Un - 天理大学

第
10回『 口 瞭 ◆ 加 プロジェクト(フ ィリピン)」 報 告 書
判
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天 理 大 学
(ICRS)
International Center for RegiOnal Studies
Tenri University
■也域 文 化 研 究 セ ン タ ー
Philippines"と 「博愛、人類愛」 を
冊子名『 Philipy』 とは、“
Philanthropy"を 組み合 わせた、「フィ リピン大好き」
意味す る “
を意味す る造語 です。
サン
ーサ市位置
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日lZAL
LAGUN小
甲Щ NC"
l・
_[サ ど
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∼
1∼
目次
4
は じめに 。
5
参加者名簿
6
活 動 ス ケ ジ ュー ル ・ ・ 。・ ・・ ・ 。・・ ・ 。・ 。・ ・ ・ ・
8
募集要項
報告書刊行 に寄せて
9
天理大学地域文 化研 究 セ ンター共 同研 究員
武 人 ・・・… … … … … … … lo
11
則也
12
英二
・
・
勇 …… …………………13
秀雄 ……… D D… …………14
・……15
不日興 ‥ ……… ……・
道 治 ・………… …………16
辻
貴志 …… …………………17
智勤 和
天理教道友社『 天理時報』記者
橋本
住原
諸井
松尾
神田
上田
米田
田倉 野
吉 石椋
天理 大 学学長
天理 大学地域 文化研 究 センター長
天理 大学後援 会長
天理 大学 国際文化 学部長
天理 大 学人 間学部 長
天理 教東本大教会サ ンタローサ出張所長
天理 中学校教諭
総合 地球環 境 学研 究所研 究員
天理 大学言語教育研究センター講師
。
佳 小 林 早 百 合 ・・ … … 18
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●19
子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・21
天理 高校 介護 福祉 科 看護 師
第 1部
参加者感想
22
天理大学 「国際参カロプ ロジェ ク ト」 のエ ンセ ンス
∼天理 ス ピ リッ トの継承 を願 つて∼ 澤 山 禾U広 …………………… …23
グラフン・ベ セスナ・ア コン・ドゥマテ ィン・サ・ピ リピーナス !!
・………・25
椋野 ま ゆみ …………・
‥
ヘ
ピン
フ
大好きな ィリ
椋野 美和 ……………………・26
1 hope・ …
奥 きよか 。……………………・28
フィ リピン とい うステー ジで
29
安 田 美 貴子
中‥‥…………・31
Hanggang sa muli(ま た会 う日まで)!久 保 真百子 。
フィ リピンでの活動を終 えて
33
岡島 美佳子 。…………………。
!
き つか けを与 えて くれ た旅
初 めての フ ィ リ ピン
た くさん の 出会 い
35
・37
貝増 舞 ・……………………・・
39
柳川 賀津子 ・……
北 嶋 美根 子
∼ 2∼
第 2部 EngLsh Mssage。
40
Message from our host fanilies
第 3部
・ 41
。
・43
活動記録・
事 前研修 ・・・
現 地滞在 日誌 。
・
44
・
47
リコー ダ ー 指 導
・ 59
学校 班 レポ ー ト
交流班 レポ ー ト
・
相撲 班 レポ ー ト
・ 68
第 4部
63
・ 66
・73
資料・
。74
フィ リピン共和国概要 ・
発表会式次第・・・・・
英文指導書 ・・・・ 。・
英文 リー ダース ピー チ ・
・ 75
・ 76
・ 77
よく使 つたタガ ログ語集
活動資料 … ・ 。・・ 。・
天理教 の用語説明 。・・
・ 79
・ 80
984
085
新聞記事、寄贈物品一覧
お礼状 ・ 0・ C C・ 。・
・ 87
88
編集後記 … …
∼
3∼
は じめに
天理大学地域文化研 究 セ ン ター 主催 の第 10回 「国際参加 プ ロジェク ト
(フ
ィ リピン)」
は、2009年 2月 21日 ∼ 3月 4日 の 12日 間 の 日程 で実施 され ま した。前半 はフ ィ リピン
共和 国 サ ンタ ロー サ市 を拠 点 に活動 を行 い 、
後半 の 2日 間は首都 マニ ラに場 を移 しま した。
本 プ ロジ ェ ク トは主 に 、サ ンタ ロー サ市 内 のシナル ハ ン小学校 にお い て 4年 生 に リコー
ダー の指導 を行 うもので した。 また 、子 ども達 と折 り紙や絵 を通 しての文 化交流、高校 生
との ス ポ ー ツに も汗 を流 しま した。 国際交流基 金 マニ ラ 日本文化 セ ンターで は 、 フ ィ リピ
ン人 日本語講 師 の方 々 を対象 とした リコー ダ ー教授法 の ワー クシ ョ ンプを開催 しま した。
この報告書 は本 プ ロジェク トの準備 、
現地活動 、帰国後 の活動 の足跡 を記 した もの です。
この活動 を我 々 だけの思 い 出に残す だけでな く、 これ か ら先 の活動 に繋 げて い けれ ば との
思 い を思 い を込 めて作成 しま した。 お手 に とつて ご覧 にな ってい ただ けれ ば 、大変嬉 し く
思 い ます 。
第 10回 「国際参加 プ ロジェク ト(フ ィ リピン)」 参力日
者一同
∼
4∼
参力‖
着名簿
第10回 随鞘鯵潮膨竹ジェタト(フイリビ刀 」
所属は実施期間
l別∞ 年 2月
21日 ∼3月 4日 )現 海
■引帯
1.住 原 則也
地域文化研究センター長、国際文化学部荻授
2.澤 山 不可広
地域文化研究センター専任研究員、国際文化学部准教授
■鞘
1.奥
きよか
天理教笠岡大教会よふぼ く
2.椋 野
まゆみ
天理教敷島大教会よふばく
3.椋 野
美和
天理教敷島大荻会よふばく、神戸大学 3年
■弾
1.安 田 美貴子
国際文化学部アジア学科中国語 コース 4年 (リ ーダー)
2.久保
国際文化学部 ヨーロッパ・アメリカ学科英米語 コース 4年 (サ ブ リーダー)
真百子
8.岡 島 美佳子
4年
人間学部人間関係学科社会糧祀斉顕〔
4.司 削烏美恨子
人間学部人間関係学科宗教学専攻 4年
5.貝 増 舞
国際文化学部 ヨーロッパ・ァメリカ学科 ドイ ツ語 コース 1年
6.柳ナ│1賀 津子
国際文化学部 ヨーロッパ・アメリカ学科 ドイツ語 コース 1年
参加者総数 11名
∼
(男 :2、
5∼
女
:9)
”
.
レ∼
現 地活 動スケジュー″
報
セ ン ター αCRS)
学地域 文イ
財
第 ■0回 「国 際 参 加 プ ロ ジ ェ ク ト (フ ィ リ ピ ン )」
日 時
内
容
日
2/21(D
6:15
赳
8:00
蝉
9:55
壁聞准 由→
学説籍冬→ヲ
Dカ ウンター前集合
港
的
lPR407)
16:00
マニラ国螂
→サ ンタローサ
18:00
タ勤、オ リエ ンテーション
19:00
HFと の顔合わせ→各 自ホームステイ先へ
13:35
2/22(日 )
8:30
時
2/27(ω
センレニアル 2)
内
容
月食は HFl
朝勤
l車
7:lXl
シナルハ ン小学校
8:lXl
リコーダー指導
12:00
尽 食
15:00
△
発 表 示
l′lヽ
■ 開
夕勤→各 自ホームステイ先へ
月食│ま HF)
月渉参準捕、 ミリエ ンダ準備
朝勤
日程
2/28(D
l車
9:llll
(朝 食はHF)
私立サンタローサ高校にてスポーツ交流
月次祭
12:00
_尽
12:30
ミリエ ング
12:30
15:00
ミーテ ィング Or平鰤
15:00
18:00
十
夕勤P各 自ホームステイフ
日 (夕 食は Wl
さよならパーティ買出し準備
HFか らミリエングの招待
18:00
夕勤→各自ホームステイ先―
朝勤
月食は HF)
3/01(日 )
l車
8:30
シティツアー
11:30
昼食(Jo■y Bee)
12:00
13:00
市鋤
18:00
14:00
ホスピタノ
蝙 硝 飾 乾 居 、折 り細
オ
夕勤→各 自ホームステイフ
E<夕 食は HFl
18:00
9:(l(l
問
7:30
月食は HF)
シナルハ ン/1学 校
8:00
リコーダ■指導
2/24t殉
月勤
車
11:30
昼食
13:00
ミーテ ィング Or活 動準備
14:00
文化 クラス 1/1ヽ 1:342名 )
夕勤→各 自ホームステイ先へ
18:00
l′lヽ
学問
7:30
月食は HF)
ハ
シナル ン小学校
8:(Xl
リコーダ‐指導
2/25C小0
月勤
車
昼食
13:00
文化クラス 1/1ヽ 2:250名 )
夕勤→各 自ホームステイ先へ
2/261ttl
7:30
1/1ヽ
さよならパーティ(∼ 15001
夕勤→各 自ホームステイ先へ
朝勤
天 F鰍 フィリピン出博 り
表古
〒
妬方 弓
13:00
尽食
タ食
ホテル ロビ
=集
合
月食lま 各自)
l車
フィリピン大学生 との交流沖備
ひな祭 り杯 フィリピ芳 目
撲場所
ミリエング
16:00
国際交流基金認択 リコーダ■劉封対爵
19:00
夕食
13:00
文化クラス
ヽ3:250名 )
14:20
18:00
\ (夕 食は HF)
夕勤眸各 自ホームステイ先′
19:20
12:00
14:00
6∼
ションピング
9:00
11:30
∼
lHOtei Ceに ste)
13:00
10:00
1/」
0ミ スで移動
P口
チェックイン
3/04∩
(車
)→ マニラ
9:00
3/03∞
(夕 食は HF)
(夕 食は HFl
(朝 食は HFl
12:00
中問
1/」
(朝 食は HFl
lHFさ よならパーティ準備)
サンタローサ
リコーダ‐指導
ヽ
昼食
■問
8:00
朝勤
7:30
18:30
月食は HF)
ハ
シナル ン小学校
車
月勤
食
Fr∞ 航
(夕 食は HF)
l車
ll:30
18:00
3/02(月 )
l車
HF)
朝勤
11:00
2/23(月 )
l夕 食は
(フ ィリピン夫 詢
前 ahallttlementatt Schod(SES)五 City ofSta.Rosa,Lttma.
ScLdde
Da俺 ―Th
Ten▼ nR(4」apalleseFemaleⅧ
Tenm A(5 Japawse FmaleVoluteers)
Щttr0
Feb 24(he)
OinMutt αass
hⅣfutt α ass
08:00--09:00
Grade 4 Section l(49pup工
09:15--10!15
Cと ade
10:15--12:00
山%etttlg&Preparationfor Tomorrd〆 s Class
12:00-13:(Xl
LUttK】 工atSES
13:00-15:(Xl
Gと ade l Seclk週
4 Secida 2
│
い ade 4Section 3 66pup工 0こ Muslc Class
Grade 4 S∝ tion 4(55pupユ 0こ ⅣIutt Class
17(350pup工 0五 Art Class
Feb 25(Wed)
08:00-09:(l(l
Iuslc Class
Grade 4 Sec故 】 1(49pⅦ JOこ Ⅳ
09:15--10:15
働 ade 4 S∝ 価
10:15--12:00
ⅣIcettg&Pェleparahttor TomoTド s Ctass
12:00-13:00
Lu℃ H atsES
13:00-15:00
Grade 2 Section卜 も(250 pupユ s)五 Art Class
2
五 ⅣIutt Class
Gと ade 4 Sα ttion
⑤阻de
3(56p叩 ユ
0こ Mutt class
n4(55pupユ Ohム /1utt Class
4 S∝ 故〕
Feb 26(Thu)
09:15--10:15
Gra詭 4 Sechon l(49 pup工 0血 WTutt Class
Gと ade 4 Section 2(51pup工 0血 Mutt Class
10:15-12:(Xl
隆 仕 lg&贄 釦 ara仙 阻for Ъ m()rピ (Ws Class
12:00-13:(Xl
Ltt atSES
13:00-15:(Xl
Cttrade 3 Sectionl_5(250
08:00-09:00
Cゴ
rade 4Sectlon 3 66 pup』
働 ade
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0ね ⅣIutt Class
inArt Class
Fёb 27(Fri.)
08:00-09:(Xl
0ど ade
09:15--10:15
Grade 4 Sec故 週261
10:15--12:00
ⅣIeetと g&Prepara依 近 for TomoTNs Class
12:00-13100
LEttK】 ■atSES
13:00-15:00
ⅣIeeting&Pェlepallationforム /1ini ttncert
4 Secttm l(49 pЩ ttS)五 Musilc Class
五 ム/1utt Class
Grade 4 Sec故
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ム/1ini Concert at劇 ]S
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09:00-12:00
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12:00-15:00
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or凸陣 掩nda前 血 SES ttachers and Hott Fam腱 s at Tenrikyo Sta,Ro醜
∼
7∼
天 理 大 学地域 文化研 究セ ンター
F′
多
募
,/打′ 五コ
集
磨 参 ″ プ ロ デ
要
項
=ク か 「 ノ
(天 理 大 学 学 生
(ICRS)
ィ グ ご シカ
生用)
「教学協働」 と「社学連携」を志向 し、フィリピンでのボランテ ィア活
本 プロジェク トは、
動 とホームステイなどを通 じて、国際協力のあ り方を考え、帰国後の詰活動の契機 とする
ことを目的としています。
1.場
所
フィリピン共和国ルソン島ラグーナ州サンタローサ市およびマニラ首都圏
2.期
間
2009年 2月 21日
3.参
加 費
(土 )∼
3月 4日 (水 )〔
11泊 12日 〕
: 10万 円
(航 空券代金 、宿泊費、食費 (一 部 を除 く)、 フ ィ リピン国内移
動費 な どを含む )
※ その他 の 費用 については 、天理大学後援会か らの参加補助金 な どで賄 われ ます。
4
募集 人員
: 20名 程度
5
募集 資格
:
(最 低催行人員 4名
)
天理大学学生 日院 生 〔
全学 部 生 L大 学院 生が対象 です 〕
6.ス ケ ジ ュー ル (予 定
2月 21日 (土
関西国際空港集合 → マ ニ ラ国際空港
B学校 での グコーダー指導
′
22日 (日 )
ノ
)
)
&
│
3月
01日 (日
02日 (月 )
03日 (火 )
04日 )
)
(フ!く
7.申
し込み
サ ン タ ロー サ市
が ラン デ ィア活動 、 ひの き ιん 、オ ーム ズ デイな ど
サンタローサ市 → マニラ首都圏 (フ ィグピン大学 て2交流)
など
マ ニ ラ国際空港 (解 散 )→ 関西国際空港
: 10月 27日 (月 )午 後 5時 必着 で「 申込書」を ICRSに 持参
8.参 加者 の決 定
(FAXあ るい
は郵送 も可 )し て下 さい 。
申込書 の内 容 を メール で送信 いただ いて も結構 です (必 要項 目が含 まれ
ていれ ば、書式 は問いません )。
:申 込書の内容 と面 接 〔■ 月 10日
(月 )あ る いは ■ 日(火 )午 後 4時 半 ∼ 8
時半の 10分 程度〕で選抜 します。結果 は原則 e‐ mailで 通知 します 。
∼
8留
報告書刺行 に寄せて
天理大学学長
天理 大学地域文化研究 セ ン ター長
天理 大学後援会長
天理大学 国際文化 学部長
天理大学人 間学部長
天理教束本大教会 サ ン タ ロー サ 出張所長
天理 中学校教諭
総合 地球乗境 学研究所研 究員
天理大学言語教育研 究 セ ンター 講 師
天理教道友社編集 出版課『 天理 時報』記者
天理 大学地域 文化研究 セ ンター 共 同研究員
天理高等学校介護福祉科看護 師
∼
9∼
橋本 武人 ・・・・ 10
住原 只J也 ・・ a。 11
諸井 英 二 ・・・ 。12
松尾 勇 ・・・・・ 13
神 田 秀雄 。・ ・ 。14
上 田 和興 。・ ・ 。15
米 田 道治 ・・・ 。16
辻 貴志 ・・・・・ 17
吉 田 智佳 ・・ D018
小林 月ヽ
百合
石倉 勤 。・・ 。・ 19
椋野 和子 ・ D O● 21
第 10回 「国際 参 加 プ ロ ジ ェ ク ト」 報 告 書 刊 行 に 寄 せ て
学長
橋本
武人
天 理 大 学 の 「国際参加 プ ロ ジ ェ ク ト」は、建 学 の精神 に基 づ く行 動指針 と して 唱道 す
る 「他 者 へ の 献身 」を国際 的 な ス ケ ール で実 践 し、 よって 本 学 の教 育 目標 と して 掲 げ る
宗 教性 と国際性 を同時 に酒 養 す る教 育課 程 で あ る。
本 プ ロ ジ ェ ク トは 、 2001年 に大 震 災 に見 舞 われ たイ ン ド西部 地 区へ の 災 害救援 活動
と して 始 め られ た 。い わ ゆ る義援 金 や 救援 物 資 を運 び 届 け る類 い の活 動 で はな く、最 初
の イ ン ドで は 貯 水 の た めの 河川 堰 建 設 や ボ ンガ (上 嚢 ハ ウ ス )の 建 築 な ど、現 地 の 人 々
が 自立 復 興 へ 向 けて必 要 とす る も の を 、ともに汗 して建 設 す る ところに 特色 を もたせ た
も の で 、 この 基 本 姿勢 はそれ 以 降 の プ ロ ジ ェ ク トにお い て も一 貢 して い る。
2008年 度 の 活 動 は、 こ こ数 年続 け られ てい るイ ン ドネ シア とフ ィ リ ピン で展 開 され 、
イ ン ドネ シア を第 9回 、 フ ィ リピン を第 10回 と数 えて い る。 本 書 は 、サ ン タ ロー サ市
の シナル ハ ン小 学校 の 4年 生児 童 250為 に 対 す る リ コー ダ ー の 演 奏 指 導 を 中心 に、
1
年 生 (350名
)。
2年 生 (250名
)と
8年 生 (250名 )の 児 童 に対 す る文 化 ク ラ ス を開催 し、
フ ィ リ ピン大 学 にお い て大 学 生 との文 化 交 流 を行 っ た 第 10回 「国際参加 プ ロ ジ ェ ク ト
(フ ィ リ ピン)」 の活 動 報 告 書 で あ る。
この たび の フ ィ リ ピン で のプ ロ ジ ェ ク トで特 筆 す べ きは 、全 国各地 か ら 243本 の ソ
プ ラ ノ 。リ コー ダ ー が 寄贈 され た こ とで あ る。これ は過 去 3回 にわた る フ ィ リ ピン で の
活 動 の 実績 が知 られ る よ うに な り、多 くの 方 々 の 善意 が 寄 せ られ るよ うにな っ たか らで
あ る。 また 、国 際文化 学部 と高大連 携 の 関係 に あ る三 階 堂 高校 の 生 徒 諸 君 か ら手作 りの
英 語 紙 芝居 が 寄贈 され 、法 隆寺 国際高校 の 諸 君 か ら預 か っ た手 縫 い の布 絵本 な ども現 地
に持 参 し、 それ らはす べ て文 化 ク ラ ス や そ の他 の機 会 に活 用 され た。
限 られ た 期 間 とはい え 、言 葉 も違 えば 習慣 も異 な る異文 化 圏 の 人 々 との共 同作業 、ホ
ー ム ス テイ 先 の 家族 との 直接 的 な交 わ りを通 して 、参加 者 た ちは 国際性 を培 う上 で 多 く
の こ とを学 び 、現 地 の 人 々 に 喜 ん でい ただ く他者 へ の 献 身 を通 して 、人 をたす け る心 、
宗教 的 な心性 の 酒養 も可能 にな る。また 、貧 し くとも純真 で 屈託 の な い 子供 た ち との 交
わ りは 、何 か に つ けて恵 まれ て い る 自己 自身 を省 み る機 会 とな り、物質 文 明が置 き去 り
に して きた 心 の 豊 か さを取 り戻す 契機 ともな る。
今 は まだ 渡航 先 も限 られ 、参加 人員 数 に も制 限 が あ るが 、お い お い 活 動 の範 囲 を世 界
の 各 地 に広 げ て 、一 人 で も多 くの 学 生 諸 君 が 参加 で き る よ うに してい きた い 。終 わ りに 、
この 度 のプ ロ ジ ェ ク トの 計 画 実施 に携 わ っ た教職 員 、絶 大 な ご支 援 ご協 力 を賜 つ た 関係
機 関各位 の ご厚 情 に 対 して 、深 甚 な る敬 意 と謝意 を表 します。
留 10∼
「 くノー 部 隊」大活躍
地域文化研究セ ンター長
住原
則也
「暗闇をなげ くよ り、 自分 の持 っている ロ ウツクに火 を灯す ことを考 えな さい」 とい う諺 が
中国には古 くか らあると聞きます。 この世 は問題 が 山積 しどこか ら手 をつ けていいか わかか ら
ないほ ど見通 しがつ かない 、 ま さに暗闇同然 と思われ る ときです ら、 それ を嘆き無気力に陥 る
ので はな く、各 自が 自分 のご く身近な ところか ら何お
遵 細 な ことで もア クシ ョンを起 こす こと
の大切 さや意義 を語 る諺 と解釈 できます。今回 10回 目となる 「国際参 加 プ ロジェク ト」 もそ
のよ うな小 さな灯火
(と
もしび)で あるか も しれません。2週 間足 らず の活動で、途 上 国 のか
かえる問題 をわずかで も角早決できるとい うもので はあ りません。 しか し、学生にもできる活動
を行 うことで、学 生 と現地 の子 どもたちや住民 の間 には確実に小 さい なが らも希望 の灯火 の よ
うな光 が放たれ ています。私 自身引率 ス タ ッフ として今 回 で 5回 目の参加 とな ってい ます が 、
回を重 ねる度 にそ のよ うな感 を深 くしてきま した。
今 回 のフィ リピンでのプ ロジ ェク トもまた、多 くの人 に知 っていただ きたい よ うな充実 した
内容 とな りま した。首都 マニ ラか ら南方 のサ ンタ ローサ市 のシナル ハ ン小学校 とそ の周辺 で 、
参加 学生 と、よ うば くの社会人計 9名 は、間違 い な くそれぞれ の灯火 を毎 日精 一杯放 っていま
した。今回 の参加者 は全員 が女性 とい う、 これまでにない人員構成 で したが、男子 のい ないハ
ンデ ィな ど全 く見受 け られませ ん。私 は勝手 に、今 回 の参加者 チーム を、「くノー部 隊」 と呼ん
でいま した。「九人で一手 一つ 」 とい う意味 も含 めて のこ とです。「九人十脚」 のチームワー ク
と呼んでいいか も しれませ ん。小学校 な どでの活動 の場 では全員 で力 をあわせ、また一人ひ と
rし 、慣 れない外 国語 であつて も積極的にホス トフ ァミリー とコ ミ
り別 々の家庭 でホームステノ
ュニ ケーシ ョンを取 っていた よ うに感 じられ ま した。朝 は天理教束本大教会サ ンタ ロー サ出張
所 のお社 の前 で一緒 に朝 づ とめを してか ら一 日の活動 が始 ま り、夕方に も出張所で夕づ とめを
してか らそれぞれホームステイ先 に帰 つて ゆ くとい う生活 が ヅズム をつ くってい ま した。忙 し
いス ケジ ュール であ りなが ら、誰 一人脱落者 もな く、予定 されてい たす べ ての活動 に満足 ゆ く
成果 を得 る ことがで きま した。 この報告書はそ の記録 ではあつて も、全貌 の一部 しかお伝 えで
きないのが残念です。
現地 の生活空間は、貧宮 の格差、衛生、食 生活 な ど、 この 「国際参加 プ ロジェク ト」 な どの
活動 では どうしよ うもないほ ど多 くの問題 をは らんでお り、活動 を無事や り終 えた といつて も
誰 一 人 自己満足にひた つてい るわけではあ りません。 む しろこの活動 をきつか け として、引率
者 も含 め全員 、今後 どのよ うに 自分 の ロ ウツクに火 を灯せ ばよいのか 自然 に考 えるよ うにな っ
ているもの と思われ ます。
末尾 にな りま したが、後援会、東本 大教会 出張所 の皆 さまは じめ、ひ とかたな らぬお世話 に
なったすべ ての方 々 に、心 よ りお礼 申 し上 げます。
∼
11∼
これ か らも 「国際参加 プ ロ ジェ ク ト」
後援会長
諸井 英
地域文 化 セ ンター長 の住原 氏は、「国際参カロ
プ ロジェク ト」について『 フ ィ リピン・プ ロジェ
ク ト06』 報告書で 「本学 の伝統 である他者 へ の献身 と言 い換 えることのできる宗芽
女!l生 と、も う
す
一つ は語学 を身 につ け海外 に雄飛す る国際性 の双方 を併せ持 ち、本学 の伝統的精神 の延長線上
に位置す るもの」 と評価 してお られ ます。言 うまで もな く後援会 の主た る役割は本学建学 の精
神 た る 「陽気 ぐらし社会建設 のための人材養成」 を狽」
面 か らサポー トす る ことにあ り、後援会
として も本 プ ロジェク トを高 く評価 し、後援 して きた ところです。
ところが、海外情勢 の関係 か らか平成
19年 度会計決算 において 「国際参加 プ ロジェク ト」
関係 の予算は十分 に執行 された とはい えませ んで した。そ こで、平成
20年 度予算 においては
予算 を減 らして 、関係者 に事業実行 に対す る奮起を うなが しま した。そ うした 中、年度途 中で
はあ りま したが フ ィ リピンでのプ ロジェク ト復活 のための予算要求があ り、私たちもほつ と胸
をなでお ろ し、今 、そ の成果 を期待 してい るところです。
前出 の住原 氏 によれば、 このプ ロジェク トは現地 へ 出向 く 2週 間の活動だけを指す の ではな
く、長 きにわたる事前の研修 と帰国後 の記録 の ま とめとい う一連 の全 工程 を指 してい るそ うで
す。 そ の 中には現地で の急 な活動内容の補 正や 、帰 ってか らの活動記録文集 の整理、報告会の
開催や次年度予算要求等までもが含 まれ るので しょ う。ま さに事業 の立案 か ら執行 、評価 にい
たる過 程 をプ ロジェク トにかかわるすべ ての人材 が一手 一つ になってこそ成 し遂げ得 るものな
ので しょ う。参加 された学生 さんはこのよ うな貴重な体験 を通 じて陽気 ぐらし社会建設 の人材
とな り社会 に羽 ばたかれ るもの と思 い ます。
残念 なことに、「国際参カロプ ロジェク ト」につい ては 2009年 度 のプロジェ ク ト予算要求がな
され ませ んで した。諸般 の事情 によるもの と推 察 い た します が、歴史を刻み込みつつ ここまで
来た事業です。私 たちは皆 さんが諸先輩方 とともに刻 んで こ られた歴史の重みを評価 していま
す。
プ ロジェク ト」 の予算項 目だけは これまで通 り残す ことに しま し
今回、私たちは 「国際参カロ
た。 この事業にかかわ って こられた皆様 には、諸般 の事情 を乗 り越 え、 これ か らも 「国際参加
プ ロジェク ト」 を行 う努力 を続 けていただきます よ うエール を送 り、報告書に寄せ る言葉 とし
ます。
∼ 12∼
第 10回 「国際参加プ ロジェク ト
(フ
ィ リピン)」 報告書刊行 に寄せて
歴史を常に胸 に刻んで
国際文化学部長
松尾
勇
2001年 か ら始 まった本学 の 「国際参カロプ ロジェク ト」 は、今回で 10回 を数 えることとな り
ま した。 これ まで参加 された多 くの方 々の熱意 と真 心が支 えてきた成果 だ と言 えます。今 回は
卒業 を 目前 に控 えて 、今 ま さに社会 に飛び立 とうとす る 4年 次生の学生 の皆 さんが中心にな っ
てプ ロジェク トを実施 された ことを聞いて、天理大学で学んだ ことを実践 しよ うとす るそ の熱
い思 い に敬意 を表す るとともに、後輩学生 に立派 な模 範 を示 して くだ さつた ことに感謝 申 し上
げたい気持 ちでいっぱいです。今や 自宅 の居 間 にいて も世界 中の情勢 がい ともたやす く情報 と
して入手できる時代です。 しか しなが ら、実際に現地に赴 いて生活す る となると当然 のこ とな
が ら予測できない さまざまな困難が待 ち受 けています。12日 間 にわた つてフ ィ リピンの方 々 と
生活 をともに した ことは参加 した皆 さんに とつて今後大 きな財産になる ことと思 います。
天理教 の海外布教師養成 を 目的 として創 立 された天理外 国語学校 を前身 とす る本学では、そ
の精神 を受 けて時代 が変わ つて も常に 「宗教 l生 」 と 「国際性」 を教育 の根幹 に してきま した。
真 心のこもつた言葉 でひ とりひ とりに接す る ことの大切 さは、時 とところを超 えて不変です。
今回 のプロジェク トにお いて もそ のこ とを実感 された ことと思います。人 が生きる勇気 を与 え
られ るのは真心 の触れ あい を胸 に感 じた ときです。 そ して人 は生きる喜び を得ます。
「道 は近 きより遠 きへ」、この ことを背景 に本学 は 日本 に近 いアジアの諸言語 を教 え学ぶ長 い
伝統 を持 ってい ます。今後 も 「国際参加 プ ロジェク ト」 を さらに充実 させ る意味にお いて も、
私たちはアジア諸 国 と日本 の 関係 を近現代史 において常 に しつか り学ん でお く必要 があ ります。
第 2次 世界大戦 のお り、 フ ィ リピンをめ ぐる 日米 の対 立が フィ リピンの人たちに癒 えるこ との
ない大き く深 い傷 を与 えた ことは、必ず しも多 くの人たち が知 つてい る史実ではない と思 いま
す。私 自身、今回原稿を依頼 されてあらためて、かつて NHKで 放送 された『 その時歴史が動
いた∼引き裂かれた村 日米戦 の舞台 。フィリピン民衆の苦悩∼』を見ました。歴史を学ぶのは
明 日をより良く生きるためです。
参加 された 4年 次生の皆 さんが今後ますます実社会において活躍 されます ことを祈 つてお り
ます。また、1年 次生の皆 さんはしつか り学び 自らよく考えて学生生活を送 られます ようお願
いします。おわ りに、今回のプロジェク トが成功す るように支えてくださつたすべての方 々に
感謝申し上げます。
蒋 13∼
第 10回 「国 際 参 加 プ ロ ジ ェ ク ト (フ ィ リ ピ ン )」 報 告 書 刊 行 に 寄 せ て
人 間 学部 長
神田
秀雄
今 年 度 も 12日 間 に わ た り、人 間学 部 か らの 2名 と国 際文 化 学部 か らの 4名 の 計 6
名 、 さ らに 3名 の よふ ぼ くの 方 々 が 参 加 して 、第 10回 「国際 参加 プ ロ ジ ェ ク ト (フ
ィ リ ピン )」 カミ実施 され た こ とは 、ま こ とに よ る こば しい こ とで す。サ ン タ ロー サ で の
リ コ ー ダ ー 指 導 も、 5日 間 にわ た る練 習 の 後 に発 表 会 が 行 われ 、先 輩 た ちが切 り開 い
た小 学 生 との交 流 が しっか り受 け継 がれ て い る よ うで す 。 また 、 マ ニ ラで の フ ィ リ ピ
