている場合、
この電子を不対電子と呼ぶ。
3)電子スピン
電子はマイナスの電荷をもつと同時に、微小な磁石としての働きをもちこれはスピンと呼ばれる。古
典的にはスピンは電子の自転により生じると解釈される。
4) 分子軸
酸素分子は2個の酸素原子から構成される直線分子である。この2個の原子を結ぶ軸のこと。
5) 燃料電池
酸素分子と水素分子により水分子が生成される化学反応のエネルギーを利用して発電する装置。
酸素分子を吸着・解離させる触媒に高価な白金が用いられているため、その普及が遅れている。
白金に代わる酸素吸着材料の開発が重要になっている。
6) 回転角運動量
分子中心に対する分子の回転運動を表す量。酸素分子軸は回転角運動量の向きに対して主に垂直
方向に分布する。
7) 多数スピン
強磁性体では、上向きスピンと下向きスピンを持つ電子の数が異なる。強磁性体はこのために試
料全体として磁化を持つ。ここで電子数が多い方のスピンを多数スピンと呼ぶ。
本件に関するお問い合わせ先
(研究内容に関すること)
独立行政法人物質・材料研究機構
極限計測ユニット スピン計測グループ 主席研究員
倉橋 光紀(くらはし みつのり)
〒305-0029 茨城県つくば市千現 1-2-1
E-mail:kurahashi. [email protected]
Tel:029-859-2827 Fax:029-859-2801
(報道担当)
独立行政法人物質・材料研究機構 企画部門広報室
〒305-0047 茨城県つくば市千現 1-2-1
Tel:029-859-2026 Fax:029-859-2017
E-mail: [email protected]
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