ン 大 学 生 との 交 流 行 事 に も、これ ま で の 交 流 経 験 が 活 か され る と同時 に 、「ひ な祭 り杯
フ ィ リ ピン相 撲 場 所 」 の 開催 な ど、新 た な工 夫 も疑 ら され た こ とが うか が え ます 。 今
回 の 参加 学 生 は 、6名 の うち 4名 ま で が
4年 次 生 とい うこ とです が 、卒 業 を前 に して 、
東 南 ア ジ ア の 人 々 との交 流 を持 っ た こ とは 、 これ か ら社 会 に 出て ゆ く うえで 、 きわ め
て 貴 重 な経 験 に な っ た こ とで しょ う。
とこ ろで 、 私 が 学 生 だ っ た 今 か ら
30数 年 前 は 、 よ うや く海 外 旅 行 が 自由化 され た
時代 で した 。「高 度 成 長 時代 」の 終 わ り頃 で 、 ヨー ロ ッパ や ア メ リカ ヘ の旅 行 が 高 い 人
気 を 集 めて い ま した 。 そ して そ の こ とは 、 当時 の 日本社 会 が 、 明治維 新 か ら約 1世 紀
を経 て も、 欧 米 を模 範 とす る近 代 化 とい う発 想 か らまだ 到 底 脱 却 で きて い な か っ た こ
とを よ く表 して い ま す 。
『 天 皇 の逝 く国で』や『 祖 母 の 国』 の著者 であ り、 アメ リカ人 の軍人 と日本人 の母
との 間に生 まれ た シカ ゴ大学 のノーマ 。フ ィール ド教授 は、8年 ほ ど前 、同 じくアメ
ラジア ンで 沖縄 出身 の大学 院 生 島袋 マ リア さん との対 談
NHK教
育 テ レビ『 シ リー
ズ・ 日本人 の 肖像』、 の 中で 、お よそ 次 の よ うに指摘 しま した。「日本人 は 、 かつ ては
「お 国 の ため」に尽 くす こ とに縛 られて い たが 「
、 高度成長 時代」には 、今度 は 「会社
のた め」 にイ
要
力く こ とがそれ ぞれ の 目標 になって しまい 、外側 か ら近 代 日本 の歩み を考
え直す い とまがなかった 、そ して 1990年 代 に東 ア ジアや東南アジアの 国 々 か ら 「戦
争責任 」 を問われ た こ とをきっか けに、 い ま 、 よ うや く国 とい う枠 を超 えた視点 を持
つ こ とを迫 られ てい る。」 と。
本 学 は、「陽気 ぐらし世界 」 の建設 を建 学 の精神 に掲 げ、 国 の 内外 での 「他者 へ の
献身」 を推奨 してい る大 学 です。 そ の天理大学 に学 び 、卒業 してい く学生諸君 には、
ノーマ・ フ ィール ド教授 が指摘す る現代 日本 の状況 を、積極的に切 り開いていっ てほ
しい と思 い ます。そ して 、そ の意 味か ら、天理大学 のい ち ス タ ッフ として 、私 も、「国
際参加 プ ロジェ ク ト」 を通 じた交流 を受 け継 いで ゆ くこ とに微 力 を尽 く したい と思 っ
てい ます 。
∼ 14∼
お 礼 に代 えて
天理教東 本大教会 サ ンタ ロー サ 出張所長
上田
和興
「他者 へ の献身」 とい う大学 の方針 の 中でのプ ロジェク トとして、当出張所 を数回に亘 りお
使 い頂 き、望外 の喜 びです。
今回 は女性 ばか りのプ ロジェク トにな りま したが、私 は女性 の持 つ母性 の素晴 しさを再認識
させ ていただきま した。
例 えば、近所 の見知 らぬ子供 たちが毎朝、出張所 にや つて くるので あ ります。 こんな事は、
かつ てなか つた ことです。小学校 での雰囲気 も女′
陛の暖 か さ、抱擁力で大変楽 しそ うで した。
お陰で、私たちが毎 日おたす けに廻 る貧 しい地 区の人 々 だけでな く、市役所、バ ラ ンガイ・
ホール (町 内事務所 のよ うな もの)の 人 々 ともお付 き合 いが 出来 て 、昨年 の ■ 月 には 10名 の
サ ンタ ロー サ の方 々が東本大教会創 立
Ho周 年、五代会長就任本告祭、 そ して天理 においで下
さいま した。
い通 りの守護」 とい う言葉 が あ ります。参加者 の方 々が数 ヶ月 の準備 をされ 、
天理教では、「′
現地 で約 2週 間活動 され るわけですが、そ の裏 に住原先 生や澤 山先 生 、椋野先 生の長 い伏せ込
み もあ り、 そ のよ うなものが形 を変 えて 「他者 の献身」 の果実をもた らして くれてい るよ うに
思 います。
地球上 の貧富 の差や、政治 の 問題や国家間、民族間で の紛争、それか らくる飢餓 に対す る私
たち一人一人 の何 とか しよ うとい う思 い と行動が、大きな力 とな り世界 に影響 を与 えることに
なるで しょ う。学 生時代 に培 われた精ネ
申が 、お一人お一 人 の心の 中で成長 してその一億人 の一
人 になれた ら、どんなに良い人生 となるか知れ ませ ん。人間は、一人 で生 きてゆけません ので 、
陛がれて ゆ くことを信 じ
自分 が勝手 に動 くことはで きませんが、精神 は大 いに子 々孫 々 に受 け糸
ています。 一人 か ら数十人、数百人に広 がって ゆきます。
我 がサ ンタ ロー サ出張所は、 ご覧 の通 りの小 さな存在 です が、夢や企 画は大きなもの を
もち続 けています。そ の時は又、お役 に立てれ ば幸 いです。
皆様、有難 うございま した。
N15∼
リコー ダー との 出会 い
天 理 中学校 教諭
(リ
米田
道治
コー ダ ー 教 授 法 指 導 講 師 )
み な さん の 場 合 、 ツプ ラ ノ 。リコ ー ダ ー は小 学校 で 初 め て 手 に され た はず で す。
私 の 時 代 、小 学校 で は ハ ー モ ニ カ を吹 か され 、 中学校 に入 学 して 初 めて ププ ラ ノ 。
リ コ ー ダ ー を持 ち ま した 。 私 自身 は小 学校
4年 生 の 時 に 、東 京 の 従 兄 弟 と初 めて 出会
っ た 際 、彼 か ら初 めて 「リ コ ー ダ ー 」 な る も の を教 えて も らい ま した 。 さす が 東 京 は
違 うな あ 、都 会 だ な あ … と感 心 しなが ら、真 似 を して ピー ピー 音 を出 して い ま した 。
も とも と音 楽 が 好 きだ っ た か らか 、そ の 後 も時 々 、我 流 で 吹 い て い た 記 憶 が あ りま す。
そ うい う初 めて の 体 験 が 良 か っ た のか 、 中学校 に入 学 して 初 め て リ コ ー ダ ー を吹 い た
時 、 み ん な よ りも早 くか ら吹 い て いた た め に上 手 に吹 け ま した 。 まわ りや 先 生 が 褒 め
て くれ るか ら練 習 す る 、 ま た 上 達 して 吹 く と褒 め て くれ る .…
そ の く り返 しで ハ マ っ
て しま っ た の か も しれ ませ ん 。 い ま だ に 音 楽 か ら足 が 洗 えませ ん (笑 )「 好 き こそ 、も
の の上 手 なれ 」 と言 い ま す が 、 そ の 通 りの 経 験 で した 。
今 回 、講 座 を担 当 させ て い た だ い た の は
4度 目に な ります 。 毎 回 、 強 く印象 に残 つ
て い る こ とは 、学 生 の み な さん の真 父Jな 姿 です 。「目的 」 を持 つ こ と、そ して 同 じ 「 目
的 」 を共 有 す る仲 間 が い る こ との 素 晴 ら しさ を痛感 させ られ ます 。 今 回 は 以前 と比 べ
る と人 数 も少 な く、み な さん優 秀 な方 ば か りで 、用 意 して い た 教材 が どん どん進 ん で
しま っ て 、 や る こ とが な くな っ て しま う こ ともあ りま した 。 実 際 に現 場 で 教 えて み て
ど うで した か ?リ コ ー ダ ー に 初 め て 触 れ た子 供 た ち の 嬉 しそ うな表 情 を想 像 す る こ と
は で き ま す が 、 み な さん は 直接 それ を見 て 、 ど うだ っ た で し ょ うか ?こ れ つ て と っ て
も貴 重 な 経 験 だ と思 い ま す 。 音 楽 の 喜 び は 自分 で 演 奏 す る こ とも喜 び で す 。 しか し、
自分 た ち の 演 奏 を聴 い て くれ る人 が 喜 ん でい る姿 を見 る と、 も つ と大 きな喜 び が 得 ら
れ ます 。 更 に 、 自分 た ちが 一 生懸 命 に 教 えた子 供 た ちが 演 奏 して くれ る姿 、 それ は も
つ と も つ と大 き な喜 び だ っ た と思 い ます 。
「感 動 は人 の 心 をきれ い に して くれ る … 」 私 はそ う考 えて い ます み な さん
。
もず い
ぶ ん きれ い に …
わず か な 時 間 で は あ りま した が 、 み な さん と同 じ時 間 を過 ごす こ とが 、 で き て本 当
に楽 しか っ た で す 。 私 は君 た ち に大 切 な こ とを教 えて も ら うこ とが で きま した。 あ り
が とう !
本 当 に あ りが と う
!
い ず れ 機 会 が で きた ら、私 自身 も一 緒 に 出 か けて み た い な あ と思 っ てい る この ごろ
です 。
∼ 16∼
第 10回 「国際参 加 プ ロジェク ト (フ ィ リ ピン)」 報告書刊行 に寄せ て
総 合 地 球 環 境 学研 究所 研 究員
(タ
辻
貴志
ガ ロ グ語 講 師 )
「皆 さん の フ ィ リ ピン に 対 す るイ メ ー ジ を聞 かせ て くだ さい 」
昨年 度 に つ づ き、今 年 も 「国 際 参 加 プ ロ ジ ェ ク ト (フ ィ リ ピ ン )」 の 派 遣 前 研 修 で
タガ ロ グ語 会 話 を指導 す る大 役 を つ とめ させ て い た だ く こ と とな っ た が 、講 義 の は じ
めに 、私 は 冒頭 の よ うな質 問 を参 加 者 にぶ つ けて み た。
この よ うな質 問 を した の に は 、 これ か ら フ ィ リ ピン とい う国や そ の 人 び と と関係 を
築 こ うと意 気盛 ん な、と りわ け 20歳 前 後 の 若 い 人 た ちが 、どの よ うにそ れ らに つ い て
理 解 して い るか 、 あ る い は どの よ うに 関 わ って い こ う と してい る のだ ろ うか知 りた か
っ た か らで あ る。
「貧 富差 」「熱 帯 」「看 護 師 」「バ ナ ナ 」「や さ しい人 た ち 」 な どの キ ー ワー ドに集 約
され る回答 が得 られ た 。 どれ も尤 もだ し、 フ ィ リ ピン とい う国や 人 々 の 特徴 や 問題 点
につ い て 、少 な か らず 大 学 の 講 義 や 本 、 ニ ュー ス な どで 知識 を身 に つ けて い る こ とが
うか が えた 。
少 々 い じわ るか も知 れ な い が 、私 が 期 待 した 「か わ い そ うな人 た ち」 あ る い はそ れ
に類 す る回答 は み られ な か つ た 。 む しろ 、 さま ざま な 問題 を抱 え つ つ も、 あ る い はそ
うだ か らこそ助 け合 つ て あか る く生 き る人 々 が い て 、彼 ら と対 等 な 目線 で 交 流 す る こ
とで フ ィ リ ピン とい う国や 人 々 に つ い て 学 ん で い こ う とす る真 摯 で前 向 きな 姿勢 に驚
か され た 。
イメ ー ジ は現 実 を創 造 し、現
人 はイ メ ー ジ に左 右 され 、 現 実 の なか で 生 き て い る。 ノ
実 はイ メ ー ジ を増 長 し、往 往 に して人 の 視 野 を 曇 らせ た り偏 狭 にす る こ とが あ る。 た
とえ ば、 あ る県 の プー ル や 銭 湯 で性 病 が 蔓延 す る と して フ ィ リ ピン人 女性 を締 め 出す
事件 が 実 際 に起 こった 。 それ は 一 部 の 在 日フ ィ リ ピ ン人 女性 を エ イ ズ に感 染 した 売春
婦 の よ うに見 て い た か らで あ る。一 方 、フ ィ リ ピン人 が一 重 まぶ た の 人 を 目に す れ ば、
自分 の 両 眼 を指 で 横 に伸 ば して 相 手 の 細 い 目を こ と さ ら強調 しよ うとす る し ぐ さが テ
レ ビや巷 で少 な か らず 見 受 け られ る (私 事 だ が 、 わ た しは 辟 易 す る ほ どフ ィ リ ピ ン人
に よ く この しぐ さを され る。 最 近 、 ア メ リカ で は、 この し ぐ さを した 若 手 女 性 芸 能 人
が 、 ア ジ ア 人 人 権 団体 か ら人 種 差 別 の 咎 で 告 発 され 、数 十 億 円 に も の ば る慰 謝 料 を請
求 され る事 件 に発 展 した )。
イ メ ー ジ 、 そ して 現 実 に は 背 景 が あ る。 そ う した 背 景 に つ い て公 正 な視 点 を も つ て
理 解 し、 問題 点 に つ い て あ らた め 、 正 して い く こ とが 、 日本 に い るだ けで は み え な い
実 地 で の 人 々 と の 交流 の な か か ら学 び 考 え る 「国際参 加 プ ロ ジ ェ ク ト」 に参 加 した 皆
さん に と つて の これ か らの 役 割 で あ り責 任 で あ る と信 じる。 私 の タガ ロ グ語 の 教 授 能
力 は依 然 と して つ た な い も の で 、研 修 中み な さん に は不 明瞭 な点 な どい ろ い ろ と ご迷
惑 をか けた か とお もい ます が 、 フ ィ リ ピ ンで の 「国 際参 加 プ ロ ジ ェ ク ト」 を心底 か ら
楽 しみ 、 責任 を も つて や りとげ よ う とす るみ な さん の 姿 勢 に さ さえ られ て 、今 年 も無
事任 務 を終 え る こ とが で き た と充 足感 にひ た つ て い る しだ い で す 。
∼ 17∼
『学内連携
(「
国際参加プロジェクト」と「まなび―た」
)の 始まりに寄せて』
言 語 教 育研 究 セ ン ター 講 師
吉 田 智佳・小 林 早 百合
「 国 際 参 加 プ ロ ジ ェ ク ト」 と 「ま な び ― た 」。 活 動 の 場 は 異 な っ て も 、 ど ち ら
も 「ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 に 支 え られ た 活 動 で あ り 、 言 葉 や 文 化 の 背 景 が 異 な る者
同 士 が 関 わ りあ う と い う点 で は 同 じで す 。 こ れ ま で は お 互 い の 活 動 は 知 っ て い
て も 、そ の 活 動 を 連 携 させ る とい う機 会 は あ りませ ん で した 。 しか し 、そ の 「連
携 」 が 実 現 した の で す 。
ま ず 、「ま な び ― た 」 の 活 動 を少 し ご 紹 介 し ま す 。「ま な び ― た 」 の 基 本 理 念
は 「 母語 、 母 文 化 の 違 い を 超 え て 、 共 に 学 ぶ 者 同 士 が お 互 い に 教 え あ い 、 学 び
あ う」 とい う こ とで す 。「ま な び ― た 」 で は 、授 業 とは 異 な り、 学 生 同 士 が 先 生
に な り、 生 徒 に な り 、 教 え あ い な が ら 、 楽 し く コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を は か っ て
い ま す 。 ま た 、 1年 に 何 回 か お 互 い を よ り よ く知 る た め の イ ベ ン トを行 っ て い
ま す 。 自分 の 故 郷 (母 国 )に ち な ん だ 食 べ 物 を 持 ち 寄 っ て 食 べ る ポ ッ トラ ッ ク
ラ ン チ パ ー テ ィ 、 か る た 大 会 、 ゆ か た の 着 付 け 、 習 宇 教 室 、 関 西 弁 セ ミナ ー 、
折 り紙 教 室 な ど を 開 催 して き ま した 。 最 初 は 「互 い に 交 流 を深 め 、 言 語 。文 化
の 違 い を超 え て 相 手 を 知 ろ う」 と い う の が 目的 で した 。 そ れ か ら、 新 た な 一 歩
を 踏 み 出 した の で す 。
き っ か け は 「バ ザ ー 」 で した 。 品 物 は 「ま な び ― た 」 の メ ン バ ー 手 作 り の ち
り め ん マ グ ネ ッ トと フ ェル ト素 材 の 小 物 た ち 。 日頃 持 ち 慣 れ な い 針 と糸 で 縫 っ
た り 、 綿 を つ め た り 、 リボ ン を結 ん だ り … 。 そ の 作 業 を しな が ら 、 だ ん だ ん と
メ ン バ ー の 心 は 一 つ に ま とま っ て い き ま した 。「心 を 込 め て 作 っ て 、買 つ て い た
だ い た 代 金 は す べ て イ ン ドネ シ ア 、 フ ィ リ ピ ン の こ ど も た ち の た め に 使 っ て も
らお う !」 と。 と は い え 、「ま な び ― た 」 の メ ン バ ー に で き る こ と は 心 を 込 め て
作 り 、 思 い を伝 え て 、 気 持 ち 良 く買 っ て い た だ く こ と。 どん な に 頑 張 っ て も そ
こ ま で しか で き ま せ ん 。 そ こ か らは 「国 際 参 加 プ ロ ジ ェ ク ト」 に 関 わ る 方 々 に
バ ト ン タ ッチ !バ ザ ー に も 協 力 を 申 し 出 て くだ さ っ た 、 地 域 文 化 研 究 セ ン タ ー
の 澤 山先 生 、 椋 野 先 生 、 そ の お 金 を ドッ ジ ボ ー ル や リ コ ー ダ ー に か え て 、 イ ン
ドネ シ ア と フ ィ リ ピ ン の 子 供 た ち に 届 け て くだ さ っ た 、 住 原 先 生 、 倉 光 先 生 、
そ して 「国 際 参 加 プ ロ ジ ェ ク ト」 に 参 加 され た 学 生 の 皆 さん 、 多 く の 方 々 の お
力 添 え を い た だ い た お か げ で 「ま な び ― た 」 の 思 い は 両 国 の 子 供 た ち に 届 け ら
れ ま した 。
人 間 一 人 の 力 は 微 力 で す 。 しか し 、 思 い を 同 じ くす る 人 た ち が 集 ま り、 力 を
合 わ せ た と き に は と て も大 き な 原 動 力 に な りま す 。 こ の こ と を 、「国 際 参 加 プ ロ
ジ ェ ク ト」 と 「ま な び ― た 」 の 連 携 で 体 験 させ て い た だ き ま した 。今 回 で き た 、
こ の 「手 の つ な が り」 が 片 方 の 手 に も 、 そ して 、 ま た 別 の 手 に も つ な が っ て い
く こ と を 期 待 して い ま す 。
∼ 18蒋
「Jい 」 で 受 け入 れ る大 切 さ肌 で 感 じ
∼ 「国際参加プ ロジェク ト」 を取材 して∼
天理教道友社『天理時報』記者 石倉 勤
青空 の 下、そ ろい の ピン ク色 のポ ロシ ャ ツ を着 た 9人 の美 しい 女子 学 生 らが 、吹 き 出す
汗 を拭 い なが ら、 フ ィ リピンの子 供 た ちに リコー ダ ー を指導す る一― 。 い ま 、 そんな光景
を思 い浮 か べ なが ら、報告 文 の幸
九筆 に当た ってい ます。 当然 、 同 じポ ロシ ャ ツ を着 て 。
天理大学地域文化研 究 セ ン ター が主 導す る第 10回 「国際参 カロプ ロ ジ ェ ク ト」 が 2月 2
1日 か ら 3月 4口 まで の 12日 間、フ ィ リピン・サ ンタ ロー サ市 を中心 に実施 され ま した。
『 天理 時報』 の記者 である私 は、2月 26日 に現 地 に入 り、最 終 日の 3月 4口 まで 同行 取
〃
材 に当た りま した。 そ の様 子 を紹 介 した記 事 は 「 国際支援 の こころ″学 ぶ―― フ ィ リピ
22口
号 1面 )と の見 出 しで無 事掲載す る こ とがで きま した。紙
面 を通 して 、同 プ ロジェク トの 内容 ・ 成果 は も とよ り、天 理 大学 が標 榜す る 「他者 へ の献
ンで文化 交流体験」 (3月
身」 を国際的 ス ケ ール で実践す る熱 き学生 た ち の 姿 の一 端 を、教 内 の 多 くの方 々 に知 って
いただ けた ので はな いで しょ うか。
今 回 の 取材 の狙 い は、掲載 記事 に も記 した通 り、「彼 女 た ちは何 を求 めてプ ロジ ェ ク ト
に参加 し、異 国 の地 で何 を学 んだ のか」 を知 るこ とで した 。
プ ロ ジェ ク トには、教 内外 を問 わず 、これ まで に延 べ 135人 の学 生 が参加 してい ます。
そ の OBoOGの
中 には、海 外 の 総領 事館 の在外公館 派遣員や海 外布 教 に従事 す る者 をは
じめ、何 らか の形 で海外 に関わ る仕事 に携 わ ってい る者 が少 な くあ りませ ん。 この こ とか
〃
ら、学 生た ちは プ ロジ ェ ク トを通 じて 、 自 らの進 路 を も決 定 づ け る特別 な 異 文化体験〃
を してい る こ とが分 か ります。
「そ の体験 が 、 どの よ うな ものか知 りた い
!」
。同行 取材 が決 定 してか ら急濠 、澤 山先 生 に
無理 をお願 い してホ ー ムス テ ィ先 を探 して も ら うな ど、学 生 た ち と同 じ生 活環境 を整 えて
いただ き、少 しで も彼 女た ち と思 い を共有 で き るよ うに努 めま した。
滞在 中、熱 心 に活動す る女 子学 生 ら 9人 。 一 人ひ と りの表 情 は実 に輝 いてい ま した。 そ
んな彼女 た ちに、私 は 「なぜ ?」 「 ど う して ?」 と質 問 し続 けま した 。私 た ちは 「嬉 しさ」
「楽 しさ」「悲 しさ」「悔 しさ」 な どを感 じた とき、そ の感 情 がい った い 何 か ら生 じて い る
もの な のか 自覚 して い ない こ とが少 な くあ りませ ん。質 問 され た 学 生 たちは 、 心 の 中 (ま
〃
た は、潜在意識 の 中)で 記 号〃 の よ うな形 で浮 遊 してい る感 情 の源 を、 一生 懸命 に言葉
1こ
しよ うと して くれ ま した 。
私 が ,い か ら うれ しか つ た の は、投 げか ける質 問 を単 に 「取材 」 としてではな く、思慮す
べ き 「 自らの 問題 」 として捉 え 、真倹1に 答 えて くれ た こ とです 。「い ま私 は何 をす べ きな の
だ ろ う ?」 と。
取材 を進 めてい く うちに、学 生 た ちに さま ざまな変化 が 見 られ るよ うにな りま した。 あ
る些細 な出来事 をき つか けに 「ホ ー ムス テ ィ先 の方 々 を初 めて『 家族 』 と感 じた 」「現地 の
〃
食 べ 物 が初 めて お い しい 〃 と感 じられ た 」「あ る風景 が昨 日と違 つて 、 明 る く見 えた」、
お道 の学 生 で あれ ば 「一 方 的 に教 えを伝 え るだ けで はだめ。 まず は現 地 の 人 た ち の宗教や
考 え方 を理 解 しな けれ ば」等 々 ……。彼女 た ちは、 こ うした変 化 をき つか けに、 自らが感
∼ 19∼
じた こ とを徐 々 に明確 な言 葉 で表 現 して くれ るよ うにな った と思 い ます。
結果 、私 が彼女 た ち の感 じた こ とを どれ だ け聞き出 し、言語化 (記 事化 )で きたかは定
かでは あ りませ ん。 しか し、取材 で感 じた 私 な りのプ ロジェク トの神 髄 を言 うな らば 、参
加 動機 や夢や 目標 、現地 での体験 が異 な ってい て も、「異文化 を『 頭』で分 か ろ うとす るの
ではな く、
『 心 』 で受 け入れ る大切 さを肌 で感 じる こ と」 がで きる とい う′
点だ と思い ます。
これ は 、教 室 の 中で 学 べ る こ とで はな い し、単 に観 光 として現 地 へ赴 くだ けで は体験す る
こ とはで きませ ん。 リコー ダ ー指 導 な ど現地 の方 々 との交流 の 中で、言語や文 化 の 障壁 を
乗 り越 えて 、 ともに喜 び や悲 しみ を分 か ち合 お うと一 生懸 命 にな るこ と、 さらには 「喜 ん
で も らい たい !」 と 「他者 へ の献身」 を実践す る こ と一― これ らの経 験 を通 じて初 めて到
達す る境地 ではないで しょ うか。
この よ うに、「国際参加 プ ロ ジ ェ ク ト」 は 、 ま さに 「他者 へ の献身」 を 国際的 ス ケ ール
で 実践 し、大学 の教育 目標 で ある 「宗教性」と「国際性」を学生た ちに涵養 す る もの だ と、
あ らた めて感 じた 次第 です。 そ して 、大学在 学 中に一 人 で も多 くの学生 に参加 して も らい
た い と強 く思 いま した。
末筆 です が 、引率 の住原 セ ン ター 長や澤 山先生 をは じめ、サ ンタロー サ 出張所長 の上 田
先生 、現地教友 の方 々 、
美 しき 9人 の天理大女子 学生 らプ ロ ジェク ト関係者 の皆 さまには 、
取材 に 際 し、多大 な るご理角罪とご協力 を頂 き誠 にあ りが と うご ざいま した。 この場 をお 借
りして 、厚 く御礼 を申 し上 げます 。
それ に して も 「あ ぁ、記者 として ではな く、学生時代 にメンバ ー として参加 してお
きた
か つ た な ぁ」 と後 悔 の念 にか られ る今 日この ごろで す。
「
コラム①
子どもたちがメンパーを呼ぶとき、アクセントは語尾!》
《
小学校 に行 つたときに、生徒たちが私 たちの付けている名札 を見てみんなの名前 を呼んで く
れます。「amamw J「 kacchanI」 「mayL=nW」 アクセン トは全部語尾なのです。フィ リピンの人は
お互いの名前 も語尾にアクセン トを置 くようです 。 これ も、文化の違いなので しょうか。
ミスターサヤワマァ ??
フ ィリピンの人にとって「澤山」先生の名前は発音
しに くいようで、必ず一度は「 ミス ター ロBロ サヤ
ワマァ ?」 と言 い間違えていま した。ちなみに、住
「 sBロ ロ」ス ミハ ラのスも出て
原先生のお名前は、
こなか つた ようです
∼ 20∼
「国際参加プロジェク ト(フ ィリピン)」 謳歌
天理高校 椋野 和子
は じめて地域文化研究センター を訪れたのは 2006年 で した。2009年 の今 も時々研究棟 の廊下を
歩 くことがあ りますが、プ ロジェク トの一員を実感す る時です。「フィリピン・プ ロジェク ト 06」
に参加 したあと、'07年 のフィリピン、'08年 にはイ ン ドネ シアでのプ ロジェク トに共同研究 員 と
して同行 を許 されま した。
「国際参加プ ロジェク ト (フ ィリピン)」 では、その国の人 々に接 し、現実 を見、知 り、学び 、異
文化を体験 しプ ログラムに沿 って活動 しま した。それ らのすべてに感動 し、大袈裟 ですが生きるこ
との真意を問 うきっかけとな り、今 を感謝できることに繋 がつています。生きる喜びを行動に表わ
すまでには大変なエネルギーが必要です が、私に とつてそ の一歩を踏み出す勇気を与 えて くれたの
がフィリピンでのプ ロジェク トで した。
`06に 活動を共にした卒業生が国際社会で活躍 している様子を聞かせてもら う場に居合 わせ 、聞
きなが ら幸せ感に浸 ることがあ りま した。それ は 「国際参加プ ロジェク ト」 が、国際人を育てる人
材育成 につ ながってい ると感 じた一瞬 で坑
世界を知ることはとて も大切 な ことです が、実際 に行動 に移すのは難 しいことです。今回の第 10
回 「国際参加プ ロジェク ト (フ ィリピ刀 」の出発直前、参加者 の皆 さんに 「1分 1秒 も無駄にせず
感動を胸 の 中に叩き込んでくだ さい。時間はあつ とい う間に過ぎて行きます。皆 さんが今後歩まれ
る道 を人生 とい う本に例 えるな ら、 このプ ロジェク トはその大切な 1ペ ージになるに違い あ りませ
ん」 とエール を送 りました。 フィリピンでのプ ロジェク トがなくなるかも知れない とい うことを聞
子動す
かされた後であ り、私 自身プ ロジェク トに関わ った数年間が人生の大事なペ ージに相 当し、イ
るきつかけを作 って くれたか らでもあ ります。
フィリピンでのプ ロジェク トは、いつ までも心 の中に感動が蘇 ります。プ ロジェク トの参加者は
一様 によかつた と振 り返 ります。何 がそんなに ?と 言われ ても、言葉で表現 し難 ヤ洵いでの問題が隠
されてい るように思えてな りません。 フィリピン人 のホスピタ リテ ィー はもちろん、プ ロジェク ト
におかけくださる諸先生方 の想 い とお力、綿密 な現地調査 、現地の方々の協力 と日本 から応援 くだ
さる多 くの方 々のお陰でもあ ります が、直接 ご指導 くださった澤山先生の学生へおかけくださる念
(お もい)に よるところが大きい と思 えてな りません。
プ ロジェク トの全工程 の前面 には出てこない影 の教育、それ はふ と漏 らされ る先生の一言の 中に
光 ります。何かを伝 えよ うとして くだ さるのだけれ ど、全てを明か さないまま個人 の学びにまかさ
れる部分があ り、その人 の糧 となる量は個人 の気づ きと受 け取 り方によりちがつてきます。決 して
押 し付けではない教育、 自ら学ぶ とい うことを心がけてお られたのではないで しょ う力ち 学生 の秘
めたる力を伸ぼす教育 をされてい ることに心を動 かされま した。
参加者が得 た他渚へ の献身の喜びは、帰国後 に作る文集 の 中に表現 されます し、現地活動中の笑
顔 と言葉 の 中にも感 じま した。「国際参加プ ロジェク ト」の 目的である宗教 l生 と国際 l生 の酒養が培 わ
れたに違 い あ りませ疵 学生達はそれぞれに大切なものを感 じ取 り、帰国後 に道を切 り開 こ うと模
索 します。そ こに先 生は時機 を逸せずポイ ン トをご指導下 さり、伸 びる天理大学生を育てて くださ
いま した。
颯爽 と歩かれるお姿か ら感 じられ る怖 さと厳 しさと不思議 さをお持ちのお人柄にプラス、
へ
弱者 注がれる優 しいまなざしに驚 くことも多 くあ りま した。Mツト出張の前には必ず神殿 で頭 を垂
れます」 とおつしやった言葉 は印象的です。今年度 で本学を去 られ ることは、先導 を失 ったか の よ
うな心の揺 らぎを覚えます。学生 の最 も近 くで、影 の力で大きく支 えて くだ さつた先生、そ して「国
際参加プ ロジェク ト (フ ィ リピン)」 にお心をおかけ下さつたすべての皆様 に、お礼 申 し上げた くフ
△
催 をあつかま しくも申 し出ま した。 心か ら厚 くお
ィリピンでのプ ロジェク ト終焉 の文集 に、その下
ネL申 し上げます。本 当にあ りが とうございま した。
科 21Ⅳ
第 1部
参加者感想
Our impressions
天理 大学 「国際参加 プ ロ ジェク ト」 の エ ッセ ンス
∼天理 ス ピ ジッ トの継承 を願 つ て∼
澤 山 利広 ……23
「′
い」 で受 け入れ る大切 さ肌 で感 じ
グラワン・ベセスナ・アコン・ ドゥマティン・サ・ピリピーナス
!
大好 きな フ ィ リピンヘ !1
1 hope..
椋 野 ま ゆみ …24
椋 野 美和 ……25
フ ィ リピン とい うス テ ー ジで │!
奥 きよか ……26
安 田 美貴子 …28
Hanggang sa muli(ま た会 う日まで)│!
フ ィ リピンでの活 動 を終 えて
久保 真 百 … … 30
岡島 美佳子 …32
き つ か けを与 えて くれ た旅
初 めての フ ィ リピン
北嶋 美根子 … 35
貝増 舞 …… … 36
た くさん の 出会 い
柳川 賀津子 … 38
留 22∼
天理大学 「国際参加 プ ロジ ェ ク ト」 のエ ンセ ンス
∼天理 ス ピリッ トの継承 を願 って∼
澤 山 利広
フィリピンでの 「聰
[プ ロジエクト
」は御コをもつて終了 しますとその
ことは 2008年弱朗台まつた頃には想定されていまし亀 私も研修途中の 12
月濶 司こイ
よ 当弾
紺
ることが決まり、本活動媚
│き
を最後の仕事 と位置付けまし亀
このブねグラムの目的イ
k 靴堵ムの献身」を国際的なスケールで実践呟 宗毅性と国際性を酒薦するこ
剖司目陵り本験の疋
とにありますとそのため、現地での活動同様に、派遣前の謂学・技能修留卯吸 さらにイ
乍りを重視してきまし亀
斗脱 ための文集イ
着と各方面―のこ
でし亀
フィリピンでのプロジェク トを進めるにあたり留意 してきたことは、曙耀約雛珈 と 的
前者は天理勃コのネットワークやノウハ ウを活用させていただくとい う点もさることながら、天理教を含む
宗勃■ンセンスを取 り入れた人づくりを自味しますと天哩痣詢五翌髪婢ψ慌譴弊確療戴機関を前身とする
人々とのアゴラ ⊂樹専銹髯撃争勤動 となっていま丸
学校剰 まありますが、今では天理教信者とそ うで細ばヽ
ーのディンプリ切 u凛 な りながらも、多文化を誰 ・硼究するコ
よ 1誡 メンクベ
伽 』赳党期腑 センターイ
スモス 僻蒔整然 とした統■体としての世界)の 形成を目指 していることを嵩識 呟 に靭参加プロジェク
ト」の衛酎よ 5用 唾教をはじめとする様々な表劉破 しながら人々の拠 %界 鑢 を払える国際人の育成を
地域に育まれていることを考え孵武 キャ
重視してきまし亀 4跨部まIW釉 朝 かれた大学を志向呟 均 ミ
ンパスの内と外での知恵と経験との売殉よ 海外での活動であつても当然の ことですも このプロジェク トで
よ これらを実施するに足る十分な技術を
現地の店操教育や保健衛生の改善などに取り組むことができたのイ
備 えた市民の加画があつたことは明らかで坑 これ ら2つ の要素が に際参加プロジェクト」を宗教私宰な
らではの教育プログラムとして特徴づt大 グローノシレと口▼カルの両方向に支援の輪翔山党 がら発展させ
てきた理由であつたに他な りませ疵
チェック都 度となく繰 り返 呟 フィリピンでのプロジェク トの軌跡赫 り返ると、さらにこの
拗
されますもそれはズ理ス ピリットの候暦で丸 浅辞の私はその合意を「陽気ぐらし」
薔話慟 ヽ
続きがあることイ
世卿蓋剣彗 議 にきると期 字しています力\ それ ま世界平和を荷求する全ての人 々が共感できる坤
ヒする
ですとこのプログラムに参加した我たのこれからのミッショ冽 よ 構:々 な形で天理スピリットを具現イ
しく大規模な企てでなくても、胸 隣人を愛せ」や「無
リ浄
ことであると自覚 しておきたい所ですもそオ
・のような、 日常の生活での′
己鯰ミ
けから
鋤
」
財 の七施 G励伝 和顔施(愛 語施(身施(,両は 軸
始められることにこそ真髄があるように静 ま 坑
最後に、当プロジェク トをご支援いただいた学内外の方々に深甚のお礼を申し上げますと既に天理大学を
別 lこ 出向いたどのメンバーが
離れた身ではありますが、今さらながら再認識することがありま丸 それは丁
欠けても、このプロジェク トが成り立たな力め たのはもちろん、周 りでヒヤ ヒヤしながら見守うていただい
寄稿茨の行間にイ
よ 現地社会榊笏鄭関朝 る期待に
た関係者や、面識のない方々のご協力の大きさ砿
らイ
封調こ
虫 ―
も増 して、参加者の成長を願 う動 彰刊睦 しがあふれていますとそのお陰で帰国後吻 酵初ヽ
∼ 23∼
「与えるよりも与えられたものの方力滋効ヽ
っ抱 との感想が聞かれますが、 4度のフィリピン
(「
フィリピ
ン・プロジェク ト田」を含む)I勤 日
え、中臥 イン ドネシアを含め、計 8回 のプロジェク トに携わる機会を
こそ力半番 の印罰こわ た崎曇 ヽ
ありませ疵
鶴
也σ)国 で実施されるこれからの 「国際参加プロジェク ト」が 聴謝・慎み 。たすけあセ酒 の心を育み、天
イ
さらなる攀
を担うことを心より祈念致 しま九
中
*
施すべ』弘 説くべき貌な 死
難しる
り隠 力がなくても、誰も力斗てで 聰
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載 rゴ
∼ 24∼
にミ る七つの施しを示し幹
グラフン・ベセスナ・アコン・ドゥマティン・サ・ピリピーナス
!
天理教敷島大教会 よふぼ く 椋野 ま ゆみ
「私はフ
このタイ トルは、私 が 自己紹介す る時に使 つたタガ ログ語で、
ィ リピンに来るのは 2回 目です」 とい う意味です。行きの飛行機 の 中で
必死に覚え、今ではふ とした瞬間に頭 に浮かんでくるほど身につい てい
ます。 これ をさらつ と言 うと現地 の人 か ら 「お ぉ∼」 つ とい う歓声 があ
が ります。お気に入 りのフレーズなので本文 のタイ トルに しま した。
今回参加 したのは、 このプ ロジェク トの 「現地 の人 と触れ合い、 自分 ができることを一生懸命や
った結果が彼 らの笑顔 となって返 つて くる」 とい うところが、 これか ら私 がや りたい こととぴった
り合致 していること、そ して 2年前に味わったその喜びを、もう一度体験 したい と思 つたか らです。
また、 自分が将来進みたい道 のヒン トを得 られ るかもしれない との思い もあ りました。女 の子 9人
だけのメンバーで、初海外 の子が 5ノ塩 初 めは不安 の方が勝 ってい ま した。活動 は体力 も精神力 も
必要で、時には力仕事 もあることを知 つています。 しかも生活環境や食生活 も全然違 うところで、
配 だつたのです。
日本 の便利 な生活旧 l貫れた子 が、果た して本当に大丈夫力北 ヽ
全 11泊 12日 の行程 の 中で体調不良になる参加者 もいま したが、大きな病気や睡我をす ることも
なく、最終的には全員 が元気 で帰国できたことは、親神様 のご守護あってのことだ と思います。ま
た、先生方 の甚大 なるご配慮 とご支持があったか らこそ、プ ロジェク トの活動が 円滑にできた こと
は言 うまでもありません。
私が以前訪れた 2年 前に比べれば、学校 での IDカ ー ド導入や 自家用車の増加、スーパーマー ケッ
トでのエ コバ ッグ販売な ど、発展や変化がた くさんあ りま した。 しか し、人 の温か さや親切 さは当
時 と何 ら変わっていませんで した。同 じ街並みが私を待 つていて くれました。 トライシケルの運転
手 のスマイル には 「フィリピー ノ・ ホスピタリテ ィ」があふれていました。
私は、先進国 と途上国 との格差を少 しでも縮 めたい とい う想 いが あ り、将来は途上国の生活 の改
善 に関わ りたい と考えています。 しか し今回、国 と国 との格差 よりも、 フィリピン国内での格差が
想像以上に大きいことを知 り、 とても驚きま した。サ ンタ ローサ市でさえも、お金持 ちの家 は 「超
茨邸」 と言 う言葉 が しっ くりくるほど大きく、玄関の門は立派で、ダイ ニングキンチ ンが 3つ もあ
り、お手伝 い さんまでい るのです。一方で屋根の穴をグンボールでふ さいででい るよ うな家 もたく
さんあります。けれ ども、屋根が穴だ らけでそれを修理するお金がないか ら不幸だ とい う概念 を彼
らは持 っていない とい うことで抗。周 りには愛す る家族や友達がた くさん居て、それだけで幸せな
んだ と、彼 らの笑顔 が語つていたように感 じま した。 どんなに貧 しくても人 々は陽気 に笑 い、お し
ゃべ りに花 を咲かせていま した。 とにか く陽気で楽 しそ うで した。私 たちのような外国人 と目が合
えば必ず微笑 んでくれるのです。そ こに、天理教 の 目指す陽気 ぐらしを見た気が しま した。
TGOや ヽ
I)0な どの団体 とは違 い、国の発展のための経済援助や技術支援 を行 う「物理的」
まヽ
天理教イ
い」を救 うのだとい うのを聞いてとて も腑に落ちま した。経済発展や国家間の格
な救いではなく、「′
差縮小は重要 な課題ではあ りますが、心を救 うことがで きれば、経済格差なんてものも軽微なもの
に思えてきます。心が救われなければならないのは私たち 日本人 であ り、今回のプロジェク トで心
を救われたのは私 自身だったのか も しれません。大好きな フィリピンに恩返 しができるよう、今後
こり 封 Y義 時ちをま府夭 南Υ
稽醐池責任をもつて行動していきたいとJ思 つ即 7ます
∼ 25Ⅳ
大好 きな フ ィ リ ピンヘ
!
,
天理教敷 島大教 会 よふ ぼ く 椋 野 美和
今 、 日本 に帰 って きて思 うこ と。「フ ィ リピン にまた帰 りた い」
とい うこ と。 あ の 、 心の温 かい 国 へ 帰 りた い 、そ う思 った。
今 回 の参加 は、私 に とつて 2度 目参力日の理 由も 2つ で ある。 1
つ 目は、昨年教職 を 目指す べ きか悩 んでいた 私 に 、教 師 を 目指 し
た い !と 思 える大 きな き っか けを与 えて くれ た のが 、 このプ ロ ジェク トであったか らだ。
昨年 の リコー ダ ー 指導 でメ ンバ ーや子 ども達 か ら大切 な こ とを学 んだ 。本気 で子 ども達 に
向き合 う、そ うすれ ばき っ と子 ども達 に思 いが伝 わ る とい うこ と。 そ う思 わせ て くれ た フ
ィ リピン に も う一 度行 きた い と思 っ た。
サ ンタ ロー サ に着 くと、懐 か しい 町並 みや トライ シクル が待 ってい た。それ らを見 る と、
昨年 の感 動 が蘇 っ て くる よ うで 「よ しつ !来 たぞ∼
と胸 の フク フクが 抑 え られ な い く
!!」
らいだ っ た。
小学校 の リコー ダー指導 では、 昨年 とは心持 ちが違 つ た。 昨年 は全力 で 楽 しも う !と い
う気持 ちが強か っ たが 、今 年 は初 めての授 業 を前 に緊張 してい る 自分 がいた。 今 回 のプ ロ
ジェク トはそれ ほ ど自分 に とつて 大 きな もの であ り、 どれ だ け期待や 楽 しみ、不安 を持 っ
てきたのか を表 してい るよ うだ っ た。
しか し、 リコー ダー 指導 が始 ま る とそん な緊張 は どこへ や ら、毎 日が楽 しい !必 死 !全
力 !感 動 !だ っ た。指導 が なかなか うま く進 まない時で も、子 ども達 の一 生懸 命 に指 を動
かす あ の姿 を見て いた ら、私 が 「 うま くいか ない な ∼ 」 なんて沈 んで い る暇 なんてなか っ
た。
また 、子 ども達 の 下手 で も一生 懸命 な演奏 を聴 いてい る と、 こんな音 楽 も素敵 じゃな い
か !と 思 え るこ ともあ つた 。実 際 に 4日 間 で 仕 上 げた 「レロン レロンシン タ」 は とて も心
に響 い て くるものだっ た。 コ ンサ ー トで彼 らが演奏 してい る姿 を 間近 に見て い て 、胸 が き
ゅつ と締 め付 け られ 自然 と涙 が 出 て きた。
人 は困難 な場 面 にぶ つ か っ た時 、それ を乗 り越 えるた め の原動 力 とな るもの を持 ってい
る とい う。 それ は人 それ ぞれ にあ る もの だが 、私 の場合 は しん どい時 こそ子 どもの姿 が必
要 な の だ とい うこ と、それ をシナル ハ ン小 学校 で の リコー ダー 指導 を通 して気付 くこ とが
で きた。また、子 ども達 との 交流 はた っ た 4日 間 の もので あ っ たが 、そ の 4日 間 だ けで も
彼 らの成長 をそ ばで見 てい られ た こ とを私 は幸 せ に感 じてい る。
2つ 目の理 由は、 フ ィ リピンにい る大切 な家族 に会 い たか っ た こ とで あ る。 家族 とは 昨
年 のホス トフ ァ ミリー の こ とで あ るが 、私 を家族 の一員 として迎 え入 れ て くれ た彼 らに再
び 会 い た い と思 つ た。 フ ィ リピンの皆 さん に共通 して言 えるのは 、 とて も温 か くて 、 とに
か く明 るい !私 のホス トフ ァ ミ リー もそ の よ うな家庭 だ つ た。 いつ も笑顔 の絶 えない 素敵
な家庭 な のだ。英語 はお互 い に母 国語 で はない けれ ど、 めい っ ぱい 会話 した り、冗談 を言
い合 っ た りしてい る時間が楽 しか っ た。
ママ は時 々 、近所 の親 戚 の 家や友人 宅 に私 を連 れ て行 き、「私 の新 しい 娘 よ」 といつ も
紹介 して くれ た。 そ の台詞 を聞 くたび私 は嬉 しくなったが 、 ひ とつ 大 きな こ とを忘れ てい
∼ 26Ⅳ
た。私 は ママ の こ とをいつ も 「Adaさ ん 」 と呼 ん でいた の だが、あ る 日ママ か ら 「あなた
は いつ も私 の こ とを Aidaさ ん と呼ぶ けれ ど、 マ マ と呼んでね 、娘 なんだか ら」 と言 われ
た。 そ の 時 は っ とさせ られ 、私 が 家族 にな ろ うと してい なか った のか な と反 省 しつつ も、
そ う言 って くれ たマ マの気 持 ちが とて も嬉 しか っ た。 そ して今 、私 には フ ィ リ ピン に帰 る
ところが 2つ もある こ とを幸せ に思 う。
今年、昨年 のホス トフ ァ ミ リー を訪れ た時 に も昨年 と同 じよ うに、「美 和 が来 た よ―
!」
と、皆 が笑顔 で迎 え入れ て くれ た。家 々 か らどん どん 家族 が 出 て きて くれ て 、皆 で集 ま つ
て思 い 出話 に花 を咲かせ た。「家族 つてい い な」、純粋 にそ う思 わせ て くれ る フ ィ リピン を
私 は うらや ま しくも思 えた。 いつ も人 々の笑顔 と笑 い の絶 えない 、温 かい 国 フ ィ リピン。
人 と人 との近 さ、 温 も りの近 さを言葉 で表す の は本 当に難 しい 。言葉 で表現す れ ば軽 く聞
こえて しま うか ら、簡単 に言葉 で 表す のが も つたい な い くらい の感動 がそ こにはあつた。
も しかす る と、 フ ィ リピンの人 々 の心 は 日本人 よ りもは るかに豊 か な のか も しれ な い 。 フ
ィ リピン共和 国 としては これ か らも社会 的、政治 的 、経済的 な発 展 を 目指す だ ろ うが 、今
の彼 らの温 かい心 は変 わ らず にい て ほ しい と願 うば か りで ある。 こん な素晴 ら しい 国 へ 、
また必ず帰 りた い 。 フ ィ リ ピンにい る時か らそ う思 っていた。
ある晩、夜 空 を見 上 げた とき、暑 い 気候 の 中で 北斗 七星 とオ リオ ン座 を見 た。 そ の とき
思 つ た の は、 日本 も フ ィ リ ピン も同 じものが見 え る く らい 近 くにあ つ て 、世界 は繋 が って
い るのだ とい うこ と。 だか ら、必ず帰 っ て こよ うと決 めた の だ 。最後 に、天理教東本 大教
会サ ンタ ロー サ 出張所 の先 生方 、 ホ ス トフ ァ ミリー 、 プ ロジェ ク トの メ ンバ ー 、そ して ご
協力 いただいた 多 くの方 々 に感謝 したい。皆 さん の ご協力 な しには この 「国際参 加 プ ロジ
ェ ク ト」 は成功 しなか っ た と思 う。 心か ら感謝 して い ます。本 当にあ りが と うご ざい ま し
た。
i‐
…
…
コラム②
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
¬
…
《トイ レ&お 風呂》
フィリピンと日本の文化の違 いを一番身近 に感 じる ことがで きたのは トイ レとお風 呂で した。
トイ レとお風呂 (シ ヤワー)は 一つの空間で、日本 でもよ くあるユ ニ ッ トバスの よ うな形式 です 。
まず、基本的に トイ レには便座 と トイ レッ トペーパーはあ りません。便座 がないので「空気椅
子 J状 態で用を足 していま した。そ して トイ レッ トペーパーはな く、使 つたとしても便器 に流 し
てはいけません。排水設備などが十分ではないため、配管の つま りの原因にもな って しま うか ら
一が な いので、便器 の横 に置 いて あるバ ケツ
です。また、水洗式 トイ レなのですが水を流す レ′`
か ら手桶で水 を汲んで流 します。手動式水洗 トイ レです。 これがまた流す のが難 しい
フィリピンは常夏の国なので、お風 呂でお湯 は出ません。シャワーか ら出て くるのは水だけです
!
(お 金持ちのおうちに行 けば給湯設備 があ りますが 、一般家庭 では水
のシヤワーが主流です)。 ち ょつと鉄臭 くて初めはみんな抵抗があるの
ですが、慣れ ると案外気持ち いい ?!さ らに、お肌や髪の毛の調子 が
よ くなつたとい う声が続出で した。
シャワーがな いおうちもあ りま
すが 、その場合 は トイ レの水洗 と併用 しているバ ケツと手桶 を使 つて
水浴びを します。立ち っばな しでシャワーなの で、 日本の湯船がち ょ
トイ レ&お 風 呂
つぴ り恋 しくな りま した。
∼ 27∼
I hope…
天理教笠 岡大教会 よふ ぼ く 奥 き よか
天理大学 「国際参加 プ ロジェク ト」 に社会人 として 、 また 、 よ
ふ ぼ くとして参加 させ ていただき、人 と人 とのつ なが りの大切 さ
を今 まで以 上 に感 じさせ られ ま した。
初 めての海外 、私 の英語力 はほぼゼ ロに等 しく、 もちろんタガ
ログ語 なんて喋れ ない 、 しか し不 安 よ りも期待 が大 き く、 なん とかな るで しょ !と い う思
いで 出発 の 日を迎 えま した。
私 の参加志望動機 は 、 こ どもが好 きだか らとい う理 由で した。 サ ン タ ロー サ の子 ども達
は、 とて も明 る くいつ も笑顔 で私 た ちを迎 え入れ て くれ ま した。 リコー ダー 指導 では、 こ
どもた ち の吸収 しよ うとす る姿勢 に圧 倒 され 、大成功 の コ ンサ ー トには 、「あ りが と う」 と
お 礼 を言 い たい くらい感動 させ られ ま した。小学校 での文 化交流 では 、小 さな体 をお もい
き り動 か し、楽 しみ、喜 んで くれ ま した。 そ して 、私 た ちが街 を歩 いてい るだ けで、声 を
か けて くれ る子 ども達 も増 え、 いつ の 間にか長 い列 を作 り、出張所 まで付 いて来 て くれ る
子 ども達 もい ま した。子 ども達 の笑顔 を見て い る と皆 も 自然 と笑顔 にな り、子 ども達 に支
え られ て活動 が 出来 てい る ことを実感 しま した。
また 、私 の このプ ロジェク トでの課 題 のひ とつ 、介護福祉 士 として他 国 の福祉 、 フ ィ リ
ピンの ホ ス ピタ リテ ィー を知 る とい う′
点では、家族 ・ 親戚 Dコ ミュニ テ ィー でのたす けあ
いや絆 を直 に見 て 、知 るこ とができま した。 そ の 中で 、座敷 牢 の是非や 心 身 に障 がい を持
っ た方 々 の生 活 につい て 学 び知 る とい う新 たな課題 が生 まれ ま した。 日本 で 「福祉 」 と言
ず 「福祉制度」や 「福祉施設」 とい う国 の施策 を想 像す ることが 多 く、 どこか冷 たい 印
えイ
象 を持 ってい ま した。働 きなが らも、本 当にや りたい こ とは何 か と 日々悩 んでいた もの に
少 しず つ カタチが 見 えて きま した。今後私 が 、私 の思 い をカ タチ にす るた め伝 え、理 解 し
て も ら うには大変 な こ ともた くさんある と思います が、 この経験 が力 とな り助 けて くれ る
と、 自信 につ なが りま した。
そ して私 は 、ひ とりの よふぼ くとして も成長す ることができた こ とを、 とて も嬉 しく思
い ます。海外 でのお道 の布 教 を窺 い 知 り、 フ ィ リピンの方 々の こころの寛容 さに頭 が 下 が
る思 いで した。 そ して 、 プ ロジェク トの期 間 中には、お さづ けを取 り次がせ ていただ くこ
ともあ りま した。 声 も手 も震 え、感動 で涙 が 出そ うにな りま した。私 自身 、体調 を崩 し皆
に迷惑 をかけて しま う事 もあ りま したが 、参加者 が誰 一 人欠 ける事無 く帰 国 で き、大難 を
小難 、小難 を無難 にたす けてい ただ い た こ と、本 当にあ りがた く思 い ます 。
フ ィ リピンで 出会 った多 くの方 々や友達 に支 え られ 、12日 間楽 しく幸 せ に過 ごす こ とが
できま した。日本 に帰 って 来 た今 、フ ィ リピンの家族
(ホ
ス トフ ァ ミリー)に 会 い た くて 、
帰 りた い 思 いでい っ ぱいです。今度会 う時は、タガ ログ語 でた くさん話 を したいです。
このプ ロジェク トに誘 っ て 下 さつ た高校 時代 の恩師 の椋 野先 生 をは じめ、支 えて下 さつ
た先 生方 、一緒 に参加 した みんな、あ りが と うございま した。私 は必 ず 、思 い をカタチ に、
夢 を叶 えます。本 当に、 あ りが と うご ざい ま した。
∼ 28∼
フィ リピン とい うステー ジで
!
国際文化 学部 アジア学科 中国語 コー ス 4年
安 田 美 貴子
み な さん、本 当にお疲れ様 で した。今 回、「国際参カロプ ロ ジェク
と想 像 してい た
ト」 に参加 して 、私 が 「フ ィ リ ピン は楽 しい
│!」
イ メー ジ とは裏腹 に、私 に とつて 苦手 な ものが た くさん あ りま し
た。 フ ィ リピンは、そんな苦手 だ らけ の私 に克月限す るチ ャ ンス 、
達成す るス テー ジ、そ して大 きな感動 を与 えて くれ ま した。 また
フ ィ リピンの発 展 につい て 考 え させ られ ま した。
私 は今 まで仲 のいい友達 と行 きた い と思 うところへ どこへ で もでか け、 自転車や バ イ ク
で 台湾 一 週 した り、北海道 一月 した りと自由気 ままな旅行 を楽 しんで きま した。今 年 4月
か ら社会人 にな る前 に、大学
4年 間本 当に 自分 の したい こ とだ けを して 、 このまま社会 に
出てい くのに不安 を感 じま した。社会人 にな る前 に「人 のために役 に立 ちた い !」 、そ うい
す るき つ か け とな りま した。
う気持 ちが この 「国際参 加 プ ロジ ェ ク ト」 に参力日
コ
出発す る前、子供た ち とリ ー ダ ー を一 緒 に学ぶ こ とがで きる、ホ ス トフ ァ ミリー と楽
しい Lれ を過 ごせ る、フ ィ リピンの人た ち と楽 しい交 流 がで きるな ど、そんなイ メー ジを
描 き楽 しみに していま した。 しか し、今 回 のプ ロジェク トで、私 はまず 「リー ダー 」 とい
う大役 を引き受 ける ことにな りま した。 自由気 ままに過 ご してきた 私 に とつて みんな の先
頭 に立 って 引 つ 張 つてい くこ とは 、 正 直 向い ていない と思 い ま した。2つ 目に直面 した こ
とは、 メイ ンの リコー ダー が苦手 で あるこ と。毎週 の リコー ダーの研修 が 憂鬱 で泣 きそ う
簡 単 な ドレ
で した。 リコー ダー を吹 けな い どころか楽譜 を見 て も音符 ♪が読 めない (笑
ミ、指 の使 い方 は分か るけ ど、 ひ とつ ひ とつ 指 を押 さな い と吹 けな い。本 当に私 は こん な
)。
んで リコー ダー の指導 ができるのか ?3つ 目に直面 した こ とは 、 ス ピー チ。 あい さつ だ な
んて何 を何か ら話せ ばいいのか さつ ぱ りで した。 しか も、英語 か タガ ロ グ語 で す るの だか
ら余計 に混乱 しま した。 フ ィ リピン では行 く先 々 で リー ダー は必ず ス ピー チす る役 目が あ
ります。 これ には毎 日頭 を痛 めなが らス ピー チを こな しま した。
そんな苦手 な ものが 多 か った私 は次 の よ うに考 え克服 しま した。
1、
〔リー ダー〕今 、何 を しな けれ ばな らな いのか 、そ の次 に何 を しな けれ ばな らない の
か 、常 に頭 に入れ なが らみんな よ り先 に動 け るよ うに。 また 、周 りの メンバ ー は順調
2、
3、
か ど うか も常 に気 に していた。
〔リコー ダー 〕 出発 まで の期 間、毎 日 「フ ィ リピン国歌」「レロン レロンシ ン タ」「小
さな世界 」を最低 で も 4回 以 上 は吹 く。メ ロデ ィー をイ メー ジ しなが らゆ つ く り吹 く。
ス ピー チ〕ス ピー チでは 、何 を話せ ば いい のか分 か らなか っ た ので 、思 いついた こ
〔
とをメモ に と り、英語 か タガ ログ語 に訳 して も ら う。 毎 回イ ベ ン トご とに ス ピー チが
あるので 、 いつ で もス ピー チがで きるよ うにイ ベ ン トの 回数分 のス ピー チ原稿 を準備
してお く。
以 上 の ことを実践 して み て 、 自分 か ら進 んで リー ダー の役 目を果 たせ た と思 うところ も
あ つ た り、気 が抜 けて る ところに 「み つ こ姉 、出番 です よ !」 と周 りに引 つ 張 られ た りす
つ て思 うと ころ もあ つ た
る ところは 「私 まだまだで きてな い な ぁ∼ しつか りしなきゃ
││」
りで、私 は本 当にいつ も周 りの メ ンバ ー に支 え られて リー ダー を勤 めた と思 つ てい る。感
謝
!l。
∼ 29∼
リコー ダー につい て 、 こん な下手 な私 が子 ども達 を前 に 「大丈夫 かな ?」 と強い不安 を
感 じてい ま した。 しか し、 い ざ指 導 して み る と一 所懸命 吹 いてい る子 ども達 の姿 に胸 い っ
ぱ い にな り涙 しそ うにな りま した。 自分 は下手だか ら教 え られ ない 、そんな気持 ちはす っ
か り消 え、 いつ しか 自分 も子 ども達 に教 え とるこ とに一所懸命 になってい ま した。 グル ー
プ分 け した とき 、私 が担 当 した グル ー プは 出遅れ てい る子 ども達 で 、吹 きl貰 れ てない 、鉾
しい指使 い に混乱 してい る子 ども達 の姿 を見て 、そ んな子 ども達 がなんだか 自分 と重 な っ
て 、逆 に教 えや すか っ た の です。 自分 も こ うや っ て克 服 した ことを子 ども達 に伝 えた。す
る と、子 ども達 も吹 けるよ うにな りま した。 同 じよ うに吹 くのが 苦手 な者 同士 、何 か通 じ
るものが あ っ た のか も しれ ませ ん。
ミニ コ ンサ ー トで舞台 に立 つ 自分 の教 え子 た ちの一所懸命 吹 いてい る姿 が私 に大 きな感
動 と自信 を くれ ま した。 あ りが と う
ス ピー チ を何 回 も してい く うちに、イベ ン トごとにその場 面 をイ メー ジ しなが ら自分 の
││
考 えや 伝 えたい こ とがま とま って 書 けるよ うにな りま した。
また 、 こん な ことが 印象 に残 つ ています。交流班 の交流 1日 目。 司会進行 をなん とかで
き るだ ろ うと甘 くみて い ま した。 交流班担 当 2人 ともが英語 で説 日
り
]が で きません。 で も、
司会進行 を しなけれ ばな りませ ん。相手 は、 タガ ログ語 しかで きな い 1年 生です。 とっ さ
に私 はマ イ クを持 って 先 生 を呼び 、つ たない英語 でゲー ムの説 明 を して先生 が タガ ログ語
に訳 して説 明 して くだ さ り、な ん とかゲ ー ム をす る こ とがで きま した。 この とき、澤 山先
生 の 「フ ィ リピンは、 い きな り何 が 起 こ るか予沢Jで きな い。 そ うな っ た とき、 た とえ不 可
能 な こ とで も何 か を して埋 め合 わせ しな けれ ばな らない。いつ も突然や か らな。」とい う言
葉 が頭 に よぎ り、す ご く身 に しみ ま した。本 当に突然英語 でゲー ム説 明す るなんて 、思 い
もよ りませ んで した。 ま さに突然
!!、
この こ とを反省 し、事前準備 をす るこ とに越 した こ
とはない と深 く痛感 しま した。
最後 にな りま したが 、 フ ィ リピンに行 った とき、貧富 の差、川や道 の ゴ ミ、汚水 の流 し
つ ぱな しな どに驚 か され ま した。 フ ィ リピン滞在 中、私 は 「フ ィ リピンが発展す るには ?」
と考 えていま した。周 りの先進 国 が フ ィ リピンに大 きな援助 を してい る と聞いています。
しか し、 フ ィ リピンではいまだに こ ういった状況 が見 られ ます。私 た ちの努力 が無 駄 にな
らな い だ ろ うか ?と 考 えま したが 、 そ うではあ りませ ん。私 たちが援助 してい ることは十
分 にフ ィ リピンの ためになっています。 フ ィ リピンが発展 す るには 、 フ ィ リピン人 が私 た
ち の努力 を ど う受 け止 め、考 え、動 くか。 また、 フ ィ リピン人 自身が 自国 の 問題 を見 つ め
改善 してい くか とい うと ころに ある と思います。例 えば 、道端 に ゴ ミが落 ちています。私
た ちボ ラ ンテ ィアが、病気や怪我 の原 因に もなる ゴ ミを拾 い 、道 をきれい に して も、 フ ィ
リピン人 自身 が ゴ ミに意識 しな けれ ば、 また道 は ゴ ミだ らけにな ります。私 たちボ ラ ンテ
ィアは フ ィ リピン人 に発 展す る大 きな ヒン トを残 しています。私 は フ ィ リピン人 にぜひ こ
の ヒン トを国 の発展 にい か してほ しい と願 つています。私 は、今 回 の 「国際参 カロプ ロジェ
ク ト」 を通 して これ らの こ とを得 ま した。 これ らの こ とか ら 4月 か ら社会 に 出 て も大丈夫
だ と自信 が つ きま した。 このプ ロジ ェ ク トに参加 して本 当に良か っ た II 天理 大学 をは じ
め 、住原先生、澤 山先 生 、米 田先生、辻先生 、椋野先生 、Sta,Rosa出 張所上 田先生、佐 々
木先生 、 てい子先生、プ ロジェク トメ ンバ ー 、 ホ ス トフ ァ ミリー 、 フ ィ リピンの方 々 、、、、
本 当にあ りが と うご ざい ま した☆
Ⅳ 30∼
I
Haェ lggallg
sa muli(ま た会 う日まで)!!
国際文化 学部 ヨー ロ ッパ・ ア メ リカ学科英米語 コー ス 4年
久保 真 百子
今 回 2度 目のフ ィ リピン。前 回は全 ての事 が驚 きの連続 で 、 あ
つ とい う間 の旅 とな りま した。そ の 中で 、 自分 自身 フ ィ リピンの
人 々 か らた くさんの事 を教 え られ 、気付 かせ て くれ た旅 とな りま
した。 そ して今 回学 生生活 最後 、 い ろい ろな こ とを気付 かせ られ 、将来 の道 を教 えて くれ
た この活動 でお世話 にな っ た人達 に思返 しが したい と思 い一度参加す る こ とを決 めま した。
しか し、一 方 で参加す る こ とへ の不安 もあ りま した。 それ は 、前 回 の活動 が 自分 た ち の 自
己満 足で終わ つて しま ってい な い のか とい うこ とで した。
そんな 中、始 ま つた 2度 目のフ ィ リピン。街 並み は以前 とは違 い 、 アプ ライヤ ー (小 学
校 が ある地域 )で は車 が走 り発 展途 上 国 を ヒシ ヒシ と感 じさせ られ ま した。 また 、前 回 を
含 め二家族 の HFを 通 して 、改 めて フ ィ リピンの貧 富 の 差 を感 じま した。 しか し、全 く変
わ らないの は人 々の相手 を思 い や る優 しさ、 温か さで した。疲れ てい るときもいつ も私 を
気遣 って くれ たホ ス トフ ァ ミリー 、本 当 の家族 の様 に再会 を喜んで くれた去年 のホス トフ
ァ ミリー 、ate AMΔ MII(あ まみ姉 さん)と 姉 の よ うにいつ も声 を掛 けて くれ た小学校 の
子 どもた ち。 町全体が 一つ の家族 の様 に互 い に支 えあ っ て暮 らす彼 ら、突然訪れた私 た ち
を本 当に親切 に迎 え入れ て くれ ま した。少 し実家 に帰 つて きた よ うな気分 に もな りま した。
そ して 、今 回 のメイ ン行事 で ある リコー ダー指導。 2回 目とい うこ ともあ り、正 直 去年
の経験 か ら…大丈夫で あろ うとい う安易 な気持 ちが少 しあ りま した。 だが 、現場 に行 く と
そ うはい きませ んで した。 なか なか 曲が進 まず 、時間 だ けが過 ぎて い くばか り…。発表会
までには曲を完成 させ なけれ ば とい う焦 りばか りが先 走 って しま つてい ま した。そんな時、
誰 かが 「最後 まで行か な くて もいい やん、楽 しも う」 と言 っ た ので す。 そ の 時、驚 く と同
時 に 自分た ちが何 のた めに ここに来た のか を考 え させ られ ま した。す る と、私 た ち の本 当
の 目的は完壁 に リコー ダー を教 えることではな く、楽器 を演奏す るこ との楽 しさ子 ども達
に伝 えることだ と気付 か された のです。 そ の 時か ら、私 た ちは楽 しむ ことに重点 を置 き、
合言葉 を「まず、楽 しも う !」 として リコー ダー 指導 を行 い ま した。す る とど うで しよ う、
子 どもたち の表情 が変 わ つて きた のです。
そ して 、発表会。 あの完壁 とは い えない が あ の子 どもた ち のエ ネ ル ギー溢 れ る音 色 、 引
き終 わ つ た後 のあの嬉 しそ うな表情 は忘れ る ことはあ りませ ん。 この とき 、改 めて物事 は
結果 ではな くそ の過程 が いか に大事 だ とい うことを感 じさせ られ ま した。
また 、 も う一つ 忘れ られ ない こ とがあ りま した。 それ は、去年 リコー ダ ー を教 えた子 と
話 を してい る時 の ことです。彼 女 がふ と 「あまみ達 に出会 ってか ら 日本 に興 味 を持 って勉
強 してい るよ」 と言 つ た のです。 そ の時、私 たち の してい る活動 は無駄 な こ とではなか つ
た と感 じ、旅前 の不安 が吹 き飛 んだ瞬 間 で した。他 に も、私 たちが教 えた 曲を皆 まだ覚 え
て くれ ていて 、音符 を歌 つて くれ た子た ち もい ま した。
一 方で、今回 の旅 は個人 的 には色 々 な こ とを考 え させ て くれ た旅 とな りま した。今後 、
社会人 として 自分 は どんな道 を歩 んでい きた いのか 、 どんな 目標 を もつて進 んでい くのか
∼ 31留
不安 ばか りの新 生 活 で した。 しか し、今 回 の旅で気持 ち も新 たに働 ける こ との喜 び 、与 え
られ た環境 を十分 に生 か しきるの も全 て 自分次第 な の だ と気付か され 、新 生活 へ 背 中を押
して くれ る旅 とな りま した。
また 、今 回 の活動 を通 して強 く思 っ た こ とが一 つ あ ります 。 それ は 、 リコー ダー を通 し
た交流 だ けでな く、まだまだた くさん私 た ちが相互 協力 しあえるこ とがあ るので はないか
とい うこ とです 。 リコー ダー指導 において も教 え っぱな しではな くそ の後 の支援 も考慮 し
た活動 を行 わなけれ ば意 味がな い と感 じま した。 したが って 、 この よ うな活動 を今 回で終
わ らせ るの ではな くこれ か らも引き続 き継続 的に行 つてい きたい と強 く思 い ま した。 それ
がサ ン タ ロー サ の人 々 と出会 った ものの宿命 かな と思い ます 。 だか ら、 フ ィ リピン を出る
とき さよな らは言 い ませ んで した。Hanggang sa muli(ま た会 う日ま で)││
そ して 、最後 に私 た ちが活動 しや す い よ うに協力 して 下 さつ た大 学 の先生方、サ ン タ ロ
ー サ 出張所 の方 々本 当にあ りが と うご ざいま した。皆様 の ご協力 の お陰で充実 した活動 を
させ て頂 くこ とができま した。本 当にあ りが とうございま した。
コラム③ 《フィリピンの水まわり》
フィリピンの生活で ビックリした ことは、水の こと。飲み水はすべてミネラルウォーター
齢軸
t
ャ
│‐
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で生活するが、それ以外は水道水。水道水と言つ
ても日本みたいにきれいに浄化されて飲めるなん
て ものではない。水の匂 いが とて も生臭 い。赤水
なのだ。そん な水 でシャワー 、洗濯 、歯磨 きす る。
シャワー、洗濯す るのはいいが、歯磨きするのは
口に水のバ イ菌が含んでて体調壊すのではないか
と心配になる。あと、 トイ レの水が流れなかった
り、手洗いの水が出なか った り、日常茶飯事であ
る。
ラグーナ湖
家庭であれば、近 くにバ ケツがあ り水 を汲んで流せるが、公共 トイ レにはなか った りする。
そうい うときは放置せ ざるを得ない (泣 )。 かな り申 し訳ない気持ちにさせ られ る中い
また、
トイ レの便座 もなか つた りもするので、快適に用を足せないことが 多 く、「使座があらへん 、
水があらへんってそれ つてほん まに水洗 トイ レ?」 って疑 いた くなるほど トイ レの機能がな
い (笑 )。
トイ レとい う形だけがある
!
もうひとつ驚 かされたことが ある。学校や家庭で出る廃水は廃水ポンプを伝 つて流れ るの
ではな く、そのまま地上に平気で垂れ流 し。も しくはラグーナ湖 に流す。廃水 …食べ物のカ
スや洗濯水などが地面や湖に散乱 してる :そ れを見て「え ?う ちらが食べ てる魚つて確かラ
ゲーナ湖産のはず…」ぶ ったま けた I廃 水で育 つた魚を食べ たかも しれん と、自分の身体に異
変起 きへんやんな ?つ て不安になった !そ んな ビック リ、不安になったフィリピンだが、フィ
リピン人はそれが当た り前 のよ うに生活 してる !自 分も大丈夫だと言 い問かせ過 ごしたが、せ
めて衛生面で安心 できる環境 を作る必要があると思つた
∼ 32∼
!
∼ フ ィ リピン で の 活動 を終 えて ∼
人 間学部人 間関係 学科社会福祉 専攻 4年
岡島 美佳 子
現地 で は、笑顔 の 関わ りを通 して フ ィ リピンの方 々 に喜 んで
も らえるよ うに、 また 、 い ろんな こ とに挑 戦 し、 た くさん の こ
とを吸収す る こ とを 目標 に活動 に取 り組 みま した。
初 日は、 出張所 でオ リエ ンテー シ ョン。私 の お世話 にな るホ
―ムステイ先 が あるアプ ライヤ地 区は、 かつ て ドラッグ の危 険地帯 だ と聞 きま した。 さら
に、これか ら 10日 間現 地で生活す るにあた つての諸注意 を受 け、私 は少 し身 構 えま した。
しか し町 に出てみ る と、現地 の方 々 は、皆私 たちを見 て ニ コ ンと笑 って挨拶 を して くだ さ
り、 あたたか いア ッ トホ ー ム な町 の雰 囲気 に緊張 がほ ぐれ て い きま した。
ホ ームステイ 先 では 、初 めはなれ ない英語や タガ ロ グ語 で コ ミュニ ケー シ ョンが とれ る
だ ろ うか 、 どんな風 に 関 われ ば よい のか な ど不安 があ りま した。 しか し、 自分 の足 らな い
英語 に耳 を傾 けて くれ て 、 必死 に理 解 しよ うと努 めて くれ る姿勢 に 、そ んな不安 もいつ し
かな くな ってい きま した。 そ して 、 もつ とい ろんな話 を したい と思 うよ うにな り、毎 日単
語 を調 べ るよ うにな りま した。 もつ と話 が したい 、理 解 したい とい う気持 ちが前 に出て、
自然 と自分 の気持 ちが前 に押 し出 され る感 じがあ りま した。 そ して 、伝 えた い 思 い を英語
で表現 し直す こ とによ って 、 日本 にい る時 よ りも 「自分 は今何 を思 い 、何 を伝 えたいのか」
とい うこ とをよ り考 え、一つ一つ の言葉 に気持 ちを込 めて相手 に伝 えるこ とができま した。
また、相手 と通 じ合 えた と感 じた時 の感激 は言葉 にな らず 、 フ ィ リピンで の こ うした 体
験 を通 して人 と通 じ合 う喜 びや 楽 しさを改 めて知 る こ とがで きま した。
そ して 、出張所 では 、毎 日の朝・夕 の お つ とめがあ り、私 た ちも参加 しま した。鳴物 は 、
現地 の信者 さんや子 ども達 がつ とめて い ま した。 お ぢばか ら遠 く離れ た地 で神様 の 思召 し
に添 い 、 心一 つ につ とめ られて い る姿 に勇 ま され ま した。
さらに、信仰 面 では、 出張所 の先 生 と布 教活動 に回 つ た際 、行 く先 々 で 、天 理教 の布 教
師 を待 つてい る人 々 がた くさんお られ ま した。私 自身 も、海 外 の 地 では じめて外 国 の方 ヘ
のお さづ けを取 り次がせ ていただきま した。 貧 しい状況 に置 かれ た人 々 に 、 ただ物 を施 す
ので はな く、貧 しい人 々の 心を救 う出張所 の方 々の活動 に感銘 を受 けま した。 そ して 、お
さづ けを取 り次 いで も らった人 た ちが 、笑顔 に変 わる瞬 間、感動 で胸 がい ぱ い にな りま し
た。
また 、2月 26日 に活 動 を終 えホー ムス テイ先 に帰 る と、お母 さんが体調 を崩 して喉 を痛
めて い ま した。 いつ も笑顔 で私 の こ とを気 にかけて くだ さるお母 さんだ っ た ので 、 とて も
心配 で した。 そ して 、早 く元気 にな つて も らお うとお さづ けを取 り次がせ ていただ こ うと
思 い ま した。と同時 に、キ リス ト教 の方 が天理教 の祈 りに対 し、抵抗 を感 じないだ ろ うか 。
また、ちゃん と英語 で伝 え られ るだ ろ うか 、断 られた らど う しよ うな どの葛藤 があった け
れ ど、何 とか元気 にな つて も らいたい一心で勇気 を出 してお母 さん に片言 の 単語 を並 べ て
必死 に伝 えま した。す る と、お母 さんは 「自分 の ために神様 に祈 っ て くれ る」 ことにす ご
く喜 んで い ただき、l夫 く応 じて くだ さい ま した。そ して 、お さづ け の取 り次 ぎが終 わ る と、
涙 を浮 かべ て 「あ りが と う」 と言 っ て くだ さ り、私 も 自然 と涙 が溢れ た。
∼ 33留
これ まで 、他 宗教 を どの よ うに捉 えれ ば いいのかわか らず 、偏 よった見方 を していた よ
うに思 い ます 。 しか し、 キ リス ト教 であって も、天理教 で あ って も、神様 を信 じて仰 ぐ姿
勢 は変 わ らな い ものだ と感 じま した。
このプ ロジェク トの メイ ンプ ロ グラムで あるシナル ハ ン小学校 の子 ども達 へ の リコー ダ
ー 指導 では 、なれ な い指導 に毎 日が必死で した。ヅコー ダー を通 して音楽 の楽 しさを知 り、
楽 しむ心 をもつ て 、そ してた くさん笑 って生 きて欲 しい とい う思 いか ら、私 は常に笑顔 を
心 が け指導 に取 り組み ま した。子 ども達 の とで も素直 で一生 懸命 に リコー ダー を吹 い て 学
ば うとす る姿勢 に、逆 に こち らが勇気 づ け られ 、それ に精 一杯応 えな けれ ば と懸命 に指導
しま した。少 しず つ で き るよ うにな ってい く喜び を一 緒 に味わえた 時 も、言葉 には い えな
い 喜 びが沸 いて きま した。
最 終 日、わか る子 がわか らない子 へ と自然 に 自分 たちで教 えあ う姿があ りま した。 自分
がで きた ら終 わ りではな く、わか らない子 に教 えてあげ る とい う優 しい心の使 い方 を子 ど
も達 か ら教 えて も らっ た よ うに思 い ます。 そ うして 、最後 に行 われ た発 表会 は 、 ただただ
感 動 の一 言 で した。
マ ニ ラで のプ ロ グラム最終 日、前 日か ら喉 が痛 くて、翌朝 には頭痛 と高熱 におそわれ ま
した。 ど うして最後 に風 邪 をひ い て しまったのか と悔や んだ り、最終 日のプ ログラム にみ
んな と出れ な い 寂 しさでい っ ぱ い にな りま した。 しか し、す ぐにお さづ けを取 り次 いでい
ただ き、病 院 の治療 を受 けるこ とができ、 ご守護 をい ただいて夕方 か らの最後 のプ ロ グラ
ム には参加す るこ とがで きま した。 この旅 を通 して、 これ まで皆大 きなケガ もな く元気 に
活動 させ て も らえた こ とのあ りがた さをひ しひ しと感 じま した。
そ して 、国際交流基金 のフ ィ リピン人 日本語教師 の方 々 へ の リコー ダー指導 は 、仲 間 が
がんばってい る姿 に後押 しされ て 、 いつ しか 体調 のこ とも忘れて精 一杯 、最後 までや りき
る こ とができま した。 思 えば 、 これ まで も仲 間 の存在 に助 け られ た こ とが幾度 もあ つた こ
とに も気 づ きま した。
また 、 この身上 を通 して 、 フ ィ リピンの方 々の 「ホス ピタ リテ ィー 」 に改 めて感銘 を受
けま した。 あたたかい ア ッ トホ ー ム な町 の雰 囲気 で思いや りにあふれ 、支 えあ って生 きて
い る。私 が体調 を崩 した 際 も、 フイ リピンの方 々 の あたたかい心 にふれ て 、苦 しくて しん
どか っ た気持 ちが スー っ と楽 にな りま した。 そ こに 「陽気 ぐらし」 を垣 間見 た よ うな気 が
しま した。
出張所 に来て い た子 どもが 「家 がない」 と言 つた ことが あ りま した。私 は、悲 しい気持
ちにな りま したが 、それ で もそ の子 は失 って 生 きてい ます 。 どうして笑 っ てい られ るの だ
ろ うか。本 当は辛 い気持 ちを隠す ために笑 ってい るのか も しれ ない 。私 は何 も言葉 が 出ま
せ んで した。 ただただ 自分 の耳 を疑 い ま した。そ して 、今 もず つ と問い続 けて い る。 自分
に何 がで きる のだ ろ うか …。 これ か らもこの活動 で得 た数 々 の発 見 と学 び と向き合 って 、
自分 自身 に問い続 けて い きたい と思います。
この活動 を終 えるにあた り、 た くさん の方 々の ご 腸力 、思 い に支 え られて こそ 自分 た ち
の今 が あ る と痛感 します。現地 でお 世話 にな った 出張所や ホ ス トフ ァ ミリー の方 々、常 に
側 で私 た ちの活動 を支 えて くだ さっ た先生方 に心か ら謝辞 を申 し上 げます。 あ りが と うご
ざい ま した。
∼ 34∼
き っ か けを与 えて くれ た旅
人 間学部人 間関係 学科 宗教 学専攻 4年
北嶋 美根子
私 の初海外 は 、今 回 のフ ィ リピンでの「国際参加 プ ロ ジェク ト」
で した。語 学 が全 くできない私 に とつて 、海 外 での活動 に参加 で
きた こ とは夢 の よ うな話 です 。現 地 での生活 の 中で 、超 え られ な
い言語 の壁 に何度 も泣 きそ うにな りま した。 しか し、ア
見地で の 2週 間 は、今 までに感 じた
こ との な い くらい のス ピー ドで過 ぎ、充実 した生活 を送 ってい ま した。
出発前 に感動 した ことが 3つ あ りま した。1つ 目は当初 目標 としてい た リコー ダー の数
が、
最終的 に 目標 の 2倍 以 上 も集 っ た とい うこ とです 。みんなや先 生方 で知恵 を出 し合 い 、
様 々 な収集方法 を考 え、 た くさん の真実 に よつて 多 くの リコー ダ ー や折 り紙 な どが集 りま
した。皆 さん の思 い を決 して無 駄 に してはな らな い と思 いま した 。 2つ 目は、布絵本 を法 隆
寺 国際高校 に受 け取 りに行 った時 、作 品 の完成度 の高 さも さる こ となが ら、生徒 さん のフ
ィ リピンの児童 に喜んで も らい た い とい う思 いに感動 しま した。本 当に私 たちが代表 で行
かせ て も らえるこ との有 り難 さを感 じま した。み んなが一 生懸命 喜 んで も らい たい とい う
一心で作 ったきた この思 い を、現 地 の人 に とどけなけれ ば と、実 際 に 目で見 て 、話 を聞 い
て感 じさせ て も ら うこ とができま した。 そ して 3つ 目は、時 間 の合 間 をぬって一生 懸命 準
備 を進 める仲 間 の姿、人 の ために尽 くす こ とが喜 び と感 じる先 生方 との 出会 いで した。 目
に映 る光景 を意 味あるもの として捉 え、吸収 したい と思 い ま した。
い よい よ、出発。久保 さん と朝 は 4時 起 き Iの はず が 2人 とも寝坊。急 いで準備 を し、つ
い に念願 の初海 外 の旅 が現実 です
!
現地 に着 いてか らとい うもの 、 ご飯 が 口に合 わな い 、 トイ レの便座 が ない 、 虫に大量 に
噛 まれ る、ホ ス トフ ァ ミ リー と会話 がで きな い 、そ して暑 い │││││こ んなので 2週 間や ってい
けるのか 自信 がな くな り、早 くも初 日の 晩 か らホ ーム シ ックにかか つて しま つ てい ま した。
唯 一 、出張所 でみんなに会 える時間だ けが気 楽 になれ る時 間 で した。 日を重 ね る毎 に、周
りの仲 間 も現地 の環境 に慣れ始 め、 自分 ばか りが取 り残 され る中、 なぜ私 だ けが慣れ な い
のか …。私 は何 を しに ここに きて るの、 と初 心 となか な力Wl貫 れ な い 自分 とのギ ャ ップに焦
り、不安 ば っか りが募 ってい きま した。 しか し、 ある晩、 いつ も一 緒 に寝 てい るホ ス トフ
ァ ミリー のお ばあちゃんがそ っ と手 を握 つて 寝 て くれ ま した。 そ の 時 の何 か に守 られ るよ
うな安 心感 は例 えよ うの な い ほ ど、温か く大 きい もので した。 それ以来、 自分 が近 づ いて
い こ うとして い ない壁 を作 つて い るこ とに気 づ け、見 ていた世界 が少 しず つ 変 わ り始 めま
した。
メイ ンイ ベ ン トで ある、小学校 で の リコー ダー指導。 4日 間 とい うとつて も短 い期 間 で
したが 、 コンサ ー トの 時 に見せ た こ どもた ち の笑顔 に元気 を も らい ま した。最 終的 に我 が
子 の よ うに こ どもたちが可愛 く、別れ が 寂 しか っ たです。技術 を身 につ け るた めに求 めて
くる姿勢 の高 さ、分 か らな い子 には分か る子 が 自然 と教 えてい る光景 、 万 国共通 の こ ども
のキ ラキラ した純粋 の 眼差 しに何度 も感 動 しま した。
留 35∼
サ ン タ ロー サ のシナル ハ ン地 区を回 らせ ていただいた り、現地 の人 た ちやお世話 にな っ
た先 生方 を通 して 「恵 まれ てい る」 とか 「幸 せ 」 って なんだ ろ う、 つて何度 も考 えるチ ャ
ンス を も らい ま した。 また 、国際支援 って難 しいなあ 、何 なんだ ろ うって 思 い ま した。裕
福 にな る ことが果 た していい こ となのか 、裕福 になるこ とで今 まで あ った良 きものが壊れ
て しま うので はな いか と思いま した。 だか ら本 当に何 を必要 としてい るのか とい うこ とを
考 える良きチ ャ ンス とな り、 この旅 では 国際 理解 を深 めるこ とがで きま した。 日本 に帰 っ
て きて、 い ろんな ことを改 めて気 づ かせ て も らうこ とがで きた よ うに思 います。 フ ィ リピ
ンで過 ご した 2週 間は私 の宝物 です。私 の視 野 を大 き く広 げて くれ る、価値観 を変 えて く
れ るきか っ けを も らっ た旅 にな りま した。
初顔合 わせ の こ とを思い 出 した ら、笑 えてきます。それ も、 2週 間 の旅 が濃 い もの にな
つ たか らだ と思 い ます 。本 当にみ な さんには助 けてい ただ き、 とつ て も感 謝 しています。
このプ ロジ ェ ク トに参力日で きた こ とを幸 せ に思い ます。本 当に最高 のメンバ ー に協力 して
くだ さった方 々 に出会 えたって心か ら思 い ます 。 この 出会 い にお 引 き寄せ に感謝 します。
あ りが と うご ざい ま した。
Kumusuta po kayolllll
I
コ
ラム④
住原先生こちょこちょ事件》
《
私 、北嶋 は、ホー ムス テイ先か ら出張所 へ の 行 き帰 りはパパ の ジプニー で送 り迎
えで した。 とある 日の 夕方、住原先生 も用事 が あるため 一 緒 に帰 る ことに な りま し
た。その 日はホームステイ先のハ ンサ ムボー イの息子 さん が一 緒 に迎 えに来 て くれ
て いま した 。また、久保 さん も一 緒 に 同乗す る ことに な りま した。 とす る とジプニ
ー 1台 に 、 5人 が同乗 しているので狭 い 中●
。久保 さん と私 は安全 な椅子 に座 ってい
ま した 。ジ プニ ー は震動 が よ く伝 わ ります 。また道 も平 らではないため揺れ が激 し
いので す 。そ のため 捕 ま つて いな い と落 ちて しまいそ うに な ります 。そ ん な時、私
達 の 日の 前 にセ クシー な手が ち よ つと見 えて い るでは あ りませ んか 。ハ ンサ ムボー
イの手 だ と思 い 、2人 でなぜ だか手 を触 り始 めま した。す るとつ いには 向 こ うが握 り
返 して くれたんです !私 達はわお !!
つて思 い頬を ピンクに していま した
(笑 )す るとニ ョキ ッと住原先生が
覗 いて来 られま した。どうしたんや
ろうと思 っていた ら、どうか しま し
たか ?と 聞かれ 、その時触 つていた
のは住原先生の手だ つたのです !!!
もう私たちの勘違いの甚だ しさに大
爆笑で した。
L
∼ 36∼
初 めて の フ ィ リピ ン
国際文化学部 ヨー ロ ッパ oア メ リカ学科 ドイ ツ語 コー ス 1年
貝増 舞
遣士
ⅢⅢ
フ ィ リピンは、私 に とつて は初海外 とい うこ とや英語 が 苦手 と
い うこ ともあ り、正直初 めは期待 よ り不安 のほ うが大 きい 状 態で 出発 の 口を迎 えま した。
行 き の飛行機 の 中では とにか く必死 にタガ ロ グ語 での 自己紹介 の 暗記 に費や しま した。 し
か し、 い ざフ ィ リピンに到着 してみ る と、 日本 とは異 な る風景 に興 奮 してい る うちにあ っ
とい う間にサ ン タ ロー サ に到 着 しま した。着 いた そ の 日か らホー ムス テイ が始 ま ります 。
コ ミュニ ケー シ ョン面 での不安 が あ りつつ ホ ス トフ ァ ミリー と対 面 しま した。私 のホス ト
フ ァ ミリー は聞 いていた よ うにす ご く若 い子 ばか りの家族 で した 。 み んな同世代 とい うこ
ともあ り緊張 してい る私 にた くさん話 しか け て くれて、会話 の面 で抱 いてい た不安 はす ぐ
な くな り、初 日か ら本 当 の家族 の よ うに打 ち解 ける こ とが 出来 ま した。特 にハ イデ ィ、 ジ
ェニ フ ァー とコ リー ン とはホ ー ムス テイ の 10口 間、本 当の姉妹 みた い にず つ と一 緒 に い
て い ろい ろな話 を した り、 テ レビを観 なが らい ろい ろ語 つ た りと初 めか ら会 ったばか りと
は思 えない ぐらい仲 良 くなれ て 、 自分 で も こんなにホ ス トフ ァ ミ リー と馴 染 めた こ とにび
っ く りで した。 フ ィ リピン は 日本 以 上 に親戚や 、友人 とのつ きあ い は親密 で 交友 関係 を大
切 に してい る と感 じま した。 ホ ス トフ ァ ミ リーの知 り合 い の家 に行 っ た り、話 した りした
時 もす ご く優 しくて 、初対面 で あ る私 の こ とも快 く迎 え入れ て くれ ま した。 思 つてい た以
上 にす ご くあ りがた い歓迎 を され て本 当に うれ しか つたです。 日本 では この よ うな親密 な
近所付 き合 い はな い し、初対面 の人 を これ ほ ど温 か く迎 え入れて くれ る こ とは少 な い と思
い ま した。 フ ィ リピン に来 て フ ィ リピンの人 たち の人柄 が本 当に大好 きにな った し、 日本
人 も見習 うこ とがた くさん ある と思 い ま した。
このプ ロジェク トで一 番 心 に残 つてい るの は 、 も うひ とつ 不安 だ った リコー ダーの指導
法 につい てです 。 リコー ダー 指導 は 、当初予定 していた 23日 が エ ドサ革命記冶 日のた め
に急潅休 みにな って しまい 、予 定 よ り1口 少 な い 4日 間 にな りま した。私 自身 リコー ダー
が苦手 とい うこ とや 、人 に教 えた経験がなか った ので とにか く必死 の一 言 で した。 グル ー
プ内で も個人 に分 かれ てか らの指導 では 、 と りあえず簡 単 な英単語や体 を使 って言 いたい
こ とを分 か って も らえるよ うに一 生懸命伝 え よ うとして い ま した。 上手 とはい えな い私 の
教 え方 に もかかわ らず 、子 ども達 は 1時 間 の授業 の 間ず つ と真剣 に私 の言 つてい るこ とを
Ⅳ37∼
聞 い て 、 一 緒 にな ってまね を して 覚 えよ うと して くれ ま した。 リコー ダー で一節 吹 けた ら
私 のほ うを見 て ニ カつ と笑 顔 を見せ て くれ る子 ども達 の姿 を見た ら、 自然 と私 まで笑顔 に
なれ ま した。最初 はみんなで音 を合 わせ よ うと して も全 く曲に聞 こえ なか っ たのに、練習
を重ね てい く うちにかす かに曲っぱ く聞 こえて きた時は 、
す ご く嬉 し くな って「オ ッケー
コ
ー
の
オ ッケ
!」
連発 で した。 リ ー ダー を指 導す る うえで思 ったのは 、や は り人それぞれ
!
リコー ダーの得手不得手 が あ つて全 員 が完壁 に演奏で きたわ けではなかった けれ ど、苦手
な子 もそ の子 な りに諦 めず練習 してい る姿や 、得意 な子 が苦手 な子 に教 えてい る姿 を 目に
した時 には 、「まだ小 学生で小 さいの にちゃん と助 け合 い の 関係 ができて るんや 。」 と感 心
す るこ とが多 かったです。周 りにい る大人 たちの温かい 人柄 が 、 この よ うな こ どもを育 て
るんだ と感 じま した。
子 ども達 が どん どん上達 してい く姿 とか子 ども達 の笑顔 を研 修 中ず っ と近 くで見て い る
と、み んながみんなす ご く素直で可愛 くて、 自分 が本 当に子 ども達 の先生 にな つた 4日 間
で した。リコー ダー の指導 を終 えた小 学校 の帰 り道や ホ ス トファ ミリーの家 に帰 る時 に も、
いた る ところか ら私 を呼ぶ 「まいまい― !」 ってい う声 が 聞 こえて きた り、 どこにいて も
手 を振 って くれ た りと、学校 を離れ て も親 しく話 しか けて くれ る こ とが嬉 しくて しかたな
か っ たで す。 フ ィ リピン滞在 中は本 当にアイ ドル の気分 を味わ えま した。 た っ たの 4日 間
だ っ た け ど、 自分 が先 生 として指導者 の立場 にたって みて、人 に何 か を教 えることが どん
な に大変 で難 しい ことか 、 とい うこ とを感 じるこ とがで きま した。実 際や って みない と、
この大変 さは分か らなかった と思 う し、達成感 も味わ えなか った と思 い ます 。
また フ ィ リピン に行 っ て こん なに も充実 した 10日 間 を過 ごせ たのはホス トフ ァミリー
の存在 が大 きか っ た と改 めて思 い ます。私 に本 当 の家族 として接 して くれ た こ とが本 当に
温 か くて初 めは長 い と思 っ た 10日 間は、 自分 で も驚 くほ どあ っ とい う間で した。初 めて
周 りがみ んな 日本語 以外 の言語 の環境 に 囲まれてみて大事 な の は言 葉 だけ じゃない とい う
こ とも分 かった し、言葉 が うま く通 じな くて もお互 いの こ とを知 りた い とい う気持 ちでな
ん とか な るもんなんや と思 い ま した。
も うひ とつ フ ィ リピン に来 て知 っ た大 きな こ とが あ ります 。 それ は格 差 の 問題 で した。
格 差 が あるこ とは 多少 は知 ってい た け ど、正 直 フ ィ リピンの格差 は想 像以 上 で した。サ ン
タ ロー サ市 内 もそ うです が 、マ ニ ラな どの都 心に行 って み る と本 当に一 緒 の 国なんか な ?
つ て思 うぐらい に生活環境 が違 うのが現状 で した。 どこの 国にも格差 はある し、 もちろん
日本 に も格差 はあるけ ど、 フ ィ リピンほ ど住 んで る家 に差 が あるわ けで もな く、交通手段
もサ ン タ ロー サ市 とマニ ラではぜ んぜ ん違 うことばか りで 、世界 の現状 を少 し垣 間見 るこ
とがで きた と思い ます。 この現状 を知 っ て 、本 当に 日本 とい う国は恵 まれ てい ると思 っ た
し、 日本 で 当た り前 の よ うにで きて い る生活 はす ご く贅 沢 なんだ と感 じま した。今 の生 活
を当た り前 だ と思 うので はな く、毎 日働 い て生活 を支 えて くれ てい る両親 にも感 謝 の気持
ちを忘れ た らだ めだ と思 いま した。サ ン タ ロー サ の人 た ち と接 してい る と、決 して豊かな
生活 がで きて い るわけ じゃない け ど、み んないつ も笑 って 、明 るい人 ば つか りで 、 お金 が
な くて も こん なに も毎 日楽 しめる とい うこ とが本 当に素晴 ら しい ことだ と感 じた し、お金
が あるこ とだ けが幸せ の基準 ではな く自分 が毎 日を楽 しむ こ とが一番 大切 とい うこ とをフ
ィ リピンの人 た ち の笑顔 を見て感 じま した。短 い フ ィ リピンでの滞在 で学 べ た ことは数 え
切れ な い くらい あ りま した。 い ままで持 っ ていた価値観 を変 えるこ とがで きま した。 フ ィ
リピンでの毎 日は これ か らの私 に とって忘れ られ ない もの にな り、 このプ ロジェク トヘ の
参力日を通 じて 世界 に興 味 を持 つ き っか けに もな りま した。本 当に参加 して よかったです。
∼38留
た くさん の 出会 い
国際文化学部 ヨー ロ ッパ・ ァ メ リカ学科 ドイ ツ語 コース 1年
柳サ│1賀 津子
今 回 のプ ロ ジ ェ ク トに参力日させ てい ただ いて 、 フ ィ リ ピンの
方 々 に笑顔 をた くさん も らえま した。 そ して 日本 では 出来 な い 経
験 な ど、 とて も濃 い 12日 間 で した。
は じめは、 ホー ムステイや 初海外 とい うこ ともあ り、食 事や コ ミュニ ケ ー シ ョン を とる
のが大変 で したが 、私 の単語 だ け の英語 を理 解 しよ うと真剣 に話 を聞 いて くれ た り、 タガ
ログ語 を教 えて くれた り、 とて も嬉 しか つたです。 そ して 、 ホ ス トフ ァ ミリー のお母 さん
が 、 スーパー で店員 さんに 「私 の娘」 と言 っ て くれた時、 ご飯 も始 めはお 客 さん扱 いで 手
伝 お うと して も しな くて いい と言 われた け ど、毎 日言 ってい る と 「これ運 んで 」 と言 われ
た時 、家族 の一員 と思 って くれ てい るんだな、 とす ご く実感 が湧 きま した。
シナル ハ ン小学校 での リコー ダー 指導、初 めは最後 まで 出来 るかな と思 ってい た の にみ
上手 な子 が 出来 な い子 に リコー ダ ー を教 えて くれ ま した。
んなが 、どん どん上手 にな って 、
言葉 はあま り通 じな くて も 自分 も頑 張れ ば、み んな も向き合 って くれ るんだ と思 い ま した。
「マ ガ リィン (上 手 だね )」 と言 っ た ときの嬉 しそ うな笑顔 、
最後 は私 がいな くて も協力 し、
教 えあ って くれ て る姿 は とて も印象 的で した。最後 の コ ンサ ー トが終 わ っ た ときの達成感 、
子 ども達 が 「サ ラマ ン ト (あ りが と う)」 と言 っ て くれ た こ とは忘れ られ ませ ん。お昼休 み
は私達 が食 堂 で ご飯 を食 べ てい る時、窓 の網 に顔 をつ けて、ず っ と見 てい る子達が いてび
つ く りしま した。 そ して 、 生 まれ て初 めての ラブ レター をた くさん も らいま した。私 の名
前 とタガ ログ語 が少 しと漢宇 がい つ ぱい書 かれ ていて るもの を貰 つ た り、道 を歩 けば、手
を振 つて挨拶 して くれ た り名前 を呼んで くれ て芸能人 にな つ た気分 で 、す ご く嬉 しか っ た
です 。
私 が フ ィ リピン に来て 一 番 思 っ た こ とは 、格差 の大 き さと、 ゴ ミの多 さです。道路脇 で
屋根 が今 にも抜 けそ うな家 が あるに も関わ らず 、お手伝 い さんが何人 もい そ うな大 き くて
立 派 な家 や、首都 と地方 との生活水準 の違 い。道端 には ゴ ミが いつ ぱ い捨 てて ある し、衛
生的にす ご く悪 い と思いま した。今 まで見 た ことの な い光景 を 目の 当た りに して、 び つ く
りした反面、 この よ うな世界 の現状 を見 る こ とが 出来 た の は、今 回 プ ロジ ェ ク トに参力日で
きたか らだ と思 い ます 。 そ して 、私 達 が住 んで い る 日本 は、す ご く綺麗 で恵 まれて い るな
と改 めて実感 しま した。幸 せ の形 は い ろい ろ、 だ け どお金 が あるか ら幸せ 、 そ うじゃな く
お金 がな くて もす ご く毎 日が楽 しい 、 とい うことを教 えて も らい ま した。
このプ ロジェク トに参加 した こ とで、 もつ と世界 を知 りた い !い ろ い ろな国 を見 た い │と
思 い ま した。 出張所や ホ ス トフ ァ ミリー 、先 生方 、 プ ロジ ェ ク トの み んな 、サ ポー トして
くだ さ り感謝 しています。
フ ィ リピンでのい ろんな方 との出会 い、経験 は一生忘れ ませ ん
あ りが と うございま した
I
贈 39∼
!
第2部
英支 メ ンセ ー ジ
ム/1essage llonl our hOst fam述 es・ ・ 。・ ・ 40
Ⅳ 40∼
Mesttage:勘o恥 o岬 !40St
耕
ホ ス トフ ァ ミリー か らのメ ッセー ジ
ムlfayuⅡ li san,a very ldnd person,1'Nanay▼ 'said she is pretttr and ttnny.she is very good
when she(塑 eaks in EngLsh,M[ayumi san Peacel :).… ,ⅣIayumi san is yasashii,
ki14ben na,reegi tadashii and funny person.I hope you come back here.We will■ liss
yOu●
中take
Care always,Thank you very much:)
Micco is a kind of girl that easy to be wi血
She is very fu■
l■
l.
Tギ 19
.
ly,kind and nice to talk to. At the irst
i11:le we IIlet lxly Hlohell,11le and
М cco go to lxlarket then
we bought rOasted chicken for our dinner, I found out
thatム /1icco'san,
I hope you wユ lcome back here ill Phユ ippines and you are
welcome to stay in our house.
∼椋 野 まゆみ 。安 田美 貴子 ホ ス トファ ミリー よ り∼
Kyoka is really a happy peason.We e対 Oyed her company so IIluch.Yung stay nya
sa'Inin for lweek grabel Naminiss talaga na11ln sya.
First day palang nya sa'Inin para syang lnenber of the faIIlily kasi sobrang lapit na nya
sa'Ⅱ 五n at hindi na sya nahihiya.
ⅣIaaga
syang guH五 sing ng mornillg,never syang na‐
latelⅣIasipag,tumutulong
sa
ganaing bahay,naghuhugas ng pinggan at nagtty din yan lnagluto■ linsan.
Sa gabi,lagi naⅡ 五ng tinatanong“ Ano gusto nya breakfast at dinner?"ang lagi nyang
sagOt“ AnoI】 :lairerecomend nyolxg masallapl"PerO kahit
ano kinakain 4ya at lahat ng iaLin namh e masarap
para sa kanya.
Kasama(近 n naHlin syang lnagsinba ng a Saturdays,sana
makasama pa namh sya ng matagal,kaso last day na
ch,Happy....ム /1aHliⅡ liss taraga naⅡ lin sya,Sana nag
ettOy din sya sa company naⅡ lin.Pede next year sya
ul比 ?He he he,
区こyoka we'11 80nna lniss youl Always take care god blessI
Good luck!
∼ 奥 き よかホ ス トファ ミ リー よ り∼
It was a great priv工 ege and honor tO be chosen as the
Lost fa■ 五ly for lne.Miwa ⅣIukuno is very warnl and
loving student of Kobe universitゝ W睫)had a very 11lce
a teacher aldLough her stay in ollr home was too short,
We wtt be glad that she wi■ visit us again h near
櫛
0
1 A甘
i
lot色 o■ l her cultu■・e,her fa■lily and her Ⅱlission in life as
4字
and memorial experience wida her.Our fa■ lily learned a
futllre.
Aida C.Neri
す
‐
∼椋 野美和 ホ ス トファ ミリー よ り∼
∼ 41Ⅳ
Miss
ⅣIIKAKO(OKACHANG)is
a good person,She
love's chユ dren very lnuch.
P
My fa■五ly is very happy to lneet ⅣIIKAKO,弧ミ血 ank you
for all the things that yOu've thought, as even you are
」apanese and also thank you riDr yOur gifttO my daughter
l hope this prOJect will be continued as years go on,Again
Thank you very much.OKACttG,we love you,&good
luck on your career,“ SAYONAご ψΨ',,,1
∼ 岡島美佳子 ホス トフ ァ ミリー よ り∼
AkO ai Eng Leticia Bascon 75 years old naging Tagasubay bcep ni missム
/fineko Kitttima.
Dumating oiya oc a■ lin ng Feb 2.araw ng saba
∼ 北嶋美根子 ホ ス トフ ァ ミリー よ り∼
I can say that the Tenri University prttect iS really a success I
They really lnade批 的 Ough the help ofthe teachers,staff and Of cOurse of the students・
Everyone gave a llilemorable experience to all pil亀 )inO that they encountered especially
..
to their Host FaⅡ 五ly.Even though they can't speak Enghsh or communicate e asily
because the difference of the Language,but still they
made it tO become close tO thell:HOst Family .And One
more thlng,theプ ve been really close tO the students that,
they taught recorder,SIGN LANGUAGE ttALLY
WORK FOR THEⅣ IIhahaha
AbOut our host student l亜 ai KaiHlasu,she's been really
nice tOュ狙y fa■ lily who 10ve jokes s0 14uCh and she can
ride them easily, We treat her as One of the melnber Of
our family…
山Iai
Ⅵ咽
Kaimasu youte sO GREAT!
LOVE YOU SO MUCH
∼ 貝増舞 ホ ス トフ ァ ミリー よ り∼
Kacchan,built good relattonshtt witt Our hmily t0 10ve others as we love Ourse"es to
love gOd irts,Kacchall taught us Tae cultxxre Of」 apanese people and we do know that
Kacchan learned Filゎ inO Culture too.She taught our children Low to love othersI We do
hope that TENRIKYO TOHONN and TENRI Un市 ersity w』 lg市 e us adopted studellts
again.聯he do hope that friendshね betWeen Phlゎ pines
and」 apanese will colltinue and bear moreと uits Of good
relationship forever, Ollr home is open to everyime,
everyday for the TENNRI studentt We will miss
Kacchan,and other students and do hope Kacchan will
come back sOon here in the Phlゎ pines,may tte good
lord bless us all TENNRIKYO staff, students and
family of all students who were here ill the Philippines.
Most especially Kacchan family her色 血 er,mOthe恥
sister月 Tld brotheli,we do■ ope to see you solneday.
∼柳川賀津子 ホ ス トフ ァ ミリー よ り∼
N42∼
第3部
渚動 記録
Activity note
43
事 前研 修 。
。
現地滞在 日誌 ・・・・・・・ ・・・・・・・・ 47
リコー ダー 指導 ・・・・・・ 。・・・ 。・・・・ 59
・ ・ 63
学校互 レポー ト
66
交流班 レポ ー ト
。
・・・
・・・・・
・・
・・・・
レポー
68
ト
相撲班
∼ 43∼
事 前研修 を通 じて 、 自分達 にかか る期 待 の大 き さを感 じ、 また 、研 修 の おか げで現地で
も多少 の 自信 を持 つ こ とがで きま した。 今 回 の研 修 でお 世話 にな っ た 多 くの方 々 にお 礼 を
申 しあ げ る と共 に、私達 が 学 んだ研修 内容 を紹介 します。
11月 22日 の研修 はふ る さと会 館 、2月 15日 。16日 の研修 は天理 教芦津詰所 、それ以外
はオ
山之 内キャ ンパ ス で行 われま した。
11/17(月 )
オ リエ ンテ ー シ ョン
この 日が初顔 合 わせ で した。 去 年 の ビデオ を見た り、参力日
者 の 自己紹介 な どが行 われ ま
した。 これか らみんなで頑 張 ろ うと、思 い ま した。
11/22(土 )シ
ンポジ ウム『 国際協力広場 。シル ク ロー ドの束端 か らアフガ ンヘ』
午前 中は私達 メンバーの他、奈良 」ICAグ ループの方 々 と共に準備 を行 いま した。
午後 2時 よ り松浪健四郎氏による 「アフガニス タンをめ ぐる世界 と日本」 と題する基調
講演 があ りま した。パネル ディスカ ッシ ョンでは国際協力について尽力 されている 5名 の
パ ネ リス トが 「これまでのアフガン、 これか らのアフガン」 とい うテーマ の もと、熱 い ト
ー クが展開 されま した。 メンバーー 同、今回の行事を通 して国際理解が深 まったよ うに思
いま した。
11/23(日 )
レクチ ャー「サ ンタ ローサで期待 され る活動について」上 田和興氏
ロー
ン
サ タ
サ市 のみなさん と天理散策。
サ ンタ ローサ市か らの帰参者 の方 々を石上神官か ら山の辺 の道、天理観 光農園周辺ま
でご案内。道 中で柿を購入 された り、記念撮影 などされ 、1時 間ほど散策 しま した。
11/26(水
)
レクチ ャー 「 日本文 化 と相 撲 」 渡邊 昌文 氏
この 日は 、 フ ィ リピンで の相撲 交流 に備 えて 渡退先 生 に よる相撲 の レクチ ャー で した。
相撲 の歴 史や相撲 の豆知識 な どた くさん の こ とを教 えていただ きま した。
中 で もみ んなが一 番驚 い た ところは 、相撲 が 日本 の 国技 と呼ばれ る よ うにな っ た経緯 で
した。 なん とそれ は、 日本両国国技館 で す るス ポ ー ツで あるか ら…。 あま りに も簡単 な理
由に一 同笑 っ て しまい ま した …・。 フ ィ リピンで交流す る上 でのア ドバ イ ス も頂 き とて も勉
強 にな りま した。
11/30(日 )実
習 「ビデオ撮影研修」 森 日郁子 氏
この 日は、芦屋市広報チ ャ ンネル デ ィ レクターの森 口さんが ビデオ撮影テ クニ ック
(準 備 、姿勢、技法、編集 な ど)を 教 えて くだ さい ま した。また、撮影す る上で一番重
要な ことは嘘 の情報 を流 さない こと、素直 な気持 ちで撮 ることな どで した。私達 も先生
に教 わ っ た こ とを参 考 に 自分達で シナ リオ を作 り撮影 しま した。シナ リオ通 りに撮影す
る こ とは大変難 しく、そ の 中で観客 にス トー リーの意図 を ビデオ を通 して伝 える難 しさ
を痛感 しま した。
Ⅳ 44∼
12/1(月 )
リコー ダー研修①
いよいよ今 日か らリコー ダーの研修 が始ま りま した。天理 中学校 の米 田先生に ご指導 い
ただき、 リコー ダーの持 ち方や吹き方な ど自分達が実際に教 えることを想像 しなが ら学び
ま した。「エーデル ワイ ス」「春 の小川」「ドレミの歌」な どの曲を練習 し、皆 で演奏 しま し
た。現地 の子 ども達に リコー ダー を通 して演奏す る楽 しさを伝 えて、喜 んでもらえるよ う
に、 これか ら一生懸命練習 しよ うと思い ま した。
12/3(水 )
タガ ロ グ語 研修 ①
タガ ロ グ語研修 初 日の この 日は、 フ ィ リピンの基礎
知識 を学 んだ り、 フ ィ リピン につい て知 っ て い る こ と
を話 し合 っ た りしま した。 最初 は、基本 的な短文 、 そ
して実用 的 な単語 な どを学 び ま した。 タガ ロ グ語 は、
読 み方 が ローマ 字読 み な ので読 みやす か つ た けれ ども、
文法 には苦戦 しま した。
12/8(月 )
リコー ダ ー 研 修 ②
課題 曲 として 「富 士 山」「茶 つ み」が 出 され ま した。初 めに、 一 人ず つ くじを引 きメ ンバ
ー の前 で演奏す る順番 を決 めま した。 いつ もの メ ンバ ー ではあ ります が 、 い ざ発表 とな る
とどことな く緊 張 した雰 囲気 にな りま した。 全 員 が米 田先 生か ら 「は い 、 オ ンケ 」 を も
らい ま した。
「フ ィ リピン共和 国国歌」「小 さな世界」「ミッキー マ ウスマー チ 」 な ど レベ ル の 高 い 曲
に進み ま した。米 田先生 は いつ もニ コニ コ されて 「み な さん いい ですね∼ 」「 うち の生 徒 た
ちも この位 出来 た らな ∼ 」 とお つ しゃ りなが ら、 どん どん研 修 は進 んで い きま した。「小 さ
な世界」 は フ ィ リ ピンで も良 く知 られ てお り、 メ ロデ ィー も簡 単 な ので 、課題 曲 として 良
いので はないか と考 えま した。
12/10(水 )
タガ ログ語研修②
ロ
タガ グ語研修 2回 目のこの 日は、前回よ り少 し難 しい短文を学 んだ り、 よく使 う単語
を教 えてもらいま した。前回 よ りも、少 し理解 できるよ うにな り良かったです。
12/15(金 )
リコー ダー研修③
小学校で教える曲と私達 が発表す る曲が決定 しま した。子 ども達に教 える曲は子 ども達
が よく知 ってお り、 ドレ ミも覚えやす い とい う理 由で 「レロン レロンシンタ」 とし、私達
が発表す る曲は 「フィリピン国歌」に決定 しま した。
1/14(日 )
お つ とめまなび
おつ とめまなび (天 理教 のおつ とめの練習)に 参加 しま した。初 めておつ とめをす る者
にとつては、 とても貴重な体験にな りま した。
1/19(月 )
リ コー ダ ー 研 修 最 終 日
コ
ー
ー
リ
ダ 授業最終 日、早 くも この 日を迎 えま した。 と同時 に、 出発 まで の 時 間 が 迫 つ
てい る こ とを実感 しま した。練習初 日は久 しぶ りに触 る リコー ダ ー にぎ こちな さもあ りま
したが 、練習 を重 ね る ご とに上達 してい きま した。米 田先 生 は ほめ上手 で 、 いつ もニ コニ
コ され ていま した。最終 日は少 し早 めに切 り上げ、「フ ィ リピンの子 ども達 に一生懸命 教 え
るぞ― !」 と決 意 を新 た に レ ンス ン を修 了 しま した。 本 当にお世話 にな り、 あ りが と うご
ざい ま した。
∼ 45留
1/21(水 )
最 後 の研 修
タガ ログ語 研 修最後 の 日。副詞や 接続詞 な どの講義 の後 はタガ ログ語 で 自己紹介 で きる
よ うに辻先 生 を質 問攻 め。辻先 生 は、 いつ も私 た ちに優 しく教 えて 下 さ り、頼 も しいお 兄
さん の よ うで した。本 当にあ りが と うご ざい ま した。
そ して そ の後 、 ポ ロシ ャ ツのデザイ ンや研 修終了後 の予定 を練 っ た りしま した。
い よい よ lヵ 月後 にはフ ィ リピン出発 です。 み んなで 力 を合 わせ て頑 張 ろ うとJb新 た に
した研 修 を終 えま した。
2/15(日 )
合宿
。 1泊 2日 の合 宿 です。合宿 の 目的 はプ ロジェク トの準備 とメンバ ー の交流 です。 この合宿
で初 めて全員 が揃 い ま した。
朝 10時 、芦津詰所 に集合 し、分担 ご との準備 開始 です 。皆 の意 見 を聞 くこ ともでき、は
か ど ります。 さよな らパ ー テ ィー で使 う日本食材 の買 出 しに も出 か けま した。
夕食 の メニ ュー は 「お鍋 」 「た こ焼 き」 で す。詰所 の厨房 をおか りし、皆 で調理 しま し
た。食卓 を囲み話 が盛 り上が り、 1週 間後 の 出発 に 向け気持 ち も高 ま ります 。
そ して ダ ンスの練習 を し、分担 ご との 申 し送 りを終 えた 頃には、夜 中 こ 12時 を過 ぎ、疲
れ も ピー クだ っ たため就 寝 です 。
この合宿 で 、 プ ロジェク トヘ の気持 ちが よ リー 層強 い もの とな りま した。
2/16(月
∼結回式 ∼
)
出発 まであ と少 し !み んな ドキ ドキ &ワ クワクです。
このプ ロジェク トの無 事 を祈願す るために、 まず天理教教会本部 に参 拝 させ ていただ き
ま した。 そ の後 、地域文化研 究 セ ン ター 共 同研究室で の結 団式 に臨み ま した。学長先生 は
ご欠席 で したが 、「勇み勇 ませ 」 と書かれ た色 紙 を頂 きま した。
そ して フ ィ リピン に同行す る先生方 の あい さつ 、そ して参加者全員 がタガ ロ グ語 で 自己
紹介 を し、 プ ロ ジェク トにかけ る思 いや抱負 を述 べ ま した。
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さ ぁフ ィリピンヘ 。中
∼ 46N
現地滞在日請
:日 日(2/2:`土 曜日)
午前 6時 30分 に天理 駅集合 で 関西空港 にバ ス で 向
かい ま した。 出 口手 続 きで こんなに も並 ぶ とは思 つ
てい ませ んで した。3時 間飛行機 に乗 リフ ィ リピンヘ 。
機 内食 が とて もお い しかつたです。
午後 1時 30分 マニ ラ空港 に降 り立 っ た瞬 間、もの
す ごい ム ッと した暑 さに襲 われ た。
日本 の気温 が 1℃ である の に対 して マニ ラは 32℃ 。
体温 も急 上 昇すれ ば、 テ ンシ ョン も Maxに 。
私達 が 乗 つた飛 行機 です
フ ィ リピンめっちゃ暑 い∼ (><)。 空港 の トイ レ
に行 こ うと した ら、なぜ か入 り口に並 んで い る フ ィ
リピン人 ス タ ッフ 5人 ぐらい に 、「Hello l Welcom to
the Philippines☆ 」 と迎 え られ ま した 。「え っ !?こ
こで ??」 そん な疑 問 とこれ か らの期 待 、不安 を胸 に
私た ちはつい に 、つい に フ ィ リピン に来 た ッー
イ ミグ レー シ ョン と税 関 を通過 し、天理 教東本 大
教会 サ ンタ ロー サ 出張所 の上 田和興先 生 と佐 々木晃
先 生 に迎 え られ 、手配 して くだ さつ たバ ス に乗 り、
サ ン タ ロー サ ヘ 向 かい ま した。街 中 で フ ィ リピン名
物 のジプ ニー や トライ シケル を見 か ける と、 フ ィ リ
ピンに来た実感 がわきま した。
出張所 で は上 田先 生 、佐 々木先 生 、 山内 て い子 先
生 か ら 「何 か 困 っ た時 、体調 が悪 い 時 な ど、 いつ で
も この 出張所 に来 て くだ さい 」 とあた たか い お言葉
をい ただ きま した。 夕方 、 ホ ス トフ ァ ミ リー が迎 え
に来 られ るまで の 間、 リコー ダー や ドス コイ ダ ンス
の練習 に励 み、そ の後 、夕 づ とめを して 、 ホ ス トフ
ァ ミリー と緊張 の対面。 こ うして 9泊 10日 のホー ム
ス >イ が始 ま りま した。
!
機 内食です
出張所の近所 の様子
庶 民 の 足 「 トライ ンケル」
∼ 47∼
2日 日(2/22`日 曜日)
東本大教会サ ンタ ローサ 出張所の月次祭
Bい
F‐
p=
出
お つ とめに参加 しま した
今 日はサ ン タ ロー サ 出張所 の月次祭 で した。
朝 か ら椅子 を並 べ た り子守 りを しま した。近
所 の人達 も準備 に来て くだ さい ま した。お つ
とめが終 わ つ た後 は、上 田先生 と佐 々木先 生
がお さづ けをな さっ て い ま した。
そ して 作 つてい ただ い た ご飯 をみ ん な で
お しゃべ りしなが ら食 べ ま した。す ご くお い
しか つ た∼
!
お手伝いしています
午後 か らは 、 リコー ダー 班や各 交流班 の進 み具合や打 ち合 わせ を しま した。 ジェンカの
練習 がす ご く楽 しかったで す。夕づ とめまで の 間は、それ ぞれ 自由な時間 を過 ご しま した。
l
ジェンカ練習
み つ こさん 買 い 物
∼ 48∼
3日 日(2/23.同 曜日
)
本 国は シナル ハ ン小 学校 の子 ども達 へ の リ
コー ダー 指導初 日を予定 してい ま したが 、急邊
エ ドサ革命 記念 日として祝 日とな り、 シナル ハ
ン小学校 も休み にな り予定 を大幅 に変更せ ざる
を得 な くな りま した。
,
朝 8時 に出張所 に集合 し、朝 づ とめに参加 し
ー
ン
の
ング
えて
を終
ま した。 そ 後、 ミ テ ィ
、サ
タ ロー サ のバ ランガ イ (フ ィ リピンの最小行政
単位 )を リコー ダーの A・ B班 に分 かれ て 、出
`
ヽ │
張所 の近辺 を歩 いて周 りま した。
そ の 際、出張所 の先 生 に続 いて 、 メンバ ー の
中で よふ ぼ くの者 はお さづ け のお取 り次 ぎを させ ていた だき 、 中 には海外 の 地 で初 めてお
さづ けを取 り次 ぐ者 、湧 き上が る感 情 の あま り涙 を流 しなが ら取 り次 ぐよふ ば くもい ま し
た 。 それ以外 の者 は、添 い願 い を してみ んなで神 様 にお願 い しま した。天理 か ら遠 く離れ
た フ ィ リピンの地で 、助 けを求 めて待 つ 現地 の
人 々の姿 を前 に 、お さづ け を取 り次 がせ てい た
ー
だ くこ との感 動 と同時 に、私 た ちにで きる こ と
は何 か を改めて考 え させ られ ま した。
′
9 け
︻′
a
再
静 ∼ 衛
.
市 の 中心 地 に あ る フ ィ
リ ピ ン 料 理 の フ ァ ス トフ
ー ド店 “
洸libeeで 昼食 を
済 ませ 、年後 の行事 に備 え
ま した。
粋
サ ンタ ローサ 市市長 さん と
サ ンタ ロー サ市 の市長 を表敬訪 問。 タガ ロ グ語 で の 自己紹介 と リコ
ー ダー を披露 しま した。
紙 芝居 を見 て い る子 ども達
紙 芝居上映 中
の生
た紙芝居
を上映 し、子 ども達 と一 緒
さんが作
られ
徒
次 に院 を訪れ 、法 隆寺 国際高校
に折 り紙 を しま した。紙 芝居 を一生 懸命 聞 いて くれて とて も嬉 しかつたで す
出張所 に戻 り夕 づ とめを して 、 ホ ス トファ ミ リーの 元 へ 帰 りま した。 この 日は、ハ ー ド
ス ケジ ュール だ つた為 ぐっす り眠 る ことがで きま した。
∼ 49∼
4日 日(2/24`文 曜日)
昨 日の急 な体 日の ため、今 日が リコー ダー 指 導 の初 日 1集 合 はシナル ハ ン小学校。壇 上
か ら全校児童 にタガ ロ グ語 で 自己紹介。 す ご く緊張 しま した。 そ の児 童達 と皆 で 国歌 を歌
い 、体操 を しま した。胸 に手 を当てて 国歌 を大 きな声 で歌 う子 ども達 は、 とて も可愛 か っ
たです。
←大屋根 の下
oし n釘
fa.9′
′
=
Чtt
の検庭
R
イ
H.
V
'1憔
卜
1
さ あ授 業 開 始
です !→
a
‐ ゝ
ー
そ してシナル ハ ン小学校 の先 生 との ミィー テ ィン グの後、い よい よ教 室 へ !!今 回 リコー ダ
ー を教 える 4年 生 と初対 面 !初 めは表 情 の硬 い 子 ども達 も、 リコー ダ ー を持 っ た時は とて
も嬉 しそ うで した。課題 曲の 「レロン レロンシ ン タ」 を私達が演 奏。 それ に合 わせ て 、子
ども達 が 歌 って くれ ま した。 まず は 姿勢や 吹 き方 な どの基本 か ら。話 を しっか り聞 き真 面
目に リコー ダー に取 り組 む 姿 が 印象 的で した。
← 教 室 で リコ
ーダー指導中
小学校 の食堂
で昼 食 →
午後 は文化交流 の 時間です。校庭 では シ ッポ 取 リゲ ー ム を しま した。説 明 が通 じていな
い 部分 も り、味方 同士 のシ ンポ を取 りあ うハ プ ニ ング もあ りま した。 教 室で は新 聞紙 を使
いかぶ と作 り。初 めて 見 るもの に興 味津 々。 みんなす ご く楽 しそ うで した。
贈ん
← シナ ル ハ ン小
学校 の子 ども達
元 気 よ く指 導 中
│イ
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`〔
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(1下
I
uサ │「
l,
i
指 導 の終 了後 、 出張所 で ミー 冴 ィ ング を行 い 、夕 づ とめ の後 、各 自ホ ー ムス >イ 先 に帰
宅。
留 50∼
5日 日(2/25`本 昭日)
エ、B班 ともに屋外 で
リコー ダー教 室 の 2日 目、今 日は A予リ
バ ー が 一 人 あた り 8
コ
の
ン
ー
ー
い
した
メ
を行
ま
各班
リ
ダ 指導
。
∼ 15人 程度 の子 ども達 を相 手 にグル ー プを作 るこ とで、な る
べ く細や か な指導 ができ る よ う、そ して全 く吹 けない 子 が 出
て こない よ うに工 夫 しま した。 強 い 日差 しを避 け るた め、 屋
根 の ある場所 を選 んで授業 を進 めま した。
子 ども達 と昨 日の お さらい を しなが らも、2日 後 に迫 つ た コ
ンサ ー トに向けて全員 が必死 !一 生懸命 ! 本気 !私 た ち の
熱意 が伝 わ ってか 、子 ども達 も慣れ な い 楽器 の演 奏 に一 生懸
命 にな って くれ ま した。
3時 間 目、教室で の活動 は折 り紙 を通 じた文化 交流 でかぶ
とと飛行機 を作 りま した。子 ども達 と確認 しなが ら折 りま し
た。「これ で あつて る ?見 て 見 て !」 と言 わん ばか りに 「Ate
(お 姉 ちゃん)!」 とそ こ ら中か ら呼 ばれ る ので 目が回 るよ
うで した。新 聞を使 ってかぶ とも作 り、最後 にかぶ とをかぶ
つて手 には飛行機 を持 ち、みんなで記念撮影 を しま した。
校庭 では、 ジャンケングーム をしま した。 しか し、ジャン
ケンを しないで列になつてい る子が多 くとて も苦戦 しま した。
ジャンケ ンで勝 ち続けた子には、メグルが授与 され、その後
みんなでフォー クダンスを踊 りま した。
午後 か らは時 間 が あ つ たた め 、散歩 に出か けた り、近 くの
バ ス ケ ッ トコー トで子 どもた ち と遊 んだ り、休 息 を とつ た り
して 、夕 づ とめ の 時間までそれぞれ の時 間を過 ご しま した。
シナルハン小学校の子 ども達「かぶ とか つこいい?!」
51
「 じゃんけんゲーム優勝 したの」
0日 日(2/26.本 曜日
)
いつ も通 り、朝 7時 15分 にシナル ハ ン小学校 へ 登校 。 リコー ダー練習 3日 目。今 日もA
予
に分 かれ て外 で指導す る こ とに しま した。 A班 は 「レロン レロンシ ン タ」 の楽譜
)王 、 BIリエ
を完壁 にで き るよ うに進 めてい きます 。 B班 は 、 A班 に追い つ けるよ うに徹底 的に ドレ ミ
の指 の押 さえ方指 導 を し、楽譜 を どん どん進 めます。
Aンリ
エは楽 譜 を追 い か ける の に懸 命 で 、 BF)工 は ドレ ミの指 を押 さえるのに必死 で した 。 思
い 通 りには進 まず 、私達 メンバ ー の不安 が募 り、焦 りが増 しま した。 A班 は前 日の 、 ミー
テ ィ ン グで 「レロン レロンシンタ」 の最後 の 「ラ・ ラ 。ド・ シ・ ラ 。ノ・ ド・ シ・ シ 。ラ・
シ・ ド」 を 「ラ・ ラ・ ラ・ シ・ ラ 。ソ・ ソ・ ツ・ ラ・ シ ・ ド」 に変更 しま した。子 ども達
の一 生懸 命 に リコー ダー を吹 く姿 に、なん とか 明 日の発表会 では「曲を吹かせ てや りたい
との思 いで指導 が続 きます。
│」
午後 は 3年 生 に外 では フォ ー クダンス を、中では紙相撲 とメグル を作 りま した。み んな、
マ イ ムマ イ ム を全力 で踊 って くれ ま した。授業 が 終 わ っ てか らもみんな楽 しそ うに紙相撲
で遊 んでいま した。
紙相撲 で遊ん でいます
みん な熱心 に練習 します
′
「
'│
亀' 傾
「
汐}J ′戸虐
増・
い L︺nP
′基
住要
L帯t
さよな らパ ー テ ィー の準備
フォー クダ ンス (マ イム マ イム )
午後 か らは 、ミー テ ィ ン グ の後 、SAYONARAパ ー テ ィー の準備や踊 りの練習 に汗 を流 し
ま した。
52
7日 日(2/27、 金昭日)
今 日の午後 はい よい よ ミニ コ ンサ ー ト。
朝 7時 に学校 に集合 して全 校朝 礼 に参加 しま した。 フ ラ ングセ レモ ニ ー の 際 、私 た ちは
ス テ ー ジに上が り 「フ ィ リピン共和 国国歌」 と 「小 さな世界 」 を演奏 しま した。私 た ち の
演奏後 は拍手喝采で、 うれ しはず か しOh my heartilそ して 、私 た ちは最後 の授 業 へ と繰 り
出 しま した。
子 ども達 も必死。私 たち の指導 に も 自然 と熱 が こ も り、そ の後 の リハ ー サル では急 な ス
コール に も動 じず 、み んな真剣 に取 り組 んでいま した。
昼食 をす ませ 、 しば し休憩。学校 内 の売店 で 、私 たちは大量 のおか しを購 入 ☆
そ して 、発表会 の準備 に と りかか り
ま した。 交流 4日 目ともなる と、子 ど
も達 も慣れ てきて 、私 たち の控 室 には
子 ども達 の姿 が !そ の手 も借 りて 、み
んなで準備 を しま した I子 ども達 のや
さ しさに本 当に助 け られ ま した … ほん
まにあんた らええ子や な ぁ…。
そ して 、発表会 は 1時 間遅れ のス ター
トで したが 、み んなで気 合 い を入れ直
「国際参力日
して望 みま した Iは じめに、
バ
ロ
ー
のメン
プ ジェク ト」
を改 めて紹
介 しま した。次 に、住原先生、 リー ダ
ー の 安 田 さん が 代 表 で シナル ハ ンの
方 々 に挨拶 を しま した。続 いて 、 この
学生発表中
日の ために練習 して きた 「 ドス コイ ダ ンス 」 をしま した。
そ して 、待 ちに待 っ た子 ども達 の演
奏 が始 ま り、 1組 、 3組 、 2組 、 4組
の順 に演奏 を しま した。どの クラス も
全力 を出 し切 り、大成功 の発表会 とな
りま した I皆 が 精 一 杯 リコー ダ ー を
吹 く姿 にた だ た だ感 動 しま した I私
た ち も これ まで の感 謝 の気 持 ち を込
「フ ィ リピン共和 国国家」と「小
めて 、
さな世界」を リコー ダー で演奏 しま し
た。最後 に 、 リコー ダー をは じめ 、指
導教本 、交流 で用 い た物 品、折 り紙 、
ク レヨンな どを寄貝
曽しま した。
最後 に 4年 生 と私 たち全員 で記念撮
―
―
と.・ ・
シナルハ ン小学校 の子 ども達
影 をし、発表会は終了 しま した。使 わせていただいた控室 の掃除を終え、 シナルハ ン小学
校 とのお別れ の時。私たちのつた ない指導 に、一生懸命 ついてきて くれてほん とに感謝 、
感謝で した。
Maraming Salamatil
53
3日 日(2/23$土 曜日)
今 回は本 来 のプ ロ グラ ム では小学校 で の コ ンサ ー
トの 日で したが 、時間 がで きたた め、午前 中 は私 立
サ ン タ ロ ー サ 高 校 (SAヽTTA ROSA EDUCAT10λ TAL
INSTITUT10N)で バ レー ボール とダンスの交流会 を行
うこ とにな りま した。 歩 いて 高校 まで向か う道 中、
久 々 のスポー ツにみん な のテ ンシ ョンは上 が ってい
ま した。
到 着す る と、高校 生が待 つて くれ てお り、 自然 に
円にな っ て ラ リーが始 ま りま した。 そ の後 、場所 を
屋外体育館 に移動 し、試合 の準備 を行 い ま した。
床 が滑 りやす い た め、 ジ ュー ス を撒 い て 滑 らない
よ うに しま した 。 しか し、倒 れ た らベ トベ トにな る
な あ と私 た ちは苦笑 い。 第 1セ ッ ト、 一 軍 メンバ ー
との対戦。様 々 なハ ンデ ィー を も らい 、気合 で望 み
ま したが惜 し くも敗戦。
続 く 2セ ッ トロは 2軍 のメ ンバ ー と対戦。次 こそ
は と気 持 ち を入れ 直 して挑 み ま したが 、 また もや敗
戦。や は り、毎 日プ レー してい る高校 生 にはかない
ませ ん。
最後 に、 ま さに 日比交流 とも言 える混 合 チ ー ム で
汗 を流 しま した。 そ の後 、相撲 ダ ンス を披 露 し、 ダ
ンス部 の ダ ンス を見 て 、記念撮影 を して 、 そ の場 を
後 に しま した。 ス ポ ー ツ交流 を通 して 、絆 が生 まれ
た よ うに感 じま した。 また 、み んなで力 を合 わせ 、
カ バ ー しあい 助 け合 い なが らバ レーがで きた よ うに
思 い ます 。
バ レー ボ ー ル を 終 え 、 お 昼 か ら は 翌 日 の
SAYONARAパ ー テ ィー の買 い 出 しのた めに 巨大 ス
ー パ ーマー ケ ッ トの SM(シ ューマー ト)へ 。軽 く昼食
を取 り、分担 して買 出 しを しま した。3時 か らは昨年
11月 に 日本 に来 られ た方 々 がメ リア ンダー ※1に 招待
して 下 さいま した。会場 は、 マ リー タ さん の お宅。
あ ま りに も大 き い お 家 とお い しい 料 理 に 一 同感 動 。
フ ィ リ ピンの 方 々 の 温 か い もて な しに感 謝感 謝 の 1
日で した 。
《写真 上か ら》
高校 生 とバ レーボールで 交流
気合 いの円陣
美味 しか つたで す !メ リア ンダーの 数 々
マ リー タ さん宅 に招待 され ま した
※l miriendaと はフィ リピン式 の軽食 で
、年前 10時 頃や年後 3時 頃に用意 され る客人へ の
もてな しのこと。
54
9日 日(3/1`日 曜日)
SAYOヽ TARA PARTYの 日 !!サ ン タ ロー サ に 滞在 中、
お世話 に な った 方 々 を出張所 にお 招 き し、
「感 謝 」 の気 持 ち を込 めて 日本 食 を提供 しま した 。
朝 8時 に 出張所 に集合 し、朝 づ とめに参加 しま した 。 そ の後 、 9時 頃 か ら担 当を決 めて
それ ぞれ別 れ て準備 を開始 しま した。 日本食 は 、 お に ぎ り、 お好 み焼 き、焼 きそ ば 、 スー
プ 、 ク レー プ 、 白玉 団子 、 フル ー ツ盛 り、緑茶 な ど用意す る こ とに しま した 。 そ して 、 2
時 に PARTY開 始 !お 世話 にな ったホ ス トファ ミリー 、 シナル
ハ ンの 小学校 、前 日に交流 した 高校 な ど、 た くさん の方 々 が
足 を運 んで くだ さい ま した。 お好 み焼 き と白玉 団子 は大好評
で した 。 また 、 カ ラオ ケ も大盛 り上 が りで、喜 んでい ただ け
た様子 で した。 さらに、 ここで もまたまた 「 ドス コイ ダ ンス 」
を披露 しま した 。感謝 の気持 ち を込 めて 精 一 杯 踊 りま した 。
′舞
みんな下手ひね りがだ いぶ板 につい てきま した。PARTYが 終 わ
り、片付 けを済 ませ夕づ とめに参加 しま した。
うま い ! 技 あ り
ロー
サで の活 動 を振 り返
夕 づ とめが 終 わ っ た後 、 プ ロジ ェ ク ト参力日
者 はそれ ぞれサ ンタ
つ て一言ず つ感想 を述 べ 、最後 に全員 で 出張所 の方 々 へ の感謝 の言葉 を述 べ ま した。 そ の
後 、 ミー テ ィ ン グを し、 この 日の活動 を終 えま した。
た くさんの方 々 が SAYONARA PARTYに 足 を運 んで くだ さ り、本 当に い ろい ろな方 々 が 私 た
ち の活動 を見守 り支 えて くだ さつ たお 陰 で 、私 た ちは活動 す る こ とが できた の だ と改 めて
実感 し、感 謝 の気持 ちで い っ ぱ い にな りま した。 と同時 に、明 日サ ン タ ロー サ に別れ を告
げ るこ との寂 しさを しみ じみ と感 じま した。 また 、 メ ンバ ー それ ぞれ がプ レー トにホ ス ト
フ ァ ミ リー と撮 っ た写真 を貼 り、各 自デ コ レー シ ョン した もの を、家 に帰 っ てか らホ ス ト
フ ァ ミリー に感 謝 の気持 ちを込 めて贈 りま した。
!
ようこそ !さ よならパーテ ィーヘ
さよな らパ ー テ ィー に来 て くだ さ つた 方 々
!
55
日(3/2`同 昭日 )
'0日
ホ ス トフ ァ ミリー 、出張所 の方 々 、 そ してサ ン タ ロー サ との別れ の 朝。皆 、 目を真 っ赤
に して 、別 れ を惜 しんだ。 ぎ ゅっ と抱 き しめて 「泣 か な いで 、 また必 ず帰 つて きてね 」 と
言 つて くれ る家族 と再 会 を約 束 し、 マ ニ ラヘ 向 か う車 に乗 り込 んだ。 みんなで見えな くな
るまで手 をふ り続 けま した。
マニ ラヘ 着 くと、天理教 マ ニ ラ出張所 にて 山岸精治先生 、奥様 が迎 え入れ て くだ さい ま
した。 山岸先生 のお話 の 中に、 この よ うなお話があ りま した。
「重 い病気 が治 っ た とき、人 はそれ を 「奇跡 だ !」 と言 って 驚 くけれ ども、重病 が 治 る
とは普通 の状態 に戻 るこ とである。 しか し、私 たちはいつ も普通 の状態 で生 か され てい る。
つ ま りは、私 た ちが生 きて い る こ と自体 が 奇跡 な の で あるか ら、 日々感謝 して通 らせ てい
ただ くの は当た り前 の こ となので ある。」改 めて 、 自分 た ちが健康 に通 らせ ていただいてい
る こ と、 メ ンバ ー 全 員 が フ ィ リピンで元気 に活動 させ て い ただ い てい るこ とに感 謝 し、参
拝 させ ていただ きま した。
天理教 フ ィ リピン出張所にて
∴
橘
私
ⅢⅢ
毛
醍
習
れ櫛
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主
日
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け
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V守
体
麻
も 彬ゴ 帯
写
障`lゴ
お昼 は 、 SMの マ ク ドナル ドで済 ま し、 スーパー やデパ ー トでフ ィ リピン土産 の買 い物 を
しま した !デ パ ー トや大 きな ビル の 出入 り日には必 ず警備員 が立 っ ていて 、荷物チ ェ ック
な どを され ます 。 しか も、警備員 の持 っ てい るライ フル や拳銃 は本物 です。 日本 では 考 え
られ な い こ とに ビク ビク しま した。デ ィナ ー は、バ イ キ ング形式 で
フ ィ リピン郷 土料理 、 日本料理 な どが ズ ラ ッとあ っ て 、た くさん食
べ ま した。そ の 中で も、子豚 の丸焼 きがお い しかった。 また 、 この
日は貝 増 さん (マ イ マ イ )の バー スデイ を一 日早 く祝 い 、み んなで
大 きなケ ー キをプ レゼ ン トした。そ の ときのマ イ マ イ の絶頂 の顔 が
今 で も忘れ ませ ん。マ イ マ イ !!フ ィ リピンでの 19歳 のバ ースデイ
お めで と う☆
お腹 がい っ ぱ い になった所 で、ホテル に戻 りさっ そ く翌 日の フ ィ
リピン大学で の相撲 の準備 作業、国際交流基金 の 日本語教 師 の方 々
へ の リコー ダー 指導準備 を しま した。
ホテル の快適 なふ わふ わ のふ とんに ぐっす り就寝 しま した。
56
!:日 日(3/3$k曜 日)
今 日は フ ィ リピンで の活動 の最終 日です。今 日の
プ ロ グラ ムの準備 でお 世話 にな り、終 日同行 い ただ
く国際交流基金 の新見康 之 さん と合流。
朝 か ら体調 を崩 し、病院 で点滴 を受 けた岡嶋 さん
をホテル に残 し、 い ざ、 フ ィ リピン大学 へ 出発 …・
と、思 い きや 、ダ ンボール を一つ 積 み忘れ る とい う
ハ プ ニ ング も発 生 しま したが 、 1時 間程 で フ ィ リピ
ン大学 へ 到着。 しか しここで もハ プ ニ ングが !大 学
が広 す ぎて、 同 じ道 を 2周 しま した (笑 )。 ここで
の 交流 は、待 ちに待 つ た 「相撲 」。 タイル 張 りの廊
下 に ビニール テ ー プで描 かれ た土俵 、 コケた ら痛 い
だ ろ うな … と思 う私た ち とは対照 的 に、 フ ィ リピン
大学 の学 生 さんは手力日
減 な しで ス ゴい迫力 で した。
試合後 、 ミリエ ン グ を い た だきなが らの 団
興。 日本語 が とて も上手で した。表彰 式 では 、「ひな
ま つ り」 に 因 んで 、 お雛様 、お 内裏様 、 二 人官女 の
衣装 を着 て も らい 写真 撮影。周 りか らは 、かわい い 、
きれ い との声。 しか し、本 人 は 「暑 い …・」。 フ イ リ
ピンの伝 統的 なゲ ーム 「パ >平 ンテ ロ」 を教 えて も
らつ た り、 日本 へ 留学す る とい う学 生 さん と話 がで
きて、とて も充実 した活動 で した。(こ の交流 の事 が 、
翌 日のマ ニ ラ新 間 の一 面 を飾 りま した !*第 4部 資料
新聞記事ご参照)
決
勝
戦
!
表彰 式 でひなまつ り
ア
︱
ト
汗イヽ
フ ィ リピン大学 を も う 1周 半走 り、国際交流基 金 マニ
ラ 日本文化 セ ン ターヘ 。い よい よ最後 の活動 で ある現
守
地 の 日本語教師 の方 々 (参 加者 25名 )へ の リコー ダ
ー指導 です。国際交流基金 には、元気 にな っ た 岡嶋 さ
ん と付 き添 いの住原先 生 の姿 が !全 員集合 です。そ し
ギ■移
て ここで も 日本語 で の会話 、笑 いが絶 えませ んで した。
自己紹介 を済 ませ 、先方 の リクエ ス トにお応 え して
塔
「 ドレ ミの歌」を課題 曲に しま した。た つ た 2時 間足
らず で一 曲が完成 しま した。別れ を惜 しむ時 間 もな く 国際交流基 金 での リコー ダー指導
撤収。 夕食 へ 向か いま した。
予
まだまだ終わ らな いハ プ ニ ン グ の連続 (笑 )。 夕食 へ 向か うジー プ ニー に、何 も知 らず乗
り合 わせ た方 がお一人 、結局 、 同 じ場所 まで連れ て行 って しまい ま した。
夕食 の レス トラ ン に到 着 した 時 は 、す で に 9時 !頼 んだ量 が 多す ぎ、食 べ きれず持 ち帰
りま した。 ここで 、今 日 1日 お世話 にな つ た新 見先 生 と別れ 、夜 のマ ニ ラを とば とば と歩
い てホテル ヘ 帰 りま した。 そ の途 中に国際交流 基金 に帽子 を忘れ た者 が 1名 。最後 の ミー
テ ィ ングは 11時 か ら、 この 11日 間 を振 り返 り、 一人ず つ感想 を語 り合 い ま した。
笑 い あ り、涙 あ りの、熱 の こ もつ た ミー テ ィ ング とな りま した。
57
:2日 日(3/4`ホ 昭日)
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静
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部
守
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い よい よ今 日は帰 国 の 日。本 当にあ つ とい う間 の 2
週 間 で した。空港 へ は 2回 に分 けて行 くこ とにな りま
したが 、2回 目の人 を乗せ た車が待 て ど暮 らせ ど来 な
い 来 な い。結局、出発 ギ リギ リに空港 に到 着。 そ のた
め 、最後 の フ ィ リピン を惜 しむ 暇 もな く飛行機 に乗 り
込み ま した。最後 まで フ ィ リピン流 のお もてな しに驚
か され る私た ちで した。皆、フ ィ リピン に来 た ときは 、
不安 でい っ ぱいで したが 、帰 るころにはフ ィ リピンを
去 る寂 しさとまた 、戻 つて きた い とい う熱 い思 い でい
っ ぱ いで した。本 当にあ りが と うご ざい ま した。
Salamat poll
コラム⑤
《
休みにしま∼す》
サ ンタローサに着 くや否や、早速 トラブルが 。学校訪問予定の初 日が、大統領 の一声 で突
然祝 日になつて しまった。このような ことはフィリピンでは日常茶飯事なので、特 に誰も慌
てふためいた りしない。それは、失業率 80パ ーセン ト (シ ナルハ ンでのインタ ビューによ
る)と い う時間に追われる必要のない人々が 多いとい うことも理由の一つなのだと思 つた。
この祝 日のために小学校 での指導、リコー ダーの日が一 日減 って しまい、丸一 日予定が空
いて しまった。しか し、そのおかげでサ ンタ ローサ市長 に表敬訪間できた り、地元の病院に
入院 している子 ども達に紙芝居を見せた り、折 り紙を してあげた りと、喜んでもらうことも
できた。
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ィ
▼
58
奥 き よか 、北 島 美根子 、椋 野 美 和 、安 田 美 貴子、柳川 賀津子
リコー ダ ー指導 に使用 した道具
:リ コー ダー 、模造紙 に大 き く書 いた楽譜 、笛、親指 の位 置表 示 シール
担 当学年 :4年 生 SECTIONl、 2
∼ 出発前 ∼
当初 A班 は 「キ ラキラ星」 を指導す るつ も りで したが 、子 ども達 には 「 ド」 が難 しいの
で B班 同様 、誰 もがメ ロデ ィー を知 ってい る 「レロン レロンシン タ」 に変更 しま した 。 メ
ロデ ィー を模 造紙 に、音符 を色分 け して大 き く書 き、そ の 下 にタガ ロ グ語 の 歌詞 を入れ て 、
更 に力 タカナで読 み がなをふ りま した。また、先 生 専用 の教則本 、楽譜本 を作成 しま した。
∼指導前 日∼
教則本 には 、 1.基 本 姿勢 、 2.音 階 を何 度 も
歌 い メ ロデ ィー を教 えて も ら う、 3.タ ンギ ン グ
の使 い 方 、 4,ド ・ シ 。ラの指 の使 い 方 の 4つ の
ポイ ン トを確認 し、授 業 の流 れ をイ メ ー ジ しなが
ら指導法 を統 一 しま した。
∼指導 1日 目∼
Hello Song"、 授 業 の終 わ
授 業 が 始 ま る前 は、“
Good Bye Song"を 歌 い ま した。授業 の
りには “
始 ま りと終わ りにめ りは りをつ けるた めです。
授 業 では、自己紹介 した後 、さっ そ く本題 の リコー ダ ー 指導 を行 い ま した。基本 姿勢 は、
① 浅 く座 る、② 両足 の裏 を地面 につ ける、③ひ じを机 につ けて は い けな い 、④背筋 を ピー
ン ン !と 伸 ばす。 次 に リコー ダー の持 ち方 は、左 手 が上 、右手 が 下 (右 手 を使 わな くて も
親指 を添 える、親指 を意識 しや す い よ うに シール を貼 りま した。)、 リコー ダー の くわ え方 、
タ ンギング を指導 した後 、「シ・ ラ・ ツ」 を教 えま した。 強 く吹かな い よ うに、 また穴 を し
つか り押 さえるよ うに指導 しま した。最後 に歌詞 で歌 い 、 そ の 次 に音 階 で歌い ま した 。 と
にか く、音 階 を覚 えて も ら うこ とが重要 で す。 子 ども達 の覚 えが早 く、授業 は順調 に進 み
ま した。最後 に名 札 をつ く りま した。
∼ 指導 2日 目∼
R
子 ども達 を 5グ ル ープ に分 け、 自分 の リコー ダ
ー の音 が 聞 こえ る よ うに と学校 の校庭 で授 業 しま
した。 まず は、「レロン レロンシン タ」 のメ ロデ ィ
ー を何 回 も歌 い 覚 え て も らい ま した 。 そ して 、
「シ・ ラ 。ソ」 の復習 を し、「フ ァ・ ミ・ レ」 まで
指 導 した ところで 、子 ども達 の 中で上達 が 早 い A
班 、 上達 が遅い B班 に分 けま した。A班 は音 階 の
B予リ
エはで きない ところを個人 レ ッス ンで徹
指導 し、
底 的 に指 導 しま した。 息抜 きにか け つ こ して遊 ん
だ りして、子 ども達が リラ ック ス で きる よ うに しま した。 私 た ち もで き るだ けタガ ロ グ語
で 指導 しま した。子 ども達 の指 の使 い方 を必死 で 覚 え よ うとす る姿 に私 た ち の指導 に も力
が入 りま した。 この 日の ミー テ ィ ングで よ くで き る子 には リー ダー シール を貼 り、吹 けな
い子 に教 えて もらえるよ うな工 夫 をす るこ とに決 めま した。
59
∼指導 3日 目∼
この 日の 目標 は 、「レロン レロン シ ン タ」の メ ロ
デ ィー を最後 まで吹 く こ とで した。 班 ご とに別 れ
て の メ ロデ ィー を吹 きま した 。 しか し、 い ざ練 習
が始 ま る と、子 ども達 はなか なか音符 と指 とが合
わない よ うで した。結局 5つ の グル ープ はメ ロデ
ィー を最後 まで吹 くこ とがで きず 、 一 番進 めなか
つたカ
王は楽譜 2段 目にい くか いか な いか で した。
プ
このままでは 、 明 日の コ ンサ ー トに間に合 わな い
と、ス タ ッフの誰 もが焦 りと不安 を募 らせ ま した。
この 日の ミー テ ィ ン グでは子 供 た ちには高 い音 の
「 ド」 と楽 譜最後 の行 では指 の移動 が難 しいだ ろ
。
うと考 え、急速最後 の 「ラ ラ・ ド・ シ・ ラ・ ツ・ ド・ シ・ シ・ ラ・ シ 。 ド」 を 「ラ・ ラ・
ラ 。シ・ ラ・ ソ・ ソ・ ゾ・ ラ・ シ・ ド」 に変更 しま した。 明 日の発表会 には、子 ども達 に
とい う達成感 を得 、感動 してほ しい と一 同は願 い をか けま した
最後 まで 「吹 けた
II」
!
∼ 指導 4日 目&ミ ニ コ ンサ ー ト (発 表会 )∼
午前 中は 、前 日に引 き続 き、 曲 を最後 まで吹 けるよ うに練習 に励 み ま した。 今 日の子 ど
も達 は、昨 日とは とび つ き り違 っ てい ま した。 年後 に コ ンサ ー トを控 えてい るの を意識 し
てい るのか 、 も し くは指使 いが上 達 した のか 、 一生懸命 私 た ち の指導 につい て きま した 。
懸命 に楽譜 を追 う姿 に私 たち も、胸 がい っ ぱい にな り泣 きそ うにな りま した。頑 張れ !頑
張れ !│と 私たち の願 いが届 いたのか 、た っ た 1時 間 とい う短 い時間 の 中で最後 まで吹 くこ と
がで きま した。私 た ち ス タ ンフ は、安 ナ
堵 した と同時 に嬉 しさでい っ ぱいで した。 そ して 、
年後 か ら発表会 を控 えていたので 実 際 の舞台 で立 ち位 置 、整列 、入退 場 の練習 を し、本番
に備 えま した。
∼本番 !!∼
とリコー ダー を構 え、午前 の練習 での疲れ を全 く見せず、
みんな、「発表会頑 張 るぞ
「
精 一 杯 レロン レロンシ ン タ」 を奏 でま した。普段、無邪気 に遊び まわ った り、 いた ず ら
した り、授業 に集 中で きなか っ た りして いた子 ども達 が 1つ にま とま った瞬 間 で した。
4日 前 までは、初 めて リコー ダー に触れ 、た つ た 4日 間 でメ ロデ ィー を奏 で る こ とは本 当に
ってひ と言 も言 わず に私 た ち と練習 して き
難 しい こ とです 。 それ を、子供 た ちは 「嫌 ッ
の
この
ま した。 そ 成果 が 、
発表会 で十分 に発 揮 され、最高 の コンサ ー トにな りま した。
私 たちは 、そ の子 ども達 の 姿 に本 当に感動 しま した。涙 も出ま した。
子供 たちへ 、 大 きな感動 をあ りが と う☆
!!」
│!」
∼振 り返 っ て∼
。 子 ども達ひ とりひ とりに楽譜 が あれ ば家 で も練習 できた。
。 あ らか じめよ く使 うタガ ロ グ語 を覚 え、実 際授 業 で もよ く使 い ま した。そ の おかげで子
ども達 も理角牢して くれ ま した。
・ 毎 日の ミー テ ィ ング と準備 のおか げで授業 が スムーズ に進行 した こ とが 、発表会 の成功
につ なが りま した。
・ 教本 は教 育的指導 に役 立 ちま した。
・ リコー ダー に親 指 シール を貼 つたおかげで子供 た ちは親指 の位置 を理 解 で きま した。
60
岡島 美佳子 、貝増 舞 、久保 真百子 、椋野 まゆみ
リコー ダー指導 に使用 した道具
:リ コー ダー 、模 造紙 に大 き く書 い た楽譜 、笛、親指 の位 置表示 シール
担 当学年 :4年 生 SECTION3、 4
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∼ 指導 3日 目∼
ま 「楽 しめば結果 は着 いて くる」 とい う
3日 ロイ
He1lo Song"を
言葉 を信 じて指導 に励 みま した。“
みんな で 一 緒 に ノ リノ リで踊 り授業 ス ター ト。 グ
ル ー プ練習、最後 の 10分 に全体練習 を行 い ま し
た。 この 日はクラス 、個人 で ば らつ きが あ りま し
たたが、1∼ 2段 目まで進む こ とがで きま した。
この 日か ら上手 な児童 を 「子 ども Teacher」 に指
名 し、で きな い子 を指導 でき る体制 を作 りま した。
しか し、 まだまだ完成 まで の道 の りは長 く、明 日
の頑 張 りにかける ことにな りま した。
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∼ 指導 2日 目∼
He■ o
2口 目か らは校庭 で行 いま した。まず は、“
Song"を 子 ども達 と一緒 に歌 って気分 を高 め、全
体 で復習 を し、班 ご とに分かれて練習 を行 い ま し
た。1人 約 11人 、多 い所 では 14,5人 の班編成 に
な りま した。指使 い を覚 えることだ けで時間が過
ぎ、本 当に曲を演奏 でき るよ うにな るのか不安 に
な りま した。
/
E百′
∼ 指導 1日 目∼
緊張 を隠 しきれ なか つ た初 日。みんな で 円陣 を
組 み、気合 を入れて い ざ教 室 に向か い ま した。 1
日目の 目標 は 、音階 で歌 を覚 え 「シ・ ラ 。ソ」 の
指 を教 えるこ とで した。 どの クラス も本 当に元気
な子 た ちばか りで歌 もものす ご く大 きな声で歌 つ
て くれ ま した。 また、 クラス を 4つ に分 けて練習
を進 めて い きま した。初 日は、 うま くいか な い こ
ともあ りま したが先 生方 の ご 協力 を得 なが ら、み
んなで協力 し補 い合 い なが らで きま した。
●
●/
∼ 指導前 日∼
学校班 が作 つて くれ た教則本 を基 に 、子 ども達
に どの よ うに指導 してい くかを 4人 で話 し合 い ま
した。 実際 に当 日の こ とを考 えなが ら話 し合 い を
進 めて い くと不安要素 がた くさん出 て きて、それ
を補 うた めに入念 な確認 を行 い ま した。
『
Ⅲ
∼指導 4日 目∼
子 ども達 と一 緒 に楽 しめ るの も今 日が最後 で す。 み んな 「とにか く、楽 しも う !」 を合
言葉 に、授業 に臨みま した。 この 日は 、A班 か ら奥 さん (き よち ゃ ん)が 助 つ人 として加
わ つて くれ ま した。子 どもたち も私 たち も昨 口まで以上 に真剣 そ の もの …。 昨 日が嘘 の よ
うな進 み具合 …完壁 ではないが最後 まで吹 けた …。信 じられ なか っ た。授業最後 の舞 台練
習 では、どのク ラス も曲にな っていま した。そ して 、最後 は"Goodbye Sonゴ 'で 終 えま した。
∼ リハ ー サ ル∼
2ク ラ ス ロの授 業 の後 、
Grade4は ステ ー ジで リハ ー
サル を行 い ま した。他 クラス
も気 に な る の か ノ ワ ノ ワ し
てい ま した。自分 のク ラ ス が
一 番 と ば か りに 愛 情 の ヤ
ジ??が 飛 び ま した。 そ して 、
み ん な の 演 奏 を期 待 す るか
の よ うな突 然 のス コ ール が
降 り注 ぎま した。
ぅ
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J
∼ ミニ コ ンサ ー ト∼
い よい よ本番。 開始 時間が遅 くな って しまったのに も関わ らず 、 た くさん の子 どもた ち
が残 つ て くれ ていて発表会 が ス ター トしま し 吐。
"Are you ready?""Ready!!!"の 大 きな掛 け声 か ら演奏。この時 の演奏 は忘れ られ ませ ん。
元気 い っ ぱ いの音色 、必死 に演奏す る姿 、最 後 に達 成感 に満 ち溢れ た表 情 、今 までで一 番
の演奏 とな りま した。
や`
口日 ■ ■ 爾 章
甲
I
62
岡島 美佳子 、椋 野 美和
リコー ダ ー指導 が うま くで きるよ うに対策 を考 え事前 か ら準備 しま した。
◆ 工夫 した こと◆
○去年 の反省 を踏 まえて 、今年 は名札 を作 るこ とに しま し
た。段 ボ ール にカ ラ フル な折 り紙 を貝占り、裏面 に安全 ピン
を取 り付 けま した。そ して 、授業初 日に子 どもた ち 自身 に
名 前 を書 いて も らい ま した。 (使 用例 :右 の 写真 )
○ リコー ダーの裏 に、フ ラワー シール を貼 り、常 に子 ども
た ちが右手 の親指 の位 置 を意識 でき るよ うに しま した。
○全員 が子 ども達 に リコー ダー を指導 で き るよ う、学校班 で基 礎 ポイ ン トをま とめた教 則
本 を作成 しま した。 これ を も とにメ ンバ ー 全 員 の リコー ダ ー に関す る指 導方針 を統 一 しま
した。
また 、 これ を英訳 した もの を シナル ハ ン小 学校 の先 生方 に波 しま した。 (第 4部 資料ご参照
今後 も リコー ダー 指導 を続 けて い って も らい た い とい う願 い を込 めて …
そ して 、3月 3日 の 国際交流 基金 マ ニ ラ 日本文化 セ ンター で 、フ ィ リピン人 日本語教師 の
方 々 を対象 と した レクチ ャー の後 で 、 この教則本 とリコー ダー を手渡 しま した。
○ これ も去年 の反省 を踏 ま えて 、今年 は リコー ダー指導初 日の朝 に 、4年 生担任 の先 生方 に
集 ま って い ただ き、私 た ち の英語 をタガ ロ グ語 に訳 して い ただ くな ど、指導 の 際 の協力 を
お願 い しま した。 そ の 時 に子 ども達 が今年 の リコー ダ ー課題 曲で ある 「 レロン レロンシ ン
タ」 を どの くらい 知 ってい るのか 、英語 は どの くらい理 解 で き るのか な どの 事前 の打 ち合
わせ を行 い ま した。 また、担任 の先 生方 に よる 協力 の も と指 導 が スムー ズ に進む よ う、 リ
コー ダー の基本知識 を知 って も ら うために教則本 をお渡 ししま した。
O“ He■ o Song"と “Good― bye Song"は 、 ビデオ研 修 に来て い ただいた森 口郁子先 生 に
He1lo Song"は 今 日の
お借 りした活動記録 の冊子 の 中か ら参考 に させ ていただ きま した。 “
Good
授業 が楽 しく迎 え られ るよ う、毎 日元気 い っ ぱ い に授 業 開始 時 に歌 い ま した。また 、“
―bye Song"は 、 明 日もまた ワク ワク して授 業 に来て くれ るよ う、笑顔 い っ ぱい で授 業終
了時 に歌 い ま した。2日 目か らは 、子 どもた ち も一緒 に歌 つ て くれ るよ うにな り、 コ ンサ ー
トに向か つて思 いが一つ にな ってい くよ うで した。 (第 4部 資料ご参照
)
)
◆ リコー ダー 指導時に よ く使 っ た タガ ロ グ語 ◆
穴 を しつか りふ さいで :Takpan nyo ang butas(タ クパ ニ ョ ア ン ブ ー タ ス)
ゆ つ く りゆつ く り :Dahan dahan(ダ ァハ ン グァハ ン)
上手だね !:MagahngI(マ ガ リィ ン 1)
静 かに :Tumahimik(ト ゥマ ヒ ミック)
弱 く :Mahina(マ ヒー ナ )
姿勢 をよ くして くだ さい i Tinttg(テ ィ ンデ ィ ッグ)
☆一 言 メモ ☆
…
演奏前 に
“
Are you ready?"
私たち
“
子 どもたち Ready!"
・
“
NoNo・ ・
ARE YOU READY??(テ ンシ ョン倍増 で)"
私た ち
“
子 どもた ち READY!!!"
と、2回 聞 いて あげ る と、 よ り子 どもた ち の気合 いが入 り、 心が一 つ にな りやす い
63
!
◆ ドス コイダ ンス◆
Why?ド ス コイダ ンスなのか….国 際交流基金マニ ラ 日本語センター との共同事業 とし
てフィリピン大学で 「相撲」を通 した交流を行 うことが決ま りま した。事前準備 中も 「相
撲」とい うキーワー ドが飛 び交 うよ うにな りま した。
『 開け!ポ ンキ ッキー』 とい う碁組 の 中
「
コ
で、 ドス イ」 とい う音楽に合わせて踊 る体操 があ り、それをア レンジ してダンスに しま
した。
9
ダ ンスの 中 に ち ょ っ と した サ プ ライ ズ
「
☆ Thank you Phユ ねpinasII」 と書いた大 きなメッセージを掲げると同時に、感謝 の気持
ちを込 めてみんなで声をそろえま した。す ると、シナルハ ンの皆 さんか ら歓声 があが りま
した。嬉 しかったです。
この ダ ンス は 、初 め小 学校 の コ ンサ ー トの た めに練習 してきた ものです が 、それ だ けに
とどま らず 、様 々 な場面 で披露す る機 会 が あ りま した。私 立 サ ンタ ロー サ高校 (Santa Rosa
Educational lnsitutiOn)で のバ レー ボ ール 交流、SAYONARAパ ー テ ィー 、フ ィ リピン大
学 での相撲交流 の ときに も披露 しま した。
指導 した子 どもの人数
・211名
…
Sec,1 ・49′ 名
Sec,2 …・51名
Sec.3 '… 56名
Sec.4 ・…55名
,・
64
毎 日リコー ダー 指導 が 終 わ つてか ら、
班 ごとにその 日の進み具合 を確認 し、良
か った 点や反省 点 のふ り返 り、明 日の 目
標 や 指 導 の 進 め方 に つ い て 話 し合 い ま
した。
子 ども達 の上 達具合 を鑑 み が ら、毎 日
試行錯誤 の 日々 が続 きま した。
みんな真剣 です !→
色塗 りや は さみ の使 い 方 を見て い る と、子 どもた ち の個性 が よ くあ らわれ ます。 ゆ つ く
りじつ く り丁寧 に切 る子 や 、 おお まか に切 る子 、強 く濃 く着色す る子 や 、 さ らさらと薄 く
塗 る子 、 中には力 士 の体 を半分青色 半分緑色 で 着色す る子 もい ま した。 同 じ もの を波 して
も、子 どもの数 だ け全 く違 うものが 出来 上 が る こ とが非 常 に興 味深 く、感性 の豊 か さや 固
定在
兄念 に とらわれ ない 思考 の柔軟性 に も驚 きま した。
オ リジナル カ 士 がで きた ら、隣や前後
の席 の子 と 「ready gOl」 の掛 け声で 一斉
に試合 開始 !た だ、全員 手力日
減 な しに机
を思 いつ き り叩 くので 、勝負 は一 瞬 で決
ま つ て しまいま した。
しか し、 自分 で 作 った とい う喜 び もあ つ
て 、倒れ て も何度 も何度 も対戦 して い ま し
た。そ の一生 懸命 さが健気 でかわい らしく、
勝 って も負 けて も教 室 には笑顔 が あふれ
て い た のが 印象 的 です。
一 斉 に トン トン
紙相撲 でたつぷ り遊 んだ後 は、
『 みんな一
生懸 命頑 張 つたので勝 ち負 けな しの全 員 が
一 等賞 !』 とい う気持 ちを こめて 、 メグル
作 りを しま した。折 つて も折 って も同 じよ
うな形 にな るので 、少 し作 り方 がやや こ し
く苦戦 しま したが 、最後 には ピン クや 黄色
な ど、 さま ざまな色 のメ グル と、元気 な子
どもたち の笑顔 が 目に鮮や かで した。
折 り紙 も紙相撲 も 日本 に古 くか ら伝 わ る
遊びです が 、時 を越 え、国境 を越 えて も通
じる遊びだ とい うこ とに改 めて気付 か され 、
日本文化 の 良 さを フ ィ リピンの子 どもた ち
に教 わ つ た気 が します。
‐
み │ヾ
!
i」
`
`
`:
“
自分 で作 つた 作品 と一 緒 に
65
]奥 きよか 、安 田 美貴子
至内]久 保 真 百子 、椋 野 まゆみ
l戸
[屋 外
交 流 班 は 2月 24日 (火 )∼ 26口 (木 )の 3日 間 、年 後 の 活動 と して屋 内 と屋 外 の二 班
に別 れ て 低 学年 児 童 と交 流 を行 い ま した 。
2月 24日 (火 ) 1年 生 342人
2月 25日 (水 )2年 生 250人
2月 26日 (木 )3年 生 250人
「屋 外」
∼ 事前準備 ∼
交流班 (外 )で の交流 内容 は 、子 ども達 がルール を理 解 して くれ るの か 、簡単す ぎてす ぐ
に終 わ って しま うのではないか とい う思 いが あ り、ギ リギ リまで悩み ま した。そ して 、「し
つぽ取 り」 「じゃ んけんゲー ム」 「フォ ー クダンス」 の 3つ の準備 を しま した。
現地で は、 出張所 の方 々やホ ス トフ ァ ミリー に助 けて い ただき 、ゲ ーム に必 要な タガ ロ
グ語 を教 えていただきま した。
∼ 1日 目∼
1年 生 4ク ラス『 しっぽ取 り』
教 室 か ら整列 して屋 外 へ 出 て くる子 ども達 は、 と
て も小 さく、 とて もかわい らしく、そ して とて も元
気 で した。先 生 にタガ ロ グ語訳 をお願 い し、ゲ ー ム
ス ター ト。赤 ・青 。黄 の 3チ ー ム対抗戦 で 5分 の予
定で したが、数十秒 で ス トップ をかけて しま う程 の
素早 さで した。見事、青チ ーム の ダ ン トツ 1位 。 プ
レゼ ン トの ピカチ ュ ウは大人気 で した。
∼ 2日 目∼
2年 生 3ク ラス との『 じゃんけんゲーム』
じゃん けんを して負 けた ら勝 った子 の後 ろに付 き、電車 の よ うにだんだん長 くな ってい
くとい うゲー ム です。 じゃ んけんは フ ィ リピンのや り方 で行 い ま した。 トップになった女
の子 は 、少 し恥ず か しそ うに していま したが 、 メグル をかけてあげ る ととて も嬉 しそ うに
笑 っ て くれ ま した。
∼ 3日 目∼
3年 生 2ク ラス との『 フォー クダンス』
この 時 の先 生 の 的確 な指示 には 、 さすが !!と 驚 きま した。毎 日フ ラ ッグセ レモ ニー でダ
ンス を してい る事 もあ り、子 どもた ちもす ぐに覚 えて くれ ま した。子 どもた ちは疲れ知 ら
ず で 、何 曲踊 つて もにぎや かな声 が止 み ませ んで した。 (実 は、 3日 目の交流 も 3ク ラス
の予定で したが 、先生 がお休み の クラス があ り、 学級 閉鎖 だ った よ うです。 )
たつた 1時 間ず つ の交流 で したが 、子 ども達 の笑顔 が嬉 し くて、大変 だ った 準備や悩 ん
だ事 も良い 思 い 出にな りま した。
お世話 にな っ た皆様 、 あ りが と うご ざい ま した。そ して 、純粋 な瞳 を した子 ども達 、私
達 を楽 しませ て くれて、 あ りが と う
!
66
「屋 内」
対象 とな る学年 が 1年 生か ら 3年 生 の低 学年 と
い うこ とで 、簡 単 で 、す ぐに作れ て 、楽 しめ る、
昔 か らの 日本 の遊 び とい うの をテ ーマ に、 1,2年
生 には折 り紙 でかぶ とと紙飛行機 を、3年 生 には紙
相撲 とメグル 作 りを教 える こ とに しま した。折 り
紙 の事前準備 として 、 ひ とつ ひ とつ の手順 が 視覚
的 にす ぐにわ か るよ うに、模 造紙 に大 きな見本 を
作 りま した。例 えば 、紙飛行機 の 作 り方 な ら、ま
ず折 り紙 を長 方形 にな るよ うに半分 に折 っ ただ け
の もの を手順 1、 そ こか らさらに次 の折 り方 を示 し
た もの を手順 2、 とい う風 に作 つ た もの を模 造紙 に
賠 りま した。紙相撲 は 、型紙 に左右対称 の力 士 や動物
の絵 を貼 り、生徒 にはそれ を切 つて ク レヨンで着 色す
る とい う作業 を させ るよ うに しま した。
視覚的 にわ か るよ うに して、英語
の 説明 は補 足程度 にす るよ うに
小学校 での活動 の初 日は、 1年 生 へ の指導 です。
自分 これ を黒板 に貼 って 、作 り方 で作 ったかぶ とを
自分 で被れ るよ うに、折 り紙 ではな く大 きな新 聞紙
を正方形 に切 って用意 しま した。 1年 生 に とつ ては
めい つ ぱ い 体 を使 って よ うや く広 げ られ るほ どの
大 き さです。急速 、 1つ の教 室 で 1.5ク ラス分 の生
徒 た ちを指導す ることにな り、も とも と小 さな教室
がます ます手狭 にな りま した。 しか しそんな こ とは
おかま い な しの元気 い っ ぱ いの生徒 たち。一つ の手
順 が 終 わ るたび に 「で きた よ !見 て見 て !」 とア ピ
ール して くるのが とつ て も純粋 でかわ いい です。
教室 が 狭 くて も関係 な し
先生が 一 番 ノ リノ リ
!
!
低学年 の生徒 た ちには、英語 はまだ理解 で きな い
ので 、クラスの先生 に協力 して も らい 、私 た ち の英
語 の説 明 をタガ ロ グ語 で訳 して も らい 、何 とかかぶ
とと紙飛行機 を完成す るこ とができま した。
紙飛行機 は校庭 に 出て飛 ば しま した。み んなおお
は しゃぎで力 いつ ぱい 投 げ るので 、ぐ しゃ ぐ しゃ に
なつてしまい、最後には飛ばす とい うより『 投げて
る !?』 とい う子もいましたが、とにかくみんな楽
しそ うでした。
元気 い つばいの子 ども達 !!
活動 3日 目は、3年 生 のク ラス で紙相撲 とメグル 作 りです。紙相撲 の紙 が 分厚 く切 りに く
く、しか もは さみ の数 が十分 でなか つ たので 、メグル 作 りに時間がかか つて しまい ま した。
67
相撲〕
肛レポート
貝増
舞 、北嶋
美根子 、柳川
賀津子
,
⋮ヽ
事前準備 衣装作 り
O衣 装作 り
リサイ クル シ ョップでお 買 い得 な着物 を 2枚 購入 しま
した。 (赤 と紫 )こ れ はお内裏様 とお雛様役 の 2人 が一番
上か ら羽 繊 るよ うに します。
着物 の襟や袴 な ど、椋野先 生が夜 なべ を して完成 して
い ただ きま した。
← 完成 した もの を試着 しま した (笑 )
○カ ツ ラ作 り
バ レー ボール を頭 の形 として据 え置 き、新 聞紙 に 1枚 づ
つ糊 をつ け、重ねて張 つてい きま した。乾 い た ら絵 の具で
黒 く塗 り、髪 の毛は毛糸 をボ ン ドで くっつ け、お雛様 、三
人官女 のカツ ラを作 りま した。
実技講習会 の 開催
壮行会後 に、天 理 高等学校 第 二 部 の大仲先生 を招 いて
相撲 の実技講習 を行 い ま した。 なれ ない練習 でへ っぴ り
腰 です が 、笑 い を こ らえなが らも大 仲先 生 の熱 心な ご指
導 の お 陰 で 、み んな も真剣 な眼差 しで講習 を受 けま した。
相撲 につい て知 らな い こ とばか りで勉 強 にな りま した。
<大 仲先 生のプ ロフ ィール >
天理高校第 二 部 の先生です。 二 部 には過去 には相撲部
が あ り、昭和 55年 か ら 62年 まで顧 問を してお られ 、
個人優勝 な ど、 た くさん の生 徒 を育 て られ た先生 です。
今 回、女相撲 をご指導頂 きま した。
← ↓大仲 先生 もみん な も真剣 です
!
ひな祭 り杯 の流れ (※ 現地滞在日誌 H日 目ご参照
① 開会式
② ひな祭 りの説明
③ 相撲の説明、型見せ
④ ルール説明
⑤ O× クイズ
⑥ 個人戦
⑦ 団体戦
③ 表彰式、記念撮影
⑨ メリアダンダー
)
68
「女相撲 日比対抗 ひ な祭 り杯
フ ィ リピン場所 」進行表
備考
司会台本
「
只今 より、
開会 式
『 ひな祭 り杯― フィ リピン相撲場所―』を開催 し
13:00
ます。」
「まず始 めに、国際交流 基金 の新見先 生 よ り挨拶 が あ りま
す。」
「先生、 あ りが とうございま した。」
「続きま して、天理大学、住原則也先生、お願 い致 します。」
「住原先生、あ りが とうございま した。」
「それでは早速、始めたい と思います。イエーイ !」
ひ な 祭 り 「今 日は 3月 3日 、 日本 で は 「ひ な祭 り」 と呼ばれ る 日です。
の説 明
み な さんは、ひ な祭 りを知 つてい ますか ?」
「今 か ら簡単 にひ な祭 りの説 明 を します。」
13:20
「 3月 3日 は女 の子 を祝 う日です。 お 内裏 様 とお雛 様 、 二 人
官女、 五 人 囃 がい ます。 この 日だ け女 の子 は、甘酒 と呼 ばれ
る 白くに ごつたお 米 か ら出来て い る甘 い お酒 を飲 む こ とが許
され、菱餅 と呼ばれ てい る菱形 の お餅 を食 べ なが ら楽 しく過
ごす 日な のです。
「また 、言 い伝 えで は、 3月 3日 中 にお雛様 を片付 けな い と
なかなかお嫁 にい けない と言 われ ています。」
「ひ な祭 りの知識 は深 ま りま したか ?」
「それ では次 に相撲 の簡 単 な説 明 を します。」
相撲説 明
「相撲 は 日本 の 国技 と呼 ばれ てい ます 。」
13i40
「相撲 は 日本古 来 の神事 で す。 同時 に武 芸で もあ り武道 で も
あ ります。また古 くか ら懸 賞 金 を得 る為 の生 業 (生 き る手段 )
として 、選 ばれ た者 に よつて大 相撲 とい う興行 が 行 われ てい
ます 。近年 では 、 日本 由来 の武道 ・ 格 闘技 ・ スポー ツ として
国際的 にも行 われ てい ます 。」
「以 上が簡 単 な説 明にな ります。知識 は深 ま りま したか ?」
「続いて、今 か ら簡単な型見せ を行 いたい と思い ます。」
型 見せ 、
型 見せ
い
基本 動 作
14:00
① 寄 り切 り (良 例)
看板持 ち
甲し出 し (良 い例)
② 才
い
っ
山
し
を叩
(引 ヒ
島)
を引
張る、顔
くなど
(悪
例
)
、髪
③ 突き倒
)I)
(υ Π
※いい例 と悪 い例 の両方を見せ る
「最後に、土俵 に上が った際 に行 う基本動作を教 えた い と思
い ます。試合 の時は この動作を行 つて下 さい。」
「ルール を説明を します。①今説 明 した技 以外 は使用禁上で
ル ール 説
明
す。危険な行為 を した場合 、即失格 とな ります。②相手 のひ
14:20
ざより上を地面につ けた ら勝 ち とな ります。③審判 の指示 に
従 って下 さい。④制限時間は 1分 間です。⑤個人戦、団体戦
の順番 で行 います。優秀な成績 を残 した個人 と、 チームには
戻華景 品があ ります。イエーイ。」
時間
69
○ ×クイ
ズ
14i30
個人戦
15:00
「 それ で は こ こで
さ らに相 撲 に つ い て の 知識 を深 め るた め 看板持ち
に、 クイ ズ を行 い たい と思います。イ エ ー イ。」
町
(引 ヒ
鳥)
※次 ペ ー ジ を ご参 照
(柳 )│)
「何 問 くらい正 解 で きま したか ?相 撲 につ いての 知識 は深 ま
りま したか ?今 日得 た知 識 を家族 に話 して も楽 しいです よ。」
「それ では よ りよい 交流会 にな る よ う、ル ール を守 り、お も
いつ き り楽 しみ ま しょ う。」
「それ で は只 今 よ り個 人 戦 を行 い たい と思 い ます 。」
※表 を出す
束 :○ ○ 山 あ∼
行司
西 :○ ○ 山 あ∼
(柳 )│)
※ トー ナ メ ン ト戦 に従 って 進 めてい く
「お疲 れ 様 で した 。 少 し、休 憩 時 間 を と りた い と思 い ま
す。
○ ○ 分 か ら開始 しま す ので それ ま で に 元 の 場 所 に 戻 つ て きて
下 さい 。」
団体戦
15:40
「 それ では
Aチ ー ム
Bチ ー ム
引き続 き、団体 戦 を行 い ます。」
※表 を出す
※ 5人 づ
つ?
※順 番 に行 ってい く (前 頭 → 小結 → 関脇 → 大 関→ 横綱 )
「お疲れ 様 で した。 あ りが と うご ざい ま した。 それ で は只 今
よ り、表 彰式 の準備 が あ ります ので休憩 時間 を取 りたい と思
い ます。 しば らくの 間、お待 ち下 さい。」
記 念撮 影
16:00
表彰式
16:10
呼子
山
(引 ヒ
烏)
※準備 が整
う直前 、全 体
写真 用 に並
ばせ てお く
(皆 で )
「それ では先 に記念撮影 を行 い た い と思 い ます。」
※全 体写真 → ひ なまつ り写真
「お待 たせ い た しま した 、表彰式 を行 いたい と思います。」
賞状を波す
「まず始 めに 、個人戦 の部 、優勝 ○○ さん 、準優勝 ○○ さん 、
敢 闘賞○○ さん、○○ さん。お めで とうございます。」
「続 きま して 、団体戦 の部 、優勝 ○チ ー ム。 お めで と ご ざ
う
い ます 。」
メ リア ン
ダー
「それではメ リア ンダー に うつ りたい と思い ます。」
※乾杯 の音頭 :○ ○先生
16:20
※ 「 イ ェーイ 」 の部分 は皆 で大 きな六で盛
※皆 で準備 ?
※ひなあ ら
れ の準備
り上げ ること !!
MAIMAI
70
VS
OWTSARNOKASE
フィ リ
シ大
ん と記念撮影
OXク イズ 中
ひな祭 り杯争奪戦女性相撲
O× クイ ズ について
尚、優勝者 の景品は、岡島 さん のお姉 さんか ら譲 つていただいた、大相撲 の湯 のみセ ッ
トと絵番付けを贈呈いた しま した。
― 問題―
① 力士 は全員 日本人である ?
→ × (モ ンゴル人や ロシア人やブルガ リア人などの力 士 も活躍 しています)
② 力士 は約 5万 人 である ?
→ × (約 2万 人。 日本人 の約 0,015%。 相撲 は見 る競技であることが分か ります)
③ 力士の平均体重は 150キ ロ以上で、身長 は 180セ ンチ以上である ?
→ ○ (体 重 の重 い人は 183キ ロ、軽 い人は 122キ ロ、一番高い人は 202 cm、 低 い人は 169
clllな のです。
)
④ 優勝す ると賞金 1000万 円もらえる ?
→ ○ (横 綱 クラス になるとこの くらいの値段 かもしくはも う少 し高 くな ります)
⑤ 力士 は 1日 5食 である?
→ O(体 重を増やすために、食べ た後す ぐに寝 るそ うです)
⑥ 化粧回 しの平均金額は約 10万 円である ?
→ × (平 均 100万 円前後 である。横綱 クラス になると 200万 円程にな ります)
71
記念 品
O賞 状
色紙 は、大相撲 の力 士 達 の絵 を切 つて貼 り付 け、 コメ ン トとメ
ンバ ー の サイ ン を書いて賞状風 に しま した (個 人戦で第 3位 まで
に入 つ た計 4人 に波 しま した)。
○ひ なあ られ (参 加 した 学生全員 に配 る もの)
スーパー でひ なあ られ を購入 し前 日の夜 、現地 のホテル で梱包
作業 を行 い ま した。 ひ なあ られ を小分 けにす るた め、小 さい透 明
の袋 を購入 し、そ こに桜 のシール を貼 つて 手渡 しま した。
畿
○化粧まわ し (大 学へ の贈 呈品)
レトを縫 いつ け、デザイ ンを施 し
酒屋 で見つ けた前掛けにフェァ
ま した。また、本来な らば藁 の部分があ りますが、そ こについて
は金色 の太いモール を括 りつ け完成 させま した。デザイ ンは和風
なもので 日本 を象徴す るもの とい うことで 「富 士 山」 を描 きま
した。
《写真上か ら》
*入 賞者および贈呈 した色紙
*当 日優勝 した現地の学生 さん と化粧回 し
*フ ィ リピン大学の ご好意 で豪華な メ リア ンダー を
ごちそ うにな りま した。
*み んなよろこんで くれてるかな ?
(気 遣 って くださる新見先生)→
「 ハ イチー ズ !!」 とっび き りの笑顔で記念撮影☆
∼最後 に∼
椋 野先 生 の おか げで、 立 派 な衣 装や カ ツ ラ、 化粧 回 し等 が完成 い た しま した。本 当にあ
りが と うご ざい ま した。先 生の手 際 の良 さに感動す るばか りで した。
72
第4吉 │
Data
4
7
5
7
6
7
フ ィ リピン共和 国概 要 。・・・・ ・・
発表会式次第 ・・・
7
7
英文指導書・・・・・・・・・・・・
リー ダースピーチ (英 文 &タ ガ ログ語)
よく使 つたタガ ログ語集
活動資料 ・・・ ・・ 。・・ 。・・・・
天理教 の用語説 明 。
新聞記事、寄贈品一覧・・・・・ 。・
お 礼状 ・・ 。・ 6● ● 0● ●・ ・・ 。87
9
7
0
8
4
8
5
8
73
フ ィ リピン共 和 国概 要
(Repubhc of the Philippines)
月
口 都 口積 島 語
年 な
エ
ユ
独 首 人 面 〓一 言
1946年 7月 4口
メ トロ 。マ ニ ラ
92,681,453ノ、(2008年 推 計 )
299,404kH12
ル ソン 島 、 ヴ ィサ ヤ ス 諸 島、 ミンダナ オ 島な どをは じめ 、大 小合 わせ て
7,109の 島 々 か ら構成 され てい る。
国語 は フ ィ リ ピ ノ(タ ガ ロ グ)語 、 公 用語 は フ ィ リ ピ ノ語 と英 語 で あ るが 、
母語 と して使 われ る言 語 は、合 計 172に 及 ぶ 。第 2言 語 と して英 語 が 使 用
され て い る。
国名 。国旗 の 出来 な ど
1542年 に上 陸 したスペ イ ン人 が 、 スペ イ ン皇太子 フェ リペ (後 の国王 フェ リペ 2世 )に
あや か り、「フェ リペ の 島 々」 の意 で 、 フ ィ リピナ ス と命名 した こ とによる。
1943年 に 国旗 を制 定。三角形 内 の太 陽 は 自由の象徴 で 、8本 の光 は独立 に立 ち上がった 8
州 を表 し、 3つ の角 にはそれ ぞれル ノン、 ビサヤ、 ミンダナオの 3地 方 を示す星 を配す る。
青 は真実 ・ 正 義 、赤 は勇気 。愛 国、 白は潔 白・ 平和 をそれ ぞれ表す 。 戦時 の 時 には赤 と青
の配色 が入れ替 わ る。
国銘 は 「神 、国民、 自然 、国家 の愛情 のた めに」
歴史
1565年 ∼ 1898年
1898年 ∼ 1946年
スペ イ ン植 民地時代
米 国植 民地時代
この 間 の一 時期 、 日本 が統治
1946年 独 立
宗教
フ ィ リピン共和 国は アジア 唯 ― のキ リス ト教 国である。 スペ イ ンのが植 民地統治 時代 に
ローマ・ カ トリックを広 めた。 それ以前 は 、各 島 の 自然 の精霊 な どを信 じる原始 的な宗教
が あ つ た。現在 はフ ィ リピン人 の 88%の 人 が ローマ・ カ トリック、9° がプ ロテ ス タン トを
信仰 し、他 にイ ス ラム教 が 50/0、 仏教 な どが 3°/0で ある。
/。
社会 と文 化
フ ィ リピン人 は 一般 に親切 で 、恩や義理 を重 ん じ、社 交 を大切 にす る。 フ ィ リピン文化
は 、そ の歴 史 を反 映 したいわばマ ラヤ、 スペ イ ン、 ア メ リカ文 化 の混合 ともい うべ き もの
で あ るが 、最 近 は民族 的独 自性 が生 まれ つつ あ る。 貧 富 の差 が激 し く、職 を求 めて都 市部
に流入 す るものが 多 い。
日本 との 関係
1976年 に 口比賠償 が終 了 し、両国は新 しい 関係 の時代 に入 つた。経済分野 では 日本 は、
米 国 と並んで大 きな存在 となってお り、人的交流 も盛 んで ある。
74
ⅣIrs.Zenaida C,De Guzma11
ⅢIs.Evelyn L.Bacube
I.Opelllng Prayer
Ⅱ.NationЛ Anthem ofP]』 単phes
NahnalAnthem ofJapa11
TENRI Universlty
CONSTANCIAR.FAJARDO
Ⅲ .Operlmg Remarks
PrinclpalⅡ
IV.InttoductionofStuttnts Яndstarfム /1embers
nri U血 聰 rsiけ Inttrllatお nd Particゎ at血 Pttject 09)
徹Э
NORⅣASttIIHARAPh.D.
V.ヽ ■ssa騨
star‐ 晩 1lriU血 wrs均
「Cnterxlational
P曲
ⅣIs.W随 恥
Ⅵ .ⅣIessage
Student‐
Ⅶ .M臣正‐
Con∝ rt PЮ per
ムヒPlα ttng dance ofthe
haderI&ピ i
わal淀 温PШ je就 09)
uda
uniⅦ rs坤
Cnternattnal P誠 たゎatbn PrOieCt 09)
TENRI UNIVERSITY students
rSUMO DANCE'
B.Pl叩血g Recorder by the
SES EbHlentary pupユ s
C.Plり hg]随 corttr
All(艶 ade Ⅳ
TENRILテー
pupユ s
RSItt s伍 髄n伯
Ⅷ .Presentation ofRec()rder Pl叫 Ш g D4ユ oma fOr sebct Gra腱 Ⅳ Pup工 s,
and O五 gaIШ to an SES pup工 s
Ⅸ .Presentatton ofCん 山 ate of
RevKAZUOK[UEDA
Appredaton
Repllesent[rttt ofЪ nrikyo
Tohon Sta.Rosa MLssЮ n Stat面
X.Presentatlon ofPlaque ofRe∞ 卵
don
CONSTANCIAR.FAJARDO
Princ′ lpalⅡ
涎。
CloSng Rる marks
W阻 R△MON BARTOLOヽ 皿
PTA‐ PЮ sittnt
Ms.Czarma B.ヽ 硼 acrllz&Ms.Ma減 o
75
KUBO
☆ HOw tO teaこ h a recollder妾
1.Basic POint!!
●醜 foЮ ha宙 ng th recorder = c()rrect pos比血
① Not resthg on a suppott for thebttk
C)Not swlng bgs
③ Notb錮血 g elbows on tれ desk
④ S訛hg wih astr五ghtback
OThe ttlt httld is upper andtl確 五ght h.■ nd ttl∩ wer.
※ Notね the pottbn ofa rlghtth_b.
※ Always set a五 ght th― b even fyou dOntt use yoぱ right ttlgers.
⇒ It is better fOr dddren tO mよ a seal on the pOsmOn of a ttFrht th血b,because
children c皿 側伍∝ the pOs前阻Ofa nghtth_b.
BefoЮ
●
plttg aェlecorder
① Putthgre∞ rderbetween tts lri烈 ビel.)
※ Not hol(止 ng a rec(lrder■ l a mouth
② How toblow h怖 a Юcollder
→ BattЛ ly you have tO use a weakbllea血
※ How io weakbreath 100聰 出Ю m赴 山喀 sountt by a bOも 随 .lfi脚 阻 2.)
.
Figlぇ
lle l.
Figuピe2.
③ When youplay a recorder you have to say `h―
伍 t
→
Ths
tu―
".
“
色 ―血 ―")
“
tll― tu " is s述 d to “
ta11帥 ag"
OAtlast,leザs play a llec()rder!!!!
(You always haⅥ tO check yollr cOTett posibn be点 麗 plttЩ g
a llecor髄
4)
① When yOu start to play a recordett you shOdd play“ ♪ ーra― so― ♪",because[Ls
soun曲 胆 very easy.
② Pushng hobs cettandy
③ lthveり hlportant to play a rec(lrttr塁 0幽
※ But you have tO play the hgher`猛itt sO ra"a■ tth ttЮ n伽
tュ
!
2.Practioc Point!!
● 恥帷 n you practlce songs・ …
⊂)F静 st,you ha、 c tO苗 g the song.
※ Yo■ lcが t play a recorder soon.
② Sing scales(♪ dO― re― mi fa― sO― ra―
do♪ )
'一
Ⅳ
③ Iemor抜 )scales
④ When you canmemorlzesc訊 es,you play ttt song by
a recc)l:詭
」
Let's]巳IttOy RecorderEE
76
Leader speach
2月 23日
l月
)StaRosa市 長表敬
Ⅳ上
rs,Arlew Arc』 as Nazareェ 1().` ∇
b are a tealn
It is very nice and honorable to meet you噛 岨ぅ
とom Tewi Univerdtt Japa11,We wi■ stay Lere md March ttst.Ollli misttn here is to teach
muslc at Sin創 脳1l Ebェ xlen協 1,y School,We would be very happy Jwe could be s()Ine help to he
educa依 近 ofhe children,
伍 Englim
Yattda,Ako ay leader nang pro〕 ect rin,Pttd sabiIJ:lo』 b出 砒 co.Bahara na po
Ako ay飢 Ⅲ噛
kayo sa akin,と 光us mttoduce olぇ r最 )lves olle by one.
2月 24日 ∪り mag celemony 五 SINALHAN
He■ o.K― usta ka lla?Ⅳfatta ako d月
U五ver帥け 」apall,Andito
111l nnl(ヽ lala
kttШ hanggangム
mementav s血
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ko kayo.Kami allg grupo gnlling Te■ lvi
/1arch()ェ le,Ang
miqyon nalllin ay ttuaII ng musiko
ang SINALHAN Elementだ ly school.ム /1attgLЩ g masava knlni kapag naruto kayo m.Ako ay
si ⅣⅡKLKO YASUDA・ Ako月 ng leader nang prtteCt na ib.Ang palayaw ko ay ⅣIICCO.
Nttaaral ak)ng ChttЮ se language sa ηttlri U,Japttn,Ngayon sallila salna tayoll
Magpap由 ユ
Лa kamisa ttЮ
伍 助galoD
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Let us■ 1位 oduce()ぱ selves()Ile by ttЮ
2月 27日 (水l
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magcelemony(コ
I aln very happy to all11()Ilce tO yOu赳
血at
ン サ ー トメ ンセ
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here is a collcert ofユ ute nute his alter1lo()Il at 3:00
0'clock ttghthere oll ths grolllld.Eveり olle is welcttae,、 qo Please come to e苅 Oy the collcerdi
(h En飩 由
Ngayon araw ay may koncyerto tayo.Sa gallap na ika‐ 3 ng hapon sa may coverd collrd.
Ⅳfanllod kayo ng konttЮ rto ngユ ute ng nga nasa ka‐ 4 11abaiting。
(ingtta10D
2月 27日 (木)
コ ンサ ー トあい さつ
att Prttect members,I
Magalldang hapon po,everyone1 0n behalf of lntemational Pall伎 五
would Шe to express my appreda伎 過 to Shahall Ebmntary School fol:頷 宙駅]us his
oppol:血 ity to teach mu並 ,4血 yade Puptt pr肥髄ed heユ ute,ま )Ilg ofLer()II Lron Sh協 very
hard,h the last 4days.So l wouldtt to ettOy Lsttning to伽 批 mu髄
.
2月 28日
(a StaRosa高 校 あい さつ
How do you do? I'm ム/1ikiko Yatta,thr leader of tと e lntemational Pal:位 通d()ェ IPュ:筍 ect of
ЪばiU江ver帥 け We have been rea■ y loo血 g fttwttld to meetmg you.段 )day,Leぜ s ettoy
plattg sports and dancing togeher.
77
2月 27日 (木)Ⅳ 正[RIENDAPARTY お 礼 の あい さつ
We
On behalfofolぇ r group members,I rea■ y hank you for h前血g us an today t。 廿述s pallけ
孤e really exc」 £d.I anl sllェ le hat this party helps us better cornm_cate巧 itt ollr ho説 とntts,
3月 1日 (ヒ l
さよな らパ ー テ ィー (は じめ の あ い さつ )
He■o10n behalfo醜 ぱ iU五 verに弓
lty sttde軋 9 wttttO say ttnnk you s()IIlluch for com五 g to the
FtteweL P劉 比y tO己 呼 Thank b tt wttm hspittiサ Or all of Olll:Lost角 己 bs,as we■ as
臨 ,Ueda,ReЧ Sasakl,ぷ、
Te丑Ю‐
sa11.Thsis a very sma■ token of()ull appreda依 m,but we
cooked」 apmse food tts morttgttr you,I hOpe you wd en,oy oぱ bod.Please remember
us as we wtt neⅦ r forttt abollt you.
さ よな らパ ー テ ィ ー (終 わ りの あ い さつ )
I hope that yOu en,oyed()■ lll Jap孤 覺配 おod.Thank to you a■ ,油 Ёs last olle week was ttuly
色uit皿 孤ld memorable.We alle ttavlng Sta,Rosa early tomorrow morllllg,b武 wc hope tと at
o■ lr relal面 赳 坤 w』 配 Ver end,We always前 血 you tt happyl洗
.
we love you an.Thank yOu so much!!
3月 3日
(月
)
フィ リピン大学 あい さつ
ム/1agangdnvl hapon po,everyolle,
Akoay d M皿 己Ю島
ぬsuda,AKo ayhader nangprttectrib.Taga TeBtt U五 werdけ akO,
Ⅵるhave been rea■ yl()()hg follwalld to meett you,Ngyon saⅡ la salYla tayoll
Leぜ sh位 oduce ourttlves noe by noe.
3月 3日
(月
)
国際交流基金 あい さつ
Ako ay dム /1KIKO YASLTDA.AkO ay leader nang proJectriめ
78
☆
☆
∼挨拶編 ∼
マ ガ ン ダ ン
ウマ ー ガ
ボ
ガ ビ
マ ガ ン ア ン
ポ
こちイ
こんイ
ま :山堕ganda1l hapon po
サ ラマ ッ ト
ポ
こんばんわ :Magalldtt gabi po
タ オ
ハーボ ン
マ ガ ン グ ン
おはよう :magandaⅥ umaga po
ありがとう i
SalЯ YYlat
ア ァ リス
ポ
ア ヨ
ナ
ごめんください Tao po
いってきます :Aalis na ako
バイノミ
イ :Pa』 hm
ただい ま :Ang dito na ako
アン
ジット
アコ
マサラップ
アコ
ナ
アイ
ン
私は∼です :Ako ay d∼
お い しい :masarap
′ラック
イキナガーブ
マキ ラーラ
カヨ
お会 いできて うれ しいです :Ikinagagalak kong mnkilala kayo
ハポン
タガ
アJ
ポ
日本 か ら来ま した :Taga Hapon po ako
また会 う日まで :Ha1lggang sa muli
∼ リコー ダー指導編 ∼
グァハン
卜 1,マ ヒ ミ ッ ク
ダァハン
静 かに :騎mnhilnik
ゆつくり :D証逍1ll dahanI
いい感 じ
上手だね !:Magaling
マガ リィン
!
ayos
ニ]
タクパ
プータス
アン
サングリ
穴をふ さいで :Takpaェl]呼 O allg butas
マキニン
ラン
待 って :&ndali lallg
カイ
カヨ
“∼ "の 話 を聞いて :M』 血山昭 kayo k叩 “∼
"
∼ そ の他 ∼
グス ト
コン
ノミリ
マグカーノ
ナン
∼を買いたい :Gusto kong bl】 mili ng∼
バラ
トラインケル
ナナァイ
タタァイ
tatay
マガンダ
美 しい i maganda
バンデサル
朝食用パン :pandesal
お母さん I
マ
あどlま
りょうり
タ
市場 :palengke
なまえ
(料 理の名前片
ア ドボー
adObo
サギン
バナナ :sa如
バクラァ
(果 物 の名前 ):rnlYlbutan
おかま
(フ
ィリピンには多い 1):bakla
マブーハイ
ジョツビー
ジョリビー
バ
パレンケ
トイ レ iCR
ア ドボ
ガ
子 ども :magれ a協
nallay
ランノー タン
ランブー タン
ホ
止めて ください :para ho
トライ シクル :位 ayttЮ l
お父さん i
イット
これはい くらですか :magkall()地 )?
(有 名なファス トフー ドのお店):」olibee
79
乾杯
!(万 歳):ム /1ab血 ay!
◆第 10回 「国際参加 プ ロジ ェ ク ト(フ ィ リピン)」 ユニ フォー ム ◆
Designed By岡 島 美佳子】
【
リコー ダー発表会 の際、
シナル ハ ン小学校 の先 生
か ら頂 い た交流 記念 品
◆ 賞状 ◆
エの色紙 ◆記念 品 として贈 りま した
◆相撲 予
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十omorrOい
子 ども進 と楽 しい授 業 に な るよ うに、授 業 開鈴 時 と終 了時 に毎 日元 気 に歌 い ま したぃ
81
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の楽譜◆
◆今年の課題曲『 レロンレロンシンタ
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フ ィ リピンの子 ども達 は き っ と音符 を読む こ とはで きな いだ ろ うと予想 して 、 あえて楽
譜 は載 せ なか った。 そ の 代 わ りに歌詞 と ドレ ミを対応 させ て書 い た こ とで 、そ の歌 を歌 う
よ うに ドレ ミも覚 えて い く ことがで きるよ う工夫 した。
◆ リコー ダー発表会 の 際、子 ども達 に渡 した 賞状 ◆
欧 鶏
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0
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【日本語訳】
「あなたたちは、 リコー ダーの練習をよく頑張 りま した。 もう素晴 らしい リ
コー ダー奏者 の一人です。 これか らもリコー ダー を続 けて くだ さいね。 リコ
ー ダー を通 してフィリピンのあなたたちと日本 の私たちの心が繋 がったこと
で しょ う。あ りが とう !」
82
☆どすこい体操★
作詞 ラッキイ池田
作曲 B編 曲 幾見 雅博
振付 ラッキィ池田
塩まいてパ ンパ ンパ ン
よ―い はつけよ―い
お尻もパンパン 顔 パ ンパ ン
とんだ とんだ
いち に さん し しこふんで
はつそうとびだ それ ジャンプ
ドスコイ ドスコイ
お相撲さんだって それ ジャンプ
軍配 かえつた 目を覚ませ
おまけに いぞりだ
まったなし
体をそらせ
!
よ―い はつけよ―い
したてひねりは 手を下に
つっぱりだ つつばりだ
うわてひねりは 手を上に
力いつぱい つっぱりだ
合掌ひねりだ
小さい相手に つつぱりつつばり
両手で ひねろう ギュギュギュ
大きい相手 に つつぱり
右に逃げたぞ つつばりつつばり
猫 だまし おどろかし
左に逃げたぞ つつぱり
サ ルだましは キッキッキ
まわしをひいたら がぶりより
調子 に乗つて タコだまし
タコは食 べちゃう
外が けだ 内が けだ
「ごっつぁんです 」
のこつた のこつた 拒!れ ない
「コラーッ !」 「ハイツ !」
外 がけだ 内が けだ
塩まいてパンパンパン
バ ランス ′`
ランス 任1れ ない
お尻もパンパン 顔パンパン
いち に さん し しこふんで
「だけど おなかが減 つちゃつたよ
ドスコイ ドスコイ
お― い ちゃんこまだ一 ?」
軍配 かえつた 目を覚ませ
「コラーッ !」 「ハィッ !」
ドスコイ
塩まいて パンパンパン
お尻もパンパン 顔パンパン
いち に さん し しこふんで
ドスコイ ドスコイ
軍配 かえつた 目を覚ませ
まったなし
よ―い はつけよ―い
83
!
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天理 教 の 用語説 明
このペ ージでは、寄稿文や感想文 な どの中でよく使われた天理教用語 を簡単に説明 しています。天理大学には天理教
信者でない学生 も多 く、 この文集 を読む ときの手助 けになればと思います。
『 天理教用語の基礎知識』 (天 理教道友社 )
2008年 か ら尋I用 しま した。
「親神様 J(お や がみ さま )
神名 を天理王命 (て ん りお うのみ こ と)と い う。教祖 は親神様 の こ とを人 々 に よ く分 か らせ るため、「神 」「月 日J「 を
(お )や 」 と、三 つ の 段 階 を踏 ま えて教 え られ た。 まず 、人 間 を含 めこの 世す べ て を創造 され た 「元 の神 」 で あ り、創造
以来変わ るこ とな く守護 され てい る 「実 の神 」であ る と。次 に、一 刻 の休 み もな くす べ ての ものに光 と恵 み を与 える 「月
日Jこ そ、天 にお け る親神 様 の姿 で あ る と。 さらに 、 もつ と身近 な、何事 で も打 ち明 けてすが るこ とので きる 「親」 で
あ る と。
「教祖 」 (お や さま)
天理教 の教祖 中山み き様 の こ と。「おや さま Jと お呼び してい る。
「ぢばJ
教会本 部神殿 の 中央 、「かん ろだ いJと 呼 ばれ る台 の据 え られ てい る地点。親神様 が人 間・世界 を創 造 され る時、最初
に人 間 を宿 し込 まれ た ところで 、 ここに親神様 がお 鎮 ま りにな ってい る。「ぢばJは 、す べ ての人 間 のふ るさとで あるの
で 、 ここに参 る ことを 「ぢば に帰 る」、「お ぢば帰 りJと い う。周辺 を 「親 里」 と呼んでい る。
「陽気 ぐらし」 (よ うきぐらし)
心の底か らわき出る陽気につつ まれた明るい暮 らし。天理教信仰者 の 目標 とす る暮 らしであ り、親神 様 が人間を創造
された 目的で もある。
「か しもの・ か りもの」
私たちの、か らだは 自分 の思 うとお りに動 くものだ と思っています。 しか し、私たちがか らだを自由に使 うことがで
きるの も、親神様が体内に入 り込んで、限 りない ご守護 を下 されているか らです。た とえば、車
月、 目が覚めるのも、食
べ た ものが血や内になるの も、呼吸ひ とつ に して も、 自分で意識 してやっているにではあ りません
。病気 になって、熱
が一 、三度上が っただ けで、自由に動かせ るはずのか らだもままな らなくな ります。 このことを 「身はか しもの 。か り
もの」 と教え られます。か らだは、親神様 か らにんげんへの 「貸 しもの」、人間の側 か ら言 えば 「借 りものJだ とい うこ
とです。親神様は、か らだは人間に貸 してお られますが、心だけは 「わが ものJと して、 自由に使 うことを許 されま し
た。だか ら、 日、耳、鼻、 日、両手、両足、生殖器官、これ ら九つの道具は、 自分 の心で思 うとお りに使 うこともでき
るのです。 自分 の思い どお りに使 える といっても、借 りたものであるか らには、貸 し主の思 いに添つて使 うことが大切
です。そ の思 い とは 「陽気 ぐらしJ。
「ひの き しん」
漢字 を当てれ ば 「日の寄進 」
。寄進 とは 、も ともと寺社 な どに財 物 を寄付す ることですか 、教祖 (お や さま)は 、誰で
も 日々 にで きる親神様 (お やがみ さま)に ささげる行 い として、「ひの き しんJを 教 え られ ま した。無償 の行為 とい うこ
とで は、ボ ラ ンテ ィア と同 じです が 、親神様 の ご守護 があるか らこそ 、か らだ を動 かす こ とがで きるのだ とい う、喜 び
勇 んだ心 が込 め られ ています 。 この感謝 の心か ら生まれ る行動 は、す べ て 、「ひ の き しん 」です。姿形 ではな く、そ こに
込 め られ た心が大切 なのです。
「にをいが け」 (に お いが け)
親神様 の思 い をまだ知 らない人 に伝 え信 仰 の道 にい ざな うこ とです 。信仰 の喜びか ら発散す る匂い をかけ る意味です。
「お さづ けJ
病 だす けの手段 として渡 され る授 けの もの。「お さづ けの理」を頂いた ものが 、病 で苦 しんでい る人 に真実の心 を込 め
て この理 を取 り次げば、心次 第 で どんな 脳み も取 り除いていただける とい うことで す。
「おたすけ」
病気や事情で苦 しんでいる人に、お さづ けを取 り次いだ り、話を取 り次いで、たすかる方向へ導 くことです。
「おつ とめJ
教祖 が、世界 中の人間をたすける方法 として教 えられた、天理教独 自の祭儀。本づ とめは 「か ぐらづ とめ」 と 「てを
ど りJか らなる。 か ぐらづ とめは 「ぢばJで しかつ とめ られない。
「お願 いづ とめ」
病気や 事情 の ご守護 を願 ってつ とめるおつ とめ。
「朝づ とめ・ 夕づ とめJ
朝には、新 しい一 日を迎 えさせていただいたお礼 と、今 日一 日の無事をお願い し、夕には、一 日を結構 にお連れ通 り
いただいたお礼 と、明 日へ の祈 りをこめてつ とめるおつ とめ。教会本部はもちろん、教会や布教所、神様 をまつ る信者
家庭 でもつ とめ られ る。
84
天 □大 学地 域 文 化 研 究 セ ンタ ー て
︲日 ︵
は 、2 月 2
土 ︶∼3 月 4 日 ︿水 ︶の
0 回 日 と な る ﹁口 醸 参 加 プ ロ
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ジ ェク と こ 基 コ平足至 す。ロプ ロジ
ェク ト で は 、フ ィリ ビ ン の 小学 校 て
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フ ィリピ ン
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こ宝 に て 諷 ってい る 、求 た は 不要 に
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天 理 時報
2009年 3月 22日
現 地 で 崩段
など の関係
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用させ てい
ただ ぞ 三 互
来 ツ プ ラ ノ リ コー タ ー と 折 り 紙 以
外 は 受 け 付 け て おり ま せ ん のて 、
と 了な く だ さ い 。
0 日 希 6 必着
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セ ンタ ー に持 ● も し く は 何 選
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2 ■ 台 は 送 料 を 角 担 いた だ
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天覇市仙之向1050
一置
天 H 大 学 地 壇 文 化 研 究 セ ンタ ー
◇ お間 い合 わ せ
雪
TE L a FAx 一
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そのと、インドでの中
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夕刊
産経新 聞
2009年 2月 7日
コ
んらに贈られ亀
女狙摂ひな祭り杯フ■ 一
至 形式 で は、 天 理大 学生 斗
ロ ケ ツ ン市 ︶ で、 回校 の女 ェ
お ひな様 と こ人 げ
子大 生 約 四十 人 と 天 理大 回 手 作 り の ﹁
臣文化 学部 ︵
不屋墨蚕翌U 一
営 女 の衣 装 と カ ツラ﹂ や宿 ヤ
士 山 登描 いた 化粧 まわ しな 一
の学生 ら 日本人 女 性 八 人 が 一
。
ど が 四人 職 臣 勝 のガブ ドさ 一
相授 を 通 じ て交流し た 一
永鍵
羅
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躍 境 ♂ 蛇誠 摘斗一
± 暇 勲雛 益に継 一
麓
寄贈品一覧
藝
い学秘 鞘 絡 野 學
,
艘 顛 鯉 挙激 沖一
ら
・・・208本
・・・15吉 [
・… 多 数
・・・約 200袋
ツプ ラノリコー ダー
リコー ダー指導冊子
お りがみ
ク レヨン 講 め)
交流班で使 った物 品各種
曜耳
狙唯 饗 好 解 ︺
悌 孤極 避 確 ”
ぞ札
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は臨 髄 脱 乾 螺 一
︲
︲︲︱ ︲
げ撮り﹂などの禁じ手は、
86
ま に ら新 聞
2009年 3月 4日
に
誤 轟 竪
瓶霰 碑 泄巧蜂 鏃 ﹁
ると、立ち合いで顔を見合
ハーイ﹂と実隕で声
わせ、﹁
ィリマン校 ︵
首都 学生もい札
ひな祭りの三日本 フイリ を掛けてから組み合う比大
ひ とつひ とつ を手渡 しで贈 ることができま した。
◆寄贈 の様子◆
「‖
BAH
鷲此
虫韻
A礼 状
フィリピンで活動するに当た り、全 国か らリコーダーを多 くの皆様か らいただきま した。
ご協力いただいた方 々へ 、活動中のフィリピンか らお礼状をお送 りしま した。
皆様本当にありが とうございま した。
この
し
度 は、た くさんの リコー ダー・ 折 り紙 を寄付 して
いただき本当にあ りが とうございま した。
皆さんか らいただ いた ものを使 って、
多 くの子 どもたちに喜んでもらえるよ うに
がんばっています。本当にありがとうご
た。
2009年
「 国際 プ ロ ジ ェク トJ
今加 メ ンバー ー 同
, │
U
雛脇
この度 は、 リコー ダー・ 折 り紙 を寄付 していただ きあ りが と うございま した。
私 た ちはいま、皆 さんの暖 か い思 い を胸 に フ ィ リピンで 活動 を して います。
皆様 か らいただ いた リコー ダーが こ こフ ィ リピンの子 どもた ちの もとで鳴 り響 いて います ♪
本 当にあ りが と うございま した。
Salamat pol! あ りが とうござい ま した。
J
87
□1
(=i
ll
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に,秦
"
この報告書 を完成 す るの に 、 とて も時 間 がかか りま した。 み ん なで協力 して 作
る こ とがで き、参加 者 全 員 の 思 い が こ も つ たす ば ら しい 文集 に仕 上 が っ た と思
い ます。
参加 者 の 中 で 、現在 学 生 の者 は 2人 しか残 って お らず 、作業 を進 めて い く面
で しん どい こ ともた くさん あ りま した。初 めはパ ソ コ ンの使 い 方 もあま りわか
らなか っ たので 、使 い 方 や操 作 に慣 れ るの に時 間 もかか りま した。 作業 の途 中
で この研 修 の 写真 を見 た ときに 、現 地 での楽 しか っ た こ とが思 い 出 され て 、写
真 を見 て笑 っ ていた りも しま した。 しか し、作業 を進 めてい くなか で 学 べ た こ
とは大 きか っ た と思 い ます 。
よ、多 くの人 の支 えが あ っ
第 10回 「国際参加 プ ロ ジェ ク ト (フ ィ リピン)」 イ
たか らこそ 終 える こ とが 出来 た と思 ってい ます。 この文 集 を読 んで 頂 きあ りが
と うご ざい ま した。
参加 者 一 同
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天理 大学
6320510
国際参力ロプ ロジェク ト参カロメ ンバ ーー 同
奈 良県 天理 市 1山 ノ内町
1050
88
天理 大 学 地域 文化研 究 セ ン ター
PШ WY♪ 09
2010年 3月 4日
柳)│1賀 津子、椋野 和子、澤 山 利広
貝増 舞、岡島 美佳子、北嶋 美根子、久保 真百子
安 田 美貴子、奥 きよか、椋野 まゆみ、椋野 美和
天理大学地域文化研究センター (ICRS)
〒632・ 8510 奈良県天理市オ
山之内町 1050
Tax 0743(63)9007
mail:詭 [email protected]・ u.ac.jp
Telノ
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